Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

芸術

本「ひらがな日本美術史7」橋本治5


ひらがな日本美術史7
著者: 橋本治
大型本: 236ページ
出版社: 新潮社 (2007/2/22)



時に無性に橋本治が読みたくなる。
文章を書くことを職業としている橋本治は「よく分からない」からこそ書く、と嘯く。
世間一般的には、よく分かっていることを、探求の成果として、まとめて書き記す。当然そこには、よく分かっている専門家の著者自身がいて、それなりの自信とプライドを有しているから、より高度な専門的な知識を公開する、というスタンスになろう。○○界の第一人者は、一般素人を相手にしない。権威は、下から持ち上げられて威厳を保ち、下手に下に降りていく必要はない。一般素人の予測不能な突拍子もない展開に巻き込まれて下手を踏むリスクは避けるべきであろう。

だからこそ、橋本治はありがたい。
豊富な知識と高度な分析力を有して、あえて一般素人の視線から理論を展開する。一般素人でも、それなりの興味を有した人しか、橋本治の本を手にしないであろうし、橋本治の本はページ数も多いから、それなりの覚悟を有した人しか手にしない。決して世間一般に受け容れられ易いとはいえない独特な文体。真意の読み込みと、表面的な解釈に捉われない深い理解を求められる。それ位の”いやらしさ”は、知識人のご愛嬌。私は、分かっていない、であり、分かりたいと欲している、であり、橋本治は、分かっている、であり、分かり易く解説する、だから。いきなり専門書を紐解いても、私には理解できない。

ここのところ、印象派の絵画が気に掛かっている。
芸術に垣間見える、世界史、文化史。
19世紀後半のフランスに発した芸術の一大運動。1874年、パリで行われたグループ展を契機に広まった。モネルノワールマネモリゾ、、、少なからぬ影響を与えたジャポニズム

興味はあっても、印象派の理解や、その背景が、点と点のおぼろげな知識としてしか存在していない現状で、もう少し理解を深めた後でなければ、ジャポニズムには迂闊に手を出せない、と潜在的に思っていた。だから、興味はあった。
橋本治が解く!、には、当然に反応する。分からない、私のレベルまでハードルを引き下げた展開が期待できる。分かる、に近付ける。知識の点を増やして、線を構築して、いずれ、知識の面を形成し、立体的な知識構成を確立させたい。

シリーズ第七作(残念ながら最終巻)、明治から大正昭和の日本の近代美術。
印象派と重なる時代。油絵の具によって、引き立つ色合い、彩り。簡単に西洋画をマスターしてしまった、レベルの高い日本人画家たち。歴史的、社会的背景。鎖国が解禁されて、深まる異国との文化交流。常に新しく新鮮なモノが求められる芸術世界。いいモノはいい。けど、二番煎じは、受け容れられない。オリジナリティーが求められる。
高度な技術発展が故に、絵画作品以外での芸術表現の場が拡大発展する。時代の流れ、商業主義の必然。そうか、ポスターや漫画、マンガも、美術(芸術)作品。


芸術新潮」に、14年もの連載を続け、古代からの日本の美術史を辿ったシリーズ。
掲載される作品を眺めるだけでも愉しい。

目次:
近代的なもの―井上安治筆「築地海軍省」
鮭が語るもの―高橋由一筆「鮭」
日本人の好きなもの―黒田清輝筆「湖畔」
近代日本の指導者達が求めたもの―狩野芳崖筆「大鷲」「悲母観音」
「君の行く道は」的なもの―高村光雲作「老猿」と高村光太郎作「手」「柘榴」
「君の行く道は」的なものpart2―岸田劉生筆「切通之写生」と青木繁筆「わだつみのいろこの宮」
「君の行く道は」的なもの完結篇―川端龍子筆「源義経(ジンギスカン)」
美術とは関係ないかもしれないもの―「旧東京市本郷区駒込千駄木町五十七番地住宅」
「アール・デコ」なもの―キネマ文字
ただ「私は見た」と言っているもの―今村紫紅筆「熱国の巻」
堂々たるもの―竹久夢二の作品と梶原緋佐子筆「唄へる女」
堂々たるもの2―竹久夢二筆「立田姫」
海の向こうから来たもの―梅原龍三郎筆「雲中天壇」と佐伯祐三筆「扉」
讃歌するもの―棟方志功筆「鍵板画柵」「釈迦十大弟子」
「マンガ」に属したもの―谷内六郎の作品と六浦光雄の作品
卒業式のようなもの―亀倉雄策作「東京オリンピック」ポスター









西洋絵画に印象派が登場するということは、そこから「絵が壊れる」が始まることでもある。印象派は、既に決まっていた「絵の描き方」を壊した。そこから二十世紀絵画は生れて、どんどん壊れていく ― そういう見方だって、もちろんある。・・・

岡倉天心

・・・「なにを考える必要があるの?」というところへ行ってしまったルノワール個人の〈幸福〉が浮かび上がる。
若きモジリアニが、晩年のルノワールを訪れる。畏敬すべき大先輩の前で緊張するモジリアニに対し、老いたルノワールは、「女はね、お尻」と言って絶句させたという有名なエピソードがある。真紅に燃える空間の中に、ひたすらケツの大きいバラ色の脂肪の塊のような若い娘の裸ばかりを描き続けていた晩年のルノワールにとって、「女はね、お尻」は、人に与える究極の認識であり、それですませられる状況にいることは、紛れもない〈幸福〉でもあろう。
印象派の誕生という、美術史を揺るがすような大事件を引っ張っていった画家の一人であるルノワールには、そういう個人的な幸福があってもいいだろう。ルノワールは「その先」の必要がないくらい、開放されっ放しだったのである。・・・

展覧会「フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」国立新美術館5

展覧会「フェルメール」国立新美術館 表展覧会「国立新美術館開館記念 アムステルダム国立美術館所蔵 
フェルメール≪牛乳を注ぐ女≫とオランダ風俗画展
MILKMAID BY VERMEER AND DUTCH GENRE PAINTING
- Masterworks from the Rijksmuseum Amsterdam」


