Gori ≒ ppdwy632

〈ぼく〉の思索の一回性の偶然性の実験場。

鷲田清一

本「生きながらえる術」鷲田清一5

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生きながらえる術
○著者: 鷲田 清一
○定価: 本体1,700円(税別)
○ISBN: 978-4065156612











モノの形の味わい、生きることの難儀さ、芸術の偉力、考えることの深さ。多面体としての人間の営みとその様々な相に眼差しを向け織りなされる思索。日常を楽しみ味わいながら生きるための技法を、哲学者が軽やかに、しかも深く語るエッセイ80編余を収録。


≪目次: ≫
まえがき

I かたちのレビュー
 スバル360/ピース/サントリーオールド(ダルマ)/リップスティック/卵のパッケージ/レゴブロック/団地/ウォークマン/卓上電話機/万年筆/スウォッチ/ユニ/ファスナー/蚊取り線香/四角いトイレットペーパー/ストッキング/オビ/LPレコード/徳利/マヨネーズのチューブ/ドクターマーチン(ワーク・ブーツ)/おにぎり/リュックサック/手帳/ゴミ袋/便器/雨傘/ポスト・イット/マグカップ/眼鏡のフレーム/箸/ハンガー/ポチ袋/扇子/名刺入れ/アウディTTクーペ

II 〈生存〉の技術(アート)
 小さな肯定
 〈支援〉と〈応援〉
 暮らしのバックヤード
 素手の活動、手編みの関係
 「なりわひ」と「まかなひ」
 金銭と感情
 「ものづくり」を考える
 不能の表出――三つの証言
 「食べないと死ぬ」から「食べると死ぬ」へ
 眠り姫になれなくて
 祭りの季節に
 声の不在のなかで
 深すぎた溝を越えて

III 〈始まり〉に還る芸術(アート)
 プリコラージュの自由
 哲学はアートとともに?
 作品のプレゼンテーション?
 ちっちゃい焚き火
 ヒスロムの実力
 床面積を大きくする
 芸術と教育
 織と文
 〈衣〉の無言――石内都 『ひろしま』
 人形の「普遍」
 「態変」という燈台

IV 〈探求〉という仕事
1 ニッポンの哲人
 九鬼周造――両立不能
 和辻哲郎――〈間柄〉の思想
 廣松渉――モノからコトへ
 鶴見俊輔――まとめを拒む
 坂部恵――精神の古層へ
2 ためのある思想
 対話としての読書――三木清 『読書と人生』
 思想史研究の凄み――上山安敏 『フロイトとユング』
 いのちの昏い歴史――三木成夫 『胎児の世界』
 でかい人――梅原猛 『少年の夢』
 「おもろく」なければ学問でない――日高敏隆 『動物と人間の世界認識』
 ごつい思想、密な調査、深い知恵――山極寿一 『父という余分なもの』
 ぬえのような――河合隼雄 『カウンセリングの実際』
 心を耕す――柳田邦男 『新・がん50人の勇気』
 無方法という方法――竹内敏晴 『「出会う」ことと「生きる」こと』


あとがき (二〇一九年四月 京都・上賀茂にて 鷲田清一)
写真提供
初出一覧


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得。大阪大学文学部教授、大阪大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。現象学研究に始まり「臨床哲学」を提唱・探究する。朝日新聞で「折々のことば」を連載中。著書に『現象学の視線』『顔の現象学』『モードの迷宮』『だれのための仕事』『〈弱さ〉のちから』『京都の平熱』『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』『哲学の使い方』『濃霧の中の方向感覚』など多数。


鷲田清一 『想像のレッスン』(ちくま文庫、2019年) '19/07/07
鷲田清一 『哲学の使い方』(岩波新書、2014年) '15/06/17
鷲田清一 『老いの空白』(岩波現代文庫、2015年) '15/04/04
鷲田清一 『京都の平熱 哲学者の都市案内』(講談社学術文庫、2013年) '13/04/30
鷲田清一 『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(角川oneテーマ21、角川学芸出版、2012年) '12/04/13
鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29



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本「想像のレッスン (ちくま文庫)」鷲田清一5

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想像のレッスン (ちくま文庫)
○著者: 鷲田 清一
○定価: 本体価格880円+税
○ISBN: 978-4480435828










「他者の未知の感受性にふれておろおろするじぶんをそのまま晒けだしたかった」という著者のアート評論。かすかな違和の感覚を掬い取るために日常の「裂け目」に分け入り、「見る」ことの野性を甦らせるアートの跳躍力とは。アート、演劇、舞踏、映画、写真、音楽、ファッションなどについて、「ここにあるものを手がかりにここにないものを思う」評論集。


≪目次: ≫
まえがき

レッスン0 見えないものを見る
 視界をこじ開ける――何が目見えているのか
 言葉になりえぬものへ言葉を駆使して潜り込む
 歳とともにすこし見えてきたこと
 じぶんの弱さに向きあう
 想像力が萎縮している
 想像力をはぐくむ知恵
 都市のすきま
 古木と寺社の場末
 都市の原っぱ
 一線を越える跳躍力

レッスン1 壊れたもの――日常のがらくたのなかから
 言葉のちぐはぐ
 思考停止を破る――束芋&できやよい《にっぽんの、ななかむら》
 「普通」がじりじりする アブナさをもとめている――サザンオールスターズ・サマーライブ in 横浜
 「あたりまえ」と「ありきたり」――荒川洋治 『忘れられる過去』
 「お惣菜」の思考――《ブリコラージュ・アート・ナウ》 展
 日常の雑然とした淀み
 着生のすがた――《コモン・スケープ――今日の写真における日常へのまなざし》 展
 がらくたの高貴さ、あるいは世界の外に出るための小さな回転扉――チャールズ・シミック 「コーネルの箱」(柴田元幸 訳)

レッスン2 塞がれたもの――困難な自由について
 やりすごす
 「押し返す」デザイン
 浮いている/流されているという感覚に抗して――湊町アンダーグラウンドプロジェクト
 夢の跡――見えなくなったものを見るために
 喪に服す建築――表参道の、細胞膜のようなビル群
 飛沫のはねた跡――結成五十周年記念 「具体」 回顧展
 壊れない覆い――K. K. 《ワラッテイイトモ、》
 音楽で人を殺せるか?
 「音楽」からの自由――高橋悠治・ゴルトベルク変奏曲
 センスとノンセンスのあいだを往復する思考――追悼・市川浩

レッスン3 棄てられたもの――時を行き来する
 時が流れる、お城が見える
 時のあわい――南木佳士 『神かくし』
 だれもじっとしているわけではない
 ラスト・ダダ――火遊びの季節(とき)
 「あたりまえ」への小さな裂け目――大阪現代演劇祭 「GUYS掘
 納得
 初老の男のためのおとぎ話――パトリス・ルコント監督 『列車に乗った男』
 遇うて空しく過ぐる勿(なか)れ――河瀬直美 『沙羅双樹』 によせて
 〈老い〉を聴く
 老いは、重くて、軽い――谷川俊太郎の minimal によせて
 一枚のピクチュア

レッスン4 見失ったもの――意味のゼロ還元?
 惹かれた身体
 身体を侵襲する都市――ヴィクター&ロルフ 《ファッションと色彩》 展
 消えた幸福論
 意味への問いを封印する――《ハピネス――アートにみる幸福への鍵》 展
 どこで意味から放たれるのか?――スペイン舞踊 「サロメ」
 〈光〉の創世記――勅使川原三郎公演 「Luminous」
 記憶のすきま
 眼になりくる――ホンマタカシ 『きわめてよいふうけい』
 「見える」ことの豊穣さ――鈴木理策写真展 《海と山のあいだ》
 現われの起伏をなぞる――直島・地中美術館
 〈しるし〉としての女形――ダニエル・シュミット監督 『書かれた顔』
 〈しるし〉になりきる――森村泰昌の戦略
 中心もなく、エンディングもなく――《私あるいは私――静かなる燃焼系》 展

レッスン5 消え入るもの――〈顔〉
 消え入ることで現われてくるもの
 わたしの〈顔〉 展
 宝誌和尚立像/パルミジャニーノ 「凸面鏡の自画像」/萬鐵五郎 「雲のある自画像」/マン・レイ 「カザティ公爵夫人」/香月泰男 「涅槃」/ジャコメッティ 「頭部」/フランシス・ベーコン 「ルシアン・フロイトの肖像のための習作三点」/アンディ・ウォーホル 「ミック・ジャガー」/篠山紀信 「山口百恵・19歳」/奈良美智 「Milky Lake」

レッスン6 忘れてはならないもの
 いま、家族のかたちは?
 交差するいのちの光景――ふたたび、河瀬直美 『沙羅双樹』 をめぐって
 コミュニケーションの仲立ちをする建築家――山本理顕建築模型展
 恋はせつない、やるせない?
 「この」というささやかな訴え――《山本耀司――May I help you?》 展
 眼、ひとつ。――伊勢真一のドキュメンタリー映画
 最後の友情?
 一以上でも一以下でもなく――煌めきのガラス絵 木田安彦の世界
 孤立させられる「痛み」
 痛い映画――クリスティン・ジェフズ監督 『シルヴィア』
 イメージにどこか抗ってしまうひと――中島美嘉サマーツアー
 いのちのはずみ?――ピナ・バウシュ 「炎のマズルカ」
 明滅するいのち――ジンガロ公演 「ルンタ」 における人馬一体

レッスン7 限界へのまなざし
 できないということ
 限界をくぐり抜ける――舘野泉リサイタル
 うぶ毛のような感覚――西嶋豊彦の絵
 受け身でいるのはもうよそう――金沢21世紀美術館
 手当と修復――ニコラ・フィリベール監督 『パリ・ルーヴル美術館の秘密』
 物への敬意、ざわめきのなかの気品
 ここではない別の場所――もうひとつのレッスン

あとがき (二〇〇五年九月 鷲田清一)

文庫版あとがき (二〇一九年春 鷲田清一)

解説 失われたものの痛みから 堀畑裕之(服飾ブランド matohu デザイナー)


