2017年12月11日

勉強会修了 (PF693)

b3d009d7.jpg凝縮された、充実の3か月間が終わった。某大学主催の勉強会のことである。この勉強会は学生から社会人まで広く対象にしている。講師を迎えて講義を聴く、いわゆる座学だけではない。講義に加えて、グループを作り社会問題を解決する提言を作成するというグループワークもある。グループのメンバーの組成は主催者側が行い、学生と社会人とがバランス良く混じるように構成される。

筆者のグループには学生3名、小生を含め社会人4名の合計7名。他グループを見ると、学生は3、4年生の上級生や大学院生がほとんどであるが、当グループは1年生と2年生である。小生以外の3名の社会人も若い。当初の懸念は3か月間を経ても杞憂に終わることがなかった。当初の懸念とは、このメンバーで社会問題への提言に取り組むのはかなり困難であろうということ。

筆者はひとり年齢が突出していたので、グループ内の後見人やファシリテーターのような役割を自認していた。始まってしばらくすると、社会人の一人がグループを主導するようになった。筆者の期待するところである。若い人たちが自分たちだけで進めるところまで進めてもらうのは筆者の理想である。ところどころで機を見て背中を押し、手を貸す、というのが理想である。

しかし、2カ月が経過すると、グループ内が分裂状態になる。主導した社会人の個性が強過ぎるのが原因のようである。主導した社会人の知力は高いが、それに過信してやや強引、傲慢なところが見え隠れする。ときに言葉に棘がある。その棘に当たった者は気持ちが離れる。筆者自身も棘に当たったことがあるので、気持ちが離れる人の心情は察して余りある。

さらに、社会問題への解決案を提言する提言書を作成する際の基本構成については事前配布書類で説明されているにもかかわらず、グループメンバーはその配布資料を十分熟読・理解できていない。グループメンバーは迷走、分裂に陥った。

最終締め切りの約2週間前に、僭越を承知で筆者がさりげなく取りまとめを行うことにした。そして、最悪シナリオをメンバーに警告しておいた。最悪シナリオとは、「提言書完成しませんでした」と頭を下げることである。筆者としては、脅かしているのではなく、その時点では本当に50%程度の確率で最悪シナリオになると思っていた。それほどグループの状況は芳しくなかった。

相前後して、主催側事務局から筆者に連絡が入った。修了式で代表挨拶をしてほしいとの要請である。名誉なこととは思ったが、自分のグループが提言書を完成できないかもしれないという危機の真っ最中だったので、受諾するのに逡巡した。もっとも、逡巡し、考え続けても仕方ない。回答を長く保留もできない。そこで思い切って腹をくくった。「両方やり遂げよう」と。グループの提言書も取りまとめ、修了式の代表挨拶もやる。実は、締め切り直前の1週間はセミナー講師の仕事が2つ入っていた。このタイミングでセミナー講師の仕事を2つ入れていたことも、代表挨拶受諾を逡巡した理由である。

セミナー講師、提言書完成、修了式代表挨拶、幸いなんとかすべてをやり遂げることができた。「やろうと思えば、できる」と修了式から帰宅する帰路、ひとりしみじみと充実感を味わっていた。しかし、すべてをやり遂げたあと、身体は重く、頭があまり働かない。帰路の電車の中で意識を失うほど眠りに落ちていた。
  
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2017年12月04日

多読・精読・濫読(43) (PF692)

a7f02c1c.jpg●山本太郎『抗生物質と人間』
著者の山本太郎氏は長崎大学熱帯医学研究所教授で、人間の体内に存在する細菌や感染症の研究をしておられる。これらに関わる一般向け著書が面白い。なぜ面白いかというと、我々の先入観や通念が覆されるからである。

例えば、抗生物質は風邪などのウイルスには効かない。理由は、ウイルスが生物と無生物の間を彷徨う存在であり、抗生物質の標的となる細胞壁や細胞膜を持っていないからである。ウイルスが抗生物質の標的となる細胞壁や細胞膜を持っていないという説明は、素人にはちょっと分かりにくい。しかし、抗生物質がウイルスに効かないという事実は素人でも知っておいた方が良い。

しかし、多くの人が風邪などをひくと、早く治すために医師に抗生物質の投与をお願いしていないだろうか。調査をすると、40パーセント以上の大人が抗生物質はウイルスに効かないということを知らない。筆者もそのうちの一人だった。しかも、この現象は日本だけではなく、他の先進国でも同様である。本書ではイギリスの例が採り上げられている。

では、抗生物質はウイルスには効かないということを知っているはずの医師は、どうして患者から抗生物質の投与を依頼されて引き受けるのだろうか。これはどうも、抗生物質はさまざまな細菌を殺すので、身体には総じて良いことだろうという医師の通念から来ている。だから、患者から依頼された医師は敢えて断らない。この点は医師の通念である。

さて、こうして現代の人間は、抗生物質を過剰に投与している現実が浮かび上がる。抗生物質を過剰に投与すると人間は果たしてどうなるのか。体内の細菌をことごとく無くすことは本当に良いことなのか。この点が本書の要となるところである。

