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  ・心に関する話

2018年04月03日

自分の檻を自分で壊す

先日ふと思い立ち春のドラえもん映画を一人で見て来ました。あえて週末に行ったので親子連れの客でほぼ満員、体裁を気にする在職中の私ならまず出来なかったであろう暴挙(?)です。

チケットを買う時に自分がヒヨるのかどうか楽しみだったけど、拍子抜けするほど動じずに普通に購入できました。でも「ドラえもん大人一枚」って淡々と言う姿が後から何度も脳裏に舞い戻り、そのあまりのシュールさについニヤニヤしてしまうんだけどね。

「どーでもいい」「アホちゃうの?」そんな声が聞こえて来そうですが、私の中では大切にしてるステップなのです。知らぬ間に築いてた自分らしさの檻を一つ壊すたびに、一つ可能性が広がって何とも言えない高揚感があります。あ、この言い回し、一部ミスチルのパクりだけど。


もちろん自分の檻を壊すのだけが目的だったわけじゃないです。私は昔からドラえもんが好きで、劇場で見たのは今回が初めてですが10年くらい前までの作品は全て何らかの形で見てますから。

今回の作品も子供向け映画と言ってしまえばそれまでですが、心動かされるシーンが多くピュアな私はやっぱり何度も泣かされてしまいました。良い子の皆さんには是非こういう良い映画を見て、私のような健全愚直な実力派おっさんに育って欲しいものですw

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2018年03月31日

嫌なことせず好循環

リタイア後は自身の欲求を無視したストイック生活を意識的に止め、その顛末は実践早期豚イヤに書いた通りなんですが、その後も好きなだけ食べ続けてたら体重がとんでもないことに・・・。

BMIの適正体重を何と15年ぶりにオーバー。太っても顔や手足はあまり変わらず腹周りだけが異常に肥大する体質なので、Tシャツやトレーナーだと露骨に目立ちます。

でもそれも望むところなんです。オーバーしたら本気で痩せると最初から決めてたし、自分の腹を見るたび情けなくなって来てて、どうせならとっととオーバーしろって思ってたくらいですから。陸上競技のスタート同様、今か今かと号砲を待つ時より鳴った後の方がむしろ気はラクです。


今は食に制限がかかる悲しみよりも早々に痩せたい気持ちが優勢なので、空腹の時には腹の脂肪が血中に溶けて燃焼されて行ってる感覚になれて、むしろ空腹感が心地よいです。

無性に走りたくなって走りに行ったり、衝動的に腹筋したりもしてます。それは義務感ではなく、他人の目を気にしてでもなく、ただ純粋にこのオレ様がこんな腹という事実が納得できないだけw


だから思うんですよ、リタイア生活が自由過ぎて生活が乱れるなんて全然ありません。自由過ぎる生活を維持したいから、大切なことを疎かにしてしまうのを恐れるし、健康にも意識が向きます。多分人間ってそう出来てます。その自然な好循環が断ち切られる原因はストレスなんでしょう。

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2018年03月20日

自己肯定を高める方法

最近は生き方に悩むことが減ったから心理学的な世界の話題をあまり書かなくなって来てるけど、生き方を確立する上で大変ためになったと感じてる話を書いておこうと思います。

誰の心にも幼少期に形成された「インナーチャイルド」がいて、自分の本質的な性格はそれにより決まってるそうです。ただその本質的な性格のままでは奔放過ぎて親から受け入れられないため、社会適応のための従順で賢い「アダプティッドチャイルド」も形成されます。

大人になってもこれらは消えませんが前者は通常人前では封印されてますし、最初から自分の中に存在しないかのように無視されることも多く、それが自己肯定の低さにつながるようです。


私は昔から自分の能力を絶対視して来たけど、それは能力以外の部分への自己不信の現れでもあり能力を高めるため努力し続けるしかない恐怖に支配された生き方だったというのが今の見解です。デキない自分など認めない、つまりインナーチャイルドの存在なんて完全無視でした。

だからこの話を知った時から自己肯定の仕方を変えてみたんです。例えば何かがうまく行った時に「さすがにおれは優秀やな」じゃなくて「お前はよくそんな手を思いついたなあ」みたいな感じ。成功に至った思考よりも発想や感覚といった本質的な部分を誉める感じです。

前者は自分なら出せて当然の結果を無理に誉める感覚だけど、後者は人から褒められてる時みたく妙に嬉しいです。こうして自分は複数の人格から構成されてると理解することが重要なのだとか。元々自己肯定の高い人には何の事やら理解できない話だろうけど。

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2018年02月17日

早期リタイアで若返る

今年で44歳になります。44と言えば神様バースの背番号・・もとい壮年期ラストイヤーです。ただリタイア後に知り合った人達からは大体年齢よりも若く見られます。高校時代から常に老けて見られてたから、これは嬉しい「伸び悩み」w

