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〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

理想の教室

本「ポップミュージックで社会科 (理想の教室)」細見和之5

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ポップミュージックで社会科 (理想の教室)
ポップミュージックで社会科 (理想の教室)

○著者: 細見和之
○出版: みすず書房 (2005/6, 単行本 158ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083047
おすすめ度: 4.0
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およそ50時間ぶりの再会。なければないでなんとかなるが、精神衛生上?!、あまりよろしくない(個人情報満載の所有物を遺失したことにつき)。予想どおり(ほかに思いあたるところがなかった)自室ちかくの図書館に保護されていた、ぼくの携帯電話クン、お帰り。
結果的に不都合は生じなかった。確保したときにはすでに充電切れの状態だったからだけではないであろう、もともと鳴らない(ほとんど使うことがない)存在感の薄い旧い型式の携帯電話ではあるのだが、履歴を確認するには知らない携帯電話番号の着信が失くした日の夕方に1件あったのみ。すでに2日経って折り返し電話するのもなんだなぁ、気まずいよなぁ、すぐに電話しなかったこと、電話できなかったことを説明すると、手短にってわけにはいかないもんなぁ、話して聞かせたくなっちゃうからなぁ、まぁそんな話は聞きたくもないかぁ、いずれにしても、ホントに必要でタイセツな用事があるなら、なんどか連絡があってしかるべきであろうことから、1回だけの着信でその後がないということは、すでに用をなしたのであろう。間抜けなタイミングでの連絡ほど、お互いに気まずい思いはなかろう。少なくともぼくは気まずいと思うし、気まずい状況を想像してしまう、だから放置を決めこむ。着歴が、電話番号が表示されないのも不便に思うかもしれないけれど、表示されて記録が残ってしまうのもメンドクサイ、などと言ったら怒られるか(だれに?)。着信があったことを知らなければ、電話番号がわからなければ、気にやむ必要はないのに。と言ってみて、かつてナンバディスプレイが普及していなかったころには、あの電話はだれからだったのだろう、と気になってしかたがなかった情景が思い起こされるのだが、、、年齢を重ねて、瑣事にこだわりすぎることの無為に思い至ったのか、それともただただメンドクサイなのか。


≪目次: ≫
はじめに
第1回 翼をもつ歌
――ポップミュージックにおける果肉と種子について
はじめに/私自身の体験から/「ドナドナイディッシュ語版と日本語版/ジョーン・バエズの「ドナドナ」/「ドナドナ」の作者ゼイトリンとセクンダ/CIAによって隠されたメッセージ/果肉と種子
第2回 ラブソングとプロテストソング――ジャニス・イアンにそくして
はじめに/日本と欧米のリアリティの差異――「思い出のグリーングラス」をめぐつて/ジャニス・イアンの奥行/「社会の子供」からのはじまり/ラブソングとプロテストソングの共存
第3回 日本のポップミュージックにおける音楽と社会――友部正人中島みゆきにそくして
はじめに/「ハリケーン」の衝撃/ふたたびジャニス・イアンとディランについて/友部正人について/「あさま山荘事件」/友部正人の「乾杯」/中島みゆきの「時代」/「4.2.3.」における「黒い炎」/「地上の星」と「ドナドナ」
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≪著者: ≫ 細見和之 (ほそみ・かずゆき) 1962年生まれ。大阪府立大学人間社会学部助教授(を経てプロテストソング">大阪府立大学人間社会学部教授)。詩人。専門はドイツ思想。主にアドルノ、ベンヤミンなど20世紀のユダヤ系の思想を読み解く作業をつづけている。「ドナドナ」へのこだわりもその一環である。また従軍慰安婦問題など現代史やマイノリティ問題にもかかわる。著書に『アドルノの場所』、(みすず書房)、『言葉と記憶』(岩波書店)、詩集に『バイエルの博物誌』(書肆山田)、『言葉の岸』(思潮社)ほか。

千葉一幹「『銀河鉄道の夜』しあわせさがし」(理想の教室、みすず書房、2005)
野村喜和夫「ランボー『地獄の季節』 詩人になりたいあなたへ」(理想の教室、みすず書房、2007)
宮澤淳一「マクルーハンの光景 メディア論がみえる」(理想の教室、みすず書房、2008)
名和小太郎「エジソン 理系の想像力」(理想の教室、みすず書房、2006)
小沼純一「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア」(理想の教室、みすず書房、2006)
ジョルジョ・アミトラーノ「『山の音』こわれゆく家族」(理想の教室、みすず書房、2007)
西 成彦「世界文学のなかの『舞姫』」(理想の教室、みすず書房、2009)
佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「『銀河鉄道の夜』しあわせさがし (理想の教室)」千葉一幹5

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『銀河鉄道の夜』しあわせさがし (理想の教室)
『銀河鉄道の夜』しあわせさがし (理想の教室)

○著者: 千葉一幹
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 142ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083092
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シアワセ(幸福)ってなんだろう。

へそ曲がりな持ち主に似て、というわけではないのであろうけれども、おいおいどこへ行ってしまったんだぁ。まぁ、好き勝手にするがいいさ、とは、みずからをかえりみたときには、そう言うしかないのであろうけれども、他人になんら言いえる義理はないことをそれなりには承知して。なにかを、こちらの都合で強要してみたところで、表面的な対応を求めて得られて満足するほどには。そのうちには、戻ってくるだろう。いやいや、そういう問題ではない。気がついたときには、じつはすでに夜中23時をすぎたころのことだったのだが、そういわれてみれば昼間から姿を見かけていないなぁ、とはずいぶんとノンキではあるが。部屋中を探しまわって、というほどには広くない空間の中に隠れ場所などあろうはずもなく、連れだしたところを思い返してみてもたった2箇所に限定される。そう、夏の疲れであろう、なんとなく体調がすぐれなかったこともあって、ときどき小雨が降りだす天候だったこともあって、ぼんやりしたままにすごしていたことも、気がつくのが遅れた、なかなか気がつくことがなったことの要因のひとつにあげられよう。午前中にいずれも近くの図書館での読書とスーパーでの買い物をして、昼食を部屋で摂って、またおなじ図書館での読書とおなじスーパーでの買い物と、ただそれだけ、あとは部屋にこもっていた。外は雨、夜、気分まですぐれない。さすがに朝まで放置するのも気がかりだ。小雨が降るなか、意を決して、重い腰をあげて。すでに図書館は閉まっているからどうしようもない。しかも都合が悪いことに月曜日は休館日だ、しかたがない。24時間営業のスーパーの白いあかりが恨めしい、ない。最寄りの、といっても歩くには遠い、交番を訪ねる。おまわりさんもタイヘンだ。届けを出して、本署に問い合わせてもらうも、ない。ないものはない。
まだ戻ってこない、ぼくの携帯電話、トラヴェリング(旅行中)♪


≪目次: ≫
はじめに
テクスト――『銀河鉄道の夜宮沢賢治(1896-1933)
第1回 神なき世界へ

賢治死後? に成立した『銀河鉄道の夜』/ブルカニロ博士の消滅/叙事詩から小説へ/貨幣の問題/宗教批判者ジョバンニ
第2回 友だちって何?
友だちを裏切ること/秘密の発生――個室の誕生/世界の始まりと原光景/親密さと言語――ジャーゴン/言語の抽象性/ふたりでいること
第3回 自己犠牲
自己犠牲者の群れ/よだかから蠍へ/負債としての自己犠牲/取り替え子/贈与と遺贈
おわりに
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≪著者: ≫ 千葉一幹 (ちば・かずみき) 1961年三重県生まれ。拓殖大学商学部教授。比較文化・日本近代文学。『賢治を探せ』(講談社選書メチエ)、『クリニック・クリティック――私批評宣言』(ミネルヴァ書房)ほか。

野村喜和夫「ランボー『地獄の季節』 詩人になりたいあなたへ」(理想の教室、みすず書房、2007)
宮澤淳一「マクルーハンの光景 メディア論がみえる」(理想の教室、みすず書房、2008)
名和小太郎「エジソン 理系の想像力」(理想の教室、みすず書房、2006)
小沼純一「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア」(理想の教室、みすず書房、2006)
ジョルジョ・アミトラーノ「『山の音』こわれゆく家族」(理想の教室、みすず書房、2007)
西 成彦「世界文学のなかの『舞姫』」(理想の教室、みすず書房、2009)
佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「ランボー『地獄の季節』詩人になりたいあなたへ (理想の教室)」野村喜和夫5

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ランボー『地獄の季節』 詩人になりたいあなたへ (理想の教室)
ランボー『地獄の季節』 詩人になりたいあなたへ (理想の教室)

○著者: 野村喜和夫
○出版: みすず書房 (2007/7, 単行本 139ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083269
おすすめ度: 3.5
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ことば


ジャン・ニコラ・アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud, 1854-1891)
地獄の季節 (Une Saison en Enfer, 1873)』


≪目次: ≫
テクスト――「錯乱供宗集斥佞力6盻僉廛薀鵐棔
第1回 詩がみえてくる
イントロダクション/『地獄の季節』はどう読まれてきたか/『地獄の季節』の現代性/「美」を膝に乗せること――序文のメタポエティック/描写と教訓の否定/「私探し」を超えて――詩人のステータス/「わが無垢のひろがり」/矛盾は矛盾のままに――詩人の言説
第2回 詩が狂おしい
愛と詩/「狂気の処女」――詩人と作品との関係/かくもポップなランボー/詩的言語/言い表しがたいものを書く/朝の時間/アナロジーとイロニー/「語たちの幻覚」へ
第3回 詩が詩を離れてゆく
自壊のプロセス/渇きと飢え/クライマックスあるいは「永遠」/空無の詩学/「私は架空のオペラになった」/減衰的反復/最後のパフォーマンス/最後の最後まで詩だ
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≪著者: ≫ 野村喜和夫 (のむら・きわお) 1951年生まれ。明治大学大学院研究科博士後期課程単位取得(フランス近代詩専攻)。詩人。詩集に『特性のない陽のもとに』(思潮社、歴程新鋭賞)、『嵐の配分』(水声社、高見順賞)、『ニューインスピレーション』(書肆山田、現代詩花椿賞)、『現代詩文庫 野村喜和夫詩集』(思潮社)、『街の衣のいちまい下の虹は蛇だ』(河出書房新社)、『スペクタクル』(思潮社)、評論集に『ランボー・横断する詩学』(未來社)、『討議・戦後詩』(共著、思潮社)、『現代詩作マニュアル』(思潮社)、訳書にプチフィス『ポール・ヴェルレーヌ』(共著、筑摩書房)などがある。
公式HP「ポエジー POESIE/野村喜和夫」

宮澤淳一「マクルーハンの光景 メディア論がみえる」(理想の教室、みすず書房、2008)
名和小太郎「エジソン 理系の想像力」(理想の教室、みすず書房、2006)
小沼純一「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア」(理想の教室、みすず書房、2006)
ジョルジョ・アミトラーノ「『山の音』こわれゆく家族」(理想の教室、みすず書房、2007)
西 成彦「世界文学のなかの『舞姫』」(理想の教室、みすず書房、2009)
佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「マクルーハンの光景 メディア論がみえる (理想の教室)」宮澤淳一5

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マクルーハンの光景 メディア論がみえる [理想の教室]
マクルーハンマクルーハンの光景 メディア論がみえる (理想の教室)

○著者: 宮澤淳一
○出版: みすず書房 (2008/2, 単行本 165ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4622083283
おすすめ度: 4.5
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興味や関心がないコトは、とくに積極的に拒絶するまでもなく、むしろ目に留まることもない(視界に入ったとしても注視することをしない)。

ぼくは変わらない。
さまざまな本を読みすすめるには、ぼくの考えの正当性が揺るぎなきものであることを確信する!、ことはまったくなく、むしろ凹む落ち込む、ふさぎこんでひきこもる。元気があるように装うことも演じることも、無意味に感じられて。知らない人、長くない一時的な関係のみであろうと想定される人には、その関係が限られた短い時間であるならば、わざわざ説明することをメンドウに思うことから、ときどきはちょっとガンバってみたりもする。相手にたいして不快感をいだかせる可能性を含んだぼくが善い(快い)と考える行動を貫徹するうえでは、その相手に説明義務を果たす必要があろう、同意を得られるか否かを別としても。説明義務を果たすことができないのであれば、ぼくは自己都合を押し通すことをしてはならない、許されない、ぼく自身が許さない、許したくない。ところが、カンタンなことではない、ほぼ不可能、ちゃんと説明するには、まずはぼくの能力に不足がある。なにより、相手はぼくの言説を聞きたくないだろう。少なくとも、ぼくは他人の話を聞くのが苦手。


マーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan, 1911-1980)


≪目次: ≫
じはじめに
テキスト――マクルーハン「外心の呵責」(宮澤淳一訳)
第1講 マクルーハン精読
テキストの読み解き方/テクノロジーと拡張/中枢神経系の拡張/題名の意味/ナルキッソスと麻痺/催眠術と歯科医療/同一化とバックミラー/電子テクノロジーの地球規模の拡張/感覚比率/ニュルンベルク裁判/印刷文化の思考様式/アルファベットと直線性/電子メディアと聴覚空間/再部族化と地球村/テレビは視覚ではなく――/錯綜するパラグラフ/再部族化と職業の終焉/情報化社会/判断保留と芸術家
第2講 メッセージとメディア
マクルーハンの半生/博士論文の位置/『機械の花嫁』(1951年)/花嫁はどこから来たのか/新聞・マラルメ・キュビスム/『探求』誌創刊(1953年)/『グーテンベルクの銀河系』(1962年)/『メディア論』(1964年)/ホットとクール/二分法の本質/「メディアはメッセージである」と訳してよいか/「〜は」ではなく「〜こそが」である/「メッセージ」と「内容」は違う/メッセージからマッサージヘ
第3講 ジョン・レノン地球村
「ベッド・イン」キャンペーン/ジョン・レノン対マクルーハン/地球村とは/本当に「理想郷」ではないのか/グレン・グールドの受けとめた「地球村」/マリー・シェーファーの「サウンドスケープ」/ジョン・ケージの傾倒/同時多発性とハプニング/地球村と宇宙船地球号/一人歩きの本質/反環境としてのカナダ/環境が芸術になるとき/反環境を生み出す芸術家/フルクサスと日本の美術界/ナム・ジュン・パイク
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≪著者: ≫ 宮澤淳一 (みやざわ・じゅんいち) 1963年群馬県生まれ。青山学院大学総合文化政策学部准教授。博士(学術)。専門は音楽学・メディア論・文学文化研究。文学・芸術=メディア=テクノロジーの諸問題、カナダ研究、文献表記法に関心あり。音楽批評も手がける。著書に『グレン・グールド論』(吉田秀和賞、春秋社)、『チャイコフスキー』(東洋書店)。訳書に『グレン・グールド書簡集』『グレン・グールド発言集』(以上、みすず書房)、『マクルーハン』(ちくま学芸文庫)、『戦争』(彩流社)、『リヒテルは語る』(音楽之友社)、『音楽の文章術』(共訳、春秋社)ほか。

名和小太郎「エジソン 理系の想像力」(理想の教室、みすず書房、2006)
小沼純一「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア」(理想の教室、みすず書房、2006)
ジョルジョ・アミトラーノ「『山の音』こわれゆく家族」(理想の教室、みすず書房、2007)
西 成彦「世界文学のなかの『舞姫』」(理想の教室、みすず書房、2009)
佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「エジソン 理系の想像力 (理想の教室)」名和小太郎5

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エジソン理系の想像力 (理想の教室)

エジソン 理系の想像力 (理想の教室)

○著者: 名和小太郎
○出版: みすず書房 (2006/9, 単行本 186ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083238
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いまの便利な生活を否定する気もなければ、手放すことなど考えることだってできない。
今年の夏は「汗臭いことを気にしない」ことに決めた。可能な限りエアコンを使わない。しかし、無理は禁物。あくまでもエアコンがあることを、いつでも使用することを前提としたうえでのこと。
買い物にはマイバッグを持参して、レジ袋をもらわないようにこころがけてはいるものの、マイバッグの持参を忘れてしまったり、ボンヤリしていて言いそびれてしまったり、もっとも意図的にゴミ袋として活用したいがために、後ろめたさのようなものを感じながらも平気な顔をしてレジ袋をもらっていたりもしている。
「携帯電話がキライだ!」と言いながら、ときに数時間ものあいだ着信に気づかずカバンの中に放置したままにして周囲に迷惑をかけてみたりしても、携帯電話を手放すことをしないで携行している。会社に電話はあるのだから、携帯電話がなければないでなんとかなるんだろうけれど。そう、20年前はポケベルだったなぁ。会社からの呼び出しに、公衆電話を探しまわって。数字の情報を組み合わせて、秘密の暗号、メッセージを取り決めて♡。最近つくづく思うのが「果たして慌てて対応する必要があるのか?」、そりゃぁ、とっとと用事を片づけてしまいたい気持ちもわからないでもないけれど、だからと言って、あなたの都合でしょ??!、なんであなただけの都合に、周囲が、ぼくが合わせる必要があるのかなぁ?、などと言ったら角が立つから、直接口外することはしないけれど。


トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931)


