Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

鈴木道彦

本「失われた時を求めて 〈13〉 第七篇 見出された時 II [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 13 第七篇 見出された時 II (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈13〉 第七篇 見出された時 II [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Le Temps retrouvé, 1927”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2007/3, 文庫 488ページ)
○価格: 950円
○ISBN: 978-4087610321
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さて、完結♪、全13巻、ぼくにとっては昨年9月からおよそ5カ月の時を経て、、、どうなんだろう、「おわった」というよりは、そう、「はじまった」、あぁやっとはじまりをむかえるんだなぁ、とは、ボンヤリと(ウレシイ)、もちろん、分かった気はマッタクしていなくって、まぁそんなにカンタンなモノじゃないことは、はじめっから分かっていた(容易に想像できた)ことだから、たった一回だけ読んで理解できると思っちゃいない(そんな薄っぺらな軽薄な単純なモノじゃないだろうことは、複雑な構造を成していることは解説されてナルホドナルホド、分かったような分からないような)のであって、ただただ読んだことだけに満足してオシマイにする気はないことから、さぁどうしよう♪


20世紀文学の記念碑。完訳版全13巻堂々完結。
ゲルマント大公夫人のサロンで、「仮装パーティ」の会場に案内された語り手は、時間が人びとの上に押した刻印に胸を打たれる。ゲルマント大公夫人とは、もとのヴェルデュラン夫人であり、オデットは、今やゲルマント公爵の愛人に納まっている。そしてジルベルトの娘サン=ルー嬢こそ「メゼグリーズの方」と「ゲルマントの方」の完全な合体であり、時の生んだ傑作である。こうして語り手は、時の啓示に心打たれ、作品にとりかかることを決意する(第七篇 II)。


≪目次: ≫
見出された時 II  Le Temps retrouvé, 1927.

凡例
はじめに

見出された時(続)


訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ 戦争とプルースト/加藤周一

あとがき (二〇〇七年二月 鈴木道彦)

引用された文学・芸術主要作品索引 巻末
登場人物索引 巻末


※本書は二〇〇一年三月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈12〉 第七篇 見出された時 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '11/01/11
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈11〉 第六篇 逃げ去る女 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '11/01/01
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈10〉 第五篇 囚われの女 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/21
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈9〉 第五篇 囚われの女 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/14
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈8〉 第四篇 ソドムとゴモラ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/12/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/24
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25

吉川一義 『プルーストの世界を読む』(岩波セミナーブックス、2004年) '11/01/20
プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉  スワン家のほうへ I』(吉川一義訳、岩波文庫、2010年) '11/01/14

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈12〉 第七篇 見出された時 I [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 12 第七篇 見出された時 I (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈12〉 第七篇 見出された時 I [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Le Temps retrouvé, 1927”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2007/3, 文庫 568ページ)
○価格: 1,100円
○ISBN: 978-4087610314
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なんだかんだと気がつけば(とは、しらじらしくも)、いよいよ最終巻の第13巻を残すのみとなって、そう、見出された時、であり、失われた時を求めて、なのであり、圧倒的な憧れ(の意識)を意識しつつ、たんなる憧れ(の意識)だけでは、なんとも長大な壮大な物語を、物語は、、、まぁそういうことなんだろうなぁ♪

どうなんだろう、ときおり頭のなかをめぐる音楽、メロディー、フレーズ、いろいろあるんだけれども、そのひとつには、「やっぱりぼくはタイ焼きさ、すこし焦げあるタイ焼きさ、、、」、機会をえて、鉄板から(囚われの身から)飛び出して、自由の世界を海のなかを、「とっても気持ちがいいもんさ♪」、などと泳いでみたりするんだけど(お腹のアンコは重いけど)、でもでも、「やっぱりぼくは、、、」タイ焼きなんだよ、そう、タイ焼き以外のなにものでもなく、、、タイ焼きが、本来タイ焼きであるとするならば体験できないような夢のような世界を世間を社会をたまたま経験することができて機会をえて、そして思うことは(体験も経験もしないままでも思いいたることなのかどうなのか)



第一次大戦が始まり、語り手は療養生活にはいる。戦時中のパリで、ヴェルデュラン夫人はサロンを開きつづけ、ドイツ贔屓(びいき)になったシャルリュスの男色癖は嵩(こう)じて、すさまじいマゾヒズムの快楽に耽っている。戦後しばらくして、語り手はゲルマント大公夫人のパーティに赴く。ゲルマント邸の中庭にはいったとき、不揃いな敷石に足をとられてよろめいた感覚が、突如ヴェネツィアサン・マルコ寺院の敷石を思い出させて、言いようもない喜びを覚える(第七篇 I)。


≪目次: ≫
見出された時 I  Le Temps retrouvé, 1927.

凡例
はじめに

見出された時


訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ 熊野でプルーストを読む/辻原 登


※本書は二〇〇〇年九月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈11〉 第六篇 逃げ去る女 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '11/01/01
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈10〉 第五篇 囚われの女 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/21
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈9〉 第五篇 囚われの女 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/14
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈8〉 第四篇 ソドムとゴモラ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/12/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/24
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈11〉 第六篇 逃げ去る女 [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 11 第六篇 逃げ去る女 (集英社ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈11〉 第六篇 逃げ去る女 [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: La Fugitive(Albertine disparue)”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2007/1, 文庫 648ページ)
○価格: 1,200円
○ISBN: 978-4087610307
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そんなに深く突き詰めて考えるまでもなく、すこし頭を冷やして冷静な判断力と想像力をもってしてみれば、そう、やっぱりどうしたってムリがある(実現かつ持続の可能性に比するに不可能性が勝る)。いやいや、なんとかしてみせるのが、無理難題をどうにかこうにか(こともなげに?!)遂げてしまうのが男の醍醐味、心意気、若さ?!の特権♪、だったんだろうなぁ、とは、よくもわるくも、わるいことなどなにもない、やってみなけりゃ分からない、やらずになにが分かるものか、シッパイしたっていいじゃないか、そんなにカンタンにはじめからなんでもかんでも上手にできるものでもないだろう



アルベルチーヌ失踪後の語り手の苦しみ。帰って来てほしいと願う気持と、帰らぬことを望む気持が渦巻く。やがて、彼女の死亡通知を受けとると、彼女のことが生き生きと蘇って、語り手を苦しめる。また、彼女の隠された過去も報告され、苦悩をいっそう深くする。一方、スワンはすでに死に、オデットはフォルシュヴィル伯爵と再婚し、ジルベルトはサン=ルーと結婚している。語り手はヴェネツィア訪問の後、彼らの住むタンソンヴィルに滞在する(第六篇)。


≪目次: ≫
逃げ去る女  La FugitiveAlbertine disparue) (消え去ったアルベルチーヌ)(『ソドムとゴモラ III 第二部』)

