2012年02月20日
閑話休題のビジネス英語(30) (PF413)
• "immune"という形容詞は、「....に対して免疫がある」という意味である。"I am immune to chicken pox because I had it when I was young"「水ぼうそうは若いときに罹ったので免疫がある」 という要領で使用する。しかし、"immune"は原義に基づきながらも比喩的に用いられることも少なくない。"We are not immune to the difficult and uncertain operating environment"「我々は困難で不確かな事業環境に無縁でいられない」というような使用例はその例である。また、"I am not immune to that sort of failure"「そういう失敗は他人事ではない」という例もある。比喩的に用いられるとき、"immune"は"not"を伴って否定文で使用されることが多い。• "panacea"という単語は「万能薬」(cure-allという言い方もある)という意味であるが、アクセントは最終音節にある。こういう単語は曲者である。ファイナンス雑誌にこういう表現があった。"ECA support would appear to be panacea for all projects"「輸出信用機関はあらゆるプロジェクトの万能薬のようである」。
これは、欧州系銀行が欧州危機のため昨今貸し出しを絞っているので市場での資金供給量が減少している現状を背景に踏まえ、ECA(輸出信用機関)の役割が相対的に重要になってきたことを指摘した文章である。英和辞書には"panacea"は可算名詞であるとか、通例否定文で使われる、と解説されている(ジーニアス英和辞典第4版-大修館書店)。しかし、この文例では"panacea"を不可算名詞扱いにしている。また、否定文でもない。言葉は生きているので、その生きている姿をよく見る必要があるという例でもある。
• "double whammy"という慣用句は面白い表現である。"whammy"は悪魔の目、縁起の悪いものを指す。これが二つ重なるとどうなるのか。
いまプロジェクトファイナンス市場では欧州系銀行が資金の供給量を抑えているので、市場に資金の供給が足りない。一方、プロジェクトの規模は大型化が進んでいる。つまり、資金の需要は増えている。資金の供給が減り、需要が伸びている。こういう状態を日本語では「ダブルパンチ」、「股裂き状態」、「泣きっ面に蜂」、「二重苦」などと言うであろう。"double whammy"はまさに「ダブルパンチ」、「股裂き状態」、「泣きっ面に蜂」、「二重苦」などの意味である。実際の文例には次のようなものが見られた。
"While there is less supply, there is greater demand with a long list of very large projects coming up. It is a bit of a double whammy"
ここで"double whammy"が可算名詞の扱いとなっている点にも留意したい。余談だが、日本企業のおかれた最近の経営環境を評して、日本語で「六重苦」とも言われる。「苦」を数え始めたら、キリがない。
2012年02月06日
寝食の如く読む (PF412)
日々の生活にリズムを持つことは非常に重要である。筆者はペットを飼っていないが、犬を長く飼っている知り合い曰く、毎日決まった時間になると犬は散歩に出かけることを強く望むという。飼い主が散歩の時間をうっかり失念していると、犬の方から飼い主に催促に来る。生物の持つ生活のリズムは侮れない。人間は腕時計を持ち、分刻みで時刻を知ることができる。また最近は便利な携帯端末も携行し、インターネットを通じて様々な情報を瞬時に入手することもできる。しかし、時計も携帯端末も、我々人間が生活リズムを維持する上でどれほどの寄与をしているのか甚だ疑わしい。もちろん、時計や携帯端末が原因ではない。ましてや、その機能が不足しているからでもない。そもそも、我々の側に、規則正しい生活リズムを尊重したいという強い意思があるかどうかである。かつて成人病と呼称されたさまざまな疾患が、いまは生活習慣病と呼ばれるようになった。名は体を現す。生活習慣病という病名は名案である。つまり、中高年が罹りやすい病気は生活習慣に根ざすものが多いということである。医療界の方々は病名の命名に随分知恵を働かすと聞く。なぜなら、病名が人口に膾炙したとき、その病気の内容や原因が的確に表現されていると、自ずと予防や治療に益することが多いからである。
生活リズムあるいは生活習慣 - この重要性をここで論ずるのは、なにも病に罹らないため、だけではない。病気に罹ることなく健康な心身を保つのは、言うまでも無く、すべての大前提である。ビジネスに執心するにせよ、趣味に興ずるにせよ、家族と楽しく過ごすにせよ、健康な心身がなければできない。ビジネスで大いに成果を出すためにも、頑強な心身を保ちたい。
昨年大学生になった娘に真っ先にアドバイスしたのも、このことである。娘は大学でやりたいことがあって進学した。ならば、まず自分の生活リズム、生活習慣を確立しなさいと。起床時間、就床時間を一定の時間帯の範囲に収めるようにし、7時間以上の睡眠時間を毎日しっかり確保する。食事もほぼ決まった時間に毎日三食必ず摂り、過食せず、野菜を中心とする。こうして心身を強くしないと、4年間を充実させることはできないと。
もっとも、筆者にも覚えがあるが、若い頃は多少の無理が利くものである。従って、大学生に規律正しい生活習慣を説くのは過度かもしれない。むしろ、大学生に説いているようで、本当は自分自身に言い聞かせていたというのが真相と言ってもいい。大学生の子供を持つような年代になると、心身の健康に留意せずにはいられない。これが本音である。
だから、寝食を忘れて本を読む、なんていう芸当はもうちょっとシンドイ。時間を忘れて本に没頭するような状態は至福な時間である。今でも憧れるが、寝食を忘れる訳にはいかない。生活リズムや生活習慣を重要視する立場からは、本を読むのもまた生活の一部とするのが理想である。読まない日はないというように。そういう意味では、「寝食を忘れて」ではなく、「寝食の如く」読む。
2012年01月30日
多読・通読・濫読(35) (PF411)
• 橘玲氏の著書を初めて読んだときの衝撃はいまでもよく覚えている。金融、経済、資産運用、税務などに対する知見の豊かさもさることながら、その独特の表現力に魅力を感じた。近著『大震災の後で人生について語るということ』(講談社。2011年7月)も迷わず読んだ。4つの神話つまり「不動産神話」「会社神話」「円神話」「国家神話」を俎上に挙げ、これらがどうして神話だったのかを諭している点は溜飲を下げる。不動産神話はもはや旧聞に属する。会社神話はまだ崩れ去ってはいないが、他に手段なく会社にしがみついている中高年の会社員は少なくない。円神話はともかく、国家神話も早晩崩壊する可能性がある。現在進行している欧州危機を見れば、対岸の火事では済まされない。
「資本主義とは複利とレバレッジによってバランスシートを拡張してゆく運動のこと」(p37)というような表現は著者特有のものである。「生命保険は不幸なこと(死亡)が起こると賞金(保険金)を受け取れる『不幸の宝くじ』」(p96)という表現は既に外国の経済学者が使用したものだと記憶しているが、これを巧みに著書で採り上げる。
労働基準法が3年を超える有期雇用契約を禁止しているため、派遣労働者は3年で雇い止めされる現実や消費者金融で上限金利を厳しく規制したために消費者金融業界が壊滅し、その結果これまで消費者金融を利用していた中小企業や個人が資金調達に困窮する現実がある。こういう現状を「地獄への道は善意で敷き詰められている」という諺で見事に表現している。
著者の視座はやや斜に構えたところがあるが、金融・経済の実態を快刀乱麻の如く切ってみせるところが魅力である。
• 『次世代インターネットの経済学』(岩波新書。2011年)の著者依田高典氏は京都大学大学院の教授である。約10年前(2001年)在外研究でイギリスに行ったときには電力改革の経済学を研究するつもりだった。しかし、英国と日本の電力改革の進展度合いの彼我の差を思い知り、情報通信に関する経済学に研究対象を変更した。
福島原発の事故を機に、日本でも電力事業の大規模な改革が再び議論されている。送配電事業の分離・中立化は電力事業の競争を促すために避けては通れない道である。もっとも、この10年間にインターネットやスマートフォンを含む情報通信産業の発展は瞠目するほど著しい。依田氏の選択は正しかった。
情報通信産業の経済学的な特徴は少なくとも2つある。それは「規模の経済性」と「ネットワーク効果」である。電話線や交換機、光ファイバーやサーバーなど設備費用は莫大である。固定費は大きいが、運営費は小さい。従って、利用者が増えれば増えるほど、一利用者当たりのコストは減少してゆく。これはまさしく「規模の経済性」である。また、ネットワーク内の利用者が多ければ多いほど、利用者にとって便益が大きくなる。これが「ネットワーク効果」である。
グーグルが創業した頃、一体どうやって売上を上げ収益を生むのか疑問視した評論家がいた。グーグルが開発した検索エンジンの性能は優れていたが、グーグルはこの検索エンジンを無料で公開したからである。いまグーグルは検索エンジンのほか、gmail, 写真用ソフトウエアPicasa, YouTubeなどさまざまなサービスを無料で提供し、世界中で多くの訪問者を同社のサイトに惹きつけている。そして、収入は検索連動型広告で企業から確保している。一方で無料の顧客を、他方で有料の顧客を持つ。2種類の顧客市場を共通のプラットフォームで繋ぐビジネスである。これを「両面市場」(two-sided market)という。
本書は情報通信経済学に関する著者初めての入門書である。著者は「私には、あることないこと、面白おかしく書く芸当はない。」と謙遜する一方で、「ブロードバンドの未来を知る一番の方法は、起こったことをそのまま見つめることである。そこにマジックはない。」と言い切っている。そういう本書が面白くないはずがない。
2012年01月16日
本人確認資料としての健康保険証 (PF410)
金融機関に口座を新規開設する際には、本人を確認する資料の提示(その写しの提出)が求められる。本人確認資料には運転免許証、パスポート、健康保険証などが該当する。いずれも公的な機関が発行するもので、運転免許証とパスポートには本人の写真も貼付されている。写真もあれば、本人確認資料としては万全である。一方、健康保険証には写真がない。本人の写真が貼付されていないと、本人確認資料としての要件を満たさないのではないかと以前から訝っていた。健康保険証の提示を受けた際に、本人の写真がなければ、その場でどうやって本人であることに確証を持てるのだろうか。金融機関はマネーロンダリング等犯罪防止の観点から、新規口座開設の際に本人確認を行っている。本人確認の作業のことをKYC(Know Your Customer)と言う。「空気が読めない」のKYとは何の関係もない。全国銀行協会も本人確認資料として健康保険証をその一つに認めている。しかし、既述のように、写真が貼付されていないという点で運転免許証やパスポートに比べて、本人確認資料としての有効性は一段劣ると言わざるを得ない。
オウム真理教元幹部平田信容疑者を17年にも亘ってかくまっていたとして斎藤明美容疑者が逮捕された。逮捕されて分かったことが、斎藤明美容疑者は「吉川祥子」の偽名で健康保険証を取得していたことである。そして、その健康保険証を使って銀行口座を開設していた。10年余勤務した整骨院では、採用の際に十分に本人確認をしていなかったという。本人が作成し持参した履歴書だけで手続きをしていたという。また、健康保険証を発行した全国健康保険協会は、本人確認の作業は雇用主が行うものと想定していると説明している(日本経済新聞2012年1月15日朝刊)。
吉川祥子こと斎藤明美容疑者は、採用時に本人確認資料を求められたら困惑していたであろう。採用されるのを諦め、その整骨院から黙って去って行ったに違いない。幸いにも自分が作成した履歴書だけで採用が行われ健康保険証が発行された。発行された健康保険証を手にして、吉川祥子に成れたことを実感したに違いない。
斎藤明美容疑者を責めるのが趣旨ではない。勤務先から支給される700円の昼食代で、昼食休みに最寄りのお弁当屋で二人分のお弁当を購入して自宅に戻る日々だったという記事を読んで、吉川祥子の生活も楽ではなかったことを知る。
欧米先進国の金融機関では、口座開設に当たって本人確認資料を2種類提示させるところもある。また、本人の写真が貼付してなければ本人確認資料としての要件を満たさないとしているところもある。金融犯罪防止のための施策は厳格を極める。現在の日本では、2種類の本人確認資料を提示させることも、写真付きの本人確認資料を求めることも、あまり現実的ではない。
斎藤明美容疑者の件で明らかになったことは、健康保険証の発行手続きにやや粗雑なところがあるという現実である。採用の際に本人確認を厳格に行っていない雇用主は他にもあろう。その一方で、健康保険証の本人確認資料としての地位は運転免許証やパスポート等と同等の地位が与えられているという現実である。
2012年01月10日
多読・通読・濫読(34) (PF409)
• 吉村昭の短編集『帽子』は大人の男女を描いた作品が並ぶ。表題作『帽子』は癌に冒された妻を看病する夫の話である。妻は帽子が好きだった。夫は妻の気に入るようなデザインの帽子を頻繁に買いに行く。帽子の販売店の店員が勧めてくれる帽子を買って帰る。店員から仕入れた帽子の知識を病床の妻に聞かせる。夫婦は若い頃ドライブが好きだった。衰弱した妻に新しい帽子をかぶせると、抱きかかえて車に乗せる。二人の最後のドライブである。また、短編集の中では『歩道橋』という作品も印象深い。若い女性が歩道橋に立っている。低学年の小学生の子供たちが学校から下校してくる。子供たちはこの歩道橋を渡る。女性は一度結婚し娘を一人産んだが、後日夫と離婚した。事情あって、子供は夫が引き取った。しかし、女性は夫が育てている娘を忘れることができない。学校からの帰路に娘に会おうとしているのである。
娘を見つけた女性は、しゃがみこんで娘の小さな肩に両手を添えて優しく話しかける。「香織ちゃん。会いたかった。お母さん、ここで学校から帰って来るのを待っていたのよ。今日で4度目なの。」
娘は女性の視線から目を逸らす。口も閉ざす。自分を捨てた実母に怒りを感じているのだろうか。他の父兄の目を気にして、女性は娘の肩から手を離す。娘はそこから再び歩き始めた。娘の後ろ姿はまもなく消えた。
吉村昭の短編集『帽子』は、夫婦とはなにか、家族とはなにかに考えを巡らしたいと思ったときに、一読をお勧めしたい作品集である。
• 先日(2011年12月)ヒグス(ヒッグス)粒子が発見された可能性が高いという新聞報道があった。発見されたと断言するにはもう少し検証を要するらしい。これは素粒子物理学の世界の話である。湯川秀樹氏、小柴昌俊氏、小林誠氏、益川敏英氏、南部陽一郎氏等々ノーベル物理学賞を受賞した日本人もこの分野での貢献が華々しい。
村山斉氏の『宇宙は何でできているのか - 素粒子物理学で解く宇宙の謎』(幻冬舎新書/2010年)は、この素粒子物理学の世界を分かり易く説明した啓蒙書である。素粒子は物質を作る最小単位の粒子である。原子も素粒子から成る。ビックバンによって宇宙が誕生した直後は原子にならない状態の素粒子が飛び交っていたと考えられている。素粒子物理学が宇宙と関連する所以である。ものすごく大きな宇宙とものすごく小さな素粒子。この二つの取り合わせが妙である。
大きな宇宙と小さな素粒子の関係は「ウロボロスの蛇」に譬える。ギリシャ神話の「ウロボロスの蛇」とは自分の尾を飲み込んでいる蛇のことで、古代ギリシャでは「世界の完全性」を示すシンボルと考えられていた。ウロボロスの尾が素粒子物理学とすると、原子物理学、化学、生物学、天文学等が続き、ウロボロスの口が宇宙論である。素粒子物理学の尾と宇宙論の口が繋がっているという訳である。
本書の魅力のひとつはこういう巧みな比喩である。他にも、
「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」
「私たちの体は超新星爆発の星くずでできている」
「神はサイコロを振るらしい」
などの文章が我々の知的好奇心を揺さぶって余りある。分子生物学者の福岡伸一氏が書いた『生物と無生物のあいだ』を初めて読んだときのことを思い出す。理系研究者の方が発揮する文章表現力に圧倒される。
2011年12月26日
東日本大震災ボランティア (PF408)
東日本大震災で被災した宮城県の港町で先日ボランティア活動をしてきた。同港町は仙台から鉄道で約2時間。宮城県の北部にある。石巻と気仙沼の間に位置した小さな港町である。日は海から昇る。その美しい景色は震災前と何も変わっていない。しかし、山間部の間に開けた平野部分は津波に襲われ、見渡す限り瓦礫が残るのみである。海岸線から数百メートル陸地にあった防災用の3階建ての建築物が、赤い鉄骨だけの姿を晒している。外壁が白い4階建ての大きな病院は、辛うじて建物の外観を残したが、内部は壊滅状態である。
ボランティア活動の初日の朝、宿泊先から地元のバスでボランティアセンターに向かう。平日だったので、バスは通学の高校生で一杯である。瓦礫しか残っていない一角でバスが止まる。高校生が皆下車する。なんでこんなところで高校生が下車するのかと訝っていると、事情通のボランテイアの人が、ここは震災前に鉄道の駅があった場所だという。バスはJRが鉄道の代わりに運行しているものである。震災後に土地を訪れた者には、かつてここに鉄道の駅舎が存在していたということが全く分からない。
ボランティア活動の初日は、港の敷地で土嚢作りを行った。参加者10数名余。黒い厚手のビニールでできた大きな袋に、小石を詰める。袋一杯になると、重量は40-50kg程度である。土嚢はホタテやワカメの養殖に使う。震災前周辺地域には6万個以上の土嚢があった。しかし、津波ですべて流されてしまった。スコップで小石を袋に入れる作業もなかなかの重労働だが、小石で一杯になった袋を所定の場所に移動するのはさらに重労働である。しかも、この日作業途中から雪が降り出した。一時は視界が数メートルに遮られるほどの吹雪に見舞われた。
このボランティア活動には女性のリーダーが居た。年齢30歳程度。小柄で快活な兵庫県出身の人である。震災後たびたび現地に入ってボランティア活動を行っていた。今年7月には思い切って会社を辞め、爾来現地に常駐している。奇特な人である。
察するに独身の方であろう。勤務先を辞職してボランティア活動に専念するという動機はどこから出てきたのだろう。今後の生活費はどのように賄うのだろうか。
昼食の時間にリーダーと雑談する機会があった。吉村昭の『三陸海岸大津波』を話題にしてみようとした。ところが、リーダーは吉村昭の『三陸海岸大津波』は知らないという。吉村昭という作家も知らないという。自分はノンフィクション作品を読まないとも言った。
ボランティア活動の二日目は、内部が壊滅状態になった4階建ての病院の建物の近くで瓦礫の清掃を行った。参加者は40名余。岐阜県から夜行バスでやってきた高校生の団体20数名も混じっている。この日最高気温セ氏3度。風も吹いており、昼間ではあっても、寒くて日陰に立っていることができない。申し合わせて、日向で作業を行うよう努めた。
大きな瓦礫は既に重機で排除されている。人海戦術で行うのは、小物の瓦礫を拾い分別することである。粉砕された生活用品の欠片が見える。病院の近隣なので、プラスチック製の診察カードが沢山出てきた。
帰路60代半ばの男性一人とバスで一緒になった。現役時代は上場企業のメーカーに勤務し、アフリカとロンドンで海外勤務を経験したことのある紳士である。「震災発生以来なんとかしてボランティアに参加しようと思っていたが、今般漸く実現した」と微笑んだ。この港町には東京からひとりでやってきた。この人も奇特な人である。
2011年12月19日
多読・通読・濫読(33) (PF407)
• 明治大学教授の齋藤孝氏は1960年生まれ。『声に出して読みたい日本語』などの著書で広く知られるようになった。本格的な出版活動は40歳になってからだという。その後の活躍は破竹の勢いで、子供向けの出版物も含め、多くの著作がある。その考え方や主張には共感することが多い。近著のひとつ『最強の人生時間術』(祥伝社新書)も興味深く読んだ。同氏は普段からストップウォッチを持ち歩いているという。時間を有効に使うための手段である。その徹底した姿勢に些か驚きを禁じえない。他人の時間を費消して気に留めない人を「時間どろぼう」とも称している。ストップウォッチを持参するのと「時間どろぼう」呼ばわりするのとは、発想の源は同じであろう。その考え方に深く同情する。
しかしながら、筆者はストップウォッチを持ち歩きたいと思ったことはない。時間は大切にして止まないが、ストップウォッチを使用しだすと時間に振り回されるような気がしてならない。人間が機械になってしまうような気がする。感覚的なことかもしれない。時間を大切にするということと、時間に振り回されるということとは、全く異なる。貴重な時間を大切にはするが、時間に振り回されたくはないと思っている。だから、自分にはストップウォッチは馴染まない。
もっとも、同書書名の「人生時間術」で提案していることは、「効率的時間術」と「ゆったり時間術」の両方を身につけ、これらをうまく使い分けることである。ストップウォッチを持ち歩くかどうかの判断も、「効率的時間術」を追求するのか「ゆったり時間術」を追求するのかによって、自ら判断すれば良いのだろう。著者もストップウォッチを持ち歩くべきだと勧めているわけではない。
• 中国に在る万里の長城は人工の建造物としては世界最大である。その巨大建造物ゆえに、古くから「宇宙から見える」とか「月から見える」と言われてきた。しかしながら、幅10メートル程度に過ぎない万里の長城は、人間の視覚では30キロメートル以上先からはとても見ることができない。
地球を周回する宇宙船やスペースシャトルの軌道は地球から約350キロメートル離れている。従って、地球の周回軌道から万里の長城を見ることはできない。ましてや、地球から38万キロメートル離れている月から地球上の建造物が見えるはずがない。