抗生物質を過剰に投与すると人間はどうなるのかという点について、明確な結論が出ている訳ではない。人間を相手に容易に実験はできない。しかし、抗生物質をほとんど使用していなかった時代と抗生物質を過剰に使用している現代とを比較してみると、人間の病気の傾向は明らかに異なる。例えば、現代的な病気の例として肥満、糖尿病、アレルギーなどに注目すると、これらは体内に通常存在する細菌(常在細菌)、特に腸内にある細菌が攪乱したために発生している可能性が高いという。さらに、常在細菌が攪乱されると、一般に免疫機能が異常をきたす可能性も高いという。

抗生物質の投与が人間にどういう影響をもたらしているのか、あるいは体内に通常存在する常在細菌は我々の健康にどういう役割を果たしているのか。これらの問題はまだすべて解明されているわけではない。素人でも直観されるのは、体内に通常存在する常在細菌はすべて排除して良い訳ではなかろう、人間の生物としての長い歴史の中で必然性があって体内に存在しているのではないか、抗生物質を無暗に投与して体内の常在細菌を減らしてしまうと健康を害するのではないか。こういったところである。


  
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2017年11月27日

将棋プログラマー (PF691)

740aeea5.jpg将棋プログラマーの山本一成さんは今年(2017年)31歳。山本さんが開発した人工知能(AI)将棋プログラム「ポナンザ(Ponanza)」は、今年プロの将棋名人と対戦して勝った。チェスの世界では約20年前にコンピューターが人に勝っている。しかし、将棋は相手から奪った駒を再び使用することができる、非常に複雑なゲームである。チェスの世界で起こったことが将棋の世界でも起こるまでには、相応の時間が必要であった。

学習能力のある人工知能は、複雑なゲームでも制することができる。無数の対戦記録を入力し、その入力されたデータから最適な駒の打ち方を自分で導き出す。導き出された駒の打ち方は、ときにプロ棋士が使ったことのないような手であることもある。人工知能は過去の対戦のいずれかを複製しているわけではない。自ら学習し、最適解を導き出している。これがいままでのコンピューターとは異なる、人工知能の強みである。

こうして、人工知能は将棋の世界で人を負かすことができるようになった。将棋の世界の出来事とは言え、いわゆるシンギュラリティ(技術的特異点)に到達している。シンギュラリティというのは、人工知能が人間の能力を超えることを指す。将棋のように限定された範囲のことではあるが、既に人工知能は人間を越えているわけである。

将棋と言えば、今年は中学生棋士藤井聡太君の活躍がメディアの話題をさらった。つい先日も、「昨年12月24日のデビュー戦以来10カ月29日で通算50勝を達成した」との報道が流れた。その煽りを受けてか、将棋プログラムが名人に勝ったという事実はあまり注目されていない。「人間は人間のことが大好きだから」というのが山本さんの弁である。

山本さんは東大工学部出身で、学生時代将棋部に所属。将棋もよくやったが、麻雀もよくやった。工学部の学生なのにコンピューターが苦手で、勉強しなければと思い、自分の馴染みの将棋を題材にプログラムを創ってみたのが、将棋プログラムに取り組むきっかけである。いまから約10年前のこと。当時すでに保井邦仁氏がボナンザ(Bonanza)という将棋プログラムを開発しており、斯界では知られる存在であった。ボナンザは2006年第16回世界コンピューター将棋選手権大会で優勝している。山本さんいわく、「最初に自分が創った将棋プログラムは対戦にめっぽう弱く、保井氏のボナンザ(Bonanza)に到底及ばないのでシャレでポナンザ(Ponanza)と名付けた」という。

そのポナンザ(Ponanza)が、ボナンザ(Bonanza)も成し遂げられなかった将棋名人との対戦を制するという偉業を今年成し遂げた。「名前を付けるときには気を付けましょう」と山本さんは笑った。
  
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2017年11月20日

飲酒の是非を考える (PF690)

c5881f1a.jpg日馬富士の暴行事件は未明飲酒の席で起きた。事件は昼間より夜が圧倒的に発生しやすい。そして、アルコールを飲んでいる場合はさらに事件の発生率が高い。この事件は昼間であれば起こらなかった可能性が高い。また、夜であってもアルコールを飲んでいなければ、起こらなかった可能性が高い。アルコールを飲んでいる夜は、事件が起こる可能性がもっとも高まる。

昼間は仮にアルコールを飲んだとしてもせいぜい一杯程度で、飲み過ぎはなかろう。昼間はそもそもアルコールを控える。ところが夜になると、アルコールに対する許容度がぐっと上がる。夜とアルコールの相性はとても良い。

深夜帰路の通勤電車では飲み過ぎている人を見かけることがある。静かに寝ているのなら、迷惑加減もほどほどである。しかし、飲み過ぎて嘔吐する人、酔いにまかせて駅員や他の人に絡む人、電車で座席を二人分三人分占拠している人などは甚だ迷惑である。

数年前道路交通法の改正が行われ、飲酒に起因する危険運転は重く罰せられることになった。逆に言えば、同法改正前は飲酒に起因する危険運転を重く罰する法律は存在していなかった。

