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  ・リタイア後の心の隙間

2016年11月17日

思ったことをそのまま言う

リタイア後は飲む機会が増加傾向ながら、いつも相手は知っている人なので、退職で抑圧から解放された自分が初対面の人とどういう風に接するのかを見るのも、先日のオフ会の楽しみの一つでした。


すると予想通り、相手に与える印象とか相手の言動の意図ばかり気にせずに感じたことを素直に表せる、つまり変に格好つけ過ぎない自分になっていました。もちろん極力そうするように意識もしていたんだけど、思いのほか自然と板についている感じでした。

後から考えたらむしろ行き過ぎた言動も多かったかも。巨人ファンのトマトソースさんの前でアンチ読売感を全開にしたり、マニアックな話に対して「え~その話まだ続くの~?」とか言ってたり(ゴメンね)。

もちろんそれは相手の親しみやすいキャラや酒を酌み交わしている雰囲気もあるわけで、いずれにしても自分が感じたことを表現できるかどうかって、その場を楽しめるかどうかの最重要ファクタだと思います。


そんなことが普通に出来るようになっていたのは、つまらん人間とバレてもいいとの割り切りからでしょう。実際、日々暇つぶしに勤しむ大したことない生き方をしてるんだし、相手につまらん奴と思われてもそれはただ縁がなかっただけに過ぎないという、いい意味での割り切り感が不思議とありました。

在職中はナメられたら軽んじられて仕事がしにくくなるだけだから、そんな割り切りなんて到底出来ません。 初対面は頻繁にあったけど、いかに良い印象を与えて自分の言葉に重みを持たすかが最重要でしたね。しまいには仕事以外でもそんな感じになっていて、それで人間関係が面倒くさく感じていたんでしょうね。

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2016年10月27日

結局、抑圧って何だったの?

退職するまで気付かなかった自己抑圧とその後遺症についてはこちらを皮切りに何度か記事にしました。以降徹底的に抑圧解除して来たんだけど、最近は一周回って「結局、抑圧って何?」と感じています。


20代頃までは怠け癖があって軽率で調子乗りなタチだったのに、サラリーマン生活の中でそれを抑圧して真面目に頑張ってしまう習慣がつきました。そこに無理が生じていたのではとの思いから、リタイア以降は「頑張らないこと」をテーマにして来ました。でもちょっと極端過ぎた気がします。

元々興味を持った事は徹底的に知りたい性格なんだけど(現在の対象は日本史)その思いが本気なほど、楽しいばかりじゃなく時として学校の勉強みたいに辛いものです。でもそこで頑張らなければ当初の目的が叶わないわけで、やっぱりそこは自己抑圧してでも頑張りたい性分みたいなんです。



それは会社員時代の、忙しくもないのに9時出社必須とか、残業したくないのに無駄会議に強制参加とか、嫌いな人種とも関係を構築しなきゃいけないとか、そんな抑圧とは種類が違います。最大の違いは自分で決めたか他人が決めたかだけど、前者の抑圧まで無理に回避する必要ある?

後者で得するのは言わば自分以外の何者かなのに対し、前者が結実した時に心満たされるのは他ならぬ自分自身なんですよね。なのに両者を混同して「抑圧」そのものを悪者扱いし過ぎたようです。

リタイア後を良くするために、またその変化を肯定するために、やたらとリタイア前の自分を未熟者扱いしてその逆をしたがる傾向ってあるので注意が必要です。・・・こんな感じで相変わらず絶賛ブレまくり中w

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2016年09月01日

悩みって大体くだらない

5月~7月くらいに心が満たされず空虚で辛い心のスキマ問題に陥り、その解決法を求めて本を読んだりネットを調べていて感じたことは、改めて悩みってくだらないなということでした。


というのは例えば抑圧された自身の感情や欲求を解放する方法を検索すれば、感情や欲求を抑えるにはどうしたら良いかについて書かれた文章が圧倒的多数でヒットします。人の気持ちを考え過ぎたり周囲の目を気にし過ぎない方法を調べたら、逆にそう出来るための方法も多くヒットするんです。

先ばかり考えて不安になったり結果ばかり気になる件を調べたら、逆に計画的に行動できないことを悩む人も多いことが分かります。自分の悩みと真逆の事もまた、誰かにとっては悩みの種ということです。



