11/12日と帝京大学山梨文化財研究所古代考古学フォーラム2006『『掘立柱・礎石建物建築の考古学 ?官衙・集落・寺院におけるその分析と研究法?』に参加するため,石和温泉にある帝京大学山梨文化財研究所へ行ってきた。土曜にも関わらず5:30に目が覚めてしまう自分に嫌気がさしながらも,眠い眼をこすりながら,荷物の準備を行なう。朝食の雑炊を食べて朝シャンして,8:16の電車で新宿へ。ギリギリ9:31発のかいじ101号に乗れた!これで寝過ごさなければ一安心だ。iPod NanoでSoweluの新曲「to YOU」と上戸 彩の新曲「笑顔のままで」(ミーハーって言われそうな気が…),最近お気に入りの千住 明さんの「Blue Air〜Piano Solo Version〜」を聴きながら,ゆっくりと外の景色を眺める。やっぱり日本の景色が落ち着く。文字が全く読めないうえに,言葉も殆どしゃべれないにも関わらずしばらく韓国へ行っていたからそう感じるのだろうか。八王子を過ぎた中央道付近の山の斜面では梅の花がかなり咲いていて綺麗だ。漸く春の到来といったところか。前置きはこの辺にして,本題に入ろう。
フォーラム初日は奈良文化財研究所の山中敏史先生の「掘立柱建物・礎石建物以降の造営時期推定をめぐる諸問題―官衙建物遺構における時期区分法の再確認―」とかながわ考古学財団の大上周三さんの「東国集落遺跡の掘立柱建物の理解」,国士舘大学の須田 勉先生の「寺院遺跡の掘立柱・礎石建物跡分析研究の現状と課題」,東北芸術工科大学の宮本長二郎先生の「建築史からみた古代建築の流れ」と題する基調報告があった。山中先生の報告は主に遺構の調査方法と解釈についてのお話で掘立柱建物をあまり調査した経験のない私にはとてもわかり易く,参考になるものであった。大上さんの報告は主に自身が調査された集落の事例をあげて集落遺跡の掘立柱建物の性格をどのように考えるのか,年代決定のための方法論についてのお話だった。須田先生の報告は栃木県下野市にある下野薬師寺の調査成果から礎石建物の造営順序,変遷過程を復元していく方法を紹介されたものだった。宮本先生の報告は古代建築を律令型建築と在来型建築に分けて,主に官衙の建築遺構,具体的には大極殿や内裏正殿,国府政庁正殿,城柵官衙正殿,郡衙政庁正殿の事例を分析された。その結果,29.5cmと30.0cmの2種類の異なる造営尺が存在し,29.5cmの造営尺は国営造営組織に採用された尺度であるのに対し,30cm造営尺は郡衙政庁正殿にのみ見られる尺であることから,在来型建築を継承する郡司層に普及したものであることなどを述べられた。
18:30から始まった懇親会の席ではいろいろな研究者の方と知り合うこともできたし,大学時代の先輩で南アルプス市教育委員会に勤められている斎藤秀樹さんとも再会し,旧交を暖めることができた。
2日目は事例報告が中心で三重大学の山中 章先生の「都城における掘立柱・礎石建物建築〜長岡京の事例を中心に〜」.帝京大学山梨文化財研究所の平野 修さんの「集落・官衙関連遺跡の掘立柱建物跡の調査と分析検討」,深谷市教育委員会の鳥羽政之さんの「地方官衙遺跡の調査事例―武蔵国榛沢郡家を中心に―」,自分の報告,勝沼氏教育委員会の室伏 徹さんの「奈良・平安時代建築解析法としての建築単位の提唱」と題する基調報告があり,その後に質疑と討議が行なわれた。総合討議では主に室伏さんの提唱する建築単位という概念についての討議となった。
討議では室伏報告を承けて,基壇が削平を受けて礎石はおろか据え付け痕も確認できないような礎石建物について,建築単位概念からアプローチできないのかという質問を行ったが,やはり存在しないものについては難しいようである。現状では類似する規模の礎石建物の柱間等から推定するしかないのだろうか。寺院建築の講堂や金堂などの場合,身舍の端と中央で礎石間の尺度に違いがあるものが見られることから,難しいのだろう。でも,単純に掘り込み地業の規模を建築単位に当てはめて,桁行●間,梁行●間っていうのを推定するのはダメなのかな?