17世紀のオランダ(ネーデルラント)は、当時の世界の覇権国家スペインからの独立(1648年)を果たし、黄金時代を築く。同じキリスト教同士の宗教改革プロテスタントの分離、オランダ独立戦争(1568年〜1648年)。
オランダ海上帝国を築き、植民地を拡げ、海外交易によって急速に発展した経済。莫大な富を手にした市民階級が中心となって、文化・芸術が栄えた。パトロン(後援者)あっての芸術家。経済的な後ろ盾がなければ、芸術の発展はみられない。
経済的に豊かな社会が形成されて、栄えた”オランダ風俗画”。

しかし、イングランドとの三度の英蘭戦争(1652年〜)により疲弊した国力は、フランスとのオランダ戦争(1672年〜1678年)により国家的危機を招く、「災厄の年」1672年。国力の低下により、芸術界にも、フランス古典主義の影が迫るも、継承される”オランダ風俗画”。
写真が発明され(1827年)、19世紀後半のフランス印象派(1874年〜)が発する、遥か昔。
展覧会の目玉は、ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer,1632.10.31-1675.12.15)の『牛乳を注ぐ女 The Kitchen Maid(The Milkmaid)』(1658-60頃,アムステルダム国立美術館)
色鮮やかな”青”、黄色、そして、”白”、光の彩り。

展覧会「フェルメール」国立新美術館 裏フェルメールの作品は一点。
アムステルダム国立美術館の所蔵作品を中心に、17世紀から19世紀末までのオランダ風俗画の多様な展開。経済的発展が、富を得た市民の生活を変え、豪華な工芸品や楽器にも、目を見張る成果があった。

それでも、どんなに経済的な発展があって、富裕層が増えて、国家が繁栄しても、みんながみんな金持ちになって大きな家に住んで豊かな暮らしができる訳ではない。
庶民は、豊かさの恩恵を受けるも、変わらぬ慎ましい生活を営む。
女性には、良妻賢母が求められ、家事労働に勤しむ。主婦であり、女中、乳母として。
一方の男は、酒場で酔い潰れ、給仕の女性を口説き、賭けごとに夢中になり、娼婦と遊ぶ。
薄暗く、雑然と、床に食べ物や食器が転がる、部屋の中。日常生活。

一点、『楽師たち The players』(ヤーコプ・オホテルフェルト,1670-1675頃,油彩)。
金持ちの家の薄暗い玄関で、楽器を手に演奏するみすぼらしい親子(楽師)と、母と娘と、女中。
楽師の父親の冴えない笑顔、満面の営業スマイルを浮かべる子供。生活のため、お金持ちの施しを受けなければ。外からの明かりの影になる楽師たち、闇。
無邪気に笑顔を浮かべる、奇麗に着飾った幼い娘は、ひざまずいた女中を中心に介し、楽師の演奏を愉しむ。娘の笑顔は、母親の歓び。外からの明かりを浴びて、輝く笑顔、光。
階級社会。富める者(母娘)と、貧しい者(楽師)、光と闇。圧倒的に不公平だけど、社会の仕組みだから仕方がない。
ところで、女中はどっち?!
階層的には、貧しい者に属するけれど、立場的には富める者の立ち位置に居る。富める者に対しては服従を誓い、貧しい者に対して見下した態度をとる。それも生きる術。
風俗画。





夕闇迫る、国立新美術館♪』 おでかけガイド -じゃらんnet
http://odekake.jalan.net/reporter/Gori/album/0000009531

本「既にそこにあるもの」大竹伸朗5


既にそこにあるもの
著者: 大竹 伸朗
単行本: 333ページ
出版社: 新潮社 (1999/07)



僕の心のヒリヒリを覚醒させるために、本を読む。
読書は、一種のドラッグ依存症
日常の些細なひとつひとつに神経が逆立つ。破壊行為の衝動に駆られる。
意識を覚醒させて、現実から逃避して、目を瞑り、耳を塞ぎ・・・ そして、保たれる均衡適応障害
社会生活を当たり障りなくこなして、生活の糧を得なければ、生きていけない。現実は厳しい。
何故に、僕は生かされているのか?!


芸術家アーティストエッセイ集。
先日読了した著作、椹木野衣なんにもないところから芸術がはじまる」から生じた、新たな興味。何度も大きく取り上げられていた、現代美術家”大竹 伸朗”(おおたけ しんろう,1955.10.8-)、東京都目黒区出身の画家。1988年より愛媛県宇和島市に移住し、活動の拠点とする。
2006年、東京都現代美術館で開催された大回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」に作品の一部を見る。

芸術(art)”をWikipediaによって紐解くと、
”表現者あるいは表現物と、鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動。とりわけ表現者側の活動として捉えられる側面が強く、その場合、表現者が鑑賞者に働きかけるためにとった手段、媒体、対象などの作品やその過程を芸術と呼ぶ。表現者が鑑賞者に伝えようとする内容は、信念、思想、感覚、感情、など様々。”

表現者が、表現物に籠める想い。
表現するには、それなりの理由、動機があろう。突き詰めていっても、分からない、感覚的なものなのであろうが、世の中的には、そうは問屋が卸さない。売れない芸術家であれば、自己満足の世界で、一切の説明も解釈も必要とされないが、世間から認知され、注目を浴びたとなると、世論は黙っていない。評論家の論評。おのずと、対外的なプレスにさらされる。
それ以前に、天才であるが故の、深い深い内側への探究を既に経ているのであろう。その衝動を、正確な言葉で表現することが困難であっても、伝わる”何か”がある。
そう、天性の表現者なのである。
凡人を超越した表現力、感覚に、理解が及ばなくっても、それは当然のことで、仕方がないこと。それでも案外、普通に分かり易いシンプルな解釈をしていたりする。
理解し得ないことを前提として、あくまでも雰囲気を愉しんだ時に、ふと垣間見える”何か”。
もう少し、芸術に触れてみよう♪








展覧会「ムンク展」国立西洋美術館5

展覧会「ムンク展」国立西洋美術館 表エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch,1863.12.12-1944.1.23)は、ノルウェー出身の画家。
時代的には印象派の少し後。
表現主義的な作風。

もっとも有名な作品『叫び Skrik』(1893年,油彩絵)は今回不在ながら、代表作108点の展観は、その生と死、喜びと絶望、不安、孤独、嫉妬、愛、、、烈しい”人間の魂の叫び”に溢れる。

