Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

ちくま文庫

本「想像のレッスン (ちくま文庫)」鷲田清一5

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想像のレッスン (ちくま文庫)
○著者: 鷲田 清一
○定価: 本体価格880円+税
○ISBN: 978-4480435828










「他者の未知の感受性にふれておろおろするじぶんをそのまま晒けだしたかった」という著者のアート評論。かすかな違和の感覚を掬い取るために日常の「裂け目」に分け入り、「見る」ことの野性を甦らせるアートの跳躍力とは。アート、演劇、舞踏、映画、写真、音楽、ファッションなどについて、「ここにあるものを手がかりにここにないものを思う」評論集。


≪目次: ≫
まえがき

レッスン0 見えないものを見る
 視界をこじ開ける――何が目見えているのか
 言葉になりえぬものへ言葉を駆使して潜り込む
 歳とともにすこし見えてきたこと
 じぶんの弱さに向きあう
 想像力が萎縮している
 想像力をはぐくむ知恵
 都市のすきま
 古木と寺社の場末
 都市の原っぱ
 一線を越える跳躍力

レッスン1 壊れたもの――日常のがらくたのなかから
 言葉のちぐはぐ
 思考停止を破る――束芋&できやよい《にっぽんの、ななかむら》
 「普通」がじりじりする アブナさをもとめている――サザンオールスターズ・サマーライブ in 横浜
 「あたりまえ」と「ありきたり」――荒川洋治 『忘れられる過去』
 「お惣菜」の思考――《ブリコラージュ・アート・ナウ》 展
 日常の雑然とした淀み
 着生のすがた――《コモン・スケープ――今日の写真における日常へのまなざし》 展
 がらくたの高貴さ、あるいは世界の外に出るための小さな回転扉――チャールズ・シミック 「コーネルの箱」(柴田元幸 訳)

レッスン2 塞がれたもの――困難な自由について
 やりすごす
 「押し返す」デザイン
 浮いている/流されているという感覚に抗して――湊町アンダーグラウンドプロジェクト
 夢の跡――見えなくなったものを見るために
 喪に服す建築――表参道の、細胞膜のようなビル群
 飛沫のはねた跡――結成五十周年記念 「具体」 回顧展
 壊れない覆い――K. K. 《ワラッテイイトモ、》
 音楽で人を殺せるか?
 「音楽」からの自由――高橋悠治・ゴルトベルク変奏曲
 センスとノンセンスのあいだを往復する思考――追悼・市川浩

レッスン3 棄てられたもの――時を行き来する
 時が流れる、お城が見える
 時のあわい――南木佳士 『神かくし』
 だれもじっとしているわけではない
 ラスト・ダダ――火遊びの季節(とき)
 「あたりまえ」への小さな裂け目――大阪現代演劇祭 「GUYS掘
 納得
 初老の男のためのおとぎ話――パトリス・ルコント監督 『列車に乗った男』
 遇うて空しく過ぐる勿(なか)れ――河瀬直美 『沙羅双樹』 によせて
 〈老い〉を聴く
 老いは、重くて、軽い――谷川俊太郎の minimal によせて
 一枚のピクチュア

レッスン4 見失ったもの――意味のゼロ還元?
 惹かれた身体
 身体を侵襲する都市――ヴィクター&ロルフ 《ファッションと色彩》 展
 消えた幸福論
 意味への問いを封印する――《ハピネス――アートにみる幸福への鍵》 展
 どこで意味から放たれるのか?――スペイン舞踊 「サロメ」
 〈光〉の創世記――勅使川原三郎公演 「Luminous」
 記憶のすきま
 眼になりくる――ホンマタカシ 『きわめてよいふうけい』
 「見える」ことの豊穣さ――鈴木理策写真展 《海と山のあいだ》
 現われの起伏をなぞる――直島・地中美術館
 〈しるし〉としての女形――ダニエル・シュミット監督 『書かれた顔』
 〈しるし〉になりきる――森村泰昌の戦略
 中心もなく、エンディングもなく――《私あるいは私――静かなる燃焼系》 展

レッスン5 消え入るもの――〈顔〉
 消え入ることで現われてくるもの
 わたしの〈顔〉 展
 宝誌和尚立像/パルミジャニーノ 「凸面鏡の自画像」/萬鐵五郎 「雲のある自画像」/マン・レイ 「カザティ公爵夫人」/香月泰男 「涅槃」/ジャコメッティ 「頭部」/フランシス・ベーコン 「ルシアン・フロイトの肖像のための習作三点」/アンディ・ウォーホル 「ミック・ジャガー」/篠山紀信 「山口百恵・19歳」/奈良美智 「Milky Lake」

レッスン6 忘れてはならないもの
 いま、家族のかたちは?
 交差するいのちの光景――ふたたび、河瀬直美 『沙羅双樹』 をめぐって
 コミュニケーションの仲立ちをする建築家――山本理顕建築模型展
 恋はせつない、やるせない?
 「この」というささやかな訴え――《山本耀司――May I help you?》 展
 眼、ひとつ。――伊勢真一のドキュメンタリー映画
 最後の友情?
 一以上でも一以下でもなく――煌めきのガラス絵 木田安彦の世界
 孤立させられる「痛み」
 痛い映画――クリスティン・ジェフズ監督 『シルヴィア』
 イメージにどこか抗ってしまうひと――中島美嘉サマーツアー
 いのちのはずみ?――ピナ・バウシュ 「炎のマズルカ」
 明滅するいのち――ジンガロ公演 「ルンタ」 における人馬一体

レッスン7 限界へのまなざし
 できないということ
 限界をくぐり抜ける――舘野泉リサイタル
 うぶ毛のような感覚――西嶋豊彦の絵
 受け身でいるのはもうよそう――金沢21世紀美術館
 手当と修復――ニコラ・フィリベール監督 『パリ・ルーヴル美術館の秘密』
 物への敬意、ざわめきのなかの気品
 ここではない別の場所――もうひとつのレッスン

あとがき (二〇〇五年九月 鷲田清一)

文庫版あとがき (二〇一九年春 鷲田清一)

解説 失われたものの痛みから 堀畑裕之(服飾ブランド matohu デザイナー)


※本書の単行本は、2005年10月、『〈想像〉のレッスン』の書名で、NTT出版より刊行されました。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学・京都市立芸術大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長。専門は哲学。現象学をベースに、臨床哲学、モード批評などを幅広く展開する。著書に、『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』(桑原武夫学芸賞受賞、ちくま学芸文庫)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞受賞、ちくま学芸文庫)、『ちぐはぐな身体』『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)など多数。


鷲田清一 『哲学の使い方』(岩波新書、2014年) '15/06/17
鷲田清一 『老いの空白』(岩波現代文庫、2015年) '15/04/04
鷲田清一 『京都の平熱 哲学者の都市案内』(講談社学術文庫、2013年) '13/04/30
鷲田清一 『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(角川oneテーマ21、角川学芸出版、2012年) '12/04/13
鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29



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本「宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)」橋本治5

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宗教なんかこわくない! (ちくま文庫)
○著者: 橋本治
○定価: 本体価格680円+税(在庫×)
○ISBN: 978-4480034953







そう、“生きる”ということ自体が苦しいことで、輪廻転生、だから、再び生まれ変わる恐怖、とか、「我思う、ゆえに我れあり」、で、“宗教からの自由”、“自我の獲得”、「私は神によって存在を許されているのではなく、自分自身のありように従って存在しているのである」・・・ (p222-223)


橋本治 『宗教なんかこわくない!』(マドラ出版、1995年) '07/09/03


人は何故、宗教にはまるのか? 日々の不満や不安に打ち勝ち、日本人が本当の「近代」を獲得するためには!? 新潮学芸賞受賞作。

宗教とは、この現代に生き残っている過去である――だから、「宗教とはなんなのか?」ということを考えるのだとすると、その過去の集積=歴史を頭に入れなければならない。――本書より――
オウム真理教事件を契機に、日本人が本当の「近代」を獲得するために橋本治が宗教について真っ正面から取り組んだ話題の本、ついに文庫化! 新潮学芸賞受賞作。


≪目次: ≫
introduction

第I章 オウム真理教事件
 1 オウム真理教事件から“宗教”を排除すると
 2 会社が嫌いな人達

第II章 宗教とは ism である
 3 誰がシヴァ神を必要とするか?
 4 だから、宗教はイデオロギーである
 5 しかしオジサン達は“宗教”と“主義”の間に一線を引けない
 6 “信仰を強制されない自由”と“信教の自由”
 7 「“信仰”といえばキリスト教」の錯覚
 8 どうしてあなたの頭は、すっきりと晴れないのか?

第III章 錯覚
 9 なにかがヘンだ
 10 踏み絵が効く人達
 11 宗教法人法の下で、宗教は現実を超えられない
 12 宗教が無効になっていく日本の歴史
 13 “内面に語りかける宗教”と“社会を維持する宗教”
    ――あるいはその抜けている“なにか”
 14 既にして宗教は、“おだやかな日常”である

第IV章 ずるい子供とずさんな大人
 15 宗教を考えることは、ギャップの存在を頭に入れることである
 16 大人と子供は、大人の側から見れば「対立しない」が、
    子供の側から見れば「対立する」
 17 愛情に関する一章――残念ながら、これは私の独壇場だ
 18 “生産”に関する二つの宗教
 19 子供の犯罪
 20 オウム真理教の信者は、
    現実の麻原彰晃を本当に必要としているのだろうか?
 21 彼等は、どうして宗教法人であることにこだわるのか?
 22 二本の007映画の語るもの
 23 くだらないこと
 24 麻原彰晃の話し方の不思議
 25 “生産を奨励しない宗教”が人間生活の上位にあったりすると・・・・・・

第V章 なんであれ、人は非合理を信じたりはしない
 26 もしかしたら松本智津夫は、
    有能なヨガの教師だったかもしれない
 27 遂にお釈迦様の出番が――
 28 ちょっとしたインド宗教史
 29 ゴータマ・ブッダは、他人の思想である“苦行”を捨てて、
    自分の思想である“悟り”を得た
 30 仏教はいつ“宗教”になったか?
 31 人格化される思想
 32 人間の大人になる道が閉ざされていれば、
    人間はいつまでも子供のままさまよい続けるしかない
 33 キリスト教も仏教になる
 34 近代人は二度死ねない
 35 “思想”とは、
    突然変異を可能にする、最も利己的な遺伝子である
 36 私がカナブンになりたい理由


※この作品は、一九九五年七月、マドラ出版より刊行された。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと・おさむ) 1948年3月東京生。東京大学文学部国文科卒。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆中。著書に『桃尻娘』シリーズ(全6巻)『江戸にフランス革命を!』『ぼくたちの近代史』『89』『桃尻語訳 枕草子』『絵本徒然草』『窯変 源氏物語』(全14巻)など。

橋本治 『宗教なんかこわくない!』(マドラ出版、1995年) '07/09/03


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本「哲学の道場 (ちくま文庫)」中島義道5

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哲学の道場 (ちくま文庫)
○著者: 中島義道
○定価: 798円
○ISBN: 978-4480430748






――易しい哲学などない! それでも哲学を必要とする人のための最適な入門書――
哲学は難解で危険なものだ。しかし、世の中にはこれを必要とする人たちがいる。――死の不条理への問いを中心に、哲学の神髄を伝える。

哲学するとは「私が今生きているとは、そして、まもなく死んでしまうとはどういうことなのか?」という問いを発し続けることである。しかし、それは決して容易ではない。センスや仲間を必要とし、難解な書物を徹底的に読まねばならない。しかも、社会的にはまったく無意味な営みだ。それでも哲学を必要とする人にとって本書はこの上なく親切な入門書となるだろう。


≪目次: ≫
はじめに――哲学はやさしくない
哲学は難しい/私が死ぬことの不条理/死は状態ではない/哲学は幸福を目指すものではない/あなたは哲学していない!

第一章 哲学にはセンスが必要である
死の恐怖/驚き/哲学は知識ではない/悩む技術を習得する/とっぴなお話を作る/たえず問い続ける/自分で問い自分で答える/キルケゴールの『死に至る病』を読む/死に切ることしか救いはない/死ぬことも生きることもできない/絶望の三段階/絶望と哲学

第二章 哲学には暇が必要である
長い長い修業期間/「分析哲学」との出会い/哲学的大革命の予感/一九年間の迷い

第三章 哲学には師と仲間が必要である
年取って哲学を続けているのは滑稽である?/大森荘蔵先生の授業/東大紛争のころ/「日暮れて道遠しです」/多彩な仲間たち/ウィーンから帰ってみると/今からでも哲学はできる/哲学の道場とは?

第四章 哲学には修行が必要である
 1 哲学的思索の修行
哲学の問いはすぐ言葉がなくなる/哲学は常識にもとづく/ヒュームのこだわり/プラトンの「洞窟の比喩」/私が「机」を見るとはいかなることか?/心身問題は時間問題である/神も一〇〇ターラーも「ある」/主観的普遍性/問いの変質という罠/自分は哲学してきたのか?
 2 哲学的議論の修行
実感に沿って語る/サルトルの言葉/肉体の言語/横光利一の『旅愁』から/トーマス・マンの『魔の山』から/哲学的客観主義/相対論/懐疑論と独断論/ライプニッツの『人間知性新論』
 3 哲学書の読み方
『純粋理性批判』を読む/Subjekt の三重の意味/翻訳は不可能である/誤訳をくぐりぬけて/「直観」とは何か?/だんだんわかってくる/自我は各人に共通にあるものではない/超越論的 Subjekt /表象一般の形式としての自我/自我は情報の束ではない/単一性の誤謬推理/文法的単一性と実体的単一性/人格性の誤謬推理/私自身の観点と他者の観点との違い/現実性の誤謬推理/実践理性の要請としての「不死」/哲学者の成立

おわりに――哲学は役に立たない

あとがき (一九九八年三月二一日(お彼岸) 中島義道)
文庫版へのあとがき (二〇一三年五月末日 ああ、あと何年生きていられるのだろう? 中島義道)
解説/小浜逸郎


※本書は、一九九八年六月に筑摩書房より刊行された。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年生まれ。東京大学法学部卒。同大学院人文科学研究科修士課程修了。ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。電気通信大学教授を経て、哲学塾主宰。主な著書に『人生を〈半分〉降りる』(ちくま文庫)、『時間論』(ちくま学芸文庫)、『カントの読み方』(ちくま新書)、『ウィーン愛憎』(中公新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)、『ニーチェ――ニヒリズムを生きる』(河出ブックス)など多数がある。


中島義道 『哲学の道場』(ちくま新書、1998年) '09/01/26




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本「第五の書  Cinquieme Livre (ガルガンチュアとパンタグリュエル5、ちくま文庫)」ラブレー、宮下志朗 訳5

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ガルガンチュアとパンタグリュエル 5 第五の書 (ちくま文庫)
第五の書  François Rabelais: “Le Cinquiesme et dernier livre des faicts et dicts heroïques du bon Pantagruel, composé par M. François Rabelais, Docteur en Medecine. Auquel est contenu la visitation de l'Oracle de la Dive Bacbuc, et le mot de la Bouteille: pour lequel avoir, est entrepris tout ce long voyage. Nouvellement mis en lumiere. M.D.LXIIII. [NRB54]”, 1564 (ガルガンチュアとパンタグリュエル5、ちくま文庫)

○著者: フランソワ・ラブレー宮下志朗
○出版筑摩書房 (2012/5, 文庫 535ページ)
○定価: 1,680円
○ISBN: 978-4480429216
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ナツイアツ(夏とは暑いものだろう)、イロイロイロイロナイモノデモナイ(なにがあろうがなかろうが)


フランス・ルネサンス文学を代表する作家ラブレーの記念碑的傑作――爆発的な哄笑と荘厳とが交錯する不思議な文学世界の魅力を伝える新訳、完結。「聖なる酒びん」のご託宣を求めて大航海へと船出したパンタグリュエル一行は、難儀な教皇鳥や司教鳥の飛び交う〈鐘の鳴る島〉、刀剣の類が実る大木の茂る〈金物島〉などの異様な島々を巡り、ついには神託所に到達してお告げを解き明かす。奇想あふれる版画「パンタグリュエルの滑稽な夢」全120点を収録。(全5巻・完結)


≪目次: ≫
『第五の書』 Le Cinquiesme et dernier livre des faicts et dicts heroïques du bon Pantagruel, composé par M. François Rabelais, Docteur en Medecine. Auquel est contenu la visitation de l'Oracle de la Dive Bacbuc, et le mot de la Bouteille: pour lequel avoir, est entrepris tout ce long voyage. Nouvellement mis en lumiere. M.D.LXIIII. [NRB54], 1564

