
Y-006 サイコロ演出を改造しようとする(2)
こんにちは。正月休みボケもすっかり晴れて、と言いたいところですが、そんな都合よくシャッキリポンとするほどできた人間ではありません。自慢じゃありませんが加齢もあって年中無休でボケてます。だからこのブログのコトもすっかり忘れていて、いま慌ててるところです。ふだん「準備8割作業2割」とか言ってる人間がこれですから困ったものです。
さて、前々回の続きです。サイコロ演出搭載のぱちんこ機、仮想遊技機としてこんな仕様でしたね。
- 基本仕様1…大当り確率を1/100とする
- 基本仕様2…サイコロの出目が0なら大当りで○を表示する
- 基本仕様3…サイコロの出目が1~99ならハズレで×を表示する
- 追加仕様4…出目が0なら、リーチ演出後にカードは○印を表示して止まる
- 追加仕様5…出目が1なら、リーチ演出後にカードは逆回転してX印を表示して止まる
これで「リーチがかかれば1/2で大当り」という遊びになりました。でもなにか物足りませんね。そう、「リーチがかかる確率が2/100=1/50」なんです。
リーチがかからないことが圧倒的に多い。それは遊技者にとっていいことでしょうか? 悪いことでしょうか?
答えはわかりません。日本刀のように研ぎ澄まされたような遊びを求める人は、1/50でしか発生しないが発生すれば1/2で大当たりするリーチに固唾を呑みたいでしょう。逆に、当たらなくてもいいからどんどんリーチがかかってワクワクする時間を少しでも多く楽しみたい人もいます。
できれば両方のお客様を満足させたいところですが、二兎を追うものはなんとやら。どちらに焦点を合わせるか、それがぼやけると両方からそっぽを向かれるかもしれません。
よくバランスが良い、悪いといいますが、それは受け手の感性による評価です。客観的に見て「いやもう100%悪い」というケースもなくはないですが、「いやいやこういう視点で見れば悪くない」ということもよくあります。
肝心なのは「こういう方向性の遊びを提供したいので、こういうバランスにしました」という意図をお客様に伝えられるかどうか、あるいはそういう歩み寄りをお客様に強いて負担を負わせていないかどうか、ということなんじゃないでしょうか。「俺は面白いと思う、だからみんな面白いと思う、あるいは思え」というのはエゴか、あるいは神です。
面白さに対して自信を持つというのは、なかなかに難しいことです。同人的な遊びであればエゴもかまいませんが、対価を求める商売としてはエゴと自信の境界線をまたいでいいのか、あるいは控えめにしておくのか、控えめすぎてつまらなくなってないか、ということは、つねに逡巡するところです。そして往々にして、後悔します。
…そしてわたしはいま後悔しています。仮想遊技機が地味すぎ! 次回以降、もう少しにぎやかな機械に作り替えていくことにしましょう。それじゃ!
