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28日公開の映画「バベル」(PG-12指定)を鑑賞した。

この映画はモロッコで起きた銃撃事件を機に

世界の4つの出来事が動き出し、

その悲劇が1つに繋がるストーリーである。

内容的には4つの出来事が1つに繋がっている事を

示したストーリーであり、それぞれ言葉が違い、

法も、生活習慣も違う中で1つの世界が描かれている。
バベルの塔を題材にして作り上げられたこの作品だけれど、

元々世界は1つの言葉だった。

しかし人々は天まで届こうとするバベルの塔を作った。

それが神の怒りを買い、神が人々に言葉を乱させ、

それぞれバラバラにしたそうだ。

このストーリーではそんな人種を超えた

1つの事件の繋がりを描こうとした作品だ。

確かに言葉が違えば解り合えるとは思えないし、

解り合えない。

当然環境が違えば同じだ。

そして法律が違えばもちろん、

何かが違えば全てが違う。

それはレビューしながら書いていこうと思う。

キャスト

モロッコを夫婦で旅するが突然妻が狙撃され

重傷を負うリチャード演じるブラッド・ピット

そのリチャードの妻で突然狙撃され

重傷を負うスーザン演じるケイト・ブランシェット

リチャード夫妻の子供を世話している家政婦で

不法滞在者のアメリア演じるアドリアナ・バラッザ

アメリアの甥でメキシコでの

結婚式にアメリアを連れて行くが・・・

サンチェゴ演じるガエル・ガルシア・ベルナル

狙撃された銃の元持ち主で

聾唖者の娘を抱えるヤスジロー演じる役所広司

ヤスジローの娘で聾唖者、

母親を自殺で亡くして孤独の中にいる

チエコ演じる菊池凛子

銃の持ち主を探る刑事ケンジ演じる二階堂智

他多数のキャストで進行する。

壊れかけた夫婦の絆を取り戻すために

旅をしているアメリカ人夫婦の

リチャードとスーザン。バスで山道を走行中、

どこからか放たれた銃弾が、スーザンの肩を撃ち抜く。

なんとか医者のいる村までたどり着くが、

応急処置がやっと。

彼は英語がなかなか通じない村の住人たち、

対応が遅いアメリカ政府に苛立ちを露わにするが…。

同じころ、

東京に住む聴覚に障害を持った女子高生のチエコは、

満たされない日々にいら立ちを感じていた…。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしては

まず1つの事件で4つの出来事が繋がるという事だ。

それぞれ言葉も法も生活習慣も文化も違う。

それらが違えば許されるものと

許されないものが違うのは当然で、

モロッコで起きた狙撃事件も

日本では所持が許されないが、モロッコでは許される。

もちろん戦争であれば人を殺す事

(軍人に対して)も問われない訳で、

それぞれの法の壁が序盤から大きく立ちはだかる。

モロッコはどちらかというとイスラム圏なので

女性が裸や肌を見せる事は禁じられており、

タブーにされている。

それ以外にも髭を反る事も、お酒を飲む事も、

肉を食べる事も禁止されている。

ここでブローカーから買った

猟銃があるモロッコに住人に渡り、

それを子供達が持ち出して狩に出る。

そんな中で3キロ先まで撃てるといわれる

その猟銃を遠く離れたバスに向かって

撃つ事で事件が勃発する。

撃たれたのはリチャード夫妻で

3人目の子供を亡くして、

その心傷癒すべくモロッコを旅していた。

それが突然どこからわからない銃撃で全てが動き出す。

その影響で夫妻の子供を世話していた

家政婦のアメリアまで影響を受ける。

そしてさらにその影響は前の猟銃の持ち主である

ヤスジローまで及ぶ。

1つの事件で4つの国を越えた。

さて1つはリチャード夫妻だけれど、

2人は家政婦のアメリアに2人の子供を預けた。

その理由が3人目の子供を亡くしてしまった

ショックを癒す為の旅だった。

確かにその気持ちもわかるし、癒したい気持ちもわかる。

ただ何故モロッコを選んだのか?

