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なお、「神が死んだ」の原文は“Gott ist tot.” であって、「神は死んでいる」と訳すほうが正確である。いま「死んでいる」のは、かつて生きていたからではない。そうなら、ニーチェ自身が、かつて生きていた神の死を悼む者、あるいは正反対に、神の死を喜ぶ者になってしまうであろう。
そうではないのだ。そうではないところに、「われわれが神を殺したのだ」というセリフが狂気の男によって語られたという意味が生きてくる。この男はあまりにも真剣であり、そこにいた群衆に嘲笑される。群衆は、神の死にいかなる衝撃も受けない。いかなる真摯な態度も示さない。彼らは、ある意味で「正しく」時代をとらえているであろう。現代において、神が「存在しない」ことは自明なのだ。そんなことでオタオタすることはないのである。あらゆる深刻なことを笑い飛ばし、すべてを軽く軽くとらえるこうした輩は、いつでも「みんな」と同じ感受性を持ち、「みんな」と同じ信念を持っている。そして、それからわずかにでも外れる人を目撃すると、寄ってたかって嘲笑し、排斥するのだ。
こうした軽薄で、怠惰で、小賢しい近代人たちに比べれば、狂気の男は、はるかにまし(besser)である。そこには、・・・・・・ (p18-19)
「明るいニヒリズム」の哲学者が「誰の役にもたたず、人々を絶望させ、あらゆる価値をなぎたおす」ニーチェに挑む。生の無意味さと人間の醜さの彼方に肯定を見出す真に過酷なニーチェ入門の決定版。
「明るいニヒリズム」の哲学者がニヒリズムの始祖のニーチェの哲学に真っ向から立ち向かいながら、哲学のおそろしさと歓び、生の無意味と人間の醜さの彼方に「ヤー(然り!)」を見出すニーチェ入門の決定版。真に「過酷な哲学者」としてのニーチェがここに蘇る。
≪目次: ≫
はじめに
第1章 神は死んだ
ハイデガーの解釈/神はもともと死んでいた/ニーチェのパウロ主義批判/ニーチェのイエス批判/神の死と人間の死/新しい神?
第2章 ニヒリズムに徹する
ヨーロッパのニヒリズム/ツァラトゥストラのサル/ニーチェに「反抗する」ことがニーチェを理解することである/ニヒリズムの三形式/受動的ニヒリズムの諸相/ニーチェの「怒り」を引き受ける/カントとニーチェ
第3章 出来事はただ現に起こるだけである
徹底的懐疑と最善感/必然的なものはない/(いわゆる)偶然的なもの/偶然の消滅=運命愛/近代法にもぐり込んだ因果応報/現代日本の畜群たち
第4章 人生は無意味である
「よく生きる」/よく生きることと死/考える葦/広大な宇宙のただ中で/『神の死』を誠実に受け容れること/誠実とエゴイズム/遠近法主義/真理は女である/永遠との結婚
第5章 「人間」という醜悪な者
人間的、あまりに人間的/純朴なニーチェ/戦わないニーチェ/虚栄心/精神の奇形/弱者は生きる価値がない/柔和な畜群/ルサンチマン/火のイヌ/ヒトラーとニーチェ/『ツァラトゥストラ』第四部/最も醜い人間/同情の克服/「子ども」という概念の二重性
第6章 没落への意志
「没落する」ということ/真理を伝える人間たちへの嫌悪/殉教者?
第7章 力への意志
力への意志と誠実であること/「僧侶=パウロ主義者」という力ある者/永遠回帰を受け容れる意志
第8章 永遠回帰
永遠回帰とは何か?/批判的検討/モグラの永遠回帰/パウロ主義も永遠回帰する?/小びとの永遠回帰/瞬間と永遠回帰/ニヒリズムの完成?
あとがき (二〇一二年 十一月中旬 ウィーンでは、そろそろクリストキンドルマルクトの屋台が出ているころだなあと思いつつ・・・・・・ 中島義道)
解説 香山リカ(精神科医)
※本書は二〇一三年に河出書房新社より刊行した『ニーチェ ニヒリズムを生きる』を改訂の上、文庫化したものです。
≪著者: ≫ 中島義道 (なかじま・よしみち) 1946年生まれ。哲学者。「哲学塾カント」を主宰。著書、『不在の哲学』(ちくま学芸文庫)、『生き生きした過去』(河出書房新社)、『東大助手物語』(新潮社)、『「純粋理性批判」を嚙み砕く』(講談社)など多数。