改めて考え直すと、現役時代から常に客観的・計画的になり過ぎる傾向が自分を抑圧する傾向に発展し、その結果リタイア後に心のスキマを生んだわけで、それは常識的な生き方をして来なかった報いであると同時に、働かなくて良いという非常識的環境に住まえる最大の理由でもあるわけです。

人間の悩みなんて得てしてそんなもので、自分に無いことにコンプレックスを持ったり、他人が羨ましくなり時として自分を過小評価しがちです。だからある人の悩みは実は他人から見たら羨望だったりもしますし、逆に本人にとっての自信の源泉がただの独りよがりだったりもするわけですね。


それともう一つ、人って実に色々なことで悩むものなんだなあと思いました。それに比べて私の悩みなんて空虚感という一点しかなかったのに、一点しかないが故に必要以上に重く感じてしまっていたんですよね。それはその一点以外がどれだけ恵まれているかに目を向けない、一種の慢心だったと理解しています。

元々楽天的であまり悩むことがない代わりに、ちょっとでも悩むと何もかも重く感じて塞ぎ込む性格でした。何でもない当たり前の日常への感謝や満足、それらが欠けていたことを身をもって知った形です。

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2016年08月27日

使えないヤツ発見

リタイアしたら承認欲求が満たされなくなるのでは?といった不安は早くからありましたし、最悪の場合はYahoo知恵袋で誰かの質問に答えて満足しようなんてアホな画策をしていたりもしました。

リタイア後の一連の意識改革でもう「人の役に立たなければならない」の強迫観念はなくなったんだけど、ふとどんな質問が上がってるんだろうと興味がわいて、知恵袋ページをのぞいてみたんですよ。

そしたら唖然としてしまいました。だって、答えられる質問なんてほとんどないんだもん。今だから爆笑して終わりだけど、少し前なら自分の無力さを目の当たりにしてショックを受けたんだろうと思います。



いやもちろん回答できることはたくさんあるけど、ググればすぐ分かるような愚問には答える気がしないし、よってつまり一定水準以上の質問である必要があるんだけど、じゃあその水準の質問におれが答えられるジャンルって何?ってなると、これがなかなか思いつかないんですよ。

最初に浮かぶのは生業としていた開発関連なんだけど、私の専門はマニアックなうえ古い技術なんです。該当するカテゴリは一応幾つかあるものの、質問が一つも上がってませんでした。


その程度の知識しかないのに人の役に立つことばかり考えていた当時は、明らかに迷走していましたね。どうせおれなんてその程度のもんですよ、って最初から気軽に構えられたら、もっと気楽でいられたのに。かくなる上は年の功を生かして知恵袋名物・恋愛相談やエッチな質問にでも回答してあげようかなw

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2016年08月06日

正しい景色が見えていますか?

貴方は自宅に最も近い医院がどこにあるか知っていますか?最も近くにある会社の社名を言えますか?毎日通り過ぎている看板や標識の内容を答えられますか?


思考を止めるのが難しいと以前書いたところ多くのコメントを頂きましたが、記事内容が曖昧だったせいで「思考」の解釈がまちまちだったようです。書きたかったのは、机上で紙と鉛筆を持って始めるべきレベルの思考を所構わず始める癖が私にはあって、それを止めたいといったニュアンスでした。

そんな癖があると、移動中は事故らない程度に無意識行動するだけで景色なんて全く見えていませんし、会話中も人の声など全く耳に入って来ません。そんな思考の末に何らかの結論を出すことは得意だけど、常に結論ありきなので過程を楽しむということが極端に苦手なんですよね。


リタイア後に必要となるのは正解を導き出し続ける力よりも、単純に何でも楽しめる能力なわけですから、そのために普段から思考より感覚を優勢にしたいと日々意識しています。

そんな意識を持ちながら歩いてみると、いかに今まで景色が見えていなかったかを痛感して驚くわけです。かつての通勤ルートに質屋や医院や眼鏡店があったことや、家の前の会社の名前など、最近知りました。自分に関係ないものは驚異的なほど何も見えておらず、冒頭の質問を投げてみたくなったんです。


子供の頃ってどこに何のお店があって、どの民家にどんな特徴があって表札が誰々で、どこそこの看板の内容も漢字が読めない・意味が分からないなりに把握していた記憶があります。記憶違いかも知れないし、行動範囲が狭かっただけかも知れませんが、そんな感受性に無性に憧れたりもします。