無理に危険な国を選ばなくても

良いのではとは疑問もあるが、

そこでまさか妻のスーザンが銃撃されるとは

思いもしない出来事を向かえる。

それで近くにある村へ向かうが

そこで色々な人間ドラマを描かれる事になる。

一方アメリカではアメリアが

どうしても出席したい結婚式を控えていた。

それは夫妻が助かる前の話しになるが・・・

そして舞台は日本になる。

まさか猟銃の持ち主が日本人とは

何とも国を越えたものになったが、

そこではヤスジローとチエコの2人の親子が主人公だ。

チエコは母親を亡くしてからさらなる孤独の中にいた。

チエコは聾唖者であり、

耳が聴こえないし、言葉も話せない。

さらにチエコは愛情にも飢えていた。

ここで注目すべき点は何故チエコが

あのような行動に出たのか?にある。

映倫上あのシーンをよく

モザイクなし(アダルトでもまずない)で

PG-12までにしたのが

不思議な位(どうゆう基準?)なのだが、

それは置いといて、

聾唖者の性について考えた事があるだろうか?

聾唖者と聞いて思い浮かべるのは

ドラマでは「星の金貨」や「愛していると言ってくれ」

を思い出すのだが、

あのようなドラマで描かれる主人公は正直きれい過ぎる。

本来の聾唖者の姿を描かれていないので

その点を考慮すると実に上手く描かれた内容だ。

聾唖者は時として健全な人が

想像できない行動をする事がある。

このストーリーで描かれているチエコもそうだけれど、

何故あのような行動に出たのか?

普通の人ならまずやらないであろう行動だが、

チエコの世界にとっては音のない世界では

周りが何を言っているのかわかるのは

あくまで見えたものだけしかない。

ゆえにチエコの取った行動の1つは

1対多ではなく1対1なのだ。

ある意味それはチエコが相手を誘っている行動にもなる。

本来こういう事はわいせつ罪になるので捕まるが、

チエコには周りの雑音は一切入らないのでその意識はない。

それ以上にこういう行動に出なければ

振り向いてくれないという事を感じていたかもしれない。

そしてそんな事がキッカケで

その仲間たちと遊ぶ事になるのだが、

これらの事も日本ではNGシーンになる。

少なくても日本の若者全てが

こういう事をやっているとは思わないでほしい。

国次第だが18歳で許される国もあるし、

あのシーンで出てきたドラックは合法なものなのか?

否かはわからないが、

アメリカ人の感覚で撮影されているものなので

アメリカでは合法ドラックと満たされるのだろう。

聾唖者同士でもチエコとそれ以外では愛情の差があり、

あのような場面でもチエコには愛情を感じる事ができず、

それを受け止めてくれる人もいなかった。

孤独で音のない世界のチエコにはそれが辛く暗い。

一方その頃モロッコでは

リチャードの妻スーザンは生死を彷徨う。

その中でリチャードは救助を要請するが、

政治的な問題、国の問題もありなかなか救助がこない。

その中で観光客はリチャードたちをおいていく。

これもそれぞれの思惑もあるし、それぞれの言い分もある。

そこに止まってもリチャード以外の人たちには

不安のどん底にある訳で当然1分1秒でも早く

この場から立ち去りたいものである。

その中犯人が判明する。

犯人は小さな子供2人という事で警察は追跡し、

ついに追い詰める。

そして・・・これは劇場で観てほしい。

そしてその後アメリアは結婚式出席の為に

メキシコへリチャードの

子供2人を連れてメキシコへ向かう。

ここでも政治的国境の壁が立ちはだかる。

アメリカはこういう法的なものに厳しい側面があるので、

自由の国ながらも厳しい現実を描いた。

確かに長年の愛情を注いだのは個人では理解されても、

国では理解されないものなのだと・・・

そして日本ではチエコが思いもしない行動に出る。

本来あの行動は自分を受け入れてくれる人に

対して行う行為なのだが、

チエコはそれをケンジに求めようとした結果

あのような行動に出た。

それだけチエコが孤独の中で壊れそうな位

愛情に飢えていた証拠でもある。

その孤独は母親の死と関係しているかもしれない。

それぞれの人間ドラマの中で描かれたバベル・・・

総評としてそれぞれの事には必ず壁がある。

国が違えば法も違う。

言葉が違えばそれもなかなか理解されない。

もちろんこの作品を観る上で全てを理解される事は

少ない作品だと思う。

それでもそれぞれの国文化を知る上で、

そして人間ドラマを知る上では

1作品の中で良く埋めた作品と言えるだろう。

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バベルの謎―ヤハウィストの冒険


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