Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

村上春樹

本「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」村上春樹5

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「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」
村上春樹、待望の紀行文集。アメリカ各地、荒涼たるアイスランド、かつて住んだギリシャの島々を再訪、長編小説の舞台フィンランド、信心深い国ラオス、どこまでも美しいトスカナ地方、そしてなぜか熊本。旅というものの稀有な魅力を書き尽くす。カラー写真多数を収録。


≪目次: ≫

I チャールズ河畔の小径――ボストン1

II 緑の苔(こけ)と温泉のあるところ――アイスランド
1 作家会議
2 すかすかの国
3 読書好きの国
4 アイスランドのちょっと変わった動物たち
5 アイスランドの食事
6 パフィンを探して
7 スナイフェルスネース半島に
8 温泉だらけ
9 オーロラ、その他いろいろ

III おいしいものが食べたい――オレゴン州ポートランド/メイン州ポートランド
1 オレゴン州ポートランド
2 メイン州ポートランド

IV 懐かしいふたつの島で――ミコノス島/スペッツェス島
1 ミコノス島
2 スペッツェス島

V もしタイムマシーンがあったなら――ニューヨークのジャズ・クラブ

VI シベリウスとカウリスマキを訪ねて――フィンランド

VII 大いなるメコン川の畔で――ルアンプラバンラオス

VIII 野球と鯨とドーナッツ――ボストン2

IX 白い道と赤いワイン――トスカナ(イタリア)

X 漱石からくまモンまで―熊本県(日本)
1 どうして熊本なのか?
2 橙書店のしらたまくん
3 漱石の住んだ家・芭蕉の木
4 お城のまわりを走る
5 万田坑に行ってみる
6 人吉までのSLの旅
7 海の上の赤崎小学校
8 阿蘇に行く
9 最後にくまモン

あとがき

初出
 I 『太陽』 1995年11月号 臨時増刊 CLASS X 第2号 「チャールズ湖畔における私の密やかなランニング生活」
 II 『TITLE』 2004年2月号 東京するめクラブ 特別編 「アイルランド独りするめ旅行。」
 III 『AGORA』 2008年3月号 「二つのポートランド」(前編)/『AGORA』 2008年4月号 「二つのポートランド」(後編)
 IV 『AGORA』 2011年4月号 「ギリシャのふたつの島」
 V 『AGORA』 2009年11月号 「Live Jazz in New York」
 VI 『AGORA』 2013年7月号 「フィンランディア讃歌」
 VII 『AGORA』 2014年10月号 「大いなるメコン川の畔で」
 VIII 『AGORA』 2012年4月号 「ボストン的な心のあり方」
 IX 『AGORA』 2015年6月号 「トスカーナ・白い道と赤いワイン」
 X 『CREA』 2015年9月号 「熊本旅行記」




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本「女のいない男たち (文春文庫)」村上春樹5

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女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)
○著者: 村上春樹
○定価: 本体650円+税
○ISBN: 978-4167907082









 Men Without Women


舞台俳優・家福を苛み続ける亡き妻の記憶。彼女はなぜあの男と関係したのかを追う「ドライブ・マイ・カー」。妻に去られた男は会社を辞めバーを始めたが、ある時を境に店に怪しい気配が包み謎に追いかけられる「木野」。封印されていた記憶の数々を解くには今しかない。見慣れたはずのこの世界に潜む秘密を探る6つの物語。


≪目次: ≫
まえがき (二〇一四年三月 村上春樹)

ドライブ・マイ・カー
イエスタデイ
独立器官
シェエラザード
木野
女のいない男たち



※初出
「ドライブ・マイ・カー」  「文藝春秋」 2013年12月号
「イエスタデイ」  「文藝春秋」 2014年1月号
「独立器官  「文藝春秋」 2014年3月号
「シェエラザード」  「MONKEY」 vol.2 SPRING 2014
「木野」  「文藝春秋」 2014年2月号
「女のいない男たち」  単行本書き下ろし

※単行本 二〇一四年四月 文藝春秋刊


≪著者: ≫ 村上春樹 (むらかみ・はるき) 1949年、京都生まれ、早稲田大学文学部演劇科卒業。79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞、82年『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞、85年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞、96年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞、99年『約束された場所で under ground 2』で桑原武夫学芸賞を受ける。2006年、フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、07年、朝日賞、坪内逍遥大賞、09年、エルサレム賞、『1Q84』で毎日出版文化賞を受賞。ほかに『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『海辺のカフカ』、『神の子どもたちはみな踊る』、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、また『翻訳夜話』(柴田元幸との共著)、『レイモンド・カーヴァー全集』、『フラニーとズーイ』(J.D.サリンジャー)、『ロング・グッドバイ』(レイモンド・チャンドラー)など多くの著作、翻訳がある。



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本「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年  Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage 」村上春樹5

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年  Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage, 2013

○著者: 村上春樹
○出版: 文藝春秋 (2013/4, 単行本 376ページ)
○定価: 1,785円
○ISBN: 978-4163821108




Colorless 



良いニュースと悪いニュースがある。

多崎つくるにとって駅をつくることは、心を世界につなぎとめておくための営みだった。あるポイントまでは……。


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

装画  Morris LOUISPillar of Fire”, DU#431, 1961



いろいろいろいろ迷いがないわけではない。ぼくがいつも利用している図書館で、新刊発表の当日の朝9時ちょうどに、予約受付を開始します、などと、あらかじめアナウンスをされてしまうと、、、
ぼくは、お金に余裕を欠いていることから、基本的には、日々読む本を買うことがない。本来的には、キチンと対価を支払うべきだ、と考えている。事情がそれを許さないのだから、仕方がない、とは、不本意ながら。
だから、人気の本は、ほとぼりが冷めてから、それなりの時間を経過してから、流行みたいなものが、おおむね過ぎ去ったころに、読むことになる。それくらいが、いい、むしろ道理にかなっている、と。
そう、前作、『1Q84』(2009年5月/2010年4月、新潮社)を読んだのも、2012年7月4日から9月8日にかけて、すでに文庫版が出た後、それを単行本版で。
あぁ、ついつい反応してしまって、web予約でクリック、201304120900、24番目だった。







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本「1Q84  BOOK3 〈10月-12月〉」村上春樹5

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1Q84 BOOK 3
1Q84 〈ichi-kew-hachi-yon〉 a novel BOOK3 〈10月-12月〉

○著者: 村上春樹
○出版: 新潮社 (2010/4, 単行本 501ページ)
○定価: 1,995円
○ISBN: 978-4103534259
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タイガーをあなたの車に、とエッソの虎は言う


どうなんだろう、ぼくはムラカミハルキに村上春樹から、そう、生きる勇気みたいなものを、と言うか、ぼくがこの世に生きていてもいいんだろうなぁといったような確信、とまでは言いえないのだけれども、ニュアンスとしておよそそんなところのなにごとかを、ゆるされ、有用な、すくなくともぼくにとっては重大なちいさくない、まるでことばにならないなってない、あぁ♪
ぼくが、ただしいなどとはおもえなくと、ぼくはおおよそのところまちがってはいないだろう、みずからの責任においてそれ以外の選択を可能性をもいくつも想定した上でひとつひとつ丁寧に検証を試みて、マイペースを乱すことなく慌てて判断をくだすことを回避して、なにごとにもかぎりはないものではないけれども、容易にあやまちはおかされるものでもあるのだが、よくわからないよくわからないわからない♪♪



そこは世界にただひとつの完結した場所だった。どこまでも孤立しながら、孤独に染まることのない場所だった。
「1Q84」の世界に、もし愛があるなら、それは完璧な愛かもしれない――。刊行以来、日本で、世界で、空前の話題を呼んでやまない長編小説。


≪目次: ≫
第1章 (牛河) 意識の遠い縁を蹴るもの
第2章 (青豆) ひとりぼっちではあるけれど孤独ではない
第3章 (天吾) みんな獣が洋服を着て
第4章 (牛河) オッカムの剃刀
第5章 (青豆) どれだけ息をひそめていても
第6章 (天吾) 親指の疼きでそれとわかる
第7章 (牛河) どちらに向かって歩いていく途中だ
第8章 (青豆) このドアはなかなか悪くない
第9章 (天吾) 出口が塞がれないうちに
第10章 (牛河) ソリッドな証拠を集める
第11章 (青豆) 理屈が通っていないし、親切心が不足している
第12章 (天吾) 世界のルールが緩み始めている
第13章 (牛河) これが振り出しに戻るということなのか?
第14章 (青豆) 私のこの小さなもの
第15章 (天吾) それを語ることは許されていない
第16章 (牛河) 有能で我慢強く無感覚な機械
第17章 (青豆) 一対の目しか持ち合わせていない
第18章 (天吾) 針で刺したら赤い血が出てくるところ
第19章 (牛河) 彼にできて普通の人間にできないこと
第20章 (青豆) 私の変貌の一環として
第21章 (天吾) 頭の中にあるどこかの場所で
第22章 (牛河) その目はむしろ憐れんでいるように見える
第23章 (青豆) 光は間違いなくそこにある
第24章 (天吾) 猫の町を離れる
第25章 (牛河) 冷たくても、冷たくなくても、神はここにいる
第26章 (青豆) とてもロマンチックだ
第27章 (天吾) この世界だけでは足りないかもしれない
第28章 (牛河) そして彼の魂の一部は
第29章 (青豆) 二度とこの手を放すことはない
第30章 (天吾) もし私が間違っていなければ
第31章 (天吾と青豆) サヤの中に収まる豆のように


