Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

池澤夏樹

本「はじめて読む聖書 (新潮新書582)」田川建三ほか5

ブログネタ
読んだ本♪♪♪ に参加中!
はじめて読む聖書 (新潮新書)
○著者: 田川建三山形孝夫池澤夏樹/秋吉輝雄/内田樹湯川豊山我哲雄橋本治吉本隆明/山本貴光
○出版: 新潮社 (2014/8, 新書 ページ)
○定価: 本体720円(税別)
○ISBN: 978-4106105821





「史上最大のベストセラー」には、何が書かれているのか――。旧約と新約の比較やその成立背景、「新約聖書の個人全訳」という偉業に挑む聖書学者の格闘の歴史、作家や批評家がひもとく文学や思想との関係など、さまざまな読み手の導きを頼りに聖書に近づけば、二千年以上にわたって生きながらえてきた、力強い言葉の数々に出会うことができる。「なんとなく苦手」という人にこそ読んでほしい、ぜいたくな聖書入門。

なるほど。そう読めばいいのか!
「史上最大のベストセラー」には、なにが書かれているのか。聖書学者や作家、批評家らがその魅力や勘所を語る。
「新約聖書の個人全訳」という偉業に挑む聖書学者・田川建三が、その格闘の歴史を語った貴重なインタビュー、池澤夏樹、橋本治、内田樹、吉本隆明ら、作家や批評家がひもとく文学や思想との関係など、すぐれた読み手たちの導きによって、もう一歩聖書に近づけば、2000年以上にわたって生きながらえてきた力強い言葉の数々に出会うことができる。「何となく苦手」と思っている人にこそ読んでほしい聖書入門。
大好評だった「考える人」2010年春号特集「はじめて読む聖書」、待望の新書化!


≪目次: ≫
誰がどのように読んできたのか――松家仁之

I 聖書ってどんな本?――山形孝夫
(1) 聖書には何が書かれているのか
 旧約聖書のなりたち/新約聖書のなりたち
(2) 日本語訳聖書のはじまり
 日本最古の聖書訳/標準語訳によって失ったもの

II 読み終えることのない本――池澤夏樹
 聖書とは?/参照する、引用する/文学のなかの聖書/僕の好きな聖書

III 旧約聖書は意外に新しかった――秋吉輝雄
 耳から知った聖書/天文学から聖書学へ/聖書のテクスト・クリティーク/旧約聖書に流れる時間/旧約聖書の読みどころ

IV レヴィナスを通して読む「旧約聖書」――内田樹
 ホロコーストと哲学/解釈の縛りと自由/ユダヤ教は無神論に近い/旅に出よ

V 神を信じないクリスチャン――田川建三 (聞き手・湯川豊)
 姉に引かれて/大畠清先生のこと/ストラスブール大学へ/マルコ福音書から始まった/存在しない神に祈る/無神論というより不可知論/ゲッティンゲン大学へ/ザイールでの暮らし/貧しい者は幸いなのか/新約聖書のギリシャ語/世界の「新訳」事情/二千年前の古文書/イエスという男/必死にではなく、のんびりと

VI 聖書学という科学――山我哲雄
 聖書学とは何か/それは「誰の」思想なのか

VII 旧約的なものと新約的なもの――橋本治
 古典現代語訳の悩ましさ/なぜ聖書が読めないか/新約的、旧約的/懺悔の効用と日本人/江戸時代のモラル/神様による構造分析

VIII マタイ伝を読んだ頃――吉本隆明
 終戦の日、沖へ泳ぐ/自己嫌悪から、聖書を読む/地獄の子/あなたには関係ない/「マチウ書試論」を書く

IX 聖書を読むための本――山本貴光


※本書は、季刊誌「考える人」(2010年春号)特集「はじめて読む聖書」を再編集、改稿したものです。


≪著者: ≫
松家仁之 (まついえ・まさし) 1958年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、新潮社入社。2002年、季刊誌「考える人」創刊。2010年まで編集長を務める。退職後、2012年、長篇小説『火山のふもとで』を発表。同作により読売文学賞受賞。著書に『沈むフランシス』、編著に『美しい子ども』ほか。最新作は小説『優雅なのかどうか、わからない』。

山形孝夫 (やまがた・たかお) 宗教人類学者、宮城学院女子大学名誉教授。1932年、宮城県仙台市生まれ。東北大学文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。宮城学院女子大学教授、同大学キリスト教文化研究所所長、同大学学長をつとめた。著書に『聖書物語』『聖書小事典』『聖書の起源』『砂漠の修道院』『死者と生者のラスト・サパー』、近刊に『黒い海の記憶』、訳書に『マグダラのマリアによる福音書』『『ユダ福音書』の謎を解く』など。

池澤夏樹 (いけざわ・なつき) 詩人、小説家、翻訳家。1945年、北海道帯広市生まれ。埼玉大学理工学部物理学科中退。おもな小説作品に『スティル・ライフ』『マシアス・ギリの失脚』『静かな大地』『きみのためのバラ』『カデナ』『双頭の船』など。聖書については『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(秋吉輝雄との共著)がある。近刊に『アトミック・ボックス』。

秋吉輝雄 (あきよし・てるお) 旧約聖書、古代イスラエル宗教史研究者。1939年、東京生まれ。立教大学文学部キリスト教学科卒業。2010年まで立教女学院短期大学教授。11年、死去。カトリック・プロテスタント共同訳聖書翻訳・編集委員(旧約との続編担当)。著書に『旧約聖書人物の系譜・歴史年表』『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(池澤夏樹との共著)、訳書に『雅歌――古代イスラエルの恋愛詩』(池澤夏樹編)など。

内田樹 (うちだ・たつる) 凱風館館長。1950年、東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。2011年まで、神戸女学院大学教授。現在は同大学名誉教授。07年『私家版・ユダヤ文化論』で小林秀雄賞を受賞。著書に『レヴィナスと愛の現象学』『他者と死者――ラカンによるレヴィナス』『日本辺境論』『一神教と国家――イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』(中田考との共著)など。近刊に『日本の身体』『街場の共同体論』。

田川建三 (たがわ・けんぞう) 新約聖書学者。1935年、東京生まれ。東京大学文学部宗教学科卒業。同大学大学院西洋古典学科を経て、65年、ストラスブール大学宗教学博士。ゲッティンゲン大学、ザイール国立大学、ストラスブール大学などで教鞭をとり、99年まで大阪女子大学学芸学部教授。著書に『原始キリスト教史の一断面』『イエスという男』『書物としての新約聖書』『キリスト教思想への招待』など。ライフワークである新約聖書の個人全訳『新約聖書 訳と註』全8冊を刊行中。

湯川豊 (ゆかわ・ゆたか) 1938年、新潟県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、文藝春秋社に入社。「文學界」編集長、同社取締役などを経て退社。2003年から、東海大学文学部教授、京都造形芸術大学教授などを歴任した。10年『須賀敦子を読む』で読売文学賞を受賞。著書に『本のなかの旅』『植村直己・夢の軌跡』など。

