2007年11月27日

“第2回横浜フリンジフェスティバル”へ

25日、studio salt『職員会議』は閉幕した。
集客が難しい横浜で11日間の長丁場。
お迎えしたお客様の総数は、相鉄本多劇場開館以来最多。


第1回横浜フリンジフェスティバルも終わった。
『職員会議』の千秋楽の客席には、
大橋泰彦実行委員長と、大西一郎事務局長。
丸尾聡副実行委員長と麻生0児委員は舞台の上に。
椎名泉水委員は劇場入り口の階段から、
舞台をじっと見つめていた。


役者紹介があるでもない、
通常公演日と変わらないスタイルの千秋楽で、
舞台がはねると僅かの時間の歓談のあと、
役者もスタッフも舞台装置のバラシに入り、
大橋委員長は劇場を出て打ち上げまで時間つぶし。
いつも忙しい大西事務局長は携帯電話を片手に去って行った。


「今日が一番いい出来だったと思います。
私も満足いく舞台になりました」と打ち上げの乾杯で椎名さん。
出演者とスタッフの顔晴れやかな宴席の、
酒のおかわりをオーダーする声の明るさは、
公演の全き成功を物語る。
第1回横浜フリンジフェスティバル最終公演は、
とてもいい形で幕を下ろした。



出演者の方々が、賑やかに杯を重ねる傍らで、
大橋委員長と丸尾副委員長が“次回”の話を交わしていた。
今月中に演劇創造プロジェクト神奈川の理事会を開き、
“次回”の見通しを立てるという。
“第1回”の終わりは“第2回”の始まりを内包する。
フェスティバルは心意気だけでは開けないし、
今回もすべてがうまく運んだわけではないから、
理事会ではきっと、
演劇人らしい率直な討論がなされるのだろう。
横浜市の協力を得ることも必要だから、
市との話し合いも重ねられてゆくだろう。


正直なところ、
“第1回横浜フリンジフェスティバル”の運営は、
とても大変だった。
たったこれだけの資金と人手で、
よく乗り切れたものだと思うくらい。
実行委員の誰もが無償で、
自らのキャパシティを越えて動かざるを得なかった。
それでも“次回”を考えられるのは、
本公演参加団体の皆様が作り上げた作品の素晴らしさ、
フリンジ7daysに興味をお寄せくださった方々の多さ、
そして、ご来場になったお客様の拍手のあたたかさが
あればこそだ。


これまでずっと、私は拍手を送る側で、
それを聞く気持ちは知らずにいた。
今回も舞台とは、直接的には関係ない立場の一スタッフで、
基本的には送る側。
けれど、ほんの少し、
他人が自らの体を使い両手を打ち合わせ、
音を届けようとしてくれることの意味と価値が、
わかったような気がする。


ありがとうございました。
演劇創造プロジェクト神奈川の理事一同、
フリンジフェスティバルの実行委員と事務局員一同、
第1回目のフェスティバルにご興味を抱いてくださった
すべての皆様に、心より感謝致します。
本当にありがとうございました。
今後とも、フリンジフェスティバルとプロかなを、
どうぞよろしくお願い致します。



ではまた。
“次回”のフェスティバル会場で。




                  記:国松里香








2007年11月25日

そして緑の観覧車

目を奪う巨大な観覧車は、
コスモクロックという名前らしい。
ゴンドラの回転するその芯に、
目立って大きな時計がある。
“8:52”
Bay Side コンテナ劇場こけら落としの夜、
大船高校演劇部員が劇場前で反省会を始めたとき、
デジタル時計はそういう数字を示していた。


時計を正面から見る位置に、
コンテナ劇場は建っていた。
“ポップでおしゃれな青テント”とは正反対の印象で、
言ってみれば垢抜けず、
紐で括った荷物のように愛想なく。
高層ホテル群が高さとスマートさとを競う中、
コンテナ劇場は“屹立”しているようには見えず、
どちらかというと地にうずくまっているようだった。
テントでもなく、建物でもない劇場は、
中途半端な空間なようにも感じられた。
だがそのハコが内包したものの、
なんと多かったことだろう。


舞台奥のシートを上げる演出が、幾作品であった。
道を歩く何組ものカップルが立ち止まり、
白いフェンスに手をかけて、劇場内を見詰めていた。
みなとみらいのきらびやかな夜景に背を向けて、
不格好で鈍重でぱっとしない見栄えの、
コンテナ劇場のその中にひろがる架空の真実を。
スポットライトに照らされた人間の放つ輝きを。


愛想のない鳥居が、
時には1本の薄汚れたしめ縄が、
神域の入り口を示すように、
劇場の建つ地を囲む白いフェンスは結界を成し、
その中央に建つ劇場は、
超常を招く“依り憑きの場”。
中途半端さは可変に通じ、
どんな芝居もパフォーマンスもふところ深く受けとめた。
すべての作品は人間が作ったものだけれど、
コンテナの舞台に乗ることで、
既成の劇場空間とは一風違った熱と光を帯びていた。


それは劇場が結局のところ空き地に戻る、
ひとつの“空虚”だったからかもしれない。
神は空(から)に依り憑くのだと古来より。
すでに神体なき社(やしろ)が、
それでも社(やしろ)であるように。
薄汚れたしめ縄に、神域の名残りを見るように。
白いフェンスに鍵がかかり、
いま誰も入れない地であることも、
コンテナ劇場にはむしろ似合い。


そこで上演された作品ひとつひとつの、
超常の輝きを映した目に、
緑の観覧車の輝きは、
美しいがいかにも陰影なく人工的だ。
そしてイリュミネーションが流れるように変化し、
デジタル時計の数字が刻一刻と変わろうと、
観覧車の姿を、
“8:52”という数字込みで記憶している者がいる。
冷厳に刻まれゆく時間を止める力を持つものが、
この世界にはたくさんある。



               記:国松里香







2007年11月23日

ブログの終わりも間近

このブログの最初の記事に書いたんだよね。
「書き手は、当団体理事・事務局スタッフ・
参加団体関係者など、様々に変わる予定」って。
実際そういうつもりだったんだけど、
入院期間中の2回を除いて、
ひたすら私が書き綴ってきちゃったなあ。
皆さん尋常じゃなくお忙しかったので
頼むに頼めなかったというか、
頼んだり催促したりお礼状書いたりするのが
面倒だったというか。
それを押して皆さんに頼んだほうが、
ブログ的には盛り上がった気がするが。