凡例
はじめに

逃げ去る女


訳注
主な情景(シーン)の索引
参考資料 ヴェネツィアのヴィルパリジ夫人とノルポワ氏
本巻の主な登場人物

エッセイ 下手くそな絵描きでありつづけたい/堀江敏幸


※本書は二〇〇〇年三月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈10〉 第五篇 囚われの女 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/21
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈9〉 第五篇 囚われの女 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/14
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈8〉 第四篇 ソドムとゴモラ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/12/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/24
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈10〉 第五篇 囚われの女 II [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 10 第五篇 囚われの女 II (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈10〉 第五篇 囚われの女 II [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: La Prisonnière, 1923”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2007/1, 文庫 472ページ)
○価格: 950円
○ISBN: 978-4087610291
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さて、本巻のカバー画は「アルベルチーヌとアンドレ」(キース・ヴァン・ドンゲン、1947年版『失われた時を求めて』挿絵より)、囚われの女、のII、なのであり、ソドムとゴモラ、のIII、なのでもあり、アルベルチーヌ、アルベルチーヌ、あぁ、アルベルチーヌ

かぜひきまして。ユックリ養生してます、ハイ。午後は自室の布団の中でオトナシクも暖を惰眠を貪り。なによりも、まずは、ジョウブなカラダにぼくを生んでくれた親に、急な高熱や突発的にヒドイ症状に陥ることがないような遺伝子?!をぼくに受け継いでくれた父と母に感謝をささげつつ、もっともこの点「ジョウブなカラダ」については、そうシンプルにストレートに語ってしまえるようなモノでもないような気がしていて、後に語るとするならば〈他人の痛みが分からない〉であり、また一方では〈ガンバリが足りない、ガマンの限界レヴェルが耐性が低い、ジブンに甘い〉などと、、、で、節々の痛みを全身に感じながら、咳とくしゃみと鼻水に悩まされながら。午前中には面接授業と称される、放送大学の講義の受講予定が2コマあって、貧乏性のぼくは受講料(全8コマ 金5,500円也)を先払いしていることもあるし、単位が貰えなくなっちゃったら(出席率を厳しく問うとの事前説明あり)、モッタイナイなぁと思った、そう思った、だから出席しないという選択肢はなかった。さらには、午後か夕方か夜には、もしかしたら仕事が、契約(不動産売買契約)立会いが、宅地建物取引主任者としてのぼくが生活の糧を得るべく従事している不動産会社における、ぼくに与えられた唯一無二?!のオシゴト、重要事項の説明、そのために物件調査をして契約書類を作成して契約に立会う、予定が、面接授業を終えた後に急きょ対応しないといけない可能性が示唆されていた。で、すでに何日も前から体調が優れないなぁとなんとなく感じていて、しかし一向に改善される傾向を見せることなく、むしろ悪化する気配ばかりが色濃くて、それでも、高熱が出て身動き不可能なほどにはヒドクはない、すこしボ〜っとすることから、なにごとにも余計に時間がかかるものの、それさえみずから把握して自覚していれば、なんとか周りに(ぼくに与えられる仕事の関係者には)迷惑をかけないレヴェルで対応できるだろう。ということで、朝、いつもより少し早めに時間に余裕をもって自室を出て電車に乗って、マスクして、周囲に迷惑をかけちゃいけない。もしかしたら、がんばればなんとかなったかもしれない、たぶん、これまでだったら、無理をしてでも耐えて耐え忍んででも(周囲に菌を撒き散らして迷惑をかけてでも)、早退することなど、じつは過去にはほとんど経験がない、記憶がない、のだが、講義の1コマ目を終えたところで「体調が悪いので帰ります」と白旗をあげた、ギブアップ。むしろ、契約を、生活の糧を得るためのオシゴトは、なんとしてでも遂げないわけにはいかない、それを欠いてはオハナシにならない、とばかりに苦渋の選択(ただただ甘い?!)、その足で会社に向かう(同路線2駅先)、電話で済ませる方法も、オシゴト(契約)の状況を確認して状況(体調不良)を報告する選択も考慮しなかったわけではないのだが、重いカラダをユックリ運ぶ、足を向ける。案の定?!、残念ながら!?、契約立会いの予定は今日の今日のところはないようだ、社長から「具合悪そうだから、早く帰るように」との指示を得た、もちろん?!ぼくのコメントは「気合いが足りなくてスミマセン」。ところで、ぶっちゃけぼくには「体調不良」などといった概念を、どちらかというまでもなく持ちえないのだが、そう、「気合いが足りない」であり「自己管理がなってない」で一蹴、チ〜ン。そもそも「体調を崩すほどに大した仕事しているのか?」を問わずにはいられない、間違いなくぼくは、みずからに問うには(問うまでもなく)大した仕事などしていない、もっとも、仕事ばかりしているわけでもない(プライベートが、家族や趣味や地域の仲間との関係だってイッパンテキにある)のだし、直接的に目に見えて判定される成果や働きばかりに拘泥するのも、どうなんだろう?!、もちろん、成果をあげることは大前提(成果をあげられないとなると別の問題、適性とかが問われよう)としても



語り手はシャルリュスの主宰するヴェルデュラン邸での夜会に赴く。この夜会でヴェルデュラン家の人びとは、シャルリュスとモレルを引き離すための陰謀を企み、シャルリュスは追われるようにヴェルデュラン家を去ってゆく。語り手とアルベルチーヌの、嫉妬と倦怠の交錯する生活。語り手は、アルベルチーヌと別れて憧れのヴェネツィアに行きたいという気持を強めるが、そんなある日、突然、アルベルチーヌは失踪する(第五篇II)。


≪目次: ≫
囚われの女 II  La Prisonnière, 1923. (『ソドムとゴモラ III 第一部』)

凡例
はじめに

囚われの女(続)


訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ 魂の越境/姜尚中(カン サンジュン)


※本書は一九九九年九月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈9〉 第五篇 囚われの女 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2007年) '10/12/14
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈8〉 第四篇 ソドムとゴモラ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/12/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/24
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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失われた時を求めて 9 第五篇 囚われの女 I (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈9〉 第五篇 囚われの女 I [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: La Prisonnière, 1923”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2007/1, 文庫 480ページ)
○価格: 950円
○ISBN: 978-4087610284
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そう、1922年11月18日に51歳で他界したプルーストの、死後に刊行された、いわゆる未完の第五篇以降。書き残され、遺されたテクスト(物語)は、大判ノートに20冊、1922年の春には20冊目の最後のページを書き終えて「完」の文字を記して全体の一応の完成をみたとも



語り手はアルベルチーヌをパリに伴って行き、二人の同棲生活が始まる。しかしアルベルチーヌを他の女から引き離してしまうと嫉妬は鎮められ、あとには倦怠しか残らない。アルベルチーヌは真実を語らず、語り手は彼女の行状に疑惑の目を注いで、ありとあらゆる可能性を想像してはひとり苦しむ。そんななかで、語り手はヴェルデュラン夫人のパーティに出かけようとして、ごろつきのような若者を従えてやってくるシャルリュス男爵に出会う(第五篇I)。


≪目次: ≫
囚われの女 I  La Prisonnière, 1923. (『ソドムとゴモラ III 第一部』)

凡例
はじめに

囚われの女


訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ イリエとコンブレーと『失われた時を求めて』/加賀乙彦