山我哲雄 (やまが・てつお) 聖書学者。北星学園大学経済学部教授、同大学院文学研究科兼任教授。1951年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程修了。専攻は聖書学、宗教学、古代イスラエル宗教史。著書に『聖書時代史 旧約篇』、訳書にM・ノート『モーセ五書伝承史』など。近刊に『一神教の起源――旧約聖書の「神」はどこから来たのか』。

橋本治 (はしもと・おさむ) 作家。1948年、東京生まれ。東京大学文学部国文科卒業。77年『桃尻娘』でデビュー。96年『宗教なんかこわくない!』で新潮学芸賞、2002年『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞、05年『蝶のゆくえ』で柴田錬三郎賞、08年『双調 平家物語』(全15巻)で毎日出版文化賞を受賞。著書に『巡礼』『リア家の人々』『初夏の色』など多数。

吉本隆明 (よしもと・たかあき) 1924年、東京生まれ。東京工業大学卒業。54年『転位のための十篇』で荒地詩人賞受賞。2003年『夏目漱石を読む』で小林秀雄賞受賞。12年、死去。著書に『マチウ書試論/転向論』など多数。14年3月から全39巻におよぶ『吉本隆明全集』(晶文社)の刊行がスタート。

山本貴光 (やまもと・たかみつ) 文筆家、ゲーム作家、ブックナビゲーター。1971年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。哲学、科学、芸術など幅広い分野で活躍している。東京ネットウエイブ非常勤講師、「哲学の劇場」主宰。著書に『コンピュータのひみつ』『心脳問題』(吉川浩満との共著)、訳書にサレン、ジマーマン『ルールズ・オブ・プレイ』など。


『考える人 2008年春号 [特集 海外の長篇小説ベスト100] 』(新潮社、2008年) '08/05/05

山形孝夫 『治癒神イエスの誕生』(ちくま学芸文庫、2010年) '12/02/18
山形孝夫 『聖書の起源』(ちくま学芸文庫、2010年) '12/02/06
山形孝夫 『聖母マリア崇拝の謎 「見えない宗教」の人類学』(河出ブックス、河出書房新社、2010年) '12/01/22
山形孝夫 『聖書を読み解く 物語の源流をたどって』(PHP研究所、2007年) '12/01/16
山形孝夫、山形美加 図版解説 『図説 聖書物語 新約篇』(ふくろうの本、河出書房新社、2002年) '12/01/11
山形孝夫、山形美加 図版解説 『図説 聖書物語 旧約篇』(ふくろうの本、河出書房新社、2001年) '12/01/09
カレン・L・キング 『マグダラのマリアによる福音書 イエスと最高の女性使徒  The Gospel of Mary of Magdala - Jesus and the first woman apostle, 2003 』(山形孝夫/新免貢 訳、河出書房新社、2006年) '12/01/02
山形孝夫、山形美加 絵画解説 『名画で読む 新約聖書』(PHP研究所、2011年) '11/12/27

山我哲雄 『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩選書、2013年) '13/11/22
山我哲雄 編著 『新装版 図解 これだけは知っておきたい キリスト教』(洋泉社、2011年) '12/03/30




人気ブログランキングへ



本「星に降る雪/修道院」池澤夏樹5

ブログネタ
今日の一冊 に参加中!
星に降る雪,修道院

星に降る雪/修道院

○著者: 池澤夏樹
○出版: 角川書店 (2008/3,単行本 232ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4048738385


・・・
やがてもっと明快なメッセージが来る。
それを待てばいいんだ。
・・・   (P.54、「星に降る雪」)

前日にアップする予定が、ライブドアブログのシステム障害により繰り延べに。まあまあ、システムなんてものは、人間の利便性を高めるために開発されるのであろうけれども、それによって高まる利便性は、一方では裏方の人間の人員削減につながり(それを目的として経営者は投資する?!、文句も言わずに休むことなく24時間365日働くシステム!?)、ところが、導入されたシステムは人間がメンテナンスしなければ適正な運用を維持できない、ということは、人間の手に委ねられる(完全に人間が離脱することはない)、システムが運用される24時間365日、って、削減されてしまった人員は?!、さらには残るのも地獄?!、休めないじゃん(怒!)、安息日は何処、、、
おかげ(?!)で、ぼくは安息を獲得♪、じつは次の日が休日で、秋晴れの天気予報とあっては、心はすでに紅葉ツーリング(クロスバイク)♡、「インシャラーアッラー(神の御意志あらば)」♪、ばっちり目覚めて、睡眠たっぷり、お弁当(手作りサンドウィッチ)持って準備万端!、半袖半パン(気合い十分)、いざ多摩川をのぼってのぼって、秋の「奥多摩湖」へ約120km(往復)!!、途中の多摩川サイクリングロードのロード上(府中市四谷近辺)に、白いペイントで手書きされた『クルクルまわせ!』に触発されて、クルクルクルクルペダルを回して、ノンストップ三時間一五分(七時二五分〜一〇時四〇分)、色づきはじめたばかりで、まだまだ緑(ほんの一部黄色と赤色らしきが見えないこともない)の山と木々に、誓っちゃうよ、「リベンジ!、待ってろ、紅葉!、また来ちゃうよん♪」、最後の急勾配を伴走したMTBの男性(運動能力に劣るぼくは最後に抜き去られて、はるかに引き離された)と奥多摩湖を望むベンチでしばし談笑(「奥多摩周遊道路を一緒に走ろう♪」って、「それはムリです、ゴメンナサイ、、、」)し、ぼくはもうひとつの目的、デジイチ(Canon EOS 40D)をデイパックから取り出して(この重量がぼくの体力を奪うと、わかっていながら連れていきたい♡)、山、水、青い空♪♪、「クルクルまわせ!」とばかりに帰路の山(川)くだりは、二時間四五分(一二時二五分〜一五時一〇分)のノンストップ(休んじゃったら二度と立ち上がれないんじゃないかと不安に駆られて)、往復合計六時間(その間に考察したことをそのまま言葉にできたらいいのに、まだまだ書きえない、言い訳)!、クルクルまわしつづけて、、、秋の多摩川♪


初出
「星に降る雪」……『考える人』二〇〇六年春号、夏号
「修道院」……『野性時代』二〇〇七年一月号〜四月号、六月号、八月号


≪著者: ≫ 池澤夏樹 (いけざわ なつき) 1945年北海道生まれ。小説に『スティル・ライフ』『真昼のプリニウス』『南の島のティオ』『マシアス・ギリの失脚』『静かな大地』『きみのためのバラ』、論評・紀行文に『母なる自然のおっぱい』『楽しい終末』『ハワイイ紀行』『言葉の流星群』『叡智の断片』ほか、著作は多数に及ぶ。


Night




本「憲法なんて知らないよ (集英社文庫)」池澤夏樹5

ブログネタ
最近読んだ本 に参加中!