事務局スタッフを引き受けたとき、
仕事内容を記した文書を一応もらった。
電話番、メール応対、票券管理etc.
その中にブログは入っていなかった。
ブログを作ることになり、
誰が管理するのかという話になったとき、
広報要員の中で譲り合ったりしたんですよね。
で、「更新頻度、内容、文体を一任してくれるなら」と、
おまえはいったい何様だよ的条件をつけ、
私がやることに致しました。
しかし皆さん、ほんとに一任するんだから大胆。
私の文章を読んだことなんてなかったのにさー。
いやそれ以前に、私のこと知ってる人も約1名しか
いなかったのにさー。
まあ皆さんお忙しくて、
それどころじゃ全くなかったわけですが。


ブログといっても、
情報告知の性質が強いものを予定していたんだけど、
いつのまにやら私的な記事もいっぱい。
公式ブログの範疇から逸脱しなかったつもりながら、
記事といえども“書く”作業は、
己の人間性と切り離せないから。
メールマガジンも含め、
久し振りに“対・公け”の記事を書き、
それが表面に出ているかどうかは別として、
自らのテンションのなだらかさと、
沙羅双樹の花の色めいた世界観を、
深々自覚しちゃったり。
すごい細かいこと言えば、
私は絵文字どころか「!」や「?」すら使うの嫌いで、
記事でもほんとに最少限しか使わない。
だからこう、見た目がな…、明るくなくてな…。


筆禍もあったし、
なんだかお詫び文だけがうまくなった気もするし。
自身のテンションのなだらかさとはうらはらに、
荒波だった2ヶ月。
投稿メール数が現在2258の事務局メーリングリストが、
プロによるリアルタイムの実務記録なら、
このブログは、
ひとりの演劇素人の目を通したフェスティバルの記録。
素人なのに感嘆とか驚愕とか動揺とかあんまりしてないのは、
性格だからさ性格。
メーリングリストを読み返さないのと同様に
ブログも読み返すものではなくて、
ただ時の砂に埋もれてゆくだけだけど、
フェスティバルの日々の記述は、
ないよりはあったほうがよかっただろうと思っています、
少なくとも私は。


ブログに愛着湧いてきたところで、
間もなくクローズ。
何事も終わりがあるから美しいのよね。
ただ、「25日『職員会議』千秋楽を以って更新停止」と
記したのは浅はかだった。
25日の私の帰宅は午前0時を回ってしまう。
血中アルコール濃度きっと高くて、
まともな記事書ける見込みもない。
翌日深夜(また0時過ぎるかもしれないけど、
気持ち的には翌日ってことで)に
『職員会議』打ち上げ話を書き、
ラストのリアルタイム更新とする所存です。
11月末日にメールマガジン最終号配信後、
ブログに転載するかもしれないけれど、
まあそれはメールマガジンを見ていただければ。


あと3日。
お付き合いくださいませ。



              記:国松里香

観客席から:こぼれ話

21日の記事でご紹介した高橋清孝さんは、
“横浜フリンジフェスティバル”を
“ハマフリ”と呼んでいたそうです。
いや、誰に言うでもなく心の中で。
ご自身の日々の予定を確認するとき、
“お、明日はハマフリだ”
などと思っておいでだったらしい。


『横浜市街戦〜漂鳥の儚』に、
“ハマジル”というダンスが出てきました。
“横浜ジルバ”の略です。
それに触発されての“ハマフリ”。
「(そう呼ぶことについて)皆さんはどうなんでしょう、
私だけかもしれないけど」と高橋さん。
そうですね、私は寡聞にして知りません、
“ハマフリ”という省略形を使う人を他には。
“フェス”とか“フリンジ”とかは聞きますが。


自ら省略造語を生み出してしまった高橋さん。
フェスティバルに並ならぬ愛着を抱いてくださったのだと、
なにやら嬉しい気持ちです。
“いまだけここだけ”を追い続けるには体力も気力も
いりますが、
充実した観劇生活をこれからも送っていただきたいと、
かげながら応援しています。


“第1回横浜フリンジフェスティバル”。
フルで言うには確かに長い名称で。
フェスティバルが演劇ファンと横浜の地に浸透し、
親しみ込めた呼び方をされる日が、
遠からず訪れると素敵です。



                 記:国松里香


2007年11月21日

観客席から

プレ公演『授業』から提携公演『職員会議』まで。FRINGE!
―7days―の7日間。アフタートーク、トークショー、シ
ンポジウム。オープニングセレモニー、閉会式。
第1回横浜フリンジフェスティバルの、公演・企画・催し
のすべてをご覧になった人がいる。
ーー高橋清孝さん。


元々年に200本もの芝居を観る演劇ファンだ。演劇祭の全
作品を観たことも何度かあり、
「1ヶ月で39本というのがこれまでの記録だったけど」、
フリンジフェスティバルが佳境であった今年の10月、
その記録は塗りかえられたという。なんと月間50本以上。
中でも10月14日のフリンジBは、
「1日であれだけ観たのは、自分の観劇史のなかで初めて
ですね。あれはちょっときつかった」。
正午から夜の9時過ぎまで、シンポジウムを含めると9企
画。それぞれの作品世界の方向性が全く違うことも加わっ
て、観るには確かに体力が要った。


世田谷のお住まいから、メイン会場のBay Side コンテナ
劇場までは1時間。「できれば全部を観たい」と通ったの
は、「最初は1回きりしかない」からだ。
高橋さんは、日本初のフリンジフェスティバルに大きな期
待をお寄せくださった。
「よくも悪くも始まりで、まだ形が定まっていない。だか
らプロセスそのものが体験だった。初めての企画には意義
があるし、それに立ち会えたということで、通った甲斐は
あったと思う。自分は東京の人間だから、外から横浜を見
るという点でも、ひとつあったかなと思っています」。