この長城神話の経緯を丁寧に辿ったのが武田雅哉氏の『万里の長城は月から見えるの?』(講談社。2011年10月)である。武田氏は1958年北海道生まれ、中国文化、文学、芸術を専門とする北海道大学教授である。同書によれば、万里の長城の存在は16世紀には当時の欧州に知られていたという。その巨大な大きさのため、さまざまな修辞が施されてきた。そして、19世紀から20世紀にかけて、「長城は宇宙から見える唯一の建造物」だとか「月からも見える人工建造物」などと欧州で報じられるようになった。
1969年にアポロが月に着陸した。アームストロング船長が後日「月から長城が見えた」と発言したとか。近年になって長城神話は中国国内で流行する。それは中国の成長・成功を信じる者の気持ちと表裏一体であろう。
2003年に中国初の有人宇宙飛行が成功する。「神舟」に乗船して地球を周回した中国人宇宙飛行士が帰国後、「長城は宇宙から見えなかった」と発言して、中国国内では物議を醸した。しかし、科学を尊重せずして国の成長はないとする中国指導者層は、「長城は宇宙から見えない」と断じた。
長城神話はどういう過程で生まれ発展し、そして神話がただの誇張表現だと理解されるようになったのか、本書は余すことなく教えてくれる。こういう経緯が事実であればあるほど、興味は尽きないものである。
2011年12月12日
多読・通読・濫読(32) (PF406)
• “Fracking”という英語がある。通常の英和辞典には載っていない。シェールガスを採掘するときに用いる「水圧破砕」のことを指す。正式には”Hydraulic Fracturing”という。米国では今世紀に入ってシェールガスの商業化が実現した。シェールガスとは頁岩に含まれる天然ガスで、その存在は知られていたが、これまで採掘費用が高く商業化を果たせなかった。それが、「水平坑井」という採掘技術と頁岩に割れ目を作る「水圧破砕」という技術とが相俟って、本格的な商業化をみた。つい数年前のことである。
7−8年ほど前まで、米国は増加を続ける国内のエネルギー消費に対処すべく液化天然ガス(LNG)の輸入を検討していた。当時米国には50を越えるLNG受入ターミナルの建設計画があった。カタールはそれを見越して、LNG生産プラントの大増強を行った。しかし、米国は国内でシェールガスの生産が軌道に乗り、LNGを輸入する必要がなくなった。カナダでもシェールガスの生産が進んでおり、いずれは天然ガス液化設備を西海岸に建設し、LNGをアジアに輸出する勢いである。
シェールガスの商業化は画期的な出来事である。従って、これを「シェールガス革命」と言う。ここ2年ほどで日本の大手商社のほとんどがシェールガスへの投資を発表している。
シェールガスのことを纏めた日本語の書籍はまだ多くはない。伊原賢氏著『シェールガス争奪戦』(日刊工業新聞社)は数少ない関連図書の一冊である。図表が多く、情報も豊富である。
本書で少々残念な点は、誤植が散見され、また一部文章が読みにくい点である。
• 大学では法学部だったので、大学1年生のときに必須科目として「民法総則」を履修した。民法の条文を読んでも、内容がなかなか頭に入ってこない。講義や教科書で辛うじて内容を理解するが、民法典の文章には難儀した記憶がある。苦労は物権編や債権編でも少なからず続いた。我妻栄著の参考書通称ダットサンや『民法案内』などを読んで、理解を深めた。
いわゆる契約法を規定した民法の債権編は民法制定以来100年余ほとんど改正することがなかった。いま専門家の間で改正準備作業が行われている。元東京大学法学部教授(民法)の内田貴氏の『民法改正』(ちくま新書)は、いまなぜ民法の改正が必要なのか、どういう点が時代に合致しなくなっているのか、を要領良く平易に解説している。たとえ対象が複雑でも、平易で分かり易い解説は良書の要件である。
「経済学は財の需要と供給のバランスの中で….社会を理解しよう」とし「価格決定メカニズムに関心を集中」しているのに対し、「民法は複雑な取引社会の現実を権利と義務という概念によって表現しようと」している、と経済学を例にとって民法を的確に説明する(p28)。
契約法の重要性は多言を要しない。社会主義国であっても、市場経済システムを導入しようとすれば、近代的な契約法を制定せざるを得ない(p62)。契約法と市場経済との関係は不即不離であり、どんな政治体制であるかを問わないのである。
大正時代の民法の大家は鳩山秀夫で、同氏は鳩山由紀夫元首相の祖父鳩山一郎元首相の弟である。鳩山秀夫はドイツ理論を基に精緻な民法解釈論を作り上げた。しかし、横書きのドイツ理論を縦書きの日本語にしているだけだと批判され、後年学者を止め衆議院議員になった。当時鳩山秀夫の家に住み込みで書生をしていたのが我妻栄で、長じて我妻民法とまで云われる民法解釈論を作った(p94-95)。
因みに、本書で一箇所だけプロジェクトファイナンスに言及しているところがある。それは、動産などをめぐる担保法も改正しなければならないと指摘しているくだりで、「大型のプロジェクトファイナンスでも、あらゆる動産や債権、知的財産権を担保化する必要が生じる」(p224)とある。至当な指摘である。
2011年12月05日
多読・通読・濫読(31) (PF405)
• 古賀茂明氏の『官僚の責任』を読んだ。同氏は元経済産業省のキャリア官僚である。読後感はあまり爽やかではない。多少の誇張や個人的な思い込みを差し引いても、やや暴露モノのような著作に思えた。もっとも、同氏の基本的な考え方にあまり異論はない。日本の電力事業について発送電を分離し自由化を促進する考え(p44)には賛成だし、規制を守って既得権を確保しようとするような官僚の姿勢を批判する(p112)のにも躊躇はない。キャリア官僚は学力優秀ゆえに、その学力の優秀さを確かめるかのようにキャリア官僚を目指す、いわばそこに難しい試験があるからそれを目指すという人が少なくない(p122)という指摘も事実の一端に違いなかろう。「不夜城」といわれる霞ヶ関の実態は、夕方から居酒屋に出掛け9時過ぎに戻ってきてまた仕事を再開する者が多いからだという指摘(p135)などは、その愚かな習慣に同情を禁じえない。
爽やかな読後感を持てない理由はなんだろうか。著者が描いて見せた醜い一部の日本の官僚や政治家の悪弊だろうか。そこで描かれていたことは驚くに足らない。凡そ推察していたような事柄である。
爽やかな読後感を持てない理由は、著者からも著作からも希望や勇気が感じられなかったためであろう。
• 温水洗浄便座の日本での普及率は70%を超えた。持ち家での普及率なら80%を超えた。あまり口外できる話題ではないが、海外出張に出て不便を感じることの一つには温水洗浄便座が無いことである。
TOTOでウォッシュレットの開発に従事した方(林良祐氏)が『世界一のトイレ ウォッシュレット開発物語』(朝日新書)という本を出版した。面白くないはずがない。
TOTOが日本でウォッシュレットを発売したのが1980年。既に発売から30年が過ぎた。温水洗浄便座という商品自体はそれ以前にも医療用として米国にあった。TOTOはこれを一般用として販売したところが妙である。一千万台の販売に達するまで18年を要したが、二千万台までは7年、三千万台までは5年しか掛かっていない。製品として見事に成熟した。
ノズルから噴射するお湯の最適温度は38度、便座の最適温度は36度、乾燥用の温風の最適温度は50度。ノズルの最適角度は43度。「おしりの科学」は見事というほかない。テレビのCMに使用したコピー「おしりだって、洗って欲しい」は今でも耳朶に残っている。もっとも、当時はなんの商品のCMなのかが、すぐには理解できなかった。
TOTOの旧社名は東洋陶器である。温水洗浄便座の代名詞にもなっている「ウォッシュレット」という商品名は「レッツ・ウォッシュ(Let’s wash)」を逆さにしたものである。そのほかにも本書には雑学満載だが、憚られる話題も多いので割愛する。
先日亡くなられた落語家立川談志が生前自分でつけたという戒名の一部「雲黒斎」には思わず笑った。ちょうどこの本を読んでいる最中である。
温水洗浄便座がいずれ外国でも広く普及することを願って止まない。そうすれば、海外出張の障害の一つが減る。
2011年11月28日
池井戸潤著『かばん屋の相続』 (PF404)
池井戸潤氏は元三菱銀行の行員である。1998年に『果つる底なき』で江戸川乱歩賞、2001年に『鉄の骨』で吉川英治文学新人賞、そして先般『下町ロケット』で直木賞を受賞された。同氏の作品は気になってはいたが、親しむ機会がこれまであまりなかった。文春文庫で今年出版された短編集『かばん屋の相続』は6篇の短編作品すべてにおいて銀行員が主人公である。池井戸氏の原点を感じる。銀行員に馴染みのない方がこういう作品を読んでどういう感想を持つのか、測りかねる。筆者などは下町に在った銀行の支店での勤務経験を思い出す。20代の頃のことである。金繰りの心配も銀行との面談もすべて社長自らが取り仕切るような中小企業が多くあった。
池井戸氏の作品は周りの情景を仔細に描くようなことはしない。そういうことをしなくても作品はできる、ということを実証している。一方、登場人物の気持ちや機微を描いて巧みである。さらに、『かばん屋の相続』で見せたようなどんでん返しの仕掛け。『十年目のクリスマス』で見せた企業経営者の破綻を装った復活劇。「うちの銀行が貸せないような案件は、どこの銀行も貸せませんよ」という『セールストーク』。この作品では企業ではなく銀行の支店長が破綻する。『芥のごとく』では中小企業の女性経営者が孤軍奮闘するも破綻を免れない。それぞれの作品に共通した場面は、金繰りに窮した企業に銀行が融資できるのかできないのかという切迫した場面である。銀行員になりたての頃、先輩から「融資は断るのが一番難しい」と学んだのを思い出す。
『手形の行方』や『妻の元カレ』では、女性の微妙な心理や行動を描いて読者を魅了する。両者に登場する女性はどこにもいるような普通の女性である。一方では、額面一千万円の手形を隠し、思いを寄せた男性行員を翻弄する女性が登場する。他方では、専業主婦の妻が学生時代のボーイフレンドと密会を始める。池井戸氏はストーリーの展開を巧みに組み立てて、ややミステリー仕立てで作品を進めて行く。ここにも同氏の技量を見る。作品の魅力は増す。
6篇の作品のうち、5篇はストーリーが完結していた。しかし、『妻の元カレ』はちょっと違う。映画『明日に向かって撃て』で最後にストップモーションの技法で映像が止まるが、『妻の元カレ』はちょうどこの映画のようである。つまり、最後に妻が銀行員の夫と向かい合って話し合うが、妻に「ごめんなさい。いっぱい考えたけど、やっぱり私は…..私は….」と言わせて、作品を終わらせてしまう。なんとも切ない結末である。はじめに言葉ありきとは言うが、最後に言葉を尽くさないというのは、ときに想像を絶するほど残酷でもある。
2011年11月21日
見た目が大事 (PF403)
厚生年金の給付水準が上昇しているという(日経新聞10月31日朝刊)。厚生年金の給付水準を示す指標に所得代替率がある。これは年金受領額を現役の会社員の平均年収で割った比率である。現役の会社員の平均所得にくらべ、年金受領額がどのくらいの水準かを示す。2004年には所得代替率は約59%。これが2010年には約62%になった。2004年の年金改革では、所得代替率を徐々に引き下げる計画であった。徐々に引き下げていって、50%で安定させるつもりであった。ところが、この6年間に所得代替率は逆に3%上昇してしまった。これによる国庫負担増は約15兆円。
なぜ、こんなことが起こるのか。理由はデフレである。物価も賃金も上昇していないからである。上昇していないどころか、逓減している。一方、年金の支給額は名目ベースで変わっていない。物価や賃金が引き下がった分だけ、年金の支給額は実質ベースで上昇した結果になる。
2004年の年金改革では、インフレやデフレに対する年金支給額の調整方法を織り込んだ。しかし、デフレの場合に名目ベースの年金支給額を引き下げると年金受給者の心理的な抵抗が大きいと判断され、名目ベースの年金支給額はあまり引き下がらない仕組みになった。名目ベースの年金支給額は下方硬直的だと言っていい。実際には予想を上回るデフレが続いているため、所得代替率は上述の如く上昇してしまった。
年金改革を審議していたときに、「年金額を減額することは、年金受給者の財産権を侵害する」と論じた法学者もいたという。法学者にはデフレという経済現象が理解しかねたのであろうか。また、政治家の多くは、年金受給者の不評を買うようなことは避けたいという思いもあったはずである。
理論的には、デフレが続いたら年金支給額も名目ベースで減額しないと不公平である。年金支給額の議論は実質ベースで考えるのが正論である。仮にインフレが発生すれば、年金支給額は名目ベースで引き上がり、実質ベースで目減りしないようにする。
デフレが続いているのに年金支給額を減額できないのは、人々の心情的あるいは心理的な抵抗のせいであろう。政治家の多くは、それを代弁しているに過ぎない。
卑近な例だが、筆者の身辺でも最近次のような面白い出来事があった。
テニス仲間で市民大会の団体戦に出場することにした。1チームの定員は男性5名、女性5名の合計10名1チームの団体戦である。男性の方は参加希望者が多く10名集まった。女性は定員ぴったりの5名。男性と女性は試合に出場する際、互換することができない。試合は総当たりのリーグ戦で1チーム当たり3試合行う。女性は定員通りなので、5名全員が3試合すべてに出場できる。一方、男性は10名いるので、一人当たり出場できる試合数は女性の半分で1.5試合である。
団体戦出場費用は1チーム単位で支払う。これを15名で分担することになった。さて、どのように費用分担するのが公平だろうか。
男性A氏は出場できる試合数に応じて費用分担するのが公平だと提案した。A氏の提案では男性一人当たりの費用負担は女性一人当たりの費用負担のちょうど半分になる。なぜなら、男性は女性のちょうど半分しか試合に出られないから。
女性B女史は15名で均等割りにするのがいいと提案した。団体戦は全員で協力し合って戦うので、各人が出場する試合数によって費用を分割するのではなく、均等割りが望ましいと言う。
どちらの案を採っても一人当たりの費用負担は数百円の差なので、どちらでもいいと言った人もいた。
理論的にはA氏の提案が正しいと思う。B女史の提案の論拠は情緒的である。しかし、参加者の大勢はB女史の均等割りの提案に落ち着いた。男性は、一人当たりの費用負担が大きくなってしまう女性に配慮した点もあったであろう。
興味深いのは、理論的な正しさが必ずしも重要ではない点である。均等割りという分かり易さ、心情的心理的受け入れ易さが重要なのである。見た目が大事、と言い換えてもいい。
上述した年金支給額の報道に触れて、思わずこのテニス大会出場費用の分担の話を思い出した。年金支給額の問題もテニス大会出場費用の分担方法の話も、けして複雑な話ではない。しかし、人間の大衆心理とでもいうのであろうか、理論的な正しさよりも重要視してしまうものが他に在るのである。
2011年11月14日
読んでから買う (PF402)
近所にある市営の図書館をよく利用している。図書館のホームページから検索や予約ができる。予約した本の準備が整えば、メールで連絡が来る。予約した本の準備が整ったかどうかは、ホームページで自分のパスワードを入力して確認もできる。インターネットの普及のお陰で、こういうところでも随分便利になった。人気のある新刊書は予約が一杯でなかなか借りられない。しかし、読む価値のある本は新刊書ばかりではない。新刊書は、新刊書であるというだけで興味を搔き立てられるが、どれだけ価値があるかという観点から冷静に見ると、疑問なしとしないものが多い。一度通読して、二度と見ることのない本も随分本箱に眠っている。こうして、元来狭い部屋のスペースがなおさら狭くなる。無闇に本を買えば出費も嵩む。書籍購入の費用負担は高が知れているが、本を置くスペースの問題は深刻である。小さな書斎は2階にあるので、将来床が抜けないとも限らない。
だから、図書館の活用を思いついた。幸いなことに、10年余前に自宅近隣に市営の図書館分館が完成した。気になった本はまず図書館から借りて読む。蔵書がなければリクエストする。読了したら返却する。返却前に気になった箇所を書き出す。気が向けば本ブログに読後感を書く。そして、こういう本は是非手元に置いておきたい、再読の必要もあろうと思えば、購入を厭わない。自分で購入した本であれば、自由に書き込みをすることもできる。
最近図書館で借りて読んで改めて購入した本のひとつに、榊原清則氏の「経営学入門」上下巻(日経文庫。2002年)がある。経営学という学問は比較的新しい学問領域のせいか、著者によって体系や考え方が随分異なる。また、実証的研究が中心になるので、それぞれの著書は個性豊かである。
榊原清則氏の「経営学入門」上巻まえがきには「経営を科学する」ことの重要性が指摘されている。下巻まえがきには「経営学関係の書物には、現実の動きを追うのに忙しいあまり、知的な深みのない書物が多い」と苦言を呈し、「本書を手に取った読者が、そうした類書とは違う、何か知的なにおいを感じとってくれれば」と願っていると書く。著者の志の高さと自負を感じる。
事実、上巻は経営学の基本的な知識や理論の説明に終始するが、下巻の内容は意欲的であり、「知的なにおい」が大いに漂う。下巻第3章「社内ベンチャーの戦略と組織」や第5章「日本企業の経営課題」は、明らかに入門書の域を越えている。しかし、記載内容は平易明瞭であり、理論は透徹一貫している。下巻を読んでいる途中で購入を決意した。
読んでから買う、という習慣は悪くない。当面続きそうである。
2011年11月07日
PPMの謎 (PF401)
PPMというと何を連想するだろうか。筆者は1960年代にデビューした3人組みのフォークソング・グループ、Peter, Paul and Maryを真っ先に連想する。
しかし、今日お話ししたいのは経営学の話である。経営学の本を読むと、PPMはボストン・コンサルテイング・グループ(BCG)が考案した分析手法、プロダクト・ポートフォリオ・マネジメントのことを指す。あるいはプロダクト・ポートフォリオ・マトリックスとも呼ぶ。いずれもPPMに変わりはない。
経営学でいうPPMは、複数存在する事業についてキャッシュフローを生む事業や投資を要する事業などに分別し、企業の資源配分を最適化するために用いる分析ツールである。縦軸に市場成長率を、横軸に市場シェアを取る。そうすると、4つの象限ができる。それぞれの象限は、左上から時計と反対方向に「花形商品(Stars) 」、「金のなる木 (Cash Cows) 」、「負け犬(Dogs)」、「問題児(Problem Children/Question Marks)」と名付けられている。どうして、そういう呼び名がつけられているのかについてはここでは説明を省く。
縦軸に示された市場成長率は、上に行けば行くほど成長率が高い。当然である。ところが横軸の市場シェアは、左から右に数値が上昇すると思いきや、そうはなっていない。左端の市場シェアが高く、右端は市場シェアが低い。つまり、右から左に向かって市場シェアの数値が上がってゆく。これは何故か。これが筆者の云うPPMの謎である。
横軸というのは、通常X軸のことで、左から右に向かって数値が増えてゆくものである。それは縦軸(あるいはY軸)が下から上に向かって数値が増えてゆくのと同様のことである。しかし、PPMの横軸はそれとは逆になっている。これはどうしてだろうか。
代表的なテキストを調べてみたが、この横軸の表示が通常と逆になっている点について説明したものは見当たらなかった。『ゼミナール経営学入門』(伊丹敬之・加護野忠男著)、『企業経営入門』(遠藤功著)、『経営学入門』(榊原清則著)などは一通り当たってみた。
榊原清則著『経営学入門』に「横軸は経験曲線の議論を継承している」(上巻p163)という一文を発見したが、これは目盛りが対数表示になっている理由を説明しているようである。同書の経験曲線の説明箇所(上巻p156以下)を見ると、横軸(経験曲線の横軸は生産数量)は通常通り左から右に数値が上がっている。
事業のポートフォリオ分析というと、このPPMを発展させたGMのビジネス・スクリーンという分析手法がある。このGMのビジネス・スクリーンでは横軸に「競争ポジション」を取る。そして、競争ポジションは横軸の左端が高く、右端が低い。つまり、右から左に向けて数値が上がる。PPMと同様に横軸の数値表示が通常と逆なのである。
GMのビジネス・スクリーンは、PPMを発展させたモデルなので、横軸の表示方法について敢えてPPMと平仄を合わせたのだろうか。
この横軸の表示方法の謎は、まだ筆者には解けていない。筆者は、PPMを考案した人は、「花形商品」の象限を左上に表示したかったからではないかと訝っている。
2011年10月31日
参加と帰属 (PF400)
いま勤めている会社に、あなたは「参加」していると思いますか、「帰属」していると思いますか。ある大学教授の問い掛けに、筆者は興味を抱いた。この質問は、日本人の会社に対する意識を調査するものである。日本人の会社員の多くは、会社に「帰属」していると考える。一方、外国人とりわけ欧米人の多くは「参加」していると考える。「役割」と「機能」という分け方がある。会社で仕事をする会社員が果たしていることは「役割」と見るか、「機能」と見るか。それぞれの言葉が通常持つ意味合いからは、少々離れている使用方法かもしれない。「役割」と見る立場では、そのジョブ・ディスクリプションは書きにくい。曖昧模糊とした職務が多く混在している。「機能」と見る立場では、そのジョブ・ディスクリプションは書き易い。職務範囲が比較的明確になる。
日本の会社の会社員の多くは「役割」を担う。「機能」ではない。外国とりわけ欧米の会社の会社員は「機能」を担う。こういう見方が一般的である。給与は「機能」に対して支払われると考える外国の会社では、年齢は関係ない。ある職務を20代の若者が遂行しようが、50代の者が遂行しようが、給与は同じという結論になる。日本の会社では「役割」に対して給与が支払われるので、年齢や勤続年数によって果たされる「役割」は自ずと異なると考えられている。したがって、やっていることは同じようなことでも、その人の年齢や勤続年数によって給与が異なる。給与水準に年功が加味されているということである。
