Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

東京創元社

本「日記の手がかり  Carolyn Keene: “The Clue in the Diary”, 1932. (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 7)」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5

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日記の手がかり  Carolyn Keene: “The Clue in the Diary”, 1932. (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 7)

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なんとなくふと感じる、ハッキリとした確証があるわけではないのだけれど、なんかアヤシイ、ちょっとクサイ、なぁ〜んかオカシイのよねぇ〜、ムムムムム、、、もっとも、否定的なマイナスな感覚や印象だけでなく、なんかイイヒトっぽい、なんとかしてあげたいかも、なんていうプラスの前向きで建設的なことも、その権限や能力をはたして有しているのか、なにが出来得るというのか、というような問題を横に置いたとしても、感じるものは感じたものは、現実に感じたものとして。どうだろう、なんとなくふと感じる感じてしまった感覚や印象って、なにをどうして無視できない。だからといって、それだけを頼りにあとさき考えることなく行動を起こしちゃったら、それはそれで問題があろう。なんらか事を行動を起こすには、それなりの準備や配慮が必要だ。こんなハズじゃなかったなんて、すでに生じてしまった事柄は、起こした行動の結果は、あとから取り消したり取り戻したりすることは容易ではない(困難であり、不可能とも)。まぁ、あんまり慎重になりすぎて行動を起こす前に考えすぎちゃって、なぁ〜んにもできない一歩踏み出すことができないとなると(ぼくはその傾向がつよいのだが)、それも問題はあろうが



ナンシーと親友ふたりが祭り(カーニバル)で出会った母子。父親が行方不明で生活も苦しいらしい。なんとか助けてあげらないかと相談しつつの帰り道、三人は不審な火事に遭遇。ナンシーは現場であわてて逃げ出す男を目撃。さらに謎の本を拾い、がぜん探偵心を刺激される。新たに気になる男の子ネッドも加り、少女探偵の捜査がはじまる。世界中で愛され続けるロングセラーシリーズ第七弾。


≪目次: ≫
1 不審人物/2 困ったドライバー/3 日記/4 印章指輪(シグネット・リング)/5 危険な迂回路/6 ナンシーの計画/7 打ち明け話/8 深まる悩み/9 レイボルト夫人/10 不気味な小屋/11 追跡/12 ジョー・スウェンソン/13 手紙泥棒/14 逮捕/15 取り調べ/16 暗中模索/17 重要な手がかり/18 日記の中身/19 待ちぶせ/20 驚きの勝利

解説――山崎まどか


≪著者: ≫ キャロリン・キーン Carolyn Keene アメリカの作家。多数のペンネームを用いて少年少女向けの探偵小説を著わしたエドワード・ストラッテメイヤー(Edward Stratemeyer, 1862-1930)が、〈少女探偵ナンシー・ドルー〉シリーズのために用意した筆名。彼の死後、この名は娘のハリエット(Harriet Adams, 1892-1982)に引き継がれ、以降もナンシー・ドルー・シリーズは書き継がれている。代表作に『古時計の秘密』『幽霊屋敷の謎』『バンガローの事件』など。
[訳者] 渡辺庸子 (わたなべ ようこ) 法政大学(通信課程)日本文学科卒業。訳書にウッディング「魔物を狩る少年」、キーン「古時計の秘密」、ジャクスン「たたり」、ペテヴィッチ「謀殺の星条旗」など。共訳書にサラントニオ編「999」(全3巻)などがある。


キャロリン・キーン『レッド・ゲート農場の秘密 The Secret of Red Gate Farm, 1931.』(渡辺庸子訳、ナンシー・ドルー・ミステリ 6、2009年) '10/02/06
キャロリン・キーン『シャドー牧場の秘密 The Secret of Shadow Ranch, 1931.』(渡辺庸子訳、ナンシー・ドルー・ミステリ 5、2009年) '09/08/02
キャロリン・キーン『ライラック・ホテルの怪事件 The Mystery at Lilac Inn, 1930.』(渡辺庸子訳、ナンシー・ドルー・ミステリ 4、2008年) '09/07/01
キャロリン・キーン『バンガローの事件 The Bungalow Mystery, 1930.』(渡辺庸子訳、ナンシー・ドルー・ミステリ 3、2008年) '08/05/014
キャロリン・キーン『幽霊屋敷の謎 The Hidden Staircase, 1930.』(渡辺庸子訳、ナンシー・ドルー・ミステリ 2、2007年) '08/01/14
キャロリン・キーン『古時計の秘密 The Secret of the Old Clock, 1930.』(渡辺庸子訳、ナンシー・ドルー・ミステリ 1、2007年) '08/01/08





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本「レッド・ゲート農場の秘密  Carolyn Keene: “The Secret of Red Gate Farm”1931. (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 6)」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5

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シャドーレッド・ゲート農場の秘密  Carolyn Keene,: “The Secret of Red Gate Farm”1931 (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 6)
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書評/ミステリ・サスペンス



ネタバレになろうか、
新興宗教をおもてむきには装って、ときに集団で舞い踊ってみたりして、世間の目を欺き遠ざけて、せっせせっせと贋金づくり。
たしかに、お金が欲しい、ぼくだって。お金があれば、なんだってたいていのものは手に入れることができるだろう。お金で買えないものはないのかもしれない(現実にはお金なんかではどうすることもできないことばかりだ)。お金の力は大きい。



≪目次: ≫
1 気になる香水/2 謎の数列/3 暗号の解読/4 突然の転職/5 太巻きのお礼/6 旅の終わりの災難/7 カルト教団/8 丘の儀式/9 〈黒蛇の群れ(ブラック・スネーク・コロニー)〉の信者/10 作戦準備/11 真夜中のメッセージ/12 シークレット・サービス/13 再会/14 いやな噂話/15 仮装者たち/16 教団の正体/17 緊迫のとき/18 囚われの人たち/19 証拠隠滅/20 勝利のひらめき

解説――太田忠司


[訳者] 渡辺庸子 (わたなべ ようこ) 法政大学(通信課程)日本文学科卒業。訳書にウッディング「魔物を狩る少年」、キーン「古時計の秘密」、ジャクスン「たたり」、ペテヴィッチ「謀殺の星条旗」など。共訳書にサラントニオ編「999」(全3巻)などがある。


キャロリン・キーン『シャドー牧場の秘密』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 5、2009/5) '09/08/02
キャロリン・キーン『ライラック・ホテルの怪事件』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 4、2008/11) '09/07/01
キャロリン・キーン『バンガローの事件』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 3、2008/4) '08/05/014
キャロリン・キーン『幽霊屋敷の謎』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 2、2007/12) '08/01/14
キャロリン・キーン『古時計の秘密』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 1、2007/11) '08/01/08







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本「シャドー牧場の秘密  Carolyn Keene, THE SECRET OF SHADOW RANCH, 1931 (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 5)」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5

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シャドー牧場の秘密  Carolyn Keene, THE SECRET OF SHADOW RANCH, 1931 (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 5)
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書評/ミステリ・サスペンス



現実的であるか否かを別として、「馬」を移動の手段として活用する生活。クルマ社会の持続可能性(sustainability)??!
「道」を、馬で移動すると考えるに、きっとクルマには好適なアスファルトが、馬にとっては適性を欠くかと。道路がアスファルトではなくなると、ぼくが愛好しているクロスバイクの高速走行性を活かすことができなくなることが懸念される!?のだけれど、そもそも高速で移動する必要性とはいかに?、高速で移動するためには、より多分なエネルギー(コスト)が必要とされる。エネルギーやコストを湯水のように大量に消費して、あたりまえのように便利さを享受している生活。すでに便利さは手放せないものとなっている。不便な生活はいまさら受け入れ難い。


≪目次: ≫
1 あやしい男/2 砂漠の真ん中で/3 ガラガラ蛇の尾/4 赤い手がかり/5 アウトローの贈り物/6 ショーティの道案内/7 ゴーストタウンで/8 チーフとの再会/9 馬具部屋の囚われ人/10 隠し扉/11 彼の告白/12 停電/13 フェニックスの街角で/14 刺草(イラクサ)の罠/15 眉毛の小道(アイブロウ・トレイル)/16 ふたつのひらめき/17 途切れた演技/18 幽霊の正体/19 崖の秘密/20 大胆な計略
解説――青木純子


[訳者] 渡辺庸子 (わたなべ ようこ) 法政大学(通信課程)日本文学科卒業。訳書にウッディング「魔物を狩る少年」、キーン「古時計の秘密」「幽霊屋敷の謎」「バンガローの秘密」、「ライラック・ホテルの怪事件」、ジャクスン「たたり」、ペテヴィッチ「謀殺の星条旗」など。共訳書にサラントニオ編「999」(全3巻)などがある。

キャロリン・キーン『ライラック・ホテルの怪事件』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 4、2008/11)
キャロリン・キーン『バンガローの事件』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 3、2008/4)
キャロリン・キーン『幽霊屋敷の謎』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 2、2007/12)
キャロリン・キーン『古時計の秘密』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 1、2007/11)







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本「ライラック・ホテルの怪事件  Carolyn Keene, THE MYSTERY AT LILAC INN, 1930 (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 4)」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5

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ライラック・ホテルの怪事件  Carolyn Keene, THE MYSTERY AT LILAC INN, 1930 (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 4)
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書評/ミステリ・サスペンス



「ホントのことなのに、なんで言っちゃいけないのか」と明確に意識したと記憶しているのは30歳をすぎてしばらくしてからのことだった。それからのちは、ホントのことは、ホントだからこそ言っちゃいけないことの方が多いんだろうなぁ、と意識するようにした。本人の努力ではどうにもしようもないことが少なからずある。さらに、その周辺の状況から背景まで想像するには、ますますホントのことは言えなくなるのであろうけれども。

ことばとして発せられたことが、すべてホントであるとの確証はない。ぼくだって、思っていることとまったく違うことを、無意識のうちにことばにしていることもある。ことばにしたくても、そのおもいをストレートにことばにできないことだってある。


≪目次: ≫
1 カヌーをこいで/2 奇妙な出来事/3 盗まれた掛け払いカード(チャージ・プレート)/4 災難続き/5 暗闇の事件/6 まさかの拾い物/7 罠/8 誤解と新展開/9 真夜中の惨事/10 “青いパイプ”/11 ウェイトレスの忠告/12 大胆な計画/13 人違い/14 地震!?/15 嵐の訪れ/16 手紙/17 網はしぼられて/18 潜水艇の囚人/19 出口なし/20 ナンシーの晴れ舞台
解説――菅 浩江


[訳者] 渡辺庸子 法政大学(通信課程)日本大学卒業。訳書にウッディング「魔物を狩る少年」、キーン「古時計の秘密」「幽霊屋敷の謎」「バンガローの秘密」、ジャクスン「丘の屋敷」、ペテヴィッチ「謀殺の星条旗」などがある。

キャロリン・キーン『バンガローの事件』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 3、2008/4)
キャロリン・キーン『幽霊屋敷の謎』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 2、2007/12)
キャロリン・キーン『古時計の秘密』(渡辺庸子訳、創元推理文庫 ナンシー・ドルー・ミステリ 1、2007/11)


届かぬ想い♪





本「第三帝国の興亡 第5巻 ナチス・ドイツの滅亡  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Fall of Nazi Germany by William L. Shirer 」ウィリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳5

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第三帝国の興亡 第5巻 ナチス・ドイツの滅亡  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Fall of Nazi Germany by William L. Shirer
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書評歴史・時代(F)



いよいよ書き記そうと決意したのは、5月初旬の本書1回目読了以来の2回目の読了を経て、本書について“わかった”どころか、ますますもって“わからないことがわかった”からであり、カンタンには書き記しえないとの思いをつよくしたから。そんなどうでもいいようなことを冒頭に明かすのは、本書が東京創元社より“本が好き!PJ”経由で献本いただいた著書であり、その抽選があったのが4月20日のことであり、、、言い訳するなんて卑怯だ、などと思いながらも、こそっと言い訳めいたことをせずにはいられないかったりもして。そう、なんで学生時代にちゃんと勉強しなかったんだろう?、歴史も地理もなんにも知らない、第三帝国も知らなければ、ヨーロッパの地図も描けない、どの国がどこにあるのか、そもそもカタカナの名前が出てくるたびにかるく混乱してイライラしていることも、ホントは書き記しちゃいけないんだろうなぁ、黙って努力しなきゃいけないよなぁ、などと思いながら。そんなぼくにとっては、全5巻にわたる膨大な量の歴史ノンフィクションを読み進める作業は、ラクな作業ではなかったけれど、並行して読み進める一見してまったく無関係に思えるような著書のなかに記述されたり引用されたりする情報にヒットする機会も少なくなく、いや、非常に多いことに驚きを感じていた、と言っても過言ではないかもしれない(とくにぼくが好んで手にする哲学系の著書に限られずに)。その驚きのようなものがなければ、すでに過去の出来事として(第三帝国ナチアウシュヴィッツ全体主義も)片付けてしまって目を逸らして、知らなくてもなにも困ることもないし、むしろ知っていたとして現代の日常生活においてなにかの役に立つものでもないし、などと言い訳をして中途で断念していたかもしれない。もっとも、これまでのぼくはそうして無関心のままで生きてきたのだが。だから、なにかを言える立場ではないことを承知して、さらには、みずから欲して興味をいだいて向かうことがなければ、どんなに有用な情報であったとしても生かされることがないことをも、みずから経験済みのことではあるんだけど、
「この第5巻〈ナチス・ドイツの滅亡〉だけでも読んでみたらいいと思う」。

第1巻から順を追って通して読んでみての“クライマックス”(最終巻)なのであろうけれど。ぼくだって、いきなりドンとこの分厚い本を5冊も同時に並べられたら、ちょっと読む気にはならなかったかもしれない(ヘナチョコ)。誤解を承知で言うならば、この第5巻を理解するために、そこ(ホロコーストであり、総統ヒトラーの死であり、ナチス・ドイツの滅亡であり)にいたるまでの鍵となるような出来事の数々(ひとつやふたつではない)が第1巻から第4巻までにわたり詳細に描かれている。そう考えるには、本書第5巻を読んだ上で、もっと知りたいと思ったら、第1巻から順番に読んだらいい。相当な情報量があるから、第4巻まで読み終わる頃には、一度読んだ第5巻の内容をすでに忘れてしまっているところも少なくないであろうし、もう一度あらためて読んでみることによって、また新たな認識が得られるかもしれない。

参考までに、ぼくが本シリーズ全5巻と並行して読んだ著書のなかから、いま記憶にある限りにおいて理解を深めることをたすけた著書をあげておきたい(本書に対する批判も少なからずあるようだ)。
V.E.フランクル 『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』 (霜山徳爾訳、みすず書房、2002、1961)
ヴィクトール・E・フランクル 『夜と霧 新版』 (池田香代子訳、みすず書房、2002) *霜山徳爾訳の旧版を併読することをつよくおすすめする。
フリードリヒ・A・ハイエク 『隷従への道 全体主義と自由  THE ROAD TO SERFDOM 1944』 (一谷藤一郎訳・一谷映理子訳、東京創元社、1992、1954)
エーリッヒ・フロム 『自由からの逃亡 ESCAPE FROM FREEDOM 1941』 (日高六郎訳、東京創元社、1965、1951)
ハンナ・アーレント 『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 (大久保和郎訳、みすず書房、1994、1969)

