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〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

永井均

本「ウィトゲンシュタインの誤診 『青色本』を掘り崩す」永井均5

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ウィトゲンシュタインの誤診 -『青色本』を掘り崩す-
ウィトゲンシュタインの誤診 『青色本』を掘り崩す

○著者: 永井 均
○出版: ナカニシヤ出版 (2012/8, 単行本 254ページ)
○定価: 1,890円
○ISBN: 978-4779506710
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失敗した治療記録、とは、、、画期的な病人であって、しかも、みずから開発していた最新の治療法において(自らの病気の治療においても)素晴らしい才能を発揮したウィトゲンシュタインLudwig Wittgenstein, 1889-1951)にして、であってしかし、彼自身の病気だけは治せなかった。そもそも診断がまちがっていた(誤診?!)。それは病気ではなかった!?、んんん、『青色本』という天下の奇書の価値?!、とか


分析哲学という「治療法」でウィトゲンシュタインが治せなかった「病」とは何か?
ウィトゲンシュタインの『青色本』を徹底的に読み解き、批判的に乗り超え、哲学の新たな可能性を切り拓く永井哲学ワールド。


≪目次: ≫
はじめに
略号(※)

1 哲学における達成とは
2 私的体験が素材となって実在が構成されていると言いたい誘惑
3 語は対立項なしには使われえないか
4 ただ私自身の体験だけが実在すると言いたい誘惑
5 だが他人も「まったく同じこと」が言える
6 世界の素材としてのエーテル状の私的体験
7 ウィトゲンシュタイン的独我論
8 ウィトゲンシュタイン的独我論の永井的拡張(付・コウモリだったらどんなかな)
9 私と世界をつなぐすべての出発点
10 「自分の感覚を記述するのに回り道をせざるをえない」
11 野田総理の目のまわりの黒あざの絵は実物の黒あざと照合できる
12 「このゲームにゴールはない」
13 私と他人が身体の部分を共有した場合
14 二冊の本は同じ色であることができない
15 私が痛いとき私はそれを知っている
16 私は彼の痛みを文法的に感じることができない
17 文法に対する不満?
18 「無意識的な考え」という表現
19 日常言語に対する不満 vs. 言語そのものからの余剰
20 自痛み‐他痛み vs. 実痛み‐虚痛み
21 「この紙はあこくない」
22 「私の頭を彼の頭の中に突き刺して……」
23 独我論と記憶――偶丸奇森の思考実験
24 幾何学的な目と幾何学的な記憶
25 「つねに」と「いつであれ」、そして独今論との類比
26 「用は足りる」が「理解できてはならない」
27 「白のキングに紙の冠をかぶせる」
28 「歩きながら周りを見まわすときには……」
29 「私」の客体用法と主体用法
30 個々の身体に口がついていることの意義
31 痛みを感じている人は口から泣き声を出している人か?
32 表出説を使用説につなぐ
33 感覚与件は存在するか
34 独我論的指示の構造
35 「文字盤を針に固定して一緒に回るようにしてしまった」
36 二つの思考が拮抗している
37 「私はここにいる」という形而上学的驚き
38 今だ!
39 身体は痛みを感じうるか
40 心という観念の起源


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年東京都に生まれる。1982年慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。日本大学教授。(専攻/哲学・倫理学)。著書、『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房)、『転校生とブラック・ジャック』(岩波現代文庫)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』、『倫理とは何か』(以上、ちくま学芸文庫)、『なぜ意識は実在しないのか』〈双書哲学塾〉(岩波書店)、『西田幾多郎』(NHK出版)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)、『〈子ども〉のための哲学』、『これがニーチェだ』、『私・今・そして神』(以上、講談社現代新書)、『マンガは哲学する』(講談社)、ほか多数。

永井均/入不二基義/上野修/青山拓央 『〈私〉の哲学 を哲学する』(講談社、2010年) '10/12/03
永井均 『〈私〉の存在の比類なさ』(講談社学術文庫、2010年) '10/08/21
永井均 『道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学』(河出文庫、2009年) '10/02/18
永井均×小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出文庫、2010年) '10/02/07
永井均 『子どものための哲学対話  Philosophy for children, 40 Dialogue, 1997 』(内田かずひろ 絵、講談社文庫、2009年) '09/09/23
トマス・ネーゲル 『コウモリであるとはどのようなことか  Thomas Nagel: “Mortal Questions”, 1979 』(永井均 訳、勁草書房、1989年) '09/06/20
永井均 『なぜ意識は実在しないのか』(双書哲学塾、岩波書店、2007年) '09/06/05、'09/02/24
永井均×小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1998年) '09/05/30
永井均 『マンガは哲学する』(岩波現代文庫、2009年) '09/05/16
永井均 『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー』(双書・現代の哲学、岩波書店、2001年) '09/05/15
永井均 『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』(哲学教科書シリーズ、産業図書、2003年) '09/05/14
永井均 『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(シリーズ・哲学のエッセンス、日本放送出版協会、2006年) '09/05/12
永井均 『私・今・そして神 開闢の哲学』(講談社現代新書、2004年) '09/05/07
永井均 『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書、1996年) '09/05/03
永井均 『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書、1995年) '09/04/30
永井均 『翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない』(ちくま学芸文庫、2007年) '09/04/28
永井均 『これがニーチェだ』(講談社現代新書、1998年) '09/04/22
永井均 『ルサンチマンの哲学 Ressentiment 』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1997年) '09/04/20
永井均 『なぜ意識は実在しないのか』(双書哲学塾、岩波書店、2007年) '09/02/24


ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 『青色本  Ludwig Wittgenstein: “The Blue and Brown Books”, 1958 』(大森荘蔵 訳、野矢茂樹 解説、ちくま学芸文庫、2010年) '11/05/15
ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考  Ludwig Wittgenstein: “Tractatus Logico-Philosophicus”, 1921 』(野矢茂樹 訳、岩波文庫、2003年) '10/01/31
ルートウィヒ・ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考  Ludwig Wittgenstein: “Tractatus Logico-Philosophicus”, 1921 』(中平浩司 訳、ちくま学芸文庫、2005年) '09/09/07

野矢茂樹 『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』(ちくま学芸文庫、2006年) '10/01/22
入不二基義 『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(シリーズ・哲学のエッセンス、日本放送出版協会、2006年) '09/09/11
永井均 『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書、1995年) '09/04/30





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【略号】
W」はウィトゲンシュタインの原文、「N」はそれに対する永井の論評。

「原」は原著、すなわち、Ludwig Wittgenstein, The Blue and Brown Books, Basil Blackwell, 1975.
「全」は全集版、すなわち、大森荘蔵訳 『ウィトゲンシュタイン全集6』大修館。
「文」は文庫版、すなわち、大森荘蔵訳 『青色本』ちくま学芸文庫。
「黒」は黒崎宏訳、すなわち、『『論考』『青色本』解読』産業図書。
数字は各書における引用文冒頭の頁を示す。




本「〈私〉の哲学 を哲学する」永井均・入不二基義・上野修・青山拓央5

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〈私〉の哲学 を哲学する
〈私〉の哲学 を哲学する

○著者: 永井均入不二基義上野修・青山拓央
○出版: 講談社 (2010/10, 単行本 378ページ)
○価格: 2,415円
○ISBN: 978-4062165563
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ん〜、どうにもぼくにはついていけてない(能力不足だ)ぞ、〈私〉の哲学
三男の敏三が「意識」で、次男の敏二が「物質」で、長男の敏一が「言語」で、その(ゾンビ?!)三兄弟の父の、最後に登場する父の敏が「存在」とは??!


≪目次: ≫
序章 永井均 問題の基本構造の解説    はじめに/1 世界にこんなにたくさんの人がいるのに、なぜこの人が私なのか?/2 分裂と移転の思考実験/3 現実性とその累進構造/4 第○次内包について
第I部 入不二基義セクション
0 語句解説「内包」
1 〈私〉とクオリア――マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ (I マイナス内包/II 無内包/III もう一つのゾンビ/IV 二つの時間の原理と今秘性の不成立)
2 永井均との討論
第II部 上野修セクション
0 語句解説「真理条件」「大文字の他者」
1 現実指標としての〈私〉――永井均『私・今・そして神』を中心に (問題の所在/現実指標/主体の開設/とてもラカン風に)
2 永井均との討論
第III部 青山拓央セクション
0 語句解説「様相」「指標」
1 様相と指標の累進――永井均著『なぜ意識は実在しないのか』検討 (永井氏への五つの質問)
2 永井均との討論
全セクションについてのフロア討論
第IV部 あとから考えたこと
1 永井均 聖家族――ゾンビ一家の神学的構成 (1 ゾンビとビンゾの対比を考える/2 敏一、敏二、敏三、という三兄弟の寓話/3 典型例としてのデカルトの『省察』/4 敏一の驚異的な技――偽と否定の関係から示唆される/5 敏一の技がはたらくためのある前提/6 父の登場)
2 入不二基義 無内包の現実
3 上野修 存在の耐えられない軽さ――ラカン、デイヴィッドソン、永井均 (0 上野のスタンス/1 大文字の真理/2 大文字の他者/知と真理の分裂/コミュニケーションにおける他者/3 パラドックスの原因/アクチュアリティとリアル)
4 青山拓央 命題と《現実》
あとがき (二〇一〇年五月、著者を代表して、上野 修)


≪著者: ≫ 永井均 (ながい ひとし) 1951年生まれ。慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学・倫理学。日本大学文理学部教授。主な著書に『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『私・今・そして神』(以上、講談社現代新書)、『〈私〉の存在の比類なさ』(講談社学術文庫)、『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)、『転校生とブラック・ジャック』(岩波現代文庫)など多数。

≪著者: ≫ 入不二基義 (いりふじ もとよし) 1958年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得。専攻は哲学。青山学院大学教育人間科学部教授。主な著書に『時間は実在するか』(講談社現代新書)、『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)、『哲学の誤読』(ちくま新書)、『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』(朝日出版社)、『時間と絶対と相対と』(勁草書房)など。

≪著者: ≫ 上野修 (うえの おさむ) 1951年生まれ。大阪大学大学院文学研究科後期課程単位取得退学。専攻は哲学・哲学史。大阪大学大学院文学研究科教授。主な著書に『精神の目は論証そのもの』(学樹書院)、『スピノザの世界』(講談社現代新書)、『スピノザ――「無神論者」は宗教を肯定できるか』(日本放送出版協会)、共著に『ドゥルーズ/ガタリの現在』(平凡社)などがある。

≪著者: ≫ 青山拓央 (あおやま たくお) 1975年生まれ。千葉大学大学院社会文化科学研究科単位取得。専攻は哲学。山口大学時間学研究所准教授。主な著書に『タイムトラベルの哲学』(講談社)、共著に『時間学概論』(恒星社厚生閣)、『現代形而上学論文集』(勁草書房)がある。





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本「〈私〉の存在の比類なさ (講談社学術文庫2000)」永井均5

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〈私〉の存在の比類なさ (講談社学術文庫)
〈私〉の存在の比類なさ (講談社学術文庫2000)

