2005年04月17日

「母語」の分散。

7738a4ec.JPG私たちの「母国語」はもちろん日本語だが、自分が生まれ育った環境の言語である「母語」と「母国語」との関係は、イニュイ民族〈カナダ・エスキモー〉とカナダの母国語(英語/一部の州で仏語)との問題をはじめ民族の存在とも関わる重要な位置を占める。さて、そうした現実を踏まえつつ、あえて「母語」を拡大解釈すれば、いま世代間で“母語”が拡散しつつあるのが日本なのではないか。
●「母語」の拡散。
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2005年01月15日

「萌え」という無理解。

fc01ed2a.JPG「ある人物や物に対し深い思いこみを抱く様子」を指すらしい「萌え」の用法にはいまさら何も言うまい。新語が世代間で使い分けられてきたのはそれこそ紀元前からの習わしであろう。
しかし、それでもなお私が言いたいのは、果たして「若芽が伸びる」(『新明解国語辞典/第3版』)という言語本来の意味をどれだけの若者が理解しているかという疑問だ。
「多様性」という言葉が生徒に通じなかったと某語学専門学校教師から聞かされたのは去年だった。私はいま、日本の若者達がどこまで日本語を理解できているのかを考えるだけで恐ろしい。
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2005年01月05日

「ミチシルベ」という装飾。

df2563dd.JPGORANGE RANGEの「ミチシルベ」を聴く。道標ではなく、みちしるべでもなく、カタカナだ。もっとも、カタカナで書こうが平仮名で書こうが、渋谷の街でアンケートしたらこんなありふれた言葉の意味が分かる割合さえ恐らく低いのではないか。昨今の文化衰退は私にそんな想像を起こさせる。
外来語以外へのカタカナ使用は20年以上も前から広告の世界で行われていたし、「夜空のムコウ」なんて名曲もある。さらに昔は普通にカタカナが混じっていた時代もあった。
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2004年11月30日

「し」の謎。

78dca8d6.JPG最近のスポーツ選手はインタビューで盛んに「思うし」という語尾を用いるが、この「し」に隠された意識が興味深い。
叙述の強調を表す副助詞「し」の用法なら強い意志を表すが、私はこの「し」にそれとは違う想像を働かせる。つまり、接続助詞として、もう一つ共存する何かを曖昧化しているような感覚を抱くのだ。
そもそも「思う」は断定を避ける言葉としていまは用いられている。「やります」を「やりたいと思います」という類の用法である。したがってこの曖昧な「思う」に続く「し」には、発言を曖昧にしたい迷いを感じるのである。
  
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