ところで、本書のオビには「ホロコースト」とあるんだけど、「第二十七章 〈新秩序〉」!とは。そう、なんとも言えない違和感を感じながら、ウェブ上の辞書機能で調べるには、「秩序: △修亮匆顱集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり」とある。なにゆえに「大量殺戮」が「秩序」と結びつくのであろう。
このポイントについてキチンと整理して説明するには、ぼくの知識ではおぼつかない。
そこには、迫害を受ける“ユダヤ人ユダヤ教)”がなにものであるのかを理解する必要があろう。現在、世界的な宗教としてもっとも多くの信者を擁するキリスト教は、ユダヤ教から派生している、宗教的な側面。
島国でもある日本国以外を精しく知らないぼくにはなかなか理解が及ばないのだが、大陸ヨーロッパに分布してカンタンではない盛隆(戦争・紛争)の歴史をたどってきた、民族的な側面。
橋本治『二十世紀 〈上〉』(ちくま文庫、2004)にも書かれていた、未消化のままに中途半端に終えてしまった、最後の世界戦争のはずであった「第一次世界大戦(1914-1918)」の位置づけ。結果として、第二次世界大戦(1939-1945)が起こることになった必然とは、敗戦を喫したドイツが請求された多額の賠償金(ベルサイユ条約)により国家としての機能に大きな混乱が生じていたことも、その要因のひとつにもあげられよう。ベルサイユ条約を破棄することを断行したアドルフ・ヒトラーは、ドイツ国民の少なからぬ支持を得た(少なからぬドイツ国民が支持をした)。アウシュヴィッツなどの絶滅収容所の存在であり、そこで行われている凄惨な出来事(殺人行為)を、ドイツ国民が知らなかったわけではない(むしろフツーに知っていながら黙認していた現実だってあるようだ)。上(国家権力)からの命令によるものとはいえ、直接的に指示・命令を下した現場の指揮官であり、その命令に従って手を下した者たちの少なからぬ存在(まったくなんらの責任がないとは言いきれるものではないが、戦争状態においては当然視される?!)。
ヒトラーの暴挙に内部からの抵抗(暗殺)がなんども試みられたものの、いずれも失敗に終わった(その結果として総統アドルフ・ヒトラーはみずからの手による死を選択した。同志のファシスト独裁者であり、最期を処刑され、広場にさらされ、民衆の辱めを受けたムッソリーニとは対照的?!に)。
それでも、特定の個人が、特定の個人だけが非難されるものでもないのかもしれない。指揮・監督した者には、監督責任が在ることからも、法的な責任を逃れることはできないであろう。一定の責任を有する者に対象を絞って(全員にたいしてではなく対象を限定して)その責任を問い、一定の見せしめ的な社会的(法的)な責任を負わせることの効果を認めないわけでもない。
ドイツに限定されることはない、同時代の日本にあっても植民地支配を目的とした侵略を展開した。


ぼくの中途半端さや歯切れの悪さ(能力不足)をつよく認識しながら、そもそもカンタンに結論めいた言及をしたくない、カンタンに「ノーモア(繰り返すな)」と口外するつもりもない。これからまだまだ読み進めたい著書において、例示されることが少なくないであろう『第三帝国の興亡』におけるさまざまな歴史的な出来事を、その出来事を組み入れたストーリーを編集してみずからのことばで語るべく。


≪目次: ≫
第五部 終わりのはじまり
第二十七章 〈新秩序〉

ナチのヨーロッパ掠奪/〈新秩序〉における奴隷労働/捕虜/占領地におけるナチのテロ/「最終的解決」/絶滅収容所/「ワルシャワ・ゲットー、もはやなし」/医学実験/ハイドリヒの死とリジツェの消滅
第二十八章 ムッソリーニの失墜
第二十九章 連合軍の西ヨーロッパ侵攻とヒトラー殺害の企て

電光作戦〉/シュタウフェンベルク伯爵の使命/英米軍の侵攻――一九四四年六月六日/土壇場の陰謀/一九四四年七月二十日のクーデター/一九四四年七月二十日/血塗られた復讐
第六部 第三帝国の滅亡
第三十章 ドイツの征服

ヒトラー最後の必死の大博打/ドイツ軍の崩壊
第三十一章 〈神々の黄昏〉――第三帝国最後の日々
ヒトラー最後の大決断/ゲーリングヒムラー、後継者の座を狙う/地下壕を最後に訪れたふたりの訪問者/ヒトラーの遺言書/ヒトラーと花嫁の死/第三帝国の終焉

短いエピローグ
謝辞
あとがき
人名索引


≪著者: ≫ ウィリアム.L.シャイラー (William L. Shirer) 1904年シカゴ生まれ。ジャーナリスト・歴史家。コー大学卒業後、渡欧。〈シカゴ・トリビューン〉紙の特派員などを経て、CBSのヨーロッパ支局長に。ドイツのオーストリア併合など、数々の歴史的事件の報道に携わる。1940年、戦況の悪化に伴ってアメリカへ帰国し、自身の経験をもとにしたベストセラー『ベルリン日記』(筑摩書房)を発表。1960年に発表した本書では、全米図書賞を受賞する。『フランス第三共和制の興亡』(東京創元社)、『第三帝国の終わり――続ベルリン日記』(筑摩書房)など著書多数。1993年没。

≪訳者: ≫ 松浦伶 1936年島根県生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。雑誌・書籍の編集者を経て、翻訳に従事。訳書にジャイルズ・ミルトン『スパイス戦争――大航海時代の冒険者たち』(朝日新聞社)、アル・パチーノ+ローレンス・グローベル『アル・パチーノ』(キネマ旬報社)がある。2007年没。

第三帝国の興亡 第4巻 ヨーロッパ征服  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Conquest of Europe』(2008/10)
第三帝国の興亡 第3巻 第二次世界大戦  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :World War 供戞2008/8)
第三帝国の興亡 第2巻 戦争への道 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Road to War』(2008/6)
第三帝国の興亡 第1巻 アドルフ・ヒトラーの台頭 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Rise of Adolf Hitler』(2008/5)

V.E.フランクル 『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』 (霜山徳爾訳、みすず書房、2002、1961)
ヴィクトール・E・フランクル 『夜と霧 新版』 (池田香代子訳、みすず書房、2002)
フリードリヒ・A・ハイエク 『隷従への道 全体主義と自由  THE ROAD TO SERFDOM 1944』 (一谷藤一郎訳・一谷映理子訳、東京創元社、1992、1954)
エーリッヒ・フロム 『自由からの逃亡 ESCAPE FROM FREEDOM 1941』 (日高六郎訳、東京創元社、1965、1951)
ハンナ・アーレント 『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 (大久保和郎訳、みすず書房、1994、1969)


ぼく、ワルくない・・・?!




本「隷従への道 全体主義と自由  Friedrich A. Hayek, THE ROAD TO SERFDOM, 1944, pp. vii+248」フリードヒ・A・ハイエク、一谷藤一郎 訳、一谷映理子 訳5

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隷従への道―全体主義と自由
隷従への道 全体主義と自由  Friedrich A. Hayek, THE ROAD TO SERFDOM, 1944, pp. vii+248

○著者: フリードリヒ・A・ハイエク、一谷藤一郎 訳、一谷映理子 訳
○出版: 東京創元社 (1992/7 改版; 初版 1954, 単行本 322ページ)
○価格: 2,625円
○ISBN: 978-4488013035
おすすめ度: 4.0
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全体主義(totalitarianism)”なることばを意識したのは、記憶しているかぎりでは、ハンナ・アレント『責任と判断』(ジェローム・コーン編、中山元訳、筑摩書房、2007)からかと。なにゆえに“全体”なんだろうとか?、との疑問をいだかなかったわけではないけれど、「ふ〜ん、そういうことば(イデオロギー)があるんだぁ〜」とわからないままにしていて、気にならなかったわけではない(残念ながら無理に知識を習得しようとしてもどうにも理解が及ばない、気になる状態のままに放置をして期が熟するのを待つしかない!?)。とくになにもわかったことなどないし、わからないことに変わりはない(エラそうに言うことじゃないけれども)。
東京創元社の『第三帝国の興亡 全五巻』(ウィリアム・L・シャイラー著、松浦伶訳、2008〜2009、1960)を読了して(最終巻の書き記しが未了)、その流れというのか、そこからの展開として、エーリッヒ・フロム『自由からの逃亡 ESCAPE FROM FREEDOM 1941』(日高六郎訳、東京創元社、1951)に次いで。
自由」“freedom”and“liberty”。
計画経済社会主義

そうかぁなるほど本書が改版された「1992年」。巻末の“改版に際して”の追記より、
・・・先生(ハイエク教授)は三月二十三日、ドイツのフライブルクで、九十二歳の天寿を全うされた。
アメリカ合衆国ブッシュ大統領は、昨一九九一年(同年ソ連共産党活動停止、ついでソ連邦崩壊、前年一九九〇年には、東ドイツが西ドイツに合併される)、米国政府が文民に与える最高勲章である「自由勲章」を教授に贈り、御逝去の二十三日には追悼声明を発表して、「現代の最も偉大な思想家の一人」と、ハイエク教授を称えたとのことである。・・・  (P.322、「改版に際して」)



≪目次: ≫
一九六七年版 序言
アメリカ版への序言(一九五六年)
日本語版への序言(一九五三年四月)

序説(一九四三年十二月 ケンブリッジ ロンドン大学経済学部 F・A・ハイエク)
第一章 見捨てられた道
第二章 大きなユートピア
第三章 個人主義集産主義
第四章 計画化の「不可避性」
第五章 計画化と民主主義
第六章 計画化と法の支配
第七章 経済統制と全体主義
第八章 だれがだれを支配するか
第九章 保障と自由
第十章 なぜ最悪なものが最高の地位を占めるか
第十一章 真理の終焉
第十二章 ナチズムの社会主義的根源
第十三章 われわれの中の全体主義者
第十四章 物質的条件と理想目的
第十五章 国際秩序の展望
第十六章 結論

参考文献註
訳者解説(一九五四年四月十八日、一九七九年一月三十一日追記 一谷藤一郎)
改版に際して(一九九二年 一谷映理子)


≪著者: ≫ フリードリヒ・A・ハイエク (Friedrich A. Hayek) 1899年ウィーンに生れる。1931〜50年ロンドン大学経済学部教授。その後、シカゴ大学、フライブルク大学の教壇に立つ。1974年ノーベル経済学賞受賞。1992年没。

[訳者] 一谷藤一郎 (いちたに とういちろう) 1928年、京都帝国大学経済学部卒。専攻、経済学、とくに金融論。大阪大学、名古屋市立大学各名誉教授。著書の他に訳書ハイエク『資本の純粋理論』改訳版(1952)。1979年没。
[訳者] 一谷映理子 (いちたに えりこ) 1945年兵庫県立第一神戸高女卒。1948年京都府立第一高女高等科卒。フランス、パリ大学留学。


Taraxacum





本「自由からの逃走 新版  Erich Fromm, ESCAPE FROM FREEDOM 1941 (現代社会科学叢書)」エーリッヒ・フロム、日高六郎 訳5

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自由からの逃走 新版
自由からの逃走 新版  Erich Fromm, ESCAPE FROM FREEDOM 1941 (現代社会科学叢書)

○著者: エーリッヒ・フロム日高六郎
○出版: 東京創元社 (1965/12 新版; 初版 1951, 単行本 337ページ)
○価格: 1,785円
○ISBN: 978-4488006518
おすすめ度: 4.5
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思い通りに事が運ばないことはフツーにあることで、そもそもぼくがあらかじめ意図していた事柄に正当性があるのかどうかを疑うべきかもしれない。などと、すこし時間を経て冷静に考えればなんてこともないことであっても、順応性が低いというのか、頭がカタイというのか、混乱して尋常ではいられないからか、その場面においてはイライラカリカリ、ますます周囲からは人が遠ざかっていく。本来のぼくの予定では土曜日あたり(2日前)に読み終えているはずだった。もっとも本書を手にしたキッカケは、東京創元社『第三帝国の興亡 第五巻』(読了した後に書き記せていない)の巻末の宣伝広告?!にあって、第三帝国(ナチズム)に連関する著書であろうことが気になってのこと。そう、本書の第六章には「ナチズムの心理」として、ひとつの章をついやして説かれる(本書が発表された1941年は、まさにヒトラーの全体主義に世界が震撼するその最中、とある)。書き記さなければならないにもかかわらず(献本を受けているため)、なにかと言い訳をして先延ばしにして、先延ばしにしているということもさることながら、言い訳しているみずからにたいする嫌悪感をいだいてみたり、先延ばしにしている間にも本は淡々と読み進められているわけで、関連する情報やら知識やらがあらたに上書きされ、あたりまえのように時間の経過とともに肝心の記憶は薄れていく(消失してしまうものは重要なものではなかったとも言えなくもないのだが)。さらには、本書の次に手にした著書がサラッと昼間の予期せず生じた移動時間で読了してしまい、さらにさらにその次に手にした著書についても仕事帰りの電車で読了してしまっては、いずれも遠からぬ関連性を帯びていないわけでもなく、なにがなにやら混乱した状態にあることを否めず、どうしていいものらや♪


≪目次: ≫
序文
第一章 自由――心理学的問題か?
第二章 個人の尊重と自由の多義性
第三章 宗教革命時代の自由

1 中世的背景とルネッサンス/2 宗教改革の時代
第四章 近代人における自由の二面性
第五章 逃避のメカニズム

1 権威主義/2 破壊性/3 機械的画一性
第六章 ナチズムの心理
第七章 自由とデモクラシー

1 個性の幻影/2 自由と自発性
付録 性格と社会過程

訳者あとがき (一九五一年十二月十二日 訳者)
新版にさいして (一九六五年十一月十八日 日高六郎)


≪著者: ≫ エーリヒ・フロム (Erich Fromm) 1900年、ドイツのフランクフルトに生まれる。ハイデルベルク、フランクフルトの大学で社会学、心理学を専攻し、1925年以降は精神分析学にも携わり、精神分析方法を社会現象に適用する新フロイト主義の立場に立ち、社会心理学界に重要な位置を占めた。ナチに追われてアメリカに帰化し、メキシコ大学などの教授を歴任。1980年没。主著は、『自由からの逃走』1941、『人間における自由』1947、『精神分析と宗教』1950、『愛するということ』1956、『疑惑と行動』1962、『革命的人間』1963、『希望の革命』1968。


生きる・・・




本「第三帝国の興亡 第4巻 ヨーロッパ征服  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Conquest of Europe」ウィリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳5