○著者: 永井 均
○出版: 講談社 (2010/7, 文庫 304ページ)
○価格: 1,008円
○ISBN: 978-4062920001
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ペロペロッといろいろ書いて、お喋りしたい、みたいな欲求はないものではないんだけど、どうにも上手く書きえる気がしていないことと、この先どうなっちゃうんだろう??!、とは、これからの展開に不安を抱えて(不安や不安定やストレスを承知してシュミレイトして変化にみずからの意志で踏み切ったのではあってもそれでもやっぱり)、不安な気持ちを隠しきれないままに、中途半端な状態で、そう、みずからの言動には慎重を期したい、石橋を叩いて壊して渡れなかった(そもそも橋を渡る気なかったんじゃないの、ぶち壊す気はあっても??!)、まぁそれでも仕方がないだろう、くらいに慎重に。
明けない夜はない、月は満ち、欠け、かたちに、視認できる形状に変化こそあれ、そう、まさに変化する、同じではない。変わらないものなどない、時間の経過でなお変わらないとするならば、それはまた、時間の経過にあわせて、時間の流れであり経て過ぎて、あのとき過去のあのときとはすでに同一ではない、もしかしたら同一なのかもしれない、いやいや同一だなんてことはありえないであろう、過去と同じであるということは、時間の経過にあわせた、時間の経過と流れと変移にあわせた、ゆるやかな感覚的には変化を認知するには相当の注意を要する変化を遂げているのかどうなのか、いまのぼくと、昨日のぼくと、そう、あのときのぼくと



永井均は今と同じあり方で存在しながら、彼が私でなくなることは想像できる。このとき、彼には何の異変も起きていない。しかしもはや彼は私ではない。この私を〈私〉と表記しよう。〈私〉から展開される永井哲学は、他者や倫理など根源的な問題を刺戟し続けてやまない。著者自身、「本書こそが独在論の入門書として最もふさわしい」と断ずる必読の哲学書。


≪目次: ≫
学術文庫版へのまえがき
はじめに

他者
    はじめに/1 「他者の問題」といわれているもの(理由の他者性/感覚の他者性/「他者の問題」といわれているものの中の他者の問題/ロボット問題/ある構造)/2 〈私〉から〈魂〉へ(〈私〉の存在/隣人を持たない者/〈人〉の同一性と〈私〉の同一性/〈私〉と〈魂〉)/3 他者の他者性(他者の存在/デカルトの神/ロボット問題再説)/おわりに


独在性と他者
――独我論の本質    1 残骸としての独我論/2 痕跡としての独我論/3 独在性としての独我論/4 独在性における他者
ウィトゲンシュタインの独我論    1 はじめに/2 『草稿 1914-1916』の独我論/3 『論理哲学論考』の独我論/4 『哲学的考察』の独我論/5 『「私的経験」と「感覚与件」について』の独我論/6 むすび
独我論と他者――あるいは宇宙の選択の問題    はじめに/1 独在性のリアリティと宇宙の選択/2 宇宙の選択における選択前提とは?/おわりに


独在性の意味
――山田友幸氏の批判に答え、入不二基義氏の所論を批評する    1 山田友幸の完全な誤読((1)「はじめに」について/(2)「一 他我問題と他者の問題」について/(3)「二 永井の「解決」とその問題点」について/(49「三 他我問題の純化」について/(5)「四 他者はどこにいるのか」について)/2 入不二基義の微妙な後退((1)「一人称問題と独我論について」/(2)「自己関与的態度の特異性」について)
独在性の意味(2)――大庭健氏の批判に答え、入不二基義氏の所論を更に検討する    1 大庭氏の批判が批判になっていないことについて/2 入不二基義と永井説の異同について


書評1
 大森荘蔵著『時間と自我』(青土社、1992年)
書評2 野矢茂樹著『心と他者』(勁草書房、1995年)
書評3 ブライアン・マクギネス著『ウィトゲンシュタイン評伝――若き日のルートヴィッヒ 1889-1921』(藤本隆志他訳、法政大学出版局、1994年)、レイ・モンク著『ウィトゲンシュタイン 1・2』(岡田雅勝訳、みすず書房、1994年)


差異と実質
――ヴィトゲンシュタインソシュールフッサール

解説「空に輝く北極星として。」茂木健一郎


※本書の原本は、1998年、勁草書房より刊行されました。


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、日本大学教授。専攻は、哲学・倫理学。著書に、『〈私〉のメタフィジックス』、『〈魂〉に対する態度』、『〈子ども〉のための哲学』、『これがニーチェだ』、『転校生とブラックジャック』、『私・今・そして神』、『西田幾多郎――「絶対無」とは何か』、『なぜ意識は実在しないのか』など多数。共編著に『事典 哲学の木』がある。






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本「道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)」永井均5

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道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)
道徳は復讐である ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)

○著者: 永井均
○出版: 河出書房新社 (2009/11, 文庫 177ページ)
○価格: 620円
○ISBN: 978-4309409924
おすすめ度: 4.5
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ぶっちゃけ、かなしいかなよくわからない
なんとなく共感できるようなところどころを感じていないわけじゃないんだけど、なんとなく感じたレヴェルをして、それをそれでよしとするのもどうか?、などと


≪目次: ≫
序章 『星の銀貨』の主題による三つの変奏   最初のお話/二番目のお話/最後のお話/あの世での少女たちの会話
第一章 ルサンチマンの哲学――そしてまたニーチェの読み方について   ルサンチマンの本質/ニーチェの真価について/善悪の起源/キリスト教的内面の成立/今日におけるルサンチマン自己罪責化とニヒリズム/ルサンチマンの「克服」
第二章 幸福・道徳・復讐
新新宗教
見えないヨーロッパ――その原点の点描
   見えないヨーロッパ/道徳と狂気/告白/忘恩の要求/信仰と忘却/フィロソフィア/犯罪――Once and for all/差別と愛/試練は存在しない/見えるヨーロッパの逆襲
よく生きることヤテ、そらナンボのもんや?   1 道徳の理由と哲学史/2 ソクラテス、プラトン、アリストテレス――概念の変造(『クリトン』のソクラテス/プラトンの『ゴルギアス』/アリストテレス)/3 カント、そしてヘーゲル――変造の完成(カントの道徳フェティシズム/カントにおける「ホワイ・ビー・モラル?」の問い/ヘーゲルの「人倫」学説)/4 概念変造の一つの帰結――結びに代えて
怨恨なき復讐――われわれの時代のルサンチマン
第三章 永遠回帰の哲学――あるいはまたニーチェへの問い方について   永遠回帰概念の不整合性/永遠回帰思想のルサンチマン性/私の解する永遠回帰/ニーチェにとっての永遠回帰/空間の被界・選別と躓き
単行本へのあとがき

付録対談 「ニーチェと、ニーチェを超えた問い」 川上未映子×永井均   ルールに罰則があると罰を覚悟の上ならルールを破ってもいいということが暗に示されてしまう/死刑ではなく、死ぬこと自体が極刑である/カント的意味で絶対にしちゃいけないことが存在するなら「してはいけない」ということそれ自体がそれをする動機になりうる/プレイヤーがプレイしながらそのゲームのルールを問題にすることはできない/人間社会に属していない者にしか見えない真理の一面がある/人が普通の幸せを求めるということもそうであるべき道徳の一部である


※本書は一九九七年五月、単行本として小社より刊行されました。対談は語り下ろしです。


≪著者: ≫ 永井均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、日本大学文理学部哲学科教授。著書に、『〈魂〉に対する態度』(勁草書房)、『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房)、『これがニーチェだ』(講談社現代新書)『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書)『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)他がある。

永井均×小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』(河出文庫、2010年) '10/02/07
永井均 『子どものための哲学対話  Philosophy for children, 40 Dialogue, 1997.』(内田かずひろ絵、講談社文庫、2009年) '09/09/23
トマス・ネーゲル 『コウモリであるとはどのようなことか  Thomas Nagel: “Mortal Questions”1979.』(永井均訳、勁草書房、1989年) '09/06/20
永井均 『なぜ意識は実在しないのか』(双書哲学塾、岩波書店、2007年) '09/06/05、 '09/02/24
永井均×小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1998年) '09/05/30
永井均 『マンガは哲学する』(岩波現代文庫、2009年) '09/05/16
永井均 『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー』(双書・現代の哲学、岩波書店、2001年) '09/05/15
永井均 『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』(哲学教科書シリーズ、産業図書、2003年) '09/05/14
永井均 『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(シリーズ・哲学のエッセンス、日本放送出版協会、2006年) '09/05/12
永井均 『私・今・そして神 開闢の哲学』(講談社現代新書、2004年) '09/05/07
永井均 『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書、1996年) '09/05/03
永井均 『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書、1995年) '09/04/30
永井均 『翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない』(ちくま学芸文庫、2007年) '09/04/28
永井均 『これがニーチェだ』(講談社現代新書、1998年) '09/04/22
永井均 『ルサンチマンの哲学 Ressentiment』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1997年) '09/04/20







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本「なぜ人を殺してはいけないのか? (河出文庫)」永井均×小泉義之5

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なぜ人を殺してはいけないのか? (河出文庫)
なぜ人を殺してはいけないのか? (河出文庫)

○著者: 永井均×小泉義之
○出版: 河出書房新社 (2010/1, 文庫 197ページ)
○価格: 599円
○ISBN: 978-4309409986
おすすめ度: 4.0
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ことばの言語の限界というのか矛盾というのか。きょうみぶかいテーマとして。
よくもわるくも、いったん発せられたことばは、すでに発した時点において、みずからの意思や意図とかかわりなく、ひとり歩きをはじめる。するりするりと、まさか逃げてるわけではなかろうが、意図せぬ方向あらぬ展開へと、往々にして。それゆえに、論理的に、逃げ道や抜け穴を塞ぐべく画策するんだろうけれど。ますますもって明白に


≪目次: ≫
第一章 道徳は殺人を止められるか?――対話
自己決定で何でも許されるのか/傷が残らないように/学校での殺人と道徳的支配/僧侶はどこにいるのか/ニーチェなら何と答えるか?/殺さない趣味/おまえは殺されていいのか?/答えはあり得るのか?/それでも殺したいのなら/殺人は偶然か?/内面のプロセスに殺人を閉じ込める/道徳的狂信者がいない/殺す・殺さないとは関係のないところで ――1998.3.11
第二章 きみは人を殺してもよい、だから私はきみを殺してはいけない――永井均
一 はじめに (1 対談について/2 話題について)/二 対談における個々の論点についての補足 (1 「自己決定で何でも許されるのか」と「傷が残らないように」について/2 「学校での殺人と道徳的支配」について/3 「僧侶はどこにいるのか」について/4 「ニーチェなら何と答えるか?」について/5 「殺さない趣味」について/6 「おまえは殺されていいのか?」について/7 「答えはあり得るのか?」について/8 「それでも殺したいのなら」について/9 「殺人は偶然か?」について/10 「内面のプロセスに殺人を閉じ込める」について/11 「道徳的狂信者がいない」について/12 「殺す・殺さないとは関係のないところで」について)/三 きみは人を殺してもいい (1 人は人を殺してはいけない/2 私は人を殺してよい/3 きみは人を殺してよい/4 私はきみを殺してよい)
第三章 なんで殺ったらいけないのかだって? 殺ってもイケルしイケテルのに――小泉義之
0 問う者を問う (どうしてお前を殺してはいけないのか/奴らが殺したいのは、殺されないことを願う人間だ/どうして殺してイケルのか?)/1 生きるために殺す(死体化する) (生きるためなら何をやっても構わない/飢えたる者は殺してもよいのか?/殺さなくてもイケテイル)/2 生きるためにではなく殺す(死体化する) (殺人は何の役にも立たない殺生である)/3 殺人の相対的価値(悪) (こんな自分でも大学へ行けるでしょうか/世間は、殺人を一律に悪いと評価していない/舞台を破壊するか、舞台から降りるか)/4 殺人の絶対的価値(罪) (殺人は罪である/罪の償いは、罪を犯せなくなることだ)/5 〈殺してはいけない〉というルールはない (わたしたちは殺さないルールに従っているわけではなく、ただ殺さないのだ/「殺してはいけない」というルールは存在しない/学校化された思考法)/6 最初の後知恵 (人類最初の言葉は「これは食物である」だった)
第四章 主客逆転の問題からの再考――文庫版によせて――永井均
第五章 罪の感触――文庫版によせて――小泉義之