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2016年07月23日

他人の厚意を容赦なく断る

先日丸亀製麺で、飲食した人にチケットを配っていました。3枚集めればトッピング無料、5枚集めれば・・・といった内容のものです。期限は月末まででした。

それをもらった老人客が「自分は今月はもう来ないから」とたまたま近くにいた客に渡そうとしたんですが、断られていました。双方とも受け答えは丁寧で特に何てことのない出来事なのですが、昔からこういうのを見ると心がザワザワしてしまうんですよね。


もし不要でも、私なら笑顔でお礼を言いつつ受け取ります。だって自分が店からもらった1枚を捨てるのも、老人のと合わせて2枚を捨てるのも手間は同じだし、理由を述べて断るよりも労力的に楽だからです。

おまけに老人は他人の力になれたと自己満足でき、私は老人を自己満足させられたと自己満足できます。つまり誰も何も損をしないわけで、損した人がいるとしたらその1枚をもらえる可能性のあった第三者です。でもそれが誰なのかさえ分かりませんから、罪悪感もありません。


こんな感じで私の中では受容の一択なんですが、最近テーマにしている「自分の感情に正直に従う」という観点ではどうなんでしょう?欲しくないのに偽の笑顔で受け取るわけですから確かに正直ではありません。だけど面倒を回避したい気持ちには極めて正直なんですよね。

どちらが自分に正直かを選ぶとしたら、間違いなく断る方なのでしょう。でもこれに関しては、わざわざ断る人の心理が想像もつきませんし、そこまで正直じゃなくていいやと思いましたが、皆さんはどうしますか?

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2016年07月21日

得意という思い込みは危険

自己の感情を抑圧することと頑張ることってある意味イコールだと思います。無意識的に自分を抑圧する傾向が強かった私は当然頑張ることも得意でしたが、その使い方を少し間違えていたように思うんです。


休日に田舎や温泉でボーッと過ごすと心が洗われるなんて話をよく耳にしますが、それは仕事でなかなか活躍できないとか、出世競争に疲れているとか、つまり普段無理をしている人達の話だと思っていました。だって同じ労力でも好きなことなら疲れませんけど、無理をしていると疲れますから。

私は技術の仕事が好きでしたし、出世の意欲なしと公言して気楽な立場でいられましたし、だから何一つ無理などせず好きで頑張っているつもりでした。だからボーッと過ごす時間の必要性など感じたことはなく、旅行魔なのに田舎や温泉にはあまり行ったことがありません。



でも麻痺して気付かなかっただけで本当はそんな時間も必要だったんだろうなと今となっては思います。「頑張るのが得意なんだから、イザの場面以外では手を抜いてもいいや」くらいでいいのに、どういうわけか「頑張るのが得意なんだから、常に頑張らなければ」になっていたんですね。

こうして常時気を張り続けていたことも、リタイア後まもなくして空虚さに苛まれた要因だと認識しています。得意と思っている事ほど意識し過ぎたり拘り過ぎたりして罠にはまることがあるんですよね。長距離打者が内角高めの釣り球を振ってしまいがちなのと同じです。って、例が分かりにくい?w

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2016年07月19日

ノープラン放浪万歳

リタイアして最初の半年間くらいは何かと予定が詰まっていて人と会う機会も多かったんですけど、今では何がそんなに忙しかったのか不思議なくらい落ち着いて、ほとんど予定のない毎日になっています。

それでも日中は必ず外出しています。何らかの目的を作って出かけることも多いですし、特にこれと言って見つからない日でもとりあえず出かけ、自転車なり徒歩なりでノープラン放浪しています。

自分がどこで何を見たらどう感じるのか、何のどこにどう興味を持つのかが今の最大の関心ごとですので、行ったことのない場所やお店を見つけては片っ端から視察している感じです。先日ふと市役所の展望台に上がってみたら、隣のイオンの屋上駐車場の動きが楽しくなって1時間も眺めてしまいました。


思えば子供の頃ってそういう感じで電車とか虫とか、興味を持ったらいつまででも見ていられましたよね。大人になると時間がないので何でもすぐ飽きるけど、その気になれば意外と飽きないものです。

そうやって童心に帰ると言うか、のんびり過ごすことが今は楽しいみたいです。時間の浪費で計画性もなく生産性もゼロですが、こんな時期も必要なのかなと考えています。いえ、あまり何も考えてないですw


