9月24日から先行公開された映画「そして父になる」を鑑賞した。

この映画はある2つの家族が子供を取り違えられた事により

6年間他人の子供を育てる事になった2つの家族の苦悩と葛藤を描いたストーリーである。

今の時代では取り違えられる事は珍しい事で稀なケースだが

実際に起きた場合その6年間の注ぎ込んだ愛情と

その後の事でかなりの苦悩を強いられる事になるだろう。
カンヌ国際映画祭審査員賞作品という事でかなり注目度が高い作品だけれど、

今の時代でまず取り違えという事は稀なのでほぼないのだが

もしこのような事例があったとすればどう対処するだろうか?

という事とそれぞれ違い境遇でその後幸せなのだろうか?

という部分も描かれており本当の親とは何なのか?

と考えさせられてしまう作品であることは間違いない。

まだ親にもなっていない人が言うのも何だけれど本当にこの状況で何がベストなのか?

何が1番幸せなのだろうか?この事例を経緯を辿りながらレビューしたい。

キャスト

野々宮良多演じる福山雅治

野々宮みどり演じる尾野真千子

斎木ゆかり演じる真木よう子

斎木雄大演じるリリー・フランキー

野々宮慶多演じる二宮慶多

斎木琉晴演じる黄升

織間忠治演じる大河内浩

野々宮のぶ子演じる風吹ジュン

上山一至演じる國村隼

石関里子演じる樹木希林

野々宮良輔演じる夏八木勲

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

大手建設会社に勤める野々宮良多は、

都内の高層マンションで妻みどりと6歳の息子慶多と3人で暮らしていた。

ある日、慶多が生まれた病院から連絡がある。

DNA鑑定の結果、慶多は他人の子だった。

病院の仲介で会った相手方は、群馬で小さな電気店を営む斎木一家。

粗野で境遇も違う斎木夫婦に嫌悪感を抱く良多だが、

交流を深めるうちに実子である琉晴に自分とのつながりを見いだして行く。

思い悩んだ良多の決断は…。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして良多とみどりは6歳になる慶多と共に幸せな生活を送っていた。

