April 01, 2014

現代社会に舞台がある

現代社会を勉強することで、
自分の仕事の幹を育てることができる。

やりがいのある仕事をするには、
何かに対して問題意識を持っていなくてはならない。

何かしらの問題がある場面でしか、役立つ仕事は
できないから。なにかに役に立つ仕事でなければ、
やりがいはなかなか感じられない。

現代社会を勉強する事で、自分がアプローチするべきものが
世の中にたくさんあることを発見できると思う。


仕事

新聞
掃除、整理整頓
ゴム印
納品
印刻

決済関係処理
名古屋銀行入金



スタンプの発注。
陳列用のキャプション作り
陳列レイアウト作り
成田さんラベル作成

現代社会の問題解き


 

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March 27, 2014

型を身につける

花を生ける。

守破離というときの守がなぜ大切かが
わかりかける。

型通りに生ける練習は
言われた事しかできなくなりそうで、
怖いし退屈だとおもうことがちらほらあったが、
型を身につけていれば居るほど、
自由に振る舞ったときに魅力的に
踊れる感覚が、身近な人の創作活動を
見ていて良く分かった。

型を身体の中に通す事。



仕事

ゴム(急ぎなどあり)
名刺
印章2本
持って行くはんこの準備

松本さんに寄る
シモジマ



会議資料作成
フィクショナルなイラスト作家展
内装、カタログ
シープさんの展開プラン

戻り、引き続き印章
片付け

会計
反省



 

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March 26, 2014

鰻と花とキャンドル

打ち合わせざんまいの日々。

鋭くつながり、形にする。
出来ることだけとりあえず。

自由に考えて、好きに作ろう。


明日

ゴム
印仕上げ
納品



栗印二本 
キャンドルから広がる印の物語

うなぎと整理整頓

 

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March 25, 2014

信じるしかない。

一番の発見は、昼食。
昼食を食べると、だるくなる。
胃が消化するからか、だるくなる。
とたんに仕事に対する意識が弱くなって、
だらだらしたくなってしまう。

朝ご飯よりも昼ご飯のダメージが
大きいから、朝に沢山食べておいた方がいいのか、
とか、万全な方法を考えたくなる。


納品時、ポーチを使い始めたけど、
これはなかなか大切だと思った。

そのポーチに入れてあるものと、
自分の頭の中のものでいろいろな売り上げがつくれたらいい。

ヴァさんに結婚式での挨拶をお願いしたい。

日本酒の会。素敵で個性的で実力のある素晴らしい人ばかり。
そんななかで気に入ってもらったり、
祭つりの裏メニューを教えてもらったり。



仕事


ゴム版下。
くりさん印刻
みずみずさん




三匹の羊

・古代。伝統
・アットかわいい
・ニューワールと
 
それぞれに用意できたら
大丈夫 。

各務さん
 


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March 22, 2014

土曜日はめりはり

初心を忘れてはいけない。

当たり前の事なのに、こうして言葉として
使われ続けるくらい、
初心というものはどうにもこうにも忘れやすきもの。

いろいろなものが混ざってくると
いつのまにか紛れて隠れて消えていく。

だからこそ、書きとめて、そして読み返すを繰り返しながら
沈んでしまいそうなものをもう一度くみ上げて検証しなきゃ
いけない。

そういうことを考えて、土曜日は振り返りの
日に定めて、仕事はほぼ手を付けず、
振り返りと改善、調整、整理にあてることにした。

こういう日があれば、良い仕事ができそうな気がした。


明日は朝、昼、夜と予定ぎっしり。

近視的な仕事の気持ちを離れて、
遠きものを見つめる気持ちで1日を過ごしたい
とおもう。生きる力は遠いものに焦がれることで
しか得られない。遠きものを見つめて
生きる力をみなぎらせたい。
 

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聞き手が表現者を救っている。

仕事

テレビ局の取材。聞き手によってこちらが話せる
内容に大きな違いが出る。
世界観の広い人は、話を聞き出すのもうまいし、
こちらも安心して話を投げかけれる。
聞き手という人の大切さを改めて知る。