彼には好きな劇団があり、同じ作品を繰り返し観ることも
あるという。けれど、作り手との距離の取り方は彼にとって
難しく、観客として、絶えず中途半端な位置にいたような
気がするという。作る側と観る側の違いを意識してか、
あるいは無意識のうちにか、観客としての区切りの線の
ようなものを、結果的には越えないようにしていたそうだ。
だがフリンジフェスティバルでは、
「通っているうちに、関係者の意識になってきたんですよ。
ほら、台風のときとか」。
台風の最中に会場を変えて上演されたフリンジEも、天幕の
ないまま上演された家とトゥーランドットも、高橋さんは
ご覧になっている。


「本当は関係者じゃないですし、大変さをわかってないの
に、こんなふうに言うのはどうかとも思うんですけれどね。
でも、作り手の気持ちが見えてきた。そんな感じがして」。
フェスティバルの終わりが近付くにつれ、
「自分も参加していたという意識が出てきた」そうだ。
高橋さんの、この巧まず生まれた参加意識は、フリンジフ
ェスティバルの本質を物語る。フリンジでは、作り手と受
け手の間に回路が通じやすい。また、諸外国のフリンジフ
ェスでは、ボランティアのみならず、普通の観客も大きな
役割を担う。作家や俳優と作品について語り合い、よりよ
い作品の生まれるきっかけを作るほか、最優秀作品を決め
てフェスティバルの総仕上げをするのは、一般の観客なの
だ。


19日のシンポジウムの前に、高橋さんは空き地を訪れた。
コンテナ劇場があった、白いフェンスに囲まれた空き地だ。
フェンスの扉には鍵がかかり、いまは誰も入れない。
「最後は空き地でしかないんだけど、なくなることも含め
て引き受けるっていうかね」
と彼は演劇への思いを語る。
「演劇は残らない。残らないことが人生と似ている。人間
も消えていくわけですよね。でも日々を生きている。“記
録”と“記憶”という言い方がよくありますよね。“記録”には
ないけれど、“記憶”には残っていると言われたりする。
でも記憶に残っているかも、実はわからないんですよ」。
記憶というものは、それが蘇ったときにしか確認できない。
「ただ何かのシーンでふと思い出すようなことがあったと
き、ああ確かにあったことなんだなと」。


「演劇はライブで、時間と場所の制約がありますよね。“い
つでもどこでも”のユビキュタスの正反対。“いまだけこ
こだけ”」。
フェスティバルをすべて観る裏で、行くのを諦めた芝居も
多いという。中には彼の心を揺さぶるはずだった作品もあ
ったかもしれない。
「演劇祭のすべての作品が素晴らしいなんてことはあり得
ないです。でもこの企画には心情的好感を持っていたので、
1作ずつを批評的に観るよりも、全部観ることを楽しんだ。
2回目3回目と続いていくことによって、変わるものも多
いでしょう。参加団体がもっと多くなり、どう頑張っても
全部を観られない数になると、観る側としても新しい次元
の経験ができる気がします」。


日本のフリンジフェスティバルの始まりを、くまなく体験
した高橋さん。フェスティバルが続き、この初年度に培わ
れた彼の記憶が、毎年毎年蘇り続けるといいと思う。5年
後に10年後に、最初を観ておいてよかったと、彼に思っ
てもらいたい。


高橋さん、第1回横浜フリンジフェスティバルへのご参加、
どうもありがとうございました。




                    記:国松里香


大船高校、関東大会へ


Bay Side コンテナ劇場のこけら落とし公演。
大船高校演劇部の『山姥』が、
高校演劇大会の神奈川県大会で最優秀賞受賞。
関東大会への出場が決定した。


高校演劇大会での、各学校の持ち時間は60分。
装置のセッティングや片付けも込みで60分で、
1分でも過ぎると失格となる。
コンテナ劇場での上演時間70分を、
かなり縮めて臨んだ地区大会と県大会。
観た人によると、作品の密度が高まり、
好評を博したコンテナ劇場公演より、
さらに見応えのある芝居になっていたそうだ。
関東大会でも観客と審査員を魅了してほしい。




             記:国松里香

2007年11月20日

シンポジウムのあとに

19日。シンポジウム終了後、
ムービル向かいのつぼ八で飲み会。
公演中のstudio salt(スタジオ ソルト)は、
つぼ八の固定客になっているらしい。
というか、メニューまでが固定らしい。
「毎日同じつまみが並ぶんだよねー。
違うものを頼むと、なんか顰蹙を買いそうで」と、
客演のひとりが言っていた。
けれどシンポジウム後の、おつまみは豪華に多種多様。
参加者も実に多種多様。


名古屋からお越しのパネラー佃典彦さん。
同じくパネラーの大橋泰彦さん、大西一郎さん、
椎名泉水さん、麻生0児さん、司会の丸尾聡さん。
客席にいたマシュマロ・ウェーブの木村健三さん、
tsumazuki no ishiの寺十吾さん。
ソルト公演のスタッフ、離風霊船やプロジェクトMの女優さん、
未来シアターのメンバーたち。
スーパーボランティア。戯曲セミナーの受講生。演劇ファン。


麻生さんは座敷の上がり口に立ったままで、
卓にお酒とおつまみを配分。
絶妙の配慮と手際のよい注文で、
参加者は会話だけを楽しめばいい。


『横浜を拠点に活動する』ことの『得と損と可能性』は、
なんらかの結論が出る類いのテーマではなく、
だからパネラー各人の言葉の中に点在する『得』と『損』を
どう繋ぎ、語られる『可能性』をどう解釈するかは、
聴者それぞれにゆだねられた。
話の内容以上に私には、
旗揚げからわずか3年半のソルトのふたりが、
20年以上演劇をやっている、
大橋さんや大西さんや佃さんや丸尾さんらと壇上に並んでいる絵図が、
横浜を拠点に活動することの『得』と『可能性』そのものに見えた。


ソルトの実力、ソルトの努力は並大抵のものではない。
けれどもし東京ならば、同じ努力をし、同じ実力を持ち、
同じかそれ以上の動員力を備えたとしても、
大橋さんや大西さんや丸尾さんの客演は、
まだまだ遠いものだった気がする。
横浜を拠点に活動すれば、
十把一からげの埋没状態から早く抜け出し、
演劇人や演劇ファンの注目を、
早く集めることができるんじゃないか。


