2017年07月24日

夏休み休暇は要らない? (PF673)

d525c1ef.jpg先日仕事上の知り合いと話しをしているときに「今年の夏はいつごろ休暇を取られるのですか」と訊かれ、一瞬答えに窮した。今年は夏休みの計画を立てていないことに気付いたからである。会社員時代は毎年春には夏の休暇計画を練り始めていた。まず職場の同僚たちと休暇の日程を調整する。そして、子供たちが小さいときには家族旅行の計画を立て、子供たちが成長してからは家内との小旅行の計画を立てるのをほぼ常としていた。

週末のテニス仲間とも最近「夏休みはいつですか」というやり取りが挨拶代わりに出てくる。テニス仲間はほとんど会社員なので、8月のお盆の前後に夏休み休暇を取る人が多い。筆者は会社員を辞め今年独立をしたが、10人余のテニス仲間全員には公表していない。私的なことなので、敢えて公表するのも憚られた。一部の気心の知れた仲間だけに伝えただけである。従って、「夏休みはいつですか」の質問にも少々答えに窮した。

どうして今年は夏休みの計画を立てていなかったのか。
ひとつには独立初年度で勝手が分からないまま7月になってしまったという事情がある。今年の春先の頃を振り返ると、数か月先の夏休み休暇のことを考える余裕がなかったのかもしれない。しかし、「考える余裕がなかった」というのは必ずしも忙しかったということではない。実は普段から余裕をもって仕事をしているので、時間的に忙しい訳ではない。知らぬ間に夏休み休暇への関心や期待が希薄になっていたのではないか、というのが真相のように感じている。

外資系金融機関に勤務するようになってから、毎年夏は2週間連続休暇を取っていた。年に1回の2週間連続休暇は心身ともにリフレッシュをする機会である。日頃の疲れを癒す。仕事から離れ、家族と過ごす。普段できないことをする。普段行けないところに行く。普段会えない人に会う。立ち止まって自分のキャリアについて考えてみる。普段まとまった時間が取れない会社員にとって、連続休暇は特別な時間である。数か月も前から計画するだけの価値のあるものである。

ところが、会社員を辞め独立してからは自由な時間が増えた。時間に追われるような仕事の仕方をできるだけ避けているので、普段のスケジュールには余裕がある。リフレッシュが必要だと思えばいつでもリフレッシュできる。癒さなければいけないほど疲れを溜めない。家族と過ごす時間もある。普段できないことも普段行けないところも、だいぶ減ってきている。

つまり、会社員時代に果たしていた夏休み休暇の役割というのは、どうもほとんど消失してしまっているのである。会社員時代に経験していた繁忙な日常がほとんどなくなったので、それを癒す2週間連続休暇もあまり必要性を感じないのかもしれない。そうだとすると、筆者には夏休み休暇は要らないのだろうか。夏休み休暇が要らない、というのはなんだか損した気分ではある。

もっとも、1週間や2週間の間仕事を一切止め、自宅から離れて見知らぬところに行き、そしてそこでゆっくり過ごす、というのは今でも憧れてはいる。憧れてはいるけれど、改めて考えると、その見知らぬところで1週間や2週間過ごしたところできっと退屈してしまうだろう、とも思う。

体よく言えば、普段無理をせずほどほどに充実しているので夏休み休暇はやはり要らないのかもしれない。休暇が必要になったら、そのときに休暇を取ればいい。

  
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2017年07月18日

多読・精読・濫読(41) (PF672)

c4cd9b97.jpg●西成活裕『逆説の法則』(新潮選書)
大学院の授業を受けているときに、「これはパラドックス(逆説)ですね」という口癖の先生がおられた。パラドックスを面白がる先生である。筆者には当時逆説の面白みがまだピンと来なかった。しかし、本書を読んで逆説の妙に気づいた。

ことわざは逆説に溢れている。「損をして得をとる」「急がば回れ」「負けるが勝ち」「急いては事を仕損じる」「慌(あわ)てる乞食はもらいが少ない」「情けは人のためならず」。「かわいい子には旅をさせよ」というのも逆説的だ。英語にはThe road to hell is paved with good intentions (地獄への道は善意でできている)ということわざもある。 

人に教訓を与えることわざが逆説に溢れているということはどういうことであろうか。ちょっと不思議な感じがする。しかし、ものごとを表面的にとらえるな、ものごとを短絡的に考えるな、などの教訓は既に逆説的な匂いがする。正しいことは表面的でもなければ短絡的でもない。本書を通じて著者が「目先のことにとらわれず、長期的な視野でものごとをとらえるべきだ」と示唆する。逆説はその名に違い、とても真っ当な考え方だ。

●楠木新『定年後』(中公新書)
2013年の改正高齢者雇用安定法は、企業に1) 定年の引き上げ、2) 継続雇用、3) 定年の廃止のうちの一つの実施を求めた。しかし、実際は約8割の企業が継続雇用を行っている。定年の引き上げや撤廃をする企業は約2割。継続雇用とした場合の仕事内容や給与水準は企業が一方的に定める。仕事内容が変わらないのに給与が大幅に下がる、単純作業の仕事に変わるなど60歳を迎えた会社員の不満は少なくない。

著者は大手生命保険会社に勤務しながら50歳のときから執筆活動を始めた。50代になってから大学院にも通った。定年の60歳を迎えた時、継続雇用を望まず退職して独立。「新たな取り組みは60歳になってから開始するのでは遅すぎる、在職中から新たな取り組みを開始することが肝要」という指摘はご自身の経験に基づく。

おおむね75歳くらいまでは健康でいられるとすると、定年の60歳から75歳までの15年は黄金の15年。継続雇用で65歳まで働くのも良いが、新たな生き方を見出したいのであれば60歳で会社員を辞めるのも一考。そのためには現職中から準備をしないといけない。また、何に取り組むにせよ趣味の領域にとどめず、報酬をもらえることを考えた方がいいともいう。実践的なアドバイスだ。

●『シンプルの正体 – ディック・ブルーナのデザイン』(ブルーシープ)
今年(2017年)2月に逝ったディック・ブルーナの作品集。うさこちゃんことミッフィーの絵本作家として知られている。絵本作家になる前は本の表紙のデザインやポスターの作成を手掛けていた。

本の表紙のデザインもポスターも絵本も、共通点がある。それは無駄を省いたシンプルさである。シンプルであるので、それを見る者が想像力を掻き立てられる。文章家の山本夏彦が「文章は削って削って完成させる」という趣旨のことを言っていたのを思い出す。

ディック・ブルーナのデザインも要らないものを削って削って完成させているように見える。もっとも、彼のデザインには温かみやユーモアがある。削った後に尖ったものは見当たらない。シンプルなデザインなのに人々に強烈な印象を残す。これまた逆説的な現象である。


  
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2017年07月10日

Floating LNG (PF671)

fbac25ff.jpgFloating LNGあるいはFLNGというのは、洋上で天然ガスを採掘・生産・精製・液化・貯蔵・積み出しを行う浮体式の生産設備である。洋上で原油を採掘・生産・貯蔵・積み出しを行う浮体式の生産設備をFPSO(Floating Production, Storage and Offloading)という。FLNGは液化天然ガスのFPSO版ということになる。

FPSOの歴史は長い。半世紀近くある。油田は昔陸上で多く発見されていたが、近年新規で発見されるのは海底である。海底油田の効率的な採掘・生産設備としてFPSOが使われるようになった。今や生産されている原油の約4割は海底油田からの産出である。

ガス田も海底ガス田が増えてきた。大型のガス田であれば、液化して輸出することも少なくない。これまで天然ガスの液化プラントは陸上に建設されてきた。しかし、海底油田は陸上から遠距離に存在するものもある。そうすると、ガス田から陸上まで敷設するパイプラインの距離も伸びる。敷設距離が伸びると建設コストが増え、事業の経済性を左右する。そこで、原油におけるFPSOのように、洋上でガスを生産し、そのまま洋上で液化して出荷しようというアイデアが生まれた。これがFLNGである。

先月FLNGに関する大きなニュースが2つあった。ひとつはロイヤル・ダッチ・シェル社が推進するPrelude FLNGに関するニュースである。2011年に同社が投資決定をして以来、韓国のサムスン重工業がFLNGの建造に取り組んでいた。いよいよFLNGが完成し、
FLNGは曳航されて韓国の造船所を出航したというニュースである。韓国の造船所を出航したFLNGはPreludeガス田が存在する西豪州沖合に向かう。おそらく数週間で現場に到着し、早晩試運転を開始するものと推測される。韓国の造船所を出航する様子を録画したビデオはシェル社の関連ホームページで観ることができる。

もうひとつのニュースはアフリカ・モザンビークのFLNGである。イタリアの石油会社・ENI社が推進するCoral FLNGというプロジェクトに関するニュースである。Coral FLNGというのは、モザンビークの海底ガス田のひとつを開発・生産するものである。経済性の観点から、液化プラントを陸上に建設するのを止め、洋上でのFLNGにしたものである。

ニュースというのは、このCoral FLNGの資金調達方法である。資金調達の方法にプロジェクトファイナンスを用いたという。総融資額約49億米ドル。金額も大きい。FLNGは操業実績もないので、これまでプロジェクトファイナンスでの資金調達が行われたこともない。上記のシェル社のPrelude FLNGについても、プロジェクトファイナンスは利用されていない。Prelude FLNGがようやく完成し造船所を出航したばかりだというのに、アフリカのモザンビークの案件ではプロジェクトファイナンスが成立したという。

Coral FLNGの事業主にはENI社以外に中国勢、韓国勢も加わっている。その関係でプロジェクトファイナンスの資金提供は中国勢と韓国勢が中心となったようである。さらに、操業後約2年間、事業主の債務保証が外れることはないとも報道されている。察するに、操業の内容を2年間程度観察して、その実績を観たうえで融資をノン・リコースにするという目論見なのではないかと思う。通常プロジェクトファイナンスでは完工を以って融資はリコースからノン・リコースになる。しかし、本件ではノン・リコース化を遅らせることによって、レンダーはリスクの軽減を図ろうと考えているのかもしれない。Coral FLNGの完工・操業開始は5年後の2022年である。
  
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2017年07月03日

手を焼く社員5タイプ (PF670)

d5860c10.jpg愛知県経営者協会が手を焼くシニア社員を5タイプに分け、対策を提言したという。どういうシニア社員が手を焼く5タイプなのか。1)元管理職の威厳を武器にする「勘違いタイプ」、2)文句は多いが当事者意識を欠き、自分では動かない「評論家タイプ」、3)仕事は会社が用意するものと考える「会社依存タイプ」、4)自分のやり方に固執し、新しいことを学ばない「現状固執タイプ」、5)賃金に見合う仕事はここまでと割り切る「割り切りタイプ」。

ここまで赤裸々に5タイプを挙げられると、思わず失笑する。真面目に分析しているところが面白い。1)の勘違いタイプは管理職を経験し役職を外れた後も役職時代の意識が残るという点で、シニア社員特有の現象かもしれない。しかし、残りの4タイプはシニア社員以外の、もう少し若い世代の社員にも散見されるのではないだろうか。例えば、2)の評論家タイプは30代や40代でも存在する。3)の会社依存タイプも若い世代にも存在する。4)の現状固執タイプも5)の割り切りタイプも、30代40代でも存在する。

愛知県経営者協会の分析は、どうもシニア社員に限定した問題ではなさそうである。もっとも、シニアになればなるほど、こういうタイプの社員の割合が増えるということは言えるかもしれない。しかし、シニアにならなくとも、ある種早熟な人はいるもので、ここで挙げられている手を焼くタイプの社員は存在する。そう考えを進めてくると、なぜこういうタイプの社員が出現してしまうのだろうかという新たな疑問が湧く。

海外での勤務や外資系企業での勤務の経験から言えるのは、4)の現状固執タイプと5)の割り切りタイプは欧米企業にも少なからず存在する。自分の考えややり方に固執しチーム・プレイができない社員や仕事を割り切り仕事よりもなにか他のモノに興味を持っている社員は欧米企業にも存在する。しかし、1)の勘違いタイプ、2)の評論家タイプ、3)の会社依存タイプはあまり見当たらない。正確に言うと、そういうタイプの社員がいないわけではないが、早晩退職を余儀なくされるはずである。従って、長い期間会社内にそういうタイプの社員が残存するということがない。現状固執タイプも割り切りタイプも、程度問題ではあるが、仕事のパフォーマンスが悪くなれば退職を勧められる可能性が高い。従って、早晩社内で姿を見なくなるということになるかもしれない。

愛知県経営者協会は、手を焼くシニア社員にはタイプに応じて40代から対策を講じるように提言している。具体的には、役割の明確化や研修・セミナーを通じての意識の向上などである。果たして、こういう対策で効果が上がるのかどうか疑問なしとしない。なぜなら、こういう社員は終身雇用制の利点を理解し容易には解雇されないと考えている可能性が高いからである。

終身雇用制が元凶だ、だから終身雇用制を全廃すべきだ、と主張したいわけではない。終身雇用制はもう少し見直し、修正を施した方が良い、とは思う。例えば、終身雇用制が存在するために、企業は企業の都合だけで社員をいつでも異動、転籍させることができる。退職年齢がきたら退職をさせることもできる。こういう制度下では社員の個人としての意思は尊重されているとは言えない。これらは社員にとって終身雇用制の対価と言えなくもない。

日本企業の終身雇用制はもはや美徳とは言えず、社員にとっても企業にとっても制度疲労を起こしている、と昨今つくづく感じている。
  
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2017年06月26日

エンジニアリング会社の事業投資 (PF669)

871653e9.jpg最近日本のエンジニアリング会社が海外事業投資に興味を持っている。一部のエンジニアリング会社は既に海外事業に出資をしている。他のエンジニアリング会社も担当部署を立ち上げ具体的な案件の検討に入っている。

なぜエンジニアリング会社が海外事業に投資するのであろうか。それはひとつには設計や建設業務などの本業で収益が伸び悩んでいるからである。また、景気動向次第で受注残高に大きな波が生じるので、これをある程度平準化したいという考えもある。例えば、原油価格がバレル100ドル前後のときには石油・ガス関連のプラントの受注が沢山あった。しかし、現在のように原油価格がバレル50ドルあるいはそれ以下の水準では受注が激減する。

エンジニアリング会社が事業投資に進出する場合、自社が得意とする分野で事業投資を行う場合とそうではない分野で事業投資をする場合が考えられる。例えば、石油・ガス分野を得意とするエンジニアリング会社が同分野で事業投資を行う場合が前者で、電力や水事業などで事業投資をすれば後者に当たる。エンジニアリング会社が事業投資を行う場合、どちらが良いのであろうか。

前者の場合、これまで培った知見やネットワークが生かせるというメリットがある。加えて、設計・建設等を受注している事業に一部出資もするということも考えられる。一挙両得のケースと言える。しかし、この場合、収益の平準化は望めないかもしれない。石油・ガス分野の例を見れば明らかだ。原油価格が高騰すれば本業の設計・建設の受注が増えるが、原油価格が低迷すれば受注は減る。同分野の投資機会の方もほとんど同様の動きをするはずである。従って、収益の平準化にはならない。さらに、自社が設計・建設を担う事業に自社が一部出資も行うとすると、建設請負と発注者という両方の立場に立つことになってしまい利益相反の問題が起こる。

自社が得意とする分野以外で事業投資をする後者の場合はどうあろうか。この場合収益の平準化は期待できる。例えば、石油・ガス分野を得意とするエンジニアリング会社が電力や水事業に投資する場合、原油価格動向に左右されない収益源が期待できる。もっとも、これまで培った知見やネットワークはほとんど利用できないので、異分野での投資事業はかなりの苦労を伴うかもしれない。

日本のエンジニアリング会社が海外事業投資に進出するに当たって、最も苦心するところはビジネスモデルが大幅に異なる点だと思われる。これまでの設計・建設という仕事には見られない、事業リスクを取って事業を遂行してゆくという全く新しい仕事に向き合わなければならない。これまでは建造物を無事完成させれば任務は終了であった。しかし、事業に参加するのであれば、事業はいわば建造物の完成から本格的に始まるのである。オペレーション、マーケティング、ファイナンスなどの技量も身に付けなければならない。事業性・経済性を見通していかなければならない。

建造物をスケジュール通り予算内で完成させることはもちろん重要である。その技量は賞賛して余りある。しかし、事業性・経済性を見通し、オペレーション、マーケティング、ファイナンスなどを駆使して事業を遂行するという経験や知見は、エンジニアリング会社のこれまでのノウハウを拡張や延長して得られるものではない。全く別次元の経験や知見になる。

欧米の企業なら、投資事業会社を買収するなり、投資事業経験者を外部から採用するなどして経験・知見のある人材を確保するため大胆に動く。ところが、日本の企業は自前主義が強い。外部人材を数名雇うことはあっても、大半のスタッフは自社の社員で固める。これでは外部からやってきた人材も力を発揮しにくい。そして、所期の目的の達成に時間がかかる。そうこうしているうちに、外部から採用した人材が耐えられなくなり、退職余儀なくされる。会社側は「だから中途採用はダメだ」なんて、結論付けて終わる。そういう既視感のある悲喜劇が起こらないことを切に願っている。
  
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2017年06月19日

LNG長期売買契約 (PF668)

2443c069.jpg以前電力・ガス業界の人に質問されたことがある。「LNGの売買契約は長期でないと困るとLNG事業主から言われる。その理由は資金調達でプロジェクトファイナンスを利用するからだと。プロジェクトファイナンス・レンダーが長期のLNG売買契約を求めるからだと。」「レンダーは長期のLNG売買契約がないと、プロジェクトファイナンスができないのか。」

LNG事業主が長期のLNG売買契約を望むのは理解できる。LNG事業は莫大な初期投資を要するので、その事業性や経済性をより確実なものにしたい。従って、その一環として長期売買契約を確保したい。実際LNG事業主が投資判断を下すときの条件のひとつとして、一定割合以上のLNG長期売買契約が整うこととしている例は多い。しかし、プロジェクトファイナンス・レンダーが求めているからという理由は本当なのだろうか。

現在のところ、レンダーはLNG事業で長期売買契約があった方が望ましいと考えているのは事実である。しかし、これだけLNGの生産者と購入者が増えてきて市場が拡大してくると、スポットの売買や短期契約での売買はますます増え、従来の長期売買契約は徐々に減ってくるであろう。長期の売買契約がいずれ無くなってしまうとまでは思わないが、売買契約期間の短縮化がある程度進むのは間違いない。

カタール初のLNG事業が締結したLNG売買契約の期間は25年である。1996年に発効し、2021年まで続く。現在建設が進む、国際石油開発帝石の豪州イクシスLNG事業が締結したLNG売買契約の期間は15年である。この20年弱の間にLNG売買契約の期間は明らかに短くなっている。

LNG購入者はLNG売買契約期間の短縮化を望んでいる。なぜなら、遥か将来に亘るLNG需要を正確に見通すのは困難だからである。LNG/天然ガスの需要は世界的には伸長するものと予測されるが、電力・ガス企業個別のLNG需要が10年、20年先にどうなっているのかを予測するのは容易ではない。

さて、冒頭の質問に戻る。長期のLNG売買契約がないとプロジェクトファイナンスはできなくなってしまうのか。筆者はそうは思わない。なぜなら、原油をはじめ他の資源開発案件では長期の売買契約が十二分に存在していなくともプロジェクトファイナンスが成立しているからである。もっとも、他の資源開発案件では投資資金の回収期間延いては融資期間がLNG案件のそれに比べて短いという点は注意しておきたい。

それでは他の資源開発案件において、プロジェクトファイナンス・レンダーは何を重要視して融資の判断をしているのであろうか。それは生産コストの競争力である。生産コストが相対的に低く競争力に長けていれば、その資源開発案件が破綻する確率は低い。資源価格は上下するが、下落した時にも生産コストの低い資源開発案件は生き残る可能性が高い。当該資源(例えば、石油、天然ガス、鉄鉱石、銅など)そのものの需要が無くなってしまうと致命的であるが、当該資源の相応の需要が存在する限り、当該資源を生産・販売する者のうち生き残るのは生産コストの相対的に低い者である。

LNGの長期売買契約が100%あったとしても、仮に生産コストの高いLNG事業であったならば、LNG価格が長く低迷すると収益が悪化し破綻しないとも限らない。LNG事業に長期売買契約は無いよりも有った方が良いとは思うが、究極的に必要なのは生産コストの競争力であって長期売買契約ではない。
  
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2017年06月12日

フィナンシャル・アドバイザーの利益相反問題 (PF667)

f83e8177.jpg共同通信社の経済部記者橋本卓典氏の著書『捨てられる銀行2-非産運用』は日本の資産運用の問題を採り上げている。銀行の窓口で勧められる投資信託等の資産運用商品は銀行グループ内の資産運用会社が開発・運用する商品であることが多い。あるいは銀行にとって手数料が多く取れる商品であることが多い。金融商品に明るくない顧客は銀行の窓口で勧められるまま購入する。

資産運用の世界では運用受託者は顧客の利益を最優先しなければならないという考え方がある。これを運用受託者のフィデューシャリー・デューティー(fiduciary duty)という。この考え方はちょうど医者や弁護士が患者や顧客の利益を最優先しなければならないとするのと同じである。仮に医者や弁護士が患者や顧客の利益よりも自らの収入が大きくなることを優先したらどうであろう。医者や弁護士の信用は地に堕ちる。ところが、銀行の窓口では銀行が手数料を多く取れる資産運用商品を顧客に勧めるきらいがある。銀行の営業姿勢は資産運用商品の販売の点でフィデューシャリー・デューティーの遵守が十分とはいえない。顧客の利益と反するという点で利益相反を起こしている可能性が高い。