日本の会社員がほとんど転職しないのは、「役割」を担っているのも一因であろう。あるいは転職することが少ないから、「役割」を担えると言い換えてもいい。会社内のさまざまな職務が「機能」として分化し明確になっていないと、中途採用者をうまく活用することができない。日本の会社で中途採用者を募集する際、特定の専門職に限る傾向があるのは、そのためである。中途採用者に、曖昧模糊とした職務を遂行してもらうのには無理がある。長い間その会社に居た人でなければ遂行できない独特の「役割」は、社内のベテランが遂行すればいいわけで、中途採用者に依頼する必要もない。
日本の労働市場の流動性が低い、という指摘は正鵠を得ている。会社への「帰属」意識が強く、職務内容は「機能」による分化が進んでいない、ということと表裏の関係である。
こういう日本の会社の特徴は、戦後の高度経済成長時代を通じて形成されたものである。戦前には広く存在する慣習ではなかった。高度経済成長の時代の産物が、期せずしていまも残存しているのである。
「帰属」意識や「機能」分化していない職務に加えて、多くの会社員が永年勤務する会社に多くを依存する傾向も指摘しておきたい。平日の夜は会社仲間と居酒屋に行き、社内人事の話題で盛り上がり、週末は会社仲間とゴルフに行く。会社の中での昇進・昇格に一喜一憂し、思いが果たせない同士で、また居酒屋やゴルフに行く。親睦やお付き合いと言えば、聞こえがいいが、他に余暇を過ごす相手がいないというのもまた事実である。
先日上場企業A会社に長く勤務する知り合いが奥さんの癌治療に1千万円以上を要した。知り合いは「A会社に勤務していたお陰で、自己負担は1百万強で済んだ」と喜んでいた。本人は喜んでいたので、黙って聞いていたが、自己負担が1百万強で済んだのは高額療養費制度のお陰であろう。A会社の社員や上場企業の社員だけの特典ではない。日本のほとんどの会社員が享受できる制度である。自分の勤務する会社の福利厚生制度を過大視する実例である。
同じ会社あるいはグループ会社というサイロで一生の大半を過ごす姿に、未来の日本が在るとは筆者にはとても思えない。自分の子供たちの世代に、そういう生活をしてほしいかと自問してみれば、答えは自ずと明らかであろう。
過去20年間日本は経済の低迷が続いた。貧して鈍する、というような状態になっていないことを願う。
日本の経済の活性化に、日本の会社に見られるさまざまな慣習を見直してみるのはどうだろうか。蟻の穴が堤を崩すことになるのではないか。
2011年10月24日
経験と歴史 (PF399)
10月20日リビアのガダフィ大佐が死亡したとの報道が一斉に流れた。「いまや専制国家から人民が支配する国となった。新生リビアを築く努力をしよう」
これは実は今般ガダフィ政権を倒したリビア国民評議会の言葉ではない。1969年9月、いまから42年前に当時の王政を倒したときのガダフィ大佐自身の言葉である。
10月5日アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが亡くなった。
ニューヨーク・タイムズの記事には、こうある。
「人類に貢献した大勢の歴史的人物の中でも、彼ほど人々の生活を便利で豊かにした者はいない」
この記事は実はスティーブ・ジョブズのことを書いた記事ではない。記事は1931年に発表されたもので、トーマス・エジソンの死亡記事の一節である。
「歴史は繰り返す」と言うと賛否があろう。ひとつひとつの事象は一回限りのことで、二回と同じものはない。我々一人一人の生活、人生もまた同様である。昨日も今日も、変わり映えのしない日々かもしれないが、けして同じではない。すべて一回限りの出来事なのだ。そういう意味では、歴史は繰り返さないというのが正しい。
しかし、発生した事実の仔細は全く同一ではなくとも、似たような事象は再び起こる。いや、実際に起こってきた。人の営みは、50年や100年くらいの時間の単位で本質的に変わるものではない。枝葉末節を省いてみればいい。大同小異なところが見えてくる。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という。含蓄のある言葉である。我々凡人は経験から学ぶのが精一杯である。経験から十分に学んでいないことだってある。愚かなことを再び繰り返す。
この言葉は、経験から学ぶだけでは不十分だと言っている。経験というのは、自分自身の経験、身近な知人・友人の経験、あるいは書籍で知った誰かの経験であろう。個々の経験はふたつとして全く同じものはないはずである。一回性の事象である。
歴史から学ぶということは、一回性の事象の中から普遍・不変なものを読み取り、そこから学ぶ作業である。普遍・不変なものを抽出する作業も容易でなければ、そこから何を学ぶべきかを知るのも容易ではない。
冒頭に引用した42年前のガダフィ大佐の言葉は、彼を倒したリビア国民評議会がいまそのまま使用することができる。同じく、80年前のニューヨーク・タイムズのエジソンの死亡記事は、いまそのままスティーブ・ジョブズに向けて使用することができる。
一回限りの事象にも見えた出来事・経験が、歴史になった瞬間である。
2011年10月17日
多読・通読・濫読(30) (PF398)
• 畑村洋太郎氏の新刊「未曾有と想定外 – 東日本大震災に学ぶ」(講談社現代新書。2011年7月)は、副題にあるように今年3月の震災に触発されて書き下ろされたものである。畑村氏は「失敗学」の専門家である。人は忘れるという大原則がある。何もかもを記憶していたら、生きてゆくのが辛い。従って、忘れるのは「前向きに生きるための知恵」でもある。三日坊主といわれるように、人は3日で飽きる。3ヶ月するとだいぶ忘れる。3年もするとすっかり忘れる。組織でも30年すると、世代交代が起こり組織内の知恵やノウハウも喪失する。60年すると地域で記憶している人がいなくなる。300年すると社会の記憶から消える。人が忘れるという原則では「3」の数字が鍵だという。300年で社会の記憶から消える例として、富士山の噴火が挙げられる。最後に噴火したのは1707年。日本の社会でどれだけの人がこれを意識しているだろうか(p18以下)。
今般の災害は自然災害に端を発しているが、原子力発電所の放射能漏れは人災の色彩が強い。大きな事故が発生するときには、1つのミスによって発生する場合よりも、複数のミスが重なって発生する場合の方が多い。事故の発生を防ぐために、通常多重の防護壁が備わっているものだが、大事故の発生の際にはその多重の防護壁のすべてが不運にも機能していない。この大事故発生の経緯を図式化すると、スイスチーズのように表わすことができるので、これをスイスチーズ・モデルという(p115)。
今般原発事故が発生した際に、原子力関係者から「想定外」という言葉が頻繁に聞かれた。非常時にはディーゼル発電機による電源で燃料を冷却する「想定」であったが、津波によって非常用電源が使用できなくなった。非常用電源が使用できなくなったので、燃料を冷却できなくなり、メルトダウンが起こった。「想定」が甘かったと言わざるを得ない。「想定」とは考え方の枠を創ることである。問題や課題を発見することに似ている。問題設定や課題設定が済めば、その枠内で問題解決を図る。問題解決は、問題設定や課題設定よりある意味で比較的容易である。問題設定や課題設定自体が誤っていたら、どうなるのか。これは致命的である。このときに、「想定外」だったと言って免罪されるのか。免罪されるのなら、専門家とは言えないであろう(p86以下)。
• 黒木亮著『カラ売り屋』は4つの短編小説を収めている。表題作の他「村おこし屋」、「エマージング屋」、「再生屋」である。どれも短編ではあるが、秀作である。
この中で「エマージング屋」は著者の経験が色濃く出た作品である。アフリカや中東向けのファイナンスを手掛ける30代の日本人銀行員が主人公となっている。主人公の勤務する邦銀ロンドン支店には現地人行員がグループ長を務める国際金融課がある。グループ長以下現地人スタッフは国際金融のプロという触れ込みで採用された。
同グループに配属された唯一の日本人である主人公は、彼らの仕事振りを傍で見ていて感心しなかった。そもそも仕事を熱心にやっていない。昼食時には何時間も外出している。案件は他の銀行が手掛けた案件にシンジケーションで参加するだけ。グループ内での日本人行員の役割は日本に送付する貸出稟議書を作成したり、日本の本店とのやり取りを担当したりすること。
あるとき、現地人グループ長にマーケティングを担当させてほしいと申し出た。申し出は受けてもらったが、担当地域は西アフリカを割り当てられた。まともな案件のない地域で、今まで担当者も置いていなかった。
日本人主人公は、この不毛と思われた担当地域で格闘して案件発掘に邁進する。それは痛快である。しかし、筆者が思いを馳せたのは、この邦銀ロンドン支店に勤務する現地人スタッフの仕事振りである。こういう無気力な現地人スタッフは、邦銀の海外支店とりわけ先進国の海外支店に少なからず見られる。採用したときにはけして無気力ではなかったはずだ。しかし、邦銀海外支店に勤務を続けると、多くの現地人スタッフが無気力化、無能力化してゆく。そういう実例を筆者も多く見た。
その原因は、邦銀の海外支店経営のあり方に在る。邦銀には昔も今も経営能力が欠けている。特に欧米で現地銀行員を指導し経営できる日本人の人材は寡聞にして聞かない。それを見透かした現地行員が、仕事をしなくなるのである。優秀で意欲的な現地行員であればあるほど、早晩転職してゆく。なかなか転職先の見つからないようなパフォーマンスの不芳な行員が長く残る。「エマージング屋」のグループ長もまもなく転職して行った。
2011年10月11日
同期会 (PF397)
大学新卒で190名弱が銀行に就職した。いまから四半世紀も前のことである。そのメンバーのうち40名余がある金曜日の夕刻集まって同期会を開いた。各人の頭髪を見ただけでも、歳月がどれだけ流れたかが分かる。入行したときの銀行名は、今はない。統合を経て、銀行名は変わった。他の銀行と合併しているが、同期会は入行した時の銀行の同期の集まりである。
参集した者のうち9割方は、同銀行、同銀行の関連会社、同銀行が転籍を斡旋した取引先に現在勤務している。いま支店長や部長の肩書きを持つ者が多い。筆者は5年半前自己都合で退職し外資系銀行に転職した。自己都合で退職して、この日の同期会に姿を現した者は極めて少ない。
配布された名簿には100名余の名前があった。この日姿は無かったが、懐かしい名前は名簿にもあった。名簿は同期入行者の半分強しか捕捉していない。名簿に無い連中はいまどこで何をしているのか。退職した者が多くを占めるのか。それとも、望むような昇進・昇格を果たせず同期会を遠ざけているのか。
グラスにビールを注ぎ合う。お互いの近況を報告し合う。昔の懐かしい出来事を回想する。
各人のスピーチに入ると、冷やかし半分の野次や冗談が飛び交い、会場は盛り上がった。野次や冗談を聞いて、筆者も思わず笑う。しかし、時が経つに連れ、笑いの中になにか心理的なギャップを感じてきた。それは、参集した者のうちの多くが今でも同じ勤務先に勤務している連中なので、冗談のネタは同じ勤務先に勤務している者にしか分からない内部事情が前提になっているからである。
もちろん、筆者も5年半前まで、その職場に長く居たわけであるから、内部事情は察しがつく。察しはつくが、それらは今や記憶の隅に追いやられている。隔世の感を禁じえない。外部の者から見れば、取るに足らない事柄である。例えば、本店実施の支店検査(監査)。例えば、支店の予算作成にまつわる本店との駆け引き。
帰路の電車の中で思い出していた。邦銀に勤務していた頃、毎年キャリアプランなる書類を書いて上司に提出していたことを。
キャリアプランを書かせようという人事部の発想は、各人に自覚を持たせようという老婆心なのであろう。しかし、本人の希望を顧みることはほとんどなく、強力な人事権を持ち、発令ひとつで人事異動が起こるような典型的な日本企業の組織において、キャリアプランを毎年作ることは実は空しい作業である。自分のキャリアプランを真剣に考えれば考えるほど、人事部主導の一方的な人事異動の現実と、矛盾を来たす。自分が望むキャリアプランを実現するために、典型的な日本企業において、一体なにをすれば良いのか。途方に暮れてしまう。
筆者は転職を決意する数年前から、この矛盾とひとり格闘していた。格闘しても、解決策はなかなか見つからない。解決策は、この邦銀の組織から離れることだと確信したとき、自分のキャリアプランが見えてきた。
金融業務全般が日進月歩の世界であることは論を待たない。日本だけのビジネスではなく、世界中で行われているビジネスである。この世界でゼネラリストは多く要らない。それぞれの分野の専門家が必要なのである。本来のキャリアプランを遂行できない組織、人事異動のたびに畑違いの仕事をするような組織が、今後世界の模範的なモデルになってゆくなどとは到底思えない。
2011年10月03日
吉村昭著『ふぉん・しいほるとの娘』 (PF396)
ふぉん・しいほるとの娘とは、楠本いねのことである。オランダ人医師シーボルトと長崎のお滝という女性との間にできた娘である。シーボルトは1823年(文政6年)に来日した。長崎の出島で約5年を過ごした。鳴滝塾を開き、日本人に最新の西洋医学を教授した。しかし、いねが3歳のときにシーボルトはいわゆる「シーボルト事件」で国外追放を受ける。いねはお滝と義父に育てられるが、長じて医師になった。髪はやや茶色で、目の瞳は緑色、鼻が高かったという。西洋医学を学んだ日本で初めての女性の医師である。いねは産科の医師として77歳の生涯を全うするが、その波乱に満ちた人生を巨細に描いたのがこの『ふぉん・しいほるとの娘』である。
文庫本2冊(新潮文庫)で合計1,300ページを超える。上巻は、いねが14歳で宇和島藩の二宮敬作の門下生となるところで終わる。二宮敬作はシーボルトの教え子のひとりである。二宮敬作は元来外科医なので、二宮の下で約5年間勉学すると岡山の産科医石川宗謙を紹介される。石川宗謙もシーボルトの門下生である。石川宗謙の下で産科の勉学を続ける。しかし、ある日石川宗謙に乱暴され、石川宗謙の子供を身ごもる。石川宗謙は当時50代で妻子があった。いねは25歳である。いねは望まぬ子供を生む。出産はいねひとりで行った。望まぬ子を出産する悔しさからである。嬰児を抱いて長崎に帰る。石川宗謙との別れ際に、憎悪のあまり面前で「ひとでなし」と石川を罵った(下巻p247)。
60代になったシーボルトが30年ぶりに再来日した。お滝53歳、いね33歳。再会を喜ぶが、しばらくして、お滝もいねもシーボルトを遠ざけるようになった。初老のシーボルトは滞在中若い下女に手を出すなど、身持ちが悪いからである。シーボルトの人格が変わったと真っ先に直感したのは、元内妻のお滝であろう。お滝は娘のいねに「出島で30年ぶりに会った時、私はあの人に少しも心を動かされぬことを知った。あの人は、私にとってもはや他人にひとしい。ただ、お前の実の父親だという気持ちしか残っていない。」(下巻p412)と云った。
鳴滝塾時代の教え子も再会を喜ぶが、シーボルトが最新の医学に疎いことを知った。シーボルトはオランダに帰国後医学への関心が薄れ、日本の文化や外交を論じる研究者に転じていた。政治的野心を持って幕府に接近するも、その思いは成し遂げられず、失意のうちに帰国する。帰国して5年余、いねはシーボルトの死の報に接する。いね41歳。幼児のときに別れ、30年後に再会、それから5年後にこの世を去った。いねは「悲運な父娘」だと思った(下巻p560)。
いねは維新後東京に出て医院を開業する。いねの名声は上がった。福澤諭吉とも知己を得る。福澤はいねに資金面の援助とあわせ大病院の創立を勧める。しかし、いねは固辞する。「私は一開業医として終わろうと思っています」「異人を父に持ち、女医者になりはしましたが、昔通りの日本の女です」「ご維新になり、福澤様は女も男も平等と申しておられますが、私は古い日本の女なのです」(下巻p616-617)
吉村昭の冷静的確な視線は終始変わらない。文体は透明で、晦渋さがない。事実を仔細に描き、迫力は自ずと増す。『ふぉん・しいほるとの娘』は吉川英治文学賞を受賞している。
2011年09月26日
多読・通読・濫読(29) (PF395)
• 吉村昭の『冷い夏、熱い夏』は癌患者を描いた異色の作品である。49歳の弟に肺癌が発見された。摘出手術を行うが、余命1年と医者は判断した。兄は本人に癌患者であることを秘匿しようと決意する。弟の身体は徐々に衰弱してゆく。点滴が欠かせなくなり、排尿排便をベッドで処理するようになる。生活の自由や人間の尊厳をほとんど喪失してゆく弟の姿を、作品は冷徹に描写してゆく。
欧米では患者に癌である旨を伝える風潮があるが、日本ではそれはできかねる、と作者は作中で説く(新潮文庫版。P37)。癌告知の取扱いについての最新の医療現場の慣習を、筆者は詳らかには知らない。しかし、患者の精神的なケアを十分にとった上で、癌告知をしてゆくのが今後のあるべき姿ではないかと思っている。患者の精神的なケアを行うことは、言うは易く行うは難い。人はいずれ死を迎える。癌告知によって、誰もが冷静に自分の死を受け入れ、残された時間を有意義に過ごせるという保障はない。それでも、癌告知を是とするのは、自分の生死について知る権利もまた人間の尊厳に関わる問題だと考えるからだ。
従って、この作品の前提である癌の不告知には、少々違和感があった。本作品は1984年(昭和59年)に発表されているので、作品が発表された時代背景や社会通念は斟酌しないといけない。癌不告知を決意したが故に、癌患者の弟に対峙する兄や親族の気苦労は計り知れない。自分は癌ではないかと訝る弟本人に、周りの者が知恵を働かし、担当医の協力まで得て、事実秘匿に腐心する。その姿は悲痛である。
作品名に、「夏」を「冷い」と形容したのは、もちろん何かを暗示する。「暑い」ではなく、「熱い」夏としたのにも、意図があろう。弟の肺癌が発見されたのも、そして約1年後に50歳の生涯を閉じるのも、季節は夏である。
• 楠木新著『人事部は見ている』(日経プレミアムシリーズ)は、その書名に圧倒された。著者が考えついたのか出版社が発案したのか知らないが、見事な書名である。
金融機関の人事課長M氏のエピソードが出てくる(p76)。あるとき、新年度の課長昇格者を検討する会議が開催された。担当役員の常務から「A社員とB社員は同年入社だが、どちらの管理能力が上か」と訊かれた。M氏は約1,000名の社員を担当しているが、人事課長になってまだ1年未満で、A社員ともB社員とも会ったことがない。個人的にも知らない。常務に訊かれて答えないわけにいかないので、過去の評価をもとに理由を付して一方を推した。そうしたら、後日推した方は課長に昇格し、他方は課長に昇格しなかった。
昇給・昇格や異動などについて、日本の企業の多くは人事部が強力な権限を持つ。強力な人事部の存在と一括採用や雇用保障などは、いずれも日本企業の人事制度の特徴である(p171)。雇用を保障する代わりに、人事部の発令ひとつで異動や転勤を余儀なくされる。発展途上国への転勤も単身赴任も、人事部の発令次第である。
筆者は邦銀勤務時代にこういう人事制度に疑問を持つようになった。プロジェクトファイナンスという仕事に出会って、この仕事を続けたいと思い始めた頃と軌を一にする。自分のやりたいことが見つかった者にとって、発令ひとつで異動・転勤するシステムは耐え難い。宮仕えの身だから仕方ないとか、未知の分野を勉強するいい機会だとか、会社員の多くは後付けの理由を言う。そのように考えないと、この理不尽な人事制度を受容できないということなのだろう。
著者楠木新氏は現在でも大手企業の会社員でもあるという。多くの著書を出版し、大学の非常勤講師なども引き受けておられる。支社長や担当部長も歴任したが、いったん休職して平社員として数年過ごしたともいう(p183)。
本書の原稿を仕上げたら、著者は勤務先で転任の内示を受けた。営業から管理部門への転任である。人事についていろいろ調べたり考えたりしてきたが、自分の人事については思い通りにならなかったとある(あとがき)。「人事は自分の思い通りにならないが、真剣に自分に向き合っていれば必ずチャンスは巡ってくる」(あとがき)ともいう。
本書は多くの日本企業の人事制度に見られる特徴を描写して余りあるが、その実態を知れば知るほど矛盾を感ぜざるを得ない。日本企業の人事制度を改善するにはどうすれば良いのか。筆者にも名案はない。
2011年09月20日
黒木亮著『リスクは金なり』 (PF394)
黒木亮氏の新刊『リスクは金なり』(講談社文庫)は新刊ではあるが、同氏がこれまでに書いたエッセイ等を纏めたものである。同氏について忘れられないのは、デビュー作『トップ・レフト』を手に取ったときのことである。この作品が発表されたのは2000年。同年筆者は7年ぶりに海外勤務から日本に帰国した。帰国してまもなく、「海外のファイナンス案件を題材にした経済小説はまだ世に出ていない。そういう経済小説を書いたら、きっと面白いだろうなあ。」とひとり夢想していた。そういうときに、『トップ・レフト』に出会ったのである。白昼の夢から覚めたのは言うまでもない。そういう思い出があるので、黒木氏の作品には今も目が離せない。
『リスクは金なり』では、黒木氏のデビューの経緯が書かれている。銀行員になったが、ほどなく作家を志すようになった。なにか自分の創造物を残したいという思いがあった。35歳のときに初めて自費出版をした。しかし、売れなかった。ハノイでの2年間の仕事の経験を生かし、ベトナムを舞台にした経済小説を書いた。祥伝社が原稿に興味を持ってくれた。しかし、同社はベトナムが舞台では多くの読者を獲得できないので、国際金融を舞台にした作品なら出版すると提案してきた。これに応じて、『トップ・レフト』を書いた。幸い高杉良氏の推薦文を得ることができ、デビューを果たした。43歳になっていた。ベトナムを舞台にした作品の原稿は後日大幅に加筆し、2作目の『アジアの隼』に結実した。
黒木氏は30歳のときに邦銀のロンドン支店勤務になった。以後20年余現在に至るまでロンドンに在住している。英国の永住権をどうやって取得したのか、かねてより疑問に思っていた。同書いわく、当時は英国に4年以上在住すると永住権を取得することができた。当時勤務していた邦銀ロンドン支店の総務担当の英国人女性は、日本人のビザ定期更新の事務負担を軽減するため、4年以上滞在している日本人に対して一律に永住権取得手続きをしていたという。永住権を取得しても、ほとんどの日本人は帰国命令が出れば日本に帰国する。黒木氏の場合、永住権が取得できたことを知ると、むしろこれを奇貨として、英国在住を思い立つ。