※本書の単行本は、2005年10月、『〈想像〉のレッスン』の書名で、NTT出版より刊行されました。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学・京都市立芸術大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長。専門は哲学。現象学をベースに、臨床哲学、モード批評などを幅広く展開する。著書に、『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』(桑原武夫学芸賞受賞、ちくま学芸文庫)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞受賞、ちくま学芸文庫)、『ちぐはぐな身体』『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)など多数。


鷲田清一 『哲学の使い方』(岩波新書、2014年) '15/06/17
鷲田清一 『老いの空白』(岩波現代文庫、2015年) '15/04/04
鷲田清一 『京都の平熱 哲学者の都市案内』(講談社学術文庫、2013年) '13/04/30
鷲田清一 『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(角川oneテーマ21、角川学芸出版、2012年) '12/04/13
鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29



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本「哲学の使い方 (岩波新書1500)」鷲田清一5

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哲学の使い方 (岩波新書)
○著者: 鷲田清一
○定価: 本体800円+税
○ISBN: 978-4004315001






「答えがすぐには出ない、答えが複数ありうる、いや答えがあるかどうかもよくわからない」──そんな息苦しさを抱えた時代に、社会生活において、人生において、私たちは哲学をどう「使う」ことができるのか? 《初期設定》からの問いかえしを試み、新たな見晴らしよい世界のありかたを求め描く、著者渾身の書き下ろし。


≪目次: ≫
はじめに

第一章 哲学の入口
1 哲学の手前で
 哲学は学問か?/哲学への誤解――《哲学の学級》をめぐって/哲学は人のこころを引き攣(つ)らせる?/哲学に招かれ、撥ねつけられ・・・・・・/日常に走る亀裂?
2 哲学の着手点―― 一つの例題
 どこから手を着けるか?/「ある」と「いる」/時は流れるのか?/〈流れ〉という感触/時間の〈外〉?/時を駆るもの?/時を区切る言葉
3 哲学のアンチ・マニュアル
 哲学の歪(ひず)み?/レーヴィットの「日本哲学」批判/思考の肺活量

第二章 哲学の場所
1 哲学とその〈外部〉
 哲学の存在理由/哲学の〈外部〉?/哲学にとっての二十世紀/哲学のプラークシス?
2 哲学の知――あるいは「技術の技術」
 哲学は過剰に語る?/「知の知」ではなく「技術の技術」/知のもう一つの確かさ
3 哲学と「教養」
 世界理解のフレームワーク/相対主義をめぐる論争/哲学はもはやモノローグではありえない/トランスサイエンスの時代/専門主義を超えて/〈教養〉としての哲学/「すべてに気をくばる」こと

第三章 哲学の臨床
1 哲学の「現場」
 哲学にとっての「現場」?/哲学の〈外〉へ出向くこと/「哲学を汲みとる」?/哲学のオルタナティヴ――〈臨床〉というメタファー
2 哲学のフィールドワーク――哲学の臨床・1
 方法への懐疑/非方法の方法/哲学のセンス/〈徴候〉に感応する知〈serendipity〉/メチエから概念へ/発見の作法――エッセイを書く/文体という問題
3 ダイアローグとしての哲学――哲学の臨床・2
 〈反省〉から〈ダイアローグ〉へ――哲学カフェという集い/対話のファシリテーション/哲学カフェの難所/哲学カフェと釜ヶ崎/哲学を使う/使われるということ

終章 哲学という広場
 いつ哲学なのか?/哲学の開かれ、あるいは《思考の強度》/ぐずぐずする権利/哲学の臨床性/デモクラシーのレッスン―― Philosophy of the People/哲学の心得――抽象と臨床/エピローグ――てつがくのライオン

主な引用文献一覧


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ きよかず) 1949年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学文学部教授、同大学文学部長、総長を経て、大谷大学教授(を経て、京都市立芸術大学学長)、せんだいメディアテーク館長、大阪大学名誉教授。専攻、哲学、倫理学。著書、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『現象学の視線』(講談社学術文庫、以上2冊でサントリー学芸賞)、『メルロ=ポンティ』(講談社)、『顔の現象学』(講談社学術文庫)、『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ、桑原武夫学芸賞)、『時代のきしみ』(阪急コミュニケーションズ)、『「待つ」ということ』(角川選書)、『思考のエシックス』(ナカニシヤ出版)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、読売文学賞)、『〈ひと〉の現象学』(筑摩書房)、『パラレルな知性』(晶文社)ほか多数。

鷲田清一 『老いの空白』(岩波現代文庫、2015年) '15/04/04
鷲田清一 『京都の平熱 哲学者の都市案内』(講談社学術文庫、2013年) '13/04/30
鷲田清一 『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(角川oneテーマ21、角川学芸出版、2012年) '12/04/13
鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29

神谷美恵子 『人間をみつめて (神谷美恵子コレクション2)』(みすず書房、2004年) '09/06/22


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本「老いの空白 (岩波現代文庫S279)」鷲田清一5

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老いの空白 (岩波現代文庫)
○著者: 鷲田清一
○定価: 本体1020円+税
○ISBN: 978-4006032791






・・・・・・
 が、この社会が広範な分業のシステムによってなりたっていることからもわかるように、ひとは協同して生きるものである。単独でその生命を維持することができない存在である。社会の中にあってひとは独力で食糧や衣を手に入れることも住まいを作ることもできない。支えあいというのは、けっして理想なのではなく、ひとであるかぎり必然の事実なのである。そして〈幼〉と〈老〉の世話の問題が困難をはらんでいるとしたら、それは社会全体が問題を抱え込んでいるということにほかならないのである。支えあいということがうまくできていないのであるから。ということは、〈老い〉の問題はそのままこの社会全体のあり方の問題だということになる。
・・・・・・ひとは「強く」あろうとしてじぶんがこれまで押し込め、抑えつけてきたじぶんのなかの「弱さ」に気づき、それに素直に向きあえるようになる。そう、じぶんという存在を頑なにしてきたこわばりが解(ほど)かれるのだ。
 この背景には、それぞれじぶんがだれか、何を望んでいるのかさえ不明であるということがある。そういうじぶんについて不明な者どうしが絡みあい、支えあって生きているのが、わたしたちの共同生活である。「自己決定」をするにはわたしたちには見えないものが多すぎるのであり、じぶんについてさえ「責任」をとりきれないのがわたしたちなのである。〈老い〉や〈幼さ〉だけが、じぶんで担いきれないものなのではない。
 じぶんでじぶんのことが担いきれない、そういう不完全な存在という意味では、だれもが傷や病や障害をふつうのこととして抱え込んでいる。そういう視点から法や社会制度のあり方を見なおすことのほうが、〈老い〉の「問題」の対策よりも先に求められている。
・・・・・・   (p12-13)


現役をリタイアした後、長い時日を過ごすのは人類初めての経験なのに、その文化はまだ空白のままだ。未曽有の超高齢化時代を迎え、〈老い〉に対する我々の考え方も取り組み方も変化せざるをえないのに、〈老い〉が「問題」としてしか論じられてこなかったことこそが問題なのではないか。「日常」「アート」「顔」など身近な問題を哲学的なテーマとして論じてきた第一線の哲学者が、現代社会の難問に挑む。


≪目次: ≫
はじめに

1 〈老い〉はほんとうに「問題」なのか?
 あたりまえの視点/「介護問題」としてせりだしてきた〈老い〉/〈老い〉をめぐる固定観念/高齢者介護の歴史的経緯/〈ケア〉についてのこれまでの語られ方/かつてこんな〈老い〉があった

2 できなくなるということ
 〈老い〉の重なり/〈老い〉の気づき/できなくなったという意識/〈老い〉と疲労

3 〈老い〉の時間――見えない〈成熟〉のかたち
 「大人」になれない社会?/成熟と成長/プロスペクティヴな時間/成長と衰弱というメタファー/消えた〈成熟〉のモデル/〈成熟〉の時間とは?/まとまらない時間

4 〈弱さ〉に従う自由
 〈老〉と〈幼〉の対称性/〈反世界〉のまなざし/他なるものの受容/「定年」はモデルにならない/みずからの存在への問いにさらされる?/「できない」ということ・再考/シュノイキスモス/相互依存(interdependence)と協同/「弱いもの」に従う自由

5 ホモ・パティエンス――べてるの家の試み
 「弱さを絆に」/奇妙なクリニック/「苦労をたいせつに」/「安心してサボれる会社」/語りあうことの意味,「再発」することの意味/「ひとりで勝手に治るなよ」

6 肯定と否定のはざまで
 「できない」ということ・再々考/「ある」を起点に/暴力としてのケア/逃げ場のないループ/置き去りにするケア/ケアにおける「専門性」

7 「いるだけでいい」「いつ死んでもいい」と言い切れるとき
 「無為の共同体」/非全体性の思考/高貴なまでのしどけなさ/意味の彼方/「痴呆」というあり方/通り抜けるものとしての家族、あるいは「その他の関係」/受けとめと付き添い/選ばれるということ

エピローグ 一枚のピクチュアへ

あとがき (二〇一四年一一月 上賀茂にて 鷲田清一)


※本書は二〇〇三年六月、弘文堂より刊行された。現代文庫版にあたっては、大幅に加筆・修正を行った。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ きよかず) 1949年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学文学部教授、同大学文学部長、総長を歴任。大谷大学教授(を経て、京都市立芸術大学学長)、せんだいメディアティーク館長、大阪大学名誉教授。専攻は哲学、倫理学。著書に『モードの迷宮』『分散する理性』(以上二冊でサントリー学芸賞受賞)『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞受賞)『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞受賞)『「待つ」ということ』など。

鷲田清一 『京都の平熱 哲学者の都市案内』(講談社学術文庫、2013年) '13/04/30
鷲田清一 『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(角川oneテーマ21、角川学芸出版、2012年) '12/04/13
鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29


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本「京都の平熱 哲学者の都市案内 (講談社学術文庫2167)」鷲田清一5

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京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)
京都の平熱 哲学者の都市案内 (講談社学術文庫2167)

○著者: 鷲田清一、写真・鈴木理策
○出版: 講談社 (2013/4, 文庫 288ページ)
○定価: 1,008円
○ISBN: 978-4062921671




「あまりほんまのこと言うもんやないえ」(p197)

