2005年12月14日

「すれ違い」という遺物。

東京・新宿の「田園」という喫茶店で女性と待ち合わせしたが、3時間待っても現れなかったため店を出て焼鳥屋で冷や酒をあおっていた時、ふと自分が告げたのは「田園」ではなく
「上高地」という喫茶店ではなかったかと気づいた男がいた。息を切らせて飛び込んだその「上高地」で4時間半も待っていた未来の妻と無事会うことができたのは作家・小檜山博氏。これは朝日新聞に書かれた氏のエッセイの内容である。
昔は、同じ駅の反対の出口で互いに待っていたなんて話はいくらでもあった。しかし、私と妻が初めて待ち合わせた時のすれ違いは、待ちくたびれて帰りの電車に乗ろうとした私にかかってきた携帯電話に救われた。
「すれ違い」は、切ない恋物語の格好の小道具であったが、このように携帯電話の登場で確実に消えつつある。少なくとも、やきもきしながら待つあの気持ちはこの世からなくなろうとしている。そこには便利になったと片づけられない味気なさも残る。携帯電話に救われた私にさえ、懐かしいすれ違いの過去の一つや二つはあるのだ。

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