宴席は賑やかで賑やかで賑やかで。
そして終電が近付くと、人は慌ただしく席を立ち、
徒歩で5分の横浜駅へと足早に。
それぞれの家へと向かう電車に乗る。
東海道本線、横須賀線、京浜東北線、
京浜急行線、相模鉄道線、横浜市営地下鉄、
東急東横線、みなとみらい線。
6社8路線が乗り入れる横浜駅。
多種多様な人が訪れる場所。
多くの観客が集まり得る場所。


                 記:国松里香

2007年11月18日

表を作った。
公演名/
日付/
開演時刻/
出演者数/
動員数。
『咲子の港』から『市電うどん』までの8公演と、
『FRINGE!―7days―』の7日間。
開会式からこれまでの、数字の記録の表だ。


電話番とメール番、ブログとメールマガジンの他にも、
私に与えられた仕事はいくつかあってね、
そのうちのひとつが、ご来場のお客様の人数報告。
ひとつの公演が終わる度、
何人のお客様にお越しいただいたかを、
事務局のメーリングリストに流していたわけです。


だからひとつひとつの公演の来場者数は、
一応なんとなく覚えていたんだけれど、
表にしてΣを押して合計出して、驚き。
便利とは決して言えない駅から離れた場所の、
特設の小さな劇場に、約30日の公演日数で、
お迎えしたお客さまの総数。
ちょっと、私的には予想外なまでに多かった。
ごく単純な足し算だけど、足し算の威力を感じたなあ。


表の作成は実行委員長に頼まれたもの。
追って横浜市に出す中間報告書ができあがる。
ソルトの公演が千秋楽を迎えたあとに最終報告。
公式の動員数発表はたぶんその後。
一介の事務員にフライング発表はできないから、
いまここに数を記すことはできないが、
運営スタッフの一員として喜ばしい数字。
ひとりひとりのお客さまにとても感謝することとは別に、
まとまった数字というのも嬉しいものだ。


来場者のデータが欠けている日がある。
台風20号に見舞われたとき。
コンテナ劇場からZAIMに会場を移して行なった7daysの5日目は、
移動に尽力した大西一郎事務局長がびしょ濡れで、
携えてたメモもびしょ濡れで、
概数でしかわからない。
公演中止になった10月27日の『家』は、「/」としか記せない。


もちろん本当なら、それはあってはならないこと。
特に公演中止はついては、真に申し訳なく思っている。
ただ、演劇は神事から発生しているから、
神事やお祭りは天候に影響されるものだから、
なんとなくね、
「概数」や「/」が、
型通りの完成を志向しないこのフリンジフェスティバルに、
ひとつ似合いのような心持ちもして、
表を愛おしく眺めている。



                 記:国松里香


2007年11月17日

ご感想をいただきました

ハンドルネーム「スーパーボランティア2」氏より、
studio salt『職員会議』初日の感想をいただいた。
劇場設営保守のみならず、ブログのネタにもご協力くださり、
誠にありがとうございます。

彼の目に映った舞台は以下。ソルトは初見。



<「HN:スーパーボランティア2「職員会議」11月15日ご観劇>

横浜フリンジフェスティバルもいよいよ最終公演かぁ。
と言う事で「職員会議」初日観て来ました。

なんか、コメディつーことだったんだけど、今イチ笑えん・・。
いや、小ネタつーか、笑い所は随所にあんのよ、
だけど勢いつーか、ノリ?が笑わせよう、って言うそれと、
なんか違うのよ

なんでこういうシーンで、敢えてテンション上げないかなー。
テンションって張力じゃん、
こっちは、こういう流れだと、笑い所だな、って思って、
“笑うスイッチ”のヒモ引っ張る準備してんのに、
その先の舞台側が、ここっ!てトコでリリースしちゃう
んだもんなー。
「おおいっ!」ってツッコミそうになったよ。

そんなんの積み重ねで芝居は進み、そして終わった・・

ただ、ずっとそうだから、どれかがうけて、
どれかがすべった、って言うワケじゃない。
全体として、芯は通ってんだよな。

正直、なんかもったいない気がするよ。
だってキャラは立ってっし、そこそこの小ネタは、
膨らましようによっちゃ、ドッカンいくよぉ(笑)
でも、そーすっとコントになっちゃうか。

そういや、なんかメチャメチャ客層広かったから、
こんな味付けで丁度いいっちゃあ、いいのかもな。
だって塩味は料理の基本だからさ。

でーもー、プレーンソルトより、ちょっとピリッと
塩コショウ味がオレの好みだな
ま、個人的には一人、異国の妖しいスパイス的な
反則キャラがいて、スゲーツボったけどね(笑)

あ、そう考えると、なんだかんだ言って、結局、
単純塩味じゃなくて、なんだか変わった風味の芝居
だったかもな。

                 (以上)



初日は「なんか固かったね、やっぱみんな」
ということで、もう1回観に来てくださるつもりらしい。
ありがとうございます本当に。


大学時代は演劇をやっていたというスーパーボランティア2氏。
だかそれ以降は縁はない。
昨年あたりから一般の客として、チラシだけを頼りに当日券で、
小さな劇場に足を運んでいた人だ。
彼にとって、自分のよく知る人間が立つ舞台は、
大学時代以来これが初めてだっただろう。


知っている人間が作っていてもいなくても、
好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、
感動するものはする、しないものはしない、
いいものはいい、よさがわからないものはわからない。
自分の感性は作り手には決して左右されず、
眼前の舞台のみに作用を受ける。
でも、その舞台への親和感は確実に生まれると、
彼と同じく、これまで知り合いなしに観劇をしてきた
私は思う。


公演2日目に、『職員会議』は回り始めたと聞く。
25日まで、ソルトの会話劇は日毎に味を深めてゆく。
フェスティバル最終公演。
相鉄本多劇場に、是非ご来場を。


                  記:国松里香

**観劇ブログ『休むににたり』に速報記事があります。

職員会議:メルマガ・インタビュー

相鉄本多劇場で上演中の、
劇団 studio salt (スタジオ ソルト)の『職員会議』。
フリンジフェスティバル・メールマガジン最新号より、
作・演出の椎名泉水さんのインタビューをご紹介します。
レビューや劇評とは全く趣きが異なりますので、
ご観劇の前でも後でもお楽しみいただけます。



