世界文学を読みほどく −スタンダールからピンチョンまで (新潮選書)
著者: 池澤夏樹
単行本: 445ページ
出版社: 新潮社 (2005/1/15)




池澤夏樹が2003年9月15日〜21日の7日間に全14回、京都大学文学部の夏季特殊講義を行った議事録の書籍化。
読了後の満足感に満たされて、興奮状態が冷めやらぬままに、色々と書き記したいことが取り留めもなく溢れてきて、、、思いつくままに、とりあえず書き記し始めよう。

講義のテーマは、19世紀と20世紀の欧米(世界と言って過言ではない!?)の傑作長篇小説10篇+α(自著作品)についての、まさに「世界文学を読みほどく!」なんだけど、、、何を隠そう、僕が読んだことがあるのは、ガルシア=マルケス「百年の孤独」だけで、それも相当に苦しみながら長い時間を費やして、それでも文字を追うのが精一杯、単に「読んだ」だけ。ドストエフスキー、トルストイ、トウェインくらいは名前を知っていても、スタンダール、メルヴィル、ピンチョンは、まったく存じ上げない無知。学生時代の不勉強を今さら悔んでみたところで、残念ながら(?!)時間を巻き戻すことなど到底できないのだから、「これからじっくりたっぷり挑む愉しみを得た!?」としよう。

最近、営業職として入社した会社の仲間で、つい先日に研修ということで半日同行した30代前半の男性スタッフ(ん〜、仮に「いわやん」にしよう)と、色々話しをする中で読書談義に展開したところで、何といわやんは大学の文学部を卒業していて、さらには卒論が「池澤夏樹」だったことが判明。偶然にしては出来過ぎ(笑)!?
そう、その時にいわやんは自嘲気味に「文学なんて役に立たない」などと言っていたのだが、僕は「へぇ〜、スゴイね! だって、文学って何にだって応用が利く、人間の基本中の基本、根源の部分の学問じゃん!」のようなことを言ったと思うのだが、遅蒔きながらも約一年半前の36歳の夏にして、本の愉しみというのか悦びに目覚めて、それまでは小説というものを「作り物の偽物だ!?」などと詭弁を唱え、読んだことさえなかった僕は、現在では本がなければ生きていけないほどの重度の依存症を自負している。小説を愉しむにも、広範な知識が求められ、果てしなく繰り広げられる無限の世界(?!)に、時に途方に暮れつつも、それでも、読めば読むほどに拡がりを得られる世界(?!)は、「僕が何者であるのか?」とか、「何故に生きるのか?」などという、人間の根源的な問いに対して、決してその答えを簡単に導くことをしないんだけれども、自己の行動や思考、在り方などの規範の形成を助け、何よりも、僕に生きる勇気を与えてくれる。

とどのつまりが、ここ(この著作であり、そのベースとなる講義)で池澤夏樹によって「読みほど」かれる世界文学作品は、既に作家らの手を離れ、世界中で多くの人びとを魅了し愛され続けてきて、多くの評論家(池澤夏樹も含まれよう)の研究対象とされてきて、様々な解説が展開されているもので、だから池澤夏樹もまた、それらの過去の解説をも踏まえた上で、題材とする世界文学を媒介として、「池澤夏樹なりの論説を解く」のであるから、僕は僕なりの解釈(理解)を得る助けとすればいい。池澤夏樹は、どんなに頑張ったところで作者じゃない(自著の解説もしているが)から、あくまでも池澤夏樹の自らに集積された知識や経験がベースとなる。池澤夏樹が、北海道に生れ、実の両親との確執があって、生まれた北海道だって遡れば開拓者として淡路島から移住してきた経緯があって、両親の離婚を経た幼少の頃に母と東京に移り住み、物理学を志した大学を中退し、南太平洋の島々を中心に世界を旅し、時にギリシャに暮らし、沖縄に居を構え、現在のフランス・フォンテーヌブローでの暮らしに至る、ひとつの地に留まることなく巡ることを欲する生き方、その人生観であり、そこから得られた世界観。

それでも、僕がガルシア=マルケス「百年の孤独」を理解できなかった(単なる意地だけで読み切った)ように、傑作といわれる長篇小説を理解し愉しむに至るまでは、それなり以上の知識と経験を必要とされる。だから、いきなり何の準備もないままに挑んだとしても、愉しみを感じるどころか、すぐに苦痛と挫折を味わうのがオチであり、作品に籠められている、地理や歴史や民族や宗教や文化的な背景があって、作者の生い立ちであり置かれている社会的な状況があって、そんなこんな深いところまでの理解が得られなければ、ホントの理解は得られない!
それでも、「ホントの理解って何?」と考えるに、またまた「作者には成り得ない」が顔を出し、「ホントの理解など有り得ない」となるから、であるならば「理解し得る状況は決して訪れることがない」ともなってしまい、とすると「理解し得ないから読まない」の選択と、また一方では「理解し得ないから読む」の選択があって、それは読者(僕)の意思によるものでもあろう。
池澤夏樹も講義に先立ち、学生に対し「できれば読むように」に止めている。
文学を志す文学部の学生だから、世界文学を読み解くことが、学生として求められる勉学なのかもしれないけれども、考えようによっては、無理をして読むことによって苦痛を感じてしまうよりも、講義(読了)によって理解の助けを借り、その結果として興味が抱かれた後に着手する読み方だって、充分に考慮されていい。


≪目次:≫
パルムの僧院(La Chartreuse de Parme,1839)』
 スタンダール(Stendhal,1783.1.23-1842.3.23,フランス)
アンナ・カレーニナ(Анна Каренина,1877)』
 トルストイ(Lev Nikorajevich Tolstoj,1828.9.9-1910.11.20,ロシア) 
カラマーゾフの兄弟(Братья Карамазовы,1880)』
 ドストエフスキー(Фёдор Михайлович Достоевский,1821.11.11-1881.2.9,ロシア)
白鯨(Moby-Dick,1851)』
 メルヴィル(Herman Melville,1819.8.1-1891.9.28,アメリカ)
ユリシーズ(Ulysses,1922)』
 ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce,1882.2.2–1941.1.13,アイルランド)
魔の山(Der Zauberberg,1924)』
 マン(Paul Thomas Mann,1875.6.6-1955.8.12,ドイツ)
アブサロム、アブサロム!(Absalom, Absalom!,1936)』
 フォークナー(William Cuthbert Faulkner,1897.9.25-1962.7.6,アメリカ)
ハックルベリ・フィンの冒険(Adventures of Huckleberry Finn,1885)』
 トウェイン(Mark Twain,1835.11.30-1910.4.21,アメリカ)
百年の孤独(Cien años de soledad,1967)』
 ガルシア=マルケス(Gabriel José García Márquez,1928.3.6- ,コロンビア)
静かな大地(2004)』
 池沢夏樹(1945.7.7- ,日本)
競売ナンバー49の叫び(The Crying of Lot 49,1966)』
 ピンチョン(Thomas Ruggles Pynchon,1937.5.8.- ,アメリカ)