2016年07月23日

他人の厚意を容赦なく断る

先日丸亀製麺で、飲食した人にチケットを配っていました。3枚集めればトッピング無料、5枚集めれば・・・といった内容のものです。期限は月末まででした。

それをもらった老人客が「自分は今月はもう来ないから」とたまたま近くにいた客に渡そうとしたんですが、断られていました。双方とも受け答えは丁寧で特に何てことのない出来事なのですが、昔からこういうのを見ると心がザワザワしてしまうんですよね。


もし不要でも、私なら笑顔でお礼を言いつつ受け取ります。だって自分が店からもらった1枚を捨てるのも、老人のと合わせて2枚を捨てるのも手間は同じだし、理由を述べて断るよりも労力的に楽だからです。

おまけに老人は他人の力になれたと自己満足でき、私は老人を自己満足させられたと自己満足できます。つまり誰も何も損をしないわけで、損した人がいるとしたらその1枚をもらえる可能性のあった第三者です。でもそれが誰なのかさえ分かりませんから、罪悪感もありません。


こんな感じで私の中では受容の一択なんですが、最近テーマにしている「自分の感情に正直に従う」という観点ではどうなんでしょう?欲しくないのに偽の笑顔で受け取るわけですから確かに正直ではありません。だけど面倒を回避したい気持ちには極めて正直なんですよね。

どちらが自分に正直かを選ぶとしたら、間違いなく断る方なのでしょう。でもこれに関しては、わざわざ断る人の心理が想像もつきませんし、そこまで正直じゃなくていいやと思いましたが、皆さんはどうしますか?

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2016年07月21日

得意という思い込みは危険

自己の感情を抑圧することと頑張ることってある意味イコールだと思います。無意識的に自分を抑圧する傾向が強かった私は当然頑張ることも得意でしたが、その使い方を少し間違えていたように思うんです。


休日に田舎や温泉でボーッと過ごすと心が洗われるなんて話をよく耳にしますが、それは仕事でなかなか活躍できないとか、出世競争に疲れているとか、つまり普段無理をしている人達の話だと思っていました。だって同じ労力でも好きなことなら疲れませんけど、無理をしていると疲れますから。

私は技術の仕事が好きでしたし、出世の意欲なしと公言して気楽な立場でいられましたし、だから何一つ無理などせず好きで頑張っているつもりでした。だからボーッと過ごす時間の必要性など感じたことはなく、旅行魔なのに田舎や温泉にはあまり行ったことがありません。



でも麻痺して気付かなかっただけで本当はそんな時間も必要だったんだろうなと今となっては思います。「頑張るのが得意なんだから、イザの場面以外では手を抜いてもいいや」くらいでいいのに、どういうわけか「頑張るのが得意なんだから、常に頑張らなければ」になっていたんですね。

こうして常時気を張り続けていたことも、リタイア後まもなくして空虚さに苛まれた要因だと認識しています。得意と思っている事ほど意識し過ぎたり拘り過ぎたりして罠にはまることがあるんですよね。長距離打者が内角高めの釣り球を振ってしまいがちなのと同じです。って、例が分かりにくい?w

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