11日間にわたる公演を横浜で打つstudio salt。
2004年の旗揚げから、着実に動員数を増やしてきました。
ソルトのホームページには、こんな文章が載っています。

「studio saltは、日々生きていく中でやり過ごしている
日常の苦味を含んだ様々な感情や、その変化を軸に、
敢えて説明を排した脚本と繊細な演出で、温度の低い
独自な世界を表現するとともに、役者の個性を生かした、
誠実で丁寧な芝居創りを目指しています」。

このような世界を、作・演出の椎名泉水さんは
なぜ表現しようとするのか、どのように作っているのか。
その一端を読み解くインタビューです。


なお、この最新号も含め、
配信済みのメールマガジンは、
HPのバックナンバー・コーナー
すべてお読みいただけます。



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(長文のため、折り畳んでの掲載。
全文をご覧になる場合は“続きを読む”をクリックしてください)



■椎名泉水インタビュー■

◇初めての戯曲まで

椎名泉水氏は、劇団studio salt(スタジオ ソルト)の座付
き作家。2004年5月の同劇団第1回公演から、現在上演中
の第8回公演『職員会議』まで、すべての作品の脚本を担当
している。演出にも才があり、8作中6作を手がけている他、
横濱リーディングコレクションでは福田恆存、太宰治、宮沢
賢治の作品を、それぞれ全く異なった形で魅力的に見せた。
だが彼女は、演劇の世界の大半を占める、20代前半から芝
居に関わってきた人ではない。劇作・演出家としては遅い出
発だった。

「(ソルトで書き始める)10年くらい前ですかね、主宰の麻
生(ソルト主宰の麻生0児氏)と知り合いだったんです。そ
のとき麻生は横浜のアマチュア劇団の役者で、そのチケット
を無理矢理買わされて、いやいや行ったっていうのが(芝居
を観た)最初ですね」。
主宰であり俳優の麻生氏、作・演出の椎名氏。studio saltを
牽引するふたりは、演劇とは全く関わりない仕事で知り合っ
た。
「それからカクスコを立ち見で観に行って、ああ面白いなと
思って。その後ですね、自分でチケットを取って観に行くよ
うになったのは」。
そして挙げた作品名は、つかこうへいの『熱海殺人事件』、
青年団の『ソウル市民』、NODA MAP作品、シアターコクー
ンの蜷川芝居。押さえるべきところは押さえた観劇だ。
「ソルトに入る前までは、演劇ファンって感じでしたね。お
芝居を始めてからは、お付き合いの観劇っていうのがありま
すから、好き嫌いなく行ってます。けれど前は自分の好きな
ものしか行ってなかった。好きな劇団はそのときによって変
わるんだけど、青年団はやっぱり好きでよく見てました。野
田さんも、観始めるの遅かったんですけど、ゲリラ的な公演
でも必ずチケット取って行くみたいな感じで、かなり観てま
した」。
青年団と野田作品はタイプが異なるが、どちらも好きだと彼
女は言う。
「ひとりのお客さんとしては行きたい芝居です。自分がやり
たいとは思わない芝居なんですけど」

10年のあいだ演劇ファンだった椎名氏。10年目にして突然
に戯曲を書くことになる。そのきっかけは1本の小説だった。
彼女は特に発表することもなく小説を書いていたのだが、中
の1本が賞を取り、新聞に全文が掲載された。
「ちっちゃい賞だったんですけど、それを読んだ麻生が、“見
たよー”って言ってきて。たまたまそのとき、麻生はアマチ
ュア劇団をやめて、自分で劇団を作ろうとしていたんですね。
で、“旗揚げしてオリジナルの作品をやりたいから、あの小
説みたいなテイストのものを書いてほしいんだけど”って言
われたんですよ」
新聞の小説を読んだ麻生氏の、驚きと喜びはどんなだったか。
10年前から知っている友達が、自分の演劇上のパートナー
になる才能の持ち主だったのだ。
「でも私も初めて戯曲を書いたわけだから、初稿はかなりひ
どくって。舞台の本なら、いろいろ面白いことやらかしちゃ
ったほうがいいのかな、と思ってしまったんですよ。別役実
さんのコント風の戯曲集が面白かったので、こういうのやろ
うかなあと思ってしまった。そしたら、“こういうテイスト
でとお願いしたのに全然違うものになってる”って。で、ど
うする?って訊かれたんですよ。“これをベースに俺たちが
やりやすいように直してもいいけど、作家としてそれはどう
なの?いいの?”って。それは“はい”とは言えないでしょ
う? 1週間くらい泣きながら直して」。
そして作られた『父の骨』が、studio saltの旗揚げ公演とな
った。

◇ありえると思える芝居

同作品のときは、脚本を書いただけで、稽古場にはたまに遊
びに行く程度だったという。しかし次作『蟷螂』では演出に
立つ。
「私は演出は苦手ですね、若干」
と彼女は言うが、2006年5月の『トントコトン』でネオゼ
ネレイター・プロジェクトの大西一郎氏に任せた以外、すべ
ての作品を演出している。

studio saltは、芝居巧者はいないと評されることもある。け
れどその世界は多くの観客を招き入れている。巧者がいない
からこそ作品が説得力を持つのだという評もある。
「私自身、うまい役者さんが魅力的だとは思っていないんで
す。舞台上で行なわれていることを、たとえば自分が信じた
いと思うときには、“そういう人いるよね”とまず共感した
い。だから、いないかもしれない人物を、うまく演じてもら
うことに興味はなくて。どこにでもいそうな人をリアルに表
現してほしい。そういうものを観たいと自分自身が思うの
で」。
特殊な人物ではなく、どこにでもいそうな人たちを描くのが
椎名作品だ。
「キワキワであってもいいのかなと思うこともあるんですけ
ど、でも観たときに、“ありえる”と思えるようなものを作
りたい。そういう思いはあるんです。作り物を作り物として
楽しむエンタメってあるじゃないですか。観るのはいいんで
すけど、自分でやりたいとは思わない。役者さんも、そうい
うことには興味がない人が集まっているっていうか。特に今
回出演しているソルトメンバー4人は、麻生以外、うちの芝
居を観て劇団に入って来た人。こういう芝居をやりたいとい
う役者さんです」。
椎名氏は、舞台という虚構の中で語られる話を、信じたいの
だという。
「お客さんとして行ったとき、信じられないお話をお話とし
て楽しめないんです、私は。お話を楽しんでもらうために、
その世界を信じられるような作りにしたい」。