利益相反という問題は実はプロジェクトファイナンスにおいても出現する。よく見られるのはフィナンシャル・アドバイザーがレンダーになるケースである。プロジェクトファイナンスのフィナンシャル・アドバイザーは銀行であることが多い。それはプロジェクトファイナンスを最も多く経験し熟知しているのが銀行だからである。フィナンシャル・アドバイザーは借主(事業主)に雇われ、借主の利益のために働く。フィナンシャル・アドバイザーの任務は通常借主の利益になる方向でプロジェクトファイナンスを成功裏に組成することである。

フィナンシャル・アドバイザーがプロジェクトファイナンスの融資契約書を調印したところで任務を終了し、レンダーとして融資に参加しないのであれば、利益相反は起こらない。ところがフィナンシャル・アドバイザーがプロジェクトファイナンスの融資にレンダーとして参加すると、利益相反の問題が発生する。どうして利益相反になるのか。それはフィナンシャル・アドバイザーを行う銀行が、フィナンシャル・アドバイザーの業務では借主の利益のために働く一方、レンダーとして貸主にもなるからである。つまり、借主側と貸主側の両方に立つからである。弁護士には禁止されている双方代理に似たような状態である。

この利益相反の状態が出現すると、不利益を蒙る可能性があるのは借主である。なぜなら、フィナンシャル・アドバイザーとして借主の利益のために働くはずの銀行が、レンダーの立場でレンダーの利益のためにも判断をするようになると、その限りで借主の不利益となる可能性が高いからである。従って、理論的にはフィナンシャル・アドバイザーを行う銀行にはレンダーになるのを禁ずるのが正しい。この判断を下すのは借主である。

しかし、現実の実務を見てゆくと、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーになっているケースは少なくない。借主の承認が得られれば、フィナンシャル・アドバイザーはレンダーになっても構わない。ところで、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーにもなることのメリットはあるのであろうか。メリットとしてひとつ考えられるのは、融資に参加する他の銀行に安心感を与えられるという心理的な効果が挙げられる。フィナンシャル・アドバイザーはファイナンスの諸条件や仕組みを作り上げるので、細かいところまで熟知している。仮に複雑な仕組みを取り入れているときには、融資に参加する他の銀行が疑心暗鬼にならないとも限らない。こういう疑心暗鬼を払拭するのに、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーとなることが役に立つ。そうすれば、「自分で作った料理を自分で食べる」「毒は入っていません」と証する効果が期待できる。

さて、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーにもなることのメリットが存在するとしても、借主には利益相反による潜在的な不利益が残る。どうやってこの潜在的な不利益を減殺すればよいのだろうか。あるいは、どういう条件で借主はフィナンシャル・アドバイザーがレンダーになることを承認すれば良いのだろうか。最低限の条件として、フィナンシャル・アドバイザーを行う銀行内でフィナンシャル・アドバイザーの業務を担うチームとレンダーの業務を担うチームとを明確に分けてもらうことが必要である。チームを明確に分けることをチャイニーズ・ウォール(Chinese Wall)を設けるという。チャイニーズ・ウォールを設けて両チーム間にメンバーの重複がないこと、さらに両チーム間で一切の情報のやり取りをしないことなどを約束してもらうことである。

このチャイニーズ・ウォールを設けるという解決策は、完全無欠の方法ではない。万が一フィナンシャル・アドバイザーを行う銀行がチャイニーズ・ウォールの運用を厳格に行わないと、借主の不利益となるような事態が発生しかねない。もし、借主から見て不審な言動が見られるのであれば、フィナンシャル・アドバイザーを行う銀行にはレンダーになることを辞めてもらうことも検討せざるを得ない。


  
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2017年06月05日

多読・精読・濫読(40) (PF666)

0eaf3544.jpg●スティ―ブン・ガイズ著『小さな習慣』(ダイヤモンド社)
独立してから痛感したのは生活リズムの大切さである。会社員生活と違って、月曜日から金曜日まで朝出勤して夜帰宅するというリズムがない。資料を読んだり原稿を書いたりするのは、別に決まった時間に行わなくてもいい。自分の好きな時間に行って構わない。まさに独立したことによる自由、自律の世界であって大いに満喫すべきなのだが、実は最近分かってきたのはこの自由さが悩ましいということ。自分の好きな時にやっていいということは、筆者の場合いつまでもやらなくてもいい、ということとほぼ同義になってしまうことがある。一向に仕事が進まない。自分はこんなに怠け者だったのか。

そんなときに本書に出会って、膝を打つ思いがした。良い習慣を身に付けるのに、いきなり大きな目標を掲げない。毎日実践しやすいように、馬鹿げたほど目標は小さくする。例えば毎日腕立て伏せをするという目標があるとすると、「毎日腕立て伏せを1回以上する」とする。そうすると達成しやすい。床に伏して腕立て伏せを始めること自体が実は肝心な点だ。1回でいいから始める。そうすると、おそらく1回で終えることの方が難しくなる。一旦横に伏した以上、数回いや10回くらいはやってしまう。なるほど。これを応用しない手はない。馬鹿げたほど小さい目標を掲げて、やってみよう。

因みに、原題はMini Habits – Smaller Habits, Bigger Resultsという。原書で読めば、英語の勉強にもなる。

●寺島実郎著『シルバーデモクラシー - 戦後世代の覚悟と責任』(岩波書店)
「トヨタを定年退職した高卒の工員が入社以来自社株保有制度でコツコツ積み上げた保有株の時価が2.5億円。村田製作所の定年退職者が保有自社株時価5億円。」という話が本書に出てくる。持ち株会のお陰で資産ができたという人は羨ましい。80年代に銀行員になった者は持ち株会で資産はできなかった。バブル時代に流行った時価発行増資の際自社株を買うよう強く勧められ社内融資でお金を借りて自社株を買った。その後株価は下落して低迷が続いた。そのうち持ち株会に嫌気が指した。どういう時代にどういうセクターで働いていたかによって、持ち株会で資産を成す人とそうではない人とに分かれるということなのだろうか。これは持ち株会格差とも呼ぶべき現象だ。

「サラリーマンとして長く働き、企業等の組織に帰属して人生を送ってきた人たちは、ひとたびそこから去ったら、多くの場合、やることはないのである。特にこれまでの日本のサラリーマンは組織への帰属意識が強く、「うちの会社」意識にのめり込んできた。」と本書には厳しい指摘もある。サラリーマンとして職業人生を全うすることは悪いことではないが、サラリーマンを辞めた後の人生もまだ20年くらいある。その間何をやるのか。サラリーマンを辞めてから考え始めるのではちょっと遅い。サラリーマンを辞める前から考えておかないといけない。また考えるだけではなく、現役中に部分的に行動を起こすのが理想である。部分的に行動を起こすことによって、いわば経験値を上げることができる。考えているのと、やってみるのとでは随分違うはずだ。現役中に行動を起こし、サラリーマン生活から次の生活へのソフトランディングを目指す。これはなかなか重い課題だ。


  
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2017年05月29日

経済危機10年周期仮説 (PF665)

fc2367bf.jpg経済学の標準的な教科書には経済循環を説明している箇所がある。果たして、その循環にはある程度の周期性が見られるのかどうか。経済は循環する、というのは大なり小なり実感している。しかし、その循環が天体で観測されるような厳密な周期性があるのかというと、それは少し疑わしい。なぜなら、経済は人の営みの集積なので、天文学で言うような厳密な周期性は認められないであろうと思う。

リーマン・ブラザーズの破綻は2008年9月に発生した。いわゆるリーマンショックである。もっとも、その原因となったサブプライム問題は、それより前から指摘されていた。前年の2007年に欧州銀行の運営するファンドの価格が急落する騒動が起こっている。いずれにせよ、今から10年ほど前の出来事である。

1997年中頃にはタイのバーツが暴落を始めた。年が明けるとインドネシアに波及しルピアが急落する。追って他のアジア新興国にも影響が及ぶ。90年代初頭からこれらの新興国に流れ込んでいた膨大な資金が急に流出を始めたのが原因である。後刻これはアジア経済危機と称されるようになる。今から20年ほど前の出来事である。

1987年10月19日ニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の終値が大暴落する。前日比約23%の下落である。20世紀初頭の大恐慌の引き金になったと言われる、1929年のニューヨーク証券取引所の大暴落が前日比約13%の下落である。1987年の大暴落の規模が大きいことが分かる。今から30年ほど前の出来事である。

筆者は80年代に社会人になったので、いずれの経済危機にも実体験を持っている。1987年のニューヨーク証券取引所の大暴落は日本にも波及したが、幸いそのときの日本の株式市場は短期間に回復を見た。しかし、日本の株式市場は90年の年明けから下落基調が止まらなくなる。日本のバブルの終焉である。

1997-98年のアジア経済危機には茫然自失した。米国駐在中に発生したが、米国発アジア案件のビジネスに取り組んでいる最中だったので、危機発生後案件が全く動かなくなり開店休業状態に陥った。この時期にはアジア経済危機に加え、日本国内では金融危機も発生していた。日本で複数の大手金融機関が破綻や経営危機に瀕するなど前代未聞の事態である。

リーマンショックは筆者が邦銀から外資系金融機関に転職して2年後に発生した。リーマンショックの影響を最も受けたのは欧米の金融機関である。例えば、リーマンショック発生前まで欧州系金融機関は日本でのビジネスを拡大しようと営業拠点拡張など活発であった。しかし、リーマンショックが起こるとその流れはほとんど消失する。日系金融機関から外資系金融機関への人の移動も、リーマンショックを境に衰えた。

さて、80年代の株式大暴落、90年代のアジア経済危機、2000年代のリーマンショックを簡単に見てきたが、リーマンショックからまもなく9年である。経済危機は10年毎にやってくると考えている訳ではない。経済に天文学のような厳密な周期性はないと思う。しかし、今世界で起こっていることをつぶさに観ていると、世界の経済を混乱・攪乱させるような潜在的な要因はすぐにいくつか挙げることができる。経済危機のような不幸な出来事は起こらないでほしいと願う一方で、いざ発生したらどうしたら良いのかという心構えを持っておきたいものである。
  
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2017年05月22日

勉強会への応募 (PF664)

58b09a70.jpg某大学が社会貢献活動の一環として勉強会を主催している。数か月間の間約50名の参加者が議論しながら主体的に学ぶ。大学側が運営費用の大半を拠出しており、参加者が負担する費用はごくわずかである。学生や社会人を対象としている。講師陣やプログラム内容が充実しており人気がある。応募者が多く、参加者を選ぶ選考が行われている。

選考は2段階で行われる。第一次選考は書類選考、第二次選考は面接。第一次選考に応募するために用意しなければならない書類の多さは尋常ではない。略歴等のほか、志望理由、社会問題に関する問題意識、同問題意識への解決案、課題小論文。加えて第三者の推薦書も添える。

選考に通過したら、勉強会には原則無遅刻無欠席で参加することが期待されている。応募書類の重厚さといい、無遅刻無欠席の運営方針といい、かなりの覚悟がないといけない。

しばらく逡巡したが、筆者は応募してみることにした。運営する大学側の熱意を感じたからである。そして、学びの場を持ちたいという筆者の思いもある。逡巡した理由は筆者の年齢である。募集要項に年齢制限はなかったが、勉強会の趣旨から、学生や若い社会人の参加を想定しているものと推察された。

年齢が理由で選考に漏れるのであれば、第一次選考の段階で判明するであろう。そう思いながら、応募書類を準備した。応募書類自体が多いのは既述の通りであるが、準備に手間取るのは第三者の推薦書である。幸い一部上場企業の役員を務めている方が推薦書の用意を快諾してくれたので、意を強くした。

推薦書を含め応募書類をすべて整えると、期日までに送付。数週間後には薄い封書が自宅に届いた。封書の薄さから、不合格を覚悟した。開封してみると、第一次選考の合格通知書と第二次選考の案内書が入っていた。合わせて二枚の紙。

薄い封書が届いてから数週間後に、第二次選考の面接に臨んだ。待合室に待っている第一次選考通過者の年齢層が若い。学生と思しき人たちと20代30代の社会人と思しき人たち。50代の筆者は場違いである。

面接は首尾よく進んだ。面接官とのコミュニケーションも良く取れたと思う。昔から筆記試験より面接を得意としていたという自負もある。最終合格を確信して、面接の部屋からゆっくり退出した。

面接から約一週間後に再び薄い封書が自宅に届いた。薄い封書は朗報のはずである。ところが開封してみると、「残念ではございますが」で始まる不合格通知書の紙一枚が入っていた。

後日分かったことであるが、当初応募者は200名余おり、第一次選考通過者が約80名、最終選考通過者が約50名。筆者が選考に漏れたのは何故だろう。年齢が理由なら第一次選考で漏れていたはずである。選考に漏れた理由を筆者なりに推測してみた。書類は良かったが、面接してみたら「ただの50代のおじさん」だと思われたのかどうか。

この一連の出来事は数か月前のことである。もう勉強会のことはすっかり脳裏から離れていた。ところがつい先日同大学から一通の通知が自宅に届いた。次期勉強会に応募しませんかという勧誘である。「もう結構でございます」と筆者はひとりつぶやく。しかし、通知をよく読むと、次期勉強会の募集には過去の応募者を受け入れる若干名の別枠があり、事前に選抜した人だけに本通知を送付しているという。

なんとも蠱惑(こわく)的な勧誘である。しかし、筆者は再び逡巡している。応募するかどうか決めかねている。
  
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2017年05月15日

部下との信頼関係をつくる (PF663)

33c0b881.jpg自分の経験を振り返ってみて、自分のキャリアについて真剣に考えるようになったのが30代前半、部下の育成を真剣に考えるようになったのが40代後半以降。後者の部下の育成に目覚めるのはちょっと遅かった。言い訳になるかもしれないが、終身雇用や年功序列がしっかり残っており、組織の中で人事部の存在が大きい日本の企業(銀行)では、管理職にとって部下の育成はかならずしも優先順位の高い事項ではないように思う。

仕事を教えるだけが部下の育成ではない。部下と信頼関係を結び、部下の中長期的な成長を支援するのが上司に期待される部下の育成である。しかし、現場では時間の制約もあり、管理職がきめ細かく部下の面倒を見るのが難しくなっている。また、管理職になったからといって、部下の育成の経験が豊富な人ばかりではない。業務知識があり仕事はできるけれども、部下の育成を不得手としている人もいる。

コーチングという手法がある。部下と対話をし、問題点や課題を気付かせる人材育成方法である。コーチングの良いところは本人自身に問題点や課題を気付かせる点で、本人がこれらに気付けばコーチングは半ば成功である。コーチングの難しいところは、的確な質問で部下を導き問題点や課題の発見にまでたどり着くことである。上司の側にかなりの技量と経験を要する。

フィードバックという手法もある。部下と対話をし、上司が部下の問題点や課題をずばり指摘し、一緒に解決してゆくという手法である。中原淳氏の近著『フィードバック入門』(PHPビジネス新書)はフィードバックを「耳の痛いことを部下にしっかり伝え、彼らの成長を立て直すこと」と定義している。フィードバックも指摘内容が適切でないと、却って本人の反感を買う。場合によると、パワーハラスメントと誤解されかねない。

コーチングとフィードバックは対立する考え方ではない。部下の育成・成長を目的としている点は共通している。違いは問題点や課題を本人自身に気付かせるのか、それとも上司が指摘するのか、というところにある。問題点や課題の存在を共有したあと、部下と上司が一緒になって解決を図ってゆくところは再び共通している。

コーチングとフィードバックとでは、どちらが適切な部下育成方法なのであろうか。どちらか一方が他方より優れているということではないと思う。上司の力量、部下のタイプ、事態の状況によって、両者を使い分ける。

コーチングとフィードバックを成立させるための前提条件があることに注意したい。それは上司が部下と一対一で対話する習慣を持つということである。週1回部下を集めて業務打ち合わせ会を開く、数か月に1回は飲み会を持つ、年に2回は業績評価の面談をするなどは広く行われている。しかし、直属の部下全員と一対一の面談を最低月に1回行っている人はどれくらいいるだろうか。

直属の部下全員と一対一の面談を持つのはコーチングやフィードバックのためだけではない。そもそも部下との信頼関係をつくるためである。部下との信頼関係ができていなければ、コーチングもフィードバックもおそらく成り立たない。また、コーチングやフィードバックをやらないとしても、部下との信頼関係は必要である。

部下との信頼関係をつくるために、最低月に1回部下との一対一の面談をお勧めする。これを3回4回と続けてゆくうちに、効果の大きさを実感する。そして上司自身の成長にも資する。


  
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2017年05月08日

仕事や人との距離感 (PF662)

4570f27d.jpg今年のゴールデンウィークは毎朝2時間テニスをしていた。6時に起床して7時に仲間とテニスコートに集う。若い頃テニスをやった経験はない。運動不足の解消を目的に、49歳のときから始めた。今はテニスそれ自体を楽しんでいる。テニス仲間に恵まれたのも幸いしている。

テニスを始めてから、かれこれ7年半が過ぎた。中学生や高校生なら、1年や2年の短期間のうちに急速に上達するのであろうが、50代にはそれは望めない。しかも、原則週末だけプレーする週末プレーヤーである。週末プレーヤーは泡沫プレーヤーでもある。人の目には相変わらずのプレー振りに見えるかもしれないが、本人はいつも上達したいと思っている。上達したいという向上心や探究心を持つと、さらに面白く感じられる。

最近のテーマは、ボールと自分との距離感である。ボールと自分との距離感とは、ボールを最も効果的に打つには自分のからだとどのくらいの距離を保てば良いのかということである。標準的なテニスのラケットは縦の長さがおおよそ65センチメートルある。ボールはガットの貼ってある楕円形の部分で打つが、このガットの貼ってある楕円形のうち、ボールを効果的に打てるのは中心よりやや先端寄りのところである。中心より先端寄りのところは、ラケットのグリップ端から55センチメートル乃至60センチメートル離れている。

ボールとの正しい距離感は、理屈ではラケットのグリップ端から55センチメートル乃至60センチメートル離れたところということになる。しかし、ボールとの正しい距離感は実際に何度も練習して身に付ける以外にない。理屈は理屈として理解の助けとするが、実際にいいショットが打てないと話にならない。

ボールに近づき過ぎても、離れ過ぎても、いいショットは打てない。ボールとの距離感を誤ると、ラケットをボールに当てに行くような打ち方になり、ボールに力が伝わらない。これはサーブを打つとき、フォアハンドを打つとき、バックハンドを打つとき、すべての場合に当てはまる。

テニスを通じてボールとの距離感の話をしてきたが、仕事や人との関係にも正しい距離感というものがあるのではないかと思う。いま携わっている仕事について、近づき過ぎて周りが見えなくなっていないか。もう少し距離を置いて見てゆけば、見落としているものが分かるのではないか。また、ある業務から距離を置き過ぎてはいないか。同業務の最近の動向を把握しておかなくて良いのか。

人との関係にも同様のことが言えそうである。近づき過ぎて情緒的な付き合いになってはいないか。自分の弱さが情緒的なお付き合いを助長させていないか。また、尊敬する先輩や同僚がいれば、疎遠になるのを避けるべく連絡を取ってみる。特段相談事がなくても、自分の近況を報告するだけでも良いので、連絡を取ってみる。

仕事や人との関係で誤った距離感を持つと、テニス同様いいショットは打てない。ラケットをボールに当てに行くような打ち方になりかねない。理屈は分かっていても、行動が伴わなければ良い結果に繋がらない。
  
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2017年05月01日

合理的に保守的な考え方 (PF661)

29ed3a9a.jpg日本郵政が多額の減損を発表した。これは2015年に豪州の物流会社を買収したことに関わる減損である。2年前の買収を報道で知ったときの驚きは今でも記憶にある。日本郵政が海外の物流会社を買収して、果たして買収後首尾よく経営してゆけるのだろうかと思ったからである。企業買収の成否は、買収後にどれだけ買収の効果を出せるかにかかっている。

企業や資産を買収する際には、買収時点での価値を上回る買収代金を支払うことは多い。いわゆるプレミアムを払う。このプレミアム分は会計上「のれん」(goodwill)として資産計上する。「のれん」は日本の会計では長期間で定額償却する。しかし、買収した企業や資産の価値が大幅に減少したときには一括して減損する。これを減損会計という。

買収した企業や資産が後刻価値を増加させた場合には、減損会計の逆のことをするのだろうか。あえて言えば増益会計という言い方になるかもしれないが、増益会計はするのだろうか。増益会計はしない。そして増益会計という言葉自体も存在しないようである。これは会計原則に通底する保守的な考え方によるのであろう。

行動経済学では実験等を通じて、人は利益とリスクを同等には評価していないことを明らかにしている。人は利益よりもリスクの方をやや過大に受け止める傾向にある。こういう人の行動の傾向や癖はけして悪いことではない。大儲けをしなくとも生活には困らないが、大損をしたら生活に困る。だから、利益よりもリスクの方をやや過大に受け止める。こういう保守的な行動は実は理に適っている。上記の会計の保守主義と行動経済学の知見は相通ずるものがある。

