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21日公開の映画「地下鉄(メトロ)に乗って」を鑑賞した。

この映画は浅田次郎原作の「地下鉄に乗って」

を映画化した作品で、

地下鉄から降りたら突然タイムスリップして

自分の両親の生き様に知るストーリーである。

作品的にはSFファンタジー的であるのは

良いとしても内容としてはあまりにも

スパイラル過ぎて最後に強引に継ぎ合わせた感覚があり、

道理的に賞賛できる作品とは言えないだろう。
新魔性の女が出演するとあって作品的には

まさに魔性の女のオーラを如何なく

発揮されていたんだけれど、

これが○○の人だったら女○○は○の肥やしと

いう感覚にもなるだけに正直ストーリー的には

強引に美談にした感覚で観る事になった。

多分普通に何の感覚を抱かなくてもここで

出てくる台詞の中に違和感を感じざる得ない部分も

あっただけにその点と踏まえてレビューしていこうと思う。

キャスト

小さな下着メーカーの営業マンで父は大企業の社長だが、

高校を卒業を機に絶縁したが父の危篤をキッカケに

過去にタイムスリップする長谷部真次演じる堤真一

妻子ある真次と不倫関係にあり、

同じ下着メーカーに務めるが、

真次同様過去にタイムスリップする

軽部みち子演じる私生活でも新魔性の女の岡本綾

真次の父親で一代で大企業を創り上げたが、

破天荒なやり方から様々な

疑惑の総合商社のレッテルを貼られる。

若き日は満州へ出陣し、

奇跡的に帰還した経験などを持つ小沼佐吉演じる大沢たかお

佐吉の愛人で若き日の佐吉と付き合うが・・・

のちに真次とみち子に重大な事実を繋ぎ

あわせる事になるお時演じる常盤貴子

主要4人他キャストでストーリーは進行する。

ストーリー

平成から昭和へ─  長谷部真次、43歳。

小さな下着メーカーの営業マン。

毎日同じように過ぎて行く一日の仕事を終え、

携帯の留守電を聞くと、

父が倒れたというメッセージが弟から届いていた。

入院がニュースになるほどの巨大企業を

一代で立ち上げた父とは、

高校卒業と同時に縁を切って以来、

もう長らく会っていない。

伝言を消去し、家路に着こうとする真次。

そういえば今日は若くして死んだ兄の命日だ。

ここ最近頭から消し去っていた父のこと、

兄のことを考え、過去に想いを馳せながら

地下鉄の地下道を歩き始めた真次は、

前方を横切る男が在りし日の兄に見えて、

思わずあとを追いかける。

その足取りが、ふと、止まった。

目の前に広がっているのは、いつもの町並みではない。

「東京五輪」と書かれた華やかな提灯、

「東京五輪音頭」を鳴らしながら通り過ぎるちんどん屋、

電気屋のカラーテレビで放映されている

野球中継に集う人々、そして向かい側には

「オデヲン座」と書かれた映画館があり、

『キューポラのある町』の大看板が掛かっている。

真次はハッとし、隣の若者が持っていた

新聞の日付を見る。

見出しは「東京オリンピックいよいよ開催」、

日付は「昭和39年10月5日」。

そう、そこは遠い過去の世界、

真次が父や亡き兄の思い出と一緒に忘れようとしてきた、

昭和39年の東京だった…。

それから真次は色々な時代に

タイムスリップして昔の父親に会う事になっていく。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしてはまずこのストーリーの

テーマは血筋の繋がりという事になるんだけれど、

これは誰でもそうだが血筋だけはいくら縁を切ろうが、

目の前から消えようが変える事は出来ない。

特にここで登場する真次の父親は一代で

大企業を創り上げた大社長となると

何処で暮らしても必ずその息子という

レッテルが回ってしまう。

これはそういう経験をしたものでない限り

その苦悩を知る事はできないゆえ経験した

事のない人にはその苦悩を知りえる事は

まず難しいとしておきたい。

そこで登場するのはその血筋を継ぐ真次なんだけれど、

彼も彼でその血筋に逆らえない現実があった。

真次の父親若き日には相当無茶な取引をし、

尚且つ愛人まで作っていた人だったので、

良い父とは言えない。

これで財産問題が発生したらそれこそ

大揉めになることが確実なだけに

こういう父親を持つとその息子たちは

大変である事は言うまでもない。

しかしこれは血を争えないというべきか、

そういう父と絶縁した真次もまち子という

愛人を作ってしまった。

ストーリーの流れとしてはある意味

スパイラル方式というべきか確り観て時代背景を

理解しないと何時の時代なのか?

把握し切れない面がまず頂けない。

冒頭で1964年昭和39年10月5日に

タイムスリップしている訳だから

そこから戦前だったり、

戦後直後だったり、

携帯電話がありながら(設定は2006年なのだろう)

どう考えても計算が合わないまち子の

年齢(設定上24、5歳)と考えると

結局現代は何時なの?

という事になる。

原作が丁度10年前なら1995年を

舞台にしてまち子を設定するなら

まだ計算上この設定は成り立つが、

この点を踏まえても現代も過去も訳が

わからなくなってしまいそうな

流れは観る側としては事前に時代設定を

ただ平成と昭和だけを分けただけにしか感じない。

観る側はそれぞれの時代背景を

把握しながら観る必要があった。

そしてここで登場する佐吉は当時の銃刀法に

ついて解らないけれど、

戦後に拳銃を所持した事実をここで

見せた点で既に父親について

大きな不信感を抱かないといけないだろう。

そして真次についてもこれは知らなかったとはいえ

これも法律上触れる近○相○にあたる訳であり、

確かに色々な小説などでそういう

心理分析をした事はあるので解らないとは言わないが、

そういう事実を知ってしまった結果

あのような結末を選ぶのはある意味

○人○となるだけにこういう選択も全く持って頂けない。

そしてそれを全部ひっくるめて

あのような言葉で締め括るのは

それは全ての行為を受け止めるという事になり、

それすら許すという結論にも至ってしまう。

もし本当にそういう結論を出すのなら

過去の父親のやってきた事が本当に

誰が見ても素晴らしい事ならそう言っていい。

少なくても私の父親については

映画の台詞を言っても恥じない位だから

そう考えると台詞の使い方を真剣に

意味を考えてその台詞を選んだとは思えない。

今回の映画公開前々から相当酷評する

予想を持っていただけに、その通りとなってしまった。

これが文学賞新人賞作品?

これを選考して選んだ人は頭冷やして

考えた方が良いんじゃないか?

少なくてもこんな作品を賞賛する方は

作者と共に1度○○所に入って○の経験をして

頭を冷やした方が良いだろう。

こういう事を受け止めるという事が

どれほどの覚悟が必要なのか真剣に考えるべきだろう。

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