Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

幻冬舎

本「せつない京都 (幻冬舎新書542)」柏井壽5

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せつない京都 (幻冬舎新書)
○著者: 柏井 壽
○定価: 本体800円+税
○ISBN: 978-4344985438








雅で煌びやかな反面、寂しさや侘しさを内包している京都――。平清盛に心変わりされた祇王が出家した「祇王寺」、愛する男と生きるためすべてを捨てた遊女の眠る「常照寺」ほか、千二百年の歴史を持つ都には、悲話の残る小さな寺社が多い。また、朝陽に照らされた東寺五重塔、大覚寺大沢池の水面に映る景色、野宮神社の“黒い”鳥居など、街中で、ふと足を止めて見入ってしまう物悲しい光景にもたびたび出会う。綺麗、楽しい、美味しいだけじゃない、センチメンタルな古都を味わう、上級者のための京都たそがれ案内。


≪目次: ≫
はじめに――「美しさ」はせつない

第一章 せつない神社 せつないお寺
 「宗旦稲荷社(相国寺)」――茶の道を究めた狐のせつない最期
 〈千本釈迦堂〉 おかめ塚――職人の悲しみを擁した“国宝”
 悲恋の「祇王寺」「滝口寺」――嵯峨野に伝わるせつない物語
 「立本寺」の子育て幽霊――母が我が子を思う気持ちは、いつの世も同じ
 「永福寺」の蛸薬師如来――京の街では、繁華街でも、刹那にばったり出会う
 小野小町ゆかりの「欣浄寺」「随心院」「菊野大明神」――せつない恋心を抱いて毎夜歩いた〈百夜通い〉の道をたどる
 悲哀の尼寺、大原「寂光院」――建礼門院徳子、ここに眠る。『平家物語』の悲劇
 「清水寺」と西郷どん――多くの人の悲劇を背負ってそびえる美しい寺社
 都の北西の侘びたせつなさ「光悦寺」「源光庵」「常照寺」――風光明媚な洛北鷹峯に眠る、悲恋の物語
 六の宮の姫君と弁天の同情――洛南 京都駅

第二章 せつない京都百景


あとがきに代えて――平野神社の拝殿 (二〇一九年 冬  柏井 壽)

掲載スポット・掲載店リスト


≪著者: ≫ 柏井 壽 (かしわい ひさし) 1952年京都市生まれ。大阪歯科大学卒業。京都市北区で歯科医院を開業する傍ら、京都の魅力を伝えるエッセイや、日本各地の旅行記などを執筆。『極みの京都』『日本百名宿』(ともに光文社知恵の森文庫)、『おひとり京都の晩ごはん』『グルメぎらい』(ともに光文社新書)、『京都の路地裏』『京都の定番』(ともに幻冬舎新書)、『京都しあわせ食堂』『二十四節気の京都』(ともに京都しあわせ倶楽部/PHP研究所)、『京都人のいつものお昼』(淡交社)ほか、著書多数。自分の足で稼ぐ取材力と、確かな目と舌に定評があり、雑誌でも引っ張りだこに。京都や旅をテーマにしたテレビ番組の監修も多数務める。小説に、人気シリーズ『鴨川食堂』(小学館文庫)の他、『五条路地裏ジャスミン荘の伝言板』(幻冬舎文庫)、『祇園白川 小堀商店 レシピ買います』(新潮文庫)、『海近旅館』(小学館)などがある。



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本「精読 学問のすゝめ (幻冬舎新書552)」橋本治5

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精読 学問のすゝめ (幻冬舎新書)
○著者: 橋本 治
○定価: 本体840円+税
○ISBN: 978-4344985544









「天は人の上に人を造らず」の有名な書き出し。『学問のすゝめ』なのに、なぜこんな一文から始まるのか? 諭吉が挙げた学ぶべき5科目の説明が、あっという間に終わるのはなぜなのか? それより膨大に費やされている話は一体・・・・・・? 明治初期に刊行され、20万部のベストセラー、日本が太平洋戦争で負けた後に再び読まれ、いまも売れ続ける名著の謎をズバリ解く。全十七編のうち、すべての肝は初編にありと見抜いた著者が、その一文一文を噛み砕き、時代背景から文章の飛躍の意味まで懇切丁寧に解きほぐしてしまった型破りな解説本。


≪目次: ≫
はじめに――『学問のすゝめ』が読まれる時

第一回 明治五年の頃
 まだ“江戸気分”の明治に出された『学問のすゝめ』
 出だしにある有名な「天」とはなにか
 お釈迦様の「天上天下唯我独尊」の意味から考える
 キリスト教の「神」と日本の「神」との違い
 「自由と平等」なんて初耳。だから諭吉は・・・
 とにかく、「学問をすればなんでも出来る!」

第二回 学問とはなんだ
 江戸時代までの「学問」と、ここが違う
 それまでのアカデミックの頂点は「漢文」だった
 これからは「実学」だ
 何も知らない「西洋」を学ぶのは大変だ
 これからは「自分の頭で考えろ。それが学問だ」

第三回 虚学と実学
 諭吉は「商売のすゝめ」を書いたわけではない
 「虚」と「実」の違いは、「役に立つかどうか」だけではない
 では、諭吉の言う「実学」とは?
 「独立しろ」とはどういうことか

第四回 福沢諭吉がまず言いたかったこと
 全十七編の“ブログ本”で重要なのはどこか
 すべての肝はやっぱり「初編」
 輸入モノの「自由」を日本人は知っていた?
 自由においても学問においても大切な「分限」とは
 「分限」を定義する三箇条

第五回 自由になったらなにをする?
 わがまま勝手と自由は違うよ、と念を押し・・・
 江戸時代までの「自由」は、「政治」と関係ないところにあった
 「自由」+「独立」で、「自由独立」という一語がカギ
 国民に政治は開かれた。だから政治に目を向けようね
 国民が賢ければ、政府も賢くなると諭吉がしきりに匂わせたわけ

第六回 「啓蒙」ってなんだ?
 本家本元の啓蒙思想は「神との決別」から始まった
 啓蒙思想の広がり方は英・仏・独それぞれ
 輸入した啓蒙思想は行方不明になったけれども
 まっさらな近代日本に必要とされた「啓蒙」とは
 「なにをどうしたらいいのでしょう」という困った問いに、諭吉は答えた
 明治初めはみんな“蒙”。そこから立ち上がるのに必要なのが・・・

第七回 敵がようやく姿を現す
 初めは諭吉も、明るく未来を説いていた
 人民はよき国民になれ、政府にも慈悲心がある。と、まとめるはずが
 新政府と人民の関係が、だんだん怪しくなってきた
 そして諭吉は四編、五編でキレた。誰に?
 理想から離れてゆく現実。諭吉、地団駄を踏む

第八回 もしも世の中がバカだらけなら
 新しい時代の生き方がさっぱり分からなかった日本人を前にして
 大事な話の語り口を、“インテリ”と“民衆” 相手にこう変えた
 超難問! 「政府と国民の新しい関係性」をどう説明したかというと
 明治政府にもいろいろあるけど、「オレは“バカ”が許せない!」
 結論! 「速やかに学問を志し、自分で才徳を高くして・・・」

第九回 私はやらない、君がやれ
 『学問のすゝめ』はノウハウ本じゃないことを、しつこく押さえておく
 幕府の「軍政」から「民政」に移行したときの国民あり方(マナー)とは
 国民の政治参加も、議会開設の必要性も力説しない。なぜなら。
 「こういう社会を君らはなんとかしてね」 諭吉のクールな姿勢に隠されたもの

最終回 現在進行形としての『学問のすゝめ』
 後は各自で読んで下さい。でもその前に
 古典であることを意識して読むということ
 まだ全然「近代」になっていない明治という時代
 政府と人民、その関係性をおさらいする
 そして今、『学問のすゝめ』のあの一文が立ちはだかるということは

収録 福沢諭吉 『学問のすゝめ』 初編 (出典 『学問のすゝめ』 福沢諭吉、岩波文庫)


※この作品は、二〇一六年六月小社より刊行された『福沢諭吉の『学問のすゝめ』』を改題したものです。


≪著者: ≫ 橋本 治 (はしもと おさむ) 東京都生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。小説、評論、戯曲、古典の現代語訳、エッセイ等、多彩に活動。『桃尻娘』(小説現代新人賞佳作)、『宗教なんかこわくない!』(新潮学芸賞)、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『蝶のゆくえ』(柴田錬三郎賞)、『双調 平家物語』(毎日出版文化賞)、『草薙の剣』(野間文芸賞)、『窯変 源氏物語』『巡礼』『リア家の人々』『ぬえの名前』『青空人生相談所』『橋本治のかけこみ人生相談』等、著書・受賞歴多数。2019年1月逝去。


橋本治 『福沢諭吉の『学問のすゝめ』』(幻冬舎、2016年) '16/09/22



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本「橋本治のかけこみ人生相談 (幻冬舎文庫)」橋本治5

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橋本治のかけこみ人生相談 (幻冬舎文庫)
○著者: 橋本 治
○定価: 本体540円+税
○ISBN: 978-4344428133












 「世間の幸せそうな人間は 大体ばかである」 (p.217)



母親に逆らわず育ち、帰省が憂鬱と悩む女性に「『お母さんが嫌いだから私は帰らない!』と電話でぶちまけるべき」と対話法を指南。中卒の学歴を子供に言えないと嘆く父親には「語るべきはあなたの人生、そのリアリティです」と感動の後押し。橋本流の謎解きと意外な処方に、生きる気力がわいてくる。壁にぶつかる人生も、たまには悪くないのかも。


≪目次: ≫
仕事について
 痩せてニキビ面で禿げているので上司に好かれず、安月給です。
 理由もなく会社がつらいのです。なぜなのでしょうか?
 転職5社目。入って半年でまた転職を考えています。
 転職活動中ですが、家族の経済状況が悪化し私の支えが必要に。でも自分のしたいことも諦めたくありません。

親子・兄弟について
 母親に逆らわずに育ちました。年に一度でも実家に帰省するのが憂鬱です。
 母の再婚相手をどうしても受け入れられません。
 43歳無職の弟。職探しをする気配もなく、家族で持て余しています。
 頑固な娘が心配。理詰めで親を責め立て、聞く耳を持ちません。
 脳梗塞で倒れた父。麻痺が残り時々ピントがずれたことを言います。意気消沈する父を元気づけたいのですが。

生き方について
 中卒ですが高卒と偽りながら職を転々。子供に胸を張って学歴を語れず情けない。
 子供3人で共働き。資格も取らずダラダラ太って過ごす自分に嫌気が。
 中学で不登校に。人生が終わってしまいました。
 人の幸せそうな姿が我慢なりません。問題の多い家庭で育ち、すぐ自己憐憫に陥ってしまいます。
 50歳です。熱中できる何かがなかなか見つかりません。
 勉強が嫌いです。両親の言う“いい大学”に行きたいとも思いません。

夫婦・恋人について
 疲れるのです。自負心の強い夫と一緒に暮らすのが。
 酒癖のひどい夫。別れた方がいいでしょうか?
 仕事もでき、明るく正義感のある不倫相手にフラれ、避けられ、辛いです。
 彼氏が大学を3留し中退し就活中。「無理に付き合わなくても良い」と言われましたが、彼を失いたくもなく・・・・・・。

人づきあいについて
 子供の頃から集団生活が苦手で嫌われてきました。
 上司が仕事の失敗をすべて私におしつけ、人前で叱責、罵倒します。
 社内に非常識な人たちがいます。自分よりも年齢や職級が上の人間もいて腹立たしいです。
 隣人親子の迷惑行為に両親が悩まされています。
 知人に10万円貸しました。貸して、と言われたショックで彼女への信頼感が失せた私は偏狭でしょうか?