仕事熱心で優秀な知り合いは、「仕事が忙しいせいか、最近アルコール量が増えている」と言う。「飲まない日がほとんどないので、アル中だね」と冗談めかして言う。アルコールを飲むことによって、気分が和らいだりリラックスできるのは利点である。また、アルコールを飲みながら、友人と楽しく過ごすのも利点である。

しかし、アルコールには依存性がある。知り合いのように、飲む頻度と飲む量が知らぬ間に増える。飲まずにいられなくなる。アルコールを飲むことが常態化し、あるときちょっとした拍子に感情の高ぶりが抑えられず、本人も自覚が薄い中で事件を起こす。それが日馬富士のようなケースではなかろうか。

日馬富士のケースもアル中を自称する知り合いのケースも、もちろん過去にも無数にあった。既視感がある。人はこういうことをこれからも繰り返すのであろうか。

筆者は自分なりに飲酒の是非を真摯に考えた。そしてしばらく前から、飲酒を一切断つことに決めた。乾杯程度のお付き合いはするが、唇を付ける程度でアルコールの入ったグラスはすぐテーブルに戻す。そして、ソフトドリンクに変える。飲酒の依存症になってからでは手遅れである。「自分は大丈夫」と思っている人に限って、危ない。依存症にならない程度に飲む、というのは理想である。しかし、果たしてどれくらいの人が理想を実現できるのであろうか。アルコール依存症になった人の中で、アルコール依存症になりたいと思っていた人は一人もいない。

我々の社会は飲酒に対して寛容に過ぎるのではないだろうか。飲酒の問題を真摯に考えれば、答えは明らかである。
  
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2017年11月13日

環境問題と石炭火力発電所 (PF689)

997792b8.jpgアル・ゴア氏といえば90年代クリントン米国大統領の下で8年間副大統領を務めた米国の政治家である。俳優にもなれそうな顔立ちで、副大統領に就任したのが45歳の時。クリントン氏の後を受けて2000年の大統領選に出馬するも、僅差でブッシュ氏に敗れた。その後気候変動問題に取り組み、2006年ドキュメンタリー映画「不都合な真実」に主演し、環境問題啓発に貢献したとして翌年ノーベル平和賞を受賞している。

いまドイツのボンで第23回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP23)が開催されている。そこで温暖化対策の国際的な枠組みである「パリ協定」のルール作りが行われている、果たして日本はどんな貢献ができるのであろうか。

アル・ゴア氏は日本の石炭火力発電所に対する取り組みに批判的である。いわく「途上国の石炭火力発電所建設に最大の資金を拠出している。これは改めるべきだ。最先端の石炭ガス化複合発電でも発電効率は従来に比べ5%高いだけで、大気中に汚染物質を出し気候変動を悪化させている点は変わらない。」

途上国の石炭火力発電所建設に日本が多くの資金を拠出した例には、最近どんな例があるのだろうか。実は昨年インドネシアでプロジェクトファイナンスの手法を利用した大型案件の例がある。セントラル・ジャワという石炭火力発電所である。建設場所はインドネシア中部ジャワ州バタン県で、発電容量2,000MW(1,000MW×2基)の超々臨界圧石炭火力発電所の建設・所有・操業をする事業である。発電した電力は25年に亘りインドネシア国営電力国営公社(PLN)に対して売電する。事業を主導しているのは日本の商社と電力会社である。総融資額は約34億米ドルで、そのうち日本の政府系金融機関が約20億米ドルの融資を行っている。民間銀行9行が残りの約14億米ドルの融資をしているが、9行のうち7行は日本の銀行である。

今年からOECDに加盟する輸出信用機関(ECA)は一定条件の石炭火力発電所向け「輸出金融」を原則禁止した。輸出信用機関というのは政府系金融機関なので、いわばOECD各国の政府がリーダーシップを発揮しているわけである。しかしながら、日本の政府系金融機関は、対象となっているのは「輸出金融」の融資プログラムに限られるとして、「投資金融」という独自の融資プログラムは対象になっていないという解釈をしている。上記のセントラル・ジャワ石炭火力発電向け融資は「投資金融」の融資プログラムを使用している。

環境問題と政府系金融機関を考える上で、「輸出金融」はダメだけれど「投資金融」は問題ない、という技巧的なロジックが果たして説得力を持つものであろうか。金融に携わらない者でさえ、「お金に色はない」ということぐらい知っている。こういう当たり前のことに気づかないとすれば、論語読みの論語知らずと非難されても仕方ない。

アル・ゴア氏はさらに「日本政府は途上国における温暖化ガス排出の増加や気候変動悪化を招く石炭火力発電所に税金を使ってよいわけではない。」とまで断言している。

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出典:アル・ゴア氏の発言内容は日本経済新聞朝刊2017.11.12。セントラル・ジャワ石炭火力発電所の情報は国際協力銀行のプレスリリース2016.6.3。
  