※本書は一九九九年五月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈8〉 第四篇 ソドムとゴモラ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/12/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/24
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラ II (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈8〉 第四篇 ソドムとゴモラ II [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Sodome et Gomorrhe, 1922-23”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/10, 文庫 696ページ)
○価格: 1,250円
○ISBN: 978-4087610277
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カバー画は、キース・ヴァン・ドンケン「化粧するアルベルチーヌ」(1947年版『失われた時を求めて』挿絵より)。バスルームと思しき明るい空間で、大きな鏡のある化粧台に向かう全裸の女性の後ろ姿、鏡に映る顔と上半身。不自然なほどの細身、ひょろなが〜い腕。
どうなんだろう?!、華麗な衣装を身にまとい、社交にいそしむ貴婦人。華麗に装うのは、ある意味では相手にたいする配慮であったり敬意を示して、そこで相手にたいして示される敬意や配慮みたいなモノは、そのうちの割合の如何を問わずして、トウゼンに相手に要求する(相手から提供されるべき)敬意や配慮の提供であり、すくなくとも(本意であるか否かをを問わずして)演じられる敬意や配慮の相互の交換をも前提として、いるのかどうなのか、互いを持ちあげて(すくなくとも表現上は表面上はマチガッテも貶めることなく)、アタリマエのように素のまま自然に(装い演じることなく)本意を示して表意しちゃぁイケナイ、装い演じることを求められて、装い演じなければならない(装わず演じないことはゆるされない)、まぁそれを窮屈と思うのか、プレイヤーとして舞台の上でスポットライトを浴びるために必要不可欠のコトと考えるのか、たしかに舞台から降りてスポットライトを浴びないのは(最初からそうであるならともかく、いちどでもその快感を経験し得たなら、その地位にポジションの可能性があるならば)



ヴェルデュラン夫人が、連日のように晩餐会を開いている(第四篇II 第二章・続)。語り手は運転手つきの自動車をやとって、アルベルチーヌとバルベック効外を散策する。一方、シャルリュスは、ヴァイオリニストのモレルに会うために、ヴェルデュラン夫妻のサロンの常連になっている(第四篇II 第三章)。アルベルチーヌの同性愛への疑惑と嫉妬。彼女を隔離しなければならない。語り手は母親に、アルベルチーヌとの結婚を告げる(第四篇II 第四章)。


≪目次: ≫
ソドムとゴモラ II  Sodome et Gomorrhe, 1922-23.

凡例
はじめに

II
第二章(続)
第三章   シャルリュス氏の悲哀――彼の偽りの決闘――「大西洋航路」の各駅――アルベルチーヌに飽きた私は、彼女と別れたいと思う。
第四章   アルベルチーヌへの急旋回――夜明けの悲嘆――私はただちにアルベルチーヌとともにパリに発つ。

訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ ヴィスコンティを通ってプルーストへ/菅野昭正


※本書は1999年1月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/24
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 7 第四篇 ソドムとゴモラ I (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈7〉 第四篇 ソドムとゴモラ I [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Sodome et Gomorrhe, 1922-23”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/10, 文庫 616ページ)
○価格: 1,200円
○ISBN: 978-4087610260
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ときどきフッと、中学二年生(だからたしか14歳でいいハズだ!?)の別に暮らすぼくの娘のことを考えないものでもない。ことし六月のはじめのころに会おうとして、いろいろあって(そう、いろいろあったなぁ、ホントいろいろあるものなのだよ)会えなくって、それ以降はますます連絡が疎遠になっていて、それ以前がいつに会ったのか、たぶん三月ころなんじゃないのかなぁとは思うのだけど(春休みに美術館に行って弟の店で夕飯を食べて以来かなぁ)、そう考えるには八カ月近く会っていない顔を姿を見て目にしていない、ということのようだ。いまさらながらに、この期におよんで?!、父親ヅラするのもなんだかオカシイ、対話もないのだから父親らしいことのなにができようか?!(じつはそもそも父親らしいってなんなんだろうとの疑義がないわけではないのだがそれはさておき)、などと明白に意識しないものでもない。だから、なにを話していいものやら、なにを考えて(興味や関心があって、ときに悩んでいたりして)いることやら、マッタク見当もつかない、想像できない分からない、などと考えながら、ボンヤリと。
おもむろに、中学生のころのぼくは、それが二年生のころだったのかどうか記憶が定かではないのだが、卒業するまでつづいたんじゃないかなぁ、はげしくいじめられていた、んだけど、誰にもそのことを、もちろん両親にも先生にも、そもそもぼくにはトモダチが、いわゆる親友なんて言ったような存在がいなかったことから(それはいまでも変わらない)、誰かにうちあけたり相談することはマッタクなかった、ひとりで考え悩んで、どうにかこうにかやりすごして。よく覚えていないんだけど、ってことは、そんなレヴェル(大したことではないコト)でしかないなんだろうけれども(いまとなっては、なのか、そのときもそうだったのか、よく分からない)、そのときの多数派勢力に、いわゆる不良グループに標的(ターゲット)にされて、もともとぼくは、どちらかと言えば、などとは言うまでもなく目立たない存在ではなかった(まぁ明らかに目立つ存在だった)から、存在を存在感を消すことに苦心した、いろんなモノ(上履きとか衣類や文具など?!)が、故意に隠されたり、とんでもないところに放置されたり、、、ん〜、でも、思い起こしてみるには、具体的になにをどうイジワルされたのか、どんないじめを受けたのか、その詳細をどうにも思い出せないなぁ、なんとなく、辛く苦しかったような印象だけが残っているのだけど、じゃぁ果たしてなにがどうして辛く苦しかったのかと考えてみるには、そう、誰にも話すことができなくて、それはまた、周囲にたいしてフツーを、なんにも変りなく、なにも変わったことなどないかのようにふるまって演じて、でももちろんなんにもないわけじゃない、だからといって、なにがどうしたと言いえるものでも抵抗するでも対抗するでも主張するでもなく、そう、ある意味では、ハッキリと分かっていたことのひとつとしていまでも明確に覚えているのが、ぼくが小学校のときに先頭に立って意地悪くバカにして、結果的に周りも同調したのかどうなのか(までは覚えていないが)、きっと彼はぼくにたいする恨みというのか少なからぬ憎悪の感情を抱いていたんだろうなぁと容易に想像できた相手が、中学生になって、いわゆる不良グループにコネクションをもつようになって、なにがキッカケか、まぁぼくの性格は褒められたものではない(底意地悪く歪んでいる!?)ことから、それでいて存在的には目立たない方ではなかったことから、標的になる可能性は低いものではなかったのであろう、とは。で、いじめられちゃっていることを、みずから認めちゃうのも悔しかったし(なんだかよく分からないプライドみたいなものがそれを、ぼくが他人からいじめられている、などという忌々しき事態を、みずから認めることを許さなかった?!)、そもそも、その原因のひとつには過去のぼくの悪行に起因するものであることなんかを考えるには、他人に助けを求めるのもオカシナ話でスジチガイで都合がよすぎるだろう(自業自得!?)とはモチロン考えないわけにはいかない、もっとも彼(それ以前にぼくに意地悪されて、それゆえにのちに機会を得てぼくに意地悪を仕向けた彼)はそんなことを、ぼくからいじめられたからいじめ返しているんだよぅ、などと他人に言うことはきっとないのだろうけれど、、、


シャルリュス男爵と仕立屋ジュピヤンの出会いをきっかけに、同性愛(ソドムの世界)の主題がくっきりと姿をあらわす(第四篇I)。ゲルマント大公夫妻のサロンでの、ソドムの男たちの描写とドレーフュス事件の影。章末の一節「心の間歇(かんけつ)」では、祖母を巡る過去が突然に蘇る(第四篇II 第一章)。アンベルチーヌとの交際の深まり、そして彼女と女友だちの関係への疑惑。ここから、ゴモラすなわちレズビアンの世界が、徐々に始まってゆく(第四篇II 第二章)。


≪目次: ≫
ソドムとゴモラ I  Sodome et Gomorrhe, 1922-23.

