日本売春史―遊行女婦からソープランドまで
著者: 小谷野敦
単行本: 239ページ
出版社: 新潮社 (2007/09)




壮大な目論見を見守りたい。

小谷野 敦(こやのあつし,1962.12.21- )は比較文学者、評論家。東京大学非常勤講師。近代的理念を再評価する「新近代主義」の立場を取り、現代日本の論壇人への苛烈な批判で知られる。 〜Wikipediaより
『猫を償うに猫をもってせよ(小谷野敦のはてなダイアリー)』

エイズという梅毒より恐ろしい性病が現れたいま、売春非合法だが存在する状態にしておくのは、現実的政策とはいえないだろう。ヨーロッパ並に合法化し、性病予防を徹底するべきであろう。(P.194)”
だから、本文の最後に書き記す、
私の目的は、ここに達成された。というのは、中世遊女は聖なるものであったと論じる者たちを私は批判したが、彼らの多くは、現代の娼婦について語ろうとしないからだ。(中略) 現在わが国に存在する職業としての売春を黙殺して、過去を賛美するような行為は不誠実である。古代から現代に至るまでの、一貫した日本売春史を記述することによって、そうした論者たちを追い詰めることが目論見だった。(P.208)”


約150以上もの参考文献を紐解き、ほとんど資料らしきものが存在しない古代まで遡った、比較文学的論評。
ちなみに、比較文学とは、文学作品などを比較して、表現・精神性などを対比させて論じる文学の一分野。〜Wikipediaより
売春や娼婦など、日本の精神史を解いた過去の数多の文献を検証し、時に痛烈な批判を展開する。ばっさばっさと、痛快にメッタ斬り。あまりの独断振りに、暫し言葉を失うも、なるほどなるほど、それが”比較文学比較文化”的な理論展開なのかも!?、と何となく納得、嫌いじゃない。曖昧な人情論や感情論による展開を排除。


人類セックスの特徴は、発情期がなく、常にセックスが可能であることだ。(P.17)”
”多くの側室を持った明治天皇に対し、大正昭和天皇は、一妻であった。
(P.24)”
それが事実であり、現実。否定しても、忌避して隠しても、どうなるものでもない。

人間の本能と、需要と供給、その必然。
人類が、生殖を目的としない、快楽のためのセックスをするであることは確かだ。(中略) セックスの後で男が消え去ってしまい、女が妊娠すれば、それを引き受けるのは女だから、女は不特定多数とのセックスを忌避するだろう。もし、妊娠を回避する確実な方法を彼らが知っていたら、男女ともに快楽を求める結果として、売春は発生しなかったかもしれない。(P.17-18)”

それにしても、ここで紹介した研究書のほとんどが現在入手困難で、人はこれほどまでに歴史の暗部から目を逸らしたがるものか、と思う。(P.145)”
”要するに日本の一般人は、けなげな下級女郎の悲劇や、聖なる遊女論のようなものを好むのだと言うほかない。
(P.107)”


”まえがき”の冒頭に書き記す、
「われわれにとって容易なことでなく、またそうすることが大へん必要なのは、ある本に刺戟を受けたときに、原著者に猛烈に嫉妬することではないかと私には思われる。嫉妬するということは、なぜそのような本が自分または自分たちによって書かれないのかと真剣に問い質すことである」。
十六年前に書かれた、文化人類学者・山口昌男の『本の神話学』(中公文庫、元本は一九七一)の冒頭に、「翻訳餓鬼道」、つまり外国(もっぱら西洋)の著者の翻訳して、それで済ませてしまう態度への批判が書かれている。



≪目次≫
第1章 売春に起源はあるのか
第2章 古代の遊女は巫女が起源か
第3章 遊女論争―網野善彦による「密輸入」
第4章 「聖なる性」論の起源
第5章 中世の遊女と網野史学
第6章 近世の遊女史
第7章 岡場所、地方遊廓飯盛女
第8章 日本近代の売春―廃娼運動と自由恋愛
第9章 現代日本にも存在する売春―カフェ赤線ソープランド