朝、のんびりしてしまうと
結局いろいろと後が大変になる。

しっかり朝を過ごしたいが、
毎日続くに連れて、だんだん
先回りできなくなるというか、
時間が後ろへずれてしまう。

どうしたらいいだろう。


明日

店仕事確認

土曜日は、普段と違う事をやる日にしたい
土曜日までに大きな仕事は終わらせて、
片付けや、反省やもろもろ整える事に回したい

というわけで、土曜日の使い方を考える。

ア名刺、印渡し
くに名刺
受け取りカード
ガス代支払い
M認め印
K名刺



焼き印連絡
落款渡し
思い切って本を読み世界観を確認。
仕掛けを決める。

柴との連携を考える

 

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March 21, 2014

仕事帳はいい。

仕事

メモが良い。シンプルな気付きを
すぐに作業内容に落とし込んでメモするとすすむ。


作業時間を意識して、クリエイティブなことを
こなしていくといい。

かちがわ大学での講義。学ぶ事多数。
細かい部分をはっきりみえるように整えて、
課題をはっきりさせていきたい。

無駄を探し、楽に繰り返せるようにすすめる。

道具を整える時間をしっかりきめて
整理整頓をすれば、もっと作業は楽になる。


明日

櫻井さん名刺印刷
くに名刺見本
店受けカード作成
松岡商店とどける夜
みずのさん認め印
みずのさんゴム印
水野さん印刻
櫻井さん納品
長楽営業確認、朱肉
ガス代支払い 




片付け
スケッチ
取材用プラン考える。


その他

会計資料読み込み
価格表づくり


 

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March 19, 2014

設計図をしっかりと描くと楽々。

仕事。

やることを前日にまとめておくのが
功を奏し、わりとテキパキ仕事。

手書きの版下、方眼紙、コンパス、
三角定規などを駆使し、字割りを正確に、
目印をきっちりとさせると
よいものが描ける事がわかった。今更。

設計図を描く方法を
沢山身に付ければなんでもかける。

構造を捉える癖を付けよう。

反省

下調べを怠ったせいで、
いろいろと時間を食った。

仕事の段取りがまだ決まっていない
部分があり、時間を無駄にしている。



明日


ゴム版下。
封筒入稿。
角印
印刻象
花ういろ
名刺原稿待ち→印刷
 


ロゴデザイン
印影清書
ゴム印各種仕上がり確認

打ち合わせ(16;30)

外出 勝川(18:00)
 

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March 18, 2014

烏口でくくくっと。

仕事。

・メモがいる。
・それを納品のときに持ち歩く為のウエストポーチ的なものがいる。

製図っぽいことをした

・三角定規は便利
・烏口のコンパスも便利
・山名文夫のイラスト
・一つの仕事に真剣に向き合うといろいろと学びが増える。


明日

午前
・カッセイさんの確認電話
・ARATAさんの封筒原稿メール
・ゴム(アソシエ、
・中部液酸名刺

外(11時15分目標)
 
・名南工業納品
・コンパス、三角定規購入
・その他、スケッチブック、筆
・鶴舞図書館 



・各務さん
・小栗さん 
・羊の仕事を考える



会計
反省 

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January 04, 2014

緊張と緩和、めりはりきかせて尻ポリリ。

昼過ぎ。帰宅からの外出。祖母宅。
新年の挨拶をするも、いろいろと所用を
済ませることが頭にちらつき
どこか落ち着かない。

節目に節を作れるように、
間はしっかり整えて走りきらねば
ならない事を痛感。

夜。電話。
人の気持ちのなんたるかは
永遠の課題。慮る事で自体をゆがめてしまう
こともあるのであります。
受け止めすぎず、大事なポイントをはずさない
ことが何に置いても重要なのであります。 

走る、そして止まること。緊張と緩和。
集中と拡散。目覚めと眠り。

やらないことをはっきりさせて、
やることを少なく整理整頓。
今年こそは克服で来たと来春に思いたい。 

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January 03, 2014

1-2 半吉ジュンクのラガーフェルド

ぜんざい。餅柔。塩甘。
初詣の人々はある物語の中で
わさわさしながら、同じ目をして
水を汲み、手を合わせ、身体を折り曲げる
などしている。

栄。百貨店。男女ぞろぞろ右往左往。
初売りの人々はある物語の中で
わさわさしながら、同じ目をして
手を動かしものを買うなどしている。 

ラガーフェルドは全く違う物語のなかで、
確信犯のように物語を作り演じる。

繰り返される行為のなかで、
両者の違いは克明。

喧噪と静寂のなか、狭間にいる自分自身の
道筋に想いを馳せる。
具体的なイメージを目指すべきしるしとして掲げる
ことがべりーいんぽーたんとである。

 
 