ことあるごとにたびたび子どものころから、ぼくがみずからに問いつづけてきた、こたえのでないだせないださない、いまでも考えつづけて論理的な体系の構築を試みている(倫理的な??!)モンダイのひとつとして、「ホントのことを、他人(相手)に対して、言っていいのか?、言うべきか言わざるべきか」、がある。
ある時期には、それは比較的初期のころと記憶しているのだが、ホントのことなのだから言って悪いことはない、と考えてそのような言動を採用した。おおむねこの場合の、「ホントのこと」とは、ネガティブな内容である場合が多い。ネガティブなことがらの指摘を受けた相手が、それを喜んで好意的に受け止めて受け容れるようなことは、ほぼ想像できないだろう。敵意をあらわにされることも、すくなくなかった。
よくもわるくもいろいろな経験があって、そのたびごとに考えをあらためるようなことがあった。わるい(ネガティブな)記憶はぼくのなかにいくつか鮮明にあって、しかしその数は割合は、じっさい、よい(わるくない)記憶が記憶として残存していないまでも人生の多くの時間を占めているようなことは、平凡な凡庸なかわり映えもしない日常の平静な平安であるコト(状態)を、ときに有難いと思うようなときにしか思い至ることはないのかもしれない、といったようなほどに、わるい(ネガティブな)コトもそうおおくおこることはない、のであろうか。
いまではおおむね、これまたよくもわるくも、よそ(40歳)をみとし(3歳)すぎて、ずいぶんいろいろいろいろくたびれてしまったようなこともあってか、「他人さまのことについて、よけいなことを言うものではない(言わないほうがいいんだろうなぁ)」といったような態度を採用することを(あえて意識して)つねとする。口を閉ざして(衝動的な放言を抑止することの困難を排除できない)、ことばをのみこんで黙し、背を向けて、積極的にひきこもる(にじゅうごめーとるせんすい)。消極的に、事態をそれ(現状)以上に悪化させることを避けたい、と。関与を回避することによって、回避したぼくの態度にたいする非難はあるだろうけれども、そのリスクをぼくは甘んじて受け容れたい。
むしろ、ことばは、あいまいで、意図するコトがその本旨を正しく相手に伝えることの困難がある。まずはぼくの表現能力のモンダイがある。そして、さらにはそれを受取る相手が正しく理解することの可能性やなんかを考えるには、絶望的な気分に陥らないものでもないのである



法悦(神社仏閣)、推論(大学)、陶酔(花街)――
「あっち」の世界に通じている孔がこの街にはいっぱいある
舞妓さんと坊さんのあいだ

古い寺社は多いが歴史意識は薄く、技巧・虚構に親しむ。けったいなもんオモロイもんを好み、町々に三奇人がいる。「あっち」の世界への孔がいっぱいの「きょうと」のからくり――。〈聖〉〈性〉〈学〉〈遊〉が入れ子になり都市の記憶を溜めこんだ路線、京都市バス206番に乗った哲学者の温かな視線は生まれ育った街の陰と襞を追い、「平熱の京都」を描き出す。


≪目次: ≫
人生がぜんぶあった――きょうと206番

東へ
京都駅に降り立つ/ラーメン文化/べた焼/山本まんぼ/味の味/七条内浜

北へ
清水の坂/京都は「古都」か?/安井/高台寺塔頭――奇人たちの宿/あらためて奇人伝説について/「普通」は消えたまち/石塀小路から下河原通へ/都市はいま空襲を受けている/祇園今昔/襞のある待/折り重なる時間/祇園新橋/振りと舞い――南座/壹錢洋食/間接性の美学/人工の美学/そして、ピグマリオンの美学/しっぽくとあんかけとにしんそば/うどんの佇まい/鱧おとしと鯖寿司の悲しみ/祇園をさらにうろちょろ/新門前をぬけて古川町へ/三条/京都の「口」/手切れ金のおかげで――岡崎/大きな隙間のあった時代/学生に甘い街――東一条から百万遍へ/見て見ぬふりをするのではなく――出町へ寄り道/「おもろい」の一言/さてん――孤独になれる場所/さてんが消える……/エーデンの東

西へ
下鴨――ここにも奇人伝説が/京都人のきわもの好き、新しもん好き/リミットの明晰さ/「着倒れ」のほんとうのこころ/青虫から成虫へ/「十五の春は泣かせない」/北山通/加茂街道からの眺め/加茂の「お野菜」――「お」と「さん」/ものには旬というものが……/都の中心にある鄙/碁盤の目/むかし烏丸車庫があったところ/ちょっと脚を伸ばすだけで……/自治都市/虚都/元祖と本家――今宮のあぶり餅

南へ
京の縦軸/生活世界の神仏たち/阿亀/上七軒界隈/西陣の夜/精密工業――技術のまち、西陣/しまつの文化――使いまわし/きものの文化/「京もの」の傲り/粋(すい)ということ/西陣京極/たそがれの映画館/古のターミナル/天使突抜/子どもが勝手に育つ場所――六条商店街/西本願寺と島原界隈――都市の聖と俗

終着駅へ
旅の終わり/京都だけの問題ではない/タクシーで寺社めぐり?/「京都も汚のなりましたなあ」/古い町家と洋館の歴史は同じ/「京都らしさ」という言説/固定観念/外からの京都再生提案にもつかず離れず/京都の得意わざ?/都市の条件――世界が口を空けているところ/終点


あとがき (鷲田清一)
解説 可能性としての「京都」/佐々木幹郎(詩人)


※本書の原本は、二〇〇七年三月より刊行されました。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ きよかず) 1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授職を務め、現在は大谷大学教授。前大阪大学総長、大阪大学名誉教授。専攻は臨床哲学・倫理学。著書に『モードの迷宮』『じぶん・この不思議な存在』『メルロ=ポンティ』『「聴く」ことの力』『「待つ」ということ』『顔の現象学』などがある。

鷲田清一 『語りきれないこと 危機と傷みの哲学』(角川oneテーマ21、角川学芸出版、2012年) '12/04/13
鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





・・・
 京都という都市を論じようとするときも、一望できるような位置はない。だから著者は、上から見下ろすのではなく、幼い頃から馴染んできた京都市バス206番の路線に沿って、水平構造としての京都を論じたのである。   (p274、「解説」 佐々木幹朗)

 はじめて、じぶんが生まれ育った街についてまとまった文章を書くことになった。身にしみ込んだ記憶をさぐるようにして。
 出来事は、それが痛いものであればあるほど、身に刻まれた記憶として、内でいやというほどこね回される。こね回されているうちに、それがまるでじぶんのすべてを規定してきた核のように感じられてくる。けれどもそれは、記憶が、よくできた「物語」として編みなおされるプロセスでもある。これにはちょっと用心しておいたほうがいい。
 記憶は、油断しているとすぐに、よくできた「説明」にすり替わるからだ。「説明」にすり替わった記憶はもはや記憶ではない。そこにはわたしそのものよりも、ありそこねたわたしのほうが映しだされている。だから、よくできた記憶、辻褄のあった記憶のその脇に、まるで身を隠し眼だけをぬっと出してそれをのぞいているわたしがいる、と言ったほうがまだ近い。

 ・・・   (p266、「あとがき」)


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本「語りきれないこと 危機と痛みの哲学 (角川oneテーマ21 A-151)」鷲田清一5

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語りきれないこと  危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21)
語りきれないこと 危機と傷みの哲学 (角川oneテーマ21 A-151)

○著者: 鷲田清一
○出版: 角川学芸出版 (2012/2, 新書 186ページ)
○定価: 760円
○ISBN: 978-4041101094
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あぁなんとも、語りきれないような、おもいはいつもいつもいつも、ある


本書のテーマ:「語る」ことの力
人はいかにして癒えてゆくのか?
▼深刻な喪失体験は、人生の語りなおしを求める ▼絶対に失ってはいけないものを見分ける「価値の遠近法」 ▼愛しき「死者」と語りあう ▼「命の世話」を失った都市の無力さとは? ▼合理性という名の「思考の欠如」について ▼見晴らしのよい知恵としての哲学を!

心が息をふきかえすには? 震災から一年。命を支える「言葉の力」を考える
語りきれない苦しみを抱えて、人はどう生きていけばいい? 阪神大震災を機に当事者の声を聴く臨床哲学を提唱した著者が、東日本大震災から一年を経て、心を復興し、命を支える「人生の語りなおし」の重要性を説く。


≪目次: ≫
はじめに――区切りなきままに

第1章 「語りなおす」ということ――語りきれないもののために
心のクッション?/「まちが突然、開いた」/語りにくさ/〈隔たり〉の増幅/〈物語〉としての自己/〈わたし〉という物語の核心(コア)をなすもの/断ち切られたアイデンティティ/傷を負いなおす/語りなおしと、その「伴走者」/語りは、訥々と/語りを奪わず、ひたすら待つこと/痛みに寄り添う日本語/「お逮夜」という喪の仕事/「死者」として生まれる/なぜわたしが生き延びたのか/理解することと、納得することの違い/時間をあげる、ということ

第2章 命の世話――価値の遠近法
求められる、もう一つの語りなおし/危機の信号/決められないわたしたち/無力化された都市/消費の町/「命の世話」の仕組みが消えた?/快適さ(アメニティ)の罠/労働なき町を語りなおす/ベットタウンの中の子どもたち/絶対になくしてはならないものを見分ける/言葉は心の繊維/言葉の環境/聴くことの、もう一つの困難/やわらかく壊れる?/ケアの断片が編みこまれた場所/幸福への問い

第3章 言葉の世話――「明日」の臨床哲学
見えないことが多すぎて/特殊な素人/見えているのに見てこなかったこと/「不寝番」の不在/倫理を問うことが倫理を遠ざける?/トランスサイエンスの時代/言葉を品定めする/口下手の信用/「自由作文」の罪?/対話の言葉、ディベートの言葉/テクストとテクスチャー/文化としてのコミュニケーション/コミュニケーションの二つの作法/カフェという集い/パブリック・オピニオンとポピュラー・センチメント/模擬患者という試み/コミュニケーション圏/コミュニケーションの場を開くコミュニケーション/いまもとめられる対話のかたち/ワークショップは不安定でよい/インターディペンデンス/よきフォロワーであること/責任という言葉/現場へ/哲学を汲みとる/前知性的知性/価値判断をわたしたちの手に

