12月15日に発売された齋藤智裕さんのデビュー著書

「KAGEROU」を購入しました。

この作品は俳優水嶋ヒロさんが本名齋藤智裕として

第5回ポプラ社小説大賞受賞作であり、

小説家のデビュー作品で、

著書の内容は自殺しようとした中年の男性がある人に

止められてその命を捧げる決意を固めるが、

その中で命の価値、命の使い方、命の是非について考え、

ある少女との出会いで命の意味を考える事になるストーリーである。

俳優としての実績がありどうしても色々な目で見られがちな

作品になるだろうが、

この作品を読む事で命の価値、使い方、是非について考える事になるだろう。
2時間で読めてしまうという話を聞いていたけれど、

実際に普段小説本を殆ど読まない私が

約3時間で読み終えた位だから確かに読み易いし、

世界観も十分理解するのに時間は掛らなかった。

私自身Blogで小説のレビューをする事は実は初めてだったりする。

実際にはブロガーさんの著書をレビューしたのが

5年前なので本のレビューをする事そのものが5年ぶりだったりする。

それだけ普段私は殆ど映画で原作未読の中映画レビューしているんだけれど、

本ではそれぞれ読む人の世界観に委ねられる部分が大きく、

その世界は読む人の想像の世界なので読み手によって

作品に対する評価も分れるのは当然だろう。

この作品は人気俳優水嶋ヒロさんが作家デビューした作品として

注目されている訳だからどうしても水嶋ヒロという名前が先行してしまう。

早い話先入観が入ってしまうために

どうしてもイメージが水嶋ヒロから抜け出せない人も

少なくないかもしれない。

私自身は原作がある作品でも人物のイメージを持たずに

その世界観に入り込む事を心掛けているので確かに著者や俳優、

女優などこの人の作品ならという事で最初は観るが、

世界観に入ればそれは一切排除する。

ある意味その世界観に入る事でその人物として観るからだ。

それは映画やドラマであり、それは本でもスタンスは変わらない。

という事で私はそういう水嶋ヒロという先入観なしで読んだ

著書のレビューに入りたいと思う。

あまりラストのネタバレをしない形でレビューする事にはなるんだけれど、

このストーリーは簡単に言ってしまうと自殺志願者に

最期の役目を与えられる事によりその命に対して

向き合うのがこのストーリーの基盤となる。

自分の命についてどう考え、そしてどう使われるべきなのか?

と言った方が解り易いのかもしれないけれど、

まずこの冒頭では正直誰でも起こり得る事から始まっている。

この主人公は失業して自殺を考える40歳のヤスオ。

それ以外の登場人物にキョウヤというヤスオに

命の価値と使い道を提供する人物。

命の使い道の先にアカネという20歳の女性に出会う。

主な軸はこの3人になるのだが、

もしこれを映画化するとしたらイメージ的に

ヤスオ=水嶋ヒロ、

キョウヤ=小栗旬、

アカネ=絢香

という感じで描いたら個人的にはベストマッチするのかな?と思う。

まあドラマ東京DOGSで共演したイメージの2人を読んでいて

思い浮かんだものだからね。

アカネという人物は確かに絢香のイメージを浮かべようとすれば

浮かぶだろうし、そういう配役もありかな?というのはあるだろう。

ストーリーは冒頭でヤスオが自殺しようと

暗くなったデパートの屋上で自殺しようとするところから始まる。

自殺しようとする時何処で自殺しようか?