彼女の作品の登場人物は、類型的だと言われることもある。
それが観客の共感を高めるという文脈に於いてだ。
「自分ではそう意識してないんですよね。ただ、書くときに
気をつけているのは、特別な名前はつけないということです。
私は名前にうるさくって(笑)、名前決めるのがいつも一番
大変。この役者の演じるこの役が、どうしてこの名前なのか
っていうことは、いつも大事にしていますね。とんでもない
名前って付けないんですよ。ユウコとかミキとか、キャラク
ターにあっていて、隣にも同じ名前の人がいるような、そう
いう名前を付ける。じゃあ芝居のなかでその人が、なんでも
ない人なのかっていうと、特別の人なんだけど」。
彼女の作品は、テンションは高くない。ユウコやミキという
名がふさわしい世界だ。
「どこにでもあって、すごく身近なんだけど、でもね、改め
て舞台に上げてもらって、初めて“ある”っていうものがね
…、そういうものがあると思うんです」
と黒いニットの帽子をかぶった椎名氏は言った。童顔で年齢
よりずっと若く見える人だ。

**記事はまだまだ続きます。全文をお読みになる場合は、
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2007年11月16日

シンポジウムのご案内


来たる11月19日、
第1回横浜フリンジフェスティバルを総括し、
横浜の現状と展望を語るシンポジウムが開かれます。


シンポジウム
『横浜を拠点に活動する その得と損と可能性』
○11月19日(月)19:00〜 相鉄本多劇場
○佃典彦(B級遊撃隊)、大橋泰彦(離風霊船)、
 椎名泉水(studio salt)、麻生0児(同)、
 大西一郎(ネオゼネレイター・プロジェクト)、
 嶋惠子(相鉄本多劇場)
 司会=丸尾聡(オフィスプロジェクトM)
○入場料=1,000円
 saltチケットご購入の方、共通チケットをお持ちの方は
 入場無料(チケットをお持ちの方もご予約をお願い致し
 ます)。
○予約・お問い合わせは劇団studio saltまで。
 電話080-5646-6651(ソルト制作直通)
 メール info@studiosalt.net
○お問い合せはフェスティバル事務局でも承ります。
 電話:045-662-5068
 メール:office@prokana.com



その概要について、
フェスティバル副実行委員長であり、
シンポジウムの司会を務める丸尾聡氏にミニインタビュー。
本日配信のメールマガジン第7号に掲載しましたが、
興味をお持ちの方の検索に備えてブログにも。

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◇横浜を語るにふさわしいパネラー

フェスティバルではこれまでにも、トーク系の催しを行なっ
てきた。アフタートーク1回、トークショー1回、シンポジ
ウム1回。19日のシンポジウムがその掉尾となる。タイト
ルは、『横浜を拠点に活動する その得と損と可能性』。

「敢えて僕たちは、横浜という場所でフェスティバルをやっ
たわけです」。
横浜は、“敢えて”という副詞が使われる場所なのだ。
「横浜は東京に近い。隣だよね。弘前や新潟なら独自の活動
があり文化があるわけだけど、横浜には対東京という問題が
常にある。実際パイは東京のほうが圧倒的に大きい。でもも
しかすると、実は横浜も、潜在的なパイの大きさでは負けな
いんじゃないか。横浜でやるから面白いってことが、もしか
したらあるんじゃないか。そういう可能性を探っていきた
い」。

横浜の人はごく普通に東京に演劇を観に行く。ということは、
逆に東京の人が横浜に演劇を、普通に観に行くことも可能な
のだ。そういう意味では、潜在的なパイの数は東京に引けを
取らないと言える。だが現実には、東京の人はなかなか横浜
に足を運ばないでいる。
「横浜を拠点にしている劇団の規模が小さい。魅力的な発信
が少ない。それが理由でしょう。神奈川はアマチュア劇団が
盛んで根強い。それはそれでひとついいこと。いいことなん
だけど、アマチュアの方向に流れて行って、いわゆる60年
代小劇場からの流れの中にある、オリジナルな作品を自分た
ちで作るという発信の力が、横浜・神奈川ではまだ弱いんだ
よ」
東京に住む人間から見れば、わざわざ横浜まで行かなくても、
もっと面白そうなものがもっと近い場所に溢れているわけだ。
東京から足を運ばせるには、東京で上演される作品以上の魅
力を、横浜の作品が備えていなければならない。

「芽はね、いっぱい出てきてるんですね。やるほうとしても、
東京じゃない場所でやる意味や意義が、あるんじゃないかと
思うんですね。だから今回のシンポジウムでは、実際に横浜
で活動している劇団、ソルトの麻生0児と椎名泉水。横浜未
来演劇人シアターを、自治体との協力で立ち上げた大西一郎。
民間の劇場で、しかもただの貸し小屋ではなく、演劇サロン
などの場を提供して横浜の演劇シーンを盛り上げようとして
いる、相鉄本多劇場の嶋惠子さん。フリンジフェスティバル
を横浜で仕掛けた大橋泰彦。あと、名古屋で活動していて、
横浜の未来シアターの顧問でもある佃典彦。この6人に、現
状と展望を語ってもらおうと思っているわけです」

◇より美味なパイを作り出すために

佃典彦氏は2006年度の岸田國士戯曲賞受賞作家。名古屋で
劇団『B級遊撃隊』の活動を20年間続けている。
「どういうふうにして劇団を維持し活動しているのか。自治
体とはどういう関係なのか。名古屋から東京に出る気はなか
ったのか、あるいは今ないのか。そういうことを聞きたい。
横浜と意味合いは少し違うけど、名古屋にも対東京の問題は
あるんだよ。名古屋は大都市。だから東京で成功した劇団は、
名古屋でも公演をすることが多い。名古屋も対東京を考えな
きゃいけない場所」。
佃氏は、横浜未来演劇人シアターを通して横浜との関わりも
ある。このシンポジウムのパネラーに最適の人だ。

