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  ・肯定思考

2017年09月12日

思考し続けるのも良し悪し

出歩いてる時もドラマとか見てる時もそうなんだけど、もっとよく観察して色々感じ取りたいのにいつの間にか別のことを考えてて、無意識行動になってしまってることが多いです。つまり意識が外の世界よりも自分の内側に向いてしまう、内向的な傾向が強いようです。

「今ここ」への意識を重視するマインドフルネス的観点でもそれはまさに幸福感を逃す習慣だし、この中毒的な思考癖を何とか低減したいです。でもググっても、もっと考えて行動したいといった逆の悩みばかりヒットするし、悩みまで少数派で天邪鬼なんだなあと痛感します。

思考し続ける習慣はむしろ称賛されてて、その習慣さえあればまず退屈することはないとのこと。なるほど確かにその通りです、そんな性格も早期リタイア向きだったのですね。


なのに何故思考し続けるのをやめたいのか?を改めて考えてみると・・
1.思考が先走ることでリスクばかり意識し過ぎ、怖くなって行動力が鈍る。
2.感じたままでなく考えて話すので、会話中に言葉で出て来ず頭が真っ白になることがある。

自分がイメージする「理想的な自由」に対して、この2つが阻害要因になってるってことですね。そう言えば在職中からずっとこれらの恐怖に行動を制限されて来た気がします。

思考し続けることは長所でもあるようだし、変えようと意識し過ぎると自己否定じみて来るので、これまで通り目先の自己満足を第一に意識しつつ、でも諦めずに理想を目指していたいです。

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2017年08月26日

不快になれる唯一のこと

在職中は全力を尽くさないと気が済まず結果が出ないことも許せず、自分に厳しい生き方でした。リタイア後はギアチェンジして常に緩やかさを意識し続けて来た成果で、自分にも他人にも随分と甘くなれたという実感、ある種の感慨みたいなものがあります。

でも野球観戦の時だけは昔に戻るみたいです。ファンである阪神タイガースが負けることには割と寛容なんだけど、ある大嫌いな球団が相手の時は異常に厳しい自分が登場します。

リードされてる時はずっとイライラしてるし、すぐにチャンネル変える、敵チームの選手は普通にディスる、審判の微妙な判定は罵倒し、つまらないミスが続くと味方選手さえも批判し始めます。真面目な性格ゆえ全力で見るため、どうしても許せなくなるのです。



所詮娯楽なんだしどんな負け方をしようが、さらに言えば勝とうが負けようが自分の幸せな生活は何も変わらんやん、そう言い聞かせてもどうしても気持ちが入ってピリピリしてしまうんですね。

よく考えたらその球団を嫌う合理的理由もなく、ただ少年時代から悪の枢軸扱いしてるだけです。何でここまで心から読売を憎んでるんでしょうねえ?あ、結局言ってもた。

ピリピリしたり誰かを憎んだり、今の穏やかな日常にそのテの不快な感情なんてほぼありません。在職中と違って今は勝つことに価値を置いた人生ではないんだし、唯一不快な気分になれることに惰性で多くの時間を費やし続けるより、再編の検討時期が来てるんですかねえ。

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2017年08月22日

雑談が苦手な理由

在職中にも何度か書いてたけど、私は仕事上の対人関係は得意なのに雑談することは苦手でした。後から知った話では、同じように感じてる社会人って実は多いみたいです。

何故苦手かと言うと感情を人前で出すのが苦手だからです。だからスマートで冷静に振舞う意識が習慣づいてたし、逆のタイプつまり明るく元気で楽しい人が苦手でした。そういう人と雑談すると冷静過ぎる自分がつまらん奴に思えて来るからです。

だから私が心を許せるのは、あまりオープンではなく冷静さや落ち着きが前面に出てる人でした。そんな人が相手なら背伸びも無理もせずに、恐怖感なく雑談できたからです。



だけど当時の私レベルに冷静な人なんていませんから、親しくなれば徐々に感情も出して来ます。友達じゃあるまいしそんなの見たくない、不浄な一面のように感じることもありました。

素の自分を出してくれ始めたわけだからむしろ喜ぶべきことだと今なら思います。でも当時の私はそんな感じ方をしてなくて、雑に扱われたような感覚すらあったんですよね。つまり他人との間に心の壁を築き、感情のやり取りを拒んでたんだなと思うんです。

最近は新たな出会いも多いので、そうならないよう意識してます。それでもまだ冷静過ぎる自分に時々気が付いてしまいます。いい意味でもっとアホになりたいんですけどねえ。

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2017年08月12日

ロボットに見える通勤風景

通勤時間帯の都心の駅に行くといつも驚くんだけど、異常なくらい歩くのが早い人波が出来てて、みんな無表情でスマホいじったり音楽聞いたり、少しくらい何か起きても無関心で見もしないし、まるでロボットの大群みたいに見えて来ました。