憲法なんて知らないよ (集英社文庫)

○著者: 池澤夏樹
○出版: 集英社 (2005/4,文庫 213ページ)
○価格: 500円
○ISBN: 978-4087478143


「日本の憲法」の英語のテクストには people という言葉が何度も出てくる。公式の「日本国憲法」ではこれは一様に「日本国民」と訳されている。日本という国の主体であり、主役であり、主人であるこの国の人々のことだから「国民」でいいと普通は考えられている。
しかし、英語の people は本来もっと意味が広い言葉だった。辞書によればこれは、(世間一般の)人々、民族、国民、市民、公民、人民、などと訳し得るのだ。ほんとうに people をぜんぶ国民と訳していいのかどうか。
・・・  (P.120、「翻訳について」)
この「国民」と同じような問題として、英語における nation と state と country の使い分けというのがある。この三つの定義域と日本語における「国」と「国家」と「国民」と「民族」とは重なっていない。どちらかというと state が制度的で、nation が人の集団という印象が強く、残る country では国土の側面がわずかに強調されているだろう。
こんな基本的なところで翻訳には難問がつきまとう。アメリカ人にとっての国と、フランス人にとっての国、それに日本人やインド人にとっての国はそれぞれまったく違う概念であるかもしれない。  (P.123、「翻訳について」)



≪目次: ≫

まえがき、
あるいは「つまり、こういうことなんだ」

新訳「日本の憲法――「私たち日本人は、国を動かす基本の力は国民みなが持ち寄って生まれるものであることを、まず宣言する」
第一章 天皇――「天皇は国のシンボル、まとまって国を作ろうという人々の気持ちのシンボルでなければならない」
第二章 戦争の放棄――「陸軍や海軍、空軍、その他の戦力を持つことはぜったいにしない」
第三章 国民の権利と義務――「国は、国民が人間としての基本的なさまざまの権利を思うとおりに用いることを邪魔してはいけない」
第四章 国会――「国会は国の権力のいちばん上に位置する機関であり、国の法を作るただ一つの機関である」
第五章 内閣――「内閣は統率する総理大臣と、その他の国務大臣からなる。内閣の構成は法律によって決める」
第六章 司法――「最高裁判所はあらゆる法律や命令、規則、行政府の行いが憲法に違反していないかどうかについての最終的な判断を行う場である」
第七章 財政――「国会が認めないかぎり、国はお金を使ったり、また債務を負担したりしてはいけない」
第八章 地方自治――「地方自治体は、それ自身の財産を管理し、事務と行政を進め、法律の範囲内で条例を決める権限を持つ」
第九章 改正――「この憲法を改正する手続きは、まず衆議院と参議院のすべての議員の三分の二ないしそれ以上の賛成によって始められる」
第十章 最高法規――「この憲法は日本の国民に人間としての基本的な権利を保障する」
第十一章 補則

翻訳について
あとがき/文庫版のあとがき

附録 日本国憲法(和文)/日本国憲法(英文) THE CONSTITUTION OFJAPAN

解説――読んでみて分かること  なだ いなだ


*この作品は、二〇〇三年四月、単行本としてホーム社より発行、集英社より発売されました。


≪著者: ≫ 池澤夏樹 (いけざわ・なつき) 1945年北海道生まれ。75年より3年間ギリシャに滞在。詩作、評論から作家活動に入る。「スティル・ライフ」で88年第98回芥川賞、93年『マシアス・ギリの失脚』で第29回谷崎潤一郎賞、2003年『イラクの小さな橋を渡って』『憲法なんて知らないよ――というキミのための「日本の憲法」』『静かな大地』などの著作活動全般について司馬遼太郎賞受賞。04年、フランスに移住。05年『パレオマニア』で第8回桑原武夫学芸賞受賞。
http://www.impala.jp/


Dianthus superbus var. longicalycinus




本「マリコ/マリキータ」池澤夏樹5


マリコ/マリキータ (角川文庫)
著者: 池澤夏樹
文庫: 231ページ
出版社: 角川書店 (2006/5/25)




ぼくの中で、“小説”ってトクベツなもの♪

実は、池澤夏樹の「世界文学を読みほどく スタンダールからピンチョンまで(新潮選書,2005.1)」にすっかりやられちゃっていて、ぼくの頭の片隅はドストエフスキーに占められている。占められているんだけど、心の底から愉しめるぼくになるまで、ちょっとお預け♪、フフフ、それさえもが密やかな愉しみ、フフフフフ♪ そうなのだ、池澤夏樹に読み解かれて、憧れの世界文学の難解な長篇文学に、ぼくの理解が及ぶのであれば、喜んで施しを受けたい。
と言いながら、池澤夏樹の長篇小説だって、読み解きたい!「静かな大地(688ページ,朝日新聞社,2003.9)」であり、「光の指で触れよ(521ページ,中央公論新社,2008.1)」。ただ長ければいいって訳でもないけど、長い長い長〜い長篇小説をじっくりゆっくり愉しむ、ってステキ♪
と言いながらも、1994年刊行の短篇集を手にしているのが、ぼくの現実。ハハハ、短いものにだって、短いなりの好さがある。

うん、気忙しい日本を離れた研究者の男が、異境の未開の南の島で出逢った不思議な魅力を湛える日本人女性“マリコ”。
一所懸命とばかりにひとつの場所に居着く人がいれば、一所に留まることを嫌う人だっている。多くは安住を好むのであろうが、どちらがどう、ということではなくって、それぞれの生き方があって、生き方はそれぞれで、同じじゃない。理由がどうとか、何がキッカケでとか、そんなことはどうでもいいことで、ただただそうなんだ、そうだった。
都会の便利な慌ただしいばかりの生活を嫌い、自然に囲まれた未知の土地、利便性と一線を画した昔ながらの生活だって、その選択は人それぞれ。一所に留まらず、放浪の旅に、冒険に挑むからこそ織り成される出逢い、神秘、情熱の記憶の物語。


≪目次: ≫
 マリコ/マリキータ
 梯子の森と滑空する兄
 アップリンク
 冒険
 帰ってきた男
 〜1994年4月、文藝春秋より刊行された文庫。









「どうして、マリキータ?」
「わたしマリコでしょ。でも、こっちだとマリアの方がずっと通りがいい。アメリカの統治は八十年間だけど、スペインは三百三十年だからね。女の子の名前もマリアが多いの。そして、マリアの愛称がマリキータ。最近はどうもこっちの方が本当の名前みたいになっちゃった」(P.28)

本「叡智の断片 −Fragments of Wisdom」池澤夏樹5


叡智の断片 −Fragments of Wisdom
著者: 池澤夏樹
単行本: 221ページ
出版社: 集英社インターナショナル (2007/12)




「石の上にも三年」って、ぼくが子供のころ、父親が好んで遣い、何かに書き記していた記憶が!?、違ったかなぁ?!  詠み人知らず(無名氏,アノニム)?!?
池澤夏樹”が、『月刊PLAYBOY』の2005年1月号〜2007年11月号に連載したコラムは、「最初はほんの出来心」のつもりが、気が付いたら三年も続いていて、それは、「あるテーマについての引用を解説しながら紹介」し、「なるべくユーモラスなものを探す」であり、癖になるほどに「英語圏には素材はいくらでもある。」、言葉の遊び♪

