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  ・夫婦関係/人間関係

2017年07月20日

褒められて意見を翻す

2日続けて見た映画で似たシーンがあって印象的だったので記事にしとこうと思います。

まずはミュージカルで有名な「アニー」、これが初見でした。アニーの里親は駄目女で、アニーを利用した金儲けに密かに加担してたんですが、元歌手でもある自分の歌声をアニーが「大好き」と言っていたと伝え聞いて急に改心し、急に主犯を告発してアニーを救いました。

次が「シンデレラ」で、結婚相手の家柄は必須だと王子に言ってた王が、「王子は本当にあなたを尊敬してる」と伝え聞き、「本当に愛せる人と結婚しろ」と急に意見を翻しました。



他人に褒められたら誰でも嬉しいし、直接よりも間接的に褒められる方がさらに嬉しいというのは心理学的にも示されていることです。だからって姿勢が180度変わるのには違和感がありました。

それが良い悪いには言及しません、人は弱くて当然だからです。ただ美化表現が支配的な映画中で堂々とこの描写をするってことは、アメリカ人にとっては「普通にアリ」な感覚なんでしょうか?アメリカ人って他人を気にしないイメージだけど、褒め殺しに弱いのかな。


そういや日本の映画やドラマでも、AがBへの思いをCに語るシーンを偶然にもBが目撃するってな描写は定番ですよね。Aの純粋な思い自体に価値があるのに、簡単にBに伝わらんでもええやん、いつもそう思います。見返りを求めがちな風潮を反映してるようでイヤじゃない?

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2017年07月15日

急に手の平を返す人

労働してる最中の人達と関わる機会があって思い出したんだけど、上司や力のある人の評価ばかり気にして行動に裏表がある人っているよね。そういえば嫌いだったヤツがいました。


早々に早期リタイアを志してたから会社にも上司にも期待などしないし不満も無かった私と違い、どうも自分が評価されないことが不満で仕方なかったみたいなんですよね。

だからやたらと上司の悪口を言って来るんですよ。でも深刻な愚痴というほどの感じでもないし、漏れたらヤバそうな本音を言うってことは私を信用してるってことだろうから悪い気もしないし、部分的に同調したりしながら聞いて上げてたんです。

なのに上司が来たら勝手に話を切り上げて愛想よくすり寄って行くんですよ。コイツ最低やなって思うわけだけど、平気でそう出来るのは私にどう思われてもいいからだろうし、無視されたような悲しい気持ちになってしまいます。それが何度かあったので距離を置きました。


この良き反面教師のおかげで私は裏表のない人間になりました。でも会社員でそれを続けるのって大変ですから、リタイアが近づくにつれて手っ取り早く裏も表も見せなくなったけどね。

本音を言わないとか弱みを見せないとかの世渡りテクって、人としては不誠実でズルいだけだし、自分に正直だった上記最低野郎の方がある意味誠実とも言えます。組織に属さない今の環境では、態度を曖昧にして日和見するような生き方はしたくないと思っています。

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2017年06月24日

「お前のため」を分析してみた

対人関係も増えて来た今日この頃、相手への思いやりには二種類あると感じています。

A:相手が望んでいるであろう、または助かるであろうことをやってあげること
B:相手から求められない時にむやみに関わらないであげること

思いやりが伝わり易いのは確実にAですし、私が最近始めたボランティアもAの要素が強いです。でも私個人として圧倒的に価値が高いと感じているのがBなんです。

幸い早期リタイアという恵まれた環境にいるため、人に助けて欲しい場面なんて正直ないですし、孤独の中で自分を満足させる術も身につけて来ています。

だから自身の方針で進めてることに口を出して欲しくないし、集中してる時は誰にも関わって来て欲しくありません。そんな雰囲気を出してる時は、とにかく放っておいて欲しいのです。


AB共に価値あることですが、Aはする側が自身の行動に価値を生み出そうとしているのに対して、Bは身を引いて相手の意志に任せる、つまり相手の価値を尊重している感じがしませんか?

だから自分にBをしてくれない人がいたら、その人が他人の自由意志を尊重できない傲慢野郎か、自分が信用されてないかのどちらかです。いずれにせよ肝心の自分の気持ちが無視されてる以上、その人に気持ちや感情を素直に見せることが難しくなって来ます。

少なくとも私は放置して欲しい時に関わって来られるよりも、かまって欲しい時に放置される方が遥かにマシと感じる点からも迷いなくB優先なのですが、皆さんはどう感じられるのでしょうか?

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2017年06月17日

自己満足しない先輩

自己満足は重要だと思うって前々から何度も書いてますけど、今はさらに強まって自己満足こそが人生くらいに思ってます。自分を満たすこと以外に何の生きる意味があるんでしょうか?