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第三帝国の興亡 第4巻 ヨーロッパ征服  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Conquest of Europe
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東京創元社より、“本が好き!PJ”経由で献本、御礼!
ちょっと緊張?!、八月七日以来、四カ月ぶりのアップ。全五巻の“第一級の歴史ノンフィクション”シリーズ第三帝国の興亡』の第四巻の本書の献本は、第一巻「アドルフ・ヒトラーの台頭」第二巻「戦争への道」に続いてのこと(第三巻「第二次世界大戦」は献本の抽選に落選して図書館で貸借)なんだけど、、、じつは複雑な気持ちだったりする。とにかくぼくは無知で不勉強で、歴史にもまったく詳しくなくて、本シリーズ第一巻を手にするまで、かの“第三帝国”のなんたるかを知らなかった。だから、本書の概要を要約して他者に本書の興味を抱かせる!、などという“書評”なるものをどうして書きえようか、などと言い訳しても、その責を逃れられようはずもないのだけれども、、、しかし、その責はぼく以外の優秀なメンバーに委ねて(もっとも、概要はさまざまな紹介ページが充実しているから、その責は負わない?!、とも)、第一級の歴史ノンフィクションの長大な調べ(濃密な時間の流れ)を愉しむ♪
オビに記される、“征服を重ね、頂点へ達した総統。しかし、大いなる転機が訪れる。”
第四巻のタイトルは『ヨーロッパ征服』、
地図で見ると、一九四二年九月までにヒトラーが成し遂げた制服は気も遠くなるほどだった。地中海はまるで枢軸国の池のようになり、北岸はスペインからトルコまでのほとんど、南岸はチュニジアからナイルに一〇〇キロ足らずの地点までドイツとイタリアで押さえていた。実際、いまやドイツ軍は北極海に挑むノルウェーのノールカップからエジプトまで、大西洋のブレストからヴォルガ川下流の中央アジアに接するあたりまで哨戒にあたっていた。 (P.414)
(ぼくの頭の中には地図が描けなくて、どんだけスゴイことなのか映像では認識できないのだけれど、スゴそうな雰囲気だけはヒシヒシと感じる!?)、一九四二年、スターリングラード攻防戦(敗北)まで。

≪目次: ≫
第四部 戦争――初期の勝利と転機(承前)
第二十一章 西部の勝利

対立するさまざまの作戦計画/一九四〇年五月十日―六月二十五日/オランダの征服/ベルギー陥落と英仏軍に罠をかける/レオポルド国王の降伏/ダンケルクの奇跡/フランスの崩壊/ドゥーチェ、フランスの背中に短剣を突き刺す/コンピエーニュにおける二度目の休戦/ヒトラー、平和をもてあそぶ
第二十二章 〈アシカ作戦〉――阻まれたイギリス侵攻
バトル・オブ・ブリテン〉/侵攻が成功していたら/追記 ナチのウィンザー公夫妻誘拐計画
第二十三章 バルバロッサ ソ連の番
ベルリンのモロトフ/挫折の六カ月/「世界は固唾をのむだろう」/バルカン前奏曲/テロの立案/ルドルフ・ヘスの高飛び/窮地に立ったクレムリン
第二十四章 風向き変わる
モスクワ大進撃
第二十五章 アメリカの番
「アメリカと事を構えるのは避けよ」/わが道を行く日本/パール・ハーバー前夜/ヒトラー、宣戦す/十二月十一日――議会におけるヒトラー
第二十六章 大いなる転機 一九四二年――スターリングラードエル・アラメイン
息を吹き返した陰謀者たち/ドイツ最後の大攻勢/ソ連におけるドイツの夏季攻勢 一九四二年/最後の一撃――エル・アラメインと英米軍の上陸/スターリングラードの大敗


≪著者: ≫ ウィリアム.L.シャイラー (William L.Shirer) 1904年シカゴ生まれ。ジャーナリスト・歴史家。コー大学卒業後、渡欧。〈シカゴ・トリビューン〉紙の特派員などを経て、CBSのヨーロッパ支局長に。ドイツのオーストリア併合など、数々の歴史的事件の報道に携わる。1940年、戦況の悪化に伴ってアメリカへ帰国し、自身の経験をもとにしたベストセラー『ベルリン日記』(筑摩書房)を発表。1960年に発表した本書では、全米図書賞を受賞する。『フランス第三共和制の興亡』(東京創元社)、『第三帝国の終わり――続ベルリン日記』(筑摩書房)など著書多数。1993年没。

≪訳者: ≫ 松浦伶 1936年島根県生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。雑誌・書籍の編集者を経て、翻訳に従事。訳書にジャイルズ・ミルトン『スパイス戦争――大航海時代の冒険者たち』(朝日新聞社)、アル・パチーノ+ローレンス・グローベル『アル・パチーノ』(キネマ旬報社)がある。2007年没。


第三帝国の興亡 第3巻 第二次世界大戦  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :World War (2008/8)』
第三帝国の興亡 第2巻 戦争への道 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Road to War (2008/6)』
第三帝国の興亡 第1巻 アドルフ・ヒトラーの台頭 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Rise of Adolf Hitler (2008/5)』

津久井湖





ところで、本書を“受け取って一言”という書き込み(の義務)があって、ついつい調子に乗って、そこに『“No More!”とだけは簡単に言えないよねぇ〜』などと書き記してしまった(意図して!?)んだけど、ぼくは意識しておかないと簡単に、「悲惨な歴史(戦争)を繰り返すな!」、みたいなステロタイプで書き記してしまう、これまでも無意識に書き記してきた。当然にその段階を経て、それを動機として、その先があるのであって、決して咎められるものではあるまい(と、自己防衛?!)。
最近になって、いろいろな本を読む機会を得て、中途半端な知識(ぼくの無能力ゆえに)でしかないのだけれど、知れば知るほど中途半端には語りえない、との思いが高まって、とにかく言葉を失う、ますます語りえない。そんな一方では、“知”への興味は高まりを覚えるばかりで、「う〜、わからない〜♪」などと、ある意味でのマゾヒズム。「これも、エロス(=生の欲動、フロイト)か?!」、などと、わかったようなわからないような(きっとわかってない)ひとりごとが増す。そんなこんな(かなり強引だけど)でひきこもり傾向にあり、ますます他者との隔たりを強く抱くようになり、さらには“生き辛さ”(のようなもの)を感じないではいられない。そもそも、ぼくの生き辛さ(のようなもの)は、今に始まったものでもなくて、最近になってようやく認識して、そういうものだと受け容れるよう心掛けている(完全に受け容れることはできていない!?)が、気がついたときからず〜っとそう。破綻しちゃった結婚生活だって、そもそもが無理があって(と、最近では認識するようにしている)、ぼくは依存癖が強いものの、他者と絶対的に相容れない不寛容(過度に潔癖)な部分を有していて、共同生活に不向きであるにもかかわらず、それまでの育成の過程における甘えからの自立不適格を理由に、勘違い(若さゆえ)した、と。相手に、その当時どのような理由があったのかは、すでに知る由もないが、彼女は強い。その強さに、自立不適格で弱いぼくは惹かれた(と、分析する)。何度も「わたしはあなたのお母さんじゃない」と言われたことを、先日娘に会った時に、娘の口からも聞かされて思い起こした。娘の養育の問題もあって、表面的な経済力に勝るぼく(それでも二重生活に耐える資力に欠ける)は、経済的を理由にして共同生活を提案するのだけれど、何度も何度も明確に断られて「考えたこともないし、絶対にありえない」とまで断言されても、いまだにどこかで諦めきれていない。しかし、考えれば考えるほどに、ぼくは共同生活に不向きで、どう考えても新たな人間関係を築くことが想像できなくて、その負担ともいうべき、ぼくの不安(寂しさ)を紛らわす依存先を、手近なところで、という意図を否定できない。生きる力(強さ。経済力とは限られない)を有しない相手(どちらかと言えば、女性には少なくない?!)であったならば、状況は違っていたであろうが、彼女は強い、ある意味ではひとりで生きていくべき(強すぎるがゆえに)側面をも有していて、そう考えるに、ますます結婚した当時に何があったのかと、人生の(出逢いや縁の)不思議を思い、さらには下世話な想像(彼女は著しく詮索や干渉を嫌う、ぼくは細かいことに気が付いてしまい気が付いたら知らずにはいられない)をしてしまうのだが、返す返すもすでにぼくには知る由もない。ぼくはやっぱり、ひとりで生きていくべきだろうなぁ、、、と、そんなことばかり考え続けているぼくは、〈ぼく〉がなにものであるのか、なんで生きてこの世に存在しちゃっているのかを知りたい。なんだかぼくには、生き辛い(と感じることが少なくない)世の中だけど、だからといって、決して嫌悪してはいない、悪くない。嫌悪したところで、どんな世の中だったらいいのか?、と問われても回答できない、という自らの無能力もあるけれど、絶対的な完璧なものなど世の中にはない、存在しえない、と考えるから、現実の“今”を否定して嫌悪することに意義を見出すことができず、そのことに思い煩うことの無益さ(貧乏症)を考えるに、さらには、自然の力学というのか、なにごとも然るべき方向におさまる、持続可能性がないものは継続しえない、自然淘汰のような作用を理解するにいたっては、ますます今現在を否定することができない。絶対的に矛盾は消失することなく存在しえるわけだから、しかし、自然の大きな力に導かれて悪いようにはならない!?、現にぼくたちは今、この世の中に存在している。
もしも(非現実的ではあるがあえて)、ナチス・ドイツの時代にそこに生きていたら、それでもぼくはきっとグズグズと生き辛いと思い煩って、もしかしたら戦争で死んでしまうのかもしれないけれど、じゃぁ戦争がない(平和ボケした)現代社会が、素晴らしい(正しい)か?、と問われても、回答に窮する。死ぬことに恐怖を感じないといったらウソになるけれど、じゃぁ漫然とただただ生きることが、そんなに素晴らしい(正しい)ことなのか?、との疑問を呈さずにはいられない。

本「第三帝国の興亡 第3巻 第二次世界大戦  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :World War 供廛Εリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳5

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第三帝国の興亡 第3巻 第二次世界大戦  THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :World War
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本が好き!PJ”経由の献本の抽選は、4分の3の確率に落選し、“ミステリサスペンス”を読まないぼく――正しくは、読めない。登場人物を覚えられなくて、そこがミソとなるであろう細かいトリックにまで気がまわらない。それよりも何よりも、人をくったような小細工(そこがミソなのに)が気に障る、ってホント性格悪〜い!?、あぁぁあ――には、縁遠いのかもしれない、東京創元社
ところがぼくには、この全5巻シリーズ「第三帝国の興亡」を読まない理由が、そもそも読まないという選択肢がないから、入手経路の差異でしかない、自腹で参画。欲する原動力は、知への欲求、自らの無知への自覚。

・・・この指令書が示しているように、ヒトラーはまだ英仏がどう出るか確信がなく、自分から攻撃を仕掛けるのを控えようとした。向こうが敵対行為をとったら受けて立とうと思っていたのである。・・・  (P.284)
なんの迷いも躊躇もなかったわけではない。偶然と言ってしまうには、あまりにも連続して重なり続けた偶然!?
・・・長々と話しつづけるヒトラーは念頭からイギリスのことを追い払うことができなかった。
「イギリスは、ドイツに対抗する勢力の駆動力である」と、彼は強調した。そして、その強みと弱みを列挙した。

イギリス人自身は誇り高く、勇敢で、頑健で忍耐づよい、才能豊かな組織者である。新しい発展を利用するすべを心得ている。冒険を愛する心と、北欧ゲルマン系の勇気をそなえている。……
イギリスは、もともと世界の強国である。三百年間、変わらずそうだった。同盟を結ぶたびに強くなってきた。それは有形の力であるだけでなく、全世界を包む心理的な力であると解すべきである。
くわえて計り知れない富と、支払い能力がある。
地政学的安全、強大な海軍と勇気ある空軍に支えられた防備がある。

・・・  (P.68-P.69)
ひとつのことがはっきりしていた――チェンバレン以外のほとんどのひとにとってだが。それはヒトラーの一挙手一投足によって弱まり、よろめいていた英仏外交が、いまや完全に破綻したことであった。一歩また一歩と、ふたつの西欧民主主義国家は後退していった。ヒトラーが徴兵制を敷いた一九三五年、ラインラントに進駐した一九三六年、オーストリアを奪った一九三八年、ついで同年、ズデーデンを要求して奪ったとき、そして一九三九年三月、ヒトラーが残存チェコスロヴァキアを占領したときも、彼らは弱々しく座視するだけだった。ソヴィエト連邦を仲間にすれば、ドイツの独裁者を説いて戦争をやめさせることもできただろうし、たとえ失敗したとしても武力衝突でかなり早い時期に打ち破ることができたかもしれない。しかし彼らは、この最後の機会が手からこぼれ落ちるに任せた。そうして、最悪のときに最悪の状況で、ポーランドが攻撃されたとき援助に飛び込むことにしたのだった。  (P.184-P.185)

ヒトラーのスカンディナヴィア二カ国の電撃的征服からは、軍事的教訓も学ぶことができた。もっとも顕著なことは、空軍力の重要性と、爆撃機、戦闘機の陸上基地が近い場合は海軍力に勝ることである。そして、勝利はしばしば大胆で想像力に富む者に訪れる、という古い教訓も同様に真実であった。ドイツ海軍と空軍はその双方をともにそなえていた。またナルヴィクにおけるディトールは、ドイツ陸軍の機略縦横ぶりを証明したが、連合軍にはそれが欠けていた。
スカンディナヴィアの出来事にはひとつの軍事的結果があったが、ひとはあまり遠い将来のことは見通せないものだからすぐには評価できなかった。ノルウェーにおける人命の損失は、双方ともに軽微だった。ドイツ側は戦士千三百十七、行方不明二千三百七十五、負傷千六百四、計五千二百九十六の死傷者だった。一方、ノルウェー、フランス、イギリス合わせて死傷者は五千足らずである。イギリスは航空母艦一、巡洋艦一、駆逐艦七、ポーランド、フランスはそれぞれ駆逐艦一、という損害だった。ドイツ海軍の損失は比較的大きく、駆逐艦十四隻のうち十、巡洋艦八隻のうち三であった。巡洋戦艦〈シャルンホルスト〉〈グナイゼナウ〉、ポケット戦艦〈リュッツォー〉は被害甚大で、数カ月間、実戦を離れた。ヒトラーは、きたるべき夏の作戦のために語るに足る艦隊を持たなかった。いよいよイギリスに攻め込むときがきたとき、それはまもなくのことだったが、これは克服しがたい弱点だとわかった。
しかし、ドイツ海軍が半身不随の大打撃をこうむったことから起こりうる結果は、長い征服リストにデンマークノルウェーをくわえた五月はじめ、熱心な将軍たちと――前年秋の心配事はまるで忘れていたようだ――こんどこそ最大の征服だと意気込んで作戦計画の仕上げにおおわらわの総統の頭からは、完全に抜け落ちていた。  (P.534-P.535)


≪目次: ≫
第三部 戦争への道(承前)
第十四章 ポーランドの番

ついでにちょっと侵略/ポーランドをめぐる熱気/〈作戦・白〉/ヒトラーのローズヴェルトへの回答/ソ連の介入(一)/鉄鋼条約/ヒトラー、背水の陣を敷く 一九三九年五月二十三日/ソ連の介入(二)/総力戦の計画/ソ連の介入(三)/ドイツ同盟諸国の逡巡/ザルツベルクおよびオーバーザルツベルクにおけるチアーノ 八月十一、十二、十三日
第十五章 ナチ−ソヴィエト条約
オーバーザルツベルクにおける軍事会議 八月十四日/ナチ−ソヴィエト会談 一九三九年八月十五日−二十一日/一九三九年八月二十二日の軍事会議/モスクワにおける連合諸国の手詰まり/モスクワにおけるリッペントロップ 一九三九年八月二十三日
第十六章 平和の最後の日々
ムッソリーニの逃げ腰/「陰謀者たち」の歓喜と混乱/平和の最後の六日間/土壇場のドイツとイギリス/平和の最後の日
第十七章 第二次世界大戦はじまる
ムッソリーニ、最後の瞬間の介入/ポーランド戦争、第二次世界大戦となる