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2017年11月06日

企業不祥事と終身雇用制 (PF688)

d4d55c65.jpgコンプライアンスの仕事をしている人が指摘している。日本の企業の不祥事には、外国の企業の不祥事とは少し異なる傾向がある。それは、日本の企業の不祥事は個人の利益を動機としたものは少なく、「会社のために」という動機が多い。外国の企業で発生する不祥事は個人の利益を動機とするものが多い。

さらに重要なのは、日本の企業で起こる不祥事は終身雇用制とも深く関係していると思われる点である。大半の社員は定年まで同じ企業に勤める。定年までの間、社内で何度か異動もあるが、そうはいっても同じ会社の社員である。例えば、前任者が不適切な仕事をやっていたことを知って、後任の自分がそれを公に指摘し改めることができるか。前任者から事情を聞けば、「かれこれ十年以上もこういうやり方でやってきた」「自分も前の前任者から引き継いだ」「役員も容認している」云々。

会社の暗部に遭遇した瞬間である。どうして自分がこんな不運な役割に巡り合うのであろう、と空を見上げる気分である。やるせない。見て見ぬふりをしたいと思うのは、ごく普通の反応である。自分にはどんな選択肢があるのか。無難な選択肢は、前任者同様に言われた通りのまま仕事を引き継ぎ、そして数年後に後任者に無事引き継ぐ。自分の身のためには、これが無難である。不適切だと暴き、上席に訴え出たところで、賛同を得られるかどうか分からない。「君、事を荒立てないでくれ」と諭され、かえって社内での自分の立場を悪くするかもしれない。延いては自分の今後の昇格昇進に悪影響がないとも限らない。

社会正義と自分の利益とを天秤にかけ、悩む。独身で若ければ、思い切って会社を辞め転身することも可能であろう。しかし、家族を持ち、家族を養う立場であれば、生計を考えざるを得ない。今の会社を辞めて、次の就職先が見つかるのか。見つからなければ、家族を路頭に迷わしかねない。だから、今の会社を簡単に辞める訳にはいかない。しかし、新しい部署で引き継いだ職務の中に、社会正義に反する不適切な仕事が混ざっている。果たしてどうすれば良いのだろう。堂々巡りが続き、悩みは尽きない。

新卒で入社して原則定年まで一つの会社で勤め上げる終身雇用制の下では、「会社のため」と称して長く不適切な仕事が続けられるということが起こり得る。これに対して、雇用の流動性が高い欧米先進国の企業では、企業内で長く不適切な仕事が続けられる可能性は少ない。なぜなら、外部から中途で入社した人が不適切な仕事を発見すれば、躊躇なく指摘し是正する。上司も同僚も中途入社した人たちが多いから、不適切な仕事を発見した旨相談をすれば、即時是正にすぐ賛同してくれる。是正について周りの賛同も得やすい。むしろ、「よくぞ見つけてくれた」と称賛すらされるかもしれない。つまり、会社の中で自浄作用が働く。雇用の流動性を高めた時の、思わぬ副産物である。

最近伝統的な日本の大手企業で不祥事が絶えない。いずれの不祥事も、一過性のものではなく、長い間社内で行われてきたものである。今まで誰も気づかなかったのか。それとも、気づいても、見て見ぬふり、言わぬが花、という事なかれ主義に流れたのか。気づいて指摘したところで、その会社を辞めるような結末となりかねず、そうなった場合に次の就職先探しに困るからか。

コンプライアンスの仕事をしている人の指摘は、我々の終身雇用制つまり雇用の流動性が低いことをいま一度考えさせる。

  
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2017年10月30日

輝く大学4年生 (PF687)

16ce6ff1.jpg大学4年生のA君とランチを食べながら話す機会があった。就職先は外資系コンサルタント会社に決まっている。しかも、所属する部署も決まっている。「日本の企業は働き方がどうかな、と思いまして」というA君の言葉に、大学生もしっかり日本の企業の姿をみていることに気付く。働き方改革が議論されているが、日本企業の労働慣行の大きな枠組みを変えてゆかないと、働き方だけを切り離して変えてゆくことはできまい。そういうことを筆者が話すまでもなく、大学生のなかでも気付く人は気付いている。だから、日本企業への就職を最善とは考えていない。

A君は専攻の経済学や英語の勉強はもちろん、クラブ活動や後輩の指導にも熱心で優秀な学生である。こういう優秀な学生が日本企業の労働慣行を問題視している。日本企業は自らの変革を急がないと、優秀な学生が入社してこなくなる。

約30年前に日米の会社員の意識をアンケート調査した、興味深い結果がある(数値はYesと回答した人の割合)。
「いまの仕事に満足ですか」米国34%、日本18%
「いまあなたがやっている仕事を友人が希望したら、勧めますか」米国63%、日本18%
「いまあなたが知っていることを入社時に知っていたら、この会社の、この仕事に再び就きたいと思いますか」米国69%、日本23%
(出典:小池和男『日本産業社会の「神話」』、橘玲『幸福の「資本論」』)