賭け事の好きな人がいる。ゴルフやマージャンでの賭けは言うに及ばず、パチンコ、競輪、競馬、競艇、カジノなどが好きな人がいる。賭け事やギャンブルは人の射幸心をくすぐる。賭け事の好きな人は賭け事で勝ったときのことばかりを話す。敗けたことも数えきれないほどあるはずだが、敗けたことは忘却しがちだ。勝ちを過大に評価し、負けを過小に評価する。上記の会計の考え方や行動経済学の知見とは正反対である。

裁判官を40年間務めた原田國男氏の近著『裁判の非情と人情』を読んでいたら、現役時代判決文を期日までに書き終わらない夢を何度も見たという。裁判官を退いてコラムの連載を受け持っていたときには、原稿は5回分6回分先まで用意しておいたという。

仕事を堅実に進める人は保守的な考え方や行動様式を持っているようである。大当たりはないかもしれないが、大きな失敗もない。若い頃は型にはまった仕事振りや堅実で着実な仕事の進め方にあまり関心を持てなかったが、いい仕事をする人は間違いなく堅実かつ着実に仕事をしている。いい仕事は付け焼刃的にはとてもできない。会計の考え方も行動経済学の知見も、合理的に保守的なのであろうとあらためて思う。


  
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2017年04月24日

製造業とサービス業 (PF660)

4f5906dc.jpg日本の強い産業は製造業である。自動車、エレクトロニクス、精密機械、プラントなどがすぐに思い当たる。製造業が売る製品というのは目で見ることができて、触ることもできて、試しに短期間使用してみることもできて、その性能の良さを理解しやすい。性能の良さを理解するのに、言葉の持つ役割はさほど大きくない。百の説明よりも、まず見てみる方が早い、スイッチを入れて動かしてみる方が早い。百聞は一見に如かずの世界である。

また、他国の製品と日本の製品との優劣も分かり易い。性能に優れ機能に優れ、故障が少ないなどの点が明白になってくると、競合品との差別化が図れる。最近は海外から「日本の製品は良質だが値段が高い」という声も聞く。しかし、独自の性能や機能を持っているなど類似の競合品が存在しない、代替品はないとなれば、値段が高くとも日本の製品を買わざるを得ない。製造業における差別化というのは分かり易い。

一方、金融はサービス業である。例えばプロジェクトファイナンスは融資であるが、融資というサービス自体は誰が提供してもあまり違いがない。A金融機関の提供する融資とB金融機関の提供する融資は仮に融資額と融資期間が同じだとすると、違いはせいぜい微細な融資条件や金利水準程度である。顧客(借主)の差し当たりの目的がまず一定金額の融資を確保することだとすると、A金融機関からであろうが、B金融機関からであろうが、どちらでも構わない。まさに「お金に色はない」。

サービス業が提供するサービスというものは製品のようには良し悪しの判別が容易ではない。見てみれば分かる、使ってみれば分かるというようにはなかなかいかない。サービスの良し悪しを決めるのは何であろうか。「おもてなし」のような心遣いであろうか。顧客の気持ちを忖度するような気遣いであろうか。そういう心遣いや気遣いももちろん重要だとは思うが、長い間筆者が感じていたのは「言葉」の持つ力である。

例えばプロジェクトファイナンスの案件でフィナンシャル・アドバイザーやリード・アレンジャーの指名獲得のため顧客を相手にプレゼンテーションを行ったとする。優れたアイデアを、よく作られた資料で説明を試みるとする。顧客の質問にもテキパキと応答するとする。このとき、顧客の母国語でプレゼンテーションを行うのが最善である。そして、プレゼンテーターの母国語は顧客の母国語と同じであることが最善である。

口八丁手八丁が必要だと言っているわけではない。目には見えない金融というサービスを顧客が選ぶに当たって、腹落ちするような納得感、安心感、信頼感が重要なのである。そういう納得感、安心感、信頼感は母国語の方が遥かに得やすい。

日本で営業している外資系金融機関の社員は日本人が多い。これらの日本人社員の重要な役割の一つは、日本企業の顧客に対して日本語で十分にコミュニケーションを取ることである。日本企業の中にはもちろん英語に堪能で英語でのやりとりに問題のない人もいる。しかし、多くの日本企業の社員は日本語で要点を確認し、納得感、安心感、信頼感などを以って取引に入ってゆくのが普通である。最後まで英語だけで完結してもらって構わない、という人は極めて稀である。

同様のことは弁護士、会計士、コンサルタントなどの専門職にも当てはまる。これらの専門職の提供するサービスも「言葉」の持つ力が非常に重要である。英語の堪能な日本人弁護士、会計士、コンサルタントももちろんいる。しかし、彼らの顧客が専ら欧米人というわけではない。彼らの主要な顧客は日本人である。

日本あるいは日本人は製造業に強く、海外でも日本企業の製造した様々な製品が高く評価されている。しかしながら、金融をはじめとしたサービス業では海外で成功している例が少ない。その要因のひとつが「言葉」の持つ力の問題ではないかと思う。
  
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2017年04月17日

1日2時間歩く (PF659)

4ced7262.jpg朝6時過ぎに起きると着替えて朝食を食べる。食べ終わるとウォーキングに出る。歩くこと約1時間。何も考えずに歩くこともあるし、今日1日の仕事内容を考えながら歩くこともある。あるいは草花の成長ぶりに目を奪われることもある。春は草花の成長が著しい。徐々に気温が上がってくるに従い、蕾はふくらむ。数日前まで蕾だったかと思えば、今日は花が咲く。草花に思いを馳せると、自分と草花が一瞬同期したような気がして、雄大な自然の営みから英気を養える。

ウォ−キングから戻ると、朝刊に目を通す。新聞を精読しだすと、それだけでかなりの時間が経過する。以前は新聞を読んで午前中が終わることがあった。午前中はもっとも仕事がはかどるので、新聞に費やすのではもったいない。午前中は仕事をすることにしている。ややこしい仕事でも、複雑な仕事でも、面倒な仕事でも、朝なら取り組む意欲がある。意欲旺盛な午前中は仕事に適している。

昼食は外で食する。このときも歩いて行く。往復30分程度歩く。昼食の際、新聞や本を持参する。食事を済ませた後、食休みを兼ねて新聞や本を読む。新聞や本を読んでいると、食休みの時間が長くなる。会社員のときは60分間の昼食時間という制約があったので、食休みもほどほどにして足早に職場に戻った。いまはそういう制約がないので、気兼ねなく活字を追う。ゆっくりと食休みを取っている間は至福である。自営業になって良かったと思う瞬間である。

午後は筆者の脳の働きが悪くなる。集中力や意欲が低下しているのが分かる。仕事はするが、無理はしない。データ収集や整理など作業的な仕事に充てるのが良いようである。午後も後半になると、集中力や意欲が回復してくる。午前中の仕事が再開できることも多い。

夕方は再び外出する。翌日の朝食のためのパンを買いに行く。また30分ほど歩く。つまり、朝に1時間、昼に30分、夕方に30分で合計1日に2時間歩いていることになる。初めからそのように意図したわけではない。いつの間にか1日3回歩くのが心地よくなり、習慣化しただけである。

夕食を済ませ入浴も済ませると、就寝まで自由時間にしている。昼間の仕事を続けることもあるが、夜に仕事をすると心身の疲れが高まるような気がして、夜は仕事をしないようにしている。音楽を静かにかけて本を読むのが理想的な夜の過ごし方である。遅くとも夜11時には就寝する。

以上は会社員を辞めてからの筆者の典型的な平日の過ごし方である。土曜と日曜は平日とはパターンが異なる。土曜と日曜の午前中はそれぞれ2時間テニスをしている。テニス仲間と一緒に笑い一緒に汗をかく愉しいひとときである。日曜日の夕方は大学院生の娘の都合が合えば一緒にウォーキングをする。娘と話をする貴重な機会である。また、日曜日の夕方は近所に住む両親宅に顔を出す。両親は高齢で二人とも80代である。5年前に筆者自宅近隣に呼び寄せた。幸い二人とも元気で、日常生活に問題はない。そうは言っても、高齢の二人が生活に不便なくやっていることを息子としては確認しておきたい。また両親も息子が元気でいることを知りたいであろう。この5年間欠かさず毎週日曜日に両親宅に立ち寄っている。

仕事をするということと会社員でいるということとが必ずしも同義ではないはずだ、と自分に言い聞かせてきた。会社員ではなくなるけれど仕事は続けられるということを実証できるのか、と自分に問い続けてきた。数か月間程度で答えは出ないけれども、少しずつ手応えを感じ始めている。
  
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2017年04月10日

テイク・オア・ペイ (PF658)

6d4505a5.jpgLNG(液化天然ガス)事業を企図する事業者は、通常LNG購入予定者と長期間の売買契約を予め締結してから事業投資を決断する。多額の投資を要する事業なので、LNG購入予定者を確保し販売先に目処を付けたうえで事業に着手する。LNG事業の資金調達にはプロジェクトファイナンスがよく利用される。長期間の売買契約が存在していることは、プロジェクトファイナンスを組成するうえでも好都合である。

LNGの長期売買契約には通常テイク・オア・ペイ(Take-or-pay)の条項が入っている。テイク・オア・ペイとは「(製品を引き取って代金を払うのはもちろんのこと)製品を引き取らなくても、代金を払う」という意味である。買主は原則製品代金の支払いを拒否できない。製品を引き取らなくてもいいが、お金だけは払わないといけない。テイク・オア・ペイの条項が存在すると、売主(LNG事業者)に有利である。もっとも、売主の立場から見ると、仮にテイク・オア・ペイ条項が存在せず安易にLNGの購入を拒否されるようなことが起こると、事業が立ち行かなくなる。多額の投資は回収が覚束ない。テイク・オア・ペイ条項は売主の事業利益を守るものである。

さて、東芝が2013年米国フリーポートLNG社とLNG購入契約を締結した。年220万トンの引き取りで期間20年である。2019年9月から出荷が予定されている。2013年と言えば、石油価格が1バレル当たり100米ドル(以下「1バレル当たり」を省略)の時代である。石油価格は2011年から2014年夏までの3年半の間、100米ドルが続いた。人間の感覚というのは不思議なもので、当時石油価格100米ドルは当たり前に感じたものである。

日本やアジアに輸入されているLNGの価格は石油価格にリンクしている。石油価格が1バレル100米ドルのとき、LNG価格はおおよそMMBtu当たり15米ドル(以下「MMBtu」を省略。MMBtuは熱量単位)である。一方で、米国産LNGの価格は日本やアジアまで運んでくるとおおよそ10米ドルである(ヘンリーハブ・ガス価格3.50米ドル程度を想定)。石油価格が100米ドルのままであれば、米国産LNGの価格は割安である。ざっと5米ドル安い。

ところが、石油価格は2014年夏以降下落した。持ち直してはいるが、現在約50米ドルである。2011年から2014年夏までの価格の半分である。石油価格が50米ドルなら、LNG価格は約7.5米ドルである。石油価格にリンクしたLNG価格が7.5米ドルなら、10米ドルする米国産LNGを購入する経済的理由はなくなる。

東芝が年220万トンのLNG契約を抱え込んだまま転売先を見つけられないのは、石油価格が大幅に下落したからである。東芝のLNG契約にはテイク・オア・ペイの条項が入っているはずである。LNGを引き取ろうが引き取るまいが、代金は払わないといけない。結果論になるが、2013年にLNG契約を締結してから石油価格の下落まで約1年間の時間的猶予があったのだから、この間に転売先を見つけ転売先と売買契約を締結しておくべきであった。リスク管理能力が弱いと指弾されても致し方ない。

本LNG契約に伴う東芝の支払い義務は20年間で累計1兆円に及ぶと報道されている。東芝のLNG契約はLNG加工委託契約のようである。仮に支払い義務のある金額累計1兆円の計算が正しいとすると、筆者の試算ではMMBtu当たりの加工委託料は約4米ドルである。これは、先のLNG価格差2.5米ドル(米国産LNG価格10米ドルと石油価格50米ドルのときのLNG価格7.5米ドルの価格差)より大きい。

そうであれば、加工委託料を支払ってLNGを実際に引き取り、例えば3米ドル値引きして販売することが可能かもしれない。3米ドル値引きすると10米ドルの米国産LNGが7米ドルになり、石油価格リンクのLNG価格に競合できる。そうすれば自社の損失はMMBtu当たり加工委託料の4米ドルから値引き分の3米ドルに減少する。つまり、MMBtu当たり1米ドル損失額が減る。当面は値引きをしてでも販売を続け石油価格の上昇を待つ、というのが得策かもしれない(当面の損失に耐えるだけの財務力が必要ではあるが)。石油価格が徐々に上昇してくれば、値引き額は縮小してゆく。そして、石油価格が70米ドル辺りを超えてくると、値引きせずに米国産LNGを日本やアジアで販売できるはずである。
  
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2017年04月03日

プロラタ・パリパス (PF657)

727fa47f.jpgプロラタ(Pro rata)・パリパス(Pari Passu)という言葉がある。国際金融の実務ではよく見かける言葉である。プロラタは比例案分という意味である。パリパスは金銭支払面において平等という意味である。

海外のプロジェクトファイナンス案件は融資金額が大きくなることがある。数千億円規模の融資契約書となることも珍しいことではない。そうすると、融資に参加する銀行数は多くなる。20行あるいはそれ以上になることもある。銀行数が増えてくると、シンジケーションといって銀行団を組成する必要がある。そして、各銀行の融資額は必ずしも均等というわけではなく、数百億円を融資する銀行もあれば、百億円未満とする銀行もある。融資額は不均等になる。

一方でプロジェクトファイナンスでは事業資産はすべて担保として融資銀行団に提供する。いわゆる全資産担保である。この担保となる全資産に対する銀行団内の各銀行の権利関係はどうなるのか。このルールの基本がプロラタ・パリパスの考え方である。つまり、各銀行の融資金額に応じて比例案分を基本とし、それ以外の点すなわち支払い順序等については皆平等であるという考え方である。なにか融資銀行団の中で疑義が起こった際には、常にこのプロラタ・パリパスの考え方に立ち返って問題解決を図ってゆく。

さて、先般東芝は金融機関向けの説明会を開催した。融資継続の要請が目的であるが、融資継続の見返りに会社の資産を融資の担保として提供するという。これまでの融資は信用扱い、つまりなんら物的担保は提供していなかったのであろう。業績が順調に推移している大手の会社への融資は通常信用扱いである。しかし、東芝の場合業績が悪化し2017年3月期決算は大幅な債務超過に陥る見込みなので、融資継続を要請するには担保の提供はやむを得ない。

問題は担保の提供の仕方である。東芝の融資団は2つ存在する。主要行の入っている約6,800億円の融資団と地銀等で構成する約6,200億円の融資団である。融資金額はどちらも6,000億円を超えており金額規模は甲乙つけ難い。しかし、東芝はこの2つの融資団に別々の担保を提供すると提案している。前者の融資団には半導体事業の子会社東芝メモリの株式(時価1兆5千円から2兆円と報道されている)、後者の融資団には東芝テック、東芝プラントシステム他の株式及び事業用不動産(合計で時価4千億円強と報道されている)である。

なぜ別々の担保を提供するのか。不可解という他ない。冒頭に触れたように、融資をしている金融機関はすべてプロラタ・パリパスの原則に従って取り扱われるべきである。つまり、東芝のケースで言えば、東芝メモリの株式もその他東芝関連会社の株式も事業用不動産もすべての資産をまずひとくくりにし、それら一切を一つの担保資産として、現在融資をしている金融機関すべてにプロラタ・パリパスの原則で提供すべきである。2つの融資団に別々の担保を提供するという東芝の提案はプロラタ・パリパスの原則に反する。報道に拠れば、地銀等で構成する融資団が東芝の提案に反発しているという。反発するのはもっともな話である。

それぞれの担保の時価もだいぶ異なる。東芝メモリの株式の時価は1兆5千億円を超えると言われているのに対し、東芝テック、東芝プラントシステム他の株式及び事業用不動産の時価は合計4千億円強だと言われている。この点でも地銀等で構成する融資団の反発はもっともである。

仮にそれぞれの担保資産の時価が同等だと試算されていたとしても、2つの融資団に別々の担保を提供するのは得策ではない。2つの融資団ともそれぞれ疑心暗鬼になるだけであろう。また、どんな資産も実際に換金してみると、当初の算定金額とは一致しないものである。

東芝は今米国ウエスティング・ハウス社の破産法申請や東芝メモリの株式売却で多忙を極めているはずである。日本の金融機関で構成される2つの融資団から首尾よく融資継続の了解を勝ち取らなければならないはずである。それにもかかわらず、プロラタ・パリパスの原則に反する担保提供案を2つの融資団に提示しているようでは、融資団との交渉を自ら難しいものにしてしまうだけである。

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注)日本経済新聞朝刊2017.3.29等の記事を参照した。
  
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2017年03月27日

ひとりひとりの働き方改革 (PF656)

4feff524.jpg会社の社員としてではなく、自営業者として働くいわゆるフリーランスが米国では現在五千万人以上いるという。米国の労働年齢人口の約3割に匹敵するともいう。米国人は生涯で平均3回程度転職するとも言われているので、数回の転職のあとに自営業つまりフリーランスになるというのはひとつの選択肢なのかもしれない。

筆者もフリーランスで自営している人と初めて親密に仕事をしたのは米国駐在中のことである。米国の邦銀支店で米国人の人材を探すとなると、在米日本企業の事情を熟知した人材紹介会社にお世話にならざるを得ない。米国内には人材紹介会社が数多くあるが、在米日本企業の事情に精通した担当者を探すのは容易ではない。そこで伝手を辿ってゆくと、米国人A氏の存在を知るに至った。A氏は年齢50代後半である。

A氏は昔大手人材紹介会社に勤務していたことがあり、人材紹介業の経歴が長い。もっとも、筆者が出会ったときには既に独立していて、一人で切り盛りしていた。A氏に電話をすると、渡りに船の対応で、早速ランチをはさんで打ち合わせをすることになった。当方が要望を伝え始めると、一を説明して十を理解する要領の良さで、当方の手間が省ける。なるほど在米日本企業の評判が良いはずだと感じた。結局数年間のあいだにA氏斡旋の人材を数名採用した。A氏がいなければ、米国での社員採用にもっと苦労していたはずである。

米国駐在中に筆者の下でリザーブ・エンジニア(石油・ガスの埋蔵量評価のエンジニア)として働いていたB氏は、筆者が帰国してまもなく独立した。独立したときの年齢は40代半ば。ファイナンスが分かり、かつ埋蔵量のことも分かるという人材は米国内でもけして多くはない。B氏は「自分よりも年上の世代にはファイナンスと埋蔵量の両方の知識を持つ人が随分いたが、最近は仕事の専門化・細分化が進み、両方の業務をまたぐ仕事をする人が減っている」と言う。大手の金融機関であればリザーブ・エンジニアを社内に雇用しているが、中小になると案件ごとに外注することが多い。B氏は中小金融機関の外注ニーズを拾い上げる狙いで独立したわけである。

日本にももちろん自営業として働く人が筆者の周りにもいる。例えばC氏は銀行員から人材紹介業の世界に転じ、大手人材紹介会社での活躍を経て50代初めに独立した。爾来20年余、いまでも金融界で人材の斡旋を続けている。特に外資系金融機関に強く、特定の分野についてのネットワーク力は群を抜いている。「自分が納得する人材でなければ、人に紹介はしない」というモットーは素晴らしい。「自分は会社員に向いていない」と忌憚なく言えるのも、現在の仕事が安定しているからであろう。

今日本で働き方について改革の議論が活発である。長時間労働、有給休暇が取れない、さまざまなハラスメントがある等々日本の会社員が抱えている問題は尋常ではない。では会社員をやめてフリーランスになれば良いのかというと、そう単純なものではない。会社員をやめるのか、フリーランスになるのかという二者択一的な話は、おそらくあまり問題の解決にはならない。なぜなら、フリーランスでやってゆくには相応の専門性、技量、信用、人脈などが必要だからである。

そもそも会社員としてずっと定年退職までやってゆくにしても、専門性や技量は必要である。「この分野については社内で一番詳しい」「居ないと困る」といったような存在感のある社員になってゆくことが望ましい。さもないと、若手から疎まれ会社にしがみつくような会社員になりかねない。現在議論されている働き方改革はどちらかというと外部環境に重きが置かれていて、社員ひとりひとりの在り方があまり俎上に乗っていないように感じられる。

専門性や技量をしっかり身に付けたうえで、会社員として最後まで会社に残るのか、別な会社に転職するのか、それとも独立して自分の夢を追いかけるのか、というのがひとりひとりの働き方改革なのではないかと思う。
  
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2017年03月21日

人事異動の季節 (PF655)

109440d7.jpg春は人事異動の季節である。日本企業の定期的な人事異動はいまや海外の企業人も知るところとなった。会社内で異動し職務が変わるということは、実は先進国の外国企業でも起こる。そういう意味では外国企業にも人事異動はある。しかし、日本企業の人事異動は定期的に大規模に行われている点が特徴である。

さらに、日本企業の人事異動には決定的な違いがある。それは異動する本人の意向はほとんど斟酌されていない点である。筆者が30代前半のときにニューヨーク支店赴任の内命を受けた。海外勤務を希望していたので嬉しかった。しかし、ニューヨーク支店でどんな仕事をするのかは結局東京にいる間は分からず仕舞い。内命から赴任まで約2か月あったが、新しい職務が分からないまま「ニューヨーク支店長が判断するから」と東京で説明されて、機上の人となった。