むすび――寄り添い、語りなおしを待つ


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年、京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、同大学大学院文学研究科長・文学部長、同大学理事・副学長、同大学総長をへて、大谷大学教授。哲学者。専攻は哲学・倫理学。著書に、『夢のもつれ』『死なないでいる理由』(角川ソフィア文庫)、『「待つ」ということ』『「ぐずぐず」の理由』(角川選書)、『噛みきれない想い』『感覚の幽い風景』『〈想像〉のレッスン』『京都の平熱』『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など、多数。2004年、紫綬褒章受章。

鷲田清一×赤坂憲雄 『東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか』(講談社、2012年) '12/04/07
鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/07
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか」鷲田清一×赤坂憲雄5

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東北の震災と想像力  われわれは何を負わされたのか
東北の震災と想像力 われわれは何を負わされたのか

○著者: 鷲田清一×赤坂憲雄
○出版: 講談社 (2012/3, 単行本 250ページ)
○定価: 1,680円
○ISBN: 978-4062175326
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対話
晩秋の京都の研究室は、移られたばかりで荷物もなく殺風景な場所で、その対話は2日間にまたがるかたちで


未曾有の事態をどう捉えるか。東北を掘り東北学を立ち上げた民俗学者と、阪神大震災体験をきっかけに臨床哲学を切り拓いてきた哲学者。言葉を探り、想像するちからの可能性を信じる二人の思索者の真摯なる対話。震災以降に発表された両著者のエッセイ11篇も併せて収録。


≪目次: ≫
まえがき (鷲田清一)

第一章 被災の地で、避難所で、人々は
「心のケア、お断り」/東北人のメンタリティ/「てんでんこ」の実態と災害弱者/語りのかたち、東北と関西/「行方不明」の重み/宗教の力が必要とされている一方で/草に覆われ、海に浸される地
〈エッセイI〉
人と自然との関係が問われている/赤坂憲雄 (『AFCフォーラム』8月号、日本政策金融公庫、2011年8月1日発行)
「いぬ」ということ/鷲田清一 (「京都新聞」2011年4月9日)
東北巡礼/赤坂憲雄 (「g2」vol9、2012年、講談社)
「あんまり気の毒や」――吟味といういとなみ/鷲田清一 (「産経新聞」2011年10月11日)

第二章 自然が牙をむいたとき、コミュニティは
コミュニティの解体――近未来の先取り/村の解散式/共同性の凝集力――コミュニティ再生へのタネ/頑丈・不動・密封の建築についてもう一度考える/防災から減災へ――やわらかく壊れながら逃げる/リスボン地震をきっかけに生まれた「基礎づけの思想」/ニュータウンの二十年後の風景/街が消えたあとに建築するということ/境界の揺らぎ――海が攻めてくる
〈エッセイII〉
災害時にむきだしになること/鷲田清一 (「中日新聞」2011年5月4日)
〈隔たり〉は増幅するばかり/鷲田清一 (「朝日新聞」2011年6月11日)
広やかな記憶の場を/赤坂憲雄 (「日本経済新聞」2011年3月29日)

第三章 ボランティアの変容、メディアのありよう
ボランティアの概念を広げる/アーティストの活動――新しい社会性へのヒント/「あさって」の感覚/一人ひとり違うイメージがすり合わせられると/メディアへの不信/フクシマ・フィフティ/社会的な責任とは何だろうか
〈エッセイIII〉
未来の図書館のための準備/赤坂憲雄 (「msn産経ニュース」2011年7月18日)
文化の後先(あとさき)/鷲田清一 (「中日新聞」2011年7月13日)

第四章 放置された福島の奇妙な静けさ
福島に張りめぐらされている分断/世の中を覆う静けさの理由/責任をとらない構造と福島・沖縄/プロフェッショナルのいない国/責任とモラル/逃げるか留まるかをめぐる哀しい混乱/あらゆる舞台で失われた信頼
〈エッセイIV〉
恥じ入る気持ちなしには語れない/赤坂憲雄 (『新潮45』2011年8月号)
プロフェッショナルの矜持/鷲田清一 (「東京新聞」2011年8月19日)

第五章 われわれは何を負わされてしまったのか
放棄された責任――事態はだれが引き受けさせられるのか/難民十万という未曾有の事態/「百パーセント安全」というリスク対応/課題先進国として取り組むべきこと/汚染と負荷のなかで生かされている/記憶と忘却/「フクシマ」から「ふくしま」へ
〈式辞・提言〉
大阪大学平成二十二年度卒業式 総長式辞/鷲田清一 (2011年3月25日)
東日本大震災復興構想会議メモ 鎮魂と再生のために/赤坂憲雄 (2011年4月30日発表レジュメ)

あとがき (赤坂憲雄 二〇一二年二月十五日)


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学教授、大阪大学総長を歴任。大谷大学教授。専攻は哲学・倫理学・臨床哲学。著書に『〈聴く〉ことの力』『じぶん・この不思議な存在』『〈弱さ〉のちから』『モードの迷宮』『「待つ」ということ』『「ぐずぐず」の理由』『京都の平熱』など多数。

≪著者: ≫ 赤坂憲雄 (あかさか・のりお) 1953年生まれ。東京大学文学部卒業。東北芸術工科大学教授、東北文化研究センター所長を歴任。学習院大学教授福島県立博物館館長。専攻は民俗学・日本思想史・東北学。著書に『東北学へ』『東西/南北学』『子守り唄の誕生』『境界の発生』『異人論序説』『岡本太郎の見た日本』『岡本太郎という思想』など多数。


V.E.フランクル 『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(霜山徳爾 訳、みすず書房、2002年、1961年) '09/05/31
寺田寅彦 『天災と国防』(講談社学術文庫、2011年) '11/07/03

鷲田清一×永江朗 『哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門』(ちくま文庫、2011年) '12/03/09
鷲田清一 『だれのための仕事 労働vs余暇を超えて』(講談社学術文庫、2011年) '11/12/23
鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門 (ちくま文庫)」鷲田清一×永江朗5

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哲学個人授業 (ちくま文庫)
哲学個人授業 〈殺し文句〉から入る哲学入門 (ちくま文庫)

○著者: 鷲田清一×永江朗
○出版: 筑摩書房 (2011/4, 文庫 315ページ)
○定価: 840円
○ISBN: 978-4480428219
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ジッサイ美味しい?!(「かっこいい!」「グッとくる」みたいな)ところだけをピックアップすることは、たしかになるほどそうなんだろう、まぁまぁぼくなんかは愚直なまでにヘタクソで要領がわるくってね、といったような自覚があって、もうすこし要領よくテキトーに遣り繰りしちゃったほうが周囲にもメーワクとかをかけることなく(他人を傷つけることなく、なによりぼく自身が辛くなるようなことが機会が低減されて)円滑な人間関係を営むことができるんだろうなぁ、などとは


哲学者の書くとぎすまされた言葉には、歌舞伎役者の切る「見得」にも似たぞくっとする魅力がある。ある言葉に出会うことで、もやもやした世界が一挙に結晶化するのだ。デカルト、カント、デリダ、西田幾多郎等23人の「グッとくる」言葉を題材に「哲学」を日常の底に食い入らせる対談。内田樹江弘毅両氏も時折参戦。文庫化にあたり、「幸福について」の一章を語り下ろした。


≪目次: ≫
まえがき (永江朗)
セーレン・キェルケゴール 『死に至る病』
ジャン=ポール・サルトル 『存在と無』
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』
オルテガ・イ・ガセット 『大衆の反逆』
エドムント・フッサール 『デカルト的省察』
カール・マルクス 『資本論』
フリードリッヒ・ヘーゲル 『法の哲学』
フリードリッヒ・ニーチェ 『善悪の彼岸』
エマニュエル・レヴィナス 『全体性と無限』
ロラン・バルト 『テクストの快楽』
ヴァルター・ベンヤミン 『複製技術時代の芸術』
ジャック・デリダ 『声と現象』
ルネ・デカルト 『方法序説』
イマヌエル・カント 『実践理性批判』
デイヴィッド・ヒューム 『人性論』
ベネディクトゥス・スピノザ 『知性改善論』
プラトン 『パイドロス』
アリストテレス 『形而上学』
九鬼周造 『偶然性の問題』
アウグスティヌス 『告白』
ウィリアム・ジェイムズ 『多元的宇宙』
西田幾多郎 『思索と体験』
モーリス・メルロ=ポンティ 『知覚の現象学』
付録・哲学の本はどのように読むか
あとがき (二〇〇七年、だんじりの明けた日に 鷲田清一)
文庫版特別語り下ろし対談 幸福について (二〇〇一一年二月七日)

※初出: 『ミーツ・リージョナル』(京阪神エルマガジン社)二〇〇四年五月号〜二〇〇六年三月号
※出典: 本書は、バジリコより二〇〇八年二月に刊行されました。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年京都生まれ。77年京都大学大学院文学研究科(哲学)博士課程修了。関西大学文学部哲学科教授等を経て、大阪大学総長に(を経て、大谷大学教授)。『分散する理性』『モードの迷宮』により、89年サントリー学芸賞受賞、『「聴く」ことの力』により、2000年桑原武夫学芸賞受賞、04年紫綬褒章受章。

≪著者: ≫ 永江朗 (ながえ・あきら) 1958年北海道生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。フリーライター。早稲田大学文学学術院教授。著書に、『菊地君の本屋』(アルメディア)、『批評の事情』『新・批評の事情』(ちくま文庫)などがある。






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本「だれのための仕事 労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫2087)」鷲田清一5

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だれのための仕事――労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫)
だれのための仕事 労働vs余暇を超えて (講談社学術文庫2087)

○著者: 鷲田清一
○出版: 講談社 (2011/12, 文庫 208ページ)
○定価: 798円
○ISBN: 978-4062920872
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はたらくはたらくはたらくはたらく、はたらいてはたらいてはたらいて、はたらく


たのしい仕事もあればつらい遊びもある。仕事/遊び、労働/余暇という従来の二分法が意味を消失した現代社会にあって、わたしたちが生きることを支えているものはなにか、それは「働く」ことと「遊ぶ」こととどのようなかかわりがあるのか――。人間性の深みまで掘り下げて労働観・余暇観の歴史にせまり、人間活動の未来像をさぐる、清新な労働論。