フランソワ・ラブレー先生の前口上
第1章 パンタグリュエルが鐘の鳴る島に到着して、いかなる音を聞いたのか
第2章 鐘の鳴る島には、鳥になってしまったシティシーヌ族が住んでいたこと
第3章 鐘の鳴る島には教皇鳥(パプゴー)が一羽しかいないこと
第4章 鐘の鳴る島の鳥は、すべて渡り鳥であること
第5章 鐘の鳴る島では、貪欲騎士団鳥(グルマンドウール)は口をきかないこと
第6章 鐘の鳴る島の鳥たちは、どんなふうに食べ物にありついているのか
第7章 パニュルジュ、アエディトゥス先生に、軍馬とラバの譬え話をする
第8章 教皇鳥(パプゴー)を拝見するのに難儀したこと
第9章 金物島(フエルマン)島に上陸する
第10章 パンタグリュエル、カサード島に到着する
第11章 シャ=フレ族の大公グリップ=ミノーが住む獄門島(ル・ギシエ)に渡る
第12章 グリップ=ミノーが謎歌(エニグム)を出したこと
第13章 パニュルジュ、グリップ=ミノーの謎歌を解き明かす
第14章 シャ=フレ族は、賄賂(コリユプシオン)で生きていること
第15章 ジャン・デ・ザントムール修道士、シャ=フレ族を袋だたきにしようと決意する
第16章 われわれがウートル島に立ち寄り、パニュルジュが殺されかかったこと
第17章 われわれの船が座礁して、カント国の臣民である旅人たちに助けられたこと
第18章 カント・エサンス王国、別名エンテレケイアに到着する
第19章 女王カント・エサンスが、歌曲で病人を治療していたこと
第20章 食後、女王はいかに時をすごすのか
第21章 カント国の役人たちには、さまざまな仕事があること。そして、女王がわれわれを、抽出師(アプストラクトウール)として引き止めたこと
第22章 女王の夕食にはなにが出されるのか、また彼女の食べ方について
第23章 カント国女王の臨席のもと、勝ち抜き戦(トウルノワ)方式により、楽しい舞踏会がおこなわれたこと
第24章 三二人が舞踏会で戦うこと
第25章 あらゆる道が歩いている街道(オドス)島に上陸したこと
第26章 木靴族(エクロ)の島に立ち寄ったこと、ならびにフルドン修道会について
第27章 パニュルジュがひとりフルドン会修道士にものを尋ねたところ、単音節(モノシラブ)の返事しか返ってこなかったこと
第28章 エピステモンは、四旬説(カレーム)という制度が気に入らないこと
第29章 われわれがサテン国を訪れたこと
第30章 サテン国で、証言学校を開いている風間先生(ウィ・ディール)に会ったこと
第31章 われわれにより、ランテルノワ国が発見されたこと
第32章 われわれがリクノビアン人たちの港で下船して、ランテルノワ国に入ったこと
第33章 われわれが酒びんの神託所に到着したこと
第34章 酒びんの神殿に入るために、われわれが地下に降りたこと。また、シノンが世界第一の町であること
第35章 われわれが、聖なる四段階段をくだり、パニュルジュが恐怖におそわれたこと
第36章 驚くべきことに、神殿の扉がひとりでに開いたこと
第37章 神殿の床が、驚くようなモザイクで作られていたこと
第38章 神殿のモザイクに描かれていた、バッコス神がインド人に勝利を収めた合戦の絵図について
第39章 モザイクに、善良なるバッコス神がインド人たちにけしかけた突撃と攻撃の様子が描かれていたこと
第40章 神殿が、驚くようなランプで照らされていたこと
第41章 神祇官(じんぎかん)バクブックにより、神殿内で幻想的な泉を見せられたこと
第42章 泉の水が、飲む人々の想像力によってワインの味になること
第43章 聖なる酒びんのお告げを授かるべく、バクブックがパニュルジュに装束を着せたこと
第44章 神祇官バクプックが、パニュルジュを聖なる酒びんの前に引き出す
第45章 バクプック、酒びんのお告げを解き明かす
第46章 パニュルジュや仲間たちが、詩的な熱狂により連歌を巻く
第47章 バクブックに別れを告げて、一行は酒びんの神託所を後にする
エピグラム


『「お腹(なか)パンク島」と神秘的に解釈されているところの、いとも甘口ワイン生産的にして、いともがつがつ食べ物満載的なる、パニゴン王国のなじみの描写』 Familiere description du tres vinoporratimalvoisé & tres envitaillegoulementé Royaume Panigonnois, mystiquement interpreté l'Isle de Crevepance. A Lyon, par Pierre de la Maison-neufve.


『パンタグリュエルの滑稽な夢』 Les Songes drolatiques de Pantagruel, où sont contenues plusieurs figures de i'invention de maistre François Rabelais: & derniere æuvre d'iceluy, pour la recreation des bons esprits. A Paris. Par Richard Breton, rue S. Jaques, à l'Ecrevisse d'argent. M.D.LXV.


解説
集合体としての『第五の書』/合成版か、単独版か/『第五の書』 [64] のあらすじ/隠れた意味を探して/底本、主要なエディションと翻訳/『お腹パンク島』(1560年頃)/『パンタグリュエルの滑稽な夢』(1565年)/『フランドル語・フランス語対照ことわざ辞典』におけるラブレー/略語表

あとがき (二〇一二年二月三日(節分の日) 宮下志朗)


※カバー装画 ギュスターヴ・ドレ


≪著者: ≫ フランソワ・ラブレー (François Rabelais, 1483?−1553) フランスの作家・医師。 モンテーニュとともに16世紀フランスを代表する文学者。 トゥーレーヌ地方シノンに、 弁護士の末子として生まれる。 フランチェスコ会修道院に修道士として起居し、 哲学・神学を学ぶかたわらギリシャ語を独習。 1528年ごろパリに上る。 30年秋、モンプリエ大学医学部に登録。 32年にリヨン市立病院に勤務、 医師・古典学者として第一歩を踏み出す。そのころ『パンタグリュエル』を発表。 34年『ガルガンチュア』、 46年『第三の書』、 52年に『第四の書』を完成。

[訳者: ] 宮下志朗 (みやした・しろう) 1947年生まれ。東京大学大学名誉教授、放送大学教養学部教授。著書に、『本の都市リヨン』『ラブレー周遊記』『読書の首都パリ』『書物史のために』ほか多数。

フランソワ・ラブレー 『第四の書 (ガルガンチュアとパンタグリュエル4) Quart Livre, 1546 』(宮下志朗 訳、ちくま文庫、2007年) '09/12/10
フランソワ・ラブレー 『第三の書 (ガルガンチュアとパンタグリュエル3) Le Tiers Livre, 1546 』(宮下志朗 訳、ちくま文庫、2007年) '09/07/21
フランソワ・ラブレー 『パンタグリュエル (ガルガンチュアとパンタグリュエル2) Pantagruel, 1532 』(宮下志朗 訳、ちくま文庫、2006年) '09/07/16
フランソワ・ラブレー 『ガルガンチュア (ガルガンチュアとパンタグリュエル1) Gargantua, 1534 』(宮下志朗 訳、ちくま文庫、2005年) '09/07/12

オノレ・ド・バルザック 『グランド・ブルテーシュ奇譚  La Grande Bretéche, 1832/Le Message, 1832/Facino Cane, 1836/Madame Firmiani, 1832/De l'État Actuel de la Librairie, 1830 』(宮下志朗訳、光文社古典新訳文庫、2009年) '09/10/06
ミシェル・ド・モンテーニュ 『モンテーニュ エセー抄』(宮下志朗 編訳、大人の本棚、みすず書房、2003年) '09/07/04
荻野アンナ 『ラブレーで元気になる』(理想の教室、みすず書房、2005年) '09/04/23





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本「哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門 (ちくま文庫)」鷲田清一×永江朗5

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哲学個人授業 (ちくま文庫)
哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門 (ちくま文庫)

○著者: 鷲田清一×永江朗
○出版: 筑摩書房 (2011/4, 文庫 315ページ)
○定価: 840円
○ISBN: 978-4480428219
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ジッサイ美味しい?!(「かっこいい!」「グッとくる」みたいな)ところだけをピックアップすることは、たしかになるほどそうなんだろう、まぁまぁぼくなんかは愚直なまでにヘタクソで要領がわるくってね、といったような自覚があって、もうすこし要領よくテキトーに遣り繰りしちゃったほうが周囲にもメーワクとかをかけることなく(他人を傷つけることなく、なによりぼく自身が辛くなるようなことが機会が低減されて)円滑な人間関係を営むことができるんだろうなぁ、などとは


哲学者の書くとぎすまされた言葉には、歌舞伎役者の切る「見得」にも似たぞくっとする魅力がある。ある言葉に出会うことで、もやもやした世界が一挙に結晶化するのだ。デカルト、カント、デリダ、西田幾多郎等23人の「グッとくる」言葉を題材に「哲学」を日常の底に食い入らせる対談。内田樹江弘毅両氏も時折参戦。文庫化にあたり、「幸福について」の一章を語り下ろした。


≪目次: ≫
まえがき (永江朗)
セーレン・キェルケゴール 『死に至る病』
ジャン=ポール・サルトル 『存在と無』
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』
オルテガ・イ・ガセット 『大衆の反逆』
エドムント・フッサール 『デカルト的省察』
カール・マルクス 『資本論』
フリードリッヒ・ヘーゲル 『法の哲学』
フリードリッヒ・ニーチェ 『善悪の彼岸』
エマニュエル・レヴィナス 『全体性と無限』
ロラン・バルト 『テクストの快楽』
ヴァルター・ベンヤミン 『複製技術時代の芸術』
ジャック・デリダ 『声と現象』
ルネ・デカルト 『方法序説』
イマヌエル・カント 『実践理性批判』
デイヴィッド・ヒューム 『人性論』
ベネディクトゥス・スピノザ 『知性改善論』
プラトン 『パイドロス』
アリストテレス 『形而上学』
九鬼周造 『偶然性の問題』
アウグスティヌス 『告白』
ウィリアム・ジェイムズ 『多元的宇宙』
西田幾多郎 『思索と体験』
モーリス・メルロ=ポンティ 『知覚の現象学』
付録・哲学の本はどのように読むか
あとがき (二〇〇七年、だんじりの明けた日に 鷲田清一)
文庫版特別語り下ろし対談 幸福について (二〇〇一一年二月七日)

※初出: 『ミーツ・リージョナル』(京阪神エルマガジン社)二〇〇四年五月号〜二〇〇六年三月号
※出典: 本書は、バジリコより二〇〇八年二月に刊行されました。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年京都生まれ。77年京都大学大学院文学研究科(哲学)博士課程修了。関西大学文学部哲学科教授等を経て、大阪大学総長に(を経て、大谷大学教授)。『分散する理性』『モードの迷宮』により、89年サントリー学芸賞受賞、『「聴く」ことの力』により、2000年桑原武夫学芸賞受賞、04年紫綬褒章受章。

≪著者: ≫ 永江朗 (ながえ・あきら) 1958年北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。フリーライター。早稲田大学文学学術院教授。著書に、『菊地君の本屋』(アルメディア)、『批評の事情』『新・批評の事情』(ちくま文庫)などがある。






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本「熊野でプルーストを読む (ちくま文庫)」辻原登5

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熊野でプルーストを読む (ちくま文庫)
熊野でプルーストを読む (ちくま文庫)

○著者: 辻原登
○出版: 筑摩書房 (2011/8, 文庫 324ページ)
○価格: 840円
○ISBN: 978-4480428561
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そうね、いわゆる小説のたぐいは物語は、ストーリーを話の筋を追うのが苦手で困難で、あぁまぁいいやぁ、などと話の展開がこんがらがってしまって分からないままでも、すこし気になりながらも先へ先へと読みすすめてしまう(読了を最優先する)、といったような具合で、しかし「読んでません」ではお話にならない(とぼくはすくなくとも考える)のが、いわゆる世界文学などといわれるような代物(文学作品)で、極論で言えば読んだか読んでないかのモンダイでもあろう(とぼくは考える)し、およそ読了した後には「解説」やらが巻末や巻頭やら、ときには別刊でも論考として研究対象として独立した著作としてもあるだろう、モチロンぼくは日本語に翻訳された作品を読むことから訳者による「あとがき」といったような想いのつまったモノに触れるには。そう考えるには理解の度合いとしてはおぼつかなくとも不足が生じていたとしても、どうなんだろう、たとえば〈ぼくが読んだ〉という事実は体験は、〈ある〉と〈ない〉とでは大違いで、読んだことがなければゼロで、読んだことがあるのであれば少なくともゼロではない。たしかに100と1との違いは小さくないけれども、それでも1と0との隔絶した絶対的な(まるで相容れない断絶しちゃってるような)差異であり相違に比するには、ぼくは100と1との差異(相違)なんてものは大きなものではないだろうと考えてみたりする(だからと言って理解しない理解できないことが許される認められるようなものでもないだろう)


「ぼくは14歳で家を出た。そして、本と映画とともに生きてきた」。1990年に芥川賞を受賞した著者は、豊かな物語性と変幻自在の舞台設定によって多くの読者を魅了し続けている。さらに近年刊行された『東京大学で世界文学を学ぶ』は、読み手としての優れた能力を遺憾なく発揮した作品として話題を呼んだ。その著者が自らの著作の航跡と周辺をたどり「本のある生活」を綴る。文庫オリジナル!


≪目次: ≫
I 私の「解説」
萬葉三感――私の愛する萬葉集/熊野でプルーストを読む/サウダーデのまなざし――清方讃/『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』解説/「オッド・カップル」の軌跡
II 読書の周囲
私の「黒髪」遍歴/大岡昇平の涙の水源/小さな事典/源叔父さま/本のこぼれ話/「おんなを描く」ということ/旅と建築への最良の指南書/一葉、柳浪、鏡花、荷風。あるいは、美登利、吉里、菊枝、お糸。/卓抜な批判と愛玩の書/強固で美しい本/鮮やかなる受賞作/秘法は伝授された/廻れば大門(おおもん)の……/皮蛋(ピータン)の甕――宮本輝『天の夜曲』をめぐる六つのプロポ/半歩遅れの読書術/千古変わらず美しい熊野の海と山/芥川龍之介『奉教人の死』について/『闇の歯車』――藤沢周平の語りの妙/色っぽい女(ひと)になるための二十一の短篇/朗読で再発見する宝物/斯波要と美佐子/しず心なく/愛し名(ファーストネーム)の行方/をんなを描くドストエフスキー
III 仕事のあとさき
禁忌と秘密/船でShanghaiへゆく/詩人焦桐の強壮餐館(レストラン)/姿消すリーロンの迷宮/徐家匯(じょかわい)の大聖堂(カテドラル)と漢語教理問答(カテキズム)/水と船にたゆたい妄念をいやまして/遊動亭円木とスタルヒン/四人の幻視者/『花はさくら木』周辺雑記/小人伝説に魅せられて/円朝の長い影/短篇小説に思いを馳せる
IV 日常の点景から
もはやだれの息子でもない/フェリーニの都へ/江ノ島改造思案/羊羹と上海蟹/あやまる父、怒る父/花影/またまたヴェニス、H・ジェイムス/最初の新聞小説/なぜ普通にしないといけないのか/天王寺狂詩曲(ラプソディー)/天上の光に刺し貫かれて/神戸から砂漠の星空まで/瀬戸内海周遊/球児の夢 砂浜に舞う/淀川下り、大菊人形/二〇〇九年の日記から/わたしたちはそれがあることを知っている/めくらまし

あとがき/辻原 登
初出一覧


※本書はちくま文庫のために新たに編集されたものである。


≪著者: ≫ 辻原登 (つじはら・のぼる) 1945年生まれ。85年「犬かけて」でデビューする。90年『村の名前』で芥川賞、98年『翔べ麒麟』で読売文学賞、2000年『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、05年「枯葉の中の青い炎」で川端康成文学賞、06年『花はさくら木』で大佛次郎賞、10年『許されざる者』で毎日芸術賞、11年『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞する。その他、『東京大学で世界文学を学ぶ』など多数の著書がある。

辻原登 『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社、2011年) '11/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈12〉 第七篇 見出された時 I [完訳版]』(鈴木道彦 訳、辻原登 エッセイ、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '11/01/11
柴田元幸/沼野充義/野崎歓 編著 『文学の愉しみ '08』(若島正/小谷真理 著、川上弘美/辻原登/池澤夏樹 ゲスト、放送大学教材、2008年) '10/12/05





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本「橋本治と内田樹 (ちくま文庫)」橋本治/内田樹5

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橋本治と内田樹 (ちくま文庫)
橋本治と内田樹 (ちくま文庫)

○著者: 橋本 治内田 樹
○出版: 筑摩書房 (2011/7, 文庫 384ページ)
○価格: 840円
○ISBN: 978-4480428486
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京王井の頭線渋谷駅ホーム上にはベンチがあってね、このところ毎日毎朝、どうなんだろう?!、意識していないものでもないのだが、通勤電車から(終着駅であることもあって)はき出されるように電車を下車して向かう先として、ホームなかほどに設置されたベンチにどっかりと座す(背中合わせ2箇2箇で4箇の都合12名は座れるであろうベンチに先客がいないことはない、ある意味では人気スポット)。渋谷駅はターミナル駅だから乗降客はおおく、人の波が途切れることはないのだけれども、それでも少なくとも2〜3回の到着した電車からはき出されて改札口へとむかう人並みを足もとを、ベンチに座してボンヤリとうつむき加減にやりすごし、、、ホームの両側にひっきりなしに到着しては折り返す電車の、まさに比較的単純なしくみではあるピストン運動よろしく(井の頭線の2本の線路に比して東急東横線は4本の線路だね、井の頭線が5両編成に比して東横線は8両編成だね)、ジッサイその比較的単純と思われるピストン運動でさえ、なんだかスゴイなぁ、せわしいなぁ、その流れに回転に速い展開のシステムに、「ゴメンネ、ぼくにはちょっとついていけないかも」とかなんとか思いながら、さて、人並みが落ち着いたところを見はからって、トボトボと歩をすすめる(ジッサイにはノンビリ歩く人並みに、その歩みの遅さに愚鈍さにイライラしながら、気がつくと人なみを掻き分けて急ぎ足で階段を駆け上がっていたりしないものでもない)。そう、東急東横線の渋谷駅ホーム上にはベンチが休憩スペースがない(安全上の配慮もあるのかもしれない、無用なトラブルを避ける効用も想像できないものでもない)。たしかに、元は以前には灰皿というのか喫煙スペースみたいな箇所があったであろう名残は痕跡は、もしかしたらそうなんじゃぁないかといったよう形跡は、うつむき加減に歩くぼくの視野に情報として入ってきて、ホーム上に視認できないものでもないのだが、はたしてそうであるかどうか確かなことは分からない。ここ(東急東横線のホーム)でもまた通勤電車からはき出される夥しい乗降客の波に逆らいあらがうように注意しながら歩をすすめ、混雑を避けるようにして各駅停車を1〜2本やりすごして他人との接触の少ない横浜方面寄りの比較的混雑が少ない車両の端っこの吊革がオレンジ色の優先席(専用ではなく、あくまでも優先である)にぽつねんと座してね


文学歴史芸能に、教育問題、身体論。はたまた米中の行方まで。抱腹絶倒、痛快無比。当代きっての柔軟な知性が語りつくす、世界と日本の現在過去未来。不毛で窮屈な論争をほぐして「よきもの」にかえる大人の智慧がここに凝縮。読むと希望がわいてくる対談集、待望の文庫化!