<生命のフリーズ>は、全体として生命のありさまを示すような一連の装飾的な絵画としてかんがえられたものである
  −エドヴァルド・ムンク「生命のフリーズ」より

展覧会「ムンク展」国立西洋美術館 裏1868年、五歳の時に母を病気で亡くし、姉と弟も若くして死ぬ。1889年、二十六歳にしてフランスに留学すると、父も死去してしまう。常に身近に漂う「死」。
何人かの女性と交際するも、生涯独身を通す。友人の妻、人妻との叶わぬ愛。数年ぶりの再会を果たした元恋人とは、トラブルから発砲事件を起こし、左手中指の関節の一部を失う怪我をする、1902年の夏。精神の不安定を訴えはじめ、アルコールに溺れるようになる。
1909年にノルウェーに戻ってからは、徐々に心身の健康を取り戻し、晩年は目を患うも、明るい色彩の作品も見られるようになる。
第二次世界大戦中の1944年、80年の生涯を閉じる。

作品には、うつ病で療養中の妹が描かれる。
交際した女性たちも作品に描かれた。向かって左側に白い朗らかな婦人、一方の右側の婦人は黒。叶わぬ愛「声/夏の夜」。海に映る月明かり。

晩年、故郷オスロの公共施設に描いた壮大な壁画作品。
それまでには、個人宅の装飾画を描くも、時に受け取りを拒否されてしまう。確かに、子供部屋の壁に、緑溢れる自然の公園はいいけれど、抱き合う男女は、よろしくない。抱き合う男女は、自然な行為で、彼にとっては描かずにいられなかった?、まぁ、依頼する方も依頼する方だとも思うが。表現主義特有の、感情を作品中に反映させ、現実をねじまげて表現した作品の数々に囲まれた生活(特に寝室!?)は、ちょっと想像できない。
だから、オスロ大学講堂の壁画に溢れる、人間の英知と悠久の歴史、明るい未来。海を見下ろす小高い丘の上で、少年に語りかける老人。人生を乗り越えてきた先人が、後世を担う若い世代に口述する、”歴史”。そして、緑豊かな山の合間からのぞく海から、今まさに昇らんとする神々しい”太陽”。力強くキャンバスいっぱいに溢れる光が照らす、未来、永遠の力。
オスロ市庁舎の壁画には、力強い労働者の漲る躍動感。真っ白な雪の中にあっても、筋骨隆々の肉体美、生きる力。

豊かな晩年を見届けられて、ホッとした。






ある意味では、オススメできないのだが、国立西洋美術館の常設展がスゴイ。
流石、日本国の西洋美術の美術館を名乗るだけある。

本「なんにもないところから芸術がはじまる」椹木野衣5


なんにもないところから芸術がはじまる
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livedoor BOOKS
書評/芸術・美術



にやにや。
言葉にできない面白さ。
新たなジャンルが切り拓かれた歓び。

実は、参画させていただいている”本が好き!PJ”の献本を受けるか迷った末に、自腹(といっても、図書館ですが・・・)を選択した。書評を書ける自信がなかった。
結果的に、献本を受けなかったことに、ある部分では、ホッと胸をなでおろしている。言葉に表せない。

最近になって、好んで絵画など芸術作品に触れるようになった。
企画展に展示されている絵画作品の良し悪し、上手い下手は分からない。それでも、その展示会が企画されるだけの意義と価値があろう。そう期待して、一方では多くを望まず、先入観なく自然体で挑む。なるほど、長い年月を経てもなお多くの人々を魅了し支持を得る”何か”がある。何があるのかは分からない。展示され、公開されている限りの情報から、想像力を働かせる。生い立ち、家庭環境、時代背景。秀作が描かれた必然の妙。

あ〜、根底から覆される。
著者 椹木野衣(さわらぎ のい)は、1962年秩父市生まれの美術評論家多摩美術大学美術学部准教授

飴屋法水(あめや のりみず)が24日間籠った”暗室”。
会田誠の”ヘタうま”。
オーストリアウィーンの街のど真ん中、突き刺さる六基のコンクリートの塊”フラクトゥルム”。アドルフ・ヒトラー
三松正夫郵便局長、日本画家火山研究家、”昭和新山”、昭和新山の持ち主三松正夫さんの物語
榎忠(えのき ちゅう)、”ハンガリー国にハンガリ(半刈)で行く”。
大竹伸朗(おおたけ しんろう)、”既にそこにあるもの”。
「文化の震度」。深さ、断裂、蠢き、揺さぶり。
赤瀬川源平
ゴミ。

そう、なんにもないところからはじまる。









特別展「美しき女性印象派画家 ベルト・モリゾ展 at 損保ジャパン東郷青児美術館」ベルト・モリゾ5

展覧会「ベルト・モリゾ展」損保ジャパン東郷青児美術館 表特別展『美しき女性印象派画家 ベルト・モリゾ展 Berthe Morisot A Retrospective』
 損保ジャパン東郷青児美術館
2007年9月15日〜11月25日

ベルト・モリゾ(Berthe Morisot,1841.1.14-1895.3.2)は、 エドゥアール・マネ(Édouard Manet,1832.1.23-1883.4.30)の絵画のモデルとしても知られる、 19世紀の印象派女性画家。
裕福な家庭に生まれ育つも、女性が正規の美術教育を受ける機会を充分に与えられていなかった時代。それでも、その類い稀なる才能が、印象主義という時代の後押しをも得て、多くの秀作を生み出した、奇跡の女性。実は、印象派にとって、クロード・モネ(Claude Monet,1840.11.14.-1926.12.5)に次いで重要な存在とも。
豊かな”愛”、母の愛、優しさ、穏やかさ。特に、愛娘ジェリーを描いた多くの作品に満ち溢れる母性愛。愛。愛。ベルト・モリゾの生涯。