≪目次: ≫
オリエンテーション
第1回 エジソンとシステム
『メンローパークの回想』/ジュールの法則/白熱灯以前/直列から並列へ/電流の細分化/周期律をたどる/高抵抗のフィラメント/つづくエポノミー/交流ではなく直流/エジソン・システム/システムの戦い/最初の設問/講義のあとの雑談
第2回 エジソンと技術標準
『エジソン氏追想』/技術は普遍的/フォノグラフ/アーキテクチャーの選択/デジタルからアナログへ/市場開発の競争/米国式の生産原理/アーキテクチャーの競争/洞察、あるいは思い込み/二回目の設問/講義のあとの雑談
第3回 エジソンと特許
キネトグラフ用カメラの特許/アイデアの排他性/残像の見せ方/ビジネス・モデルの争い/特許の取り合い/特許のプール/反トラスト法 対 特許法/最後の設問
質疑に答えて
エジソン関連年表
読書案内


≪著者: ≫ 名和小太郎 (なわ・こたろう) 1931年生まれ。工学博士。石油資源開発(地震探査法の開発)、旭化成(ロケット・エンジンの開発等)、旭リサーチセンター(技術政策の研究)、新潟大学教授および関西大学教授(法情報学の研究)を経て、現在、情報セキュリティ大学院大学特別研究員。著書に『科学書乱読術』『起業家エジソン』(以上、朝日新聞社)、『学術情報と知的所有権』(東京大学出版会)、『ディジタル著作権』『情報セキュリティ』(以上、みすず書房)、『情報の私有・共有・公有』(NTT出版)ほか多数。

小沼純一「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア」(理想の教室、みすず書房、2006)
ジョルジョ・アミトラーノ「『山の音』こわれゆく家族」(理想の教室、みすず書房、2007)
西 成彦「世界文学のなかの『舞姫』」(理想の教室、みすず書房、2009)
佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア (理想の教室)」小沼純一5

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バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア (理想の教室)
バッハ『ゴルトベルク変奏曲』世界・音楽・メディア (理想の教室)

○著者: 小沼純一
○出版: みすず書房 (2006/2, 単行本 179ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083160
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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685-1750)


≪目次: ≫
なぜ好きなんだろう?
ゴルトベルク変奏曲》は、好き?/弾く楽しみ/知的な「好き」?
第1回 バッハ/身体/楽器
バッハそのひと/土地/宗教/主な動き/作品/鍵盤/バッハの楽器/弾きにくさ/鍵盤上の楽しみ/遊戯
第2回 《ゴルトベルク変奏曲》はどのように生まれたのか
世界の枠組み/バッハの時代/同時代の「作品」/十七世紀のエピステーメー/五線譜/十七世紀の芸術的アプローチ/タイトル/ゴルトベルク、ヨハン・ゴットリープ/クラヴィーア練習曲集/変奏曲1/十四のカノン/数字/数とコスモロジー/変奏曲2/カノン/装飾音/楽譜
第3回 《ゴルトベルク変奏曲》を聴いてみよう
パースペクティヴ/アリアとしてのサラバンド/アリア前半/アリア後半/変奏曲(第1変奏から第11変奏まで)/変奏曲(第16変奏から第30変奏まで)

わかった?

《ゴルトベルク変奏曲》のさらなる変奏
参考文献
あとがき (二〇〇五年十二月 パリ・シャトレ、二〇〇六年一月 東京・西早稲田)


≪著者: ≫ 小沼純一 (こぬま・じゅんいち) 1959年生まれ。早稲田大学文学部教授。専門は音楽文化論。世界にあまねくある音・音楽がおかれている位置、文脈、他の分野――文学や映画、ダンスなど――との相互的なつばがりに関心をもつ。著書『サウンド・エシックス』『バカラック、ルグラン、ジョビン』(平凡社)、『武満徹 音・ことば・イメージ』(PHP)、『ミニマル・ミュージック』『アライヴ・イン・ジャパン』(青土社)、『パリのプーランク』(春秋社)、翻訳にデュラス『廊下で座っているおとこ』(書肆山田)、共同監訳にシオン『映画の音楽』(みすず書房)がある。







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本「『山の音』こわれゆく家族 (理想の教室)」ジョルジュ・アミトラーノ5

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『山の音』こわれゆく家族 (理想の教室)
『山の音』こわれゆく家族 (理想の教室)

○著者: ジョルジョ・アミトラーノ
○出版: みすず書房 (2007/3, 単行本 121ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083245
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会社のスタッフたち17〜8名の「カオ」を愛用のデジイチ(Canon EOS40D)で撮ったのは8月15日、早朝の靖国神社を訪れた後のこと。すこし前から人物を撮ってみたかった、明るいレンズ(EF50mm F1.8 供砲如
最初は、仕事をしている(ふうの)横顔をパシャパシャと撮っていたんだけど、やっぱり目線が欲しい。明るいレンズに、明るい笑顔♪。そこは営業会社の営業スタッフたち、すこし撮られ馴れて?!からカメラを向けると満面の笑み、こぼれんばかり。ずいぶんたくさん撮らせてもらって、PCの画面で選択&編集(サイズダウンのみ)、社内共有フォルダにアップ(自己満足)。
ファインダーを通して切り取られた瞬間。素敵な笑顔もあったけど。ファインダーを通してとはいうものの、ファインダーのこちら側でカメラを構える視点はぼく。あくまでもぼくを起点として、ぼくの視点で見た映像、表情、カオ。だから、ぼくにはある意味ではいつもの見慣れた表情、カオ。ほぼ、ぼくがイメージする通りのカオがそこにあった。その出来栄えはカメラとレンズの性能によるところが大きいのだが、ある意味では満足でもあり、また一方ではハッキリと描かれて、えぐりだされてと言ったら大袈裟かもしれないけれど、すべてが、見たいものだけでなく見たくないものまでが、表出する美醜だけではなく、見ているぼくが見られているような、ところがむしろ、カメラを構えてそこに在るぼくを見ていないまなざしに、なんとも言いようのない。


≪目次: ≫
テクスト――「山の音」川端康成山の音』より)
はじめに
第1回 家族という名の他人    信吾の不思議な夜/思いの音楽/ある結婚の風景/孤独の鏡/見えない戦争
第2回 果たせぬ夢の領域    老いの顔を覗き込んで/あるひまわりの短い人生/信吾と菊子の秘密の花園/ヰタ・セクスアリス
第3回 『山の音』の彼方へ    眠りの言語と結婚の沼/誰でも知っている社会から、誰も知らない社会へ/ゆがんだ春のめざめ/見知らぬ乗客/小説の種、あるいは『山の音』におけるメタフィクション/美しい耳、血まみれの耳/人生の部分品/水の音
読書案内


≪著者: ≫ ジョルジョ・アミトラーノ Geogio Amitrano 1957年、イタリア、アンコーナ県イエージ市生まれ。ナポリ東洋大学卒業、東洋学博士。翻訳家。映画研究家。現在、ナポリ東洋大学教授として、日本文化久・現代文学の教鞭をとるかたわら、「ラ・レプップリカ」などのイタリア主要新聞、雑誌に文芸評論および映画評論も執筆している。
著書に、The New Japanese Novel(イタリア国立東方学研究所発行)、Il mondo di Banana Yoshimoto(フェルトリネッリ出版)など。日本の近現代小説のイタリア語訳書は多く、中島敦『山月記』『李陵』など、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』など、梶井基次郎『交尾』『櫻の樹の下には』、川端康成『雪国』『弓浦市』など、井上靖『猟銃』『結婚記念日』など、村上春樹『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『スプートニクの恋人』など、よしもとばなな『キッチン』『N.P.』『とかげ』『アムリタ』『デッドエンドの想い出』などを手がけた。近々、村上春樹『海辺のカフカ』、須賀敦子『ユルスナールの靴』、よしもとばなな『王国』刊行予定。監修に、「川端康成イタリア版作品撰集」(モンダドーリ出版)。
エルサ・モランテ翻訳賞(1996年)、第1回アルカンターラ翻訳賞(1998年)、第12回野間文芸翻訳賞(2001年)などの受賞歴がある。


西 成彦「世界文学のなかの『舞姫』」(理想の教室、みすず書房、2009)
佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「世界文学のなかの『舞姫』 (理想の教室)」西 成彦5

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世界文学のなかの『舞姫』(理想の教室)
世界文学のなかの『舞姫』 (理想の教室)

○著者: 西 成彦
○出版: みすず書房 (2009/5, 単行本 144ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4622083290
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だいたいぼくの判断なんてアマアマで、想定外をトウゼンのこととして。
ページ数が多くない(平均160ページ)といった動機から手にしたことが少なくない「理想の教室」シリーズ(みすず書房)。その主目的は読了であり、掲げられるタイトルや内容に興味や関心がないわけではないものの、「はじめてのジャンルであり著者だからなぁ」などと言い訳を連ねてみたりして。ところがドッコイ?!、ジワリジワリと効いてくる♪、侮れない。本シリーズにキッカケを得て連関からひらかれた著書は数多い(と記憶にある)。ガガ〜ン、なんとなんと本作にて完結。はじまりがあれば終わりはいずれや訪れるものであることを承知してなお、凹。

あぁ、『ヰタ・セクスアリス』、性欲、、、

うむむむむ、
「石炭をば早や積み果てつ。・・・」


≪目次: ≫
まえがき
テクスト――森鴎外舞姫
第1回 南米の太田豊太郎
性欲につまずく/性教育の教材として/明治の浦嶋/日本人の海外進出/南米の太田豊太郎?/I博士/豊太郎の奇行/ジャパニーズ・ディアスポラ
第2回 エリスの面影とともに生きる
豊太郎の恋、林太郎の恋/鴎外の晩年/エリーゼ・ヴィーゲルト(Elise Wiegert)/鴎外=林太郎の優柔不断、未練/『舞姫』異聞――湯浅克衛『カンナニ』/もうひとつの『舞姫』異聞――『北へ遷りゆく時』/豊太郎の死
第3回 『舞姫』から120年
『舞姫』の基本構造/「舞姫論争」/『罪と罰』と都市描写/『ボヴァリー夫人』と都市描写/明治廿一年、冬のベルリン/本国を失う恐怖/『舞姫』と『旅をする裸の眼』/自己紹介
読書案内


≪著者: ≫ 西 成彦 (にし・まさひこ) 1955年生まれ。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。専攻は比較文学、ポーランド文学。著書『ラフカディオ・ハーンの耳』(岩波書店)、『イディッシュ――移動文学論1』(作品社)、『森のゲリラ 宮沢賢治』(岩波書店/平凡社ライブラリー)、『クレオール事始』(紀伊國屋書店)、『耳の悦楽――ラフカディオ・ハーンと女たち』(紀伊國屋書店)、『エクストラテリトリアル――移動文学論2』(作品社)、『胸さわぎの鴎外』(人文書院)ほか。

佐々木幹郎「中原中也 悲しみからはじまる」(理想の教室、みすず書房、2005)
小倉孝誠「『感情教育』歴史・パリ・恋愛」(理想の教室、みすず書房、2005))
大村敦志「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール」(理想の教室、みすず書房、2007)
樋口陽一「「日本国憲法」まっとうに議論するために」(理想の教室、みすず書房、2006)
佐藤良明「ビートルズとは何だったのか」(理想の教室、みすず書房、2006)
荻野アンナ「ラブレーで元気になる」(理想の教室、みすず書房、2005)
岡田温司「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待」(理想の教室、みすず書房、2006)
川端康雄「『動物農場』ことば・政治・歌」(理想の教室、みすず書房、2005)
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
平野嘉彦「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス」(理想の教室、みすず書房、2007)
水林章「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年」(理想の教室、みすず書房、2005)
巽孝之「『白鯨』アメリカン・スタディーズ」(理想の教室、みすず書房、2005)
石原千秋「『こころ』大人になれなかった先生」(理想の教室、みすず書房、2005)
河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」(理想の教室、みすず書房、2005)
野崎歓「カミュ『よそもの』きみの友だち」(理想の教室、みすず書房、2006)
三原弟平「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと」(理想の教室、みすず書房、2005)/
合田正人「サルトル『むかつき』ニートという冒険」(理想の教室、みすず書房、2006)
吉永良正「『パンセ』数学的思考」(理想の教室、みすず書房、2005)
亀山郁夫「『悪霊』神になりたかった男」(理想の教室、みすず書房、2005)







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本「中原中也 悲しみからはじまる (理想の教室)」佐々木幹郎5

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中原中也 悲しみからはじまる (理想の教室)
中原中也 悲しみからはじまる (理想の教室)

○著者: 佐々木幹郎
○出版: みすず書房 (2005/9, 単行本 151ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083115
おすすめ度: 4.5
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夜、自室に戻って夕食の定番(昨夜も一昨日の夜もその前の夜も)の焼きそばを作り終えて換気扇の音のむこうに聞こえてきた雨の音。ときおりはげしく。梅雨入りした東京の空にはず〜っと雲、くも、クモ、雲。雨が降るかと思えば降らなくて、さっきまで降っていなかったのに路面が濡れているということは、あぁ雨が降ったんだなぁ、と。
夕方、仕事の都合でとある会社を訪問して。会社を出たときには雨は降っていなかった。目的地の駅を降りたら路面が濡れていて、パラパラと傘をさすほどではない程度の雨。天気予報は夜に雨マークを示していたのに、うっかりしていて慌てていて、折りたたみ傘をカバンに入れてくるのを忘れてしまったことの不注意を後悔。目的の会社は駅から近くない(徒歩10分とすこし)。いつもより心なしか急ぎ足になるのは、雨に降られたらイヤだなぁ、という気持ちのあらわれ。幸いにも雨脚がつよまることなく(むしろ弱まり)、ほぼ雨に濡れることなく目的地に到着。社屋に入るすこし前には、またポツポツと雨音が聞こえだして降りだした、ギリギリセーフ。思わず、初対面の担当者(電話で2〜3度ことばを交わしている)に、「いやぁ〜、雨が降ってきましたねぇ〜。日頃の行いが善くないのに、ちょうど雨に降られることなく辿り着きました(笑)!」と、どうでもいいような会話を試みる。ややもすると、無意識のうちに不機嫌で戦闘態勢(好戦的態度)ともなりかねないことを自覚しちゃっているぼくは、意識してノンビリ(シッポを振る犬のごとく親和の意志表示)を装う必要があるのだ。
ぼくの仕事はおおむね、主体としての位置を占めない。不動産の売買契約における主体(当事者)は、売主と買主であり、仲介業者としてのぼく(の勤務する会社)は、読んで字のごとく「仲を介する」立場にあり、当事者にはなりえない。さらに、売買契約の目的たる不動産を買主に紹介して、売主と引き合わせる行為(売買契約)にいたらしめた主体は、営業スタッフである。ぼくに与えられた仕事は、法律(宅地建物取引業法)に従った説明義務(重要事項説明書による説明、そのための調査)を果たすこと、付け加えるなら、当該売買契約において生じうるトラブルのリスクを察知して未然になんらかの対策を講じる?!こと(自分で言うのもおかしいが、これまでの経験に因る確信めいた自信のようなものがないわけではない)。そう考えるには、ぼくのところで滞りを生じさせることをもっとも注意して避けなければならない。ポイントだけ押さえて、自然に流れ作業のごとくに。目立つ必要はない(ぼくにとってはカンタンではない、ついハリキッテしまうのだ)。


「悲しみ」って?
中原中也 1907年(明治40年)- 1937年(昭和12年)。

ぼくにとってのいま現在の最大の「悲しみ」は、前日の習作?!がまったく失敗しちゃっていること(あらたな加筆や修正をすることなく記録として残し、いずれ場をあらためて考察を重ねたい)。ぼくが自分自身以外の他者にはなんの関心も興味をもいだくことも、ましてや手を差し伸べることなど考えられない、自己中心的な「人間嫌い」であることを隠して、まるで「好い人」であるかのように(そう思われたいと欲して)偽善を装う、もっとも恥ずべくみずからの無自覚さに気がついたのは、アップから半日以上の時間が経過してからのことであり(なにげなくふと明確に)、烈しく落ち込みながらも、消してしまいたい(投稿)、消えてしまいたい(ぼくの存在)、衝動であり、違和感であり、イライラやヒリヒリをあらためて認知して。それでも、ぼくが掲げるテーマであり課題としての「〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場」は貫きたい。ぼくの一回性や偶然による書き記しが、結果として好ましいものであろうと、正しくなかろうと、かりに間違っていたとしても、恥ずべきものであったとしても、そうであるならばこそなおのこと、記録を痕跡を消してしまっては(ぼくが消えてしまっては)趣旨に反するのではなかろうか?、正しく善くありたい!、とつよく希求するからこそ、正しくない善くないことを身をもって認識して自覚することの。
はじまりであると願望して。


≪目次: ≫
第1回 噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!
「ノート小年時」/少年に希望はあるのか?/肉弾で歌うこと/ギロギロする目で
第2回 愛する、恋する、恋慕する
長谷川泰子という女性/富永太郎との出会い/うつむく青年/「朝の歌」/「追懐」の世界
第3回 悲しみからはじまる
「悲しみ」のテクスチャー/リフレインの奥にあるもの/「骨」/青空の下の子ども
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使用テクスト――少年時(母は父を送り出すと、部屋に帰つて来て溜息をした)/少年時/秋の愁嘆/朝の歌/追懐/汚れつちまつた悲しみに……/雪が降つてゐる……/骨/春と赤ン坊


≪著者: ≫ 佐々木幹郎 (ささき・みきろう) 1947年奈良県生まれ。詩人。詩集『死者の鞭』(国文社)『蜂蜜採り』(高見順賞)『砂から』(以上、書肆山田)『音みな光り』『悲歌が生まれるまで』(以上、思潮社)、評論・エッセイ『中原中也』(サントリー学芸賞、筑摩書房)『河内望郷歌』『自転車乗りの夢――現代詩の20世紀』(以上、五柳書院)『アジア海道紀行――海は都市である』(読売文学賞)『やわらかく、壊れる――都市の滅び方について』(以上、みすず書房)ほか。2004年11月完結の『新編中原中也全集』(全5巻+別巻1、角川書店)編集委員。