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January 02, 2014

1-1 風邪ひき富士鷹さんなすび。

大晦日。喉痛。熱風。
ふらふらのままで、ゆく年を見送り来る年を迎え
ながらの朝。予定の富士山来訪に向かう道中、
新東名。突如どどんと現れる富士に、人間の小ささを知る。

美しさとは、己の小ささをしっかりと認め確かめ
させてくれるもの。ふもとっぱらで見た富士山の裾野広がる
その姿は、自分の輪郭をちゃんとしらせてくれるものでした。

今年はいろいろな美しき結びの中に身を置いて、
自分の裾野をどんどんと世界の中にしるしていきたい。

そんなことを考えていたら、空高くに鷹が現れ、
その後茄子のお寿司を食べました。

一富士二鷹三茄子。
今年は春から縁起がいい。
夏も秋も冬も全部縁起がいい。


今年もどうぞよろしくお願いします。




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August 02, 2013

オムレツのアーモンドと美しさの所在、だもの。

朝、熱気さめやらぬ眠気。
夢か現か、荒ぶる記憶。
愛犬がごはんを求めてスリスリ、ゴロン。
なで続けて15分。
ご飯を食べると違う犬になった様に
自分の居場所へ去っていく。

朝食、オムレツ。
あのアーモンド型には美しさの要素が
全て詰まっている、と言われたら
そうかもしれぬと頷くような、
趣きあふれるオムレツをパクつく。

店を開ける前に時計を見たら
針がとんでもない時間に。
けれど確認したら、とんでもないのは
自分の時間感覚で、針はしっかり
自分の仕事を全うしておりました。

なにかが大きくぐらぐらと変わる。
ぐりとぐらも大人になっていく様に。

そもそも子どもなのかも分からないけど。
だって、にんげんじゃないんだもの。 

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August 01, 2013

逡巡はY字路へ人を誘いいざなう、いざなぎ景気。

朝、暑さ、4時半起き。
歩きにいくかどうか逡巡。
出かけようと決意するも雨。むむむ。
あきらめず近場のルートを歩く。
いつもと違う朝の風景。

知らないところで、いろいろな朝が過ぎている。
それが世界。自分の裏側は未知のものが蠢く。
ただ、裏を見たくてもどこから爪を引っかけめくれるのか、
それがどうにも分かりにくい。

朝ご飯、ゆめぴりか炊飯。
魚沼産のコシヒカリよりも、食感にコシがない。
魚沼の実力が腑に落ちる。けれど香りや味はしっかりある。

毎日食べてる米でさえ、感じられていたのは上っ面。
比べてみると奥行きが見える。裏側の気配。

 

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May 02, 2013

人種、人種、そして人種。

彼はいつもその木の近くで絵を描いていた。
彼が描くのはいつも人の姿だった。
建物も、植物も、彼は描かない。

ただ人の姿形から、彼が見えたものを
ありのままに描くのだ。

この町には、たくさんの人種が住んでいる。
人種の種類や名前などには詳しくないので、
たくさんいる、としか言えない。

駅まで、たぶん700メートルくらい、の
道のりを歩くまでに、だいたい3種類くらいの
人種の人とすれ違う。

駅に入るとたぶん5種類ぐらいの人たちがいる。
それはそれはカオスである。

人種が5種類だとしても、人種ごとに老若男女いるわけで、
さらにそれぞれ背格好、髪型、服装、顔の様子、肌の色が、
少しずつ違う。話す言葉も、振る舞いの仕草も、いろいろと違う。
声の色、発生の強さ、テンポ、それぞれ全然違うのだ。 

彼はそんなるつぼの中で、いつも人を描いていた。
彼が描くひとには不思議な共通点があった。
絵を見ただけでは、そこに描かれる人に共通点があることは
誰にも分からない。それは外見的なことではなかった。

だからその共通点を気づく人は彼以外にはずっといなかった。
それを見つけたのは彼の彼女だった。

彼が描く絵、彼が描く様子、モデルとなる人、彼の話。
彼の身近で接するうちに、なんというかずっと感じ続ける
感触のようなものに気がついた。
はじめは違和感のような、ほんの些細な感触だった。
けれど、次第にそれは一つの手触りとなっていく。