という事を良く考えるものだが、

屋上からの飛び降り、練炭による一酸化中毒、電車への飛び込み、

自宅、アパートの首つり、首を切るなどの殺傷・・・

そして樹海などなど自殺しようと思えば色々なケースがある。

そんなヤスオは自殺しようと飛び降り自殺を選ぼうとしていた。

そんな時その行動を止めたのがキョウヤという人物だった。

誰も見られない場所から自殺しようとしたヤスオだったが、

誰かに止められる事もかすかに頭にあったのだろう。

そして何よりヤスオは酒を飲んでいなかった事で

自殺はキョウヤに止められることになるのだが、

ここからヤスオは命の是非について考えて行く事になる。

キョウヤという人物は実は臓器のドナーを探す役割を担う人物だった。

簡単にいうと臓器提供者を自殺者から探すというものだ。

これはこの前まで放送されていた

流れ星の梨沙のような人を探しているようなものだけれど、

それと違うのはキョウヤという人物は完全に裏側の人だという事だ。

表側では言うまでもなく臓器移植は親族でなければ

認められておらず適合しなければ死亡した人からの

ドナー提供を待たなければならないが、

要するには死のうとした健康体の人のその命を最期に活かして頂く

という事と考えれば良い。

世界観的設定上裏側では表側より医学が進化しており、

表側では不可能と言われている事でも裏側では可能な事も

あるという事で描かれている。

その中でもドナーとなる自殺志願者の

健康チェックを厳密にされるのだが、

それにより命の値段が決められるのが

自殺志願者ドナーの流れとなっている。

確かに年間3万人を超える自殺者が出ている

日本にとって同じ死ぬならその命をドナーに活かせないか?

と考える事も確かにできない事ではないし、

それでお金の価値が付き、

借金返済などできるなら自殺するよりその命を活かすという事で

その命が活かされるし、

誰かが助かるという事にもなる。

これって実に難しい事なんだけれど、

表側では実際に自殺志願者のドナーは認められていないし、

そうなるとわかって自殺したとしてもその臓器が活かされるとも限らない。

その点最初から命を捧げる事を前提としている

自殺志願者ドナーは確かに確実に臓器を摘出できるし、

通常の事故や病気などで亡くなった人より良質の臓器が手に入る。

ただこれはある意味臓器売買にも当るため世界的には違法だ。

でも最初から死ぬと決めている人を活かす手段として考えると

流れ星のような梨沙の例もあるように命の活かし方を

考えさせられる事も確かにある。

そしてそれを聞いたヤスオはそこでどうせ死ぬならという事で

この自殺志願者ドナーを受け入れる。

ただそれが次第に命に値段が付く事で心境が変化してくるし、

これまで自殺を考えた経緯が語られる訳だけれど、

ヤスオはバブル期に入社した営業マンで

1990年代(現在を2010年代と考えて)では

どこでも入社する事ができた時代が現実にあった。

今の時代は就職する事さえ難しく、

生活する事さえ困難な現実にある人も少なくない。

そんな中でヤスオも不況期に失業し職さえ見つからず

借金苦で自殺しようとしていた事が語られる。

今の世を象徴していると思うんだけれど、

年間3万人の人が自殺する現実に今だ目を向けようとしない

私たちがいるのではないかと思う。

ここで核心についた事を述べるとこの作品を理解するに当たり、

読み手が1回でも自殺を考えた事がない人には

この作品を理解しようとする事は困難なのだと思う。

何故ならその人は常に幸せで何も困った事がないからだし、

これまで命に係わる困難に遭遇した事がないからだ。

例え遭遇しても理解できるものじゃないかもしれないけれど、

少なくても自殺を1度でも考えた事があれば

どうしても人は命と向き合う。

これまで1度もお金に困った事のない人、

1度も失業した事のない人にとって

この作品を理解しようとする事が難しいかもしれない。

人は経験した事のない事を理解しようとするのはとても困難な事であり、

やはり経験した事よりも理解する事が難しいものだ。

それ以上に1回でできた人は2回目以降もできる事が

殆どだから1回でできない人の気持ちを理解する事は困難だ。

よく教える人が何でできないの?

とヒステリックに言う事がある。

でもよくよく考えればよい。

教える人は1回でできてしまったら

どうしてできないのかを理解する事ができるだろうか?