あとがき


※この作品は、幻冬舎 Plus で 2013年11月〜2017年8月に連載していた「かけこみ人生相談」をまとめた文庫オリジナルです。


≪著者: ≫ 橋本 治 (Hashimoto Osamu) 1948年東京都生まれ。東京大学文学部国文学科卒業。小説、評論、戯曲、古典の現代語訳、エッセイ等、多彩に活動。『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(小林秀雄賞)、『双調平家物語』(毎日出版文化賞)等、著書・受賞歴多数。

  2019年1月29日午後3時9分、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去



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本「ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅 (幻冬舎新書506)」井出明5

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ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅 (幻冬舎新書)
○著者: 井出 明
○定価: 本体820円+税
○ISBN: 978-4344985070











 「闇があるから光がある」
 この言葉は、プロレタリア作家小林多喜二が、愛する田口タキに送った恋文の一節である。・・・ (p.20)



人類の悲劇を巡る「ダークツーリズム」が世界的に人気だ。どんな地域にも災害、病気、差別、公害といった影の側面があるが、日本では、それらの舞台を気軽に観光することへの抵抗感が強い。しかし、本当の悲劇は、歴史そのものが忘れ去られることだ。経済発展の裏で多数の非公認遊郭が存在した小樽、波照間島(はてるまじま)から強制移住させられた人々がマラリアで大量死した西表島(いりおもてじま)、地元企業チッソの廃液で発生した水俣病によって死の海を抱える町という偏見に苦しんだ熊本・水俣など、代表的な日本のダークツーリズムポイントを紹介。未知なる旅を始める一冊。


≪目次: ≫
はじめに

第一章 ダークツーリズムとは何か
 ダークサイドを観る意義/「忘れられる」二度目の死/ダークツーリズムで観る近代/ダークツーリズムの歴史と未来/残された課題

第二章 1泊2日で150年を体感する――小樽
 “観光都市”小樽/富の集中と女性の悲しみ/高次文化都市としての小樽/運輸史から辿る小樽の繁栄/陸軍“特攻艇マルレ”から第二次世界大戦を見る/食を楽しむ/『マッサン』が蘇らせた悲しみの記憶/旅のテクニック

第三章 極北の悲劇を追う――オホーツク
 ソ連の影が色濃く残る、稚内/紋別方面へ/鴻之舞金山と産業遺構/観光依存の危険性/足尾鉱毒と佐呂間/網走監獄とダークツーリズム/罪とは何か/地域と受刑者/左派文化としての世界自然遺産、知床/旅のテクニック

第四章 南の島の疫病と搾取――西表島
 エコツーリズムの聖地、西表島/西表島への上陸/強制移住の記憶を刻む「忘れな石」/宇多良炭鉱跡/船浮そして内離島へ/貨幣経済と「地域通貨」/マラリアと坑夫の恐怖/安東丸の虐待事件/悲しみの記憶をいかに扱うか/旅のテクニック

第五章 水俣病、ハンセン病、そして、炭鉱労働の記憶――熊本
 「植民地」としての九州/“社内の病”としての水俣病/「菊池恵楓園」で学ぶハンセン病/日本最大の労働争議の場「旧三井三池炭鉱」/熊本から考える近代化/旅のテクニック

第六章 若者、女性、そして外国人の悲しみを見る――長野
 ダークツーリズムが扱う時代/戦没画学生の美術館/温泉の影、上山田温泉資料館/松本大本営跡へ/「強制」連行と慰安婦を考える/女工哀史とダークツーリズム/方法論としてのダークツーリズム/旅のテクニック

第七章 足尾銅山と渡良瀬川の爪あと――栃木・群馬
 足尾鉱毒事件と田中正造/ゲートウェイとしての日光と間藤/足尾の“光”/ガイドとともに巡る足尾/中国人・朝鮮人の過酷な労働/わたらせ渓谷鐵道の旅/二日目の変化/田中正造を辿る道/渡良瀬遊水地の「解釈」/「旅人」という無責任な存在/旅のテクニック

第八章 バンダアチェから考える災害復興――インドネシア
 インドネシアの果て/2004年のインド洋津波/日本から来訪者が増えたバンダアチェ/ツナミ・ミュージアムから始まる観光/アチェのツナミツーリズムへ/プーケットとの比較/被災地の内実は多様/旅のテクニック

第九章 日本型レッドツーリズムの可能性――韓国・ベトナム
 レッドツーリズムとは何か/旅を通して観る“サヨク”/虐殺の地、済州島/ソウル西大門刑務所へ/“民主主義の聖地”光州/民主主義が観光資源/ホーチミンに向かう/戦争証跡博物館における帝国主義の展示/旅のテクニック

第一〇章 ダークツーリズムのこれから
 東日本大震災とダークツーリズム/悪化する被災地の知的基盤と“風化”/“復興ツーリズム”との関係/防災教育と死生観/学術界の動向/これからのダークツーリズム

おわりに
参考文献・資料
初出一覧



≪著者: ≫ 井出 明 (いで あきら) 観光学者。金沢大学国際基幹教育院准教授。近畿大学助教授、首都大学東京准教授、追手門学院大学教授などを経て現職。1968年長野県生まれ。京都大学経済学部卒、同大学院法学研究科修士課程修了、同大学院情報学研究科博士後期課程指導認定退学。博士(情報学)。社会情報学とダークツーリズムの手法を用いて、東日本大震災後の観光の現状と復興に関する研究を行う。共著に『観光とまちづくり――地域を活かす新しい視点』(古今書院)がある。



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本「生きる哲学としてのセックス (幻冬舎新書511)」代々木忠5

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目合(まぐわい



御年80にして現役のAV監督、代々木忠。彼は半世紀以上にわたり「女が本当にイク姿」にこだわりカメラを回してきた。その出演者には、26歳にして男性体験1008人の女性、衆前で犯されたい元総理大臣の姪など「イケない」悩みをもつ女性が多数いた。異世界の話のようだが、彼女達が抱える闇は現代を生きる我々全員に無縁ではない。不倫もセクハラも、真のオーガズムを知れば無くなるのだ。日本人よ、もっとセックスをせよ。熟年世代の精力増強に効く「性器呼吸」も紹介。性に悩む全ての男女へ捧ぐ革命的一冊。


≪目次: ≫
はじめに (二〇一八年六月 代々木忠)

第一章 セックスも人生も、がんじがらめの時代
 「不倫」を暴くマスコミの思惑/どうしても不倫をやめられない主婦/セックスの悦びは「見つめ合う」から始まる/「淫乱の窓」を開けなさい/自分の欲を認めよう/オーガズムには人を変える力がある/セックスも「経済原理」に飼われている/過剰な知識がセックスをつまらなくする/知識を持たない体験は想像を超える/「監督、女をわかってないわね」/撮りたいのは本当に「イク」姿/セックスを殺す現代のAV

第二章 快を求め、快楽の奴隷になる人々
 女性が「M」になる背景/『ザ・面接』で出会った「隠れM女」/「レイプごっこ」「SMごっこ」の落とし穴/「公衆便所」扱いに快感を覚えるわけ/「ブラックホール奥さん」のセックス/「相手の体を使ったオナニー」をしていないか?/「セックスの形」からわかること/「体験人数が百人超」の平成女子たち/射精の回数まで記録している女性/快を求めると限界が来る

第三章 思考を捨てて、淫乱になれ
 片足しか突っ込まない「思考系」セックス/「猥褻感」でセックスする女性たち/「パパ活」で月に百万以上稼ぐ二十六歳/セックスで「強い女」になってはいけない/「エロくなる」より「甘える」/オーガズムには三つのレベルがある/「イク」にこだわらなくていい/「イク」はご褒美と考えよう/「取り返しのつかない言葉」の効用/「恥ずかしい」は最高のお宝/自分を解放するための「幼児プレイ」「コスプレ」/「潮吹き」=オーガズムではない/「膣トレ」に意味はない/「夫婦はセックスだけじゃない」の嘘/「恥ずかしい」を超えてつながり合う

第四章 心の傷がもたらす、暴力的なセックスの深い闇
 「超お嬢様」のメチャクチャにされたい願望/「夫の目が見られない」のは誰のせい?/セックスの悦びを妨げる「父の性的虐待」/SM願望を生み出す幼児期の虐待/SMは「つながり」でなく「自己陶酔」/なぜ繰り返しレイプに遭うのか?/「催淫CD」で本性を見せた女教師/三回の失神でつらい過去を乗り越えた主婦/自分の傷は自分でしか癒せない

第五章 性をきわめて、本能を成熟させよ
 別々の部屋にいるのに「感じ始めた」女の子たち/セックスの現場で起きた霊の憑依現象/よくないものに影響される人、されない人/グルジェフから学んだ「本能・感情・思考」/意識のレベルを上げれば悦びのレベルも上がる/オーガズムで「スピリチュアル体験」をした女性たち/本能が成熟していない親たち/AVに出て絆を深めた夫婦/心でつながればセックスを「卒業」する

第六章 心身を整えて、セックスを楽しむ
 セックスに効く「呼吸」と「瞑想」/エネルギーを補うための「短息」/呼吸で心の傷を癒す/男も女も「膣呼吸」をしてみよう/熟年男性にオススメしたいセックス/体力を使わず快感を高める方法/体を動かして「爬虫類脳」を鍛えよう/「ヤバいことをやってみなはれ!」竹村健一さんの教え/本能で生きる「肉食」な友人たち/「女房じゃないと勃たない」 Kの生き方/僕が惚れたAV男優たち

第七章 「人間らしい性」を取り戻すために
 民俗学者から学んだ「夜這い」の魅力/「村掟」「村定」のもとで謳歌された人間らしい性/ジャーナリスト・黒田清さんの「遊郭体験」/若者を育てるのは「熟年とのセックス」だ/一夫一婦制にこだわらない/女たちに支えられてきた僕の半生/セックスも人生も「飼われる」のはやめよう


≪著者: ≫ 代々木 忠 (よよぎ ただし) 1938年、福岡県生まれ。華道家から極道を経て、ピンク映画の助監督となる。日活ロマンポルノで活躍。80年代に入るとアテナ映像を設立し、AV監督として『ザ・オナニー』『性感極秘テクニック』シリーズなどでその名を轟かす。これまでの監督作は500タイトルを超える。愛称は「ヨヨチュー」。著書に『プラトニック・アニマル』『オープン・ハート』(ともに幻冬舎アウトロー文庫)などがある。ブログ「週刊代々木忠」 http://blog.livedoor.jp/yoyochu/



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本「福沢諭吉の『学問のすゝめ』」橋本治5

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福沢諭吉の『学問のすゝめ』
○著者: 橋本 治
○定価: 本体1,200円+税
○ISBN: 978-4344029569







君も賢くなれる、と諭吉は言った――。で結局、何を学ぶのか?
いまだにベストセラー!!(当時20万部、岩波文庫71万部)
感動!興奮!泣ける!! 橋本治の熱血講義

全十七編のうち「初編」(冒頭たった10ページ)だけ読めばいい。

超有名なのに、みんな実は内容をよく知らない、『学問のすゝめ』の魅力とは――

自由とは? 平等とは? 明治政府って何やるの? 天皇ってどんな人? 藩と国はどう違う・・・・・・? まだ庶民が江戸脳だった明治五年に出版され、当時二〇万部の大ベストセラーとなった『学問のすゝめ』。列強侵略の脅威を一旦は免れたものの、その真の恐ろしさや近代化のなんたるかが全然わかっていない日本人に、諭吉は何を学べと言い、彼らを熱狂させたのか? 当時の時代背景や、ことばの意味、諭吉の思考回路もおりこんだ新感覚の解説本。そしてなぜ現代人も、時代の節目節目に、この本を繰り返し読んでしまうのか、その理由も明らかに! 蒙(バカ)が大嫌いな福沢諭吉の、蒙(バカ)への愛まで伝わってくる、感動の講義録。


≪目次: ≫
はじめに――『学問のすゝめ』が読まれる時

第一回 明治五年の頃
 (一) まだ“江戸気分”の明治に出された『学問のすゝめ』
 (二) 出だしにある有名な「天」とはなにか
 (三) お釈迦様の「天上天下唯我独尊」の意味から考える
 (四) キリスト教の「神」と日本の「神」との違い
 (五) 「自由と平等」なんて初耳。だから諭吉は・・・
 (六) とにかく、「学問をすればなんでも出来る!」