ニューヨークで仕事をするということは分かったが、果たしてどんな仕事をするのか。ニューヨーク支店に出勤して、支店長から発令を受けて初めて自分の職務を知った。事務部門の課長職である。課員は米国人ばかり8名。事務部門のためか、課員の出自はさまざまで勤務態度の芳しくない課員もいた。毎朝必ずやらなければいけない課長の仕事は、課員全員がちゃんと出勤していることを確認することである。他課の人が同課を揶揄して、「動物園」と呼ぶのを聞いた。

筆者の経験は日本企業では珍しいことではない。日本企業における人事異動とはそういうものである。しかし、外国企業では到底考えられないことである。外国企業での社内異動は、本人と上司が事前によく話し合う。そして、最終的に本人が納得し了解した異動だけが実現する。異動の機会は上司から持ち出されることもあるし、本人がポジションを見つけてきて上司と相談を開始することもある。

最終的に本人が納得し了解したうえで異動が行われるので、勤務地、職務内容、期待されていること、待遇などの情報は事前に本人に共有されている。本人の最終決断までには、異動先で上司となる人とも数回話し合う。異動先の上司も本人の受け入れに同意する。つまり、現在の上司、異動先の新上司そして本人の3者が最終的に合意してはじめて異動は実現する。

こういうやり方で異動が行われるので、外国企業では定期的にかつ多数の社員を同時に異動させることは現実的に無理である。そして、外国企業での人事異動は正直に言って時間も手間もかかる作業である。

時間も手間もかかるのを承知の上で、外国企業がこういう人事異動の方法を励行するのはどうしてだろうか。それは、人事異動は本人のキャリア形成のうえで極めて重要だからである。そして、本人の希望するキャリア形成を支援し本人の希望する職務を担ってもらうことが、本人の満足度を上げ働くモチベーションを引き上げる。延いては本人のパフォーマンスが上がり、会社の業績に貢献する。

外国企業も昔は日本企業と同様の定期的な人事異動を行っていたところもあったに違いない。企業にとっては手間暇がかからず効率的だ。社員ひとりひとりの希望を聞いていたら、組織運営がやりにくい。しかし、人間は将棋の駒ではない、機械の一部品でもない。人間はひとりひとり異なるし、それぞれが自分の希望や夢を持っている。感情や感性を持った生きものでもある。

やりがいを感じる、モチベーションが高まると意気揚々と仕事に取り組む人がいる一方で、仕事の意義が見いだせない、こういう仕事は自分には合わないと愚痴をこぼしながら仕事をしている人もいる。どちらの方が仕事上で良い結果を出すかは明らかである。その集積が企業としての業績にもつながる。

日本企業はいつまで現行のような人事異動を続けるのだろうか。日本人社員の感情や感性はいつまで現行の人事異動に耐えられるのだろうか。
  
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2017年03月13日

閑話休題のビジネス英語(40) (PF654)

fa99ce2d.jpg●ビジネスの現場で「情報交換する」という意味の英語はexchange informationでもいいけれどもcompare notesという表現の方が英語らしい、という趣旨のことを以前書いた。Compareという言葉はなかなか便利で、他の文脈でも使用される。例えば、取引先から面談の要請を受け、日時を決めるに当たって同席する上司や同僚のスケジュールを確認したいという場面があったとする。このときの「上司や同僚のスケジュールを確認する」という意味で、compare diaries と言う。diariesはスケジュール(帳)のことを指す。つまり、上司や同僚のスケジュール(帳)を比べる、確認するということである。「上司や同僚のスケジュールを確認のうえ、折り返しご連絡します」と言う場合には、I will compare diaries and then get back in touch などと言えば良い。

●ファイナンスの世界で tenorといえば、融資期間のことである。The loan has a tenor of 10 years (その融資は期間10年)などという言い方をする。しかし、一般の英和辞典やWebsterなどの英語の辞典でtenorを引いても、「期間」という意味は説明されていない。なぜだろうか、不思議だ。Websterなどにはquality, character, conditionなどの意味もあると説明されているので、そこから融資の条件のひとつとしての「(融資)期間」という意味が生まれたのかもしれない。
もっとも、ファイナンス用語を解説したものにはThe length of time between the creation of a Credit Facility or Bond and its final facility (Latham & Watkins Glossary of Corporate and Bank Finance Slang and Terminology, 1st Edition)と明確に説明されている。融資期間を意味するtenorは一般的な言葉ではなく、専門用語に属するということになろうか。
因みに、男性の歌声でバスとアルトの中間をテナー(テノール)と言うが、英語では同じくtenorと綴る。

●Minuteはもちろん時間の単位「分」のことである。社内会議の場などではAnyone can take the minutes? などと上司が若手に依頼することがある。Take the minutesとは、議事を記録する、議事録を作成するという意味である。minutesと複数になっているところに注意したい。時間の単位「分」も議事録も、品詞は名詞である。
ところで、minuteという単語には形容詞が存在することをご存知であろうか。Minute changes(わずかな変化)とかin minute detail(事細かに)というように使用される。しかも、発音が変わる。あえてカタカナで表記すると、「マイヌート」という発音になる。音声だけ聞いていると、時間の単位「分」を意味する名詞のminuteとは、まったく別の単語のようである。
余談になるがさらに付け加えると、米国ボストンで史跡を見て回ると、Minutemanという言葉に頻繁に接する。Minutemanは独立戦争当時緊急招集された兵士のことである。召集をかけるとまたたく間に集まってくるので、その名があるという(they were known for being ready at a minute`s notice, hence the name [Wikipedia])。

  
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2017年03月06日

ひとつのことを続けてやらない (PF653)

6c7ccf28.jpg3月になったが、まだ朝晩の気温は低い。筆者は冬場就寝の際に湯たんぽを使っている。就寝する数時間前に布団の中の足元辺りの位置に熱湯の入った湯たんぽを入れておく。布団に入るときに湯たんぽを隅に移動するが、布団の中の足元付近が温まっているのは甚だ気持ちが良い。気持ち良く就寝できるので、睡眠の質を向上させる気がする。

家内が湯を沸かしてくれることが多いが、自分で湯を沸かすこともある。やかんに水を入れて湯を沸かす間、万が一のため台所から離れる訳にはいかない。台所に立って湯の沸くのを待つ。待っている時間は長く感じる。なかなか湯が沸かないと感じる。外山滋比古氏のエッセイに「見つめる鍋は煮えない」というのがある。ずっと鍋だけを見ていてもなかなか煮えないと感じる人間の心理を表現したものである。やかんの湯がなかなか沸かないと感じるのと同様であろう。

同じ作業を続けていると、作業能率が落ちる。集中力が低下する。本題から横道にそれて何か他のことに興味が移ってしまうこともある。人間の集中力は長く続かないものだと観念する方が良いようである。さもないと、集中力が足りないのはどうしてだろうと自分を責めたり、集中力を引き上げるにはどうしたら良いのかとやみくもに悩んだりする。人間の集中力は時間の経過とともに低減してゆくものだと諦観した方が精神衛生上良い。

そういう前提で仕事のやり方を工夫する。トータルの作業効率を向上させるには、むしろ複数の作業を行うのが良いようである。もっとも、文字通り同時には複数の作業はできない。皿回しのような曲芸の話をしているわけではない。例えば、本を読むのなら2冊か3冊の本を用意しておく。1冊目の本に集中力が無くなってきたら、2冊目の本を読む。2冊目の本に一息入れたら、3冊目の本を読む。こうすると、1時間ずつ3時間の読書も集中力の水準を落とさずに行える。おそらく1冊の本を3時間読むより、総合的な収穫や効用は大きくなるのではないか。

仕事についても、ひとつの作業ばかり長時間やらないで複数の作業を織り交ぜた方が良い。例えば、報告書の骨格を考えたら、次は顧客向け提案書の仕上げをする、その次は稟議書のための資料作りをする、といった具合である。最初の報告書だけに何時間も費やしても、おそらく単位時間当たりの作業効率は落ちる。下手をすると嫌気が差してしまうかもしれない。精神的心理的な飽和状態を起こさないようにしたい。

学校時代の時間割を思い出す。1日6時間の授業だとすると、たいがい6教科の授業が行われる。けして1教科を6時間続けて行うということはしない。先生も生徒も同じ教科を長時間も続けて行ったら集中力が続かない。学校の授業の時間割作成には、ひとつの教科の授業ばかり何時間も続けて行わないという考え方が存在している。教職員の方々の優れた経験則だと思う。

本を読むにも仕事をするにも、学校の時間割の考え方を参考にしたいものである。トータルで作業効率を上げるためには、ひとつのことばかり続けてやらない。
  
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2017年02月27日

経済成長は必要か (PF652)

793de7fb.jpg独立して仕事を始めてから知り合いに会うと、面白い質問を受ける。「人の採用はしないんですか」筆者の仕事が成長して人手不足になるのではないかという老婆心から出た質問であろう。「3年くらいはひとりでやってゆきます」と体よく答えたが、内心は何年経ってもひとりでやっているに違いないと思っている。ひとりであっても仕事が続けられるだけで御の字だと思う。業務を拡大したいという野心はない。

「あの有名ブランドのコーヒー店のチェーンに参加したらいかがですか」とも言われたことがある。確かにそのコーヒーチェーン店は繁盛しているようである。しかし、飲食店の経営に興味はない。ましてやお金儲けが主たる目的だとしたら、なおさら興味はない。

吉川洋氏の近著『人口と日本経済』の中に「経済成長は必要か」という議論が出てくる。ある程度豊かになったら、もはや経済成長を目指さなくとも良いのではないかという考え方は昔から存在していたようである。老荘思想なども経済成長否定派であろう。人間の欲望は無限なので、その欲望を追いかけてもキリがない。足るを知る必要がある。足るを知れば、経済成長はある時点で必要なくなるものなのかどうか。

経済成長の話を個人のレベルに当てはめて考えてみる。個人のレベルに当てはめて考えると、経済成長はさしずめ所得の増加と読み替えられる。個人の所得は増加し続けるものであろうか。運が良ければ会社員は50歳くらいまで所得は増えるかもしれないが、いつか所得の増加は止まるときが来るであろう。ある程度豊かになったら、もはや所得増加を目指さなくとも良いかもしれない。もっとも、その「ある程度」の豊かさの水準が人によって異なることは承知している。

営業部門で仕事をしていると、収益目標というものがある。日本の金融機関にも外資系金融機関にも、期毎の収益目標がある。それを達成するために懸命に働く。その達成度合いが当人の人事評価につながる。外資系金融機関ではボーナスの算定につながる。だから、収益目標は蔑ろにできない。しかし、毎期収益目標が来るので、次第に疑問に思うようになる。どうして成長を続けなければいけないのだろう。先期まで随分業績を伸ばしてきたではないか。この辺で一休みというわけにはいかないものか。

資本主義社会における民間企業というのは、どうも成長が義務付けられているようである。収益を伸ばし続けることが善、さもなくば優良企業ではないと。株主の期待が云々という説明もされる。しかし、筆者はいまでもあまり腹落ちしていない。人間の無限の欲望を追いかけているような気がしてならない。

経済成長や所得増加を否定するつもりはない。また、老荘思想のように世を捨て厭世的になるつもりもない。しかし、これからはお金や数字に換算できないものにもっと目を向けて行きたいとは密かに思っている。


  
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2017年02月20日

東芝から学ぶもの (PF651)

788d3466.jpg歴史ある大手企業が危機に瀕している。従業員はグループ企業を入れると十数万人にのぼる。三洋電機やシャープのケースを見てきたので、日本の総合電機業界は一時代を終わったのかとつくづく感じる。

東芝の経営についてどうしても腑に落ちないのは、原子力事業を会社の中核事業としたことである。原子力発電所の新設が新興国等で多数計画されてはいる。しかし、果たして本当にどれだけの原子力発電所がこれから新設されるのだろうか。原子力事業は成長著しい産業なのであろうか。民間企業として原子力事業に伴うリスクをどう考えていたのであろうか。

東芝は少なくとも過去2回原子力事業を見直す機会があった。1回目は福島第一原子力発電所が事故を起こした2011年である。2回目は不正会計が発覚した2015年である。

2011年3月東日本大震災のため福島第一原発が被災した。被災規模は米国のスリーマイル島原発事故(1979)やソ連のチェルノブイリ原発事故(1986)に匹敵する。これを機にドイツでは国内の原子力発電所を順次廃炉にすることを決めた。ドイツのシーメンス社は原子力事業からの撤退を決めた。また、米国では原子力発電所についての安全規制が強化された。建設費は上昇する。

さらに、米国のショー・グループは東芝がウエスティングハウス社を買収した際20%共同出資したが、2012年オプションを行使して同20%の持ち分を東芝に買い取らせた。つまり、ショー・グループはウエスティングハウス社から完全に手を引いたのである(ショー・グループは翌年CB&Iに買収される。東芝が2015年に買収したストーン&ウェッブスター社はショー・グループ配下の会社である。)。

東芝がウエスティングハウス社を買収したのが2006年だから、福島原発事故は買収から5年目の出来事である。母国で発生した原発事故を目の当たりにして、原子力事業に見切りをつけるという英断があっても良かった。シーメンスやショー・グループは同時期に英断しているのである。この時に原子力事業を切り離していれば、後刻大規模な不正会計をする必要もなかったかもしれない。

原子力事業を見直す2回目の機会は、その不正会計が発覚した2015年である。虎の子の医療事業を売却し6千億円余を捻出する。このときに売却すべきは成長が期待できる医療事業ではなく、将来の成長が見通せない原子力事業ではなかったのか。さらに悪いことに、この2015年末に原子力発電所の建設等を行うストーン&ウェッブスター社を買収した。原子力事業を売却しないどころか、買い増ししたのである。

今般の多額の減損はこのストーン&ウェッブスター社買収に関わるものだ。わずか1年前に買収したものが、7千億円余の減損を発生させるとは一体どういうことであろう。買収を決めた東芝の経営陣はどこを見て買収したのだろうか。貧すれば鈍するとは、こういうことを言うのであろうか。

見切り千両という言葉がある。ときに思い切って見切ることは千両の価値がある、という意味である。ビール会社のキリンは6年前に約3千億円で買収したブラジルのビール・飲料会社スキンカリオール(現ブラジルキリン)の売却を先般決めた。売却金額は770億円。2千億円以上の損失となったが、勇断だと思う。見切りを付けるのは、買収を決めるのと同じくらいに、あるいはそれ以上に、重要だ。

事業ポートフォリオを大胆に入れ替えるのは、社長をはじめとした経営陣の重要な仕事である。東芝は運が悪かった、ということではないと思う。歴代社長が経営を誤ったのである。いわば人災と言わざるを得ない。

同情を禁じ得ないのは当社で働く従業員の方々である。
  
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2017年02月13日

独立開業事始2 (PF650)

dd0fceb8.jpg会社員から自営業になって、その存在の重要性に気付かされるのは社会保険である。会社員は健康保険料、年金保険料、雇用保険料(さらに40歳以上であれば介護保険料)を給与から天引きされている。税金と社会保険料の天引きが行われているので、いわゆる手取り金額は額面の給与金額より少なくなる。社会人になりたての頃は、この天引きに少々不満を感じたものである。

社会保険料の中で相対的に金額が大きいのは健康保険料と年金保険料である。前者は本人と家族の医療費出費に備えた健康保険制度に関わる保険料である。健康保険に加入していなければ、医者にかかったときの費用は現行の3倍以上になりかねない(健康保険加入者の自己負担額は30%なので)。また、高額療養費制度というのがあるので、仮に高額の医療費が発生するようなことがあっても自己負担の上限が定められている(実はこの高額療養費制度があるので、民間保険会社が勧める医療保険には無暗に加入する必要はない)。病気や事故が発生するリスクは避けられないので、健康保険制度は有難い。

後者の年金保険料は退職後の生活費を補う年金制度に関わる保険料である。保険料と呼ぶものの、なにかのリスクに対する保険料というよりも、高齢になったときの収入保障である(強いてリスクと言えば、高齢になることのリスクか)。会社員であれば通常本人と配偶者(所得が一定水準以下の場合)が加入している。保険料の半分は勤務先の会社が負担している。社会人になりたての頃は天引きに不満を感じたと先に記したが、年齢を重ねると年金制度の存在に有難味を感じる。こうやって天引きのかたちで半強制的に保険料を積み立てていなかったら、老後の生活費に難渋するかもしれない。

誰でも年を取って、いずれは仕事ができなくなり収入を得られない日がやってくる。収入が得られなくても生活費はかかる。年金制度は最低限の生活費を賄う制度である。しかも、公的年金の支給は終身なので、生きている限り何歳でも受給できる。もっとも、日本の年金制度は賦課方式といって、自分の積み立てた資金だけで自分の年金受給を賄っているわけではない。若い世代の年金保険料と税金の投入によって、年金支給額を補っている。

会社員を辞め自営業になると、健康保険も年金保険もそれぞれ国民健康保険、国民年金保険に切り替わる。しかし、健康保険については「任意継続」という制度があり、会社員時代に加入していた健康保険組合で2年間に限り加入を継続できる。保険料水準は国民健康保険のそれよりも「任意継続」の方が安価なケースが多く、会社員を退いたら当面の2年間は「任意継続」をした方が得策だと言われている。

国民年金の加入手続きは市町村役場で行う。手続きに当たり年金手帳を持参するように言われた。筆者の年金手帳は引き出しの奥になんとか見つけることができたが、家内の年金手帳が見つからない。仕方なく、家内については毎年日本年金機構から送付されてくる「ねんきん定期便」の通知書を持参して年金手帳の提示に代えた。

そもそもこれまでの生涯で年金手帳の提示を求められたのは、転職のときと今般の国民年金加入のときだけではなかったか。年金手帳には当人の年金番号が記されている。年金番号は早晩マイナンバーで代替・統一されるはずである。しかし、今のところ国民年金の加入手続きに当たり、30年以上前に交付された年金手帳を提示しなければならない。ひとつの会社だけで会社員生活を全うすればそういう必要もない訳で、転職をしたり会社員でなくなったりすることは、この国では少々不便である。

国民年金の加入手続きを終えると、後日第1回目の保険料納入通知書が自宅に郵送される。「納入通知書はいつごろ送付されますか」と市役所の担当者に訊いたところ、「約1か月後です」と言われた。「ネットでモノを購入すると一両日中に自宅に宅配される時代に、どうして1か月もかかるのだろう」と内心思ったが、余計なことは言わず黙っていた。

会社を退職して国民年金に加入する場合には、退職後14日以内に国民年金の加入手続きをするよう求められている。だから、筆者は1月上旬に国民年金の加入手続きを取った。市役所で国民年金加入手続きを済ませてから、早1か月が過ぎた。納入通知書はまだ届かない。
  
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2017年02月06日

独立開業事始 (PF649)

12d75e53.jpg大学卒業以来会社員(銀行員)生活をずっと続けてきたので、自営業として独立して仕事をしたことがない。独立開業とはいっても、仕事内容は執筆・講演・コンサルティングなどのサービス業なので、事務所は自宅で済む。自宅のパソコンが主な仕事道具で、大きな設備投資も要らない。そうは言っても、当初1か月余不慣れもあってか、立ち上げ準備には少々手間がかかった。

まず、携帯電話(スマートフォン)の新規契約。これまで携帯電話は会社が提供してくれていたもので用が足りていたので、実は個人としては所持していなかった。これまでの主な使い方は電子メールの送受信、インターネットへのアクセス、それからデジタルカメラによる写真撮影などである。携帯電話での通話はあまり行わなかった。しかし、これからは携帯電話での通話も増えるかもしれない。

上記のような使い方を前提に、さまざまな携帯電話会社を調べると、大手携帯電話会社3社はおしなべて料金設定が高い。一方で端末は米国アップル社のiPhoneが使い慣れている。そこで、大手携帯電話会社の1社の子会社が提供している携帯電話通信サービスを利用することにした。米国アップル社のiPhoneが使えるうえに、月々の料金水準が低く抑えられている。

次に、電子メールのドメインを取得。これは少し難航した。そもそもどこに当たればいいのか、費用はどのくらいかかるのか等々当初全く見当がつかなかったからである。しかし、フリー(無料)のメールアドレスで仕事をするのは格好が悪い。信頼性の点からも、独自のドメインを取得したい。あるIT企業が提供するサービス内容が穏当なことが分かり、同社と契約した。自分が当初希望していたドメイン名は既に使われていることが判明し、仕方なく希望したドメイン名に2文字付加したものに修正した。

ドメイン名取得後、メールアドレスを新設。そのあと、自分のパソコンや携帯電話で送受信できるように電子メール管理のソフトウエア(例:マイクロソフト社Outlook)へ設定をしなければならない。しかし、この設定作業が再び難航した。指示書通りに何度設定を試みても、上手くいかない。会社員だったら、社内のIT担当者に一報すればすぐに片付いたに違いない。契約したIT会社に問い合わせること、三度四度。IT会社の担当者がさじを投げるのではないかと心配だった。最後にはなんとか相手の説明が理解できた。結局パソコンや携帯電話で使用できるようになるまでに約一週間を要した。