本「『感情教育』 歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)」小倉孝誠5

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『感情教育』歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)
『感情教育』歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)

○著者: 小倉孝誠
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 165ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083108
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このところだいぶ精神状態?!がよくない、というか、イライライライラしてばかりいるような気がしている(と平然と言ってしまうのもどうかと思わなくないのだが)のは、仕事が忙しくないわけでもなく、疲れが抜けないからなのかもしれないなぁ、と思ってみて、果たしてぼくはそう言ってしまうほどに仕事をしているのか?、成果をあげているのか?、と冷静に問うてみると、言うほどに仕事をしているわけでも成果をあげているわけでもないことは明らかで、たしかに休みを予定通りにとれていないかもしれない(でも今日こうして休んでいる)、契約(不動産売買の契約に立会うのがぼくの仕事で、そのために物件調査したり書類作成したりする)の予定が立て込めば、いつも以上に朝早くからあちらこちらへと出向いて対応しなければならないこともあるし、緊張状態がつづいてピリピリすることもあろう。ますます他者との関係を断ちたい心持ちになり、どうでもいいようなことが気になってしかたがなくなってしまう。たとえば、電車のなかでぼくの体にとなりの人の荷物があたることは、混雑した電車内においては仕方がないことなのかもしれないが、それを気にならない人(ぼく以外のフツーの大勢の人びと、そして穏やかなときのぼくというものがあるとするならば、フツーはそこに含まれるハズ?!)がいて、気にならない状況や状態があって(気にする方がオカシイ!?)、そんなことを少なからず認識しながらも、気になって気になって仕方がなくて、他者との関係を断ちたいと意図して読み耽る本であり、耳栓としてのヘッドフォンであり、しかめっ面であり。そんな状態で読み進める著書の内容が、それでなくとも不勉強であるにもかかわらず気もそぞろでは、、、あぁまったくなにをやってることやら、トホホホホ♪
いまさら恋愛?!をするつもりもなければ、その不適格さばかりが明確なものとして認識されているぼくであっても、社会に生きて存在して生活している以上、男であること、オスであることを意識することは少なくない。それは、女性でありメス(と捉えた方がぼくには理解し易い)の存在があってのこと。オスとメスは一緒になりたがる傾向(あくまでも傾向として一般的!?に)があって、かつてはぼくもなんの考えもなく当然のこととしてそうあるべきというか、そうあってフツーだと思っていたのだが、、、、ひとりで暮すようになって、やっぱりさびしいと思うこともないわけじゃない、しかし、そもそもなんで一緒にいる必要があるんだろうか?、とかケッコウ真剣に考えちゃう。たとえば、種の保存というのか生殖(コレとってもタイセツ!)としての子育てを目的とするならば、合目的的であろう。メスが単独で子育てをするには、ヒトの子どもの成長には時間も労力をも要する。オスの協力を必要とすることに納得もいく。しかし、オスとメスでは性差による差異がある以上、違っているから一緒にいる、違うものを求めて一緒にいる、ということなのかもしれないが、それ以上に快楽としての性交があるのであろうか?、求めるものが快楽であるとするならば、その関係は持続は困難であろう、快感は持続しない、より新しいものの方がより高い快感を得られるであろうことは想像に難くない。そして、見られる存在としてのメス(誘惑?!)。見られる存在であるメスは、明確に、見る存在としてのオスを意識しているのであろう。おっと、中途半端に考え途中のことを思わず書き記してしまったが、まだまだ考え中でなにもまとまりを得ていない上に、浅いところ狭いところに止まったままなので、まだぼくのなかに止めておいて表出する気はなかったのだが、まぁ消去するのもなんだから(なんなんだ?!)そのままにしておこう♪


≪目次: ≫
はじめに
小説の時代/フロベールと『感情教育』
第1回 歴史
テクスト――1848年2月の革命の場面

歴史小説と日本人/ヨーロッパの歴史小説/二月革命という事件/歴史をいかに表象するか/戦闘の場面のレトリック/民衆の表象/模倣としての二月革命
第2回 パリ
テクスト――(1) フレデリックがパリをさまよう (2) シャン=ド=マルス競馬場からの帰り道 (3) 物憂げなパリ (4) 夜のパリ

都市は体験する/十九世紀パリと文学/オスマンのパリ/愛と野心の都市/シャン=ゼリゼ大通りの誘惑/パリの倦怠/セーヌ河の風景/彷徨と通過儀礼の物語
第3回 恋愛
テクスト――(1) フレデリックとアルヌー夫人の出会い (2) 別離の場面

愛の物語の現在/愛は普遍的な現象か/教養小説と恋愛のテーマ/不倫の恋はいかに語られてきたか/それは幻のようであった/別離の場面/娼婦と貴婦人と田舎娘
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≪著者: ≫ 小倉孝誠 (おぐら・こうせい) 1956年生まれ。慶應義塾大学教授。専門は近代フランスの文学と文化史。特に身体、病理、ジェンダーなどを手掛かりに、十九世紀の文学、芸術、社会、思想を総合的に読み解いている。また、回想録、自伝、日記など、自己を語るエクリチュールの体系的な研究をめざしている。著書に『19世紀フランス』(人文書院)『歴史と表象』(新曜社)『〈女らしさ〉はどう作られたのか』(法藏館)『推理小説の源流』(淡交社)『『パリの秘密』の社会史』(新曜社)など。


今日も紫陽花♪




本「「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール (理想の教室)」大村敦志5

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「民法0・1・2・3条」〈私〉が生きるルール [理想の教室]
「民法0・1・2・3条」 〈私〉が生きるルール (理想の教室)

○著者: 大村敦志
○出版: みすず書房 (2007/10, 単行本 165ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4622083276
おすすめ度: 5.0
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じつは、同じ“理想の教室シリーズ(みすず書房)”にラインナップされる『「日本国憲法」まっとうに議論するために』(樋口陽一 著、2006)と同時に入手して、どちらを先行して読もうかすこし迷って、なにゆえに“民法”に先行して“憲法”を読もうと思ったのであろうか、記憶がたしかではないのだが、上位のものから順番に従ってということであろうか。いずれも、明治時代に制定されたものであり、開国を迫られ不平等条約を結ばざるをえなかった欧米諸国に倣って(でいいのかなぁ、自信がない)。そのあたりの19世紀後半から20世紀前半までの歴史の出来事であり流れでありの理解を多角的に深めたいとの目論見もあって。
そう、直前に読んだ エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』(日高六郎 訳、東京創元社)にあって説かれていた“自由(Freedom)”であり“個人”であり、、、切り口はまったく異なるように見えて、同じではないけれど、うまく説明できないところで微妙に絡み合っているような気がしている♪


≪目次: ≫
はじめに   「民法」って知っていますか?/道具としての民法・思想としての民法/「0・1・2・3条」から民法を読み解く/三つの補足

第1回 民法典の制定――一九世紀型民法(国民国家の民法)の移植
民法制定までの経緯
機仝彊貍髻宗宗私権」の(抽象的)主体としての「   原一条の文章を読む/書かれていること――「権利能力」の始期/はっきりとは書かれていないこと・その1――「法律上の人」とは何か/はっきりとは書かれていないこと・その2――「法律上の人」でないもの/書かれていない大切なこと/原一条の思想をつかむ/原一条の思想・その1――権利能力平等の原則の意義/人間中心主義/フィクションとしての法人と胎児/原一条の思想・その2――「私権」に関する二つの考え方/法と権利の関係/キーワードとしてのシヴィル civil/civil の両面性/民法における droits civils/条文の書き方・読み方/マンガの読み方――「あしたのジョー」は死んだか?
供仝尭鷯髻Ω胸鮎髻宗宗崢觜饋談院焚班稍后法廚箸靴討痢嵜諭   原二条――「帝国臣民」と外国人との区別/国籍規定との関係/原三条――「健康な成年男子」と「婦女子・聾唖者瘋癲(ふうてん)」の区別/排除された人々・その1――「平民」でない者=「新平民」「旧土人」「朝鮮人」/排除された人々・その2――「納税者」でない者=「小作人」「職工細民」/二〇世紀前半へ――経済面での不平等の緩和

第2回 民法典の改正――二〇世紀型民法(福祉国家の民法)への変貌
戦後改革
機/薫貍鯑鷙犹姐燹宗衆貳名鮃爐砲茲觚⇒の社会化   信義誠実 bonne foi ということ/新一条二項――信義誠実の原則の明文化/法律と判例・学説/校則と比べると…/新一条三項――権利濫用の禁止の明文化/新一条二項の思想――契約自由の原則の制限/新一条三項の思想――所有権絶対の制限/新一条二項による新ルール・その1――契約で定められていない義務の創設/新一条二項による新ルール・その2――解除権の制限/信義則と権利濫用の使い分け/具体的なルールと一般条項/権利濫用の濫用?
供^貍鬟瞭鵑反薫貍魄豺燹宗淑薪の出現と福祉の強調   憲法から民法へ――応急措置法の制定/応急措置法の内容/男女平等のインパクト/憲法第二四条と民法一条ノ二の関係/現在における意味/憲法の領分と民法の領分/一条ノ二と新一条一項の「個人=公共」像/「公共の福祉」とは何か・その1――「生活利益」「競争利益」/「公共の福祉」とは何か・その2――「人間の尊厳」?/発展的な解釈の指針/日常的な法生成の場としての民法/二〇世紀後半へ――困窮者・被害者の社会的救済

第3回 民法典の再改正へ――二一世紀型民法(共和国の民法)模索
第三の法制改革期=大立法時代?/何が行われているのか?/何が残されているのか?/いくつかの先駆的な立法/民法の「憲法化」をめぐって/「改正仮私案」に即して
機‘鷯鬚瞭鸞莪豺狄契澆ら新々二条二項一号へ――人格権の保護   新々二条二項一号/現行民法における人格権/名誉毀損/名誉回復処分と差止め/人格権と財産権/民法に書かれていない問題・その1――プライヴァシーの保護/プライヴァシーの限界/民法に書かれていない問題・その2――人身の尊重/民法に書かれていない問題・その3――自己決定の尊重/「人」のイメージの変化・その1――「私権」の複合性/「人」のイメージの変化・その2――「主体」の複合性
供〇鮎魄豺狄契澆ら新々一条・新々二条二項二号へ――市民であること・人間であること   新々一条「私権=公共」から「市民的権利=公共空間」へ/プライヴァシーの例に即して/「市民的自由」について/「公共空間」の担い手としての「人=市民」/「個人の尊厳」とは?――「個人の尊厳」か「人間の尊厳」か/「個人の・人間としての・尊厳」の意味すること
掘/憩鷯鬚瞭鸞萋鷙狄契澆ら新々三条へ――マイノリティへの着目   新々三条/「男女平等」から「平等原則」へ/「平等」から「差別是正(社会的支援)」へ/二一世紀前半へ――「共和国」の確立と拡大へ

補講――新たな法典論争のために   残された問題/現一条二項三項・現三条二項の行方/民法の体系をどうするか/民法の三大原則とは?/民法改正に必要な手順――「三〇〇日問題」を例に/新たな法典論争と法典調査会を、そして法教育=法学習を

付録1――民法の目次
付録2――民法の主要条文
読書案内


≪著者: ≫ 大村敦志 (おおむら・あつし) 1958年生まれ。東京大学教授。専門は民法。概説書に、『基本民法機銑掘戞◆悗發Δ劼箸弔隆靄槎泳´機Ν供戞◆慍搬暇 戞◆愍暖饉塰 戞憤幣紂⇒斐閣)、『民法総論』(岩波書店)、『他者とともに生きる』(東京大学出版会)、入門書に、『生活民法入門』(東京大学出版会)、『父と娘の法入門』(岩波ジュニア新書)、法学的なエッセイに、『フランスの社交と法』、『生活のための制度を創る』(以上、有斐閣)など。


花粉!?




本「日本国憲法」まっとうに議論するために (理想の教室)」樋口陽一5

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「日本国憲法」まっとうに議論するために (理想の教室)
「日本国憲法」まっとうに議論するために (理想の教室)

○著者: 樋口陽一
○出版: みすず書房 (2006/7, 単行本 177ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN-13: 978-4622083221
おすすめ度: 4.5
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「あぁ歳とっちゃったなぁ〜」と思ったのは、会社の若い(といっても30歳前後の中堅どころの)スタッフたちが、会社のやり方(経営方針?!)にたいする不平不満をあげて、なにやらあ〜したほうがいいだのこ〜したほうがいいだのと内輪で画策しているのを目にして耳にして、、、ぼくは知らんぷりを装って、もっともすでに革命的などと言ってみたら大袈裟にすぎるかもしれないけれど「現状を打破して改革せよ!」みたいなノリにはいまとなっては興味も関心もまったくないのであって、やりたけりゃ好きにやりたいように気が済むまでやってみればいい、ご自由にどうぞ♪、(なるようにしかならないのだから!?)が、ぼくのスタンスかなぁ。ところがそんな冷めた態度のぼくだって、かつて(能力であり権限でありを自覚しちゃうことになる前まで)は黙っていられなかったし、ずいぶんと闘った。だから気持ちがわからないわけではない。むしろ、よくわかるだけに、やるな、とも、やめろ、とも、無駄だ、とも言う気はない。闘う気力があるうちには、ぜひとも闘いを挑むべきだと思う。

橋本治『二十世紀(上・下)』(ちくま文庫、2004)にあって1900年代を幅広く読み解かれて、それまでぼくが漠然といだいていた1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を神聖化しちゃって畏れ多く近づきがたい印象であり解釈をもって忌避しちゃっていた部分を、ほぐしていきたいと思ったのかどうなのか?!、テクストとしての『日本国憲法』、1947年5月3日施行。


≪目次: ≫
はじめに
迷路へのチャレンジ/言葉の重み/全体としての国民と、ひとりひとりの国民個人/「Nation」とは?/国民国家か民族国家か/統合型と多元型
第1回 「憲法」とは ―― 四つの八九年
憲法を「確定」するということ/「憲法」を制定するということ/「人類普遍の原理」/日本近代のはじまりと立憲主義/帝国憲法のあゆみ――光と影/四つの八九年/憲法に「自国らしさ」を?/誰にとっての「おしつけ」?/外来のものが定着した例/二つの『敗戦日記』から/「最高法規」としての憲法/憲法「制定」権力と憲法「改正」/「憲法改正の限界」/憲法を「尊重し擁護する」義務/「自由の敵には自由をみとめない」?
第2回 「人」としての権利(1)―― 個であることの「淋しさ」に耐える
「個人として尊重される」/「人」権の含意/主権――個人の解釈と個人への抑圧/「恩賜的」民権と「恢復的」民権/「人」権に対する疑問と難論/「強い個人」という想定/「私の個人主義」の「淋しい心持」/「因襲を破る」危険な自由/「権力」vs「自己本位」/「金力」vs「自己本位」/国家からの自由と社会的権力からの自由/信教の自由vs政教分離/「みんなで決めてはいけないことがある」/「自分でも決めてはいけないことがある」?/「家」の旧秩序を否定/「自己本位」と家族の間の緊張?/「ジェンダー」とジャンル
第3回 「人」としての権利(2)―― 自由と・または公正
「公共の福祉」が出てくる条文/「プロパティ」の意味/「社会的権利」の登場/「胸の肉一ポンド」は?/独占禁止法の論理は/独占の自由か独占からの自由か/「真理と虚偽を組打ちさせよ」/言論市場の閉塞?/「等しきものを等しく」/条件の等しさを求めて
第4回 「市民」としての権利 ―― 公共社会を自分たちがつくる
「市民」の権利――主権に参加すること/権力の分立/権力の集中を前提とした分立/権力分立論者ルソー/権力分立機構と国民とのつながり/「代表」――個別利益の代弁を禁止/「半代表」という考え方/政党の位置づけ/議会政治and/or政党政治/責任内閣へのあゆみ/「国会」に対する責任/二院制には今日なお意味がある/「責任」とは/裁判する権力――二つの見方/日本は――アメリカ型でもヨーロッパ型でもなく?/裁判官の「職権」の独立/「裁判官」の職権の独立/「判例」というもの/裁判官を hire し fire する?/違憲審査という問題性/「ただ乗り」と「わる乗り」?
第5回 第九条 ――「汝、平和を欲すれば…」
主権国家と国際法/国家の主権の相対比/憲法九条の背景にあるのもの/第二項の意義/九条改憲?
おわりに
日本人のDNA?/Land と Nation と State/「かたち」の中身を埋めるのは/「近代の超克」?/自己への疑いをつきぬけて

資料:日本国憲法 [全文] (一九四七年五月三日施行)
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≪著者: ≫ 樋口陽一 (ひぐち・よういち) 1934年、仙台市生まれ。憲法研究者。東北大学法学部卒業。東北大学教授、パリ第二大学客員教授、東京大学教授などを歴任。現在、日本学士院会員、フランス学士院準会員。著書として、専門書 :『憲法』(創文社)、『憲法 近代知の復権へ』(東京大学出版会)、入門書 :『一語の辞典/人権』(三省堂)、『もういちど憲法を読む』(岩波書店)、新書 :『憲法と国家』(岩波書店)、『個人と国家』(集英社)、ブックレット :『先人たちの「憲法」観』(岩波書店)ほか。