展覧会「ベルト・モリゾ展」損保ジャパン東郷青児美術館 裏実は、足を運ぼうと決意した出来事に、Wikipedia”ベルト・モリゾ”の少ない情報がキーとなる。
自らの浅はかさを露呈することとなるが、それでも、だからこそ本能的な興味が、結果として素晴しい作品と、素敵な女性の人生に出逢えたのであるから、敢えて書き記す。
”マネに絵画を学びながら、彼のモデルを多く務めた。マネとの恋仲を噂されることもあったが、実際には1874年に彼の弟ウジェーヌ・マネと結婚し、1879年に娘ジュリーを出産。”
この短い文章を、そのまま素直に読むことができなかった。不埒な考えが頭を過ぎり、助平根性を丸出しの卑しい妄想に駆られた。妄想が暴走し、何の根拠も無く勝手に決め付けた。
「悲劇のヒロイン”ベルト・モリゾ”、深く愛し合ってしまったエドゥアール・マネとの許されざる関係は、世間に認められる愛では無かった。だから、不本意ながらも愛しい彼に近い実弟(マネ弟)との婚姻生活を選んだ。ドロドロ。マネ兄を想い愛しているが故に・・・ だから、その烈しい想いをキャンバスにぶつける!」みたいな。あ〜、恥ずかしい。昼のワイドショーの芸能ニュースよりも低俗極まりないゴシップ、インチキ三文記事、超サイテー。
絵画「ベルト・モリゾ」マネ by Wikipedia左の作品(マネ画「ベルト・モリゾ」)にあるように、確かに、マネ兄には、モデルを務めながら絵画を学んだんだけれども、ベルト・モリゾの才能は天才的だった。圧倒的な独自の感性を有していた。だから、自然に離れていった。もしも万が一(有り得ないけれど)、マネ兄と結婚していたら、ベルト・モリゾの絵画作品はこの世に生まれることがなかったであろう。世間一般が女性に求めたのは、絶対的な良妻賢母であり、妻が印象派の中心メンバーの夫(マネ兄)を超えちゃう訳にはいかないから。ベルト・モリゾの才能に対する嫉妬や羨望から、有らぬ噂話も囁かれる、納得納得。
だから現実は、あまりにも絵画の才能が優れていただけに、画家への夢を断ち切れず(彼女の実姉は結婚を機に絵筆を断っている)、結婚に踏み切れない。充分過ぎるほどの財産を有しているし、見合い話は後を絶たないけれども、絵画を捨てて家庭に籠もるつもりは全く無い。そんな時に現われた、マネ弟。公務員で家柄も良いし、絵画への理解もある、何だか不思議な出来過ぎた感がある”縁”だけれど、マネ弟との出逢いが、ベルト・モリゾの才能を大きく花開かせた。
結婚生活は、他人同士の共同生活だから、万事が万事、最初から上手くいったとは思えないけれど、その時ベルト・モリゾ、33歳。充分に社会経験を積んだ大人。子供じゃないから、大切なことの見極めも付く。大好きな絵画を続けられる幸福感。生活の心配も無い。
待望の愛娘ジュリーが生まれたのは、ベルト・モリゾが37歳の時。新しい生命の誕生。可愛くて可愛くて仕方が無い、溺愛状態。新たな創作意欲。作品からも、豊かに満ち溢れる愛情。愛娘ジュリーの成長。少女から大人の女性への変化、表情。
晩年、最愛の夫に先立たれるも、愛娘ジュリーと、女ふたりの生活。親から受け継いだ遺産や年金、夫が残した財産。生活の不自由は無くても、それでも心の痛手は小さくない。マネ弟との運命的な出逢い、そして豊かな結婚生活が、マネ弟の絶対的な存在が、天才画家ベルト・モリゾの根幹に大きく横たわっていた。大きな心の穴、喪失感。
それでも衰えを知らない創作意欲、まさに天才的。

だから『夢見るジェリー』(1894年)。ほの暗く、憂いを帯びた表情で佇む、15歳のジェリー。特別に凝った意匠は無い。母の愛情をたっぷり受けて育つも、純真無垢な少女から大人の女性へと変貌の途上、熱心に描く画家であり母ベルト・モリゾへの想い、そして亡き父への想い。
その翌年1895年、愛娘ジュリーが患ったインフルエンザの看病から、あろうことか自らが同じ病に伏し、類い稀なる才能を惜しまれながら、54年の短い生涯の幕を閉ざすことになろうとは。
何とも非情な現実。






地上42階から見下ろす絶景。
新宿御苑の緑、六本木ヒルズ、東京タワー、、ささやかなオマケ付き♪

展覧会「ヴェネツィア絵画のきらめき at Bunkamura ザ・ミュージアム」5

展覧会「ヴェネ絵画のきらめきツィア」壁紙ヴェネツィア絵画のきらめき
 栄光のルネサンスから華麗なる18世紀へ”
− Pittura a Venezia da Tiziano a Longhi


目にしたパンフレットにあった、
はじめてヨーロッパを訪れようという若い人たちには、躊躇なくヴェネツィアに行きなさいと勧める。ここは誰にとっても奇跡の都である。・・・
Bunkamura ザ・ミュージアム プロデューサー 木島俊介 のコメントに惹かれた。

新潮社の月刊誌「旅 2007年10月号」の特集”ヴェネツィア”に、運河の街並みと、その歴史と文化に魅せられていた。

そして、物語をより深く愉しむために興味を覚えた、世界情勢、歴史、文化、宗教、民族、地理。
特に、日本人には稀薄な”宗教”。必要とされなくなった、時代背景、社会構成。それでも、信じる人々の心に深く根付く。橋本治は「宗教なんかこわくない!」と嘯く。
キリスト教が、宗教が、国家を世界を統制していた時代。国家としての権能も、キリスト教会から与えられていた。
そして、中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛え、「セレニッシマ(晴朗きわまる国)」と愛称され、華麗なる文化と教養を築いた。
ひとつの独立した”文化”。

地理的には、イタリア共和国の北東部に位置し、ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県庁所在地であり、アドリア海の最深部、ヴェネツィア湾にできた湿地帯ラグーン(潟)」の上に築かれた都市。
1987年、世界遺産に『ヴェネツィアとその潟』として登録される。


展覧会の見どころは、大きくふたつ。
ひとつが、カナレット(Canaletto)、甥のベルナルド・ベッロット(Bernardo Bellotto)らの描く、写真と見間違いそうな”都市景観画(ヴェドゥータ)”。
詳細に描かれる、美しい街、建築物、運河、人々の生活。
街の中央を逆S字に流れる”カナルグランデ(大運河)”。
街の中心は”サン・マルコ広場”。
共和国の統領(ドージェ)が居住し、国政を司った”ドゥカーレ宮殿”。
栄華を誇った時代。

そして、宗教画、肖像画
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese)
ヴィーナス聖母子洗礼者、高級娼婦
信仰の力と宗教的高揚を共同体の発展の礎とした時代。