既にぼくは、池澤夏樹のファン(?!)なので、崇めるが如く有り難く読ませていただく訳なんだけれども、前回手にした「世界文学を読みほどく(新潮選書,2005.1)」の興奮(文学への目覚め!?!)が冷めやらぬまま(僕の現状のレベルでは、しばらく活用すべきテキスト!)であり、当然にその著作と同じ人物(池澤夏樹)が書き記している訳だから、重要な部分の波状攻撃(繰り返し)が展開される。繰り返し展開される部分というのは、そこはやっぱりキー(鍵)なのであろうし、正直、人間の記憶などというものは、ほとんどのことを忘れちゃうところに良さがあり、忘れてしまうことこそが最大限に能力を発揮できる秘訣なのでもあろう(無理に覚えようとしても、頑なな拒絶にあうのがオチ)から、日々本を読み散らかしてしまっているぼくにとっては、無理をすることなくして、より鮮明な記憶として刻まれることになり、感謝感激雨霰!?
「引用」が織り成す物語♪


余談なんだけど、いまでこそ読書の愉しみに耽るぼくも、今から一年半前の夏までは、読書の習慣がなかった。だからという訳でもないんだけれども、ぼくの娘(小五)にも、読書の習慣はない。当然にぼくが娘に読書を強要することも、それは可笑しな話し(だと、ぼくは感じている)で、今の娘と同じ年頃のぼくが出来得なかった事柄(読書)を、その当時にできなかったぼくが強要する行為を、今現在に読書をできない娘(僕の遺伝子の一部、あくまでも一部を受け継いでいるという可能性を否定できない)を咎める権利が、果たしてぼくにはあるのであろうか?、ぼくは、娘にとっては親だから、親の子供に対する管理(教育)の責任として、「強要するべきである」!?!、なぜならばそれは結果的に娘のため(そうかなぁ?!)であり、自らの過去を振り返って、できたできなかったの問題ではない!、との論理を展開させることだってできる。まぁ、少し前までは、それを当然のこととして、自分のことなど棚に上げて、自らの二の舞を踏ませない(同じ過ちを繰り返すな)とする指示(結構キツイ)をしていた。当然にそれを語る方にも自信など持てようはずもなく、また一方の言われる側だって、そんなことは何となくお見通し!?、ぼくが子どもの頃だって、そんなことは自分の親に対して薄々(いや、明確に)感付いていた(笑、そして歴史は繰り返される!?)、そう。
何だか、余計な前置きばかりが長くなったんだけど、先日ふたりで本を選ぶ機会があって(ぼくが仕組んだ)、「キップをなくして(角川書店,2005.7)」を勧めた。
愉しく読んでいるようす。








本「世界文学を読みほどく −スタンダールからピンチョンまで」池澤夏樹5


世界文学を読みほどく −スタンダールからピンチョンまで (新潮選書)
著者: 池澤夏樹
単行本: 445ページ
出版社: 新潮社 (2005/1/15)




池澤夏樹が2003年9月15日〜21日の7日間に全14回、京都大学文学部の夏季特殊講義を行った議事録の書籍化。
読了後の満足感に満たされて、興奮状態が冷めやらぬままに、色々と書き記したいことが取り留めもなく溢れてきて、、、思いつくままに、とりあえず書き記し始めよう。

講義のテーマは、19世紀と20世紀の欧米(世界と言って過言ではない!?)の傑作長篇小説10篇+α(自著作品)についての、まさに「世界文学を読みほどく!」なんだけど、、、何を隠そう、僕が読んだことがあるのは、ガルシア=マルケス「百年の孤独」だけで、それも相当に苦しみながら長い時間を費やして、それでも文字を追うのが精一杯、単に「読んだ」だけ。ドストエフスキー、トルストイ、トウェインくらいは名前を知っていても、スタンダール、メルヴィル、ピンチョンは、まったく存じ上げない無知。学生時代の不勉強を今さら悔んでみたところで、残念ながら(?!)時間を巻き戻すことなど到底できないのだから、「これからじっくりたっぷり挑む愉しみを得た!?」としよう。

最近、営業職として入社した会社の仲間で、つい先日に研修ということで半日同行した30代前半の男性スタッフ(ん〜、仮に「いわやん」にしよう)と、色々話しをする中で読書談義に展開したところで、何といわやんは大学の文学部を卒業していて、さらには卒論が「池澤夏樹」だったことが判明。偶然にしては出来過ぎ(笑)!?
そう、その時にいわやんは自嘲気味に「文学なんて役に立たない」などと言っていたのだが、僕は「へぇ〜、スゴイね! だって、文学って何にだって応用が利く、人間の基本中の基本、根源の部分の学問じゃん!」のようなことを言ったと思うのだが、遅蒔きながらも約一年半前の36歳の夏にして、本の愉しみというのか悦びに目覚めて、それまでは小説というものを「作り物の偽物だ!?」などと詭弁を唱え、読んだことさえなかった僕は、現在では本がなければ生きていけないほどの重度の依存症を自負している。小説を愉しむにも、広範な知識が求められ、果てしなく繰り広げられる無限の世界(?!)に、時に途方に暮れつつも、それでも、読めば読むほどに拡がりを得られる世界(?!)は、「僕が何者であるのか?」とか、「何故に生きるのか?」などという、人間の根源的な問いに対して、決してその答えを簡単に導くことをしないんだけれども、自己の行動や思考、在り方などの規範の形成を助け、何よりも、僕に生きる勇気を与えてくれる。

とどのつまりが、ここ(この著作であり、そのベースとなる講義)で池澤夏樹によって「読みほど」かれる世界文学作品は、既に作家らの手を離れ、世界中で多くの人びとを魅了し愛され続けてきて、多くの評論家(池澤夏樹も含まれよう)の研究対象とされてきて、様々な解説が展開されているもので、だから池澤夏樹もまた、それらの過去の解説をも踏まえた上で、題材とする世界文学を媒介として、「池澤夏樹なりの論説を解く」のであるから、僕は僕なりの解釈(理解)を得る助けとすればいい。池澤夏樹は、どんなに頑張ったところで作者じゃない(自著の解説もしているが)から、あくまでも池澤夏樹の自らに集積された知識や経験がベースとなる。池澤夏樹が、北海道に生れ、実の両親との確執があって、生まれた北海道だって遡れば開拓者として淡路島から移住してきた経緯があって、両親の離婚を経た幼少の頃に母と東京に移り住み、物理学を志した大学を中退し、南太平洋の島々を中心に世界を旅し、時にギリシャに暮らし、沖縄に居を構え、現在のフランス・フォンテーヌブローでの暮らしに至る、ひとつの地に留まることなく巡ることを欲する生き方、その人生観であり、そこから得られた世界観。