凡例
はじめに

I
II
第一章   社交界のシャルリュス氏――ひとりの医者――ヴォーグーベール夫人の特徴ある顔――アルパジョン夫人、ユベール・ロベールの噴水と陽気なウラジーミル大公爵――アモンクール夫人、シトリー夫人、サン=トゥーヴェルト夫人など――スワンとゲルマント大公のあいだに交わされた不思議な会話――電話でのアルベルチーヌ――最後となる私の二度目のバルベック滞在までのいくつかの訪問――バルベック到着――アルベルチーヌに対する嫉妬――心の間歇。
 心の間歇
第二章   アルベルチーヌの秘密――彼女が鏡のなかに見ている少女たち――未知の婦人――エレベーターボーイ――カンブルメール夫人――ニシム・ベルナール氏の快楽――モレルの奇妙な性格の最初のスケッチ――シャルリュス氏、ヴェルデュラン氏の晩餐に出る。

訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ 過激にして明晰/三木 卓


※本書は1998年9月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/16
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ II [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ I [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方 II (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈6〉 第三篇 ゲルマントの方 II [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Le côté de Guermantes, 1921-22”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/8, 文庫 712ページ)
○価格: 1,250円
○ISBN: 978-4087610253
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さて、今日もまたうつうつとルーチンワーク、前日または前々日あたりから読む本の順番をなんとなく決めて、なんとかどうにかこうにか時間の遣り繰りをつけて(まずは時間と労力を費やす以外に方途はない)、生活の糧を得るための仕事を最優先したうえで、毎日一冊の本を読み終えるべく(そのことに読了になんの意味があるのかなどと問うことなかれ、自己満足以外のなにものでもない)。なんだかんだと手当たりしだいに本を読み進めているのだが、もちろんそれなりに読む本の選定には苦心しているのだが、読めば読むほどに知れば知るほどに、ますますなんら語りえない思いばかりが募り、とにかく(どうなんだろう??!)イメージとしては、穴の開いた底の抜けたバケツ(コップほどに器として小さいものではないと思いたい!?)にジャブジャブと注ぎ込む!!?、注ぎ込む、注ぎ込む、とにもかくにも注ぎ込む、もちろん注ぎ込まれたモノが溜まることはない、しずくが壁面にへばりつくことはあったとしても。すでに若くないと自覚しているよそ(40歳)のぼくは、フツーに考えるならば意味があるのかどうなのか?!などと迷いが生じて行動をストップ(stop、停止)してもオカシクないような状況を、それなりに意識して、意識して、意味があるかどうかは分からない、もしかしたら意味があるかもしれないけれど、またもしかしたら意味などまったくないかもしれない、成果をなんら得られないかもしれない、、、などと♪、そう、20代のころ、営業職に従事していたころ、卵が先か鶏が先か的に悩んで迷って、さんざん悩んで行動停止状態(機能不全)に陥って、すっかり自信を失して営業職を辞した。20代で若いぼくは、結果であり実績が、もちろんなにもない。なにごとも、はじめから自信があったり、ましてや実績があることなどありえない。実績も経験もなにもない状況のなかで、とにかく実績を経験を積み重ねるべく、盲目的にガムシャラに(それが若さの特権なんだろう)なにも余計なことを考えずシッパイをも恐れることなく(知らぬが仏??!)遣るしか行動して突き進むしかない、実績も経験もないのだから、トウゼンに失うモノもなんにもない、のだから。そう、ある意味では、考えちゃったら、考えすぎたらダメだ、不適格。なんのことやら、祖母の死へとむかう病床の詳細な描写から、医者にたいする不信の念



発作を起こした祖母が、まるでうら若い娘のような姿で息を引きとる(第三篇II 第一章)。パリのアパルトマンに、以前とくらべて明らかに変化し成熟したアルベルチーヌが、不意に語り手を訪ねて来る。このころ、語り手は夜会でゲルマント公爵夫人と言葉を交したり、また夕食に招かれたりするようになる。こうして、パリの社交界で最も輝かしい存在に近づいた語り手に、華やかだが滑稽で醜い上流社会の人たちの生態が見えてくる(第三篇II 第二章)。


≪目次: ≫
ゲルマントの方 II  Le côté de Guermantes, 1921-22.

凡例
はじめに

II
第一章   祖母の病気――ベルゴットの病気――公爵と医者――祖母の衰弱――その死。
第二章   アルベルチーヌの訪問――サン・ルーの友人たちにとっての金持の娘との結婚の見通し――パルム大公妃を前にしたゲルマント家の才気――シャルリュス男爵への奇妙な訪問――私にはますます彼の性格が分からなくなる――公爵夫人の赤い靴。

訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ わが友ブロック/四方田犬彦


※本書は1998年5月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/11/07
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 2 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ 2 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 1 [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方 I (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈5〉 第三篇 ゲルマントの方 1 [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Le côté de Guermantes, 1921-22”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/8, 文庫 736ページ)
○価格: 1,300円
○ISBN: 978-4087610246
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そう、固有名詞?!としてたびたび登場するから気になった「ドレーフュス事件」、読了したら調べてみようとはボンヤリと思っていたのだが、あんのじょう巻末の「訳注」に詳しく説かれていた、さらには読了してから巻頭の「はじめに」をなにげなく読み直していたら、じつは「はじめに」にも詳しく説かれていたことに気がついた。しかし、全736ページはヘヴィーだ。それなりにペースをあげて読み進めないと、詳細の理解よりも、そのレヴェルがバランスが難しいのだが、もっとも必要であるならば何度でも読み込む覚悟で、たった一読で理解できるとは思っちゃいないのであって、そんなカンタンな薄っぺらな内容の作品ではないだろう、だから?!、大きく流れをつかむことを、詳細の理解よりも優先して(が正しい?!読み方であるのかどうか確信はない、なによりも読了を、まずはとにかく読了することを最優先としたい)。話の流れが展開が切れ目なく、とらえどころのないような、だらだらとさえも感じさせるような(感じてしまう)どこまでつづいていくのか、どこで場面が展開したのか



語り手の家族は、パリのゲルマント家の館の一角に引越し、「ゲルマントの方」の扉が徐々に開かれる。ラ・ベルマの演ずる『フェードル』観劇のさいに、ゲルマント公爵夫人を見かけた語り手は、プラトニックな愛情を抱くようになり、夫人に近づくため、同じ一族のサン=ルーを訪ねる。やがてヴィルパリジ夫人のサロンでゲルマント公爵夫人を見かけるが、現実の夫人には、彼女の名前を通して思い描いていた神秘的なものを見出すことができない。 (第三篇 I)。


≪目次: ≫
ゲルマントの方 1  Le côté de Guermantes, 1921-22.