≪著者: ≫ 村上春樹 (Haruki Murakami) 1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。海外での文学賞受賞も多く、2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞を受賞。

村上春樹 『1Q84 〈ichi-kew-hachi-yon〉 a novel BOOK2 〈7月-9月〉』(新潮社、2009年) '12/08/26
村上春樹 『1Q84 〈ichi-kew-hachi-yon〉 a novel BOOK1 〈4月-6月〉』(新潮社、2009年) '12/07/04
ジョージ・オーウェル 『一九八四年 [新訳版]  Nineteen Eighty-Four, 1949 』(高橋和久 訳、ハヤカワepi文庫、2009年) '09/09/05





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本「1Q84  BOOK2 〈7月-9月〉」村上春樹5

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1Q84 BOOK 2
1Q84 〈ichi-kew-hachi-yon〉 a novel BOOK2 〈7月-9月〉

○著者: 村上春樹
○出版: 新潮社 (2009/5, 単行本 501ページ)
○定価: 1,890円
○ISBN: 978-4103534235
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八月の連日の猛暑はカクジツに体力を消耗させる(発汗とか)、体調を維持することの困難(睡眠不足とか)、フツーにぼ〜っとしてしまう、、、もっともそれは、ぼくが他者との接触を交渉をなすときに、その他者もまたそうであろうと想定しなければならない、であろう


・・・・・・
天吾は続けた。「僕は誰かを嫌ったり、憎んだり、恨んだりして生きていくことに疲れたんです。誰をも愛せないで生きていくことにも疲れました。僕には一人の友達もいない。ただの一人もです。そしてなによりも、自分自身を愛することすらできない。なぜ自分自身を愛することができないのか? それは他者を愛することができないからです。人は誰かを愛すことによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分自身を愛する方法を知るのです。僕の言っていることはわかりますか? 誰かを愛することのできないものに、自分を正しく愛することなんかできません。いや、・・・・・・ (p178)


ジッサイ、どうなんだろう、愛って、愛ってなんなんだろう??、、、いわゆる「人間」とかって、たとえば、人と人とのあいだ(間)の関係、コミュニケーション、社会化、社会性、とか、そう、ひとりでは生きてゆけない、しかし、生きてゆくのはひとり、生きてゆくのはラクなことなんかではない、タイヘンなことだ、work hard, work hard, work hard...



心から一歩も外に出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作り上げていく。
「1Q84」の世界に、もし愛があるなら、それは完璧な愛かもしれない――。刊行以来、日本で、世界で、空前の話題を呼んでやまない長編小説。〈毎日出版文化賞受賞〉


≪目次: ≫
第1章 (青豆) あれは世界でいちばん退屈な町だった
第2章 (天吾) 魂のほかには何も持ち合わせていない
第3章 (青豆) 生まれ方は選べないが、死に方は選べる
第4章 (天吾) そんなことは望まない方がいいのかもしれない
第5章 (青豆) 一匹のネズミが菜食主義の猫に出会う
第6章 (天吾) 我々はとても長い腕を持っています
第7章 (青豆) あなたがこれから足を踏み入れようとしているのは
第8章 (天吾) そろそろ猫たちがやってくる時刻だ
第9章 (青豆) 恩寵の代償として届けられるもの
第10章 (天吾) 申し出は拒絶された
第11章 (青豆) 均衡そのものが善なのだ
第12章 (天吾) 指では数えられないもの
第13章 (青豆) もしあなたの愛がなければ
第14章 (天吾) 手渡されたパッケージ
第15章 (青豆) いよいよお化けの時間が始まる
第16章 (天吾) まるで幽霊船のように
第17章 (青豆) ネズミを取り出す
第18章 (天吾) 寡黙な一人ぼっちの衛星
第19章 (青豆) ドウウタが目覚めたときには
第20章 (天吾) せいうちと狂った帽子屋
第21章 (青豆) どうすればいいのだろう
第22章 (天吾) 月がふたつ空に浮かんでいるかぎり
第23章 (青豆) タイガーをあなたの車に
第24章 (天吾) まだ温もりが残っているうちに


≪著者: ≫ 村上春樹 (Haruki Murakami) 1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。海外での文学賞受賞も多く、2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞を受賞。

村上春樹 『1Q84 〈ichi-kew-hachi-yon〉 a novel BOOK1 〈4月-6月〉』(新潮社、2009年) '12/07/04
ジョージ・オーウェル 『一九八四年 [新訳版]  Nineteen Eighty-Four, 1949 』(高橋和久 訳、ハヤカワepi文庫、2009年) '09/09/05





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本「1Q84  BOOK1 〈4月-6月〉」村上春樹5

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1Q84 BOOK 1
1Q84 〈ichi-kew-hachi-yon〉 a novel BOOK1 〈4月-6月〉

○著者: 村上春樹
○出版: 新潮社 (2009/5, 単行本 554ページ)
○定価: 1,890円
○ISBN: 978-4103534228
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……しかし月は黙して語らない。あくまで冷ややかに、的確に、重い過去を抱え込んでいるだけだ。そこには空気もなく、風もない。真空は記憶を無傷で保存するのに適している。誰にもそんな月の心をほぐすことはできない。青豆は月に向かってグラスをかかげた。
「最近誰かと抱き合って寝たことはある?」と青豆は月に向かって尋ねた。
 月は返事をしなかった。
「友だちはいる?」と青豆は尋ねた。
 月は返事をしなかった。
「そうやってクールに生きていくことにときどき疲れない?」
 月は返事をしなかった。   (p.381)


文庫版が出て、だから?!、図書館のwebサービスでチェックした予約件数は在庫数をすこし下回って

殺してはならない、姦淫してはならない、盗んではならない



「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上がらせるのは、「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。
1Q84」の世界に、もし愛があるなら、それは完璧な愛かもしれない――。刊行以来、日本で、世界で、空前の話題を呼んでやまない長編小説。〈毎日出版文化賞受賞〉


≪目次: ≫
第1章 (青豆) 見かけにだまされないように
第2章 (天吾) ちょっとした別のアイデア
第3章 (青豆) 変更されたいくつかの事実
第4章 (天吾) あなたがそれを望むのであれば
第5章 (青豆) 専門的な技能と訓練が必要とされる職業
第6章 (天吾) 我々はかなり遠くまで行くのだろうか?
第7章 (青豆) 蝶を起こさないようにとても静か
第8章 (天吾) 知らないところに行って知らない誰かに会う
第9章 (青豆) 風景が変わり、ルールが変わった
第10章 (天吾) 本物の血が流れる実物の革命
第11章 (青豆) 肉体こそが人間にとっての神殿である
第12章 (天吾) あなたの王国が私たちにもたらされますように
第13章 (青豆) 生まれながらの被害者
第14章 (天吾) ほとんどの読者がこれまでに目にしたことのないものごと
第15章 (青豆) 気球に碇をつけるみたいにしっかりと
第16章 (天吾) 気に入ってもらえてとても嬉しい
第17章 (青豆) 私たちが幸福になろうが不幸になろうが
第18章 (天吾) もうビッグ・ブラザーの出る幕はない
第19章 (青豆) 秘密を分かち合う女たち
第20章 (天吾) 気の毒なギリヤーク人
第21章 (青豆) どれほど遠いところに行こうと試みてみても
第22章 (天吾) 時間がいびつなかたちをとって進み得ること
第23章 (青豆) これは何かの始まりに過ぎない
第24章 (天吾) ここではない世界であることの意味はどのにあるのだろう


≪著者: ≫ 村上春樹 (Haruki Murakami) 1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)がある。『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、紀行文、翻訳書など著書多数。海外での文学賞受賞も多く、2006年フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞を受賞。


ジョージ・オーウェル 『一九八四年 [新訳版]  Nineteen Eighty-Four, 1949 』(高橋和久 訳、ハヤカワepi文庫、2009年) '09/09/05





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ここは見世物の世界
何から何までつくりもの
でも私を信じてくれたなら
すべてが本物になる

It's a Barnum and Bailey world,
Just as phony as it can be,
But it wouldn't be make-believe
If you believed in me.

