August 17, 2015

若冲とカレーと使命感

その夜、僕はほぼ5年ぶりに伊藤若冲の画集を

押し入れの奥から引っぱりだし、布団の上で眺めていた。


仕事を終えて帰宅したのが20時過ぎ。

冷蔵庫をあけて、食べる物を探したら、

一昨日が賞味期限の卵が6個残っているのを見つけた。

むげに扱ってしまったその卵達をみたら、

それぞれの卵の親鶏達に意識がいった。


もし親鶏がこれを知ったところで、

どれが自分の生んだ卵かもわからないだろう。

だから別に何の感心も持たずに

ただ群れて気ままに歩いているに違いない。

群れた鶏、わさわさといく。

そう思った一刻。


若冲の群鶏図が頭の中にふっと湧いて来た。

わさわさとした感触が、不思議な懐かしさを連れてくる。

若冲。そういえば、あの画集はどこにいっただろう。

押し入れを探したら、いったこともない

エジプト展の冊子の下でその画集は見つかった。


若冲を知ったのは、ちょうど8年前の夏だった。

とある美術館で川端龍子の絵を見た時に、

その絵に恐怖と興味を混ぜ合わせたような

感情を覚えて、画集を買った。

一通りみていたら、他の絵も気になり出した。

生まれて初めて日本画に興味を持った。


若冲の絵に出会ったのは、それから一週間後のこと。

初めて見た絵のタイトルは「葡萄図」だった。

今でも忘れない。魂が肉体を残して

その絵に向かって吸い込まれた。

そんな感触だった。


その日僕は時計を買う為に出かけていた。

ずっと欲しかった時計を

いよいよ買おうと決意を固めて出かけた日だった。

本屋に寄ったのも若冲の絵を見つけたのも、

ついでの出来事だった。

けれどぼくは本屋に寄った為に、

時計を買うことをすっかり忘れてしまい、

その代わりに300年程前に生まれた

江戸時代の絵描きのあれこれを購入することになった。


その夜から、画集を見るという日課がはじまったのだった。


半年以上は毎日欠かさず画集を見ていた。

ずっと若冲のことを追いかけていた。

それはとても濃密な時間で、さまざまな発見があり、

感動もあれば、落胆のようなものも

あったりしたのだが、その詳細を書き始めると

いつまでも文章が終わらないので省くことにする。

とにかく、ぼくは若冲に没頭したのだった。


でも、冬が過ぎて、次の春が来る頃になると、

画集を見る回数も減り、その代わりに

チョコを食べたり、釣りに出かけたり、

車のタイヤを交換するなどして過ごしていたら、

若冲のことを忘れる時間が増えていった。


そのうち酵素ジュースを作り始め、

カレーをスパイスから調理することに

こり出したころには、画集を取り出すこともなくなり、

そのうちどこに閉まったかも忘れてしまうようになった。

若冲は遠くに行ってしまった。


それからは、テレビや雑誌で若冲特集があっても、

気になってみたりはしたが、

特別な興味関心はもてなかった。

日本画の展覧会で若冲の絵が飾ってあっても、

それほどの感慨が湧くこともなくなっていた。



そうして6年程時間が経過していったわけだが

それが今夜、放置された卵、そして群れて歩く親鶏のイメージから

若冲の郡鶏図をおもいだし、そしてあの頃の感覚が静かにわき上がった。

とても不思議なことだ。


また若冲に戻るタイミングが訪れたということなのだろうか。

もしそうならば、またしっかりと若冲に向き合ってみよう。

いまならばきっと、前回の時よりも

違った目で見ることができるのだろうと思う。


画集を取り出したのはそんな動機からだったが

中身を眺めたあとに訪れたのは、

空っぽの虚無感だった。


今、自分の見方でこの絵を見ても、

何の感慨もわかないという孤独感。

若冲が書こうとしている物事の

本質にたどり着くことはできないという

絶望だった。


むしろそれは、前よりも本質に

近づいているということなのだろうか。

だからこそ、それが感じ取れないことがわかる

という複雑な状態なのかもしれない。


僕は若冲の画集を見ながら、

なぜそう思うようになってしまったのかを

考えてみた。

その答えは出てこなかったが、

その答えを見つけることがこれから

ぼくに課せられたことだということがわかった。


一つの使命を得た僕は、

明日もまた、若冲の画集を眺めるのだろう。

トイレを掃除したり、チョコやカレーを食べるなどしながら。




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August 10, 2015

言葉を書く。

「自分が違う職業に就けるとしたら一体どんな職業に就くだろう。」

そんなことを少し前までよく考えていた。
目の前にやるべき仕事があるのに、
そういうことを考えるのは良くないとおもいながらも、
現実逃避をするように思いを馳せていた。