≪目次: ≫
はじめに

第一章 前のめりの生活
1 〈線〉としての人生
    かがやきのない〈現在〉 〈線〉のメタファー/輪切りの譬え
2 前のめりの時間意識    前傾の時間間隔 進歩〈プログレス〉という理念 〈プロジェクト〉という観念 追いつけ、追い越せという意識 〈青い鳥〉幻想 新しいものはみなよい 分水嶺としての現在の意識
3 ビジネスという感覚    タイム・イズ・マネー 勤勉・勤労の精神 現代の真空恐怖

第二章 インダストリアスな人間
1 〈インダストリー〉というエートス
    義務としてのレジャー 仕事中毒とそこからの離脱願望 労働による自己実現 労働価値説 労苦の時間と空虚な時間 〈労働〉フェティシズム
2 〈生産〉という鏡    安定と停滞を忌避する社会 きまじめな心性 生産性という論理 労働主義の過剰展開 ヴェイユの工場日記 思考の停止 規格化される社会 快楽までも機械化する社会
3 労働の倫理から欲望の戦略へ    インダストリーの飽和状態 インダストリアスな心性の根深さ 欲望への欲望 分身たちの共同体 誘惑の記号 消費のもっとも美しい対象 フィットネス・ブームから健康モラリズムへ 新しさの感情

第三章 深い遊び
1 仕事の貧しさ
    〈労働〉と〈余暇〉の二分法 職業としての仕事 労働環境の変化 現代の「有閑階級」 浅い遊び
2 ディープ・プレイ    深い遊び フロー活動 出現と消失、緊張と弛緩の揺れ 〈遊び〉という間(ま) からだの〈遊び〉 〈遊び〉を失った仕事
3 テレオロジーから離れる    ときめきのない労働 目的の連鎖としての労働過程 有用性(utility)と有意味性(meaningfulness) 労働の目的至上主義

第四章 〈労働〉vs〈余暇〉のかなたへ
1 〈家事〉という仕事
    シャドウ・ワーク 家事の外部化 はてしないくりかえしのいとなみ ひとが生き物であることを思い知らされる場所 現実性の係数 快適さの誤解
2 〈ヴォランティア〉というモデル    ヴォランティア(volunteer)という行為 名前をもって携わる仕事 他者の他者としての〈わたし〉 〈顔〉を差しだす行為 他人による承認
3 ホモ・ヴィアトール あるいは、途上にあるという感覚    閉じた同一性 アイデンティティの根拠 人格のアトム化 〈わたし〉のなかの〈遊び〉 ホモ・ヴィアトール 行き先よりも途中の旅

補章 いまひとたび、働くことの意味について    労働をめぐるきびしい状況 働くことの意味、ふたたび 意味への憑かれ 呼びかけられているということ 「われわれは公民として病みかつ貧しい」 リスポンシビリティ(responsibility)という感覚 最後に一言




※本書の原本は、一九九六年、岩波書店
より刊行されました。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ きよかず) 1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授を務める。前大阪大学総長。大谷大学教授。専攻は哲学・倫理学。著書に『現象学の視線』『モードの迷宮』『じぶん・この不思議な存在』『メルロ=ポンティ』『「聴く」ことの力』『「待つ」ということ』『顔の現象学』ほか多数。

鷲田清一 『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、角川学芸出版、2011年) '11/10/04
河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「「ぐずぐず」の理由 (角川選書494)」鷲田清一5

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「ぐずぐず」の理由 (角川選書)
「ぐずぐず」の理由 (角川選書494)

○著者: 鷲田清一
○出版: 角川学芸出版 (2011/8, 単行本 246ページ)
○価格: 1,680円
○ISBN: 978-4047034945
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キンモクセイ(金木犀、Osmanthus fragrans var. aurantiacus)、キンモクセイの芳香は、あの小さなオレンジ色の花々が発するものなのか、なんとも懐かしいような気がするなぁ、そう、幼少のころの思い出としては便所の芳香剤のニオイなのだが(どうにも発想が貧困だなぁ)、子どものころからぼくとしては慣れ親しんで意識して認知していたキンモクセイが、そうかぁ、この秋の時期に咲かせて芳香を放つ花だとは、あらためていまさらながらに


「ぎりぎり」「ぐずぐず」「ふわふわ」「なよなよ」。ドイツ語で「音の絵」と訳される擬態語(オノマトペ)には、「ぶつぶつ」など音と意味が類似するものから、「しぶしぶ」などふるまいや感覚の抽象によるものなど、さまざまな言葉の手ざわりがある。なぜその擬態語ができたのか。「のろのろ」は動作の擬音ではないのに、なぜぴたりとその佇(たたず)まいを伝えるのか。オノマトペの特性と表現を現象学的に分析し、現代人のいのちの息遣いや存在感覚を描きだす、「鷲田哲学」の真骨頂。


≪目次: ≫
言葉の感触――序にかえて

I 声のふるまい――オノマトペ(onomatopoeia)のさまざまな顔
ぎりぎり    「ぎ」という音/臨界点(critical point)/ぎりぎりの思想
ぐずぐず    ひどく擦れる音/足摺り/ぐずぐずする権利
ちぐはぐ    甘ったるく/刺すように/誘惑
ゆらゆら    不安定――誘惑の源泉/誘惑の戦略/まぼろし
ふわふわ    身をあずける/ふわりふわり/浮き草のような生/孤独な漂い
ほっこり    はひふへほ/「ほっこり」/「ゆっくり」と身体を緩める
ぼろぼろ    ぼろぎれのように/どろどろになって/ばらけてしまって
なよなよ    なまめかしき/媚態/微温の誘惑
にやにや    含み笑い/思い過ごし?/「艷な照り」
ねちゃねちゃ    〈生理〉のざわめき/おぞましくて……/「いちゃつく」

II 音の絵――オノマトペの構造
1 音の絵(lautmalend)    感覚による抽象(音の絵/観察表現/ふるまいの抽象/音と評価)/批評と否定(否定的な意味合い/「緑児は言わば無意識の記録掛りでありました」)
2 言葉の内臓感覚    音の軋み(煮え切らない思い/重くて鈍く/不適合、不整合)/内圧の高まり(言葉が閉ざされるとき/言葉が堰き止められるとき/空語を断ち切る/くぐもり)/言葉の原体(初発の言葉/腑に落ちる/舐め廻しの記憶/舐めるように/感覚の蝶番/ねっとりした音)
3 律動と情調    初発のリズム(身体による抽象/囃し立て/弾みと残響/引き込み)/いのちの息遣い(「斜聴」/意味と情調の拡張)
4 感覚の越境    声のテクスチュア(声の肌理/かしこまらない言葉/言葉の面立ち)/音色――肌理の表現(ふるまいとしての発語/味の音/肌理を伝える音)/干渉しあう感覚(感覚の拡張/場面の跨ぎ越し/身支度をうながす言葉)
5 意味の内と外    アナーキーな言葉の輝き(錯綜する意味場/飼いならされない言葉)/意味と音調(子音の効果――[p]という音を例に/母音の効果――[o]という音を例に/音の転位/「り」の効果/見さだめにくいいくつかの規則/言い切り)/意味と無意味(語意と音色のあいだ/境界オノマトペ/語基の交替)/オノマトペの造語機能(音の欠如を表わす音/ちんろろきしし)
6 魂の言葉――結びにかえて    〈魂〉の言葉?/歌うということ/「聞きなし」

あとがき (二〇一一年夏 鷲田清一)


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、同研究科長・文学部長、同大学理事・副学長、大阪大学総長をへて、大谷大学教授。哲学者。専攻は哲学・倫理学。著書に、『夢のもつれ』『死なないでいる理由』(角川ソフィア文庫)、『「待つ」ということ』(角川選書)、『噛み切れない想い』『感覚の幽い風景』『〈想像〉のレッスン』『京都の平熱』、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など、多数。

河合隼雄×鷲田清一 『臨床とことば』(朝日文庫、朝日新聞出版、2010年) '11/05/10
鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文 編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太 著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「臨床とことば (朝日文庫)」河合隼雄×鷲田清一5

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臨床とことば (朝日文庫)
臨床とことば (朝日文庫)

○著者: 河合隼雄×鷲田清一
○出版: 朝日新聞出版 (2010/4, 文庫 312ページ)
○価格: 630円
○ISBN: 978-4022616623
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ことばは騙る、ふとじぶんじしんの口外する〈ことば〉について考えてみて、どこまでホントのことで、どこからがよくもわるくもホントのことではないのか、ホントのことを言わないことは、どうなんだろう、ホントのことだから言ってもいいだろう、といったような考え方があって、ホントのことだからやっぱり言えないよぉ、というような配慮というのか気遣いだって、ときに必要とされるものなのか、じゃぁ、どのあたりまでホントのことをズバリと言って、どのあたりからはホントのことを言わないでおこうか、などと考えはじめるには、そもそもホントのことっていったいなんなんだろう、これまたじぶんじしんのことをふりかえって考えてみるに、さて、ホントの〈ぼく〉っていったいなんなんなんだろう、なにがホントでなにがホントではないのか、これまた考えれば考えるほどに訳が分からなくなる、ジッサイのところ、マジメに考えれば考えるほどに


臨床心理学者・河合隼雄と、臨床哲学者・鷲田清一。偉大なる二人の臨床家によるダイアローグ。「ことば」とは何か。「人間」とは、「人と人との距離」とは、そして「聴くこと」とは。本質的かつ深遠な問題についてやさしく問いかけながら、密接に繋がり合う心理学と哲学のあわいに「臨床の知」を探る。