第二回 学問とはなんだ
 (一) 江戸時代までの「学問」と、ここが違う
 (二) それまでのアカデミックの頂点は「漢文」だった
 (三) これからは「実学」だ
 (四) 何も知らない「西洋」を学ぶのは大変だ
 (五) これからは「自分の頭で考えろ。それが学問だ」

第三回 虚学と実学
 (一) 諭吉は「商売のすゝめ」を書いたわけではない
 (二) 「虚」と「実」の違いは、「役に立つかどうか」だけではない
 (三) では、諭吉の言う「実学」とは?
 (四) 「独立しろ」とはどういうことか

第四回 福沢諭吉がまず言いたかったこと
 (一) 全十七編の“ブログ本”で重要なのはどこか
 (二) すべての肝はやっぱり「初編」
 (三) 輸入モノの「自由」を日本人は知っていた?
 (四) 自由においても学問においても大切な「分限」とは
 (五) 「分限」を定義する三箇条

第五回 自由になったらなにをする?
 (一) わがまま勝手と自由は違うよ、と念を押し・・・
 (二) 江戸時代までの「自由」は、「政治」と関係ないところにあった
 (三) 「自由」+「独立」で、「自由独立」という一語がカギ
 (四) 国民に政治は開かれた。だから政治に目を向けようね
 (五) 国民が賢ければ、政府も賢くなると諭吉がしきりに匂わせたわけ

第六回 「啓蒙」ってなんだ?
 (一) 本家本元の啓蒙思想は「神との決別」から始まった
 (二) 啓蒙思想の広がり方は英・仏・独それぞれ
 (三) 輸入した啓蒙思想は行方不明になったけれども
 (四) まっさらな近代日本に必要とされた「啓蒙」とは
 (五) 「なにをどうしたらいいのでしょう」という困った問いに、諭吉は答えた
 (六) 明治初めはみんな“蒙”。そこから立ち上がるのに必要なのが・・・

第七回 敵がようやく姿を現す
 (一) 初めは諭吉も、明るく未来を説いていた
 (二) 人民はよき国民になれ、政府にも慈悲心がある。と、まとめるはずが
 (三) 新政府と人民の関係が、だんだん怪しくなってきた
 (四) そして諭吉は四編、五編でキレた。誰に?
 (五) 理想から離れてゆく現実。諭吉、地団駄を踏む

第八回 もしも世の中がバカだらけなら
 (一) 新しい時代の生き方がさっぱり分からなかった日本人を前にして
 (二) 大事な話の語り口を、“インテリ”と“民衆” 相手にこう変えた
 (三) 超難問! 「政府と国民の新しい関係性」をどう説明したかというと
 (四) 明治政府にもいろいろあるけど、「オレは“バカ”が許せない!」
 (五) 結論! 「速やかに学問を志し、自分で才徳を高くして・・・」

第九回 私はやらない、君がやれ
 (一) 『学問のすゝめ』はノウハウ本じゃないことを、しつこく押さえておく
 (二) 幕府の「軍政」から「民政」に移行したときの国民あり方(マナー)とは
 (三) 国民の政治参加も、議会開設の必要性も力説しない。なぜなら。
 (四) 「こういう社会を君らはなんとかしてね」 諭吉のクールな姿勢に隠されたもの

最終回 現在進行形としての『学問のすゝめ』
 (一) 後は各自で読んで下さい。でもその前に
 (二) 古典であることを意識して読むということ
 (三) まだ全然「近代」になっていない明治という時代
 (四) 政府と人民、その関係性をおさらいする
 (五) そして今、『学問のすゝめ』のあの一文が立ちはだかるということは

収録 福沢諭吉 『学問のすゝめ』 初編 (出典 『学問のすゝめ』 福沢諭吉、岩波文庫)


≪著者: ≫ 橋本治 (はしもと・おさむ) 1948年東京生まれ。小説、評論、古典の現代語訳、エッセイ、芝居の演出など、旺盛な創作活動を展開。近著は『いつまでも若いと思うなよ』(新潮新書)、『性のタブーのない日本』(集英社新書)、『初夏の色』(新潮社)、『失われた近代を求めて 全3巻』(朝日新聞出版)、『古典を読んでみましょう』(ちくまプリマー新書)など。





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本「辺境生物はすごい! 人生で大切なことは、すべて彼らから教わった (幻冬舎新書385)」長沼毅5

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「それはしょうがないね、今いるところで頑張りなさい」  (p50)


極地、深海、砂漠などの辺境は、人類から見ると「特殊で過酷な場所」だが、地球全体でいえばそちらのほうが圧倒的に広範で、そこに棲む生物は長寿で強い。「一見生きにくそうな世界も、そこに棲む者にとっては都」「“弱肉強食”は、生物の個体数が多い地域の特別なルールでしかない」など、辺境生物を知ると、我々の常識は覆され、人間社会や生命について考えることがどんどん面白くなる。辺境生物学者である著者の科学的冒険を辿りながら、かたい頭をやわらかくする科学エッセイ。


≪目次: ≫
はじめに――生命の限界を知ることで、生命の可能性が見える (2015年7月 辺境生物学者 長沼 毅)

第一章 「辺境」の超スローライフに学べること
 北極から帰国した翌日に富士山登頂
 南極、北極、赤道直下の氷河――海を隔てて、同じ遺伝子を持つ生命が存在する
 「極限環境」と「辺境」は同じだけどちょっと違う
 謎の深海生物・チューブワーム
 海底火山の発見が、科学に大きな意識変革をもたらした
 地球全体で見れば、「辺境」のほうが圧倒的に広い
 弱肉強食ばかりが自然界の掟ではない
 実は、スローライフこそが生物界の主流?
 勝ちも負けもなく「ニッチ」で生き延びるのが、辺境生物のライフスタイル
 「地球外生命」は、究極の辺境生物

第二章 どんな生物も「世界」にはかなわない――進化も仕事も「外圧」で決まる
 入る学部を間違えたので、生物学者になった
 細部にこだわることの大切さを知る
 「キリンの首は、高所の葉を食べるために進化して長くなった」というのは間違い
 生物の進化には、目的も方向性もない
 キリンの祖先は、首が長いことを「しょうがない」と受け入れて、「今いるところで頑張った」
 人生の転機が訪れるとき、いつも私は「外からの力」に身をゆだねてきた
 望んだわけではないが、契約研究員も単身赴任制度も「第一号」
 「外圧」を利用して、うまく立ち回ることもできる
 そもそも「世界」にはかなわない
 海底火山調査に忘れ物をして冷や汗・・・・・・、そんなときも無駄にしない
 南極、北極、そしてサハラ砂漠の共通点は「塩」!?
 風向きや星のめぐり合わせ次第では、ミスも「進化」のきっかけになる

第三章 生物にも人生にも「勝ちモデル」はない
 40代前半は人生のターニングポイント
 人生に「負けモデル」はあっても「勝ちモデル」はない
 生存競争に勝つために必要な“ナルホド納得”のこと
 私たち人類は、進化における「ベスト・オブ・ベスト」の結果ではない
 辺境生物は「足るを知る」生き方をしている
 なぜ、好きな仕事で苦しまなければいけないのか?
 立派な人生を送りたいなら、「誰かに勝つ」より、「ちゃんと生きる」こと
 自分のミスを頑なに認めないのは、いいことナシ
 生物の進化は、遺伝子のミスコピーから始まる
 「If I were you」で相手のミスを許す

第四章 サイズとノイズ――生物に学ぶ組織論
 生物はどこまで小さくなれのか
 0.2〜0.1マイクロメートルが生物と非生物の「境界線」?
 「小さすぎる」ことは、生物にどんな不都合となるのか
 ノイズに強い生物、弱い生物
 人間社会においても、サイズとノイズのバランスが大切
 どんな大きさの生物も、その細胞の大きさがほぼ同じなのはなぜか考える
 われわれの知る細胞の大きさは、地球上の生命体が強く生きるのに適したサイズ
 新種の微生物を見ればわかる、人間社会のシビアな現実
 多様性を許容しない人間集団の未来は暗い

第五章 生物界の正解は、「個性尊重より、模倣と反復」
 「個性重視の教育」が、社会の多様化を阻害する?
 先人に学ぶことなく自分勝手に勉強・練習して上達するわけがない
 「自分で考える」より、先人たちの知恵を学べ。「知恵」とは「失敗の歴史」だ
 「個性」を勘違いするな。放っておいても出てくるのが個性だ
 「私はこう思います」と言う人は「考えて」いない
 脳の深層から浮上してくる「思いつき」を確実につかむために
 自然科学は、批判し合うことで進歩した
 「自分」にこだわっていたら、新しいフロンティアには乗り出せない

第六章 男社会は戦争社会――人類はどう生き延びるのか
 口も肛門もない生命体がどうやって生きているのか
 バクテリアの生態から知る、「共生」という生き方
 生命現象の本質は卵子にある――卵子こそが主役
 チョウチンアンコウの「小さなオス」の哀しい運命
 戦争中心社会では「オス」が優位になるのはなぜか
 「無益な同胞殺し」をするチンパンジーやイルカ
 ネアンデルタール人は寒さに強かった?
 ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の明らかな差は「言語能力」
 「カインとアベル」の物語に潜む太古の記憶
 ペンギンはなぜ低体温症にならないのか
 人類の知能は「目的のある進化」を可能にした
 ヒトの脳が誕生後も成長するのは、ウイルスの仕業!
 生きているあいだに、遺伝子は変化する?
 ゲノムは生命の「楽譜」であり、これを「演奏」するのは、自分だ
 人類は「愛情遺伝子」を持っている
 世界の平和をコントロールできる「協調性遺伝子」を増やすには

終章 「動物」として生きるということ
 人間にあって、そのほかの動物にはない「自意識」の影響力
 自分の「動物的勘」に頼るなら、「頭」ではなく「腹」で判断する
 「人間性」も「個性」も、客観的なパラメータで説明される時代が来る!
 「世界」の一部として生きる幸福を知る


≪著者: ≫ 長沼 毅 (ながぬま・たけし) 1961年、人類初の宇宙飛行の日に生まれる。深海生物学、微生物生態学、系統地理学を専門とし、極地、深海、砂漠、地底など、世界中の極限環境にいる生物を探索する。筑波大学大学院生物科学研究科博士課程修了、海洋科学技術センター(JAMSTEC、現・海洋研究開発機構)研究員、カリフォルニア大学サンタバーバラ校海洋科学研究所客員研究員などを経て、広島大学大学院生物圏科学研究科准教授(を経て、広島大学教授)。『死なないやつら 極限から考える「生命とは何か」』(講談社ブルーバックス)、『長沼毅の世界は理科でできている』(全六巻 ほるぷ出版)、『地球外生命 われわれは孤独か』(共著・岩波新書)、ほか著書多数。


長沼毅/井田茂 『地球外生命 われわれは孤独か』(岩波新書、2014年) '14/04/09
長沼毅 『世界をやりなおしても生命は生まれるか? 生命の本質にせまるメタ生物学講義』(朝日出版社、2011年) '12/02/22
長沼毅 『形態の生命誌 なぜ生物にカタチがあるのか』(新潮選書、2011年) '11/08/31
長沼毅 『生命の星・エウロパ』(NHKブックス、日本放送出版教会、2004年) '11/05/14
長沼毅/藤崎慎吾 『辺境生物探訪記 生命の本質を求めて』(光文社新書、2010年) '11/03/16
長沼毅 『生命の起源を宇宙に求めて パンスペルミアの方舟』(DOJIN選書、化学同人、2010年) '10/12/27



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本「他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑 (幻冬舎新書389)」岩波明5

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マスコミやネット住民はバッシングが大好物。失言やトラブルによって「悪人」となった対象を見つけては非難するが、最近ここに一般の人も追随し、まるで国民総出のいじめの様相に。このとき、非難する側は必ず「正義」を振りかざすが、実は他人を傷つけて楽しむ心理も混在する。もともと、似た価値観を共有する日本人は、差異に対して敏感で嫉妬を抱きやすく、異物を排除する傾向が強い。さらに、適度に豊かな現代には空虚さが蔓延し、若者は悲観的で自信がない。現代人の心の歪みを、精神科医である著者が斬る!