むしろ10回でできた人の方が1回でできた人より

できなかった理由を知っているのではないだろうか?という事だ。

10回でできたという事は9回はできなかったという事になる。

できない時はどうしてできないのか?と考える。

しかしできた時どうしてできなかったのか?

という事を理解する事でそのできなかった理由を知る事のだから

できない人ができない理由を知る可能性は1回でできた人より

知る可能性が高い訳だ。

もちろん絶対解るというものではない。

この作品はそういう命について自殺を考え命と

向き合った事があればあるほど命に価値、命の是非、

命の活かし方を考えて行く事に対して主人公のヤスオの気持ちに

入り込む事が可能になっていくだろう。

その中でヤスオはドナーとして臓器移植が決まる訳だけれど、

その移植先の患者とヤスオは偶然にも出会う事になる。

それが20歳のアカネだ。

アカネは生まれつき心臓疾患で20歳までしか

心臓がもたないと言われていた。

偶然にもヤスオとアカネは年こそ21歳違うものの、

誕生日と血液型が一緒という偶然が重なっていた。

ヤスオとアカネの血液型はAB型だけれど、

AB型は元々日本の人口でも少なく提供先も少ない血液型でもある。

それが偶然適合したのがアカネだった。

アカネはこれから手術できる喜びに溢れ、

生きられるという喜びを語った。

そしてそこからヤスオは考える生きたい・・・

でも契約上サインしてしまった以上引き返せない。

ヤスオはアカネやその他の患者のドナーとして

体を提供される事になるのだった。

この先にはもちろん続きがあるんだけれど、

その続きは著書で読んでほしいけれど、

読んでみて命がそれぞれの患者に命を生かすために使われる

という事でヤスオの命は生かされる。

そしてヤスオはそれぞれの命を生かした事で

その役目を終えようとするのだが、

実はこの先には一つからくりがあり、

実際のところヤスオは生き続ける事になる。

その点では著書では理由づけされないが、

読んでいけばそれがどういう事なのかが解ると思う。

命を生かすために命を捧げたけれど、

命を捧げる上で色々な事を考え、

そして命の是非と向かい合う作品になるのだと読み終えて感じたのだった。

総評としてこの作品が大賞に相応しいか?

相応しくないか?

という問いがあるなら私は相応しいと答えるだろう。

その理由?

命の是非を問う作品はどうしても移植する人たちや

移植される側に問われがちだけれど、

自殺志願者に対する作品は確かに

これまで映画でもあまり描かれる事は少ないし、

実際に描きにくい部分がある。

年間3万人自殺する人がいる日本において、

その命を救えないものだろうか?

と考える人も実に少ない。

でも人が1度でも死にたいという気持ちになって考えた時、

その命をどう生かすべきかという問いに必ずぶつかるものだ。

主人公のヤスオもあのまま自殺していれば3万人の仲間入りだった。

でもそれを止めてその命の是非を問う人が目の前に

現れて亡くなる前にその命の是非を考え続けた。

自殺をする人の多くは追いつめられ、

その後を考えない人が多いものだし、

その後を考えてもその後の事がどうなるのかを考える事も少ない。

その意味ではこの作品では自殺を考えるところから、

その後どうなるのか?

そしてその命は本当に絶つべきなのか?

という事を問いかけた。

作品としては粗削りだけれどその命の是非を

確り説いている事でその命の是非を問いかけた事で

十分受賞資格があるだろう。

文章が下手とかいう人がいるが、文章が下手だから伝わらない事もなく、

文章が上手いから伝わる訳じゃない。

全てはその人が理解できるか?

それに掛っている。

理解できなければ文章が下手など内容が良くないと酷評するだろうし、

理解すれば理解できたと賞賛するだろう。

ストーリーも十分解り易かったになるだろう。

私はこのストーリーに理解し解り易かった方だ。

命の是非を考えたいなら十二分に読む価値はある作品だと思います。

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KAGEROUKAGEROU
著者:齋藤 智裕
ポプラ社(2010-12-15)
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