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4月7日に新潟で先行公開された映画「この空の花 長岡花火物語」を鑑賞した。

この映画は毎年8月に打ち上げられる長岡花火大会を舞台にしたドラマで、

真珠湾攻撃、長岡空襲、広島、長崎原爆、中越地震、東日本大震災と数々の悲劇を経験した人たちが

戦争の悲劇を語り、そして子供たちが戦争の悲劇、空襲の悲劇、中越地震の悲劇に

東日本大震災の悲劇を語り継いでいく舞台劇的ストーリーである。

戊辰戦争で戦地となった長岡は数々の戦争、空襲、地震の悲劇を経験した事で

東日本大震災でもいち早く支援の手を差し伸べている。

その中で色々な悲劇を経験したからこそ語れる事もあり、

そしてその痛みを共有し合う事でこれから目指して行く平和について、

そしてこれから目指して行く未来のために

これまでの悲劇の経験を知る事で何が必要なのかを鑑賞し終わった時

この空に咲く花が教えてくれる事だろう。
長岡は戊辰戦争の時には長岡藩として戦った河井継之助、

戦いに敗れた後米百俵の精神を伝えた小林虎三郎から始まり、

太平洋戦争開戦で連合艦隊司令長官となった山本五十六の出身地という事で空襲の舞台となり、

疑似原子爆弾の落下された多くの人の命を失った長岡空襲、

そして現代となり2004年10月23日に発生した中越地震で山古志村などが

被災し復興へ向かう人たちの姿、

2011年3月11日に発生した東日本大震災でいち早く被災者を受け入れ積極的な支援を行った。

その行動を取材する記者の目線から長岡花火大会を取材して行く。

本当に長岡は明治維新から現代に掛けて数多くの悲劇の場所となっている。

広島、長崎原爆も本来の対象は新潟市も含まれていたというほどだった訳であり、

もし新潟市に原爆が落とされていたらまず私はここにいないだろうし、

多くの人たちの今はないだろう。

東日本大震災を経験し色々な事が問われているけれど、

私たちにとって過去があるから今があるという事を忘れてしまっている感じがしてならない。

そういう事を160分という映画の中で多く語られており東日本大震災には太平洋戦争、

そして明治維新の戊辰戦争までさかのぼって知る事で長岡花火は亡くなった人たちを

追悼する花火で、平和の祈りを捧げる花火である事を最後に知る。

新潟という悲劇の地域だからこそわかる事、

そしてそれゆえに知る事ができる事もあると思うし、

ゆえに今だから伝えなければならない事があるのだと思う。

私は近く被災地へ行くのだが行く前にこの映画を観れて本当に良かったと思うし、

この映画は絶対多くの人に観てほしい映画だと強く言いたい。

2011年3月11日〜2011年12月8日へと繋がるドキュメンタリーをレビューしていきたい。

キャスト

遠藤玲子演じる松雪泰子

片山健一演じる高嶋政宏

井上和歌子演じる原田夏希

元木花演じる猪俣南

元木リリ子(過去)演じる寺島咲

元木リリ子(現在)演じる富司純子

野瀬清治郎演じる柄本明

松下吾郎演じる筧利夫

村岡秋義演じる笹野高史

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

天草の地方紙記者・遠藤玲子が長岡を訪れたことには幾つかの理由があった。

ひとつは中越地震の体験を経て、2011年3月11日に起きた東日本大震災に

於いていち早く被災者を受け入れた長岡市を新聞記者として見詰めること。

そしてもうひとつは、何年も音信が途絶えていたかつての恋人・片山健一から

ふいに届いた手紙に心惹かれたこと。

山古志から届いた片山の手紙には、

自分が教師を勤める高校で女子学生・元木花が書いた

『まだ戦争には間に合う』という舞台を上演するので玲子に観て欲しいと書いてあり、

更にはなによりも「長岡の花火を見て欲しい、長岡の花火はお祭りじゃない、

空襲や地震で亡くなった人たちへの追悼の花火、復興への祈りの花火なんだ」

という結びの言葉が強く胸に染み、導かれるように訪れたのだ。

こうして2011年夏。

長岡を旅する玲子は行く先々で出逢う人々と、数々の不思議な体験を重ねてゆく。

そしてその不思議な体験のほとんどが、

実際に起きた長岡の歴史と織り合わさっているのだと理解したとき、

物語は過去、現在、未来へと時をまたぎ、

誰も体験したことのない世界へと紡がれてゆく!