※本書は一九九八年十月、単行本として小社より刊行されました。第四章と第五章は文庫版書き下ろしです。


≪著者: ≫ 永井均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、日本大学文理学部哲学科教授。著書に、『〈魂〉に対する態度』(勁草書房)、『これがニーチェだ』(講談社現代新書)『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書)『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)他がある。

≪著者: ≫ 小泉義之 (こいずみ・よしゆき) 1954年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。現在、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に、『ドゥルーズの哲学――生命・自然・未来のために』(講談社現代新書)『生殖の哲学』(河出書房新社)『病いの哲学』(ちくま新書)『デカルトの哲学』(人文書院)他がある。

永井均 『子どものための哲学対話  Philosophy for children, 40 Dialogue, 1997.』(内田かずひろ絵、講談社文庫、2009年) '09/09/23
トマス・ネーゲル 『コウモリであるとはどのようなことか  Thomas Nagel: “Mortal Questions”1979.』(永井均訳、勁草書房、1989年) '09/06/20
永井均 『なぜ意識は実在しないのか』(双書哲学塾、岩波書店、2007年) '09/06/05、 '09/02/24
永井均×小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1998年) '09/05/30
永井均 『マンガは哲学する』(岩波現代文庫、2009年) '09/05/16
永井均 『転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー』(双書・現代の哲学、岩波書店、2001年) '09/05/15
永井均 『倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦』(哲学教科書シリーズ、産業図書、2003年) '09/05/14
永井均 『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(シリーズ・哲学のエッセンス、日本放送出版協会、2006年) '09/05/12
永井均 『私・今・そして神 開闢の哲学』(講談社現代新書、2004年) '09/05/07
永井均 『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書、1996年) '09/05/03
永井均 『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書、1995年) '09/04/30
永井均 『翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない』(ちくま学芸文庫、2007年) '09/04/28
永井均 『これがニーチェだ』(講談社現代新書、1998年) '09/04/22
永井均 『ルサンチマンの哲学 Ressentiment』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1997年) '09/04/20

ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 〈下〉  Gilles Deleuze: “Logique du sens”1969.』(小泉義之訳、河出文庫、2007年) '09/09/16
ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 〈上〉  Gilles Deleuze: “Logique du sens”1969.』(小泉義之訳、河出文庫、2007年) '09/09/13
小泉義之 『デカルトの哲学』(人文書院、2009年) '09/08/04
小泉義之 『病いの哲学』(ちくま新書、2006年) '09/06/18
小泉義之 『「負け組」の哲学』(人文書院、2006年) '09/06/15
小泉義之 『ドゥルーズの哲学 生命・自然・未来のために』(講談社現代新書、2000年) '09/06/10
小泉義之 『デカルト=哲学のすすめ』(講談社現代新書、1996年) '09/06/09
小泉義之 『兵士デカルト 戦いから祈りへ』(勁草書房、1995年) '09/06/08
小泉義之 『レヴィナス 何のために生きるのか』(シリーズ・哲学のエッセンス、日本放送出版協会、2003年) '09/06/06
小泉義之 『生殖の哲学』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、2003年) '09/06/03
小泉義之 『弔いの哲学』(シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1997年) '09/06/02
小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』(永井均との共著、シリーズ・道徳の系譜、河出書房新社、1998年) '09/05/30







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本「子どものための哲学対話  Philosophy for children, 40 Dialogue, 1997 (講談社文庫)」永井均、内田かずひろ 絵5

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子どものための哲学対話 (講談社文庫)
子どものための哲学対話  Philosophy for children, 40 Dialogue, 1997 (講談社文庫)

○著者: 永井均内田かずひろ
○出版: 講談社 (2009/8, 文庫 147ページ)
○価格: 400円
○ISBN: 978-4062764483
おすすめ度: 5.0
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子ども、と言うときの、ぼくはついオトナ(であること?)を意識してしまうんだけど、不図。
仕事、遊び、勉学。


≪目次: ≫
序章
第1章 人間は遊ぶために生きている!
1 人間はなんのために生きているのか?(1)/2 人間はなんのために生きているのか?(2)/3 ネクラとネアカ――生まれのよさ/4 善と悪を決めるもの(1)/5 人生体験マシン(1)/6 この世の中は約束によってできた?(1)/7 善と悪を決めるもの(2)/8 こまっている人を助けてはいけない?/9 うそはついてもいいけど、約束をやぶってはいけない?/10 学校には行かなくてはいけないか?/11 へんなしごとの意味/12 遊びかたの専門家/13 なぜ音楽評論家は必要か?/14 言葉の意味はだれが決める?(1)/15 言葉の意味はだれが決める?(2)
第2章 友だちはいらない!
1 元気が出ないとき、どうしたらいいか?(1)/2 元気が出ないとき、どうしたらいいか?(2)/3 原因がわかると感情は消える?/4 「強さ」について/5 中心への愛と中心からの愛/6 友だちは必要か?/7 いやなことをしなければならないとき(1)/8 いやなことをしなければならないとき(2)/9 なぜ勉強をしなくちゃいけないのか?――さらにまた、ネクラとネアカについて/10 うまく眠るこつ/11 左翼と右翼ってなに?
第3章 地球は丸くない!
1 ニンゲンのココロ/2 青い鳥はいつ青くなったのか?(1)/3 物は見えるからあるのか、あるから見えるのか?/4 泣くから泣き虫なのか、泣き虫だから泣くのか?/5 青い鳥はいつ青くなったのか?(2)/6 クジラは魚である!/7 ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て引力を発見した!?/8 地球は丸くない!/9 この世の中は約束によってできた?(2)/10 人生体験マシン(2)/11 ぼくが生まれるために必要なこと(1)/12 ぼくが生まれるために必要なこと(2)/13 死について
終章
きみもやってみよう! 哲学ごっこ

解説 田島正樹
文庫版あとがき 永井均

※本書は1997年7月、小社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。専攻は哲学・倫理学。千葉大学教授などを経て、日本大学文理学部哲学科教授。著書に『マンガは哲学する』(岩波現代文庫)『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ちくま学芸文庫)『私・今・そして神』(講談社現代新書)などがある。

[絵] 内田かずひろ (うちだ・かずひろ) 1964年福岡県生まれ。'90年『シロと歩けば』(竹書房)でマンガ家としてデビュー。著書に『ゆうぐれアーモンド』(集英社)、『ロダンのココロ』(朝日文庫)などがある。ブログ http://rodakoko.exblog.jp/







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本「コウモリであるとはどのようなことか  Thomas Nagel, MORTAL QUESTIONS, Cambridge University Press, 1979 」トマス・ネーゲル、永井均 訳5

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コウモリであるとはどのようなことか
コウモリであるとはどのようなことか  Thomas Nagel, MORTAL QUESTIONS, Cambridge University Press, 1979

○著者: トマス・ネーゲル永井均
○出版: 勁草書房 (1989/6, 単行本 339ページ)
○価格: 3,150円
○ISBN: 978-4326152223
おすすめ度: 4.0
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「コウモリである」と言ってみたときの「である」ことの「である」こと性。
ことばにするぼくは、コウモリであるわけではない。ことばにして(と、ほぼ同時に考えて)みるぼく(私、我)。コウモリがことば(ヒトとヒトとのコミュニケーションツール)にするわけではなく、コウモリであるコウモリみずから?!が考えているわけではない。「コウモリである」とことばにするぼくはヒトであり、「コウモリのようなあり方をしたとすればどのようなことであるのか?」として、コウモリではないヒトとしてのぼくが想像する域を超えることがない。ぼくの創造の素材として使えるものとしての、ぼく自身の心のなかの素材、経験、体験、

カンタンな著書ではない。
読みはじめてはみたものの、ちっとも進まない(読む速度があがらない)。これは困ったと併読に切り替えて(1日1冊を読み終えるためには手段を選ばない)、すこしづつ時間をかけて読み進めることにした。それでも、図書館の貸し出し期限の2週間を延長することなく返却できることは、ぼくにとっての励みになる(ずいぶんと低いレヴェルの話だなぁ)。
毎日1冊の、という、ぼく自身にとっては意義があると考える読了と書き記しは、記録を遡ると2008年11月15日から継続中。ただし、記憶している限りでは2009年4月1日(00:00)に娘との一泊旅行の際に予約投稿をしていることについて判断に迷わないでもない。投稿時間についての操作を行っていないわけではないことも気になっていないわけでもない。24時というのか、0時に日付が変わることを活用して、前後1時間までの操作を許容としていることを隠すことをしない。時間に追われて書き記すことの心理的な負担を嫌って00:00の投稿を意識してもいる。
なによりも、内容の理解を伴わないままに、なんとかとりあえず読み終えているだけのことも少なくないことに、不甲斐なさというか、情けないような思いのようなものをいだいていないわけではない。


≪目次: ≫
献辞
序文
凡例
1 死
2 人生の無意味さ
3 道徳における運の問題
4 性的倒錯
5 戦争と大量虐殺
6 公的行為における無慈悲さ
7 優先政策
8 平等
9 価値の分裂
10 生物学の埒外にある倫理学
11 大脳分離と意識の統一
12 コウモリであるとはどのようなことか
13 汎心論(panpsychism)
14 主観的と客観的

訳者あとがき
人名索引



≪著者: ≫ トマス・ネーゲル (Thomas Nagel) 1937年生まれ、アメリカ人。コーネル、オックスフォードの各大学で学んだ後、1963-66年カルフォルニア大学で教え、プリンストン大学教授(現在ニューヨーク大学教授)。

[訳者] 永井均 (ながい ひとし) 1951年生まれ、慶應義塾大学文学部卒。現在(刊行当時)法政大学講師。著書『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房)。







本【第二読】「なぜ意識は実在しないのか (双書哲学塾07)」永井 均5

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なぜ意識は実在しないのか (双書 哲学塾)
なぜ意識は実在しないのか (双書哲学塾07)