それでも、僕がガルシア=マルケス「百年の孤独」を理解できなかった(単なる意地だけで読み切った)ように、傑作といわれる長篇小説を理解し愉しむに至るまでは、それなり以上の知識と経験を必要とされる。だから、いきなり何の準備もないままに挑んだとしても、愉しみを感じるどころか、すぐに苦痛と挫折を味わうのがオチであり、作品に籠められている、地理や歴史や民族や宗教や文化的な背景があって、作者の生い立ちであり置かれている社会的な状況があって、そんなこんな深いところまでの理解が得られなければ、ホントの理解は得られない!
それでも、「ホントの理解って何?」と考えるに、またまた「作者には成り得ない」が顔を出し、「ホントの理解など有り得ない」となるから、であるならば「理解し得る状況は決して訪れることがない」ともなってしまい、とすると「理解し得ないから読まない」の選択と、また一方では「理解し得ないから読む」の選択があって、それは読者(僕)の意思によるものでもあろう。
池澤夏樹も講義に先立ち、学生に対し「できれば読むように」に止めている。
文学を志す文学部の学生だから、世界文学を読み解くことが、学生として求められる勉学なのかもしれないけれども、考えようによっては、無理をして読むことによって苦痛を感じてしまうよりも、講義(読了)によって理解の助けを借り、その結果として興味が抱かれた後に着手する読み方だって、充分に考慮されていい。


≪目次:≫
パルムの僧院(La Chartreuse de Parme,1839)』
 スタンダール(Stendhal,1783.1.23-1842.3.23,フランス)
アンナ・カレーニナ(Анна Каренина,1877)』
 トルストイ(Lev Nikorajevich Tolstoj,1828.9.9-1910.11.20,ロシア) 
カラマーゾフの兄弟(Братья Карамазовы,1880)』
 ドストエフスキー(Фёдор Михайлович Достоевский,1821.11.11-1881.2.9,ロシア)
白鯨(Moby-Dick,1851)』
 メルヴィル(Herman Melville,1819.8.1-1891.9.28,アメリカ)
ユリシーズ(Ulysses,1922)』
 ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce,1882.2.2–1941.1.13,アイルランド)
魔の山(Der Zauberberg,1924)』
 マン(Paul Thomas Mann,1875.6.6-1955.8.12,ドイツ)
アブサロム、アブサロム!(Absalom, Absalom!,1936)』
 フォークナー(William Cuthbert Faulkner,1897.9.25-1962.7.6,アメリカ)
ハックルベリ・フィンの冒険(Adventures of Huckleberry Finn,1885)』
 トウェイン(Mark Twain,1835.11.30-1910.4.21,アメリカ)
百年の孤独(Cien años de soledad,1967)』
 ガルシア=マルケス(Gabriel José García Márquez,1928.3.6- ,コロンビア)
静かな大地(2004)』
 池沢夏樹(1945.7.7- ,日本)
競売ナンバー49の叫び(The Crying of Lot 49,1966)』
 ピンチョン(Thomas Ruggles Pynchon,1937.5.8.- ,アメリカ)








本「アレクサンドリアの風」池澤夏樹、中川道夫 写真5


アレクサンドリアの風
著者: 池澤夏樹
写真: 中川道夫
単行本: 151ページ
出版社: 岩波書店 (2006/07)




池澤夏樹”が、何故に今(2006年7月刊行だから、実際には一年半前)、アレクサンドリア(エジプト)を著するのか?!
などと書いてみた僕は、果たしてアレクサンドリアもエジプトも、その歴史も文化も、もっと言ってしまえば、地理(地図)さえも思い浮かばない。
池澤夏樹に触れたかった、ただそれだけの興味で手にした訳だが・・・

池澤夏樹は、1970年代にギリシャ(アレクサンドリアから見ると地中海の対岸に位置する)で暮らし、その間に二度ほどアレクサンドリアを訪れている。かつて、古代エジプトが栄華を誇った地。
何より、1965年頃の若き池澤夏樹を虜にした長篇小説『アレクサンドリア四重奏(著者:ロレンス・ダレル)』の舞台。イギリスの作家”ロレンス・ダレル)”から池澤夏樹が受けた影響は小さくない。翻訳を始めたのも、ギリシャを訪れ、やがて暮らすことになったのも、そして何より、2004年よりフランス・フォンテーヌブローに居住することになったのも、ロレンス・ダレルが祖国イギリスを忌み、晩年を南フランスで過ごし、その人生を終えていることと全く無関係とは思えない。

そして、この著作の大半を彩る、写真家”中川道夫”(1952年、大阪生まれ)もまた、アレクサンドリアに魅せられて、1979年より写真に収め続けてきた。

まずは、写真を目で愉しみ(視覚)、次いで池澤夏樹の想いに触れ、巻末の「市街図・写真解説」にますます深まる想い、再び戻って視覚に飛び込む”中川道夫”の視線(写真)に、混沌とした街・歴史・文化・宗教・民族・国家を垣間見る。
それでもフツーに営まれる日常生活の風景。

始まりから土着の人びとが存在しなかった。マケドニアアレクサンドロス大王が海を隔てて遣ってきて拓いた地。キリスト教の中心の地のひとつであったり、その後にはローマの衰退とアラブ人の隆盛によりイスラム教ムスリムの地であったり、オスマン・トルコであり、イギリス、フランスなどの支配に甘んじて翻弄され続け、エジプトが独立を果たし近代国家として確立するのは、何と1953年のこと。


”五つの種族、五つの言語、十にあまる宗教。(略)しかしここには五つを超える性がある”(ロレンス・ダレル)


≪目次:≫
 海
 鏡の都市
 冥界
 街の断片
 人びと
 黄昏
 蜃気楼








本「カイマナヒラの家 −Hawaiian Sketches」池澤夏樹、写真:芝田満之5


カイマナヒラの家 −Hawaiian Sketches
著者: 池澤夏樹
写真: 芝田満之
単行本: 213ページ
出版社: ホーム社 (2001/03)




そういえば、しばらく写真(コンデジ)を撮ってない、、、
昨年の今頃は確か、新しいカメラを手に街に溢れるきらびやかなイルミネーションを夜な夜な追い求めていた。眩い光に彩られた繁華街に溢れる人波、喧騒に安堵した。
何より僕は、ひとりにならなくちゃいけない現実から、深く自分自身を内省し考えるという行為から、ただただ逃避したかった。自らとも誰とも向き合うのが怖かった?、現実を受け容れたくなかった?、だからか、その当時暮らしていた”家”には、とにかく帰りたくなかった、帰るのが嫌だった。
ふと思い起こされる記憶。


僕は、池澤夏樹の計算の感じられない作品を好む。
まぁ、実際には全く計算がなされない作品なんて存在し得ないだろうから、作品としての構成という意味での計算は当然のものとしても、不器用なまでに無骨な、時に感じさせる取っ付き難さや生真面目さまで含めて心地好さを感じる。

そう、池澤夏樹は、”Hawaii”を”ハワイイ”と表記する、確かに”i”はふたつ。
一見どうでもいい(?!)ようなこと、と思うかもしれないけれど、このこだわりが僕には堪らない。強い思い入れであり、何気なく見逃してしまうよう日常的な事柄の仔細にまで、鋭く見詰める眼光がある。
だから、写真家”芝田 満之”の数々のハワイイの写真が、物語に彩りを添える。
例えば、ひとつ空を撮っても、青、オレンジ、赤、紫、蒼、、、、刻々とその表情を変え、同じものはふたつとない。雄大な自然の恵み。