互いに目も合わせず、ぶつかりそうになったり、時にはぶつかったりしても基本的に謝りません。相手に関わらない事こそ最高の気遣いといった、乾いた雰囲気があります。


とても愛想のいい店員さん達だって通勤時はやはりあの無表情な集団の一員と化すんでしょうね。逆に言えば大半の人は普段は親切で優しいんだろうけどそうは見えず、よく言われる「大都会ほど誰もが孤独を抱えてる」ってのが透けて見えてるような気がします。

早足もスマホもイヤホンも、僅かしかない自分の時間を少しでも無駄にしたくないからだろうし、そうやって今の生活を守ることにみな必死なんでしょうね、大きなお世話だけど。

そんな多忙な毎日の連続なら自分を見つめ直す暇なんてのも無いでしょう。私の場合はラッシュが大嫌いで引越とチャリ駆使で徹底回避したけど、もし電車通勤してたら似た感じだったでしょう。在職中は今より遥かにせっかちで無関心で孤独を抱えていた実感もありますから。


今は時間を多く持てて、また守るべき自分のイメージとか責務がないから対人関係も楽になって、無防備になれたからこそ通勤者がロボットっぽく見えたのかと思うと、少しホッとしました。

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2017年06月17日

自己満足しない先輩

自己満足は重要だと思うって前々から何度も書いてますけど、今はさらに強まって自己満足こそが人生くらいに思ってます。自分を満たすこと以外に何の生きる意味があるんでしょうか?

なのにこの言葉は悪い意味で使われるんですよね。会社で新人の頃これが口癖の先輩がいました。「お前はまだまだやれるのに、このへんでいいやって自己満足して歩を止める癖があるよ」

正直自覚はあったのでドキリとしたし、社会ではとことん追求しなきゃダメなんだと知りました。この言葉のおかげで仕事に全力を尽くす習慣がついたし、技術職だからそんな習慣は良い仕事にも直結しました。良い指導者だったと思いますし、感謝もしています。



でもこの先輩の主張はつまり、自身の満足感など無視して周囲が満足する基準でやれ、なのです。確かにいつもそういう仕事をする人だったし、話も面白くて人気も信用もありました。そうやって周囲に認められることは最終的に自分を満たすことでもあるのですが・・・

遅くまで残業をしては毎日行きつけの飲み屋で夕食を兼ねて飲んでいて、私もよく誘われました。「酒の飲み過ぎで体ボロボロやねん」といつも笑いながら痛飲していて、そういう豪快なところが魅力的に感じたりもしたんですが、今思えば自分を大事にするという点では落第点です。

他人でなく自身を満足させる事をもっと重んじて、無理をせず自身を大切にしてもらいたいです。転勤して結婚したと聞いているので、それが何かのきっかけになってたらいいのですが。

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2017年06月03日

真面目で困るよ本当に

退職してもつくづく思うんだけど、私は良くも悪くも頑張らないと気が済まない人間みたいです。そんな性格には利点が多々ありますから、人から羨ましがられることもあります。

でも同時に非常に厄介な欠点があります。常に全力だから大方のことは一定の結果を出せる反面、たまに全然うまく行かないと心底落ち込んで自己不信に陥るんです。また熱中する対象がない時は物足りなくて、自分の存在意義なんて難しい自問自答を始め不安になったりします。

この性格ではリタイア生活に弊害が生じます。だから頑張らないのが普通だと自分に言い聞かせ、頑張りたくなったらブレーキを踏むようにしてました。でもそれって頑張らないことを頑張ろうとしてるわけで、最初から破綻してたんですよね。



やはり根暗で生真面目なんです。リタイア生活初期に思い悩んで読んだ本に、少しくらい利己的で不真面目な方が人生楽しいとあって、一年ほどそれを目指して来たけどどうもしっくり来ません。これも不真面目になろうと努力する姿勢がすでに生真面目なんですね。

少なくとも在職中は自分の最高の武器であったはずのものが、いつの間にか拒否する対象になってしまっていたようで、良くなろうとすることと自己否定ってどこか表裏一体です。

努力した甲斐あって手に入れたかった不真面目さの一割くらいは定着して根付いたと思いますし、このへんでキャラFIXして、自分の生真面目さに嘘をつかずに生きて行くことになりました。

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2017年05月27日

活躍の機会がないこと

髀肉の嘆という言葉があります。若い頃から戦場を駆け回って生きて来た劉備という人が権力者の保護を得て平和な日々を過ごすようになり、ぜい肉のついてしまった体を見て、活躍したり功名を立てたりする機会のなさを嘆いたという故事です。

後に宿敵曹操が戦争を仕掛けて来たため状況は一変、紆余曲折を経て皇帝にまで昇りつめますが、それだけ能力のある人にもそんな停滞の時代を過ごすことはあるということです。


でもこれって思うんだけど、この時劉備はもう五十歳くらいだし七年も平和が続いてれば、自分が天下統一を目指していたことなんて忘れて、このまま隠居でもいいやと思ってたんじゃないの?