さらに、名刺の作成。自分の名刺を独自に作ったことなどない。しかし、インターネットで調べると、多数の業者がインターネットで受注し、数日で宅配してくれることが分かった。ひと昔前なら、名刺屋さんに足を運び店頭で注文するところである。便利になったものである。業者によってはサイト上で名刺のデザインを自分で行うこともできる。それなら自らデザインするに如くはなしと思い立ち、自分で名刺のデザインをした。こういう作業は実に愉しい。

名刺の作成コストは白黒一面印刷が一番安価で、白黒両面印刷がコスト約2倍、カラー両面印刷になるとコスト約4倍になる。会社員をやっていると、名刺のコストなど気にしないまま過ごす。

携帯電話、電子メールのドメイン/アドレス、名刺が揃うと、筆者の仕事は対外的になんとか開始することができる。

  
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2017年01月30日

外資系金融機関は日本で成功しているのか (PF648)

a3d6d4db.jpg日本で営業している外資系金融機関にも様々な業種がある。銀行、証券、生損保、運用会社、金融商品開発会社、独立系アドバイザリー会社等々多岐にわたる。外資系金融機関に勤める筆者の知り合いには、銀行か証券会社に勤務する人が多い。

日本で業務を展開している外資系の銀行と証券会社とを見てゆくと、すべてが上手くいっているわけではない。上手く行っているところとそうでもないところがある。一部の外資系証券会社は明らかに日本での地位を盤石なものとしている。ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなどはその好例であろう。日本で勤務する従業員数も多い。顧客である日本企業からも評価されている。日本で業務を行う外資系証券会社は他にもあるが、認知度の高くないところが多く存在する。従って、在日外資系証券会社は勝ち組とそうではないところとに二分されてきた感がある。

さて、外資系の銀行(商業銀行)はどうであろうか。一昨年米国のシティバンクが日本でのリテール事業を売却し日本のリテール事業から完全撤退した。相前後してHSBC(香港上海)銀行が日本のリテール事業を止めた。英国のスタンダード・チャータード銀行も日本でのリテール事業を止めた。日本での銀行リテール事業では大手外資系はほとんど撤退の憂き目に遭っている。

なぜ日本での銀行リテール事業で外資系は撤退を余儀なくされているのであろうか。最大の理由は個人向け銀行サービスや金融商品で差別化が難しくなってきたからであろう。外貨預金も仕組み預金もそして投資信託も、今は日本の銀行で用が足りる。外資系の銀行でなければ手に入らないサービスや金融商品が少なくなってきている。また、個人利用者が増えているインターネット銀行についても日本の会社が市場を占有している。

日本のリテール事業については外資系証券会社も芳しくない。個人の顧客はインターネット証券会社を利用する人が増えているが、このネット市場も日本の会社が強い。日系大手証券会社でさえリテール分野でのインターネット業務については大きく出遅れた。上記に言及した一部外資系証券会社が活躍しているのは企業向けのホールセール事業である。つまり、外資系の銀行も証券会社も日本のリテール事業では成功していない。

さて、一部外資系証券会社が日本の企業向け事業でビジネスを伸ばしている一方で、外資系銀行の日本企業向け事業の方はどうであろうか。リーマンショック(2008年)発生前の数年間、欧州系銀行のちょっとした日本進出ブームが起こった。狙いは日本企業向けのホールセール事業である。しかし、リーマンショックの発生でこのブームは終わった。次いでギリシャ危機に端を発する欧州危機(2010年)が起こると、既往日本進出済の欧州系銀行でさえ日本での業務縮小に動いた。欧州危機発生から7年目になるが、欧州系銀行の日本での業務は縮小することはあっても、拡大しているところはない。

日本での外資系銀行は今後どうなるのであろうか。リテール業務のように完全撤退ということはないと思う。なぜなら、日本企業の海外進出・海外事業は今後とも伸長してゆくであろうし、その際日本の銀行ではカバーし切れない業務が少なからずあるからである。特に海外進出先での日常的な銀行取引は進出先を本拠とする銀行と行う方が便宜である。

しかし、日本企業の海外進出先での日常的な銀行取引以外に、外資系銀行が日本企業と今後どんな分野でビジネスを拡大させることができるのか。外資系銀行は日本の銀行のように安い資金を提供するのは好まない。また、環境問題には敏感である。在日外資系銀行にとって、日本企業との取引拡大は容易ではなく、大きな経営課題となっている。
  
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2017年01月23日

ビジネス言語、法律言語、会計言語 (PF647)

31645149.jpgプロジェクトファイナンスの話をしていて、弁護士事務所の話しに及ぶことがある。プロジェクトファイナンスの融資契約書(ローンアグリーメント)を作成するには弁護士の協力が欠かせない。業界にはプロジェクトファイナンスに精通した弁護士がいる。そういう弁護士はどこにいるのかと言えば、高名な大手の弁護士事務所に勤務している。そういう大手弁護士事務所の数は10は下らない。

注目すべきことは、そういう名だたる大手弁護士事務所の出自である。英国と米国に尽きる。それはどうしてかと言えば、融資契約書に定めてある準拠法と関連している。準拠法というのは当該契約書がどこの国の法律に基づいて作成されているかを示す。プロジェクトファイナンスに限った話ではないが、多くの銀行が参加するクロスボーダーの大型融資案件であれば、融資契約書の準拠法はまず英国法かニューヨーク州法である。

クロスボーダーの融資契約書はどうして準拠法が英国法かニューヨーク州法になるのか。それはおそらく海外のビジネス世界でどうして英語が最も多く使われているのかという問いに対する回答と一致しているはずである。ビジネス言語のデファクトスタンダード(事実上の標準/ de facto standard)は英語である。そして、商業契約書や融資契約書の多くは英語で書かれている。従って、それらの準拠法は自ずと英国法かニューヨーク州法になる。

使用する言語が英語であるということが契約書の準拠法の選択にもつながり、延いては英国や米国を出自とする弁護士事務所が活躍することになる。さらに付け加えれば、世界的にネットワークを持つ大手会計事務所(accounting firm)の出自はほとんど米国である。つまり、ビジネス言語が英語であるということにとどまらず、法律言語、会計言語も英語が圧倒的な地位にあるのである。

さて、ビジネス言語、法律言語、会計言語を牛耳ってきた国で今異変が起きている。英国は昨年6月の国民投票でEU離脱を決めた。先週メイ首相が方針演説をし、EU離脱手続きを勇猛果敢に進めると説いた。米国ではトランプ氏が今月20日に大統領に就任した。就任演説でProtection will lead to great prosperity and strength ((自国産業の)保護が素晴らしい繁栄と強さにつながる)と明言している。

一介の金融マンにとっても違和感を禁じ得ない。グローバル化を主導し、ビジネス言語、法律言語、会計言語のデファクトスタンダードを作り上げてきた英国と米国がいまや内向きになり、自国優先を声高に語り、保護主義的な色彩を強めている。両国はグローバル化で多くの便益を享受してきたのではなかったのか。ビジネス言語、法律言語、会計言語という観点から見ても、今でも多くの便益を享受しているはずである。

英国と米国で起こっていることを果たしてどう理解すればよいのであろうか。一時的な反動に過ぎないのか。現行のグローバル化への微修正を施すプロセスであって、グローバル化自体の大きな流れに変化はないのか。それとも、グローバル化から、なにか得体の知れない別なフレームワークに移る兆しなのかどうか。前者であれば幸いである。
  
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2017年01月16日

会社退職直後の生活 (PF646)

ede9e13e.jpg年頭のブログに昨年末で会社を退職し独立した旨を記した。そうしたら、何人かの方々から電子メールを頂戴した。存じ上げている方もいるし、存じ上げない方もいた。いずれも激励のメールである。感謝に堪えない。

また、今月になってから、仕事上でお世話になった方々には退職した旨の挨拶状を新年の挨拶に重ねて電子メールで送付した。ひと昔前なら葉書で送付するところであろうが、電子メールとした。驚いたのはほとんどの方々が丁寧に返信をしてくれたことである。葉書での挨拶状だと、なかなか返信は期待できない。

ブログの記事に反応してくれた方々や電子メールの挨拶状に返信してくれた方々の中には、筆者と出会った頃のことを記してくれる方、これまでの交流を振り返ってくれる方、印象に残る出来事を振り返ってくれる方など滋味溢れる記述があって、筆者は少なからず感銘を受けた。そして、当初さほどには感じていなかったが、会社を「退職」して「独立」するというのは世間一般ではエポック・メイキングに捉えられているのかなと感じた。

返信してくれた方々の中には別途一席を設けるとおっしゃってくださる方もおり、筆者は甚だ恐縮している。もっとも、筆者は夜が苦手なので、昼(ランチ)にお願いしている。夜が苦手なのは会社員時代からで、今に始まったわけではない。会社員時代には、そうは言っても仕事の関係でどうしても夜に予定が入ることはあった。これからは会社員ではなくなるので、自分が好まなければ夜予定が入ることはまずなくなるであろう。「退職・独立」のメリットの一つである。

夜が嫌いなのは、夜遅く帰宅するのが嫌いだからである。もうひとつ夜が嫌いな理由は、お酒が伴うからである。飲めないわけではないが、酒席で大騒ぎするのは嫌いである。自分が自分でなくなるような感覚を感じる。酒席で陽気にしている脳天気な自分を好きになれない。また、酒席で盛り上がると、再び酒席に誘われる。そういう酒席をはさんだお付き合いはしたくはない。

先週は独立後の初仕事を行った。都内某所で社内研修会の講師を務めた。初仕事ということで張り切ったせいか、大きな声で話をして喉を傷めた。喉を傷めただけでは収まらず、そのあと鼻水が出たり頭痛がするなど、風邪の症状が現れてきた。今週以降も休養に努めようと思う。平日であっても休養が必要なら休養できるというのも、「退職・独立」のメリットの一つである。

会社員を辞めてから気を付けていることのひとつは、生活リズムである。平日は朝食後ウォーキングをしている。自宅周辺の遊歩道を1時間弱歩く。一日の始まりに欠かせない。ウォーキングをしながらすれ違う会社員と思しき人は少なくない。駅に向かって急ぐ人たちである。そういう人たちを見ながら、ちょっと前の自分と重ねてみる。

会社員でいるということは、朝早くから夜遅くまで会社に時間を捧げる。会社優先の生活が必須である。その対価として給料をもらっている。筆者の中にはそういう感覚が残っている。「退職・独立」の最大のメリットは、会社優先の生活ではなく自分本位・家族本位の生活ができるということであろう。
  
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2017年01月10日

新しい働き方はできるのか (PF645)

a56f1bc1.jpg何のために働くのか。
若い人からこう訊かれたら、どう答えればいいのだろう。仕事をする理由の一つは、間違いなく収入を得るためと答えざるを得ない。もちろん、それ以外にも働く理由はある。仕事を身に付けたい、責任ある立場につきたい、海外で活躍したい、斯界で一級のプロになりたい、将来独立起業したい。

さまざまな理由が考えられるが、働く第一の理由がまず収入を得るためである点は異論なかろう。ある程度の収入がなければ、生活が成り立たない。結婚して家庭ができれば、家族を養わなければならない。子供が育ってくれば、自宅の購入も考えたい。子供が高校、大学に進学するようになれば、教育費もばかにならない。

昭和一桁生まれの筆者の両親は高等教育を受けていない。父はブルーカラーの労働者であったし、母はパートタイマーで生活費を補った。自宅は生涯賃借で購入する余裕はなかった。同級生の家庭が自宅を新築し、あるいは郊外に建売住宅を購入するのを見て、なぜ我が家は違うのだろうと思った。もっとも、両親は自分の子供たちに教育だけは受けさせようと腐心した。筆者も長じて我が家のそういう事情に気付いた。どうしろ、こうしろと両親から言われたことは一切ないが、堅実な生活振りを好んだのはそういう両親の後ろ姿を見ていたからであろう。

貧困は嫌だし、無知蒙昧はもっと嫌だ。しかし、だからといって、お金に執着心を持つのは卑しい。そうではなく、お金に悩まされたくない、振り回されたくないという思いがある。贅沢を慎み無節操な消費を避け、モノを大事に使ってゆけば、生活に必要なお金の額はたかが知れている。生活に必要なお金を確保したら、お金のためだけに日夜働くことはやめにしたい。

「恒産なければ恒心なし」という。健全で充実した精神を保つには、お金に振り回されるようでは駄目だ。お金が人を幸せにするとは思わないが、お金が足りないと人を不幸にするのは間違いない。必要以上のお金は要らないが、お金が足りないのでは困る。

リンダ・グラットン著『ライフシフト』は、お金や会社に支配されない、自分らしい生き方、働き方を提案している。お金や会社に振り回されない生き方や働き方はいつかできるものであろうか。言うは易し行うは難し、ではないのか。筆者は今年から会社員ではなくなったので、会社には支配されなくなった。しかし、お金の問題はまた別であろう。

ソーシャル・ビジネスが徐々に広がってきている。最低限の対価や報酬を受領しつつも、社会貢献を果たすビジネスである。社会貢献とビジネスの両立を目指す。対価や報酬を一切貰わない従来のボランティア活動との違いは、ソーシャル・ビジネスの方は多少の対価・報酬を貰うので持続性が強い点であろう。持続性を保ちながら、社会貢献を果たす。持続性に難なしとしないボランティア活動の欠点を補うところに、ソーシャル・ビジネスの真価がある。

お金のためだけに働くことが一方の極であるならば、無償で社会貢献するボランティア活動はもう一方の極かもしれない。両極を避けつつ、充実感を伴う働き方というのはできるのかどうか。それはソーシャル・ビジネスのような形なのかどうか。自分の場合だったら、具体的にどういう働き方になるのだろうか。最近筆者を悩ませているテーマである。

自分の興味や関心を追求しかつ生活に必要な最低限の収入を得て、何かしらひとさまや社会の役に立つような仕事をすることはできるのかどうか。筆者の新しい働き方の追求は、まだ緒についたばかりである。



  
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2017年01月02日

決断のとき (PF644)

7e28a354.jpg大学進学、就職、結婚、自宅購入、転職、キャリア選択。誰にでも大きな決断をするときがある。そのときの決断が正しかったのかどうか。それは後になってみないと分からない。

後から振り返ってみたときに、後悔はしたくない。後悔はしたくないので、一旦決断したら後ろを振り返らず、前を向いていい結果が出るように奮迅する。真摯に取り組んでゆくと、少しずつ手応えを感じる。少しずつだけれども、これでいいんだという手応えを感じる。そして、さらに前に進む。そういう繰り返しの中で、はじめてあのときの決断は間違ってはいなかったと思えるようになる。

決断それ自体の是非よりも、決断の後にどういう行動を起こせたか、決断した方向にどれだけ尽力できたか、の方が遥かに重要だ。結局、決断したことは物事の方向性を決めただけであって、いわばスタート地点に立ったに過ぎない。もちろん、適切なスタート地点に立つことは重要ではあるが、相応熟慮したのであれば的外れなスタート地点に立つことはあるまい。

スタート地点に立ったら、そこから如何に前に進むかに腐心する以外にない。スタート地点探しを続けていても仕方ない。スタート地点が正しかったのかどうかをいつまでも思い悩んでも致し方ない。スタート地点に立った以上、前に進まなければ、どんな素晴らしい決断も意味がなくなる。

M&A(企業買収)の世界で、買収後の統合作業(post-merger integration)の重要性が指摘されている。買収に至る決断も重要だが、買収後に如何に事業統合を果たし買収の効果を引き出してゆくかがもっと重要だ。買収そのものは始まりに過ぎない。買収後に成果を出してはじめて買収が成功したと言える。

我々の大きな決断も同様であろう。決断内容そのものも重要だが、決断後にどれくらい決断した方向に向かって尽力できたかがもっと重要だ。一旦決断をしたら、いい意味で執着心を持ち倦まず諦めず取り組む。決断が正しかったのかどうかは決断後の取り組み次第で決まる、と言っても過言ではないと思う。

実は筆者も最近決断をした。昨年末をもって11年間勤務した外資系金融機関を早期退職した。外資系金融機関に勤務する前に22年間邦銀に勤務したので、会社員生活は通算で33年になる。還暦まではまだ数年あるが、四捨五入すれば還暦になるような年齢である。

今回の退職後、どこか他の会社に移籍して会社員を続けるつもりはない。月曜日から金曜日まで毎日会社に通うという生活に終止符を打つことにしたのである。会社員生活に終止符を打ったといっても、仕事をしない訳ではない。プロジェクトファイナンスに関わる仕事はこれからも続けてゆく。

独立開業とか起業とか言うほど、華やかで威勢のいいものではない。しかし、会社員という立場を離れ、一個人として自由に仕事ができるのは楽しみだ。一日24時間すべて自分で差配できるのは嬉しい。自分がやっている仕事よりも優先しなければならない仕事(つまり会社の仕事)が無いというのは、社会人になって以来の出来事である。

この決断が正しかったのかどうか。それは筆者の今後の取り組み次第であろう。後悔のないpost-corporate lifeにしたいと、年頭に思っている。


追伸: 明けましておめでとうございます。皆様、良いお年をお迎え下さい。
  
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2016年12月26日

好きな仕事と収入 (PF643)

9e61c0bc.jpg英語でI am enjoying what I am doingという言い方がある。これは例えば仕事仲間に「最近仕事の方はどう?」などと訊かれたときの回答に使われる。あるいは会社の上司に「仕事はどうですか」と訊かれたときの回答にも使われる。本当にこういう風に答えられるのなら、模範的で理想的である。

この英語は読んで字の如く「自分のやっていることを楽しんでいます」という意味である。この言い回しはややありふれた表現なので、ある程度形骸化あるいは形式化してしまっているのかどうか、日本人の筆者には分からない。耳にすることが多いので、本来の意味が希薄化して社交辞令の慣用表現になりつつある可能性はある。日本語でたとえ「近くにいらしたら、お立ち寄りください」と挨拶状に書いてあったからと言って、本当に訪問したら迷惑だという話しを連想する。

慣用表現であるかもしれないことを覚悟の上で、この英語の言い回しを考えてみたい。なぜなら、この英語表現はやや大袈裟に言えば、仕事と収入について随分示唆的だと思うからである。

会社勤めをしていると、やりたくない仕事をやらざるを得ないということは頻繁にある。「なぜやりたくない仕事をやらなければいけないのか」と青臭い質問をすると、「それは給料をもらっているからだ」と言われる。それなら、「給料をもらっているのはやりたくない仕事をやっている対価か」と訊けば、「給料にはそういう側面もある」と続けて言われる。「やりたい仕事をやって給料をもらうことはできないのか」と畳み掛けると、「じゃあ会社を辞めて、自分で好きな仕事をやればいいじゃあないか。会社を辞めて好きな仕事ができたところで、生活はどうするんだ、世の中そんな甘いもんじゃないぞ」とお説教される。

好きな仕事をやるということと収入を得るということとは、常に二律背反とまでは言わないが、両者を一致させるのは簡単なことではないというのが一般的な通念であろう。そういうことをわざわざ口に出さなくとも分かっている、というのが一応大人なのかもしれない。

そういう社会通念に対して、冒頭の英語I am enjoying what I am doingの意味しているところは画期的だ。「なにも無理に自分のやっている仕事を好きになろうとしたわけではない。本当にこの仕事が好きなんだ。好きな仕事をやらせてもらって給料をもらえるのだから、自分は幸せだ。」この英語にはこんな気持ちが伝わってくる。

スポーツ、音楽、芸術などの世界の人には、I am enjoying what I am doingと言える人が多いのではないか。その代わりと言っては失礼かもしれないが、安定した収入を確保し生活が成り立っている人はけして多くはないようだ。好きな仕事をやるということと相応の収入を得るということとを一致させるのは、これらの世界でもやはり簡単なことではない。

日本の会社員で、I am enjoying what I am doingと言える人は果たしてどのくらいいるのだろうか。給料をもらっているのはやりたくない仕事をやっている対価なのだから、そんな人はほとんどいないということになるのだろうか。

できる限り好きな仕事をやりかつ相応の収入も得る、という難しい課題に誰もが取り組んでいる。好きな仕事と相応の収入を完全に両立させることはできなくとも、両者の適度なバランスを実現してゆく – これが誰にとっても古くて新しいテーマなのかもしれない。
  
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2016年12月19日

20年は長いか (PF642)

b0931132.jpg積立型のNISAが2018年から始まる。期間は20年。現行のNISAは期間5年なので長期的な資産形成の観点からはもの足りない。新設される積立型NISAが期間20年という長期に及ぶのは望ましい。

当初積立型NISA導入に当たって、期間10年が想定されていたという。財務省関係者は「税の論理として、10年を超えるのは考えられない」と主張していた。NISAの収益金は非課税になる。だから、期間が長くなればなるほど、税収入の減少が続くことになる。将来の歳入を考えると、非課税の期間を無暗に長くするのは避けたいという考え方は理解できる。

もっとも、「税の論理」を以って10年を超えるのは駄目だとまで言うと、少々飛躍があるように思える。非課税の期間を長くしたくないという思いは分かる。しかし、長いかどうかの分水嶺が10年という「論理」が本当にあるのかどうか。これは論理の問題というよりも、慣習や感覚の問題なのではないかと推察する。

実は、積立型NISAの期間の議論を知って、プロジェクトファイナンスの融資期間の問題を連想していた。昨今プロジェクトファイナンスの融資期間が長期化する傾向が見られる。融資期間が20年を超えるものも多く出てきた。