≪目次: ≫
臨床心理学と臨床哲学――河合隼雄    臨床の知/聴くこと/言語とイメージ/さまざまの距離/対話の必要性
聴くことの重さ――河合隼雄×鷲田清一    臨床哲学事始め/ことばを掴んでしまう/「見る」以外の感覚を/カギは「調和」の感覚/ことばをほぐす/便宜的因果性に賭ける/事例研究と文学の違い
臨床における「距離」――河合隼雄×鷲田清一    哲学学とハウツー時代からの離脱/ボーダーレス化した大人と子ども/現代社会の成人儀礼(イニシエーション)/人と人の距離感をどう取るか/言語化できない「臨床の知」/「食事」と「性事」/食という切実なテーマ/個より普遍に至る道
「語り」と「声」――鷲田清一    「語り」について(他者の「全人的理解」/時間のなかの出来事/関心ということ/語りの手前で/〈語る/聴く〉のなかの共犯関係/語りのゆくえ)/「声」について(声の肌理/生存の、「心」よりももっと古い生地/身震い/律動/声にふれる)

文庫版あとがき  鷲田清一
解説  鎌田 實(かまた みのる 医師・作家)


※本書は二〇〇三年二月、阪急コミュニケーションズより刊行されたものです。


≪著者: ≫ 河合隼雄 (かわい はやお) 1928年兵庫県生まれ。臨床心理学者、心理療法家。京都大学理学部卒。京都大学教授、国際日本文化研究センター教授を歴任、2002年文化庁長官に就任。07年7月逝去。著書に、『昔話と日本人の心』『明恵 夢を生きる』『こころの処方箋』『おはなし おはなし』『Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章』など多数。

≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ きよかず) 1949年京都府生まれ。哲学者。京都大学文学部卒。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科長・文学部長を経て、国立大学法人大阪大学総長。著書に、『じぶん・この不思議な存在』『「聴く」ことの力』『「待つ」ということ』『新編 普通をだれも教えてくれない』『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』など多数。

河合隼雄編著 『心理療法対話』(岩波書店、2008年) '08/04/29
河合隼雄 『泣き虫ハァちゃん』(新潮社、2007年) '08/04/22
河合隼雄 『こころの声を聴く――河合隼雄対話集』(新潮社、1997年) '07/01/05

鷲田清一 『新編 普通をだれも教えてくれない』(ちくま学芸文庫、2010年) '11/04/12
鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)」鷲田清一5

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新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)
新編 普通をだれも教えてくれない (ちくま学芸文庫)

○著者: 鷲田清一
○出版: 筑摩書房 (2010/2, 文庫 350ページ)
○価格: 1,260円
○ISBN: 978-4480092700
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ほんとに「フツー」ってなんだろう?、ケッコウ真剣にぼくはすこしまえから考えつづけていて、それは、幼少のころからず〜っといだきつづけてきた「なんかチガウ気がする」(よくもわるくも、よくもありよくなくもある?)違和感を、世間や周囲や社会にたいするなんとも言いえない(ということはきっとたいしたことではないんだろう)複雑なおもいを、すこしずつ
そう、フツーって、これまでアタリマエのようにおもいつづけてきて恩恵にあずかってきた(じつは大して長い期間ではなかったりするのだが)「便利で清潔で快適な」現在の生活が、どうなんだろ、揺れまくって揺らぎまくって、そろそろ冷静に見詰めなおす時期に、考えをあらためないといけないようなタイミングにあったような気がしているのは(たぶんぼくだけじゃないような気がしている、渋谷のスクランブル交差点の夜の暗さ、久しぶりに乗った地下鉄の空調のない息苦しさ、、、)
「教えてくれない」は、どうなんだろう、ぼくの体験としては、教えてもらったところで分かりえない、教えてもらったとしても(教え諭したとしても)そうそうカンタンには分からない、それなりの時間を年月を歳月を経て年齢に達して、それなりの紆余曲折の経験を酸いも甘いも(痛みや苦しみを、むしろ失敗を)積み重ねて、、、などといったようなものなのか、ぼくにはよく分からない


「普通」とは、人が生きていく上で本当に拠りどころとなること。ところが今、周りを見渡してみても、そんな「普通」はなかなか見出せない。私たちが暮らす場も大きく変わり、人と人との結ばれ方も違ってきた。自由で快適で安全な暮らし。それが実現しているようでその実、息苦しい。時として私たちは他人を、そして自らを傷つける。一体、「普通」はどこにあるのか? この社会の「いま」と哲学的思考とが切り結ばれる珠玉のエッセイ集。


≪目次: ≫
はしがき
I 普通をだれも教えてくれない――人生のベーシックス    自然とか普通ということ 1997 夏/外部化された料理――〈働く〉ことの現在 1996 春/学校と制服1――ジャージという制服こそ脱ぐべき 1996 春/学校と制服2――服が問題なのではない 1997 春/電話という罪1――より深い孤独に陥るためのメディア 1996 春/電話という罪2――「おねがいします」 1996 秋/電話という罪3――煙草とケータイ 2006 夏/浅い言葉、浅い仕事 1998 冬/固い社会、柔らかい社会 1997 秋/社会人ってだれ? 1998 春/不況の社会学――バブル時代に培われた認識 1994 冬/「もう限界です……」 2004 夏/「たいがいにしときや」 2006 秋/納得がゆかない…… 2002 夏/哲学の「発見」 2007 冬/「哲学」はまだ始まっていない? 2008 春 
II ひとは日付に傷つく――神戸児童虐殺事件阪神大震災    透明なボク――行き場を失った残酷さ 1997 夏/息つまる“快適な街” 1997 秋/事件が映す不安 1997 秋/「おとな」の事件 1997 秋/リアルの変容 1997 秋/被災の周辺に〈顔〉が感じられる 1995 冬/受け身の存在として――一九九五年前半の断面 1995 夏/記憶のかたち――ひとは日付に傷つく 1996 冬
III からだが悲鳴をあげている――パニック・ボディ    もう食べたくない 1997 夏/寂しくなってきた性 1997 夏/からだの艶、からだの鏝(こて)光り 1996 夏/身体の傷つきやすさ――人生の皺に挑む三宅一生 1997 夏/ものには旬というものが…… 2006 夏/藝と余韻 2007 秋/遠ざかる病い 1988 春/〈わたし〉が遠くに見える――人体の不思議展 1996 夏/身体、この遠きもの 1994 秋/身体はだれのものか? 1998 冬
IV ずっとこのままだったらいい――干上がる私的な空間    いまが消えてゆく――フェイド・アウト感覚 1997 秋/できないということ 2002 秋/「わたしが悪いのではない」 2008 冬/「勝ち組・負け組」 2006 冬/私的なものの場所(「わたしはだれ?」/しらじらと干上がる私的空間/「私生活に欠けているのは他人」?/綻びはじめた「所有」の観念/アイデンティティの別のステージ) 1996 冬/変容する私的空間 1995 夏/「わたし」の家 1996 秋/家族はいま? 2007 秋/眼、ひとつ。 2002 秋
V 街が浅くなった――都市の肌理(きめ)    「普通」が消えたまち 2006 春/街の陰り、街の深み 1998 春/都市の逆説 2009 夏/だれでもないということ――「箱男」のデモクラシー 1993 秋/コンビニという文化 1997 夏/現代の巫女、メディア 1997 春/リメンバー・ザ・エイティーズ――マガジン文化の時代を回顧して 1996 秋/東京ローカル 2002 秋/ボランティア活動の密やかな意味 2009 春/子どもが窒息しないように 2007 冬/リベラルな街 2008 夏/「集客都市」という物言い 2009 冬/ホップ・ジャンプ――時代の最先端に跳ぶ上海 1994 秋
VI 思いがとどくだろうか――ホスピタリティについて    情報を減量するバブル――「(ハル)」のパソコン通信 1996 春/ささえあいの形――映画「森の中の淑女たち」 1994 冬/「ほうーっ」――感心する才能 2009 春/見て見ぬふりをするのではなく 2006 春/歌い、鳴らし、聴く音楽――音楽療法の試み 1998 春/身を引き裂かれるままに――「もののけ姫」のもどかしさ 1997 秋/スポーツの悲しみ 1997 冬/歳は離れていても 1996 秋/スケーマ、あるいは恋愛の標的 1993 冬/おしゃれな名刺 2006 夏/とどかぬ想い――絵馬のはなし 1995 夏/遠い死、近い生 1997 春/われわれの死後の姿とは? 1998 春/合掌 2008 秋

あとがき (一九九八年五月 鷲田清一)
文庫版あとがき (鷲田清一)
初出一覧
解説/苅部 直 (政治学者・日本政治思想史)


※本書は一九九八年七月五日、潮出版社より刊行された。


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年、京都市生まれ。1977年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。大阪大学大学院文学研究科教授を経て、大阪大学総長。専攻は哲学・倫理学。1989年『分散する理性』(のち『現象学の視線』に改題(講談社学術文庫))と『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)でサントリー学芸賞を、2000年『「聴く」ことの力』(阪急コミュニケーションズ)で桑原武夫学芸賞を受賞。その他の著書に、『ちぐはぐな身体』(ちくま文庫)、『思考のエシックス』(ナカニシヤ出版)、『噛みきれない想い』(角川学芸出版)などがある。

鷲田清一 『噛みきれない想い』(角川選書、角川学芸出版、2009年) '11/03/13
鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「噛みきれない想い」鷲田清一5

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噛みきれない想い
噛みきれない想い  réflexions quotidiennes