思い返せば、そんな「別の職業」に対する憧れが
自分自身の日々のモチベーションになっていたように思う。

いつもの仕事は、自分に向いていない、
自分の能力を最大限に発揮できない、
残すべきものを残せていない、という
不完全燃焼でくすぶっている燃料に
火がつくような理想的なキャリアイメージ。

そんな妄想とも呼べるような想像が、
自分の日々を充実させるために
とても必要なものだったのだ。

よく考えていたのは小説家。
いろいろと物を考えて、言葉を並べるのが
好きだったこともあり、いつか小説家になってみたいと思っていた。

一つ一つの物事を、すこし踏み込んで捉えなおし、
本質的な意味や価値を確かめること。
そしてそれを、人の耳心地に響くように
伝えること。

そういうことをし続けることが職業になったら
どれだけ毎日充実して過ごせるだろう、
とよくおもっていた。

世の中にブログが登場して以来、ネット上に様々な形で
文章を載せることが出来るようになり、
書くことを生業にしている人がとても多くなった。

そういう流れに乗って毎日のように文章を書きながらも、
弱気な自分は、これだけたくさんの人が書いているなら、
自分が書いてもしょうがないとか、
注目されることもないしましてや職業にすることなんてできない、
と思っていた。

必ず職業にする、という強気持ちがあったわけでもなかったので、
仕事が忙しくなってくると、だんだん書く余裕もなくなってきて、
ほとんど文章を書かなくなった。

むしろ文章を書いている暇があったら、
仕事のことで手を動かさなければと言い聞かせていた。


文章では食えない。
そうかもしれない。きっとそうなのだろう。
仕事のことを頑張らなくてはいけない。
それはそうだろう。

けれど、だからといって書くことをやめる必要はない。
自分は文章で食べていけたらと思っていたことはあったけど、
仕事にするために書いていたかというと、
そうではない。

ただ、書くのが楽しいし、書いたものを読み返すのも
楽しいし、書いたものを読んでもらいたいし、
面白がってもらったらさらに嬉しいから
書いていたのだ。

そしてまた、書くからこそ分かってくること、
見えてくることがある。
書きはじめには、とても気がつかなかったことが
書き終わったあとに形になっている。
それが、自分の書くのモチベーションになっていた。

だから、仕事にとって意味がないというわけでもない。
むしろ、文章を書いているときのほうが
思考が自由だった気がするし、
いまこうして仕事を工夫して出来ている
要因として、文章を書いてきたということは
とても大きな意味を持っているとおもう。


ひとつひとつの言葉にはそれぞれ意味があるが、
その意味は、言葉どうしの関係性によって
多様に動き始める。

並べる言葉の順序を考えていくうちに、
いままで慣れ親しんだ言葉の意味が変わり
おもわぬ思想を作り出すことがある。

地道な作業を経て訪れる
自分の世界が変わる瞬間。

そのときには、
自分が世界の一部を残せたような感覚を
確かに感じ取ることが出来る。

やっぱり文章が書きたい。
そこから、また世界が始まる気がする。

 

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September 11, 2014

日記16

強く記憶に残るお客さんがいる。
何かを交わし合ったこと、
それが表面的な会話でも
交換したという感触。

久しぶりに訪ねてこられた
お客さんの名前や存在感を
しっかり記憶していたことが
自分でも嬉しかった。


仕事がいろいろな方向に
進み始めている。
こういう時は、仕事への意識を
途切れさせてはいけない。
休憩中でも頭の中に流れる
いろいろな思考や意識が
何か大切なものをもたらしてくれる。