プロジェクトファイナンスに限られないが、金融が緩和しているときには融資条件も緩和するものである。融資を利用したい人よりも融資を提供したい人の方が多いのだから、当然融資条件の競争が起こる。貸出金利の水準が低下するのはもちろん、融資条件全般が借主有利に傾く。融資期間が長くなるのも、この一端である。

さて、問題は、プロジェクトファイナンスの融資期間が20年ないし20年を超えるというのは果たして常態なのかどうか。融資を提供するのは主に銀行である。銀行の主たる資金調達手段は預金である。預金の預かり期間はたいがい短い。個人の預金は比較的長く預かることができるが、法人の預金は長くは預かることができない。だから、個人の預金のことを英語でStickyだと称することがある。

銀行の資金運用(主に融資)と資金調達(主に預金)を、それぞれ期間の観点から見ると、どうしてもギャップが生じる。資金運用(融資)期間は長く、資金調達(預金)期間は短い。両者を完全に一致させるのは無理があるが、両者の期間のギャップを無暗に拡大させないようにするのは銀行の経営上重要なことである。通常の企業向け融資であれば、融資期間はせいぜい3年から5年。設備投資資金だとしても、せいぜい7年から8年程度である。

そうは言っても、プロジェクトファイナンスの対象とする事業は規模も大きく、事業期間は長い。そういう事業に対する融資なので、融資期間も長くなる。筆者がプロジェクトファイナンスの仕事を始めた1990年代にも、融資期間15年前後の案件は既に散見されていた。

しかし、昨今見られるようになった融資期間20年ないし20年超の現象というのは、やや常軌を逸しているのではないか。民間銀行がそんな期間の長い融資を行うことは適切なのだろうか。融資期間の適否について確固とした「論理」があるわけではない。その点、先に挙げた税金の場合と同様である。もっとも、融資期間の適否の問題はけして慣習や感覚の問題などではなく、期間に着目した銀行の資金運用(主に融資)と資金調達(主に預金)のマネジメントの問題である。さらに、融資の期間が長くなればなるほど、不確実性は高まり与信リスクは増大する。

ここでさらに指摘しておきたいのは、欧米先進国の民間銀行はこの融資期間の長期化にかなり前から問題意識を持っているようである。その証拠に融資期間20年ないし20年超の案件に積極的に取り組んでいない。そんな期間の長い案件はやらない、という方針を持つに至っているところも少なくない。融資期間が長くなっても旺盛に融資を続けているのは、邦銀とその他一部の銀行だけのように見えるのは筆者だけではなかろうと思う。
  
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2016年12月12日

多読・精読・濫読(39) (PF641)

c5bb6497.jpg●佐和隆光著『経済学のすすめ - 人文知と批判精神の復権』(岩波書店)
2015年6月の文部科学大臣通知に端を発して書かれた本である。同通達は国立大学での教員養成系学部・大学院と人文科学系学部・大学院の廃止や見直しを要請していた。著者によると、後者の人文科学系というのはどうも経済学部のことを指すらしい。本書を読むまで経済学部が廃止・見直しの対象に挙がったとは知らなかった。経済学を学ぶことは有用なのかどうか。これが本書の主題である。
筆者は大学時代法学部に在籍したが、社会人になってからは専ら経済学的な知識や思考が役に立ったと思っている。そういう意味では経済学の有用性に疑問の余地はない。しかし、理論経済学や計量経済学といった分野で数学が多用されているのには閉口している。従って、経済学者の著者が「経済学は数学の僕(しもべ)と化した」と批判するのを読んで溜飲を下げる。また、著者は若い頃計量経済学を専攻していたが、後刻「計量経済学の『底の浅さ』」に失望し、「この道を突き進んでも、達成感を感得するのは至らない」と結論し、他分野の研究に転向したという。副題にある「人文知」とは文学、哲学、歴史学、思想史などの知見を指すが、これを欠いた経済学は片手落ちであるとの指摘にも胸をなでおろす。
本書の指摘でもう一つ興味深く思ったのは、日本のエコノミストは職業団体になっていないという点である。特に大学に籍を置く経済学者と官民のエコノミストとはそれぞれ別の世界に存在しているのだという。例えば日本経済学会に所属しているのは大学・大学院の経済学の先生ばかりで、官民のエコノミストはほとんど所属していない。一方、官民のエコノミストの出身学部は経済学部のほか法学部、文学部、工学部、理学部、農学部など多岐に亘り、経済学博士号を持っている人はほとんどいないともいう。

●外山滋比古著『新聞大学』(扶桑社)
筆者は著者の読者である。著者の文章も思考も気に入っている。著者の著作の中では『思考の整理学』がつとに有名だが、他の著作もそれぞれにいい。
筆者は本書の書名を見た瞬間に、「流石だなぁ」と思った。どういうことかというと、「新聞をしっかり読むことが社会人にとっては勉強になる」ということを言っているのだろうと察しがついたからである。読んでみると、やはりそうだった。新聞を通じて学ぶことを「新聞大学」と名付け、書名にまでしてしまうところも見事だ。
本書も他の著者の著作同様に、興味深いエピソードや著者の鋭い観察眼で溢れている。在野の研究者だった森銑三(1895-1985)が生前著者に言ったという。「読んで面白いと思った記事は切り抜いて分類して袋に入れておく。袋がふくらんできたら、取り出して整理する。それを基に本を書く。」新聞記事だけで本が書けるというわけではないと思うが、新聞記事を手掛かりに、さらに調べるのは有効な方法である。新聞記事がヒントを与えてくれたという経験は、筆者にも何回もある。思いがけない発見にもありつく。
最近の新聞の訃報記事はもの足りないという著者の指摘も得心がゆく。限られたスペースで亡くなれた方の業績や人柄を的確に書くのは、容易なことではない。その人物のことを深く理解していないとできることではない。その点で、月刊誌『文藝春秋』の訃報記事「蓋棺録」は出色で読み応えのあるものが多い、という指摘にも同感である。
著者は1923年生まれでおられるので、御年93歳になられるはずである。高齢になられてもなお著作を発表し続ける創作意欲に、尊崇と憧憬を感じる。


  
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2016年12月05日

退職金運用方法の相談 (PF640)

df84395a.jpg知り合いの中には銀行や金融とは普段縁のない方もいる。メーカーを定年退職した人から、先般退職金の運用方法について相談を受けた。相談といっても雑談の中で出てきた相談なので、深刻さや切実さはない。筆者が金融の仕事をしているのを知って、資産運用についてなんらかの知識や知見があるものと思ったのかもしれない。

金融の世界も細分化・専門化が進んでいる。資産運用を専門的にやっている人ももちろんいるが、それ以外の金融の仕事に携わっている人も沢山いる。従って、金融界にいるからと言って、必ずしも資産運用に詳しいわけではない。

資産運用の話しで思い出すことがある。まだ筆者が銀行員になって3年目か4年目のころのことである。国内支店に勤務していた。支店近隣の高齢者が都内の土地を売って、その代金で預金をしていた。預金額はちょうど1億円。当時銀行の定期預金の金利水準は年率5パーセント。1億円の預金であれば、毎年5百万円の利息が受け取れる。

その高齢者は頻繁に銀行の支店にやってきて、若い行員とおしゃべりして、お茶を飲んで帰る。当時その人がこういうのを何度も聞いた。「わしは預金利息で生活しているんだ」と。年間5百万円の預金利息であれば、当時はもちろん今でも生活できる。20パーセントの源泉税を差し引いても、手取り4百万円である。「預金利息で生活している」というのは冗談でもなんでもなく、文字通り事実である。

低金利あるいはマイナス金利の現在では考えられないことである。現在1億円の銀行預金があっても、メガバンクの定期預金の金利は年率0.01パーセントなので、預金利息は1万円にしかならない。5百万円の預金利息を受け取るためには、500億円の預金が必要になる。預金利息は約30年前に比べて、ざっと500分の1になったわけである。現在は「預金利息で生活」など到底無理な話である。

メーカーを定年退職した人の悩みも低金利にある。退職金をどこに預ければいいのか。銀行の窓口に行くと、投資信託を勧められる。購入時の手数料が3パーセント、毎年の信託手数料が1.5パーセント。果たして、手数料を上回るような利回りが十分確保できるのかどうか。

メーカーを定年退職した人には、「低金利の世の中なので、高利回りを期待しない方がいいです」という話をした。高利回りに目がゆくと、とんでもない金融商品を購入しないともかぎらない。退職金の運用方法として投資信託は比較的優良な選択肢である。リスクが分散されている。インデックス型と言われる投資信託であれば、市場並みの利回りは確保できる。高利回りを指向したアクティブ型と言われる投資信託があるが、信託手数料が高く、感心しない。中長期的に見ると、アクティブ型の投資信託の利回りはインデックス型のそれを上回ることができないという調査結果がある。アクティブ型投資信託の一部には確かに高い利回りを実現しているものがあるが、高い利回りを実現するアクティブ型投資信託は一体どれなのか、事前には誰にも分らないのが実情である(これが事前に分かるのなら、皆が資産家になっている)。

メーカーを定年退職した人には「投資信託を買うなら、上場投資信託(ETF)の方がいいです」という話もした。それは上場投資信託の方が信託手数料が安いからだ。そして、「投資信託にしても上場投資信託にしても、一旦購入したら、長く保有を続けるのがいいです。売買を頻繁に行うのはお勧めしません。」とも付け加えた。

どのくらいの利回りを目指せばいいのかとも訊かれたので、「現在日本の株式の配当利回りの平均値が2パーセント程度なので、その程度の水準かそれを少しでも上回っていれば良しとするのがいいと思います」とも説明した。新興国通貨建ての金融商品をどう思うかとも訊かれた。「表面金利が高いかもしれませんが、その分為替リスクがあります。たとえば表面金利が10パーセントあったとしても、為替が10パーセント悪化すれば利回りはゼロになります。新興国の通貨が10パーセント上下するなんて、日常茶飯事です。」

退職金の運用方法に悩む退職者は意外に多いのかもしれない。
  
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2016年11月28日

規則正しい会社員生活 (PF639)

ff4c6636.jpg会社員生活を長くやっていると、会社員でいることの良い点は見過ごされがちである。つい会社員生活の悪いところばかりに目がゆく。「宮仕えはつらい」「からだの調子が少しくらい悪くても、休むわけにはいかない」「会社での拘束時間が長い」「会社内でのお付き合いや取引先の接待が大変だ」「上司が神経質でうるさい」等々悪いところを上げはじめたらキリがない。

会社員でいることの良い点のひとつは、規則正しい生活が送りやすい点である。それはまず朝決まった時間に起床して、決まった時間に家を出る。また、翌朝のことを考えて、夜はせっせと就寝する。この起居を基軸にした生活のリズムは、会社員生活の良い点である。

もっとも、残業があって思うような時間に帰宅できない、あるいは夜のお付き合いがあって帰宅が遅くなることもある。生活のリズムが崩れるのはつらい。起居の時間が不規則になり、睡眠時間が削られるのは最悪である。朝起きるのがつらくとも、会社に向かわなければならない。こういう状態が続くと、心身共につらい。若い頃はそれでも問題なかったが、歳をとると、回復力が劣ってくる。過度に至ると、からだを壊し健康を損ねることもある。

筆者の住む地域は首都圏周辺の新興住宅街で、筆者も住み始めてかれこれ四半世紀になる。住んでいる人は圧倒的に会社員が多い。40歳以降に移り住んだ人なら、現在65歳以上になっており、すでに定年を迎えている。事実、周辺では定年退職をした人が急速に増えている。住民の高齢化のため、町内会活動なども停滞しはじめている。

こういう地域でみられる光景は、早朝や夕方に遊歩道をウォーキングする人たちの姿である。定年退職済みと思われる男性がひとりで、あるいは奥さんと二人で、早朝や夕方ウォーキングをしている。ウォーキングはからだに良い。特に早朝のウォーキングは一日の生活リズムを整えるのに最適だと思う。

察するに、定年退職をしたあと、生活のリズムを維持するのに腐心しているのではないか。週末を迎えた会社員を想像すると分かり易い。夜更かししてしまう、朝遅くまで寝ているなど、平日の生活のリズムを崩してしまう。そうやって平日にはできない生活振りが平日の疲れを癒すこともあるが、度が過ぎるとかえってからだの調子がおかしくなる。もっとも、会社員の場合は、たとえ週末にそういう生活を送ったとしても、月曜日の朝までには生活を正常に戻す。そういうレジリアンス(回復力)が身についている。

定年退職者の場合には、そうはいかない。いわば毎日が日曜日である。「月曜日の朝」はやって来ない。従って、不規則な生活を送り始めると、規則正しい生活に戻すのが容易ではないはずである。早朝や夕方に遊歩道をウォーキングする定年退職者の人たちは、規則正しい生活を心掛けている人たちではないのか、と感心して見ている。会社員生活を辞めた後、生活のリズムを維持するのは簡単なことではないはずだ。

宮仕えの生活はつらいと嘆く会社員の人たちには、「会社員でいると、規則正しい生活が送りやすい」という、忘れがちな利点を強調したい。もっとも、最近の職場環境は厳しくなるばかりで、起居が規則正しいだけであって残業の多い職場はけして健康的ではない、とお𠮟りを受けるかもしれないが。
  
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2016年11月21日

金銭感覚 (PF638)

b841a06d.jpg今年某雑誌のインタヴューを受けた。話題は海外駐在時代の子育てである。筆者には子供が3人いる。もっとも、海外駐在を開始したときには子供は2人で、駐在中に3人目が生まれた。駐在先は米国で、駐在期間は7年に及んだ。帰国したときに、一番上の子供が小学5年生、二番目が小学2年生、一番下が5歳だった。

インタヴューの話題は海外駐在時代の子育てが中心ではあったけれども、インタヴューの後半ではお金の話題に移った。特に金融マンのお父さんは子供にどういうお金の教育をしてきたかという話題である。この話題は筆者にとっても新鮮である。子供たちの金銭感覚について、特段どのように教育していこうなどと考えたことはなかったからである。そういう意味ではインタヴューで様々な質問を受けて、それに答えることが自分の考え方の整理に役立った。質問や疑問を投げることが、問題点の把握につながることは我々の日常でも多い。ありふれた質問であっても、いざ自分自身が受け止めてみると、けして侮れない。

子供へのお金の教育という話題で盛り上がったのは、現在学生である一番下の息子に対して、飲食代については毎月レシートを提出させて事後的に支払っているという話である。息子はアルバイト等で多少のお金を手元に持っている。一方で大学の学食で食事をするなど日々外食が多い。外食であっても食費は親が負担してあげたい。そこで、必ずレシートを保管するように指示し、そのレシートに基づいて息子に食費を後日たとえば1か月に1回程度支払うようにしている。もっとも、これは会社員の実費精算の慣習を真似しただけのことである。

金銭感覚というのは両親や家庭環境の影響を受けるのは間違いない。筆者自身、社会人になりたての頃両親の金銭感覚を見習うことが多かった。両親や家庭環境の影響を受けるといっても、両親と全く同じ金銭感覚を持つようになるという意味ではない。これは他の事柄と同様に、両親を反面教師にすることもあり得るわけで、従って金銭感覚も両親のそれとは真逆になることもあろう。真逆になることも含めて、両親や家庭環境のなんらかの影響を受けているという事実には変わりがない。

筆者の母親は5人兄弟の長女で、忍耐強く、真面目で規則正しい生活を送る。家計もすべて見ていた(いまでも見ている)。奢侈なものは買わない。支出を抑えていれば、収入が減っても心配ない。贅沢をし出したら、キリがない。人間の物欲は無限だから、無限の物欲を満たそうと思ったら、お金はいくらあっても足りない。お金が足りないと思うと、人は誤った方向に行き、不幸になる。

筆者の母親の金銭感覚を敢えて記すと、こんな感じである。筆者が小さかったころ、筆者の着る服のほとんどが兄のおさがりだったのを覚えている。筆者が社会人になって給料をもらうようになっても、無駄遣いをしなかったのは母親の影響である。知らず知らずのうちに、家庭で堅実な金銭感覚を身に付けていたのかもしれない。外資系金融機関に勤務するようになってたとえ報酬が増えても、無暗に支出を増やさず生活パターンをほとんど変えていない。

もっとも、大人になってからお金の使い方を大幅に変える人もいる。報酬が増えると、なおさらである。ブランドの品を身に付け、高価な飲食店で飲食し、週末はゴルフなどでお金を使う人もいる。しかし、人間の物欲は無限なのだから、金銭を多く使ってそれを満たすという行為は、いくら続けてもキリがなく、結局空しいのではないか。

満たすべきものは、我々の精神や心ではないだろうか、と最近つくづく思う。幸い、精神や心を満たすのには、多額のお金は要らない。
  
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2016年11月14日

閑話休題のビジネス英語(39) (PF637)

d7069241.jpg●先日ビジネス文書でWe would like to provide you this letter of interestという表現に出会った。「興味表明書をご提出したいと思います」というほどの意味である。ちょっと引っかかるのはprovideにwithを付けなくて良いのかという点である。本来provideにはwithが必要である。つまり、この文例で言えば provide you with this letter of interestとするのが正しいのではないか。辞書を調べると「withはあってもなくても構わない」と説明されている。念のため、ネイティブ・スピーカーにも質問してみたら、「withはあってもなくてもどちらも間違いではないと思う」という返事が返ってきた。例えばprovideの代わりにgiveを使用したら、当然withは要らない。ということは、Provideという動詞の使い方がgiveのようにwithを伴わない方向になってきたと解釈できる。簡略化の一例かもしれない。頻繁に使用する言葉は簡略化してゆく。

●Without attributionという慣用句がある。「出所を明示しない」という意味である。「出所を明示しない」という意味は分かるが、実際にはどういう場面でwithout attributionが使われるのだろうか。先日好例に遭遇した。それは社内で行われた研修会の場で出くわした。研修会のプログラムの中でこういう作業があった。自分の上司について質問に回答を作ってゆく。たとえば、「上司に何を期待するか」、「上司に注力してほしいことはなにか」、「このチームの強みと弱みは何だと思うか」等々。そして、回答者には念を押した。それぞれの回答は具体的に誰が記載したものかは明かさないから正直に回答してほしいと。この誰が言ったものかを明かさない、という文脈でwithout attributionが使われていた。「回答は匿名扱いにする」というほどの意味である。

●DescriptionとPrescriptionが一対で使われることがある。「事実が良く分からなければ、解決方法は分からない」という意味合いで使われる。どうして、そういう意味になるのか。事実関係が良く描けるのであれば(つまりdescribeできるのであれば)、処方箋(prescription - 解決方法の意味)は自ずと見いだせるということである。原因が分かれば対応策は分かる、という程度の意味であろう。DescriptionとPrescriptionは、韻を踏んでいてリズムがいい。

●とても簡単だという意味で、日本語で「嘘みたいに簡単」という言い方がある。先日deceptively simpleという英語表現に複数回出会った。これはまさに日本語の「嘘みたいに簡単」に匹敵する。あまりに簡単なことだと分かると、人間は「嘘みたい」「だまされたみたい」だと思うのかもしれない。英語と日本語に言語学的な繋がりはほとんどないと思うが、どちらも人間の使用する言語である以上、根底にある発想が似ているという現象は起こる。「嘘みたいに簡単」という日本語とdeceptively simpleという英語は、この一例かもしれない。

●上司の承認を貰う際に、書面ではなくメールで承認を貰うことが増えてきた。日本語なら、上司はメールで「承認します」と手短に返信するであろう。こういうときに英語では手短にどう返信するのであろうか。もちろん、個人差もあるが、一番多いのはApprovedであろう。この一語である。なぜ受身形になっているのか。これは(The request is) approved (by me)という文脈だからである。また、Approvedの一語に代えてSupportedという一語で応える人も少なくない。語感としてはSupportedとApprovedとでは微妙な違いがあるように感じないでもないが、SupportedもほとんどApprovedと同じ意味である。ちなみに、承認という意味ではsign-offという言葉も良く使われる。こちらの方はWe`ve got John`s sign-offという言い方で使用し、この場合「(上司の)ジョンの承認を貰った」という意味になる。
  
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2016年11月07日

邦銀マンのキャリアプラン (PF636)

7275ce20.jpg邦銀マンの現役の寿命は短い。50歳になったら、早晩関連会社か取引先に出る。55歳までの給与水準の保障はあるものの、以後は転籍先の待遇に準ずる。年金の支給開始は65歳からだから、転籍先で10年以上勤務することになる。関連会社にするか、取引先にするか、また自宅から通勤可能な先がいいか、自宅から通勤できなくても構わないか、等々一応本人の希望も聴取される。しかし、必ずしも本人の希望通りというわけにはいかない。ましてや、職務内容や待遇について贅沢なことは言えない。勤務先を紹介してもらえるだけでも有り難い、と思わなくてはいけない。

銀行員の寿命が短いのは日本だけの現象である。他の先進国では見られない。もっとも、他の先進国の会社員は金融マンに限らず、自分のキャリアは自分で作ってゆくという覚悟ができている。終身雇用制度はない。労働市場の流動性は高い。筆者の知り合いで日本で働く40代の金融マンは、「50歳くらいになったら母国(イギリス)に帰って議員(政治家)になる」と真面目に考えている。これは単なる夢ではなく、彼のキャリアプランであろう。これから自分のキャリアをどうしたらいいか、これから何がやりたいのか、ひとりひとりが自分で考えている。もちろん、キャリアを作ってゆくというのは簡単なことではない。しかし、自分のキャリアは自分で作ってゆくという意気込みと、長く勤めた会社に紹介してもらえるという依存心と、どちらが大人の成熟した考え方であろうか。終身雇用制度というのは労働者を保護する制度だと考えられているが、保護され過ぎた者は成熟できず大人になれないのではないだろうか。