でも考えてみたら若く見えるのは当たり前なのかも知れません。だって今の私は20代の頃と何ら変わらず青年のつもりだし、大人びた立派な振る舞いなんて全然意識してませんから。


人の心はのぞけないから分からないけど、私に限らず誰もが幾つになっても根は正直で幼く弱くて頼りないんじゃないの?私はその点においては全人生通じて揺るぎない安定感がありますよ。

ただ社会のルールに沿うことを覚え、弱さや駄目さを隠す振る舞い方を覚え、変に目立たないよう自分を制御する術を覚え、時には自分自身に嘘をついて社会適応して来ただけです。

そういう振る舞いが自然に出来るようになった、つまりそういうスキルが身についただけであり、根本の部分で成長なんて全然してません。これは悪く言えばただ諦めることを覚えただけの話で、未知という恐怖と向き合わないための言い訳が上手になっただけ。


そんな自分を正当化して何でも分かったような気になってる人を私はおっさんくさいと感じます。早期リタイアという環境はそういった姿勢から随分と自分を解放してくれたようにも思います。

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2018年02月10日

苦手意識

生きてる中でずっと苦手意識を持ち続けてることってありますか?

もしそのことがよほど高度で、限られた人にしか出来ないレベルのことなら、それが出来ないのはある意味当たり前なんだから、苦手意識にはならないはずです。難易度は低めだし頑張り続ければ克服できるはずなのに、頑張りが続かず克服できない、そんなのが苦手意識です。

頑張りが続かないのはやっぱり苦手だからで、結局は堂々巡り無限ループです。そんなに苦手ならとっとと諦めて目を背ければいいんです、そうすれば苦手意識なんて感じずに済むはずです。

でもそう出来ないのだとしたら、やはり何とか克服したい潜在的な思いが強いからなのでしょう。諦め切れない自分がいて、でも切実であるが故に逆に失敗が怖くて挑戦を避けがちな自分もいて、どっちつかずの何とも煮え切らない気持ちが苦手意識の正体なんだと思います。


でもそれは切実な願望であり自分の本質なんだから、挑戦しないことでその時々は逃避できても、どこか煮え切らない気持ちからは一生逃れられないことになるでしょう。

リタイアすれば苦手な種類の仕事、対人関係、その他色んなシガラミから逃げることは出来ます。でも根幹の苦手意識があるならそれを克服しない限り、リタイアは逃げ場になんてならないです。在職中の忘れ物はいつかは回収しなくてはなりません。

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2018年01月06日

思いったったら今すぐ実行ってか

世の中には格言が多くあり、先人の知恵だけに含蓄あるものがほとんどです。でも全てではなく、個人的に納得行かないってものもありますよね。

私にとってその1つが掲題の格言です。「明日から始めよう」じゃ絶対に成功しない、やるのなら今すぐやれという話をよく耳にしますが、少なくとも私にとってそんなのは下策、愚の骨頂です。


例えば何らかのきっかけで、禁煙やダイエットを始めようと強く決意した瞬間があったとします。そこで手持ちの煙草だか菓子を即座に全部捨てたとして、それって本当に強い決意の現れですか?私には発作的でヒステリックな軽率行動にしか見えません。

だって、日頃から心のどこかでダメだと思いながらやり続けてたのに、その「ダメだ」が普段より少し強い瞬間が来たからって理由で行動しても、すぐに反動が来てどうせその先が続きませんよ。

それよりも、いついつから開始って決めたうえで、Xデーまでは準備期間で徐々に減らして行く、もしくは逆に心置きなく過剰に満喫する方が、ケジメがついて成功しやすいと私は思います。

何故また急にこんなことを主張したくなったのかには理由があって、また今度記事にします。

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2017年12月30日

社会に飼いならされた状態

あるパート勤務の人が「転職したいのにまだ会社が辞めさせてくれない」としきりに言うんです。これって一体どんなつもりで言ってんだろうって思います。だって会社なんて辞めようと思ったらいつでも辞められるんだから。

私自身も実際に経験して来たことだけど、会社にいる間は会社の方針に従うしかないのに対して、辞める時ってこちらの都合に合わせて会社側を動かせる唯一の機会なわけです。

そんな時でさえ自分の主張を通せないなら、この人は一体いつ言いたいことを言うのでしょうか?まるで自分は自分の意志を持ってませんって告白してるようなものです。


人間には変化を恐れる深層心理があって、誰もが「一歩踏み出さない理由」を考えつく天才です。自身が決断できないのを会社のせいにして棚上げしています。また決断できないのは自身の行動に責任を持つだけの勇気がないからでしょう。