≪目次: ≫
まえがき (二〇〇八年六月 内田樹)
I
#1 くだらないことに命懸けるところあるんですよね。    東大入試中止、前と後/いま自分が子供や高校生だったら、つらすぎる/小説は何かが足りないから佳作だった/処女作は戯曲/橋本さんは「パブリックの人」/まず承認から入る人間関係/『桃尻娘』秘話――「……。」というセリフ/純文学と中間小説/くだらないことに命を懸ける/絵は心理を描く。小説は立体的な絵
#2 うっかりするとね、「美しい」の上に「とても幸福だ」があるんですよ。それはあえてやってる。    五〇年代の原風景――六〇年代が前近代との断裂線/人工的な都市環境で残る自然は身体だけ――野つぼの恐怖/小津映画の既視感、平安時代のバーチャルな一体感/中村伸郎の息――観客や読者がリアリティーを感じる瞬間/自然すぎて訳せない/テクニックは芸人の本能みたいなもの/「、」と「……。」のタメ/本願寺と桂離宮の職人の遊び心/「ああ気持ちいい!」という子どものころの原体験/共同体には呼ばれないと参加できない/「不幸」を凝視して抱え込まない限り……
#3 僕らの小学校のとき、教育空間の一部は江戸時代と地続きだったんですよ。    頭と手で考えることを分業している/日本では貧しい職業が隠蔽されているからフリーターにリアルが見えない/勉強は本来楽しいはずのもの――学校以外のフィールドでの勉強/学校じゃないところにも教育がある/先生はえらい/期間限定で「民主主義」が輝いていた/一対一で教授から言われた「たしかな目を持っていますね」/ヤな奴は小説の主人公にならない
#4 メルロ・ポンティは知らないけど、カルロ・ポンティなら知ってる。    小林秀雄賞――「お話」と「評論」/伝説のおばさん/橋本家は大家族/森進一の発声は義太夫の直系/自分を存在させない代わりに本を存在させる/四十一歳でおやじキャラ挫折とベルサーチ七百万円/いきなり“YES”
II
#5 「本を読むときに眼鏡をかけると、なんかインテリになったみたいな気がして」「先生、それ中学生ですよ(笑)」
    禁煙ファシズム/年寄りになるのは素敵/若いうちはカミソリ、老熟してナタで彫刻をする/人に会うと仕事をさせられる/社会の壁/「参考にする」がなくなってから人は本を読まなくなった
#6 「あっ、君の中にすばらしい“バカ”があるね」と言って、ピンとくる人ってどれだけいる?    共有されたピンクレディーと、所有された宇多田ヒカル/橋本流「タイトル論」/「セーターの本」で写生文の練習/人は死んだあとじゃないと論じられない/抽象概念がわからない/メカニズムがわからないから、自動車も乗らない/自分がわからない(内田)×他人がわからない(橋本)/独り言もダイアローグ/他人がわからないから他人が書ける/引き算の人物造形/お洒落とは自分を消すこと。若者は自分がないからお洒落が上手/自分の中にすばらしい“バカ”がある
#7 人間の話は全部講談だから、講談が扱ってないことに関して、日本人は何も知らないんですよ。    泰平の世の共和主義/国家は家。歴史はホームドラマ/『桃尻語訳 枕草子』は、完璧に逐語訳/パブリックとは仕事を分担すること/「ここに光り輝く太陽がある」と仮定する体力/日本人はいい方向にも付和雷同する/裏地に凝る美意識がなくなった/エスタブリッシュメントは武器にもなる/キャラクターグッズという俗物信仰
#8 光源氏がセクハラ親父になって孤立していくあたりが、すごく哀しくてね……。    「橋本治」と「内田樹」の違い/橋本治的本の読み方/『源氏物語』はおじさんこそ今読むべき/なにもかも大衆化/テレビに出るということ/ブログ一日七千ヒット、文芸誌月三千部/全員参加型の社会
#9 竹垣の向こうに人が住んでるから、秋になると秋刀魚をくれるんですよ。    なぜ子どもたちは叱られても謝らなくなったか/掃除をする身体/可愛げのない奴/本なんて読まないほうがいい?/活字で変なことをやるやる場がなくなってきた/「私の最大の破壊は建設である」/距離がないと関係は深まらない
#10 ちゃんとした紹介が、最大の批評だと思うんです。    芸談が絶えた/三島由紀夫の描写はなぜすごいか/ギュッとわしづかみにした文体/ちゃんとした紹介が最大の批評/「あらすじ」論/役者の顔まで見えてくる鶴屋南北の当て書き/音と絵を感じないものはダメ/ストックとは体で覚えたもの
#11 アメリカの不幸は土地の神様がいないこと。ジャパニーズ・ホラーで「祟りなす神」まで輸入している。    日本人はなぜ平気で「神仏混淆」できるのか/アメリカの不幸は「土地の神様」がいないこと/グローバリゼーションと、アメリカと中国の崩壊/こんなものにまで実用性を求めるのか!

あとがき (橋本治)

橋本さんと内田先生――解説にかえて  鶴澤 寛也(つるざわ・かんや 女流義太夫三味線)


※本書は二〇〇八年十一月、筑摩書房より刊行された。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと・おさむ) 1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。『桃尻娘』で小説現代新人賞佳作。『宗教なんかこわくない!』で新潮学芸賞、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞、『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞、『双調平家物語』で毎日出版文化賞を受賞。著書に『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『あなたの苦手な彼女について』『BA-BAHその他』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

≪著者: ≫ 内田 樹 (うちだ・たつる) 1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒。東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退。神戸女学院大学文学部教授を経て同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、映画論、武道論。多田塾甲南合気会を主宰する武道家。『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞、『日本辺境論』で新書大賞2010受賞。第3回伊丹十三賞受賞。著書に『先生はえらい』『武道的思考』、共著に『大人は愉しい』他多数。






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本「勉強ができなくても恥ずかしくない (ちくま文庫)」橋本治5

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勉強ができなくても恥ずかしくない (ちくま文庫)
勉強ができなくても恥ずかしくない (ちくま文庫)

○著者: 橋本 治
○出版: 筑摩書房 (2011/3, 文庫 270ページ)
○価格: 798円
○ISBN: 978-4480428066
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たとえば、ぼくは不安で不安で仕方がなくって、とにもかくにも不安なのだ、(むしろ不満であったりもするんだけれども)、「あのね、お母さん、あのねあのね」「はいはい、なぁ〜に??」「あのね、あのね、あのねあのねあのねあのねあのねあのねあのね、、、」、、、じょうずにおはなしすることができない



ケンタくんは、自分の頭で考えて根本がわからないと前へ進めない。だから初めは学校になじめず、クラスでも独りぼっち。そんな彼もあるきっかけで友達ができて「体の中がずっと幸福で、生きてるだけで忙しい」毎日を経験し、自信をつけていく。でも高二になり、クラスが受験一色に染まると、「ひとりでもいいから高校生をやろう」と思うケンタくんは再び孤立してしまい―。学校の勉強の本当の意味は?いちばん大切なことって何?子供の気持ちで感じ、傷つき、最後にはやさしい気持ちいっぱいで涙する自伝的小説三部作・全収載。


≪目次: ≫
まえがき
機,匹Δ靴茲Α の巻    ケンタくんのこと/はじめて小学校に行ったケンタくん/ケンタくんが小学校で感じたこと/問題児になってしまったケンタくん/お母さんに怒られるケンタくん/オモチャをなくしてしまったケンタくん/自分のやることを探すケンタくん/家の仕事の手伝いをするケンタくんお父さんと一緒に配達をするケンタくん/お店番をしながら本を読むケンタくん/ついに学校でうれしいことに出会ったケンタくん
供,笋辰舛泙─ の巻    はじめてクラスの友達と話をしたケンタくん/はじめて学校の友達の家へ遊びに行ったケンタくん/友達とは、一緒に勉強するよりも、一緒に遊びたいと思ったケンタくん/近所の子供達と遊ぶケンタくん/「すこしぐらい悪いことをしないと、元気な子にはなれない」と思ったケンタくん/ビー玉がうまくなったケンタくん/五年生になったケンタくん/六年生になって、クラスの友達と模擬試験を受けに行くようになったケンタくん/友達のお母さんの「秘密」を知ってしまったケンタくん
掘,修譴らの巻    「ぜったいにローラースケートがやりたい」と思ったケンタくん/お母さんの陰謀で、家庭教師をつけられてしまうケンタくん/どうして家庭教師が来たのかが、さっぱりわからないケンタくん/中学受験に失敗するケンタくん/中学生になったケンタくん/高校を受験するケンタくん/「人間なんて、わからないさ」と思うケンタくん/高校生になったケンタくん/受験勉強しかしない友達を見て、ケンタくんが思うこと/「ひとりでもいいから高校三年生をやろう」と思ったケンタくん/ケンタくんのワンマンショー/放課後の廊下で、ケンタくんが見ていたのも/大人になったケンタくんの思ったこと

文庫版のあとがき
解説 しあわせの玉、ケンタくん  石川輝吉(いしかわ・てるきち 哲学者)


※本書は、ちくまプリマー新書として刊行された、『勉強ができなくても恥ずかしくない1 どうしよう・・・の巻』(二〇〇五年三月)『勉強ができなくても恥ずかしくない2 やっちまえ!の巻』(二〇〇五年四月)『勉強ができなくても恥ずかしくない3 それからの巻』(二〇〇五年五月)を一冊にまとめたものです。


≪著者: ≫ 橋本治 (はしもと・おさむ) 1948年東京生まれ。東京大学文学部国文科卒。小説、戯曲、舞台演出、評論、古典の現代語訳ほか、ジャンルを越えて活躍。著書に『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)、『窯変源氏物語』、『巡礼』、『リア家の人々』、『BA-BAHその他』『あなたの苦手な彼女について』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』『ちゃんと話すための敬語の本』他多数。

橋本治 『勉強ができなくても恥ずかしくない 〈3〉 それからの巻』 (ちくまプリマー新書、2005年) '08/01/29
橋本治 『勉強ができなくても恥ずかしくない 〈2〉 やっちまえ!の巻』 (ちくまプリマー新書、2005年) '08/01/29
橋本治 『勉強ができなくても恥ずかしくない 〈1〉 どうしよう…の巻』 (ちくまプリマー新書、2005年) '08/01/28





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本「わたしの修業時代  Colette, Mes apprentissages, 1936. (ちくま文庫)」コレット、工藤庸子 訳5

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わたしの修業時代 (ちくま文庫)
わたしの修業時代  Colette, Mes apprentissages, 1936. (ちくま文庫)

○著者: コレット工藤庸子
○出版: 筑摩書房 (2006/3, 文庫 271ページ)
○価格: 903円
○ISBN: 978-4480421852
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表紙の写真は「コレット、1906年」、1900年パリ万博、写真のコレットは33歳、本書が著されたのは1936年で著したコレット63歳のとき、ふり返って描かれるのは20歳から33歳までの、mes apprentissages



いなか育ちの20歳のコレットが14歳年上の流行作家と結ばれ、パリの生活をはじめる。才気にあふれ、奇癖をあわせ持つ放蕩者の夫との奇妙な愛と破局、そして文壇へのデビューを、クールな官能性とエスプリ豊かな詩的文体で描く回想録の傑作。華麗の頂点を極めた時代のパリを絢爛と彩った高級娼婦、作家、芸術家たちの面影が、時の彼方にあざやかに浮かび上がる。長らくコレットに親しんできた第一人者による新訳。


≪目次: ≫

わたしの修業時代  Mes apprentissages, 1936


あとがき (二〇〇六年一月 工藤庸子)


※本書は「ちくま文庫」のために新しく翻訳したものです。


≪著者: ≫ コレット 本名 シドニー=ガブリエル・コレット (Colette, Sidonie-Gabrielle Colette, 1873.1.28‐1954.8.3) フランスの女性作家。ブルゴーニュ地方サン=ソブールに生まれる。20歳で小説家ウィリーと結婚、パリに移る。1910年に別居、ミュージック・ホールでパントマイムを演ずるなどして、生活の資を得ながら作家としての成長を遂げ、『シェリ』『青い麦』『牝猫』などの作品を残した。

[訳者] 工藤庸子 (くどう・ようこ) 東京大学教授を経て、放送大学教授(放送大学客員教授)。著書に『小説というオブリガート』『ヨーロッパ文明批判序説』など多数。






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本「誘拐の知らせ  Gabriel Garcia Marquez: “Noticia de un secuestro”, 1996. (ちくま文庫)」ガブリエル・ガルシア=マルケス、旦敬介 訳5

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誘拐の知らせ (ちくま文庫)
誘拐の知らせ  Gabriel García Márquez: “Noticia de un secuestro”, 1996. (ちくま文庫)

○著者: ガブリエル・ガルシア=マルケス旦敬介
○出版: 筑摩書房 (2010/11, 文庫 427ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-4480427649
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さいきんの日本では、誘拐事件を目耳にしないような気がしているんだけど、もしかしたら表に出る機会がニュースになるような機会が表出していないだけで世間(マスメディア?!)に認知されていないだけで、じつは行方不明者って人知れず少なからずいるのかもしれない。すこし前までは、ぼくが記憶しているかぎりでときどき、身代金目的の誘拐みたいな事件がニュースになって世間を騒がせて、しかし犯罪としての成功率は著しく低くって(割に合わない、成功しない、逃げ切れない)、でもときどき誘拐事件はあった、表立って誘拐事件は起こっていた(過去形)。
さて、「文庫版のための追記」にあって、訳者によると、その後のコロンビアの状況は、大きく改善していないどころか、ひどくなっているとも言える、とある。いいとか悪いとか優劣とか、カンタンに言いえるものでもないような、複雑な、歴史的背景やら社会構造やら、なんなんだろう、どうなんだろう



南米コロンビアで起こったある誘拐事件。やがて、事件は政府・マスコミの要人を狙って麻薬密輸組織が起こした、十件もの誘拐事件の一端であったことが判明する。連続誘拐事件を繋ぐ一本の糸とは? その背後で繰り広げられる、麻薬密輸組織と政府当局の凄惨な争いの結末は? ノーベル賞作家の著者が、綿密な取材をもとに現代コロンビア社会の暗部をえぐったノンフィクション。


≪目次: ≫
謝辞 (G・G・M カタルヘーナ・デ・インディアス 一九九六年五月)
誘拐の知らせ Noticia de un secuestro, 1996.

