27日公開の映画「どろろ」(PG-12指定)を鑑賞した。

この映画は手塚治虫原作の映画で

体の48箇所を魔物に獲られて、

その体を取り戻す為の48の魔物を

倒す旅をしているストーリーである。

手塚作品は過去アニメ化や映画化されたが、

その中でも制作規模の違う作品として注目されている。
PG-12指定作品としては妙に家族連れのお客が

多かったのでそれだけ注目されている作品なんだと感じた。

確かに内容を観る限り殺し合いのストーリーなので

子供が観るには少し厳しい内容ではある。

だたストーリーとすればそれでもあなたは切れますか?

という問いを受けた作品でもある。

この点を重視してこの作品をレビューして行きたいと思う。

キャスト

身体の48箇所を魔物に奪われ、

その体を取り戻すために旅をしている

百鬼丸演じる妻夫木聡

戦乱の世で両親を亡くし、大泥棒として生き抜いてきた。

百鬼丸の左手に仕込まれている妖刀を盗もうとするが、

次第に百鬼丸に惹かれていくどろろ演じる柴咲コウ

百鬼丸の48箇所の体と引き換えに魔物と

禁断の契約を交わし天下を取れる

力を手に入れた醍醐景光演じる中井貴一

他多数のキャストでストーリーは進行する。

ストーリー

賢帝歴3048年。大地の東の果てにあるその国では、

数十年に及ぶ戦が続き、

秩序を失った争いと荒廃だけがすべてを支配していた。

そこには、戦国の世を憂う醍醐景光という武将がいた。

影光は戦乱の世を治める

「力」を手にいれたいと願っていた。

そして、自らの野望をかなえるため、

やがて生まれてくる我が子を48体の魔物に捧げ、

見返りとして巨大なる「力」を手にする。

かくして生まれた赤ん坊は、

体の部位が無く塊のような姿で生まれ、

景光の厳命を受けた母・百合によって捨てられてしまう。

20年後…男装をした姑息な盗人・どろろは、

ある砂漠の街で一人の男に出会う。

その男は百鬼丸といい失った48箇所の体を

取り戻すために旅をしていた。

その左手に仕込まれた妖刀で

48の魔物を倒すとその体は元通りに戻る。

それに目を付けたどろろは

その妖刀を奪おうと機会を窺うが、

次第に百鬼丸に惹かれていき一緒に旅をするようになる。

そして旅をするうちに何匹かの魔物を倒し、

そしてその魔物から自分のさだめを知る。

そして辿り着いたのが父である醍醐景光であった。

どろろの仇相手でもある醍醐景光と

対峙する事になった百鬼丸は

果たしてその運命を切る事ができるのか?

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしては

時代背景やアクションについてだけれど、

時代背景は手塚作品では架空の時代背景にありながらも、

戦乱の世という感じなので、

日本で例えると戦国時代以前の日本を想像して良いと思う。

魔物は元々空想的な面があるのでその点については

CGで上手く表現されていた。

アクションについてもかなりの指導を受けていたという事も

ありこの点についても十分満足いく内容となっている。

ではこの映画においてどの部分を取り上げるかというと、

ずばり運命の部分になると思う。

このストーリーにおける運命とは親子関係にある。

父はその力と引き換えに息子の体を差し出した。

その結果百鬼丸は48箇所の体を失って生まれ、捨てられた。

捨てられた先には育ての親となる

呪い医師の寿海が体を作って百鬼丸に体を付け加えた。

そして寿海が亡くなると百鬼丸はその体を取り戻す旅に出る。

旅に出た先に出会ったのがどろろだった。

どろろは両親を失いその痛みを知る。

どろろの仇は醍醐景光であり、

これがのち運命へと続いていく。

最初はどろろも百鬼丸に興味を持っただけだったけれど、

次第に百鬼丸に惹かれていく。

しかしそれは苦しみでもあった。

愛した人が自分の仇だった。

そしてどろろは苦しむ、そして百鬼丸も・・・

ここで問われるのはあなたは愛する人の親を切れますか?

あなたは親を切れますか?という点だ。

普通なれこれを切ってはならないと

いう結論に達するのだろうけれど、

これはあくまで何の落ち度もない条件が付く。

しかし醍醐景光の場合は自分の力と

引き換えに息子の体をいけにえに差し出した罪があり、

どろろの両親を殺した相手だという事だ。

そうなると条件が違ってくる。

どろろにしてはその相手とは血のつながりもない

相手なので殺そうと思えば殺せるかもしれない。

しかしどろろは百鬼丸を愛してしまったばかりに

愛する人の父を切れない。

それはどろろが両親を失った痛みを知っているからだ。

しかし百鬼丸はそれを知らない。

それでも百鬼丸は父を切る事を躊躇う。

確かにどんな親だろうと親は親なのだから・・・

その苦しみを解いたのはこのストーリーでは

父である醍醐景光だった。

その父醍醐景光は自らの過ちを断つ決意をして

百鬼丸と対峙した。

そして・・・これは劇場で何だけれど、

もし父がその結論に達してそうしろというのなら

これは刀を抜いて切って良いと思う。

それで全てが解決する訳じゃないのは言うまでもないけれど、

負の連鎖を終わらす為には

何かの区切りをつけなければならない。

何でも区切りはある。

でもその区切りを何処でつけるのか?

それがこの映画のテーマだったのかもしれない。

しかしその後の百鬼丸はその事で痛みを伴う。

確かに憎し相手である父でも一度は愛されて

生まれたのだからそれは当然な事だ。

愛する相手を切らなければならないと

いう場面に辿り着いた事がなければ

この心境に辿り着けるものではないと思うけれど、

周りからみればアッサリできる事だなと

思われるかもしれないが、

見えないところでは心で泣いて痛みを伴っている。

特に人生を変えてくれた人を切らなければならない時には、

それこそ激痛を伴う。

それでもそうしなければならない場面に

遭遇して躊躇ったら全ては自分に降りかかる事になる。

一度抜いた剣を収める事はもうできなくなるが、

そういう非情な決断をしなければならない時も

人生においてないとはいえない。

運命を切るには痛みを伴う。

その痛みを解ってこそ解る事もある。

その結論を正しいというのならどんな痛みを

伴っても切らなければならない事を今作品は教えてくれた。

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どろろ〈上〉


どろろ〈下〉


どろろ完全図絵


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