≪目次: ≫
第一章 世界が小さくなり、ぼくらは過激になっている
 SNSが僕らにもたらした成果
 正義派を装った“傷つけたい人々”だらけの日本
 2004年イラク日本人人質事件のとき、3人の人質は異常なバッシングを受けた
 護られるべき人質は、政府の意図によりバッシングされ、マスコミの餌食となった
 無関係な人たちが当然のようにバッシングする違和感
 本質的に、私たちは人の不幸や残酷さを見たいのだ
 バッシングは、人の命を奪うことさえある凶器だ
 バッシングが原因で自殺したとき、悪いのはだれか?

第二章 スキャンダルをショーとして楽しむ国民とマスコミの卑俗
 アーティストが、歌詞までバッシングされるって、どうなんだ?
 政治家たちの不祥事も、国民のためのショーになり下っている
 「騒動が収まるのを待てばいい」という、日本の行政の基本姿勢が問題
 かつて小泉政権はメディアを利用し、恣意的にスキャンダルを起こした!?
 スキャンダルとバッシングで命を絶った政治家たち

第三章 はたして、マスコミと一般大衆はすべてを裁ける「神」なのか?
 マスコミの人気者がスキャンダルで凋落するのは、一般人の楽しみ!? 息子の不祥事で転落した“テレビの王様”
 バッシングの「加熱しすぎ」に感じる不自然さ
 メディアが暴走した理由
 攻撃する人に共通な傾向――他人を糾弾するとき、自分は完全無欠な「神」だと錯覚
 江尻エリカ「別に」騒動から見える、マスコミの不寛容さ
 芸能人のトラブルを、マスコミとお茶の間は常に待ち望んでいる
 ラジオの失言で、活動自粛、自宅謹慎。――これは妥当な罰?
 20代の4割弱が、「“悪意ある投稿”をしたことがある」
 インターネットの「炎上」は必然か

第四章 だれでも、突然「クレーマー」になる可能性を持つ
 アーティストのふとした失言が、全国ニュースになるという異常さ
 現代日本に流れる「空虚さ」が、原因?
 いつ頃から、「クレーマー」という存在が認識されるようになったか
 クレームは正当な要求だった――30代男性社員の場合
 突然モンスター化した――40代女性医師の場合
 バッシングの対象が、有名人から一般の人たちへと変わってきた
 身近なところでも、たびたび起こる。私の勤める病院でも・・・・・・
 「コンプライアンス」の存在が、日本人のバッシング気質に火をつけた

第五章 日本的な「嫉妬」が引き起こすもの
 相手が身近であるほど、嫉妬は生まれる
 日本人は嫉妬心を持ちやすい
 かつて東大の中に「精神科病棟」がなかった理由
 「カースト」も、「マウンティング」も、日本人の「嫉妬しやすさ」が原因
 手放しの絶賛が、コロッと批判に転じるとき
 日本人の本質的な「不寛容さ」が顕著に出た、だれもが知るあの事件
 朝青龍がバッシングされた、本当の理由

第六章 「規範」がないゆえに、他人に不寛容になる?――日本人の本質についての考察
 自分の時間を削ってまで他人を非難する人たちのモチベーションはどこにある?
 伝統的な「絆」を捨てた結果、「現代の日本」となり、「不寛容」が生まれた
 日本と欧米の顕著な差は、「宗教」が社会の規範になっているか否か
 ヒットソングにも表れている、絶対的な「神」の存在
 日本の歌謡曲や文学に「神様」という言葉が登場するとき
 日本とはまったく違う、欧米の文学における「神様」
 「イスラム国ごっこ」に見る、日本人の日宗教性
 企業のコンプライアンスの名のもと、個人情報はダダ漏れ
 アウトローを受け入れず、再出発にも厳しいのが、日本の社会だ

第七章 日本人は世界的に見て、「孤独で、悲観的で、自己評価が低い」
 「嫌われ松子」に見る、日本社会
 「日本人特有の病」があってしかるべき
 世界的に見ると、日本の子供は、孤独感が強く、自信がない
 データにはっきり出ている! 日本の若者は悲観的

第八章 長きにわたりバッシングの苦しみの中にある雅子妃殿下
 日本の先進性がもたらしたもの
 雅子妃に、なぜ女性たちは興味を持つのか
 雅子妃はなぜこんなにも責められ続けたのか?
 雅子妃の病名と、真実
 頑張るほど、バッシングされる悲しい環境
 雅子妃殿下の症状を正しく理解し、周囲が守るべきだ

おわりに――「不自由さ」が、日本人の不寛容を造ってきた (二〇一五年八月  岩波 明)


≪著者: ≫ 岩波 明 (いわなみ あきら) 1959年、神奈川県生まれ。昭和大学医学部精神医学講座教授。85年、東京大学医学部卒。東大病院精神科、東京都立松沢病院、埼玉医大精神科などを経て2012年より現職。15年より、昭和大学附属烏山病院長を併任。精神疾患の認知機能、司法精神医療、発達障害の臨床研究などを主な研究分野とする。著書に、『狂気という隣人』(新潮文庫)、『心の病が職場を潰す』(新潮新書)、『発達障害と生きる』(講談社)、『文豪はみんな、うつ』(幻冬舎新書)、『名作の中の病』(新潮社)、『大人のADHD』(ちくま新書)など。監訳書に『内因性精神病の分類』(共監訳、医学書院)、『精神分裂病の神経心理学』(共監訳 、星和書店)などがある。

岩波明 『大人のADHD もっとも身近な発達障害』(ちくま新書、2015年) '16/01/27


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本「来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題 (幻冬舎新書315)」國分功一郎5

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二〇一三年五月、東京都初の住民直接請求による住民投票が、小平市で行われた。結果は投票率が五〇%に達しなかったため不成立。半世紀も前に作られた道路計画を見直してほしいという住民の声が、行政に届かない。こんな社会がなぜ「民主主義」と呼ばれるのか? そこには、近代政治哲学の単純にして重大な欠陥がひそんでいた――。「この問題に応えられなければ、自分がやっている学問は嘘だ」と住民運動に飛び込んだ哲学者が、実践と深い思索をとおして描き出す、新しい社会の構想。


≪目次: ≫
はじめに
議会制民主主義の単純な欠陥/立法府がすべてを決めるという建前/行政に全く関われないという現実/行政権にオフィシャルに関われる制度とは/哲学に携わる者としての責任

第一章 小平市都道328号線問題と住民投票
住民が行き交い憩う大きな雑木林/説明会での頭を殴られたような体験/なぜこれを民主主義と言い張れるのか/半世紀前に作られた道路計画/必死に模索された道路建設の理由/「私たちは年をとりました」/活動の始まり、聳える巨大な壁/ついに住民投票請求を決断/規定数をはるかに超える署名/東京都初、住民直接請求による住民投票条例案可決/驚くべき後出しジャンケン/投票率35.17%で不成立/50パーセント成立要件のどこが問題か/すべてを見越しての事業認可申請

第二章 住民参加の可能性と課題
住民参加に対する行政の強烈な拒絶反応/反対を突きつけない住民運動/行政が頑なになるしかない理由/住民側にもある市民運動アレルギー/問題の解決だけを目指す運動/「自民党の人たちとだってつきあう」/「ツールとしての政治家」/肯定的ヴィジョンがないと長続きしない/徹底的に勉強して「理論武装」/マスコミとうまくつきあって世論を作る/「アタマだけでなく、カラダが感じて動き出す運動」/インターネットの威力は絶大/みんな、民主主義に飢えている/なぜ「参加型民主主義」が定着しないのか/飢えと我慢が表裏一体/失望への不安は乗り越えられる/正確に伝わり心を動かす言葉とは/スタイリッシュなポスターを作った理由/皆で政治を語り合うという意識

第三章 主権と立法権の問題――小平市都道328号線問題から近代政治哲学へ
住民どころか、議会も存在しない道路計画/政治を突き詰めれば「敵か友か」/「多数性こそが政治の条件」/多と一を結びつける困難な営み/「権威」による支配の弱体化/統治を正統化する概念としての「主権」/「法」による支配という決定的選択/ホッブズの社会契約論における「主権」/主権を立法権として純化したルソー/議会制民主主義の課題とされたこと/実際の問題は何だったのか/行政が全部決めるのに民主主義と呼ばれる社会/主権という理想の不可能な課題/身体は頭脳の言うことをきかない

第四章 民主主義と制度――いくつかの提案
根本から変えることの問題点/「制度が多いほど、人は自由になる」/なぜ議会の改善ばかりに目を向けるのか/強化パーツを足していくという発想/住民の直接請求による住民投票/驚くほど高いハードル/どれだけ多くの署名を集めても議会が否決/ポイントは投票の実施が必至か否か/我孫子市のすぐれた制度設計/外国人や子どもにも投票資格を/議会制民主主義の名の下の反民主主義/住民投票制度についての四つの提案/審議会のメンバー選びをルール化する/対話や議論は自然には生まれない/住民参加ワークショップにおけるファシリテーターの役割/「愛嬌のある体型の人が有利」/「これは自分のアイディアだ」と思えるプロジェクト/わざとらしさを避けないこと/ワークショップについての提案/パブリック・コメントの有効活用/それぞれの争点にあった制度を/お墨付きを与えるという重要な機能/細心の注意を要する政治上の決定

第五章 来るべき民主主義――ジャック・デリダの言葉
「民主的でない」ことと「民主主義がない」こと/「実感」から離れてはいけない/民主主義は実現されてしまってはならない/民主主義は目指されなければならない/住民投票とデリダの思想

付録1 府中街道および六市の交通量について
付録2 住民の直接請求による住民投票条例年表

あとがき (二〇一三年八月 國分功一郎)



≪著者: ≫ 國分功一郎 (こくぶん こういちろう) 1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学経済学部准教授。専攻は哲学。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『哲学の自然』(太田出版、中沢新一氏との共著)、訳書に、『マルクスと息子たち』(デリダ、岩波書店)、『カントの批判哲学』(ドゥルーズ、ちくま学芸文庫)、『ニーチェ』(オンフレ、ル・ロワ、ちくま学芸文庫)、共訳書に『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(デリダ、岩波書店)、『フーコー・コレクション 4』(フーコー、ちくま学芸文庫)、『アンチ・オイディプス草稿』(ガタリ、みすず書房)がある。

中沢新一/國分功一郎 『哲学の自然』(atプラス叢書、太田出版、2013年) '13/11/24
國分功一郎 『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、2011年) '13/11/19
ジャック・デリダ 『マルクスと息子たち  Marx & Sons, 2002 』(國分功一郎 訳、岩波書店 (2004年) '09/09/22
ジル・ドゥルーズ 『カントの批判哲学  La philosophie critique de Kant, 1963 』(國分功一郎 訳、ちくま学芸文庫、2008年) '09/08/11



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本「ヒトはどうして死ぬのか 死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書180)」田沼靖一5

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ヒトはどうして死ぬのか―死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書)
ヒトはどうして死ぬのか 死の遺伝子の謎 (幻冬舎新書180)

○著者: 田沼靖一
○出版: 幻冬舎 (2010/7, 新書 173ページ)
○価格: 756円
○ISBN: 978-4344981812
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そう、ヒトはいずれいつのときかかならず死ぬ、死ぬことを避けられない、死から逃れることは不可能で、その寿命は最長でも120年くらいのものだろう。生きてるものは、生命があるものは、ぼくは、いつかかならず死ぬんだろうなぁ、などとボンヤリ考えていたんだけれども、どうやら、比較的さいきん知った気づいたこととして、いまさらながら、ふと本を読んでて、えっ、あぁ、なるほどそうかぁ、そう言われてみればそうなんだろうなぁ、、、フツーに生物は死なない、劇的な環境の変化でも生じない限りにおいて(耐えられる限り)生きて在りつづける、死ぬことをプログラムされて(ヒトのように絶対的にプログラムされて)いない、フシギ。たとえば、切り株とかって、木が樹木が切り倒されて、地表の上空に向かって伸びる幹や枝葉が伐採されて除去されて消去して、切り株や根っこまですべて除去されてしまったのならばともかくとして、切り株が残されて、モチロン根っこは残されている、残された切り株であり根っこは、樹木としての「死」を意味するのかどうなのか、すこし前までぼくは、切り株だけの樹木は、なんとはなしに、死んでいる、生きていない、と漠然と思っていた節があるんだけど、はたして死んでいるのか生きているのかと考えるには、いまのぼくには、さいきんのぼくは、死んではいない、生きているのかどうかは分からないけれども、あきらかに死んでいる状態ではないんじゃぁないか、とか