訳者あとがき (一九九七年十一月一日  旦 敬介)
文庫版のための追記 (二〇一〇年九月二十四日  旦 敬介)


※この作品は一九九七年十二月、角川春樹事務所より『誘拐』の題名で刊行されました。


≪著者: ≫ ガブリエル・ガルシア=マルケス (Gabriel García Márquez) 1928年、コロンビアに生まれる。ボゴタ大学中退後新聞記者となり、ヨーロッパ、ベネズエラなどでジャーナリストとして活動。そのかたわら小説を執筆し、1955年、処女短篇集『落葉』を出版。1967年発表の『百年の孤独』で世界的に評価される。1982年ノーベル文学賞受賞。主な作品に『族長の秋』『エレンディラ』などがある。

[訳者] 旦敬介 (だん・けいすけ) 1959年、東京都出身。東京大学教養学科卒業。作家、翻訳家、明治大学国際日本学部教授。著書に『逃亡篇』『ライティング・マシーン』、訳書にガルシア=マルケス『幸福な無名時代』『生きて、語り伝える』、ゴイティソーロ『戦いの後の光景』、ソル・ファナ『知への讃歌』などがある。

生きて、語り伝える  Vivir para contarla, 2002.』(ガルシア=マルケス自伝、新潮社、旦敬介訳、2009年) '09/12/22
エレンディラ  La increíble y triste historia de la cándida Eréndira y de su abuela desalmada, 1978.』(ちくま文庫、鼓直/木村榮一訳、1988年) '08/09/01
幸福な無名時代  OBRA PERIODISTICA, VOLUMEN Ⅵ :DE EUROPIA Y AMERICA Ⅱ, 1955-1960.』(ちくま文庫、旦敬介訳、1995年) '08/08/23
予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語  Crónica de una muerte anunciada, 1981 / Doce cuentos peregrinos, 1992.』(ガルシア=マルケス全小説 1976-1992、新潮社、野谷文昭/旦敬介訳、2008年) '08/05/11
迷宮の将軍  El general en su laberinto, 1989.』(ガルシア=マルケス全小説 1989、新潮社、木村榮一訳、2007年) '07/12/12
愛その他の悪霊について  Del amor y otros demonios, 1994.』(ガルシア=マルケス全小説 1994、新潮社、旦敬介訳、2007年) '07/10/03
悪い時 他9篇  La mala hora, 1962, y otros 9 cuentos.』(ガルシア=マルケス全小説 1958-1962、新潮社、高見英一/内田吉彦/安藤哲行他訳、2007年) '07/08/19
族長の秋 他6篇  El otoño del patriarca, 1975, y otros 9 cuentos.』(ガルシア=マルケス全小説 1968-1975、新潮社、鼓直/木村榮一訳、2007年) '07/06/08
予告された殺人の記録  Crónica de una muerte anunciada, 1981.』(新潮文庫、野谷文昭訳、1997年) '07/05/11
物語の作り方 ガルシア=マルケスのシナリオ教室  Cómo se cuenta un cuento, 1996.』(岩波書店、木村榮一訳、2002年) '07/04/23
コレラの時代の愛  El amor en los tiempos del cólera, 1985.』(ガルシア=マルケス全小説 1985、新潮社、木村榮一訳、2006年) '07/04/04
落葉 他12篇  La hojarasca, 1955, y otros 12 cuentos.』(ガルシア=マルケス全小説 1947-1955、新潮社、高見英一/桑名一博/井上義一訳、2007年) '07/03/10
百年の孤独  Cien años de soledad, 1967.』(ガルシア=マルケス全小説 1967、新潮社、鼓直訳、2006年) '07/02/06)
わが悲しき娼婦たちの思い出  Memorias de mis putas tristes, 2004.』(ガルシア=マルケス全小説 2004、新潮社、木村榮一訳、2006年) '06/12/29

ソル・フアナ 『知への賛歌 修道女フアナの手紙』(旦敬介訳、光文社古典新訳文庫、2007年) '08/08/25





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2010; 440 (12-36,11-35,10-38,9-36,8-35,7-42,6-33,5-35,4-37,3-38,2-34,1-41).


本「魔法の庭  Italo Calvino: “Il giardino incantato” 1946-1953. (ちくま文庫)」イタロ・カルヴィーノ、和田忠彦 訳5

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魔法の庭 (ちくま文庫)
魔法の庭  Italo Calvino: “Il giardino incantato” 1946-1953. (ちくま文庫)

○著者: イタロ・カルヴィーノ和田忠彦
○出版: 筑摩書房 (2007/8, 文庫 201ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480423511
おすすめ度: 4.0
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いわゆる「時代」というのか、そのときの、みずからが生きて在ったまさにそのときの(19歳の浪人の誕生日に「昭和」が終わった)あのときの、社会的な潮流、文化的経済的政治的な背景を、もしかしたらぼくは、そう、「時代のせい」にしたいんだろうなぁ、責任を転嫁して、みずからの責任を回避したい、ボクワルクナイヨ、ダッテダッテネエネエキイテヨアノネアノネ、、、
コツコツとひたすらに遂げるまでつづけつづける、単純作業をも厭わないような持続性を有する一方で、破壊的破滅的な継続不能な断絶(敵対)的な側面をあわせもつ。穏やかに静かで温和な表情や態度を示すのは、激情(怒りや攻撃性)を隠すためではない、のであろうけれど、そう思われたとしても仕方がない、そうかもしれない、否定はできない。感情を衝動をコントロールできるものであれば、これまで抑制の努力をマッタクしてこなかったわけではない、可能であったならばなににもかえても(どうにもならなかった、努力が足りなかったのかもしれない、しかしすでに気力は残されていない)ときすでにおそし。
それでも、「これまでなんとかなってきた」、なんとかなるだろうという楽観的な気持ちが考えがどこかにあった(いまでもどこかにないとは言いきれない)、明日は未来は、きっとかならず今日より悪くなることはなくて右肩上がりによく(好く、良く)なる!、そう、これまでず〜っとそうだった、これからも、きっときっとかならずきっと、だってこれまでず〜っとず〜っとず〜っとそうだったじゃないか(近代的科学技術は確実に進化して利便性は高まり効率的で清潔で快適な生活)、そうだよね?!、そうだったよね?!!



「ジョヴァンニーノはセレニッラと遊ぶのが大好きだった。ある日二人は噴水にプールに並木道がある、大きなお屋敷の庭に迷い込んだ。何もかも素敵に見えたが、そこには魔法のような、昔犯した悪事のような恐怖がたちこめていた」(「魔法の庭」)。アルプスの自然を背景にどこか奇妙な、青年警官、若い犯罪者、無能の猟師など、大人社会のいわゆる〈異物〉をユーモラスに描いた11編を収める。


≪目次: ≫
蟹だらけの船 Un bastimento cario di granchi, 1947
魔法の庭 Il giardino incantato, 1948
不実の村 Paese infido, 1953
小道の恐怖 Paura sul sentiero, 1946
動物たちの森 Il bosco degli animali, 1948
だれも知らなかった Mai nessuno degli uomini lo seppe, 1950
大きな魚、小さな魚 Pesci grossi, pesci piccoli, 1950
うまくやれよ Va' coci che vai bene, 1947
猫と警官 Il gatto e il poliziotto, 1948
菓子泥棒 Furto in una pasticceria, 1946
楽しみはつづかない Un bel gioco dura poco, 1952

訳者解説 魔法がとけるとき――まっぷたつのカルヴィーノ (1991年7月 和田忠彦)
文庫版解説 ふりそそぐ光のなかで――『魔法の庭』をぬけて作家は (2007年7月 和田忠彦)


※本書は1991年9月、晶文社より刊行された。


≪著者: ≫ イタロ・カルヴィーノ Italo Calvino [1923−85]イタリアの作家。キューバで生まれ、北イタリアで育つ。43年、反ファシズムのパルチザンに身を投じる。それが彼の文学的出発点となり、47年に発表した『くもの巣の小道』は、ネオ・レアリズム小説の傑作と絶賛される。著書に『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』『見えない都市』『冬の夜ひとりの旅人が』などがある。

[訳者] 和田忠彦 (わだ・ただひこ) 1952年長野生まれ。東京外国語大学教授。訳書にカルヴィーノ『むずかしい愛』、エーコ『ウンベルト・エーコの文体練習』、タブッキ『夢のなかの夢』などがある。

カルヴィーノ 『むずかしい愛  Italo Calvino: “Gli Amori Difficili”』(和田忠彦訳、岩波文庫、1995年) '10/08/17
イータロ・カルヴィーノ 『カルヴィーノ イタリア民話集〈下〉 南イタリア編  “Fiabe Italiane”, raccolte e trascritte da Italo Calvino, Giulio Einaudi editore, 1956.』(河島英昭編訳、ワイド版岩波文庫、2010年) '10/08/13
イータロ・カルヴィーノ 『カルヴィーノ イタリア民話集〈上〉 北イタリア編  “Fiabe Italiane”, raccolte e trascritte da Italo Calvino, Giulio Einaudi editore, 1956.』(河島英昭編訳、ワイド版岩波文庫、2010年) '10/08/09





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本「風雅の虎の巻 (ちくま文庫)」橋本治5

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風雅の虎の巻 (ちくま文庫)
風雅の虎の巻 (ちくま文庫)

○著者: 橋本治
○出版: 筑摩書房 (2003/7, 文庫 349ページ)
○価格: 819円
○ISBN: 978-4480038654
おすすめ度: 5.0
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あれっ、夏は終わったのかなぁ♪、などと、吹く風に夏の終わりをふっと感じた七月、いやいやまだまだこれからジリジリ焼けるような暑い八月が、くる(いまは梅雨なか)。そう、六月に、夏至にむかって日ごとに昼の太陽が出て照っている時間が伸びて伸びて伸びてきて、グングングングンたのもしくちからづよくて、見惚れちゃった♡、で、夏至を過ぎたら、気にしすぎかもしれないけれど、あぁ、太陽が沈む時間が日に日に早まって、だからどうした?!、なんだか夕方うす暗いとさえ



風雅とは何だろうか。幽玄とは? 美とは? 花鳥風月の真髄とは? 日本の文化はどのようにして成熟してきたのだろうか。平安時代の和歌に始まり、茶の湯、現代の政治やアートまでを例にとり、“由緒正しい日本の美”を『枕草子』や『源氏物語』の現代語訳でお馴染みの橋本治が伝授する。


≪目次: ≫
の名前は知らねども    男は大人/大人の三十/大人は男/思想は無性・社会は有性/人間をやめた後の人生/放蕩息子の思想/茶の道は藪蛇/課長風月
のように    理屈は正しくこねなければならない/文化と家元制度/最初の家元/小倉百人一首の謎/王朝の新人類/きれいとつらい/深さと貧しさ/新古今の時代/幽玄とは/人は人なり/格とはなにか/自堕落のすすめ
の音を知れ    虚実皮膜とリアリティー/表現とメディア/お楽しみ本質尽くし(スターの巻/マンガの巻/小説の巻/映画の巻/演劇の巻/踊の巻/盆踊り・民俗芸能の巻/狂言の巻/新劇・アングラ・小劇場演劇の巻/短歌俳句の巻/詩の巻/絵画の巻/日本画の巻/音楽の巻/歌謡曲の巻/エスノ料理の巻/生花の巻/着物の巻/日本料理の巻/旅館の巻/女の巻)
見れば千々に心は乱れても    サラリーマンと近代/第三の時代/共和制の最悪/色気と作法/美なる論理


※本書は一九八八年九月、作品社より刊行され、一九九一年一二月、講談社文庫に収録された。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと・おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以降、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。著書に『桃尻娘』シリーズ(全6巻)、『江戸にフランス革命を!』、『ぼくたちの近代史』、『89』、『桃尻語訳枕草子』、『絵本徒然草』、『窯変源氏物語』(全14巻)。ちくま文庫収録作に『恋の花詞集』、『これが男の生きる道』、『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』など。





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本「これで古典がよくわかる (ちくま文庫)」橋本治5

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これで古典がよくわかる (ちくま文庫)
これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

○著者: 橋本治
○出版: 筑摩書房 (2001/12, 文庫 253ページ)
○価格: 714円
○ISBN: 978-4480036902
おすすめ度: 4.5
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そうね、いろいろな悩みや迷いは、アタリマエのようにあって、「あのとき」(過去)にぼくが採用した「あの」言動は、果たして最適なものだったのか、他にもっと好適な方法があったのではなかろうか?、そしてその結果として、いま与えられている状況は、如何なる「こと」を指し示しているのであろう(もしかしたら、そしてアタリマエのように、ぼくが見えていない気がついていないところまでの、可能なかぎりでの想像を配慮を怠ることなく、目を逸らすことなく見詰めるミツメル)、そしてこれから、どのような方法でどのような方向に「こと」を進めるべく。冷静に慎重に「こと」を進めたい。「そんなはずではなかったのに」との後悔を、すでになんどもなんどもなんどもなんども繰り返してきた。いや、過去形ではないだろう、現在形であり現在進行
みずからが採用して発動した言動は、すでに現実として表出した言動は、そう、その判断の適性や正誤や善悪の判定を、過去に遡って検証するまでもなく、もっとも、取り消すことのできないものでもあり、歴然とした事実として在る、「こと」でもあり、否定できない、否定しても仕方がない、否定すればするほどに言い訳を重ねれば重ねるほどに、たとえばぼくの場合には(何度も繰り返してきた痛く苦しい実体験として)、ますますドツボにはまってドッピンシャン!!?、黙して多くを語らずすべてを受け容れて(安易な肯定も否定も慎重に最小限に止める)、態勢を整えずして、足もとが不安定な状態で、どうして攻撃できよう(たたかうべきは克つべきは、みずからのよわきよこしまなこころのみ、他や外にあらずに内のみにあろう)、カンタンに死するわけにはいかない(ただ生のみにこだわることもなく)、捨て身はモッタイナイ、時期、時機、、、急いては「こと」をし損じる、かもしれない
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、、、 みずから考えることを放棄する気は毛頭もない、を前提として、それでも、だから、えぇ〜い、黙し目を閉じ頭を垂れ二唱



あまりにも多くの人たちが日本の古典とは遠いところにいると気づかされた著者は、『枕草子』『源氏物語』などの古典の現代語訳をはじめた。「古典とはこんなに面白い」「古典はけっして裏切らない」ことを知ってほしいのだ。どうすれば古典が「わかる」ようになるかを具体例を挙げ、独特な語り口で興味深く教授する最良の入門書。


≪目次: ≫
まえがき (一九九七年九月十五日 橋本 治)
第一章 古典を軽視する日本人    1 自分の足もとを軽視する日本人(『枕草子』を映画にしてしまったイギリス人監督ピーター・グリーナウェイの話/外国のことをよく知っている日本人は、日本のことをよく知らない?/日本語教育が軽視されている?)/2 すこし日本語の勉強をしましょう(「わかりやすい」だけの日本語教育には、欠点がある/本を読まないとおしゃべりになる?/成長する人間に「話し方の勉強」は必要だ)
第二章 日本という国にはいろいろな古典がある    1 外国語で日本語をやるしかなかった奈良時代(どうして日本にはいろいろな古典があるのか/外国語がそのまま日本語になっていた『日本書紀』/『万葉集』を漢字だけで書くと――/漢字だけの『古事記』は読み方がわからない)/2 「ひらがな」と「カタカナ」(どうして日本人は「ひらがな」と「カタカナ」の二種類を作ったか/昔の人は、カタカナでカンニングをしていた)/3 「漢字だけの文章」と「ひらがなだけの文章」が対立していた平安時代(『源氏物語』が「ひらがなだけ」になったら――/ひらがなだけの文章はとても読みにくい/漢字だけの文章は、ひらがなを差別する)/4 男の文章と女の文章(紀貫之は、わざわざ“女”になって『土佐日記』を書いた/平安時代の男は「漢字だけの文章」しか書けなかった/紀貫之は「女流文学の時代」の先駆者)/5 「ひらがな」の持つ意味(国家が認めた最初のひらがな――『古今和歌集』)/6 「古典の中の古典」が、日本の古典をわかりにくくしている(「古典の中の古典」とは/それだから、「日本の古典」はわかりにくい/平安時代に、まだ「ちゃんとした日本語の文章」は存在しない)
第三章 「和歌」とはなにか?    1 「和歌」はどうして重要なのか?(和歌が重要な『伊勢物語』/漢字ばかりじゃ女にもてない/清少納言は、漢字がわかる「とんでる女」)/2 和歌は「生活必需品」(「目が合った」だけで「セックスをした」になってしまう時代/平安時代に、ラブレターは「生活必需品」だった/「教養」か「、「生活必需品」か)
第四章 日本語の文章はこうして生まれる    1 カタカナヲ忘レナイデクダサイ(「ユク河ノナガレハ絶えエズシテ」の『方丈記』/「無常感」とはなんぞや?/「ひらがな」と「カタカナ」は、こんなにも違う/『方丈記』は、科学する人が観察しながら書いた文章)/2 「漢字+カタカナ」の書き下し文は、現代日本語のルーツである(鴨長明はインテリで、カタカナは「インテリのもの」だった/『方丈記』がカタカナで書かれた理由/「カタカナ+漢字の文章」は、漢文の書き下し文から始まる)/3 どうしておじさんは「随筆」が好きか?(『元禄御畳奉行の日記』をうらやましがる、中国文学の研究者/日本は「随筆の国」/「書き下し文」がなかったら、おじさんは随筆が書けなかっただろう)/4 カタカナだらけの『今昔物語集』(「説話文学」は、インテリの文学/『今昔物語集』は、カタカナが読みにくい/「和漢混淆文」とは?)/5 ひらがなで書かれた「物語文学」は、マンガみたいなもの(「ひらがなばかり」でも読みやすい『竹取物語』/『源氏物語』がわかりにくいわけ/『源氏物語』は複雑な少女マンガのようなもの/「ひらがなの物語」をバカにする光源氏/天下一の教養人は「マンガ」なんか読まない)/6 「物語嫌い」の光源氏も、『今昔物語集』なら読むだろう(「物語」は、すべて「むかしむかし」で始まる/「昔のこと」はすべて「本当」である/漢字とカタカナで書かれた『今昔物語集』は、みんな「本当の話」である?/芥川龍之介は、「羅城門登上層見死人盗人語」をなんと読んだだろう?)
第五章 「わかる古典」が生まれるまでの不思議な歴史    1 「普通の日本語の文章」が登場する鎌倉時代は、日本文化の大転換期(鎌倉時代には「なにか」が変わる/鎌倉時代に、京都の王朝貴族たちがやったこと)/2 鎌倉時代はこんな時代(『新古今和歌集』を作った後鳥羽上皇は、文武両道の人/鎌倉幕府をひきる女豪傑・北条政子源実朝は「おたく青年」の元祖)/3 どうして「古典」というと、平安時代ばかりが中心なのか?(源実朝の和歌に人気がある理由/「地方蔑視」は、平安時代に生まれた/日本の古典が「平安時代中心」にかたよりすぎているわけ/平安時代を歪めたのは、明治政府の事大主義)/4 もう一人の「源実朝」(みんな「わかりやすさ」に飢えていた/もう一人の「源実朝」を知っていますか?/絶望の歌/『新古今和歌集』に憧れる源実朝)/5 『万葉集』か、『新古今和歌集』か(『新古今和歌集』の世界/絵空事の世界/なんだかわからない世界/「『新古今和歌集』か、『万葉集』か」論争の裏にあるもの/いたって大胆な、ハシモト式古典読解法/「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」の意味/後鳥羽上皇の「万葉ぶり」)/6 古典の中には「人間」がいる(「武の上皇」と「文の将軍」/人生いろいろ、古典もいろいろ)
第六章 人間の書いた『徒然草    1 「わかる古典」――『徒然草』(『徒然草』は、べつに現代語に訳さなくてもいい古典/「わかる徒然草」と「わからない徒然草」/《あやしうこそものぐるほしけれ》をどう訳すか?/「係り結び」の訳し方/退屈な兼好法師は、「なに」を言っているのか?)/2 兼好法師はホントに「おじさん」か?(兼好法師は、ホントに「おじさん」なのか?/おぼしき事言はぬは――/「おぼしき事言はぬは――」の句読点クイズ/「筆にまかせつつ」とは――)/3 兼好法師、おまえは誰だ?(兼好法師の「本名」は?/青年ウラベ・カネヨシくんはどんな人だったか?/「あはれ」と「をかし」をどう訳すか/『枕草子』を書きたがったウラベ・カネヨシくん)/4 古典は生きている(二つの『徒然草』/話し言葉と書き言葉/私が『枕草子』を「女の子のおしゃべり言葉」で訳したわけ/古典の中には、昔から変わらない「人間の事実」が生きている)
第七章 どうすれば古典が「わかる」ようになるか    1 「読んでください」と言われたって、わかんないものはわかんない(祇園精舎がどこにあるか知っていますか?/重要なのは「知識」ではない)/2 古典は、体で覚えるもの(冒頭を暗唱しなさい/古典は「昔の日本語」である/藤壺の女御はとんでもない「田舎言葉」をしゃべる/方言は「古典の言葉」の名残り)/3 古典は腹に力がいる(「たまふ」をなんと読みますか?/イザナギのミコトとイザナミのミコトは、「大声で怒鳴りあう)/4 ともかくなんであれ「体」を使う(競争原理を導入した百人一首/古典は「目で見る」/月見れば千々にものこそ――/古典の基礎知識は、「体」を使って得る)/5 おまけ(おまけの1 専門家だって間違える/おまけの2 最後に受験生諸君へ)