燃える情熱の”赤”。





展覧会「ヴェネ絵画のきらめきツィア」表展覧会「ヴェネ絵画のきらめきツィア」裏


展覧会「ルドンの黒 −Les noirs de Redon− at Bunkamura ザ・ミュージアム」オディロン・ルドン5

ルドンの黒ルドンの黒
 −Les noirs de Redon

あえて”黒”一色。
暗黒の世界。
暗く哀しく悲観的。
グロテスクな目玉、蜘蛛。
”黒”のイメージ。

ルドンの晩年の溢れる色彩美を抑えて、
だからこそ、あえて”黒”の部分の企画展。


オディロン・ルドン(Odilon Redon,1840.4.22-1916.7.6)は、フランスボルドーに広大な荘園を有するブルジョア家庭に生まれた画家。
印象派と同世代とある。なるほど、印象派を代表するクロード・モネ(Claude Monet,1840.11.14-1926.12.5)は、パリに生まれている。

色濃く漂う、暗く哀しく悲観的な印象は、時代背景、生い立ちからも窺える。
フランスが大敗を喫する、普仏戦争(1870.7.19-1871.5.10)。敗北感、喪失感、将来に対する不安。日常的に戦争が行われていた時代、現在の戦争が無い状態が特異なのかもしれない!?
三人兄弟の次男に生まれ、病弱であったために里子に出され、味わう孤独。学業での挫折。
自らの内へと拡がりをみせる、相容れない独自の世界観。

緻密な黒い線、不気味なほどに暗い。
描かれる横顔、うつむき、まぶたを閉じる。
決して正面を見据えることをしない。


1880年(40歳)、12歳年下のカミーユ・ファルトと結婚。
1886年(46歳)、長男に恵まれるも、6ヶ月で亡くす。
1889年(49歳)、待望の次男 アリを授かる。
画家としての地位と生活の安定と、新しい希望のシンボルを得て、豊かな色彩の作品を描き始める。それまでにも、印象派風美しい色彩の風景作品を描いてはいたが、決して人前に出すことが無かった。自らの心の奥深くに閉じ込められた感情。
それでも、豊かに美しい色彩に彩られた女性が、正面を見据えることは無かった。怪しい美しさを秘めた横顔、うつむき、薄く閉じられるまぶた。




写真展「生命の輝き -前川貴行」5

生命の輝き -前川貴行 表厳しい自然の中に棲息する野生動物たちが垣間見せる表情。

写真家前川貴行が、
”生命の輝き”と題して展示する野生動物たちの姿、約50点の写真。

パンフレットのメインにある、雪の中に身を寄せ合うホッキョクグマの親子、母の愛。
周囲を埋め尽くし、顔にも降り積もる白い雪。
どんなに厚い毛皮を纏っていても、雪は冷たかろう。
白い毛皮が、白い雪と同化していたって、常に外敵からの危険にさらされていよう。
愛しい我が子たちと暖を取り合う安息の瞬間。
閉ざされた眼。丸まった背中。

一方、絶好の瞬間を押さえたカメラマン。
どんなに高性能の望遠レンズを使おうとも、それなりの至近距離まで近付き、自然との同化を果たす必要があろう。
相手は、野生動物だから、至近距離まで近付くことは、常に身の危険が伴う。相手も厳しい自然の中で生き抜くことに真剣。遣るか遣られるか、弱肉強食、自らが生き抜くためには、時に自らの身を護るために、相手に攻撃を仕掛けて倒さなければならない。
自然が相手の撮影は、必要最小限の荷物だけを携え、何時間もひとところに居続けることによって、まずは自然に受け容れられることから始まろう。どんなに長い時間を費やしたところで、相手は気まま、好機はいつ訪れるとも知れない。絶好の瞬間は、たった一瞬。同じ瞬間が、現れることは無い。研ぎ澄まされる緊張。何百カット、何千カット、いや何万カットと撮った中の、たった一枚の、一度きりの好機を獲得するために費やす労は、計り知れない。

広い大空を悠々とはばたくワシ。
温泉で寛ぐサル。
キツネだって、あくびをする。

厳しい自然にあるからこそ、垣間見せる表情に、輝きを見せる生命。

猛々しい角を有した雄シカ同士が、烈しくぶつかり合う、真剣勝負。その瞳に宿る厳しさ。
血が滴るサカナを口に佇むブラックベアー。自らが、厳しい自然の中を生きるために口にする生命体。「生きるために、絶対的に必要なんだよ。」、そう語るかのようなブラックベアーの瞳に宿る悲哀。


 〜 前川貴行オフィシャルサイト『EARTH FINDER』
       http://www.earthfinder.jp/

生命の輝き -前川貴行 裏

「ルオーとグロテスク -汐留ミュージアム」行きました。5

ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault, 1871-1958)は、野獣派に分類される19世紀〜20世紀期のフランスの画家。それでも、ルオー本人はフォーヴィスム(野獣派)の「画壇」や「流派」とは一線を画し、ひたすら自己の芸術を追求した孤高の画家であった。 〜Wikipediaより

日本における、ジョルジュ・ルオーの専門美術館と位置付けられる、東京・新橋(汐留)にある「松下電工 汐留ミュージアム」。
5月26日(土)〜8月19日(日)に開催されている企画展『ルオーとグロテスク』。

物語好きの私には堪らない企画展。
だって、
”戦時下の地下室で生まれた自らを「カタコンベの画家」と呼んだルオー”
が、
”一般に奇怪、異様、不気味といった否定的なニュアンスで語られることの多いグロテスク”
な訳だから、溢れる幸せ、豊かさとは、対極の存在。深く暗い歪みを有する。
それは、ある意味では人間の、人間であれば誰もがその心の内に有する本質的な感情。誰もが必ず有しているにもかかわらず、一般的には表出することを恥じる感情。恥じるからこそ、隠したがり、隠したがるから不自然な行動を伴い、不自然な行動は小さく無い歪みを生み出す。その歪みを、さらに隠すために、さらに不自然な歪みを積み重ねる。時にその様相は、圧倒的に不条理な世の中の様相と相まって、滑稽さすら垣間見せる。それでも当事者本人は、自らのことに必死だから、周囲への配慮の余裕など欠片も無い。
それは、神と崇められる”キリスト”であっても、権力者として民衆を支配する傲慢な”裁判官”であっても、一方では、娼婦、道化、サーカス芸人など、社会の底辺にいる経済的には貧しい労働者たちであっても、その表面的な、階級に表出されるほどの差異が無かったりする。だって、みんな同じ人間だから。
それでも、現実的には、それぞれは絶対的に異なる存在であり、決して相容れることは有り得ない。そこには、圧倒的に確立された階級社会があり、その階級社会を構成する階級が、存在するに至る必然があり、その階級によって保たれるバランスがあり、その階級社会を保つために生み出される歪みの存在まで、その裏側の裏側の裏側まで、深い深い深い宿命の連鎖の呪縛みたいなものまで絡まり合い、どうにもこうにも。