地球上に生命が誕生してから約20億年間、生物は死ななかった。ひたすら分裂し、増殖していたからだ。ではなぜ、いつから進化した生物は死ぬようになったのか? ヒトは誕生時から「死の遺伝子」を内包しているため、死から逃れることはできない。「死の遺伝子」とはいったい何なのか? 死の遺伝子の解明は、ガンアルツハイマー病AIDSなどの治療薬開発につながるのか? 細胞の死と医薬品開発の最新科学をわかりやすく解説しながら、新しい死生観を問いかける画期的な書。


≪目次: ≫
まえがき 私がなぜ「死」の謎を追うのか
第1章 ある病理学者の発見    顕微鏡の向こうに見えた「細胞の自殺」/「ネクローシス」と「アポトーシス」の違い/「死を研究して、何の役に立つ?」/そもそも「遺伝子」とは何か/死を制御する遺伝子の発見
第2章 「死」から見る生物学    生物を形づくるアポトーシスの役割/人体の細胞は一日にステーキ一枚分も死んでいる/「多めにつくって消去する」戦略/ホルモンの分泌とアポトーシス/アポトーシスによる異常細胞の除去/アポトーシスには「制御」と「防御」の役割がある/プログラムされたもう一つの細胞死/アポトーシスは「回数券」、アポビオーシスは「定期券」/細胞死と個体の寿命の関係
第3章 「死の科学」との出合い    DNAの「複製」と「修復」/「なぜ細胞は死ぬのか?」/文献を調べてたどり着いた「アポトーシス」/免疫学の研究で「死」が注目された理由/マイナーだったアポトーシス研究の台頭
第4章 アポトーシス研究を活かして、難病に挑む    アポトーシスと病気の関係/死を忘れた細胞――ガン/ガン治療の4つのアプローチ/ガン細胞のアポトーシスを呼び戻す新薬開発の可能性/ガン幹細胞説という新たな難問/死に急ぐ神経細胞――アルツハイマー病/神経細胞の死を抑制する医薬品開発の試み/死をもたらす感染免疫細胞――AIDS/AIDS治療薬開発の2つのアプローチ/ストレスで死ぬ膵臓細胞――糖尿病
第5章 ゲノム創薬最前線    これまでの医薬品開発の課題/医薬品開発の方向性を逆転させるゲノム創薬/同じガンでも原因遺伝子が同じとは限らない/コンピュータによる医薬品設計/ゲノム創薬が海外に遅れをとっている理由
第6章 「死の科学」が教えてくれること    「細胞の死」はいつ生まれたか/「性」とともに「死」が現れた理由/「個体の死」はなぜ必要か/「性」と「死」の関係/利他的な遺伝子による自己性/「クローン人間」や「不老不死」を実現させたら?/「死の科学」から見えてくる「死と生の意味」
あとがき (2010年6月 甲府にて 田沼靖一)
参考文献


≪著者: ≫ 田沼靖一 (たぬま せいいいち) 1952年山梨県生まれ。東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。米国国立衛生研究所(NIH)研究員等を経て、東京理科大学薬学部教授。専門は生化学・分子生物学。同大ゲノム創薬研究センター長。細胞の生と死を決定する分子メカニズムをアポトーシスの視点から研究している。著書に『ヒトはどうして老いるのか――老化・寿命の科学』(ちくま新書)、『アポトーシスとは何か――死からはじまる生の科学』(講談社現代新書)、『爆笑問題のニッポンの教養 ヒトはなぜ死ぬのか?』(講談社)、『遺伝子の夢――死の意味を問う生物学』(NHKブックス)、『死の起源 遺伝子からの問いかけ』(朝日選書)などがある。






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本「あの世はどこにあるのか  Where is the next world?」森田 健5

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あの世はどこにあるのか  Where is the next world?
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おすすめ度: 4.5
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書評/



アメーバブックス新社”より、“本が好き!PJ”経由で献本、御礼!、著者“森田 健”の著書は、これまでいずれも献本いただいた『運命におまかせ (講談社、2007/11)』と『生まれ変わりの村  淵▲セス、2008/6)』の二作に続いて三作目、本書はインタビュー(対談)の書籍化♪
・・・『あの世はどこにあるのか』というのを切り口にすると、この世界そのものを科学的に再構築出来るだけでなく、人間の根源的な問題にも近づけるんじゃないかなと思っています。但し、これはインタビューなので自分としても何を言い出すかわからなくて怖いんですけど。 (P.10)
・・・だから『あの世はどこにあるのか』というインタビューの裏テーマは「自由はどこにあるのか」「私たちはなぜ存在しているのか」ということです。 (P.13-P.14)
そう、ぼくが『〈ぼく〉がなにものであるのか?』を問いつづけているかぎりにおいて、積極的に“森田健”をチェックすることをしなくても、きっとまた続編を読んじゃうんだろうなぁ、との印象をもっていて、“あの世”とか“来世”(next world)とかをぼくが信じるか否かにかかわらず、どちらかと言えば信じない、信じることができない、という気持ちがぼくには強いのだけど、それでも完全に否定することはできない、とも考えていたりする。そう、現世(この世)において、ぼくは幸福になることはできない、とのある意味では確信的ともいえるような印象をいだいていて、だからすなわち不幸というわけではないのではあるのだが、その考え(不幸論のようなもの)は、哲学者“中島義道”先生の著作の影響が少なくなかったりする、好意的な意味において。むしろ今では、幸福の反対に位置するであろう不幸を認識することによって、逆説的に幸福を考察することもできたりするのでは?!、とも考えていたりもしている。そう、幸福の絶対量というのか、相対性というのか、的確な言葉が見当たらないままに語ってしまうことについて、ぼくは、実験やら一回性やら偶然性とかをもちだして、語らないことや間違いを恐れることを忌避したいと考えていて、どこまで語れるのか行けるところまで行ってみようと思うんだけど、たとえば、世の中に在る幸福を数量やら容量で測ることができると仮定してみて、その総量って、広く捉えてみると一定量に維持される仕組みになっているんじゃないかなぁ、と、ぼくは考えてみたりしていたりする。そう考えるに、ぼくが幸福を感じたとすると、どこかで誰かがぼくが獲得した幸福の分だけ幸福を喪失していたりして、ということは、ぼくが幸福になった分だけどこかで誰かが不幸になっている可能性が否定できないのであって、ある意味では、ぼくの幸福は他者の不幸の上に成立している、とも考えることができたりするのである。であるとすると、単純にみずからの幸福を希求することに慎重にならざるを得ず、といっても不幸であることは、やっぱり受け容れ難いのではあるが。幸福でもなく不幸でもなく、どちらでもなく平穏な状態を維持することができたらいいのかもしれないが、生きて生活をしている以上、変化のない一定の状態を維持することは限りなく不可能に近いとの印象もいだいているから、どうしたらいいものであろうか、悩みは尽きない、まだまだ考えが足りていない。そんなことばかりを考えているぼくにとって、この世に生きていることって、つねに問いつづけることなのかなぁ、との印象をもっていて、簡単に安易に結論めいた答えに安住することが許されないのかも、とも考えちゃったりすると、まったくめんどくさいなぁ、とか思いながらも、ぼくにはそれ以外の生き方はできないんだろうなぁ、と思っていたりしている。この世に生きて在ることがタイヘンと感じているぼくが、じゃぁ、なんらかの理由によってこの世における命が尽きて死んじゃったとして、仮にあの世(来世)があったとして、あの世(来世)に行ったらラクができるか?、と考えてみて、やっぱりそんなはハズはないであろうことは、考えればすぐにわかることで、しかし、やっぱり考えることには無意味で無駄なことなどないのであろうとも考えて、あの世(来世)の存在の有無を問うことにも一定の意義を見出してみたりしている。


≪目次: ≫
第1章 「あの世はどこにあるのか?」  あまりにも美しい方程式を作ったのは誰か/明日から不思議研究所を始めよう
第2章 四次元への切り込み  フィリピンで発信器を入れる/中国でのテレポーテーションの実験
第3章 ヘミシンクはプリズムだ  2回の体外離脱体験/私は誰でもありません/人間の脳は嘘しかつかない/生まれ変わっても「私」は偏在している
第4章 道教の修行をして仙人を目指す  仙人になる人は山頂に行っちゃいけない/「侶」「財」「地」「法」の四徳とは?/お蔭様と天人合一
第5章 占いによって私は自分の死ぬ日まで知っている  王虎応──トラさんとの出会い/この世の中はがんじがらめな歯車でのようなもだ/場の流れを変えるのが置物だ
第6章 あの世も運命が支配しているのか  あの世はどこでもドア/来世に持ち越せるものと持ち越せないもの
第7章 再び「あの世はどこにあるのか」  蘇生とウルトラマン/時空は問われたい
第8章 生まれ変わりの村が教えてくれるもの  あの世での審判が無いと自殺や犯罪は増えないか?/なぜ日本なのか/お父さんは遅刻できない
第9章 今をどう生きればいいのか……「このままでいい」  こんなにひどい時代をどう生きればいいのか/魂と記憶と時空/最後にはコインで占うことすら必要なくなる
第10章 最終的にあの世はどこにあるのか?  モールス信号と次元変換/あの世は情報次元である
第11章 神はなぜあの世をつくったのか?  神は自分自身をよく知らない/時空はすべてを記録している
第12章 決まった運命を変えるために  神は自由になりたかった/どうすれば世界は変わるのか
あとがき(二〇〇八年一一月一三日 森田 健)


≪著者: ≫ 森田 健 (もりた・けん) 1951年、東京生まれ。上智大学電気電子工学科卒。富士通株式会社を経て、コンピューターソフト会社を経営し、開発した通信ソフトが郵政大臣賞を受賞。1996年に社内に不思議研究所を設置。「時空」と「私」の謎を解くため、数々の不思議現象を探求し、世界中を取材する。主な著書に『運命を変える未来からの情報』『DVDブック 森田健の「見るだけで運命が変わる!」』『DVDブック 究極のいい運命へ』『運命におまかせ』(以上、講談社)、『「私は結果」原因世界への旅』『ハンドルを手放せ』『自分ひとりでは変われないあなたへ』(以上、講談社+α文庫)、『生まれ変わりの村?』(河出書房新社)がある。
不思議研究所 http://www.fushigikenkyujo.com
もりけんドットコム http://www.moritaken.com

山川健一 (やまかわ・けんいち) 小説家。アメーバブックス新社取締役編集長。1953年7 月19日生まれ。早稲田大学商学部卒業。1977年早大在学中に『鏡の中のガラスの船』(講談社)で「群像」新人賞優秀作受賞。以後、ロック世代の旗手として次々に作品を刊行。著書は100冊を超える。
ブログ「イージ・ゴーイング」 http://yamaken.ameblo.jp/





天気予報について、あるいは、そこにあるべきものがないことについての考察と、記憶の不確実性を担保する目的としての記録として……
45日ぶりの約90kmランのほどよい疲労感に浸りつつ♪


本「インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)」手嶋龍一、佐藤優5


インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)
著者: 手嶋龍一、佐藤優
新書: 230ページ
出版社: 幻冬舎 (2006/11)




佐藤優”をして「外交ジャーナリストとして世界的規模で認知され」「尊敬していた」と言わしめる“手嶋龍一”との間に交わされる論説は、“対外インテリジェンス”を豊富な事例を具体的に取り上げて読み解く“対談”の書籍化、なるほど“インテリジェンスの入門書”と呼ぶに相応しい、至極分かり易い情報満載、手軽な新書ならでは。

そこは互いにインテリジェンスの分野に止まらず、著作業でも成功しているプロフェッショナル同士、気前良くポンポンと飛び出す、誰もが記憶にある様な、あの事件この話題の真相や舞台の裏側の事情が、その背景や前段であり、その事柄が導く次の次の展開まで、惜しみなく語り明かされる。またそれが、分かり易い表現で端的にズバリと描かれ、世界の情勢の理解を助ける。
それは、インテリジェンスに精通していない多くの一般人のある意味では自然な対応(マスメディアや政治家や官僚も多く含まれる、残念ながら)と、一方では、そのような民意を計算に入れた上での有効な戦略を練るインテリジェンスのプロフェッショナルとしての物事の捉え方とその対応、双方の視点からそれぞれを対比して解き明かすことによって、ふと考えさせられる。果たして自らの立ち位置であり、在り方であり、たとえインテリジェンスのプロフェッショナルを目指すことがなくとも、社会生活にあっても持ち合わせたい能力。

ところで、インテリジェンスのプロフェッショナルの彼等が説き明かす論説にもまた、簡単に語り明かせる表面的な多くの情報と、一方では簡単に口外することが憚られる重大なインテリジェンスだって含まれていて、その語られた言葉を素直に単純にそのまんまの言葉として捉えるだけでは、これまた能がない。
どんなに貴重な情報だって、雑多な情報の渦の中からまずは見分けて、理解をして、更にはそれを活かす能力までを有しなければ、
猫に小判、豚に真珠!?