同氏が努力家であることは疑いがない。学生時代に箱根駅伝に2回出場している。学生時代から英語は熱心に勉強し、英語教材「リンガフォン」を聴き潰した。長距離走の練習と語学の学習には明らかに共通点がある。一朝一夕には上達しない。練習・学習をした分だけ上達する。努力は裏切らない。努力できることが同氏の才能のひとつである。
同氏は20代後半に、カイロ・アメリカン大学に2年間社費留学している。学部に1年在籍し、2年目には1年間で大学院を卒業した。もっとも、社内の留学試験には3回落ちた(p186)。腐っているところに、カイロでの語学研修の話をもらった。
作家城山三郎(故人)のご長男(杉浦有一氏)は、黒木氏が入行した邦銀(三和銀行)の同期生だという(p196)。過日黒木氏が杉浦氏に、実父のように小説は書かないのかと尋ねたら、「ああいう才能は男には遺伝しないんだ」(p197)と答えた。
2011年09月12日
吉村昭著「海の祭礼」 (PF393)
吉村昭の「海の祭礼」は、幕末に活躍した通詞(通訳)森山栄之助の歴史小説である。森山栄之助は残念ながら歴史の教科書に載るほどの有名な歴史上の人物ではなかろう。しかし、日米和親条約や日米通商条約の交渉に通詞として立会い日本語訳を作成するなど、当時の重要な外交交渉に悉く携わった。江戸時代通詞の仕事は世襲制である。森山はオランダ語通詞として教育された。長じて時代は変わりつつある。米国の捕鯨船が日本近海にやって来る。遭難して日本の海岸に辿りつく者がいる。しかし、当時の日本に英語を解する者がいない。
アメリカの青年ラナルド・マクドナルドは捕鯨船の船員であったが、日本に強い関心を持ち、遭難を擬してひとり北海道の利尻島に辿り着いた。長崎に送られ、オランダ船で強制退去させられる身であったが、長崎での軟禁中、森山をはじめとする通詞に英語を教えた。若き通詞たちも英語の習得に熱心であった。他のアメリカ捕鯨船の遭難者たちが日本で狼藉を働き様々な問題を引き起こすのとは対照的に、日本に興味を持ち温厚で親しみ易いラナルド・マクドナルドは、英語を学ぼうとする森山達と徐々に親しくなってゆく。当初言葉の通じない人間同士の交流が、どのように心を通わせるようになってゆくのか。その筆致は見事である。ラナルド・マクドナルドと森山達の交流がこの作品の前編である。
オランダ船が長崎にやってきた。ラナルド・マクドナルドは乗船を余儀なくされ、帰国の途につく。予期されていたこととはいえ、森山達との永遠の別れは突然にやってきた。事実に則して描く歴史小説の非情な側面である。創作であれば、両名の再会が後日用意されていよう。しかし、両名が再会を果たすことはなかった。
作品の後編は森山の通詞としての獅子奮迅の活躍振りである。ペリー来航以来、時代は急変している。高圧的な態度に終始する英米側との交渉に、通訳以上の仕事をする。日米和親条約の原文はオランダ語と中国で作成されたという。当時の日本の外国語事情を示唆して余りある。
若き福澤諭吉が横浜に出てきて、もはやオランダ語の時代ではなく英語の時代だと悟る。英語を学ぶために、森山の門を叩く。しかし、当時多忙を極める森山は福澤の弟子入りの申し出を断る。これもまた、歴史の非情な点である。
明治維新が成って、森山は職を解かれた。新政府から仕官の強い勧めがあったが、固辞する。ペリー来航(1853年)からの15年間、森山は心身をすり減らし過ぎた。小石川の自宅でひっそり過ごした。やがて、放心したような日々を送り、急に老いが迫った。ほどなく、痴呆の症状も見られた。官職を離れて僅か数年でこの世を去った(明治4年3月永眠)。
本作品がラナルド・マクドナルドと森山栄之助の存在に光を当てた点は、その功労の一つである。
2011年09月05日
閑話休題のビジネス英語(29) (PF392)
コインランドリーという日本語は人口に膾炙している。有料で利用する洗濯機や乾燥機が設置されている施設のことである。家庭には無い大型で強力な洗濯機はときに便利である。また、乾燥機の普及率は低いので、必要なときだけ有料で利用するのは理に叶っている。一方、マネーロンダリングという英語が最近使われるようになってきた。例えば、橘玲氏の著書に「マネーロンダリング入門」がある。金融業界の人なら、この言葉を知らぬ人はいないであろう。コインランドリーの「ランドリー(laundry)」とマネーロンダリングの「ロンダリング(laundering)」は全く同じ語源である。一方は名詞で、他方は動詞のing形であるに過ぎない。発音に注目してみると、本来の発音は後者の方に近い。つまり、家庭内にある洗濯場を英語でlaundryと言うが、これは英語では「ローンドゥリー」と聞こえる。因みに、シンジケーションを開始するときや社債を公募するときなどに、launch(ローンチ)すると言うが、ラーンチするとは言わない。"laun"の部分の発音はやはり「ローン」である。
コインランドリーが日本で設置され始めた頃、どうして「コインランドリー」ではなく「コインロンドリー」と呼ばなかったのか。察するに業界関係者はlaundryという綴りに誤導されて、ランドリーというカタカナを当てたのだろう。
英語が日本語化するとき、こういう現象は起こる。有名な例では「グラス」と「ガラス」や「バレー」と「ボレー」などがある[本シリーズ(24)ご参照]。やっかいなのは、一旦呼び方が定着してしまうと、これを覆すのは不可能に近いことである。「サングラス」を「サンガラス」と呼ぶことは今後もないであろうし、「窓ガラス」を「窓グラス」と言う人も出てこないであろう。「ワイングラス」で乾杯するのであって、「ワインガラス」では何のことかと訊かれる。また、ママさんバレーであって、ママさんボレーとは言わない。テニスやサッカーではボレー(ボレー・ショット/シュート)と言い、バレーとは言わない。従って、コインランドリーは日本語ではこれからもコインランドリーであって、コインロンドリーにはならないと思う。
これでどんな不便があるかと言われれば、さして不便もないといえるかもしれない。但し、日本で生活している限りは、と但し書きを付しておく。
英語で話をしているときに、laundryという単語を使用する場面を想像してみよう。例えば、長期出張で、ホテルではなくアパートに宿泊することになったとする。そこで自分で衣服を洗濯しなければならず、チェックインしてまもなく洗濯場の所在を受付の人に訊いたとする。Where is the laundry at the apartment? こんなときに思わず、laundryを「ランドリー」と発してしまう。「コインランドリー」という日本語が脳裏に連想されるからである。そして、相手が怪訝な顔するので、通じていないと悟る。laundryを「ロンドリー」と発音しなかったことが原因かと即座に気付けば、まだいい方である。
つまり、英語と日本語の両国語を使用する者は、laundryという一つの単語について意味用法はほぼ同じではあるものの、英語ではロンドリー、日本語ではランドリーと、似て非なる発音を使い分けなければならない。これが極めて煩雑に思える。日本語でも初めから「コインロンドリー」と言ってくれれば良かった、と思わずにはいられない。
綴り通りに発音されない英語の側にも、もちろん問題がない訳ではない。英語の綴りと発音との間にある不規則性については、英国の作家・批評家ジョージ・バーナード・ショウが皮肉たっぷりに揶揄した。曰く、魚を意味するfishをこれから"ghoti"と表記したらどうかと[詳しくは本シリーズ(9)ご参照]。英語を母国語とする人も、自分の母語において綴りと発音の間に不規則な点があることを百も承知している。
2011年08月29日
携帯端末 (PF391)
早稲田大学の津田廣喜教授が新聞のコラムで興味深い点に触れていた(日本経済新聞夕刊8月23日「あすへの話題」)。曰く、先日山手線で座席に座っていた7人中6人が携帯電話の画面を見ていた。残りの一人は漫画週刊誌を読んでいた。携帯電話の画面を見ながら駅の通路や道路を歩けば、速度は落ち、他の人の邪魔になる等云々。携帯端末の普及は多大な利便をもたらしている。生活が便利になっていることに異論はない。とりわけ、ビジネスにおいて顕著だと思う。筆者は会社のブラックベリーを持ってから、明らかに仕事のスタイルが変わった。どこに居ても仕事のメールをやりとりできるのは便利である。会社に遅くまで残っている必要がない。出張中もメールのやりとりがリアルタイムでできる。
あまりにも便利すぎて、休暇中などはむしろ困惑してしまう。メールが無かった時代は「知らぬが仏」で休暇中電話が掛かってこなければ、それで良かった。いまは休暇中でも一日1回程度受信メールに目を通す。夏休みのような長期休暇中は必要に応じてメモを取る。そのとき、当該メールの発信者や受信日時、用件の要旨なども記しておく。そうしないと、休暇明けに件のメールがどこにあるか判らなくなってしまう。ひどいときには、メールの存在自体を忘却してしまう。もっとも、休暇中はメモを取っても、時間に余裕のある用件は敢えて即座に応答しない。
携帯端末やスマートフォンの恩恵を受けている一人なので、電車の座席に居た7人中6人が携帯電話の画面を見ていたとしても、とやかく言うつもりはない。残りの一人が漫画を読んでいたとしても、他人のやっていることに世話を焼くのはお節介というものであろう。しかし、津田教授が示唆していることには共鳴する。この電車の座席に座っていた6人にとって携帯端末は、もしや持て余した時間を潰すための単なる玩具ではないのだろうかと。玩具でしかないとしたら、これからどんなに便利な機器が発明・開発されたとしても、人間の知性や知恵の向上とは無関係なのかもしれない、などと思ってしまう。
ラジカセ(ラジオ付きカセットテープレコーダー)が世に出てきたのは今から40年ほど前であろうか。それから何年か経つと普及品も多く製造・流通しはじめ、製品価格も下がった。筆者は学生時代英語の勉強に役立てようと普及品の安価なラジカセを1台購入した。ラジオの英語番組をテープに録音し、それを何度も聴いた。当時NHKラジオ英語会話の番組講師は東後勝明先生である。番組を録音したテープの、ある箇所を繰り返し再生したりするものだから、ラジカセの再生・停止のボタンを随分酷使した。ボタン周辺のメッキは早々に剥げ落ち、購入して3年ほどでラジカセ自体が壊れてしまった。お陰でラジカセが壊れた頃には、英会話の力もそこそこ付いたと思えたので、2台目のラジカセ購入は控えた。
iPodおよびそれに類したデジタルプレーヤーが普及しはじめてほどなく、ラジカセ時代を思い出し、デジタルプレーヤーを英語の学習に利用しようと試みた。いまから6年ほど前のことである。当時は「サン電子」という会社がラジオ番組を予約録音する機能を備えたデジタルプレーヤーを製造・販売していた。これを購入して、英語の番組を予め予約録音し通勤途上で聴いていた。ラジカセ時代に比べると、予約録音ができて、さらに録音したものをデジタルプレーヤーで持ち運べるという点で格段に便利になった。この経緯は当時本ブログでも何度か書いた。
新しい機器や製品の誕生には常に興味を持っている。新しい機能を備えた機器や製品が発表されると、それは自分の生活にどう生かせるか検討してみる。ビジネスの躍進に余念がない製造販売側の狙いを推測してみるのも、愉しい。
大事なことは、闇雲に流行を追うことではない。人がやっているから自分もやる、といった付和雷同な姿勢はもっての外である。自分は何がやりたいのか、それを実現するためにどんな機器が活用できるのか、それは費用・便益の両面から妥当か、といった諸点に注目して冷静に判断する以外にない。
きょうも、通勤電車の中で無聊をかこって携帯端末の画面を眺めている人は少なくない。
2011年08月22日
吉村昭を読む (PF390)
若い頃、ひとりの作家に魅了されると、その作品を続けて読むことが少なくなかった。いま思えば、豊饒な時間である。ひとりの作家を通じて、その人生観や人間観を体感することができる。自分の人生は1回限りであるが、作家を通じて別種の人生を垣間見ることができる。読書の効用や魅力のひとつは、間違いなくそういうところに在る。最近吉村昭に興味を持っている。1927年(昭和2年)生まれの同氏は、筆者の実父と1つしか歳が違わない。2006年(平成18年)に永眠した。かつて月刊誌文藝春秋に「破獄」を連載していたのを覚えている。興味深いテーマを追っている作家だとは当時思ったが、その作品に親しむ機会はなかった。
この夏休みに、同氏の『日本医家伝』(当初昭和46年刊行。現在講談社文庫所収。)と『アメリカ彦蔵』(当初平成11年刊行。現在新潮文庫所収。)を読んだ。前者は幕末に活躍した日本人医師12人を採り上げたものである。どの医師の生涯も個性的で、著者が何故それぞれの医師の生涯に興味を持ったかが察せられる。さらに面白い事実は、『日本医家伝』で採り上げた医師のうち何人かについては、吉村昭が後日長編作品に仕上げている点である。医師名と長編作品名を列記すると次の通りである。
楠本いね:『ふぉん・しーほるとの娘』
前野良沢:『冬の鷹』
中川五郎治:『北天の星』
笠原良策:『めっちゃ医者伝』
高木兼寛:『白い航跡』
松本良順:『暁の旅人』
幕末に活躍した医師たちに対する吉村昭の関心は永く同氏の中にあり、それが作品として徐々に昇華されていった過程が分かる。『日本医家伝』はその端緒となる作品である。
もうひとつの作品『アメリカ彦蔵』は、幕末日本国内を運航する回船に水夫として乗船していた13歳の彦蔵(幼名彦太郎、米国国籍を取得してジョゼフ・ヒコ)が、大時化に遭遇し漂流。生死をさまよう中、幸運にも米国船に救助され米国に渡る。米国で教育を受け、9年後に日本に帰国。在日アメリカ領事館の通詞(通訳)となるなど、幕末の日本で数奇な人生を辿った彦蔵のノンフィクション作品である。当時時化に遭った回船は転覆を避けるために、最悪の場合帆柱を自ら切り落とし坊主船になることがある。彦蔵の船も同様の手段に及び、そのため時化が止んでも海流に身を任せる以外になかった。幕末の日本で海運に従事し不運にも漂流民になり、生死をさまようなか外国船に救助される例は少なくなかった。有名なジョン万次郎もその例である。
『アメリカ彦蔵』は彦蔵が出会う幕末日本のさまざまな漂流民をもよく描写する。作者はあとがきで「漂流民の一人一人の調査に力を傾けたが、それが容易ではなく、今までこれほど手こずったことはない」としている。しかし、その甲斐あって、本書は歴史に埋もれている漂流民の数々を活写して余りある。
日本で初めて新聞を発行したのは彦蔵である。米国で見聞したnewspaperは日本でも役立つと思った。外国の新聞記事を翻訳し、当時の日本人に外国事情を知らしめるのを目的として新聞を発刊した。彦蔵は英文を自在に読み、英語の文章も綴ることができるが、母国語である日本語の知識は寺小屋に通っていた頃の域に止まっている。英語の新聞記事を自ら日本語に意訳するが、良質の日本文を書くことができない。そこで岸田吟香など文章家の助力を得た。彦蔵の日本語力の不足は、英語を学ぶ現代の我々にとってもひとつの教訓である。外国語に通じることは大事なことであるが、母国語の力があってこその外国語の力である、ということを痛感する。
先日豪州ケアンズに在る英語学校を訪問する機会があった。多くの日本人が在籍している。学校の理事長は校内では母国語の使用を禁止し英語だけを使用することにしていると説明していた。その学校の方針に偽りはなかろう。しかし、校内を散策すると日本人同士が日本語で談笑している姿を多く見かけた。彦蔵の時代から150年下った現在においても、我々日本人は英語という外国語の習得に対峙しているのである。
2011年07月19日
多読・通読・濫読(28) (PF389)
• 吉村昭の「三陸海外大津波」の筆致に惹かれて、同氏の「関東大震災」も続けて読んでみた。「三陸海外大津波」発表の3年後1973年に「関東大震災」は刊行されている。大正12年あるいは1923年という年号を何故か小学生のとき以来記憶している。関東大震災が発生した年である。その年の9月1日ほぼ正午に大地震は東京首都圏を直撃した。
当時東京大学で地震研究に携わる助教授がいた。その今村明恒助教授は過去の地震の歴史を辿り、凡そ平均100年に1回の割合で東京周辺に大地震が発生していた事実に注目。直前の安政の大地震から当時既に約50年が経過していることから、将来50年以内に再び大地震が発生してもおかしくないと主張した。安政の時代に比べ東京は人口が増え家屋は密集しているので、もし大地震が発生すれば被害規模は安政の時代より大きくなる可能性も指摘している(p24)。地震は現代でも正確に予知できるものではないが、歴史的な事実を収集することはできる。
「関東大震災」の記述には驚くべき事実が頻繁に出てくる。その中でも本所被服廠跡に周辺から避難してきた約4万人の住民が、同地で発生した竜巻や火災でほとんど焼死してしまったという事実は筆舌に尽くしがたい(p77以下)。吉村昭の筆致はこれを冷静に沈着に描く。
関東大震災発生直後から、朝鮮人来襲等の流言蜚語が日本各地に蔓延した。本書も日本各地でどれほど広範に根拠のないデマが流布していったかについて詳述している。大震災から遡ること13年前の1910年、日本は韓国を併合した。爾来当時の日本人の深層心理に、朝鮮半島の人々から恨みを買っているのではないかという後ろめたさや恐怖心が存在していたに違いない。吉村昭はあとがきで、関東大震災後の「人心の混乱に戦慄した」とし、「災害時の人間に対する恐怖感が、私に筆をとらせた最大の動機である」とも書いている。
• 作家曽野綾子の作品には残念ながら今まで親しんでいないが、昨年(2010年)出版された同氏の「老いの才覚」には随分共鳴するものがあった。同氏は1931年生まれで、出版時78歳。本書で老人はもっと自立すべきだと主張する。年をとっても自立できない老人が増えていると嘆いている。若い世代の人間が同種のことを言えば、顰蹙を買い角が立つ。しかし、78歳の作家が言えば、返す言葉がない。
「言語的に複雑になれない人間は思考も単純」(p25)とする指摘は手厳しいが、真実であろう。著者は読書する人が少なくなったとも指摘している。もちろん、読書も量より質が大事だが、質が量によって向上してゆくという側面も見逃せない。
「(国の)年金制度など撤廃して、めいめいで老後に備えたほうがいい」「社会保険庁みたいないい加減なところに任せられない」(p53-54)という意見は、本人も「極論」かもしれないと付言しているが、78歳の著者が言えば説得力がある。
日本の社会保険制度は明らかに崩壊しかけている。著者の強調する個人の「自立」が広がれば、社会保険制度に内在する問題はもう少し軽くなろう。国や他人に依存する気持ちを削減することが、すなわち著者の言う「自立」である。
2011年07月11日
炭酸水の魅力 (PF388)
海外のレストランで水を注文すると、質問されることがある。Still waterにしますか、Sparkling waterにしますか。もう随分前のことになるが、この質問をされたときに何を訊かれているのか咄嗟には分からず、応えに窮したものである。Still waterは我々が知る普通の水である。Sparkling waterは炭酸入りの水(炭酸水)である。暑い夏の盛りに、炭酸飲料は喉を潤す。銀行に入行した年の最初の夏、独身寮内はただでさえむさ苦しく、寮内の知り合いと仕事のあと毎晩のようにコカコーラを飲みながら談笑したのを覚えている。当時はホームサイズと言われた500ml容量のガラス瓶入りのコカコーラがあった。なぜビールではなかったのか。知り合いも筆者もそれほどアルコールは得意ではなかった。
いまでも夏には炭酸飲料を飲む機会が多い。しかし、コーラやサイダーなどの市販の炭酸飲料の難点はカロリーが高いことである。一方、炭酸水は文字通り水と炭酸だけなので、カロリーはゼロに近い。カロリーの摂り過ぎを懸念する向きから見ると、炭酸入りの飲料を飲むなら、炭酸水を選ぶのが賢明である。
もっとも、炭酸水と出会ったときの第一印象は頗る良くない。それは、Still waterかSparkling waterかとレストランで訊かれて戸惑ったからではない。初めて炭酸水を口に含んだとき、その味の無いことに失望したからである。こんなまずいものをどうして飲めるのだろうと思ったほどである。「水」といえば、炭酸の入っていない水が、自分にとっては「水」である。「炭酸飲料」といえば、何がしかの美味しい味覚が伴うのが「炭酸飲料」である。従って、どちらのカテゴリーにも入らない炭酸水は、当初この世の飲み物とは思えない存在であった。
しかし、海外出張などの際にレストランでSparkling waterを飲む機会は少なからずある。炭酸の爽快感を得ながら、過剰なカロリー摂取を気にしなくていい。炭酸の爽快感を専ら追求するなら、さまざまな味付けをする方がむしろ邪道であろう。察するに、ヨーロッパで炭酸水を飲用してきた歴史をひも解けば、さまざま味付けは後世に行ったものに違いない。炭酸入りの飲料の中で、大人の風格のある飲料は炭酸水ではないかと思える。
先日近隣の量販店で500mlサイズのペットボトルに入った炭酸水が安価に売っているのを知って、まとめて購入してきた。自宅の冷蔵庫で冷やして飲んでいる。炭酸の爽快感は他のものを以って代えがたい。
量販店で買った炭酸水のペットボトルのラベルを見ると、「ソーダ割りやカクテル」での利用を推奨している。コンビニでは炭酸水がなかなか手に入らない。炭酸水を販売している自販機はまずない。コーラやサイダーなどの炭酸飲料は有り余るほど普及しているが、炭酸水はほとんど普及していない。炭酸水を飲用する習慣は、我々日本人にはほとんど定着していないと言える。
関東地方も梅雨明け宣言が出された。例年よりも早い梅雨明け宣言である。節電の要請もあり、昨年にも増して暑い夏になりそうである。今年の夏は炭酸水で乗り切る、と筆者は独り秘かに宣言している。
2011年07月04日
多読・通読・濫読(27) (PF387)
• 井上ひさしは昨年(2010年)4月永眠した。昭和ひとケタ生まれで、筆者の両親の世代と同じである。長じて「ひょっこりひょうたん島」の作者だと知り、子供向けテレビ番組の原作者という印象を拭うことは、しばらくできなかった。最近発刊された同氏の「日本語教室」(2011年3月。新潮新書)は、約10年前(2001年)に母校上智大学で行われた講演を基に出版されたものである。漢字は一文字では落ち着かないが、二文字以上の熟語になると落ち着くという指摘がある。例として「会」という字を採り上げ、これ一文字ではあまり意味を成さないが、一旦「会社」や「集会」という二字熟語にすれば安定する。「決起集会」「学生集会」と四字熟語にすれば複雑なことも簡単に表現できる(p97-98)。