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ここで世界の流れを大きくふりかえってみますと、立憲的意味の憲法は、曲折を経ながらも、たしかに、大づかみにいえば、「人類普遍」に向けてあゆんで来ています。私はそれを、「四つの八九年」という言い方で表現しています。
まずはイギリスで一七世紀の内戦と革命の決着としての一六八九年「権利章典」があり、ついでフランス革命一七八九年人権宣言があります。一八八九年はほかならぬ大日本帝国憲法であり、立憲主義が展開してきた西欧文化圏の外側からの参入をこころみ、一九三〇年代後半の世界規模の危機の中で破局を経験しながらも、日本国憲法によってあらためて「人類普遍の原理」を掲げることになりました。そして一九八九年です。立憲的意味の憲法の核心にある権力制限の原理に対し、「権力の民主的集中」を掲げて対抗してきた旧ソ連・東欧諸国での一党支配の解体です。  (P.29、「四つの八九年」)


本「ビートルズとは何だったのか (理想の教室)」佐藤良明5

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ビートルズとは何だったのか (理想の教室)
ビートルズとは何だったのか (理想の教室)

○著者: 佐藤良明
○出版: みすず書房 (2006/2, 単行本 158ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083139
おすすめ度: 4.0
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life is very short……
いろいろとビートルズ(The Beatles)にまつわる展開を考えて、ぼくのなかではビートルズのあの曲この曲とフレーズが頭のなかを飛び交っていて、ときどきは口をついてしまうくらいなんだけど、あのとき20歳を少しすぎたばかりの頃に交際していた彼女と、、、とか少なからぬ影響を受けていて、まぁ、1970年生まれのぼくにはリアルタイムではなかったのであるが。
で、ごく最近のことではなく、かといってず〜っと以前のことでもなく、ここ1〜2年くらい前のことだと記憶しているのだが、場所を特定しちゃった方が語り易いのでさらさらっと言っちゃうと、京王線府中駅近くの「くるる」の2階、駅の連絡通路からそのままビルに入ってすぐの右側に、コムサの雑貨の物販店があって、フツーに通り過ぎようとしたぼくの耳について離れなかったワンフレーズ「life is very short……」。曲はいつでもすぐに出てくるし、その前後を口ずさむこともできるんだけど、曲名は出てこない。ちょっと頑張って調べればわかるんだろうけれど、ぼくにはその努力を惜しいと感じてしまうから調べることをしないのだけど、曲名がわかったところで、もしくはわからなかったところで、ぼくが語りたいことの内容の大勢に影響はない(たいしたことを語ることはないのだ)。おっと、コムサのお店は(多分ぼくが知っている限りでは)日常的にビートルズの楽曲を流していることも書き足しておこう。
そう、「life is very short」とは、「人生はとっても短い」と邦訳していいのかなぁ(自信がない)。まぁ、そのフレーズを耳にしたときに、なににヒットして反応したのか今ではまったく記憶にないのだが、今のぼくの興味としては「ストア派」かなぁ、セネカ『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、ワイド版岩波文庫、1991)かなぁ。もっともキッカケは“中島義道(1946- )”なんだけどね。

そして、本書において展開される、ビートルズを通しての音楽文化論はもちろんとして、1950年代から60年代にかけての時代背景というのか「近代」から「現代」への変化というのか、それ以前の歴史を絡めた文化論ね。このあたりの「近代」とやらは、“橋本治 (1948- )”に学ぶところが多い気がしている、などと考えていたら、本書の巻末の読書案内にあげられている著作のひとつを前日にちょうど図書館で借りたところだったりしてみたりして♪

ビートルズの時代には、アイドルとともに歴史が動くということがあった、そこがポイントです。(中略)「歴史が動く」というのは、つまり人間社会が変化し、人々の心もそれに合わせて変わるということです。  (P.24)

・・・アメリカという国は、特殊な成り立ちをしています。ヨーロッパの「アバズレ者」が海を渡って作った。宗派が違って差別されたキリスト教徒。一攫千金を狙ってやってきた商人。南部では大農園ができて、その労働力として、アフリカ人が奴隷として連れてこられました。
貴族階級が音楽家を雇い入れて晩餐会や舞踏会を開いたりする文化はアメリカにはなかったし、ブルジョワ階級が清掃してコンサートホールにきて、背筋を伸ばしてシーンとしたまま「芸術的」な音楽に耳をかたむけるという文化もなかなか育ちませんでした。しかも、アメリカの「建国者」である清教徒たちは、歌や踊りを嫌いました。今から思うとウソみたいですが、アメリカには長いこと、世俗的な踊りや演劇を罪深い行いと考える伝統が生きていたんです。  (P.41)

産業革命が、ブルジョワ階級と農民/労働者階級の差を押し広げたことはお話ししました。実は経済格差だけでなく文化の違いも拡げました。その違いを、『タイタニック』のこのシーンは、鮮明に表現しています。上の階のディナー・ルームでは正装した室内楽の楽士が《ウィンナー・ワルツ》をはじめとする優雅な音楽を奏で、下の階では、ただ騒がしいだけみたいな音楽が鳴って、さまざまな国籍の人たちが足を踏みならしている。上の階にいるのは、民族的には英国・米国を支配してきたアングロ=サクソン人でしょう。下の階のミュージシャンはサウンドからするとアイルランドのケルト人です。
実際、アメリカには、アイルランドの貧民が大挙してわたっています。ドイツからもポーランドからも北欧からも、時代が下ればイタリア、東欧、中国……。日本を含む世界中の人びとが豊かな大地での暮らしを夢見てアメリカ合衆国にわたりました。ただアメリカは英語の国だということもあって、最終的に生き残っていくのは、イングランドスコットランドアイルランドの系譜のうたです。(中略)
もう一つ、アメリカの民族のうたを考えるときに重要なのが、西アフリカから黒人が持ち込んだ音楽です。バンジョーという楽器はアフリカが起源です。・・・  (P.70-P.71)

東西最高権力者を結ぶホットライン、人種隔離への挑戦、そしてもう一つ、この時代を象徴する出来事に通信衛星の打ち上げがあります。
地上から送られた電波を受け止め、増幅し、地上に向けて再発信する「能動型」通信衛星の第一号が、一九六二年七月、米フロリダ州ケープ・カナベラルの宇宙基地から打ち上げられました。名前はテルスター。通信・電話の tel と星の star を組み合わせて作った名前です。テルスターは、地上から電波を「アップリンク」し、それを大西洋の向こう側に「ダウンリンク」することができました。  (P.112-P.113)

「われつながる、ゆえに至福あり」  (P.123)



≪目次: ≫
はじめに
第1回 世界史の中のビートルズ
世代間ギャップの時代のヒーロー/ビートルズの生い立ち/ビートルズ現象/歴史を動かすポップ・ヒーロー/子供が大人より強いということ/ロックンロール誕生/"違う人たち"の流行音楽/階級と「うた心」/故郷の人々、うたの故郷/〈近代〉という時代/革命のヒーロー/新しい世界システム/最大多数の最大快楽/六〇年代を生きる感覚
第2回 ビートルズの音楽革命
「ドレミの歌」と「ドレミじゃない歌」/うたのルーツへゲット・バック/学校音楽と黒人/うたにも衣装/異種のうたを接合する/うたの化学反応/いにしえへのイニシエーション/ノリの歴史を遠望する
第3回 オール・トゥゲザー・ナウ!
ビートルズと国際情勢/ミシシッピー州の出来事/衛星がもたらす光/つながる幸福/映画的 対 テレビ的/あらゆる差別を崩していく/ロックによる天下統一/ポップ=アヴァンギャルド/"For no one"for every one /つながることの意味が変わった
もっと知りたい人のために


≪著者: ≫ 佐藤良明 (さとう・よしあき) 1950年生まれ。東京大学教養学部教授(2007年早期退職)。専門はアメリカ文学、ポピュラー音楽文化論、メディア文化論。現代アメリカの文学・文化・音楽を起点にした研究・評論を行う一方、大学の英語の授業改革に取り組んできた。著書に『ラバーソウルの弾みかた――ビートルズと60年代文化のゆくえ』(平凡社ライブラリー)、『J-POP進化論』(平凡社新書)、『これが東大の授業ですか。』(研究社)など。訳書にジョン・レノン『らりるれレノン』(筑摩書房)、トマス・ピンチョン『ヴァインランド』(新潮社)、グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』『精神と自然』(以上、新思索社)ほか。


日本電波塔




本「ラブレーで元気になる (理想の教室)」荻野アンナ5

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ラブレーで元気になる (理想の教室)
ラブレーで元気になる (理想の教室)

○著者: 荻野アンナ
○出版: みすず書房 (2005/12, 単行本 168ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083146
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突然ですが一五三二年のこと。ラブレーは50歳近いおじさんで、当時の国際都市リヨンでお医者をやっていた。この年、巨人伝説を基にした『ガルガンチュア大年代記』が出版されて、一応ウケたらしいのだが、内容も本自体も薄っぺら、巨体ネタだけの単純なものだった。俺ならもっと面白く書いてやる、とラブレーさんが思ったかどうか、定かではないが、専門書しか出したことのないインテリが、突然マンガチックなオハナシに手を染めた。  (P.9)

思想や宗教はしょせん人間の作り物だから、変遷があり消滅もする。今の民主主義と同じ位置を、当然のごとく帝国主義が占めていたわけだし、ヨーロッパで中世までさかのぼれば、現在のEUとほぼ重なる部分が、ひとつのキリスト教文化圏を形成していた。
民衆の話す言葉は国により異なるが、インテリの場合、ラテン語という共通語があり、同じ文化基盤の上に立っていた。(中略)
言葉と思想の、共通の基盤がガタつくのが16世紀。言葉の問題は後まわしにして、まずは思想だが、先ほども言ったように、カトリック(旧教)の腐敗が改革を、改革がプロテスタント(新教)を生んだ。(中略)
・・・プロテスタントが歴史の中に資本主義を呼んで来た。それまでのカトリック教会は、互助精神で、貸し借りは認めるが、無利子という条件がついていた。同じキリスト教徒から利子を取るなんて、とんでもない。だから高利貸しは、非キリスト教徒のユダヤ人に限られており、後のロスチャイルド家など、大銀行は家もほとんどがユダヤ系となる。  (P.41-P.42)

・・・ラブレーの時代は資本主義の萌芽期で、テクノロジーも大いに進化した。
ルネサンスの三大発明って、(中略)新大陸の発見に寄与したのが羅針盤。他に大砲と印刷術で、三大発明だよ。  (P.48)


フランソワ・ラブレー(François Rabelais, 1483-1553)


≪目次: ≫
第1回 よっぱらい
前置き、あるいは『ガルガンチュア』早わかり/へべれけトーク/ラブレーの時代/ラブレーの場合
第2回 うんこ
ガルガン誕生/お子ちゃま/ふきふきトーク/ウンチング・ワールド
第3回 あそび
コンラン先生、大コンラン/小原ガルガン庄助/あそBE/アホバカ

読書案内
『第一之書 ガルガンチュワ物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第二之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第三之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第四之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『第五之書 パンタグリュエル物語』渡辺一夫訳、ワイド版岩波文庫、一九九一年
『ガルガンチュアとパンタグリュエル1 ガルガンチュア』宮下志朗訳、ちくま文庫、二〇〇五年
ミハイール・バフチーン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』川端香男里訳、せりか書房、一九七三年
マドレーヌ・ラザール『ラブレーとルネサンス』篠田勝英・宮下志朗訳、白水社(文庫クセジュ)、一九八一年
リュシアン・フェーヴル『ラブレーの宗教――16世紀における不信仰の問題』高橋薫訳、法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇三年
宮下志朗『ラブレー周遊記』東京大学出版会、一九九七年
荻野アンナ『ラブレー出帆』岩波書店、一九九四年
『渡辺一夫ラブレー抄』二宮敬編、筑摩叢書、一九八九年
宮下志朗『本の都市リヨン』晶文社、一九八九年


≪著者: ≫ 荻野アンナ (おぎの・あんな) 1956年横浜市生まれ。作家。慶應義塾大学文学部教授。1991年『背負い水』で芥川賞、2002年『ホラ吹きアンリの冒険』で讀賣文学賞を受賞(以上、文藝春秋)。著書に『ラブレー出帆』『けなげ』(以上、岩波書店)ほか。現在、金原亭馬生師匠の弟子として「駒ん奈」を名乗る二つ目である。


カマキリ




本「『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待 (理想の教室)」岡田温司5

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『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待 (理想の教室)
『ヴィーナスの誕生』視覚文化への招待 (理想の教室)

○著者: 岡田温司
○出版: みすず書房 (2006/4, 単行本 164ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083184
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「新しい中学生活はどうだい?、どうって訊かれても困るかもしれないけれど、どうってこともないのかもしれないけれど」。
テレビや新聞や雑誌をまったく見ないぼくにも、インターネットのニュースの見出しに、「新入生が自殺」のような文字を見ると平静ではいられなくなるんだ。心配したところでどうにかなるものでもないのかもしれないんだけれどもね。
そういえば、小学校の入学式の翌日に、パパ(ぼく)が通勤途中に家の近くの交差点で小雨の降る日に自転車に乗ってて信号無視の車にはねられてケガをしたことがあったね。さいわいにも、救急車で運ばれたけれど入院することもなく、一日会社を休んだだけで次の日からは包帯ぐるぐる巻きのまま会社に行ける程度のケガ(打撲と擦過傷)だったけど、あれ以来は事故なく6年が過ぎたんだね。あのとき、パパがけがしてよかった、と言ったら可笑しいかもしれないけれども、あなたに身になにかがあったらタイヘンなことだけど、身代わりというほどに大げさなものでもないけれど、パパが引き受けた(?!)ような部分があったとしたならば、そりゃぁ本望だ。これからもときどき思い出して(あの交差点は日常的に通るところだからね)、気をつけよう!、なぁ〜んてことも、ホントは顔を見て話がしたいよ。わかっているよ、なんどもなんどもうるさいなぁ、まったく〜、って顔をされても、プイと横を向かれても、大きなお世話だろうがなんだろうが、言わずにはいられないんだ、心配なんだよ。でも、あんまり心配ばかりして、世話を焼きすぎたり、干渉しすぎちゃいけないかもね。そもそもパパはあなたの傍に居てなにかをしてあげることができない。ところが、これまた可笑しなもので、あなたの小学校の先生が客観的に評価する成績表に皮肉にも顕れていたことがあったね。いつもパパは、国語・算数・理化・社会などの科目のなかの項目としての一番目にあげられる「進んで学習に取り組む」の評価を重視している、ということを話したよね。そんな話をしたのは、気にして成績表を見るようになったころ「進んで学習に取り組む」の評価が高くなかったからだろうね(記憶が定かではない)。ところが、6年生の最後には、「進んで学習に取り組む」に高い評価がズラリと並んで全体的にも優秀で、あなたもとっても喜んでいたけど、パパもすご〜く嬉しかったよ。ホントはちょっと複雑な気持ちも交じっていたりするんだけどね。ヘンな話、パパが傍に居なくて、干渉する人が居なくなって、干渉されない分だけ(?!)自分でなんとかしなくちゃ!、と思ったのかどうなのかはわからないけれど、これでもパパは自分自身への反省を含めて、あえて意識して干渉しないようにしているんだ、って話しもしたよね、そのことが吉と出た?!のかもね、って話もしたね。そう、パパのお父さんとお母さんは、なんでもしてくれちゃう人たちで、それだけが原因じゃないんだろうけれども、パパの本質的なところの問題なんだろうけれども、パパにはひとりでできないことが少なくないんだ。もしもパパにいろんな力があって、その責任を引き受けることができるのならば(パパのお父さんやお母さんのようにね)、パパは無制限に干渉することを厭わないかもしれないよ、その善悪を問わずにね。しかし残念ながらパパにはその能力がない。自分が生きていくだけで、哀しいほどに精一杯で、恥ずかしいことに(ホントに情けないことなんだけど仕方がない)、もっとも近しい家族にさえも、なにもしてあげることができない。なにをもしてあげることができないことを前提にして考えたときに、じゃぁ果たしてぼくはなんのために存在しているんだろう?、とかって考えちゃうんだけれども、居ない方がいいんじゃないか?、とも考えなくもないんだけれどね。このことはいろいろもっとちゃんと考えなくちゃいけないことだから、考えてから行動しなくちゃいけないことだから、場を改めて書き記したいと思う。簡単に答えやら結論のようなものが出せちゃうような簡単なものでもないし、軽く流しちゃうことをしたくないんだ。とりあえずは、それでもやっぱりぼくだって生きたい!、ということで話を進めることにするよ。そう、なんにもしてあげることができないぼくの話だったね。なんにもしてあげることができないぼくが、父親を称するのも可笑しな話なんだけど、それでも父親としてすべきこととして考えたときに、逆説的ではあるんだけれど、ひとりで生きる力を身につけるように仕向ける、かなぁと考えている。具体的になにかをするのではなく、あえてなにもしない。ぼくにとっては、積極的になにもしないことが、じつはいちばんタイヘンなことで、ぼく自身が気になることだけを中途半端に無責任に手出し口出しすることを無意識のうちにやってしまっていたりする。ぼく自身が気になるからという理由で、あなたの成長の芽(失敗することだって成長のために必要とされる欠かせないタイセツなことだからね)を摘んでしまうことがあってはならない、とも。ぼく自身があなたにたいして最後まで責任を取れるなら、その能力があるのならともかくとして、ぼくにはその能力がないんだから、やっぱりぼくの行為はますます中途半端にならざるをえなくって、その結果はどうあっても無責任にもなっちゃうんだろうとも思うんだ。
入学式の何日か後(携帯電話の着歴の記録は、4/9 21:22)に電話してくれて、母親からピアノの練習をしないことやらなにやらを咎められて(4月のグレードを練習不足から6月に延期することになって)、どのような経緯でなのか「パパと暮らしなさいとママに言われた」ということに始まっていろいろと少し長いこと話をしたね。ぼくと一緒に暮らすことについては、現実的な問題はともかくとしても、居場所があることって結構大きななことで、居場所がないことの不安って小さくないと思っているから、そんなことも頭にあって、「いいんじゃない、いいよ。それでもよくママと話し合って、問題は誰と暮らすかじゃなくって、やるべきこと、やらなきゃいけないことを、一所懸命やってないってことなんじゃないかなぁ」とか、偉そうなことを言えた義理じゃないけど、少しは長く生きて、同じようなことでつまづいて悩んで、それでも答えのようなものがわかっているわけじゃないんだけれど、「みんな同じようにそうやって、そんなことやらを経験しているんだよ、大丈夫、大丈夫、大丈夫だよ」って、なにが大丈夫なのかよくわからないけれど、ほとんど自分自身に言い聞かせるように話をしたね。