第四部 戦争――初期の勝利、そして転機
第十八章 ポーランドの滅亡

ソ連のポーランド侵入
第十九章 西部の座り込み戦
〈アシーニア〉の沈没/ヒトラーの平和提案/ヒトラー打倒の「ツォッセン陰謀」/ナチの誘拐とビアホールの爆弾/ヒトラー、将軍たちを励ます/ポーランドにおけるナチのテロ――第一段階/全体主義国家間の軋轢
第二十章 デンマークノルウェーの征服
ヴィドクン・クヴィスリングの登場/ヒトラー、サムナー・ウェルズとムッソリーニに会う/陰謀組、またもや挫折/デンマーク、ノルウェー奪取/ノルウェーの抵抗/ノルウェーをめぐる戦い


≪著者: ≫ ウィリアム・L・シャイラー (William L.Shirer) 1904年シカゴ生まれ。ジャーナリスト・歴史家。コー大学卒業後、渡欧。〈シカゴ・トリビューン〉紙の特派員などを経て、CBSのヨーロッパ支局長に。ドイツのオーストリア併合など、数々の歴史的事件の報道に携わる。1940年、戦況の悪化に伴ってアメリカへ帰国し、自身の経験をもとにしたベストセラー『ベルリン日記』(筑摩書房)を発表。1960年に発表した本書では、全米図書賞を受賞する。『フランス第三共和制の興亡』(東京創元社)、『第三帝国の終わり――続ベルリン日記』(筑摩書房)など著書多数。1993年没。

≪訳者: ≫ 松浦伶 1936年島根県生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。雑誌・書籍の編集者を経て、翻訳に従事。訳書にジャイルズ・ミルトン『スパイス戦争――大航海時代の冒険者たち』(朝日新聞社)、アル・パチーノ+ローレンス・グローベル『アル・パチーノ』(キネマ旬報社)がある。2007年没。

第三帝国の興亡 第2巻 戦争への道 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Road to War (2008/6)
第三帝国の興亡 第1巻 アドルフ・ヒトラーの台頭 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Rise of Adolf Hitler (2008/5)

Lagerstroemia indica




本「第三帝国の興亡 第2巻 −戦争への道 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Road to War」ウィリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳5

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東京創元社より“本が好き!PJ”経由で、『第1巻 アドルフ・ヒトラーの台頭』に次いで献本、御礼!
全5巻シリーズの第2巻の本書の装丁は“緑色”。ちなみに、第1巻は“赤色”だった。その外装紙カバー(?!)を外すと、全面赤色の背景に黒色の“鉤十字(ハーケンクロイツ)”(ナチスの党章及び国旗に採用されたシンボル)が大きく描かれ、そこに赤色抜きの文字でタイトル等が記される。これは、第1巻と同じ。ちなみに、赤と黒は「地と大地」を表わすとされるとのこと。
ナチス・ドイツにあって、もっとも似つかわしくない(?!)と思しき“緑色”とは、なにゆえに?!

1933年、首相に任命されるや、国内の混乱に乗じて矢継ぎ早に独裁体制を確立し、翌年1934年のヒンデンブルク大統領に死去により、大統領職を兼務し「総統 (Der Führer)」と呼ばれ、独裁者として全権を担った“アドルフ・ヒトラー (Adolf Hitler,1889-1945)”が、オーストリア併合チェコスロヴァキア消滅を遂げ、間もなくポーランド侵攻をしようとする以前、1939年年初までのドキュメントに見る“空前の無血征服劇”。
著者“ウィリアム・L・シャイラー (William L.Shirer,1904-1993)”は、外国人ジャーナリストとして、その歴史的事件の現場での報道に直接携わった。そして、一九六〇年にアメリカで発表された本書“第一級の歴史ノンフィクション”。

どうしたことか独裁制は、新しい希望、新しい自信、この国の未来についての驚くべき信頼を、国民の心に吹き込んでいた。
アドルフ・ヒトラーは過去を、挫折や失望とともに抹消しようとしていた。(後で詳しく検討するが)一歩一歩、そしてすばやくヴェルサイユ条約のくびきから祖国を開放し、戦勝連合国の目をくらましてドイツをふたたび軍事大国にしつつあった。これは大多数のドイツ国民の望むところで、それを手に入れるためなら〈指導者〉の要求する犠牲を喜んで差し出した。個人の自由の消失、スパルタ式食事(「バターより大砲を」)、重労働である。一九三六年の秋には失業者問題は大いに軽減され、多くが再就職した。組合結成の権利を剥奪された労働者が、ご馳走でいっぱいの弁当箱を前にして、ヒトラーのもとでは飢える自由もなくなったと冗談を口にする光景も見られた。「私益より公益を(ゲマインヌッツ・フォーア・アイゲンヌッツ)!」が当時ナチの掲げた有名なスローガンであり、ヘルマン・ゲーリングを筆頭に多くの党幹部たちがひそかに私腹を肥やし、事業の利益も増えていたにもかかわらず、一般大衆は個人の利益よりも社会の幸福を表面上優先する新“国家社会主義”のとりこになっていた。
*一九三三年二月から一九三七年春までに、登録失業者数は六百万人から百万人以下に減った。
 (P.7-P.8)
第一次世界大戦に敗戦したドイツ(ヴァイマル共和国)の国内情勢。

そして、
フランスがドイツ国防軍の大隊に立ち向かわず、イギリスがそのフランスにたいして警察行動に毛が生えた程度の支援も惜しんだことは、西欧にとって不幸であったと容易に理解できる。のちに生じたもっと大きなさまざまな災厄は、すべてこのことが発端なのである。一九三六年三月、西欧のふたつの民主主義国は、軍国主義的、侵略的、全体主義的ドイツの台頭を深刻な戦争にいたる危険をおかさずに阻止する最後のチャンスを与えられたのだ。実際――ヒトラー自身それを認めていることは、すでに見たとおりである――、ナチの独裁者とその政権を崩壊させる最後のチャンスであった。そのチャンスをみすみす逃したのである。 (P.126)
ラインラント進駐】 1936年3月7日、ドイツはヴェルサイユ条約に反して、非武装地帯と定めるラインラントに陸軍を進駐させ、同地に兵営を設け、軍隊を駐留させた、、、(Wikipedia)

一九三八年十月一日、ドイツはチェコスロヴァキアおよび――ソ連は別にしても――英仏と戦争をする状況にはなかった。もし戦争をはじめていればドイツはあっという間に敗れ、ヒトラーも第三帝国も終わりを迎えていたことだろう。ヨーロッパ戦争が最後の最後にドイツ陸軍の介入によって回避されたとするならば、ヒトラーはチェコスロヴァキア攻撃の最終命令を出したとたんに逮捕するという計画に従ってハルダーヴィッツレーベン、その他の共謀者たちの手で打倒されるということになっていたかもしれない。 (P.388)
ミュンヘン会談】 1938年9月29日から30日にかけて、チェコスロバキアズデーテン地方帰属問題を解決するために、ドイツのミュンヘンにおいて開催された国際会議。イギリス(チェンバレン首相)、フランス(ダラディエ首相)、イタリア(ムッソリーニ首相)、そして、ドイツ(ヒトラー総統)の首脳が出席した。 (Wikipedia)

一九三七年がはじまったとき、ヒトラーが最初の四年間にしたことの大半が戦争の準備にほかならなかったことは、イギリス、フランスの政府、国民にも、ドイツ国民の大多数にもわかっていないようであった。個人的観察から証言できるのだが、一九三九年九月一日直前までは、ヒトラーは戦争に頼らずに彼の望むものを――そして国民の望むものを――手に入れるだろうと、国民は確信していた。
しかしドイツを動かしていたエリートと枢要な地位で働いていたひとびとのあいだでは、ヒトラーの目的は疑いなく戦争であると信じられていた。 (P.136)
ポーランド侵攻】 1939年9月1日にドイツ軍とドイツと同盟したスロヴァキアの軍部隊が、9月17日にソ連軍がポーランド領内に武力侵攻した(〜10/6)。ポーランドの同盟国であったイギリスとフランスが相互援護条約を元に9月3日にドイツに宣戦布告し、ポーランド侵攻は第二次世界大戦に拡大することになる。 (Wikipedia)

限りなく濃い“緑色”?!


≪目次: ≫
第二部 勝利と地固め(承前)
第八章 第三帝国の生活 一九三三‐三七

キリスト教教会の迫害/文化のナチ化/新聞、放送、映画の統制/第三帝国の教育/第三帝国の農民/第三帝国の経済/労働の奴隷制/第三帝国の司法/第三帝国の政府
第三部 戦争への道
第九章 第一段階 一九三四‐三七

ヴェルサイユ侵犯/土曜日の不意打ち/ラインラント進駐/一九三七年「不意打ちはおしまい」/一九三七年十一月五日の運命の決断
第十章 奇妙で、運命的な間奏曲――ブロンベルクフリッチュノイラートシャハトの失脚
プロンベルク元帥の失脚/男爵(フライヘル)ヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍の失脚
第十一章 独墺合邦(アンシュルス)――オーストリア凌辱
ベルヒテスガーデンの会合 一九三八年二月十二日/苦悩の四週間 一九三八年二月十二日‐三月十一日/シュシュニクの挫折
第十二章 ミュンヘンへの道
最初の危機 一九三八年五月/将軍たちの動揺/反ヒトラー陰謀の芽生え/ベルヒテスガーデンにおけるチェンバレン 一九三八年九月十五日/ゴーデスベルクにおけるチェンバレン 九月二十二日‐二十三日/最後の土壇場で/〈暗い水曜日〉とハルダー反ヒトラー陰謀ミュンヘンの降伏 一九三八年九月二十九日‐三十日/“ミュンヘン”のもたらしたもの
第十三章 チェコスロヴァキアの消滅
砕かれたガラスの週〉/スロヴァキア“独立”を“勝ち取る”/ハーハ博士の試練



ぼんやり・・・
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本「第三帝国の興亡 第1巻 −アドルフ・ヒトラーの台頭 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Rise of Adolf Hitler」ウィリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳

本「第三帝国の興亡 第1巻 −アドルフ・ヒトラーの台頭 THE RISE AND FALL OF THE THIRD REICH :The Rise of Adolf Hitler」ウィリアム.L.シャイラー、松浦伶 訳5

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東京創元社より、“本が好き!PJ”経由で献本、御礼!

正直なところ、ぼくが“第三帝国 (Das Dritte Reich)”なる言葉と、その意味を知ったのは、ドイツの法律(公法)学者にして小説家“ベルンハルト・シュリンク (1944- )”のベストセラー小説「朗読者 (新潮クレスト・ブックス,2000.4、新潮文庫,2003.5)」を読了の後に手にした、法律学の著作「過去の責任と現在の法 ドイツの場合 (岩波書店,2005.2)」であり、なんとわずかに3カ月前のこと。すでに1世代以上前の出来事(事件)であり、直接的な当事者ではない次の世代が社会の中心を担うようになった時代(現在)にあっても、かつて母国の代表(指導者)たる“総統”が国家をあげて犯した罪(?!)は、ましてや、憲法をはじめとする公法を研究する法律学者(大学教授)という立場にあっては、無関係・無関心ではいられない。という視点からの出会いであった。
というか、そこから初めて抱いた興味であり、“第三帝国”に対する知識などといえるものはないに等しい。それ故に、無責任ながら、献本を受けて(読みたい気持ちに相違はない!?)からおよそ1か月が経過しようとするにもかかわらず、積読リストの順位が上がることがなかった。その途中には、「大審問官スターリン (亀山郁夫,小学館,2006.1)」なるソ連の独裁者(同時代であるヒトラーの記述あり)を説いた著作(ぼくはスターリンについても知らなかった)に、その重さや深さに並々ならぬ苦労を覚え、ますます本書に対して尻込み。一方では、独裁者という存在には、ラテンアメリカマジックリアリズムガブリエル・ガルシア=マルケス (Gabriel José García Márquez,1928- )”を彷彿とさせる視座を得る。
などとウダウダしているうちに、なんと、第2巻『戦争への道 (2008.6)』が刊行されて献本募集が告知されて、やっと覚悟を決めた、とはなんとも根性なし。そして、最近ではだいぶ読書に慣れてきて(2年前までは読書の習慣がまったくなかった)、1時間におよそ100ページ超のペースで読める計算なので、本書の読書時間を4時間半と算定するも、いきなり“はじめに”からつまずく。難しい、、、知らない馴染まない言葉ばかり(自らの知識不足)でペースがあがらない。休日を丸一日(およそ8時間弱)費やして、どうにか読了。かつての1ページ=1分換算のペース、普段の1.5倍は、十二分に費やすに値する♪

本書は、アメリカ・シカゴ生まれのジャーナリスト・歴史家“ウィリアム・L・シャイラー (William L.Shirer,1904-1993)”が1960年に発表し、第12回全米図書賞(National Book Awards)を受賞している、
膨大な資料と豊富な取材経験を駆使して描く、ナチス第三帝国の全貌。同時代を生きたジャーナリストによる 第一級の歴史フィクション
とオビに評される名著。まもなく発表から半世紀(50年)を経過しようとする今だからこそ、後世のためにも悪しき(?!)歴史が繰り返されることがないように、読み継がれ語り継ぎ、記憶に留め、そして記録として遺したい、遺すべき著作、その社会的意義。

アドルフ・ヒトラー (Adolf Hitler,1889.4.20-1945.4.30)”が“総統”として、ドイツ国家権力の頂点の座にのぼりつめるまでを描くのに、全459ページが費やされる、本書第1巻「アドルフ・ヒトラーの台頭」。
何度も紐解かれるヒトラーの自著『わが闘争 Mein Kampf』の第一巻は1925年夏に刊行される。後に「ナチの聖書」とも謳われ、ドイツ国内で600万部を売上げた、その著作が著(口述)されるのは獄中で、1923年のビアホール・プッチ(一揆)での手痛い失敗を経て。
・・・しかし、もっと多くの非ナチ・ドイツ人が一九三三年以前に読んでいたら、あるいは世界中の政治家がまだ間に合ううちにこれを精読していたら、ドイツも世界も破局を迎えずにすんだかもしれないという説もある。アドルフ・ヒトラーを責めるひとはいろいろいるけれど、権力を握ったらドイツをどんな国にするのか、武装ドイツによる征服でどんな世界をつくろうというのか、その具体的な見取図を示さなかったと言ってヒトラーを責めることは誰にもできない。第三帝国の青写真は、いや一九三九年から四五年にかけて勝ちつづけていたヒトラーがヨーロッパに押しつけた野蛮きわまる〈新秩序〉の青写真は、この啓示に満ちた書物の表紙から裏表紙までのあいあだに、長々と、ことこまかに、呆れるほどの生々しさで書かれているのである。 (P.171)

そんなヒトラーが、政治の世界に入る重要な転機。1919年9月のある日、軍政治局から調査を命令されて行った、小さな政治団体「ドイツ労働者党」の集会で押しつけられて手にした小冊子、、、
翌朝ヒトラーは、ドレクスラーに押しつけられた小冊子に目を通すことにした。その場面を、彼は『わが闘争』で長々と描写している。午前五時だった。ヒトラーはそれが習慣だと言っているが、第二歩兵連隊の兵舎の簡易ベッドに身を起こし、前夜、床に撒いておいたパン屑を鼠が齧るのを見ていた。「私は貧困を身にしみて知っていたから、この小さな生き物の餓えも、反対にその喜びも想像することができた」。彼は思いにふけった。そのとき小冊子のことを思い出して目を通しはじめた。「わが政治的目覚め」と題してあった。驚いたことに、彼自身がこの数年間に得た考えがいくつもそこにあった。 (P.85)



