焼肉の感動が一瞬で消えた話浦島太郎案は廃案

2016年08月06日

正しい景色が見えていますか?

貴方は自宅に最も近い医院がどこにあるか知っていますか?最も近くにある会社の社名を言えますか?毎日通り過ぎている看板や標識の内容を答えられますか?


思考を止めるのが難しいと以前書いたところ多くのコメントを頂きましたが、記事内容が曖昧だったせいで「思考」の解釈がまちまちだったようです。書きたかったのは、机上で紙と鉛筆を持って始めるべきレベルの思考を所構わず始める癖が私にはあって、それを止めたいといったニュアンスでした。

そんな癖があると、移動中は事故らない程度に無意識行動するだけで景色なんて全く見えていませんし、会話中も人の声など全く耳に入って来ません。そんな思考の末に何らかの結論を出すことは得意だけど、常に結論ありきなので過程を楽しむということが極端に苦手なんですよね。


リタイア後に必要となるのは正解を導き出し続ける力よりも、単純に何でも楽しめる能力なわけですから、そのために普段から思考より感覚を優勢にしたいと日々意識しています。

そんな意識を持ちながら歩いてみると、いかに今まで景色が見えていなかったかを痛感して驚くわけです。かつての通勤ルートに質屋や医院や眼鏡店があったことや、家の前の会社の名前など、最近知りました。自分に関係ないものは驚異的なほど何も見えておらず、冒頭の質問を投げてみたくなったんです。


子供の頃ってどこに何のお店があって、どの民家にどんな特徴があって表札が誰々で、どこそこの看板の内容も漢字が読めない・意味が分からないなりに把握していた記憶があります。記憶違いかも知れないし、行動範囲が狭かっただけかも知れませんが、そんな感受性に無性に憧れたりもします。

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この記事へのコメント

1. Posted by あけび   2016年08月06日 01:05
私も最近、近所の家の軒先に植木鉢が置いてあって花が咲いていることに気づきました。
六月にはアジサイ、七月にはヒマワリが咲いていて、こんな身近な所で季節を感じられたことが嬉しく思えました。
よく通る道だったのに今までは見えていなかったんです。

以前は自分に必要ないと勝手に思い込んでいたものは見ていなかったんですが、実は何気なく咲いている花に感動する心こそが自分には必要だったのだと分かりました。









2. Posted by tabitin   2016年08月06日 06:36
そういえば、工事中になると、以前何が建ってたんだっけなあと思うけど、それもすぐ忘れてしまいますね。
全然違う町にいくときは、いろいろ探求して楽しいですけど、目前のものは見落としがちですね。
興味がないから、無意識に通り過ぎるってのもあるんでしょうネ。
3. Posted by クロスパール   2016年08月06日 06:56
人間って意識次第で大きく変わるので自分が変わっていきたいように意識すればいいよね。
よく毎日同じでつまらないという人がいますが、同じ毎日なんてないのになといつも思います。

何年か前にそういうことが書かれた本を読んでからかなり意識は変わりました。

でも毎日あついわ~というのは変わりません><
4. Posted by プライア   2016年08月06日 08:45
>あけびさん
そうそう、多くのことに意識さえ行けば、それだけ多くのことに感動できるんですよね。
でも忙しかったりでそもそも気が付かないから、無感動な日々を送ることになる・・・。

先日話題になっていた海、行ってみたらやっぱり良かったですよ。
特に目的もなく小さな感動を求めて行動できるようになったのが、リタイア後の成長かな。
5. Posted by プライア   2016年08月06日 08:49
>tabitinさん
あえてチャリでゆっくり、近所の街並みを見ながら走ったりしますが、まるで別の街みたいです。
旅行先だと敏感になっていて色々見てるのに、普段は仕事のこと考えたりで見逃していました。

工事中を見て、以前何だったかと思って、ストリートビューで調べるパターンは定番ですよね。
なくなってから興味持っても遅いってのw
6. Posted by プライア   2016年08月06日 08:58
>クロスパールさん
いっそ暑さにもっと意識を向ければ、それも楽しめるようになるかもよ。
湿度が低くカラッと暑い日、日なたと日陰の温度差が激しい日、風は割と涼しい日・・・