相手の良さがうまく流れる
ように仕事を進めるのがいい。
けれどそれは相手の言うがままに
させるのとは違う。だから、
流れを作るには時間が必要だ。

相手の良さや、本当にやりたいことを
理解しながら、自分が理解されるように
振る舞い、意思疎通ができるようになる
時を待つこと。

幾たびも、細かな我慢が必要だし、
粘り強く相手を理解するように
頭も心も全力投球しなくては
ならない。

でも、それを繰り返すと
今までよりも全ての物事が
一段も二段も深く理解できるように
なってくる。

そして、今まで出来なかったことが
スムーズにシンプルに出来るように
なってくる。

憧れることで、夢や目標には必ず近づける。

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September 06, 2014

日記15

縁とは不思議なもの。

でも、よく考えるととてもシンプルで
わかりやすいものなのかもしれない。

朝、取引先の方で自分の個展にも
来てくださった方と電話で久しぶりに
話す。懐かしい。

勝川で、いつもお世話になっている方と
打ち合わせ。自分を導く依頼をいつも
持って来てくださるこの方は、
しかも今日は自分だけでなく奥さんの
分も仕事やご縁を持って来てくださった。
判子のことでもいろいろとアドバイスを
いただく。こちらもその期待に応えて
成長したい。

アロマヨガの話。ごま油とラベンダー。
帰宅後買い物と料理と話し合いで
あっという間に夜は更ける。
エヴァを少し見てしまい、
そちらに頭を回してしまう。

仕事の勉強をするのをいつも忘れて
しまう。でも、やることが少しずつ
絞れてきた気がする。



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September 04, 2014

日記14

自分ができることをはっきりさせて、
できない人のためにその力を使わなければいけない。

今日は一日式と披露宴の打ち合わせ。
司会の人といい打ち合わせができてよかった。

音楽も決まり、席次もほぼきまり、
カタチが見えてきた。

仕事もためていること、ストップさせていることを
一生懸命片付けていきたい。
そのために、疲れた体をひきずっていく動機みたいな
ものが必要だと思う。

動機がなければ、それだけで仕事が面倒になる。

今日は一日ずっと雨だった。
日本がどんどんと水浸しになる。
水を得た魚、雨降って地固まる、
夏の水が、この先の季節にいいものを
もたらしてくれるといい。

THE NANZANHOUSEでランチ。
ご飯をおいしく食べるには
本当に環境が大切だと思った。

物事を楽しく味わうには、
環境を整えておくことが必要だ。

仕事においても、なんにおいても。

そして締め切りをつくって、
逃げ道をなくすこと。

そうすることでしかカタチは残せない。






 

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日記13

朝、親戚のおばさん達に
お祝いをいただく。

久方ぶりに話をしたが、
おとなになってから
始めて話をする感覚。

その後お茶の話。
やるべきことがいろいろとある。

羊に移動しながら、便りあり。
時は流れ、物事は変化する。

夜、仕事でお世話になった方と
あれこれ話す。人の縁は不思議で、
世代を超えて話は弾む。

一年越しで実現した飲み会、
あの時のままの時の流れ方、
いただくご縁が本当に有り難きこと
だと、改めて思う。

ゼロヨンの話、バブルの狂乱。
世界で大切なものはいつでも
スタンダートの裏に隠れて
存在している。



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September 03, 2014

日記12

夜寝るのが遅くなりすぎて、
この時点で既に忘れてしまって
いること多数。

冒険家二人の対談をみて、
心揺さぶられるものあり。
いろいろな他ごとを置き去りにして、
一つの事に自分を集中させる人は
一つのことから全てに通ずることを
身につけている。改めてそれが
よく理解できた。いろいろなことの
面白さに心惹かれる自分には
到底無理そうだけど、やはりどこか
これこそ自分の生き方だと思う節あり。

身体に力が入らぬ日には、
またそれでやるべきことがある。
気ままにやって行くことが、実は一番
大切なのかもしれない。

ゆっくりと整えていきながら、
毎日コツコツ繰り返すことでしか
未来を見据えることはできないと
思う。まずはコツコツ繰り返すこと。
具体的な計画はある程度繰り返せてから。

軽井沢で見つけたとある一節に、
心動かされる夜。


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September 01, 2014

日記11

風邪気味。身体がだるく、仕事に向かえない。

朝、睡眠は足りてるはずなのに、
なかなか起き上がれなかった
のは、風邪のせいだったんだなぁ。

明日の朝もそうかと思うと
ちょっとつらい。

帳簿をつけたり、お金を振り込んだり、
請求書をまとめたり。

商売にはいろいろなモードがある。
全てをやるのは大変で、
だからこそそれぞれが専門特化、
得意なところをやりましょう
という方法が良さそうなのは
わかるけど、全部に手をつけて
みるからわかることがたくさんある。
そこから描ける事業の形がある。