○著者: 永井 均
○出版: 岩波書店 (2007/11,単行本 157ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281577
おすすめ度: 4.5
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けっこうマジでわからない。せめてなにがわからないのか、どこがどのようにわからないのか、くらいは書き記せるようにならなければなぁ、と思ってしまうほどに。じつは、永井均をはじめて読んだのが本書であった、2009年2月のこと
自分で言うのもヘンだが、ヘンを承知で書き記すならば、ぼくは相当に暑苦しい。ときに無理をしてでも演じてみせる一所懸命。なによりも好ましいと感じている、一所懸命、熱心、本気(マジ)真剣。ところで、記憶している幼少の頃のことであり、社会人になってからも最近まで変わらなかったかもしれない、ぼくのなかでの“一所懸命のカッコ悪さ”にたいする想い。クールにサラッとなにげなく成し遂げることの、努力しているさまをも見せることなく、汗をかくこともなく。歯をくいしばって死に物狂いで、なりふり構わずなにがなんでも、なんて不格好なすがたは、ノーサンキュー。きっとそんなヒミツの近道みたいなものがあると、疑うことがなかったのだなぁ。つねに100%全力疾走をすることは、そもそも求めるものではないけれど、ボンヤリしちゃってヌケガラみたいになっていることも少なくないけれど、意味があろうが無かろうが、誰が見ていようが誰も見ていなかろうが、ぼくがやると決めたことについて、その必要を性をぼく自身が見出したならば、なにがどうあろうとも。


≪目次: ≫
はじめに
第1日 なぜ意識は哲学の問題なのか

心なんて一般的なものはない/脳と意識の関係は他のどんな関係にも似ていない/時間との類比を試みてみよう/時間との類比はもう一つあって,この方がより重要である/「自分」とは誰か――「私」vs「当人」/質疑応答
第2日 なぜわれわれはゾンビなのか
現象的と心理的の対比は累進する/論理的付随と自然的付随を隔てるもの/二次元的意味論を3次元へ/「意識」以外の付随しないもの――指標的事実/「意識」以外の付随しないもの――因果性/いよいよゾンビ登場!/逆方向からの二つの反論を同時に/累進構造から一般的な「意識」の成立/クオリアの逆転はいかにして可能か/ジャクソンのメアリーとネーゲルのコウモリ/現象判断のパラドクスと神の存在論的証明/質疑応答
第3日 なぜ意識は志向的なのか
人称化と時制化による客観的世界の成立と志向性/知覚経験はいかにして志向的となるか/志向性と内包をつなぐもの/「私」の第〇次内包へ/質疑応答


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年生まれ.専攻,哲学・倫理学.現在,日本大学文理学部教授.著書:『〈私〉のメタフィジックス』 『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『翔太と猫のインサイトの夏休み  哲学的諸問題へのいざない』(ちくま学芸文庫)『転校生とブラック・ジャック  独在性をめぐるセミナー』(岩波書店),『これがニーチェだ』 『私・今・そして神  開闢の哲学』(講談社現代新書),『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(NHK出版)ほか.


み〜つけた♪




本「なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ・道徳の系譜)」永井均×小泉義之5

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なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ 道徳の系譜)
なぜ人を殺してはいけないのか? (シリーズ・道徳の系譜)

○著者: 永井均×小泉義之
○出版: 河出書房新社 (1998/12, 単行本 148ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4309242101
おすすめ度: 3.0
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人を殺したいと思うことがないわけではない、死んでしまったほうがいいんじゃないかと思うことがないわけではない、などとブッソウ?!なことを言ってみたりして、いまぼくはこの世に、勾留?!されることなく(自由?!に)存在している、いまのところ。
いわゆる「悪い(と世間で一般的に言われる?!)こと」って、ホントによくないことなのか?、などと真面目にキチンと考えてみることを試みると、あまりそんなことはフツーはしないのであろうけれど、そんなことを考えることになんの意義があるのかと問われても、ぼくには意義があると感じられる、とだけしか(いまのところ)言えないのだけれど(ホントは理論的に語りたい)、さらにはそんなことを考えちゃうことによって、いわゆる反社会的とも言われかねないような行動を採用することにもなりかねないとも感じていて(現におもいあたることがないわけではない)、考えなくて済むのならその方がいいかもね、などと言ってみたりもする。
道徳やら倫理やら、正義やら法やらは、なるほど、神やら僧侶やらを登場させて語るに相応しい??!
そう、人を殺したいとも死んでしまったほうがいいんじゃないかとも、一切考えることがない人(きっと少なからず存在するであろう?!)は、あえて問う必要はないのであろうけれど、すこしでもチラリとでも考えたことがあるのであれば、考えてしまうのであれば、「それはいけない(許されない)ことだ!」などと、人殺しや自殺などいわゆる「悪いこと」とされているようなことについて、雁字搦めに否定して、思い浮かべて考えてしまった事実を押し殺して、闇(心の奥深く?!)に封じ込めて、そこで思考を停止させてしまうよりは、認知して冷静に考えてみた方がいい、などと言ってみるぼくが、はたしてそれ(悪いことがなにかを問うこと)をキチンとして(経て)きたか??!と、みずからに問うてみるに、ぼくにはなんら意見することができないことが明確だ。


≪目次: ≫
第1章 道徳は殺人を止められるか?――対話
自己決定で何でも許されるのか/傷が残らないように/学校での殺人と道徳的支配/僧侶はどこにいるのか/ニーチェなら何と答えるか?/殺さない趣味/おまえは殺されていいのか?/答えはあり得るのか?/それでも殺したいのなら/殺人は偶然か?/内面のプロセスに殺人を閉じ込める/道徳的狂信者がいない/殺す・殺さないとは関係のないところで (1998.3.11)

第2章 きみは人を殺してもよい、だから私はきみを殺してはいけない――永井均
一 はじめに   1 対談について/2 話題について
二 対談における個々の論点についての補足   1 「自己決定で何でも許されるのか」と「傷が残らないように」について/2 「学校での殺人と道徳的支配」について/3 「僧侶はどこにいるのか」について/4 「ニーチェなら何と答えるか?」について/5 「殺さない趣味」について/6 「おまえは殺されていいのか?」について/7 「答えはあり得るのか?」について/8 「それでも殺したいのなら」について/9 「殺人は偶然か?」について/10 「内面のプロセスに殺人を閉じ込める」について/11 「道徳的狂信者がいない」について/12 「殺す・殺さないとは関係のないところで」について
三 きみは人を殺してもいい   1 人は人を殺してはいけない/2 私は人を殺してよい/3 きみは人を殺してよい/4 私はきみを殺してよい

第3章 なんで殺ったらいけないのかだって? 殺ってもイケルしイケテルのに――小泉義之
0 問う者を問う   どうしてお前を殺してはいけないのか/奴らが殺したいのは、殺されないことを願う人間だ/どうして殺してイケルのか?
1 生きるために殺す(死体化する)   生きるためなら何をやっても構わない/飢えたる者は殺してもよいのか?/殺さなくてもイケテイル
2 生きるためにではなく殺す(死体化する)   殺人は何の役にも立たない殺生である
3 殺人の相対的価値(悪)   こんな自分でも大学へ行けるでしょうか/世間は、殺人を一律に悪いと評価していない/舞台を破壊するか、舞台から降りるか
4 殺人の絶対的価値(罪)   殺人は罪である/罪の償いは、罪を犯せなくなることだ
5 〈殺してはいけない〉というルールはない   わたしたちは殺さないルールに従っているわけではなく、ただ殺さないのだ/「殺してはいけない」というルールは存在しない/学校化された思考法
6 最初の後知恵   人類最初の言葉は「これは食物である」だった


≪著者: ≫ 永井均 Nagai Hitoshi 1951年、東京生まれ。1974年3月、慶應義塾大学文学部卒業。1982年3月、慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。1990年4月より、信州大学人文学部助教授。1995年4月より、信州大学人文学部教授。1998年9月より、千葉大学文学部教授。(現在、日本大学文理学部教授)。著書に、『〈魂〉に対する態度』『〈私〉のメタフィジックス』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』(講談社現代新書)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社)

≪著者: ≫ 小泉義之 Koizumi Yoshiyuki 1954年、札幌生まれ。1988年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程哲学専攻退学。1990年より、宇都宮大学教育学部講師。1992年より、宇都宮大学教育学部助教授。(現在、立命館大学院先端総合学術研究科教授)。著書に、『兵士デカルト――戦いから祈りへ』(勁草書房)、『デカルト=哲学のすすめ』(講談社)、『弔いの哲学』(河出書房新社)。


ファイヤー!!




本「マンガは哲学する (岩波現代文庫)」永井均5

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マンガは哲学する (岩波現代文庫)
マンガは哲学する (岩波現代文庫)

○著者: 永井 均
○出版: 岩波書店 (2009/4, 文庫 254ページ)
○価格: 945円
○ISBN: 978-4006031831
おすすめ度: 5.0
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わかっていない(わからない)ままに書き記している、不安!?、なんてカンタンなものじゃない、カンタンにはカテゴリできない違和感(のようなもの)、ことばにできない(単純に能力不足)ヒリヒリとしたものをつねに感じながら、だからこそ書き記すのかもしれないね。ぼくの越権行為性であり、無自覚さ無能力さを考えるに、どう考えても書いちゃいけないよ。書くことが許されるはずなどあるわけがないがない!、と思わないときはない(だからすぐにカンタンになにも書けなくなっちゃう)。誰の目にも触れることがない個人的なノートにでも書き記して机の引き出しに鍵でもかけてしまいこんでおくのならともかく、公開されたウェブ空間にあるブログに、さらには著者がいる(心血を注ぎこんだ)著書を読んだことに乗じて書き散らすだなんて、いい歳した大人のやることじゃない!?、礼を失するにもほどがあるよ。などと言われたら、反論することばもない。それでも止めることはできないだろうなぁ。ぼくには必要なんだよ。そのことに意味があるのか意味などないのか、どんな意味があるのか、ぼくにはうまく説明をすることはできないけれど、意味がないことはない、との確信をいだいていると言ったらオカシイだろうか。