それと会社から必要とされてることをアピールしたい、またはそう思い込みたいのもあるのかも。いずれにせよ私はこのような一連の心理状況を「社会に飼いならされてる」と呼んでます。

自身も経験した心理だしその人個人を批判する意図はありません。ただこれは自由のない環境下で尊厳維持のために自分に嘘をつき続ける典型例なわけです。そんな時は自分自身と向き合う時間が必要なんだけど、自由のない環境下にはそんな余裕もないのが実情です。

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2017年12月26日

先生に目の敵にされる

神戸の小中学校には神戸ノートという文化があって、教科ごとの専用ノートとか自由帳、連絡帳に至るまで文具店はほぼそのノートしか扱っておらず、誰もがそれを使ってました。

その中に百字帳というのがありました。1ページに枠が100個あり漢字と読み仮名を書くようになっていて、中学時代には教科書の漢字を書き出すという宿題がよく出ていました。でも天邪鬼な私がそんな無駄なことを真面目にやるはずがありません。

いつも「綿市長谷見利鯛足枡(わたしはセミリタイアします)」みたいに漢字で遊んでたんです。先生が逐一見てない事ぐらい見抜いてたし、怒られたらやめればいいと思ってました。


何か月か経ったある日、これがバレて母親が呼び出されました。今度は何をやらかしたかと思って飛んで来た母は顛末を聞き、何がそんなに悪いのか理解できず困ったそうです。

義務感で漢字を書き写すよりも、遥かに漢字力がつく勉強法だと今でも思います。大体気付くまで何か月経っとんねん、全然生徒の為なんて思ってへんやろ。私は大方の教師を尊敬せずオレの方が賢いって思ってたし、その態度が気に食わなかったんでしょう、よく目の敵にされました。

それでも道を踏み外さなかったのは、両親やごく一部の先生が認めてくれたからです。中3の時の担任とは今でも年賀状をやり取りしています。恩師と呼べる先生なんてほんの数人ですね。

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2017年12月23日

三流人間とコスパ

最近読んだ本によると、コスパで物事を判断する人間って三流なのだそうです。100円のものを50円で買えたらコスパが良く200円ならコスパが悪い、という考え方は商品自体の価値判断を怠っているわけで、真の価値に目を向けないから三流だというのです。

値段が高くても三流の物はあるし、安くても一流の物はあって、その価値を見定めることが出来る絶対的価値観こそが人生において最も必要なものなのだそうです。

ちなみに一流の物とは「一流の人間が一流であると認めた物」であり、そしてその一流の人間とは「一流の人間が一流であると認めた人間」なんだってさ。


うーん、笑ってしまうほど私には縁のない世界のお話です。じゃあ一流の人間Z氏を一流であると認めた一流の人間Y氏もまた同様に1つ前の一流の人間X氏から認められたはずで、ずっと遡って行きついた初代「一流の人間」は一体誰に認められたの?なんて屁理屈を言いたくなりますw

私が人生を賭けて一流を目指すものがあるとすればそれは早期リタイアで、でも早期リタイア界の一流の人間を知りませんから、どうあがいてもこの世界の一流になんてなれないんです。

実は「一流」という言葉が昔から好きだったのに、残念ながらもう破綻してしまってるんですね。でも今は三流でも楽しければいいと思えますし、10円安くて手拍子で購入するような価値観も、嬉しいと感じたこと自体に十分価値があると思って生きております。。。

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2017年12月09日

ステータスって一体何?

高級車やブランド品を持ちたいのはそれがステータスだからで、お金に余裕があるならその目的で買えばいいと思うのですが、庶民的感覚な人が無理に背伸びして買って意味あるものなの?

そもそも高級品を持ってたらステータスが高いって事に何故なるんでしょう?それだけ稼ぐ能力があると見なされるから?でも少し付き合うだけで能力の有無なんてすぐに見透かされるわけだし、その恐怖と戦うくらいなら初対面から平凡な庶民と思われとく方が楽だと思うんだけど。


何にお金を使うかなんて人それぞれで、目に見えるところに使う人もそうでない人もいるわけで、目に見えるところに使うからってステータスが高いわけじゃないですよね。

自分の生き方はこうだと胸を張れるものを見つけにくい時代だから、目に見えるところを着飾って相手(社会)に判断を委ねざるを得ないということなのかな。

確かに社会は目に見えるもので人を判断するわけだし、見苦しくない程度には身なりを整えるのが最低限のマナーなんだけど、本来の価値以上に着飾ると自分がしんどいだけだと思うんです。


ナンバーワンでなくてもオンリーワンでいいという有名な歌詞があります。オンリーワンなだけで価値を認められるほど世の中甘くないとは正直思うけど、オンリーワンな生き方を目指すことには価値があると思うんですけどね。少なくとも世間でステータスとされてるものに頼るよりは。

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