先日邦銀から取引先に転籍したばかりの50代の元邦銀マンに話を聞いた。「この会社は…」「この会社は…」と自分の転籍先の問題点を指摘する台詞が何度も出てきたのには少々驚いた。やや上から目線で話をするので、もし転籍先の会社の人たちが耳にしたら、快くは思わないであろう。銀行と同取引先の力関係のせいかどうかは知らない。しかし、これから10年以上お世話になる会社について、上から目線の話し方は早く改めた方がいいかもしれない。

ちょうど50歳になって転籍した邦銀マンの知り合いは、転籍先の会社の経営が傾いて苦労している。その会社はもちろん銀行の取引先なので、銀行が支援する限りは最悪の事態は免れると思うが、知り合いは「残業時間が増え心労激しく、その割にはボーナスが出ないので報われない」と嘆いている。転籍先を自分で選べるわけではないので、致し方ない。

邦銀から子会社のリース会社に転籍した友人は、「リース会社に行ったら、銀行時代の先輩たちが沢山いた」と苦笑いしていた。銀行の100%子会社なのだから、当然であろう。かつて都市銀行と言われた10行余の邦銀は過去20年の間に統廃合を進めたが、それぞれの銀行が保有していたリース会社の統廃合は行っていない。リース会社の統廃合を行わない理由のひとつは、50代の邦銀マンの再雇用先として必要だからだと言われている。50代の邦銀マンの受け皿として機能しているのである。雇用対策の一環でリース会社等関連会社の統廃合を行わないという現実は、終身雇用制度の歪んだ姿の一端である。

いまや日本の終身雇用制度は、「雇用はなんとか守る」という一点だけを辛うじて死守しようとしているだけである。ひとりひとりの社員のキャリア作りや働き甲斐は度外視している。邦銀マンの場合なら、50歳を過ぎたら銀行が次の勤務先を紹介してくれるという依存心が高まるばかりで、多くの邦銀マンの辞書には「キャリアプラン」という言葉が見当たらない。
  
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2016年10月31日

キャリアを選ぶとき (PF635)

a181d4dd.jpg先日セミナーで知り合った20代の金融マンに今後のキャリアについて相談に乗ってほしいと依頼された。真面目そうな青年で好感が持てる。ときどきこういうキャリアの相談について声を掛けられる。おそらく筆者のキャリアが少々特殊だからであろう。

就職したときには漠然と「国際業務」に就きたいと願っていた。学生時代に英語の勉強に力を入れていたので、英語を使用する仕事がいいと思っていた。同じ邦銀に同期入社した者が当時約190名。入社直後に同期入社の者が研修所に集められた。全員がそろった講堂で、「将来国際業務をやりたい人?」と訊かれ、講堂に居る同期入社の者の過半が手を挙げたのを覚えている。筆者も迷わず手を挙げたが、あまりにも手を挙げる人が多いのに少々気負いした。「ここで手を挙げている者全員が、希望通り国際業務に就けるのだろうか」という疑問がふつふつとわいてきた。同期入社の連中は皆優秀に見えた。優秀な連中から国際業務に従事したとすると、自分が国際業務に従事する可能性はけして高くない。

研修所から戻り、勤務する地方の支店での日々の仕事は、国際業務とはなんの関係もない。国内の銀行業務である。もっとも、知らない仕事を覚えるのは楽しく、日々の仕事はまんざらでもなかった。地方の支店から都内の支店に転勤してからも、仕事は面白かった。20代の若い銀行マンでも、中小企業の経営者が対等に相手をしてくれる。そういう経営者の人たちにいろいろ教えてもらい、親切にしてもらい、育ててもらった。

国内支店2か店を経験して、29歳の時に本店プロジェクトファイナンス部に転勤となる。本店勤務は当初緊張の連続だった。支店で勤務していると、本店の人たちは雲の上の人に見える。そういう人たちと一緒に自分は仕事ができるのだろうか。英語力はどのくらい必要なのだろうか。これまでの経験は生かせるのだろうか。そうこうしているうちに、本店プロジェクトファイナンス部での勤務は4年近くが過ぎる。夏休み休暇の間に、ニューヨーク支店転勤の内命が下りた。休み明けに会社に出勤すると、上司から別室に呼ばれた。

当時のニューヨーク支店には同期入社の者が既に10数名勤務していた。そのうち約半数は社費留学を終えてそのままニューヨーク支店勤務となっていた。約190名の同期入社のうち、ニューヨーク支店のような大きな海外支店に勤務している者は先鋭中の先鋭であろう。従って、筆者だけがなにか場違いなところに居る気がした。本店勤務当初に感じた緊張感を再び感じた。ニューヨーク支店ではプロジェクトファイナンスの仕事に携わらなかった。そのため、自分のキャリアを考えずにはいられなかった。優秀な同期の連中と同じようなキャリアを歩んでも、自分は陽の目を見ない、埋もれてしまう。そういう切迫感も感じていた。

自分が面白いと思えることで、人とは違う仕事を徹底的にやるのがいいのではないか。こういう結論に至るのに、そう時間はかからなかった。いわばキャリアの差別化である。本店で4年ほどやってきたプロジェクトファイナンスは恰好の仕事かもしれない。当時同期入社でプロジェクトファイナンスの仕事に関わった同期の者がもう一人居た。しかし、彼はしばらくして別な部署に異動し仕事も変わった。自分がプロジェクトファイナンスの仕事を続けたら、同期入社のなかで自分が唯一の者になるかもしれない。差別化が図れる。

そうこう考え、上司にもプロジェクトファイナンスの仕事に戻りたいと申し入れていると、ニューヨーク支店からヒューストン支店に異動になり、ヒューストンでプロジェクトファイナンスの仕事に戻ることができた。30代半ばになっていた。その後帰国して40代半ばで転職するが、これまでずっとプロジェクトファイナンスの仕事に携わっている。

自分の選んだキャリアが正しかったのかどうか。まだ現役で働いているので、結論を出すのは早い。しかし、幸いこれまでのところ、これで良かったのではないかという思いが強い。もし、プロジェクトファイナンスの仕事をやっていなかったら、退屈な会社員生活が待っていたかもしれない、とは思う。
  
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2016年10月24日

僕と君の関係 (PF634)

b02ee3bb.jpg君は私利私欲を追求したわけでは毛頭ない。誰かを傷つけようとしたわけでも毛頭ない。
常に正しくあろう、正しくふるまおうとしている。なにごとも諦めずに努力を惜しまない。

それでも、いい結果が出ない時がある。思わしくない結果だけを見て云々する人がいる。でも、君は言い訳をしない。僕は凡人なので、結果だけを見て云々する人をいかがなものかと訝る。

結果は出るときもあれば、出ないときもある。残念ながら、努力をしても、いい結果が出ないときがある。

私利私欲を追求したわけではなく、誰かを傷つけようとしたわけでもなく、正しくあろう、正しくふるまおうと努力を惜しまない君は、自分を誇りに思っていいんじゃないか。云々する人には云々させておけばいいんじゃないか。

たまたま結果が出なかったからと言って、これまでの君の生き方を変えてはいけない。ここで生き方を変える人は、人間が曲がってしまう。根性が曲がってしまう。

僕は君を心底誇りに思っている。どうか、これまでの君でいてほしい。君には道を外してほしくない。君を誇りに思うこと、君がこれまで通りの君でいてほしいと願うこと、これくらいしか僕にはできないが、僕はこれからもずっと君を支える。

さあ、また明日から仕事だ。

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(筆者注)不思議なもので、「僕」も「君」も、ひとりの人間の中に同居しているものである。ひとりの人間の中に、気を落としている「君」とそれを励ます「僕」がいる。ひとりの人間の中に、悲観的な「君」と楽観的な「僕」がいる。「僕」は一所懸命に「君」を励ます。「僕」は肯定的で希望を失わない。人が云々しても気に留めない。自分の決めた道をひとりゆく。「君」は周りに気を遣う。人の視線が気になる。繊細で傷つきやすい。一旦気落ちすると、なかなか元気を取り戻せない。つらいとき、悲しいとき、励ますのは「僕」で、励まされるのは「君」だ。「僕」はいつも「君」を元気づけようとする。ひとりの人間は、「君」だけでできていないし、「僕」だけでもできていない。「僕」と「君」とが合わさってできている。
  
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2016年10月17日

なぜ残業は減らないのだろうか (PF633)

4c0cea88.jpg入社2年目の社員が長時間労働の末、うつになり投身自殺した。やるせないニュースである。生真面目な新入社員は、どこまで根を詰めて仕事をやればいいのか、仕事と健康のバランスはどうやって取るのか、よく分からなかったのかもしれない。周りの諸先輩はどうしていたのだろうか。諸先輩が新人に教えるべきことは、仕事だけではないはずだ。長い社会人生活を充実させるために、中長期的な視野からアドバイスすべきであろう。健康管理を含めた生活全般をアドバイスすべきであろう。

うつになったり、自殺に至らなくとも、多くの会社で長時間労働の悪弊が蔓延しているのは事実である。筆者は邦銀の国内支店に勤務していたときに結婚し、その直後、上司から「結婚したら、早く帰宅したら駄目だ」と言われたのを覚えている。理由を訊いたら、「早く帰宅すると新婦が誤解するから。銀行は帰りが遅いということを理解してもらわないといけない。」と言われた。筆者は怪訝に思った。「せっせとやるべきことをやって、早く家に帰ればいいじゃないか」と内心思ったが、当時は口には出せなかった。

プロジェクトファイナンスの仕事をやっていると、海外との電話会議がある。あるとき案件の打ち合わせで、午後9時から電話会議が行われることになった。北米から参加する人がいるので、開始時間が遅いのは仕方がない。上司が「今日は電話会議が終わるまで帰れないな」と言っていたので、自分は午後9時までに帰宅して電話会議は自宅から参加する旨申し出た。そうしたら、その上司が電話会議は会社から参加すべしと言い張る。理由を問うと、上司は言葉に詰まった。思いつきのように、「会社からの参加者の間で身振り手振りでコミュニケーションが取れるからだ」と言った。

筆者は残業は嫌いである。部下にも残業をさせないようにしている。残業が嫌いなのは、仕事が嫌いだからではない。仕事以外の自分の生活を大事にしたいからである。平日夜遅くに帰宅して就寝するだけ、という生活は空しい。そういう生活振りでは創造的な発想はできない。仕事にも生活にも創造性を失いたくない。新しいアイデアや意欲は心身ともに充実してはじめて出てくるものである。

思えば、米国に駐在していた30代の頃に、無駄な残業はしないという意識が強く芽生えた。平均的な米国人から、仕事と生活のバランス感を学んだ。米国駐在中に東京に電話を掛ける際、夜なら自宅から掛ける、あるいは米国の早朝に掛ける(東京の人は遅くまで会社に残っているので)など工夫をした。帰国後十数年経つが、残業は極力しないという仕事のやり方をいまでも続けている。

外資系金融機関に勤務する人は邦銀に勤務する人よりも残業が多いのではないか、と訊かれることがある。確かに邦銀マンよりも、もっと長時間労働の人が外資系金融機関にはときどき居る。しかし、筆者の見るところ、残業をする理由や動機は大きく異なる。どういうことかというと、邦銀で残業している人の多くは、周囲の人や上司も残業しているので自分ひとり早く帰れる雰囲気ではないという。一方、外資系金融機関で残業している人の多くは、単に仕事が終わらないから残業している。従って、仕事が終わり次第帰宅する。仕事が繁忙でなければ残業しない。周囲の人や上司はあまり関係ない。

「周囲の人や上司も残業しているので自分ひとり早く帰れる雰囲気ではない」という残業の理由や動機は、果たして麗しいことなのか、それとも不合理で馬鹿げたことなのか。日本人の働き方を早く見直さなければいけない。
  
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2016年10月11日

理想は水の如く (PF632)

34002372.jpg今年春先から司馬遼太郎の作品を読み続けている。ちょっとしたきっかけで同氏の戦国時代ものの作品に興味を持った。この半年の間にだいぶ読むことができた。『国盗り物語』(斎藤道三、織田信長)、『新史太閤記』(豊臣秀吉)、『関ケ原』、『城塞』(大坂冬の陣、夏の陣)、『覇王の家』(徳川家康)、『豊臣家の人々』、『功名が辻』(山内一豊)、『夏草の賦』(長曾我部元親)、『播磨灘物語』(黒田官兵衛)。

因みに、元首相小泉純一郎氏の好きな小説は『国盗り物語』、『新史太閤記』、『関ケ原』、『城塞』の4作品だという。「権力闘争とはこういうものかと分かる。どんな哲学書や政治関係の本よりも面白く、得ることが多かった。」

信長、秀吉、家康の人物像はそれぞれ興味深い。信長は天才肌で、前例にとらわれず新しいものに目がない。現代風にいえば起業家精神旺盛だ。しかし、人使いが荒く非情で、人徳に欠ける。部下の明智光秀に討たれて非業の死を遂げるのは、その人格の苛烈さのためであろう。現代に信長のような上司がいたら、やりきれない。

秀吉は信長の草履取りから立身した。人たらしの才能は群を抜く。人の機微を察知する能力も高い。家柄や出自が問われた当時でも成功したので、現代でも成功するタイプだ。秀吉のような上司には仕えやすいかもしれない。同僚だったら、要領の良さや芝居掛かった演出に辟易するかもしれない。晩年の秀吉は愚策が多く、醜い。親族に優れた者がなく、豊臣家は実質秀吉一代で終わる。

家康は深慮遠謀がきく。信長、秀吉の時代を凌ぎ、高齢になってから天下を取る。そして、徳川時代の礎を築く。あとから振り返って見れば、信長も秀吉も、家康のために出てきた人物のように見えなくもない。家康のような上司にも仕えやすいかもしれない。信長、秀吉に比べれば常識的な判断をする。同僚としても信頼が置けそうだ。家康は常に健康に留意し、飲食に気を付け、運動のため鷹狩りをし、薬の調合も自分でしていた。もっとも、司馬遼太郎は家康が好きではないようだ。大阪夏の陣冬の陣で豊臣家を滅ぼす過程では、家康の陰気で腹黒いところが露出した。

司馬遼太郎の戦国時代ものを読んでいて、一服の清涼剤のような爽やかな気持ちになるのは信長、秀吉、家康の物語ではない。山内一豊を描いた『功名が辻』、長曾我部元親を描いた『夏草の賦』、黒田官兵衛を描いた『播磨灘物語』などである。特に黒田官兵衛の生き方や人物像は印象に残る。司馬遼太郎は『播磨灘物語』のあとがきで、「黒田官兵衛という人物がかねて好きで、好きなままに書いてきた。」とも「友人に持つなら、こういう男を持ちたい。」とも書いている。

黒田家に関連するエピソードがいくつか知られている。ひとつは現在の福岡(当時筑前)の命名である。黒田家は備前(岡山県)にある福岡というところの出身のため、筑前に封ぜられてそこを福岡と地名を変えた。しかし、現在に至っても博多と福岡の地名が混在している(福岡空港やJR博多駅など)。もうひとつは「酒は飲め飲め飲むならば….」の黒田節は黒田家の子飼い母里(もり)太兵衛という者の酒の飲みっぷりの良さに由来している。さらに、『養生訓』(1713)を著わした貝原益軒(1830-1714)は黒田家の家臣である。

黒田官兵衛は晩年隠遁し、如水(じょすい)と号した。水の如く、という意味である。如水という号については、司馬遼太郎が『「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」(世間からとやかく言われることもあろうが、心は水のように清い[筆者])という古語からとったのであろう。あるいは「水ハ方円ノ器ニ随ウ」(水はいかなる形の器にも合う[筆者])という言葉を典拠にしているのかもしれない』と推察している。

筆者にはもうひとつの古語が思い浮かぶ。「君子の交わりは淡くして水の如し」(荘子)である。人との付き合い方は、べたべたした、愚痴をこぼし合うようなものではなく、水のように淡く、しかも情熱や使命感を共有できるような関係が理想である。

約4世紀前の人物ながら、黒田官兵衛の思考方法や生き方は現代人の我々にも参考になる。水の如く清い心を持ち、いかなる形の器にも合わせることができ、水の如く人付き合いをする。理想である。







  
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2016年10月03日

副業解禁はいつになるのだろうか (PF631)

774d96b4.jpg先日「社外活動申請書」というのを勤務先に提出した。この申請書は、業後、週末、休暇などに社外でボランティア活動や個人で他の仕事(副業)を行っている社員が提出するもので、その内容を会社に申告し承認を得るものである。筆者はときどきセミナーや研修会の講師を引き受けることがあるので、同申請書を提出した。筆者の申請書は首尾よく承認された。しかも、上司からは「会社の社会的評価にもプラスになるので、頑張ってほしい。応援する。」と大いに励まされた。有り難い限りである。

この社外活動申請手続きは、会社の業務と個人の活動の間に利益相反がないか、また個人の活動内容は会社の評判に悪影響を与えるようなものではないか等を確認するためのもので、それぞれに問題なければ原則承認される。筆者のケースのように、むしろ上司から激励され奨励されることも少なくない。日本以外の先進国の企業では、社外活動は報酬の有る無しに関わらず認められるのが普通である。活動内容によっては、社内で喧伝されたり上司から奨励されたりする。

ピーター・ドラッカーは、知識労働者(ホワイトカラーと言ってもよい)はある程度の年齢になったら勤務先の仕事とは別に、積極的に社外活動を行うべきだと主張している。社外での活動が、人脈や興味を広げ、本来の仕事にも好影響を与える。自分の活動の幅を広げることが、視野を広げることになり、広い意味でのリーダーシップを養う。会社だけで終始過ごすのは、自分の成長を妨げる。その会社でしか通用しない人間になってしまう。

先般知り合いから、シンジケート・ローンについて研修会の講師をできる人を探しているが、誰か紹介してほしいと相談を受けた。「邦銀メガバンクに現役の適任者が大勢いらっしゃるんじゃないですか。」と答えたら、「現役の邦銀マンは会社から承認を取るのが大変なので、社外で講師をやらない。」と説明された。なるほど、確かに筆者が邦銀に勤務していたときもそうだった。調査畑の人やシンクタンクの人は例外だと思うが、通常の現役邦銀マンは社外活動はしない(実質できない)。

終身雇用を特徴とする日本の会社では、多様な働き方が認められていない。会社員が置かれている状況は過酷なところさえある。終身雇用に起因すると思われる悪弊が随分指摘されるようになった。長時間労働、有給休暇消化率が低い、同一労働同一賃金になっていない、50代中頃以降賃金が激減する等々。さらに、上記のように、兼業や副業が原則禁止されている。中小企業庁の委託調査によると、兼業・副業を容認している日本企業はわずか4%に過ぎないという。96%の企業は兼業・副業を禁止している。日本の企業は原則兼業・副業禁止ということである。

例えば、自宅の空き部屋を宿泊施設として提供する「民泊」も、会社員が行えば副業になる。自家用車で人を運ぶ「ライドシェア」も、会社員が行えば副業になる。「民泊」も「ライドシェア」も、日本での本格導入にはまだ時間がかかりそうだが、仮に導入したとしても日本の会社員は原則副業が禁止されているので、できないということになる。日本の経済全般が低成長なので、会社員の待遇もいまや低成長である。そういう状況にもかかわらず、終身雇用制度の枠組みを温存させ修正をせず、兼業・副業を認めないというのは、どういうものだろうか。

厚生労働省の有識者会議「働き方の未来2035」が8月に兼業・副業の解禁を提言したという。経済同友会も兼業・副業禁止の緩和につき同調したという。兼業・副業の解禁が議論されるようになったのは、日本の会社に勤める会社員には朗報である。もっとも、官庁や経済団体に言われなくとも、兼業・副業の禁止は各会社の就業規則に定めているだけなので、各会社の判断で解禁はすぐにでもできるはずだ。リーダーシップを自負する経営者なら、兼業・副業の解禁を一刻も早く決断すべきであろう。

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日本経済新聞2016.10.2朝刊『けいざい解読 – 相次ぐ兼業解禁論』を参照した。
  
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2016年09月26日

部下を持ったら、マンスリー1:1ミーティング (PF630)

24bc622f.jpg外国人の上司に仕えるようになって10年になる。この間複数の外国人上司と仕事をしてきたが、彼らのリーダーシップやコミュニケーションの取り方には学ぶものがある。外国人上司は日本語ができないので、英語でやり取りする。上司から見れば、部下の母国語は英語ではない。上司と部下の母国語が異なる。それでもコミュニケーションを取り、信頼関係を築き、一緒に仕事を進めなければならない。仕事で成果を出してゆかなければならない。

外国人上司それぞれに個性はあるが、彼らがほぼ共通して行っている職場での慣行がある。それは直属の部下と定期的に1対1で30分ほど面談を持つことである。頻度は1か月に1回ということが多い。従って、これをマンスリー1:1(ワン・トゥ・ワン)ミーティング(Monthly 1:1 Meeting)と通称する。

