2005年04月06日

「見直し」という損失。

33bbf51d.JPG来春から使用される中学校用教科書の検定結果が発表された。竹島問題もそれは重要だろうが、そのお陰で文科省の「ゆとり教育」見直しという罪が隠蔽されている。
仕事で現行の中学校用教科書(公民)を見る機会があった。「ゆとり教育」より遙か前の私の時代とどこが違うか? それは「考えてみよう」「調べてみよう」と、“自主的に意見を考える”ことが“受動的に知識を覚える”ことより重視されている点だ。この点に異論はない。ただ、一方で“考える”“調べる”ことを前提に除外された内容が子供達一人ひとりの頭脳に刻まれたかどうかの保証はない。この教科書におびただしく並んだ「考えてみよう」「調べてみよう」の提案は実際に行われたのか?仮に行われたとして、全員が結果を把握できたのか? 大日本帝国憲法と日本国憲法の違いを「考えてみましょう」と言うこの教科書に本当に子供達は、そして教師は反応しているのだろうか? そして、何よりこのような教科書を使わされてきた子供達が、違う教科書と違う学習方法によるいきなりの「見直し」に対応できるのか?
あるいは「考える」「調べる」という一つひとつの行為の意味は教えられているのか? 私は知る術を持たない。この教科書からは気持ちは伝わる。しかし、それが機能してきたかを確かめない限り、この国にもたらした壮大な損失への疑いは消えない。

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 「考える」力を身につけさせると言いながら、あんまし考えていない文部科学省に苦言。  そもそも「考える」ことを教えるって発想自体おかしい。作文や発表重視の授業にしたところで、見本を真似たものが氾濫するのが関の山だろうし。それに「考える」ことってのは、通.
ゆとりで頭ゆるゆる【日刊シュガーレスゾンビ】at 2005年04月28日 12:49
この記事へのコメント
日刊シュガーレスゾンビさん、トラックバックありがとうございました。
「ゆとりで頭ゆるゆる」にコメントを残しましたので皆さんご覧ください。
「考える」の意味なんて、そもそも“ゆとり教育”という代物を考え出した文科省には
理解できないのではないかと思います。本当に怖ろしい状況です。
Posted by 川中紀行 at 2005年04月28日 19:26