『得と損』ということを、おそらく東京で活動する劇団やユ
ニットは考えない。しかし東京以外で活動するとき、それは
必ず付いて回る。
「得があり、損がある。どういう得でどういう損かは、シン
ポジウムで探りたい。例えば単純に、“食う”ことを考えれ
ば大変だよね。東京はバイトもたくさんあるし、売れれば“食
える”。地方では売れること自体が難しい。やっぱり東京以
外の場所で、3万人の動員なんてありえないでしょう」。
そういえば、地方で1万人の動員とも聞いたことはない。せ
いぜい5000。それでは生活を支えることはできない。

「東京はごった煮だけど、地方には独自のものがある。文化
とか風習とか言葉とか。そういうものを作品に入れ込むかど
うかは別として、切り離して考えることはできない。あと、
自治体とどう付き合っていくかという問題が、どうしても出
てくる」。
これらは損に傾くこともあれば、得にもなりえる条件だ。
「他にもいろいろ、東京との差異はある。でも、なにかうま
くできるんじゃないか。そういう感触がある。動員的にも作
品の深度の意味でも、東京にあるものよりもっと美味しいパ
イが(笑)、作れる気がするんだよね」。
最後のシンポジウム。第1回横浜フリンジフェスティバルの
総括を兼ねて、横浜の展望を語る。時間は約90分を予定。

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興味深い内容となりそうなシンポジウム。
皆様お誘い合わせのうえ、
相鉄本多劇場に是非お越しください。



                   記:国松里香


2007年11月15日

最後の“初日乾杯”を逃しました…


10月24日に、『初日乾杯』という記事を書いた。
やっぱ芝居の醍醐味は千秋楽よね♪
と観客精神を貫く私に、
「関係者はさ、初日なんだよ。
芝居ではね、関係者は初日なの」
と副実行委員長が教えてくれたという記事だ。


しかしフェスティバル最後の初日の15日、
私はまたも劇場に行かず、家の中にこもっていた。
だってメールマガジン書かなきゃいけなかったんだもん。
メールマガジンも第7号まで来たけれど、
速やかに書けるようにはならないなあ。


“初日乾杯”は実ににぎにぎしかったそうで、
私も是非、その場に加わりたかったものだけど、
現実は耳にイヤホン、
聞こえ来るのは椎名泉水さんのまろやかな声と、
比較するとどうにも潤いないわたくしの声だけだった。
でもいいや。
いずいず(酔席の椎名さんの一人称単数。
もしかしたら表記は“いづいづ”かもしれない。
ちなみに彼女はそのとき、私を“りかちん”と呼ぶ)、
初日おめでとうございましたー! チアーズ!
その日に私ほどいずいずのことだけ考えてた人は、
世界にいないよ。


公式のメルマガ(という略し方が、実は私は好きではない)
のわりに、恐ろしいほど自由にやらせてもらっていて、
誰にいつどこでどういう話を聞いて、
どういうストーリーとスタイルと分量(長いってば)で書くか、
ほぼ完全にまかせていただいている。
ありがたいことです。
そして取材を申し込んだ方々は、
ひとり残らず親切にお話くださった。
ありがたすぎることです。


メールマガジン(略したくないんだ)は情報を主体とし、
読み物記事はWeb連動でやるべきではなかったかとか、
いろいろと思うところもあるけれど、
あと1号、重厚長大路線を貫きます。


『職員会議』は19日に観る予定。
25日の千秋楽にも行き、
打ち上げでは初日の分まで乾杯したい。




                   記:国松里香




2007年11月13日

フェスティバル最終公演

10月15日(木)、studio salt『職員会議』が開幕する。
第1回横浜フリンジフェスティバルのラスト公演。
相鉄本多劇場での11日間15ステージは10月25日(日)まで。
作・演出は椎名泉水氏。



〜 校長!知部戸祭ですよ?知部戸祭。
 僕らは知部戸祭に一年間の教師生活全て、
 命かけてるんですからっ 〜

某地方都市、最寄り駅から徒歩20分の高台にある
「知部戸中学校」。ここへ配属される事は、その後の
出世を絶たれたも同然と教師達から怖れられている。
他校ではまともに受け入れられない雑多な教師達よる
「第37回知部戸体育祭について」の会議が始まる─。

オリジナルメンバー4人、客演7人、
当日ゲストは11日間で11人。
多彩な顔ぶれも魅力的な、濃いめの味のソルト的コメディ。





studio saltのメンバーとその知り合いの方々は、
自分たちが公演を行なわないにもかかわらず、
コンテナ劇場の設営と保守に力を注いでくれた。

演出の椎名泉水氏は、素面のときの生真面目さと、
アルコール摂取時の愉快な壊れ方との差が
面白くも激しい人なのだが、
飲んでいないときはもちろんのこと、
きっと記憶ありませんよねという状態のときにすら、
コンテナに時間を割く本番前の劇団員の体調を、
ことあるごとに心配していた。
もちろん、劇団員にコンテナ保守を頼んでくれたのは、
他ならぬ彼女と麻生氏。

Bay Side コンテナ劇場全公演がなんとか無事に終了したいま、
そこで公演した全参加団体に代わり、
saltにお礼と応援とを申し上げたい。
ありがとう。充実した公演になりますよう。



5月公演『7』は、11ステージで1000人以上の観客を迎えた。
横浜で活動を続け、横浜の演劇シーンで随一の動員力を誇る
studio saltは、フェスティバルの掉尾を飾るにふさわしい。
劇団主宰の麻生0児氏は、手売りで300枚近くのチケットを売る。
劇団員もひとり100枚は手売りする。
横浜に根付いた劇団だ。
加えて『7』では、東京からのフリーの観客が目覚ましく
増えたという。
躍進中の劇団スタジオ ソルトの芝居を観に、
相鉄本多劇場に是非。
横浜駅みなみ西口から徒歩5分。相鉄ムービル3階。
お運びください。