※本書は1997年11月、ごま書房より刊行された。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと・おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以降、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。著書に『桃尻娘』シリーズ(全6巻)、『江戸にフランス革命を!』、『ぼくたちの近代史』、『89』、『桃尻語訳枕草子』、『絵本徒然草』、『窯変源氏物語』(全14巻)。ちくま文庫収録作に『恋の花詞集』、『これが男の生きる道』、『宗教なんかこわくない!』など。





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本「第四の書  François Rabelais: “Le Quart Livre des faicts et dicts héroïques du bon Pantagruel”, 1552 (ガルガンチュアとパンタグリュエル4、ちくま文庫)」ラブレー、宮下志朗 訳5

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ガルガンチュアとパンタグリュエル〈4〉第四の書 (ちくま文庫)
第四の書  François Rabelais: “Le Quart Livre des faicts et dicts héroïques du bon Pantagruel”, 1552 (ガルガンチュアとパンタグリュエル4、ちくま文庫)

○著者: フランソワ・ラブレー宮下志朗
○出版: 筑摩書房 (2009/11, 文庫 654ページ)
○価格: 1,890円
○ISBN: 978-4480420589
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そう、いつ来るか、いつ出るのか刊行されるかと、心待ちに♪、ぼくにとっては四カ月半だけど、もっとも二年待たされても「そりゃぁ仕方がないよぉ」とも思える、全654ページの超大作。しかも、1552年に刊行された著書にあっては、今の時代と異なる状況や背景やら。そもそも、ことば遊び的な側面をも特長とするだけに、翻訳作業の困難さは想像に難くない。読む側にしてみれば、笑いながらサラサラとなにげなく読んでしまうんだけど。フランス・ルネサンス期。


≪目次: ≫
第四の書』 Le Quart Livre des faicts et dicts héroïques du bon Pantagruel

シャチョン枢機卿オデ猊下に捧げる献辞
国王の特認
作者の前口上(プロローグ)

第1章 パンタグリュエル、聖なるバクブックの信託を授かるべく、船出する/第2章 パンタグリュエル、メダモチ島で、すばらしい品々を買い求める/第3章 パンタグリュエル、父親ガルガンチュアから手紙を受け取る。また遠い異国からの報せを、すばやく知るための不思議な方法について/第4章 パンタグリュエル、父ガルガンチュアに手紙を書き、稀覯なる品々を送る/第5章 パンタグリュエル、ランテルノワ国から戻る旅人たちを乗せた船に遭遇する/第6章 争いがおさまると、パニュルジュはダンドノーを相手にして、一頭のヒツジを値切る/第7章 パニュルジュとダンドノーの取引、続き/第8章 パニュルジュ、商人とヒツジたちを海に溺れさせてしまう/第9章 パンタグリュエルがエナザン島に到着する。この国の奇妙な縁組みについて/第10章 パンタグリュエル、聖なるパニゴン王国の統治になるケリ島に上陸する/第11章 なぜ修道士たちは、ふだんから台所にいるのか/第12章 パンタグリュエル、プロキュラシオン島に渡る。シカヌー族の奇妙な暮らしぶりについて/第13章 フランソワ・ヴィヨン先生にならって、パシェの殿さまが家来たちを称賛する/第14章 シカヌー族の連中が、バシェ殿の屋敷で殴られる。続き/第15章 婚礼時の古い習慣が、シカヌー族によって復活させられたこと/第16章 シカヌー族の本性が、ジャン修道士によって試される/第17章 パンタグリュエル、トフ・ウボフ諸島に渡る。風車食らいのブラングナリーユの奇妙な死について/第18章 パンタグリュエル、海上で暴風雨から逃れる/第19章 嵐のあいだ、パニュルジュとジャン修道士がどのような態度を見せたのか/第20章 暴風雨のなさか、水夫たちが船団を見捨てる/第21章 暴風雨が続く、そして海上での遺言をめぐる短い話/第22章 暴風雨が終わる/第23章 暴風雨が終わり、パニュルジュが強がりを見せる/第24章 ジャン修道士、パニュルジュは暴風雨の最中にわけもなく怖じ気づいたくせにと、はっきりいう/第25章 暴風雨のあとで、パンタグリュエルはマクレオン諸島に上陸する/第26章 善良な「長寿長官(マクローブ)」が、英雄たちの英霊の滞在とその離脱について、パンタグリュエルに語る/第27章 パンタグリュエル、英雄たちの霊魂の離脱と、故ランジェー公の逝去に先立つ奇妙な異変について推理をめぐらす/第28章 パンタグリュエル、英雄たちの死をめぐる哀話を物語る/第29章 パンタグリュエル、カレームプルナンが支配するタピノワ島を通過する/第30章 クセノマーヌにより、カレームプルナンが解剖され、記述される/第31章 クレームプルナンの解剖、外部について/第32章 続いては、カレームプルナンの立ち居ふるまいについて/第33章 ファルーシュ島の近くで、パンタグリュエルが、怪物クジラ(モンストリュ・フィステール)を見つける/第34章 パンタグリュエルによって、怪物クジラが退治される/第35章 パンタグリュエル、アンドゥーユ族の昔からの居所ファルーシュ島に上陸する/第36章 粗暴なるアンドゥーユ族、パンタグリュエルを待ち伏せる/第37章 パンタグリュエル、リフランドゥーユ隊長とタイユブーダン隊長を呼びに行かせる。ならびに、地名や人名という固有名詞に関する注目すべき談話/第38章 アンドゥーユ族は、人間によって軽蔑されるべきではないこと/第39章 ジャン修道士は、アンドゥーユ族を退治すべく、料理人たちと力を合わせる/第40章 ジャン修道士によってトリュイの牝ブタが組み立てられて、勇敢な料理人たちが収容される/第41章 パンタグリュエル、アンドゥーユ族を膝でへし折る/第42章 パンタグリュエル、アンドゥーユ族の女王ニフルセトと交渉をおこなう/第43章 パンタグリュエル、リュアック島に/第44章 小雨が大風を静めること/第45章 パンタグリュエル、パプフィーグ族の島に上陸する/第46章 小悪魔が、パプフィーグ国(パプフィギェール)の農夫にだまされた/第47章 悪魔が、パプヒィーグ国の老婆にだまされたこと/第48章 パンタグリュエル、パピマーヌ族の島に上陸する/第49章 パピマーヌ族の司教オムナースが、われわれに天孫降臨(ユラノペート)教皇教令集を見せる/第50章 オムナースにより、教皇の原型(アルケティプ)が示される/第51章 食事のあいだに、教皇教令集(デクレタル)を讃えて雑談をする/第52章 教皇教令集(デクレタル)によって起こる奇蹟、続き/第53章 教皇教令集の神通力により、摩訶不思議、黄金がフランスからローマへと引き寄せられる/第54章 オムナース、パンタグリュエルによきキリスト教徒の梨を渡す/第55章 パンタグリュエル、大海原で、さまざまな溶けたことばを聞く/第56章 パンタグリュエル、凍ったことばのなかに与太毒舌(モ・ド・グール)を見つける/第57章 パンタグリュエル、世界一の技能師範ガステルさまの屋敷に立ち寄る/第58章 パンタグリュエル、世界一の技能師範の宮廷で、アンガストリミート族やガストロラートル族を忌みきらう/第59章 マンデュースと呼ばれる、こっけいな像について。そして、ガストロラートル族が、その神ヴァントリポタンに、なにを、どのようにして捧げるのか/第60章 ガストロラートル族は、時折はさまる小斎日に、神になにを捧げるのか/第61章 ガステルが、穀物を入手、保存する方法を発明したこと/第62章 ガステル、砲撃を受けても傷つかず、弾丸にも当たらない技術と方法を発明する/第63章 パンタグリュエル、カネフ島の近くでまどろむ。そして目覚めたときに出された問題について/第64章 出された問題に、パンタグリュエルが答えなかったこと/第65章 パンタグリュエル、天候の回復を願いつつ、仲間と酒を酌みかわす/第66章 ガナバン島の近くで、パンタグリュエルの命令により、ムーサイたちに敬意を表する/第67章 パニュルジュ、ものすごい恐怖にかられて、うんちをもらし、巨大猫ロディラルドゥスのことを、小悪魔(ディアブルトー)だと思う

『第四の書パンタグリュエル』の「前口上」(旧バージョン)

難句略解

解説(『第三の書』から『第四の書』へ/『第四の書』「不完全版」の謎/フランス国教会とローマ教皇庁の対立/「難句略解」について/『第四の書』のあらすじ/風刺、堂々めぐり、ペシミズム/中庸、自然、反自然/終わり方、あるいはソクラテスのダイモン/底本、参考・引用文献/略語表)二〇〇九年夏 宮下志朗


≪著者: ≫ フランソワ・ラブレー (François Rabelais, 1483?−1553) フランスの作家・医師。 モンテーニュとともに16世紀フランスを代表する文学者。 トゥーレーヌ地方シノンに、 弁護士の末子として生まれる。 フランチェスコ会修道院に修道士として起居し、 哲学・神学を学ぶかたわらギリシャ語を独習。 1528年ごろパリに上る。 30年秋、モンプリエ大学医学部に登録。 32年にリヨン市立病院に勤務、 医師・古典学者として第一歩を踏み出す。そのころ『パンタグリュエル』を発表。 34年『ガルガンチュア』、 46年『第三の書』、 52年に『第四の書』を完成。

[訳者] 宮下志朗 (みやした・しろう) 1947年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授(言語学情報科学専攻)。著書に、『本の都市リヨン』『ラブレー周遊記』『読書の首都パリ』『書物史のために』ほか多数。

フランソワ・ラブレー 『第三の書 (ガルガンチュアとパンタグリュエル3) LE TIERS LIVRE, 1546 』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2007年) '09/07/21
フランソワ・ラブレー 『パンタグリュエル (ガルガンチュアとパンタグリュエル2) PANTAGRUEL, 1532 』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2006年) '09/07/16
フランソワ・ラブレー 『ガルガンチュア (ガルガンチュアとパンタグリュエル1) GARGANTUA, 1534 』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2005年) '09/07/12

オノレ・ド・バルザック 『グランド・ブルテーシュ奇譚  LA GRANDE BRETÈCHE, 1832/LE MESSAGE, 1832/FACINO CANE, 1836/MADAME FIRMIANI, 1832/DE L'ÉTAT ACTUEL DE LA LIBRAIRIE, 1830.』(宮下志朗訳、光文社古典新訳文庫、2009年) '09/10/06
ミシェル・ド・モンテーニュ 『モンテーニュ エセー抄』(宮下志朗編訳、大人の本棚、みすず書房、2003年) '09/07/04
荻野アンナ『ラブレーで元気になる』(理想の教室、みすず書房、2005年)) '09/04/23







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本「鏡の国のアリス  Lewis Carroll: THROUGH THE LOOKING-GLASS AND WHAT ALICE FOUND THERE, 1872 (ちくま文庫)」ルイス・キャロル、柳瀬尚紀 訳5

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鏡の国のアリス (ちくま文庫)
鏡の国のアリス  Lewis Carroll: THROUGH THE LOOKING-GLASS AND WHAT ALICE FOUND THERE, 1872 (ちくま文庫)

○著者: ルイス・キャロル柳瀬尚紀
○出版: 筑摩書房 (1988/1, 文庫 225ページ)
○価格: 438円
○ISBN: 978-4480021946
おすすめ度: 4.5
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『不思議の国のアリス Alice's Adventures in Wonderland, 1865 』の六歳半ほど年下の妹との位置づけ。
子どもの六年半は小さくない。小学生だったら、中学生か高校生(大学生だったり社会に出て働いてるかもしれない)になっている。算数が数学に、クラブ活動は部活に。
物語はトランプからチェスへと。


≪目次: ≫
Through the Looking-Glass, and What Alice Found There, 1872 (鏡の国のアリス)』
序文 (一八九六年クリスマス)
第一章 鏡の家 “Looking-glass house” 
第二章 花の生き物の園 “The Garden of Live Flowers”
第三章 鏡の国の昆虫たち “Looking-glass Insects”
第四章 トウィードルダムとトウィードルディー “Tweedledum and Tweedledee”
第五章 羊毛と水 “Wool and Water”
第六章 ハンプティ・ダンプティ “Humpty Dumpty”
第七章 ライオンと一角獣 “The Lion and The Unicorn”
第八章 「そりゃ拙者に発明じゃ」 “It's my own Invention”
第九章 クイーン・アリス “Queen Alice”
第十章 ゆさぶり “Shaking”
第十一章 目覚め “Waking”
第十二章 夢を見たのはどっち? “Which Dreamed It?”

『鏡の国のアリス』途切れトンボの記 (『ちくま』88年10月号より転載)
訳者あとがき (一九八七年夏 柳瀬尚紀)
解説「言葉の魔術師」 深町眞理子

挿画 佐藤泰生

※この作品はちくま文庫のために新しく訳されたものである。
(1995年10月 第六刷版)


≪著者: ≫ ルイス・キャロル (Lewis Carroll, 1832-1898) 本名 Charles Lutwidge Dodgson. イギリスの童話作家、数学者。オックスフォード大学卒。翌年23歳で同大学数学講師に。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は、古典学者リデルの娘アリス(Alice)を喜ばせるために書いたものである。

[訳者] 柳瀬尚紀 (やなせ・なおき) 1943年、根室に生まれる。早稲田大学大学院博士課程修了。英米文学翻訳家。主な訳書に、ジョイス『フィネガンズ・ウェイク 機Ν供戞焚禄仆駛漆啓辧法▲┘螢・ジョング『飛ぶのが怖い』(新潮社)、ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ』『不思議の国のアリス』(ともにちくま文庫)などがある。

ルイス・キャロル 『不思議の国のアリス  Alice's Adventures in Wonderland, 1865 』(柳瀬尚紀訳、ちくま文庫、1987年) '09/10/15

ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 〈下〉  Logique du sens, 1969 』(小泉義之訳、河出文庫、2007年) '09/09/16
ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 〈上〉  Logique du sens, 1969 』(小泉義之訳、河出文庫、2007年) '09/09/13







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本「不思議の国のアリス  Lewis Carroll: ALICE'S ADVENTURES IN WONDERLAND, 1865 (ちくま文庫)」ルイス・キャロル、柳瀬尚紀 訳5

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不思議の国のアリス (ちくま文庫)
不思議の国のアリス  Lewis Carroll: ALICE'S ADVENTURES IN WONDERLAND, 1865 (ちくま文庫)