一時期、このブログを始めてからのことだけど、絵画に興味をもって何度か美術館に足を運んで(疎遠になって久しい)、そのなかのひとつに国立西洋美術館で昨年春(2008年3月4日〜5月18日)に開催されていた企画展『ウルビーノのヴィーナス 〜古代からルネサンス、美の女神の系譜』があって、当時まだ小学生だった娘と一緒に鑑賞したっけ。


≪目次: ≫
はじめに
ルネサンスの「誕生」としての《ヴィーナスの誕生》/オリエンテーション1/オリエンテーション2/オリエンテーション3
第1回 絵を見る
作品の観察と記述 その1/作品の観察と記述 その2/パノフスキーによる「解釈の三段階」/神話のシナリオと絵画のシナリオ/図像の源泉――古代との関係/生きつづける異教世界/注文主をめぐって
第2回 絵を読む 
》/新プラトン主義に基づく解釈とその問題点/「祝婚画」/ボッティチェッリメディチ家
第3回 絵を楽しむ 
ヴァールブルクブルクハルトの遺産/イル・マニーフィコ時代のフィレンツェの祝祭とボッティチェッリ/ジョストラとその旗絵/フィレンツェの「ニュンフ」とシモネッタ夫人/さまざまなるヴィーナスたち
おわりに
読書案内


≪著者: ≫ 岡田温司 (おかだ・あつし) 1954年生まれ。京都大学大学院教授。専門は西洋美術史。著書に『もうひとつのルネサンス』『ルネサンスの美人論』『モランディとその時代』(以上、人文書院)、『ミメーシスを超えて』(勁草書房)、『マグダラのマリア』(中公新書)、『芸術と生政治』(平凡社)など。編著に『カラヴァッジョ鑑』(人文書院)ほか。訳書にG・アガンベン『スタンツェ』(ありな書房)、J・クレーリー『知覚の宙吊り』(監訳、平凡社)など多数。


Magnolia





2009.04.19 追記
ボッティチェッリによって先鞭が付けられ、ジョルジョーネによって大きな一歩が画された女神は、十六世紀の前半、ティツィアーノの並外れた絵筆によって、大輪の花を咲かせることになります。(中略)
わたしたちの女神の艶かしさがひとつの頂点に達するのは、同じくティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》(一五三八年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)を措いてほかにないでしょう。・・・  (P.150-P.152)

本「『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)」川端康雄5

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『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)
『動物農場』ことば・政治・歌 (理想の教室)

○著者: 川端康雄
○出版: みすず書房 (2005/6, 単行本 166ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083122
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ときどき意識はぼ〜っとしながら、そんなときでも本は読み進められてしまうわけで、んんんん??!、どういう意味だ、なに言ってんだ、なにが言いたいんだ、よくわからんなぁ、でも先を急いでしまうことも少なくない。とくにはじめてのコトは、まぁとりあえず読んでみようかなぁ、で理解をあまり優先しなかったりもする。一冊ですべてを理解することは不可能であろうことから、必要があれば同じ著者の他の著作をさらに読み進めるだけのこと。正直、ぼくは小説や物語を基本的には得意としない(登場人物を覚えられない、複雑なトリックを見破れない)ので、テクストとして。。。

動物農場』ならおもしろい。『動物農場』は物語だ。原題は Animal Farm という。ジョージ・オーウェルというイギリスの作家が書いた。出たのは一九四五年の八月。ちょうど大きなひどい戦争が終わったときだ。  (P.52)
・・・この物語のウクライナ語版の序文で本人が語っているところによると、これを書いた直接の動機は、「だれでもかんたんに理解できて、外国語にもかんたんに翻訳できるような物語によって、ソヴィエト神話の正体をあばこう」とすることだったという。(中略)オーウェルは政治的な目的をはっきりともってこれを書いたということだ。  (P.53)
オーウェルが生きた時代は二十世紀前半だ。少年時代に第一次世界大戦(一九一四−一八年)があり、それからおよそ二十年後には第二次世界大戦(一九三九−四五年)があった。ふたつの大戦の間も平和とはいえず、ファシズムが台頭し、スペイン内戦(一九三六−三九年)があり、ロシア革命後のソヴィエト国家の全体主義化(これが『動物農場』にじかにかかわってくるのだが)があった。(中略)一九三六年以降(これはスペイン内戦がはじまった年)は、自分が本気になって書いた作品は「どの一行をとっても、直接あるいは間接に、全体主義に反対し、私の理解する民主主義的社会のために書いた」とはっきり述べている。  (P.54-P.55)



≪目次: ≫
テクスト――オーウェル動物農場――おとぎばなし』
第一〜三章、第十章(抄)
第1回 「悪い時代」の作家
はじめに/のどを撃ち抜かれて/『カタロニア讃歌』の冗談/全体主義(totalitarianism)の時代/父の仕事/学校体験/植民地インドへ――「絞首刑」と「象を撃つ」/作家になる/「ソヴィエト神話」ってなに?/「粛正」という名のテロ
第2回 おとぎばなしの文法
四本足はいい、では二本足は?/『動物農場』のあらすじ/なぜ「おとぎばなし」なのだろう/「文字どおり」に読むならば/「反ソ・反共作家」というレッテル/隠喩とアレゴリー/ブタはきたない?/癒し系のブタ/ブタのすがたかたち
第3回 ことばのディストピア
ブタばなしのつづき/ディストピアのかたち/政治とことば/〈七戒〉の改竄/大げさなことばづかい/読み書き能力と権力/羊をめぐる冗談/歌いつづける動物たち
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≪著者: ≫ 川端康雄 (かわばた・やすお) 一九五五年生まれ。日本女子大学教授。専門はイギリス文学・イギリス文化研究。ウィリアム・モリスオーウェルの二人の仕事を読み直す作業をとおして、現代の社会、文化、芸術をめぐるさまざまな問題をかんがえている。サッカーが好き。著書『オーウェルのマザー・グース』(平凡社)『絵本が語りかけるもの』(共著、松柏社)、訳書モリス『ユートピアだより』(晶文社)ほか。


紅バージョン




本【第2読】「サルトル『むかつき』二ートという冒険 (理想の教室)」合田正人5

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サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)
サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)

○著者: 合田正人
○出版: みすず書房 (2006/8,単行本 144ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083207
おすすめ度: 3.5
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そう、ちょっと前に、サルトル『嘔吐 La Nausée』を読んだんだけどね、じつは、その入口としての重要なポジションを占めるテクストとしての本書『サルトル『むかつき』二ートという冒険』があって(今回が第2読)、ところが、あろうことか同じ「みすず書房 理想の教室シリーズ」にライナップされる、野崎歓による『カミュ『よそもの』きみの友だち』と混同しちゃっていて、あれ、太陽は?、殺しちゃわないんだったっけ??、よそもの?、むかつき?、、、ってな具合で、最後まで混同状態からスッキリと抜けだすことができなかった。そんな状態のままに読了して、それを読了としてしまうことに疑問を呈さないわけではないんだけど、まぁ、完全な理解など、どうあっても求められないであろう(ぼくの能力の問題であり、著者と訳者とぼくとは他人だから?!)ことを考えるに、それを一応の読了として次の著書に進む、という選択を採用している。迷いがないことはない、その都度その都度何度も何度も同じようなことを同じように迷いながら、だから同じ選択がつねに同じように採用されるとは限らないけれども、かつてと同じ選択が採用されないことをも想定に入れながら、簡単に結論めいたことに落ち着いちゃうことをもっとも避けたい、かなぁ、願望みたいなものかもね、ぼくにはそれができている自信がないからこそ。
そして、著者“合田正人”をすこし読み進めてみたい考えもあるかなぁ。
というわけでかどうなのか、とりあえず混同を解きほぐすことを主な目的として、休日の朝の混雑していない、都心の会社へ向かう通勤電車のなかで再読したよ。少なからぬ混同の状態も悪くないのかもしれない、との印象をもいだきつつ。。。


≪著者: ≫ 合田正人 (ごうだ・まさと) 一九五七年生まれ。明治大学教授。専門は十九・二十世紀のフランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。「生理学」「心理学」「精神分析」「社会学」など十九世紀を通じて醸成された人間科学の諸相を分析し、そこに孕まれた諸問題の現代性を考察している。加えて十七世紀以降のユダヤ人問題とも取り組んでいる。著書『レヴィナス――存在の革命に向けて』(ちくま学芸文庫)、『レヴィナスを読む――〈異常な日常〉の思想』(NHKブックス)、『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』(みすず書房)ほか。
第1読『サルトル『むかつき』二ートという冒険』


Larus




本「ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス (理想の教室)」平野嘉彦5

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ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス (理想の教室)
ホフマンと乱歩 人形と光学器械のエロス (理想の教室)

○著者: 平野嘉彦
○出版: みすず書房 (2007/2, 単行本 132ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083252
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一八世紀から一九世紀にかけて生きたドイツの作家E.T.A.ホフマンの中篇小説『砂男』(一八一六)と、江戸川乱歩の短篇小説『押絵と旅する男』(一九二九)には、すぐにそれとわかる共通点があります。すなわち、双方ともに人形と光学器械という、それ自体はいずれも無機的な物象が重要な小道具としてもちいられているにもかかわらず、それとは背馳するかにみえる、一見して純愛が、すなわち人形にたいする倒錯的、偏執的なエロスが、その主題をなしているのです。  (P.5、はじめに)



≪目次: ≫
はじめに
E.T.A.ホフマン砂男』/江戸川乱歩押絵と旅する男
第1回 E.T.A.ホフマン砂男
あやしい行商人/晴雨計「眼」の系列について/差異化の障害/読者を不安にする形式/三通の手紙/あてにならない語り手/芸術原理としての望遠鏡/市民社会の観相学/〈近代〉へさしむけられる望遠鏡/そして、ひとつの結末
第2回 江戸川乱歩押絵と旅する男
ふたたび狂気と「レンズ仕掛け」との観念連合について/「覗きからくり」/二様の「覗き」/「遠目がね」を「さかさ」に覗く所作/「十二階」からの視線/黒ビロードの洋服/日本の〈近代〉の「苦悶の相」/無視される「パノラマ館」/蜃気楼のシーニュ/映画の比喩、比喩としての映画/「着色映画の夢」とは
第3回 照合・比較・敷衍
フロイトの定言命題「コッポラはコッペリウスである」/フロイトの矛盾/ふたたび「眼」の系列について/フロイトの解釈/フロイトにたいする第一の疑問/フロイトにたいする第二の疑問/いまひとつの「隠喩的連関」/『押絵を旅する男』における〈父親〉/ナターナエルの悪しき〈父親〉たちの素性/類似性/差異性/影響関係
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≪著者: ≫ 平野嘉彦 (ひらの・よしひこ) 一九四四年生まれ。京都大学大学院修士課程修了。東京大学大学院教授。専門はドイツ文学。著書に『プラハの世紀末――カフカと言葉のアルチザンたち』(岩波書店、1993)、『カフカ――身体のトポス』(講談社、1996)、『獣たちの伝説――東欧のドイツ語文学地図』(みすず書房、2001年)、『ツェラーンもしくは狂気のフローラ――抒情詩のアレゴレーゼ』(未來社)、『マゾッホという思想』(青土社)ほか。訳書にアドルノ『アルバン・ベルク――極微なる移行の巨匠』(法政大学出版局、1983)ほか。


さくら




本「『カンディード』〈戦争〉を前にした青年 (理想の教室)」水林章5

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『カンディード』〈戦争〉を前にした青年 (理想の教室)
『カンディード』〈戦争〉を前にした青年 (理想の教室)

○著者: 水林章
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 164ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083085
おすすめ度:4.5
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・・・テクストがどのように書かれているのか、その仕組みや構造を明るみにしながら、そこに仕組まれている意味を生み出すメカニズムないし構造を記述し、テクストを理解・説明しようというのです。それがここでいう「じっくり読む」、あるいは「解釈」という行為です。
「解釈する」にあたるフランス語の動詞は interpréter ですね。ところが、フランス語でも英語でも「解釈する」を表すこの動詞は、「演奏する」という意味にもなります。ということは、わたしたちがあるテクストを「解釈する」という行為は、音楽家が楽曲を「演奏する」という行為にたとえることができるということです。これはちょっと面白いですね。音楽の演奏家は、ある作品を演奏するにあたって、まずひとつひとつの音符を読みとってゆく譜読みという作業に多くの時間を割きますが、わたしたちがここで行おうとするのも、この譜読みに似た作業です。
音楽の「演奏」に訓練や練習が必要であることはだれもが認めるでしょう。しかし。テクストの「解釈」となると、言葉はだれでも話せるのだから、だれだったできるはずだと思っていないでしょうか。実は、テクストの「解釈」にも訓練や練習が必要なのだと、わたしは思うのです。この授業はいわばピアノのレッスンみたいなテクストの解釈のレッスンです。
テクストは意味を生み出します。そしてその意味は往々にして、あえて問う必要がないほどの自明のもののように見えます。このとき、わたしたちは生産された意味が浮き上がって見えるのに気を奪われて、生産する装置としてのテクストを忘れてしまいがちです。テクストがいわば不可視の対象になり、不問のまま取り残されるのです。ですからここでは、そういうことがないように、テクストの不透明な物質性、音楽でいえば、楽譜の上の音符のつらなりにあたるものに十分な注意を払うように努めたいと思います。  (P.17-P.18、「第1回 「きれいな戦争?」」)

・・・以上の考察から、もしも、ヨーロッパ「近代」が本格的に始動しようとしていた十八世紀中葉に出現した『カンディード』をあえてひとことで性格づけるという暴挙が許されるならば、私は次のように言ってみたい気がします。『カンディード』とは、あるひとつの世界秩序のなかに置かれている人間の意識の、当の世界秩序を正当化し存立せしめている言語的な体制に対する無自覚な服従からの自由を描くことによって、まさに世界秩序の転換=近代世界の誕生を告知する作品である、と。  (P.124、「第3回 間近から見る戦場」)

ヴォルテール(Voltaire, 1694-1778)


≪目次: ≫
第1回 「きれいな戦争」?
テクストを「読む」ということ/『カンディード』――どんな作品か
機\鐐茲離ぅ瓠璽検憤譟   カフェで労働力を売る/「近代国家」とは何か/身分制社会について/視覚的な美/聴覚的な美/婉曲語法/秩序の感覚/言葉のポリフォニーオクシモロン(撞着語法)/「哲学者のように震える」/「きれいな戦争」
第2回 カンディードは言葉の囚人?
供‐襪寮こΔ旅渋ぁ宗渋莪貍呂鯑匹   城、始まりの世界/コノテーション/登場人物たち/理想の世界/愚弄される世界/破綻の兆候/歴史感覚/崩壊する古い世界/私生児カンディード/語りの構造に目を向ける/二つの語りのスタイル、二つのヴィジョン/時制の不思議――単純過去/時制の不思議――半過去/二つの時制の組み合わせ/世界の初期状態を提示する半過去/単純過去の機能――ロラン・バルトに導かれて/単純過去は物語のしるし/〈静〉と〈動〉のコントラスト/なぜウェストファリアなのか/七年戦争の記憶/共同体から分離された個人/ジュリアンジャン=ジャック/一風変わった教養小説/パングロス――言葉の絶対的支配者/聞く人カンディード/「カンディード」という名前
第3回 間近から見る戦場
掘\鐐茲離ぅ瓠璽検米鵝   逃亡するカンディード/戦争と音楽/変化の兆候――俯瞰的視点から個別的ヴィジョンへ/雑多な事象の散乱/顔、そして苛まれる肉体/断片化される身体/シンメトリックな戦争の野蛮/美的なヴィジョンからの脱却/『ジョヴァンニ・アルノルフィーニとその妻』に見る「入れ子構造」/「鏡」――全体を映し出す細部/「入れ子構造」と作品の主題/テクスト分析をふりかえって――言語的専制からの自由/言説の専制的支配
検,泙箸瓠宗塾鮖砲梁腓な変わり目とその表現   クリティック=批評/兆候としてのテクスト/歴史を読む――兆候的読解/第一の「兆候」――父殺し/第二の「兆候」――パングロスの沈黙/第三の「兆候」――自律へと跳躍するカンディード/自律的個人の誕生/オペラ版『キャンディード』による誤った解釈/退く神
補講 「断片化した身体」から見えてくるもの
兆候としての「断片化した身体」/労働する身体/ミシェル・フーコー『監獄の誕生――監視と懲罰』/「身体」が作られる三つの場所