                   記:国松里香

2007年11月12日

戯曲セミナー

初めて稽古場というものに行ったのは、今年の5月だった。
フェスティバルと無関係で申し訳ないが、
三浦剛という友人が主宰する演劇ユニット“G.com”の、
“金の卵1960ーあすなろうー”の稽古を見学したのだ。
三浦さんは「ひらけた稽古場」なる企画を掲げ、
HPで日程や場所を公開し、
見学希望者を広く受け入れている。


日本劇作家協会主催の昨年度の“戯曲セミナー”で、
三浦さんとは知り合った。
2001年から開催されているこのセミナーは、
昨年からシステムが大きく変わり、
劇作家を目指すひとはもちろんのこと、一般の演劇ファンも
受講できるようになっている。
三浦さんは戯曲を書く人として、私は一般ファンとしての
参加だった。


彼の“ひらけた稽古場”の見学者の中心は、
戯曲セミナーの受講生たち。
なかのひとり、水牛健太郎さんは、“金の卵1960”のチラシに
推薦文を書き、
さらにひとり、岡田久早雄さんは、公演冊子にスタッフとして
名を連ねるまでになっている。
ふたりともおじさんなのに。
でも、演劇と関わりない日々を長年送ってきたおじさん
だからこそ、稽古場の空気で呼吸することに喜びを感じる、
その気持ちはよくわかる。


フリンジフェスティバルの7daysにも登場した“チャリT企画”。
主宰である楢原拓さんも同期生のひとり。
彼が作・演出をし、昨年度の王子小劇場優秀脚本賞を受賞した
“アベベのべ”は、セミナーの平田オリザ講師が出した課題を
きっかけに生まれたものだ。

フェスティバル・ボランティアとして、誘導や場内案内に
協力してくれたばかりか、コンテナ劇場に泊まり込んでも
くれた岩田和佳奈さん。
彼女も昨年の受講生。
セミナー講師であり、フェス副実行委員長でもある丸尾聡氏が
代表の“世の中と演劇するオフィスプロジェクトM”で、
2作連続で演出助手に入っている。
セミナーで提出した戯曲の講評担当者が、丸尾氏だったと
いう縁だ。


私が事務局スタッフとなった理由も、
元を辿れば戯曲セミナーにある。
同じくスタッフである杉山さんが、
プロかな主催の演劇塾“P'pac”に通ったことをきっかけに、
事務局の一員となったように。


戯曲セミナーは月3回、10ヶ月にわたって開かれ、
当初50人近かった受講生は、最終的には半数ほどに減っていた。
けれど最後まで通い続けた生徒はみな、受講してよかったと
言っていた。
10ヶ月が終わり、よりよい書き手、よりよい観客に成長し、
けれど生活自体は前と同じに戻った人ももちろん多い。
だが、それまで全く縁のなかった場所で、
決して過ごしたことのない時間を送っている人もいる。
岡田さんのように岩田さんのように私のように。
水牛さんに至っては、いまやシアターアーツ誌に
定期的に劇評を載せる、立派な演劇評論家だ。


メールマガジンの取材で、いくつもの稽古場に行った。
高木達氏演出の『横浜市街戦』。
川崎市鹿島田の、京浜協同劇団の稽古場。
田辺久弥氏演出の『トゥーランドット』。
横浜市中区日本大通りの、ZAIM別館402。
寺十吾氏演出の『市電うどん』
同じくZAIM。別館401。


出演者はどの演目も若かったが、演出家はプロフェッショナル。
その名にひかれてチケットを買う演劇ファンも多い人たち。
興味深く面白く、夢中で稽古を見詰めながら、
私にとっての稽古場のデフォルトは、
演出家として名前が出るのはこれからの、
三浦さんのそれであることに気が付いた。
彼の稽古をやはり興味深く見た帰り、
「すっごく面白かった! 稽古というもの自体がすっごく!」
と告げた、その昂揚の記憶が、取材で稽古場に向かう足取りを
いつも軽くさせていたのだ。


たかが戯曲セミナー。たかがP'pac。かもしれない。
けれどそこは、様々な可能性と、多くのきっかけだらけ
なんだなあ、しみじみとまじで。


演劇創造プロジェクト神奈川主催、
プロかな・パフォーミングアーツ・コミュニティ “P'pac”。
詳細は間もなく発表の予定。




                   記:国松里香






2007年11月10日

ラズベリーレッド

しまった。
虚脱して更新を怠ってしまった。
公式ブログにあるまじき。


虚脱の主たる原因は、
会場案内電話業務がなくなったこと。
Bay Side コンテナ劇場の開演時刻が近付くと、
ラズベリーレッドの専用携帯を肌身離さず、
ものすごく構えておりました。


丁度開演時刻あたりに電話をかけてくる方は、
当然ながら皆さま平常心ではない。
泣きそうだったり苛立っていたり、
全速力で走っていたり。
私の電話応対の丁寧さには、
かねてより定評があったのですが(ほんとだってば)、
緊急の道案内の場合は、丁寧であるより
相手の語彙と気持ちに呼応する話し方であるほうが、
ずっと落ち着いて歩いていただけると学びました、
リアルに。


その電話を切るや劇場受付担当者に電話をかけて、
「いま赤レンガ2号館だそうです」
などと報告すると仕事は終わり。
劇場のほうはそれからも大変なわけだけど。


私にとっては、
開演時刻を気にしなくてよくなったことが、
Bay Side コンテナ劇場がなくなったということだ。
ラズベリーレッドの専用携帯は未だに手元にあるけれど、
けたたましく鳴り響くことはない。
着信音はいつも最大だったのに、
ここ2〜3日はマナーモードに切り替えている時間も長い。


でもまだ癖で、外出時には専用携帯と個人携帯、
2つを必ず持っている。
提携公演が終わったら、専用携帯はプロかなに返却。
バッグの中に、携帯が2つあるか確かめる必要がなくなったら、
そのときにもまた虚脱しそうな気がします。


*会場変更をご存じなく、青テント予定地に向かった
お客さまのために、Bay Side コンテナ劇場での公演は、
基本的に10分遅れの開演とさせていただきました。
定刻にお席にお着きの方々にはご迷惑をおかけ致しました。
皆様のご協力に感謝致します。




                   記:国松里香