良多は一流建設会社に勤めており収入もあり多忙を極めながらも子供の教育に熱心だった。

ピアノを習わせて教育熱心というのはそれなりの収入ある家庭なら極普通の事ではある。

そんな良多とみどりに突然慶多が生まれた病院から

連絡が入り慶多は取り違えられたと告げられる。

信じられない良多とみどりはDNA鑑定を行い

その結果慶多が完全に良多とみどりの子でない事が断定された。

正直この時点で相当良多とみどりにはショックがあると思うし、

どうして見極められなかったのか苦悩する。

ただこれは非常に難しい事なんだけれど子供の顔って生まれた時は

それほど大差ない状況で生まれてくるものだから

何歳か前までは見分けがつかなくても仕方ないと思う。

現実似ていたとしても能力や運動神経までは似るとは限らないので

子供にとって親が優秀だと子供はその優秀の父が大きな壁に感じているかもしれないものだ。

実際に私自身はそうだったけれど、

優秀な父を小さい時から見てきて自分の落ちこぼれな部分に

大きな差を感じながら年齢を重ねて行った。

私自身は父のようにはなれないけれど、

それはそれで自分は自分と割り切れるようになった。

誰でもない自分の能力と力をわきまえた上でやっていく事を・・・

良多も慶多が自分の子でないとわかったところで

自分の能力を受継いでいないという事を大きく感じたかもしれないが、

ただこれについては正直例え最初から慶多が本当に良多の子だったとしても

似たような能力を得ているとは限らない。

その能力が母親似になる事もあるからだ。

ここは実に難しい部分ではあるんだけれど、

親は過度に子供に自分の能力以上の事を期待してはならないという事例でもあると思う。

病院の仲介で良多とみどりは一方の夫婦である雄大とゆかりと初対面する。

そこでそれぞれの写真を交換する訳だけれど、

成長したそれぞれの子供の写真を見てただただ驚く。

雄大とゆかりの家庭は電気屋を営んでおり3人の子供と雄大の父との6人暮らしで

良多と違い粗野で裕福ではない家庭だった。

マンションに住みそれなりの収入がある良多と収入は多くないが

家族6人で幸せに暮らしている雄大の家庭は確かに正反対だ。

ここで1番の違いはお金があれば幸せか?という部分だ。

確かに収入があるという点では良多の方だけれど、

感じとしては雄大の家族の方が幸せそうに見える。

良多は普段から仕事で家を留守にする機会が多く

何時もみどりが慶多の面倒を見ている状況だった。

一方雄大の家庭は何時も兄弟と両親が一緒にいる家庭でお金こそないけれど

兄弟がいる事と両親が何時もいる事で愛情に溢れていた。

良多は少年期あまり両親と上手くいっていなかった事も

子供の接し方で雄大と決定的な違いがあった。

今の家族って昔と違って仕事で遅くなって帰る事が多い家庭も少なくない。

その中で両親と接する機会でそれぞれの愛情の受け方が違ってくる事もあるだろうし、

やはり両親と触れ合った時間が違う事によって

それが子育てに影響する部分があると思う。

何度が面会するうちにお互いの家族が打ち解けるようになったものの、

良多はこのまま手放すよりも慶多と琉晴の2人を引き取れないかと問い掛けるも、

さすがにこれはお金で解決できる事ではない。

何事もそうだがお金があれば幸せか?とここで完全に問われている。

確かにお金があるに越した越した事はないけれど、

お金は必ず人を幸せにする訳ではない。

そんな中で取り違えられた真実が明らかになる。

これについては劇場で観てほしいけれど、この真実というのがお金ですか?という事になる。

確かに貧乏人から見ればそう感じるかもしれませんけれど、

こういう人ほどお金は幸せになるとは限らないと教えなければならないところだ。

そして良多は色々と接するうちに最終的な結論を下す。

果たして良多が下した結論とは?

結末は劇場で観てほしいけれど、最後まで本当に考えさせられる作品だった。

本当に最後までどの形がベストなのか?という部分で考えさせられたけれど、

やはりお互いの家族と過ごした6年間っていう時間はかけがえのない時間だという事だ。

まして子供の6年間というのは物心ついてからだと

実に難しくその6年間の愛情を注いだ時間を

その後に取り戻す事がいかに容易でないかという事だ。

取り違えられた真実についても謝って済むんだったら

警察も裁判所も要らない訳で、

人生を狂わせた代償という点を考慮すれば時効というのは如何なものか?

今の刑事事件では時効はないので民事にも時効は無しにすべきだろう。

そして2つの家族が本当に妥協点を見つけるとすれば、

私の結論としてはこれだけ2つの家族の境遇こそ違っても

この縁を通じて交流を続けて行った方が最終的には

2人の子供が中学校へ行く頃にはそれぞれ解り合えるところまで行けるのではないかと感じる。

これはあくまでこの2つの家族に対しての結論であり、

これがまた違った家族なら結論は違ってくる。

境遇が違う事で必ずしも恵まれているから幸せ、

恵まれていないから幸せにならないとは限らず、

本当に子供にとっての幸せをこの2つの家族は

これからも探していく事になるのだと思う。

総評として2つの家族にとっての6年間は例え産みの両親が違っても

育ての両親であった事は事実であり、6年間愛情を注いできた事実に変わりはない。

最初から子供に恵まれない人にとっては養子でも

実の子として育てる人もいる事を踏まえれば

血の繋がりだけでは父親になれない事も描かれた。

本当に父親になるというのはその子に対して

本当に愛情を注いでいく自覚を得られる時こそ本当の父親になるのだと思う。

二人の父親に育てられた慶多と琉晴は大きくなったら

2人の父の愛情を知る日が必ず来る事だと思います。

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