読書案内
Voltaire, Misromégas, Zading, Candide, Introduction, notes, bibiliographie, chronologie par René Pomeau, Garnier-Flammarion, 1994.
Voltaire, Candie on l'optimisme, suivi du texte apocryphe de 1760, par jena Goldzink, col. Texte et Contextes, Magnard, 1985.
『カンディード』(岩波文庫)、植田祐次訳、二〇〇五年。
ミハイル・バフチン『小説の言葉』(平凡社ライブラリー)、伊藤一郎訳、一九九六年。
ロラン・バルト『零度のエクリチュール』渡辺淳・沢村玉、みすず書房、一九七一年。
エミール・バンヴェニスト『一般言語の諸問題』、河村正夫訳、みすず書房、一九八三年。
テリー・イーグルトン『新訳・文学とは何か』、大橋洋一訳、岩波書店、一九九七年。
大橋洋一『新文学入門――T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』、岩波書店、一九九五年。
前田愛『文学テクスト入門』(ちくま学芸文庫)、一九九三年。
ジョナサン・カラー『文学理論』荒井映子・富山多佳夫訳、岩波書店、二〇〇三年。
水林章「構造と錯覚――社会文化史的アプローチとしての「文学研究」についてのノート」、『岩波講座 文学』別巻「文学理論」所収、二〇〇四年。
ジャン・スタロバンスキー『病のうちなる治療薬――啓蒙の時代の人為に対する批判と正当化』、小池健男・川那部保明訳、法政大学出版局、一九九三年。
ジャン・スタロバンスキー『ルソー 透明と障害』、山路昭訳、みすず書房、一九九三年。
ジャン・スタロバンスキー『フランス革命と芸術――一七八九年理性の標章』、井上尭裕訳、法政大学出版局、一九八九年。
ジャン・スタロビンスキー『自由の創出――十八世紀の芸術と思想』、小西嘉幸訳、白水社、一九八二年。
ジャン=マリ・アポストリデス『機械としての王』、水林章訳、みすず書房、一九九六年。
水林章『幸福への意志――〈文明化〉のエクリチュール』、みすず書房、一九九四年。
水林章『ドン・ジュアンの埋葬――モリエール『ドン・ジュアン』における歴史と社会』、山川出版社、一九九六年。
水林章『公衆の誕生、文学の出現――ルソー的経験と現代』、みすず書房、二〇〇三年。
フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生――アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』、杉山光信・杉山恵美子訳、みすず書房、一九八〇年。
オットー・ブルンナー『ヨーロッパ――その歴史と精神』、石井紫郎・石川武他訳、岩波書店、一九七四年。
ミシェル・フーコー『監獄の誕生――監視と処罰』、田村俶訳、新潮社、一九七七年。
ゲルハルト・エーストライヒ「ヨーロッパ絶対主義に関する諸問題」、フリッツ・ハルトゥング他著『伝統社会と近代国家』、成瀬治編訳、岩波書店、一九八二年所収。
ノルベルト・エリアス『文明化の過程(上)――ヨーロッパ上流階層の風俗の変遷』、赤井慧爾・吉田正勝・中村元保訳、法政大学出版会局、二〇〇四年。
ノルベルト・エリアス『文明化の過程(下)――社会の変遷/文明化の理論のための見取図』、波田節夫・羽田洋・溝辺敬一・藤平浩之訳、法政大学出版会局、二〇〇四年。
エドワード・Wサイード『裏切られた民主主義――戦争とプロパガンダ4』、みすず書房、二〇〇三年。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件――一九七二〜一九九〇年の対話』、宮林寛訳、河出書房新社、一九九二年。


≪著者: ≫ 水林章 (みずばやし・あきら) 1951年生まれ。東京外国語大学教授。専攻は17-19世紀前半のフランス文学。近世・絶対王制期の西欧に現代の世界システムの直接的な起源があるという視点に立ち、近代成立期のフランス文学・思想を歴史的・社会的変容とのかかわりにおいて読み直す作業を進めている。著書に『幸福への意志――〈文明化〉のエクリチュール』『公衆の誕生、文学の出現――ルソー的経験と現代』(以上、みすず書房)、『ドン・ジュアンの埋葬――モリエール「ドン・ジュアン」における歴史と社会』(山川出版社)ほか。訳書に、ジャン=マリ・アポストリデス『機械としての王』(みすず書房)ほか。


名乗らずとも・・・




本「『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)」巽 孝之5

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『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)
『白鯨』アメリカン・スタディーズ (理想の教室)

○著者: 巽 孝之
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 166ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083078
おすすめ度: 2.5
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一九世紀アメリカのロマン主義文学を代表する文豪ハーマン・メルヴィル Herman Melville(一八一九−九一)の長篇小説『白鯨』Moby-Dick(一八五一年)といえば、すでに世界文学水準の古典的名作として評価が定まっています。聖書、シェイクスピアに続くほどの位置を、文学史上の『白鯨』は占めているといっても決していいすぎではありません。  (P.46、はじめに)

かくして『白鯨』の出版された一八五一年というのは、アメリカが「明白なる運命」のもとに領土拡張の気分を西漸運動に結実させ、西海岸の果てにハワイを、さらには捕鯨基地としての日本さえも射程距離に収めていた時期であり、まさにそのために我が国は五三年に開国を迫られたわけですね。『白鯨』のピークォド号は、まだ大西洋から太平洋へ抜けるパナマ運河も開通していないころですから、アメリカ東海岸を出て大西洋からアフリカ喜望峰経由でインド洋を航海し、最終的に日本沖捕鯨三角海域(ジャパン・グラウンド)をめざしますけれど、その東への航海は、じつは西漸運動の帰結だったのです。  (p.76-P.77)

「大接戦をきわめるアメリカ合衆国大統領選挙」(Grand Contested Election for the Presidency of the United States
「イシュメールなる男、捕鯨の旅へ」(WHALING VOYAGE BY ONE ISHMAEL)
「アフガニスタンにて血みどろの死闘」(BLOODY BATTLE IN AFFGHANISTAN)  (P.14、テクスト――『白鯨』第1章)


池澤夏樹 『世界文学を読みほどく (新潮選書、2005/1)』
アーサー・C・クラーク 『幼年期の終わり (池田真紀子 訳、巽孝之 解説、光文社古典新訳文庫、2007/11)』


≪目次: ≫
テクスト――メルヴィル白鯨』より(巽孝之訳)
「第1章 霧の彼方より」/「第135章 追跡――第三日目」/「エピローグ」
第1回 世界はクジラで廻っていた
はじめに/1 時空を超える『白鯨』(鯨油文化の秘密 マンハッタンから始まる)/2 ニューヨーク作家メルヴィル(メルヴィル小伝 ジャーナリズムの中心都市)/3 「明白なる運命」の光と影(文豪ホーソーンと出会う アメリカン・ルネッサンスの背景 一八五〇年のアメリカ)
第2回 恋に落ちたエイハブ船長
1 神々の戯曲(運命の三人の女神 ハイパーフィクションの先駆)/2 エイハブ対モビイ・ディック(みなしごたちの挑戦 エイハブはいかに死んだか? 映画版とマンガ版)/3 拝火教徒フェダラーとは誰か?(怒りのアフガン ツァラトゥストラは死なない ジャズ・エイジの『白鯨』)
第3回 核の文学、文学の核
1 復讐するは「我」にあり(フェアプレイの精神 鯨とロケット)/2 米ソ冷戦時代の想像力(クラークの白鯨 レムの白鯨 ブッラッドベリの日本怪獣 核想像力の起源)/3 モビイ・ディック・リハーサル(オーソン・ウェルズとその時代 白鯨とゴジロ)/さいごに

読書案内
Melville, Herman. Moby-Dick. 1851. Ed. Hershel Parker and Harrison Hayford. New York: Norton, 2002. 八木敏雄訳『白鯨』上・中・下(岩波文庫、二〇〇四年)。
Bradbury, Ray.“Remembrance of Books Past.”Wall Street Journal (February 2, 2004): A18. Newman, Lee Bertani Vozar, ed. A Reader's Guide to the Short Stories of Herman Melville. Boston: G. K. Hall, 1986.
Otter, Samuel. Melville's Anatomies. Berkeley: U. of California p., 1999.
Philbrick, Nathaniel. In the Heart of the Sea: The Tragedy of the Whaleship Essex. New York: Penguin, 2000. ナサニエル・フィルブリック『復讐する海――捕鯨船エセックス号の悲劇』(相原真理子訳、集英社、二〇〇四年)。
Rollyson, Carl and Lisa Paddock. Herman Melville A To Z. New York: Checkmark, 2001.
大橋健三郎編『鯨とテキスト――メルヴィルの世界』(国書刊行会、一九八三年)。
川澄哲夫『黒船異聞――日本を開国したのは捕鯨船だ』(有隣堂、二〇〇四年)。
研究社刊〈英語青年〉二〇〇二年一月号(特集・白鯨ウォッチング)。
杉浦銀策『メルヴィル――破滅への航海者』(冬樹社、一九八一年)。
青土社刊〈ユリイカ〉二〇〇二年四月号(特集・メルヴィルから始まる)。
巽孝之他編『幸福の逆説』(慶応義塾大学出版会、二〇〇五年)。
牧野有通『世界を覆う白い幻影――メルヴィルとアメリカ・アイディオロジー』(南雲堂、一九九六年)。
森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大学出版局、一九九四年)。
八木敏雄『「白鯨」解体』(研究社、一九八六年)。


≪著者: ≫ 巽 孝之 (たつみ・たかゆき) 一九五五年生まれ。慶應義塾大学教授。専門はアメリカ文学。植民地時代以降のアメリカ文学思想史を現在批評の最前線から再検討している。著書に『サイバーパンク・アメリカ』(勁草書房)、『メタフィクションの思想』(筑摩書房)、『ニュー・アメリカニズム』(青土社)、『アメリカン・ソドム』(研究社)、『リンカーンの世紀』(青土社)、『メタファーはなぜ殺される』(松柏社)、『アメリカ文学史』(慶應義塾大学出版会)ほか。


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2009/3/27追記。
クジラ」であり「鯨油」について、かつて詳細な情報をぼくに与えてくれた著書の存在が「記憶」として気になっていて、しかしどうにもぼくの「記憶」は不確実で頼りがなくて、、、化学同人のDUJIN選書シリーズだったかなぁ、なんだったかなぁ、とか、しばらく考えあぐねて、ときに忘れて他のことを考えて、また思い出したりして、、、やっぱり「記録」に頼ることになる。どうやら、石油 最後の1バレル (ピーター・ターツァキアン 著、東方雅美・渡部典子 訳、英治出版、2006)』のようだ。エネルギー問題の視点から、時代であり文化を築く一つの小さくない要因としての、主要なエネルギー資源としての、人びとの生活を支えて、潤し、良くも悪くも変えた?!「鯨油」。なるほど、そうきたかぁ♪

本「『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)」石原千秋5

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『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)
『こころ』大人になれなかった先生 (理想の教室)

○著者: 石原千秋
○出版: みすず書房 (2005/7, 単行本 155ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083061
おすすめ度: 4.0
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ぼくが毎日毎日欠かさず、一日一冊の読書とその書き記し(このブログ)を心がけているのは、本を読まずにいられないからであるが、そこには、自らの不足する知識や情報を充足する目的であり、ともすると否定的な後ろ向きな考えに襲われることからの逃避(読書への依存)であり、無為な時間を浪費することに対する焦りや嫌悪の回避であり、、、まぁ、たかだか一日一冊の読書であることから、そう大した労力を要することはなく(と言ってみる)、給与所得者であるぼくは、雇用関係にある会社の要求する(要求されているであろう程度の?!)労働を提供して、それ以外の通勤時間やら昼食休憩やら移動時間やらなにやらの時間の遣り繰りの努力さえ怠らなければ、それらの時間を確保さえすれば(それによって切り捨てられる事柄は少ななくないけど、人づきあいをしないとか)、あとはただただひたすらに時間を費やして集中して本に向かいさえすれば、始まったものはいずれ終わりのときを迎えるが如く。
いずれにしても、ぼくの行動に一般性(社会性)を欠いていることを否定しないけれど、とくに一般的で社会的でジョウシキ的である必要性を、ぼく自身はなんら感じていないのであって、さらにはどうやらぼくは、この今の在り方に一定の『快さ』(≒幸福)を感じているのであり(苦痛がないわけではないが)、それが今生きて在る〈ぼく〉の原動力のようなものかなぁ。それさえあれば、ほかはなにもいらない、みたいな。。。

で、どうやらぼくは(確信を抱いているわけではないものの、おぼろげに思い抱いて考察するに)著書をテクストとして捉えている傾向があるのかしら。そう、テクストとしての小説(フィクション)は、じつは物語をたのしむどころのシンプルなものではないような、なにか高貴?!な印象を強くしている。(うっ、この先がどうにも展開できない、、、)


≪目次: ≫
はじめに

テクスト――夏目漱石こころ
「上 先生と私」/「下 先生と遺書」
第1回 なぜ見られることが怖いのか
長すぎた遺書/眼差しへのこだわり/眼差しが怖い/仮面を作ること/心は器械だろうか/叔父の裏切り/人生の指針を受け取ること/尊敬すべき友人/屈折した感情/敗北としてのKの恋/自殺の理由/仕組まれた恋/大人になる儀式
第2回 いま青年はどこにいるのか
 語る人間の物語/冒頭と末尾の矛盾/隠された感情/青年の敬愛と先生の倫理/解らないということ/擦れ違う二人/謎の言葉/奥さんを「批評的」にみること/先生の禁止を破る青年
第3回 静は何を知っていたのか
「先生」と呼ぶ理由/エリートのための純粋培養システム/高等教育の中の出会い/「先輩」としての先生/趣味を見分ける目/ほころびの意味/手紙の数/Kの墓参り/静は何を知っていたのか/本当はすべて知っていたのでは?/愛は止められない

おわりに
あらすじ
年表
学校系統図

読書案内
三好行雄編『別冊国文学夏目漱石辞典』(学燈社、一九九〇年七月)
夏目鏡子述・松岡譲筆録『漱石の思ひ出』(岩波書店、二〇〇三年十月)
小宮豊隆『夏目漱石』上・中・下(岩波文庫、一九八六年十二月〜一九八七年二月)
江藤淳『漱石とその時代』第一部〜第五部(新潮選書、一九七〇年八月〜一九九九年十二月)
小田切進『新潮日本文学アルバム 2 夏目漱石』(新潮社、一九八三年十一月)
蓮實重彦『夏目漱石論』(青土社、一九七八年十月)
小森洋一『漱石を読みなおす』(ちくま新書、一九九五年六月)
小山慶太『漱石が見た物理学』(中公新書、一九九一年十二月)
半藤一利『漱石先生ぞなもし』(文藝春秋、一九九二年九月)
石原千秋『漱石と三人の読者』(講談社現代新書、二〇〇四年十月)


≪著者: ≫ 石原千秋 (いしはら・ちあき) 一九五五年生まれ。早稲田大学教授。専門は日本近代文学。文学テクストを現代思想の枠組みを使って分析、時代状況ともリンクさせた斬新な読みを展開する。また、「国語」教育について入試国語の読解を通した問題提起を積極的に行っている。著書に『反転する漱石』(青土社)、『テクストはまちがわない』(筑摩書房)、『大学受験のための小説講義』(ちくま新書)、『教養としての大学受験国語』(同)ほか。
『秘伝 大学受験の国語力 (新潮選書、2007/7)』


Narcissus tazetta




本「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術 (理想の教室)」河合祥一郎5

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『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術 (理想の教室)
『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術 (理想の教室)

○著者: 河合祥一郎
○出版: みすず書房 (2005/6, 単行本 152ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083023
おすすめ度: 5.0
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永遠の恋愛悲劇『ロミオとジュリエット』は、青春のエネルギーにあふれ、親や社会を半ば敵に回すようにして密かに恋を貫こうとしながら、度重なる不運によって死を迎える“Star-crossed lovers”(不幸の星のもとに生まれた恋人たち)の悲しくも美しい恋の物語です。演劇界では短く『ロミ・ジュリ』と呼ばれて親しまれていますが、このはかなくも短い悲恋の物語がどれくらい短いかご存知でしょうか。クイズにしてみましょう。これは何日間の物語でしょう?
  3日間    4日間    5日間    6日間
ただし、ご注意ください。このクイズはシェイクスピア的なクイズです。「シェイクスピア的な」というのは、1たす1は2にならないかもしれないし、正解はひとつに限らないという意味です。それはそうなのだけれど、そうではないという矛盾する世界、表があれば裏がある世界、好きなのに嫌いといった世界――それがシェイクスピア的な世界なのです。
論理学には「Aであって、なおかつAでないということは、ありえない」という矛盾律がありますが、シェイクスピア矛盾律など気にしません。シェイクスピアには、「きれいは汚い、汚いはきれい」(『マクベス』)とか、「陽気な悲劇」「熱い水」(『夏の夜の夢』)といったように、常識的には矛盾したことを表わすオクシモロン(撞着語法、矛盾語法)という表現がたくさん出てきます。・・・  (P.6-P.7、第1回 時間のトリック――構造)

あんまり理知的で賢いと、恋はできません。みなさんは「賢いこと」が良いことだと信じてきたかもしれませんが、恋愛に関する限り、そうではないのです。
恋は狂気だとシェイクスピアは言います。ほかの人には理解しがたい世界に入ってしまうのですから、理性的でないことだけは確かです。詩を書いたり、恋をしたりするときに、人は非理性的な想像力の世界に入り込むのだというのがシェイクスピアの考えです。そこでは理性は無力となります。理性を捨てて、感性に身を委ねるのです。  (P.9、第1回 時間のトリック――構造)


戯曲って、ぼくには縁がないというか、そもそも演劇を観賞する習慣もないし興味もないし関係ないだろうと思っていて、さらにはなんだかちょっとツンとスカしてお高くとまっているような印象をもっていて、どうにも卑屈なぼくにはじつは耐えられなかったり(コバカにされて見下されているように感じちゃう、誰もそんなこと思っちゃいないだろうけれども!?)してみたりして忌避していた側面もあるのかなぁ。それでも、さまざまなテクスト(著書)を読み進めるなかで、シェイクスピアを読んでいないことを障害に感じることが少なくなかったりして、それは、前提とされる共通の理解を得ることができない疎外感というのか、ちょっとした屈辱みたいなものを感じて、と言ったら大袈裟かもしれないけれど、ジョウシキなんだろうなぁ、シェイクスピア(William Shakespeare, 1564-1616)って。まぁ、ジョウシキがない、とか、ヒジョウシキ、なんて言われたり思われたりすることには、どちらかと言えばぼくのなかではフツーに慣れちゃってはいるんだけれど、それでも、言われたり思われたりすること以上に、理解できないことはやっぱりどうにも受け容れ難い。というわけでだったかどうだったか記憶は定かでなないのだけれども、好んで読み進めていた(最近ご無沙汰!?)“光文社古典新訳文庫”にラインナップされた、安西徹雄 訳のヴェニスの商人 The Merchant of Venice』リア王 King Lear』ジュリアス・シーザー Julius Caesar』十二夜 Twelfth Night』マクベス Macbeth』を読んで、その解説に学んで(なんと「ロミ・ジュリ」を読んでない!!)、、、それから先が続かなかった、ということは、それで満足(理解??!)したのか、やっぱりダメ(好みに合わない?!)だったのか、、、理解できた気はちっともしていないし、とくにダメなことはない、そうだとすると、気にはなっていたけれども、なかなか手が出せずにいた、かな??!