興味を持ってしっかり見れば、そこに感動が生まれる可能性はあるし、
同じ暑さの日なんてない、なんて声高々に宣言する日が来るかも知れんでエz
7. Posted by 消費しないピノキオ   2016年08月06日 09:30
今はゆとりがある生活とは到底言えず
会社を辞めれば、見過ごしてきたような
様々なものが目に入ってくるように感じます

個人商店なんて 朝 通勤時に閉まっていて
夜 帰宅時も閉まっているので
活動しているのかどうかすら、わかりませんw
8. Posted by 西の帝王   2016年08月06日 11:09
3 う~む、然し…そんなものかもしれませんよ。
仕事で多忙であると…もうそれ以外のものを見てる余裕もありませんから。
私も以前にかなり精神的にキツい職場にいた時は、本当に気持ちに余裕なくて今から思うと結構勿体無い日々の過ごし方をしていたのだと痛感しています。
その時は例の「女という色気」や「連れという仲間」もどこか蔑ろ気味にしていましたなァ…
何か仕事(職場=人間関係)に精神を支配されていた様な…(°Д°)
そんな気がしてなりません。


9. Posted by プライア   2016年08月06日 15:47
>消費しないピノキオさん
ゆとりが無いから色々見えない・・・うーんやっぱりそんなものですか。
仕事は家に持ち込まなかったけど、通勤時間は仕事が頭を支配していた気がします。

やっているかどうか分からない店はこちらにもありましたよ。
あまり気にもしてなかったんだけど、平日昼に通ったらやっていて驚きました!
10. Posted by プライア   2016年08月06日 15:54
>西の帝王さん
人間関係や仕事の不調ってのは、思った以上に心の大部分を占有するものですよね。
私にもそういう時期があって、休日遊びに行っているのにいつの間にか仕事のことを考えていて、
振り払っても振り払っても気が付けばそれを考えてしまっていた経験があります。

もちろんそんな状態で遊んでも心動かされないし、景色も見えないし記憶も浅いです。
一種の病みたいなものですから、ある意味仕方のないことかも知れませんね。
でも順調な時にまで何も見えていないのは、ある意味もっと根が深いのかも知れません。。。
11. Posted by 通りすがりの自由人   2016年08月06日 22:10
今回の件とは関連があるかどうかわかりませんが、仏教の瞑想には止瞑想と観瞑想の二種類あるそうですね。
興味を持って関連書を調べてみると新しい世界が広がるかもしれません。
12. Posted by プライア   2016年08月06日 22:31
>通りすがりの自由人さん
おお、何とも博学ですね。初めて聞く言葉です。
軽く調べてみたら「観瞑想」って、ほぼ前回の記事の疑問の答えですねw
この技術を身につければ、余計な思考を意図的に止めることができそうです。
ただいかんせん、ハードル高く感じてしまうのが難点でしょうか・・・・?
13. Posted by たんちん   2016年08月07日 00:23
目線の高さでも大違いで歩くと自転車も違うかもしれませんよ、車と歩くはかなり違いました。
14. Posted by プライア   2016年08月07日 08:27
>たんちんさん
目線の高さもあるでしょうし、あと速度ですね。自転車より徒歩の方が多くのものが見えて来ます。
車と歩くなら全然違うでしょうね。
15. Posted by ネーブル   2016年08月07日 17:16
歩いてたら表札どころか、郵便受けの家族構成も見ていましたのに車で表札も素通りしてしまうことが多いです。

反論ではないですが、田舎で新聞配達をしていた時は、ちょっと薄暗い時に配る方が好きでした。
日中に配っている道を通るとちょっとどの家かわからなくなることがありました。
又、新聞を抱えてこれだけ走っていたのかとゾッとしました。
夜の道と日中の道が全然違うことを知りました。
16. Posted by プライア   2016年08月07日 21:48
>ネーブルさん
車で表札の一つ一つまで見てたら危ないですからね。
でも新聞配達の経験のある人なら、表札まで見るのは癖になるんでしょうね。

そういえば昔ポスティングのバイトをしていたことがあって、
それ以来、路地の構成にやたらと興味がわくようになりました。

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