It's Only a Paper Moon
E.Y.Harburg & Harold Arlen




本「海辺のカフカ 〔下〕 (新潮文庫)」村上春樹5

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海辺のカフカ (下) (新潮文庫)
海辺のカフカ 〔下〕  Haruki Murakami: “Kafka on the Shore”, 2003 (新潮文庫)

○著者: 村上春樹
○出版: 新潮社 (2005/2, 文庫 528ページ)
○定価: 780円
○ISBN: 978-4101001555
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悪いことはなにも起こっていない

フランツ・カフカ(Franz Kafka、1883-1924、チェコ出身のドイツ語作家)のばあい、遺稿は友人の編集者マックス・ブロートによって、フランツ・カフカの意思に反して(よくも悪くも結果的に)、焼かれて燃やされて灰となって失することなく、のこされて、、、やがてその作品たちは世にひろく認められるにいたるだろう
橋本治の小説『巡礼』(新潮社、2009年)において、主人公のゴミ屋敷(いろいろいろいろあって結果としてそうなった、ところでそれはゴミなのかゴミではないのかをともかくとして)の家主の老人は、ながく仲違いしていた実弟と、そう、弟と一緒にゴミ屋敷の整理・片づけを終えて、そして、ふたりで四国巡礼の旅にたつ。清潔で快適であたたかい宿の布団のなかで、朝、静かに(穏やかに、まさにねむるように)むかえる、死
ぼくのむすめは、この春4月に高校生で(ヨレバンガ♪)、いままさに15歳
たぶん(ぼくの15歳はあまり記憶が鮮明ではなく不確実ではありながらも、その印象として)、15歳は十二分にタフで、およそなんでも分かっていて(しかしなんにも分かっちゃぁいない、それは、その分かっちゃいないということにおいては15歳であろうが42歳であろうが、どうなんだろう、なんら変わりないのかもしれない)
ところで、10歳はどうなんだろう??!、「じぶんでもちいさくて、ちいさいのにカワイソウだと思った」とは、あぁ、ぼくは、ぼくは、ぼくは、そう、どうにもこうにもにっちもさっちも、ぼくがいろいろいろいろあったにはせよ(なにがあろうとなかろうと)、ぼくは家を出た、家族をぼくを父とする家族(家庭)からみずからの意志で離脱した(問答無用)


四国の図書館に着いたカフカ少年が出会ったのは、30年前のヒットソング、夏の海辺の少年の絵、15歳の美しい少女――。一方、猫と交流ができる老人ナカタさんも、ホシノ青年に助けられながら旅を続ける。〈入り口の石〉を見つけだし、世界と世界が結びあわされるはずの場所を探すために。謎のキーワードが二人を導く闇の世界に出口はあるのか? 海外でも高い評価を受ける傑作長篇小説。


村上春樹 『海辺のカフカ 〔上〕  Kafka on the Shore, 2003 』(新潮文庫、2005年) '12/05/15
村上春樹 『海辺のカフカ 〔上〕/〔下〕』(新潮文庫、2005年) '06/12/12
ソポクレス 『オイディプス王』(藤沢令夫訳、ワイド版岩波文庫、2009年) '09/12/16





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本「海辺のカフカ 〔上〕 (新潮文庫)」村上春樹5

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海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
海辺のカフカ 〔上〕  Haruki Murakami: “Kafka on the Shore”, 2003 (新潮文庫)

○著者: 村上春樹
○出版: 新潮社 (2005/2, 文庫 486ページ)
○定価: 740円
○ISBN: 978-4101001548
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ぼくの娘は、そうかァ15歳、この春4月に高校生になった。いろいろ彼女なりに考えて、ガンバっている様子(詳しいことはぼくには分からない)、たとえば、部活は吹奏楽部に入部したようだし、図書委員になったらしい。で、「村上春樹の『海辺のカフカ』を学校の図書館で借りて、まもなく返さなくちゃいけなくって、だから読まなくっちゃ」とは、すこしまえGWに会ったときに話していたっけ。
ぼくがかつて読んだのは、いつだったか??!と記録を辿ると、およそ5年半前、2006年12月12日のこと。そのころ、いろいろいろいろあって(あまりたのしい記憶ではない、だからかずいぶんと忘れてしまった)、なんだかんだと好んで村上春樹の本を積極的に手にして読んだ。

などとしてどうにも書きあぐねているところに、娘からの携帯メール着信は、ぼくの「上巻読んだけど、どう??」にたいする返信で、およそ「大体読んだけど、よく分からなかった、だから下巻は借りなかった(もう読まない)」、、、案の定、などと言ったら気分を害するかもしれないけれど、やっぱり長篇小説を読むことはタイヘンなことで容易なことではなくフツーに挫折する、ようなことはイヤというほど経験しているからね、アタリマエのようにわがことのように(他人事ではなく)想像できる。4月からの新生活は、私立高校は土曜日にも授業があって、これまでの公立の小・中学校での土日が休みだったのとは異なり、体がそのリズムにサイクルに慣れるのにはすこし時間がかかるだろう。
そして、さらに悪いこと?!には、「今度は『カラマーゾフの兄弟』全6巻に挑戦……」とは、、、たしかにぼくは、高校生のうちに読んだらいい、読んで欲しい本として、挙げた本の2冊+αを、『源氏物語』(ぼくが読んだのは橋本治の『窯変源氏物語』全14巻・中公文庫版だ)と、カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー。こちらはご存知、亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫版・全6巻で、ね)、そしてドン・キホーテ(セルバンテス。牛島信明訳の岩波文庫版・全6巻と、荻内勝之訳の新潮社版・全4巻)とした、ただし、として、まずはなによりも本を読むことに慣れること、のタイセツ(いきなりなんらの準備も装備も整えないままに目に見える富士山の山頂を目指して東京あたりから歩き始めるような無茶みたいな?!)を説いたハズだったのだが、、、
ぼくとしては、長篇小説はカンタンなものではないこと、そして、ぼくもいまだにフツーによく分からないままにそれでも最後まで読み終えるように心がけていること(小さな成功体験は必要だろう)、オマケで、外国人の登場人物の名前のカタカナが読み辛くて苦手なこと、なんかを付け加えて、それでも、なにごとも経験であり、まずは挑戦(チャレンジ)なのであり、とりあえず、やってみよう!!、とエールを(メールで)おくり返すのが精一杯のところ


「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真……。


≪目次: ≫
海辺のカフカ 上巻』 Kafka on the Shore, 2003.
 カラスと呼ばれる少年


≪著者: ≫ 村上春樹 Murakami Haruki 1949(昭和24)年、京都市生れ。早稲田大学第一文学部卒業。'79年『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ねじまき鳥クロニクル 第1部第2部第3部』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。






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本「冬の夢  Winter Dreams (村上春樹 翻訳ライブラリー)」スコット・フィッツジェラルド、村上春樹 訳5

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村上春樹翻訳ライブラリー - 冬の夢
冬の夢  Scott Fitzgerald: “Winter Dreams” (村上春樹 翻訳ライブラリー)

○著者: スコット・フィッツジェラルド村上春樹
○出版: 中央公論新社 (2011/11, 新書 353ページ)
○定価: 1,155円
○ISBN: 978-4124035339
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そう、うしなう失う喪うこと、とはどうなんだろう?!、あるものがかつてあったものが、じつはあるときにあるところにあったからこそ、そのときそのところにあったものがうしなわれる、存在の不存在、かつてあった、いまはない、いまはない、かつてあった、かつてあった、いまはない、いまはない、ない、ない、ないないないないない


天衣無縫に、鮮やかに、そして痛切に――八十年の時を越えて今も読む者の心を打つ、二十代の天才的作家の瑞々しい筆致。フィッツジェラルドのベスト短篇の一つに訳者が挙げる表題作ほか、来るべき長篇小説の原型を成す「プレ・ギャツビー」期の五篇をセレクトした〈若き日の名作集〉。


≪目次: ≫
冬の夢  Winter Dreams, 1922
メイデー  May Day, 1920
罪の赦し  Absolution, 1924
リッツくらい大きなダイアモンド  The Diamond As Big As The Ritz, 1922
ベイビー・パーティー  The Baby Party, 1925

「『グレート・ギャツビー』に向けて」――訳者あとがき (二〇〇九年九月 村上春樹


※『冬の夢』二〇〇九年十一月 中央公論新社刊


≪著者: ≫ フランシス・スコット・フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald 1896年、ミネソタ州生まれ。プリンストン大学を中退し陸軍に入隊。除隊後の1920年、処女長篇『楽園のこちら側』を出版、全米ベストセラーとなる。同年結婚したゼルダ・セイヤーとの華やかで奔放な暮らしぶりで時代の寵児となる。数多くの短篇を雑誌に発表するほか、長篇『美しく呪われたもの』『グレート・ギャツビー』などが高く評価されるが、世界恐慌、ゼルダの病などが生活に影をおとし始める。失意と困窮のうちにアルコールに溺れ、40年、心臓発作で急死。

スコット・フィッツジェラルド 『愛蔵版 グレート・ギャツビー  The Great Gatsby, 1925』(村上春樹 訳、中央公論新社、2006年) '07/08/26
スコット・フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー The Great Gatsby, 1925』(村上春樹 訳、中央公論新社、2006年) '07/04/18
フィッツジェラルド 『グレート・ギャッツビー  The Great Gatsby, 1925』(小川高義 訳、光文社古典新訳文庫、2009年) '09/10/02
フィッツジェラルド 『若者はみな悲しい  All the Sad Young Men, 1925』(小川高義 訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '09/01/01





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ずっと昔、と彼は言った、ずっと昔、ぼくのなかにはなにかがあった。でもそれは消えてしまった。それはどこかに消え去った。どこかに失われてしまった。ぼくには泣くこともできない。思いを寄せることもできない。それはもう二度と再び戻ってはこないものなのだ


本「走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)」村上春樹5

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走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)
走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

