さらば財務省!――官僚すべてを敵にした男の告白
著者: 盒桐琉
出版: 講談社 (2008/03,単行本 282ページ)
価格: 1,785円
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先行して読了している『財投改革の経済学 (東洋経済新報社,2007/10)』の衝撃に比すると(比較するものではないけれども)、とってもマイルドで読み易い。
遡れば、盒桐琉譟聞盒桐琉譟を知り得たのは、“山養世(山崎養世)”『道路問題を解く (ダイヤモンド社,2008/3)』であり、そのBK1での書評から。不思議な“縁”に感謝♪
ところで、無知で不勉強を自負しているぼくは、それがゆえに、日々読書に勤しんで、知識の習得に努めているのであるが、知れば知るほどに、語り得ない思いが強くなる。
たとえば、この本を読んで知り得たことがあったとすると、この本を読む前までは、ぼくはそのことを知らなかったわけで、ひとつには、知識を得て賢くなった歓びがある。一方では、そのことを知り得なかった、未熟なぼくの存在を否定できない。大前提には、「無知で不勉強」な自らが在るから、そのことは今さら恥じたところでどうしようもないことで、そもそもが最初から(経験をすることなく)知っていることなど有り得ない話でもあり、知らないからこそ、知らないと自らが認めるからこそ、知りたい欲求を生じ得るものでもあるのだが、歴然としていることは、なんら知らない未熟な存在である、ということである。
そして、なんらかを知ったぼくは、確かに一段階、未熟から脱して向上した。さきほどまでの未熟状態は克服された!?、と言えるのであろうが、果たしてその成熟度たるや??!
とどのつまりは(御幣を承知で)、生まれてから死ぬまで、常に未熟であり、確かに、現段階は、前段階と比較すれば、なんらかの進歩の可能性が認められることに相違はない。ところが、その成熟の度合いは、相対的には向上が見られるものの、絶対的な判断としては如何ほどのものであろうか?、などと考えるに、どう考えてもぼくには、知識を得た、未熟を脱した、と口外することができない。
ぶっちゃけ、科学的に神さま(?!)だって、その存在を否定されてしまう(存在を証明することができない)世の中であり、ますます絶対的なものなど有り得ない。
そう考えるに、最近では自らの言動を「絶対に間違っていないけれども、正しいとは言い切れない」と考える。
ぼくだって、それなりのプライド(これがくせ者)を有して生きているから、自分の判断について、それなりの根拠と自信を有している。現段階において考えられる最善の判断を下していると確信しているし、仮に判断を誤って他者に損害を与えた場合には、その責任を自らが負担する覚悟を有している。そのリスクまで想定して、自らの言動をチョイスしているつもりでも、現実は、往々にして判断を誤る。それでも、その判断ミスや失敗は、自らの経験値として習得して、自らを高める糧とすればいいのであって、失敗することや過ちを犯すことを恐れて、なにも行動をしないよりは、挑戦した方がいいことは言うまでもない。しかし、自らが言動を起こす上では、その責任を果たす覚悟は有していたい。結果がどうであろうとも、その責任を果たす覚悟があれば、誰になにを言われようが、どんなに批判されようが、反対されようが、自らを信じて行動を起こすべきであろう。
だから、「間違っていない」という自信は有していたいけれども、必ずしもそれが「正しい」かどうかは、また別の問題であり、「正しい」かどうかは結果でしかなく、多分に状況や環境による影響に左右されるものであり、結果オーライで努力も苦労もなく成功を得ることは、そこに善悪の判断をすることに意義を感じられない。
と、自らを鼓舞してなお語り得ない、、、
たとえ悪意がなくとも、人間は必ず間違う動物だ。どんなに気をつけていてもヒューマンエラーは起こる。社保庁だけでなく、厳重に管理しているはずの税務署や民間金融機関のデータにも誤りはある。
あらゆる手だてを講じて、確率をゼロまでしたとしよう。多くの人は確率ゼロだからもう間違いは起こらないと考えるだろうが、確率論の世界では、確率ゼロと、起こらないこととは、イコールではない。確率ゼロとは、ほとんど起こらないという状態でしかない。
では、どうするかである。人間は過ちを犯すという事実を認めて、起こった場合を想定し、どのように対処するかシステムを確立しておけば、取り返しのつかない事態までは進まない。これがリスク管理の基本的な考え方で、ゆえのない信頼を持っているより、はるかにいい結果が得られる。
もちろん、過ちを最小限に抑える工夫や努力は必要だ。ただ、エラーをミニマムにはできても、完璧はない。したがって、できる範囲でしかできないと割り切った方が、現実に即した対応策になる。過ちが生じたときに備えて最善のリカバリー策を考えておけば済むだけの話である。