調査を行ったのは約30年前だが、おそらく現在再度同種の調査を行っても同様の結果になるのではないだろうか。あるいは日本の会社員の数値はさらに悪化している可能性すらある。しかも、こういう質問事項を見て日本の会社員の反応は、「そもそも自分が選んだ仕事ではない。会社の発令でこの仕事をやっている。」というものであろう。従って、野暮な質問だと感じるはずで、肯定的な回答を多く期待する方が無理というものである。日本の会社員は通常仕事を選べないのだから。

それに対して、米国の会社員は自分で仕事を選ぶのが基本である。従って、仕事の満足度、友人に勧めるかどうか、再度この仕事をやりたいかどうかなどの点で当然スコアは高くなる。自分で選んでいるのにスコアが低くなる道理がない(仕事の満足度が50%を下回っているのは、自分の理想と現実のギャップが原因であろうと推測される)。

どこの国の人であろうと、人は自発的に仕事をする方が満足度も高いし、成果も高くなる。やれと言われてやるのは、子供でも大人でも快いものではない。日本の会社員で前向きな人は望んでいた仕事ができている人か、あるいは会社の指示であろうとそれを上手に受け止め、いかにも自発的に取り組むことにしたかのように自分自身を納得させるのが得手な人である。筆者は後者のようなことは得手ではなかった。体よく言えば、自分を騙すことができない。だから、邦銀時代、プロジェクトファイナンスの仕事を続けさせてほしいと言い続ける以外になかった。

大学生のA君はさらに続けて、「コンサルタント会社で学んで、いずれは独立したいと思っています」と、将来のキャリアプランを披歴している。日本にこういう若者が増えると、日本も変わるかもしれない。A君が輝いて見えた瞬間である。


  
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2017年10月23日

集団の力の幻想 (PF686)

8ad8c8cc.jpg三人寄れば文殊の知恵。集団で力を合わせれば大きな成果が出せる。1足す1を2以上にできる。集団で仕事をすれば、ひとりひとりで仕事をする場合より、より良い結果が出せる、というのは常に成り立つのであろうか。

現在我々の目の前で起こっているイノベーションのほとんどは一人の天才かあるいは少数の天才から起こった。マイクロソフトのビル・ゲイツ、アップルのスティーブ・ジョブズ、グーグルのラリー・ペイジとセルゲイ・ブリン、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ。もちろん、こういう人たちも最初から最後まで一人ですべてを成し遂げた訳ではない。しかし、一人あるいは少数の人たちがイノベーションの中核を担ったのは間違いない。

商工組合中央金庫(商工中金)の不正融資は常軌を逸している。政府系金融機関でありながら、融資先の財務諸表を改竄し、財務内容優良な企業を財務内容不良な企業に見せかけ危機対応融資を行う。不正融資の数は現時点で分かっているだけで約4千件、国内支店の約9割、90店が関与している。処分対象者は500人規模になるという(日本経済新聞朝刊2017年10月20日付)。

商工中金の事例は、集団の力が完全に負の方向に逆回転した例である。集団の力は正しい方向にばかり向かうわけではない。負の方向に向かうこともある。山本七平が『「空気」の研究』で旧日本軍の分析をしている。これも集団の力が負の方向にぶれた事例である。集団の力が負の方向に向いているとき、誰も止められないのか。止めようとする者はいないのか。多勢に無勢ということであろうか。

チームワークの重要性は外資系企業でも頻繁に強調される。仕事をチームで効率よく行い、より良い成果を出す。しかし、こういうチームワークの概念と、事を荒立てないことを良しとする偏狭な協調性とは、まったく別物である。日本の会社では上司や同僚と毎日のように一緒に昼食に行く人がいる。外面や体裁だけ整えて協調性を演出。会社の上司に面従腹背、唯々諾々。新しいことに挑戦している若者の足を引っ張る。出る杭を打つ。

個人を埋没させ集団の表面的な協調性だけを保っても、何も生まれやしない。表面的な協調性は、妥協を生み、事なかれ主義を生み、社内のことであっても見て見ぬ振りをする。集団の力が負の方向に向いていても、誰も止めることができない。止めるどころか、自らも負の方向に加担する。今日本の企業で不祥事が頻発しているのは偶然ではあるまい。集団の力を妄信し、個人の力を軽視している。

日本に足りないのは、ひとりでもやり抜くという独立不羈な突破力である。ビル・ゲイツの半分の力量でもいい。スティーブ・ジョブズの半分の着想力でもいい。そういう人をひとりでも多く育てないと、日本の将来が危ぶまれる。日本全体が「ゆでガエル」になりつつあるのを、傍観していていいわけがない。
  
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2017年10月16日

一身の独立 (PF685)

55078a6f.jpg福澤諭吉の著作を読んでいると、いくつかのキーワードに気付く。そのうちのひとつは「一身の独立」である。例えば、『学問のすゝめ』第三篇には「一身独立して一国独立すること」という項がある。一身の独立というのはなにを意味するのか。少々考えをめぐらしてみた。

1)精神的独立 
一身の独立はまず精神的な独立を意味しよう。精神的独立とは、「先ず他人の厄介たるを免れ、一切万事自分の身に引き受ける」(福翁百話五十二)ことである。自分で考え、自分で判断し、その結果を自ら引き受ける。だからこそ、日々学び続けることが重要になる。精神的独立は年齢にあまり関係がない。歳をとっても精神的独立の怪しい人はいる。

