QLOOKアクセス解析

  ・肯定思考

2017年06月17日

自己満足しない先輩

自己満足は重要だと思うって前々から何度も書いてますけど、今はさらに強まって自己満足こそが人生くらいに思ってます。自分を満たすこと以外に何の生きる意味があるんでしょうか?

なのにこの言葉は悪い意味で使われるんですよね。会社で新人の頃これが口癖の先輩がいました。「お前はまだまだやれるのに、このへんでいいやって自己満足して歩を止める癖があるよ」

正直自覚はあったのでドキリとしたし、社会ではとことん追求しなきゃダメなんだと知りました。この言葉のおかげで仕事に全力を尽くす習慣がついたし、技術職だからそんな習慣は良い仕事にも直結しました。良い指導者だったと思いますし、感謝もしています。



でもこの先輩の主張はつまり、自身の満足感など無視して周囲が満足する基準でやれ、なのです。確かにいつもそういう仕事をする人だったし、話も面白くて人気も信用もありました。そうやって周囲に認められることは最終的に自分を満たすことでもあるのですが・・・

遅くまで残業をしては毎日行きつけの飲み屋で夕食を兼ねて飲んでいて、私もよく誘われました。「酒の飲み過ぎで体ボロボロやねん」といつも笑いながら痛飲していて、そういう豪快なところが魅力的に感じたりもしたんですが、今思えば自分を大事にするという点では落第点です。

他人でなく自身を満足させる事をもっと重んじて、無理をせず自身を大切にしてもらいたいです。転勤して結婚したと聞いているので、それが何かのきっかけになってたらいいのですが。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。  
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村


practice_retire at 00:00|PermalinkComments(6)TrackBack(0)

2017年06月03日

真面目で困るよ本当に

退職してもつくづく思うんだけど、私は良くも悪くも頑張らないと気が済まない人間みたいです。そんな性格には利点が多々ありますから、人から羨ましがられることもあります。

でも同時に非常に厄介な欠点があります。常に全力だから大方のことは一定の結果を出せる反面、たまに全然うまく行かないと心底落ち込んで自己不信に陥るんです。また熱中する対象がない時は物足りなくて、自分の存在意義なんて難しい自問自答を始め不安になったりします。

この性格ではリタイア生活に弊害が生じます。だから頑張らないのが普通だと自分に言い聞かせ、頑張りたくなったらブレーキを踏むようにしてました。でもそれって頑張らないことを頑張ろうとしてるわけで、最初から破綻してたんですよね。



やはり根暗で生真面目なんです。リタイア生活初期に思い悩んで読んだ本に、少しくらい利己的で不真面目な方が人生楽しいとあって、一年ほどそれを目指して来たけどどうもしっくり来ません。これも不真面目になろうと努力する姿勢がすでに生真面目なんですね。

少なくとも在職中は自分の最高の武器であったはずのものが、いつの間にか拒否する対象になってしまっていたようで、良くなろうとすることと自己否定ってどこか表裏一体です。

努力した甲斐あって手に入れたかった不真面目さの一割くらいは定着して根付いたと思いますし、このへんでキャラFIXして、自分の生真面目さに嘘をつかずに生きて行くことになりました。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。  
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村


practice_retire at 00:00|PermalinkComments(16)TrackBack(0)

2017年05月27日

活躍の機会がないこと

髀肉の嘆という言葉があります。若い頃から戦場を駆け回って生きて来た劉備という人が権力者の保護を得て平和な日々を過ごすようになり、ぜい肉のついてしまった体を見て、活躍したり功名を立てたりする機会のなさを嘆いたという故事です。

後に宿敵曹操が戦争を仕掛けて来たため状況は一変、紆余曲折を経て皇帝にまで昇りつめますが、それだけ能力のある人にもそんな停滞の時代を過ごすことはあるということです。


でもこれって思うんだけど、この時劉備はもう五十歳くらいだし七年も平和が続いてれば、自分が天下統一を目指していたことなんて忘れて、このまま隠居でもいいやと思ってたんじゃないの?

じゃなけりゃ筋トレくらいするでしょ。私はこの期間の劉備はただのクズだったと考えています。だから本気で嘆いたのかも怪しいです、全てを環境のせいにする詭弁のつもりだったのでは?w


何故こんな故事を話題にしたのかというと、のし上がろうと事業を立ち上げた頃や、出世を夢見た入社当時を思い出して、この言葉が脳裏をよぎることが今でもあるからです。

でも私の場合は劉備と違って望んでリタイアしてますし、現代は娯楽も多々あれば多様な価値観も許される環境なので、嘆くのではなく懐かしくなる感覚ですけど。だから曹操が攻めて来たせいで仕方なくのし上がるなんでシナリオも、私の人生においてはまずないんだけどw

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村



practice_retire at 00:00|PermalinkComments(12)

2017年05月04日

視野なんて広げられねー

昔からそうなんだけど私は人気者が苦手であまり近づきたくないです。ネット上で支持されている有名ブログなんかも興味はあるんだけど、きっかけもなくてほぼ見たことないです。