○著者: 村上春樹
○出版: 文藝春秋 (2010/6, 文庫 272ページ)
○価格: 540円
○ISBN: 978-4167502102
おすすめ度: 4.5
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そうね、ぼくももしもそのころに長いポニーテール!?を持っていたとして、持ちえる立場にあったと仮定してみて、持ちえなかったとしてみても
能力の差異みたいなものを、個人の能力には歴然とした差異があることを知っていなかったわけではないけれど、どちらかと言うとそんなことを認知して口外しちゃったら、イケナイんじゃないか、そりゃマズイでしょう、相手に失礼にあたる?!、といったような、分かってるんだか分かっていないんだかよく分からないような(まるで分かっていない!!?)考え方を根深く持っていた時期が、ぼくには長くあって。人はみな平等で、本来的には等しく能力を与えられて、いまなしえていないのは努力が足りないからだ、それは他人にも言えて、もちろんぼくにも言えることで、ときに自らのことを棚にあげて他人のことばかり要求してみたりもして。ぼくが勝手に求めた他人への憤りと、なによりみずからの不甲斐なさへの憤り、「彼(女)はじょうずにちゃんとできているのに、どうしてぼくにはじょうずにちゃんとできないのだろう(じょうずにちゃんとできる気がしないのはどうしてだろう)?」


もし僕の墓碑銘なんてものがあるとしたら、〔少なくとも最後まで歩かなかった〕と刻んでもらいたい――1982年の秋、専業作家としての生活を開始したとき路上を走り始め、以来、今にいたるまで世界各地でフル・マラソンやトライアスロン・レースを走り続けてきた。村上春樹が「走る小説家」として自分自身について真正面から綴る。


≪目次: ≫
前書き 選択事項(オプショナル)としての苦しみ (2007年8月某日)
第1章 2005年8月5日 ハワイ州カウアイ島 誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?
第2章 2005年8月14日 ハワイ州カウアイ島 人はどのようにして走る小説家になるのか
第3章 2005年9月1日 ハワイ州カウアイ島 真夏のアテネで最初の42キロを走る
第4章 2005年9月19日 東京 僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた
第5章 2005年10月3日 マサチューセッツ州ケンブリッジ もしそのころの僕が、長いポニーテールを持っていたとしても
第6章 1996年6月23日 北海道サロマ潮 もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった
第7章 2005年10月30日 マサチューセッツ州ケンブリッジ ニューヨークの秋
第8章 2006年8月26日 神奈川県の海岸にある町で 死ぬまで18歳
第9章 2006年10月1日 新潟県村上市 少なくとも最後まで歩かなかった
後書き 世界中の路上で (2007年8月某日 村上春樹)

※単行本 二〇〇七年十月 文藝春秋刊


≪著者: ≫ 村上春樹 (むらかみ・はるき) 1949年、京都生まれ、早稲田大学文学部演劇科卒業。79年『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞、82年『羊をめぐる冒険』で野間文芸新人賞、85年『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎潤一郎賞、96年『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞、99年『約束された場所で underground 2』で桑原武夫学芸賞を受ける。2006年、フランツ・カフカ賞、フランク・オコナー国際短編賞、07年、朝日賞、坪内逍遥大賞、09年、エルサレム賞、『1Q84』で毎日出版文化賞を受賞。ほかに、『ノルウェイの森』、『国境の南、太陽の西』、『海辺のカフカ』、『神の子どもたちはみな踊る』、また『翻訳夜話』(柴田元幸との共著)、『レイモンド・カーヴァー全集』など多くの著作、翻訳がある。

村上春樹 『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋、2007年) '07/11/19





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本「ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's」トルーマン・カポーティ、村上春樹 訳5


ティファニーで朝食を Breakfast at Tiffany's
著者: トルーマン・カポーティ、村上春樹 訳
単行本: 223ページ
出版社: 新潮社 (2008/2/29)




新潮社から、「村上春樹の本5冊、同時刊行!」が2008年2月28日のことで、ぼくにとっても“村上春樹”はやっぱり特別な存在だから、どうしても読まずにはいられない。
1958年春に出版され、1961年に映画化された、“トルーマン・カポーティ (Truman Garcia Capote,1924.9.30-1984.8.25)”の名作の新訳。

実は最近、どこか小説であり物語を、素直に心から愉しめない自分自身を感じていて、それでも小説を手にして最後まで読み切っていることも事実としてあり、そもそもが“読書”って、決して愉快なものとは限らず、ただただ楽(ラク)をしたいと思ったら読書なんてできない。
そう考えると、やっぱりぼくは「自らの意思で手にしている」という無意識のうちに「欲している」という意識を採用していきたい、その一方では「ホントにイヤなら途中でも止めたらいいんじゃない」と斜に構えていたりもする。ところが、その「嫌悪する」という判断を下すぼくの、その判断というものの根拠であり判断基準というものは、果たして正確な採用に値するものであろうか? 基準そのものは個人個人の感覚によるものだから、それぞれが相異して当然のものであろうけれども、また、皆が同一であることの方が不自然なものではあろうけれども、そう考えれば考えるほどに、ぼくはますます判断を下しかねる。

何気なく、ぼくの中の“反米感情”の拡大に、ふと気付かされたのが、最近好んで手にする佐藤優の著作からあって、その感情自体を抱くことを単純に否定する必要はないけれども、果たして安易に反対の意思を表して忌避する行為が、正しく得策であるのかどうなのかは、充分に考慮すべきであろう。だからと言って、何でもかんでもを何も考えることなく受け流すことを、ぼくは圧倒的に不得手とする。微細な事柄が気になって、見逃すことができない、ついこだわってしまう。
自らの権威主義的な部分、その裏返しとしての反体制的な部分。
あぁ、ますますぼくは語り得ない。

彼女は微笑んだ。喜びを欠いた、はかない微笑みだった。これまで目にしたことのなかった微笑み。「でも、私はどうなるの?」と彼女は言った。囁くような小さな声で。そしてまた身震いした。「私は怖くてしかたないのよ。ついにこんなことになってしまった。いつまでたっても同じことの繰り返し。何かを捨てちまってから、それが自分にとってなくてはならないものだったとわかるんだ。いやったらしいアカなんてどうでもいい。太っちょの女だって、なんでもない。でもこいつだけは駄目。口の中がからからで、どう力をふりしぼっても、唾ひとつ吐けやしない」。彼女は車に乗り込み、シートに沈み込んだ。「ごめんなさいね、運転手さん。行ってちょうだい」 (P.136)


≪目次: ≫
 ティファニーで朝食を  Breakfast at Tiffany's
 花盛りの家 House of Flowers
 ダイアモンドのギター A Diamond Guitar
 クリスマスの思い出 A Christmas Memory


肌色♪
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本「ペット・サウンズ PET SOUNDS (新潮クレスト・ブックス)」ジム・フジーリ、村上春樹 訳5


ペット・サウンズ PET SOUNDS (新潮クレスト・ブックス)
ジム・フジーリ、村上春樹 訳
単行本: 187ページ
出版社: 新潮社 (2008/2/29)




そう、“ペット・サウンズ(Pet Sounds)”は、1966年5月16日、アメリカのポップグループ“ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)”がリリースしたアルバム、「ロックの歴史を変える名盤」と謳われる、ブライアン・ウィルソン(Brian Douglas Wilson,1942.6.20- )の傑作。
その時13歳だった著者“ジム・フジーリ(Jim Fusilli)”が描く物語。

・・・我々が立ち会うのは、ナレーターであるブライアンが女の子に向かって初めて心を打ち明ける場面だ。でも思ったように心の内を言葉にすることができない。抽象的ではあるが、高度にパーソナルな宣言、それが彼にできることのすべてだ。愛が自分の人生に何をもたらしてくれることを望んでいるのか、自分でも今ひとつ確信が持てないみたいだ。そしてどうしようもなく混乱をきたしている。深く、すべてを包み込むような愛を、その心は何よりも希求している。彼女が相手だからそうなのか、あるいは相手とはかかわりなく、彼が本来そういうものを強く求め続けているのか。そしてそのようなタイプの愛は現実に実在するのだろうか。あるいはそれは幻想が生み出し、意志が作り上げたものに過ぎないのか。 (P.73-P.74)

あぁ、ペット・サウンズも、ビーチ・ボーイズも、ブライアン・ウィルソンも、ロックも、ぼくにはまったく無縁の世界、まずは知らないし、そして残念ながら興味を持ち得ない。ただ“村上春樹”が読みたかった。

波乱万丈と簡単には語ってしまいたくない、ブライアン・ウィルソンの生き様。心を病み、引き籠もり、ドラッグや酒に溺れ、体重が160キロ近くにまで。
何とか(?!、どうにかこうにか、やっとのことで)、1988年からソロ活動を再開(復活を果たす!?、20年超?!)するも、、、


≪目次: ≫
 プロローグ 「僕にはちゃんとわかっているんだ。
            自分が間違った場所にいるってことが」
  “I know perfectly well I'm not where I should be...”
 第1章 「ときにはとても悲しくなる」
  “Sometimes I feel very sad...”
 第2章 「僕らが二人で口にできる言葉がいくつかある」
  “There are words we both could say...”
 第3章 「キスがどれも終わることがなければいいのに」
  “I wish that every kiss was never-ending...”
 第4章 「ひとりでそれができることを、
            僕は証明しなくちゃならなかった」
  “I had to prove that I could make it alone now...”
 第5章 「しばらくどこかに消えたいね」
  “Let's go away for awhile..”
 第6章 「自分にぴったりの場所を僕は探している」
  “I keep looking for a place to fit in...”
 第7章 「でもときどき僕はしくじってしまうんだ」
  “But sometimes I fail myself...”
 第8章 「答えがあることはわかっているんだ」
  “I know there's an answer...”
 第9章 「この世界が僕に示せるものなど何ひとつない」
  “The world could show nothing to me...”
 第10章 「美しいものが死んでいくのを見るのはとてもつらい」
  “It's so sad to watch a sweet thing die...”
 エピローグ 「もし僕らが真剣に考え、望み、祈るなら、
            それは実現するかもしれないよ」
  “Maybe if we think and wish and hope and pray
   it might come true...”
 訳者あとがき 神さまだけが知っていること