≪目次: ≫
まえがき (一九九九年十一月 永井 均)
第一章 意味と無意味
1 相対主義の原理と限界――藤子・F・不二雄「気楽に殺ろうよ」,「流血鬼」/2 異文化との出会い?――藤子・F・不二雄「ミノタウロスの皿」,「サンプルAとB」,「絶滅の島」/3 この話に作者はいるか――手塚治虫「ブラック・ジャック――第七話 幸運な男」/4 言語ゲームと哲学的感度――吉田戦車『伝染るんです』/5 感情の客観性(1)――中川いさみ『クマのプー太郎』/6 感情の客観性(2)――諸星大二郎「感情のある風景」/7 感覚の客観性――城アラキ・甲斐谷忍『ソムリエ』/8 合理性の洞察――福本伸行『カイジ』
第二章 私とは誰か?
1 死んだのは誰か――萩尾望都『半神』/2 愛は記憶を超える?――萩尾望都『A―A'』/3 私は記憶を超える?――吉野朔美『ECCENTRICS』/4 この身体は私のものか――士郎正宗『攻殻機動隊』/5 もうひとりの私――高橋葉介「壜の中」/6 私は二人いる――川口まどか「ツイン・マン」/7 今はオレだ!――田島昭宇・大塚英志『多重人格探偵サイコ』
第三章 夢――世界の真相――
1 夢はわたしに覚める――高橋葉介「夢」/2 固有の夢こそが現実をつくりだす――佐々木淳子「赤い壁」/3 現実という性質は客観的か――佐々木淳子「メッセージ」/4 現実は映像か――佐々木淳子「Who!」/5 夢の懐疑とロボットの懐疑――諸星大二郎「夢みる機械」/6 神の不在証明は可能か――楳図かずお『洗礼』
第四章 時間の謎
1 ドラえもんは何のためにいるのか――藤子・F・不二雄『ドラえもん』/2 殺されつづけるのは誰か――手塚治虫『火の鳥――異形編』/3 過去に対して悪をなすことは悪か――星野之宣『ブルーホール』/4 回帰は実在するか――佐々木淳子「リディアの住む時に」/5 自分会議の決定を尊重すべきか――藤子・F・不二雄「自分会議」
第五章 子ども VS.死――終わることの意味
1 未来にまかれた種としての子ども――楳図かずお『漂流教室』/2 子どもという狂気――楳図かずお『わたしは真悟』/3 なぜ子どもは大人になるのか――諸星大二郎「子供の遊び」/4 大人のなり方(1)――松本大洋『鉄コン筋クリート』/5 大人のなり方(2)――吉野朔美『ぼくだけが知っている』/6 純化された死――永井豪「霧の扉」/7 包み込まれていく死――しりあがり寿『真夜中の弥次さん喜多さん』
第六章 人生の意味について
1 被差別空間の感触――西原理恵子「はにゅうの夢」/2 人生の意味と幸福――業田良家『自虐の詩』/3 「真実の愛」が見つかるまで――しりあがり寿『ヒゲのOL藪内笹子』/4 捨てるべきものがあれば――坂口尚『あっかんべェ一休』/5 いながらにしていない――つげ義春「無能の人」/6 これが究極超人か!――ゆうきまさみ『究極超人あ〜る』/7 これも究極超人だ――赤塚不二夫『天才バカボン』
第七章 われわれは何のために存在しているのか
1 倫理から存在論へ――星野之宣『2001夜物語』/2 答えを超える問い――石ノ森章太郎『リュウの道』/3 何も守らぬ闘い――永井豪『デビルマン』/4 守るべきもののリアリティ――岩明均『寄生獣』/5 私は何のために生まれてきたの?――星野之宣『スターダストメモリーズ』

あとがき
著作の秘められた意図――講談社+α文庫版のためのあとがき (二〇〇四年七月)
現代文庫版のためのあとがき (二〇〇九年二月)
解説 哲学の旅 (萩尾望都)


*本書は,講談社より二〇〇二年二月単行本として、二〇〇四年八月講談社+α文庫の一冊として、それぞれ刊行された。底本には講談社+α文庫版を用いた。


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年東京生まれ.慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得.専攻は哲学・倫理学.千葉大学教授などを経て,現在日本大学文理学部哲学科教授.主な著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『私・今・そして神』(講談社現代新書),『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『西田幾多郎』(日本放送出版協会),『転校生とブラック・ジャック』『なぜ意識は実在しないのか』(岩波書店)ほか.


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本「転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)」永井均5

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転校生とブラック・ジャック―独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)
転校生とブラック・ジャック 独在性をめぐるセミナー (双書・現代の哲学)

○著者: 永井 均
○出版: 岩波書店 (2001/6, 単行本 203ページ)
○価格: 2,940円
○ISBN: 978-4000265850
おすすめ度: 5.0
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哲学やら倫理学やらが学問にカテゴリーされるものであり、学ぶ存在(主体?!)としての生徒(学生)がいて、教授するべく先生がいて、そうして学問として成立するのかしら。そこでいわゆる先生と呼ばれる立場に立つ自信もなければ希望もしない(と言ってしまうと意識していないわけではないことがバレてしまう?!)のであり、さらには生徒の立場になる気はまったくない、などと言ってしまうと、すでに学問の枠からハズれてしまうであろうことから考えるに、哲学って若い人向け、とくには学生にたいするものなのかしら(ぼくはすでに歳をとりすぎているのかもしれない)。そう、教えてもらうなんて、ぼくのなかには表面的には場面に応じて演じてみせることはあっても、本心からそう思うことは想像できないんだなぁ。いったん教えられちゃったら、その立場というのか上下関係というのか主従関係というのかは基本的に不変のものとして固定されちゃうものだろうと勝手に解釈しちゃっていて、そうじゃないケースもあることをも理解していないわけじゃない、まずは生徒を経て先生の教授を経て、ときに挑んでみたりして、生徒を経なければ先生になることだってできなかろうけれどね。ぼくはね、過剰に反応しすぎていることを否定できないんだけど、「お前はダメだ」とか「バカだなぁ」「ダメだなぁ」などと言われてしまうと、もっと言うと、そう言われているのを目にして耳にするだけでもメチャクチャ凹んで落ち込むんだ。気にしすぎだと思うよ。軽い冗談だよ、本気で言ってるわけじゃないよ、ってことだって、わからないわけじゃない。そうだと思うよ、本気で言ってるわけじゃないだろうと、ぼくだって思わないわけではないよ。気にする必要なんて、まったくないと頭でわかっていながら、しっかり体は反応してしまう、とってもとってもかなしくなって、ホントにホントにふさぎこみたくなる。


≪目次: ≫
序章 火星に行った私は私か
第1章 人称の秘密――デカルト『省察』からの逸脱的セミナー
第2章 私的規則の本質――Dのレポート
第3章 「転校生とブラック・ジャック」――本文の提示と、それをめぐる短いセミナー
第4章 なぜぼくは存在するのか――Eのレポート
第5章 存在と持続――パーフィットの『理由と人格』第三部をめぐる継続的セミナー
セミナー1 火星への遠隔輸送は可能か/セミナー2 デカルトはカントを超える?/セミナー3 独在性とは何か
第6章 中心化された可能世界――Fのレポート
第7章 談話室――哲学的議論のための要諦
第8章 記憶の変化は記憶できない――Gのレポート
終章 解釈学・系譜学・考古学
初出一覧


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ.専攻,哲学・倫理学.慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得.現在(刊行当時),千葉大学文学部教授(現在、日本大学教授).主著:『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房)『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版), 『これがニーチェだ』(講談社現代新書)


だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶだよ♪




本「倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)」永井均5

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倫理とは何か―猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)
倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦 (哲学教科書シリーズ)

○著者: 永井 均
○出版: 産業図書 (2003/2, 単行本 239ページ)
○価格: 2,310円
○ISBN: 978-4782802090
おすすめ度: 5.0
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≪目次: ≫
序章
アインジヒトとの遭遇 何が問題か?
第1章
M先生の講義機プラトンアリストテレス(真の幸福について)
1、プラトン――調和と恋/2、アリストテレス――幸福と中庸
アインジヒトとの議論機/佑呂澆兵分の幸福を求めているか?
第2章
M先生の講義供ホッブズヒューム社会契約について)
1、ホッブス――社会契約説の原型として/2、ヒューム――社会「黙約」説
アインジヒトとの議論供ー匆餬戚鵑浪椎修?
第3章
M先生の講義掘ルソーカント(「自由」について)
1、ルソー――一般意思としての「自由」/2、カント――断えざる社会契約としての「自由」
アインジヒトとの議論掘功利主義の普遍化は不可能か?
第4章
M先生の講義検ベンサムミル(利己主義について)
アインジヒトとの議論検利己主義と《魂》に対する態度
第5章
アインジヒトのはじめての講義 ニーチェとキリスト教道徳
第6章
M先生の講義后仝渋緡冤学(メタ倫理学正義論
アインジヒトとの議論后,海譴らの論議のどこがつまらないか?
第7章
アインジヒトとM先生の直接対決 なぜ道徳的であるべきか?
第8章
アインジヒトとの最後の議論 語りえぬことについては黙ってやらざるをえない
あとがきにかえて
索引


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年 東京都に生まれる。1974年 慶応義塾大学文学部卒業。1982年 慶応義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。現在(刊行当時)、千葉大学教授(現在、日本大学教授)。専攻/哲学・倫理学。著訳書 『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房),『〈魂〉に対する態度』(勁草書房),『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版),『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)『これがニーチェだ』(講談社現代新書)『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社),『子どものための哲学対話』(講談社),『マンガは哲学する』(講談社),『転校生とブラック・ジャック』(岩波書店),他。


ぼく、ワルくない・・・?!




本「西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス24)」永井均5

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西田幾多郎―「絶対無」とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス)
西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か (シリーズ・哲学のエッセンス24)

○著者: 永井 均
○出版: 日本放送出版協会 (2006/12, 単行本 109ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4140093368
おすすめ度: 4.5
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倫理と論理と理論と、えぇ〜い、ぼくにはいずれも“ことば”の定義が不明確なうえに、なんだか似ていてまぎらわしくて、、、いくらなんでも、わからない!、と開き直るのはおとなげない気がしないわけでもない。わかる努力を放棄することは、他人ならともかく(他人のことはぼくの関与するところではない)、みずからのこととしてはどうにも許したくない。しかし、現実としてぼくの能力の程度とはそんなもので、まずは現状の低いレヴェルを自覚してこそ、今が低いからこそ高いところを目指すことができようか。ときにイライラしてみたり、落ち込んでみたり、嫉妬して羨望して、凹んで、、、まぁフツーに違和感というのか、むかつきやら吐き気やら嘔吐なんてことばであらわされてしてみたりするのかなぁ、カンタンにストンと落ちることなく、どうにもこうにもスッキリしないままにある状態を安易に放棄しちゃわない、そのヘンな状態にとどまりつづける。そんなことになんの意味があるんだろう♪

ぼくのうちにず〜っと抱えつづけてきた違和感(のようなもの?!)がいま、なんだか好い感じに違和を醸していて?!、ちょっとこの“おかしなヤツ”を、なんとかことばにしたいと思っているんだけど、そのうちに消失しちゃうんじゃないかとときに焦ってみたり、まぁそんなことで消失しちゃうようなものはそもそもその程度のものでしかなくて、仕事が忙しいとか忙しくないとか、ぼくの頭のなかではつねにグルグルグルグルうごめきまわっていて、ところがいざ書き記そうとすると、そうカンタンにはいかないね♪、じっくりつきあっていこうじゃないの〜!!