○著者: 鷲田清一
○出版: 角川学芸出版 (2009/7, 単行本 255ページ)
○価格: 1,785円
○ISBN: 978-4046214690
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どうなんだろう、『噛みきれない想い』……、するりとよどみなくつっかかりなく躓くことなく、ではなく、うまくコトバにならないたどたどしくもどかしくも、あぁ
まったく、じかんが経過してことの詳細を知るいたっては、コトバを失う、3.11(14:46)、軽々しいいコトバの一切を慎むのが得策だろう(それが賢明な判断だとフツーに思う)、配慮を欠いた言説はゆるされない、冗談が「ジョウダンダョ」で通じる状況では場面ではない、緊急事態だ、自室ちかくのスーパーマーケットのコンビニエンスストアの陳列棚から商品がごっそり消え去っている、衝撃的な映像を現実として目のまえにして、軽くパニックに陥るショック(「明日の朝ゴハンどうしよう?!」などとは無自覚なこと極まりない)、想像していなかったわけではないけれど、流通がまるで玉突き事故?!を起こして、鉄道や幹線道路が封鎖されて、生産地から遠方から運びこまれる原材料を加工する工場から搬出される商品が小売店の店先に並ぶためにはシステムは、消費者が気が付かないところでシステマチックに複雑な回転(流通)を稼動している、道路が封鎖されて原材料が到着しなければ工場を稼動させることはできない、交通機関が麻痺して工場の従業者が就業時間に従事できなかったら製品加工に滞りが生じる、商品を小売店に配送するトラックは交通網の混乱であり渋滞にはなすすべもない、ものなのかどうなのか、、、いわゆるバブルのころだったら、日本がまだまだ元気で活力に溢れて若々しいころだったら(すでに老化して久しいだろう)、困難を逆にバネとして撥ね退けて、ここぞとばかりに総力を注ぎ込んで無理をおしてでも、なんとかしたかもしれない、なにごともないかのような振る舞いを装い演じたかもしれない、かつてはそうしてきた、それができた、しかしいまは、よくもわるくもそうではない、日本はすでにもう若くない、むしろ無理をする気はサラサラない、とさえ、、、もっともぼくはそのことを好意的にとらえているのだが、いままでがイレギュラーだったのであろう、とは、持続可能性のないことを強いてきた、若い活力に野心に満ち溢れた無理を押し通せた時期で段階だったからできた、のかもしれないなどと、、、いまは緊急事態なのだから、小売店のスーパーマーケットのコンビニエンスストアの陳列棚から商品がゴッソリ消えることはトウゼンに起こりえることで、むしろ飽食を平然とトウゼンのこととして受け容れてきたことの不自然さ、、、じっさいに家屋を失って公共の避難所で不自由な共同生活をしている人びとが多くいる、支援によって寒さを空腹をしのいでいる人びとが多くいる、のだから、というわけでもないのかもしれないけれど、多少の不自由は、ぼくたちも積極的に共有しようよ、すこしはなにかをガマンすることなくして、何不自由のない満されたぬくぬくとした生活を営みながら被災者に向ける慰みのコトバほど空しいものはないだろう、すくなくともぼくはそう思う、他人がどう思おうともぼくは、、、みずからもファインダーをのぞく被写体に向かってシャッターをきることもあるぼくは(そうでなかったとしても)、報道される映像を、平静な心持ちで直視することはできない、3.11の14:46のはげしい揺れを東京で恐怖した記憶は生々しくのこる、しかしすでにこころのどこかには(記憶はこころもとない)、そのとき恐怖しながらも身近な周囲に結果的に現象として顕在する何事も大事がなかったことを視認してしまってか、安堵してしまっている自分じしんがいることを自覚して

そう、ぼくのところ(東京都内でも都下だから)の計画停電は、明日9:30〜12:30と18:30〜21:30の2回デス、とは、有線放送のスピーカーから市の広報からお知らせがあった


≪目次: ≫
I 問い    人生の「課題」/納得/〈わたし〉にできること、できないこと/あえて遠い居ずまいで/プライドということ/身を養うということ/だれもじっとしているわけではない/「忘れ」の不思議/死の経験
II 行ない    「何やってんのやら」――裏版・リーダー考/「遺憾」だけはいかん!/「自由」のはきちがえ/プロにまかせる?/「監査」という仕事/デザインの思想/ブランド考/カタチから入る/ことばの故郷/要約/英語はグローバル?/野次馬と職業人/「とことん」に感染する若者たち/お笑いタレントの「罪」
III 間合い    受け身でいるということ/届く言葉、届かない言葉/語りの力/言葉の幸不幸/「くやしかあ」/聴きにくい言葉/あえて聴かないこと/リスニング/インタビューの練習/イメージと妄想/対話ワークショップ/たしかな言論はどこに?
IV 違い    ひとを理解するということ/ひとを選ぶということ/待たれる身/隣のひげについ触れる距離/あの人が突然いなくなった/恋はせつない、やるせない?/脇役
V 養い    獣医さんという存在/むかしの歯医者さん、いまの歯科医/「おいしい?」ではなく「おいしいね」/偶然を使う/「患者様」/「専門性」の罠/悲しい眼/水筒/うなぎ
VI 囲い    転移――「いじめ」の論じ方をめぐって/密室化が「いじめ」を生む/学校的なもの/逆立ちの「体験学習」/いきなり本番/「無理」ということ/学びと挫け/「バイバイ」/おごり、おごられて/内向きな光景
VII 佇まい    「不通」の社会/柔らかなスローガン/「顔」が変わった?/社会に隙間のあった時代/意味はなくとも/高貴なまでのしどけなさ/ざわめきのなかの気品/タクシー三都物語
VIII 迷い    夢占い/ひとは悩んで大きくなる?/減らすのはむずかしい/スローライフにお忙しい/足らざるに足るを見る/健康についてのヘンな話/身体の「正しさ」について/跨がれる時間/ラスト・ダダ/夕暮れはまだ遠い(1 いまだ思い知ることなく/2 弱気なのか意地なのか/3 洗い場のスポンジのように/4 成熟からはほど遠く)

初出一覧
あとがき (二〇〇九年 夏のはじめに 鷲田清一)


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、同研究科長・文学部長、同大学大学理事・副学長をへて、大阪大学総長。哲学者。専攻は臨床哲学。著書に、『夢のもつれ』『死なないでいる理由』(角川ソフィア文庫)、『「待つ」ということ』(角川選書)、『思考のエシックス』『感覚の幽い風景』『〈想像〉のレッスン』『ちぐはぐな身体』『〈弱さ〉のちから』『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『悲鳴をあげる身体』『じぶん・この不思議な存在』『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など多数。

鷲田清一 『「待つ」ということ』(角川選書、角川学芸出版、2006年) '11/02/05
徳丸吉彦/青山昌文編著、鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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本「「待つ」ということ (角川選書396)」鷲田清一5

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「待つ」ということ (角川選書)
「待つ」ということ (角川選書396)

○著者: 鷲田清一
○出版: 角川学芸出版 (2006/9, 単行本 198ページ)
○価格: 1,470円
○ISBN: 978-4047033962
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そう、「待つ」こと、「待つ」ということ
たとえば、仕事の、会社の上席からの業務連絡のメールが携帯に着信があったのが23:11で、すこしいろいろあって草臥れちゃっていたぼくがその日布団に這入ったのは22時すぎころで、いつもにも増して、いつも3秒で寝入るところを2秒で寝入るくらいの状態で(疲労困憊)、だから、携帯メールの着信に気が付いたのは翌朝、携帯電話のアラーム時計のスヌーズ(繰り返し)がなんどが機能したのちのまどろみのなか、気が付いて一気に目は覚めたんだけど、朝7時前後だったはず、よく寝たなぁ、「あぁ深夜遅くまで働いて頑張っている仲間を他所に眠りこけているぼくは何様なんだろう」などと考えるには、いまさらノー天気な返信はできない、呑気に「寝ていたので、いま気が付きましたぁ」などとは、仮にホントのことだとしても、言っていいことと言っちゃいけないことと、空気を読もうよ状況を察知しようよ相手に周囲に配慮しようよ、子どもじゃないんだからさ、的なところは、必ずしも適正であるかどうかを問わずして、すくなくともぼくは気にしないものでもない。さて、朝7時、深夜まで仕事をしていた仲間が、すでに起きているかもしれないけれど、まだ眠っている可能性のほうが高いであろう、もし眠っているならば、深夜までの労働の疲労をすこしでも解消するべく低減させるべく、すこしでも長く睡眠をとってもらいたい、すくなくともぼくが送信したメールの着信で起こしてしまうようなことは避けたい、避けなければならない、と考える。そう、返信をしないことは、すこしタイミングが遅れたとしても返信をしないことは、考え方のひとつとしてはマナー違反であり、信用とかが失われる可能性は否定できない、小さなことの積み重ねが、ひとつの踏み外しみたいなものが綻びのキッカケともなりえないものでもないであろう、大袈裟にすぎるかもしれないけれども可能性としては否定できない、すくなくともぼくはそう考える。で、信用を失いたくないと考えるぼくは、いますぐにでも、そのときすぐに速やかに対応したい、と考えて、そこで採用される行動は、この場合であれば早朝にまだ相手が寝ている可能性の高い時間帯にメール送信することなんだけど、もちろん返信することが好ましいことであり、返信しないことは好ましからざることであり(とぼくは考えている)、ぼくにとって好ましいと思しき行動を採用することによって、ぼくの満足感は満たされるであろう。ぼくの満足感は満たされて、さて、ぼくのぼくだけの都合によって送信したメールの着信によって、心地好い睡眠が阻害されて、万が一にもぼくのメール着信によって目を覚ましてしまって、もう少し寝ていたいのに、こんな朝早くから何の用件だぁ、と思って見るにはメールの着信を確認するには、なぁんだ前日に深夜に送信したメールの返信とは、いい気なもんだぜ、へっ、、、と思うものなのかどうなのか、きっとそんなことを思うことはないのであろうけれども、考えすぎだよと哂われるのがオチなのかもしれない、でもでも、可能性はゼロではないだろう、相手に不快感を与える(快楽を睡眠を阻害し、疲労感の低減のチャンスを減退させる)可能性をカンゼンに否定できるのもではないであろう、カンゼンに否定できないのであれば、どうなんだろう、確信はないのだけれど、ショウジキ迷いはあるのだけれども、ぼくはぼくだけの都合による行動をストップして、その結果、ぼくが行動をストップしたことによって、この場合であればメール返信をしなかったことによって、貶められる下落するぼくの評価を、ぼくが信用を失うことを甘んじて受け容れよう、そうであるならがそれはそれで受け容れるしか仕方がないことなんだろう、などとは(なんのことやらメンドクサイ)。
さて、いわゆる評価、他人の評価みたいなもの、それから価値観みたいなものって、たとえば、ぼくだって他人の評価を気にしないものでもない、すご〜〜ぉく気になる。あたりまえのように、他人から誰からも好く思われたい、すくなくとも嫌われると哀しいなぁ、、、とは、ぼくだって思わないでもないんだけれど、どうなんだろう


