2006年05月06日

偶像崇拝と啓示宗教

仏教は偶像崇拝ということだと思いますね。いろいろな仏像がありますし。でも、啓示宗教では偶像崇拝を認めていないように思います。

偶像崇拝については、一般的に、このような違いがあるようですね。
そして、仏教は啓示宗教の側から、偶像崇拝を批判される場合もあるようです。

でも、この問題は簡単な話だと思うのよ。

啓示がどのように行われるのか正確には分からないのですが、
啓示宗教では、「啓示の主」は姿を現していないのではないでしょうか。

「啓示の主」の声は聞こえるようですけれど、姿形はハッキリしないようなのね。だから形に表せないのではないのかな。

「啓示の主」を偶像で表せないのだから、偶像を禁止したのでは???
仏教はお釈迦様の説法だから、お釈迦様の姿形を表せばいいの。

仏教ではお釈迦様の偶像を崇拝して問題ないということなの。
姿形がハッキリしているのだから。



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1. Posted by アルバイシンの丘   2006年05月06日 12:40
TBありがとうございました.このようなことを考えておられるブログが他にもあったのですね.嬉しい気分です.
さて,『「啓示の主」の声は聞こえるようですけれど、姿形はハッキリしないようなのね。だから形に表せない』と書かれていますが,確か聖書(創世記と思いますが,今手元にないので確認できません)には『神は自分の形に似せて人を形作られた』という趣旨の記述があったと思います.
長いので二つに分けろと命令されました.続きます.
2. Posted by アルバイシンの丘   2006年05月06日 12:40

私はこう思うのです.仮に偶像を作ったとします.すると,その偶像が人々の心にそれぞれ違ったイメージを想起させることがあるのではないでしょうか.それが一神教にとって困るのは,一神教の唯一の神が様々にイメージされるとそれぞれ別の神になっていくきっかけとなるかもしれないからです.たとえばこの像は何となくサルに似ているとします.するとサルに神が乗り移った,という理由でサルが何となく神々しく見えてくる,といったことが起きるかもしれません.
サルの例はほんの思いつきで,余りいい例ではなく申し訳ありませんが,多神教というのはこうやって「いろんなものに神を見る」ということが起った結果ではないのかな,と思っています.
3. Posted by 真・獣たちの種子   2006年05月06日 20:23
TBありがとうございました。仏教にせよ、キリスト教にせよ、「偶像」が出てくるのはそれらの宗教が発生してからずいぶんたってからですね。伝播や教化のために必要だったのでしょう。「そんなエライ仏さんって、どんな人だったの?」っていう具体的なイメージを欲していたのでしょう。たとえば丸石信仰というのもあります。ただの丸い石を神とあがめる信仰。その石が神そのものなのか、もしくは神の寄りしろとしてとらえるかによって違いますが、このあたりも興味深いところですね。
4. Posted by くーく   2006年05月07日 00:33
トラックバックありがとうございます

なのですが、「かんながら」「カタカムナ」が「偶像宗教と啓示宗教」と、どう繋がっているのかピンときません

ピンとこない私は頭が悪いのかもしれません

せっかくトラックバックしてくださったのにすいません


5. Posted by れふと   2006年05月08日 00:57
こんにちは

仏教の崇拝の対象は本来、シャカではなく、法(ダルマ)ですね。これも、一神教の神と同じく形に表せないものです。しかし、仏教ではシャカをダルマを体得したものとして、あがめます。一般の人たちにダルマを伝えるのは難しいから、シャカの人格を通して、ダルマを伝えようということです。仏像もそうやって登場したと思います。
(つづく)
6. Posted by れふと   2006年05月08日 00:57
(つづき)
対して、キリスト教では、神を形で表現することは、神をひとつの姿に固定させてしまうことになってしまいます。それは神の絶対性と矛盾してしまいます。キリスト教では、人間は神を完全に認識することは出来ません。認識できるということは、人間が神より優れているということになってしまうからです。だから、目でみることのできる神の像を作るというのは、神に対する冒涜以外の何者でもありません。

偶像に関する考え方は、表現できないものをあえてどう表現するか、という問題に対する両思想の答えの違いを表しているものだと思います。

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