≪目次: ≫
はじめに
第一章 純粋経験――思う、ゆえに、思いあり
1 長いトンネルを抜けると――主客未分の経験(無私の視点 日本語的把握と英語的把握)/2 知即行――真理と意志は合致する(意志はどう捉えられるか 知識・倫理・宗教――主客の合一としての)/3 デカルトVS.西田幾多郎(観念論的要素を取り去れば 「われ思う、ゆえに、われあり)の第一の二義牲 「われ思う、ゆえに、われあり)の第二の二義牲 西田はデカルトの何を拒否したのか)
第二章 場所――〈絶対無〉はどこにあるのか
1 言語哲学者としての西田(確信犯ウィトゲンシュタインとの対決)/2 自覚――「私を知る」とはどういうことか(「英国に居て完全なる英国の地図を」 私に於いて私を知る)/3 場所としての私(「私」は主格ではありえない! 私は存在しないことによって存在する)/4 場所的論理――西田論理学の展開(「がある」と「である」 真の個物とは何か――超越論的主語面と超越論的述語面 場所の自己限定のプロセス)/5 絶対無(無の場所としての意識 自覚において有は無化され、言語において無は有化される)
第三章 私と汝――私は殺されることによって生まれる
1 思想の体系化/2 田辺元の西田批判(種の論理と場所の論理 「西田先生の教を仰ぐ」 西田と田辺の対立の意味)/3 存在する私への死(私と汝は絶対に他なるものである 汝は神のごとく私の底から動く 私は主格となり、一個の自我となる)

西田幾多郎小伝
読書案内
あとがき (二〇〇六年九月 永井 均)


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得。千葉大学文学部教授(現在、日本大学教授)。専攻は、哲学・倫理学。著書に、『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書)、『マンガは哲学する』(講談社)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』『今・私・そして神――開闢の哲学』(ともに講談社現代新書)など多数。


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本「私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書1745)」永井均5

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私、今、そして神 (講談社現代新書)
私・今・そして神 開闢の哲学 (講談社現代新書1745)

○著者: 永井 均
○出版: 講談社 (2004/10, 新書 223ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4061497450
おすすめ度: 4.5
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会社の席替えがあったのがぼくがゴールデンウィーク休み(交代制)に入る前日か前々日くらいのことだから4月の29日か30日のことで、まぁ異動も移動もつねでそれが文化?!みたいな会社だから、荷物は少なく身軽にいつでもオッケー、とばかりに、会社の指示通りに事務所のいちばん奥の端から、入口近くの端の方へと、ひとりでゴソゴソと数往復してPCつないで30分もかからずに移動完了。これまでは、ホントに行き止まりの隅っこで、まわりは30代以降の男性ヴェテラン営業スタッフばかりだったから、とくに会話を交わすこともなく、ひっそり静かに過ごすことができたけど、今度は20代の女性事務スタッフに近い席だから、まぁ滅多にぼくから話し掛けることはないんだけれど、だからってず〜っと押し黙って不機嫌そうな仏頂面をしているのも気が引ける?!、と思うのかどうなのか。キッカケがなんであったのか忘れてしまったのだが、20代後半の独身事務スタッフのMieさんがおもむろに「神さまっているのかなぁ」(おじいちゃんを含む昔ながらの大家族で暮らす彼女はフツーに明るくタメ口♪)と投げ掛けられて、まぁあんまりマジに答えちゃいけないんだろうとは思いつつも、「存在を科学的に証明することはできないだろうから、存在してはいないだろうけれど、ぼくのなかに神さまはいると思っているよ♪」とかなんとかちょっと胸に手をあてながら答えた記憶があるんだけど。もうちょっと気の利いたマトモな回答をしてみたいものだなぁ。。。

哲学が好きだ。五十を過ぎればさすがに少し飽きるかと思ったが、ぜんぜん飽きない。なぜこんなことがこんなにも好きなのか、自分でも少し変な気がするときはあるが、しかたがない。世界の謎に触れ、そのうえ、ほんの少しでも切り込んでいけた感触を味わったときの快感は、他の何にもかえがたい。若いころは哲学なんかに興味を持っていても、年とるとだんだんもっと世俗的な普通のことに興味が移ってくるのかと思っていたが、結局、そうはならなかった。
五十を過ぎれば、と言ったが、じつを言えば、五十歳になって、ますます社会的人間であるための気力のようなものが保てなくなってきた。今では私にとって人生の苦痛の大半は、悲しみや怒りとしては現れず、ただただ煩わしさとして現われる。老いさき短い私の時間を、天下国家やその他の些事のために使いたくない。ただ自分の哲学だけを考えて生きていきたい。その思いはつのるばかりだ。
中島義道氏は、そのことを「人生を半分降りる」と表現しているようである。もしそれが可能なら、人生は半分降りるに限ると私も思う。むしろ、この意味での「降りる」ことこそ人生を生きる出発点だとさえ思う。・・・(中略)
・・・私は何も主張したりはしない。主張すべきことなど何もないから。ただ、問いを出して、ぼんやりと考えてみるだけ。もちろん、私の考えていることは、ふつうの意味ではほとんどすべてまちがっているだろう。それにしても、とりわけこれから論じていくような問題について「まちがっている」とは、そもそもどういう意味なのかなあ。  (P.16-P.18、「たれ流すだけの哲学」)



≪目次: ≫
はじめに
第1章 開闢の神をめぐってたゆたう序章

1 時間的閉所恐怖(たれ流すだけの哲学 五分前世界創造説)/2 全能の神も打ち破れない壁(記憶を「可能ならしめる」条件 だれも覚えていない過去は作れない)/3 五十センチ先世界創造説(私の知覚と外界の関係 私の「今」と他人の「今」)/4 開闢の奇跡(ある名づけえぬもの 外界そのものが贋物)/5 神だけがなしうる仕事(ロボットに心を与える 人間から心を奪う)/6 五分前世界創造説と昨夜私創造説(どこに神の業を見るか 今日からぼくは心があるんだぞ)/7 私を創造する力のある神(「心の理論」を自分にあてはめる 高階の神の必要性)/8 神と脳の位階について(悪霊のすごい力 欺く脳)/9 神の数は数えられない(自由意思を世界の中に位置づける 悪脳の数は数えられない)
第2章 ライプニッツ原理とカント原理
1 ライプニッツのお勉強(充足理由律と神の意志 現実に存在するということ)/2 何が見えていようと見えているのはつねに私だ(独我論の底にあるもの 概念化と存在者化)/3 現実世界とは私がいま存在する世界のことである(独我論のモナド論化 ライプニッツ原理とカント原理)/4 こんどはカントのお勉強(カントの循環 もっとこまかく見ると)/5 世界分裂――カントからデカルトへ(カントの可能性の哲学 私の分裂)/6 非形式的形式としての過去・現在・未来(物体の同一性 時制という特別な形式)/7 客観的世界が成立するという事件(「今」に身体性を与える 体験に宿る超越論的構造)/8 端的な今は可能な今の一例である/ない(マクタガートの「矛盾」と「実在」について マクタガートをカント化する)/9 哲学はまだ始まっていない(A系列vs.B系列の対立なんて見せかけだ A盲人とB盲人 「あむい」は使える)/10 火星旅行から時間旅行へ(ちょっとつづき タイムトラベル)/11 神も、現実に存在するためには神の意志を必要とする(分裂時の現実は儚く消える 神自身にもあてはまる 神・現実・私・今)
第3章 私的言語の必然性と不可能性
1 同じ新聞をいくつも読みくらべるとは?(開闢が持続する! ああ、しくいなあ)/2 みんな一緒の混沌とひとりだけの秩序(私的言語相互の客観的連関 私的言語の存在論 私が「椅子」と呼ぶもの)/3 他者の言語が理解できるためには過去の自分の言葉が理解できていなければならない(私的言語と言語ゲーム ウィトゲンシュタインのカブトムシ)/4 絵日記ほど恐ろしいものはない(「いつもどおり空は赤い」か 開闢としての言語 世界の中に同格の他者が存在しない)


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在(刊行当時)、千葉大学教授(現在は日本大学教授)。専攻は、哲学・倫理学。著書に『倫理とは何か――猫のアインジヒトの挑戦』(産業図書)、『マンガは哲学する』(講談社)、『転校生とブラック・ジャック』(岩波書店)、『〈子ども〉のための哲学』『これがニーチェだ』(ともに講談社現代新書)など。


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本「〈子ども〉のための哲学 (講談社現代新書1301)」永井均5

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<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス
〈子ども〉のための哲学 (講談社現代新書1301)

○著者: 永井 均
○出版: 講談社 (1996/5, 新書 216ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4061493018
おすすめ度: 4.5
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子どもの頃にぼくを大いに悩ませたことのひとつに、真面目に(規則を遵守して)やってるぼくが損をしている気がすることへの苛立ちのようなものがあったことをふと思い起こした。ぼく自身の器の小ささ?!に苦笑してしまうのだが、真剣に悩んだ。ぼくは悪いことと知りながら悪いことをしたくない。ズルをしてまで優位な立場や利益を得たいとは思わない。規則は守るべきものであり、どんなことがあっても守られるべきものであると頑なに思いこんでいた。そもそも人間は正しく完璧であるべきだ(完璧に在ることができる)、と信じて疑うことがなかった(若さ?!)。正義というのか道徳というのか倫理というのか(ことばの定義がぼくのなかで明確になっていない)、そんなような感情に過剰ともいえるほどに反応した。規則を守らない輩をその存在を許すことができず、そこでの争いや諍いを厭わなかった。といったところで、ぼくがまったく不正をしないかと問われるとそんなことはなく、人目(ときに親や教師などの)を盗んではズルをしていたことを否定できないのだから、ますます性質(タチ)が悪い。不正が許せないのか、それとも、他人が不正をすることによって利益を得ていることが許せないのか、今考えてみると後者の感情の方がつよかったような気がしてもいる。

気がつくと(無意識のうちに)〈哲学〉に連関する著書を好んで手にしているのではあるが、ぼくには〈哲学〉をしている気がしないのである。そもそも(いまさらながら)、〈哲学〉がなんであるのかわからない、わかった気がしていないのであって、初歩的なことばの定義や理解のないままに著書を読み進めること、そしてなによりこうして書き散らすことにたいする疑問というのか不安や不信がないわけではない。それでも、なんらかの行為(考えること?、問うこと?)を止めること、なにもしないことへの恐怖や不安が、そんな疑問や不信より勝っているような印象があることだけはどうやら確かなようだ。

・・・ぼくが考えてきたような問題をみんなが考えなくちゃいけない理由はないし、そもそも、〈哲学〉をするなんてことは、一般的にすすめられることではない。ぼくが言いたいことはただ、もし自分のなかに哲学することへの欲求というか、内的必然性というか、要するに問題があるならば、たとえ他人が理解してくれなくても、まったくひとりであっても、ずーっと考え続けてみることができるし、そうしてみるべきなんじゃないか、ということに尽きる。
少し大げさに、そしてむずかしく言えば、それは世の中的な価値は持たないかもしれないけれど、自己の〈奇跡〉的存在に呼応するような、いわば存在論的な価値(=大切さ)は持ちうるのではないか、とぼくは感じるのだ。この本でぼくが〈子ども〉たちに呼びかけてみたいことは、せんじつめれば、ただそれだけのことにつきる。  (P.62-P.63、「なぜぼくは存在するのか」)

子どもとは何だろう。そして、子どもが大人になるとは、どういうことだろう。思うに、それはこうだ。子どもは、まだこの世の中のことをよく知らない。それがどんな原理で成り立っているのか、まだよくわかっていない。では、大人はわかっているのだろうか。ある程度はそうだ。大人はわかっている。しかし、全面的にわかっているわけではない。むしろ、大人とは、世の中になれてしまって、わかっていないということを忘れてしまっているひとたちのことだ、とも言えるだろう。  (P.13-P.14、「〈子ども〉のための哲学とは?」)



