March 11, 2012

3月11日

ちょうどあの日から1年になる今日3月11日。いろいろな思いが交錯して言葉がうまく出ませんが、1年前の今日3月11日、東日本大震災において犠牲となられた全ての御魂に謹んで哀悼の意を表し、今なお地震、津波、原発事故の被害にさいなまれている全ての皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。そして、今なお行方不明の方々が1日でも早く見つかること、身元不明のご遺体が1日でも早くご親族の元に帰れることを祈ってやみません。

昨年の今日は、0時ちょっと過ぎまで起きていて、いつもどおりの「おやすみ」ツイートして寝たんだよなあ。そして朝は職場の掃除当番で、掃除して石油ストーブに灯油入れたと言うつもりでガソリン入れたと言ってしまって笑われたりと、本当にいつもどおりの金曜日だった。それがたった数時間で変わってしまうなんて誰が想像しただろうか…できるならあの日の朝に戻って、その先に起こる全ての災禍をなかったことにしたいと思ったほどでもあります。

さて、地震からは確かに1年経ちましたが、本当に1年経ったのかと思うほど時間が止まっているような気がします。言い換えれば、震災はまだまだ続いている。そういうことです。私はあの日と変わらず、住む場所も仕事(とそれによる収入)もある普通の生活を送っていますが、大きな被害を受けた地域の人たちは1年経った今、私と同じように生活できているだろうか?素人目線でも答えはノーだ。仙台空港、名取、亘理、山元、七ヶ浜、仙台市若林区荒浜、仙台市宮城野区港、多賀城、塩釜、石巻、福島県相馬市…この1年間で行った場所は相変わらず津波の傷痕が生々しく残っています。それが何を示すかは言うまでもありません。だからこそそこに住んでいた人たちのことを思うと言葉が何一つ出ませんし、その復興とはほど遠い現実に愕然としています。またそれに対して被災地にいながら何もできず、何ができるかもわからないことが1年経った今でも歯がゆく、もどかしいです。1年前にも書いた言葉を1年後にまた書くこと自体、自分自身情けなく思いますし。ただ、これが現実でもあります。その景色を見るたび、何度悲しくなったことか…

だとすれば、私にできることは本当に0なのか?それの答えももちろん、ノーだ。今こうして生きているし、世の中の歯車となりうる仕事だって私に残っているのだから。ことあるごとに似たようなことを書き続けてきたが、ここであきらめて投げ出したらなによりもあの日道半ばで天に召された1万人以上の御魂に失礼だ。それにこの世に生きている以上、その方々のぶんまで全力でがんばり続ける義務があると思っていますしね。一人は万人のために、万人は一人のために(=One for all, All for one)あるのだから。直接的に何もできなくても、今の仕事を通して世の中の歯車を回し続けていくことが宮城・東北の復興の一助となるのは間違いありませんし、それが私の社会的な「仕事」だとも思いますしね。ここから、苦しんでいる人たち、悲しんでいる人たちに笑顔を取り戻してもらえればいいなと思います。そして政治に対しては言いたいことが山ほどあるけど、まずは責任のなすりつけをせず与野党無関係に復興政策を打ち出してくれ。その一言だけ言いたいと思います。

ここまでいろいろ言いたいことをとりとめもなく書いてきたけど、もっとも忘れてはいけないと思うことがある。この「普段通り」は当たり前にあるものではない、だからこそ日々感謝を忘れずに過ごさねばならないということだ。ベガルタ仙台のメッセージフラッグにあった「私たちは感謝を忘れない」その精神です。このメッセージについて、私は物的、心的な支援だけでなく、全ての物事に対するメッセージだと解釈しています。
日々暮らしていると明日も同じような日が来ると思いがちだけど、あの日にはその「普段通り」が崩れてしまったのだから。私にはその普段通りがまた訪れているわけだが、多くの被災者の方々には今もそれが訪れていない。それを思うと普段通りは当たり前じゃない。確かに仕事でストレスを感じたりもしますが、今なお津波や原発の被害に苦しむ人たちに比べれば私は恵まれてますし、そんな悩みなど贅沢すぎるのではとも思う。仕事に日常生活、今生きていることも含め、今ある全てに感謝しつつ日々過ごしたい。黙祷しながら、その思いを強く持った特別な日曜日でした。まだ先は長いかもしれないが、「普段通り」が全ての人にいつでも、いつまでもあるように。心から祈ります。そしてともに前を向いて、みんなで復興のために歩き続けていきましょう!


がんばろう、宮城!がんばろう、福島!がんばろう、岩手!がんばろう、東北!

ちなみに今日は親父の誕生日でもあります。あの日親父はは職場の病院で地震に遭い、2日後の夕方まで不眠不休で仕事をしていたと、13日に一時帰宅したときに聞いた。その13日も家にいたのは夕方から翌日朝までの半日ほどだけで、誕生日ケーキを食べてまた仕事に出ていき、また2日ほど帰ってこられなかったんだよね。さんざんな51歳の誕生日だったと思うけど、家族の暖かさを強く感じた誕生日でもあったね。それがあのときのあなたの言葉。今でも覚えています。

今年は家族全員で家にいて、普通に52歳の誕生日を祝うことができた。あの日のことを思うと、親父にとっても家族にとっても本当にいろいろな意味で特別な誕生日だったと思う。この日を平穏に家族全員で迎えられたことに感謝し、改めて、親父に心から誕生日おめでとう。

prelude9900 at 17:36│Comments(0)TrackBack(0) 日記 

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