豊かな自然に抱かれたハワイイの文化を遺す、広くて立派で、細かいところまで美しい”家”に、不思議な”縁”から吸い寄せられるように集う人びと。それぞれの様々な事情がある中で、偶然にも同じ屋根の下に集う仲間は、人を呼び寄せる、豊かな”家”だからこそ。
元々が一時的な事情で偶発的に”家”に寄り集まっただけの仲間たちだから、流れゆく年月に、少しずつ、しかし確実に、その関係に生じる変化。変わらないものなど何もない。失われる生命、消える存在、生まれ出る生命。

実は最後には、仲間が寄り集まった”家”を失う(他人の手に渡る)ことになるんだけれど、その”家”をベースにして築かれた人間関係だけは、絆として残る。新たな関係が生じ、展開が繰り広げられ、”かたち”のある”家”において築かれた、”かたち”のない”人間関係”はいつまでも”かたち”を変えながら残り続ける。
でもだからこそ、”家”、ハワイの文化、伝統、”カイマナヒラの家”の”家”に集う”人びと”の物語。








本「星の王子さま −Le Petit Prince」アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、池澤夏樹 訳5


星の王子さま −Le Petit Prince
著者: アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
訳者: 池澤夏樹
単行本: 125ページ
出版社: 集英社 (2005/08)




おとなになってから初めて読みました、池沢夏樹の翻訳による永遠の名作と謳われる『星の王子さま (Le Petit Prince , 1943.4)』は、フランスの作家で飛行機乗りアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ (Antoine de Saint-Exupéry,1900.6.29-1944.7.31)ファンタジー(異説あり!?)小説。
いやぁ〜ん、こ〜んなにも物議をかもしている作品だなんて、全く存じ上げませんでした、Wikipediaを紐解くまでは。無知な僕としては、ただただ池沢夏樹を読みたかった、それだけだったのに、、、それが読書の愉しみでもあったりする♪  シンプルな物語の一冊の小さな本に籠められた人びとの様々な想い、時代を超え国を超えて果てしなく拡がる解釈。


東京都内とはいえ郊外の低層住宅地に暮らす僕は、都心での仕事を終え深夜に辿り着いた最寄駅からシャッターの下りた商店街を抜け、街灯の乏しい住宅街を家路に向かう南の空に煌めく”星”を見上げ、特に冬の季節に大きく明るいオリオン座が大好きで、それは見付け易いことが最大の要因なんだけど、ふとグルグルグルグルと巡る想い。時に込み上げる想いが不意に涙を誘い、時に穏やかな心持ちに満たされる。生きていれば、絶対的に愉しいことばかりじゃないから、時に自らの不遇を嘆く、どうして僕は、、、何で僕ばっかりが、、、それでも、何があっても何もなくても、仮に雲に遮られて目視できなかったとしたって、いつも変わらず、何も語らず、そっと静かに煌めく”星”。
そう、おとなだと思っている今現在の僕。








本「異国の客」池澤夏樹5


異国の客
著者: 池澤夏樹
単行本: 217ページ
出版社: 集英社 (2005/12)




”若い時にフランス語やフランス文学を本気で学ばなかったのは明らかに父への反発だった。ついでに言えば、文学を仕事として選んで詩や評論を書きながら三十代後半まで小説を書かなかったのも父への反発だった。血縁の父、遺伝の父、一つ屋根の下で暮らしたことがほとんどない抽象的な父がフランス文学者であったことをぼくはまるで遺恨のように思っていた。”
 〜「始まりの日々」P.15
と語る池澤夏樹が、2004年より暮らすフォンテーヌブロー (Fontainebleau)は、フランスパリ郊外の都市。
それまで長く暮らした沖縄、かつて住んだ異国はギリシャ、、、
”完成されたというか、現代にあって安定し繁栄もしている国。”
には、そもそもあまり興味がなかったから、
”住みやすい国ではないだろうかと考えた。”
ことに自分でも少し驚いた。
と語りつつ、14か月のフォンテーヌブローでの暮らしのその時どきに綴ったエッセイ(メールコラム?!)全十篇は、文芸雑誌すばる」2004年11月号から2005年8月号に掲載。

還暦を前にしてフランスに辿り着いた、と言ったら大袈裟かしら?
フランスは絶対的に視野にあった、執着があった。歴史があり、文化を誇り、格式を重んじるフランスに、フランスを我がものにするために、地道に積み重ねてきた歳月。確立した自己を誇るためには、自らの母国(日本)とその文化を誇れることが大前提。母国の何たるかを理解するために、外界に踏み出し客観視することもひとつの方法。母国内の異端、辺境への理解だって欠かせない。自らの言葉で、母国とそして何より自らを誇る。
きっと無意識のうちに導かれたであろうフランスへの移住。”運がよかった”と語る。ふとした友人の紹介からぴったりの家が見つかった。様々なタイミングがぴったりとこなければ、家族を伴っての移住には困難が伴う、成し得ない。運がよく事が運び、結果的にそうなった、だけじゃない不思議な縁。
案外、無理矢理願望を唱えて自然な流れに抗うよりも、与えられた現状の中での最善の努力だけを絶やさず、流れに身を委ねてしまった方が、結果的に思わぬ方向から幸運が転がり込むものなのかしらとも考える。そして、ダラダラと無気力に無為に過ごす生活の中から幸運の道が開けることはない、などとも思うのだが、一方では、そんな努力すら不自然で流れに抗っていることにもなりかねないなどと考えると、果たして僕は今、何をすべきかなどとますます迷ってしまう。確かに、仮に現状が不遇であると感じていたとしても、今現在の状況に至るにあたっては、それなりの必然があった訳で、現状を否定しちゃうことは、即ち自らの存在を否定することにつながってしまう。それなりの必然の流れの中で大局的に客観的に状況判断をするに、無理に抗って打破すべきではないのかもしれない。

ふと立ち寄った美術館(博物館?!)で目にして心を奪われた、画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥール (Georges de La Tour ,1593.3.19-1652.1.30)「妻に嘲笑されるヨブ」、
”絵とは鑑賞するものではなく、いうまでもなく研究するものでもなく、いきなり心を引き込み、つかんで放さないものだった。”
 〜「緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還」P.194
一枚の絵画との衝撃的な出逢い、感動。言葉の限りを尽くして綴られる熱い想いに、そういえば最近引きこもり気味で、すっかりご無沙汰してしまっている美術館へと僕を駆り立てる。あの興奮!、引きこもってなんかいられない!?