≪目次: ≫
第1部 アドルフ・ヒトラーの台頭
第1章 第三帝国の誕生

アドルフ・ヒトラーの登場/アドルフ・ヒトラーの初期の生活/「生涯もっとも悲惨な時期」/アドルフ・ヒトラーの理念の芽生え
第2章 ナチ党の誕生
誕生当時のナチ党/“総統”の出現
第3章 ヴェルサイユヴァイマルビヤホール・プッチ
ヴェルサイユの影/分裂した家/バイエルンの叛乱/ビヤホール・プッチ/叛逆罪裁判
第4章 ヒトラーの精神と第三帝国の根源
第三帝国の歴史的根源/第三帝国の知的根源/H・S・チェンバレンの風変わりな生涯と著作
第2部 勝利と地固め
第5章 権力への道 1925-31

パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスの登場/アドルフ・ヒトラーの幕間 休息とロマンス/不況という好機
第6章 共和制最後の日々 1931-33
ヒトラー対ヒンデンブルクフランツ・フォン・パーペンの失敗/共和国最後の首相シュライヒャー
第7章 ドイツのナチ化 1933-34
議事堂炎上/GLEICHSCHALTUNG=ドイツの“統制”/「第二革命は無用だ」/ナチ外交政策のはじまり/一九三四年六月三十日の血の粛清/ヒンデンブルクの死


≪著者: ≫ ウィリアム・L・シャイラー (William L.Shirer) 1904年シカゴ生まれ。ジャーナリスト・歴史家。コー大学卒業後、渡欧。〈シカゴ・トリビューン〉紙の特派員などを経て、CBSのヨーロッパ支局長に。ドイツのオーストリア併合など、数々の歴史的事件の報道に携わる。1940年、戦況の悪化に伴ってアメリカへ帰国し、自身の経験をもとにしたベストセラー『ベルリン日記』(筑摩書房)を発表。1960年に発表した本書では、全米図書賞を受賞する。『フランス第三共和制の興亡』(東京創元社)『第三帝国の終わり −続ベルリン日記』(筑摩書房)など著書多数。1993年没。

≪訳者: ≫ 松浦伶 1936年島根県生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。雑誌・書籍の編集者を経て、翻訳に従事。訳書にジャイルズ・ミルトン『スパイス戦争 −大航海時代の冒険者たち』(朝日新聞社)アル・パチーノ+ローレンス・グローベル『アル・パチーノ』(キネマ旬報社)がある。2007年没。



Rose bud.
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本「バンガローの事件  The Bungalow Mystery 1930 (創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 3)」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5


バンガローの事件  The Bungalow Mystery 1930(創元推理文庫、ナンシー・ドルー・ミステリ 3)
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書評/ミステリ・サスペンス



東京創元社より、“本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!
少女探偵“ナンシー・ドルー・ミステリ”シリーズ第三弾♪、「古時計の秘密 The Secret of the Old Clock (2007.11)」、そして「幽霊屋敷の謎 The Hidden Staircase (2007.12)」と、ミステリを不得手とするぼくも安心して愛読できる。

誰も殺されない、1930年から愛され続けてきた優しさに満ち溢れる、シンプル(is Best!)なミステリを、「11歳の我が娘に読ませたい!」と画策する。ところがそんな思惑というものは、こちらの期待を知ってか知らずか、容易く外される。既刊の2作は彼女の手元にあり、未読のままに。今回、思い切ってぼくに先んじ、「面白くて読み易くて、きっとすぐに読み終わるから!」とそそのかして渡した。案の定、1週間後に53ページまでの中途読了で返ってきた。きっと彼女だって、宿題や習い事やら忙しかったのだ、、、


あとがき、「ナンシーとの再開」に、“坂木司 (1969- )”が書き記す。嫌みなくらいに完璧なお嬢様の主人公、「ナンシー・ドルーに惚れ直した」と。しかし、小学校の図書館で出会った時に、「子どもの私は数冊読んでそれっきりナンシーについて興味を失ってしまった」(P.234-P.235)と。


花言葉「生きる」♪
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本「みどりいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第3巻) TALES OF THE GREEN FAIRY BOOK 1892」アンドルー・ラング 編、 西村醇子 監修5


みどりいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第3巻) TALES OF THE GREEN FAIRY BOOK 1892
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書評/SF&ファンタジー



東京創元社より、“本が好き!PJ”経由の献本、御礼!
あおいろ”、“あかいろ”に続く第3弾!、全12巻のシリーズなので、まだまだ9巻を残す。
第3巻の本書に収録される童話作品は21篇(少なくない!)だけれども、”アンドルー・ラング (1844-1912)”により、1892年に編著された原書には、どうやら全42篇が収録されていたようす。ちなみに、遡って第1巻“あおいろ”の原書は37篇(うち今回18篇)、第2巻“あかいろ”の原書にも37篇(うち今回20篇)と、既に刊行されている3巻までの原書の平均収録作品数から、シリーズ全12巻の原書の収録作品数を算出すると、なんと全464篇!、少なく見積もっても400篇(平均33〜34篇/巻)を下回らないであろう。さすが!「世界は広い、童話文学は奥深い!」と言わざるをえない。万に一つでも「なんだよ、似たような話し(童話作品)ばかりじゃないか?!」などと言及しようものなら、当然のごとく「そうよ」と、さらには「なに言っちゃってるのかしら、この人は、、、」といぶかしがられないとも限らない!?、まぁ、世の中の人(の多く)はぼくみたいに底意地が悪い人ばかりではないので、優しく笑って受け流してくれるであろうが、、、


本書は、ご存じ、『青い鳥 “The Blue Bird”』に始まる。
で、物語はお決まりの、
・・・ いつまでも幸せにくらしたという。 (P.55)
で幕を閉じるんだけど、、、
「ところで、“幸せ”ってなんだろうか???」と、ず〜っと考え続けているぼくは、言葉通りに素直には受け取れない。

たとえば、『身から出たさび “The Biter Bit”』にあって、始まりに、
むかしあるところに、サイモンという男がいた。たいへんな金持ちなのに、おそろしくけちでお金にうるさかった。サイモンの家を切りもりしていたのは、頭がよくてやり手のニーナという家政婦だった。・・・ (P.231)
と評されるサイモンは、ぼくにとっては、どちらかといえば(どう考えても!?)、“悪いキャラ”。だって、「けちでお金にうるさい」、「たいへんなお金持ち」って、どうにも好きになれない。まぁ、「たいへんなお金持ち」は、その前提に「けちでお金にうるさい」があるから、散財することなく「お金持ち」として存在できるのであり、気前の好い「お金持ち」など滅多に聞かないのではあるが。そして、そんな個人的な固定観念(好き嫌い)を持ち込むべきではないのであろうけれども。
サイモンが家政婦に乞われて市場でラバを買って帰宅する途中、ろくでもないお調子者の三人組(後には悪党と表される)に、飼ったばかりのラバを騙し取られてしまう。ちなみに、その悪党たちとは、「まじめに働いてくらしをたてるより、他人のものをちょうだいして生活するほうがずっといいという連中」だそうだ。たしかに、悪党たちは決して褒められた生き方ではないけれども、だからと言って、ラバを騙し取られた(わずかに金貨7枚分)、「たいへんなお金持ち」であるところのサイモンが、逆に家政婦のニーナと協力して、どう考えてもサイモンよりお金を持っていない悪党たちを騙して、なんと金貨50枚もの大金を巻きあげて、それぞれの奥さんを自らの手で亡くさせて(ナイフやかみそりで切り殺す)、最期はずたぶくろに入れられて川に放り込まれてしまうだなんて、どちらがホントの悪党なのか判断しかねる!?
それでもやっぱり、物語の最後は、
サイモンは、主人思いのニーナが待つ家へもどり、羊の群れとたくさんの金貨のおかげで、それから何年も、健康で幸せにくらした。 (P.245)
まさに、それが現実であろう。強い者が残り、残った者が正しい!?

一方の、“三匹のクマの話”にあっては、小さな小さなクマの、小さなつぼに入った朝食のポリッジを全部たいらげてしまい、小さないすの底をぬいて壊し、さらには小さなベッドで居眠りをするという、ずうずうしくて意地の悪い(!?)小さな老婆は、
・・・ そのあと、老婆が落ちて首の骨を折ったのか、森ににげこんでまよったのかはわからない。あるいは、森を出られたもののおまわりさんにつまって、老婆のような悪い人をいい人にする施設におくられたのかもしれない。ただ、三匹のクマが老婆を見ることは二度となかった。 (P.294)
たしかに“悪いキャラ”とされる老婆の行動は、とても「正直で善良」と言えるものではないのかもしれない。それでも、残虐な最期を迎えなかった?!、とついついホッとしてしまう。例えば、実は老婆は森で道に迷い、お腹を減らし、疲れ果てていた??!



ところで、「そんなにも屁理屈ばかりを並べるなら、だったら読まなければいいのに、、、」とは、自分でも思わないわけではないのだけれども、ズバリ、「我が娘の教育に役立てたい!」という想いがある。
正直に言ってしまえば、それが主目的であることを否定しない。
本来、献本を受けているのは“ぼく”であり、ぼくの「読みたい!」興味に基づいて行われる献本であるべきと考える。それが仮に、“ぼく”の「読みたい!」興味が、“我が娘”というぼく以外の第三者を主目的とするものであったとしても、それも「“ぼく”の興味には相違ない」という拡大解釈が成立すると定義づける。

様々な理由から結果的に家族との別居を余儀なくされている現状のぼくにあっては、「果たして我が娘(彼女)のために、ぼくができること、すべきことは何であるか?」を真剣に考えずにはいられない。
まったく可笑しなもので、同居していたときには、彼女のことを何ら考えることができなかった(今も完璧に考えられているのかと問われれば、その自信はないと答えざるをえないが)。可愛がることはできた。むしろ、過保護なほどに干渉し、溺愛していたとさえ。
そう考えるに、果たして「ぼくの彼女に表していた愛情とは、いったい何ものであったのか?」、そしてはたまた、「彼女にとってのほんとうの“幸せ”とは?」、考えは尽きない。

現在、本書“みどりいろ”は当然のこととしても、“あおいろ”も“あかいろ”も、未だぼくの手許に在る。
実のところ、週に一度は我が娘と逢うことができる(ありがたい)ため、ぼくなりに長期的な展望をもって接しているつもりではあるのだけれども、果たしてぼくの彼女に対する行動のひとつひとつは、ほんとうに彼女にとって有益なのであろうか?、ぼくのひとりよがり、自分勝手な都合ばかりを押し付けていないであろうか?、(偽善?!)
一方では、同居がままならない状況にあっては、彼女と逢うことそのこと自体を熟慮する必要だってあろう。彼女に精神的な負担(不安)がないはずがないと容易に想像できる。現にぼく自身が、精神的な平静を保つことができないことが少なくないのだから。


*収録作品
“The Blue Bird” 「青い鳥」
“Rosanella” 「ロザネラ姫」
“Sylvain and Jocosa” 「シルヴァンとジョコーサ」
“Fairy Gifts” 「妖精のおくりもの」
“The Three Little Pigs” 「三匹の子豚」
“Heart of Ice” 「氷の心」
“The Echanted Ring” 「魔法の指輪」
“The Golden BlackBird” 「金色のクロウタドリ」
“The Little Soldier” 「小さな兵士」
“The Maagic Swan” 「魔法の白鳥」
“The Dirty Shepherdess” 「きたない羊飼い」
“The Enchanted Snake” 「魔法にかけられたヘビ」
“The Bitter Bit” 「身からでたさび」
“King Kojata” 「コジャタ王」
“Prince Fickle and Fair Helena” 「気まぐれ王子と美しいヘレナ」
“The Story of Hok Lee and the Dwarfs” 「ホック・リーと小人たち」
“The Story of Three Bears” 「三匹のクマの話」
“Prince Vivien and the Princess Placida” 「ヴィヴィアン王子とプラシダ姫」
“Spindle, Shuttle, and Needle” 「つむと杼とぬい針」
“The War of the Wolf and the Fox” 「オオカミとキツネの戦い」
“The Three Dogs” 「三匹の犬」


初夏のツブツブ♪
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本「魔使いの秘密 THE SPOOK'S SERCRET」ジョゼフ・ディレイニー、金原瑞人・田中亜希子 訳5


魔使いの秘密 THE SPOOK'S SERCRET
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書評/SF&ファンタジー



東京創元社より“本が好き!PJ”経由の献本、御礼!
〈魔使いシリーズ〉第3弾、なるほど明かされる“魔使い”の秘密!?、
それは、ヒ・ミ・ツ♪
「魔法使いの弟子 (2007.3)」「魔法使いの呪い (2007.9)」、、、

13歳のトムは、愛する家族と離れて、師匠の“魔使い”の下に厳しい修行を重ねる“魔使いの弟子”。力の衰えを隠せない師匠を、時に手助けし、共に生活する中に、その知識と経験を習得する。トムは13歳とはいえ、既に親元を離れ、厳しい社会を自らの力で生き抜かなければならない。子どもだから、弟子だから、なんて甘えは通用しない。魔使いの世界に生きる覚悟を決めた以上、立ち向かわなければならない敵(悪)を自らの力で封じ込めなければ、自らが命を落とすことにもなりかねない。まさに、生きるか死ぬかの真剣勝負。
敵(悪)だって必死。誰だって、その使命を全うしたい。だから、あの手この手を使っての決死の攻防が繰り広げられる。

そんな厳しい社会にあって重ねられる出会いと別れは、一時の感情に左右されない強い意志を要求される。新たな出会いは、心を温かくする。一方、別れは辛い、心が引き裂かれるような想い。いつ何時、再び会えるとも知れない。修業中の弟子の身分にあって、決して自由など有り得ない。ましてや、魔使いという、いつ何時、突然遣ってくるとも知れない「悪」に立ち向かい、人びとを護ることを使命とするが故、常に臨戦態勢を整えておかなくちゃいけない。そりゃ、親の死に目に逢えなくたって、何の不思議もない。あぁ。
何の因果か、とっても切なくて、堪え切れずにウルウルしちゃう。

そう、色濃く描かれる“死”、どこまでもズバッと直球、ヤングアダルト叢書だからこそ!?、手加減なしの真剣勝負が心地好い♪
著者“ジョゼフ・ディレイニー (Joseph Delaney)”は、1945年イングランド北部のランカシャー生まれ。なるほど、旧くから伝わる民話をベースに仕立て上げられたファンタジーは、「えいやっ」と簡単に魔術を自在に操る“魔法使い”なんかじゃない、自分に感覚だけを頼りに「悪(?!)」を封じ込める“魔使い(SPOOK)”を描く。
そもそも、“魔使い”を指す“spook”が「幽霊」や「変人」という意味であり、人びとから忌み嫌われる魔女や幽霊や精霊やらに立ち向かう職人で、それなのに人びとからは必要とされながらも感謝されるより恐怖の対象とされ、それ故に常に“孤独”が付き纏う。
それでも、「誰かが遣らなくちゃいけない。それがぼくだった。だから、遣らないわけにはいかない!」と敢然と立ち上がる。