解説によると、
”グロテスクの正体である「滑稽と恐怖」、「善と悪」、「美と醜」、「聖と俗」の感情の造形化”
とあり、
”「色、形、ハーモニー」の実体”
なのであり、その深い部分に垣間見える、
”最初は隣人を、最後には自分自身をそこに発見し、私たちは愕然とします。”


7月9日(月)に、作品の展示替えが行われるらしい。


ルオーとグロテスク 表ルオーとグロテスク 裏

















「モネ 大回顧展 -国立新美術館」行きました。5





見ておきたかった!、であり、見て好かった!
六本木 国立新美術館にて、7月2日(月)まで開催の企画展『大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産 -Claude Monet:L'art de Monet et sa postérité』、何とか閉幕に間に合いました。

クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)は、印象派を代表するフランス画家


何を隠そう、絵画に興味を抱いたのは、というか、ちゃんと身銭を切って『絵』を見たのは、昨年秋の「アンリ・ルソー -世田谷美術館」からであり、「サルバドール・ダリ -上野の森美術館」、「異邦人(エトランジェ)たちのパリ -国立新美術館」、受胎告知の「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像 -東京国立博物館」でしかなく、、、
正直、”よく分からない”のではあるが、
”本物”とでも言いましょうか、多くの人々の幅広い絶大な支持を受けた、著名な”天才”の、その醸し出す雰囲気であり、溢れるエネルギーを、自らの目で、肌で、体で直接感じたくって、大好きな”物語”を愉しむが如く、足を運ぶ。
可能な限り事前の予習は欠かさないものの、元々、全く興味を有しなかった領域であり、どんなに著名な画家であったとしても、名前を聞いたことがある・・・、というレベルでしかなく、世界や芸術の歴史にも当然に疎いため、”印象派”とか言われても、よく分からない。
ある意味では、”よく分からない”からこそ、先入観を有することなく、一点一点をじっくり眺めることができる。平日に行ける特典を活かして、それでもその高い人気や話題性が故に、混雑は避けられないのではあるが、時間を気にせず、ひたすら列に並んで、間近に作品にがぶり付いてじっくり眺める、隅から隅まで、とにかくじっくりじっくり眺める。何故に、この芸術家は、この作品が、この構図で、この色彩で、このタッチで描かれたのか?、この作品によって描きたかったモノは?、何歳のときに、どんな状況で、何を考えて描いたのか?
作品から、その解説から、時に年表などの資料から垣間見える、芸術家の人間像と、そのある意味では”物語”は、時にその時代背景さえもが、私を妄想の世界へ誘う。


今回の企画展は、印象派の巨匠”モネ”が遺した作品、何と約100点もが一同に集結しちゃっているのであるから、それはまるで”祭り”であり、多くの人々が集まるのも納得できる。

とっても”豊か”な印象を受けた。
明るく美しい色彩によって描かれる、幸福な女性像であり、家族の姿、美しい庭園であり、山や川や海や森の風景。溢れる優しさに、漂う幸福感。
人物像や人間関係の解説が少なかったために、物語的な妄想力を働かせることができなかったのではあるが、、、 だからこそ(?!)、豊かさを烈しく感じた。暗さや歪みを感じることが無かった。それは、もしかしたら彼の”スタンス”であり、”演じた姿”なのかもしれないが、何をどんな手法で描かせても、モネは巧いのである。
とにかく巧くって、同じ素材を、風景を、描く分ける”連作”の手法の見事さは、感動を覚える。特に、”光と色彩の変化を追求した”と解説される通り、霧に煙るロンドンの橋を描いた作品において魅せる光の加減には、言葉を失う。だって、濃い霧の中にぼんやりと浮かぶ橋の姿と、太陽の弱い光、その弱い光が川面を、さらに弱く照らす光の加減、それでも弱い光には弱い光なりの色彩があり、そんなぼんやりとした、表現し辛い素材に焦点を当てる、しかしそこには、歪みを抱えた奇異な表現が一切無く、何処までも素直で正直な表現によって描かれる。
だからこそ、その素直に正直に美しい豊かさが、多くの人々の支持を受けるのであろう。


そしてまた、絵画に、その作家自身の人間性、人間関係、時代背景などの、”物語”を求めてしまう私には、その巧さと、美しさ、豊かさを、素直には受け入れることができなかったりもして、全くもって”よく分からない”、、、


モネ 大回顧展-表モネ 大回顧展-裏















『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像』行きました。5





圧倒的な物語ファンです♪
受胎告知(1472-73年)』に、20代前半の若きレオナルド・ダ・ヴィンチが織り込んだ物語を愉しむべく!

実は恥ずかしながら、新潮社「旅 2007年 05月号」ローマ特集で、イタリアの文化と歴史に紡がれた物語の数々に、その中でも特に、ヴァチカン博物館(ヴァチカン宮殿)内の”システィーナ礼拝堂の天井画”のフレスコ画に興味を覚えた、同じルネサンス期(14世紀〜16世紀)を代表するミケランジェロ・ブオナローティ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni,1475-1564,彫刻家・画家・建築家・詩人)と、すっかり混同しています。

そんな訳で、難しいことはよく分かりませんが、
1974年の「モナ・リザ展」(何と150万人超の入場者を記録し社会現象となった!)以来、33年ぶりに再びレオナルド・ダ・ヴィンチの名画を迎える、新たな歴史の1ページ
と、謳われたら、それは目にしない訳にはいかない!
ただそれだけ!!
それでも、天才が放つパワーを、その織り込まれた物語を、とにかく愉しみたい!

平日の午前中に足を運んだにもかかわらず、大混雑!
(待ち時間さえ、高まる気持ちには丁度いい!?)