そうなる理由は自分でもよく分かっていて、多くの人に支持される人の考え方が自分とあまりにも違うと心が揺れてしまうから、蓋をして遠ざけておきたい存在なんですよね。

変わり者で大体いつも少数派に属する自分は嫌いじゃないし、友人等との会話の中でそんな自分を感じるのはむしろ楽しいくらいなんですけどね。ただ多くの支持を集める人ってある意味この世の「正解」なわけですから、そこと考えが違ってばかりいると何だか疲れて来ます。


そんな感じで視野を広げようともせず生きてるし、世間の空気に同調する気もないわけですから、偏屈な面にも昔から自覚があって、これでいいのかなとよく自問自答したものです。

でも致命的な弊害がない限り目を背けたいことからは背け、したくないことはせず見たいものだけ見てもいいと思います。発想の独創性にはそれが一番です。独りよがりにも陥りがちだけどw

このへんがもう少し柔軟ならもっと器用に生きれたんだろうけど、揺れに揺れて全てが中途半端で仕事でも成功せず、早期リタイアも目指さない人生になった気がします。そもそもが流されやすい性格なんだから、多分これで良かったんでしょうよ、知らんけど。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村



practice_retire at 00:00|PermalinkComments(12)

2017年03月30日

早期リタイア後の理想像

リタイア後は何事にも無理しなくて済む環境になります。でもただアホみたいに楽ばかりしてれば虚しくもなるもので、それは理想を目指したいという本能があるからだと思います。

理想に近づくためにはある程度の自制が必要で、それだけ疲れます。だからってそれのない人生は自己実現を目指さない人生でもあり、幸福感を得にくいでしょう。



でも在職中に確固としてあった理想像なんて、所詮はリーマン社会で協調して無難に過ごす前提の上に作られたものであり、リタイア後にそのまま通じるわけではありません。
 
在職中は「早期リタイア」が強烈すぎるくらい明確なゴールだったので理想像もまた明確でした。その目的のためには資産が第一ですから、会社でソツなく給料を得て投資・節約を上手にこなせる自分こそが理想像であり、それに沿っていれば何の疑問も生じなかったのです。


リタイア後のゴールは言わば「幸福感」と曖昧なため、こうすれば手に入るとか分かりませんし、そのための理想像をイメージしにくく、また当然身近に良いモデルもいません。

目指すものが不明確という状態はしばしば不安を引き起こすものですが、何年もかけて自分自身で作り上げて行くことこそ醍醐味なんでしょうし、色々難しく考え過ぎないようにしています。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。  
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村


practice_retire at 00:00|PermalinkComments(14)TrackBack(0)

2017年03月18日

手抜き論

在職時代の私は仕事もプライベートも常に全力でしたし、そういう姿勢で生きる人が好きでした。逆にすぐ手を抜く奴は軽蔑していたというのが本当のところです。

でもリタイアしてからはそれが一変し、誰もが精一杯生きているんだなと事あるごとに感じます。ミスの混入リスクの徹底排除だとか、より効率の高い方法の模索といった、論理的に正しい手段を取り続けることだけが「精一杯」ではありません。
 

個人には能力や適性等に差がありますし性格の差だって大きいんですよね。それらは本人のせいというよりも天性とか生まれ育った環境の影響です。元々無気力な人とかのんびり屋の人は手抜きに見られがちだけど、でも気力のわく範囲で精一杯やっているはずです。

「徹底的に全力を尽くすことが自分の信条だから」ってな自負から他人がやたらと手抜きに見えて職場でピリピリしたり時には攻撃することもあったけど、今考えたらただの横暴ですね。


考えが変わったのは、無職という立場における生き方を自分なりに精一杯模索しているからです。自分の気持ちを常に最優先できて、だから不平不満なんて感じないような生き方が理想。

そうなるため日々努力してますとか言っても、無職なんてただのお気楽にしか見えないでしょう。それと同じですね。一見お気楽に感じる他者の言動にも理解を示せる人間でいたいです。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村



practice_retire at 00:00|PermalinkComments(12)

2017年03月11日

自分の未来を知りたいか?

どんな心境からなのか嫁が「5年後の自分を知りたい?」と聞いて来ました。大人になってからもそういった非現実的な想像をすることは多かったはずが、いつしか全く考えなくなっていました。そしていざ考えてみても、知りたいなんて全く思いませんでした。

未来を知りたくなる理由って単純で、例えば就職前ならどんな会社に就職するのか分からないし、入社後も会社や自分自身の業績がどうなるかが分からなくて不安だからです。

何故分からないかと言えば、それらが自身の頑張りだけでどうにかなる類の事ではないからです。つまり他者や市場からの評価によって決まる部分が大きいため、高い業績を上げるためには競争に勝つ必要があり、勝敗には不確定要素が大きく寄与するからです。



