ひらがな日本美術史7
著者: 橋本治
大型本: 236ページ
出版社: 新潮社 (2007/2/22)
時に無性に橋本治が読みたくなる。
文章を書くことを職業としている橋本治は「よく分からない」からこそ書く、と嘯く。
世間一般的には、よく分かっていることを、探求の成果として、まとめて書き記す。当然そこには、よく分かっている専門家の著者自身がいて、それなりの自信とプライドを有しているから、より高度な専門的な知識を公開する、というスタンスになろう。○○界の第一人者は、一般素人を相手にしない。権威は、下から持ち上げられて威厳を保ち、下手に下に降りていく必要はない。一般素人の予測不能な突拍子もない展開に巻き込まれて下手を踏むリスクは避けるべきであろう。
だからこそ、橋本治はありがたい。
豊富な知識と高度な分析力を有して、あえて一般素人の視線から理論を展開する。一般素人でも、それなりの興味を有した人しか、橋本治の本を手にしないであろうし、橋本治の本はページ数も多いから、それなりの覚悟を有した人しか手にしない。決して世間一般に受け容れられ易いとはいえない独特な文体。真意の読み込みと、表面的な解釈に捉われない深い理解を求められる。それ位の”いやらしさ”は、知識人のご愛嬌。私は、分かっていない、であり、分かりたいと欲している、であり、橋本治は、分かっている、であり、分かり易く解説する、だから。いきなり専門書を紐解いても、私には理解できない。
ここのところ、印象派の絵画が気に掛かっている。
芸術に垣間見える、世界史、文化史。
19世紀後半のフランスに発した芸術の一大運動。1874年、パリで行われたグループ展を契機に広まった。モネ、ルノワール、マネ、モリゾ、、、少なからぬ影響を与えたジャポニズム。
興味はあっても、印象派の理解や、その背景が、点と点のおぼろげな知識としてしか存在していない現状で、もう少し理解を深めた後でなければ、ジャポニズムには迂闊に手を出せない、と潜在的に思っていた。だから、興味はあった。
橋本治が解く!、には、当然に反応する。分からない、私のレベルまでハードルを引き下げた展開が期待できる。分かる、に近付ける。知識の点を増やして、線を構築して、いずれ、知識の面を形成し、立体的な知識構成を確立させたい。
シリーズ第七作(残念ながら最終巻)、明治から大正、昭和の日本の近代美術。
印象派と重なる時代。油絵の具によって、引き立つ色合い、彩り。簡単に西洋画をマスターしてしまった、レベルの高い日本人画家たち。歴史的、社会的背景。鎖国が解禁されて、深まる異国との文化交流。常に新しく新鮮なモノが求められる芸術世界。いいモノはいい。けど、二番煎じは、受け容れられない。オリジナリティーが求められる。
高度な技術発展が故に、絵画作品以外での芸術表現の場が拡大発展する。時代の流れ、商業主義の必然。そうか、ポスターや漫画、マンガも、美術(芸術)作品。
「芸術新潮」に、14年もの連載を続け、古代からの日本の美術史を辿ったシリーズ。
掲載される作品を眺めるだけでも愉しい。
目次:
近代的なもの―井上安治筆「築地海軍省」
鮭が語るもの―高橋由一筆「鮭」
日本人の好きなもの―黒田清輝筆「湖畔」
近代日本の指導者達が求めたもの―狩野芳崖筆「大鷲」「悲母観音」
「君の行く道は」的なもの―高村光雲作「老猿」と高村光太郎作「手」「柘榴」
「君の行く道は」的なものpart2―岸田劉生筆「切通之写生」と青木繁筆「わだつみのいろこの宮」
「君の行く道は」的なもの完結篇―川端龍子筆「源義経(ジンギスカン)」
美術とは関係ないかもしれないもの―「旧東京市本郷区駒込千駄木町五十七番地住宅」
「アール・デコ」なもの―キネマ文字
ただ「私は見た」と言っているもの―今村紫紅筆「熱国の巻」
堂々たるもの―竹久夢二の作品と梶原緋佐子筆「唄へる女」
堂々たるもの2―竹久夢二筆「立田姫」
海の向こうから来たもの―梅原龍三郎筆「雲中天壇」と佐伯祐三筆「扉」
讃歌するもの―棟方志功筆「鍵板画柵」「釈迦十大弟子」
「マンガ」に属したもの―谷内六郎の作品と六浦光雄の作品
卒業式のようなもの―亀倉雄策作「東京オリンピック」ポスター
西洋絵画に印象派が登場するということは、そこから「絵が壊れる」が始まることでもある。印象派は、既に決まっていた「絵の描き方」を壊した。そこから二十世紀絵画は生れて、どんどん壊れていく ― そういう見方だって、もちろんある。・・・
岡倉天心
・・・「なにを考える必要があるの?」というところへ行ってしまったルノワール個人の〈幸福〉が浮かび上がる。
若きモジリアニが、晩年のルノワールを訪れる。畏敬すべき大先輩の前で緊張するモジリアニに対し、老いたルノワールは、「女はね、お尻」と言って絶句させたという有名なエピソードがある。真紅に燃える空間の中に、ひたすらケツの大きいバラ色の脂肪の塊のような若い娘の裸ばかりを描き続けていた晩年のルノワールにとって、「女はね、お尻」は、人に与える究極の認識であり、それですませられる状況にいることは、紛れもない〈幸福〉でもあろう。
印象派の誕生という、美術史を揺るがすような大事件を引っ張っていった画家の一人であるルノワールには、そういう個人的な幸福があってもいいだろう。ルノワールは「その先」の必要がないくらい、開放されっ放しだったのである。・・・