○著者: ルイス・キャロル柳瀬尚紀
○出版: 筑摩書房 (1987/12, 文庫 191ページ)
○価格: 609円
○ISBN: 978-4480021861
おすすめ度: 5.0
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なにかキラクに読める本はないかなぁ、と自室近くの図書館の書架を物色するぼくは、ホントはガンバって読まなきゃいけない(ぼくみずからが読みたいと欲して手にしている!!)長大な著書を手提げ袋にしのばせているのであり、その長大な著書を本日中に読了することが困難であることを認知していて、読了までに費やす時間を最短で四時間から六時間くらいと目算していることから不可能ではないものの、その気力を奮い立たせる気分にない、ある意味での現実逃避。読みたい本や読まなくちゃなぁ、やっぱり読んでおきたいなぁ、と思っている本は無数にあり、寄り道している余裕はない、けど、山の頂上を目指すのに、攻め登る山が高ければ高いほど、真っ直ぐに最短距離で頂上に向かって歩を進めて到達できるほどにカンタンなものでもあるまいし、その攻略の過程における一見するには寄り道とも思えるような行為や経験さえもが、後から振り返るには無駄で無為な事柄ではないことが少なくなかったりもして。
本書「ルイス・キャロル」に手が伸びたのは、ジル・ドゥルーズ『意味の論理学 Logique du sens, 1969 』(小泉義之訳、河出文庫、2007年)から、などと言ってしまうのも、なんだかウソ臭い(欺瞞?!)ような気がしないでもないのだが、まったくの無関係ではないであろうし、そこ(『意味の論理学』)で説かれた言説であり掲げられた「ルイス・キャロル」という名が作用していることを否定できるものでもない。
しかしながら、『意味の論理学』で説かれた論考と、本書『不思議の国のアリス』の連関について、ぼくにはなんらの考察をえるものではなく、すでに、かなしいことには、『意味の論理学』において説かれた論考について記憶が不確かであり、であるならば、再度『意味の論理学』を読むという選択をする方法もあろうが、現状のぼくの理解能力であり情報量には不足が多いことを最も重大な問題点として自覚していることから、次の新たな情報の習得を求め、再読を試みない、を選択してみるのだけれども、その選択になんらかの確証を得ているものではない。


≪目次: ≫
Alice's Adventures in Wonderland, 1865 (不思議の国のアリス)』
第一章 兎穴を下って
第二章 涙の池
第三章 コーカス競争と長い長い尾話(おはなし)
第四章 ビルの煙突掃除
第五章 芋虫の忠告
第六章 豚ん坊と胡椒(こしょう)
第七章 はちゃめちゃお茶会
第八章 女王陛下のクローケー
第九章 海亀フーの物語
第十章 海老踊り
第十一章 パイ泥棒は誰だ?
第十二章 アリスの証言

訳者あとがき (一九八七年夏 柳瀬尚紀)
解説「凄腕の言葉使い」 楠田枝里子

挿画 佐藤泰生

※この作品はちくま文庫のために新しく訳されたものである。


≪著者: ≫ ルイス・キャロル (Lewis Carroll, 1832-1898) 本名 Charles Lutwidge Dodgson. イギリスの童話作家、数学者。オックスフォード大学卒。翌年23歳で同大学数学講師に。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は、古典学者リデルの娘アリス(Alice)を喜ばせるために書いたものである。

[訳者] 柳瀬尚紀 (やなせ・なおき) 1943年、根室に生まれる。早稲田大学大学院博士課程修了。英米文学翻訳家。主な訳書に、ジョイス『フィネガンズ・ウェイク 機Ν供戞焚禄仆駛漆啓辧法▲┘螢・ジョング『飛ぶのが怖い』(新潮社)、ルイス・キャロル『シルヴィーとブルーノ』『鏡の国のアリス』(ともにちくま文庫)などがある。

ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 〈下〉  Logique du sens, 1969 』(小泉義之訳、河出文庫、2007年) '09/09/16
ジル・ドゥルーズ 『意味の論理学 〈上〉  Logique du sens, 1969 』(小泉義之訳、河出文庫、2007年) '09/09/13







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本「大江戸歌舞伎はこんなもの (ちくま文庫)」橋本治5

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大江戸歌舞伎はこんなもの (ちくま文庫)
大江戸歌舞伎はこんなもの (ちくま文庫)

○著者: 橋本治
○出版: 筑摩書房 (2006/1, 文庫 265ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4480421791
おすすめ度:5.0
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200909221400と。
書きたいことは、いろいろあるよ。ことばが、考えがあたまのなかをグルグルグルグル、すこしはおちついてもいいんじゃないか?、と思うほどに。書きえるかどうかは、また別の問題として。
日本人として、などとカンタンに言いえないのだけれども、はたして日本人となにもので、日本人を称するぼくは、どれだけ日本国のことを理解していて、どんな説明をしえるのであろう、などと考えるには、そもそも、民族やら宗教やら文化やら、日本人というカテゴリーはどのようなものであろうか?
ある意味では、日本のいまの在り方、世界における地位というのか、位置というべきか、を考えるに、江戸時代という約260年の鎖国の状態、そこで培われたオリジナルの文化。その後、江戸時代が終焉し、鎖国を解いて、急速に世界のスタンダードともいえるであろう西欧の文化をとりいれて。


≪目次: ≫
一、歌舞伎の定式
二、江戸歌舞伎の専門用語(テクニカルターム)
三、江戸歌舞伎と曽我兄弟
四、東と西と
五、江戸の時制――時代世話
六、歌舞伎の時代錯誤と時代世話
七、顔見世狂言とは何か
八、顔見世狂言の定式
九、江戸歌舞伎と《世界》
十、江戸歌舞伎の反逆者達
十一、江戸のウーマンリブ
十二、江戸の予定調和

あとがき

※本書は二〇〇一年十月五日小社より刊行された。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと・おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社「小説現代」新人賞佳作。以後、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど精力的に執筆活動中。著書に『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』『窯変源氏物語』『人はなぜ「美しい」がわかるのか』など。ちくま文庫収録作に『これも男の生きる道』『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』『風雅の虎の巻』『二十世紀(上下)』など。







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本「カフカ・セレクション掘^朷繊振意  Franz Kafka (ちくま文庫)」フランツ・カフカ、浅井健二郎 訳、平野嘉彦 編5

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カフカ・セレクション〈3〉異形/寓意 (ちくま文庫)
カフカ・セレクション 異形/寓意  Franz Kafka (ちくま文庫)

○著者: フランツ・カフカ浅井健二郎 訳、平野嘉彦 編
○出版: 筑摩書房 (2008/11, 文庫 329ページ)
○価格: 998円
○ISBN: 978-4480424532
おすすめ度: 5.0
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横浜・みなとみらいにある本社事務所に足を運んだのは、昨年12月11日に異動して以来のことと記憶しているから、およそ8カ月ぶり。
JR桜木町の駅構内がキレイになって照明が明るくなった(と感じた)。駅前広場?!の観光案内所?!の小屋がなくなった。小屋は取り壊されて更地になって広場がひろがり、観光案内所はJR線路の高架下の建物の一部に、引っ込んだところに移転していた。あいかわらず人出が多く、夏休みということもあってか、より一層顕著となる歩行速度のバラツキにイラつく(苦笑)。駅前広場に面した場所に建築中のビルはまだできあがっていないものの、外壁がはられてビルらしくなってきた。
たった8カ月の歳月、なにも変わっていないよ、なにも変わらない、変わるには時間が短すぎる、いや、じゅうぶんな時間であり、現になにもかもが同じじゃぁない、あれもこれもが変わってしまっている、変わっていないものなどないんじゃないか。


≪目次: ≫
カフカ・セレクション掘^朷繊振意
〔「ああ」、と鼠が言った〕/〔猫が鼠をつかまえたのだった〕/〔それは大きな尻尾を〕/〔かわいい蛇よ〕/〔私はもともと蛇に〕/〔それはハゲタカで〕/〔私はここにはっきり表明しておくが〕/新しい弁護士/雑種/〔「奇妙だ!」とその犬は言って〕/家父の心配/〔夕方帰宅してみると〕/一枚の古文書/ジャッカルとアラビア人/〔その村はターミュルといった〕/あるアカデミーへの報告/歌姫ヨゼフィーヌ、あるいは鼠の族/〔いかに私の生活は変化したことか〕/変身

訳者あとがき(浅井健二郎 二〇〇八年八月三十一日)
収録作品索引


≪著者: ≫ フランツ・カフカ Franz Kafka 1883年、当時、オーストリア=ハンガリー帝国領のプラハに生まれる。ユダヤ系のドイツ語作家。法学を専攻し、1908年プラハの労働者災害保険協会に就職。1924年、死去。

[編者] 平野嘉彦 (ひらの・よしひこ) 1944年生まれ。東京大学名誉教授。ドイツ文学専攻。著書『プラハの世紀末』ほか。

[訳者] 浅井健二郎 (あさい・けんじろう) 1945年生まれ。九州大学教授、東京大学名誉教授(ドイツ文学)。著書に『経験体の時間――カフカ・ベンヤミン・ベルリン』(高科書店)、訳書に『ベンヤミン・コレクション』(ちくま学芸文庫・既刊4冊)など。

フランツ・カフカ 『カフカ・セレクション供 ̄親亜森澗』(柴田翔訳、平野嘉彦編、ちくま文庫、2008)
フランツ・カフカ 『カフカ・セレクション機〇空/認知』(平野嘉彦編訳、ちくま文庫、2008)
平野嘉彦 『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』(理想の教室、みすず書房、2007)
池内紀 『カフカの生涯』(新書館、2007)
カフカ『ノート〈2〉 掟の問題』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『ノート〈1〉 万里の長城』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『流刑地にて』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『失踪者』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『変身』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『断食芸人』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
池内紀 『となりのカフカ』(光文社新書、2004)
三原弟平 『カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと』(理想の教室、みすず書房、2005)
カフカ 『変身/掟の前で 他2編』(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2007)








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本「カフカ・セレクション供 ̄親亜森澗  Franz Kafka (ちくま文庫)」フランツ・カフカ、柴田翔 訳、平野嘉彦 編5

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カフカ・セレクション 2 (2) (ちくま文庫 か 13-3)
カフカ・セレクション 運動/拘束  Franz Kafka (ちくま文庫)

○著者: フランツ・カフカ柴田翔 訳、平野嘉彦 編
○出版: 筑摩書房 (2008/9, 文庫 315ページ)
○価格: 998円
○ISBN: 978-4480424525
おすすめ度: 4.0
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断食芸人の最期。断食芸人が断食芸人として。
断食芸に派手さはない。断食しているか否か(それを芸としてウリにする商売)、もしかしたらズルして誰も見ていないところでコッソリなにか食べちゃっているんじゃないの??!、って。そもそも40日間(この日数にも意味がないわけじゃない)も断食しちゃったら、40日間もの長きにわたり大きな動きもなく、ただただ静かに断食。観客にとってもラクではない(つきあいきれない!?)。豹。檻。 Ein Hungerkünstler


≪目次: ≫
カフカ・セレクション供 ̄親亜森澗
〔私は最初の門番の前を〕/インディアンになりたいという願い/〔アレクサンダー大王〕/〔列車の車室に座って〕/〔夢幻騎行〕/〔公園の藪〕/〔牢獄の一室ではないのだが〕/アマチュア競馬の騎手諸氏のための考察/〔珍しくもない出来事〕/天井桟敷にて/〔白馬が最初に姿を見せたのは〕/〔中庭への扉を叩く〕/〔セイレーンたちの沈黙〕/商人/ある夢/〔死者たちの家へ客に呼ばれ〕/石炭バケツの騎手/〔肉屋の兄弟〕/最初の悩み/街道の子どもたち/〔狩人グラフス〕/ある断食芸人の話/判決――ある物語/流刑地にて/〔巣造り〕/ブレッシアでの懸賞飛行

訳者あとがき(柴田翔)


≪著者: ≫ フランツ・カフカ Franz Kafka 1883年、当時、オーストリア=ハンガリー帝国領のプラハに生まれる。ユダヤ系のドイツ語作家。法学を専攻し、1908年プラハの労働者災害保険協会に就職。1924年、死去。

[編者] 平野嘉彦 (ひらの・よしひこ) 1944年生まれ。東京大学名誉教授。ドイツ文学専攻。著書『プラハの世紀末』ほか。

[訳者] 柴田翔 (しばた・しょう) 1935年生まれ。東京大学名誉教授(ドイツ文学)・作家。1964年に『されどわれらが日々――』で芥川賞を受賞。著書に『内面世界に映る歴史』ほか、訳書にゲーテ『ファウスト』ほか。

フランツ・カフカ 『カフカ・セレクション機〇空/認知』(平野嘉彦編訳、ちくま文庫、2008)
平野嘉彦 『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』(理想の教室、みすず書房、2007)
池内紀 『カフカの生涯』(新書館、2007)
カフカ『ノート〈2〉 掟の問題』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『ノート〈1〉 万里の長城』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『流刑地にて』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『失踪者』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『変身』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『断食芸人』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
池内紀 『となりのカフカ』(光文社新書、2004)
三原弟平 『カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと』(理想の教室、みすず書房、2005)
カフカ 『変身/掟の前で 他2編』(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2007)








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本「カフカ・セレクション機〇空/認知  Franz Kafka (ちくま文庫)」フランツ・カフカ、平野嘉彦 編訳5

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カフカ・セレクション〈1〉時空/認知 (ちくま文庫)
カフカ・セレクション 時空/認知  Franz Kafka (ちくま文庫)

○著者: フランツ・カフカ、平野嘉彦 編訳
○出版: 筑摩書房 (2008/7, 文庫 343ページ)
○価格: 998円
○ISBN: 978-4480424518
おすすめ度:4.5
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高所恐怖症というのか。
駅近くのマンションの10階の部屋からの眺望は秀逸。その日はあいにくの曇り空だったから、遠くの景色を拝み見ることはできなかったけど、方向的にはもしかしたら富士山とかも。線路を背にして建つマンションの、駅から離れる方向の開口部(西向きのベランダ側)には、現状で視界を遮らない程度の中高層建築物が建っている。住宅街を見下ろす優越感(?!)。しかし、肝心要の諸条件が折り合わず(ホッとする!?)。
落下事故が生じる可能性は限りなくゼロに等しい。果たしてなにがこわいのか?。口外するつもりはなかった。あえて言う必要はないと思っていた。しかし、ことばにしておこう(どこまで書き得るか自信はない)。そう、事故により落下する可能性はほとんど考えられない、そのリスクを考える必要がないことは認知している(つもりだ)。事故によらず落下する危険とは?。
そう、衝動的な行動に悩まされる。予測不可能と言うほどではないものの、一定のレベルでは予測というのか認知をしつつも、みずからその衝動をコントロールすることに自信が持てないというのか。リスクを、衝動の危険性を認知しちゃっているがゆえに、生じ得る可能性としては限りなくゼロに近いとはいえ、けっしてゼロではないリスク。ゼロに近いにもかかわらず、ゼロではないということが、すでにゼロではないと認知してしまった段階において、可能性がゼロではないことが、少なからぬ可能性が在ることが、看過できない。ゼロに限りなく近いわけだから、ゼロと同等に扱って解釈して、認知しないという方法を選択することだって可能であろう。
10階から飛び降りることの可能性をカンゼンに否定することができない。きっとダイジョウブだ(飛び降りない)と思う。しかし、自信はない、確信はいだけない。ゆえに不安を払拭することができない。


≪目次: ≫
カフカ・セレクション機〇空/認知
〔それは、どの地域にあるのだろうか〕/隣り村/〔遠くに町がみえる〕/〔立ち去る、立ち去るのだ〕/〔ここから立ち去る、とにかくここから立ち去るのだ!〕/路地の窓/〔三軒の家がたがいに接していて〕/ある注釈/〔「この道でいいのかね?」と、私は〕/〔私は、馬を厩から引いてくるように命じた〕/山中への遠足/〔おそらく私は、もっと早くから〕/〔「おれが舵手ではないのか?」と、私は叫んだ〕/走り過ぎていく人たち/突然の散歩/〔ポセイドンは、自分の仕事机の前にすわって〕/〔私たちは二人して、滑りやすい地面の上を〕/〔街中で、たえまなく工事がおこなわれている〕/〔バベルの塔の建設にあたっては、当初は〕/〔数人の人たちがやってきて〕/〔隊商宿では、およそ眠ることなど〕/〔朝は早くからこの日暮れまで〕/〔モンデリー弁護士の突然の死に関して〕/掟の問題について/〔私に弁護人がいたのかどうか、それはきわめて不確かなことだった〕/〔しばしば必要になる部隊の徴募〕/〔われわれの小さな町は、およそ国境沿いにあるとは〕/村医者/村での誘惑/カルダ鉄道の思い出/万里の長城が築かれたとき/村の学校教師/〔エードゥアルト・ラバーンは、廊下を抜けて〕/あるたたかいの記

あとがき(二〇〇八年五月 平野嘉彦)


≪著者: ≫ フランツ・カフカ Franz Kafka 1883年、当時、オーストリア=ハンガリー帝国領のプラハに生まれる。ユダヤ系のドイツ語作家。法学を専攻し、1908年プラハの労働者災害保険協会に就職。1924年、死去。

[編訳者] 平野嘉彦 (ひらの・よしひこ) 1944年生まれ。東京大学名誉教授。ドイツ文学専攻。著書『プラハの世紀末――カフカと言葉のアルチザンたち』『カフカ――身体のトポス』。訳書 アドルノ『アルバン・ベルク』ほか。

平野嘉彦 『ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス』(理想の教室、みすず書房、2007)
池内紀 『カフカの生涯』(新書館、2007)
カフカ『ノート〈2〉 掟の問題』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『ノート〈1〉 万里の長城』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『流刑地にて』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『失踪者』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『変身』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
カフカ 『断食芸人』(池内紀訳、白水uブックス、カフカ・コレクション、2006)
池内紀 『となりのカフカ』(光文社新書、2004)
三原弟平 『カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと』(理想の教室、みすず書房、2005)
カフカ 『変身/掟の前で 他2編』(丘沢静也訳、光文社古典新訳文庫、2007)








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本「第三の書  François Rabelais, LE TIERS LIVRE, 1546 (ガルガンチュアとパンタグリュエル3、ちくま文庫)」ラブレー、宮下志朗 訳5