その一方でリタイア後の世界においてはそういった要素の影響が極小です。だから5年後の自分がどうなっているかは、自分がどうしたいと思ったかとほぼイコールなわけです。

思いつきで自由に行動する非建設的な日々は思いのほか楽しいので、当分続けるつもりでいます。でもいずれそれにも飽き、新たに興味を持った何かを形にしたいと思う日が来るかも知れません。それが何かを今知りたいとは思わないんですよね、楽しみが減るだけだから。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。  
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村


practice_retire at 00:00|PermalinkComments(14)TrackBack(0)

2017年02月21日

前進と逃避のリタイア

ふと思ったんだけど、早期リタイアで多数派を占める心理というのは逃避の心理なのでしょうか?それとも一種のステップアップとかゲームクリアするような感覚なのでしょうか?その違いだけでリタイア後の精神状態にかなり差が出ると思うんですよね。
 
前者の心理が強ければ当然「会社員なんて向いてないし絶対に戻りたくない」と思うわけだから、同時にリタイア後の生活に対しての満足を感じやすくなると思うんです。
 
一方で後者が強ければ時として「社会で活躍したい」という衝動に駆られる瞬間もあるだろうし、「まだまだやれる力があるのに今のままでいいのか」といった不安にも駆られやすいです。



私の場合は苦手な職場で全てがうまく行かず早期リタイアの前倒しを決断した過去がありますし、一転して転勤後の最終職場では人にも恵まれ全てが順調だったので、両心理のカオス状態でした。なのでリタイア後の1年間ほどは両者が喧嘩して不安定な時期もありました。

今でも迷った時には「君は実は前者なんだよ」って言い聞かせています。会社員としてそれなりに通用し円満に終焉した過去を自信の源泉とするより、今の満足度を少しでも上げる意識を持つ方が早期リタイアという自分の選択を尊重することなのでしょうから。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。  
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村


practice_retire at 00:00|PermalinkComments(20)TrackBack(0)

2017年01月24日

真の楽しみにやっと気付いた話

大好きな酒ですが酔えれば味なんてどうでもいいので、普段の家飲みはコスパだけ考えて安ウィスキーのコーラ割りが常でした。そんな私が何と先月の京都旅行以来、日本酒にハマっています。
 
実はこれまでも一番好きな酒を問われれば日本酒と答えていました。でも一晩で一升はあけてしまうため明らかに糖分過多になるし、そんな体に悪い酒をわざわざ選ぶことはまずなかったんですね。

でも伏見の工場で高級品(といっても一合当たり500~700円ほど)をおちょこで少量試飲した際に突然、よく言われる「舌の上で転がしながら味わう」感覚にピンと来たんですよね。

 
 
日本酒が好きなのに弱いからすぐに酔ってしまうとボヤく人って割といます。酔うために飲んでいる私には到底理解できない話だったんだけど、ちびちび味わう良さがようやく分かって来ました。味がよく分からなくなるから酔いたくないって感覚も分かり、高級品はおちょこ数杯以内で飲みやめられるんです。

食べることは生きるために必要でもあり、娯楽にもなり得るものです。でも前者で一杯一杯な環境にいたら楽しむなんて感覚は皆無でしょう。もしかして在職時代の私の酒もまた、ストレスにつぶされない手段として前者だったのかも知れません。取り戻すためにもっともっと飲まなければ。うひょw

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。  
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村


practice_retire at 00:00|PermalinkComments(24)TrackBack(0)

2017年01月07日

「成長」って何でんの?

リタイア後は急に環境が変わり、戸惑いや空虚さを感じることがよくありました。これはその原因でもある、個を殺してでも他人や組織を優先せざるを得ない思考習慣から脱却することで解決しました。

ではそれは成長だったのかと言うと、むしろ退化だと思います。社会に出る前の状態に戻っただけの話で、社会に出てから装備した鎧を脱いだだけに過ぎませんから。

でも退化しようが何だろうが、自分が楽しく過ごせるのが一番だと思います。リタイアしてもダラけたくない、常に前進していたいなどとよく書いていたものですが、本当の自分はそれを望んでいなかったみたいです。リタイア後の世界は成長なんてしなくても生きていけるのですw


そういえば在職時代に人事考課会議が定期的にあって、下の役職の人たちの査定を議論するのですが、そこで定番で使われていた「成長」って単語にずっと抵抗があったのを思い出します。

技術職でありながら、一般にそういった場で使われるその単語は、個人としての技術が上がったことよりも犠牲的精神とか上司との連携とかを指す単語でした。つまりサラリーマンとして扱い易い存在になることを「成長」と呼び、それが当然のように高査定の鍵になっているのが何だか惨めな気分でした。


リタイア後の世界でも趣味などで自分を磨く機会なんてたくさんあります。その一方で社会的強者にとって都合の良い存在でいる保身スキルに関しては、積極的に「退化」して行きたいものです。

↓↓↓↓よろしければクリックをお願い致します。
にほんブログ村 ライフスタイルブログ セミリタイア生活へ
にほんブログ村



practice_retire at 00:00|PermalinkComments(20)