明治時代には外国語の日本語訳としてさまざまな新語が誕生した。このうち、「権利(rightの訳語)」と「自由(freedomやlibertyの訳語)」は日本語訳としては適切ではなかったかもしれない。なぜなら、日本語の「権利」は古来「権力と利益」を意味し、「自由」は「我儘勝手し放題」を意味したからである(p99以下)。
個別の日本語の知識もさることながら、井上ひさしの軽妙でユーモア溢れる語り口が再現されていることが、本書の最大の魅力である。「ひょっこりひょうたん島」の作者は健在である。
• 東日本大震災が発生していなかったならば、この本を手に取ることはなかったであろう。吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)。著者は三陸海岸を何度か旅しているうちに、同地域の人が津波の恐ろしさを語るのに接し、本書執筆を思い立ったと書いている。本書発刊は1970年。本書は三陸海岸を襲った過去3回の津波を事実に則して丁寧に纏めている。古い順に、明治29年(1896年)、昭和8年(1933年)、昭和35年(1960年)の3回である。
そもそも、リアス式海岸で太平洋に面し地震の多発する地域であるという特性が、三陸海岸の周辺にはある。本書が扱ったのは明治29年以後の津波に限定されるが、本書に拠れば、同地域に間断的に地震・津波が発生していることは過去の記録から明らかである。記録に残る大津波だけでも、過去1,200年弱の間に18回の津波が記録されている(p60)。福島原発や女川原発の立地はそもそも妥当だったのか、疑問なしとしない。
本書で興味深かった点のひとつは、地震・津波の発生前に起こる前兆である。周辺の広い地域で、井戸水の減少、渇水、混濁が見られたという(p79)。先日筆者の住む地域で防災についての会合があった。ライフラインのひとつである上水道の断水に備え、近隣小学校の敷地に井戸を掘って、地震等万が一の災害の際の飲料水に使用する提案があった。本書を読む前であったが、他に類例を聞いたことがなかったので、実用に耐えるのかと荒唐無稽の印象を持ち、費用対効果を十分検討すべきだと慎重論を意見した。吉村氏の著書によれば、地震が発生すると井戸水にも異常を来たし、しばらくの間使用できなくなる。ということは、近隣小学校の敷地に井戸を掘っておいても、災害の際の飲料水に使用することはできない可能性が高い。人間の知恵というのは世代を超えて伝播させることが必ずしも容易ではない、ということが分かる。
なお、昭和35年に発生した津波は、南米チリの地震が原因である。このとき、三陸海岸周辺では地震は発生していない。三陸海岸周辺で発生した過去の津波を調査した結果、約4分の一弱は南米で発生した地震に由来するものであることが分かっている(p170)。
2011年06月27日
ニュージーランド出張 (PF386)
ニュージーランドは南半球に位置する。オーストラリアの東側にあり、南北に細長い島国である点は日本と似ている。国土の面積は日本の約4分の3程度。南緯35度から45度程度に及ぶ。日本が北緯30度から45度程度に及ぶのと比較すると興味深い。季節は北半球と正反対なので、6月はニュージーランドの初冬である。加えて、冬は降雨量が多い。日本の冬が乾燥しているのとは、大きく異なる。今月(2011年6月)初めてニュージーランドに出張した。多くの観光客が訪れる国ではあるが、ビジネスの機会もある。成田空港からシドニー経由ウエリントンに入った。到着後ウエリントンの空港で荷物を受け取ろうとすると、自分の荷物が見当たらない。そういえば、入国審査の際、行列の中で待っていると自分の名前を呼ぶアナウンスメントがあった。用件を言わないので当方も何故呼び出しを受けているのか理解しかね、そのときは後刻対応すればいいと考えた。入国審査終了後Buggage Claimでなかなか自分の荷物が現れないので、アナウンスメントを思い出したのである。
自分の荷物は宿泊先のホテルに明朝届いた。その日は朝9時から顧客との面談があったので、スーツケースの中にあるスーツやネクタイがどうしても必要であった。朝7時過ぎにホテルのコンシャルジェで自分のスーツケースを発見した。
ウエリントンでは小雨が降ったり止んだりしていた。街行く人は傘をさしていない人も多い。ウエリントンはニュージーランドの首都とはいえ、人口40万に満たない。マウンテン・ビクトリアへタクシーで登ったが、天候不順で視界不良、ウエリントンの港と町並みを十分に眺めることは出来なかった。
ウエリントンからタウポ湖に隣接するタウポの街には、20-30人しか搭乗できないような小さなプロペラ機で飛んだ。飛行時間は1時間弱。タウポ湖はニュージーランド最大の湖である。ここで2泊を過ごし、最終目的地オークランドへ向かった。再び20-30人しか搭乗できないような小さなプロペラ機である。タウポからオークランドまでは自動車でも3時間半程度で到達することができる。現地の関係者は、日程が許せばタウポからオークランドの道程はクルマでの移動も悪くないと勧めてくれた。小さなプロペラ機よりクルマでの移動に興味があったが、やはり日程が厳しい。
オークランドは人口150万のニュージーランド最大の都市である。首都ウエリントンが思いの外閑散としていたので、オークランド市内に入った時にはニュージーランドで初めて都市らしい都市に来たと感じたものである。街を歩く人の中に日本人らしい人を見かけたのも、ここが初めてである。オークランドでも曇り空と時折降るにわか雨に、気分は晴れなかった。1泊した後日中の仕事を終えると、午後遅くホテルの洗面所で着替えて空港へ向かった。シドニー経由夜行便で日本に帰国する。
オークランド空港に到着して唖然とした。オーストラリア行きのフライトが続々とキャンセルされているのである。原因は6月初めにチリで発生した火山の噴火である。火山灰が南半球を回遊し、オーストラリア南方やニュージーランド付近に滞留しているらしい。このため、断続的に旅客機の運行に支障が出ていた。インターネットの情報で同日運行再開を確認していたが、夕刻から急に状況が変わったらしい。空港に到着するまで知らなかった。
シドニーを同夜発つ成田行きの便は平常通りである。しかし、オークランドを予定通り発ちシドニーに到着しないことには、シドニー発の便に搭乗することができない。オークランドを発つタイミングを外すと、成田への到着は丸1日遅れることになりかねない。
航空券を発券してくれた日本の旅行会社に連絡を入れてみた。なにかいい知恵はないか、助言を求めた。しかし、旅行会社もオークランド発シドニー行きの便がキャンセルされた事実を初めて知ったという状況で、埒が明かない。オークランドでもう1泊過ごす考えも頭を過ぎった。
出発便の電光掲示板を眺めていて、気付いた。午後6時以降のシドニー行きの便が悉くキャンセルになってはいるが、午後6時ちょうど発のエミレーツ運航のシドニー経由デュバイ行きの便が今まさに搭乗中である。これが本日最終のシドニー行きの便のようである。時計を見ると午後5時25分。まだ航空券を購入できるかもしれない。目に入ったエミレーツのチェックイン・カウンターに行き尋ねると、担当者は「エミレーツのデスクで確認してほしい。5時30分までなら可能性がある。」と教えてくれた。エミレーツのデスクに着いたのは、それから数分後。
口早に航空券を求めた。そうすると、「パスポートを見せろ」「オーストラリアのビザは持っているか」等々質問はされたが、辛うじて航空券を購入することができた。購入して一安心したのも、つかの間。エミレーツのシドニー経由デュバイ行きの便の搭乗口は、そこから1,000メートル近く離れていることが分かった。もちろん、既に乗客は搭乗を開始している。スーツケースを転がしながら、オークランドの空港内を疾走した。搭乗口に着いたのは5時45分。なんとか間に合った。
往路のスーツケース紛失騒ぎといい、ニュージーランド滞在中の天候不順といい、帰路のフライト・キャンセルといい、随分と愉しい経験をさせてもらった。日本から持っていった文庫本2冊は、ほとんど読む機会がなかった。
2011年06月08日
チャブリス&シモンズ著「錯覚の科学」 (PF385)
米国の心理学者二人が書いた本である。両名は認知心理学を専門とする。バスケットの試合のビデオを見て、パスの数を数えてもらうというテストを行った。ビデオにはゴリラのぬいぐるみを着た人が登場する仕掛けになっている。しかし、テストに参加した人の約半数はゴリラの存在に気付かない。この実験の結果は評判を呼び、両名は2004年にイグ・ノーベル賞を受賞する。そして、本書の英文書名”The Invisible Gorilla”はこの実験に由来する。
人間の認知能力には実はさまざまな落とし穴がある。上記の「見えないゴリラ」の実験例はその一例である。見えているようで見えていない。バスケットボールのパスの数を数えるという作業に集中しているために、他のことが認知されなくなる。
クルマの運転中に携帯電話の使用が禁止されるようになった。携帯電話を使用していると注意が散漫になり、交通事故を引き起こしやすいからである。この点についての一般の理解は、携帯電話の操作のためクルマの窓外から携帯電話に目を移すことがあるなどを具体的な危険例として思い浮かべる。従って、運転中の携帯電話の使用であっても、ハンドフリーの状態で携帯電話を使用するならば運転中でも是とする考え方が出てくる。著者によれば、ハンドフリーの状態での携帯電話の使用も会話に夢中になると注意が散漫になり危険に変わりはないという。全く同感である。
見えているようで見えていない。こういうケースを本書では「注意の錯覚」と呼ぶ。2001年2月にハワイ沖で発生した米海軍潜水艦による日本の漁業実習船えひめ丸への衝突事故も同種の事例として挙げられている。招待客を乗せた潜水艦は急浮上の実演をしていたところ、えひめ丸に下から衝突した。このとき、艦長には潜望鏡からえひめ丸が「見えていた」はずだが、見落としたといわれている。
ある朝のラッシュアワーの時間帯に米国ワシントンDCの地下鉄駅の周辺で、ストリートミュージシャンを装って世界的なバイオリストに演奏をさせる実験をした。実験前の予想は、名演奏に大勢の人が集まって大混雑を引き起こすのではないか、大混雑に対応するために整理要員を予め何人も用意する必要があるのではないか、というものであった。しかし、実際には立ち止まって演奏を聴き入った人は10人に満たなかった。多くの人は通り過ごした。立ち止まって熱心に演奏を聴いたひとりは同演奏家のコンサートを最近見に行ったことがある人である。
クルマとバイクの衝突・接触事故の事例で比較的多いものが、右折するクルマ(バイク)と反対方向から来る直進するバイク(クルマ)との衝突・接触事故である。その原因として一般にバイクの視認性が低いためだといわれている。このため、バイクは昼間でもヘッドライトを点灯するなどの自衛策が良いとされる。これに加え著者は、バイクの視認性を高める方策として、ヘッドライトをクルマのように2つ装備するとなお良いと指摘する。そうすると、クルマのドライバーの認知能力が向上するとする。
「注意の錯覚」が発生する要因のひとつは、通常全く予期しないようなこと、想定外のことが起こったときである。バスケットボールの試合に登場するゴリラも、頭上の漁業実習船も、路上の世界的バイオリストも、衝突・接触したバイクも、見落とした者にとっては想定外だったに違いない。ひとつのことに集中すると他のことが散漫になるという点と、そもそも想定外の事象には認知能力が及びかねるという点とが、人間の認知能力の限界だということである。もっとも、前者の点について言えば、人間の能力を最大限に発揮するためには集中する必要があり、これによって他のものを捨象する結果となっても止むを得まい。すべてのものに満遍なく注意を払うなどということは到底不可能であり、仮に一部可能であったとしても、それでは人はなにも成し遂げることはできまい。後者の点についても、何事にも想定外の出来事はあり得るとしても、極力「想定」の範囲を拡大する努力をすることによって我々の認知能力を向上させることができる、とも云える。
本書は「注意の錯覚」以外にも、他に5つの「錯覚」を採り上げる。2つ目の「記憶の錯覚」(記憶はゆがみやすい)も示唆に富む。しかし、他の4つの「錯覚」は敢えて「錯覚」の一種として分類しなくとも、既に我々の理解するところではないかと思った。例えば、「原因の錯覚」と著者が呼ぶものは、相関関係を因果関係と取り違えることを指摘したものである。
なお、日本語訳はこなれていて読みやすかった。
2011年05月30日
みずほは変われるか (PF384)
5月25日水曜日と26日木曜日の日本経済新聞朝刊特集記事の題名である。5月23日月曜日みずほが傘下の2銀行を統合すると発表し、翌24日火曜日各紙がこれを報じた。日経新聞の特集記事掲載はこの発表を受けたものである。この週筆者は偶々海外出張に出ており、日本の新聞に接する機会なく、帰国するまで詳しい報道を知らなかった。世に「反語」という修辞法がある。特集記事の題名を反語ではないかと思った人は少なくない。「みずほは変われるか」「いや、変われない」
旧3行が統合を発表してから11年が経つ。当時小学校6年生だった子供が大学を卒業して社会人となる。11年とはそれだけの長さの時間である。この間にみずほはシステム障害を2回引き起した。統合当時旧3行がそれぞれ有したシステムを統一できなかったことが遠因である。人事もまた旧3行のものを温存した。「バランス人事」という表現は、統合できない人事制度を糊塗するための美名である。
日本の大手銀行は東京三菱UFJ、三井住友、みずほの3行に収斂した。日本でプロジェクトファイナンスをはじめとした海外業務を積極的に推進しているのもこの3行である。この3行間の優劣がいまや鮮明になりつつある。みずほは収益力で過去4年間第3位である。上位2行のいずれかを凌駕し、第2位の地位をうかがう様子はない。
みずほは発足当時、個人と中小企業を取り扱うみずほ銀行と大企業を取り扱うみずほコーポレート銀行の2行を傘下に設立し、2銀行モデルを高らかに誇った。「最善の経営体制」とも自賛した。世界広しといえども、リテールとホールセールの2つの銀行を持つビジネスモデルが成功した金融機関の事例はない。成功すればみずほが初めてということになる。資金管理面でも、システム運営面でも、2銀行モデルの弱点は幾つも挙げることができる。一方、2銀行モデルの強みとは何かと問うたとき、説得力のある説明が見当たらない。だから、2銀行に持株会社を合わせた3社体制は、発足まもなくから、旧3行のポストを温存するための仕組みではないかと揶揄された。当時は「揶揄」に聞こえたろうが、いまやこれは「揶揄」にとどまるものではない。
みずほ発足当時の経営目標は悉く未達に終わっている。「IT(情報技術)のフロントランナー」という経営目標は、システム障害を2回起したことから顧みると噴飯ものだ。「経費率40%」の経営目標に対しては、実際の経費率が現在54%。他の2行がそれぞれ45%(三井住友)、50%(東京三菱UFJ)であることを鑑みると、この目標値未達自体はやむを得ないとしても、3行のうちで経費率が最悪なのは言い訳できない。
非財閥系としてのみずほは大手邦銀3行の中で少なからぬ存在意義がある。上場企業約7割との広範な取引関係も潜在的な強みである。しかし、この11年間旧3行のバランスが最優先され、旧3行間の調整に多大な体力を費消し、潜在的な強みは潜在し続けた。この11年の間に失ったものを取り返すのに、1年や2年では到底無理である。
「創業的出直し」を文字通りできるのかどうか。創業経験のない経営者が「創業的」云々とは尋常ではない。「創業的出直し」に行き詰ったら、もはや内部昇格を断念し経営者を外部から招聘する。そのくらいの覚悟がなければ、「創業的出直し」もまた、11年前の経営目標と同じ運命を辿りかねない。
2011年05月09日
テドロー著『なぜリーダーは「失敗」を認められないのか』 (PF383)
面白い本である。著者はハーバード・ビジネススクールの教授で、経営史を専門とする。同大学院には経営史の教授が数名居るが、経営史の授業はいずれも盛況であるという。「歴史の勉強のために同大学院に入学する学生は一人もいないはずだが」(同書p320)と著者は冗談交じりに云う。しかし、何事につけ、過去に学ぶことは鉄則であろう。経営に関することも例外ではあるまい。我々日本人が本書を読んで面白いと思える理由は、まず具体例が豊富だということである。本書は7つの失敗事例と3つの成功事例から成る。失敗事例には、フォード社、米国タイヤ業界、シアーズ、IBM、コカ・コーラなどが含まれる。成功事例にはデュポン、インテル、ジョンソン・アンド・ジョンソンが採り上げられている。
ヘンリー・フォードが1908年に発売した世界最初の大衆車モデルTは爆発的な成功を収めたが、後刻消費者の多様なニーズに応えることを怠り、フォード社は後発のGM社に後塵を拝することとなった。
1970年代から80年代に掛けてタイヤ業界ではラジアルタイヤのブームが起こった。主導したのは欧州のタイヤ業界。米国のタイヤ業界は既存の製品が売れなくなることを恐れ、ラジアルタイヤの製造を躊躇う。しかし、これは業界のパラダイムシフトを完全に読み間違える判断だった。
本書の原書の題名はDenialという。「否認」、「事実を否定する」、「事実を事実と認めない、受け容れない」という意味である。会社経営において、認めたくない事実を認めないという過ちを経営者は犯す。しかし、これは経営上取り返しのつかない結果を招くと説く。実例には枚挙に暇が無い。
思えば、著者の指摘は経営にとどまる話ではないということに気付く。著者が実例を以って示す教訓やアドバイスは、我々個人にも随分当てはまるものが多い。
「手遅れになるまで危機を待たない」
「長期的な視野に立つ」
「失敗は常識に囚われることから始まる」
ところで、会社経営と人の人生との大きな違いはなんだろうか。会社経営の目的は資本主義の下では収益を上げることと極めて明確だが、人生のそれはそう簡単に定義できるものではない。人それぞれに人生の目的があっていい。人生の目的が、会社経営のそれのように、仮に収入を増やすことなどとすれば、それは誰も首肯しまい。
会社経営の目的と人の人生のそれとが、かように大きく異なることから、著者の示す教訓やアドバイスは一見人の人生にも当てはまるように見えても、実は少々趣きが異なるところがある。そもそも、人の人生においては、「事実を事実と認めたくない、認めない」とすることによってしか乗り越えられないような苦難や理不尽がある。最愛の人や肉親を失った悲哀はその例であろう。
著者がテーマにした「否認」という行為は、実は人の人生においては処世術として少なからず効用のある行為でもあるのである。おそらく問題は、人生における処世術としての「否認」行為をそのまま会社経営に持ち込んでしまうと経営を誤る、という点なのだろう。
2011年05月02日
多読・通読・濫読(26) (PF382)
• 谷沢永一氏の文章は、硬質で無理無駄がない。かつてベストセラーになった同氏著「人間通」はいま新潮文庫で読める。ベストセラーと称せられる本にはちょっと距離を置くのが筆者の流儀である。本当に内容の良い本だからベストセラーになったのかどうか、見極めたい。見極めるには時間の力を借りるのが最善である。谷沢氏の著作は先般「向上心」を読むまで、読む機会がなかった。しかし、同書を読んで、すぐにピンと来るものがあった。本の出合いも人の出会いもピンと来るものがある。
「人間通」は内容も文章も秀逸である。「臆病」「悪口」「倫理観」「競争」「名誉」「嫉妬」「恋愛」「功績」「人材」「真理」「古典」「学閥」など数十の表題の文章から成る。一つの表題についての文章は千字程度である。千字程度の文章であるが、新聞のコラムのように、あるいはそれ以上に引き締まった文章が題目の内容に迫る。
例えば、「嫉妬」についてはこうある。
「隣の貧乏、鴨の味、という」「人の不幸は喜ばしい」「自分に近い者であればあるほど、その人物の栄達は居ても立ってもおられぬほど不愉快である」「世に時めく人気者や高位にあって輝く者が癇に障る」「最も強い情念は嫉妬である」「人間はどうしても嫉妬から解脱できない」「多少とも世に顕われるほどの者は、嫉妬の矢が全身に突き刺さると覚悟しなければならない」
「学閥」についてはこうある。
「日本には大学が二種類ある。東京大学とその他の大学である。東京大学も実は二種類ある。東京大学法学部と東京大学その他学部である。」
やや辛口が過ぎる嫌いもあるが、真実の一面を完膚なきまで切り裂いて見せて、その腕前は見事というほかない。
• 佐野眞一氏著「新忘れられた日本人は」(2009年。毎日新聞社)は、その著作名を民俗学者宮本常一の著作「忘れられた日本人」から採った。文字通り、あまり知られていない日本人の記録を採り上げることを眼目としている。
昭和23(1948)年から40年間に亘り、蒟蒻(こんにゃく)業界の業界紙「蒟蒻新聞」を独りで発刊し続けた村上貞一もその一例である。村上は戦前報知新聞の北京支局長まで歴任した。そして、戦時中中国で発行されていた日本語新聞の編集局長に転進した。しかし、終戦と同時に一万部以上の発行部数を持つ新聞の編集局長以上の者は全員GHQにパージされた。村上もパージの対象となった。当時三人の子供を抱える村上は生活費を稼ぐため、業界紙「蒟蒻新聞」を独りで発刊し始めた。丹念に調べ上げてコンニャクの値動きの相場表を完成させたり、コンニャクの歴史を説き起こしたり、コンニャクの栽培法や料理法についても書いた。また、文芸欄も設け自作の短歌を掲載した。「超零細でやってきた。発送のときは、家内も息子の嫁もみんな総出で手伝ってくれる。こんな新聞でも、刷り上ったら一日でも早く発送してやりたくってね。」
忘れられた日本人の中に、一度聞いたら忘れられないような物語がある。
2011年04月25日
民主主義と選挙 (PF381)
自宅の机の上に、「投票所入場整理券」と書かれた紙切れが残っていた。ある日曜日の夕方のことである。この日在住する市の市議会議員選挙の投票日であった。思えば、過去2週間ほど、鉄道の最寄駅周辺で朝も夕も立候補者が大きな声で連呼する光景が続いた。「おはようございます。田xx夫でございます。行ってらっしゃいませ。」「お仕事お疲れ様でございます。高xx子でございます。」自宅周辺には拡声器の付いたクルマがやってきて、駅周辺同様の連呼を再現する。郵便ポストには候補者の写真と名前が大きく印刷された葉書が何枚も入っている。現代の民主主義は間接民主主義である。国民や住民は選挙で代表者を選ぶ。選ばれた代表者が国民や住民に代わって、あるいは国民や住民の利益のために、行政の仕事を担う。しかし、代表者のほとんどは職業化している。代表者であることが生活の糧を得ることでもある。選挙に当選すれば失職しないが、落選すれば収入が途絶え生活費の確保に苦心する人もいるであろう。市会議員などであれば、こういう人も少なくないはずである。