彼がこうして時間を費やし描いてるのは、
もしかして、彼にとって切実な理由があるんじゃないか。

その仮説はしばらくして確信に変わった。 

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May 01, 2013

世界の片隅の庭園。

1690年後半、ある庭師によってその庭は作られた。

名のある庭師ではなかった。
そのためその庭はだれかから注目されることもなく、
ただの個人宅の庭としてあるだけだった。

けれど、庭ができてから40年ほどたったころ、
とある僧が訪れ、称賛したたことから、その庭はその地域一帯で
評判となる。あっという間にその噂は国王にまで伝わり、
その庭はその全土で知られる名園と称されるようになった。

その庭を設計した庭師はその時にはなくなっていた。
その時手入れなどでかかわっていた別の庭師は、
設計者からとくに受け継いだものはなく、
その庭がどのような世界観でつくられたものかは
調べようがなかった。

けれど、その庭のあまりに特徴的なデザインと
それでいて庭園として破綻することなく
周囲の景観とも融合する姿が多くの庭師の
憧れとなり、さまざまな研究が行われた。

その流れは庭園づくりに一つのスタイルのようなものを
生み出し、18世紀末にはそのスタイルを踏襲した
庭園が全土各地に姿を現す。

しかし、あまりに個性的なスタイルゆえ、
その奇抜な部分ばかりが注目され、
本質的なことはないがしろにされていく
傾向が代を追うごとに強くなっていった。

見栄えの豪快さのみで、庭の本来を見失った、
庭園が主流のスタイルとなったとき、
とうとうそれは起きた。

1890年、ちょうど200年目を迎えたその庭は
近くの川の防波堤が決壊し、水害を受けた。
多くに庭木は欠損、おおきく姿は損なわれた。
さらに庭の持ち主がその水害で亡くなってしまったため、
修復作業もされず、結局その庭は失われてしまった。


2013年になり、いろいろな庭園のスタイルが
各地に現れている。けれど研究を進めてみると、
なにかを置き去りにして完成されている庭が多いことに
気が付く。

その大切なものとはいったいなんなのか。
それがはっきりと捉えられない。
そんな悩みを抱えながらも、庭師になり23年がたったとき、
その庭の存在を知った。

答えは何もわからないが、なにかの歯車が動き始めた気がした。

 

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April 30, 2013

背中で歴史は大きく動く。

この世には二種類の動物しか存在しない。

「人が背中に乗れる動物」と「人が背中に乗れない動物」。

前者は馬、象、ラクダなどで、後者は猫、リス、ライオンなど。

物理的に人が乗れるかどうかでだけなら
話は単純だが、動物は生き物であり、知性や感情をもつものなので、
その点において話は複雑になってくる。

そしてそこに、このテーマの深遠で根源的な魅力が隠されている。

「背中に乗る・乗られる」という行為は生き物同士の関係性にとって
大きな意味を持つもの。僕らは何気なく動物の背中に人が乗る光景を見ているが、
これは実はすごく大きな意味を持つことなのだ。

「背中に乗れる動物」の代表的な動物といえば、馬である。 
そもそも人間が馬の背中に乗ろうとおもい、
馬がそれを受容したことが、今の人間の歴史の行先を
大きく左右する出来事だった。 

それは人間にとって、発明や達成ともいえる偉業であり、
自然界の中での人間の立ち位置を大きく決定づける事件だったといえる。
 

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April 29, 2013

無数の命、彩のピンク。

「この世の中に無数にあるもの」と言われて、
いったい何を思い浮かべるか。

私はいつも「魚の卵」の姿をありありと思い浮かべる。

私はたらこが大好きで、朝食にはいつも少しあぶったたらこを
食べるのがここ10年来の習慣になっている。

あぶったたらこに包丁をいれたときの断面。
ピンク色をした中央の生の部分が
私の朝のささやかで華やかな彩である。
それはそのまま無数の命の姿でもある。

数直線上の線が無数の点の集合体であるのと同じく、
また星雲が無数の宇宙塵や暗黒物質から構成されているの同じく、
たらこは無数の魚卵が集合体として結合したものである。

わたしはこれまで、何粒の卵を食べたのだろうか。
10年間である。それはそれは数えきれない数に違いないが、
よく考えてみたら、数えようと思えば数えきれるものだ、
ということに気が付いたことがすべての始まりだった。