マンスリー1:1ミーティングで何を話しするのか。実は議題は決まっていない。たいがいの上司は、議題は何でもいいと言う。部下に任せる。そう言われても、業務時間中に行われるので世間話で済ますわけにはいかないと思い、部下は仕事の話しをすることが多い。仕事の話しが過半を占めるが、この機会を利用して仕事上の問題や新しい仕事の相談、あるいは会社の方針や他部署の話し、さらにプライベートな話題に及んでもいい。

マンスリー1:1ミーティングの目的は、上司と部下のコミュニケーションを活発にし、信頼関係を高めるのが目的である。何を考えているのか分からない人と、一緒に仕事はできない。ましてや、いい仕事をしようと思えば、上司あるいは部下のことを良く理解していないといけない。相手を理解し、また自分を相手に理解してもらう。仕事上のことはもちろん、プライベートに関わることであっても仕事に影響を与えるのであれば、その事情を相手に理解してもらった方がいい。

マンスリー1:1ミーティングの効果は極めて大きい。従って、筆者も自分の部下に対して行っている。日本の会社員の多くは、職場のコミュニケーションと言うと、すぐに「ノミニ(飲みに)ケーション」を連想する。酒を飲んで仲良くすることが悪いとは言わないが、ノミニケーションはコミュニケーションの唯一の方法ではないし、けして優れている方法でもない。

マンスリー1:1ミーティングは、他の会社に勤める知り合いにも勧めたことがある。先般そのうちのひとりから、嬉しいフィードバックがあった。いわく、「最初は部下が訝っていたが、2回目3回目になると、効果が出てきた。これはすごい。そして、部下の中にはマンスリー1:1ミーティングをさらにその部下に始めたものも居る。」

上司と部下は、部下の業績評価のために1対1で話し合いを持つ機会がある。少なくとも年に1回ないし2回。業績評価のプロセスの一環なので、この1対1の面談はどこの会社でもたいがい必須である。しかし、上司の側も、そして部下の側も、年に1回か2回面談を持つ程度で、お互いに何が分かるのだろうかと思う。そして、年に1回か2回だけ1対1になるものだから、お互い緊張し、落ち着かない。機微に触れるほど思うように話せはしない。年に1回の健康診断のような面倒臭さも感じる。

しかし、1対1の面談を普段から定期的に行っていると、見えてくる景色はだいぶ異なってくる。上司も部下も、所詮ひとりの人間である。ひとりの人間とひとりの人間との関係ができてくると、仕事の意欲も変わる。お互いに相手を信頼することもできる。コミュニケーションを取るとはこういうことか、という実感を持てる。

「学生が就職するときには会社を選んで入社を決めるが、辞めるときには上司が嫌いで退職する」と聞く。部下を持ったら、マンスリー1:1ミーティングを行い、部下との真摯なコミュニケーションを持つようにするといいかもしれない。
  
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2016年09月20日

やりたいことがあるか、それは役に立つか (PF629)

20dd1373.jpg自分の子供たちが成長してくると、相談内容も複雑になってくる。大学進学の相談はもちろんのこと、就職の相談や将来のキャリア設計の相談になると、答えは単純ではない。答えは一つでもない。そもそも何がやりたいのか、何が好きなのか、何が得意なのか。そういうところから話を始める。

「好きなことをやればいいの?」と聞き返されるけれども、まずは好きでなければ、なにがしか興味がなければ、とても続けられまい。続けられなければ、一人前にはなれない。一人前になるためには苦しいこともあるけれど、これは自分が好きなことだから、自分で選んだことだから、という強い思いがあれば、苦しいことも乗り越えられる。

何がやりたいのか、何が好きなのか、何が得意なのかと子供たちに問うとともに、もう一つ付け加える。それは、そのやりたいこと、好きなこと、得意なことは、人や社会に役立つことができるかどうか。人や社会にいくばくかでも役立つことであれば、やりがいも感じる。きっと報酬を得ることもできる。やりたいこと、好きなこと、得意なことをやるだけでは、いつか壁にぶつかる。そういうときに、人や社会に少しでも役に立っているという実感があれば、壁を乗り越え続けることができる。

先日還暦間もない友人と食事をとりながら話をしていた。友人は金融マンを30年弱やり、50代初めに取引先のメーカーに転籍した。そして、最近転籍先の同メーカーで、還暦後の雇用について説明を受けた。60歳から65歳までの5年間、本人が希望すれば仕事は続けられる。しかし、60歳から61歳までの給与水準は現行の約7割。1年後の61歳以降65歳までの4年間は現行の約4割。

友人いわく、「60歳からの1年間は給与が現行の約7割なので仕事は続ける。しかし、61歳以降は現行の約4割にしかならないから、仕事を続けるかどうか分からない。」友人の悩みは、もし61歳以降仕事を止めたとしても特段やりたいことがないことだという。毎日自宅にいても退屈であろう。旅行は好きだけれども、家内は旅行が嫌いなので、行くなら一人になる。一人で旅行に行っても面白くなかろうともいう。

40年近く会社員生活をやってきて、退職後どうしたらいいか分からないという人は実は少なくない。やりたいこと、好きなことは特にないという人はかなり重症である。仮にやりたいこと、好きなことがあったとしても、自分だけが楽しければいいということでは、退職後の長い時間を過ごすのには物足りない。自分も楽しみ、かつ人や社会にも少しでも喜んでもらえると嬉しい。会社を退職後ボランティア活動に精を出す人は、そういう人や社会からの肯定的な反応が嬉しいからであろう。人は何歳になっても、人や社会からの肯定的な反応が必要だ。自分が生きているという実感が持てる。自分の存在感を感じられる。やりがい、生きがいを感じられる。

大学進学や就職の相談のときに子供たちと話しをしたことは、何がやりたいのか、何が好きなのか、何が得意なのかという点と、それは人や社会に役立つことができるかという点であった。この二つのポイントは、奇しくも会社退職後の生活や人生を考えるときにもそのまま当てはまる。会社退職後の生活や人生を考えるときも、なにがやりたいのか、何が好きなのか、何が得意なのか、そして、それは人や社会に少しでも役に立つのか、あるいは人や社会に喜んでもらえるものなのかを検討してみる。

子供たちに話すときにはいわばキャリア設計という文脈で話をするけれども、退職に近い会社員にとっては退職後の人生設計ということになろうか。基本的な考え方はどちらにも通底している。
  
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2016年09月12日

合法的な独占者 (PF628)

82aa7ca3.jpg先般市役所から通知が届いた。先に郵送した某申請書につき訂正を要する箇所があるので、印鑑を持参して来訪頂きたい由。市役所は一部の部署が昨今土曜日も利用できるようになった。住民票の発行等の比較的簡便な取り扱いは土曜日に利用できる。しかし、筆者の申請書の件は土曜日に対応できないことが分かった。仕方がないので、平日休暇を取って市役所を訪れた。

申請書訂正のため印鑑持参の上訪問した旨伝えると、市役所の担当者は筆者が郵送した申請書を取り出してきた。「ここに訂正用の押印を」と指で書類を示す。指が指し示す場所は申請書右上の日付である。筆者が記載した年月日が翌日の日に訂正されている。妙な気がしたので、「どうして翌日に訂正しなければいけないのでしょうか」と尋ねた。そうすると、市役所の人は「当方で受領したのは翌日だからです」という。申請書下部には翌日の日付の入った市役所の受領印が押印してあり、市役所の人はそこを指で示す。

「ちょっと待ってください。この申請書は郵送したんですよ。郵送受付可とありましたので。郵送している以上、申請書の日付と受領日が一致しないのは普通じゃありませんか」と筆者。市役所の担当者は申請書に目が釘付けとなる。上司を呼んできた。上司が「誠に申し訳ございません。日付の訂正は必要ありません。」と陳謝してきた。

「私は会社の有給休暇を取ってここに来ているんです。印鑑を持参せよという通知を受けたので。一体どういう仕事をしているんですか。申請書の日付と受領日の不一致を探してどうするんですか。もっと中身のある仕事をしてください。」心底腹が立った。一体どういう視点で申請書をチェックしているのだろうか。申請書の日付と受領日の不一致を探すことにどんな意味があるのだろう。

こういうエピソードは公的機関によく起こる。作業者は作業の目的を理解しているのだろうか。何のために、何をチェックしているのか。さらに言うと、彼らは社会の中で独占的存在で、競合者がなく競争に晒されていない。いかに非効率で不合理な仕事振りでも、淘汰はされない。資本主義では放任しておくと独占者を生む弊害があるので、独占禁止法等で独占者を排除している。しかし、公的機関はいわば合法的な独占者で、そのためその仕事ぶりが非効率で不合理であっても、極端にひどくなければなかなか改善されない。

公的機関は国民の税金で運営している。国民の利益のために存在している。同様のサービスを提供する競合者はほぼ皆無で、独占的存在でもある。公的機関にこそ、民間会社同様あるいはそれ以上のカバナンスが必要だ。しかし、残念ながら公的機関のカバナンスは無きに等しい。公的機関の仕事振りを効率的にするのを、各職員個人の規律や意欲に期待するのは到底無理がある。
  
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2016年09月05日

図書館が自宅近くにある幸運 (PF627)

5da838b6.jpg図書館の愛用者である。毎週末には図書館に行く。借りている本を返却し、予約した本を受け取る。時間があれば、そのまましばらく図書館で過ごすこともある。自宅から歩いて数分のところに最寄りの図書館がある。いまから十数年前に新設された。7年間の海外勤務から帰国すると、その図書館が出来上がっていた。生涯での幸運は多くはないが、自宅近隣に図書館ができたというのはそのうちの一つである。

社会人になってまもなく、夏目漱石の全集(岩波書店)と太宰治の全集(筑摩書房)を購入した。給料をもらうようになったら買う、と学生時代から決めていた。しかし、社会人生活は忙しく、買った全集を読む暇はない。海外勤務に赴任する際には、段ボール箱に詰めて国内の倉庫に預けた。帰国後引き取ったが、全集の入った段ボール箱は開けることなく部屋の隅に積み上げたままになった。

自宅に全集を陳列する場所はもはやないと悟り、図書館に寄付することを考え付いた。自宅近隣に新設された図書館に行って相談をした。筆者から寄付の唯一の条件として、寄付した全集を同図書館に置いてほしいとお願いしてみた。市内には複数の図書館があるが、他の図書館ではなく自宅近隣の図書館での保管をお願いした。そうすれば自分が読みたいときに読める。しかし、図書館の人は「条件付きで図書の寄付は受けられない」とにべもない。要らぬ図書を図書館に寄付する人が多いのかどうか知らないが、図書館の人の取り付く島の無い応答には閉口した。

図書館には利用者の声を聞くため、利用者の意見を募る箱がある。もう随分前になるが、筆者も意見した。ワープロで意見書をまとめ、「祝日も開館してほしい」と。近隣には会社員が多く住んでいる。平日より週末や祝日の方が図書館の利用者が多い。利用者の多いときに開館し、少ないときに閉館するのが合理的である。従って、祝日は開館した方が利用者の便宜に叶う。代わりに平日に休館する。

意見書には住所、氏名、電話番号も記したが、図書館からなんの音沙汰もなかった。真摯に提案しているのに、無反応というのは失礼である。それから10年以上が過ぎて、図書館で祝日開館の試行が始まった。つい昨年のことである。昨年祝日に2回だけ開館した。案の定祝日開館の効果は良かったと見え、今年は元旦以外のすべての祝日に開館するという。

もっとも、図書館のお知らせをよく読むと、今年もまだ「試行」だという。元旦以外のすべての祝日に開館すると決めたのかと思いきや、「試行」だという。図書館関係者の過度な慎重さに苦笑する。「試行」だとことさら用心深く強調しなくても、祝日開館の効果がなくなったときには取りやめても構わない。運用は柔軟にすればいい。しかし、筆者の見立ては、周辺の住民に会社員が多い限り、平日より祝日の方が相対的に図書館の利用者が多いはずである。やや大げさに言えば、周辺住民の人口動態が変わらない限り、祝日開館の効果は続くはずである。人口動態は数年では変わらない。

全集寄付の話しといい、祝日開館の話しといい、図書館関係者のお堅い対応には感心しない。柔軟性の欠如や創意工夫の欠落は公営の悪いところである。そういう不満はあるものの、自宅近くに図書館があることを幸運に思う。
  
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2016年08月29日

あきらめたらあかん (PF626)

99ea0b28.jpg東海大学名誉教授の唐津一氏が今月(8月)亡くなられた。新聞が小さな記事で報じていた。享年97歳。唐津氏が逝去されたという報に目を奪われたのは、つい先日唐津氏の文章を読んだからである。それは西堀栄三郎氏の『石橋を叩けば渡れない(新版)』のあとがきの文章である。

西堀栄三郎氏は1989年に亡くなられているが、同氏の発想は豊かだ。肝も据わっている。そもそも書名の『石橋を叩けば渡れない』が同氏の発想のユニークさを表している。新しいことに取り組む際、あまり慎重になりすぎたら着手できなくなってしまう。できる限りの準備はするが、その準備が整ったら果敢に実行する。実行している最中にいろいろな問題にぶつかるのは当たり前。そのときは冷静にかつ臨機応変に対応する。どんな問題にぶつかっても、あきらめるな。「あきらめたらあかん」が口癖だった。西堀氏は京都の出身である。

同氏は昭和30年代日本初の南極越冬隊の隊長を務めた。南極で日本人12人が約1年間滞在し、当地で冬を過ごす。できる限りの準備をして南極に入ったが、長い滞在期間中予期しないことが起こる。車両を1台持って行って、南極で利用した。あるときキャンプ地からその車両で遠出した際に、遠方で車両が突然止まってしまった。見ると、車輪周辺の部品が逸失している。周辺を捜索しその部品を探したが、見つからない。仕方がないので、自分たちで修理を施すことにした。修理ができないとキャンプ地に戻れない。車両に付属していた類似部品を取り外し工具で加工して、逸失した部品の代替にした。「あきらめたらあかん」と隊員達に言い聞かせた。

南極越冬中、燃料としてドラム缶で灯油を持ち込んでいた。灯油の入ったドラム缶を移動させるのは大変だ。男数名で力を合わせて運ぶ。あるとき、隊員達と議論をしていると、ドラム缶の移動は重労働なので、パイプで灯油を運ぶことはできないかと提案する者があった。西堀氏は「それはいい考えだ」と推した。西堀氏いわく、部下の発案は潰すな。まず「それはいい考えだ」と励ます。しかし、パイプに類するものは手元にない。「なければ作ろう」と誰かが言うと、別の者が「氷で作ればいい」と言った。しかし、氷ではすぐ折れる。折れたら、貴重な灯油を失う。「折れないように、氷に繊維を混ぜよう」とまた誰かが言う。「包帯なら沢山ある。幸い怪我人が出ていないので、包帯が余っている」と別な者がいう。こうして包帯を核にした氷のパイプが出来上がった。この氷のパイプはその後大変重宝したという。

西堀氏は強調する。南極に行く前にできるだけの準備をした。しかし、現地で生活を始めると、予想していなかったことが起こる。予想していなかったことが起こるのは避けられない。その際に動じてしまうか、冷静になれるかが重要である。冷静になって、対処を考える。考え抜けば、必ずなんらかの解決策が出てくるはずである。あきらめてしまったら、何も出てこない。だから、「あきらめたらあかんのや」。

西堀氏の著作を教えてくれたのは、実は慶應義塾大学教授清水勝彦氏の近著『あなたの会社が理不尽な理由』である。経営学者の清水氏は、同書で経営学者以外の人が書いた本を採り上げ、経営学者の目で評論している。西堀栄三郎氏に加え、河合隼雄氏の本や増田弥生氏・金井壽宏氏の共著『リーダーは自然体』などを採り上げており、対象にした本は良書が多い。


  
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2016年08月22日

話しを聴いて背中を押してあげる (PF625)

2e1753aa.jpg今から1年ほど前のことである。ある企業に勤める人からメールが届いた。メールの発信人の名前に見覚えはない。メールの内容を読むと、半年以上前に同企業の社内研修会の講師を筆者が引き受けたときに、同社内研修会に参加した方だということが分かった。用件は今度一度面談の機会を設けてほしいというものだった。面談にはメールを発信した方とその同僚と二人で参加するという。面談の申し出は快く引き受けた。

面談の日がやってきた。会ってみても二人の顔にあまり見覚えはない。社内研修会には100名近くが参加していたので無理もない。仮に二人をAさんとBさんとしておく。二人ともまだ20代後半である。面談の目的は社内研修会の内容に関連した質問かと思いきや、そうではなかった。二人とも今後のキャリア形成についていろいろ悩んでいた。二人の話をよく聴いてあげた。そして、参考になるかどうか分からないが、筆者の拙い経験も話した。

二人とも大変優秀な方々で、そして自分のキャリアを真剣に考えている。真剣に考えているからこそ、悩むのかもしれない。二人とも非常に堅実な考え方をしていたので、筆者はただただ二人の話しを聴き、励ましてあげた。「自信を持って自分の思っていることを実行したらいい。仮に少々失敗したとしても、気にすることはない。案ずるより生むが易し。行動してみれば、きっと道が拓ける。自ずと自信も付いてくる。」二人とも明るい表情になって帰っていった。

初めての面談から数か月したころ、またメールが届いた。もう一度面談することになった。たまたま昼食の時間帯になったので、二人に食事をご馳走しながら再び話を聴いた。前回よりも内容が深まっている。二人の考えもより具体的になっている。それでもまだ踏み出す勇気が足りないようだ。二人の話しに耳を傾けたうえで、二人の考えている計画に太鼓判を押してあげた。「それでいいから、精一杯やってごらん。一歩踏み出してごらん。困ったらまた相談に乗ってあげるから。」

つい先日Aさんから連絡があった。2回目の面談から半年以上過ぎている。筆者も二人のことは脳裏から離れつつあった。Aさんは現在の会社内で希望の仕事に就くことができたという。報告方々御礼の連絡である。

それから数週間ほど後に、Bさんからも連絡があった。相前後して奇遇だと思った。Bさんは転職を真剣に考えていたが、今般海外勤務の発令を受け海外に赴任することになったという。海外勤務なら成長の機会も沢山あり、転職の考えは一旦棚上げするという。これも報告方々御礼の連絡である。

元来AさんもBさんも優秀で真剣に自分のキャリアと向き合っているので、筆者から見ると当然の結果に思える。筆者はほとんど何もやっていない。ただ二人の話に耳を傾けてやり、二人の計画に賛同し、「やってみたらいい」と背中を押してあげただけである。

20代なら人に話を聴いてもらい背中を押してほしいということはままある。自分が目指していることは間違っていないということを確認したいはずだ。若い人の話に耳を傾け、勇気づけてやり、そっと背中を押してあげる。そういう役割を、これからも果たせるといい。
  
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2016年08月15日

人との関係は物理的な距離ではない (PF624)

f5e53f7f.jpg日々顔を合わせる職場の人でも、会釈や挨拶はするけれども、内容のある話をしたことがないという人がいる。昔近くで仕事をしたことがあるのに、その職場を離れると以後お付き合いをすることはなかったという人がいる。週末にテニスをやっているので、10名余のテニス仲間がいるが、テニス以外の話を深くしたことがないという人がいる。双方共、これ以上立ち入った話はしても仕方ないという推測が自ずと働くのであろうか。他愛のない話で、時間と空間を埋める。

他方、初めて会っても、昔から知り合いだったかのように話しが弾む人がいる。再度会ってみたいと思う人がいる。興味や感情が重なり合う。知的刺激も受ける。同じような考え方や同じような感性に、お互い驚く。しばらく会っていないと、先方が連絡をくれたり、こちらから連絡をしてみたりと、お互い察するところがある。10年以上もそういうお付き合いをさせてもらっている人がいる。

人と人の関係というのは魔訶不思議である。人と人との関係というのは、どうも物理的な距離とはほとんど関係がないようである。毎日顔を合わせていても、興味や感情が重なり合うことがなければ、何年経っても関係が深まることはない。数か月に一度程度しか会うことはなくとも、会うと話が弾み、時間の過ぎるのを忘れてしまうような人がいる。

この両者のケースを分け隔てているものはなんなのだろうか。自分と共感・共鳴する人の特徴はなんなのだろうか。いくつか思い当たるものはある。けれども、言葉に表現してしまうとあまりしっくりこない。言葉に表現しても、第三者に上手く伝わる自信がない。言葉で表現し切れない要素がありそうである。感覚や感性の領域かもしれない。

若い頃はこういう人と人との関係がよく理解できず、物理的に距離が近いのに親密になれないと少々気後れすることがあった。先方に原因があるのか、当方に原因があるのか。当方に原因があるとすると、それはどういうところか。考え込んでしまったりする。考え込んでも、解決の糸口は見つからない。自分の好みが偏っているのだろうかと、ひとり心配になったりもする。

しかし、興味や感情が重なり合わなければ、共鳴・共感するところがなければ、物理的に近い距離にいるからと言って、人は親密になるわけではない。会釈や挨拶、他愛のない話程度で終始してしまうのは仕方がない。人と興味や感情が重なり合い共鳴・共感するのは当人にとっては結果的に必然に感じるが、一方で人と物理的に近い距離にいるのはただの偶然ではないか。そういう風に考えると、無暗に悩まなくてもいい。こういう考え方が正しいかどうかはともかく、世を凌ぐ処世術としてはいくばくかの意味があろう。

熟達した大人たちは、きっとこういうことを理解しているのであろう。おくての筆者は達観するまで随分時間がかかった。
  
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