なのにこの言葉は悪い意味で使われるんですよね。会社で新人の頃これが口癖の先輩がいました。「お前はまだまだやれるのに、このへんでいいやって自己満足して歩を止める癖があるよ」

正直自覚はあったのでドキリとしたし、社会ではとことん追求しなきゃダメなんだと知りました。この言葉のおかげで仕事に全力を尽くす習慣がついたし、技術職だからそんな習慣は良い仕事にも直結しました。良い指導者だったと思いますし、感謝もしています。



でもこの先輩の主張はつまり、自身の満足感など無視して周囲が満足する基準でやれ、なのです。確かにいつもそういう仕事をする人だったし、話も面白くて人気も信用もありました。そうやって周囲に認められることは最終的に自分を満たすことでもあるのですが・・・

遅くまで残業をしては毎日行きつけの飲み屋で夕食を兼ねて飲んでいて、私もよく誘われました。「酒の飲み過ぎで体ボロボロやねん」といつも笑いながら痛飲していて、そういう豪快なところが魅力的に感じたりもしたんですが、今思えば自分を大事にするという点では落第点です。

他人でなく自身を満足させる事をもっと重んじて、無理をせず自身を大切にしてもらいたいです。転勤して結婚したと聞いているので、それが何かのきっかけになってたらいいのですが。

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2017年06月13日

本当にやりたいことか否か

連ドラの視聴率って大体初回が最も良くて後は下がっていくものだけど、話題になって尻上がりに数字を上げて行く作品も各クールに一本くらいはあって、ずっと疑問に思っています。

私自身も連ドラは割と見ますし、見ていない作品が世間で話題になるパターンもよく経験します。だからって途中から見ようって気にはならないんですよね。縁がなかったものと独自に判断して、またいつか再放送があればその時に見ようと思います。

同様にパート1を見てないドラマのパート2を見るなんてこともまずないし、映画でも然りです。乗り遅れたものを追ってもろくなことがないという、投資家としてのポリシーからなのかな。



でも何でも一から順番にやりたいってのは、大方の人が持っている感覚なんじゃないでしょうか?なのに視聴率が途中から上がるのは、一部の人が話題に乗り遅れまいと必死だからですかね。

入社間もない頃、昼休みを一緒に過ごすメンバーが通信ゲームの話ばかりするので全然馴染めず、かと言って今日から一人で過ごしますとも言い出せず、PS2を買って参戦したことがありました。でも対象ゲームがコロコロ変わるし、金が惜しくなって2ゲーム目で早くも脱退。

周囲が好きなことでなくやっぱり本当に自分が好きなことを趣味とすべきだと感じた経験でした。そこからは自分を確立し他人に全く流されなく・・・はならず、やっぱり周囲の空気を読んで敵を作らない動きに終始してましたけどね。まあそこはリーマンの宿命みたいなもんですが。

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2017年06月10日

早期リタイアで満たされなかった何か

毎日楽しいだけでは何か満たされない感覚がずっとあって、その特効薬となるか分からないけど、ボランティア活動を始めています。小さな一歩ながら私の中では割と大きな決断でした。

というのも私は承認欲求が人一倍強かったので、周囲の力になれるよう頑張り過ぎる傾向があり、在職中ずっと自分の気持ちを無視しがちだったとの反省があるからです。リタイア後は好かれたい評価されたいと思うことや、他人のために何かすることは封印して来ました。

だからボランティアも早期リタイア前から考えていたにも関わらず、むしろそんなものから距離を置くようにしていたわけだけど、結局一周して原点に戻って来た感じです。


「嫌われる勇気」で有名なアドラーも他者貢献こそが幸福であると言っています。在職中の貢献は周囲を助けたい気持ちと、自分の立ち位置を守る打算とが入り混じって良くなかったのでしょう。打算なく他者を助ける行動なら、純粋に自分も他人も満たされるはずです。

だからそうする自分を偉いとも思いません。明らかに第一目的は自分の心を満たすためですから。それともう一つ感じたのは、気付かなかったけど実は寂しかった?ということでした。

今後続けて行く活動は多くの人との交流を伴うもので、それは割と苦手なことでもあるんだけど、想定外に積極的に人と交わろうとする自分がいることに驚くんです。その「満たされない何か」とは他者貢献うんぬん以前に、人との関わりだったのかも知れないです。

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2017年04月27日

私、怒る。

皆さんは自身のネガティブな感情をうまく伝えられますか?社会に向ける顔が板についてしまうと感情、特に怒りの感情が顕著に麻痺するのだそうです。元来人間が感じるごく自然な感情なのに、社会ではそれが悪者として扱われるからです。

私も会社で怒るなんて数えるほどしかなかったです。でも内心イラッと来ることは当然あったし、事を荒立てないために流しても結局わだかまりは残るんですよね。親しかった人と距離が生まれる原因って激しい衝突よりもむしろそんなパターンだと思います。



もっと近い人、例えば嫁に苦々しく思う事だって当然ありますが、それが致命的に嫌でもない限り口に出すこともなく「まあいいや」と気にしないよう心掛けることは、やはり多かったです。
 