≪目次: ≫
 序章 インテリジェンス・オフィサーの誕生
 第一章 インテリジェンス大国の条件
 第二章 ニッポン・インテリジェンスその三大事件
 第三章 日本は外交大国たりえるか
 第四章 ニッポン・インテリジェンス大国への道


朝の幸福、黄色い花♪
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本「悲望」小谷野敦5


悲望
著者: 小谷野敦
単行本: 213ページ
出版社: 幻冬舎 (2007/08)




ちょうど先日手にした、ピアニスト”フジ子・ヘミング”「あなたに届けば To you from Fujiko Hemming (オークラ出版、2005.12)」に、ドキッとさせられた一節があって、
”恋について言えば、やっぱり、男のほうが未練がましいかもしれないわね。”
って。そう、そうなんだよねぇ〜、ホントに未練がましくって、自分でもホトホト厭になるくらいに、いつまでもいつまでも、グズグズグズグズと。もしかしたら?!、まだ!?、ん〜、やっぱりもしかしたら?!、とか、何かにつけて、ことあるごとに。
手続き的にも明確に区切りが付けられて、何の関係も有しない、既に「縁がなかった」ということで双方の話し合いによる合意事項として、明確な決着が付いているにも拘らず。
救いを求められたらどうしよう、状況が変わって気が変わるかもしれない、もしかしたら待ち望んでいるかもしれない、、、99.9999999999%の可能性がないことを充分に承知していながら、それでもなお。

だから、童貞の若い男(大学院生だから、実は若くない?!)の長年に亘る、切ない恋心が迸る『悲望』、と言っても、それは純粋な”恋心”と簡単には言い切れないのだけれども、偶然の連続による若者(特に若い男)にありがちな勘違いと思い込みと。果たして、想い入れた相手に対する熱意ある行動、しかしそれは往々にしてついつい度を越して迷惑がられて怖がられ、時に”ストーカー”なんて呼ばれたりしちゃうんだろうけれど、駆り立てられて抑え切れない衝動を、熱い想いを、ただただ単純に咎めることなど、、、ん〜、やっぱりできない!?!
それ(ストーカー行為など)が殺人事件にまで発展しちゃうのと、それはそれでまた違う側面の問題が大きいのであろうから別としても、時に迸る想いが昂じ過ぎて(加害者と言うことになろうか?!)、またその想いを大きな負担に感じて(そうなると被害者?!)、それが故に仮にも精神を病んでしまったとして、ところが精神を病んでいるのは被害者は勿論だけれど、案外と加害者の側もある意味では病んでいたりして、だからと言って病んでる加害者の行為が赦されるかと言えば、それとこれとは別の問題だから、決して赦されることなどはなく、そんなに簡単に事が済む問題ではないのであろうが、若いというだけで既に一般的には経験も知識も不足している未成熟を示していて、残念ながら自分以外の他者を傷付けて、その無意識の内に、残酷なまでに他者を傷付け痛めつけた自らの行為によって、相手が苦しみ悶える姿を見るにつけて、感じる痛みを知って初めて、それを自らの経験として、そのひとつひとつを自己の行動規範として積み重ねる。
そんな一筋縄ではいかない、若い男の迸る熱情と哀愛に満ちた物語は、歳月を混ぜこぜに超越して、美しく幕を閉じる。というより、物語だから、どうしたって幕を閉じなければならない訳で、終わらせなければキリがなくって、いつまでたっても終われない。物語と違って、現実を生きてる僕らは、簡単に幕を閉じちゃう訳にはいかなくって、そこには虚構と現実の歴然とした格差があって、だからこそ「幕を閉じました。ハイ、お終い。」と言う訳にいかないのだから、著者は読者のための余白、物語の続きを残しておかなきゃいけない!?、何よりも、キレイにハッピーエンドに纏まる話しなど決して多くはない。

と、若い男汁(?!)をたっぷりと滴らせつつ、初めて挑んだ小説作品。さぁ、考えよう!?、ん〜、一度使ったネタは、もう二度と使えない。

なるほど、第二弾では、相対する女性の視点から客観的に冷静に淡々と描かれる物語。
ちょっと高度に専門的で「なんとなく、リベラル」な展開の物語、自らの置かれている境遇(大学教授、非常勤講師)であり、憂いている社会的な問題。それでもやっぱり、明快に私小説!

そう、”小谷野敦”には申し訳ないけれど、つまらない(?!)教授職なんかに落ち着くことなく、広く日本国の将来のためにも、身を呈して展開する批判、評論、執筆などの精力的な活動を大いに期したい!



 初出
 「悲望」(『文學界』2006年8月号)
 「なんとなく、リベラル」(『文学界』2007年2月号)








本「何故あの会社はメディアで紹介されるのか? −PR最強集団のTOPが教える55の法則」西江肇司5


何故あの会社はメディアで紹介されるのか? −PR最強集団のTOPが教える55の法則
Amazonで購入
書評/ビジネス



アメーバブックス新社より、”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!

そうだよね、ビジネス本!、基本のキ!?、成功している社長の”成功哲学”みたいな本って、僕も大〜好きだった(過去形)。20代前半の、とにかく勢いだけは有り余って、何していいんだか何やってるんだか何が何だか訳が分からないままに、はしゃぎまくっていた、あの頃。無限の可能性を信じ、誰にでも平等(公平ではなく)にチャンスが与えられて、「間違いなく俺はビッグになる!」って何も疑いを抱かずに。あははは、はぁ〜

あっそうそう、テレビも新聞も雑誌も見ない、社会(メディア)から距離を置いた生活が一年が経過しようとしている僕は、当然に「ベクトルグループ」なる企業体を知らない。著者は代表取締役の”西江 肇司”。
明かされる55の法則!、そして100のケーススタディ!!

それでも一応僕は、”ブロガー”だから(多分)、ウェブの世界の動きが気になる。まぁ、僕のブログは、自らの内省と、胸の内の思いを吐き出すことによる精神の安定が図られれば、本来の僕の目的は果たされるのではあるけれど、それでもやっぱりやるからには、経済効果(金銭の報酬)が生じないとしても、「ひとりでも多くの人に見て欲しい!」という欲望を否定できない。とはいえ、専門的な知識を有することなく、正直全くちんぷんかんぷんの状態のまま(1年半経過しても)だから、特別な対策を講じることなく淡々と我が道を進むだけ。そしてそこには、あんまり派手なことをして騒がれても困る、という相反する気持ちもあったりする。


≪目次: ≫
 序章 メディアに紹介されるには
 第1章 これがPR最前線だ!
     ―世の中の至るところに、PRは仕掛けられている
 第2章 メデイアの本質を知る14の法則
     ―PRのプロになるための「基礎の基礎」
 第3章 メディアを動かす17の法則
     ―ポイントは「PR素材の開発」にあり
 第4章 ストーリー&絵づくり9の法則
     ―メディア好みの演出を準備しておくために
 第5章 PRの近未来図
     ―ベクトルが取り組む新手法

そういえば、かつて「クチコミのチカラ -ベクトルグループ(日経BP社)」の献本を受けていた。








本「ほかに誰がいる」朝倉かすみ4


ほかに誰がいる
著者: 朝倉かすみ
単行本: 229ページ
出版社: 幻冬舎 (2006/09)




僕は甘い。
それが物語の中でのことであれ、誰も傷付かずに、ハッピーエンドとはいかないまでも、穏やかな結末を望む。争いは好まない。衝動的な破壊行為によって幕が閉じられて欲しくない。
世の中は甘くない、現実は厳しい。キレイ事だけでは済まされない。
明らかな現実逃避。

言葉は表裏一体。
”ほかに誰がいる”というのは、私しかいないでしょ、という、自信の表れでもあり、一方で垣間見える不安。自信があるならわざわざ言わない。言わずにはいられないのであり、わざわざ口にして言葉にしてしまった時点で、確信へと変えたい心持ちで、揺れ動く心の内。
何とでも解釈できる不確定な言葉が、本のページの右下の隅に、しっかりとその存在を主張する。

16歳の少女の淡く切ない一途な想い。
出逢ってしまった運命の人は、同級生の少女。同性に抱く想いは、愛とか恋とはちょっと異なる、もっともっと複雑怪奇なのにシンプル。濃密で軽薄な人間関係の基本のキ?!、友人関係。異性との恋愛関係を円滑に形成するためにも、絶対的に必要な経験。何でもない、さも当たり前の友人関係が築けなければ、より深く複雑な異性との恋愛関係、その後の長い期間に亘る婚姻関係は成立しない。
自我が芽生えて、庇護を受けてきた家族からの自立の過程に、深く悩み、自らの力で乗り越えるべき人間関係。

人間は欲張りだから、ささやかな願いは、それが叶ってしまうことによって、要求は徐々にエスカレートし、だんだん当り前のことになってしまって、気が付くと望み通りにならないことに腹を立てていたりする。身勝手な生き物。

物語って、フィクションであって、作り話だから、著者の妄想の世界を描けばいい。それがどんなに非現実的であったとしても、著者のオリジナルの世界だから、仮に世間に受け容れられずに烈しい拒絶にあってしまったとしても、それはそれで話題になっちゃえば、ある意味では喜ばしいこと(成功)なのかもしれないけれども、出版社というフィルターを通して、文学性の欠片もないものは出版されない訳だから、個人の”常識”ってどこか可笑しい。








「ぽろぽろドール -豊島ミホ」読みました。5


ぽろぽろドール
著者: 豊島ミホ
単行本: 230ページ
出版社: 幻冬舎 (2007/06)




久し振りの”豊島ミホ”。
思い返すと、出会いは、新潮社主催の公募新人文学賞R-18文学賞」受賞作品、「花宵道中 -宮木あや子」であり、「ほしいあいたいすきいれて -南綾子」から抱かれた興味であり、いずれも”本が好き!PJ”からの献本。私の読書遍歴は、このプロジェクト抜きには語れない。改めて感謝の意を表する。
それでも、抱かれた興味は、「青空チェリー」、「檸檬のころ」の二作品で一旦は満了し、私の記憶に留まった。だから、書店で新刊本として見掛けた瞬間に反応を示した。シンプルに「読みたい!」と。
無意識に反応した直感に素直に従い、結果として得られた”深い満足♪”。


物語は、”人形(ドール)”をテーマに描かれる六篇の短編小説。
人形が、人間の姿や形を似せて作られた造作物であり、愛玩する対象物であり、自らの過去の世界を遺し、永遠に不変の存在としての意義を有する。時に、愛玩するが故に、自分自身以外の第三者には決して語ることができない秘密をも内に秘める存在。人形という、生命や意思を有することがない、その非現実性が、リアルにその存在を浮かび上がらせる物語を織り成す。
素直に、感嘆させられた。