2)経済的独立
次に一身の独立は経済的な独立をも意味しよう。「才徳に応じ独立不羈の生計を求める」(明治2年2月20日付福澤諭吉発松山棟庵宛書簡)とある。現代においても自ら生計を立て経済的に独立することは重要である。「親のすねをかじらず、自分で生活するようになって一人前」といったことを、若い頃よく耳にした。経済的に独立することによって、上記の精神的な独立もさらに深化できる。精神的独立と経済的独立は、一身の独立を成り立たせる中核の概念である。

3)国家からの独立
「一身の私に就ては一豪の事といえども、豈政府をして喙(くちばし)を入れしめんや」(『文明論之概略』第7章)とある。思想や言論の自由は、現代では当たり前の基本的人権であるが、日本も明治維新前までは違った。現代でも思想や言論の自由が十分に保障されていない国は存在する。基本的人権が保障されなければ、真の一身の独立は成り立たない。

4)官に依存しないという独立心
福澤諭吉は終生明治政府の官職に就くことはなかった。公のために尽くすということは、なにも官職に就くということではない。民の立場で社会に尽くすことこそ理想である。また、現代の日本では、都合の悪いことがあるとすぐ政府や役所のせいにする嫌いがある。一身の独立を果たした人の取るべき態度ではない。「小さな政府」を求める政治思想が日本では脆弱であるが、これは政府への依存心が強いことの裏返しではないか。

5)一国の独立との関係 
一身独立して一国独立するとあるが、国民が一身の独立を果たせば、本当に一国の独立は成るのか。当初小生も疑問を持たず「成る」と思った。しかし、この点はよく考えてみると、現実にそぐわない。
例えば、明治維新後日本は猛烈な勢いで富国強兵や近代化に邁進し、欧米列強による植民地化を免れた。独立を維持できたのは、国民が一身の独立を果たしたからというよりも富国強兵や近代化の成功の結果であろう。また、現代の例に照らしてみても、一身独立と一国独立との関係は判然としない。例えば、朝鮮半島の某国は独立国であるが、その国民が一身の独立を果たしているのかどうか甚だ疑わしい。イラク北部の約3千万人のクルド人やスペイン・カタルーニャ州の人々は独立心旺盛ではあるが、一国の独立は果たしていない。

6)一身の独立は何のためか
一身の独立はどうして重要なのであろうか。それは責任ある生き方をするためであり、それが各人の幸福につながり、延いてはより良い社会を形成することになるからであろう。他人の一身独立を尊重することは、自らの一身独立を追求することと同等に重要である。そして、自らの一身独立を維持するためには、学び続ける必要がある。 





  
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2017年10月10日

現代学生気質 (PF684)

0eeded21.jpg某大学が主催する勉強会に参加している。参加者の構成は、大学生と大学院が約半数、社会人が約半数である。勉強会は著名人の講演を拝聴するものと社会的な課題を採り上げるグループワークとに大きく分かれる。グループワークは具体的な社会課題を与えられ、7人で構成するグループで課題解決案の提言を行うものである。グループワークの作業期間は約3か月。筆者のグループは学生が3名、筆者を含む社会人が4名。

先般全員ではじめて集まり、半日かけて話し合いの機会を持った。昼過ぎから暗くなるまで議論をしたが、話がなかなか進まない。アジェンダはなにか、何を決めるのか、議論の進め方を改善した方がいいのではないか等々話し合いをするための大前提が整わない。けして変人、奇人が多いわけではない。皆生真面目で真剣に取り組んでいる。しかし、何を議論するのか、何を決めるのか、いつまでに誰が何をするのか等々延々と話し合うも決まらない。

その日は徒労感だけが残った。
その翌日若い20代の社会人メンバーの一人がLINEで短く呟いた。「時間節約のために、今後例え話は止めよう」「具体的にはどういうことかと訊かれたら、答えればいい」
筆者は驚いて丁寧に諭した。「時間節約は大賛成。しかし、それは例え話をやめるという方法で行うのはどうだろうか。発言者の発言内容をよく理解するためには例え話は有効だ。」

実はこの社会人メンバーと筆者はLINE上で数往復意見を交換した。けして嫌悪なやりとりではない、友好的で建設的なやりとりだった。この社会人メンバーは聡明で優秀な方だと思う。恐らく、優秀であるがために先般の話し合いに相当不満を感じていたのかもしれない。この方の心情を察することができる。

この社会人メンバーと筆者とのやりとりが終わると、学生の一人が「LINEで議論するのはやめませんか。議論は会って面前でしましょう。」と提案してきた。筆者は普段LINEを使用していないが、今般の勉強会のメンバーがLINEでのコミュニケーションを望んだので使用している。若い世代はメールよりもLINEに馴染みがあるらしい。