アメリカでは、先ほどの年金通知の件もそうだが、「政府は間違える」という前提に立って、三権分立を考え出し、政府の暴走を抑止している。
しかし、どうやらこうした性悪説は日本人には馴染まないようで、多くの人が性善説的な考え方に立って、むやみやたらに信じたがる。私はこれが日本国の最大の欠点だとさえ思っている。 (P.261-P.262)
≪目次: ≫
まえがき――日本一の頭脳集団の本当の実力
序章 安倍総理辞任の真相
阿部辞任劇のさなかに/改革の真の論点は何だったのか/社会主義を信奉する官僚たち/もはや官僚はエリート集団ではない/誰も気づかない霞が関の失策/政治家と官僚が竹中平蔵を嫌った理由/霞が関のための政策立案
第一章 財務省が隠した爆弾
大蔵省の「変人枠」/理系であるがために/歌って踊れるエコノミスト/郵政省で「高橋株」が急上昇した理由/予算の総本山にいる東大法学部出身者は/破綻寸前だった大蔵省/日銀が突いてきた大蔵省の弱点/大蔵省「中興の祖」と呼ばれて/小泉総理なしでも郵政民営化は必然/特殊法人の価値/FRB議長の日銀批判/海外では一言も反論しない日銀/用意されていたポストは「雷鳥」
第二章 秘密のアジト
オフィスビルの一室での密会/金融界を震撼させた事件の証人に/不良債権を処理しないと豚箱行き/財務省に潰された改革/御用学者たちの情けない実態/官僚たちの高等テクニック/道路公団債務超過の嘘を暴く/建設利権を潤す国土計画構想/地方部局への左遷
第三章 郵政民営化の全内幕
郵政破綻をシュミレートした論文/「ここは、座敷牢だ」/郵政四分社化の決定過程で/六本木オフィス官邸/思わぬ形の反撃/八〇人のSEとの対決/奸計、そして誹謗中傷/郵政民営化を初めて数値化/特殊会社の裏にあったからくり/天が味方した民営化/竹中大臣は「カオナシ」/小泉総理の情熱
第四章 小泉政権の舞台裏
郵政民営化と政策金融機関の関係/財務省では「死刑でも済まない大犯罪者」/小泉総理の激怒/「盒兇鯔殺してやる/理財局との国有財産売却論/自民党と経済財政諮問会議の力関係/竹中大臣と飯島秘書官の間の溝/官僚を自在にコントロールする財務省/党政調会へのパワーシフト/自民党結党以来の快挙とは/「国庫に入ったカネは自分たちのもの」/家庭が主計官
第五章 埋蔵金の全貌
上げ潮派と財政タカ派/キャッシュフロー分析というレーダー探査機/年金は破綻寸前/巨額を積み重ねた役人根性/あまりにも稚拙な財務官僚の言い訳/探査すべき特別会計とは/独立行政法人に眠っているお宝/「日本は財政危機ではない」と知る財務省/財政タカ派の「増税ありき」トリック/博士の愛した数式/改革と増税で財政再建は可能/成長率が上がれば財政再建できない?/金融資産が飛び抜けて多い日本
第六章 政治家vs.官僚
選挙の洗礼を受けた竹中大臣に政治家は/阿倍政権前夜の勉強会で/「戦略は細部に宿っている」/小泉総理も着手できなかった改革とは/改革をリードした幹事長/公務員制度改革の肝とは/日本の役所だけに見られるいびつな制度/自民党内の党人派と官僚派の文化の違い/阿倍政権の崩壊を招く引き金になった会話/居並ぶ大臣のほとんどが役人を代弁/渡辺行革大臣に渡らなかった「べからず集」/大臣と異なる方針を新聞にリークする役人/政府税調会長のスキャンダルで匂う謀略/役所を激昂させた阿倍総理の慣行破り/記事にならなかった総理の快挙/民主党案の重大な欠陥
第七章 消えた年金の真実
はるか昔からわかっていた杜撰なデータ/社保庁を信頼する民主党案の是非/アメリカの前提は「政府は間違える」/火中の栗を拾った総理と幹事長/政権の命を奪った役人への過信
終章 改革をやめた日本はどうなる
法案成立に重要な役割を果たすようになった人々/政府や自民党内の議論に決定権なし/切れた古巣との絆/時とともに証明されるもの
≪著者: ≫ 盒桐琉 1955年、東京都に生まれる。東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。1980年、大蔵省入省。理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、国土交通省国土計画局特別調整課長、内閣府参事官(経済財政諮問会議特命室)などを歴任したあと、2006年から内閣参事官。2008年4月、東洋大学教授に就任。
「小泉・竹中改革」の司令塔として、「郵政民営化」「道路公団民営化」「政策金融機関一本化」「公務員制度改革」を実現。2007年には財務省が隠す国民の富「埋蔵金」を暴露し、一躍、脚光を浴びる。
著書には、『財投改革の経済学』(東洋経済新報社)などがある。