ツブツブの実!?
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本「辺境・近境」村上春樹5


辺境・近境
著者: 村上春樹
単行本: 252ページ
出版社: 新潮社 (1998/04)




旅行を綴るエッセイ集。
「やっぱり上手いなぁ」などと、その表現と言葉運び(?!)の妙に、今更ながら感嘆を漏らす。僕を読書の愉しみへと誘った”村上春樹”、まだまだ僕が未読の著作が少なくない。

そう、”忘れないこと(P.190)”、ノモンハンの旅行記を締め括る言葉。
それは、神戸を歩いて、”喪失感をもたらした、記憶の集積(僕の貴重な資産)”、1995年1月17日”阪神・淡路大震災”であったり、都市化されて様相を変えた街並。関連して思い起こされる、1995年3月20日にオウム真理教が起こした無差別テロ”地下鉄サリン事件”。
メキシコのチアパスの先住民族であるインディオたちがかつて侵略を受け、迫害されてきた歴史があって、失われた文化、そして今だって続く血なまぐさい抗争の舞台としての緊張。
1939年5月〜9月のノモンハン事件の傷跡をそのままに残す乾いた大地。
山口県の瀬戸内海に浮かぶ無人島の、日が暮れた後に何処からかゾロゾロと姿を現す”自立した生態系”にある、フナムシやらゾウリムシみたいなのやらの小さな生き物たち、ザワザワと不気味な音を立てて蠢き出しちゃったら、狭いテントの中に閉じ籠って朝を待つしかない人間の”闖入者”たる無力さ。
あぁ、忘れないこと!?


≪目次:≫
 イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地 (1991.秋)
 無人島・からす島の秘密 (1990.8)
 メキシコ大旅行 (1992.7)
 讃岐・超ディープうどん紀行 (1990.10)
 ノモンハンの鉄の墓場 (1994.6)
 アメリカ大陸を横断しよう (1995.6)
 神戸まで歩く (1997.5)
 辺境を旅する (雑誌「波」1990年9月号)








本「走ることについて語るときに僕の語ること」村上春樹5


走ることについて語るときに僕の語ること
著者: 村上春樹
単行本: 248ページ
出版社: 文藝春秋 (2007/10/12)



日常的に文章を書き記すことを職業としている作家”村上春樹”が、四半世紀もの間の経験と実績を経て、ついに表現を得た”走ること”。
エッセイというよりも、メモワール(個人史、回顧録)のようなものだと考えている、と語る、ささやかならざる重みを有する著作。タイトルに、敬愛する作家レイモンド・カーヴァーの短篇集のタイトルを用い、その想いを籠める。

自らを、作家であり、ランナーであることを公言する村上春樹は、専業作家となった1982年秋から”走ること”を始め、1983年に自らギリシャに赴いてオリジナルのマラソン・コース(マラトンアテネ)を一人で走破して以来、毎年のフルマラソン(42.195km)に飽き足らず、ウルトラマラソン(100km)、トライアスロンにまで挑み続けている。
1949年生まれ、現在58歳。
小説家として世界的な地位を確立し、多くの著作を精力的に発表している訳だから、簡単にエッセイなどをちょいちょいと書き記せそうな気もするが、その構想から何と10年以上もの歳月を要している。

何よりも、いきなりフルマラソンを走れてしまう高い運動能力に驚きを隠せないが、それはさておき、”走ること”への想いの深さ。
当初は健康維持が目的だった。専業作家になることによって、自らの体躯を動かして行う作業的な動作は著しく減少する。机に向かって黙々と、頭と心を駆使する労働。
ある意味では、自らの体躯が欲していたのかもしれない、”走りたい”と。村上春樹本人も何度も書き記しているが、第三者から強要される作業(学校での勉強!?)には全く身が入らず、長続きせずに何も得られない(そのことが無意味であることを習得した!?)。自らが欲して起こした行為や行動(それでも全てではない)は、習得の度合いが著しく速い。確かに、自らが興味を抱いた事柄は、頭への入り方がスムーズで、しっかりと記憶に残る。そして、新たに得られた知識が、さらに新たな興味を引き出して、加速度的な発展を見せる。
環境的には、作家という、ある意味では時間的な拘束が少なく(毎日会社に通勤をするサラリーマンに比較して)、自らの意志で自由に時間を使うことができる利点はあるのかもしれないが、それとて、自らの意志の成せる業であり、どんな環境に身を置いても、誘惑はとっても多い。そして、人間の意志は弱く儚い。
だって、”走ること”って、やっぱり辛く苦しい。人間に原始的に備わっている、基本的な動作ではあるが、現代社会においては、自らの足を使うまでもなく便利な自動車や自転車がある日常生活。目的地への移動ということを考えた場合には、絶対的に”走ること”は選択されない。
一見して、何の意味をも有しないと思われる”走ること”。果たして、本当に意味を有しないのであろうか? ある意味では、何の意味をも有しないということは、真実でもあろう。例えば、学校教育現場において、一律に強要される長距離走。それぞれ個人の都合も事情も何も関係なく強要される作業に、過去の記憶がよみがえり、憤りを感じる一方で、それが社会一般の在り方、特に学校教育現場の在り方であり、その状況を経ることによって、結果的には”走らされる”(強要される)ことによって自らが考えることに、意義がある側面をも否定できない。

”走ること”には、動作や作業としての効率や利便性を超越した概念が存在する。
高度に経済が発展し、機械技術が向上し、著しく高まった利便性によって、現代社会はさらなる効率を追い求め、忙しく追い立てられ、淡々と与えられた作業として遣り過すことによって、考えることをしなくなっている傾向を否定できない。
それ相応の時間を費やして行われる動作”走ること”。費やされる時間が多ければ多いほどに、流れる時間がゆっくりであればゆっくりであるほどに、本来のあるべき人間の本能が呼び起こされよう。
本当に大切なこと、本当の幸せが何であり、何によって得られるのか、慌ただしい現代社会の時間の流れから一歩身を引いて、客観的にじっくりと考えてみることも、時に必要とされよう。
”走ること”が、単純でシンプルな、人間の本能に基づく動作であり、そこに含まれる意義(私は断片的に限定的にしか理解できていない、というかほとんど分かっていない!?)が広汎であり、哲学的に文学的に、充分に”語る”に値する、と村上春樹が考えたかどうか、私は知らない。








本「うさぎおいしーフランス人」村上春樹5


うさぎおいしーフランス人
著者: 村上春樹
イラスト: 安西水丸
単行本: 264ページ
出版社: 文藝春秋 (2007/03)




「脳減る賞」方向に物ごとが勝手に流れていってしまって、作ってみたかった「村上かるた」みたいなもの。
世界の”村上春樹”の精神領域にある、
まじめに現実社会と対峙しようとすればするほど、「まったく世の中のためにはならないけど、ときどき向こうから勝手に吹き出してくる、あまり知的とは言いがたい種類のへんてこな何か」
が、あっという間にたまってしまった作品集。
ソウル・ブラザー(?!)”安西水丸”が、イラストを添える。

表題作”うさぎおいしーフランス人”は、
フランス人と、子豚の釣り師と、あしかと、村の貸家と、噛み合わない会話が繰り広げられる。『小鮒釣りし、かの川』であり、『うさぎ追いし』であることに、意味があろうがなかろうが、そんなことはどうでもいい。

五十音の”かるた”があって、それだけじゃ”ネタ”が収まりきらなくって、本採用されなかった”ネタ”まで、合わせて百八篇。
これだけ揃えば、本になる。
これがまた売れちゃうんだよね、そこそこに。”村上春樹”を欲している人は多い。当然に私もそのひとり。


思い起こせば、私に読書の愉しみを教えてくれたのが”村上春樹”であり、しかもそれは、昨年夏以降の出来事。
小説であり、エッセイであり、翻訳作品まで、村上春樹を片っ端から読破しようと企てた。それまで、読書の習慣がなく、時折ビジネス書を読んで表面的な啓蒙に満足感を得るだけで、小説を読むことができなかった。作り話を愉しむ心の余裕もなく、ただただいきがっていた。
その後に、気が付いたら、いつの間にやら、すっかり”読書依存症”に陥り、片時も本が手放せなくなった。興味の赴くままに、とりあえず先入観なく読んじゃう。なかなか全ての理解には至らないけど、そんなの当たり前。理解できると思う方がおこがましい。それでも、経済活動の一環としてこの世に出版されている”本”には、出版社というプロ集団が、それなりの商機を感じて市場に流通させている訳で、私がその本を読む行為に費やす2〜4時間が、無駄になることはない。どんな本にも、ひとつくらいは、気付きがある。

海外で高い評価(ブッカー賞など)を受けている現代文学作品など、「えっ?!!、何が面白いの?!、分からない!?」と言葉を失う表現を多く目にする。
そう、虚構の世界の崇高(?!)な言葉遊び♪








本「愛蔵版 グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド、村上春樹 訳5


愛蔵版 グレート・ギャツビー
著者: スコット・フィッツジェラルド
訳者: 村上春樹
単行本: 319ページ
出版社: 中央公論新社 (2006/11)