特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の実像  The Mind of Leonardo - The Universal Genius at Work」
会期:2007年3月20日(火) 〜 2007年6月17日(日)
会場:東京国立博物館 本館特別5室・平成館特別展示室

この展覧会は2007年1月までイタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館で開催されていた企画展を日本向けに再構成したもので、
”イタリアが誇る至宝「受胎告知」をダ・ヴィンチの創造世界の始まりにすえ、手稿をもとに制作した模型や映像などを用いて、芸術から科学にわたる広範な試みの全てを紹介していきます。500年前に生きた一人の人間が成し遂げた偉大な精神活動の記録を余すところなく概観できる、これまでにない展覧会”
 〜企画展HP みどころ より抜粋〜
と、解説されています。

第一会場、本館特別5室(通称「特5」は、「モナ・リザ」、「ツタンカーメン」、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」など、世界の至宝を飾ってきた歴史的場所!!)では、イタリアフィレンツェウフィツィ美術館 (Galleria degli Uffizi) の至宝「受胎告知」本邦初公開!
とにかく、この目で見ました!
肌で感じました!
間近に、手の届く距離で、本物を!

個人的には、第二会場(平成館特別展示室)が興味深かった。
流石、本場イタリアの美術館で開催されていた企画展だけあって、解説の文章が深い!
こちらも、実際の展示物は人波に揉まれて(とにかく大混雑)、ゆっくり鑑賞することはできませんでしたが、、、
何よりも素晴らしい解説文、それを読み込み、その解釈を深めたいがために、全文のメモを取り、併記されている英文(?!外国語はからっきしダメなんですが、雰囲気と言葉の意味を理解したくて・・・)まで、頭に叩き込んだ。
「万能の天才」として知られる レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci,1452-1519,絵画・彫刻・建築・土木・解剖学・天文学・数学・飛行学?)の生涯、生い立ちから、思考、哲学など、広範な精神活動の展開がたどられる。
自らを”Homo senza lettere (無学な人)”と称して、それが故に、長い年月をかけておびただしい量の書物を集めた、努力の人。
人間と自然の営みを司る「法則」の探求。
「思考の動き」の解明、
「かたち」の変化と均衡、
「力」によって生じる「運動」、、、
それでも、氏の生涯を通じた思考と探求の結果、あらゆる学術の最上位に位置すると考えた『絵画』。
氏は『絵画』を、様々な法則や原理に基づき、経験による実証と普遍的な知識の上に成り立ち、そして自然界のあらゆる形態を模倣するだけでなく、自然界には存在し得ない形態を生み出すことすら可能な『精神の記述』と捉えた。 それ故に、氏の完成された絵画作品は、極めて少ない。「最後の晩餐」、「モナ・リザ
それだからこそ、後に探求し続ける様々な主題の起点を見出すことができる作品と位置付けられる『受胎告知』。
本物を目にできた幸せ。
「本物」に宿る「力」。

氏の67年の生涯。
今から遡ることおよそ500年前の歴史的な愉しい物語。


天才の実像(レオナルド・ダ・ヴィンチ) 表天才の実像(レオナルド・ダ・ヴィンチ) 裏













写真など「じゃらんnet.お出かけガイド」でも紹介しています!↓
http://odekake.jalan.net/reporter/Gori/album/0000006025

「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005」行きました。5

やっと行くことができました♪
六本木に新しくオープンした「国立新美術館」。
生憎の曇天も、逸る私の心には、丁度いいのかもしれない!? ある意味、そんなものかな?!とも。
あの黒川紀章設計によるガラスを多用した圧倒的にカッコいい建築物が、眩しい春の陽射しに照らされて織り成す光の競演は、残念ながら次回に持ち越し。 まぁ、そんなに欲張るな!ってことかも!?
だって今日は、企画自体が楽しみな「異邦人(エトランジェ)たちのパリ 1900-2005 ポンピドー・センター所蔵作品展」♪♪
ピカソも、シャガールも、フジタも集結してるというし、足を運んだ建築士の友人も「良かった!」って言うし、最近ず〜っと行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい、って結構頭の中は一杯だった!

で、よかった!!

絵画は勿論、写真あり、彫刻あり、オブジェあり、しかも100年もの長き(20世紀初頭から現在まで)に、パリに集った芸術家たちの、その才能が溢れる作品 約200点が余すところなく公開されているその壮観さに圧倒される。 あまりの幅広さに、何だか訳がわからなくなってしまって「え〜、何でこんなに沢山集めちゃったの〜?! 遣り過ぎなんじゃないの〜! 訳わかんない〜!?」って思って、一寸休憩の時に資料をパラパラ見ながら考えた。
なるほど!
20世紀初頭のパリに、その自由に魅了されて遥か異国から集結した芸術家たち、そしてその憧れの”芸術の都パリ”でその才能を磨き、開花させた”異邦人たち”。 当然に彼らには何の保証もなく、ただただ圧倒的な憧れと大きな夢を抱いて、それなりに相当な覚悟の上で異国の地に足を踏み入れたことでしょう。 きっと夢破れて帰国したもの、中には野垂れ死んで(不謹慎かな?!)しまったものもいる筈。 だって、異国の地に渡って、最初から上手くいくことって考え辛い。 そんな不遇の時を経ても、孤独と苦悶しながら、それでもその旨に秘めた想いをその圧倒的に内に秘めた才能に満ちた芸術家同士が切磋琢磨し合える状況に中に身を置き、それを成し遂げた彼らと、彼らのその想いに触れることができる幸せ。

作品ごとに表示されるプレートに、作者の出生国と没した国の記載があるのも、この企画展が、パリをその”芸術の都”としての地位を、揺るぎない確固たるモノとすることに尽力した”異邦人(エトランジェ)”たちの対する敬意?!とも感じた。
本家パリの”ポンピドー・センター”も、その時代の彼らの存在を切り取ってひとつの企画展とすることの意義をも、そのメッセージの中に明確にしている。 その意義を感じたときに、またその作品たちに新たな輝きが加わり、新たな感動が湧き上がる幸せ。

溢れる優しさを感じる作品もあれば、当然にその苦悩に悶絶する雰囲気が感じられる作品もある。 その出生国や年齢と、ある限りのデータから私が繰り広げる想像力は果てし無く広がる。