じゃなけりゃ筋トレくらいするでしょ。私はこの期間の劉備はただのクズだったと考えています。だから本気で嘆いたのかも怪しいです、全てを環境のせいにする詭弁のつもりだったのでは?w


何故こんな故事を話題にしたのかというと、のし上がろうと事業を立ち上げた頃や、出世を夢見た入社当時を思い出して、この言葉が脳裏をよぎることが今でもあるからです。

でも私の場合は劉備と違って望んでリタイアしてますし、現代は娯楽も多々あれば多様な価値観も許される環境なので、嘆くのではなく懐かしくなる感覚ですけど。だから曹操が攻めて来たせいで仕方なくのし上がるなんでシナリオも、私の人生においてはまずないんだけどw

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2017年05月04日

視野なんて広げられねー

昔からそうなんだけど私は人気者が苦手であまり近づきたくないです。ネット上で支持されている有名ブログなんかも興味はあるんだけど、きっかけもなくてほぼ見たことないです。

そうなる理由は自分でもよく分かっていて、多くの人に支持される人の考え方が自分とあまりにも違うと心が揺れてしまうから、蓋をして遠ざけておきたい存在なんですよね。

変わり者で大体いつも少数派に属する自分は嫌いじゃないし、友人等との会話の中でそんな自分を感じるのはむしろ楽しいくらいなんですけどね。ただ多くの支持を集める人ってある意味この世の「正解」なわけですから、そこと考えが違ってばかりいると何だか疲れて来ます。


そんな感じで視野を広げようともせず生きてるし、世間の空気に同調する気もないわけですから、偏屈な面にも昔から自覚があって、これでいいのかなとよく自問自答したものです。

でも致命的な弊害がない限り目を背けたいことからは背け、したくないことはせず見たいものだけ見てもいいと思います。発想の独創性にはそれが一番です。独りよがりにも陥りがちだけどw

このへんがもう少し柔軟ならもっと器用に生きれたんだろうけど、揺れに揺れて全てが中途半端で仕事でも成功せず、早期リタイアも目指さない人生になった気がします。そもそもが流されやすい性格なんだから、多分これで良かったんでしょうよ、知らんけど。

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2017年03月30日

早期リタイア後の理想像

リタイア後は何事にも無理しなくて済む環境になります。でもただアホみたいに楽ばかりしてれば虚しくもなるもので、それは理想を目指したいという本能があるからだと思います。

理想に近づくためにはある程度の自制が必要で、それだけ疲れます。だからってそれのない人生は自己実現を目指さない人生でもあり、幸福感を得にくいでしょう。



でも在職中に確固としてあった理想像なんて、所詮はリーマン社会で協調して無難に過ごす前提の上に作られたものであり、リタイア後にそのまま通じるわけではありません。
 
在職中は「早期リタイア」が強烈すぎるくらい明確なゴールだったので理想像もまた明確でした。その目的のためには資産が第一ですから、会社でソツなく給料を得て投資・節約を上手にこなせる自分こそが理想像であり、それに沿っていれば何の疑問も生じなかったのです。


リタイア後のゴールは言わば「幸福感」と曖昧なため、こうすれば手に入るとか分かりませんし、そのための理想像をイメージしにくく、また当然身近に良いモデルもいません。

目指すものが不明確という状態はしばしば不安を引き起こすものですが、何年もかけて自分自身で作り上げて行くことこそ醍醐味なんでしょうし、色々難しく考え過ぎないようにしています。

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2017年03月18日

手抜き論

在職時代の私は仕事もプライベートも常に全力でしたし、そういう姿勢で生きる人が好きでした。逆にすぐ手を抜く奴は軽蔑していたというのが本当のところです。

でもリタイアしてからはそれが一変し、誰もが精一杯生きているんだなと事あるごとに感じます。ミスの混入リスクの徹底排除だとか、より効率の高い方法の模索といった、論理的に正しい手段を取り続けることだけが「精一杯」ではありません。
 

個人には能力や適性等に差がありますし性格の差だって大きいんですよね。それらは本人のせいというよりも天性とか生まれ育った環境の影響です。元々無気力な人とかのんびり屋の人は手抜きに見られがちだけど、でも気力のわく範囲で精一杯やっているはずです。

「徹底的に全力を尽くすことが自分の信条だから」ってな自負から他人がやたらと手抜きに見えて職場でピリピリしたり時には攻撃することもあったけど、今考えたらただの横暴ですね。


考えが変わったのは、無職という立場における生き方を自分なりに精一杯模索しているからです。自分の気持ちを常に最優先できて、だから不平不満なんて感じないような生き方が理想。

そうなるため日々努力してますとか言っても、無職なんてただのお気楽にしか見えないでしょう。それと同じですね。一見お気楽に感じる他者の言動にも理解を示せる人間でいたいです。

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