グレートな”ギャツビー”氏の、グレートな邸宅で、夜な夜な開催されるグレートなパーティー。招待客のみならず、見知らぬ多数が集う。食事は食べ放題、お酒も飲み放題。広大な芝生が拡がる庭は、プールまで有する。海を望む広大な邸宅。
そんなギャツビーの野望はひとつ。五年前に失われた”愛”を取り戻すこと。野望の達成のためには、手段を選ばない。そのたったひとつの目的のためだけに費やしてきた労苦。

描かれるのは、1920年代のアメリカ。
圧倒的な階級社会。出身であり、家柄であり、卒業した大学であり。金持ちたちの興味や、付き合う相手に対する判断基準は、現実的な資産の有無以上に、生まれた環境に左右される。自らの実力がどんなに優れ、巨万の富を収めたとしても、超えられない絶対的な障壁。

五年前のギャツビーが、家柄の良い素敵な女性との間に落ちた恋。
階層の違いを痛切に感じるものの、その憧れや羨望も相まって燃え上がる恋心。家柄を考慮しない互いの間柄においては、何もかもが上手くいった。互いに惹かれ合うふたり。
非情な戦争。軍人のギャツビーに自由は無い。功績を上げたが故に、能力を有していたが故に、彼女との間は遠く離れ、引き裂かれる関係。むしろそれが宿命であり、ギャツビーは夢から覚めるべきであった。
そうして、彼女は恋の痛手から、乱れた衝動に駆られるも、収まるべく家柄の良い男との婚姻関係を結び、家庭を育む。夫に優れた能力は有しない。そんなものを必要としないほどに優れた家柄。何もしなくても、その存在は一目置かれ、本人も自負しているが故に尊大な行動が目に余る。

ギャツビーは、戦争を理由に良家の彼女との間柄を引き裂かれるも、実は文無しのただの軍人でしかない彼にとっては、そこで「いい夢を見た」と諦めていれば、事件は起きなかった。運命とは非情なもので、奮い立たされたギャツビーの心は、何とも大きな成功を勝ち得、結婚して、他人の妻となってしまった彼女の家の灯りを遠くに望む、広大な邸宅を手にするまでの富を、成功を得る。富も成功も得ることがなければ、決して事件は起き得なかった。一見、無意味な盛大なパーティー開催の金銭的な負担だって、負担と思わないくらいの富を得た。勝ち得た原動力は、すべて彼女への想い、ただただそれだけ。

広大な屋敷を構え、誰構うことなく盛大なパーティーへの参加を許し、自らの偉大さをアピールしつつ、狙うはただただ彼女のみ。彼女に、現在の自分自身の存在を認知させ、五年間の歳月を巻き戻して、ただただ取り戻したい彼女の気持ち。五年の歳月の重み、意味、それでも乗り越えられない階級の厚い厚い障壁、現実。そんなことは充分以上、ギャツビーだって知っている、本人が一番理解をしている。それでも、それだからこそ、どんな危険を冒してでも、挑戦する意義があろう。自らの命を賭けてでも。
自由奔放な良家の美しい、気まぐれな彼女に翻弄されたとしても、何を失うことも恐れることが無いギャツビーにとっては、命を懸ける絶対的な意義があった。

ギャツビーはグレートだった。


圧倒的不条理に満ちた階級社会。
悲哀に満ちたひと夏の物語。


1940年に40歳の若さで世を去った、著者 スコット・フィッツジェラルド(Francis Scott Key Fitzgerald,1896.9.24-1940.12.21)。

冒頭、
  −再びゼルダに
彼女−自由奔放な最愛の妻−無しには語れないフィッツジェラルドの人生、物語。

訳者 村上春樹の深い深い熱い想い。










「グレート・ギャツビー -村上春樹訳」読みました。5


グレート・ギャツビー
著者: スコット・フィッツジェラルド
訳者: 村上春樹
単行本: 356ページ
出版社: 中央公論新社 (2006/11)




思うに、手にした本には手にするだけの理由があって、仮に何気なく手にしていたとしても、そこには何らかの必要性や必然が存在している。
読者にその理由や必要性や必然があるように、著者にも当然に、自らの作品としてこの世に生み出す理由や必要性や必然に導かれて、創作活動に勤しむ。

村上春樹の、深く熱い想いを籠めた翻訳、フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド (Francis Scott Key Fitzgerald,1896-1940)の代表作であり、アメリカ文学の代表作ともいわれる『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby)

紡がれる物語は、30歳の男の、ひとりの男(ギャツビー)をめぐるひとときの回想録?!
華々しく、数奇で、そして悲しみに満ちた運命。
夜な夜な繰り広げられるパーティーが意味するもの。
そして死。

歳若い頃に耳にした父の言葉に始まり、殺戮(ホロコースト)の環が閉じられて、それぞれの心の内に抱いて秘めている様々な想い。
素敵な物語。


実は恥ずかしながら、その素晴らしさを理解し得なかった。
今回は単行本、いずれ時を経て、愛蔵版を手にしたい。
ある意味では、タイミングや瞬間の妙、色々あってもいいのかもしれない?!

村上春樹の「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげろ」リスト
1.「グレート・ギャツビー」
2.「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキー
3.「ロング・グッドバイ」 レイモンド・チャンドラー


それでもやっぱり、私を読書の道に導いてくれた師「村上春樹」の想いに触れたい、理解したい!
そんな願望や、いずれ手にしたい想いを込めて、
 ☆×4つ(甘い?!)!








「東京奇譚集 -村上春樹」読みました。5


東京奇譚集
著者: 村上 春樹
単行本: 210ページ
出版社: 新潮社 (2005/9/15)



一般的に、自らが経験したことを言葉にすると、不思議と(当然といえば当然でもあるのだが)相手の心に伝わる力を発揮する。
逆に、他人からの聞きかじりや、伝え聞いた話って、それなりだったりする。単純に、話術や表現力や想像力にも因るのかな?

5つの短編が綴られる。
『偶然の恋人』では、いきなり著者”村上春樹”が登場する。この方の意外性というか、読者を混乱に陥れる手法が心地良い。嘘のようなホントの話というのか、まるで人を食ったような展開すら、物語に引き込ませるひとつのソースなのである。妄想力は果てしなく駆り立てられる。カフェで隣り合わせた女性も偶然に読み耽っていたという”チャールズ・ディッケンズ『荒涼館』”すら、読みたくなるのである。そのようにして、彼の著作から手にした数々の作品は、どれも私を充分に満足させてきた不思議。
『ハナレイ・ベイ』は女性が主人公で、またこれがかっこいい。ひとり息子が19歳のときに、ハワイでサーフィンしていて鮫に足を喰いちぎられてショックから溺死して、それから毎年、その海に3週間滞在する。かっこいい女性。
『どこであれそれが見つかりそうな場所で』に登場する私(主人公)は、消えてしまった人を探す。相談にのって、しかし無料なのだ。報酬を得ることなく、それを遂行することに意義があるという。人が消えることも、少ないヒントのようなポイントから何かが感じられるまでそれを繰り返す捜索手法、無報酬、あらゆる矛盾に満ちているからこそ垣間見える本質。しかし、捜索依頼された消えた人は、20日の後に、その日数と記憶のみを失って、その現実の世界に姿を現す、それ以外には何も失われていないが如くに。
『日々移動する腎臓のかたちをした石』は、16歳のときに、父親から言われた「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それよりも多くもないし、少なくもない。」という言葉が頭から離れず、それを父親に問いただし、真意を確認する間も無く、父親はこの世を後にしてしまった、作家の男が主人公。その短編小説を執筆中に出会った、バランス感覚に執着する女性と、その作品に登場する石と。その石が示すもの。
『品川猿』は、自らの名前をふと忘れてしまうことが多くなった女性。品川区の”心の悩み相談室”で出会ったカウンセラーが犯人として捕らえたのは、下水道に潜む人間の言葉を喋る”猿”。その猿が、猿だから言えること、言うことの意義。自ら命を落とした高校時代の友人、母や姉との関係と。

悪くない。
         ☆×5つ。








「ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編 -村上春樹」読みました。5


ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編
著者: 村上 春樹
文庫: 509ページ
出版社: 新潮社 (1997/09)



私にはもう少しものを考える時間が必要なのね。自分が本当は何をしたいのか、本当はどんなところに行きたいのか、そういうことを私はゆっくり考えたいの


ねじまき鳥に導かれた謎の迷宮への旅。第3部完結編。
やっぱり”村上春樹”は凄い。
流石に長編大作だけあって、一気に!とはいかなかったが、それでも興奮が冷めることなく継続し続けるこの感覚、やっぱり只者ではない!

当然に全てが明解にされ、ハッピーエンド、何て展開は有り得ない。
それは私も期待しない。これ位の不明瞭な余韻を残して終わらせることによって、作品の奥行きがより一層深まる。
とっても素敵。


心行くまで小説を楽しみたい。








「ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編 -村上春樹」読みました。5


ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編
著者: 村上 春樹
文庫: 361ページ
出版社: 新潮社 (1997/09)



僕は、オカダ クミコを取り戻したい。
そのために、逃げることなく闘わなければならない。
待つべきときには待つしかない。


ねじまき鳥クロニクル 全3部作の第2部です。
第1部を読了してから既に3週間が経過してもなお、私の心に消え失せない衝撃があり続ける。


メタファーのひとつに”井戸”がある。
真っ暗なその空間にひとり閉じ込められたときに見えてくるもの、そのある意味”死”すら感じさせるその時間の中で考える”本質”、時に人には自分自身を深く見詰める”とき”が必要である。

小説の中に込められた、著者の熱いメッセージが私の心を激しく揺さぶる。
村上春樹の哲学に、頭のてっぺんから足の爪の先まで、どっぷりと魅了されてしまっている。 とても心地好い。


私には、どうしても主人公の僕(オカダ トオル)を他人に思うことができない。
だから、ますますどっぷりはまっていくのかもしれない。




「ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編 -村上春樹」読みました。5


ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編
著者: 村上 春樹
文庫: 312ページ
出版: 新潮社 (1997/09)


やっぱり凄い!
グイグイと引き込まれるこの感覚。
だから”ハルキワールド”は、クセになる!