まずどこで利益を確保するかから、
事業は考えなくてはという、
とある人のアドバイスも
わかるような気がした。
商売は黒字にすればオッケーなのだ。
優れた企画を立てるのも、
情報網や繋がりを作るのも、
黒字という勝利を手にするための
一つの方法でしかないのだ。

社長とはそういうもの。
ロマンとはその土台の上に花開くもの。

軽井沢で見つけた本のことを
思い出せてよかった。



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August 31, 2014

日記10

朝を気持ち良く過ごすことに集中する。
すると、夜にいろいろ片付けたくなる。
そして早めに寝るようにしたくなる。

そうすると、片付けする時間を
せめて22:00くらいにはしたいし、
それまでにいろいろとやることもある。

そうやって逆算して行くと
仕事を終える時間なども決まってくる。

でも、したいのは朝を気持ち良くする
ことと、そのために夜の片付けを
こなすこと。
仕事を早く終わらすこととかまでは
考え出すと、やるべきだからやるみたいに
なってしまうからあんまり考えたくない。

とりあえず、六時半くらいに
起きる朝が気持ち良く迎えられる
ことだけを、心から欲します。

今日は花屋さんに行って、おしゃれな
いろいろを見て、うどん食べて、
珈琲豆屋さんでいろいろお話、
新しい世界。そのまえに和菓子屋さんで
常連さん気分。ポルシェの謎の大物女性
に遭遇。

夜は奥さんと友人と楽しくワイワイ。

人に創造力をもたらすしるしや話を
届けられるようになりたい。


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August 30, 2014

日記9

毎日書くことが出来なくなる。

今回のきっかけはなんだっただろうか。

どこかでイレギュラーな夜の予定があり、
そのまま書くのを忘れて寝てしまう。

今の状況では、家に帰ると
日記は書けないので、
仕事を終える時に日記を書くことにしようと思う。

仕事終わりにやることはいろいろある。

お金を数えたり、帳簿を付けたり
明日の仕事を確認したり、
いろいろとある。

それとともに、日報のように
日記を書けたらいいとおもう。

昔のことを思い出す。
未来のことを考える。
自分を褒める。
人への感謝。


今日は渡り鳥が遊んでいるのがお店から見えた。
季節ももう秋色をしている。

感謝とは自発的にするものではなく、
そういう思いに心が自然に包まれることを
いうのだとおもう。
すると自分はいつも感謝をしているだろうか。
当たり前が当たり前でなくなったことを
忘れてまた、当たり前を当たり前だと思っている。
つなぎ止めようとしても、ありがたさという気持ちは
遠ざかっていってしまう。

挙式に参加する人たちに
なにかしら幸せな気持ち、明日の自分につながる
気づきみたいなものを残せたらいいと思う。

自分が子供の頃のことを
思い出すノートを書いてみようかな。
身勝手だったことばかりが思い浮かんで、
なかなかいい思い出が思い浮かばないけど、
もしかしたら自分にもいいところがあって、
そういう自分を確認できたらなにかこれからが
変わるんじゃないかなと思う。
友達として、いろいろなひとがおめでとうを言ってくれるのは、
過去の自分が出会って育んだ人の縁なのだ。

 

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August 24, 2014

日記8

やはり、魅力的なものを作ろうと思ったら、
何かにぬきんでた人の力を借りなければいけないとおもう。

自分で無理にやろうとしてはいけない。
むしろ全部任せたうえで、それが仕事にできるような
やりかたが求められると思う。

ありがたいことに、いろいろなことにぬきんでた人との
出会いがここのところたくさんある。

自分が全部やれないといけないと思い
いろいろなことを背負いあきらめ、自分を責めていたけれど、
そんな時代に別れを告げて、人とともに
いろいろな仕事を作り上げていきたいと思った。

今日、とても、それをおもった。


「猫と窓ガラス」のライブ。カルボナーラがおいしかった。

実印作成を頼まれていた友達に、
無事印を納品できた。
とても感動してくれていて、本当に良かった。

 