今回、トムが立ち向かう最大の敵、かつて師匠の弟子だった“モーガン”は、死者の霊を操る力を有する、と嘯き、トムの不安を煽る。
「死者はどこへ行く?」と。教会(宗教)によって説かれる、天国や地獄であり、命(身体)を亡くした(?!)魂の存在とは、とどのつまり、誰もが生きている以上は絶対に知り得ない“死”後の世界。
それでも、信仰(宗教)によって死後のあの世の天国や地獄が説かれれば、誰だって天国に召されたいと強く願う!?
「おまえの父親は善良だ。モーガンが死んで、やつの力が消えた今、お前の父親が恐れるべきものは何もない。まったくな。死んだあとどうなるか、はっきりわかっている者はだれもいない」魔使いがため息をついた。「もしわかっていたら、こんなにもいろいろな宗教が存在することはないだろう。どれも違うことを言っていて、自分たちが正しいと考えている。おれが思うに、問題は、どの宗教を信じるかということじゃない。ひとりで歩き、生涯わが道を行くのだって、かまわない。おまえの父親がおまえに教えたように、自分の人生を正しく生き、他人の信じることを尊重しているかぎり、道を大きく踏みはずすことはない。おまえの父親なら、きっと光の道を見つけるだろう。 (P.373)

トムだって、敵(悪)の誘惑に敢然と立ち向かい、自らの命を賭けて、自らの正義を信念を貫き通す。
ろうそくを蹴りたおせば、ぼくの命は助かるだろう。魂も助かる。だけど、ぼくはいつだっていちばんにこの地方のことを考えないといけない。母さんには会えなくなるかもしれないけれど、ゴルゴスを解きはなったりしたら、そのあと母さんの目をもう一度見ることができるだろうか。母さんはぼくを恥ずかしく思うだろう。そんなの耐えられない。どんな犠牲を払おうと、ぼくは正しいことをしないといけない。忘れられたほうがましだ。そんなことをしてまで生きるくらいなら、消えたほうがましだ! (中略) ぼくは目をつぶって、最期のときを待った。体がかじかんでくる。奇妙なことに、もう怖くはなかった。あるのはあきらめの気持ちだけだ。これから起こることを、ぼくは受けいれる。 (P.358)

簡単に“正義”なんて言葉では語れない、“正しい”こと。
ほんとうに“正しい”ことは、誰にとっても正しいことであるべきで、その人ひとりだけが正しいだけのことは、ほんとうに正しいこととは言えない。誰にとっても正しいことこそが、ほんとうに正しいことであり、ひとりの自分勝手や好き勝手など、決して許されることはない。
“死”であり“孤独”に対する恐怖は、簡単に拭い去れるものではないけれど、ほんとうに正しいことを強い信念を持って貫き通す時、その恐怖さえも超越するのであろう。


薄紫色の花
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本「あかいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第2巻) TALES OF THE RED FAIRY BOOK 1890」アンドルー・ラング 編、 西村醇子 監修5


あかいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第2巻) TALES OF THE RED FAIRY BOOK 1890
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書評/SF&ファンタジー



東京創元社より“本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!
アンドルー・ラング世界童話集 全12巻の第2巻は赤、あかいろ
今月(2008年3月)25日には、第3巻“みどりいろ”が刊行予定。

実は、献本を受けてから1か月以上もの間、積読にしたままなかなか手を出すことができなかった。ありがたいことに第1巻“あおいろ”と同時、2月6日に受け取っていたのだから、読了までに37日間を要した計算になる。実際には、仕事が休みの日(平日)のランチタイムのファミリーレストランで2時間半を費やして、全20篇の童話を愉しむ♪

そう、「童話と侮るなかれ!?」、のっけから、ズバッと直球!
むかしむかしあるところに王さまとお妃さまがいた。ふたりがもうけた子はつぎつぎと死に、ついにはおさないむすめひとりになってしまった。お妃さまは、その娘を世話させるすぐれた乳母をさがしていたが、どこで見つけたものやら、とほうにくれていた。 (P.7「サンザシ姫」)
まずは前半部分、いとも容易く「つぎつぎと死」んでしまう子どもたち。だからこそ、たくさんもうける(産む)のであろうが、確かに、アンドルー・ラングによってこれらの童話が集められた(描かれたのは、さらにそれ以前)1890年当時は、今現在のように医療技術だって発達していなかったであろうから、乳幼児死亡率が現在よりも俄然高く、平均寿命だってきっと50歳に届かない。感染症などが流行すれば、あっという間に多くの命が奪われる。そう、「Man the Hunted ヒトは食べられて進化した (化学同人,2007.6)」じゃないけど、ワシとかオオカミとかの捕食対象とも。
歴然と身近な“死”。そう考えるに、ある意味では“死”は極めて“あたりまえ”のことで、誤解を承知で言っちゃえば、何でもかんでも科学(医療)技術によって生かしちゃう(死なせない)方が不自然、とも。
そして後半部分の、「娘を世話させるすぐれた乳母をさが」す。こちらもまた、あたりまえのことかもしれないけれども、“王さまとお妃さまは自分の子どもを育てる(教育する)意思を持たない”。まぁ、現在のように学校教育制度が確立されていなかった!?、からなのかもしれないけれど、乳母を雇用できる特権階級だから??!、などと考えを巡らせて、、、ヤバイ!?、どうにも語り得ない(能力不足)。書き記しては消し書き記しては消し、纏まりを得ない。次に行こう。


さらには「金ずきんちゃんのほんとうの話」である。
かわいそうな赤ずきんちゃんの話は、みなさんごぞんじだろう。赤ずきんちゃんがオオカミにだまされ、お菓子やバターをとられたうえに、おばあちゃんや自分まで食べられてしまう。ところが、その話はじっさいとはかなりちがうことが、今ではわかっている。まず、女の子の名前はむかしも今も、金ずきんちゃんだし、最後につかまって食べられてしまうのは、その子でもやさしいおばあちゃんでもない。悪いオオカミなのだ。
とにかく、聞いてほしい。
出だしは『赤ずきんちゃん』と似ている。 (P.257)
この「金ずきんちゃん」に限らず、この“あかいろ”に全20篇、前回の第1巻“あおいろ”が全18篇、これだけ多く集められれば、どうしても似たような展開の物語が多くなる。子どもだったらいざ知らず、おとなを自負するぼくとしては、正直ちょっとツラくもなる。
本来、この著作の愉しみ方(読み方)としては、物語の1篇1篇を、じっくりじっくり丁寧に読み解くべきなのであろう。
だって、ぼくにとっては、赤ずきんちゃんだろうが、金ずきんちゃんだろうが、頭巾の色などどっちであろうとどうでもいいことだし、主人公の女の子とおばあちゃんがオオカミに食べられてしまおうが、オオカミをやっつけて殺してしまおうが、どちらも残酷な物語であることに相違はなく、さらには、「ふ〜ん、そうなんだぁ」と、書き綴られた物語をぼくはただただそのままに受け容れるだけであり、その設定の差異に大した興味を抱けない、などと嘯く。
一方では、“ほんとう”が何であるのかなんて、それこそまさに“分からない”のであって、すべては“ほんとう”であり、またすべてが“ウソ(偽物)”でもあり、例えば、赤ずきんちゃんと金ずきんちゃんほどの大きな差異を有しない、同一の物語を子どもに読み聞かせる場面を想像するに、声色を変えて表情豊かに語られる物語と、ぶっきらぼうにただただ読みましたとばかりに語られてしまう物語(あっ、もしかしてぼくのこと?!)、どちらも完全に同一の“ほんとう”の物語に相違はないはずだけれども、それを語られ読み聞かせられた子どもが受ける感じ方は、果たして同一であろうか。また、往々にしてアドリブを効かせて語られる物語は、時に読み聞かせる対象者(子ども)たちのより深い理解が得られるように、ストーリーや設定までも変えることだって必要とされる。そうしてストーリーや設定が変えられた物語は、厳密な意味においては決して“ほんとう”の物語と言えないのかもしれないけれども、それでもやっぱり“ほんとう”の物語に相違ないであろう。


*収録作品
「サンザシ姫」
「ソリア・モリア城」
「不死身のコシチェイの死」
「黒い盗っ人と谷間の騎士」
「泥棒の親方」
「ロゼット姫」
「ブタと結婚した王女」
「ノルカ」
「小さなやさしいネズミ」
「六人のばか」
「木の衣のカーリ」
「アヒルのドレイクステイル」
「ハーメルンのふえふき男」
「金ずきんちゃんのほんとうの話」
「金の枝」
「マダラオウ」
「イラクサをつむぐむすめ」
「ファーマー・ウェザービアード」
「木のはえた花嫁」
「七頭の子馬」


夢の世界〜
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本「あおいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第 1巻) TALES OF THE BLUE FAIRY BOOK 1889」アンドルー・ラング 編、 西村醇子 監修5


あおいろの童話集 (アンドルー・ラング世界童話集 第 1巻) TALES OF THE BLUE FAIRY BOOK 1889
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書評/SF&ファンタジー



東京創元社より、“本が好き!PJ”経由で献本、御礼!
童話”と目にして、何の迷いもなく(ページ数のチェックはしたけど)、読みたい!、読んでみたい!、絶対に読むぞ!、と。願いが叶って、手にして満足、ハードカバーの重厚感、挿絵のおどろおどろしさ♪、子ども向けの童話だからって、情け容赦はしない!、伝えるべきは、キチンと伝える、そう、本当に大切なこと。
そしてオビには、「語り伝えたい、昔話は人類の大切な遺産
−すべてのファンタジーのみなもとがここにある−
世界中の昔話を集めた古典童話集を完全新訳・新編集で」、
さらには「世界中の昔話を集めた古典童話の決定版」とまで。
まぁ、「我が娘(小五)に読ませたい!」という下心(?!)を、ぼくは隠すことをしたくないので、ここで明言しておいて、検閲(?!)よろしく、まずはじっくりじっくりと堪能♪

なるほど、ヴィクトリア朝の英国で、民俗学者・作家のアンドルー・ラング(Andrew Lang,1844-1912)が1898年に編纂した世界の童話全18篇、第1巻のあおいろ。
この作品の好評を受け、結局、1910年までの12年の間に12冊の童話集が刊行された。あお、あか、みどり、き、もも、はい、むらさき、べに、ちゃ、だいだい、くさ、ふじ、と。そうして、現在まで読み継がれてきた。日本でも、1958年に「ラング世界童話全集」全12巻として翻訳されていて、なんと既に50年の歴史。逆に言えば、既に50年の歳月が経過しちゃった、ということにもなるからこそ、新訳・新編集。後世に語り継ぐべき、大切な物語。

そう、解説してもらわないと分からない、当時の風俗、文化。
にしても、シンプルにバッサバッサと豪快な進行で展開される物語は、子ども向けの童話だからと言って、特に手加減することなく、厳しい現実が描かれる。王や王女、王子やお姫様が登場すれば、そこには家来や奴隷がいなければ成立しなくって、奴隷の取引やらが描かれて、一方では、簡単に殺されちゃったり、あっさりと自らの命を落としちゃったり、何の躊躇もない。
時にハチャメチャで、残酷と言えなくもないんだけれど、110年も前にも、50年前にも「後世に遺したい!」という想いを籠めてよりすぐられて、読み継がれてきた物語たち。そして、科学技術が発展して、110年前からは信じられないほどの産業技術の発展を遂げて、何もかもが便利に、さらには、階級社会から解放され、誰もが手にした自由、平等!、しかし、歳月を経て時代が変わっても、文化や産業技術の発展による変化があっても、人間であることには何ら変わりはない!?


*収録作品
「ヒヤシンス王子とうるわしの姫」
“Prince Hyacinth and the Dear Little Princess”
「アラディンと魔法のランプ」
“Aladdin and Wonderful Lamp”
「マスターメイド」
“The Master-Maid”
「海の水がからいわけ」
“Why the Sea is Salt”
「フェリシアとナデシコの鉢」
“Felicia and the Pot of Pinks”
「白い猫」
“The White Cat”
「スイレンと、金の糸をつむぐむすめたち」
“The Water-Lily. The Gold-Spinners”
「うるわしき金髪姫」
“The Story of Pretty Goldilocks”
「ウィッティントンのお話」
“The History of Whittington”
「ふしぎな羊」
“The Wanderfull Seep”
「四十人の盗賊」
“The Forty Thieves”
「ヒキガエルとダイヤモンド」
“Toads and Diamonds”
「いとしの王子」
“Prince Darling”
「ガラス山の姫ぎみ」
“The Prince on Glass Hill”
「アフメド王子と妖精ペリバヌー」
“The Story of Prince Ahmed and The Fairy Paribanou”
「巨人退治のジャック」
“The History of Jack The Gaint-Killer”
「ノロウェイの黒牛」
“The Black Bull of Norroway”
「赤鬼エティン」
“The Red Etin”








本「幽霊屋敷の謎 −The Hidden Staircase」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5


幽霊屋敷の謎 −The Hidden Staircase
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書評/ミステリ・サスペンス



旧く1930年、植民地時代の風情を残すアメリカに生まれ、今もなお愛され続けるナンシー・ドルー・シリーズ 第二弾『幽霊屋敷の謎』は、記念すべきシリーズ第一弾 「古時計の秘密 (2007.11)」に引き続き、東京創元社より、”本が好き!PJ”を経由して献本、御礼!

実は、あまりミステリを得手としない僕にとって、これくらいにシンプルで分かり易い物語は、正直有り難い。

今回も、快活な18歳のお嬢さま”ナンシー”が、前回「古時計の秘密」を解いた手柄を買われて友人からの依頼を受け、探偵よろしく、友人のおばたちが住み、”幽霊”が出る!?、と噂される古い屋敷〈ツインエルム荘〉の謎に、自らの危険を顧みることなく挑む。
当然に幽霊など存在する訳もなく、次第に尻尾を現すのは、欲に駆られたズルイ大人たちの姑息な悪だくみ。そこには、出来心から悪事に加担してしまう弱い弱い大人たち。

そう、子どもを対象として、残忍なシーンを一切排除した(死なない、殺されない)物語に、どうしても多少の拍子抜けの印象は否めないが、それでもなお、素直すぎるほどのシンプルさには、安心してドキドキ感を愉しめる。当然にハッピーエンドに向かってテンポ良く突き進む物語は、ほのぼのとした人情味に溢れ、悪党たちも素直に非を認め、地元警察だって所長自ら最大限の協力と理解を示しちゃう。
古き良きアメリカ?!

”訳者あとがき”に明かされる、この物語が描かれた1930年の歴史的な背景の解説が何よりも興味深い。
コロンブスの新大陸発見以来、ヨーロッパの人びとが新天地を求めて移住して作り上げた国”アメリカ”が、その植民地時代のそれぞれの母国を賭けた戦争や抗争、駆け引きを経て、独立戦争の末に勝ち得た、合衆国の独立が1783年のこと。
今回の物語の舞台となる〈ツインエルム荘〉は、その頃(1785年)に建てられている。そこには、幾多の戦争や内乱を経て、独立したとはいえ、まだまだ不安定な情勢下においては、時に裏切り者や敵方のスパイが情報を集めるために、使用人になりすますことも多かったという。そんな時代に建てられ、秘密の通路や隠し部屋など、からくりに工夫を凝らした古い屋敷が大切に遺されてあったからこそ、生み出された物語。
そして、まだまだ女性に良妻賢母が求められ、社会に出ることが認められなかった時代。それでも、既に10年前に合衆国憲法では女性の参政権が認められ、変化の兆しを見せ始め、”女性の時代”をも予見していたりする物語。








本「古時計の秘密 −The Secret of the Old Clock」キャロリン・キーン、渡辺庸子 訳5


古時計の秘密 −The Secret of the Old Clock
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書評/ミステリ・サスペンス



東京創元社より、”本が好き!PJ”経由にて献本、御礼!
実のところ、僕にはどうも”ミステリ”に苦手意識があるみたいで、それでも散々迷った挙句に、可愛らしい少女の表紙絵と、「長年にわたり人々に愛されてきたシリーズの、記念すべき第一作!」の謳い文句に、思わずポチッと献本申請!、何事も挑戦!?