でも,出土遺物がなくて,時期がまったく分からない掘立柱建物がみつかった際に時期を推定するための一つの方法論にはなると思う。昨年度に台渡里遺跡の確認調査で次期不明の大型掘立柱建物(全部側柱式)が9棟見つかったが,本報告では建築単位の概念を利用して時期を推定してみようと思う。
自分の報告に対する突拍子も無い質問は出なかったので安心したが,この2日間はとても充実した時間で,夏に予定している台渡里廃寺跡(長者山地区)の範囲確認調査にも参考になりそうな視点や方法を学ぶことができた。少しでもそれらを活かして,良い成果があげられればと思う。最後に平野さん,報告の機会を与えていただきましてありがとうございました!それと石和温泉駅まで送ってくれた須田亜紀さん,ありがとう!
フォーラム初日は奈良文化財研究所の山中敏史先生の「掘立柱建物・礎石建物以降の造営時期推定をめぐる諸問題―官衙建物遺構における時期区分法の再確認―」とかながわ考古学財団の大上周三さんの「東国集落遺跡の掘立柱建物の理解」,国士舘大学の須田 勉先生の「寺院遺跡の掘立柱・礎石建物跡分析研究の現状と課題」,東北芸術工科大学の宮本長二郎先生の「建築史からみた古代建築の流れ」と題する基調報告があった。山中先生の報告は主に遺構の調査方法と解釈についてのお話で掘立柱建物をあまり調査した経験のない私にはとてもわかり易く,参考になるものであった。大上さんの報告は主に自身が調査された集落の事例をあげて集落遺跡の掘立柱建物の性格をどのように考えるのか,年代決定のための方法論についてのお話だった。須田先生の報告は栃木県下野市にある下野薬師寺の調査成果から礎石建物の造営順序,変遷過程を復元していく方法を紹介されたものだった。宮本先生の報告は古代建築を律令型建築と在来型建築に分けて,主に官衙の建築遺構,具体的には大極殿や内裏正殿,国府政庁正殿,城柵官衙正殿,郡衙政庁正殿の事例を分析された。その結果,29.5cmと30.0cmの2種類の異なる造営尺が存在し,29.5cmの造営尺は国営造営組織に採用された尺度であるのに対し,30cm造営尺は郡衙政庁正殿にのみ見られる尺であることから,在来型建築を継承する郡司層に普及したものであることなどを述べられた。
18:30から始まった懇親会の席ではいろいろな研究者の方と知り合うこともできたし,大学時代の先輩で南アルプス市教育委員会に勤められている斎藤秀樹さんとも再会し,旧交を暖めることができた。
2日目は事例報告が中心で三重大学の山中 章先生の「都城における掘立柱・礎石建物建築〜長岡京の事例を中心に〜」.帝京大学山梨文化財研究所の平野 修さんの「集落・官衙関連遺跡の掘立柱建物跡の調査と分析検討」,深谷市教育委員会の鳥羽政之さんの「地方官衙遺跡の調査事例―武蔵国榛沢郡家を中心に―」,自分の報告,勝沼氏教育委員会の室伏 徹さんの「奈良・平安時代建築解析法としての建築単位の提唱」と題する基調報告があり,その後に質疑と討議が行なわれた。総合討議では主に室伏さんの提唱する建築単位という概念についての討議となった。
討議では室伏報告を承けて,基壇が削平を受けて礎石はおろか据え付け痕も確認できないような礎石建物について,建築単位概念からアプローチできないのかという質問を行ったが,やはり存在しないものについては難しいようである。現状では類似する規模の礎石建物の柱間等から推定するしかないのだろうか。寺院建築の講堂や金堂などの場合,身舍の端と中央で礎石間の尺度に違いがあるものが見られることから,難しいのだろう。でも,単純に掘り込み地業の規模を建築単位に当てはめて,桁行●間,梁行●間っていうのを推定するのはダメなのかな?
でも,出土遺物がなくて,時期がまったく分からない掘立柱建物がみつかった際に時期を推定するための一つの方法論にはなると思う。昨年度に台渡里遺跡の確認調査で次期不明の大型掘立柱建物(全部側柱式)が9棟見つかったが,本報告では建築単位の概念を利用して時期を推定してみようと思う。
自分の報告に対する突拍子も無い質問は出なかったので安心したが,この2日間はとても充実した時間で,夏に予定している台渡里廃寺跡(長者山地区)の範囲確認調査にも参考になりそうな視点や方法を学ぶことができた。少しでもそれらを活かして,良い成果があげられればと思う。最後に平野さん,報告の機会を与えていただきましてありがとうございました!それと石和温泉駅まで送ってくれた須田亜紀さん,ありがとう!