≪目次:≫
 始まりの日々
 空港、町の景観、車
 個人と社会
 黄色い空、学校、宣言
 広場、古道具屋、ティタンとスカーフ
 川の風景、マニフ、記憶論とチベット
 雪と春、ヨーロッパの記憶装置、三人の少年
 高校生、法王の死、シャルトルと須賀敦子
 アスパラガスと茸、ベルリンの記念碑、ヨブの妻
 緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還








本「キップをなくして」池澤夏樹5


キップをなくして
著者: 池澤夏樹
単行本: 293ページ
出版社: 角川書店 (2005/7/30)




最近は、スイカ(Suica)だのパスモ(PASMO)だの、電車に乗るのにキップを買わない。
あの小さなキップの、たかだか小さな紙片だから、すぐに行方が分からなくなる。電車に乗るという行為自体が、どちらかといえば非日常的で、何かの目的があって移動の必要に迫られなければ電車などに乗ることはないのであって、電車に乗ることが主目的ではない以上、さらに手続きとして付随するキップなど、その存在を忘れ去ったとしても、それは仕方がないことなのかもしれない。購入したキップを改札を通し、その次の瞬間には目的地までの電車に乗ることに移る意識。目的の電車に乗ったら、次は主目的へ馳せる想い。そうこうするうちに目的地(駅)に辿り着き、改札を前にして、ポケットを探り、財布を広げ、「無い・・・、あの時に改札を抜けて、、、その後どうしたっけ??!」不確かな記憶、キップに対する意識は何処。
毎日慣れ親しんだ通勤時にさえ、改札を前に慌てることがあるくらいだから、幼い子供がひとり、小さな手に固く握りしめられたハズの、”キップ”の悪戯?!
そもそも、電車に乗って行われる”移動”という行為に伴う興奮。興奮によって覚醒される意識。一所懸命の言葉に宿る、人間がひとつの場所を、他へと移動することなく、命を懸けて護り抜く、みたいな本能に反する行動。

繰り広げられる子供たちだけの不思議な共同生活、東京駅。子供とはいえ、立派に人格を有するひとりの人間だから、それぞれに個性や考えがあり、それぞれの事情を抱えている。大人の干渉を受けることなく子供たちだけで営まれる共同生活は、毎日顔を合わせて長い時間を共にするだけに、欠かすことができない思い遣り。相手を思い遣り、理解を示すことによって、共に感じる痛みが、大人への階段の一歩一歩、また一歩。
明かされる仲間のひとりの、痛ましい電車事故、そして”死”。既に死んでしまっている少女との共同生活、という、一種異様な状況が、子供たちの連帯感であり思い遣りを育み、仲間全員で見送る天国への旅立ち。死と生の垣根を飛び越えて、語られる死生観。死を見詰め、受け容れるからこそ、生きる意義を見出せたりする。








本「イラクの小さな橋を渡って −On a small bridge in Iraq」池澤夏樹5


イラクの小さな橋を渡って −On a small bridge in Iraq
著者: 池澤夏樹
写真: 本橋成一
単行本: 87ページ
出版社: 光文社 (2003/1/24)



池澤夏樹が、沖縄に暮らしていた(現在はフランス在住)、2002年。
イラク訪問の大義名分は、遺跡調査。古代メソポタミア文明を受け継ぐ地。

2001年に発表された国連のレポート、
経済制裁によるイラクの死者数 推定150万人”
池澤夏樹の心は大きく揺さ振られ、イラクへと足を向かわせた。
自らの目で見て、肌で感じたい。


1979年 サダム・フセイン大統領就任、1980年〜1988年 イランイラク戦争、1991年 湾岸戦争イラク武装解除問題、、、周辺国からも国際社会からも孤立し、経済制裁によって市民は貧困に喘いだ。
そして、独裁者サダム・フセインは、2006年12月30日 絞首刑による死刑執行により刑死する


イラク国内に埋蔵される、豊富な原油資源。
社会情勢を握る大きな鍵のひとつ”原油資源”。
垣間見える、現在の覇権国家アメリカのエゴ。
覇権国家として栄華を誇り続けるために、経済活動の中心的地位を保ち続けるために、大量のエネルギー資源を必要とする。エネルギー資源の中心は”石油”。


2002年当時の、イラクの普通の人々の日常の生活が、写真と文字で綴られる。
戦争の緊張感は感じられない。
淡々と、普通、普通、普通、、、








本「池澤夏樹の旅地図 −Along the footsteps of a lay pilgrim」池澤夏樹5


池澤夏樹の旅地図
 −Along the footsteps of a lay pilgrim
著者: 池澤夏樹
単行本(ソフトカバー): 392ページ
出版社: 世界文化社 (2007/3/1)




僕の軽薄で陳腐な言葉で、池澤夏樹を汚してはいけない。

自伝的作品。
1945年(昭和20年)7月7日生まれとあるから、現在62歳。
37歳の僕にとっては、ちょうど父親の年代。そして、25年後!?
生い立ちから、幼少の記憶を辿り、それが現在の池澤夏樹を形作っていて、大人になって感じて考えてきたこと、自らの足で巡ってきた世界とは、旅であり、足繁く通い、居を構えた、南太平洋の島々、ギリシャ、沖縄、そして現在のフランスに至るまで。
バックパッカーとは異なり、旅を目的とすることなく、職業とする文章を書き記すことを目的として、移動を重ねた地。流されることなく、自らの足で、意志で、大地にしっかりと足を着けて、逃げることなく見据える現実。”旅”が目的であれば、旅をしたことに満足を得て、環境に流されて、考えることをしなくなる。その土地に、興味を抱いたから足を運ぶのであり、足を運んで目にするモノには、更に興味を駆り立てられる。外側から当初思い描いていたモノとは、全く異なる展開だってあろう。そこで、ますますもっともっと知りたくなって、居を構えてしまっても、それは当然の成り行きであり、それによって、そこから情報としての文章を発信することによって、生活の糧を得る。発信する情報や文章が、当初は詩であって、小説であり、エッセイであり、知識や経験や年齢や社会的信用を積み重ねて、政治的な発言に及ぶことも、それは自然の流れ。自らが興味を抱く土地が、沖縄、北海道、ハワイイなど、権力から迫害を受けた歴史を有する土地。決して偶然ではない。求めて、自らのバランスを保つために、空白を埋めるために、必要と感じて訪れた土地。
しかし一方では、自らがその土地に足を踏み入れ、外側に情報を発信する、その行為自体に抱かれる”偽善”との葛藤。独自の文化を有する土地に、部外者として侵入する行為は、少なからぬ影響を及ぼす。外部からの注目を浴びることによって、そこに新たな経済活動が生まれ、欲に駆られる衝動を呼び起こし、乱される均衡。しかし、一方では、それくらいで乱されてしまって、形を変えてしまうものは、その程度でしかなかったと、割り切れなくもないが、自らが欲して得た社会的立場、その影響。
思わず洩れる
「ここはとってもいいところですから、みなさんは来ないでください。」
まさに、それが本音であり、しかし、その言葉によって触発されて、移動が行われ踏み乱されてしまう矛盾。現状を伝え、問題を提起する、その必要性と、そのことによって思わぬ影響が、結果的に乱してしまうバランス、文化。


影響を及ぼし、記憶に残る本、映画。自らが書き記した著作 全63点「異郷の書架」。

著作の一番最初に書き記される
「一生懸命は、本来、一所懸命だった」
歴史を紐解き、人間の本質、本能に迫った時に垣間見える、”土地”に対する愛着、所有欲、執着。
何かの必要がなければ、旅(移動)をすることなど、考えもしない。事情があって、仕方がなくする移動が”旅”だった。