こんちゃん”と顔を合わせるのは10日振りで、よく見ると少し日焼けした顔は、家族と前日まで泊まりで出掛けたスキー(スノボではない)が「天気が良くって!」だったそうで(うっ、羨ましい)、何はともあれ、借りていた本四冊を返して談笑する中で、その中の一冊の「小僧の神様(志賀直哉、岩波文庫)」に会話が及び、僕が「あの手の小説が案外好きなんだぁ」と言うと、「実はまだ読んでなくって」とのこと、僕はビックリしつつも「白樺派らしいシンプルな物語で、だから何なんだよって感じなんだけど、そこがいい!」と。
そう、”シンプルイズベスト!”

いつからか、人の名前を覚えることを不得手とするようになって、だから様々な登場人物たちに仕掛けられた複雑で巧妙なトリックを紐解く愉しみ”ミステリ”は、誰が誰やら何やらと混乱してしまって、正直、ストーリーどころじゃなくなっちゃう。
まぁ、二番煎じは流行らないし、読者の要求はエスカレートし続けるものだから、シンプルに物足りなさを感じるのも無理はない。


ところで、人気者で明るく快活な18歳の少女”ナンシー・ドルー”。
弁護士の父との名コンビ振りを発揮して、時に真新しいダークブルーのコンバーチブル(オープンカー)を駆り、名探偵よろしく痛快に悪を挫く。
家政婦も同居するほどの裕福な家庭に育ったナンシーは、「誰よりも幸せいっぱいで、だからいつも明るく愉しくいられるんだよ」なんて穿った見方もしたくなるくらいに、人間的な魅力に溢れる。ところが、ナンシーだって、いつもいつも幸せなことばかりじゃなくって、既に母親を亡くしているし、友人が待つキャンプ場に向かう途中には車がパンクするし、湖ではボートのエンジンが急に止まっちゃって立ち往生する。そんな時こそ実は幸せを感じるチャンスだったりして、不慣れなパンク修理に孤軍奮闘して汗を流しても、「これで、冷たいムーンレイクを泳ぐ、いい下準備ができたわ」であり、誕生日にアクシデントに見舞われた少女には「せっかくのお誕生日なんだもの、今日のあなたは幸せでいなくちゃ」とやさしく声をかける。
誰の身にも、いいことばかりは起こらなくって、ほとんど平等に幸不幸が振り掛かる。とするならば、幸せを心から素直に喜び、不幸だって、実際には捉え方次第では、必ずしも不幸だとは限らない場合が少なくない。どんなに嘆き悲しんだとしても、結果が何ら変わることがないのであれば、自ずと選択すべき考え方であり行動にこそ、大きな意味があろう。

何よりもシンプルな物語の展開は、既に中途からタイトルが頭にチラついて、「何でこんなにストレートなタイトルなんだろう?」に留まらず、「もしかしたら、大どんでん返しがあるのかなぁ」と余計な想像すら掻き立てる。出来事は、ちゃんとサインの少し後に、「えっ、そんなに捻りも何もなく?!」と思うほどにストレート、ど真ん中。あまりの潔さの連続に、凝り固まった心が解き放たれる!、と言ったら大袈裟?!
お約束のハッピーエンドの後には、次回作『幽霊屋敷の謎』への振りがあって、気が付いたら素直に献本を申請!








本「タルト・タタンの夢」近藤史恵5


タルト・タタンの夢
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書評/ミステリ・サスペンス



本が好き!PJ”からの献本。
女流ミステリ作家、近藤史恵が綴る七つの短篇連作物語。

淡々と、淡々タルト♪、タルト・タタン!?

”タルト・タタン(Tarte Tatin)”は、バターと砂糖でキャラメリゼしたリンゴをしいて焼いたフランス菓子。ひっくり返してリンゴの部分を上にする。言い伝えによると、伝統的なアップルパイの失敗作であったり、リンゴ・タルトの失敗作であったりと、その誕生には諸説があるものの、失敗から生み出された洋菓子であることに異議はないようで、伝統菓子でありながらも、一般家庭でも比較的簡単に作られる、ポピュラーな洋菓子、とWikipediaにある。
伝統的でありながらも、どこか馴染み易い、優しさに溢れる。


物語の舞台となるフレンチ・レストラン”ビストロ・パ・マル”は、直訳すると<悪くない>という風変りな店名を持つ。下町の商店街にあって、カウンター七席、テーブル五つの小さなレストラン。
メインシェフの三船さんは、本場フランスで十年以上の料理修業を重ねてきた本格派。長髪を後ろでひとつに束ねて、不精髭を生やした素浪人風の、無口なシェフが、自らの舌と目で培ってきた経験と知識、それは料理は勿論のこと、人生における様々な場面での人間の深層心理を、お客さんが抱える問題や事件を、冷静に読み説く。
それは男女の複雑な愛情であり、同性間の憧れや嫉妬、夫婦や親子の間にだって、それぞれの状況に抱かれる、様々な想い。一筋縄ではいかない事情ってものが誰にだってある。
食欲という人間の本能。ただただ本能を満たす行為としての食事ではなく、美味しいモノを美味しく食す、という、ワンランク上のレベルの、豊かな感情や愛情を有する人々が繰り広げる物語は、なるほど、絶品と言われる料理の満足度と相俟って、豊かな味わいを醸し出す。

無口な三船シェフの、美味しい食材を、より美味しく愉しく味わって貰いたい、という豊かな愛情が籠められた、料理であり、お客さん。
その深い豊かな想いは、料理は勿論、集う人間ひとりひとりに向けられる。


人には、それぞれの役割がある。
三船シェフは、隅々まで目が届いて、お客さんひとりひとりの表情が見える小さなレストランで、黙々と、淡々と本格フランス料理作りに勤しむ。大きな有名レストランではなく、小さな下町のレストランで、毎日毎日、淡々と、その日手に入った上等な食材を、極上の料理に仕立て上げて、幸せな顔をひとつで多く見られるように、、、疲れていたり争いや悩みを抱えて曇った顔に、明るい穏やかな光が射し込むような笑顔が浮かぶことを心から願って。
淡々と、ただただ淡々と、自らの使命を自らの方法、遣り方で、淡々と打ち込む。









本「魔使いの呪い」ジョゼフ・ディレイニー、金原瑞人・田中亜希子 訳5


魔使いの呪い (sogen bookland)
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書評/SF&ファンタジー



本が好き!PJ”からの献本。
冒険ファンタジー物語、「魔使いの弟子」に続く第二弾。
読了に時間を要したのは、決してファンタジーが苦手だからではない!?、と口に出して言ってみる。

魔使いに弟子入りして半年の13歳の少年”トム”は、厳しい修行に勤しむ毎日。本当は、優しい母さんや父さん、ちょっと意地悪な兄や兄嫁とその子供と、一緒に暮らしたいんだけれど、父さんの農場を継ぐのは、七人いる兄弟の中でもたったひとりだけ。七番目の息子のトムは、家の外に仕事を見付けて出ていかなくてはならない。母さんの勧めで、魔使いの弟子として、魔使いと寝食を共にする生活。超能力的な魔法を一切使うことなく、日々の鍛錬と、知識や経験から導き出される直感だけを頼りに、ポケットに忍ばせた塩と鉄の粉、シャツの下の腰に巻いた長い銀の鎖で、人々を困らせる悪い魔女や悪霊を退治(拘束)する。大した武器も飛び道具も持たず、身を呈して困っている人々を救う”正義のヒーロー”のはずなのに、風貌や人目を避ける生活のために、決して人々に歓迎されない。
それでも、誰かがやらなくちゃいけない。誰でもいい訳じゃなくって、選ばれた者が、一生を捧げる職業。トムは、七番目の息子の七番目の息子だから、圧倒的に不公平(?!)な宿命の呪縛を受け容れる。


ところで、少年を中心とする人間関係。
師匠との師弟関係があって、父さん母さんとの親子関係があって、小さな魔女の子との友人関係があって、歳月を超えて、同じように繰り返される歴史。
弟子入りして半年が経過し、手柄を上げて自信を付けて、そろそろ師匠の言うことに反感を覚えだす。自我の芽生え。毎日毎日、同じ修行の繰り返し、正確度を高めろって言われたって、飽きちゃうし、まぁまぁ程々でいいじゃない、何て思う気持ち、誰にだってある、人間だから。そんな細かいこと、厳しく、口うるさく言われなくったって、分かっているよ、ってついつい思っちゃう。
師匠や親など、教える立場って難しい。完璧な人間っていなくって、生きている以上、より高い位置を目指して日々学習している。自らを磨きあげながら、一方では、積み重ねてきた知識や経験を享受する。自分自身とは異なる存在に対して、享受する行為は、その性格を見極めた上で、想像力を働かせて行う、未知の手探りの作業。
不思議なもので、師弟関係や親子関係が築かれる間柄に発生する出来事の関連性。それぞれに別個の個性を有する存在なのに、何故か同じような展開の事件が繰り返されてしまう。どんなに抗ってみたところで、哀しいほどに同じ展開に導かれてしまう現実。
宿命の連鎖の呪縛。

私自身、まだまだ中途半端ながらも、それなりの知識や経験を積み重ねてきて、時に親として子を、時に仕事の先輩として後輩を見ていて、つい何かと口を出したくなる。性格的に細かいことが気になって、気になったら黙ってられない。
最近は、最悪の事態を想定して、許容される範囲内であれば、意識して口出しを止めている。ということは、以前は堪え切れずに、何でもかんでも必ず口出しをしていた、ということでもあるが、多少の損失は、後からでも充分に取り返せよう。
本人の意思による行動の途中で口出しをしても、本人は良かれと信じ込んでの行動なのだから、口出しされて気分がいい筈はない。また、第三者に何を言われようが、自分の行動は自分以外に責任の取りようがない訳で、第三者に口出しされて、簡単に変更してしまうようでは、不甲斐ない。第三者の口出しを受け入れることによって、失敗した場合の責任の所在が不明確となり、自己責任を果たすことができなくなってしまう。
とりあえず、自分自身で考えた通りにやってみて、成功したら、「おめでとう!よかったね!!」
失敗したら、また自分で考えて、成功するまで何度も繰り返せばいい。自分自身で考えて経験と知識を習得しなければ、身に付かない。
安易な口出しは、口を出す人間の自己満足であり、エゴでしかない。

とどのつまり、どんなに抗ってみても、歴史は繰り返される。
絶対的に繰り返されてしまうのだ、何をどうしたとしても。


だからね、我が子が読んだら面白いかな?!、との不埒な目論見は、最近やっと読書の愉しみを覚えた私の血を引く人間には、絶対的に受け容れられない。分かっちゃいるけど、、、









本「白楼夢―海峡植民地にて」多島斗志之5


白楼夢―海峡植民地にて
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書評/ミステリ・サスペンス



本が好き!PJ”からの献本、七十作品目の書き記し。

多島斗志之が、”海峡植民地”と呼ばれていた、1920年代の英国領シンガポールを舞台に描くミステリ小説。
あとがきの”解説”にて、ミステリ研究家日下三蔵が評する。
当時の国際情勢を背景にした謀略小説であり、外地に進出した日本人たちを描く歴史小説であり、殺人事件の意外な真相を探る本格ミステリであり、迫力満点の逃亡サスペンスであり、男と女の色の行方を描く恋愛小説でもある。”

物語に描かれた後の、1941年には太平洋戦争が始まる。
日本と、主にアメリカイギリスオランダなど連合国との戦争は、ハワイオアフ島真珠湾攻撃”の 1時間49分前、1941年12月8日 日本時間午前1時30分(ハワイ時間12月7日午前6時)に、日本陸軍はアジアにおけるイギリスの拠点であるシンガポール攻略のために、当時イギリスの植民地であったマレー半島の、タイ王国国境に近いコタ・バル上陸作戦を仕掛けた、マレー作戦に始まる。
 (〜Wikipediaより)
第一次世界大戦 1914年〜1918年。

当時のシンガポールを、支配していた”イギリス”。
大航海時代を経て、世界屈指の海洋国家として、世界に植民地を拡大し、世界最大の奴隷貿易国などの、築き上げられた栄華に翳りが見え始めた頃?!
そして、イギリスは歴史的に階級社会であるとされる。
王室と世襲貴族を頂点に、爵位に基づく称号栄典上の階級が大規模に存続する。労働者階級であり、上流階級中流階級
本国から遠く離れていても、遠く離れているからこそ色濃く漂う。

外地に進出する日本人や華僑たち。自らの生まれ育った国を、何らかの理由から出でて、新たな可能性を求める行動を起こす。現在のように飛行機で何処でも気軽に、という時代ではない筈で、「二度と祖国の土を踏むことは無い」という強い想いを胸に抱き。異国の地で生きることに必死な人々。生きるために、娼婦だって拒まない。
そうして形成される、同文同種のコミュニティ(共同体)
日本人は日本人同士で、華僑は華僑同士で。経済活動に優れ、財を成した華僑たちは、更なる富を求め、利権を漁る。経済活動には、競争原理が働くから、生き残るために繰り広げられる熾烈な争い。時に武力抗争へと発展する。力の強い者だけが生き残る。支配する者と、支配される者。個人を超越して、国家間の策略さえもが垣間見える。
異国に地にあっても、築き上げられたコミュニティに働く、種の保存の本能。歳月を経ることによって、誰もが老い、輝きや威力を失い、翳りを見せる力。だからこそ、継ぎたい”血”。濃い血を遺す本能。強い者が放つ光、匂いが、強い者を惹き付ける。
それでも、血は抗えない。対抗する勢力同士であっても、何かのキッカケで引き起こされてしまう過ちは、それさえも時に必然であり、濃い血を有する者の”宿命”とさえ。
想像を絶するほどに苛酷な”血”。
歳月を経て、母であり、娘に襲い掛かる、不条理な事件。

”死”という不存在によって、覆い隠され、封印されてしまう真実。
それでも、どんなことがあったって、それが真実であるならば、いずれ明らかにされてしまう現実。

とどのつまりが、殺人事件の「犯人が誰であるか?」ということよりも、「何故に殺人事件が引き起こされたのか?」であり、そこに垣間見える人間模様が、物語の妙であり、犯人が明かされる痛快さに勝る、深い充実感に満たされる。









 祝!ブログ開設、一周年♪

「夜愁(下) -サラ・ウォーターズ」読みました。5


夜愁(下)
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書評/ミステリ・サスペンス



歳月に積み重ねられ、歳月によって解き明かされる物語は、決して痛快で明快な物語では無く、まるで夜の愁いを帯びているかのように重く垂れ込め、それでも、そこに積み重ねられた物語に、その想いに、烈しい苦しみを伴う痛みに、だからこそ得られる満足感。
なるほど、名誉あるイギリスの文学賞「ブッカー賞」最終候補に挙げられるのも頷ける秀作。
物語好きには、絶対的にお薦めです。
以下、気が付くと、ついついネタばれしちゃっていますので、ご容赦ください。