凡例
はじめに

I

訳注
主な情景(シーン)の索引
系図――ゲルマント一族の人びと
本巻の主な登場人物

エッセイ ゲルマントという主題/鈴村和成


※本書は1998年1月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 2 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/22
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ 2 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 2 [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 4 第二篇 花咲く乙女たちのかげに II (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈4〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 2 [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: A l'ombre des jeunes filles en fleurs, 1919”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/5, 文庫 608ページ)
○価格: 1,050円
○ISBN: 978-978-4087610239
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根競べ、よろしく♪、明白に好戦的であるんだけれど、体力には力で争って他人に勝てる気がしない、力と力で直接的にぶつかりあうことなく、ジリジリネチネチとハッキリと意識していながらもまるで意識していないふうを装って、根気強く粘り強く、瞬発力ではなく持続力での、負けたくない、負けてなるものか。。。
さて、全13巻の長大な物語を読み進めるには、どうなんだろう、それなりの作戦やら戦略をもって挑んだ方が、中長期的な展望をもたずしてペース配分を考えることなく読了することは、まぁ中途で挫折してもそりゃアタリマエだろうなぁとはみずからの経験から。
ぼくがおよそ月に一度のペースでみずからに課しているクロスバイクでのトレーニング約88km峠越えランで考えるには、それはたとえばマラソンとかの長距離走でもいいだろう。まずは、それなりの目標タイムであるとか所要時間とかペース配分を考えてイメージして、入念な準備運動の後にスタートする。じっさいに走ってみなければ、スタートしてから気がつくこともいろいろある、はじめての経験だったり、二度三度の経験ではなかなか分かりえない、なんだろう、なんかいつもと違う感じ。みずからの身体器官をつかってみずからの意志による主体的な行動は、いまの便利で快適な世の中において、じっさいにその機会はあまり多くない。フツーに電車やバスや自家用車に乗って、他力による動力によってまさに客体として運搬されて、その間は移動すること以外のことに注力して、たとえば読書とか携帯メールとか携帯ゲームとか音楽を聴くとか。
話を戻して、クロスバイクランをスタートすると、いろいろなことが気になる。スタートするのはゴールを目指してのこと。いちどスタートしたら、あとはただひたすらゴールすることを最終の目標として。最終の目標が決まっていて、その過程においては小さな数限りない目標のクリア(達成)の積み重ね、ときに失敗しながら失敗をリカバーして軌道修正したりして。あぁ、体が重い、足が速くまわらない、腰が膝が股関節が、、、ぶっちゃけ「走るの止めた方がいいのかなぁ?!」(ヘナチョコ)などと思うことも少なくない、「じゃぁなんで止めた方がいいと思うのか?!、その理由は原因は??!」などと考える時間は、ゴールするまでに残された時間の分だけタップリある。最終の目標をゴールと定めて、最終の目標であるゴールすることを断念することを画策する、やってることと考えていることが矛盾しちゃっていることはニチジョウテキによくあることではあるのだけれども。体が重い理由や原因が、体調不良によるもので、すぐに運動を止めるべきものであるのか?!、それとも、単なる運動不足で辛いシンドイだけなのか?!、すこし考えればすぐに分かることだ。ときどきは快調にスタートから順調にスピードが乗って乗って乗りまくることだってないわけじゃない、調子いいときに行けるところまで行っちゃうことも、あとからバテルことを承知してチャレンジすることも、ある意味では必要な経験だろう、後半でバテバテになって止めたいと思っても、じつはゴールがすでに間近であると考えたときには、仮にゴールが近くなくても自力でゴールに辿り着きたい、とっととさっさと終わらせたい、などと考えるには。なるようにしかならない。
さて、どちらかと言えば、などと言うまでもなく、ぼくにとっては単調でオモシロミに欠けると感じなくもない、でも読んでおきたい読了したい本書『失われた時を求めて』、もっとも、みずからの意志においていちどはじめたものを途中で止めるというような考えがない(考えたくない、負けたくない)、などと、本末転倒かもしれないなぁとの疑いや迷いがないわけでもない、いろいろ余計なことを考えながら読むと、アタリマエのように読書スピードは低下する。スピードが低下すると、所有時間は長大になり、そのうちには飽きを感じて(フツーにヨワイ、ツヨクナイ)、、、と考えているからなのか、意識して加速を、アップビートをアップテンポなリズムを意図してきざみながら♪



ノルマンディ海岸バルベック、そこにはじめて赴いたときの語り手の幻滅と発見。「ゲルマントの方」の人物、ヴィルパリジ侯爵夫人やサン=ルー、シャルリュス男爵などが登場してくる。また、画家エルスチールのアトリエを訪ねた語り手は、普通に人が考えている現実とはまるで違った独創的な芸術家の表現する真実に惹かれる。そして画家の紹介で、「花咲く乙女たち」と知合いになり、そのなかのアルベルチーヌに心が傾いてゆく(第二篇第二部・続)。


≪目次: ≫
花咲く乙女たちのかげに 2  A l'ombre des jeunes filles en fleurs, 1919.

凡例
はじめに

第二部 土地の名・名(続)

訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ 未知のガリア――夢想のほとりで/吉田加南子


※本書は1997年7月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇「スワン家のほうへ1」』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2010年) '10/10/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/10/06
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ 2 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて 3 第二篇 花咲く乙女たちのかげに I (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈3〉 第二篇 花咲く乙女たちのかげに 1 [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: A l'ombre des jeunes filles en fleurs, 1919”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/5, 文庫 624ページ)
○価格: 1,100円
○ISBN: 978-4087610222
おすすめ度: 5.0
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まさに、巻末のエッセイで野崎歓がタイトルにかかげているとおり、あこがれ♪、ただただ「あこがれ」を原動力として、雰囲気を、ストーリーの詳細まではなかなか理解がぶっちゃけおよばないのだけれども、ときおり飛び出す展開される芸術論的な呼称は名称は、それだけでもピピッと反応を示して、ぼくがなんとなくこれまでに聞きかじって知っていると思しきキーワードが出現するたびに思わず漏れちゃう感嘆のタメイキ♪、知らないコトバには反応のしようがない、後で調べるか、そのまま読み飛ばすか、いずれにしてもあまりに知らないチンプンカンプンなコトバばかりが連続すると、知らないこと(無知)を自覚させられることは、あんまりタノシイことではないことからも、いろいろな理由をつけて(イイガカリ)、そう、読むのを止めてしまう、そんな気持ちを理解できないものでもない(ぼくはフツーに理解能力に秀でていない、フツーよりも劣る、と自覚している)。幸運なことに、と言ってしまうほどにカンタンなものでもないのだけれど、ぼくは貧乏性でモッタイナイモッタイナイが根底にあるからなのか、読みはじめた本を途中で止めるなんて、放り出しちゃって読み終えることがないなんて(選定からはじまり中途までに費やした労力をも含めて)モッタイナイ、そんなにカンタンに分かって理解できちゃうようなモノ(本)ばかり読んでいても仕方がない(拡がりが得られない)ではないか!?!、分からないから読むんだ、いまは分からないから、いまからのちには(いずれ、いつか)分かりたいから、将来に分かるようになるためには、いま分からないことを明白に自覚して!?、さて