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第三の書―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈3〉 (ちくま文庫)
第三の書  François Rabelais, LE TIERS LIVRE, 1546 (ガルガンチュアとパンタグリュエル3、ちくま文庫)

○著者: フランソワ・ラブレー宮下志朗
○出版: 筑摩書房 (2007/9, 文庫 597ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4480420572
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物語(小説)を愉しむことができないのは、登場人物の名前がどうしても覚えられないから!?、あるときから、登場人物の詳細を気にしないことに決めて(あくまでもぼくが個人的に選択をしたこととして)、物語の展開やトリックの理解に欠損が生じることを許容することにした。ぼくとしては読むことだけでなく、読むことをインプットとするならば、読んだことによって触発されたなんらかをアウトプットする作業(書き記すこと)をワンセットで考えているところがあって、さらにはその継続性にも重きを置いていたりするものだから(それがすべてではない)、毎日一冊の著書を読了したい、書き記したい。そう、読み耽りながらも、頭のどこかではまったく無関係なことを考えていたりして、あんまり深く考えることに集中してしまうと読むことができなくなっちゃうから、ほどほどに考えながら読み耽りながらをテキトーに展開しているのだが。そうね、考えたいことや考えなくちゃいけないことはイッパイあって、さぁ、なにから手をつけていきまひょか。ところが、ぼくには結論を出して終結させて片付けていくという概念が薄い。果たしてぼくが導き出す解答は、正当性が担保されているのかどうか自信がない。そもそも、ぼくに判断を下す能力が備わっていているのであろうか、権限を有しているのであろうか、などと考えてしまうと。ぼくがすべきは、むしろさまざまな場面を考慮して、背景を想像して、考えて考えて考えて。身を委ねて、なにもしないわけではなく、最善を尽くす努力を怠ることなく。
「結婚」=コキュ。「借金」かぁ、なんとかしないとなぁ。


≪著者: ≫ フランソワ・ラブレー (François Rabelais, 1483?−1553) フランスの作家・医師。 モンテーニュとともに16世紀フランスを代表する文学者。 トゥーレーヌ地方シノンに、 弁護士の末子として生まれる。 フランチェスコ会修道院に修道士として起居し、 哲学・神学を学ぶかたわらギリシャ語を独習。 1528年ごろパリに上る。 30年秋、モンプリエ大学医学部に登録。 32年にリヨン市立病院に勤務、 医師・古典学者として第一歩を踏み出す。そのころ『パンタグリュエル』を発表。 34年『ガルガンチュア』、 46年『第三の書』、 52年に『第四の書』を完成。

[訳者] 宮下志朗 (みやした・しろう) 1947年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授(言語学情報科学専攻)。著書に、『本の都市リヨン』『ラブレー周遊記』『読書の首都パリ』『書物史のために』ほか多数。

フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル (ガルガンチュアとパンタグリュエル2)』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2006)
フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア (ガルガンチュアとパンタグリュエル1)』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2005)
ミシェル・ド・モンテーニュ『モンテーニュ エセー抄』(宮下志朗編訳、大人の本棚、みすず書房、2003)
荻野アンナ『ラブレーで元気になる』(理想の教室、みすず書房、2005)








本「パンタグリュエル  François Rabelais, PANTAGRUEL, 1532 (ガルガンチュアとパンタグリュエル2、ちくま文庫)」ラブレー、宮下志朗 訳5

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パンタグリュエル―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈2〉 (ちくま文庫)
パンタグリュエル  François Rabelais, PANTAGRUEL, 1532 (ガルガンチュアとパンタグリュエル2、ちくま文庫)

○著者: フランソワ・ラブレー宮下志朗
○出版: 筑摩書房 (2006/2, 文庫 489ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4480420565
おすすめ度: 4.0
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なんか、あたりまえのように会社に行って給料もらっちゃっているんだけど、、、仕事があって一定の報酬が毎月支給される会社という組織って、考えれば考えるほどに不思議な気がしてならない。ありがたい便利なシステムであることに間違いない。ときに破綻しちゃうことも自然の摂理のような気がしないでもない(妙に納得できちゃったり)。
権力者がその責任と負担において自治する共同体(コミュニティ)があって。権力者は権力を誇示する大衆というのか民衆が在ってはじめて権力者たり得て、勢力というのか人員の多寡が対外的に示す権力でもあり。ヒトの欲望には果てしがないから、実力がある、力のつよい者は、より大きな権力を欲し。力のつよいものが暴力(本能的なものとしての)を行使して、力の弱い者たちを従え。力の弱い者たちは、力のつよい者の庇護を受けて。暴力を行使して得たモノは、より力のつよい者に暴力で略奪され。力は年月の経過により老い衰え。
構成される共同体の成員として。権力を誇示して、勢力拡大を画策する目的としての兵隊、戦士。構成された戦士を、戦士として維持するために必要とされる戦争。戦士たちは日常において、なにも生産しない。戦士に支給する原資(報酬)は、みずからの手で獲得すべし!?。他のコミュニティからの強奪、領土の侵略。
戦士は、戦い、食う寝る遊ぶ、本能のままに。食欲、性欲、ヒトの生理。
いまの便利な生活。


≪著者: ≫ フランソワ・ラブレー (François Rabelais, 1483?−1553) フランスの作家・医師。 モンテーニュとともに16世紀フランスを代表する文学者。 トゥーレーヌ地方シノンに、 弁護士の末子として生まれる。 フランチェスコ会修道院に修道士として起居し、 哲学・神学を学ぶかたわらギリシャ語を独習。 1528年ごろパリに上る。 30年秋、モンプリエ大学医学部に登録。 32年にリヨン市立病院に勤務、 医師・古典学者として第一歩を踏み出す。そのころ『パンタグリュエル』を発表。 34年『ガルガンチュア』、 46年『第三の書』、 52年に『第四の書』を完成。

[訳者] 宮下志朗 (みやした・しろう) 1947年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授(言語学情報科学専攻)。著書に、『本の都市リヨン』『ラブレー周遊記』『読書の首都パリ』『書物史のために』ほか多数。

フランソワ・ラブレー『ガルガンチュア (ガルガンチュアとパンタグリュエル1)』(宮下志朗訳、ちくま文庫、2005)
ミシェル・ド・モンテーニュ『モンテーニュ エセー抄』(宮下志朗編訳、大人の本棚、みすず書房、2003)
荻野アンナ『ラブレーで元気になる』(理想の教室、みすず書房、2005)







本「ガルガンチュア  François Rabelais, GARGANTUA, 1534 (ガルガンチュアとパンタグリュエル1、ちくま文庫)」ラブレー、宮下志朗 訳5

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ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉 (ちくま文庫)
ガルガンチュア  François Rabelais, GARGANTUA, 1534 (ガルガンチュアとパンタグリュエル1、ちくま文庫)

○著者: フランソワ・ラブレー宮下志朗
○出版: 筑摩書房 (2005/1, 文庫 508ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4480420558
おすすめ度: 4.0
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朝10時から池袋での契約立会いに直行して、そのまま午後3時から志木での契約立会いへとむかうスケジュールは、ウマくするとゆっくりランチして耽読できるかも♪。さらには電車での移動時間も短くない♪♪
しかし、2件分の契約のための資料は、それなりの分量になる。単行本は重くてかさばるから持ち歩きたくない。いつものように2冊ではなく、持ち歩くのはページ数の少なくない文庫本1冊だけにしたい。と、前日の夕方に急遽おもいたって、図書館のWeb検索を活用してめぼしをつけて、勤務先の最寄駅から2駅はなれた図書館に借りにいった。


≪著者: ≫ フランソワ・ラブレー (François Rabelais, 1483?−1553) フランスの作家・医師。 モンテーニュとともに16世紀フランスを代表する文学者。 トゥーレーヌ地方シノンに、 弁護士の末子として生まれる。 フランチェスコ会修道院に修道士として起居し、 哲学・神学を学ぶかたわらギリシャ語を独習。 1528年ごろパリに上る。 30年秋、モンプリエ大学医学部に登録。 32年にリヨン市立病院に勤務、 医師・古典学者として第一歩を踏み出す。そのころ『パンタグリュエル』を発表。 34年『ガルガンチュア』、 46年『第三の書』、 52年に『第四の書』を完成。

[訳者] 宮下志朗 (みやした・しろう) 1947年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授(言語学情報科学専攻)。著書に、『本の都市リヨン』『ラブレー周遊記』『読書の首都パリ』『書物史のために』ほか多数。

ミシェル・ド・モンテーニュ『モンテーニュ エセー抄』(宮下志朗編訳、大人の本棚、みすず書房、2003)
荻野アンナ『ラブレーで元気になる』(理想の教室、みすず書房、2005)








本「二十世紀 〈下〉 1946〜2000  Osamu Hashimoto, The 21th century 1946〜2000 (ちくま文庫)」橋本治5

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二十世紀〈下〉 (ちくま文庫)
二十世紀 〈下〉 1946〜2000  Osamu Hashimoto, The 21th century 1946〜2000 (ちくま文庫)

○著者: 橋本 治
○出版: 筑摩書房 (2004/10, 文庫 337ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480420206
おすすめ度: 4.0
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1946年から始まる『二十世紀』下巻は、単純で軽薄で「そうだよねぇ〜、やっぱり第二次世界大戦を境目にして世の中は大きく変わるんだよねぇ〜」と信じて疑わないぼくにとって、えぇえぇぇ〜♪、そもそもたったいちねんでなにが大きく変わりえようか?、ところが変わらないことなどはなにもない。いちねんごとに、橋本治がみずからあとがきに明かす、最も個人的な本であり、子どものころにいだいた「自分の生きている社会はどっかがへんだ」「どんないきさつで“こんな時代”になったのだろう」がもととなって書き連ねられる。カンタンにわかるものではない。ところどころがつながって、新たな情報がさらなる混乱を起こして、二十世紀♪

二十世紀 〈上〉 1900〜1945

1946〜2000
あとがき

*本書は二〇〇一年一月三十日、毎日新聞社より刊行されたものを二分冊のうえ文庫化したものです。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。著書に『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』『窯変源氏物語』。ちくま文庫収録作に『これも男の生きる道』『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』など。


紫外線♪




本「二十世紀 〈上〉 1900〜1945  Osamu Hashimoto, The 21th century 1900〜1945 (ちくま文庫)」橋本治5

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二十世紀〈上〉 (ちくま文庫)
二十世紀 〈上〉 1900〜1945  Osamu Hashimoto, The 21th century 1900〜1945 (ちくま文庫)

○著者: 橋本 治
○出版: 筑摩書房 (2004/10, 文庫 330ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4480420190
おすすめ度: 4.0
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ホントは本書とさらにもう一冊くらい読んじゃって、すでに読み終えているけどまだ書き記していない献本を受けた本の書き記しをして、よぉ〜し、、、などと目論んでいた休日だったんだけど。午前のトレーニングのあとに油断してアルコール(缶チューハイ)を口にしたのがいけなかったのかなぁ、午前のトレーニングの大垂水峠越え(約90km)クロスバイクランがキツかったのかなぁ、早起き(といっても朝6時起き)が前日までの仕事の疲れが残っていたのかなぁ、、、あぁ〜ダメダメダメダメ、ダメオトコ!

そう、歴史が苦手なぼくは、ナチス・ドイツの『第三帝国の興亡』なる大著を読んで、戦争について、そもそも戦争ってなんだろう?、なんで戦争する(した)んだろう?、逆に今はなんで(主だった国家において表面的には)戦争しないんだろう??、さらには、ドイツがヨーロッパのはずれ(辺境)で、フランスやイギリスがその頃(1900年代初頭)のヨーロッパの中心であったであろうハズで、いや待てよ、イギリスなんてヨーロッパの地理的にははずれもはずれの島国でどうあっても中心ではないなぁ、植民地を求めた大航海時代や産業革命による繁栄からなのかなぁ、中心といわれるようになったのは?、ん、紀元前にまでさかのぼれば地中海が文化(文明)の中心であったみたいだし、時代を経てルネサンスはローマ、イタリアだよなぁ、、、情報がつながらない混乱ははげしさを増すばかり(ホントにわからない)。などと言いながらも、まぁいいかぁ〜、だったのが正直なところだけどね。


総論 二十世紀とは何だったのか
一 「十九・九世紀」とか「十九・八世紀」という考え方/二 その昔は、戦争に「正しいやり方」なんてものがあった/三 国家が平気でメチャクチャなことを考えていられた時代があった/四 その昔には「植民地(コロニー)建設」というとんでもなくヘンテコリンな発想があった/五 商売というものは、けっこう危険で厄介なものだ/六 総論の結論
1900〜1945


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説・評論・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。著書に『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』『窯変源氏物語』。ちくま文庫収録作に『これも男の生きる道』『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』など。


緑がすこし濃くなったかなぁ……




本「哲学者とは何か (ちくま文庫)」中島義道5

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哲学者とは何か (ちくま文庫)
哲学者とは何か (ちくま文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (2000/4,文庫 287ページ)
○価格: 819円 (在庫×)
○ISBN: 978-4480035585
おすすめ度: 2.5
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ホント、哲学者とは何かネ?
まぁ、ぼくが哲学者ではないことはカクジツだけど、哲学という学問を学問として研究する者であろうか??!。大学教授であり本書の著者である“中島義道”であり、氏が師事した“大森荘蔵”であり、その専門家としての“イマヌエル・カント(Immanuel Kant,1724-1804)”であり。。。


≪目次: ≫
ニホンコクからの手紙――まえがきに代えて
1 日本で哲学するとはどういうことか

拝啓 哲学さま/哲学者のいない哲学ブーム/無用塾/ニーチェは「彼ら」の哲学者/われわれに哲学がない理由/音環境のひどさ/男性解放の難しさ/日本で哲学するとはどういうことか
2 常識からの解放
自分自身になること[人はいかにして自分自身になるか 自分の内部の声を聞く 欠点を伸ばす 自分の人生の「かたち」をつくる]/哲学に「志」はいらない[ニセモノの志 のたれ死にしても仕方がない 志がはっきりしていればいるほどニセモノ 志を捨てよ]/差別感情と「好き・嫌い」[無差別感情は自然である 嫌いだから嫌いなのだ!では、どうするべきか?]/〈こころ〉とは何か[〈こころ〉の不可解さ 「心身問題」の核心 誰(何)が判断しているのか 言葉遣いの問題ではない 疑いつつ認め、認めつつ疑う]/真に自由な時間とは[漠然と自由を求めている現代人 時計時間と内的体験 虚しい現代の余暇論 生と死の認識 ただ広大な宇宙のただなかに]
3 イマヌエル・カントという名の男
カントの女性観[女性とは性欲に支配され男を支配する創造物である 母アンナ・レギーナ・ロイター 性愛の対象としての女性 結婚相手としての女性 絶対的他者としての女性]/孤独な哲学者・カント[人間観察者 不幸な少年時代 非社交的社交性(die ungesellige Geselligkeit) 超越論的独我論]/モラリストの笑い[モラリストの笑いではないさまざまな笑い ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエール、モンテーニュの笑い モラリスト・カントの笑い]/「哲学の権化」像を打ち破って
4 哲学者の死
大森荘蔵(おおもり しょうぞう 一九二一年生まれ。東京大学物理学科卒業後、同大学哲学科卒業。哲学者。東京大学教授、放送大学教授などを歴任。著書に『言語・知覚・世界』、『物と心』、『流れとよどみ』、『新視覚新論』、『知の構築とその呪縛』などがある。一九九七年二月一七日死去。)
哲学者の死軽蔑し、軽蔑される大森哲学の遺産[,海海蹇´驚き C粒弌´つ砲漾´ダ犬隼燹蓮過去は幻か(大森荘蔵×中島義)[想起と同一性 時間のリアリティー 点時刻の運動不可能性 ゲシュタルトとしての「今」 「今」の二重文法 記憶の持続的同一性批判 想起――可能性/潜在性 想起の身体性 夢と現実の差異 語りの存在論 表象の時間と空間化 ゼノンのパラドックス タイムトラベルの過去観 過去変更への欲望 未来と過去の絶対的差異 死としての未来 時間「と」自我]/時間・我・史(大森荘蔵×中島義道)[原生的な時間概念 自我概念の形成 自我と時間 過去の真理性について 想起と一般概念 「時間」は風呂敷概念である 現在とは何か? 内的経験と他我問題 未来について考えるとは? 私は今もう死んでいる]

あとがき (一九九七年七月九日(私の誕生日) 中島義道)
文庫版へのあとがき (二〇〇〇年 正月 中島義道)
初出一覧
解説 ホンモノの哲学と卑俗な哲学 松原隆一郎

*本書は一九九七年九月、洋泉社より刊行された。


≪著者: ≫ 中島 義道 (なかじま・よしみち) 1946年、福岡県生まれ。1977年、東京大学大学院修士課程修了。1983年、ウィーン大学哲学科修了。哲学博士。現在、電気通信大学教授。専攻はドイツ哲学、時間論、自我論。著書に『ウィーン愛憎』(中公新書 角川文庫)、『カントの人間学』『時間を哲学する』(いずれも講談社現代新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)、『うるさい日本の私』(洋泉社 新潮文庫)、『人生を〈半分〉降りる』(ナカニシヤ出版)、『〈対話〉のない社会』(PHP新書)などがある。


水仙♪




本「人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)」中島義道5

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人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)
人生を〈半分〉降りる 哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)