やっぱり、最後を締める、書き下ろし作品「僕が人形と眠るまで」が、ある意味では、この物語たちの全てを集約しちゃっているんだけれども、表題にもなる「ぽろぽろドール」であり、「手のひらの中のやわらかな星」に、深い感銘を覚えた。
夕食のあと、クロスを外したテーブルにミシンを置いて、お母さんはつぶやいた。
「咲子、高校に入ってからずっと元気ないみたいだったから。」
私はだだっとミシンを動かして。聞こえないふりをした。
 〜「手のひらの中のやわらかな星」
何気ない母と高校生の娘との日常会話。その短い言葉に秘められた想い、母の愛。自らの腹を痛めてこの世に産み落とし、自らの命を掛けて護り抜きたいと切実に願う存在”我が子”。表面上はともかく、本能的な意識下に、新しい高校生生活に対する不安感を抱く親心。余計なことを口にするまでもなく、その愛しい我が子の、普段とは異なる表情や行動、態度に感じるところは少なくないハズ。それでも、本能的に本質的に愛するが故に、その場しのぎの軽口は叩けない。我が子の痛みは、そのままに親の痛みでもあろう。だから、その表情に明るさを取り戻した瞬間を、決して見逃すことがなく、やっと訪れた安堵。涙なしには語れない、深い深い、母の愛。子供の立場にしてみれば、時に重く、ウザい、などとも感じかねない感情であろうが、親は真剣なのだよ。
だから、子供の成長は、嬉しくもあり、微妙に哀しくもある。

そうして、成長を続け、人間としての人格を形成していく”子供”。
その子供が、成長の過程において愛玩する”人形”。

人間は、生命を宿し、生きているが故に、歳月を経て、その形を刻々と変え続ける。その成長と共に、常に変化し続けることによって、存在することを可能とする。変わり続けることなくして、この世の中に存在することはできない。
一方、人形は、その姿形を変えないことに、その存在の意義を有する。生命や意思を有していないが故に、変わることなど有り得ないのではあるが、その変わり得ない存在であるが故に、人間の不確実な”記憶”という過去の出来事を思い浮かばせ、また、人間が変わり続けているという現実を認識させる”媒体”としての存在。
その存在と、その存在を媒体とした記憶が紡ぎだす物語たちの妙。









「愛の流刑地(下) -渡辺淳一」読みました。5


愛の流刑地〈下〉
著者: 渡辺淳一
単行本: 334ページ
出版社: 幻冬舎 (2006/05)




ご存知、男女の愛とエロスの物語。
55歳の元ベストセラー作家で、妻とは別居しているけれど離婚はしていない男(菊治)と、36歳の幼い三人の子供がいるエリートサラリーマンを夫に持つ人妻(冬香)が、惹かれ合い、互いに真実の”愛”に目覚め、本能から求め合い、エロスを追求し、追求しちゃったが故に選択されちゃったのが”死”であり、心の底から愛する者(女性)を、自らの手で殺めてしまう。自らの手で殺めてしまっちゃったら、それは明確な犯罪行為であり、愛やエロスなどという何処か現実離れした感覚から、一気に引き戻される超現実社会。超現実社会を支配する”法律(刑法)”は、超現実主義であって、実証できる証拠を論点に解釈されちゃうし、解釈するしかないから、愛だのエロスだの人間の本能的な美学や理論が存在する余地など、微塵も無い。仕方が無いよね、社会のルールとして機能させるには、原則的には事務的に処理していかないと不都合が生じるし、止むを得ない。そんなことは、大御所 渡辺淳一だって、誰よりもよく分かっているから、裁判制度の、制度としての矛盾をチクリとだけは刺しておきながら、、、 だからだから”愛の流刑地”なんだよ。

物語がシンプルで、複雑じゃなくって分かり易くって、だからこそ、人間の深層に潜む心理本質本能の部分を如何に描くか、その技術であり手法がポイントであったりして、だからこそ、ふたりが出逢ってから、愛とエロスを紡ぐ詳細な描写(殺めるまで・・・)に、上巻(382ページ)の全てと、下巻の94ページ、何と476ページもの記述を要する。その476ページもの文字数であり、空間であり、時間であり、著者の労力でもある膨大な記述は、この物語の展開における絶対的に必要な要素(ソース)であり、ひとつひとつの出来事のソースが積み重ねられて、積み上げられて、紡ぎ出されているからこそ、このシンプルな物語が美味しく、味わい深い、美しい物語が創り出される。ただの助平小説として、その性的描写に捉われていたら、絶対的に勿体無い。誰がどんなに否定したって、人間という生き物が、動物としての本能を有していて、だからオスでありメスであり、の保存行為である生殖の意義からも、また快楽を得るための手段としても、性行為に勤しむ。本能だから、恥ずかしくったって、隠したって、どうにもこうにもならない。あんまり開け広げにするのもどうかとは思うけど。

だからこそ、社会的に大人である”ふたり”が、大人であり、特にふたり共に社会的地位が高い知識人といってもいい部類の人間であるにも関わらず、一般的には善しとされない行為に溺れ、その末に犯罪行為(人を殺める)を犯す、「そこまで辿り着いてしまったのは何故?」、と思う訳でもあるし、「なるほど、だからふたりは、そこまで辿り着いてしまったのね!」と自然に導かれ、納得させられる物語であり、揺れ動く素直で正直な心の描写があれば、私は満足しちゃうのである。だって、人間が普通に生きているだけでは、ひとりの個人が経験できることって、絶対的に限界があるし、それでもこの世の中には自分以外の他人が数限りなく大勢存在していて、その他人はそれぞれの個性を有した唯一の存在でもあって、でもでも意外に大した違いなど無かったりして、みんな一緒的な部分を有していたりして、だからこそ人生の様々な経験が絶対的に必要。時に、主人公の菊治であり、冬香の夫であり、父(菊治)の貫いた真実の愛に理解を示し応援する息子であり、性別を超越して冬香にだって、女性検事にだって、エクスタシー(オーガズム)に理解を示すバーのママにだって、どんな人物にだって成り代わってその経験を疑似体験できちゃう。現状の現実の私では、菊治にはちょっと成り得無いんだけど、だから願望や羨望を籠めたりもして、正直なところ、冬香の夫かなぁ・・・、登場する場面としては絶対的に多く無いんだけれど、直接的な登場場面は、刑事裁判における検察側の証人として一度限りなんだけれど、当然にふたりが重ねる逢瀬の陰には、必ず彼の存在があって、その存在が無ければこの物語は成立し得なかったりもしちゃう、実は最重要人物であったりもする。しかも、彼はエリートサラリーマンで、男の存在における、絶対的に多数の存在であったりもして、社会的には普通の存在。普通に普通の全く普通の存在であるにも関わらず、この”男と女の愛とエロス”の物語にあっては、彼は異分子なのである。男として、外でバリバリ仕事をして稼いで、家の事は妻に全てを任せ、妻は自らの支配下にある生殖と家事の目的の存在、社会的地位と経済力によって家族を護る。それはそれで間違ってはいないし、それがひとつの家族としての在り方であることは否めない。
それでもやっぱり、「悪い男にたぶらかされた」と憤る男であり、そんな男の圧倒的な現実。

人間が本能の生き物であり、どんなに恥ずかしがって隠したところで、本能は本能でしかなくって、隠して抑えて抑え切れるほどに理性的ではなかったりしちゃうから、全くもって困った存在なのである。
どんなに困った存在であっても、人間のひとりひとりが、何らかの必要に求められて、必然に導かれて存在している訳で、その必要や必然を果たすために生きていかなくっちゃいけない訳だし、その必要や必然を全うするまではこの世に生かされちゃう訳だから、、、 愛する者に心も躯(からだ)も満たされて、その生きる命さえも奪われて、辛かった現生を全うしちゃって”死”を受け入れちゃった冬香は、圧倒的に幸せとも思えちゃう訳で、それでも、それまでの、認識の有る無しの判断はあろうが、辛い現実的生活を無視することはできないし、またまた一方では、その満たされる悦びを知り得なければ、決して現実社会を辛いとは思わなかったでもあろうから、、、 その一方で、愛する者を溺れさせ、ある意味では溺れさせてしまった責任の果てに手を下してしまった菊治は、得られた快楽以上の社会的責任をも負うことになって、それが社会的秩序が重視される法治社会の現実社会における圧倒的な現実でもあったりする。

今から10年前の1997年に、一世を風靡した『失楽園』の印象があまりにも強烈だっただけに、その記憶が脳裏に焼き付いているだけに、どうしたっても越えられない壁であったり、似通った印象を受けてしまう部分は否めないのではあるが、、、
それでも、とどのつまりが、男がオスであり、女がメスである、人間という動物の、本能的な本質の部分が圧倒的に存在しちゃう、現実の、圧倒的に現実の物語は、普遍の物語なのでもあろう。









「愛の流刑地(上) -渡辺淳一」読みました。5


愛の流刑地〈上〉
著者: 渡辺淳一
単行本: 382ページ
出版社: 幻冬舎 (2006/05)




”誰でも現実の生活があることは否めない。表面とは別に、他人にはあまり知られたくない、もうひとつの裏面を秘めている。そして自分も、冬香には知られたくない、沢山の現実を抱えている。その裏面をいいだしたら、冬香の比ではないかもしれない。
菊治はそこで、自分にいいきかす。たとえ夫がいて、幼い子供がいたとしても、冬香は冬香である。”



とりあえず中途ではあるが、上巻の読了に際して書き記す。

ちなみに、今年1月に劇場公開された映画「愛の流刑地」は観なかった。前評判や、平井堅の主題歌、メディア戦略的には心を揺さ振られたのではあるが、劇場公開の後の反応は残酷なまでに正直だから、「そういうことなのね!?」との判断。早速、7月にはDVDが発売されちゃうみたい! やっぱり何ともメディアって残酷、少しでも資金回収しないと、商売だからね!?

だから、手にしたキッカケは、著者の渡辺淳一への興味。先日読了した「失楽園」の文学作品としての感銘、その物語のネタ(?!)となった、大正時代の白樺派の主要なメンバーのひとりであり文人の「有島武郎」の歴史的事件とその存在。
この著作も、やっぱり優れた文学作品、人間のどうしょうもない動物的な本能の物語。


心の揺れ動く様が、その描写が、私の心に響く。
切ない切ない、とにかく切ない、ただただ切ない。
どうしてこんなに切ないの? 切な過ぎる。
あ〜、切ない。

お互いに深く深く愛し合っているのに、愛し合って求め合って、心も躯(からだ)も求め合って、満たし合って、互いに深く深く満たされているハズなのに。
互いの関係が深まれば深まるほどに、溢れる切なさ。


ズバリ『不倫』って、基本的には許されない行為であり、旧くから「姦通罪」などという犯罪が存在していて、現在の日本では廃止されて久しいのではあるが、それでも外国においては、イスラム圏や韓国などでは、現在でも規定されているらしい。(Wikipediaより)
「婚姻して配偶者のある者が、他の者と姦通すること」が犯罪行為の構成要件となる訳だから、まさに『不倫』は、ズバリその適用を受ける訳で、理由の如何に関わらず、その行為自体に違法性が存在する。

それでも、人間という生き物は、それが犯罪である、許されざる非道徳的な行為であることを承知で、充分に承知した上で、その激しい衝動に駆られて、本能のままに行動してしまう。
人間が過ちを犯す生き物であることに間違いは無いのであろうが、それにしても、、、である。ところで、お前は絶対に不倫しない自信があるのか?、と問われると、回答に窮する。現時点においては、明確に否定をすることができるが、将来に渡ってと考えると、、、願望や羨望を含めて否定できない現実がある。心の何処かでは、羨ましいなどとも考えてしまう私を否定できない。

そしてまた、「恋愛(たとえそれが不倫であっても!?)」においては、その必要や必然が絶対的に存在していて、それを、何かを求めているから、その関係に辿り着き、関係が成立し得る。「恋愛」が、ひとりでは成立し得ない行為であり、当事者同士の双方の合意の下に成立する行為だから。
ということは、不倫に至るには、婚姻関係にある配偶者という存在がありながら、それでもなお第三者に関係を求める必要を有している、という、ある意味では歪みを抱えた状況にあるということであろう。仮に、人間性や性格や性癖などに起因する行動があったとしても、それでも「婚姻」もまた双方の意思と努力の下に成立する関係であることに相違は無く、だからこそ、婚姻関係を継続しているのであれば、その当事者同士は努力を怠ることは、とどのつまり怠慢でしかない、どんな言い訳をしようとも。婚姻の関係とは、本来的には、その辺までの相当に高いレベルまで求められる関係でもあろうし、だからこそ、男子が18歳、女子が16歳という年齢制限を設けて、年齢が若いために人生経験が少なく、判断に未熟さを残す子供に婚姻を認めないのでもあろうし、また一方では、その能力を有し、その責任を果たせる人間にだけ許される法律行為なのでもあろう。

とどのつまり、人間は過ちを犯す生き物であり、当然に婚姻においても、その過ちを犯してしまう可能性は少なくない。
だからといって許されるものではないが、表面的に善悪を判断することには違和感を感じないでもない。仮に不倫であっても恋愛が、双方の意思の下に成立する行為であり、双方の意思が無ければ成立しない行為であり、婚姻という法律行為を反故してまでも、その意思を一方だけでなく互いが有した、その圧倒的な現実は如何に。その圧倒的な現実を直視することなく、表面的な解釈に何の意味があろう?!