ところで、光文社古典新訳文庫から高遠弘美訳が全14巻の予定で2010年9月から(じつは第1巻がすでに手元にある)、岩波文庫からは吉川一義訳が同じく全14巻の予定で2010年11月より刊行予定と、にわかに(なぜいま??!)、新訳ラッシュ。とりあえず読みはじめたもの(鈴木道彦訳、集英社)は最後まで読みきらないと読み終えないと、ぼくの気が済まない(あくまでも個人的な性格的な)ことから考えるには、なぁ〜んだ、繰り返し読んで、あの手この手で、手を変え品を変え、どうせいちど読んだだけでは分からない理解できないでしょ??!(苦笑)、ってことなんだろうなぁ、と妙に納得♪



語り手はシャンゼリゼ公園でジルベルトと戯れながら、快楽の目ざめを覚える。彼女の両親スワン夫妻とも近づきになるが、二人のあいだに食いちがいが生じ、交際は中断される。別れていることの苦悩と恋の相手に対する忘却の始まり。やがて語り手にとっては、ブーローニュの森でスワン夫人の散歩のお供をするのが楽しみになる(第二篇第一部)。語り手が祖母とともに、かねてから夢見ていたノルマンディ海岸バルベックに到着する(第二篇第二部冒頭)。


≪目次: ≫
花咲く乙女たちのかげに 1  A l'ombre des jeunes filles en fleurs, 1919.

凡例
まえがき

第一部 スワン夫人をめぐって
第二部 土地の名・名

訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ 「あこがれ」のプルースト野崎 歓


※本書は1997年5月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ 2 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/10
マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016

ジャン−ポール・サルトル 『嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.』(鈴木道彦訳、人文書院、2010年) '10/09/15





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本「嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.」ジャン−ポール・サルトル、鈴木道彦 訳5

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嘔吐 新訳
嘔吐 〔新訳〕  Jean-Paul Sartre: “La nausée”, 1938.

○著者: ジャン−ポール・サルトル鈴木道彦
○出版: 人文書院 (2010/7, 単行本 338ページ)
○価格: 1,995円
○ISBN: 978-4409130315
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居心地の悪さというのか、落ち着かない気持ち、違和感(むかつき、吐き気?!)、ハッキリと「なにが」と言えるものでもない、きっと何処かには落ち着ける居心地の好い場所があるんじゃないか、あるはずだ、あって欲しい、、、(あぁ、分からない)。違和、むかつき、吐き気のような言いえぬ「なにか」を感じるからこそ、その「なにか」がなにであるのかを探求して、そのなにかを払拭し解消するため(したいがため)に彷徨う、あえて移動を行動を試みる、ひとつ処に留まることをよしとしない。
そう、図書館、ぼくもいろんなところの図書館に、好んで足を向ける(開拓している)、たとえばファミレス(さいきん利用しなくなって久しい)やファーストフード店は騒々しくて、またどこか(なにか)白々しさ(のようなもの)を感じて、ときどきは利用しないものではないけれど、それなりに重宝する侮れない存在(場所)なのだが、しかし、どうしても違和感を拭えないことから、足が向く先としての図書館。そう、そうではない場合もすくなくないのだが(居場所を探し求める人は、その目的を問わずして多い、図書館の公共性、無償での開放)、本を読む、読書をする、学習を目的とする人たちが好んで利用するために集う場所、場所


港町ブーヴィル。ロカンタンを突然襲う吐き気の意味とは……。一冊の日記に綴られた孤独な男のモノローグ。60年ぶり待望の新訳。存在の真実を探る冒険譚。


≪目次: ≫
嘔吐 〔新訳〕』 La nausée, 1938

刊行者の言葉(刊行者記す)
日付のないページ    十時半
日記    一九三二年一月二十五日 月曜日/一月二十六日 火曜日/木曜日朝、図書館にて/木曜日午後/金曜日/五時半/木曜日、十一時半/三時/金曜日、三時/土曜正午/日曜日/月曜日/午後七時/午後十一時/謝肉の火曜日/水曜日/木曜日/金曜日/土曜日朝/午後/月曜日/火曜日/水曜日/午後六時/夜/金曜日/土曜日/日曜日/火曜日 ブーヴィルにて/水曜日 ブーヴィルにおける私の最後の日/一時間後

訳注
あとがき
(二〇一〇年三月 鈴木道彦)    一、「偶然性の理論」から『嘔吐』へ/二、アントワーヌ・ロカンタンと「存在」の発見/三、「冒険」と「完璧な瞬間」/四、ラグタイムとプルースト的世界/五、伝記と小説/六、翻訳について/七、おわりに


【カバー・絵】 A・デューラーメランコリア」1514年


[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。一橋大学、獨協大学教授を経て、現在、獨協大学名誉教授。著書に『サルトルの文学』(紀伊國屋書店)、『プルースト論考』(筑摩書房)、『異郷の季節』(みすず書房)、『プルーストを読む』、『越境の時』(共に集英社新書)など。訳書にP.ニザン『陰謀』(集英社)、F.ファノン『地に呪われたる者』(共訳、みすず書房)、J-P.サルトル『植民地の問題』、『哲学・言語論集』(共訳、人文書院)など多数。M.プルースト『失われた時を求めて』(全13巻、集英社)の個人全訳で、2001年度讀賣文学賞、日本翻訳文化賞受賞。

J‐P・サルトル 『嘔吐』(白井浩司訳、人文書院、1951年、改訳新装版1994年) '09/04/06
合田正人 『サルトル『むかつき』ニートという冒険』(理想の教室、みすず書房、2006年) '09/04/11
長谷川宏 『同時代人サルトル』 (講談社学術文庫、2001年) '09/030/09
合田正人 『サルトル『むかつき』ニートという冒険』(理想の教室、みすず書房、2006年) '09/03/06
サルトル/メルロ=ポンティ、菅野盾樹 訳 『サルトル/メルロ=ポンティ 往復書簡 決裂の証言』(みすず書房、2000年) '09/02/03
海老坂武 『サルトル 「人間」の思想の可能性』(岩波新書、2005年) '08/12/01