メンバーのLINEの使い方を見ていて、この学生の意味していることが理解できるようになった。つまり、LINE利用者はスケジュール調整などの簡潔で事務的な用件に使用している。議論をしたり長い文章を書いたりするのは、彼らのLINEの使用方法ではない。例えば、先日もメンバーの一人が朝方「今日ランチXXで一緒に食べられる人いますか?」といった調子で当日LINEで呼び掛ける。合流できる人はそれに短く答える。なかにはXXの所在地を訊く者もいる。社会人が仕事で使用するメールの要領とは明らかに異なる。いわば、軽いおしゃべりをLINEで行う感じである(余談だが、ランチの誘いを当日の朝行うというのも、社会人ではかなり親しい仲でなければあり得ない)。

この学生に別な機会に優しく訊いてみた。「LINEで議論するのはやめよう、という話だけど、メンバーが全員集まって議論する機会は現実には限られているよね。LINEでなくてもいいけど、メールなどを使用して意見交換をした方が議論が進むのではないだろうか。どうだろう。」口には出さなかったけれど、先般面前で議論をしても収拾がつかなかったので、むしろメール等で話した方が話が進むのではないかとさえ思っている。いすれにしても、筆者の問いかけには、まだはっきりした回答をもらっていない。

結論付けるには時期尚早かもしれないが、現代学生気質の一面は、堅苦しい議論なんかしない、したくない、仕方も分からない、ということなのだろうか。面と向かって議論するのも苦手なら、LINEやメールで文章化することも苦手、という実態が浮かび上がってくる。もう少し観察を続けてみたい。
  
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2017年10月02日

組織と個人のあり方 (PF683)

fd84bdfc.jpg福沢諭吉の書籍を読んでいたら、興味深い指摘があった。それは次のような趣旨の指摘である。
日本人ひとりひとりは利口な人も多いが、集団になると思わしくない。日本人は集団ではなかなか良い仕事ができない。片や、西洋人はひとりひとりはたいしたことがなくても、集団ではしっかり大きな仕事を成し遂げる。

この指摘は約150年前の指摘である。福沢諭吉は終生このように思っていたようである。因みに、福沢諭吉は欧州に1回、米国に2回渡航経験がある。周知の通り、この渡航経験を基に『西洋事情』を出版している。加えて、当時の主要な海外の学術書を原書で読んでいる。当時の人としては異例の西洋事情通である。

福沢諭吉の指摘に興味を持ったのは、実は筆者はこの指摘内容についてあまり意識したことがなかったからである。野球、サッカー、バレーボールなどの団体競技を見ていると、日本人は集団でも良い成果を出しているではないか。一体これはどういうことであろうと、少々疑念にさえ思った。

福沢諭吉はもちろんスポーツの話しを念頭に置いているわけではない。国家のあり方を念頭に置いている。日本人ひとりひとりは利口な人が多いのに、どうして良い国家ができないのか、良い国家を創らないといけないという問題意識からの発言である。国家というとやや大袈裟であるが、社会と言い換えてもいい。良い社会の仕組みを創りたいという問題意識である。

福沢諭吉の指摘を裏付ける事例はいくつか思い当たる。たとえば、山本七平が『「空気」の研究』で指摘した「空気」の問題である。日本人はその場の空気で判断してゆく傾向がある。その場の空気で判断するということは、集団心理に陥っているのに等しい。その結果、大きな判断を誤りかねない。事実、大きな判断を誤ったことがある。

その場の空気に流されるのはどうしてであろうか。協調性が仇となっているのであろうか。人に面と向かって反対意見を表明するのは憚れるという意識があるせいであろうか。憚るのが成熟な大人という意識は確かに日本人にはあろう。議論の仕方が上手くないという点とも通底する。しかし、西洋人は、おかしいと思うなら堂々とその旨主張するのが成熟した大人だとの考えを持っている。筆者はひとりひとりの個人の持つ「独立心」の強弱の違いではないかと推測している。西洋人は「独立心」が強く、日本人はやや弱い。

前回言及した慶応義塾大学大学院教授前野隆司さんの幸福学の研究では、幸福になる心的因子4つの中に「独立心とマイペース」という因子がある。これは「他人と比較しない」、「自分は自分」というような心の持ちようが幸福感を高めるというものである。この研究は日本人を対象として行ったものなので、実は日本人も「独立心」があった方が良いということを示唆する。成熟した大人を気取って、本当は反対なのに面従腹背、黙って静かにしているというのは、実は日本人にとっても精神衛生上良くないはずだ。

福沢諭吉の指摘を裏付ける事例をもう一つ。これは外国のことわざである。
「一人のイギリス人は愚鈍である。二人のイギリス人はスポーツをする。三人のイギリス人は大英帝国を作る。」



  
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2017年09月25日

自分の軸を持っているか (PF682)

0e88469b.jpgナチス親衛隊幹部だったアドルフ・アイヒマンはユダヤ人虐殺に関わった責任を問われた裁判で「命令に従っただけ」と答えた。自ら考えることを放棄したとき、平凡な人間が大きな犯罪に加担することがある、と裁判を傍聴したユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは指摘している。