物語の舞台は、第二次世界大戦の爪痕が色濃く残る1947年のロンドンから。とにかく、戦争の後の時代背景も相まって、どんよりと全てが重く、全てが暗い。読んでいても心が沈む。正直、読むのが辛い、愉しくない。それでも、そんなことは、読書好きの人間なら誰でも知っている通り(私はついつい忘れてしまう…)、この状況の、背景の、人間関係の、構成する過去の出来事や記憶の描写が、実は物語における最も重要な要素であり、このちっとも愉しいと思わせない、淡々と綴られる状況などを理解することなく、その後の物語を愉しむことはできない。
ところがこの物語は、どこまで進んでも、暗く愁いを帯びた状況が続く。それは、戦争によるものであり、それぞれの登場人物が自らの内に抱える苦悩に満ちた現実であり、烈しい痛みを伴う過去の出来事であり。だから物語は、それが”ミステリー”とジャンル分けされる要因でもあろうが、その現在の状況に至る、人格をも構成し得る出来事を、歳月を遡ることによって、その謎(事実)が明かされる。
烈しい戦争の最中の1944年であり、1941年であり。戦争によって破壊される街、建物、失われる大切な命。自らの意思とは、全く無関係に繰り広げられる、非現実的な破壊行為、常に自らの身近に横たわる”死”。
それは、消防隊員として救急車を操り、破壊された街を駆け抜け、死傷者の救出に駆け付ける、ケイであり、ミッキーの心に与える心の傷であり、その精神的な負担は、想像に難くない。そして、自らが、その命を賭けて駆け付けたとしても、すでに破壊された惨状を前に、自らのできることの微力さ、無力感。
そして、消防隊員としての使命に駆られる彼女たちだからこそ抱く”騎士道精神”。貴婦人への献身であり、奉仕を旨として、異性を愛することに違和感を感じ、同姓である女性との関係の中に、自らの心の安らぎを求め、体の関係をも満たされる。その騎士道精神を抱くに至る過去の出来事までは明らかにされることは無いが、先天性のものであろうと、後天性のものに因ろうが、理由の如何を問わず、”そういうものなんだ!”なのであろう。そのケイであり、美しい作家、ジュリアであり、その二人の女性の間に揺れ動くヘレン。三人の女性の間に蠢く、美しく、哀しく、切ない愛情は、それでも、どんなに深く結ばれても、決して何処かに解消し切れないもどかしさを秘めていて、それは、世間体であり、認知されない不毛な愛情(同性愛)であり、誰憚ることなく婚姻関係を結ぶことが許されない法的な問題であり、そして、子孫を遺すという女性固有の生殖機能を活かすことができない現実をも、垣間見せる。
親友の自殺によって囚人とされた、ダンカンも、男性でありながら、同姓の男性との関係を噂され、それを否定しない。ダンカンの、優しく美しい姉、ヴィヴに対する愛情は、母性愛をも感じさせる。そして、暗く冷たく閉ざされた刑務所の中で、烈しい空襲に、時に囚人同士や看守らとの関係に怯えて、ただただ過ぎ行く歳月。
ところが、唯一、異性との愛情を育むヴィヴにしたって、実はそのお相手は、妻子のある軍人で、所謂”不倫”であったりする。弟(ダンカン)想いで、家族想いで、優しく美しい女性であるにもかかわらず、何故に好き好んで、草臥れた妻子ある軍人なんぞに!?、と思う無かれ、そこにも彼女をそこに至らせるだけの運命の悪戯があり、家族想いの、人の痛みを感じることができる、優しい女性であるが故(?!)の、宿命もあったりする。
そんな心優しいヴィヴが、異性との愛情を育むが故に、愛情の当然の結果としての自然な行為に勤しむが故に、許されざる生命体を宿してしまい、烈しい苦悩の末に、もぐりの歯科医の堕胎手術を受ける。手術の行為自体も、社会的にも法的にも許される行為ではなく、しかも、もぐりの専門外の医師による危険な手術は、一歩間違えれば、ヴィヴ自らの命を落とすことにもなりかねない。責任の主、軍人のレジーの付き添いを得て、戦時下の夜の街を、身を潜めるように歩く二人。術後の養生のためにレジーが用意した部屋で、容態の変化に慌てふためく二人。その全てが許されざる行為であるが故に、その体調の異変の描写が、克明で有り過ぎるが故に、幸せの本質に対する疑念が渦巻く。


残念ながら、この物語においては、登場人物の誰もが、決して幸せに満ち溢れることが無く、それは、過去からの歳月によって明かされる出来事によっても、より一層明確にされてしまうのではあるが、それでも、今(1947年)を生きている現実があり、生きていかなければならない現実がある。
結果的に戦争があったのであり、結果的に同姓に愛情を抱いたのであり、結果的に妻子ある人を愛してしまったのでしかなくって、それでも、表面的には何も変わることなく、同じ時代に存在して、同じ時代を生きている。

深い深い人間の心の闇、まるで夜のような愁い、、、








「夜愁(上) -サラ・ウォーターズ」読みました。5


夜愁(上)
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書評/ミステリ・サスペンス



もう、私は激しい怒りと憤りを感じています、私自身に。

その理由は、原因は、、、 ”キッカケ”がこの著作であることには間違いありません。だってだって、難解な海外文学作品で、外人の名前の登場人物(覚えられない・・・)、抑揚が抑えられて淡々と進行する物語。しかも、物語においては、時代が歳月が逆行しちゃう、だからこそなお、それぞれの登場人物たちの複雑な人間関係をしっかり理解しなくちゃいけない、だから、記憶力の衰えと、理解力に劣る私にとって、圧倒的に苦手な部類に属する著作。気分が乗ってくれば、一気に読み進めることができるのですが、物語が愉しければ、集中力が途切れることなく、最後まで一気に読了しちゃうのですが、どうしても集中できない・・・ 私自身のリアルな現実の、仕事が、私生活が、色々考えなくっちゃいけないことが押し寄せて来ていて、そんなことは常にそうであって、今だけが特別ということでも無いんだけれど、それでも、眼精疲労による頭痛にまで襲われて、、、 それでも、三浦しをん「きみはポラリス」は、割り込んで一気に読んじゃったのに。

それでも何とか、やっとの思いで、上巻を読了しました。
物語は、まだまだ全くの中途で、だから物語について書き記すことは出来無いのですが、、、 何かを書き記したい奇病(マニア)な私にとって、”書き記すためには、読み終えること”を自らに課しており、”義務”と”権利”みたいな関係。
特に、この著作は、参画させていただいている”本が好き!プロジェクト”からの献本を受けた本であり、それでも、これまでであれば、それでも読み易い著作と併読しながらの読書で乗り切ってきたのですが、ついつい欲張って、ストーリーを理解しようなどと目論んだのが、、、
プロジェクト自体は、ライブドアの事務局と、出版社の好意というのか、広告宣伝費の上に成立しているものであり、メンバーは、現金としての報酬を受け取ることは無くとも、”新刊本”の現物という果実を、ブログに書評をアップする、ことの対価として受け取る。そこには当然に、義務であり、権利が存在していて、そこに保たれるバランスがあるのであり、責任だって存在する。と、何だかついつい生真面目に、堅苦しく考えてしまう。そんな風に考えなくってもいいのに、、、とかって、言われることも多いし、自分自身でも時にそう思うんだけど、どうやら、そんなところも含めて”私”だったりする。ストレスを感じない生活なんて、有り得ない。
それでも、様々な判断が定まらない、不甲斐無い私自身に対する憤り。


一方、”分からない”ながらも、徐々に愉しみを感じてきた物語は、それでもまだまだ前途多難な様相を見せながら、、、









「マハラジャのルビー -フィリップ・プルマン、山田順子 訳」読みました。5


マハラジャのルビー
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書評/SF&ファンタジー



”「阿片の煙の威力は無限です。明るい日光のもとで、するどい眼力をもってしても決してみつからないように、過去の秘密を隠してしまいます。そしてそのあと、忘れさられた埋もれた宝のように、すべてを引き出すのです。あなたが見た光景は記憶の一部なんですよ、ミス・ロックハート。幻覚ではなく」・・・”

”「・・・ おまえはいまのあたしを見て、年寄りで醜いと思っているだろうが、あたしは若いころ、北部インドきっての美女といわれていたんだ。うるわしのモリー・エドワーズ。そう呼ばれていたんだ。 ・・・ あたしも注目の的だった。 ・・・ マハラジャさえもあたしに惚れこんだ。あのくそったれが。あいつはほしがった ・・・ おまえは自分のことをきれいだと思っているだろうが、当時のあたしと並べば、おまえなんか陰もかすんでしまっただろうよ。くらべものになりやしない。 ・・・」
サリーはミセス・ホランドがかつてはそうだったと主張するような、そんな美しさを、いまの彼女からはかけらも見出すことはできなかった。面影すら残っていない。老齢と残酷さしか見えない。しかしサリーは彼女のいうことを信じた。そして哀れに思った。 ・・・”



物語の舞台は、1872年の栄華を誇る大英帝国(イギリス帝国)のロンドン。海運会社の経営者の父を海難事故で亡くした16歳の少女サリーが、その父の死に纏わる謎を紐解く冒険物語。

なるほどなるほど、不勉強で歴史に興味を抱けなかった私にも、その時代の歴史の背景を知りたくなるような、興味深い物語が織り込まれている。
イギリスが帝国として世界を支配し植民地を拡大していったのは、海を制したこと。強力な海軍を有し、戦争により支配する世界を拡大していった。多くの労働者階級の下支えにより、ますます潤う特権階級。
一方では、大きな利益をもたらす阿片(アヘン)などの麻薬の存在。麻薬だから毒性依存性が強く薬物依存症に陥る。健康が害されることは勿論ではあるが、それでもその依存性が残念ながら莫大な利益を生み出す。莫大な利益を生み出す存在は、拡大を続ける”力”にとっては絶大なものであり、その善悪を問う以前の問題であり、特に戦争に勝ち続けることを宿命付けられた”帝国”にとっては、その存在があるからこそ誇れる栄華であったりもする。強奪した世界を支配し、支配した地域で、多くの労働者を支配して、強制的に生産し支配される”阿片”。富の還流。

その”阿片”によって思い起こされる記憶が、幻覚ではなく、事件の謎を紐解く鍵となる。

物語の敵キャラクター(?!)、魔女のようなミセス・ホランドは、”老い”の圧倒的な哀しさを滲ませる、欲に塗れた存在。確かに、老いることによって失われる表面的な美しさ。誰しもが決して避けることができない自然の摂理でもあろうけれど、旧くから富める女性が求め続け、それ自体が物語にも成り得る欲求。
個人的には、失われる表面的な美しさとは全く別の側面から垣間見ることができる、人間的な内面から滲み出る雰囲気や、人間味の深さや、立ち居振る舞いなどに美しさを感じることが多く、逆に表面的にどんなに美しい人間であっても、人間としての深さや魅力に欠けていると・・・
老いは誰もが避けることができないものであり、それでも老いてこそ得られる人間的な深みというものが絶対的に存在しよう。


実は、個人的にはどうしてもファンタジー物語を心から愉しめない私が何処かに居て、ついつい物語の本筋とは異なる側面を深読みしてしまう。それでも、著作の愉しみ方は、人それぞれでもいいのであろう。








「魔使いの弟子」読みました。5


魔使いの弟子
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書評/SF&ファンタジー




”心が躍るようなことはひとつもないけれど、この仕事はそういうものなんだろう。好むと好まざるにかかわらず、やらなければならないことがある。”

”これからもずっと、完全な善でもない、完全な悪でもない、あいだのどこかで揺れ動きつづけるんだと思う。だけど、ぼくたち人間はみんな、そうなんじゃないだろうか。完璧な人なんて、どこにもいない。”



誰しも、厳しい現実の世界を生きていく、生き抜いていく上では、その生きていくこと自体が闘いである側面を有し、時に孤独や様々な恐怖を克服していく必要がある。

子供が、大人(人間)として独り立ちしていく上では、それまで見守ってくれた親、特に母親からの離別、独立、乳離れを経なければならない。
辛い思いや恐怖や痛みを、自らの手で足で身を持って経験して、それを自らの力で乗り越えて、体に心に刻み込んで、大人への階段を登る。
そして、その階段には終点が無くって、その階段の一段一段が、経験のひとつひとつが、その人の人間性の深みや幅となって、ふとした時にそれが滲み出る。

厳しい現実として、自らの行動は全て自らがその責任を負わなければならない。
その身に引き起こされる出来事は、とどのつまり自らの過去の言動に起因して引き起こされるものであり、偶然というよりはむしろ必要や必然に導かれる。その現実の事態に対処する自らの行動が、その後の自らに引き起こる出来事を決定付ける。だから、本質的な対処や解決を図ること無く、表面的な処理や本質的な解決の先延ばしは、その場凌ぎでしかない訳で、間違いなく同じ過ちが繰り返される。本質的な解決が図られるまで、その問題が表面的な形のみを変えて永遠に繰り返され、回数と時を重ねる度に、損なわれる事態はますます大きくなる。それにより損なわれたモノは、決して取り返しが付かない。
だからこそ、早期に本質的な解決を図る対処の努力が必要で、それは経験によって培われるものであり、その必要や必然や時期が到達しなければ、どうにもならない現実もある。残念ながら、その時期が到達していなければ、必要や必然が生じないという厳しい現実も否定できず、厳しい状況まで追い込まれることでさえ、その必然に導かれているのかもしれないのであるが。
そのことから鑑みるに、やはり自らの行動の責任を負うのは自らでしかなく、だからこそ孤独や恐怖に心を乱され、その判断や決断を誤ることなく対処する必要がある。その判断に当たって材料とされるのは、それまでの自らの経験でしかなく、その経験の断片のひとつひとつから様々な想像力をフル活動させて、周囲に気を配り、自らの信念の下に、心の声に耳を傾けるしかない。逸る心を鎮めて、溢れ出る自らの声を信じて、決断して貫くしかない。迷いや悩みは断ち切らなくてはならない。自ら決断した行動をを信じられるのは、ただひとり自分自身しかいないし、自らが信じなくて誰が信じる?!、信じて遣り遂げなければ、また誰も信じてくれなくなるし、自らの負の連鎖を断ち切ることができない。
自らの責任の全てを、自らが果たさなければならない、厳しい現実。


農場で働く七番目の息子である父さんの七番目の息子で13歳のトムが、魔使いのグレゴリーに弟子入りするために家族と離れ、その孤独や恐怖と闘いながらの厳しい見習い期間を経て、魔使いの弟子としての一歩を踏み出す。迷いや悩みを抱えながら、それでも自分を信じて、自らの使命を感じて、その意義を感じながら、師匠や魔女や家族や色々な人々との触れ合いの中から、悩み苦しみ痛みを感じて、ひとつひとつ築き上げる経験とその冒険の物語。
魔使いは、魔法使いや魔女じゃないから、魔法を使わない。実在する特別では無い品々と、自らの内なる言葉(信念)によって、必要に求められて人々を守るという、とっても現実的な物語。そこにある妙なリアリティも、だからこそ想像や妄想を駆り立てる。

その冒険の物語(ファンタジー)に、織り込まれた人生の哲学の数々。
物語という表現方法を用いて語られるからこそ沁み込む。








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