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本「失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ 2 [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて〈2〉第一篇 スワン家の方へ〈2〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈2〉 第一篇 スワン家の方へ 2 [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Du côté de chez Swann, 1913”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/3, 文庫 570ページ)
○価格: 980円
○ISBN: 978-4087610215
おすすめ度: 5.0
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おもむろに、「幸福」について。
全570ページもの厚みのある本を、前夜から読みはじめて(前夜のうちに約100ページ)、通勤の往復やら、移動やら、なにやらかにやらで都合をつけて読書時間を捻出して労力(集中力)を費やして、自室最寄りの駅のホームのベンチで最後に時間調整して読了(夕飯を自炊して、ひとりで食して、ひとりで安い酒を飲みながらウツウツと書き記す)。全13巻の長大な物語の第2巻だから、まだまだ序盤(はじまったばかり)の、もっとも、その後に重要なモチーフとして欠かせない有意な要素を多く含んでいるであろうことから、注意を怠ることをしないながらも、読む(文字を追う)スピードをゆるめることなく緊張感を保ったままに、いつもにも増して読むスピードをあげる。ぶっちゃけ、どうやらぼくのなかでは、時間をかけてゆっくり丁寧に読んでも、ある程度読む速度をあげて詳細な理解を多少犠牲にしたとしても、その後の結果に大差はない(少なからぬ差はあろうが)、むしろ、じっくり時間を費やして読んだからといって理解がより深まるものでない(変わらない)ことから考えるには。さらには、全13巻の大著で難解と謳われる名著なのであって、その初読みで、どのレヴェルまでの理解がえられるのかと考えるには。で、たぶん細切れながら1時間に100ページ+αくらいの読書スピードだったであろうと想定するに、それでもおよそ5時間くらいを費やしていようか。もっとも、ぼくの自室にはテレビもラジオもないから見ることも聞くこともない、新聞も雑誌も読まない(興味も関心もない)、家族も友人も仕事仲間とも積極的な付き合いを避けて(絶って)いることから、フツーの人よりも読書に費やせる時間は多いのだが、このあたりは価値観の問題にもなろうことから、ましてやぼくの感覚などというものは(性格や人間性まで含めて)レギュラーにあらざるイレギュラーで、ズレていると自覚しちゃっていることから、トクベツに誇るようなことをする気はないのだれども、、、そう、ときに苦しくて辛くて悲しくて、なんで生きちゃっているんだろう?!とか、ぼくなんか存在しない方がいい邪魔者(余計者)なんじゃないか??!とか、考えはじめると、たまには涙がじわっとにじむことだってないわけじゃない、たびたびよくある。じゃぁ、なにがぼくをこんなにも苦しく辛く悲しくさせるのかと考えるには、あぁ考えたくもない、現実を直視したくないという抵抗と闘って、すこし考えるには、みずからになんらかのかたちではすくなからず(おおきく)起因することがらによるものなのであって、みずからの過去の積み残し、本来であれば、立ち向かって乗り越えて克服すべきことがらを、逃避して回避して適切にクリアすることなく遣り過ごしてきてしまったことが少なくない、のかも、との自覚があって、だったら仕方がないなぁ、受け容れるしかないんだろうなぁ、受け容れないわけにはいかないよなぁ、で、苦しくても辛くても悲しくても、不幸ではない、だろう。おまけに、ぼくの過去の不作為によって、ぼく自身がみずからが苦しく辛く悲しいだけならともかくとして、あろうことかぼくは、ぼく以外の、ぼく周囲に存在していた、本来ぼくが守るべき庇護してしかるべき(みずからの勝手なオモイコミなのかもしれない、分からない)、すくなからぬ他人にまで、苦しく辛く悲しい思いをいだかせてしまっているのかもしれない、そうではないかもしれない、よく分からない。よく分からないけれど、可能性は否定できない、なによりぼくとしては(勝手なオモイコミ、自己満足?!)無自覚ではいられない。あぁ、ぼくは、ぼくには、幸福になる権利なんかないだろう、どうしてぼくが(周囲の他者を差し置いて)幸福になることなどできようか。そしてまた、不幸を嘆く権利さえもないだろう、トウゼンに苦しく辛く悲しい思いをみずからうけとめて受け容れるべきだろう、、、こうしてぼくは(かなり展開にムリがあるけど)、不幸ではなくなった。不幸でも幸福でもなくなった。すくなくとも、不幸ではないのだ。そう、ささやかな読書という友!?を得て



語り手が生まれる前後に起こったスワンの恋の物語。ブルジョワ階級のヴェルデュラン夫人のサロンが舞台。スワンは、高級娼婦オデットに関心を持ち、彼女の通うこのサロンにやってくるようになる。やがて二人のあいだに好意が目ざめ、スワンはオデットを通して、恋の喜びや嫉妬を経験する(第一篇第二部)。二人は結婚し、ジルベルトという娘が生まれている。語り手はシャンゼリゼ公園の遊び仲間として彼女を知り、夢中で幼い恋をささげる(第一篇第三部)。


≪目次: ≫
スワン家の方へ 供Du côté de chez Swann, 1913.

凡例
まえがき

第二部 スワンの恋
第三部 土地の名・名

訳注
主な情景(シーン)の索引
本巻の主な登場人物

エッセイ「それぞれのプルースト工藤庸子


※本書は1997年1月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

マルセル・プルースト 『失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版]』(鈴木道彦訳、集英社文庫ヘリテージシリーズ、2006年) '10/09/07
鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016





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本「失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版] (集英社文庫ヘリテージシリーズ)」マルセル・プルースト、鈴木道彦 訳5

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失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉 (集英社文庫ヘリテージシリーズ)
失われた時を求めて 〈1〉 第一篇 スワン家の方へ 1 [完訳版]  Marcel Proust: “À la recherche du temps perdu: Du côté de chez Swann, 1913”, 1913-1927. (集英社文庫ヘリテージシリーズ)

○著者: マルセル・プルースト鈴木道彦
○出版: 集英社 (2006/3, 文庫 495ページ)
○価格: 930円
○ISBN: 978-4087610208
おすすめ度: 4.5
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ハジメマシタ、ハジマリマシタ、、、ダカラドウシタ、ソウイウコトナンデス、ナンノコトヤラ、、、無意志的記憶、プチット・マドレーヌ、、、冒頭の“長いあいだ、私は早く寝るのだった。ときには、蝋燭を消すとたちまち目がふさがり、「ああ、眠るんだな」と考える暇さえないこともあった。……”


語り手が眠りに引き込まれてゆく描写から、小説は始まる。夢現(うつつ)の状態、目ざめ、そのときに思い起こすコンブレーでの幼年時代、母が与えてくれた「おやすみ」のキス……。しかしこれらの記憶は断片的で、本当に生きた過去を返してはくれない。ところが後になって、ある冬の日に、何気なく紅茶に浸したプチット・マドレーヌを口に入れたとたん、幼年時代に味わった同じマドレーヌが思い出され、それと同時に全コンブレーの生きた姿が蘇る(第一篇第一部)。


≪目次: ≫
スワン家の方へ 機Du côté de chez Swann, 1913.

