3月7日公開の映画「銀の匙 Silver Spoon」を鑑賞した。

この映画は進学校で挫折した少年が逃げるようにして

全寮制の農業高校に入学してそこで夢もないまま過ごしていたが、

次第にやりたい事を見つけて行くストーリーである。

農業高校は農業を生涯の就職にしていくために入る人が殆どだが、

その先には厳しい現実と私たちの食生活を考えて行く事になるストーリーもあり、

色々と考えさせられる事になるだろう。
元々専門的な高校に進学する場合はその技術を身につけるために行くものだけれど、

農業高校のようにハッキリした目的で進学する中学生はどれだけいるだろうか?

既に15歳でこの先の就職を見据えている事になるんだけれど自分がその頃どうだったか?

と振り返ると高校卒業して就職するという事だけは決めていただけれど、

何かをやりたいというのはなかった。

高校は普通高校へ進学したんだけれど、

実際に高校を卒業してから就職して初めて専門性の大切さを知ったりしたものだけれど、

ただ全てが専門性を持ってやる必要はないと思うし、

色々な知識を知った上でやった方が常識に捉われないという部分もある。

私自身1度就職してその後専門学校へ行ったけれど、

専門学校はその先にその専門の職に就こうと思っていったのではなく

ただ身につけるために行ったに過ぎなかった。

それで経験したのは専門学校へ行く場合はその先に何になりたいか?

を決めて行くべきなのだという事だ。

実際にそこへ行った事は今無駄になっていないけれど、

そういう職場へ就職した訳じゃないので

確かにこの映画で出てくる校長の言葉は

ある意味色々な選択肢ができるという位置づけにもなる。

そんな中で夢もなかった少年がこの農業高校で何に出逢ったのだろうか?

キャスト

八軒勇吾演じる中島健人

御影アキ演じる広瀬アリス

駒場一郎演じる市川知宏

南九条あやめ演じる黒木華

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

進学校に通いながらも挫折し、逃げるように大蝦夷農業高校に入学した八軒勇吾。

将来の目標や夢を抱く同級生のアキや駒場に劣等感を感じつつ、

実習や部活に悪戦苦闘の日々。

北海道の雄大な自然とニワトリ、ブタ、牛、馬、

そして個性豊かな仲間たちに囲まれた常識を覆す農業高校の生活の中で八軒は、

悩み、戸惑いながらも次第に自分なりの答えを見つけ始める。

そんなまじめで正直な八軒に新たな難題が立ちはだかる…。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとして進学校で挫折した八軒は父親にも期待されず

逃げるようにして全寮制の農業高校に進学した。

進学校から農業高校という全く別世界の高校に進学した訳だけれど、

個人的な意見として私の経験から言えば

わざわざ農業高校へ進学する事は無いと思うんですよね。

専門的な高校や専門学校へ行くという事はその先何をしたいのか?

という部分があるんですよ。

私も正直八軒のように先に何をしたいのかがなくて専門学校へ行ったけれど、

正直卒業しても就職するまでかなり時間が必要だった。

結局やりたい事が無いと先にあるものが見えない経験をしている私からしたら

わざわざ今そういう場所へ行く必要はないとアドバイスするでしょうね。

そんな八軒にとって実家を継ぐために入ってきている人が

殆どの農業高校はこれまで感じた事のない世界でもあった。

それはそうだけれど、これまで農業と無縁の生活をしてきたのだから

その世界観の違いに戸惑うのは当然だ。

そんな中八軒は御影アキ、駒場一郎と出会い、そこで農業の現実を知る事になる。

まず家畜は食用でもあるので出荷時には必ず食用にするための処置が施されるけれど、

そういう過程があるから私たちの食卓で豚肉や牛肉を食べられているという事でもある。

丹精込めて育て上げた牛や豚はそういう苦労を経て食卓に届いている。

しかしそういう仕事をする上では情に流されてはいけない

という事をこの作品では描かれている。

そして八軒は御影、駒場の農場で手伝いをする事で、農業の厳しさを知る。

農業には労働基準法はほぼないと言って良いほどだし、

家族全員が力を合わせて行かないと成り立たないのも事実だ。

それだけしても儲かる商売じゃない。

自給自足を踏まえても今の日本はこういう限界値の酪農家によって

支えられている事を知る訳だ。

そんな中八軒が実習で育てた豚が出荷時期を迎え、

八軒はその豚を自ら買い取ってみんなに振舞うというシーンがある。

このシーンを見ると昔「ブタがいた教室」で

ブタを食べる食べないという議論を思い出すんだけれど、

酪農をやっている人にとっては誰かに食べるために育てているので

その豚をペットとして育てている訳じゃない。

それを八軒は自ら食べる事でこれまで育てた事に対する感謝と

これが現実と受け止めるシーンは色々な経験をする上では

必要なターニングポイントだったと思う。

しかしそんな中で駒場の牧場が借金が返せず離農する事になり、

農業高校を退学する事になる。

そんな現実に直面した八軒はこれまで知った現実を受け止めある行動を起こす事になる。

果たして八軒は駒場に何を伝えようとしたのだろうか?

結末は劇場で観てほしいけれど、どんなに頑張ってもダメな時があるという事と、

これが現実という厳しさも描かれているので綺麗事では片づけられないけれど、

まず八軒はこの農業高校に何の夢もなく入学している。

それに対して先にやる事が決まっている、

見えている人にとっては八軒は非現実的な人にしか映らない訳だ。

でも最初からやる事が決まっている人でもその先が無くなってしまうと

その先を描けなくなってしまう。

先が描けないというのは経験した者でなければわからないものであり、

そこから先が描けるようになるまで時間が必要になる。

私自身は先が描けている訳じゃないし、今どう生きて行くかの現状ではあるけれど、

それでもやりたい事はあるので、先が描けなくてもやりたい事があれば1番良い。

八軒も農業高校で最初こそ夢がない事に悲観していたけれど、

校長の夢が無い事は何にでもなれるという言葉は

道が敷かれていないからこそ自ら選べる権利があるという事、

そしてここに来ている人たちの多くは選べる権利が無い事を示している。

選べる権利が無いという事がある意味その人を苦しめる事もあるので

必ずしもそれが幸せではないという事だ。

その意味では八軒は最初は親に決められた道を歩んでいたけれど、

そこから自分で決める道を歩み出したという点では御影、駒場とは違った立ち位置に

いるのだと最終的には感じるし、

八軒もここで経験した事がこの先必ず活かされる日が来るのだと思う。

総評としてこの映画では決められた道を歩む生徒、自分で決める道を歩む八軒が描かれた。

農業高校という特殊な高校ゆえの状況だけれど、

自分で道を決める事ができるという事はそれだけ色々な可能性を秘めている訳でもあり、

逆に最初から道が決まっている人にとっては可能性が狭まっているという事でもある。

もちろんその道に行ける人が限られた道ならそれもありかもしれないが、

最初から道が決まっているよりも、道が色々ある方が可能性が広がる事もある。

本当にやりたい事を見つけられた時、

ここで歩んだ道は絶対に無駄にならないと思うし、

ここで出逢った経験はこれからの人生で必ず活かされる事になる。

そんな現実を見た。

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