≪目次: ≫
はじめに

問いの前に 〈子ども〉のための哲学とは?   哲学とは/子どもは哲学する/ぼくの子供時代の哲学的思索/「なぜ悪いことをしてはいけないのか」と「なぜぼくは存在するのか」/青年の哲学・大人の哲学・老人の哲学/〈子ども〉の哲学のすすめ

第1の問い なぜぼくは存在するのか
一 独我論をめぐって   ものごころ/問題の中身/作文に書いた話/ロボットの疑惑/友人に語った話
二 ぼくのほんとうの問題   問題はなぜすりかえられたか/ほんとうの問題/ぼくが存在しない二種類の状況/ぼくの出した答え/新たな問題
三 ふりだしにもどった問題   大切に生きること/奇跡と偶然そしてふたたび独我論/第二ラウンドの開始とウィトゲンシュタインとの出会い/独在性と単独性
四 魂の存在証明とその次のステップ   もう一人のぼく/個別化された脱人格的自我/自我同一性(セルフ・アイデンティティー)に関する「ウィリアムズ・永井・榑林説」/世界の複数性と唯一性
五 哲学の終結   独我論と独在性/独在性と言語ゲーム/二つの批判と哲学の意味

問いの合間に 上げ底と副産物   哲学上の友と敵/哲学は上げ底を埋める/いくつかの副産物/死・今・自由・実在

第二の問い なぜ悪いことをしてはいけないのか
一 もう一つの問題
   問題のはじまり/好いと善い、嫌なと悪い/ぼくのほんとうの問題/授業中におしゃべりしてはいけない/善いことをする動機の問題
二 だれも教えてくれなかったこと   道徳の限界/人間はみな利己主義者か/大人の立場から/子どもの立場から
三 まやかしの必要性   つりあいの善さ/言葉の問題/倫理学への失望/ニーチェと青年の哲学
四 ぼくが感じていた問題のほんとうの意味   二つの文体/〈子ども〉の哲学者ニーチェの洞察/倫理学と実在論/〈子ども〉の哲学者ニーチェの不幸/ぼくが感じていた問題の真の意味/第一の問いとのつながり

問いの後に 哲学とは?   哲学に対する二つの態度/〈哲学〉と「哲学」/哲学と思想/子ども、青年、大人、老人/哲学のすすめ

おわりに


≪著者: ≫ 永井 均 ながい・ひとし 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在(刊行当時)、信州大学教授(現在は日本大学教授)。専攻は哲学・倫理学。著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』(勁草書房)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版)など。


ぼく、ワルくない・・・?!




本「ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書020)」永井均5

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ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)
ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書020)

○著者: 永井 均
○出版: 筑摩書房 (1995/1, 新書 222ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480056207
おすすめ度: 4.0
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四月二七日、午後に彼は散歩に出かけたが、その夜、病状は急変した。あと数日の命であると伝えるべヴァン医師に、彼ははっきりと「Good!」と言い、翌日、意識を失う直前、徹夜で看病していたべヴァン夫人に「みんなに、僕は素晴らしい一生(ワンダフル・ライフ)を送ったと、伝えて下さい」と言ったという。そして、翌二九日の朝、彼は六二歳の生涯を閉じた。  (P.205、「第六章 最期」)

ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein, 1889-1951)


死ぬ直前に(意識があったとするなら)「素晴らしい人生だった」と言えるであろうか。ときどき考えなくはない(ときどき真剣に考える)。たとえば、今ぼくが死んでしまうとしたときに、じゃあ誰を呼ぼうか、なにを言おうか、と。ぼくがみずからの死を目前にして(と仮定して)、最期にどうしても会いたい人、なにかを語りたいとぼくが希求する人(いずれ書き記したい、今ではなく)。そう、「ありがとう」とは言いたい。ホントは「ゴメンナサイ」なのかもしれない。そもそもぼくには(死に際であっても)誰をも呼び寄せる資格も権利もないのかもしれないとも思わなくもない。会いたくないと拒絶されるかもしれない(それも仕方があるまい)。それでもぼくは「ありがとう」とは言いたい。ぼくの人生は今、素晴らしくないものではないと思っている。


≪目次: ≫
はじめに   読者の皆さんへ/引用および参照について
序章 ウィトゲンシュタインの光と陰   出会い/「私」の存在――私はなぜ、今ここにこうして存在しているのか/ウィトゲンシュタインの場合/ウィトゲンシュタインの独我論/超越論的(先験的)主観/超越論的(先験的)哲学
第1章 生い立ち   出生と家族/ウィトゲンシュタインのウィーン/青年時代の彷徨/『論考』への道/従軍/教員養成学校/『論考』の出版と小学校教員時代
第2章 像――前期ウィトゲンシュタイン哲学
1 『論理哲学論考』の本質   限界設定の書/言語の可能性の条件/超越論的(先験的)哲学
2 世界はどのようにできているか――論理的原子論   世界・事態・対象/論理空間
3 言語はいかに世界をとらえるか――写像と真理関数   写像/言語・命題・名辞/写像形式――語りえぬもの1/真理関数/アキレスと亀/『論考』は何を語るか/形而上学批判
4 もうひとつの「語りえぬもの」   価値・倫理・神秘――語りえぬもの2/独我論
第3章 復帰   『論考』の影響/接触/ケンブリッジへ/『探究』の開始と告白/教授就任と病院勤務/『倫理に関する講演』
第4章 文法――中期ウィトゲンシュタイン哲学
1 検証と文法――形成   論理から文法へ/写像から検証へ/隣室でピアノを弾く兄――現象と徴候・命題と仮説/行動主義/志向性の問題/反ラッセル/親フッサール
2 文法の自律性――完成   「文法」への一元化/本質は文法の中に/基準と徴候/他人の心/思考と言語表現/予期・意図・思念/文に意味を与えるもの
3 言語ゲームへ――解体   文法から使用へ/規則から習慣へ/中期の独我論論駁/遊び駒/第一人称問題/第一人称問題と独我論
第5章 言語ゲーム――後期ウィトゲンシュタイン哲学
1 言語ゲーム   言語ゲームとは何か/言語ゲームの多様性と慣習/意味と理解/生活形式/家族的類似性/比喩の焦点/ゲームの根底性――規則とゲームの逆転/言語ゲームの無根拠性
2 規則に従う――規則と実践  数列を数える/数列を教わる/規則順守のパラドックス/根拠の不在/色見本のケース/自然誌的/言語ゲームという底なし沼/偶然性と歴史の審判
3 私的言語   規則に「私的に」従う/私的言語の私的性格/天才児の事例/感覚日記/私的言語と歴史の審判/私的に従われた規則
4 意味盲と相貌盲   問題の連続性/意味体験/意味盲/意味盲人は何を失うか/相貌体験と相貌盲/広義の意味盲の場合
第6章 最期   発病と渡米/懐疑と根拠なき信念/世界像/意味と真理/知の主張と根拠/哲学的知の位置/最期
終章 語りえぬもの――光と陰、再び   思想の値段/独我論、再び/倫理、再び/読み換え
おわりに
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≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。現在(刊行当時)、信州大学人文学部助教授(現在、日本大学文理学部哲学科教授)。独我論をめぐる問題への関心を通して、自己と世界の意味を深く問いなおし、哲学することの魅力について語る気鋭の哲学者として活躍中。著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』(いずれも勁草書房)、『自己と他者』(編著、昭和堂)、『エロス』(現代哲学の冒険4、共著、岩波書店)、訳書にネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』(勁草書房)などがある。


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本「翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)」永井 均5

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翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
翔太と猫のインサイトの夏休み 哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)

○著者: 永井 均
○出版: 筑摩書房 (2007/8, 文庫 282ページ)
○価格: 924円
○ISBN: 978-4480090928
おすすめ度: 4.5
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「さっきから疑問に思っていたんだけどさ、……そもそも、ものごとがわかるってことはどういうことなの? わかったと思い込んでも、ほんとうはわかってなかったってこともあるよね? だとすると、ほんとうにわかったっていえるのはどういう場合なの? それとさ、同じことかもしれないんだけど、さっきから疑問なのは、意味がわかるってことなんだよ。相手の信念とか考えは、意味がわかりあえているって前提のもとで、相手に聞いてみれば、わかるよね? でも、意味を聞いてみることはできないじゃん。聞いてみたってその答えの意味がまたわからなきゃ、またその意味を聞かなくちゃなんないだろ? 聞いてもみないで、こっちが勝手にわかったと思い込んだって、ほんとうにわかったいるのかどうか、わからないし……」  (P.184-P.185)

簡単にわかるものではないけれど、、、


≪目次: ≫
はじめに
第一章 いまが夢じゃないって証拠はあるか
1 ぼくらは培養器の中の脳か/2 ほんとうであるとは?/3 見える世界とほんとうの世界/4 デカルトのはなし
第二章 たくさんの人間の中に自分という特別なものがいるとはどういうことか
1 他人には心がない?/2 心があるとは?/3 ぼくは存在する!/4 カントのはなし
第三章 さまざまな可能性の中でこれが正しいといえる根拠はあるか
1 善悪の客観的な基準はあるか/2 住んでる世界が違う?/3 意味は存在しない/4 ウィトゲンシュタインのはなし
第四章 自分がいまここに存在していることに意味はあるか
1 人間には自由意志があるか/2 宇宙の果ては――「いま」の神秘?/3 死――人生の意味/4 ハイデガーのはなし
第五章 死と夢

あとがき
文庫版あとがき (二〇〇七年七月 永井 均)
解説「正確で清潔な言葉」――中島義道

*本書は一九九五年十二月二十五日、ナカニシヤ出版から刊行された。


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい・ひとし) 1951年東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程単位取得。哲学・倫理学を専攻。現在、日本大学文理学部哲学科教授。著書に『〈私〉のメタフィジックス』『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(以上、勁草書房)。『ウィトゲンシュタイン入門』(筑摩書房)、『〈子ども〉のための哲学』『子どものための哲学対話』『私・今・そして神』(以上、講談社)、『転校生とブラック・ジャック』(岩波書店)、『西田幾多郎』(NHK出版)などがある。


ワル




本「これがニーチェだ (講談社現代新書1401)」永井均5

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これがニーチェだ (講談社現代新書)
これがニーチェだ (講談社現代新書1401)

○著者: 永井均
○出版: 講談社 (1998/5, 新書 221ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4061494015
おすすめ度: 4.0
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ニーチェは、一八四四年十月十五日、ライプツィヒの近くのリュッツェルンという町に近いレッケンという小さな村に、プロテスタントの牧師の子として生まれた。母親も牧師の娘であり、幼児期のニーチェは、プロテスタント的な家庭環境のなかで、ささやかな――あるいはささやかぶった――家庭生活を送ったことが推測される。  (P.56、生い立ち)