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August 23, 2014

日記7

今日はたくさんの人と話した日だった。

スポーツトレーナー、恩師、ディレクター、友人、旧友。
たくさんの話をしたけど、記録せずにあまりよく覚えていない。

油断をして、覚えていないこともたくさん。

和の扉、円と四角、いろいろとあったのに。

足助のゴエンナーレのお話、いろいろとおもしろい。
そして、じつは判子を頼まれたのに、
なんとなく忘れている。

焼き鳥屋にいって、
その後、近くの居酒屋でまた飲みなおし、
コンビニでも飲む。

人の縁は不思議である。
めぐりの中で、どのタイミングに会うか。
 それは大切だけど、関係性が付き合うほどに
変わっていく場合もたくさん。

やはり瞬間的に判断せずに、
長く続けることが大切だと思う。 

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August 21, 2014

日記6

自分の今やこれからについて書くことは、頭の中を整理することである。
整理すると、ひとつひとつに向き合うことが容易になる。
仕事は簡単になり、物覚えもよくなり、理解力も上がる。

整理することを繰り返すと、整理することが容易になる。
散らかっているものを整えることが億劫でなくなる。
乱れている物事をみると、片っ端から整えていきたくなる。

仕事がはかどるとは、こういうことを言うんだと思う。

朝起きるのが遅くなり、けっか始業も遅れて
やるべき仕事に着手できなかった。
朝の始め方がなかなかうまくいかない。
明日こそはしっかりと始めたいが、
やはり朝は時間の進みが早いし、
頭の動きはゆっくりになってしまう。

仕事に向き合う気持ちを持てるように
しっかり寝て、余裕を持った朝を迎えたい。

今日は制作作業のときに時間を計測した。
ひとつひとつの作業がどのくらいの時間で
おえられるのかをしっかり確認しておくことが
仕事をスムーズにこなすために
とても大切なことだと再確認。

やはり時計が必要だと思い、
日曜に時計を見に行くことに。
早く時計がほしい。

ポール・ランドのデザイン論が頭に
残っている。今までにはない、
革命的な余韻さえある。
本を読み続けていると
こういう出来事が起こることがあるから、
やっぱり本は読み続けなきゃいけない。

店の売り上げがよくなかったが、
それ以外の仕事でいい進捗が
あったり、発見があったりしている。
やはり、並行していろいろなことの
種をまいておくことが、商売においては
とても大切なことだとおもう。

新城の仕事、新城にしっかりとした
種をまくようなデザインにしたい。
ふつふつとその気持ちが湧いてきた。
それもポールランド先生の言葉が
きっかけでもある。

それもこれも記録しているからこそ
頭の中に残っている。

記録することがすべてである。





 

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日記5

朝、久々にお弁当を作る。

朝の時間はなかなか丁寧に整えられない。
頭が空っぽのなか、感覚を取り戻すのに
時間がかかる。

始業するまでに、いろいろ確認しなければ
いけないことがあったはずだけど、
ほとんど忘れてしまっている。
確かめることをしっかり確かめたい。

時間を意識し、ハンコをデザインすることが
とても大切である、とはっきりとおもった。
テストのような状態のモノ作りは
自分の頭と体を活性化させてくれる。

昼食は友人と港区の中華料理。
社長業について。
世界のこれからについて。

東南アジアで仕事をしている
その友人の視点、アジアでの出来事に
感じる世界と日本の今の話。
各種セミナーの情報。
社長だからこそ、他の人がやれない
仕事で会社に貢献しなければならないことなど。

いろいろと仕事においての方法論があるが、
覚えたてのものはよく切れる剣を
手にしたときと同じで、
切れ味を確かめたくてむやみやたらに
振りたくなる。

威力のありそうな理論や方法論を
しったときほど、切らなくていいものまで
切ろうとしていないか気をつけないといけない。


デザインとは関係である。
ポール・ランド先生の本を題材に読書会。
物事の関係性をしっかりととらえ、
良き関係性をつくるのが、よいデザインということである。

いままでの自分は良き関係性を
つくることに注力してきたのか、
思いをめぐらしてみる。

気配りというのは、不安定な誰かの心に
安定感をもたらそうとする行為で、
それ自体が良きデザインを生み出そうとすること。
意識はしつつあるものの、なかなか思うように
動けないもの。

それはデザインに必要な知識や経験がなく、
手持ちの方法が頼りないからじゃないかとおもう。


幸せノートについて、友人より聞く。

希望と賛美、報恩と伝説。

昔の思い出をすこしずつたどっていくと、
自分が生まれるときのことを人は思い出すらしい。

それと同じように、感謝することや自分自身を褒めること、
そして未来の夢を書き連ねていくと、
自分自身が良き方向へと広がっていく。
これも自分と世界の関係性をポジティブな方向へと
バランスする行為ともいえる。