今年筆者は町内会の役員を引き受けることになった。従って、地域で開催される町内会同士の会合にも参加する機会がある。先日地域の防災に関する会合に出てみると、現職の市会議員がひとり顧問として出席していた。50代と思しきご婦人の市会議員は言語明瞭だが、発言内容は至って陳腐である。町内会から参加しているひとりが近隣で見られた些細な問題について発言すると、市会議員は颯爽とこれを引き取り、「この問題はけして見過ごすことの出来ない問題だと思います。」「市の所轄の者に次回話をしておきます」また、別の人が発言すると、再びこれに続いて、「その問題はかねてより私が市議会で指摘してきた点でございます」 言葉が過ぎるかもしれないが、地域の会合に市会議員が参加する目的は自分自身を売り込むための、いわば選挙活動の一環かと見紛うくらいである。
こういう市会議員の姿を間近に見ていたので、その日曜日投票所に向かうことを止め、市会議員選挙の投票を忌避した。選挙に参加しないという選択は、理由はともあれ、正しい選択ではないかもしれない。やや大袈裟だが、民主主義の根幹に関わる問題と言っていい。
しかし、選挙運動期間中は立候補者が絶えず自身の名前を連呼して回り、葉書を選挙民の数だけ発送し、普段は地域の会合に頻繁に出席して自身を売り込む。民主主義の弊害のひとつは、間違いなく、ポピュラリズムの陥穽に落ちることである。
筆者は今般これに大いに反発した。蟷螂の斧はもちろん承知の上である。
2011年04月05日
3.11に蘇った思い出 (PF380)
40代後半の親しい友人の話である。彼の家族は大変仲のいい家族である。奥さん、大学生の娘さん、高校生の息子さんと4人家族。娘さんはお母さんに似て才色兼備。息子さんも気の優しい勉強のできる子である。彼自身、家族に恵まれた、と常々口にしている。その彼が、去る3月11日の東日本大地震を機に、面白い経験をした。以下、説明の便宜上彼の名前をKと呼ぼう。
Kはあの大地震の日機上に居た。海外出張の帰路で同日夕方成田空港に着陸する予定だった。しかし、午後2時46分に発生した東日本大地震で成田空港は閉鎖。急遽Kを乗せた航空機は関西国際空港へ向かった。大阪で一夜を過ごし、翌日土曜日交通網が混乱する中、一日がかりで自宅に戻った。自宅の被害は一見たいしたことはなかった。しかし、地震から数日後に押入れの棚が破損しているのに気がついた。
その押入れには、書籍やアルバム、通信物、資料など比較的重量のあるものが保管してあった。おそらく押入れの棚が破損したのはその重量が一因であろう。已む無く棚の上のものを下ろした。その中には随分昔の品々があった。Kによると、高校・大学時代のものもあったという。30年以上前のものがあったことになる。
Kは週末の休みに昔懐かしい品々を、なんとはなしに眺めていた。そうすると、自分でも忘れていたようなものまでが出てきた。ある女性からの数十通の手紙もそのひとつである。
Kによると、その女性は高校時代の同級生だという。筆者が当時のガールフレンドかと質したら、「よく分からない」とはにかんで笑った。「自分で、よく分からない」ってどういうことかと再び質した。そうすると、お酒の助けがあったせいか、ひとり懐かしむように当時のことを話し出した。以下はKの実話である。
「女性の名前はYさん。高校1年のときのクラスメートだった。長身でなかなかの美人。休み時間に文庫本を読むような読書好きでね。そういうタイプの女性は中学校には居なかったなあ。最初は話し掛けるのも緊張したよ。でも、クラスメートだったので、話す機会は少なくなかった。それが高校2年になってクラス替えがあってね、別々のクラスになっちゃたんだ。」
「どちらから先に手紙を出したのかは覚えていないが、手紙をやりとりするようになった。手紙のやりとりは大学卒業まで続いた。だから、高校・大学と凡そ7年の間手紙をやりとりしたことになる。」
「そういう手紙のやりとりがあったことすら、忘れかけていたよ。あの大地震が発生するまでは。もう25年以上前のことだからね。でも、先日の地震のお陰で、押入れの棚が壊れ、この手紙が僕の目の前に姿を現したって訳なんだ。なにか奇遇な感じがするだろう。」
筆者はKの若い頃の恋愛話に少々辟易しかけていた。昔のガールフレンドの手紙が出てきたというのなら、そんな珍しい話ではない。しかし、筆者が驚かされたのは、この後のKの取った行動である。
「手紙は全部読み返したよ。いやあ、人の作ったどんな名作映画や小説よりも心が動く。当たり前だよなあ、自分の若い頃の体験なんだから。」
「それでYさんのことが無性に気になってきた。今何処で何をしているんだろうって。幸せな生活をしているんだろうかって。最後に受け取った手紙の日付は大学4年の秋。それから25年以上全く音信は途絶えた。」
「連絡が取ってみたくなってね。25年以上前の住所に手紙を書いたんだ。ご両親が健在なら、届くんじゃあないかと思って。でも、我々の世代の両親はもう若くない。70代以上だろう。とにかくダメもとで投函してみた。当方の連絡先として住所の他、電話番号とメールアドレスを添えておいた。そうしたら、Yさんからメールが返信されて来たんだよ。すごいことだろう。」
25年振りに高校生時代の異性の友人に連絡を取ってみたというKの行動力には感服した。なにが彼をしてこういう行動に駆り立てたのであろうか。
「ひとつはあの地震だね。東北の各地で一瞬にして街が津波によって流されただろう。人の人生も命も、自分ではコントロールし切れない部分が厳然としてある訳だよ。それから、当時の手紙にあった住所は25年以上前のもの。彼女の実家のはずだが、これからさらに10年も経ったら、この住所にはご両親は居なくなっているかもしれない。つまり、いま連絡を試みないと、もう二度と連絡がつかないのではないかと切迫感を持ったんだよ。タイミングという意味では、自分の年齢も関係している。もうまもなく50歳になるからね。仮に近い将来Yさんと再会できる機会があったとして、お互いがおじいちゃん、おばあちゃんではちょっと遅すぎる。お互い元気なうちに再会したいという思いもあったなあ。」
なるほど、人生6割か7割を過ぎた我々の世代は、残された時間に限りがあるということでもある。Kの行動の所以が少し理解できた。
筆者の関心は、メールの返信を受けたKがそのあとYさんとの間でどういう進展があったかという点に移っていった。
「僕も即座にYさんにメールを送付したよ。連絡が取れて嬉しいとね。そして、高校・大学時代の思い出に触れた。『当時は君のことが好きだった』とは、さすがに言えなかったけどね。」
Kはそう言うと、またはにかんで笑みをこぼした。これはKの初恋に違いない。
筆者も興味が湧き、近いうちに再会するのか等々詮索してみた。
「いやあ、それがYさんからのメールは2回来たけど、その後途切れている。理由は分からない。『私も元気にやっています』とはメールの中で言っていたけど、実はあまり現在の自分のことを具体的に話してくれない。姓が変わっているので結婚していることは間違いないはずだけど。」
Kはそう言うと、今度は思案顔に変わった。そして、居酒屋を出る頃には、こんなことを言っていた。
「25年振りに僕が連絡を取ったことは、彼女にとって本当に良かったのかどうか。あまり彼女が現在の自分を語らないのが気になって仕方ない。」
Kの余震はしばらく続きそうである。
2011年03月21日
多読・通読・濫読(25) (PF379)
• コロンビア大学経済学部教授ジョゼフ・スティグリッツの近著「フリーフォール」(徳間書店。2010年)は米国の金融界や経済政策を完膚なきまでに非難する。リーマン・ショックに象徴される今般の金融危機は、確かに米国の経済政策あるいは金融ビジネスに再考を求めるものである。サブプライム・ローン、同ローンの証券化、マネーゲーム化した金融業務、想像を絶した高額報酬など米国固有の問題が存在する。「ベルリンの壁の崩壊からリーマン・ブラザーズの崩壊に至る時代、アメリカがグローバル化を途上国にとって公正なものになるように形作ることはなかった。アメリカの経済政策の基盤は自己利益だ。」(p332)と叱責する。市場経済についても過信は禁物だとし、「市場はまるで見えざる手に導かれるように社会の福利に資する、というアダム・スミスの名言は正鵠を得たものではなかったかもしれない」(p284)とまで指摘する。元来我々日本人から見ると、サブプライム・ローンも胡散臭い証券化商品も一桁も二桁も違う高額報酬も、この世のものとは思えない。なぜ、かの地ではこういうことが起こるのか。強いて我が身を振り返れば、80年代後半の日本のバブルが想起される。いずれも常軌を逸した馬鹿げた出来事である。アメリカ人でも日本人でも、愚行を為すのである。
奇しくも、本書「フリーフォール」の中でジャレド・ダイアモンドの著書「文明崩壊」への言及がある(p355)。イースター島の住民は自分たちの生活のため、次々と周辺の木を切り倒した。やがて切り倒す木が無くなると、住民は生活が維持できなくなった。イースター島の文明はこうして滅びた。
アメリカの経済や金融をこれほどまでに批判・非難するジョゼフ・スティグリッツ氏がアメリカに在住を続けることが些か疑問に思える。なぜ、この方は「イースター島」を脱出しないのだろうか。
• 「人生はかなり早い時期に、二通りのコースに分かれます。すなわち向学心を持って励む者と、それとは無縁でゆく者と」
これは谷沢永一氏著「向学心」(新潮選書。2000年)の表紙に書かれている短文である。この短文に惹かれ、思わず同書を手に取った。そして、読後今春大学に進学する娘に薦めた。
谷沢永一氏は昭和4(1929)年生まれ、関西大学名誉教授。日本近代文学が専門ながら社会経論に健筆を振るう。本書は32人の一線で活躍した人物を「向学心」という切り口で観る。
英語学者斎藤秀三郎(慶応2年1月生-昭和4年11月死去)については、英語研究のためにはすべてを顧みなかったとある。次女は自分の結婚式に父は出席してくれないと諦めていたが、前夜になって出席してくれることが分かり嬉しさのあまり泣き出した。世間の交際にも無関心で、同氏が亡くなったとき、未開封の手紙が柳行李に二杯あった。師事したひとりは「その英学はたいしたものでしたが、浮世のことはなんにも知らなかった。漢学もあまりなかった。手紙を書いても皆英文でただ馬鹿の二文字だけが漢字でした。」
大正4年に出版された「熟語本位英和中辞典」(岩波書店)は同氏が独りで執筆・編集した力作であり、いまでも出版されている。
2011年03月14日
大竹文雄著「競争と公平感」 (PF378)
大竹文雄氏著「競争と公平感 - 市場経済の本当のメリット」(中公新書。2010年3月)を興味深く読んだ。「競争を嫌う日本人」という指摘は首肯する。筆者も競争が好きなわけではないが、資本主義・市場主義の経済体制の中では避けては通れない。他者に「勝つ」ということが重要なのではなく、自分に「負けない」ということが重要だと思っている。民主主義は多数決を旨とするものだとか、全員の意見を聞くことだとか、戦後日本人の理解する民主主義はやや偏狭に失する嫌いがありはしないか。資本主義・市場主義に対する理解も同様で、極端に忌み嫌ったり、あるいは盲目的に支持したりする弊なしとしない。本書はまた「日本人会社員の有給休暇の取得率が低いのはどうしてか」という問題についても触れている(p172)。この問題については筆者自身面白い経験をしている。邦銀勤務時代、有給休暇の取得率50%前後だった点は本書の指摘の通りである。それが外銀に勤務するようになって取得率100%に急上昇した。本書は「日本の有給休暇の取得率が低いのは制度的な問題ではないか」つまり「ヨーロッパでは年次で有給休暇取得計画が作成され有給休暇の取得がほぼ義務化されているが、日本では会社員が個々に取得のタイミングを決める。取得のタイミングを自分で決めることができる一方で、病気など不測の事態も想定すると、どうしても未消化の休暇が残る。」云々。しかし、これは随分実態とかけ離れた議論である。
日本の有給休暇取得率が低いのは、山本七平が指摘した、いわば「空気」(ここでは職場の雰囲気や慣行)のせいである。これ以外の何ものでもなかろう。つまり、自分の属する会社組織の中で、自分ひとり他の人と違う行動を取ることは難しい。職場の人たちの多くが有給休暇の取得率を50%程度に留めている中で、自分ひとり100%消化を毎年行うのは現実的ではない。むしろ、有給休暇の取得率が人並みに50%程度であることが、協調性や仕事・会社への忠誠心の証だと考えられている節がある。この点は付き合い残業が発生する理由にも当てはまる。
「制度的な問題」として指摘できるのは、Sick Dayという制度が日本には普及していない点である。欧米先進国のほとんどの企業にSick Dayの制度がある。Sick Dayとは有給休暇以外に病気で休んでも有給扱いとなる制度のことである。通常1年間に10日間ほどSick Dayが従業員に付与されている。このお陰で病欠しても通常の有給休暇を流用する必要がない。この制度があれば、病欠を危惧して有給休暇の消化を躊躇する必要がない。仮に有給休暇を100%消化した後に病気のため欠勤しても、Sick Dayを利用すればなんら問題はない。「制度的な問題」といえば、このSick Dayの有無ではないか。「取得のタイミングを自分で決めることができる」からとか、「病気など不測の事態も想定すると、どうしても未消化の休暇が残る」という分析は、やや浅薄と云わざるを得ない。Sick Dayの制度が日本の会社に欠如している点が問題の一端なのである。
2011年03月07日
閑話休題のビジネス英語(28) (PF377)
• “Rational fool”という言葉を最近知った。「合理的な愚か者」。経済学者アマルティア・センが使った言葉だという(楠木建「ストーリーとしての競争戦略」p285)。意味するところは、部分的あるいは局所的には合理的ではあるのだけれど、全体としてあるいは結果として不都合なことを指す。部分適切・全体不適切とでも言えばいいだろうか。省益あって国益なしと批判される官僚制度などもこの部類であろう。小さな部分で合理性があっても大きな視野で不合理であってはならない。ジャレド・ダイヤモンドが「文明崩壊」で描いたイースター島の文明が滅びる経緯もこれに類すると言えよう。• “Ichiro Ozawa was indicted over an alleged political funds law violation.”「小沢一郎氏は政治資金規正法違反の疑いで起訴された」- Wall Street Journalの記事である。"indict"は「起訴する」という意味の動詞である。名詞は "indictment"。 注意を要するのはその発音である。"c"は発音しない。従って、動詞は(敢えてカタカナ表記すれば)「インダイト」、名詞は「インダイトメント」。それぞれ「インディクト」とか「インディクトメント」などと誤って発音しない。法律用語ではあるが、教養ある人の日常会話には出てくるし一般のメディアでも使用している。そういう意味では正しく発音して使ってみたいものである。
• 「…を待つ」「…を待っている」という日本語に対して、英語は“wait”が充てられることが一般的である。これに問題はないが、いくつか例外がある。
例えば、「ご返事(ご返答)をお待ちしております」という文脈である。メールなどでもよく用いられる。これには“We look forward to hearing from you"などの英文を用いるのが自然である。つまり、“wait"ではなく、“look forward to"を使う。時折この文脈で“I'm waiting for your response"という英文を書く日本人を散見する。「お待ちしております」という日本語に引っ張られるせいであろう。
もうひとつの例として、「これからA氏にコンタクトしてみようか」「いや、もう少し待とう(様子をみよう)」というような文脈である。このとき、後者の文章は英語なら“Let's hold off for the moment"とするといい。“hold off"は「当該事項に対してoffの状態にする」という含意がある。この例の日本語「少し待とう(様子をみよう)」という表現は、具体的に人・物事の登場・発生を期待して待機しているわけではない。目の前の事柄を少しの間放置しておこうという意味である。従って、“Let's wait"などと直訳すると“wait for what?"と反問に遭いかねない。
以上を纏めると、「…を待つ」「…を待っている」という日本語に対して、英語では“wait"以外にも、文脈によって“look forward to"や"hold off"などを使い分けるといい。
2011年02月28日
自分の時間 (PF376)
ドイツ文学者でエッセイストの池内紀氏が先般新聞のコラムに次のような主旨を書いていた。「この世は不公平にできている。しかし、時間だけは一日24時間誰にでも公平に分配されている。従って、生き方の指針にするのは自分の時間を多く持つということ。勤め先の同僚との「つき合い」は削った。なんとか生活のメドがついたとき、早めに勤めをやめた。」(日本経済新聞2月2日夕刊「あすへの話題」)筆者は20年余勤続した邦銀を辞めて5年になる。転職先の外資系金融機関では海外のプロジェクトファイナンスなどを専門としている。邦銀勤務時代夜のお付き合いは得手ではなかった。本当に気の置けない同僚と一緒ならともかく、職場の「お付き合い」は気が進まない。ただでさえ拘束時間が長いのに、仕事を終えてさらに数時間を過ごすのは身体にこたえる。身体にこたえるだけではなく、自分の時間が消失してしまうことになにか精神的な貧困を感じていた。現在の勤務先でも取引先の接待や同僚とのお付き合いは皆無ではないが、極力夜の時間を潰さないようにしている。代えて、昼食時間を大いに活用している。取引先や同僚とランチを一緒に摂る。自分でこの点がコントロールできるのは精神衛生上このうえなく健全である。現在の勤務先に感謝する理由のひとつは、自分の時間を確保する「自由」があることである。こういう「自由」は何ものにも代え難い。
きっと、こういう会社員生活は主流ではない。傍流であろう。そういう負い目があったので、池内紀氏のコラムを読んだとき、なにか思いがけないものに出会ったような歓びを感じた。同氏は「勤務先の同僚は所詮仕事の話しかしないもの」だとも断じている。勤務先において人間関係を円滑に進めることは大事なことであるが、それは勤務時間外の時間を大いに費やして行うことではなかろう。勤務時間外のお付き合いの濃淡で互いの間の親密度を測る指標にしている人がいるとすれば、それは大きな勘違いである。勤務先を離れ、あるいは転勤等で両者が離れたとき、本当の親密度合いが分かる。独身の若いときならいざ知らず、家庭を持った大人が無闇に夜のお付き合いに精を出すのは愚かなことである。
池内紀氏の指摘で重要な点は、同僚との話が「仕事の話」に終始する点である。人生は短い。仕事だけが人生ではない。仕事以外にも大切なことが沢山ある。生活の糧を稼ぐ仕事を蔑ろに出来ないのは当たり前であるが、人生は生活の糧を稼ぐだけが目的ではない。仕事を何よりも優先すると、人生を誤る。我々日本人の仕事観は勤勉を旨としているが、仕事よりも大切なものを犠牲にすることがあってはならない。家族を大切にするなどの価値観の希薄があるとすれば、それは日本人の仕事観の大いなる陥穽である。
子供の学校に父母会や授業参観に行くと、母親ばかりである。高校生の娘の話を聞いていると、多くの高校生の娘さんは父親と十分にコミュニケーションを取っていない。平日帰宅が遅く、話す時間がない。週末は自宅でゴロゴロしているか、ゴルフなどで終日外出していたりする。多感な高校生の娘とは自ずと疎遠になる。
筆者は週末や休暇は家族のためと自分のために時間を過ごすことにしている。加えて、地域の人たちとの交流を兼ね、自宅近隣のテニス同好会や英語勉強会にも参加している。池内氏のように「生活にメドをつけ早めに勤めをやめる」ことができれば理想だが、それは叶わぬ夢である。
2011年02月21日
齊藤誠著「競争の作法」 (PF375)
英国の元首相チャーチルの民主主義に関する有名なコメントをもじって、「資本主義は最悪なシステムだが、残念ながらこれに優るシステムを知らない」- これは筆者の最近の信条でもある。資本主義には「競争」が存在する。他者との比較は好きではないが、仕事でも学業でもスポーツでも優劣はある。「競争」を単に忌み嫌っても問題の解決にはなるまい。どうやって「競争」に向き合うかを考える方が生産的である。齊藤誠氏著「競争の作法」(ちくま新書。2010年6月)はこの問題を採り上げる。齊藤氏は一橋大学大学院経済学研究科の教授である。1997年から2002年に亘る5年間の雇用調整にも拘わらず、節約できた実質労働コストは1%程度に過ぎないという分析(p149)は巧みである。いま日本で起こっていることは「少数の貧困と多数の安堵」である(p151以下)という指摘にも首肯できる。2008年の暮れ日比谷公園に集まった失業者をメディアは大きく報道した。しかし、大多数の人はその映像を暖房の効いた自宅のテレビで視聴していたに違いない。正規雇用者と非正規雇用者の待遇の差別を撤廃すべきである。厚遇され過ぎた正規雇用者が多すぎると言わざるを得ない。
本書の中で印象に残る記述は、経済学者らしからぬ部分である。いわく「生産活動に投じた時間だけが価値を生み出すわけではない。家族と過ごす時間も、健康増進のために運動する時間も、読書や音楽に興じる時間も、学校の先生といっしょに子供の教育のことを考える時間も、地域の人とコミュニケーションを築いていくための時間も、立派に豊かさを生み出している」(p171) こういう指摘をする経済学者にこそ、並々ならぬ人間的な深みを感じる。
エピローグに本書のメッセージが要約されている。そのうちのひとつ「競争と向き合え」「新しい生き方を模索し、弱い自分を克服せよ」にも感銘を受ける。同じくエピローグの中で、「会社に同期入社の親しい同僚がいて、50歳を迎える時に、自分の年収が500万円、同僚の年収が2000万円だったとして、酒を酌み交わすことができるだろうか」(p222)というような話題を採り上げる。そして、これは中島敦の「山月記」の主題を現代版に訳したものであると説く。続いて、坂口安吾の「堕落論」も引用される。中島敦や坂口安吾にまで言及する経済学者の著作には初めて出会った。