彫刻作品が、今にも動き出しそうにその肉体の筋肉すら感じる様に息を呑む。”フルートを吹くアルルカン(Arlequin a la flute) -パブロ・ガルガーリョ(Pablo Gargallo)作”。

絵画では、藤田嗣治(レオナール・フジタ)の”カフェにて(Au cafe)”に魅せられた。 全くもって何気ない街角のとあるカフェに佇むひとりの女性と、その風景がただただ描かれているだけなのに、漂ってくる匂いすら感じさせる。 手紙とインクとペンを前に、ただたたぼんやりと頬杖を付き、物思いに耽る。 優しいベージュ系の背景の中に存在する女性の、束ねられたブロンズの髪、広く皺のない額、一方では焦点の合わない不均一な眼、少し歪んだ唇、胸元の大きく開いた黒い服から溢れる肉質感、その胸元から除く乳房のふくらみすら、圧倒的な存在感と迫力を感じる。

とにかく、私の陳腐な言葉では言い表わす自信がないので、作品集を購入しました。
ポンピドー・センターがあるパリに行きたい!
セーヌ川を眺めて、”芸術の都”のその匂いを感じたい!









実は、オープン前の晴れた冬の日に訪れていたのです!








国立新美術館「異邦人たちのパリ」表国立新美術館「異邦人たちのパリ」裏

『ダリ回顧展』に行きました。5




20世紀を代表する画家サルバドール・ダリSalvador Dalí,1904-1989 の生誕100周年記念『ダリ回顧展』、上野の森美術館に行ってきました!!

自由奔放で、ユーモアに溢れた独特な作品の数々・・・
何故この色? これは何? どういう意味? 何故ここに描かれているの? 何を意味しているの?
などなど興味が後から後から湧き出でて、激しく惹きつけられるのですが、凡人の私などの理解には到底及びません(笑)!
頑張って目を凝らして、頭をフル回転させたのですが(笑)・・・
途中には、ご親切にもダリの言葉によって「私の作品を理解しようと思うな! 描いている私にも理解できないのだから!!」などと、彼特有のユーモアが用いられており、素直に楽しむことにしました(笑)!

色々な見方、解釈があるのでしょうが、私は、とにかく自由で、底抜けに楽しい!と感じました!!
自分を全て包み隠すことなく素直に正直に表現している!
その豊かな表現力、人間性に、深い感動を覚えました!

ダリ回顧展 表ダリ回顧展 裏

死の苦しみのなかの・・・ (サルバドール・ダリ)

1982年、78歳の『ダリ』にとって、最愛の妻(心の支えであり、不安・不能からの解放をもたらした、特別な唯一の女性)『ガラ』を亡くし、「人生の舵取りを無くした」と嘆き悲しんだといわれ、その失ってしまった深い深い悲しみから生じたであろう、激しく漲る狂気にも似たエネルギー
敬愛するベラスケスと、ミケランジェロをもって表現された大作(『左の窓の背後からスプーンが飛び込んでくる、死の悲しみのなかのベラケスタ』・『「甲冑」もしくは「戦士」ミケランジェロ作「ロレンツォ・ディ・メディチ」による』・『地質学的循環 ラ・ピエタ』)に触れ、ただならぬ何かに惹きつけられて、その場を離れることができない
深い喪失感に打ちのめされ、悲痛な思いに苛まれている

翌1983年には、破滅的な「チェロを残忍に攻撃する・・・」と、シンプルに静かに完成されたかのような「無題 燕の尾とチェロ」が制作される
それ以降、二度と描くことは無かった

人間「ダリ」に触れた、強く惹かれた

『ルソーの見た夢、ルソーに見る夢』に行きました。5




冷たい雨がしとしとと降りしきる中、世田谷美術館に行ってきました。
実は何を隠そう、ちゃんとお金を払って『絵画』を見るのは、何と初めての経験なのです!!
また『アンリ・ルソー(1844-1910)』なる方を存じ上げていなかった、全くの芸術音痴であることも、正直に告白します(笑)!
当然に、ピカソと同じ時代で、『素朴派』と言われている何てことは、全く知りませんでした・・・
何はともあれ、砧(きぬた)公園の緑と、紅葉を目で楽しみつつ、しっかり作品を楽しんできました!
結構な人出で、館内は混雑していましたよ!!

素晴らしい!
ルソーの作品が素晴らしいのは勿論、ルソーの影響を受けた人達が、パリだけでなく日本にもたくさんいて、それぞれの作品がみんな味がある!
真面目に描いているのか、ふざけているのか、最初は戸惑いを感じましたが、非現実的で単純ながらも美しい色に心が惹かれ、すご〜く細かいところまで丁寧にキチンと描かれていて、ペタッとして平らな奥行きが無いようでいて深みがあって・・・ 展示されている作品を一点一点じっくり見ていて飽きることがありませんでした!
それぞれの作品の印象は、細部に目を移していくと、詳細な描写が新たな楽しみを生み、それにより全体の印象が克明になり、その配置、構図に高い完成度を感じるのです!

カミュー・ボンボア、アンドレ・ボーシャン、藤田 嗣治岡 鹿之助植田 正治・・・ みんなよかった!

私は、特に『サン・ニコラ河岸から見たサン・ルイ島』に魅了されました。
きっと、「お月様」を私の心が求めているからでしょうが、美しいセーヌ川、橋、船、木々、サン・ルイ島の街、ノートルダム寺院、サント・チャペル、エッフェル塔、そして人、道、空・・・
シンプルなのに、てんこ盛りで、精密機械のような緻密さを感じるのに優しくて、大満足!みたいな感じが堪らない!!

ん〜、『戦争』と『私自身:肖像=風景』を見に、オルソーとプラハに行きたくなりました(笑)!!

また、何とルソーは40歳から絵画を始めたという遅咲きの画家で、そんなところも、私に勇気を与えてくれるのです。


それから、「建築物」として、
一級建築士の友人から、著名な先生の設計であることを聞いていたので、楽しみにしていたのですが・・・
素晴らしい!
優しい曲線と、細かいデザインが、凛とした趣きを醸し出していました。
天気がいい日にもう一度足を運びたい!


楽しかった〜!!
大満足です!!!

ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 (世田谷美術館) 表ルソーの見た夢、ルソーに見る夢 (世田谷美術館) 裏
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