数直線上の点はその数値を細かくしていけばいくほど、
無限に新たな点が出現するため、理論上けっして数えきれることはない。
星雲にしてもはるか遠くにある巨大なスケールの物質である。
専門家の間でも不明な点が多く、素人の自分には数えきれないどころか
数え始めることさえできない。

けれどたらこは違う。
たらこの一粒一粒は数え方によって変化したりはしない。
また観測者が数え始めたからといって形を変えたりはしない。
たらこは量子ではない。
そして星雲と違ってはるか遠くではなく、近くのスーパーなどで
手に入る身近なものだ。
数えようと思うまでにいろいろな障害が待ち構えているかもしれないが、
一度思ってしまえば数えきれないことはない。
いつかかならず数えきれるのである。

そんなことをつぶやきながらわたしは数える方法を考えた。

一房の卵の粒を数えるために、数粒の卵を
0.001g単位で計測できるはかりの上に乗せる。
そこから一粒あたりの重さを計測し、
房全体の重さをその数値で割れば粒数が測定できる。

さらに正確さを期すために3カ月間、食べるたらこの房の
重さを計測し続け、その平均値を測定すれば、
10年間食べ続けたたらこの粒数を実際の数字に近い値で
計算できる。

その方法を思いついた私は、
それを実行に移すことを決意し行動に出た。

まずは量りである。

入手するため調べてみると、
安くはないが手も出ないほど高額というわけでもない。
さっそく発注し、その量りが届くのを待つことにした。
 しかし、量り自体けっしてポピュラーなものではないので、
注文してからきっかり7日間の時間を要すると連絡があった。

私はやろうとしていたことがお預けをくらい、
なにも手につかなくなってしまった。
こんな中途半端な気持ちで仕事をしていても
かえって迷惑ばかりかけてしまうと思い、
量りが来るまで休暇を取ることにした。

そして、せっかくならばこの機会にもっとたらこのことを
しっかり考えてみようとおもい、北海道に行くことにした。

そのときは、このたらこを巡る旅が
自分の未来を大きく変えてしまうことなど
予想もしていなかった。



 

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April 28, 2013

世界はチーズになり、チーズは世界へと溶けていく。

その島に牛は住めない。
だから山羊しかいない。

その山羊の乳を使って作るチーズが
この島の名産品で、彼の家はそのチーズを作ることで
有名な酪農家だった。

季節によって乳は味わいが変わる。
冬場に魚の脂がのるように、乳も冬場のほうがコクがあり、
夏場の乳はあっさりしている。

彼の管理する山羊たちは、天然の草しか食べない。
そして、搾乳機などは使わず一頭ずつ手で乳は搾られる。

気候や環境、食べる草の味わいや彼らの接し方によって
乳の味は変わり、チーズの味わいも違ってくる。
そのいろいろなものが反映された味わいの多様さこそ、
彼がチーズを作るにあたってこだわっているところだった。

彼にとっては、チーズは島そのものを濃縮し
カタチにしたもの。島を取り囲む海の潮風や
草原の青さ、太陽の明るさを山羊が吸収し、
山羊たちの生命力に乗って生まれた乳が
島に流れる時間に包まれて発酵して出来上がったチーズ。
食べただけで、島そのものが身体全体にしみわたっていく。

チーズをつくることで身体中すべての細胞が生き生きと動き始める。
チーズを作り上げることで、世界の一番深いところと
意思疎通ができる。彼にはその確かな実感があった。

出来上がったチーズは知る人ぞ知る名品で、
顧客は世界的なフレンチレストランや、
とある国の王室などのV.I.P。
限られた数しか作れないため、巷に出回ることは全くなかった。

もともと彼はこのチーズを誰かに売るために作っていたわけではなく、
自分たちが食べるために作っていただけだった。
しかし、この島の自然を撮影するため訪れた写真家が
撮影地を回っていた時に彼の家を訪ね、その時にこのチーズを知った。
とんでもない味がすると感じた写真家は、
弟であるシェフに彼から分けてもらったチーズを届けた。

島以外の人で初めてであったのが、この写真家とシェフの兄弟とだったことは
彼とこのチーズにとってとても幸運なことだった。

写真家の弟であるそのシェフはイタリアのとある富豪のもとで料理をしていた。
世界各国で三ツ星クラスのレストランを開いてきたそのシェフは
50歳で経営権をすべて譲渡して引退、いま仕えている富豪のもとで
手間と時間を惜しまないこれからの時代の料理を作っていた。