3部作のうちの、第1部を読了しました。
各300ページ強、全1000ページ超の長編大作だから、こちらとしても気長に構えていまして、他の著作をちょいちょいとツマミ読みをしながら、進めていきます。
ちょうど、フランツ・カフカの”城”を読了したところなので、体が”村上 春樹”を求めているのです。 色々なことが、す〜っと沁み込んでくると言うか、とっても心地好い。

作品としては、相変わらずの不思議な展開の物語が、様々な角度から同時進行している、その序の口でしかなく、ただただ流れに身を任せ、この後の展開を楽しみに、ワクワクしている状態ですが・・・
一見不可解な、不快にさえ思わせる、克明過ぎる描写の中に隠される、著者のメッセージ、そこに触れるときに、それを感じたときに、ゾクゾクするものを感じる。
平易な表現を用いて、分かり易く、馴染み易く、そして、ユーモアに溢れ、時にドキッとさせられるところに、著者の深く大きな”愛”すら感じる。


ところで、村上春樹の作品の中に、度々表される、
”私の中のある何かは、もう既に死んでいた・・・”
激しい衝撃を受けた事柄に、自身の内側の何かが完全に損なわれ、肉体的には生きつつも、精神的には、大きな部分を喪失したまま、決して、その肉体的な”死”を迎えることが無い状態。
そこに意味するものは?
隠されたメッセージは?

楽しみである!!

「もし僕らのことばがウイスキーであったなら -村上春樹」読みました。5


もし僕らのことばがウィスキーであったなら
著者: 村上春樹
文庫: 122ページ
出版社: 新潮社 (2002/10)



好きなことを、とことんまで楽しむ!
楽しんでいる著者の姿に、私の心にその高揚感が伝わり、私自身も楽しい素敵な気分に浸ることができる。
旅が好き、ウイスキーが好き、工場が好き、人が好き、好きだから興味が湧く、興味が湧いてもっと深く知りたくて、知れば知るほど興味は尽きない・・・ 楽しみの連鎖反応! 素敵だ!!

久し振りに敬愛する”村上春樹”に触れて、癒される・・・
平成11年12月刊行の、スコットランドとアイルランドを”ウイスキー”をテーマに旅をした著者夫妻の、美しい写真が添えられたエッセイ。

村上春樹の文章に、深く穏やかな優しさを感じる・・・ 心地良い!
村上陽子の写真が、その心地良さを、より深いところへ導く・・・ 私は、スコットランドにもアイルランドにも訪れたことは無い。 しかし、その写真を目にすることによって、文章に表された情景に、より鮮明な奥行きが生まれる。
また、写真として、カメラという機械に切り取られた瞬間は、その撮るものの想いが乗り移る。 何を想い、何を感じ、何を考え、この瞬間を切り取ったのか? 当然に、本人にしか分からない想いはあるのであろうが、不思議と伝わるもの、感じるものがあり、そこから更に私の想像は果てしなく膨らむ・・・
好きなことを、心から楽しんで、それを表現する・・・ そして、それを見た(読んだ)人が、それぞれの自身の中の何かにヒットし、衝き動かす・・・

素敵な心地良いひとときを過ごすことができた・・・ (☆×5)

菜の花-アブラナ

「こころの声を聴く -河合隼雄対話集」読みました。5


こころの声を聴く―河合隼雄対話集
文庫: 312ページ
出版社: 新潮社 (1997/12)



心理学者で、心理療法家の先生のお話しは、やっぱりどこか難しいところがあり、なかなか理解し得ない部分がありました(笑)! 対話の相手が、やはり知識人の場合は、相手に失礼の無いように、当然に専門性の高い分野に突入して、私は文字を追うのに精一杯なのです(笑)! それでも、その中にも、ピンとくること、なるほど・・・と思わせられることなどが、とっても沢山あり、とってもとってもオモロカッタ(著者は、まえがきにて、極めて大切な価値の指標として”オモロイ”か”オモロナイカ”を挙げておられます・・・)! 当然に”オモロイ”には、”おもしろい”(そして、ためになる)とは少しニュアンスの差があり、そこに大切な、どこか腹にこたえる、何か未知のインパクトがあり、人間全体としての反応に重点をおいた言葉なのだそうです・・・
河合隼雄が、著作を話題とした、10名の著名な方(当然、村上春樹が含まれています・・・)との無意識の領域にまで分け入っていく、”こころの謎が解ける対話集”、平成7年1月刊行です。

ちなみに、この著作は、いつも利用している区立図書館のインターネット検索(村上春樹で検索しています・・・)から、何かを感じて(思い出せない・・・)予約したもので、きっと何かの必然があって手にすることになったのでは?!と思わせるほど、私にとって”オモロイ”部分を多分に含んでいました!

いずれ、ユングにも触れてみたいと思わせてくれましたし、小児科医の毛利子来(もうり たねき)も興味深く分かり易かった(笑)し、脚本家の山田太一、作家の安部公房の著作に触れたくなった!
それでも、あらためて、村上春樹の、また少し違う角度からの顔を垣間見ることができたことが、やっぱり一番”オモロカッタ”(笑)!
対話形式を採ることにより、その人物の別の角度から、今まで気付かなかったことを、知り得なかった部分を、新たに発見できる!そのことに、新たな驚きを覚える。


何はともあれ、あ〜、オモロカッタ(笑)!

「夢で会いましょう -村上春樹・糸井重里」読みました。5


夢で会いましょう
著者: 村上春樹・糸井重里
文庫: 232ページ
出版社: 講談社 (1986/06)



たまに、無性にコーラが飲みたくなるときってあります・・・ 普段は、一切口にすることが無いのに!
そして、その清涼感と、深い満足感に浸る・・・

村上春樹、糸井重里の共著による、ショートショートの競作集、1986年6月刊行。

村上春樹の全作品を読破しようとの志を立て、コツコツとその歩みを進めている。 小説も、短編集も、エッセイも、対談集も、ドキュメントも・・・ この世に輩出されている全ての作品に! そして、彼の奥深くに在るものに、ひとつでも多く触れて理解を深めたい!

不思議と小説の”形態”をとると、物語に深みと奥行きと、そして優しさを感じることができる。 抽象的で、断定的では無い表現を受け、想像力が活発に働き、自ら思考を高める。 具体的に、明白にされる必要は無い!
とはいうものの、私自身が、少し前までは、明白に具体的にされないことの不安感に苛まれ、そこに不満を感じていたことも事実である。 そして、その不安に対する恐怖は、衰えを知らない! 新たな物事に触れれば触れただけ、また新たな自身の無知に対する発見があり、自身の無知を認識することにより、さらにその不安は増幅される・・・
しかし一方では、私如きのちっぽけな人間が、知り得ることの限界をも、そこに明確にされるのである。 明確にされたその事実を、自身の中に受け入れたとき、その無知に対する不安について思い悩むことの無意味さにも、あらためて気付くのである。
であるならば、無知を隠すことなく、無知であることを自認して、だからこそ、事実を現実を会得するために、積極的に楽しんで物事の習得を図りたい!

♪『踊る阿呆に 見る阿呆、同じ阿呆なら 踊らにゃ 損々・・・』♪♪


清涼感と、深い満足感・・・ 楽しかった(笑)!

「はじめての文学 村上春樹」読みました。5


はじめての文学 村上春樹
著者: 村上春樹
単行本: 272ページ
出版社: 文藝春秋 (2006/12/6)



実は、10歳(小4)の娘の"クリスマスプレゼント"として購入したものです(当然に内緒です!)。
私が敬愛する「村上 春樹」が、はじめて"文学"に触れる方向け(きっと児童と限定してないのでは?!)の入門編というのでしょうか、出版社のそんな企画に参画され、自身が過去に発表した中から厳選した作品集(2006年12月刊行)です。

やっぱり凄いわぁ、村上 春樹・・・
グイグイ引き込まれて、全て一度は目にしている作品ばかりなのに、決して飽きることなく熟読、そしてその軽快な心地良い感覚をたっぷり楽しみつつ、しっかり心に沁み込んでくる・・・ 夜のマックで、100円コーヒー片手に、一気に読破しちゃいました(笑)!
メタファー爆裂〜〜!
楽しかった〜、大満足です!!