自らを、
”一人で力が発揮できる場がたぶん好きなんだろうね。徹底して非組織的人間だから・・・”
と、語る。








本「虹の彼方に ─池澤夏樹の同時代コラム」池澤夏樹5


虹の彼方に ─池澤夏樹の同時代コラム
over the reinbow
著者: 池澤夏樹
単行本: 278ページ
出版社: 講談社 (2007/9/7)




小説家 池澤 夏樹が、2000年春から2006年末まで、月刊現代(講談社)の巻頭に寄せたコラムを中心に、新聞や雑誌に寄稿した文章が綴られる。
まえがきに、自ら書き記す。
ぼくは自分が政治的な人間だとは思っていない。本業は小説を書くことであり、現実の世界とは一線を画したところで、フィクションという形式を通じて人の心を解くことだ。
それでも、黙っていられない、とばかりに、政治的・社会的に、踏み込んだ理論が展開される。
池澤夏樹は、政治家でも、ジャーナリストでもないから、直接的な訴え掛けをしない。発言の社会的影響力は、小さくはないが、決して大きくもない。
あくまでも自らの経験をベースに、日本国内の各地のみならず、海外を渡り歩いて見に付けた感覚、豊富な知識から語られる言葉。

特に”沖縄”に居を構えて、地域に根付いた生活を長く営んだことによって培われた、文化と歴史に対する考察。
沖縄が、日本列島から、海を隔て、相当な距離があり、独自の文化が形成されていた。
第二次世界大戦末期には、日本国内最大規模の沖縄戦の戦地として、直接的に甚大な被害を受けた。その結果、日本は敗戦国として、沖縄におけるアメリカの支配を受けた時代があった。やがて、沖縄が正式に日本に返還された後にも、アメリカ軍隊の基地は、縮小することなく、極東の軍事拠点として機能を果たし続けている。住宅街の近接地での、軍用機の頻繁な離発着。
それでも、アメリカ軍隊の、経済的効果は小さくない。依存する産業が形成される。
一方、軍隊という組織の特殊性。武装し、戦闘を目的とする集団。銃口を向ける側の人間。手に携える銃に垣間見える、不安、猜疑心、恐怖、、、抑え付けられた力は、やがてエネルギーを蓄え、形を変えて噴出し、巨大になって立ち向かってくる。
世界の覇権国家アメリカテロリズムとの争いに、同じものを見ることができる。


それでも、池澤夏樹は、やっぱり小説家。本業であるフィクションの文章を書くために、世界各地を自らの目で見て、肌で感じて、歴史を文化を、何より人間を、自らを探究する。歴史は繰り返されて、人間には普遍の原理原則があるのであろう。知識と経験を積み重ねることによって、勝手に見えてきちゃうもの。
だから、『虹の彼方に 〜 over the rainbow』♪









「きみのためのバラ -池澤夏樹」読みました。5


きみのためのバラ
Amazonで購入
livedoor BOOKS
書評/国内純文学


「忘れた方がいいと思うことを心はこっそり隠すんじゃないかな。今、君は、これはもう思い出しても大丈夫って判断したんじゃないかな」
 〜”20マイル四方で唯一のコーヒー豆”より

「泣いてもしかたがないのよ」と茜さんは言いました。「ラカはもういないんだし、私は生きているんだから。今日と明日と明後日を生きるしかないのよ。そうよね?」
・・・
わたしから言ってもしかたのないことでした。茜さんの中から出てくる言葉でなくてはならない。一晩待って、すごく辛い夜を過ごして、わたしは彼女の口からその言葉を聞きました。
まだまだ苦しい毎日です。でも、そこを乗り越えないと先へは行けない。彼女が言うとおり、わたしたちは今日と明日と明後日を生きるしかないのです。ラカがいてくれたら、あんなことにならなかったらという甘い執拗な誘惑的な仮定を退けながら、生きていかなければならない。そのために力がいる。
 〜”レギャンの花嫁”より

キッカケは、新潮社旅2007年08月号」の”旅に持って行く本”。
表紙の青いバラが醸し出す、素敵な雰囲気。
キザなタイトルに負けてない物語、短篇小説 全八篇。
池澤夏樹、初読み。

未知のものに対する恐怖心。
自らが知り得ないことによって、心の内に抱く不安感。先が見えない、心の拠り所を得られない。落ち着かない。目標とする方向に向け、正しい道を進んでいるのか?、間違ってはいないだろうか?
自らの無知が引き起こす行動が、周囲に及ぼす影響。迷惑を掛け、負担を負わせていないか?、誰かを傷付けていないか?!


池澤夏樹は、1945年に疎開先の帯広で、マチネ・ポエティクで同人だった両親の間に生まれた、詩人翻訳家小説家。1950年、両親の離婚を機に、母と東京に移る。埼玉大学理工学部物理学科中退。南太平洋を中心に各地へ旅をしたり翻訳などをしたりし、1975年、ギリシアに単身移住、3年間住む。1993年に沖縄に移住、2005年にフランスに移住。第98回芥川賞受賞。多くの文に””が扱われる。 〜Wikipediaより


物語は、日本に限らず、世界各国の街がその舞台。
旅人であるが故に、旅人であることを自認しているが故に、旧くからその地域に根付き、それぞれの歴史や文化の中に築かれる日常生活。いつもの固定概念や常識に捉われた視点を、その角度を変えることによって、リアルに浮き立つ現実の物語。
人間普遍の物語は、やっぱり、「物語の作り方−ガルシア=マルケスのシナリオ教室」にて、G・ガルシア=マルケスが語る、
「ドラマティックな状況の方は、実際にはそんなにないんで、人生と愛と死の三つだけだよ。」
なのであろう。
優しさに溢れる語り口で綴られる物語は、深く深く心に沁み込む。
あの人は、自分たちは愛し合っていない、なぜか始めてしまったけれど、愛で無い以上長くは続かない。続けるべきでない。いずれは傷つけ合う。お互い一人に戻った方がいい。そう言った。
 〜”連夜”より
Una rosa para ti (ウナ・ローサ・パラ・ティ) -きみのためのバラ








訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

since 2007.11.19

Categories
じゃらんnet 宿・ホテル予約

Amazon
honto
TagCloud
本が好き!
本が好き!
記事検索
管理人・連絡先
管理人 Gori が書き記しています。 不適切な表現及び解釈などありましたら連絡ください。
ppdwy632@yahoo.co.jp
livedoor プロフィール

Gori

主として“本”が織りなす虚構の世界を彷徨う♪

‘表 BLOG (since 2006.8)
▲ロスバイク TREK 7.3FX(神金自転車商会 since 2008.8)
写真 Canon IXY900IS(since 2006.12.4) & EOS40D + EF-S17-85mm F4-5.6 IS USM(since 2008.7.23) + EF100mm F2.8 Macro USM(used, since 2008.9.10) + EF-S55-250mm F4-5.6 IS(used, since 2008.9.30) + EF50mm F1.8 供used, since 2009.4.4)

Archives
Recent Comments
Recent TrackBacks
父が子に語る近現代史 (本の宇宙(そら) [風と雲の郷 貴賓館])
本「父が子に語る日本史」小島毅
BlogRanking
  • ライブドアブログ