そのなかで大切なのは、漆塗りのように、
なんども続きを塗り重ねていくように
書き記していくことかなとおもう。
ぱらぱらと書いていると
たどっていく動きにならない。
これは自分自身のこれまでの活動が如実に
表している。

辿って行く前に、いろいろと別の事への興味がわいてきて、
すべてが中断されて取り残されてしまう。
塗りかけの漆の茶碗が無数に自分の部屋の中に
放置されている。ひとつひとつ淡々と塗り重ねる。
昨日を思い出し、今日を始めていきたい。

何かを得るとは何かを失うことと等しい。
つまり、なにかを失ったり、損なったりしている
その瞬間に、同時に何かを得ているということ。
大切なのは、得たことを意識し確認することだ。

思い出の中で傷となっているような出来事がある。
思い出すのがすこしつらいようなこともある。
その時に自分は何を得ただろうか。
教訓めいたことだけではなく、実際に自分を
支える大切なものをもらっているはずだ。

今日一日をとってみても、
ほんとうに運よくいただいたご縁で
すべてがまわっているなとおもう。
その傍ら、参加できなかった会などもあり
自分が導かれている方向がはっきりしてきた。

昔の自分の話を少しずつ思い出しながら、
未来の自分に思いをはせてみたい。


 

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August 19, 2014

日記4

毎日同じことの繰り返し。

それが仕事の持つ特徴の一つ。
もちろん、いろいろなことは変化しているけれど、
同じことが繰り返される印象が仕事にはある。

お金の出入りを記録することも、
延々と繰り返される行いの一つ。

記録という作業はとても単調なもので
しているときはあまり意味を感じない。
けれど、記録を振り返ることでしか、
自分自身がやってきたことを確かめることが
できないならば、記録とは自分の生きている意味すべて。

記録とは人生そのものを表しているような気がする。


今日はあまり仕事がこなせなかった。
仕事の段取りで戸惑う部分はずっと同じ。
そこをスムーズに解決するには時間がかかる。
考えながらも注意力や集中力が散漫になる。

こういうときこそ、仕事をしたくなるグッズが必要と思い
ペーパーアイテムなどでかっこよいのを探す。
それとともに、腕時計が必要で、探してみる。
お気に入りのが見つかり、テンションが上がる。

やろうとおもってやれなかった注文書のスキャンなど、
もういちどやり始められそうなタイミングに
いろいろな物事のめぐりあわせを思う。

記録することがすべて。
あきらめずにやるのみ。


メモ

村上龍の文学的エッセイ集で、坂口安吾に監視されているような
文章があったが、誰かに人生を見張られている感覚はとても
大切だ。自分がしっかりなすべきことを成しているかを見ていてくれる
ルールのような存在。

それを感じるには、たくさん本を読むといい。
著者の言葉を読み込むとその著者が
自分の内側に居つく。映像でみると
伝わるものが多くてわかりやすいけれど、
読み込んだほうが自分の中に取り込みやすい。

メモ2

曖昧な思考をさけよう。日本語に頼って曖昧に
綺麗な言葉でごまかすのはやめよう。

メモ3

朝が大切。朝の入り方を間違えると、
仕事を始めることができなくなる。
朝起きてから、テンションを上げていくように
頭と体をつかえるかどうか。
余計な仕事で消耗させないようにしたい。
ということは、もっと大事なのは、
その前の日の夜である。
夜にいろいろなことを済ませておけるかどうかで
その夜の眠りと朝の時間が変わってくる。

メモ4

新しい道具をかうことで、繰り返しのマンネリ感を払しょくし、
仕事や家事の効率とやる気を高めることの
大切さを思う。洗濯道具で選択の仕組みを変えたり。

メモ5

どんなことも自分自身から種が出てくる。
だから突破口はいつだって自分に向き合い
自分を認めたときにしかみつからない。

ダメダメだった20代があったからこそ
商売のネタができたり、必要な感覚を
身につけられたりする人がいる。
逆に熱心に努力を重ねていても
なにひとつ形にできない人もいる。