まえがき
文庫版の出版にあたって
凡例

第一部 コンブレー

訳注
主な情景(シーン)の索引

失われた時を求めて』全七篇のあらすじ
系図
登場人物100人

エッセイ「プルーストから吉田健一へ」松浦寿輝


※本書は1996年9月、集英社より単行本として刊行されました。


≪著者: ≫ マルセル・プルースト (Valentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871.7.10-1922.11.18) フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた。

[訳者] 鈴木道彦 (すずき・みちひこ) 1929年生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒。一橋大学、獨協大学教授を経て、獨協大学名誉教授。1954年に渡仏。パリにて三年余りの研究生活を送るあいだに、プルーストの自筆やタイプ原稿を検討する機会を与えられる。それらにもとづいて帰国後にフランス語で発表した「プルーストの“私”」(1959年)は、語り手の無名性を最初に立証する論文となった。プルースト研究のほかに、サルトル、ニザン、ファノンなどの研究・紹介を行う。また1960年代から70年代にかけて、数年のあいだ、反戦運動、在日朝鮮人の立場を擁護する運動などに従事。著書には『プルーストを読む』、『プルースト論考』、『異郷の世界』、『サルトルの文学』、『アンガージュマンの思想』、『政治暴力と想像力』などがあり、編著には『サルトルの全体像』(共編)ほかがある。また翻訳には、プルースト関係のものとして『失われた時を求めて』全13巻、同抄訳上下、同文庫抄訳全三巻、『プルースト文芸評論』(編訳)、『ジャン・サントゥイユ』(共訳)ほかがあり、またそれ以外にニザン『陰謀』、ファノン『地に呪われたる者』(共訳)、サルトル『家の馬鹿息子』(第一・二巻、共訳)その他がある。

鈴木道彦 『プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界』(集英社新書、2002年) '10/08/25
プルースト 『消え去ったアルベルチーヌ』(高遠弘美訳、光文社古典新訳文庫、2008年) '08/12/016





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本「プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書0175F)」鈴木道彦5

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プルーストを読む―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)
プルーストを読む 『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書0175F)

○著者: 鈴木道彦
○出版: 集英社 (2002/12, 新書 247ページ)
○価格: 777円
○ISBN: 978-4087201758
おすすめ度: 4.5
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あぁいよいよ来たみたい、まだ分からない、いつのことだったか、なにの機会でだったか、記憶はまったく不鮮明ながら、そう、ず〜〜〜〜っと、この大作プルースト『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳版は全13巻、集英社刊、2006年〜2007年文庫化)を読みたい触れたい感じたい、と憧れ(じつは、かつて上下二巻の抄訳版を自室最寄りの図書館で借りて、ぼくが記憶しているかぎりでは右手で足りる読了せずに返却した本のうちにカウントされている、挫折の苦い記憶)、、、なんだか目の前には比較的ページ数が多い本ばかりが数冊積んであって、もっとも、準備運動(大作の、解説本や関連するであろう周辺の本から、まずは予備知識を得てから本丸に挑むことにしているのは、理解能力に自信がないことと、やっぱり準備運動「さぁいくぞぉ!」との気分をみずから高揚させる効果もあるだろう)をはじめたら、ある意味では自動的に検索して予約ボタンがピッと押されて(便利な時代だなぁ♨、図書館の恩恵を享受)、そうそう読む(挑む!?)人はいないだろうことから在庫はある(あぁホントに在庫があるんだよなぁ、翌日には準備完了のメールが届くだろう、まだ踏みきれない)。読みはじめたばかりのセルバンテス『ドン・キホーテ』全6巻(岩波文庫、牛島信明訳)を、まずは読み終えてからにしようかなぁ、などと考えた直後に、みずから「なんの必要があって先延ばしにするのか、いま読まない理由はない、トウゼンのように併読(そう、橋本治の「双調平家物語 全16巻」と「窯変源氏物語 全14巻」の両大作はまさに併読しながら読了したばかり)だろう」、混同や混濁で理解を妨げるリスクと、一見して関連性を有しないように思われるところ(著書)に意外な連関があったりなかったり、一点集中して根を詰めて読み込んでみたところで大した理解には及ばない、がショウジキなところなのだが、、、無理をせずとも、抗うことなく、流れに、流されるままにただただわが身をゆだね♪



プルーストValentin Louis Georges Eugène Marcel Proust, 1871-1922)は20世紀西欧を代表する作家で、世界の文学に絶大な影響を与えた。フランスでは彼を読まずに文学に志す人はいないと言っていいほどで、その評価は時代とともにますます高まってきている。19世紀末から「ベル・エポック」にかけての社会を華やかに描き上げた作家であるとともに、現代文学の先駆者でもある。彼の扱った意識や夢、記憶、愛、スノビズム、ユダヤ人、同性愛、文学の意義などは、今日の問題であり続けている。本書は、大作『失われた時を求めてÀ la recherche du temps perdu, 1913-1927)』の個人全訳を完成した著者が、重要なテーマをスケッチしながら作品を紹介・解説する、贅沢な入門書。密度が濃く、大部な作品を堪能した充実感で、入門者も研究者も満足できる。


≪目次: ≫
凡例
本書と関連のあるパリ(地図)
はじめに 私はどんなふうに『失われた時を求めて』を読んできたか
第一章 プルーストの位置    現代文学における特権的地位/マルセル・プルーストの生涯/二十世紀文学の先駆者/最後の十九世紀作家/主観を通して描く
第二章 虚構の自伝    伝記への関心/一人称主人公/自伝と虚構/無意識的記憶
第三章 初めにコンブレーありき    読書する少年/「書く」という行為/二つの「方(ほう)」
第四章 憧れのゲルマント公爵夫人または想像力と知覚    教会/固有名詞と想像力/想像力と知覚
第五章 フォーブール・サン=ジェルマン    フォーブール・サン=ジェルマンとは何か/名前の時代/オペラ座/水族館のイメージ/サロン/神話の解体その一(才気)/神話の解体その二(芸術)/神話の解体その三(社交の快楽)
第六章 社交界とスノブたち    ヴェルデュラン夫人のサロン/スノビスム/ルグランダン/カンブルメール侯爵夫人/スノビスムと他者/なぜスノブを描くのか/凡庸なる人物の時代
第七章 スワンまたは世紀末のユダヤ人    シャルル・スワンのさまざまな顔/世紀末のユダヤ人/シャルル・アース/ブロックまたは下層のユダヤ人/ドレーフュス事件
第八章 シャルリュス男爵または孤高の倒錯者    タブーへの挑戦/ソドムとゴモラ/ユダヤ人と同性愛者/性愛の殉職者/シャルリュスの孤立
第九章 アルベルチーヌまたは不可能な愛    海辺の美少女たち/「所有」ということ/嘘/囚われの女/眠る彼女を見る/逃げ去る女/主観的な愛
第十章 芸術の創造と魂の交流    エルスチールと隠喩(メタフォール)/ヴァントゥイユの音楽/調子(アクサン)/魂の交流/記憶と印象/ふたたび無意識的記憶/知性の悲惨と栄光/知性と普遍性/時の発見
終章 読書について
あとがき (2002年11月15日 鈴木道彦)
年譜


≪著者: ≫ 鈴木道彦 (すずき みちひこ) 1929年、東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。一橋大学教授、独協大学教授を経て、独協大学名誉教授。『プルースト論考』(筑摩書房)、『異郷の季節』(みすず書房)など著書訳書多数。プルースト研究では国際的にも知られる。『失われた時を求めて』(全13巻、集英社)の訳業で2001年度の日本翻訳文化賞と読売文学賞を受賞。同書の抄訳上下(集英社)と三巻本抄訳(集英社文庫)も刊行されている。





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