シェフはそのチーズがただのチーズではないことを即座に感じ、
写真家の兄とともに島を訪れ、酪農家の彼を訪問した。
シェフは作り手がどういう人で、そのチーズがどのような工程でつくられているか
を確かめに来たのだった。また主人に出すからには味だけでなく、
安全性なども確かめておく必要もあった。

シェフはチーズと相性のいいワインとパン、
その他さまざまな料理を用意して
彼のもとを訪れた。

島以外の人からわざわざ訪問を受けたことなど
なかった彼は、驚きと喜びのもと、その兄弟を歓迎した。

シェフ持参の食事とワインを楽しみながら、
彼はチーズのこと、島のこと、山羊たちのこと、
チーズ作りのことを語った。

シェフは彼の感性や世界観に深く感動した。
写真家は彼の生活に島の美しさの本質を感じとっていた。

その時の時間、そこで交わされたさまざまなことが、
世界の芽生えだった。
ここから、彼らと島と山羊達の世界は大きくカタチを変えて
いくことになったのだった。




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2036手記

「2036手記」、1ページ目、書き出しの言葉。

「記憶をたどるとは、過去という船に乗ることだ。
 人は好き好んでこの船に乗り込むこともあれば、
知らぬうちにこの船に乗り込んでしまっていることもある。」


4月8日のお昼過ぎ。神保町。
中途半端に空いた時間をつぶしにはいった古本屋の書棚に、
背表紙があきらかに書籍と違う冊子がまざっていた。
気になって手に取ってみると、それは随分と古い、1960年の日記帳だった。
中を見るとだれかが万年筆のようなもので手書きした文章が
ぎっしり書いてある。あきらかに出版された書籍ではない。

お店の人に確認したところ、売り物ではないようで、
だれかが棚に並んだ本の間に勝手においていったもののようだ。
表紙にはもともと印字されている「日記帳」というタイトルだけ。
名前などは書かれておらず、表紙には2036年10月13日と
書かれていた。

始まりを確認したところ、書かれていたのが上記の文章で、
このあとからしばらく「過去の船」について文章がつづいていた。
日記帳の体裁はまったく無視して、一続きの文章がずっと書き連ねられていた。

用紙の劣化具合から書かれたのはずいぶんと昔のようだ。
もしかしたら日記の年どおり1960年なのかもしれない。
筆跡はずいぶんとくずれてはいたが、書き方からして
品のある字面をしていた。

そのまま先を読み進めたいところだったが、
そろそろ次の予定がせまっていた。

お店の人にこの本を譲ってもらえないか頼んだところ、
誰かうっかり本棚に置いたまま忘れていったのかもしれないので
もうしわけないけどしばらくはお店で預からせてもらいますと言われた。

その店員のいうことももっともだと思い、僕は本を手に入れるのをあきらめた。
もししばらくたって、だれも持ち主が現れなかったら、
また中を読ませてもらっても構いませんか、と言ったら
それは構いませんよ、と言ってもらった。

鳥のえさと猫のトイレの砂を買いに行くために、
僕は三田線に乗った。途中巣鴨の駅で彼女と合流する予定だった。

車中、古い日記帳のことを考えていた。
ちらっと読んだだけなので当然だが、
あの日記帳には気になることがたくさんある。

なぜあそこに置かれていたのか。なぜ日記帳に書いてあるのか。
なぜあんな日付が書かれていたのか。
なにがあんなに長々と書かれているのか。

お客さんが忘れていったのかもしれない、と
古書店の人は言っていたが、よく考えてみれば
それはちょっと考えられないとおもった。

あんなものを鞄にも袋にも入れずに書店をうろつく人がいるだろうか。
書かれていたものを参照しながら本を探していた、と考えられなくもないが、
うっかり忘れてしまうような適当なものではない。
しかも棚への置かれ方がとても自然(もしくは不自然)だった。
同じような大きさ、雰囲気の書籍にいかにもまぎれるように
置かれてあったのだ。だれかが意図的にあそこにおいていったと考えるのが自然だ。

とはいえ、なんで古本屋においていったのだろう。
しかも書いた本人がおいていったとしたら、
ずいぶんと昔に書いたものだ。
それを長い時がたった今、あの古本屋にこっそりおいていく。

いったいなんのために。
僕は降りることを忘れ、あの続きがどんな文章だったのかを
ずっと考えていた。






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