何かに価値を持たせるには、
自分の特徴をしっかり把握していないといけない。
東京のやり方を真似る地方都市を滑稽に思う前に
自分自身も同じことをいつもやりがちで、
しかもそのことに全く気が付いていないことに
思い至るべきである。

地方にはスカイツリーはないが、
そこにしかない風景があり、
それを使ってどう人を喜ばせるかを
考えるしか、地方都市が魅力的に輝く道はない。

自分もしかりである。
人を喜ばせる方法は
自分のなかにかならずある。



 

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August 18, 2014

日記3

今日から仕事が始まった。

落ち着いて、一度しっかり組み立てていこうと思う。
記録していけるような働き方をしていきたい。
それには規則正しい枠組みを作るのが肝心で、
始まりと終わりを明確にして、段階を丁寧につくって、
仕事の仕方に正しい順序を決めていきたいと思う。

だから朝起きる時間だけでなく、出社するまでの時間と
出社する時間、それからの時間を上手に進められるように、
起きてからの時間の使い方に工夫を持たそうと思った。

出社するまでの時間にエンジンを温める。
やることを書き出しながら、仕事をバリバリやりたい気持ちを
わきたてていく。お店についてから考え始めると
仕事が重たく感じられるので、家にいるうちに考え始めているのが
とてもいいとおもう。

店につき、制作物の整理やすこし制作をこなしたあとで、
今日のテーマのリズムづくりに入る。todoリストがほしかったので、
使いたくなるようなものを探して注文した。

その次は経理のことをやった。

いままでは制作の部分ばかりやっていたので、
商売の根幹ともいえる経理の部分をしっかりやっていなかった。
そこで今日は会計のことをいろいろと父親に習いつつやっていた。 

ひとつひとつの仕事を具体的な業務にわけて
箇条書きし、漏れのない正しい順番にならべていく。

いままでは、仕事をやりながら
次は何をやるかを考えていたけれど、
あらかじめやることがきまっていることを
淡々とこなしていくような仕事のスタイルに変えていきたい。
そういう型みたいなものを繰り返すなかで、生まれてくるものが
必ずあると思う。

その他、考えたことがいろいろあって
メモしていたのに、そのメモをお店に忘れてきてしまったので、
そのあたりはまた明日。


 

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August 17, 2014

日記2

今日は連休最後の日。
仕事をするため実家に向かうと、
祖母と叔母が東京から帰ってきている
甥っ子に会いに
うちに来ていた。

一歳ちょっとの甥っ子の成長の具合は
時の流れの速さをも追い越して行きそうな
くらいに目を見張るものがあり、
会える時にあっておかないと、
時分の花たる、その時々の可愛さを
見逃してしまう。
祖母がまめにうちを尋ねる理由が
よくわかる。

とある会社の判子を作る。

ちゃんと判子を作れるようになるまでに
どのくらいかかりますか?
という問いには二つの考え方がある。

「お客様を満足させる判子」ということなら、
何年ぐらいという答え方は難しい。

それこそ生まれて初めて作ったものでも
人によっては満足させられるかもしれないし、
一生を捧げても
満足させることはできないかもしれない。

「自分自身で満足できる判子」ということでも、
これまた難しい。

やりはじめた直後、それっぽいのができたときに
おお!という気持ちになるものの、
その後、自分で満足できるものができることは
ほとんどない。そしてその状態が永遠、
真摯につくるものに向き合うひとほど、
満足は訪れない。

つまり、何年くらいで一人前かは
自分基準でもお客様基準でも判断がつかない。

判断ができるのはただひとり、
自分の師匠や先生である。
師匠が伝えようとする世界、道の中において
いまどこの位置に居るのか。
それが「ちゃんとできる」を判断する方法で
それを判断できるのは、世界や道のりの全体像を
しっかりと認識できている師匠および先生以外には
いない。

つまり自分自身がしっかりできているという
確信と自身をもつには、師匠や先生の存在が不可欠なのである。

判子を彫りながら、そういう事を思った。
自分で決めて、自分で作り込んで行く事は、
自由とともにとても大きな不安を抱えながら、
不安定を見にまとい飛ぼうとすることである。

一つ一つの判子を、さまざまな先人の知恵を
身につけていくという方法で、磨いて行きたいと思った。

夜。花桔梗。
結婚式の贈り物を確認しに行く。
やっぱり何かを行うときに大切なのは、
できるひとに頼むことである。
お金はかかるが、お金をかけて作ったものは、
お金をもらえるくらい価値あるものになるので、
要はそれの使い方で、より高い価値を得る事ができる。
お金は使えば使う程価値が高くなる。
使わないと価値は目減りして行く。