以上この空の花長岡花火物語HPより


結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしてこの物語は現実に起こっていた

2011年3月11日〜12月8日のドキュメンタリーではあるものの、

ストーリーでは時代を生きた人たちが融合しこの時代の時に集まったと言った方が

わかり易いかもしれない。

戊辰戦争に始まり、太平洋戦争開始から終戦まで、

そして中越地震、東日本大震災と繋がるこのストーリーではそれぞれの時代を

生きた人たちの事が語られていく。

その中で東日本大震災でいち早く福島の人たちを受け入れた事に注目した

天草の地方紙記者・遠藤玲子は長岡に取材に訪れたがその理由はそれだけではなかった。

そんな中で長岡の歴史が淡々と語られていくのだが、

お恥ずかしいながら私もこれまで戊辰戦争の激戦地、河井継之助、米百俵、山本五十六、

長岡空襲、中越地震などについては一応地元新潟の人なので知ってはいるけれど、

深くこれらについて触れた事はあまりなかった。

地元の人だからと言って他より詳しい訳じゃないんだけれど、

それでもこの長岡の地は悲劇の場所である事をこの映画では

実に色々な真実を知る事となる。

戦争の悲劇の場所とも言える長岡は太平洋戦争時には

連合艦隊司令長官山本五十六の出身地という事で狙われたともいうが、

実際には大都市から中小都市に掛けて落とされたもので、

新潟市が空襲されなかったのは新潟市が原爆投下予定地だったからであり、

それ以外にもこの長岡が空襲された時実は疑似原爆を落とされていたのだった。

広島、長崎で落とされた原子爆弾の実験で落とされていたのだった。

その爆弾により犠牲となった人たちもおり、改めて戦争の残酷さを知り、

1つ間違えば長岡も被爆地となっていた。

それらの経験をした世代が後世に語り継いでいるのだが、

今回の東日本大震災でどうしてもこの悲劇を舞台にして伝えたいと願い出た生徒がいた。

それは元木花という高校生だった。

この花はこのストーリーに大きな役割を果たしていく訳だが、

どうしてかこの花は何時も一輪車に乗って町を駆け抜けている。

私も最初どうして一輪車だったのか?

と思ったんだけれど、この作品を観ていくうちにその意味が最後で1つになっていく事に

途中では気付かなかった。

ちなみに元木花を演じた猪股南さんは一輪車の世界チャンピオンという事で

どうりで慣れた動きをしているという事がわかるというものです。

この作品には中越地震で被災した時の様子やその時の心境が語られている。

東日本大震災でも1番モデルケースとなったのが

中越地震で被災した長岡であり、そして山古志村だった。

山古志村は文字通り壊滅状態となり全世帯の住民並びに動物は避難生活を余儀なくされた。

しかし3年以上かけて故郷へ帰還している。

その間には相当辛い事もあったが、

それを乗り越えられたのは全国からの温かい支援だった。

そういう経験もあり、長岡ではいち早く福島からの避難者の受け入れを表明し、

中越地震の時の経験を活かしたのだった。

このストーリーでは東日本大震災で避難してきた子供たちも描かれており、

その中には福島原発で働いていた両親の子供もいる。

そんな状況で子供たちは原発の有り方、今後の事を真剣に考えている姿が描かれている。

そしてここで長岡花火大会に向けて舞台稽古を続ける生徒たちは

長岡の悲劇の象徴である長岡空襲の出来事を演じるために日々練習に暮れていた。

そしてそれぞれの人の想いは1度中止になりかけた

長岡花火大会は福島からの避難者の一声で実施する事になり、

本番を迎えようとしていた7月下旬に新潟、福島豪雨が襲い河川敷は水浸しとなり開催が危ぶまれた。

この時の事は私も新潟市にいたから良くわかるけれど、

私もこれまで7.13水害を経験しているのでその猛威は知っているが、

信濃川の河川敷全てが水で埋め尽くされるという間一髪堤防の決壊を間逃れた

というほどの酷い水害だった。

7.13水害を教訓にしたことにより大規模な被害こそ回避されたが、

下流の新潟市ですら各地で水没して救助されている姿を目撃された。

そんな状況でも長岡市長はこの花火大会は娯楽ではないと強調し

周りの協力もあって無事に長岡花火の名物フェニックスは打ち上げられたのだった。

結末は劇場で観てほしいけれど、

この長岡空襲の舞台のテーマがまだ戦争に間にあいますか?という問いかけだった。

まだ間に合うという言葉は以下の私たちにとって非常に重い言葉であり、

その言葉は今の日本はまだ間に合う?という問いかけでもある。

悲劇を知るからこそ伝えられる事があるという事でもあるし、

何より3.11を経験してなおこの行く先は見えない中にある。

そんな中で大林監督はこの長岡の悲劇を取り上げる事によって

これからの日本が目指すべき道を差し伸べているし、

私たちも同じ悲劇を繰り返してはならないと切に願わずにはいられない。

そして今の日本は痛みと言いながら痛みをわからずに痛みを使っているような気がしてならない。

本当の痛みを知らないからだ。

でも本当の痛みを知っていれば私たちはどう受け止め、

そしてどう行動すべきかおのずと答えに辿り着くのではないだろうか?

私たちは長岡の悲劇から色々な事を学べるのだと私は言いたい。

総評として新潟では先行公開ではあるものの、

その後順次公開というこれだけ素晴らしい題材、

そして素晴らしい出演者が揃いながら全国一斉公開作品でない事が非常に残念である。

この作品は今日本がこれから進む上で何が必要で、

何をすべきかを差し伸べている作品であるし、

痛みを知るからこそその説得力は強いものである。

ただ叫ぶだけじゃない、ただ反対するだけじゃない、本当の痛みを知るからこそ苦悩し、

そして受け入れられる器量、そして支援する強い気持ちに繋がるのだと思うし、

長岡の花火が平和の一輪の花として亡くなられた方々の慰霊・鎮魂・復興、

そして平和の祈りが込められている。

70年の時を経てハワイと長岡市は痛みを分かち合い、同じ悲劇を繰り返さないと誓った。

私たちもこれから目指すべきはもう目の前に答えは出ているのだと思う。

また間に合う!

そう強く信じたい。

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