≪目次: ≫
第1回 時間のマジック――構造
第2回 命かけて恋――テーマ
恋は夢/悲劇はなぜ起こったか/恋する男は女々しいか?/ふにゃふにゃロミオ?/「名誉」をかけた争い/ロミオは男になれるか/男の「名誉」と女の「名誉」/恋は社会体制を越えて――ジュリエットの死の意味
第3回 恋は詩にのせて――テクスト
出会ってから14行のセリフでキスする恋のテクニック/――手がかり  ̄な犬辰堂拭/――手がかり◆ 岷ぁ廚辰堂拭/――手がかり 韻がなくても韻文とは、これいかに?/――そして種明かし/リズムに乗せてキスを奪え/ソネット形式のセリフ/啖呵を切りながら韻を踏む、キザなティボルトのレトリック/2行連句の劇的効果/テクストに盛り込まれたシェイクスピアの演出/速い散文/空間のトリックとセリフのレトリック/ロミ・ジュリ伝説から名作へ

もっと知るために――読書案内
[翻訳]
小田島雄志訳『ロミオとジュリエット』(白水Uブックス、一九八三)
松岡和子『ロミオとジュリエット』(ちくま文庫、一九九六)
河合祥一郎『新訳 ロミオとジュリエット』(角川文庫、二〇〇五)
アーサー・ブルック著、北川悌二訳『ロウミアスとジューリエット』(北星堂、一九七九)
[テクスト]
岩崎宗治編注、大修刊シェイクスピア双書『ロミオとジュリエット』(大修刊書店、一九八八)
Jill L. Levenson, ed., Romeo and Juliet by William Shakespeare, Oxford World's Classics (Oxford: Oxford University Press, 2000)
[研究書]
Jay L. Halio, ed., Shakespeare's‘Romeo and Juliet’: Texts, Contexta, and Interpretation (Delaware: University of Delaware Press; London: Associated University Press, 1995)
Joseph A. Porter, ed., Critical Essays on Shakespeare's‘Romeo and Juliet’(New York: G. K. Gall & Co., 1997)
[一般書]
『フォトブック ロミオとジュリエット』(双葉社、二〇〇五)
高田康成ほか編『シェイクスピアへの架け橋』(東京大学出版会、一九九八)
『アエラムック シェイクスピアがわかる』(朝日新聞社、一九九九)
C・ウォルター・ホッジス著、河合祥一郎訳『絵で見るシェイクスピアの舞台』(研究社、二〇〇〇)
高橋康也編『シェイクスピア・ハンドブック』新装版(新潮社、二〇〇四)
松岡和子『シェイクスピア「もの」語り』(新潮社、二〇〇四)
河合祥一郎『シェイクスピアは誘う 名せりふに学ぶ人生の知恵』(小学館、二〇〇四)
[辞典]
高橋康也ほか編『研究社シェイクスピア辞典』(研究社、二〇〇〇)
荒井良雄ほか編『シェイクスピア大辞典』(日本図書センター、二〇〇二)


≪著者: ≫ 河合祥一郎 (かわい・しょういちろう) 一九六〇年生まれ。東京大学大学院助教授、放送大学客員助教授。専攻はイギリス演劇・表象文化論。演劇の現場と結びついた精緻なシェイクスピア読解が注目される。著書に『謎解き「ハムレット」』(三陸書房)、『ハムレットは太っていた!』(白水社)、『シェイクスピアは誘う』(小学館)ほか。訳書に『二人の貴公子』、『エドワード三世』(以上、白水社)、近年上演の「ハムレット」(ジョナサン・ケント演出、野村萬斎主演/蜷川幸雄演出、藤原竜也主演)のための翻訳『新訳 ハムレット』、『新訳 ロミオとジュリエット』(以上、角川文庫)ほか。


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本「カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)」野崎 歓5

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カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)
カミュ『よそもの』きみの友だち (理想の教室)

○著者: 野崎 歓
○出版: みすず書房 (2006/8,単行本 154ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083214
おすすめ度: 3.5
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きょう、母さんが死んだ。きのうだったかもしれないが、わからない。老人ホームから電報が届いた。「ハハウエシス/ソウギアス/オクヤミモウシアゲマス」。これではさっぱりわからない。きっときのうだったのだろう。
老人ホームはアルジェから八十キロのマランゴにある。・・・  (P.6、テクスト 第一章 第一部)

物語の舞台、アルジェリアの海(地中海)と、太陽と、、、
・・・一八三〇年にアルジェはフランス軍の前に陥落し、植民地支配が始まります。支配側の理屈とはどういうものだったでしょう? 野蛮にして狂信的な「劣等人種」たる「原住民」に「文明」と「理性」を授けてやる――それが自分たちの使命だというのです。イスラム教徒やユダヤ教徒、そしてそのさきに先住民であるベルベル人らからなる「原住民」たちは政治的権利をうばわれ、支配階級への隷従を強いられたのでした。そうした状況への不満は高まりつづけ、同時に植民地主義の横暴に対して批判のまなざしを向けるフランス人も声を上げ始めます。一九三〇年、アルジェリア征服百年が賑々しく祝われた陰で、アラブ人たちは「次の百周年はあるまい」とうわさした。『よそもの』が刊行された三年後には、ベルベル人たちの反乱が起こり、鎮圧されたものの、これを契機に独立運動は本格化しました。運動を封じようとする勢力とのあいだの熾烈な戦いを経て、ついに一九六二年、アルジェリアは独立国となるのです。  (P.77、第二回 太陽と旋律)



≪目次: ≫
テクスト――カミュ(Albert Camus, 1913-1960)よそもの (L'Étranger, 1942)』より(野崎歓訳)
第一部 第一章(抄)/第六章(抄)/第二部 第一章(抄)

第1回 ムルソー、きみはいったいだれなんだ?
よそものと出会うために/冒頭からびっくり/感情ゼロの実験/正直者を愛せるか?/目のいい男/少しだけ文学史を/健康な男/庶民の知恵/黙した母/ムルソー、メルソー、そしてカミュ
第2回 太陽と戦慄
作品自体がよそものである/アフリカ小説の誇り/「太陽のせいです」/女の涙/男の人生/「運命の数学」/物語の照応/アラブ人はなぜ殺されたのか?/最初の人間
第3回 ムルソーを死刑に処すべきか?
解決篇の始まり/母親殺しの罪/言葉づかいの問題/『よそもの』の言葉/死の明らかさ/盲目の羊/あの世はあるのか/未来の底から/愛すること/しるしの世界へ

読書案内
[テクスト]
Albert Camus, L'Étranger, Gallimard, 1942.
Albert Camus, L'Étranger, Le Club du meilleur live, 1954.
Albert Camus, L'Étranger, in Théâtres, récits, nouvelles, préfaces par Jean Grenier, textes établis et annotés par Rpger Quillot, Gallimard, “Bibliothèque de la Pléiade”, 1962.
Albert Camus, Œuvres complètes : 1931-1944, édition publiée sous la direction de Jacqueline LéviValensi, Gallimard, “Bibliothèque de la Pléiade”, 2006.
カミュ『異邦人』窪田啓作訳、新潮文庫、一九五四年
『カミュ全集』全一〇巻、佐藤朔・高畠正明編集、新潮社、一九七二〜七三年
[研究・評論]
ジャン=ポール・サルトル「『異邦人』解説」(一九四三年)窪田啓作訳〔『シュチュアシオン 機戞淵汽襯肇訌棺 11)所収、人文書院、一九六五年〕
モーリス・ブランショ「異邦人の小説」(一九四三年)粟津則雄訳〔『踏みはずし』所収、筑摩書房、一九八七年〕
ロラン・バルト『零度のエクリチュール』(一九五三年)渡辺淳訳、みすず書房、一九七一年
アラン・ロブ=グリエ「自然、ヒューマニズム、悲劇」(一九五八年)平岡篤頼訳〔『新しい小説のために』所収、一九六七年、新潮社〕
ルネ・ジラール「『異邦人』のもう一つの扉」(一九六八年)織田年和訳〔『地下室の批評家』所収、白水社、一九八四年〕
コナー・クルーズ・オブライエン『カミュ』(一九七〇年)富士川義之訳、新潮社、一九七一年
エドワード・W・サイード「カミュとフランス帝国体験」(一九九四年)大橋洋一訳〔『文化と帝国主義 機拿蠎、みすず書房、一九九八年〕
オリヴィエ・トッド『アルベール・カミュ〈ある一生〉』(一九九六年)有田英也・稲田晴年訳、毎日新聞社、二〇〇一年
西永良成『評伝アルベール・カミュ』白水社、一九七六年
三野博司『カミュ『異邦人』を読む――その謎と魅力』彩流社、二〇〇二年
三野博司『カミュ 沈黙の誘惑』彩流社、二〇〇三年
内田樹『ためらいの倫理学』〔『ためらいの倫理学 戦争・性・物語』角川文庫、二〇〇三年所収〕
[CD録音]
L'Étranger lu par Albert Camus, Frémeaux & Associés, FA5052.
[映画化作品]
ルキノ・ヴィスコンティ監督『異邦人』(一九六七年)
[アルバム]
Daniel Rondean, Camus ou les promesses de la vie, Mengès, 2005


≪著者: ≫ 野崎 歓 (のざき・かん) 一九五九年生まれ。東京大学助教授。専門はフランス近・現代文学、映画論。十九世紀文学の研究に右足を、現代小説の翻訳・紹介に左足をおき、映画も視野に収めて文化研究の新たな可能性を追う。著書に『ジャン・ルノワール 越境する映画』(青土社)、『フランス小説の扉』(白水社)、『谷崎潤一郎と異国の言語』(人文書院)、『香港映画の街角』(青土社)、『五感で味わうフランス文学』(白水社)、『赤ちゃん教育』(青土社)など。訳書にルノワール『ジョルジュ大尉の手帳』(青土社)、トゥーサン『愛しあう』(集英社)、ウエルベック『素粒子』(筑摩書房)、グランベール『ある秘密』(新潮社)、ガイイ『ある夜、クラブで』(集英社)、バルト『いかにしてともに生きるか』(筑摩書房)など。


花とおじさん♪




本「カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと (理想の教室)」三原弟平5

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カフカ『断食芸人』“わたし”のこと (理想の教室)
カフカ『断食芸人』〈わたし〉のこと (理想の教室)

○著者: 三原弟平
○出版: みすず書房 (2005/12,単行本 155ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083153
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この物語は、一方では書いてあることを字義通りにとる読み方が求められつつも、またその一方で、書いてあることとはべつのことがらが意味されているという、そうした読み方が同時存在的に求められている。けっして一方の読み方だけに収斂させることができない、そうしたたぐいの物語なのです。書かれてあるのとは別のことが意味されている、とくれば、それは寓話です。すなわちこの物語には、寓話的な性格があるのです。しかし、寓話そのものにはなりきっていません。というのもカフカの書く文章は、どの文章も読む者に「解釈せよ」とせまってくる。その意味では寓話的です。そこくせ、どの文章もそれを許そうとはしない。その点では寓話になりそこねています。寓話になりそこねている寓話なのに、いや、それゆえにこそ、読む者をなおさらいっそう激しく魅きつける。・・・  (P.94)



≪目次: ≫
テクスト――カフカ(Franz Kafka, 1883-1924)『断食芸人(Ein Hungerkünstler, 1922)』(三原弟平訳)
はじめに   「五つのWと一つのH」/準備運動として語句の説明を受ける〈断食芸〉〈サーカス〉〈インプラザーリオ(興行主)〉〈動物小屋〉/各節の行数かぞえ
第1回 読解ゲーム   1節、断食芸人たちと、この断食芸人/檻とガラスの箱/2節、〈公衆〉/大衆と事情通/監視人、その二つのタイプ/物語の動力は齟齬/食欲と睡眠欲/3節、真の齟齬、真の不満/四〇日/興行のフィナーレ、千秋楽四〇日目の式次第/4節、後産の節/写真/5節、暗転/6節、〈ワラヒ〉と〈エミ〉/7節、徒党間の葛藤に身をふるわせる/子どもたちにとって断食とは何であったろう/生肉嫌悪/8節、感じとれないものに理解させることはできない/意味上の疑問/文法上の疑問/9節、ホーフマンスタール「チャンドス卿の手紙」/自然奇術/ガラスを喰う出版人/否定的な味覚への殉教/断食だけとなった断食のすがた/10節、豹のいる終わり方/自由と肉食
第2回 〈わたし〉の寓話   作品と作者/寓話になりそこなった寓話/アルキメデスの点/「つき刺さった矢が……」/リゾーム状に通じあっているところ/ふたりの女のエピソード/「断食芸人」の死の場面と、『審判』の最後/「自由」と猿たち
第3回 〈わたくし小説〉と〈私小説〉   私小説の伝統とカフカ/カフカとカサイ/「贋物」(1917)/「不幸であること」(一九一〇)/自由で無拘束な文学的ジャンル/幽霊との対話

読書案内
『ある流刑地の話』本野亨一訳、角川文庫、一九六三年
『城』前田敬作訳、新潮文庫、一九七一年
『審判』本野亨一訳、角川文庫、一九五三年
『決定版カフカ全集』全一二巻、新潮社
『カフカ最後の手紙』三原弟平訳、白水社、一九九三年
グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳、筑摩書房、一九六七年、ちくま学芸文庫、一九九四年
ハンス=ゲルト・コッホ編『回想のなかのカフカ』吉田仙太郎訳、平凡社、一九九九年
マックス・ブロート『フランツ・カフカ』辻瑆・林部圭一・坂本明美訳、みすず書房、一九五五年、再版一九七二年
クラウス・ヴァーゲンバッハ『フランツ・カフカ』塚越敏訳、理想社、一九六七年
クラウス・ヴァーゲンバッハ『若き日のカフカ』中野孝次・高辻知義訳、竹内書店、一九六九年、ちくま学芸文庫、一九九五年
谷口茂『フランツ・カフカの生涯』、潮出版社、一九七三年
アンソニー・ノーシー『カフカ家の人々』石丸昭二訳、法政大学出版局、一九九二年
池内紀『カフカの生涯』、新書館、二〇〇四年
ヴァルター・ベンヤミン「フランツ・カフカ」、「カフカについての手紙」(『ボードレール他五篇――ベンヤミンの仕事2』野村修編訳所収、岩波文庫、1994年)
ヴァルター・ベンヤミン「カフカ『万里の長城がきずかれたときに』」(『ベンヤミン著作集13 新しい天使』野村修編訳所収、三原弟平訳、晶文社、一九七九年)
テオドール・W・アドルノ「カフカおぼえ書き」(『プリズメン』所収、三原弟平訳、ちくま学芸文庫、一九九六年)
マルト・ロベール『カフカ』宮川淳訳、晶文社、一九六九年
ギュンター・アンダース『カフカ』前田敬作訳、彌生選書、一九七一年
エリアス・カネッティ『もう一つの審判』小松太郎・竹内豊治訳、法政大学出版局、一九七一年
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ『カフカ――マイナー文学のために』宇波彰・岩田行一訳、法政大学出版局、一九七八年
池田浩士・好村冨士彦・小岸昭・野村修・三原弟平『カフカの解読』、駸々堂、一九八二年
三原弟平『カフカ・エッセイ』、平凡社、一九九〇年
三原弟平『カフカとサーカス』、白水社、一九九一年
三原弟平『カフカ「変身」注釈』、平凡社、一九九五年
三原弟平「スライドするパラドクス――カフカにおけるイメージの変歪と現実』(『講座・20世紀の芸術5 言語の冒険』所収、岩波書店、一九八八年)
三原弟平「向きをかえるカフカの物語」(『日本病跡学雑誌 第56号』所収、金剛出版、一九九八年)
三原弟平「盲亀の浮木――私的カフカ研究書誌」(『ユリイカ 3月号 特集*新しいカフカ』所収、青土社、二〇〇一年)
三原弟平「ドイツ二〇世紀小説にみられたある感受性の革命」(『岩波講座・文学3 物語から小説へ』所収、岩波書店、二〇〇二年)
三原弟平「パサージュに落ちたカフカの影」(『大航海 第50号 特集 カフカと現代思想』所収、新書館、二〇〇四年)
水林章『公衆の誕生、文学の出現』、みすず書房、二〇〇三年
坂本種芳『奇跡の世界』、力書房、一九四三年
ヴァルター・キャウレーン『わが友・出版人――エルンストローヴォルトとその時代』平田達治・鎌田道生訳、ありな書房、一九八三年
柳田国男『不幸なる芸術・笑の本願』、岩波文庫、一九七九年