快楽に溺れるのも、快楽を得たい、快楽を得られなければやっていられない、という何処かに歪みを有する現実からの、現実逃避であったり、内面に有する深層にある本質的な問題が解消されていないが故に表出する歪みであったりする側面もあろう。

その圧倒的に弱く、儚く、不安定で、ちっぽけで、どうしようもない存在の人間が、必ず誰しもが心の内に抱えている問題が絶対的にあって、それでも人間という生き物が本能の生き物でしかなくって、抱えている問題が完全に解消することが絶対的に有り得なくって、そんな側面からも、文学などの芸術が必要とされて存在するのであろう。









「檸檬のころ -豊島ミホ」読みました。5


檸檬のころ
著者: 豊島ミホ
単行本: 261ページ
出版社: 幻冬舎 (2005/03)




”痛々しい。見ているこっちが疲れるんだよ。” 〜本文『金子商店の夏』より抜粋〜

痛々しいのって、本人が一番良く分かっていて、言われちゃうと結構キツイ。だって、誰だって好き好んでそんな状況に身を置いている訳では無いし、とはいえ全て自らに起因していることは間違い無くって、それでも自らの力や手では抜け出さないから甘んじて受け入れていることで、どうしようもないことだったりするから。
圧倒的に開き直るしかない!
だって、どうしようもないんだもん。人生色々あるんだから、こんな時があったって、仕方が無いよね。色々あって、色々な人たちがいるからバランスが取れているんだよ。誰にだって、そういう時があるよね。色々あるから愉しいんだよ。

R-18文学賞第1回の読者賞を受賞して、作家デビューを果たした、豊島ミホ、デビュー作の『青空チェリー 文庫版』に続いて手にした。1982年、戌年生まれということは、干支でひと回りも違うのね!? それでも、読みたくなるのは、やっぱり好きだから! 正直に言っておきます、いいです! そうそうそうだよねぇ〜、とか、そうだったなぁ〜、とか、そういうことだったのね!?、とか、おぢさんにも納得、思い起こされる懐かしい記憶、それだけでなく現在の現実でも思い当たる節がありあり、自然に心に沁み込む部分がてんこ盛り。甘く切ないだけじゃない。

著作は、東北地方の片田舎の高校生活(北高校)を、高校3年生の男女生徒とその周りの人々を主人公とした、七つの物語から成り立っている。高校生活の最後、卒業して生まれ育った故郷を離れ、夢と不安を抱いて東京へと飛び立つところまでが描かれる。
『タンポポのわたげみたいだね』は、橘ゆみ子の口から語られる。いつからか保健室の常連となっていた小嶋智と出会いと、藤山君の告白、そしてあらためて確認する小島智との友情。
『金子商店の夏』は、東京で司法試験の予備校に通う28歳の痛い金子晋平。金子の実家は、北校前の駄菓子屋。母から「おじいちゃんが死にそうなの」との電話で、久し振りに、避けていた帰郷を果たし、直面する跡継ぎ問題やら厳しい現実やら。それでも、駄菓子屋の店先に飾る風鈴を買いに行こうと思う夏。
『ルパンとレモン』は、北校の野球部の西君。中学の同級生で吹奏楽部の秋元加代子とは、中学卒業の頃にいい感じの時があって、今でも淡い恋心を抱いていて、でも同じ野球部の佐々木富蔵に奪われてしまう、悲しい現実。レモン味のリップクリームと、秋元さんが佐々木君のために奏でるルパンのファンファーレと。
『ジュリエット・スター』は、北校生らの下宿で母を手伝う娘、24歳の理可。美容師の彼氏、木島君がいて、北校の林君との規則違反の男女交際が故に下宿を追われる南高校の水橋珠記の対応を、父と母から押し付けられる。水橋珠記の、時に男に色目を使い、時に舞台を描いての迫真の演技。
『ラブソング』は、音楽好きの白田恵。いとこの志摩ちゃん(こちらも何故か保健室の常連)が音楽雑誌にレビューが掲載されて失われる自信。同じクラスの辻本君と音楽の趣味から恋心を抱いて、夢破れる現実。現実を知る前に書いちゃった、辻本君がバンド演奏する曲に合わせた詩。それは当然に、恋の詩。格好悪いけど、それが現実、格好悪くないよ!
『担任稼業』は、北校の教師の丹波先生。勤続15年あまり、マンネリで、多少自信喪失気味。独身で両親と同居。結構現実味ありあり。小嶋智の対応に苦慮する、出席が足りなくて卒業できないよ〜。何故か坂口安吾の「桜の森の満開の下」
『雪の降る町、春に散る花』は、やっぱりマドンナ秋元加代子。いよいよ卒業だもんね、クライマックス、美味しいところ。交際中の野球部の佐々木君の合格通知はいまだ届かず奮闘中、そして彼女は東京の大学へと準備に追われ、夢と希望と不安と色々な思いを胸に故郷を後にする。4年前に先に東京での生活を送る兄と、その実家に残された兄の部屋、そして父と母の会話、別れの時。故郷の思い出。

女子高校生の視点、男子高校生の視点、教師の視点、下宿の娘の視点、高校脇の駄菓子屋の孫(?!)の視点で、それぞれの想いをそれぞれの側面から綴ることによって、さらに大きく鮮明に描き出される物語。
当然にひとつひとつの物語は短編小説として独立して完結している。しかし、そのひとつひとつを完全に独立した物語として完結させているが故に、微妙な関連性のみを残して完結させているが故に、全体の物語の完成度が高められている。

それは即ち、そのまま映画にしたくなるのも頷ける訳で、映画「檸檬のころ -れもんのころ-」、著者が意図した訳では無いと思われるが、映画としても状況や情景が描き易い。当然に私も、その映画化の情報を入手した後に手にしている訳で、その部分のリサーチも興味深い部分ではあった。

読了後の、拙い私のリサーチでは、著者は、決して主役とならない保健室の常連『小嶋 智』?! 主役にはならないけれど、主役にならないからこそ、物語における重要な鍵を握っていて、この物語を創り出すことができた?!

とか色々言いながら、実際には、男性の教師や金子商店の孫の予備校生の描写には、多少の違和感を感じたり、う〜んと考えちゃうとこととか、若さ故とか、現実はね、何てところがない訳じゃ無いのよ(笑)!
そんな小さなことなんて、全く気にならない溢れる魅力!

ブログ告知板としまもどうぞ。

好きだなぁ!
で、☆×5つ!







小説「かもめ食堂 -群ようこ」読みました。5


かもめ食堂
著者: 群 ようこ
単行本: 204ページ
出版社: 幻冬舎 (2006/01)



映画「かもめ食堂」の感動がフツフツとよみがえり、グッと込み上げてくるものがあります。 涙が溢れそうになります。
映画も良かったけど、映画を観たからこそ、小説で文字による描写によって、更に味わいがその理解が深まった!
漂う美しさに、ただただ呆然と心地好さを楽しんだ。

何だろう、人間の優しさというのか、温かさというのか、その人から自然に涌き出て漂うものを時に強く感じる。
どんなに表面的に綺麗な言葉を発したとしても、言葉って所詮どこまでいっても言葉でしか無くって、何とでも表現できてしまうし、その時の気分で度々コロコロ変わるものだし、あまりにも頼りない。 だから、言葉だけをそのまま受取ることって、ある意味できない。
その点、醸し出される雰囲気って、じっくりその人のことを見ていると、不思議と言葉以上に語り掛けてくるものがある。 いいところも悪いところも、その口から発せられる言葉と、表情、姿勢をじっくり、心を静めて感覚を研ぎ澄ますと、聴こえてくる見えてくるものってある。

な〜んて、偉そうなこと言っちゃったりするけど、実際のところ全くトンチンカンだったりする。 笑っちゃうけどね!


どうやら、小林聡美、片桐はいり、もたいまさこ、実力派女優の味のある演技に魅せられてしまったようである。 あの、姿勢良くスッと直立して何かを見据える、その雰囲気が好き(笑)。







かもめ食堂
出演: 小林聡美, 片桐はいり, もたいまさこ
監督: 荻上直子
DVD発売日: 2006/9/27
時間: 102分


「Yes,andで、すべてはうまくいく! -樋栄ひかる」読みました。5


Yes,andで、すべてはうまくいく!
Amazonで購入
livedoor BOOKS
書評/ビジネス




弾ける”勢い”があります!
スーパーポジティブシンキング!!
私もその勢いに乗せられて、一気に読んでしまいました〜!
たまに、必要です!

<Yes,and>は、ある意味では、人生を楽しむための基本中の基本です。 私も実践しています。(なかなか困難で、しょっちゅうめげてますが・・・)。

ところで、何を隠そう私も、ふと気が付いたときには、スペシャル<No,but>ボーイでした。 相手の話しが終わる前から、それを遮ってまでして口から出るのは、否定と反論。 当然に物事が上手く進む道理が無く、ますますネガティブにマイナス方向に転がり落ちていきます。(今も同じ?、かも知れない!?、笑!)


ネタバレになりますが・・・

”今日一日、<Yes,and>で過ごしてみて♪
 <Yes>で受けて、<and>で返す。
 <No,but>は使わない。
 たったそれだけ! That's it!
 すべてのことを<Yes,and>で受けとめられたら、
 あなたの人生は必ず変わる。
 Hope you can make it.(がんばってね)” -本文より抜粋-



実は、これ(↑)に重要なソースを添えて加工すると、劇的に人生が変わる(?!)んだけど、本にして、文字に表すと、これくらいが丁度いい。
気軽に手軽に読めて、いいきっかけになれば、それでいい。
私からも”Hope you make it!”




文庫本「涙そうそう」読みました。5


涙そうそう
著者: 吉田紀子,吉田雄生
文庫: 217ページ
出版社: 幻冬舎 (2006/09)



先日、思いっきりたくさんの涙を流して泣きたい気分(?!)になって、映画「涙そうそう」を観ました。 その目的において期待していた通り、最初から最後まで、涙流しっ放しで、鼻水はじゅるじゅる、目は真っ赤(笑)、超大満足!! だったので、もう一度、映画館に足を運ぶ計画を立てています(笑)!
当然に、頭の中は「涙そうそう」の曲(夏川 りみ、BEGIN、森山 良子)が廻っており、気が付くと口ずさんでいます(笑)
そして、文庫本を購入してしまいました〜^^!
会社からの帰りの電車内(あえて各駅停車で座ってゆっくり帰ってきました)で、感情を抑えながら、そして、帰宅後に感情を抑えることなく、大量の涙を流しながら楽しみました(笑)
大満足です!!

明日(もう今日か?!)は、お仕事はお休みなので・・・
楽しみな「村上 春樹」が、とりあえず3冊待機しています^^
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