○著者: 中島義道
○出版: 筑摩書房 (2008/1,文庫 286ページ)
○価格: 735円
○ISBN: 978-4480424129
おすすめ度: 5.0
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ぼくは自分自身の『不幸』さについて自覚する必要があるのかもしれない。
ぼくは、不幸な自分自身を直視することを避けて、ときにおどけて「幸福」(な風)を装ってみたりする。世の中には、ぼくよりもっと不幸な人たちが大勢いる、だからぼくはその人たちと比較して、不幸とは言えないのではないか、それゆえに、ぼくは不幸ではなく、不幸ではないということは幸福であろう、と(強引にも無理を承知で)。さらには、「不幸」って世間体として恥ずかしいもの、という印象をぼく自身が潜在的に抱いているのであろう、不幸であってはいけない、自らが不幸であると口外することはいけないこと、恥ずかしいこと、という固定概念があることも否定できない。そして、自ら「不幸であること」を口外しちゃったら、まさに紛れもなく不幸であるぼくは、その忌避すべき不幸の重圧に耐えることができない、自己防衛から拒否反応を示しているのかもしれない。おどけて、軽薄にも「幸福」を口にすることの、ウソ、欺瞞。誠実にありたいと心掛けるぼくは、そのじつ誰よりも不誠実な偽善者なのかもしれない。
しかし、全身に不幸や悲壮感を漂わせて、周囲に不幸を嘆きつづけて生きるのも、きっと違うような気がする(あぁもうわからない)。不幸は、誰にとってもけっして心地好いものではない(はずだ)から、一般的には不快な印象を受ける不幸な人とは、関わりたくないのが本音であろう。ぼくだって、不幸な人と積極的に関わりたいとは思わない、自然に避ける。しかし、仮に本音がそうであっても、ホントに不幸な人(自らの意思とかかわりなく誰の身にもふりかかる可能性がある)は、ぼくだって何とかしてあげたいと思わないことがないわけではない(と思う)。そうして、ホントに不幸な人は、その不幸を抱え込んで苦悶して死んでしまう前には、一般的には(不幸のままに死んでしまう人もいるであろうが)善意の他者の救済が受けられる(のかもしれない)。自らの不幸を表出することがない人は、そういう意味においてはホントに不幸ではないのかもしれないし、仮にホントに不幸であったとしても他者の救済を必要としない強さ(精神的・経済的)を持ち合わせている、ともいえるのかもしれない。

与えられた「今ここ」に立脚して自分の「私的な問題」から眼を逸らさず、ごまかさずにそれと格闘すること、それがすべてです。 (P.179)



≪目次: ≫
プロローグ あなたはまもなく死んでしまう
自分のための時間を確保せよ/帰りなんいざ/スピノザルソー/何をすべきではないか/公職から離れる/実在論者と唯名論者/実感の相違/社会的に有益な仕事から手を引く/研究のための時間は自分のための時間ではない
一章 「繊細な精神」のすすめ
繊細な精神と思いやりの精神/学者を分類する/ものを書けば書くほど考えなくなる/「名前を知られたい」という愚かしさ/もの書きのモラル/「高級な会話」のイヤラシサ/「日常生活」から眼を離してはならない/モラリストスノッブ類型学/暴力的な「和」の雰囲気/「明るさ」の重荷
二章 「批判精神」のすすめ
理性の自己批判/一流の学者や芸術家が陥る罠/芥川と三島/トンカツの男女同権/ユマニストの傲慢さ/なぜ男はスカートをはかないのか/善人たち、ああ善人たち!/専門バカ/膨大な論文の生産/蛭の脳髄学者の叫び/ニーチェを「研究する」おかしさ/哲学研究者になるためには/語ることと行うこと/哲学者とその生活/学者の生態/名誉を求める戦い/自分はいかにエライか/人間嫌いは人間好きである
三章 「懐疑精神」のすすめ
デカルトの懐疑/モリヌークス問題/理性理論と実践理論/なぜ嘘をついてはいけないのか/今ここで何をすべきか/道徳的行為と自負心/正しいことをしようとする者は正しくない/勝つことは醜い/勝者と敗者の力学/「戦い」はわれわれの「自然」である/気を紛らすこと/アンドレイ公爵の呟き/人間のなすことで不可解なことはない/哲学の誤りは滑稽なだけ/だれも哲学などに期待していない/哲学は無用である/哲学の道場「無用塾」
四章 「自己中心主義」のすすめ
「自己中心的な生き方」は嫌われる/テスト氏の自己探究/「私」という謎/私の過去/世間一般とのズレを伸ばす/自宅に閉じこもる/シュジュギュイ=子供/純粋なシュジュギュイたち/「純粋な」青年の自殺/女性は性的存在である/女性は非哲学的?/女性嫌悪と女性恐怖
五章 「世間と妥協しないこと」のすすめ
「献本」されると窮地に陥る/ウソばっかりの出版記念会/廣松渉先生の退官にあたって/〈半穏遁〉と職業/みんなが〈半穏遁〉する心配はない/哲学をしたければしなさい!/世間が許さない?/最大の敵は親である/「恩」は与えたくも受けたくもない/「恩」はほんとうのことを言わせなくする/他人を避ける/「会いたくない」権利の尊重/「会いたくない」ことをどう伝えるか/「偏食」の思想/社会から転落する
六章 「不幸を自覚すること」のすすめ
エピローグ そして、あなたはまもなく死んでしまう

引用文献一覧
あとがき(一九九七年 如月 中島義道)
解説……哲学者ではないが哲学的であるということ(中野翠 二〇〇〇年八月)
ちくま文庫版へのあとがき(二〇〇七年師走 還暦を過ぎても、「耳順(したが)う」こともなく…… 中島義道)

*本書は一九九七年五月、ナカニシヤ出版より刊行された。


≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年福岡県生まれ。77年、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。83年、ウィーン大学基礎総合学部修了(哲学博士)。現在は電気通信大学教授。主な著書に『哲学の道場』(ちくま新書)、『哲学者とは何か』『たまたま地上にぼくは生まれた』(いずれも、ちくま文庫)、『時間論』『カントの法論』(いずれも、ちくま学芸文庫)、『悪について』(岩波新書)『孤独について』(文春新書)『ウィーン愛憎』(中公新書)、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)などがある。


Tokyo Tower




本「鞦韆 (ぶらんこ) 橋本治短篇小説コレクション (ちくま文庫)」橋本治5

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鞦韆 (ぶらんこ) 橋本治短篇小説コレクション (ちくま文庫)
鞦韆 (ぶらんこ) 橋本治短篇小説コレクション (ちくま文庫)

○著者: 橋本治
○出版: 筑摩書房 (2006/4,文庫 346ページ)
○価格: 924円
○ISBN: 978-4480421937
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ウチなんかだとね、そういう訳でショック療法やっちゃうんですよ。今なんかだと、女性の方は開放的になってますけどね、男の意識は古い。どうもストイックになりすぎるというか、どっかで罪の意識があるんでしょうねェ。私なんかは、管理社会の弊害だと思ってますけども、自由っていうのになれないんですねェ。
自分の肉体を客観的に見るっていうんですかねェ。
だからウチなんか、いきなり縛っちゃう。騙してね。
騙されるってことは重要ですね。
私なんかそう思うなァ。
騙されたっていいじゃないかって、私なんかそう思うなァ。
そういうねェ、肉体が転覆するっていうようなねェ、そういうこと経験しとかないと、どうしても独善的になりますねェ。
そうでしょう?
騙されまい、騙されまいってするからねェ。真面目な人ほどそうなんだ。
ガードが堅くてねェ。
また、そういう人ほど崩れると極端だからねェ。
そうでしょ?

そうなんだなァ。

そうそう。

あなたまだ、半信半疑でしょ?

どうもそうだな。

真面目っていうのはね、自由っていうことに対するイマジネーションの不足ね。
そうそうそう。    (P.260-P.261、「笑」)

自作解説より、
本作の第一作『魔』は、不定期のミニマガジン『綺譚』の一九八一年発行の第四号に掲載された。二作目の『陣』は、翌年五月に発売された『月刊PLAYBOY』の七月号に掲載され、三作目の『媚』は九月になって『告白マガジン11月15日増刊・トゥナイト第二号』に掲載された。白夜書房から『鞦韆 (ぶらんこ)』のタイトルで刊行されたのは一九八八年四月――その際に四作目の『笑』と五作目の『鬼』が書き下ろされた。文庫化されて新潮文庫の一冊になったのは、昭和が終わった後の一九九一年五月である。この履歴を並べても、もしかしたらなんの意味もないかもしれない。こういう並べ方をされると、『鞦韆』が実験的な前衛狙いのものかと誤解されてしまうかもしれない。
(中略)当人は、「ワイセツな言葉が一つもないくせにいやらしい」という、皮膚感覚を狙っていただけで、「前衛」とか「実験的作品」という気はなかった。 (P.335-P.336)


≪目次: ≫


陣・2



一人称のトリック――自作解説/橋本治

*この作品は昭和六十三年四月、白夜書房から刊行され、平成三年五月、新潮文庫に収録された。


≪著者: ≫ 橋本治 (はしもと・おさむ) 1948年3月東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。'77年『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作。以後、小説・評論・戯曲・古典の現代語訳・エッセイなど、精力的に執筆活動中。'02年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞、'05年『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞を受賞した。著書に『桃尻語訳枕草子』『絵本徒然草』『窯変源氏物語』など。ちくま文庫収録作に『これも男の生きる道』『宗教なんかこわくない!』『これで古典がよくわかる』『二十世紀』(上・下)『大江戸歌舞伎はこんなもの』など。


Dianthus superbus var. longicalycinus




本「「自分」を生きるための思想入門 (ちくま文庫)」竹田青嗣5

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「自分」を生きるための思想入門 (ちくま文庫)

「自分」を生きるための思想入門 (ちくま文庫)

○著者: 竹田青嗣
○出版: 筑摩書房 (2005/12,文庫 280ページ)
○価格: 777円
○ISBN: 978-4480421753


自我の理論」♪

≪目次: ≫
まえがき
第1章 「私」という存在――人はなぜ「私」にこだわるのか
「私」とは何であるのか/「私は私である」という確信の支え/岸田理論における「私」/なぜ「私」というものを考えるようになるのか/「私」とは形のないものである/ナルシシズムと自意識/人間は自分についての「物語」がなければ生きられない/人間の欲望と自分の物語を作ることとの関係/美人のほうが不美人よりも性格がいい?/何が美人であることを決定するのか/相手の顔に自分の物語を投影する/わがままと自己主張の違いとは?
第2章 「他者」という存在――なぜ他人は「私」を脅かすのか
人生とは欲望ゲームである/他者とは、つねに「私」にとってXである/他者は「私」を脅かす存在である/身の周りの他者と見知らぬ他者/友達という他者との関係/世間という他者/異性としての他者
第3章 自己と欲望――人生は欲望ゲームの舞台である
「私」とは欲望である/人間の欲望はゲームの欲望である/人間の欲望はまさに幻想的なものである/なぜ、その欲望が生じるのかわからないから、人間は生きていける/自分の欲望についての自己理解が、その人の本質/自己理解がその人の関係の作り方を規定する/自己中心的な自己理解をしていると、どこかで挫折する/ルサンチマン(恨み)というエロス/ルサンチマンに固執すると、新たな関係は築けない/ルサンチマンと自己処罰/本当に自己理解するということ/ルールがあるから欲望が生じる/欲望の対象とその意味/人間は二つの欲望のバランスをとって生きている
第4章 恋愛における欲望――男女のかかわりとエロティシズム
他者との関係における「主と奴隷」の闘争とエロス的な気遣い/恋人は自分のロマン的な幻想の具現化である/恋愛に対する欲望は世俗的なものを超えてしまう/恋愛の欲望は自我の欲望を乗り越える/エロティシズムがなくなれば、男女の関係は終わる/エロティシズムとは何か/娼婦的エロティシズムは「愛のルール」を破る幻想である/男女関係のエロス性がすり減っていくとき/自己幻想が崩れたときから、生身の人間としての関係性がはじまる
第5章 「私」と世界――人はこの世界とどうかかわっていくのか
世界とは何か/「客観」や「真理」はもともとあるものではない?/世界像の三層構造/人間はなぜ「神話・フィクション」の世界を必要とするのか/人間はなぜ世界の全体像を求めるのか/世界と「私」のエロス関係があらゆるルールの基本/世界とかかわるとはどういうことか/ニーチェがはじめて、この世界はルールであることを自覚した/社会というシステム/「システム社会」論の欠陥/社会とルールの関係/民族、国家、社会とは?/「ルール社会観」について/西洋におけるルールと日本におけるルールとの違い/いかにも日本的な、ポスト・モダン/日本の困難と西洋社会の困難/社会と個人の関係のねじれ/現代社会とは何か/国際化の中の日本に生きる「私」とは/国際間のトラブル処理で正義はありえない
第6章 生と死のあいだ――死をどう受け止めるかが生の姿勢を決める
死というルール/不安と恐れをもたらすから、死についての救済の物語を作る/近代の不信と救済物語の崩壊/現代的な死のルールと救済の物語/生と死が切り離されてしまった現代の救済の物語/死を自我からの解放ととらえる視点/死、自我、エロス/人生の後半はエロスの後退戦/ニーチェの「永劫回帰」の考え方/救済の物語を信じることは「頽落」であるというハイデガーの考え方/死んだら何もないという自覚からこそ生を全うできる/最上の「ありうる」とは?/実存の問題は個々人の課題である

あとがき(一九九二年三月 竹田青嗣
文庫版あとがき(二〇〇五年十月 竹田青嗣
*本書は一九九二年五月六日、『「自分」を生きるための思想入門 人生は欲望ゲームの舞台である』として芸文社より刊行された。

≪著者: ≫ 竹田青嗣 (たけだ・せいじ) 1947年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。現在、早稲田大学国際教養学部教授。哲学者・文芸批評家。主な著書に『現象学入門』(NHKブックス)、『はじめての現象学』(海鳥社)、『言語的思考へ』『近代哲学再考』(以下、径書房)、『ニーチェ入門』『現象学は〈思考の原理〉である』(以上、ちくま新書)、『自分を知るための哲学入門』『意味とエロス』(以上、ちくま学芸文庫)、『人間的自由の条件』(講談社)、『ハイデガー入門』(講談社選書メチエ)、『哲学ってなんだ』(岩波ジュニア新書)、『愚か者の哲学』(主婦の友社)などがある。

自我論集 (ちくま学芸文庫、ジークムント・フロイト 著、竹田青嗣 編、中山元 訳、1996/6)』

奥多摩湖いこいの路




本「エレンディラ   LA INCREÍBLE Y TRISTE HISTORIA DE LA CÁNDIDA WRÉNDIRA Y DE SU ABUELA DESALMADA by Gabriel José García Márquez (ちくま文庫)」ガブリエル・ガルシア=マルケス、鼓直・木村榮一 訳5


エレンディラ   LA INCREÍBLE Y TRISTE HISTORIA DE LA CÁNDIDA WRÉNDIRA Y DE SU ABUELA DESALMADA by Gabriel José García Márquez (ちくま文庫)

○著者: ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一
○出版: 筑摩書房 (1988/12,文庫 205ページ)
○価格: 567円
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雨が降りだして三日目、家のなかで殺した蟹の山のような死骸の始末に困って、ペラーショは水びたしの中庭を越え、浜へ捨てに出かけた。昨晩、赤ん坊が夜っぴて高熱に苦しんだが、その悪臭が原因だと思われたからだ。火曜日から陰気な毎日が続いている。空も海も灰色のひと色、三月になれば火の粉のようにきらきら光る砂の海岸までが、腐った貝まじりの泥のスープに成り下がっていた。蟹の死骸を捨て終わってわが家へ引き返そうとしたペラーヨは、何やら中庭の奥で蠢きながら呻いているものがあることに気づいたが、真っ昼間だというのに乏しい光線のせいだろう、容易にその正体が突き止められなかった。間近に寄って初めて分かったが、それはひどく年取った男で、ぬかるみにうつぶせに倒れ、もがけばもがくほど大きな翼が邪魔になって、立ち上がることができずにいた。 (P.8、「大きな翼のある、ひどく年取った男」)



≪目次: ≫
大きな翼のある、ひどく年取った男
 ――Un señor muy viejo con unas alas enormes(鼓直訳)
失われた時の海
 ――El mar del tiempo perdido(木村榮一訳)
この世でいちばん美しい水死人
 ――El ahogado más hermoso del mundo(木村榮一訳)
愛の彼方の変わることなき死
 ――Muerte constante más allá del amor(木村榮一訳)
幽霊船の最後の航海
 ――El último viaje del buque fantasma(鼓直訳)
奇跡の行商人、善人のブラカマン
 ――Blacamán el bueno vendedor de milagros(木村榮一訳)
無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語
 ――La increíble y triste historia de la cándida Eréndira y de su abuela desalmada(鼓直訳)
訳者あとがき/木村榮一


≪著者: ≫ ガブリエル・ガルシア=マルケス Gabriel José García Márquez 1928年、コロンビアのアラカタカに生まれる。新聞記者を経て小説家となる。1982年ノーベル文学賞受賞。主な著書に『百年の孤独』『族長の秋』『予告された殺人の記録』『コレラの時代の愛』などがある。

[訳者] 鼓直 Tudumi tadashi 1930年、韓国の馬山に生まれる。法政大学教授(当時。2000年に退職。名誉教授)。主な訳書に『百年の孤独』『族長の秋』『ブエノスアイレス事件』などがある。 

[訳者] 木村榮一 Kimura Eiichi 1943年、大阪市に生まれる。神戸市外国語大学教授(2005年より学長)。主な訳書に『緑の家』『遊戯の終り』『ボルヘス、オラル』などがある。


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