究極において、著者は資本主義社会の競争原理を肯定的に受け止めており、これに向き合い、人間性を培い、豊かな幸福を求めることができるとする。こういう考えはおそらく経済学の研究の結果、論理的に導かれる結論というよりも、経済学の研究の過程で醸成される信念であろう。社会科学者といえども、かような価値観が論理だけで導き出されるわけではない。論理を超えた信念や価値観であると考えた方が自然である。筆者は著者の信念や価値観に大きな違和感はない。
著者の自宅近隣に存在したという無用の長物「小豆御殿」は、バブルの象徴として本書冒頭の他本書中で何度か登場する。そして、本書の最後で、この「小豆御殿」の話は著者が創作したもので実在しないと白状する。ここでも、この経済学者らしからぬ著者のレトリックに一本取られる。
2011年02月14日
楠木建著「ストーリーとしての競争戦略」 (PF374)
競争戦略といえばマイケル・ポーターの著作が思い起こされる。その著書を拾い読みしたことがあるが、使用されている言語や概念を理解するのに難儀した。読了はままならない。それに比べたら、本書「ストーリーとしての競争戦略」(東洋経済新報社2010年5月)は殊の外読みやすく、競争戦略への興味が改めて搔き立てられた。夏目漱石は「難しいことを分かり易く説明することは尊い」という主旨のことを言っている。本書は競争戦略の話を分かり易く説いている点だけでも間違いなく価値がある。本書をひと言で言えば、「優れた戦略とは思わず人に話したくなるような面白いストーリーだ」(まえがき)ということ。著者は一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授である。しかし、自身のことについて「私は学生の頃から、自分がビジネスの方面に進むとまずいことになるだろうという確信」があり、厳しい競争や複雑な利害問題に巻き込まれることなく「自由気ままに好きなことだけして生きていきたい」と思っていたという(第一章)。こういう方が競争戦略を論じているというだけでも面白いはずである。
中古車買取専門業者ガリバー社の戦略を調査しているときに、著者は実際に自分のクルマを持ち込んで査定するプロセスを体験してみたという。1軒目のガリバーの店舗に行った後、敢えて2軒目のガリバーの店舗に行ったら、「ガリバーではどこに持って行っても今だったら同じ値段ですよ。つい先ほど別のガリバーの店で査定しているのになぜまたこちらにいらしたのですか」(第6章注)と訊かれてしまった。しかし、これでクルマの査定作業は本部で集中して行っていること、また査定したデータが即座に店舗間で共有されていることがよく分かった。著者の人柄が滲み出るエピソードである。
実際の経営と経営学とは違う。経営「学」の方は学問である。学問がどれだけ実際の経営に役に立つのか。経営学を正規に学ばなくとも立派な経営者になった方は少なくない。逆に、経営学の泰斗でいながら日々会社経営に携わる方は極めて稀である。それでも、経営学が導き出した様々な知見や仮説・理論は有用だと筆者は思っている。大事なことは鵜呑みにせず自分で考えることである。
経営学の用語にはポジショニング、組織能力(OC)、コンセプト、キラーパスなどなかなか魅力的な言葉が多い。それを自分でも使用しているとその中味まで体得したような錯覚を覚える。危険なことである。こういう用語はいわば英文法の用語のようなもので、これは仮定法過去完了ですとか、この助動詞は推量ですとか言ってみたところで、実際の英語運用能力とは実はほとんど関係がない。その証左に、日本語において主語に用いられる「は」と「が」の文法上の相違点を理路整然と説明できなくとも、日本語で文章を書き日本語で説明する上でなんの不都合もない。
実際の経営能力を英語運用能力に比すれば、経営学は英語文法学に匹敵するのではないか。英語運用能力を向上させるのに(外国語なので)文法の知識も役には立つが、文法の知識以外にも英語運用能力を向上させるのに必要な要素が多数ある。そういう意味で、文法の知識は必要条件であっても十分条件ではない。経営学の知識を有することは有用であろうが、実際の経営の現場において成功するのにそれだけでは十分ではない。それ以外にも必要な要素が多数ある。
そのように考えをめぐらすと、我々日々現場で働く者の姿勢として、経営学との距離のとり方はなかなか難しい。付かず離れず、その知見をうまく活用する、としか言いようがない。とは言え、本書「ストーリーとしての競争戦略」には格別の魅力と一読の価値を大いに感じるのである。
2011年02月07日
多読・通読・濫読(24) (PF373)
• 鳥飼玖美子氏といえば、同時通訳者で昔ラジオの英語番組の講師もされていた。その声はいまでも忘れることはない。耳朶の底に残っている。現在は立教大学教授でおられる。近著『「英語公用語」は何が問題か』(角川Oneテーマ21。2010年11月)を読んだ。この中で日本の学校の英語教員の英語力の話が出てくる。TOEICの点数でいうと、中学校の英語教員の平均点が560点、高校の英語教員のそれが620点だそうである(p87)。この点数のレベルを見て、正直なところ非常に驚いた。海外業務に携わる日本人サラリーマンの平均的な英語力水準と比べても、かなり低い水準ではないかと思われるからである。先日武田薬品工業が新卒者の採用条件としてTOEICの点数で700点強を求める旨の報道に接した。しかし、一方で日本の中学・高校の英語の先生が授業以外でどれほど日常的に英語を使用しているものかと想像すると、それはさほどでもなかろうと察しがつく。個人的に努力を積み重ねている人は別格であろうが、そうでなければ日々の雑務に追われ英語力を磨く機会を逸しかねない。筆者が高校時代にお世話になった英語の先生は地元で社会人向けの英語の勉強会を主催していた。そのためか、学校の英語の授業でも時折英語で説明されることがあった。英語の発音はけして流麗ではなかったが、内容は立派な英語であったという記憶がある。思えば、伝えるべき内容があればこういう英語で構わないのだというお手本を、初めて目の前で体験したのがこのときである。
• 1990年代米国の犯罪数は減少した。筆者は90年代に米国に駐在していたので、この事実に実感を持っている。1993年にニューヨークに赴任し先輩諸氏から受けたアドバイスのひとつが、「マンハッタンのミッドタウンにある大きなバス停留所(Bus Depo)を夜歩くとき20ドル札をポケットに忍ばせておけ、ホールドアップに遭ったら即座にこれを手渡し危害を加えられないようにせよ」というもの。このバス停留所はニュージャージーに住む者にとってはバスと地下鉄の乗り換えに欠かせない交通の要所である。しかし、当時夜の治安の悪さは名高く、会社の同僚でホールドアップに遭った人が少なくなかった。アドバイスに従い筆者も20ドル札を用意していたが、ついぞこれを使う怖い目に遭うことはなかった。当時犯罪の発生は日に日に減っていたのである。
犯罪減少の背景には順調に成長していた米国経済があったからだとするのが当時の大方の見方である。しかし、シカゴ大学の経済学者スティーブン・レヴィットは犯罪減少に寄与したもう一つの大きな要因を指摘する。その要因はこれまで誰も指摘したことのなかった要因である。彼は1973年の連邦最高裁伴所の判決 - 中絶の合法化にその要因を求めた。関連データを収集分析し、犯罪減少と中絶合法化の因果関係・相関関係の証明を試みた。特に青少年の犯罪は家族状況や生活環境に起因するものが多い。犯罪者の生誕にまで遡ってみれば、望まれない妊娠・出産と嘱望された妊娠・出産との間には後年の教育・生活環境において大きな差異があろう。1973年の連邦最高裁伴所判決まで中絶は非合法であったので、望まれない妊娠であっても已む無く出産することが多かった。こういう経緯を経て生誕した子供が青年に達したとき、犯罪に手を染める確率は、そうではない普通の青年よりも圧倒的に高いとレヴィットは分析する。従って、中絶合法化以後望まれない出産が激減したので、犯罪予備軍の子供が減り延いては90年代に犯罪減少を引き起こしたとする。
上記のユニークな分析はスティーブン・レヴィット著「ヤバい経済学」(東洋経済新報社。2007年)に出てくる。
同書でもう一つ興味深い分析は、日本の大相撲の千秋楽の分析である。大相撲は15日間に亘り関取一人当たり15の取り組みが行われる。8勝7敗以上の成績を勝ち越し、7勝8敗以下の成績を負け越しという。両者の差は1勝に過ぎないが、昇格・降格の点において雲泥の差がある。そこで著者の分析は、7勝7敗の関取が15日目(千秋楽)に既に勝ち越しを決めた相手と対戦するとき、勝率がどうなるかに焦点を当てた。多くのデータを駆使し、この勝率が70-80%の非常に高い勝率であると結論付ける。また、同じ関取同士が千秋楽以外で対戦したときの対戦成績を調査し、その勝率は50%にも及ばないことを突き止める。著者が言いたいことは明らかである。7勝7敗の関取が15日目(千秋楽)に既に勝ち越しを決めた相手と対戦するとき、なんらかの「取引」が行われていると推測するに十分な有意な分析結果であると結論付ける。折りしも、日本相撲協会は八百長の存在が暴露され、春場所の開催は中止が決まった。八百長を促進しかねないような相撲のルールや制度自体を根本的に見直すことが合理的な対策であろう。日本の経済学者も交えて、八百長のインセンティブを消失させるような新しい相撲のルールや制度の構築を考えるべきではないか。過度に精神論に偏った対応策では抜本的な解決にならない。
著者の思考の軸はシンプルである。
「インセンテイブは現代の日常の礎である」 つまり、インセンテイブを理解すればさまざまな問題を解決する鍵を見つけることができる。
「通念はだいたい間違っている」 上記との関連でいえば、好景気というだけで犯罪が減少するわけではない。
何事につけ通念を疑ってみる、という姿勢は非常に重要な視座である。我々の日常には間違った通念が意外と蔓延っている。そして、そういう通念の創造的破壊が新しいものを生む。
2011年01月31日
閑話休題のビジネス英語(27) (PF372)
• 「会議のための会議」などという言い方が日本語にある。目的の定まらない会議、証拠作りのための会議などを称して言う。こういう言い方は英語にもあるのものかどうか。先日Economistの記事の中にこういう文章を見つけた。“America has ridiculed the idea of talking for the sake of talking”(米国は話し合いをするための話し合いを嘲笑した)[January 1st-7th 2011. p20] これは朝鮮半島問題に関わる記事で、北朝鮮を支援する中国が昨今米国に6カ国会議開催を提案している点について記述した部分である。この中の“talking for the sake of talking”の表現がまさに上記の日本語に該当し、英語にも同種の表現があることが分かる。この表現は“meeting for the sake of meeting”と言い換えても同主旨である。
言語を使うのは人であり、人の思考方法は言語を超えて共通するところがある。通底するところがある限り、類似した表現が他の言語にも存在するという好例である。
• 日本航空は昨年1月に再建を開始してから1年を迎える。Wall Street Journal(Jan.20, 2011)がその近況を報道している。
"Japan Airlines isn't out of the woods yet"(日本航空は未だ危機を脱していない) "not out of the woods"は「危機や困難を脱していない」という意味である。専ら否定文で使用する。
他国に比べ法外に高い日本の空港利用税が日本航空の収支を圧迫している。その金額は年間で約500億円。暫定の軽減措置はとられたが、期間限定のため長期的な見通しは立っていない。これを称してWSJ誌は "A larger, permanent cut (of airport tax) is long overdue"(もっと規模の大きい、恒常的な減税はまだ行われていない) ここに出てくる"long overdue"という表現はほぼ定型表現である。「もっと速やかに処理されていなければいけないものが、長いこと処理されていない」というニュアンスである。
• 豪州クイーンズランド(QLD)州は昨年(2010年)12月豪雨に見舞われた。州都ブリスベンの一部が浸水し電力供給が停止するなど被害甚大である。洪水は“Flood(s)”という。一部報道には “Deluge”と表現するものもあった。これも「洪水」を意味する。因みに「ノアの洪水」は“The Deluge”である。定冠詞を付し“D”を大文字にする。定冠詞を付し大文字で表記する例ですぐに思いつくには“The (Great) Depression”がある。これは1929年の世界大恐慌を指す。
雨季のQLD州は時折豪雨に遭う。近年では1974年の豪雨が多くの被害をもたらした。2008年の豪雨も相当であった。「豪雨」に当る表現では“torrential rain”という表現を英語メディアで何度も見た。「土砂降りの雨」「激流のように降る雨」と言い換えてもいい。
時事的な英語は一過性のもので記憶するに値しないと考える向きもあるが、筆者は必ずしもそうは考えない。実際に発生した事象を言葉(英語)に表わす、言葉(英語)で理解するという行為は、その事象と共に記憶に定着しやすい。脈絡なく単語を記憶したところで、裏づけとなる事象なり体験なりが存在しないときの、言葉の無力感は誰にでも経験があるのではないか。例えば、受験のために無理矢理覚えた英単語をどれだけ実際に運用できただろうか。”Flood(s)”も“deluge”も“torrential rain”も、豪州QLD州で実際に発生した豪雨と連想させることによって記憶は定着する。
2011年01月24日
黒木亮著「獅子のごとく」 (PF371)
黒木亮氏の新作「獅子のごとく – 小説投資銀行日本人パートナー」(講談社。2010年11月)を読み終えた。500ページを超える単行本書下ろし。しかし、ストーリーの進行は速やかで500ページが短く感じた。主人公逢坂丹(おうさかあかし)は若い頃邦銀の上野支店に勤務。同じ支店に勤務する先輩入江は西船橋にある銀行の独身寮に住んでいる(p31)。この設定には少なからず驚いた。なぜなら、もう20年以上前のことだが筆者も邦銀上野支店に勤務していたことがあり、やはり西船橋の独身寮から通勤していたからである。山手線御徒町駅で降りて支店まで数分歩くところも全く同じである。西船橋に独身寮を有する邦銀が幾つあるのか定かではないが、奇遇である。
さて、主人公の父親は事業家で主人公の入行した銀行とは以前から取引があった。ところが、主人公が銀行員になった頃、父親は事業に失敗し自宅兼事務所のビルを含め資産の一切を銀行に処分される。これが契機で主人公は銀行退職を決意し米系投資銀行に転職する。元勤務していた邦銀や退職時の人事部次長に対し秘かに復讐を期する。
主人公逢坂丹は転職先でとり憑かれたように仕事に邁進する。その仕事振りは「獅子のごとく」である。強い上昇志向を持ち、内外を問わず勝負にこだわる。復讐心が旺盛で執念深い。喫煙を止められない。コンプライアンス違反も意に介せず、顧客を接待漬けにする。職業倫理観は皆無に等しい。しかし、仕事には徹底的に取り組み、人並みはずれた業績を上げる。日本人で初めて米国本社の経営陣にまで上り詰める。
筆者は小説を読むとき登場人物とりわけ主人公の動機に関心を払う。なぜ、彼(彼女)はこういう行動をとるのか。彼(彼女)をそういう行動に掻き立てるものは何なのか。人間の言動の動機とは一体何なのか。
そういう観点で逢坂丹を観察すると、自宅兼事務所のビルを銀行に処分され追い出されたという暗い過去があるとはいえ、それだけが理由で人間というものはこれほどまで倫理観を失い邪悪になれるものなのかどうか。処分された資産は父親のものであって、当人のものではない。生来資産などというものに縁のなかった筆者には理解を超えるものである。
もっとも、登場人物の内面にまで迫るのは必ずしも経済小説・金融小説の正しい読み方ではなかろう。経済小説・金融小説はビジネス現場の臨場感を描き、なかなか外部の者には知ることのできない情報を提供するところに、役割のひとつがある。そういう点では黒木氏の作品は十二分に要件を満たしており、本書「獅子のごとく」もまたその期待に応えるものである。
登場人物の内面にも迫る経済小説・金融小説の出現は、実は筆者が理想としているところである。なぜなら、経済・金融の世界にあっても、そこで奮闘しているのはひとりの人間だからである。ややともすると、そういう世界の人間の行動原理は利害や報酬などお金の問題に依拠していると画一的に解されがちである。それはあまりにも物事を単純化しすぎている。他方、日本の私小説の世界では、過度に登場人物の内面ばかりを強調しすぎる嫌いがある。日本の私小説の読後感のひとつに、果たして主人公はどうやって生計を立てているのかと訝ること一度ならずある。
逢坂丹は米国本社の経営陣にまで昇格したのもつかの間、異国での狩猟中昔の部下で恨みを持つ者に刺殺される。自業自得といえばそれまでだが、そういう意味では結末は不条理ではない。愛人が「何百億円も金貯めたって、死んだら使えないじゃん。あんたは世界最大級の馬鹿だわ。」(p512)と毒つく。この台詞は直截的でやや低俗な表現だが、真理の一面を饒舌に物語る。そして、この台詞は不思議と最後まで筆者の耳朶に残った。
最後に、本作品の主人公逢坂丹は自分のことを「あたし」「あたくし」と呼ぶ。これには随分と違和感があった。永い間金融の世界で仕事をしているが、自分のことをこう呼ぶ方にまだ出会ったことがない。実在するモデルから採用したのかどうか定かではないが、「あたし」「あたくし」と自称させることにどういう狙いがあったのだろうか。
2011年01月17日
「大いなる不安定」- Crisis Economics (PF370)
ヌリエル・ルービニ/スティーブン・ミーブ共著「大いなる不安定 – 金融危機は偶然ではない、必然である」(ダイヤモンド社。2010年9月)が刊行された。 “Crisis Economics – A Crash Course in the Future of Finance”の日本語訳である。ヌリエル・ルービニ(1959年生まれ)はニューヨーク大学スターン経営大学院教授、スティーブン・ミーブ(1968年生まれ)はジョージア大学歴史学部准教授。本書は2007年から2008年に掛けて発生した金融危機に関する本格的な著作である。副題にもある通り金融危機は予測不可能なものではなく、資本主義には必然で常態のものであると説く。ルービニは2006年の時点で今般の金融危機の発生を警告していた。ナシーム・ニコラス・タレブはその著書「ブラック・スワン」(ダイヤモンド社)で、ゲームの性格を変える事象であって、きわめて稀にしか起こらず、予測がほぼ不可能なものを「黒い白鳥」と定義し、金融危機も「黒い白鳥」だとした。ルービニはこの考え方とは一線を画す。本書「大いなる不安定」の第一章を「白い白鳥」と題したのは、この現れである。
2007年から2008年に掛けて発生した金融危機は、一般にサブプライム・ローンに端を発しリーマン・ブラザーズ証券破綻で顕在化したと理解されている。しかし、著者の見方はもっと深遠で、サブプライム・ローンのような問題がどうして起こるのか、資本主義や金融システムに内包された構造的な問題点をえぐり出す。
それは返済能力のない人に無理やり貸し付ける住宅ローンだけが問題なのではない。こういうローンを証券化して売り飛ばす金融機関。その証券に高格付けを付す格付け機関。多額の借入で投融資をするハイ・レバレッジの金融機関経営。銀行監督当局の監督・規制を免れる「影の銀行」。被保険債権がなくとも購入できるCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)、またこれを無制限に販売する保険会社。そもそも一部の金融機関は大きくなりすぎた。大恐慌の教訓として銀行と証券の分割を義務付けた1933年のグラス・スティーガル法は約10年前(1999年)に廃止となり、巨大な金融機関が誕生した。“Too big too fail”(大きすぎて潰せない)という状態はこの結果である。巨大な金融機関の経営者は業務の細部にまで目が行き届く訳がない。しかし、悪魔は細部に宿る。
金融機関に勤務する筆者は著者の考え方に与するところが多い。プロジェクトファイナンス業務というのは一見投資銀行業務のように解される向きもあるが、その業務の本質はオーソドックスな商業銀行業務である。組成がやや複雑なため投資銀行業務的な要素が見られないでもないが、融資先の事業内容を個々に精査検証し融資の可否を判断してゆく過程は商業銀行の本源的な業務である。プロジェクトファイナンスを供与する銀行のほとんどは自ら組成し、その資産は自ら保有する。組成して販売してしまう証券化モデルとはまったく異なり、従って証券化モデルに見られるモラル・ハザードは発生する余地がない。外部格付機関の格付けに依拠することもない。CDS他有象無象の金融派生商品とも無縁である。金融危機直前はプロジェクトファイナンス市場もやや過熱したとは云え、その影響は融資期間が長期化したり金利のマージンが低下したという程度で、融資返済が危ぶまれる案件が多く組成されたという事実もない。それ故にリーマン・ブラザーズ証券が破綻した後もプロジェクトファイナンス案件の多くは返済が滞るなどの悪影響は見られなかった。
本書「大いなる不安定」に戻る。
今般の金融危機に関連して書籍も随分出版された。本書の著者はキンドルバーガーの古典「熱狂、恐慌、崩壊」(1978年)に刺激されたとしており、最近の著作の中ではラインハート(メリーランド大教授)とロゴフ(ハーバード大教授)の共著 “This Time is Different”(2009/Princeton Press)を評価している(p85-86)。後者はまだ日本語訳が世に出ていないが、日本の某出版社が準備中と仄聞する。
今般の金融危機を100年に1回しか起こらない稀なものではなく、我々の経済システム・金融システムの中にはかような金融危機が再発し得る温床が今でも存在するということを丁寧に分析している点で、本書は出色である。最近出版された金融危機関連の書籍の中から敢えて一冊を選ぶなら、迷わず本書を選ぶ。