いずれまた人や社会が恋しくなって働くようなことがあったら、元々思考能力は九段(自称)の私が今度は感性も相当な次元まで高めているはずで、大谷くんも真っ青の二刀流の活躍をするのではないでしょうか。そんな自分が恐ろしくなって来ます。なーんてね。

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2016年07月16日

つくづく自分勝手を感じた話

今日は高校野球大阪大会、PL学園の試合を見に行きました。負ければ休部と公言されているだけあって、まだ2回戦、平日昼間、雨と悪条件が重なっているにも関わらず、数千人レベルの観客がいて驚きました。相手が強いため試合前から敗色濃厚だった中、好ゲームを展開し惜しくも1点差で敗退。

負けた瞬間から自分でも驚くくらいボロボロと涙が止まらなくなって、20分ほど断続的に繰り返してました。こんなことってあるんですね、両親が死んだ時も泣かないだろうと思っていたけど、それも怪しくなりました。また一つ感情が解放された気がします。と、ここまではいい話なんだけど・・・


試合終了後は全選手が100人ほどの報道関係者から取材を受けていました。選手もみんな泣いていて、選手同士で励まし合っていたり、まだ次(大学とか社会人って意味)があるぞ頑張れよって声がかかったり、まさに青春だなと微笑ましかったんだけど、そのうちふと冷めたんですよね。

だって負けて悔しいのも、3年生が引退で思いがこみ上げるのも、全ての高校に共通することなわけです。PLの場合はこれで休部だから今年は報道陣がこんなに来て、観客の一部も声をかけたり煽ってるだけで、そこから生まれる感動の雰囲気と、私の涙が止まらない理由は別物だと気が付いたんです。

今年のチームはこの試合が初戦なのでまだ思い入れもないし、甲子園に出る期待なんて全くしてないし、だから私は負けたことに泣いているんじゃないんです。泣いている理由はあくまで、30年間もずっと一番に応援して来たPLの試合が二度と見られないことなんですよね(実質的には廃部のため)。


まあそれは良いとしても、もう一つ告白すると実はこの試合、7回に一時PLが逆転したんですよ。めっちゃテンション上がってガッツポーズしてしまった反面、どんなことを考えていたと思いますか?

もしPLが勝ってしまったら3回戦に進むことになり、その日は都合で行けないんですよ。PL野球部最後の試合を生で見ることに意義を感じて今日だって来ているわけで、だから「え~勝たれても困るがな~」って心のどこかで思っちゃったんですよね。いやホント選手に失礼で、ここに懺悔します。

でも報道陣を筆頭に、どうせ負けるのなら今日ここでって思っていた人は結構多いんじゃないでしょうか。勝つより負ける方が感動を呼ぶ状況にあったからです。大人の世界って本当に勝手だよね。

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2016年07月09日

失言しまくり軽率野郎

「常に冷静でいること」は長らく自分の価値観の中枢として大切にして来たことです。では何故そうなのか?その答えは案外簡単に見つかって、それは自分が調子乗りの軽率野郎だったからです。


幼い頃から調子に乗って浮かれるとつい自分を制御できなくなって、失言したり失礼な行動をしては他人を怒らせて来ました。そんなトラウマや苦い経験が、常に冷静な自分を作ったんですね。

人の素晴らしい部分はリスペクトするんだけど、その人自体が自分より偉いとか上とか思ったことがなくて、だから調子に乗るとつい馴れ馴れしい態度になって、先生や上司からは敬意のない行動と見なされて雷が落ちるんです。親しみを感じての行動で、悪気なんて全くないんだけどね。


その程度で怒る人って自信がないんだろうし、私がそんなに悪いなんて思ってませんよ。でも軽率な行動で上の人を怒らせた時のショックって相当大きいものなわけですよ、誰一人として味方なんてしてくれないし、急にシュンとなる自分がホント情けなくって心底凹みます。

でも今は先生も上司もおらず、過去のトラウマを引きずって冷静でい続ける必要なんて全くないわけです。冷静な自分が好きで心地良いうちはそうすればいいけど、冷静過ぎる自分が面倒くさくなって来てるので、荷物の下ろし時が来たと思って今はたまに意識して放言しています。


そのせいでまた失言する日もあるだろうけど、少しは社会常識が身についたはずだし、昔ほどとんでもない失言(または暴言)は出にくいんじゃないのかな、多分。出てもまあいいやと割り切ることにしています。

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