2005年11月11日

「道具」という分身。

1a3394b5.JPG私は、ヴァイオリンではなく、人生を買ったんです。
これは、約300年間殆ど演奏された形跡のない幻のストラディヴァリウス“デュランディ”を幸運にも購入したヴァイオリニスト・千住真理子さんの言葉だ。

この道一筋、のような人生を送っている人間は時折「道具」が分身のようになる。
大工の棟梁の鉋、板前の包丁、あるいは松井秀喜のバット。
作家の北方謙三氏は愛用の万年筆を「生き物」に例えた。ペン先が原稿用紙を滑る感覚で3種類の硬さの万年筆を使い分けているのだそうだ。つまり自身の体調と万年筆が一体化しているのである。
千住さんや北方さんとは比べることすらできないが、私の愛用の筆記具はカランダッシュのシャープペンシル。ロシア語で「鉛筆」の意の六角形のボディは取材の際の私の心を和らげてくれる。もう21年間使い込んだ「新明解国語事典」も手放せない。
これらの道具を人生や肉体に例えるほど、私に思い入れはないが、ギタリストが数多くのギターを収集するが如く、仕事への情熱が道具への執着に変わる例もよく目にする。
凝るほどの仕事道具を持てた者が、幸せであることは間違いない。

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この記事へのコメント
「私は、ヴァイオリンではなく、人生を買ったんです」
「道具が分身」
私も少し、その気持ちがわかるような〜。
その人の身の回りの道具を見れば、その人の職業や趣味が少しわかるような気がします。
私も大切にしている道具がいくつかあります。
いくつか?いや、たくさん?
私の欲望を満たす為に揃えた道具達。
私の趣味探求のよき理解者。
そして、私の右手、左手、時には頭脳となる、一番の協力者です。
私があの世へ逝ったあと、あの道具達はどうなるんだろう?
また別の人の人生とともに暮らしていくのか、はたまた私と心中でしょうか。
我が子のように、少し心配になりました。
Posted by その吉 at 2005年11月17日 12:47