2011年01月11日
多読・通読・濫読(23) (PF369)
• 山田吉彦氏著「日本は世界4位の海洋大国」(講談社α新書。2010年10月)は、海に囲まれた海洋国としての日本を描写したユニークな本である。日本の領土が狭いことは自明である。世界の国の中では61番目の国土の広さに過ぎない。しかし、領海(沿岸から12カイリ)と排他的経済水域(沿岸から200カイリ/約370キロメートル)を合わせた日本の海の面積は世界で6位。さらに、海溝などがあるので日本の海の海水の体積で比較すると世界で4位。この事実が書名になっている。海には3種類の資源がある。「海底資源」、「海洋資源」、「水産資源」である。「海底資源」は石油・天然ガス、メタンハイドレート、石炭や銅などの鉱物資源が代表的である。メタンハイドレートは「燃える氷」とも言われる。日本の近海には大量のメタンハイドレートが存在すると推測されている。「海洋資源」は海中に存在する水産資源以外の資源である。海水には多くの元素が含まれており、一番多いのは塩素、その他ナトリウム、マグネシウム、微量の金やウランも含有されている。「水産資源」は魚介類や藻類などである。
人類は永い間水産資源を利用してきた。また海底資源の中でも石油や天然ガスの商業開発は約半世紀の歴史がある。海洋資源についても海水から塩を製造するなどの利用をしてきた。しかし、メタンハイドレートからメタンを抽出したり、海水からウランを抽出することなどは、経済性の問題が大きく横たわっており現状では実現していない。このような案件に融資する民間金融機関も存在しない(同書p51)。
石油や天然ガスなどの開発資金を融資するプロジェクトファイナンス業務に携わる者として、例えばメタンハイドレートの商業生産に関心が無いわけではない。メタンハイドレートが将来の日本の重要なエネルギー源になるかもしれないと聞けば、明るく喜ばしいものである。5年や10年でそういう時代が来るとは思えないが、あながち遠い将来のことでもなく2-30年後に実現するかもしれない。そういう考えを巡らす機会を得た点が本書からの収穫である。
• 山岸俊男氏(北海道大学大学院教授)とメアリー・ブリントン氏(ハーバード大学教授)の対談書「リスクに背を向ける日本人」(講談社現代新書。2010年10月)には新鮮な切り口を学び、知的興奮を覚えた。両名は社会学を専門とする。30年以上前にワシントン大学で一緒に学んでいた。
日本人はリスク回避傾向が強い。しかし、その原因はそもそも現代の日本の社会構造に内包されるリスクが大きすぎるからではないかという点で両名の意見は一致する(p19-20)。日本の社会構造に内包されるリスクが大きすぎるとはどういうことか。例えば、労働市場。日本では解雇しない、解雇されないということが雇用の安定だと考えがちである。しかし、米国では失職自体は誰にでも起こりうることであり、仮に現在の職を失っても能力さえあれば容易に新たな職を見つけることができる。再就職が比較的容易だという観点で雇用の安定が得られている。雇用の安定は、柔軟で活発な労働市場が存在するから確保されているのである。一方、日本の労働市場は閉鎖的であり硬直的と云わざるを得ない。日本では一旦職を失うとセカンド・チャンスはほとんどなく苦境に立たされかねない。多々不満があっても今の職場にしがみつくのが合理的な行動だということになる。こういう状況を揶揄して、マンネリ化した会社員のことを「休まず、遅れず、働かず」と謂う。日本では職場を変えることは大変なリスクが伴う。だから、これを回避することに専ら腐心する。
日本語に精通したメアリー・ブリントン氏曰く、日本語の「正社員」(派遣社員やパートタイマーとの対比で)や「中途入社」、「新規学卒者」などに該当する英語の言葉は見当たらない(p199 & p204)。言葉が無いということは、それに類する概念や考え方が無いということの証左である。
結婚市場(こういう言い方があるのかどうか)も労働市場と類似しているところがある(p228)。セカンド・チャンスがほとんど無い。本当に離婚してしまうとリスクが大きすぎるので、「あなたのことは嫌いだけど離婚はしないわ」と家庭内離婚が増加する。筆者の知人には、家庭内離婚を公言して憚らない猛者もいるし、リスクを厭わず離婚してしまった人もいる。労働市場と結婚市場を比べると、結婚市場の方が「自由化」が着々と進行しているような気がしないでもない。
2011年01月04日
毎月分配型投信の悪弊 (PF368)
毎月分配金を支払う投資信託(毎月分配型投信)が日本で人気を呼んでいる。特に高齢者の中には2ヶ月に1回の年金受給だけでは収入に不足感を感じ、このような投資信託に資産の一部を預ける人が少なくないと聞く。投資信託運用会社も毎月分配型投信でないと運用残高が積み上がらないので、同種の投信商品の市場投入に余念がない。しかし、金融商品として毎月分配型投信を見ると重大な欠陥がある。それは実際の運用利回りを上回る分配金を支払っている点である。毎月分配型投信全体の分配金利回りが平均年10.6%で、毎月分配型投信の6割は収益を上回る分配金を支払っているという(日本経済新聞2010年12月29日朝刊)。この低金利の時代に年利10.6%は驚くべき数字である。この数字だけから察しても、高利回りの良質運用商品と見るのか、それともなにか裏に仕掛けのある運用商品と見るのか、金融リテラシーの問われるところである。
収益を上回る分配金を支払うには、運用元本を取り崩すより他に方法はない。つまり、毎月分配型投信の6割は運用元本を取り崩して分配金を支払っているわけである。その結果なにが起こるか。それは当該投信の基準価格が下落する。
毎月分配型投信全体の分配金利回りが上昇すると共に、同平均基準価格は実際下落している。例えば、ある毎月分配型投信は毎月100円の分配金を支払っているが、基準価格は直近6,300円まで下がり、この水準は過去1年で約3割下落したという(前出新聞記事)。
銀行に預金をしても、スズメの涙ほどの預金金利しか付かない。利回りの良い投信で運用するという動機は分かる。加えて、毎月なにがしかの分配金を受領することの効用も分からぬでもない。しかし、資産運用の秘訣は複利運用である。収益金を都度受領して費消してしまったら、資産運用の複利効果は望めない。
さらに、収益を上回る分配金については税金面でも注意を要する。分配金には一律源泉分離課税が課される。収益を上回る分配金を支払っている投信は運用元本を取り崩しているので、投信保有者は自ら拠出した元本の償還時に元本に対して課税されていることになる。源泉分離課税の税率は現行10%なので、元本取り崩し部分については10%を差し引かれて償還されることになる。この低金利の時代に運用利回りで年率10%を稼ぎ出すことがいかに困難かを想像すれば、元本から10%差し引かれることの運用面のマイナス効果の大きさは察して余りある。従って、収益を上回る分配金を支払う毎月分配型投信は、その多くが最終的に投信購入者の損失で終わる可能性が高い。
要するに、毎月分配型投信は毎月分配金を支払うことによって、資産運用の定石である複利効果を放棄してしまっている。加えて、収益を上回る分配金を支払うことによって運用元本を取り崩し、投信保有者は元本償還時に元本に対して税金を支払う羽目に陥っている。
このような理由から、毎月分配型投信は運用商品としては実はかなり劣った金融商品である。特に、収益を上回る分配金を支払うような毎月分配型投信は、いくら投信購入者が目先の毎月分配を求めるからとは言え、運用商品としては愚の骨頂と云わざるを得ない。
金融商品全般についての一般人の知識(金融リテラシー)は、それほど広く深いものではない。ましてや、高齢者のそれは必要十分とは言い難い。毎月分配型投信の購入者の平均年齢はかなり高いと仄聞する。つまり、十分な金融知識を持ち合わせていない人たちが毎月分配型投信の購入者であると推測される。一方、かような投信の運用会社は金融が本業であり、十分な金融知識を持ち合わせている。ここに、投信の購入者と投信の運用会社との間に「情報の非対称性」が存在する。
投信の運用会社は、ニーズがある運用商品すなわち「売れる投信」を開発し販売するのが自分たちのビジネスであると抗弁するかもしれない。しかし、果たして金融知識の不十分な高齢者等に対して、収益を上回る分配金を支払い元本償還時に元本に課税されるような投信を購入させることがサステイナブルなビジネス・モデルと言えるのかどうか。運用会社の倫理観に悖るところはないのかどうか。
一方、投信の購入者も目先の分配金の多寡だけで投資信託を選ぶようなことはやめるべきだ。一人ひとりが正しい金融知識・金融リテラシーを身につけることが、この国の健全な金融商品市場を形成する。
2010年12月27日
続リンボウ先生 (PF367)
新聞か雑誌の記事だったと思うが、会社員のお父さん達で自宅に自分の部屋(書斎)を持っている人は半分にも満たないということを読んだ記憶がある。知り合いの一人は、自宅の中で自分の居場所がないと嘆いていた。筆者は自宅購入以来小さな部屋を一室確保している。こういう空間が無ければブログもできない。本もじっくり読めない。静かな音楽を愉しむこともできない。家族との生活は十分愉しんでいるが、それと自分の空間を持つということとは全く別問題である。林望氏著「リンボウ先生の書斎のある暮らし」(光文社知恵の森文庫。2003年)は書斎の必要性を説くと共に、理想的な書斎とはどんな書斎かを探求した好著である。書斎は南側ではなく北側の部屋にすべきだとか(p57)、著者は筆記用具として80円かそこらの水性ボールペンを愛用している(p101)など興味深い記述に溢れている。
書斎を持つ効用は、創造的な作業ができる空間を自宅に持つということである。従って、書斎を持つことはライフスタイルだと著者は言う(p188以下)。至言である。書斎で創造的な時間を過ごす愉しみを知れば、不要不急の夜の付き合いなど時間とお金の浪費だと痛感すること必定である。会社の上司や同僚と平日の夜居酒屋などで数時間を過ごすのは、日本の会社員の悪弊である。家に帰っても家の中に自分の場所がないのも一因だとすれば、病膏肓に入るというべきか。
さて、林望氏の著書を何冊か読み進めるうちに同氏の文章に惹かれてきた。魅力の一端はその語彙力である。豊かな語彙力が豊かな読後感を与える。例えば、「リンボウ先生の書斎のある暮らし」に見られる語彙で、気になるものを拾ってみた。
公言して憚らない / 委曲を尽くす / 滋味馥郁(じみふくいく)たる文章
万世不易(ばんせいふえき)の大原理 / 腹蔵なく話す / 流俗に流されない
端倪(たんげい)すべからざるもの / 重畳(ちょうじょう)至極
妙竹林な誤変換 / 同音異義語が夥(おびただ)しい / 思惟(しゆい)を巡らす
冬の最中窓を開け冷気凛冽(りんれつ)たる中で勉強 / 通暁習熟する
陽光燦燦たる中で / 頗(すこぶ)る望ましい生活 / 雑駁(ざっぱく)なこと
文人墨客(ぼっかく)/ 出世を放擲(ほうてき)する / 旧弊固陋(ころう)な考え方
また、同氏の別の著書「日本語は死にかかっている」(NTT出版。2008年)からも拾ってみた。
沙汰の限り / のっぴきならない(事情)/ 紋切り型
由々しき問題 / 機序 / 大人は子供の亀鑑となれ
拳拳服膺(けんけんふくよう)してしかるべき箴言 / 名状しがたい口臭
業界用語が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している
蟷螂の斧(とうろうのおの)/ 万死(ばんし)に値する
いずれも読んでいて分からないことはない。しかし、聞いて分かる、読んで分かるという語彙力の水準と、自分の言葉にして使用しているかという語彙力の水準とは自ずと異なる。そして、両者の差異は思いのほか大きい。
リンボウ先生の文章の魅力の一端を同氏の語彙力に見出したと共に、その一部でも自分のものにできないものかと願いつつ上記のように書き出した次第である。筆者の未熟を恥じる。
2010年12月20日
閑話休題のビジネス英語(26) (PF366)
• 海外出張から帰国したばかりの商社勤務の人と先日話しをする機会があった。「“GFC”って知っていますか。Global Financial Crisisのことです。日本ではリーマン・ショックと言いますが、海外でリーマン・ショックって言っても余り通じなかった。GFCとかGlobal Financial Crisisって言うんですね。」小生も1年くらい前から、英語でGFC/Global Financial Crisisと言うのを知った。一方で、日本では「リーマン・ショック」という言い方が定着してきている。我々日本人の多くは、リーマン・ブラザーズ証券の社名に由来する「リーマン」という固有名詞を付して2年前の金融危機を総称しても、なんの抵抗も感じまい。しかし、英語を母国語にする者には固有名詞を付して先般の金融危機を呼称するのに、多少の遠慮があるのかもしれない。
あれから2年が過ぎたが世界の経済・金融状況は十分に回復したとは言えず、英語で経済・金融を話題にする際に2008年9月以来のことに言及しない訳にはいかない。英語では「リーマン・ショック」と言わず、GFC/Global Financial Crisisと言うといい。
• The Economistの11月20日号には日本の特集記事が掲載された。歴史上のいかなる国よりも急速に高齢化していると指摘し、特集記事の表題には “Into the Unknown”(未知の世界へ)とある。
地下鉄の中などで携帯電話に熱中する人が多いのも、今の日本の風景の一端である。記事はこれを“Many of the under-50s are feverishly thumbing their mobile phones”(50代前の人の多くが、夢中で携帯電話の操作をしている。)と描く。シンガポールや香港などでも携帯電話で通話している人は街角で見かけるが、携帯電話でメールやネットに熱中している人の割合は日本の方が圧倒的に多い。鉄道や地下鉄の駅構内で歩きながら携帯電話を操作している人を時々見かける。二宮尊徳でもあるまいに、どうして歩きながら携帯電話を操作する必要があるのか、筆者には理解できない。
新卒を極端に重視する日本の新規雇用の慣行については、“By and large Japan remains a “one-shot society”: those who fail to get a good job upon graduation can be frozen out for life”(概して日本は「1回限りの社会」である。つまり、学校卒業時に良い会社に入れなければ、一生良い会社には入れない)と描写する。
筆者がこのThe economistの特集記事に感心したのは、現在の日本が抱えるさまざまな社会問題や日本独特の慣習が英語で見事に表現されている点である。これは同雑誌の記者が日本の事情を深く理解しているからに他ならない。いまや我々日本および日本人の日々の姿はこうして世界中の人に見られている。
2010年12月13日
多読・通読・濫読(22) (PF365)
• 吉川幸次郎氏は中国文学を専門とする京都大学教授であった。1980年逝去。1966年にNHKラジオで「論語」の講義を27回に亘り行った。その講義録は吉川幸次郎全集に収録されており、数年前ちくま学芸文庫がこれを出版した。「論語の話」(2008年1月)。論語は多くの日本人が永い間愛読してきた中国古典である。日本人の価値観や考え方に深く影響を与えている。明治生まれまでの日本の教養人は論語の一部を暗誦していた。それにも拘わらず、現代の我々日本人があまりにも論語を知らない。論語は封建的で時代遅れとの批判がないでもないが、それは本当なのかどうか。
戦後20年を経た頃にラジオ放送された「論語の話」の中にも、論語は封建的かという話題が採り上げられている(p64)。吉川幸次郎氏いわく、論語の説くところは究極的には「仁」という概念が表わす人間相互の愛情であると。例えば、父母は大切にしなければならないと説く一方で、父母が万が一誤っていたならば(穏やかに)忠告しなければならない、けして親に対して絶対に反抗してはいけないとは説いていないと説明する(p69)。また、「三尺下がって師の影を踏まず」や「男女7歳にして席を同じくせず」などの言説は封建的であるが、いずれも論語から出たものではなく論語とは一切関係ないと。
また、孔子の「怪力乱神を語らず」という点も本書を読んで今回注目した。つまり、孔子は超自然の出来事、奇怪や神秘の事柄については話をしなかった。孔子の時代は二千数百年前である。科学の知識は現代のそれに比べ遥かに希薄のはずであり、科学と非科学の境界が曖昧で奇怪や神秘な事柄についての風説が蔓延していたとしても驚くに足らない。そういう時代背景の中にあって、論語に残る「怪力乱神を語らず」という言葉は重い。周知の通り、現代においてさえ新興宗教団体が「怪力乱神」を以って信者を誤らせる事例は枚挙に暇が無い。
なお、ちくま学芸文庫が出版している同氏の講義録「漢文の話」も「論語の話」同様に一読の価値がある。
• 東レの取締役を経て東レ経営研究所社長を歴任された佐々木常夫氏のことが11月日本経済新聞夕刊「人間発見」に出ていた。1944年生まれの方だが、壮絶な人生を経験されている。同氏が自身の半生記(「ビッグツリー」WAVE出版/2006年)を出版されていると知り、早速同書を読んでみた。
三人の子供に恵まれたが、長男は生まれながらの自閉症。妻は40回以上入退院を繰り返し、自殺を3回試みている。長女も若い頃一度自殺未遂をしている。ご本人は東レ勤務時代東京と大阪を6度異動している。単身生活も多かった。
同期トップで取締役に就任するなど会社員人生は成功した方だ。同書の副題には「私は仕事も家族も決してあきらめない」とある。
自分が同じ境遇にあったとしたら、佐々木氏と同じことが果たしてできるだろうか。到底できまい。東京と大阪を6度も異動させるような会社は辞め、できるだけ多くの時間を家族と過ごすという途を選ぶ。そういう選択は仕事と家族の両方をやり切れるという自信が自分に無いからかもしれない。しかし、会社の仕事にも多くの時間を割くことによって障害を持った長男や病気がちな妻の傍に居てやれないという後ろめたさについて、どうにも自分の中で整理がつかないのではないかと思う。
仕事と家族。これは各人の価値観、人生観にも及ぶテーマである。家族になにか問題が起こったときに仕事との折り合いをどうつけるか、これは各人が自分で決めなくてはならない。家族より仕事が大切だなどと思う輩がいたとしたら言語道断だが、仕事をどこまで譲歩して家族を守るのか。家計の収入はどうやって確保するのか。簡単に答えの出る問題ではない。
佐々木氏の「ビッグツリー」は、仕事と家族について普段ならあまり深く考えないことまで考える機会を与えてくれるという意味で間違いなく一読に値する。
なお、余談だが、佐々木氏の別の著書「部下を定時に帰す仕事術」(WAVE出版。2009年)によると、同氏は英語が苦手で「若い人には是非英語をマスターしてほしい」とアドバイスしている(同書p157)。
2010年12月06日
多読・通読・濫読(21) (PF364)
• 予約購読制の月刊誌「選択」の存在は知っていたが、ほとんど読んだことがない。同月刊誌は創刊が1975年。「3万人のための情報誌」というキャッチフレーズが付いているが、3万人の既購読者が居る(現在は居るのかも知れないが)という意味ではなく、各界の指導者層は3万人程度と推計してこのような人たちに読んでもらいたいと願った由縁だという。記事は原則匿名。匿名の是非はあろう。同月刊誌で連載中の特集「日本のサンクチュアリ」が単行本になった。「日本の聖域」(2010年4月。新潮社)。入国管理局の光と影。人工透析ビジネスの内幕。パチンコ業界や交通安全協会における警察利権。外国で開発された新薬をなかなか認可しない厚生省の「ドラッグ・ラグ」。NHKの問題等々。
それぞれの取材内容や分析は切れ味が鋭い。匿名だから書けるという側面は現実であろう。一方、匿名でなければ書けないことがこれほどあるのかと思うと、この我々の国や社会の現実に落胆もする。いずれも我々の生活するこの国のあり方の問題である。
最近事業仕分け第3弾が行われた。政府の肥大化や非効率は是正すべきである。肥大化や非効率が発生しないような仕組みを考えてゆかなければならない。
• 橘玲氏の新著を海外出張に向かう飛行機の機内で読んだ。「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(幻冬舎。2010年9月)。同氏の著作には独特の魅力がある。一昨年の「黄金の扉が開ける賢者の海外投資術」(ダイヤモンド社。2008年3月)や昨年の「貧乏はお金持ち」(講談社。2009年6月)にも同種の魅力を感じた。
新著は金融や経済の話題を少し離れ、書名にあるように経済人としての生きかたを指南するものである。日本は低成長の時代に入って早20年が過ぎた。デフレ経済も10年続いている。こういう環境下にあって著者の勧める「生き延びる方法」とは何か。本書では単純化して結論を急いではいない。「伽藍を捨ててバザールに向かえ」「恐竜の尻尾の中に頭を探せ」という暗示的なメッセージがいわば結論である。
著者に拠れば「伽藍を捨ててバザールに向かえ」とは、既存の会社組織での生活つまりサラリーマン生活を捨てて自営業の道を歩め、ということになろう。こういう生活をしてゆく上では、前著「貧乏はお金持ち」で披露されたマイクロ法人の活用が役に立つ。この点で前著と接点がある。
「恐竜の尻尾の中に頭を探せ」とは、ITの普及によって注目されたロングテール市場の中にあるショートヘッドを見出し、自分の好きな仕事でありながらもビジネスに成功してゆくことを示唆する。この文脈で、ロングテールはフラクタル構造だという指摘には瞠目した(同書p258)。フラクタル構造とは、雪の結晶のように部分と全体が相似な図形のことをいう。本書は他書からの引用について適宜参照文献を明示しているが、ロングテールはフラクタル構造だという説明に参考文献の明示がない。著者の発案なのかどうか。
日本の会社の人事評価の特徴として、経営者や人事部が一方的に決めるのではなく「あいつは仕事ができる」という社員コミュニティの「評判」に拠るところが多い(p226)という指摘も面白い。上司や同僚の目を気にしながら付き合い残業する理由はこういう点からも説明できるのかもしれない。
橘玲氏が、読ませる作家であるのは間違いない。最近の著作はいずれも秀作で読者を十分に愉しませる。