≪著者: ≫ 三原弟平 (みはら・おとひら) 一九四六年生まれ。京都大学教授。専門はドイツ文学。二〇世紀初頭のドイツ文学、とくにカフカ、ベンヤミンを中心に二〇年代、三〇年代の作家・思想家たちを問題にしている。著書『カフカ・エッセイ』(平凡社)、『カフカとサーカス』(白水社)、『カフカ「変身」注釈』(平凡社)、『ベンヤミンの使命』(河出書房新社)、『思想家たちの友情――アドルノとベンヤミン』(白水社)、『ベンヤミンと女たち』(青土社)。訳書『カフカ最後の手紙』(白水社)ほか。


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本「サルトル『むかつき』二ートという冒険 (理想の教室)」合田正人5

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サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)
サルトル『むかつき』ニートという冒険 (理想の教室)

○著者: 合田正人
○出版: みすず書房 (2006/8,単行本 144ページ)
○価格: 1,575円
○ISBN: 978-4622083207
おすすめ度: 3.5
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さあ、きみの先輩を紹介しよう。きみのお父さん、いやお爺さんたちが一生懸命読んだ本の主人公だ。書いたのはジャン=ポール・サルトルという哲学者で、『嘔吐』という名で知られている本に出てくる。出版は一九三八年、きみの先輩といったのは、この日記形式の小説の書き手として登場する「ロカンタン」のことだ。きみもブログで日記を書いているよね。Roquentin――フランス語の辞書をどこかで探してこの単語を引いてみよう。擬音語だ。「余韻のない音」「咳の音」を表す「ロック」(rock)が語源で、「通俗風刺歌謡の歌手」「耄碌した老人」「若づくりの老人」「退役軍人」などの意味をもっている。自分で「負けた人間」と言っている。どの意味も後の話とつながってくる。実は、ブーヴィルには「廃兵街」があるし、また、小説中、rauque(ロック)という単語が一箇所だけ、「青空(ブルースカイ)」という曲を歌う女性歌手の声を形容するものとして出てくる。「しわがれた声」という意味だ。サルトル自身「奇妙な声」をしていたらしい(海老坂武『サルトル』岩波新書)。  (P.45-P.46)

・・・ボーヴォワールって知っているかな。『第二の性』、『老い』(とっても大事な本だよ)の著者だね。彼女がサルトルの同伴者だったけれど、彼女以外の女たちとの関係――ユダヤ人の女との関係が多い、これは本質的なことじゃないかな――も盛んで、娘のように若いユダヤの愛人(エルカイム・アルレット・サルトル)を最後には養女にした。  (P.47-P.48)

・・・タイトルの『嘔吐』(La Nausée)について。「メランコリア」(鬱)――アルブレヒト・デューラーという一五世紀ドイツの画家の作品に「メランコリア」という題の銅版画がある――など、いろいろなタイトルが候補に上がった後で、このタイトルに決まったのだけれど、いろんな人が言っているように、nauséeはギリシャ語の「ナウティア」に由来し、「ナウティア」は「ナウス」(船)が語源で、「船酔い」を意味する語だ。主人公ロカンタンが世界のさまざまな場所を船で旅したこと、彼が今暮らしている「ブーヴィル」(泥の町、最果ての町の意味をもつと考えられるが、ル・アーブルというフランス北部の港町――サルトルはそこで高校の教師をした――をモデルにしていると言われている)が港町であることとも密接に連関したタイトルで、本文での、「ぼくは漂っている(フロット)」といった表現の使用にも反映されている。
船酔いはむしろ嘔吐できないから苦しい。事実、ロカンタンは吐かない。「酔っても吐かない」とわざわざ言っているくらいだ。つまり、「ノゼ」は吐き気がする、胸がむかつくといった漠たる不快感、いやサルトル自身(『存在と無』で)言っているように、生理的な吐き気にも還元されない根本的雰囲気を表す語で、そこでだ、この授業では思い切って『むかつき』と訳すことにする(以下、講義中は拙訳で引用。数字はプレイヤード版、漢数字は人文書院版のページ)。  (P.54-P.55)

・・・「冒険(アヴァンチュール)」は『むかつき』の全体を貫く強迫観念のようなもの・・・  (P.85)



≪目次: ≫
テクスト――サルトル嘔吐』より(白井浩司訳)
第1回 正常異常者の屈折光学
投壜通信――来ない者に/チョーむかつく/サルトルって誰?/「アンガジュマン」のトポロジー/引き籠もりの哲学者/船酔いの唄/ハイデガーの『形而上学とは何か』/判読不能な手紙/物語・歴史・記述/隅‐遇/三人のアントワーヌ/瞬間と持続/それの抗争/死と外部――むかつきの終身刑
第2回 ぼくの居場所は?
驚異/クローズアップ/背後から抱かれて/鏡の回廊/他者鏡と顔/肖像画――ジンメル、ジャンケレヴィッチ/背中と背後/寸断された身体/さまざまな鏡と窓ガラス/図式と心の闇と未知の根/バレスの根無し草/想像的なもの・象徴的なもの・リアルなもの/物自体と質料/エートル‐エグジスタンス――帰属‐離脱/なぜ無よりもむしろ何かが存在するのか/偶然性と充足理由律/居場所って?/贈与・交換・分配――ランティエ/すし詰めと含羞/実存と関係――関係の外在性
第3回 「むかつき」な人々
おせっかいな単独者/畜群性の諸相/共依存とRPG/性のかたち・汚辱・人間の条件/家族の肖像/黒い聖母とドルイド教/微笑み/曙光

読書案内
≪テクスト≫
サルトル『嘔吐』白井浩司訳、人文書院、改訳新装版、一九九四年。
≪参考文献≫
梅木達郎『サルトル――失われた直接性を求めて』NHK出版、二〇〇五年。
海老坂武『サルトル――「人間」の思想の可能性』岩波新書、二〇〇五年
澤田直『〈呼びかけ〉の経験』人文書院、二〇〇二年。『新・サルトル講義』平凡社新書、二〇〇二年。
ジェイムソン(フレドリック)『サルトル――回帰する唯物論』論創社、一九九九年。
末次弘『サルトル哲学とは何か』理想社、二〇〇二年。
鈴木道彦『サルトルの文学』紀伊国屋新書、一九九四年。
スタラザーン(ポール)『90分でわかるサルトル』青山出版社、一九九八年。
長野潤『図解雑学サルトル』ナツメ社、二〇〇三年。
長谷川宏『同時代人サルトル』講談社学術文庫、二〇〇一年。
パルマー(ドナルド)『サルトル』ちくま学芸文庫、二〇〇三年。
三宅芳夫『知識人と社会――J=P・サルトルにおける政治と実存』岩波書店、二〇〇〇年。
レヴィ(ベルナール=アンリ)『サルトルの世紀』藤原書店、二〇〇五年。
現代詩手帖特集版『いま、サルトル――サルトル入門』思潮社、一九九一年。
別冊環『サルトル1905-80【他者・言葉・全体性】』藤原書店、二〇〇五年。


≪著者: ≫ 合田正人 (ごうだ・まさと) 一九五七年生まれ。明治大学教授。専門は十九・二十世紀のフランス・ドイツ思想、近代ユダヤ思想史。「生理学」「心理学」「精神分析」「社会学」など十九世紀を通じて醸成された人間科学の諸相を分析し、そこに孕まれた諸問題の現代性を考察している。加えて十七世紀以降のユダヤ人問題とも取り組んでいる。著書『レヴィナス――存在の革命に向けて』(ちくま学芸文庫)、『レヴィナスを読む――〈異常な日常〉の思想』(NHKブックス)、『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』(みすず書房)ほか。


水仙♪




本「『パンセ』数学的思考 (理想の教室)」吉永良正5

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『パンセ』数学的思考 (理想の教室)
『パンセ』数学的思考 (理想の教室)

○著者: 吉永良正
○出版: みすず書房 (2005/6,単行本 146ページ)
○価格: 1,365円
○ISBN: 978-4622083054
おすすめ度: 5.0
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「神さま、どうかわたしを見捨てないでください。」
これがパスカルの最期のことばです。このことばは、十字架上のイエスの最期の叫びと呼応し、響きあっています。(マルコ伝15-34)。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。)
ともかく、こう言い終えるやパスカルを激しいけいれんが襲い、そのけいれんは二四時間後の死の瞬間までつづきました。パスカルがこの地上の試練の最後の一日を、天上の歓喜にみちた永遠に変えたのは、一六六二年八月一九日午前一時のこと。三九歳二ヵ月と一日の生涯でした。  (P.129)



≪目次: ≫
テクスト――パスカルパンセ』より  考える葦(B347, B348)/永遠の沈黙(B201, B206, B208)/人間の不釣り合い(B72)/無限と無、賭け(B233)/他
第1回 宇宙空間の永遠の沈黙
「考える葦」は日本人の常識?/頭を使えば、それでいいのか/モラリストは道徳家ではない/いま、ここ、このものへの問い/『パンセ』という本の歴史/パスカルの哲学宣言/宇宙の無限の広がりのなかで/マトリョーシカ人形フラクタルニュートンの絶対空間と絶対時間/静的な無限宇宙から動的な膨張宇宙へ
第2回 無限大と無限賞小の中間
無限をめぐる三つの問題/進化というものの見方/因果律が成り立たない世界/現代科学のダイナミックな宇宙像/人間は無限大と無限小の中間者/『パンセ』を読むなら『エセー』も/アキレスはカメに追いつけるか/自我とは憎むべきものである/神に向かって見るまえに跳べ/沈黙する宇宙と泡立つ真空
第3回 パスカルの数学的思考
読書にも適齢期がある/古典や聖書を読む意味/「これなに?あれなに?」の子供時代/幾何学を"発見"した一二歳の少年/射影幾何学、計算機の発明、真空の実験/社交生活、賭け、確率論/パスカルは最後まで数学者だった/「愚かさ」に賭ける理性の逆説/「心」の役割と三つの秩序/無限大と無限小は手なずけられたか/パスカルへの誤解をとこう

読書案内
『パスカル』(世界の名著24 責任編集=前田陽一、中央公論社、一九六六)
『パスカル パンセ』(世界の大思想8 松浪信三郎訳、河出書房新社、一九六六)
『パスカル パンセ』(イデー選書 由木康訳、白水社、一九九〇)
『田辺保個人訳 パスカル著作集』(教文館)
『パスカル』(人類の詩的遺産34 伊藤勝彦著、講談社、一九八一)
『パスカル『パンセ』注解』(前田陽一著、岩波書店、一九八八)
『ガリレイの17世紀』(S・G・ギンディキン著、三浦信夫訳、シェプリンガー・フェアラーク東京、一九九六)
『モンテーニュ 随筆録(エセー)上』(新装版・世界の大思想5 松浪信三郎訳、河出書房新社、一九七四)
『数学をつくった人びと 機戞複邸Γ圈Ε戰訝、田中勇・銀林浩訳、早川書房/ハヤカワ文庫、二〇〇三)
『数学を築いた天才たち 上』(スチュアート・ホリングデール著、岡部恒治監訳、講談社ブルーバックス、一九九三)
『ボイヤー 数学の歴史3』(加賀美鐡雄・浦野由有訳、朝倉書店、一九八四)
『だれが量子場をみたか』(中村孔一、中村徹、渡辺敬二編、日本評論社、二〇〇四)
『ひらめきはどこから来るのか』(吉永良正著、草思社、二〇〇四)


≪著者: ≫ 吉永良正 (よしなが・よしまさ) 一九五三年生まれ。大東文化大学助教授。専門は哲学。日本におけるサイエンス・ライターの草分け的存在であり、著作活動は数学、生命科学、宇宙論、複雑系など多岐にわたる。『数学・まだこんなことがわからない』で第7回講談社出版文化賞科学文化賞を受賞。最近の研究テーマは数学概念を介した哲学と数学の交渉/没交渉の歴史とその再解釈。著書に『ひらめきはどこから来るのか』(草思社)『「複雑系」とは何か』(講談社)『数学を愛した人たち』(東京出版)『ふたつの鏡』(紀伊國屋書店)ほか。


見〜つけたッ♪




本「『悪霊』神になりたかった男 (理想の教室)」亀山郁夫5


『悪霊』神になりたかった男 (理想の教室)
著者: 亀山郁夫
単行本: 162ページ
出版社: みすず書房 (2005/06)




ロシア文学者“亀山郁夫 (1949- )”が、過去三十数年のドストエフスキー経験の中心につねに位置しつづけてきた『悪霊』、そして、ドストエフスキーの全テクスト中、おそらくもっとも「危険な」といってよい「告白 (スタヴローギンの告白)」を、講義テクストとして行われた、「理想の教室」と称される(?!)全三回の講義の書籍化。

いつもの調子(?!)でさらさらっと読んで、ひと通り読了の後に付箋を貼った箇所を再度拾い読みして、「そう言えば!?」と思い出したように、講義テクスト「告白 (スタヴローギンの告白)」(P.6〜P.34)をあらためて読みなおす。
「うわっ、読みにくい、、、」と、現実に引き戻される。
ただただ文字を追うだけであれば、それなりに読み進められる。現に読了している。ところが、丁寧な解説の講義を受けた(読了)後、意味を考えながら、背景であり、“まなざし(?!)”を想い浮かべながら読み込もうとすると、ちっとも進まない、わからない。
その難解さ故に今もって研究の対象とされ、高い人気を博し、新訳の登場が大きな話題を呼ぶのであろうが、、、


・・・そう、テクストというのは、いったん作家の手を離れたが最後、必ずしも書き手の言いなりにならなくてはならない道理はないのです。独立した自由な生き物になるのです。そして、かりにこれが誤読だとしても、私はこの誤読を大きな誇りとし、できるだけ多くのドストエフスキーファンに吹聴したいと思います。何しろ、真理は一つだけなんてことは文学では絶対にありえませんからね。数学や物理学の世界とはちがうのです。二つ以上の真理があることを示す、あるいはそう「誤読」させるだけのディテールが揃い、しかもその文脈までが現にこれだけ存在するのですから。 (P.144)

ところで、ここで付言しておきたいのは、『悪霊』執筆当時のドストエフスキーがとっていた執筆のスタイルです。速記者であるアンナ・グリゴーリエヴナとの再婚後、ドストエフスキーは、いわゆる口述筆記というスタイルをとるのが通例でした。ということは、テクストはつねに一人の成人した女性の目をとおして完成されていったということです。逆にある意味で、第三者によるある種の「検閲」がそこに介在していたことにもなります。 (中略) ドストエフスキーは夜、トランス状態に入ります。濃いお茶をすすり、書斎を歩き回りながら、かぎりなく妄想に近いイマジネーションの世界にどっぷりと身を浸します。そうした夜のドストエフスキーと、アンナ夫人を前に、ストーリーと文章を冷静に組み立てていく昼のドストエフスキーは別人です。 (P.66-P.67)

・・・イワンの主張を言い換えるとこうなります。世界は存在することは認める。だが、その世界を神が創ったという考えは認めない。なぜなら……。イワンがその根拠としたのは、19世紀のブルガリア(当時はトルコ人の支配下にありました)や、同時代のロシアに広く蔓延していた幼児虐待の風潮です。大人たちの生贄となったいたいけな子どもたちの流す一粒の涙にかけて、神が世界を創ったなんて、絶対に認められないとイワンは主張するのです。これは非常にまっとうな理屈です。ところがそのイワンがひそかに企んでいるのが、なんと、酒飲みでふしだらな父親を殺すことです。突きつめて考えると、父親は、究極において、このいたいけな子どもたちを虐げる存在として普遍化されている。そしてイワンは、父親殺しの動機をこう理屈づけるのです。「神が存在しなければ、何だって許される」。要するに、神様なんてもうとっくの昔に殺されていて、存在しない。 (P.95)


≪目次: ≫
 テクスト −「告白」(ドストエフスキー『悪霊』より)
 第1回 なぜ『悪霊』なのか
 第2回 「神」のまなざし
 第3回 少女はなぜ死んだのか?
 読書案内

ジャン=ジャック・ルソー (1712-1778,フランス)
 「告白録 (新潮文庫,井上究一郎 訳)



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