中ではやっぱり「沈黙」が好きだなぁ・・・
最初に読んだときから、これ大好きで、何と言うのか、淡々と穏やかにそして静かに語られつつ、しっかりずっしり、ずど〜ん・・・ みたいな(笑)!
すご〜く丁寧に綿密に描かれています。


ところで、本当は今"フランツ・カフカ"中なんです。
「審判」、かれこれ5〜6日間も読破できずにいます(笑)!
これがなかなか読み進めるのが困難で、途中、何度も他の本に手を出しつつ、それでも少しずつ、その歩みは確実に進んでいます。
そうこうしているうちに、次の本(新刊)が3冊届きました(笑)!
師走は、何だかとっても気忙しくて、落ち着いて読書を楽しむ余裕を生み出すのが困難ですが、マイペースを貫き、思いっきり楽しんでいきますよ〜(笑)!


何はともあれ、娘がプレゼントを喜んでくれるといいのだが・・・
そして、文学に楽しみを感じてくれるといいなぁ・・・

「Carver's Dozen レイモンド・カーヴァー傑作選 -村上春樹訳」を読みました。5


Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選
著者: レイモンド・カーヴァー
訳者: 村上春樹
文庫: 351ページ
出版社: 中央公論社 (1997/10)



私が敬愛する「村上 春樹」が心をこめて選出し翻訳したレイモンド・カーヴァー (Raymond Carver,1939-1988)の短編小説と詩が13作(英語で13個のことを俗に「ベイカーズ・ダズン」と言うらしい、訳者あとがきより引用)、深い愛とともに綴られている、1994年刊行の短編集です。

深い優しさに包まれ、とっても心が温かくなります。
唐突に、しかしとても静かに物語が始まり、そして克明に淡々と状況が進行し続け、決して明白にされることはない。 静かにその終わりが訪れる。 何も明確に語られることなく・・・
私は、とてもとても、この「カーヴァー」の作品たちを、理解したと思うに至らない。 一読して理解し得るものではなく、また、熟読を重ねるたびに、新たな深い印象を得られるのものであり、きっと私が後に求めて再び手にすることになるであろう・・・ という、期待感を感じずにはいられない。
明確に理解し得ないこと、それは時に、読む者を不安に陥れ、理解し得ないという不満感を与えることが、容易に想像できる。
しかし、それでは果たして、読者は著者と同一の心情を理解し得るものであろうか? 著者がその人生において、経験し、深く刻み込まれた事実の数々を、その全てについて共有することができ得るのであろうか?・・・

この優しく、そして温かい愛に包まれた物語に出会い、楽しむことができることに、心から感謝したい!
ありがとう、レイモンド・カーヴァー、そして、村上 春樹!

「約束された場所で―underground(2) -村上春樹」読みました。4


約束された場所で―underground〈2〉
著者: 村上春樹
単行本: 268ページ
出版社: 文藝春秋 (1998/11)



村上春樹、1998年11月刊行のノンフィクション作品です。
オウム真理教により、1995年3月20日に引き起こされた「地下鉄サリン事件」の関係者(被害者及び家族)のインタビューを綴る、1997年3月刊行のノンフィクション「アンダーグラウンド」の続編という位置付けの作品であり、本作品においては、加害者側(オウム真理教の信者及び元信者)のインタビューが綴られている。


久し振りに、読み進めるのが辛かった!
何故辛いのか、何が辛いのかを、自分自身に問い掛けながら読み進めた。悶々とした気持ちは、なかなか晴れることが無い・・・


心理学者・心理療法家(セラピスト)の「河合 隼雄」先生との対話に、さらに奥深く深く考えさせられる。

私の理解が及ばないレベルの話しに到達しているため、私はひとり取り残されているような不安感に襲われる。
私は、過去に新興宗教に入信したことが無い。「宗教」について自分自身に深い考察を加えたことが無い。それは、私自身の無知、不勉強を悟られないために、あえて避けてきてしまったのかもしれない。
また、「哲学」についても同じことがいえる。求めて勉強すること無く、深く追求すること無く、書物すら手にすることが無かった。
私には、明確な、人に語れる「指針」が無い・・・

にもかかわらず、まるで分かったかのようなフリをして、自分自身をも誤魔化して生きてしまったのかもしれない・・・ 不安に襲われて、自分自身が辛くなる。


あらためて認識しよう、私自身が無知で、無力で、凡庸な人間であることを!
そして、学習を地道に重ね、深い考察を加え続けよう!!


「海辺のカフカ -村上春樹」読みました。5


海辺のカフカ (上)
著者: 村上春樹
文庫: 486ページ
出版社: 新潮社 (2005/2/28)



海辺のカフカ (下)
著者: 村上春樹
文庫: 528ページ
出版社: 新潮社 (2005/2/28)



『海辺のカフカ』読みました。
敬愛する「村上 春樹」、平成14年9月刊行の海外でも高い評価を受ける傑作長篇小説です。

ず〜〜っと、激しく興奮して、深く感服しきりでした!
す、凄い、凄過ぎる! 村上 春樹!!
心に沁み込みまくってます(笑)!

きっと、読む人の背景とか、背負っているものとか、抱えているものとか、その時々において必要に応じて形を変えて、求められれば求めただけ(求めなければそれなりに・・・)、その「生きる」ための「道標(みちしるべ)」として機能してくれるんだろうなぁ・・・ と、強く感服しきりなのである。

上・下巻で1,000ページ超の内容も、全てが必然性に導かれ、一切の無駄を省き、複雑に交錯しながら、それでいて完全無欠に構築されているため、全く退屈を感じることが無い。
また、あえて「小説」という形態を取ることにより、また容易な文体、表現を用いることにより、読み手(私)が自分自身の深いところに、その全てを受け入れ易い環境をも提供してくれている。
ナカタさんだって、ホシノ青年だって、カーネル・サンダーズだって、「それでなければならない」のである!

それでも、やっぱり私には、いまだ「生きる」ということの意味がわからない・・・
だから、もっともっと「耳を澄ませて、風の音を聞く」のだ!!




私が求めて、導かれて、この作品に触れた・・・
きっと、また手にするときが来る・・・

「カンガルー日和 -村上春樹」読みました。5


カンガルー日和
著者: 村上春樹
文庫: 251ページ
出版社: 講談社 (1986/10)



「村上 春樹」1983年刊行のショート・ストーリ集です。

実はこの作品、10月4日に読み終えて、短いながらもコメントしていました(笑)! 図書館のインターネット予約で手にしたので、何か勘違いして予約してしまったのでしょうか(笑)?
老化現象?
とはいえ、何か必然のようなものを感じ、一時は読まずに返却しようと思いましたが、ちゃんと読みました(笑)!
やはり、心地いい軽快なリズムと優しさに触れ、楽しいときを過ごすことができました!
思うに、人を幸せな気分に、そして豊かな気持ちにさせる、この才能にはいつも感服させられるのです!

ところで、老化現象といえば、続きを読む

「アンダーグラウンド -村上春樹」読みました。5


アンダーグラウンド
著者: 村上春樹
文庫: 777ページ
出版社: 講談社 (1999/02)



1995年3月20日に発生した「地下鉄サリン事件」の62名の関係者(被害者及び家族)のインタビューを777ページにわたって綴る、私の敬愛する「村上 春樹」、1997年3月刊行のノンフィクション超大作です。
事実は小説より・・・

この作品を含め、最近の私は、ズドーンが続いている。
感情移入し、激しく落ち込むのである。
作家「灰谷 健次郎」の本を読んで、画家「ダリ」の絵画を鑑賞して・・・
言葉に表現できない深い深い喪失感に襲われ、激しい無力感に支配されてしまう。
混乱の中に放り出され、何も考えることができないほどに・・・

私は常々「必然」を強く意識しているため、読む本についても、先入観を持たずに、何となく感じるままに手にすることを心掛けている。
この作品についても、何の情報(先入観)もないまま、図書館のインターネット予約によって手にした。 手にしてから、その分厚さに「読めるかなぁ?」と不安を感じたことが正直な第一印象なのである。
しかし、読み終えて思うことは、やはり「必然」なのである。
出会うべくして、出会えた。
現在の私の精神状態において、読まれるべき作品なのである。

この「アンダーグラウンド」のインタビュイーの語る話しのひとつひとつにも、何度も何度も激しくズドーンと落ち込んだ。
インタビューされた会話の内容が、著者の意図によって特別な手を加えられること無く、事実に基づいて淡々と表記されていること、そしてその表記されている内容に、著者の「愛」が感じられることが、私の心を激しく揺さぶった。
インタビュイーひとりひとりの証言を淡々と読み進めていくことにより、その実態がより克明になり、また、そのひとりひとりにその人生があり、その日常が垣間見えることにより、より一層生々しさが増幅され、私の心の底にズドーンと響くのである。
当然に、私は涙を誘われる。

そして、何故「村上 春樹」が、この事件を、このような非常に困難を伴う方法(62名ものインタビューを自ら行い、それを作品に仕上げる)をもって書き記そうとしたのか?
「目じるしのない悪夢 -私たちはどこに向かおうとしているのだろう?- 」を読み、その深く壮大な想いによって、果たすべく「与えられた責務」のひとつを形にしたことに、深い深い尊敬の念を抱かずにはいられない。

そして、私自身も、
「数多くの個人的欠陥を抱えた不完全な一人の人間に過ぎない」、
「心理学的に言えば『私たちが何かを頭から生理的に毛嫌いし、激しい嫌悪感を抱くとき、それは実は自らのイメージの負の投影である場合が少なくない。』」、
「自分のおかれている立場は、好むと好まざるにかかわらず、発生的にある種の傲慢さを含んでいるものなのだ」、
ということを充分に認識し、自分自身が社会の中で果たすべき「与えられた責務」を見出したい!
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