まことや。
味噌煮込みうどんがおいしい。
まことやの人たちは、
とてもシンプルな幸せをちゃんと
わかっていらっしゃる気がした。

疑う事は、物事を理解するために
とても大切な事だが、
ときに疑わずにありのまま信じる事が
とても大切なのだなと思った。
いろいろなことをいろいろな角度から
考えてしっかり捕まえようとする
自分の思考をなんとなく煩わしく思った。

休みはこうして暮れていく。
なんとなく、休みじゃないような
休みであり、わりと長い時間のように
感じる事ができた。

明日からも、それほど変わらない意識で、
淡々と早起きと仕事を繰り返したい。
どうしたらそれができるかは
明日考えたい。

こんな長い文章を書いてしまうから、
すぐに日記が続かなくなる。

短ければ短い程、よい、
といっていたのはなんだったかな。




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日記1

今日から日記を書き始める。

「記録されない日々はないに等しい」というサルトルの言葉。

私は最近、本当にいろいろなことをすぐに忘れてしまう。
どんどんとあったことはなかったことになり、
考え至ったことも、忘却というもやもやした喫茶店の
奥に消えていってしまうような感じになる。

乗ってきた気分も、気が付いた野心も、
人生を盛り上げるあれこれも
すぐにいろいろな出来事に上書きされ
なくなってしまう。

だから日記を書くことにした。
できる限りでいいから、書き留めることにした。

すべてを手放さないような書き方はできないししない。
ただその夜に、手元に残ったものだけは手放さないようにしたい。

今日はしいたけとトルネードポテトの会
宵市、春日井。とんとんの会計、土砂降りの雨。
理由や目的からパワーをもらわずとも、なにかをやり始めることで
どんどんとでてくる力がある。

土砂降りの雨も
炭の火おこしも、一度やり始めると
どんなことでも夢中になってやれてしまう。
くたくたが気持ちいい感じで、
たくさん働けてしまう。

面白さはもともとあるものではなくて、
自分のかかわり方で決まってくる。
それは意味も目的もわからないけど、
とにかく上手にやってみるとか、
カタチにしてみるとか、
そういう動き出しから始まるんだなとおもった。

規則正しく毎日を繰り返し、
何かの作業に熱中し、
くたくたになって風呂に入り、
そして日記を書いて寝る。

そういう規則性のある活動を繰り返していくと、
かならずなにか授かりもののようなものに
巡り合える。

そうするためには、意味や目的のことは
ひとまずおいて、考えたほうがいいのかもしれない。 

prettynose at 00:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

January 04, 2014

緊張と緩和、めりはりきかせて尻ポリリ。

昼過ぎ。帰宅からの外出。祖母宅。
新年の挨拶をするも、いろいろと所用を
済ませることが頭にちらつき
どこか落ち着かない。

節目に節を作れるように、
間はしっかり整えて走りきらねば
ならない事を痛感。

夜。電話。
人の気持ちのなんたるかは
永遠の課題。慮る事で自体をゆがめてしまう
こともあるのであります。
受け止めすぎず、大事なポイントをはずさない
ことが何に置いても重要なのであります。 

走る、そして止まること。緊張と緩和。
集中と拡散。目覚めと眠り。

やらないことをはっきりさせて、
やることを少なく整理整頓。
今年こそは克服で来たと来春に思いたい。 

prettynose at 13:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

January 03, 2014

1-2 半吉ジュンクのラガーフェルド

ぜんざい。餅柔。塩甘。
初詣の人々はある物語の中で
わさわさしながら、同じ目をして
水を汲み、手を合わせ、身体を折り曲げる
などしている。

栄。百貨店。男女ぞろぞろ右往左往。
初売りの人々はある物語の中で
わさわさしながら、同じ目をして
手を動かしものを買うなどしている。 

ラガーフェルドは全く違う物語のなかで、
確信犯のように物語を作り演じる。

繰り返される行為のなかで、
両者の違いは克明。

喧噪と静寂のなか、狭間にいる自分自身の
道筋に想いを馳せる。
具体的なイメージを目指すべきしるしとして掲げる
ことがべりーいんぽーたんとである。

 
 

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