2021年09月13日

20年前の9月11日 (PF858)

IMG_20210422_091041196先日9月11日土曜日はニューヨークでテニス全米オープンの女子シングルス決勝戦が行われた。この女子シングルス決勝戦は十代同士の選手の対決である。予選から勝ち上がった18歳のエマ・ラドゥカヌ選手(英)と19歳になったばかりのレイラ・フェルナンデス選手(カナダ)による決勝戦である。二人とも2002年生まれである。

決勝戦は18歳のエマ・ラドゥカヌ選手が制して優勝した。エマ・ラドゥカヌ選手は予選で3戦し、本戦で7戦し、合わせて10戦連勝である。しかも、10戦中1セットも落としていない。テニスの四大大会シングルスで予選通過者が優勝するのは男女を通じて史上初だという。全米オープン開催直前のエマ・ラドゥカヌ選手の世界ランクは150位。世界ランクが100位以内だと通常本戦から出場できるらしいが、世界ランク150位だった彼女は予選を勝ち抜いて本戦への出場権を獲得する他なかったわけである。

決勝戦後の表彰式では準優勝したレイラ・フェルナンデス選手が20年前のことに触れていた。20年前のことというのは、米国での同時多発テロのことである。2001年9月11日の早朝、米国東海岸の都市を飛び立った4機の民間航空機がハイジャックされた。そのうちの2機はマンハッタンにあるワールド・トレード・センターの2棟に激突、1機はバージニア州にあるアメリカ国防総省の本庁舎ペンダゴンに激突、1機はペンシルバニア州の平原に墜落した。エマ・ラドゥカヌ選手とレイラ・フェルナンデス選手が生まれる前の年の出来事である。

2001年9月11日の早朝に起こった米国同時多発テロで亡くなった人は約3,000人に上る。そのうち日本人で亡くなった方は24人である。日本人で亡くなった24人のうち、ちょうど半分に当たる12人は当時の富士銀行(現みずほ銀行)の行員である。マンハッタンのワールド・トレード・センターはNorth TowerとSouth Towerの二棟から成っていた。当時の富士銀行ニューヨーク支店はワールド・トレード・センターSouth Towerに入居していた。South Towerの79階から82階までの4フロア―を賃借していたのである。

筆者はかつて富士銀行に勤務していた。しかも、富士銀行ニューヨーク支店にも3年間勤務したことがあるので、ワールド・トレード・センターSouth Towerの79階から82階までの4フロア―に馴染みがある。筆者が富士銀行ニューヨーク支店に勤務していたのは1993年から1996年までの3年間である。

ハイジャックされた民間機が最初に激突するのがワールド・トレード・センターのNorth Towerである。20年前の現地時間9月11日朝8時46分のことである。亡くなった富士銀行員のうちの一人、杉山陽一さん(享年34歳)の奥様晴美さんが手記を残されている。民間機がワールド・トレード・センターのNorth Towerに激突した直後に、日本にいる陽一さんの実母(晴美さんにとって義母)から国際電話で晴美さんに連絡が入った。「大丈夫ですか」と義母。晴美さんは「陽一さんの勤務するのは隣のSouth Towerですから、大丈夫です。お母さん、安心してください」と応えたという。しかし、同日朝9時3分(最初の民間機激突から17分後)に別の民間機がワールド・トレード・センターSouth Towerに激突する。

当時杉山さんご夫妻には二人の小さなお子さんがいらした。そして、晴美さんはおなかに三人目を身籠っていた。三人目のお子さんは陽一さんが亡くなってから約半年後に無事生まれる。晴美さんの手記の書名は『天に昇った命、地に舞い降りた命』(2002年マガジンハウス)という。この手記をもとに日本でテレビドラマも放映されたことがある。一方、杉山陽一さんの実父住山一貞さん(84歳)(注)は今年『9/11レポート』という翻訳書を出版した。米国政府が作成した同時多発テロに関する英文報告書の全文を日本語に翻訳したものである。英文報告書全文は約500ページに及び、住山さんは翻訳に約10年を要したという。

亡くなった富士銀行員の、もう一人に石川泰造さん(享年50歳)がいる。石川さんは筆者の元上司である。筆者は1996年に富士銀行ニューヨーク支店から同ヒューストン支店に異動した。ヒューストン支店に着任して約1年後の1997年に、石川さんがヒューストン支店長として日本から渡米してきた。それから約2年間、1999年まで筆者は石川さんに仕えた。そして石川さんは1999年に栄転してニューヨーク支店長になられる。一方、筆者はその翌年の2000年に通算7年の米国駐在を終えて日本に帰国する。

石川さんが亡くなられてから、はじめて筆者が知ったことがいくつかある。石川さんとは2年間ご一緒に仕事をさせて頂いたのに、それまで筆者は知らなかった。そのうちの一つが、元NHK記者の手島龍一さんが石川さんと同級生だったということ。慶應義塾大学の同窓で、かつ新聞部で一緒だったという。手島さんは同時多発テロ発生時にNHKワシントン支局に勤務しておられた。同時多発テロが発生する数か月前に、ニューヨークに居た石川さんがワシントンの手島さんに電話をかけたことがあるという。そして、「お互い米国にいるのだから、近いうちに会おう」と約束をしたという。手島さんは同時多発テロが発生すると、NHKのテレビ放送を通じて現地の状況を実況するのに多忙を極める。その実況中継の最中に、手島さんは日本人犠牲者の名前の中に石川さんの名前を発見した。手島さんはテレビカメラを前にして、数秒間沈黙を余儀なくされたという。この手島さんの経緯は、手島さんの手記に書かれている。手島さんの手記は同時多発テロ発生の数か月後に月刊誌「文藝春秋」に掲載された。筆者はその手記を読んで、ご両名の関係などを知った。

石川さんが学生時代新聞部で熱心に活動していたということを知って、筆者には思い当たるところがある。それは、当時仕事上のレポートを石川さんに回付すると、ときどき文章の修正をアドバイスされる。そのアドバイスの内容が他の上司とは少し違った。読み手がどう受け止めるかという視点を石川さんは非常に重視していたのである。これはおそらく、新聞部での活動を通じて、石川さんなりに文章術を習得していたからに違いない。

テニス全米オープンで準優勝したレイラ・フェルナンデス選手が20年前の同時多発テロに言及したことから、筆者の思いが20年前の出来事に及んだ。杉山さんご夫妻のお子さん二人は既に成人し、同時多発テロの後に生まれた三番目のお子さんも今年19歳になられた。石川さんはもしご存命だったら今年古稀を迎えられる。

(注)杉山陽一さんの旧姓は住山さんである。晴美さんとの結婚を機に晴美さんの姓である杉山姓にした。



  
Posted by projectfinance at 00:03Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック プロジェクトファイナンス