たとえば、ぼくの娘は14歳の中学2年生で、まもなく中学3年生かぁ、いよいよ高校受験だなぁ、いろいろあって別居してすでに4年が経過している。そう、「わたしはまだ10歳で、ちいさいのに、じぶんでもかわいそうだなぁとおもった」とは、別居してすこし経って、しかし最近ではない、いつのことだったか忘れてしまったのだが、彼女から発せられたことばは、なにげない会話のなかでポツリともらされた、それゆえに見過ごし聞き過ごすことのできない聞き過ごしちゃぁいけないであろう、ことばの重みは、もちろんぼくは軽々しいことばでなんらかの返答をすることはできずに、ことばに詰まった、いまでも考えるたびに思い起こすたびに、あぁもうしわけない、もうしわけがたたない、なにをどうしたって、どんな理由づけも言い訳もない、きっと彼女だって、いまさらなにを言い訳されたって事情を説明されたって、そのときに彼女が感じた抱いた想いが、そのときに遡って消え去るものでもないであろうことからも、むしろ、苦しい言い訳を聞かされることによって、辛く苦しい消し去りたい忘れてしまいたいような厭な記憶を、いままたあらためてよみがえらせることになってしまって、言い訳する側の償いみたいな感情は自己満足でしかなくって、むしろ、言い訳する側の自己満足度の高まり以上に、言い訳を聞かされる側の痛みや辛さは苦しみは、どうなんだろう、はたしてなにをなすべきで、どのような行動、言動を採用すべきであるのか、慎重を期したいと思うのだが、なかなかカンタンなものでもない

いわゆる40歳は初老で、平均寿命が延びたいまでは、もしかしたら折り返し地点くらいの印象なのかもしれないけれど、どうなんだろう、身体の能力であり機能的には、あきらかにピークをすぎて久しく、衰えは機能低下は否めない。もちろん(唐突ながら)、成長過程にある若者は、ある意味では成長過程にあるということは、未熟であることをも意味しているのであり、未熟であるから成熟するために成長する必要があるのであって、成長しなければならないのが若い成長過程にある時期であって、その時期にあっては当然に成長することが求められる、成長しなければならない、成長するために、果敢に失敗を恐れることなくチャレンジしてより多くの経験を積むべきであろう、そして、そこで積み重ねられた多くの失敗を含む経験の数々が、経験のひとつひとつが糧となって、成熟へ熟成へと、発達段階みたいなものを経ていくものなのかもしれない。
そう考えるには、すでに成長過程を経て過ぎ去って久しく、成熟であり熟成の域に達してしかるべき、とは言っても、そうカンタンに誰でもが成熟できるものでもないのではあろうが、そう、初老の年齢になって、あまりにも軽々しくも成長なんてことを口外してしまうのも、すくなくともぼくには抵抗を感じないでもないのだが、そう言ってしまうほどの成熟をえている自信はマッタクないのであって、そのギャップみたいなものは、もしかしたら、ぼくがながく年若いころから思い悩んで途惑いつづけてきたことから、なんらの進歩もみられないのかもしれない

なんでだろう、きちんと説明できるようにしておかないとと考えながらも、ぼくは、生きること、そしてなにより、死ぬこと、をマジで。たとえばぼくは67歳までは生きる、その67歳がなにかというと、ぼくの娘の40歳だ。不甲斐ないぼくと違って、どうなんだろう、ぼくが不甲斐ないから、ぼくがなにをもしてあげることができない頼りない不出来な父親だから、父親だなんて言ってしまうのもオコガマシイのだが、きっと、ぼくの娘はよくもわるくもシッカリしたおとなになるだろう。ぼくなんかの助けを、なんら必要としないで自立するだろう。というか、ぼくはなにをもしてあげられない、能力を資力を満たしていない。能力も資力をも満足に満たしてしていないことを自覚してなお、ぼくは娘の成長を見守りたい、などと言ってしまう無自覚さ、あぁ。見守るもなにも、なにをもできえないのだから、なんの助けにもなりえないのだったら、いたっていなくたって意味ないじゃん、そう、まさにそのとおりだ、返すことばもない。とは、ふかく自覚して、さて、ぼくなんか、居ないほうがいいのかなぁ、もしかしたら、存在があって不快感を抱くことはあっても、存在がないのであれば、すでに存在しないと考えるならば、もしかしたら、どうなんだろう、不快感を抱くことがないものなのかどうなのか。ぼくには分からない。分からないのではあるけれども、分からないからこそ、いろいろ考えて想像してみる、想像して想定してみなければならないと考える。ひとつには、ぼくじしんの父親のこと、ぼくと父親との関係のこと、これは、とっても重要なことで、カンタンに書きえるものでもないことだから、場をあらためて、いずれ、それなりに考えをまとめたい、まとめなければならない、ぼくのなかではぼくにとっては、その必要が十二分にある!!と考えていることなんだけど。どこまでいっても自己満足のレヴェルでしかない
そう、話を戻して、ぼくが、ぼくの娘にとって不甲斐ない父親であったとしても、父親が父親としての父親らしい機能を果たしていないとして、もっとも、父親らしいとはなんなんだろうとの疑問はあるんだけれども、もちろんそれなりには考えた考えつづけている、ただただ一緒に生活するだけで満たされるものではないんじゃないかなぁ、一緒に生活することなくしても、たとえば死別しないとも限られないのであって、本人たちの意思によらずさまざまな状況があろう、親子関係の成り立ちや機能的なことなんかを考えるには、背景やなんかも加味したほうがいいであろうしなければならないであろうことからも、カンタンには一概にはなにが好い悪いとも言いえないのではあるのだが



現代は、待たなくてよい社会、待つことができない社会になった。私たちは、意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をなくしはじめた。偶然を待つ、自分を超えたものにつきしたがう、未来というものの訪れを待ちうけるなど、「待つ」という行為や感覚からの認識を、臨床哲学の視点から考察する。


≪目次: ≫
まえがき
1 焦(じ)れ――「待ちきれなくて……」    まんじりともせず/振幅/前傾への強迫
2 予期――「わたし、もうこれ以上待てないわ」    「いま」への封鎖/「いま」の幅/何を待っているのか……
3 徴候――「わたしには行くところが、どこにもありません」    パニック/「応え」の保証のないところで/「徴候」への同調
4 自壊――「ジャガーさんよ、ファンをいつまでからかってんだ」    オルタモントの悲劇/武蔵の調略/心の空転
5 冷却――「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」    待つ身、待たされる身/待たされる身の辛さ/〈待つ〉以前の〈待つ〉?
6 是正――「忘れてええことと、忘れたらあかんことと、ほいから忘れなあかんこと」    はてしなく続く時間/「観点の変更」より意味の〈外〉?/天然の是正?
7 省略――「あなたが言いよどんでいるのは、こういうことじゃないの?」    聴くことのむずかしさ/待つことのはてしなさ
8 待機――「動くなかれ」    魔法にかけられたように/待つことの終わり/零度の抒情
9 遮断――「期待していいの?」    気を余所へやる/待つことの「規準」/〈待つ〉の別の定義へ
10 膠着――「あとは待つだけ、待つしかない」    抜き差しならぬところまで/抗いの過程/コーピングという対抗戦略
11 退却――「最後は、あんたの人生やもの」    悪循環/逃げ道/見切り
12 放棄――「年をとると記憶は一枚の画に近づく」    〈時〉を不可能とする時のかたち/パッチング・ケア/偶然にゆだねる
13 希い――「祈りを込めない処方は効かない」    祈祷/感覚麻痺/宛先のないままに
14 閉鎖――「スイッチを切るんです」    ひどい消耗/防御の姿勢/防御としての、存在の閉鎖
15 酸欠――「僕にとって好都合なのは、今となってはむしろ、クレマンスが来ないことだ」    待たずにすむように/呼びかけ、迎え入れ/身を置く所もなく
16 倦怠――「どうにもならん」    『ゴドーを待ちながら』/アクションを封じ込める
17 空転――「待っているつもり?」    どんな可能性も尽きた空間/無意味な交換、たえざるすっぽかし/何を恐れているのか?
18 粥状――「あるかもしれないし、ないかもしれない。むしろ、あるかないかということは問題ではなくて、重要なのは、あるかないかは保証されていないということなのだ」    待つふりをしているだけ?/苛立ちの極点へ/保証なし
19 開け――「あなたに私を助けてくださることを頼んでいるんじゃないの、そこにいて、あなたもまた待ってくださることを頼んでいるんです」    空虚な源泉/隙間のない関係/迎え入れ/イニシアティヴの消去/発酵の過程で

あとがき (二〇〇六年七月 鷲田清一)


カバー写真=植田正治「シリーズ〈砂丘モード〉より」1988年


≪著者: ≫ 鷲田清一 (わしだ・きよかず) 1949年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、同研究科長・文学部長等をへて、大阪大学理事・副学長(2007年8月より大阪大学総長)。専攻は臨床哲学。著書に『感覚の幽い風景』『〈想像〉のレッスン』『ちぐはぐな身体』『老いの空白』『死なないでいる理由』『〈弱さ〉のちから』『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『悲鳴をあげる身体』『じぶん・この不思議な存在』『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など、多数。

徳丸吉彦/青山昌文編著 『芸術・文化・社会 〔改訂版〕 '06』(鷲田清一/卜田隆嗣/寺内直子/加藤厚子/福岡正太著、放送大学教材、放送大学教育振興会、2006年) '10/11/29





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待つということはどこか、年輪を重ねてようやく、といったところがありそうだ。痛い想いをいっぱいして、どうすることもできなくて、時間が経つのをじっと息を殺して待って、じぶんを空白にしてただ待って、そしてようやくそれをときにには忘れることもできるようになってはじめて、時が解決してくれたと言いうるようなことも起こって、でもやはり思っていたようにはならなくて、それであらためて、独りではどうにもならないことと思い定めて、何かにとはなく祈りながら何事にも期待をかけないようにする、そんな情けない癖もしっかりついて、でもじっと見るともなく見つづけることだけは放棄しないで、そのうちじっと見ているだけのじぶんが哀れになって、瞼(まぶた)を伏せて、やがてここにいるということじたいが苦痛になって、それでもじぶんの存在を消すことはできないで……。そんな想いを澱(おり)のようにため込むなかで、ひとはようやっと待つことなく待つという姿勢を身につけるのかもしれない。年輪とはそういうことかとおもう。
…… (P.195、「あとがき」)



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