なぜ人を殺してはいけないか。これまでその問いに対して出された答えはすべて嘘である。道徳哲学者や倫理学者は、こぞってまことしやかな嘘を語ってきた。ほんとうの答えは、はっきりしている。「重罰になる可能性をも考慮に入れて、どうしても殺したければ、やむをえない」――だれも公共の場で口にしないとはいえ、これがほんとうの答えである。だが、ある意味では、これは、誰もが知っている自明な真理にすぎないのではあるまいか。ニーチェはこの自明の真理をあえて語ったのであろうか。そうではない。彼は、それ以上のことを語ったのである。  (P.28-P.29、ニーチェの究極の答えについて)



≪目次: ≫
序文
この本はどこが新しいか/ニーチェの哲学・ニーチェ批判/この本の特徴/参照方法/駱駝・獅子・子供
第一章 道徳批判――諸空間への序章
1 なぜ人を殺してはいけないのか(誇りという嘘/ニーチェの答え/答える人の嘘について/ニーチェの究極の答えについて) 2 道徳を否定する道徳(二種類の道徳批判/誠実という道徳/強さとしての誠実さ/宗教批判) 3 ニーチェの道徳的趣味(恥と同情/社会性自体の拒否/最悪のニーチェ=最高のニーチェ)
第二章 ニーチェの誕生と、『悲劇の誕生』のソクラテス像
生い立ち/『悲劇の誕生』の誕生/『悲劇の誕生』の空間/『道徳外の意味における本当と嘘』/『反時代的考察』/病気と休暇/『人間的あまりにも人間的』/『曙光』と『悦ばしき知識』
第三章 第一空間――ニヒリズムとその系譜学
1 神の死とニヒリズム(二種類の神の死/「神の死」と「神の影」/三種類のニヒリズム/〈神〉の死因) 2 道徳の系譜学(系譜学とは何か/貴族的価値評価と僧侶的価値評価/約束と責任――道徳の内面化/負い目と良心のやましさ/禁欲主義的僧侶と禁欲主義的理想/真理への意志は何を意味するか)
第四章 第二空間――力への意志とパースぺクティブ主義
1 真理と力――第一空間と第二空間の衝突(形而上学の超克――および芸術について/無への意志としての力への意志――力への意志の系譜学/真理への意志としての力への意志/真理と有用性――二つの空間の相互包含) 2 力への意志とパースペクティヴ主義(パースペクティヴ主義/力への意志説とパースペクティヴ主義は語りうるか) 3 「力への意志」説はてつがくたりうるか?(欲動としての力への意志/ニーチェのプラグマティズム――有用性の形而上学) 4 「弱さ」としての「力への意志」(力への意志?/弱さとしてのパースペクティヴ主義/力への意志の胡乱な出自/価値基準の独占/まとめとないものねだり)
第五章 『反キリスト』のイエス像と、ニーチェの終焉
二つの体験――永遠回帰とルー・ザロメ/『反キリスト』におけるイエス像/「キリスト教」の成立/「キリスト教」のその後/発狂と死
第六章 第三空間――永遠回帰=遊ぶ子供の聖なる肯定
1 永遠回帰の襲来(永遠回帰と第三空間/『悦ばしき知識』における永遠回帰/『ツァラトゥストラ』における永遠回帰/永遠回帰を肯定する?) 2 意志の否定――闘う獅子から遊ぶ子どもへ(意志の否定/第三空間の境地/芸術・遊戯・子供/獅子から子供へ?/超人とディオニュソス的肯定) 3 運命愛と〈神〉の復活(「偶然=必然」としての生成/太陽のない光としての世界/世界そのもの、あるいはニーチェの神/〈神〉/聖なる肯定としての永遠回帰/人生の意味――祈りとしての永遠回帰/運命愛のありか/ニーチェ空間の外へ)
結語
謝辞と題名についてのあとがき


≪著者: ≫ 永井均 (ながい・ひとし) 1951年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程単位取得。現在(刊行当時)、信州大学教授(現在、日本大学教授)。専攻は哲学・倫理学。著書に『〈私〉の存在の比類なさ』勁草書房、『翔太と猫のインサイトの夏休み』ナカニシヤ出版、『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書など。
『ルサンチマンの哲学』(河出書房新社、1997)


どうしてもはずせない♪




本「ルサンチマンの哲学 Ressentiment (シリーズ・道徳の系譜)」永井均5

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ルサンチマンの哲学 (シリーズ 道徳の系譜)
ルサンチマンの哲学 Ressentiment (シリーズ・道徳の系譜)

○著者: 永井均
○出版: 河出書房新社 (1997/5, 単行本 151ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4309241890
おすすめ度: 4.0
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「あぁ、ニーチェ(Friedrich Nietzsche, 1844-1900)を読みたい!」と最近ず〜っと思っていたところに、たまたま「最近読んでないなぁ〜」などと思いながらなんとなくチェックしてみた「光文社古典新訳文庫」ウェブページでビックリ!、偶然にも(もしかしたら必然!?)4月の新刊2冊のうちの1冊が『善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Böse, 1886)』だったよ♪、さらには、好んで読み進めている“中山元”の翻訳とあっては、大あわてで予約をポチッと(自室近くの図書館で2番目)。ということは、いよいよニーチェがやってくる♪、じつは恥ずかしながらはじめてなんですぅ〜、ニーチェさま。すでに数冊のニーチェを読み解く本が手元にあって、まずはそれらを先に読んじゃわないことには。
ちなみに本書は、神崎繁『ニーチェ どうして同情してはいけないのか』(日本放送出版協会、2002)の読書案内に紹介されていたものである。

定義的にいうと、ルサンチマンとは、現実の行為によって反撃することが不可能なとき、想像上の復讐によってその埋め合わせをしようとする者が心に抱き続ける反復感情のことだ、といえますが、このルサンチマンという心理現象自体がニーチェの問題だったわけはありません。ルサンチマン自体についても、最後に問題にするつもりではありますけれど、ニーチェの問題は、ルサンチマンが創造する力となって価値を生み出すようにあったとき、道徳上の奴隷一揆が始まるということであり、そして実際にそうだった、ということなのです。つまり我々はみなこの成功した一揆で作られた体制の中にいて、それを自明として生きている、ということがポイントなのです。この点を見逃すか無視してしまうと、ニーチェから単なる個人的な人生論のようなものしか引き出せなくなってしまいます。  (P.15-P.16、第一章 ルサンチマンの哲学)


≪目次: ≫
序章 『星の銀貨』の主題による三つの変奏   最初のお話/二番目のお話/最後のお話/あの世での少女たちの会話
第一章 ルサンチマンの哲学――そしてまたニーチェの読み方について   ルサンチマンの本質/ニーチェの真価について/善悪の起源/キリスト教的内面の成立/今日におけるルサンチマン自己罪責化とニヒリズム/ルサンチマンの「克服」
第二章 幸福道徳復讐
新新宗教

見えないヨーロッパ――その原点の点描   見えないヨーロッパ/道徳と狂気告白/忘恩の要求/信仰と忘却/フィロソフィア/犯罪――Once and for all――/差別と愛/試練は存在しない/見えるヨーロッパの逆襲
よく生きることヤテ、そらナンボのもんや?   1 道徳の理由と哲学史/2 ソクラテスプラトンアリストテレス――概念の変造――(『クリトン』のソクラテス プラトンの『ゴルギアス』 アリストテレス)/3 カント、そしてヘーゲル――変造の完成――(カントの道徳フェティシズム カントにおける「ホワイ・ビー・モラル?」の問い ヘーゲルの「人倫」学説)/4 概念変造の一つの帰結――結びに代えて――
怨恨なき復讐――われわれの時代のルサンチマン
第三章 永遠回帰の哲学――あるいはまたニーチェへの問い方について   永遠回帰概念の不整合性/永遠回帰思想のルサンチマン性/私の解する永遠回帰/ニーチェにとっての永遠回帰/空間の被界・選別と躓き
あとがき


≪著者: ≫ 永井均 Nagai Hitoshi 一九五一年一一月一〇日 東京生まれ。一九七四年三月 慶応義塾大学文学部卒業。一九八二年三月 慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。一九九〇年四月より、信州大学人文学部助教授。一九九五年四月より、信州大学人文学部教授。一九八九年一〇月 和辻賞受賞。著書に『〈魂〉に対する態度』『〈私〉のメタフィジックス』(勁草書房)、『翔太と猫のインサイトの夏休み』(ナカニシヤ出版)、『〈子ども〉のための哲学』(講談社現代新書)、『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書)、訳書に『コウモリであるとはどのようなことか』(勁草書房)など。


ワル




本「なぜ意識は実在しないのか (双書哲学塾07)」永井 均5

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なぜ意識は実在しないのか (双書 哲学塾)
なぜ意識は実在しないのか (双書哲学塾07)

○著者: 永井 均
○出版: 岩波書店 (2007/11,単行本 157ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4000281577
おすすめ度: 4.5
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だって、そうじゃないですか。心なんて一般的なものは見たこともないのに、なぜそんなものが一般的に――私にもあなたにも彼にも彼女にも――あると信じられてしまっているのか、それがまずは、問題じゃないですか。なんといってもそこがまず不思議じゃないですか。なぜそこに問題を感じないのでしょうか。  (P.5)


≪目次: ≫
はじめに
第1日 なぜ意識は哲学の問題なのか
心なんて一般的なものはない/脳と意識の関係は他のどんな関係にも似ていない/時間との類比を試みてみよう/時間との類比はもう一つあって,この方がより重要である/「自分」とは誰か――「私」vs「当人」/質疑応答
第2日 なぜわれわれはゾンビなのか
現象的と心理的の対比は累進する/論理的付随と自然的付随を隔てるもの/二次元的意味論を3次元へ/「意識」以外の付随しないもの――指標的事実/「意識」以外の付随しないもの――因果性/いよいよゾンビ登場!/逆方向からの二つの反論を同時に/累進構造から一般的な「意識」の成立/クオリアの逆転はいかにして可能か/ジャクソンのメアリーとネーゲルのコウモリ/現象判断のパラドクスと神の存在論的証明/質疑応答
第3日 なぜ意識は志向的なのか
人称化と時制化による客観的世界の成立と志向性/知覚経験はいかにして志向的となるか/志向性と内包をつなぐもの/「私」の第〇次内包へ/質疑応答


≪著者: ≫ 永井 均 (ながい ひとし) 1951年生まれ.専攻,哲学・倫理学.現在,日本大学文理学部教授.著書:『〈私〉のメタフィジックス』 『〈魂〉に対する態度』『〈私〉の存在の比類なさ』(勁草書房),『ウィトゲンシュタイン入門』(ちくま新書),『翔太と猫のインサイトの夏休み  哲学的諸問題へのいざない』(ちくま学芸文庫),『転校生とブラック・ジャック  独在性をめぐるセミナー』(岩波書店),『これがニーチェだ』 『私・今・そして神  開闢の哲学』(講談社現代新書),『西田幾多郎 〈絶対無〉とは何か』(NHK出版)ほか.


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写真 Canon IXY900IS(since 2006.12.4) & EOS40D + EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM(since 2008.7.23) + EF100mm F2.8 Macro USM(used, since 2008.9.10) + EF-S55-250mm F4-5.6 IS(used, since 2008.9.30) + EF50mm F1.8 供used, since 2009.4.4)

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