でそれが積もって、ある何かのタイミングで爆発しそうになるわけです。長年感じ続けた思いってもはやそういう時にしか口火を切る機会がありません。でもその状態で話しても言葉がキツくなり平行線になりそうだから、結局多くの場合は直前で言葉を飲み込むんですね。
 
そして一度飲み込んだら最後、冷静になった頃には今更その話題なんてしたくもないし、何も前に進めることが出来なかった自分にガッカリして、しばらく子供みたいにスネる羽目に・・w


リタイアを機に「まあいいや」や「分かってくれてるはず」はやめて、意識して言葉に出す習慣を身につけようとしているんですが、まだまだ道のりは長そうですねえ。。

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2017年04月06日

嫁の留守に思うこと

先日まで嫁が所用で数日間家をあけてとても寂しかったです、嘘です。こんなこと書くとまた後で怒られるんだけど、在職中から嫁の留守という「非日常」はいつも楽しみでしたw


何かと心配性な嫁ですから食事のこととか心配して、あれ作っとこうかとかあれ買っとこうかとか色々提案してくれます。在職中は一人じゃ全然何もできなかったので随分と助かってましたけど、今はもう何もして欲しくない心境に変わっていました。

これを食べなきゃいけないとか、この食材を使わなきゃいけないといった制約が嫌なんですよね。そういう縛りをゼロにして、その時その時の思いつきで行動したいわけです。結果的に二度手間になったとしても二度手間を楽しもう、くらいの感覚でいます。


サラリーマン社会って簡単な件でも自分一人の判断じゃ決められません。また後で責任を負わないためにも自分が決めない方が得という自衛の空気が支配的で、互いに日和見となるケースが多く、他者からの提案があれば基本的に「渡りに舟」だったけど、そんな悪習から脱したのかな。

それとも自由な生活を続ける中で、ちょっとした制約も我慢できないワガママ体質になっただけ?それとも単に時間に余裕があるから効率重視じゃなくなっただけ?・・・等々諸説ありますw

リタイアして一年以上も経つとこうしてふとした出来事を機に、感じ方が色々と変化している事に気付く時があります。改善なのか劣化なのか・・・そんなのはもうどっちでもいいんだけどね。

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2017年04月01日

自分を知るためのヒント

心に関する内容の多いこのブログですが、大方の人に理解されないのではないかと思われる主張やええ歳こいて恥ずかしいような話をあえて正直に書くことは多いです。

リタイア後は人の目を気にし過ぎない点で劇的に改善したとは言え、やっぱり上記のようなことを書くのって勇気がいることだし、頂いたコメントを読む時に緊張したりしてますw

なのに何故わざわざ書くんでしょうね。何もブログに限った話でなく現実世界でも、自分の弱さや恥をさらけ出していい心境になる時って誰にでもあると思います。人は何故そういう心境になる、もしくは何故そんな勇気が出るのでしょうか?


それは偽らざる自分をさらすことで心を解放できるとか、自分の駄目さを先に見せてしまった方が楽に人と接せるというのが当然あるわけですが、もう一つあると思うんですよね。

自分をさらせば相手も相応の反応を示してくれて、どう感じたかを率直に教えてくれやすいです。その繰り返しにより自分が人とどう違うのかが分かり、それによって自分がどういう人間なのかを知るヒントを得るということです。


自分が本当はどういう人間なのか知りたい、それは全ての人にとって永遠のテーマだと思います。でもそれを直視するには勇気が必要なので、その気持ちが高まった時にだけ弱さをさらして正直になれるんだと思っています。皆さんはどうお考えでしょうか?

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2017年03月18日

手抜き論

在職時代の私は仕事もプライベートも常に全力でしたし、そういう姿勢で生きる人が好きでした。逆にすぐ手を抜く奴は軽蔑していたというのが本当のところです。

でもリタイアしてからはそれが一変し、誰もが精一杯生きているんだなと事あるごとに感じます。ミスの混入リスクの徹底排除だとか、より効率の高い方法の模索といった、論理的に正しい手段を取り続けることだけが「精一杯」ではありません。
 

個人には能力や適性等に差がありますし性格の差だって大きいんですよね。それらは本人のせいというよりも天性とか生まれ育った環境の影響です。元々無気力な人とかのんびり屋の人は手抜きに見られがちだけど、でも気力のわく範囲で精一杯やっているはずです。

「徹底的に全力を尽くすことが自分の信条だから」ってな自負から他人がやたらと手抜きに見えて職場でピリピリしたり時には攻撃することもあったけど、今考えたらただの横暴ですね。


考えが変わったのは、無職という立場における生き方を自分なりに精一杯模索しているからです。自分の気持ちを常に最優先できて、だから不平不満なんて感じないような生き方が理想。

そうなるため日々努力してますとか言っても、無職なんてただのお気楽にしか見えないでしょう。それと同じですね。一見お気楽に感じる他者の言動にも理解を示せる人間でいたいです。

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