自分を持たず、思考や判断の基準を他に依存する真面目な組織人。是非の判断を棚上げし組織の方針や指示に忠実に従う組織人。組織人としては評価され、組織内で栄転する。しかし、思考が停止しているので、一旦緩急あると自分では自覚のない誤った判断をし誤った行動を取る。その結果は、取り返しのつかない、とんでもないことになることもある。

日本の企業人は私的な利益のためというより、会社の利益のために社会的な不正を犯してしまう例が少なくない。会社の利益のためであって個人の利益のためではないと弁解しても、社会的不正に対する罪が軽減される訳ではない。この場合、動機が問題なのではなく、社会的不正がもたらす社会への影響が問題なのだ。

キャノンで製品開発に携わっていた工学博士の前野隆司さんは現在慶応義塾大学大学院教授として幸福学を研究している。人が幸福になる因子はなにかを分析され、4つの因子を抽出している(『幸せのメカニズム』講談社現代新書)。1)自己実現と成長、2)人とのつながりと感謝の気持ち、3)楽観的な思考、4)独立心とマイペース。幸福な人は4つの因子すべてを持っているという。

興味深いのは最後の独立心とマイペースである。これは、「他人と比較しない」、「人の目を気にしない」、「自分は自分」というような感覚を持っているかどうかということ。協調性を大事にする日本人はこの因子がやや弱い。欧米人はこの因子が比較的強いといわれる。

「他人と比較しない」、「人の目を気にしない」、「自分は自分」などと聞くと、協調性に欠けるのではないか、その結果幸福感から遠ざかるのではないかと思いがちである。しかし、前野さんの研究によると、実際はそうではないらしい。この逆説的な結果が興味深い。和を乱したくないと思うあまり、ややともすると自分を見失い「一体、自分は何をやっているのだろう」と自己嫌悪に陥った経験は、誰しも一度や二度持っているかもしれない。

「他人と比較しない」、「人の目を気にしない」、「自分は自分」という感覚が強い人は、自分の軸をしっかり持っている人である。ときに協調性が足らないと見えることもあるかもしれないが、集団心理に引っ張られ人が盲目的に行為に及ぶとき、毅然と疑問を呈し待ったをかけられるのは、こういう人である。冒頭の「命令に従っただけ」と弁解するような無自覚な人とは全く正反対の人である。

組織人として成功を嘱望するのはいいが、従順に過ぎ盲目となるのは避け、自分の軸を持ちたいものである。そして、自分の軸をしっかり持つことは、自分自身が幸福になるためにも必要なのだ。


  
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2017年09月19日

バーニング・オーシャン (PF681)

7dc51ee5.jpg先般『バーニング・オーシャン』という映画を観た。この映画は米国メキシコ湾で2010年4月に実際に起こった海上石油生産設備(リグ)の爆発・炎上の事故を取り扱った、実話に基づく映画である。日本では今年4月に公開された。爆発・炎上した海上石油生産設備は英国のBP社が運営していたものである。油田の名前はDeepwater Horizonといい、実は映画の原題もDeepwater Horizonである。『バーニング・オーシャン』というタイトルは日本公開用に創られた。

海上石油生産設備が爆発・炎上する場面は、こう言っては不謹慎かもしれないが、アクション映画としてはやや月並みで既視感がある。従って、この映画は興行的には成功したとは言い難い。しかし、筆者が興味を持ったのは、我々の生活に欠かせない石油やガスの開発・生産が実際にどのように行われており、一旦緩急あるとどうなってしまうのかということを知りたいと思ったからである。

我々の生活は現在エネルギー面で石化燃料に大きく依存している。石化燃料は炭素と水素から成っており、具体的には石油、天然ガス、石炭などである。いずれも地中から採掘しているが、陸上の石油・ガス田はその所在と埋蔵量がほぼ掌握済みで、新しい石油・ガス田のほとんどはもはや海底でしか発見されていない。現在生産中の石油・ガスも海底からのものが約4割を占める。海底から採掘している石油・ガスの生産設備で一旦事故が起こると一体どういうことになるのか。

実際のDeepwater Horizonの事故は、リグで仕事をしていた作業員126名中11名が死亡し、約3か月に亘り合計200万バレル以上の原油が海上に流出した。BP社は最終的に6兆円以上の補償金を負担している。

200万バレルの原油流出は海上での原油流出事故としては最大級である。海上に原油が流出した過去の事故としては、1989年にエクソン社のヴァルディーズ号という石油タンカーがアラスカ沖で座礁したときのものが知られている。この時の原油流出量が約25万バレル。従って、Deepwater Horizonの原油流出量はこの8倍に匹敵する。

また、BP社が負担した6兆円以上の補償金であるが、民間会社1社で6兆円を拠出するというのは尋常なことではない。驚くべきことである。因みに、映画をよく観ていると、BP社の幹部がWe are a 186 billion dollar companyと豪語する場面がある。これは操業テストの結果が不十分であるにもかかわらず、正式操業に強引に進めようとする場面で、同社の拙速で傲慢な態度を象徴する。

さて、当時を振り返ってみると、補償金の負担を巡ってBP社は経営危機に直面しかねないと報じるメディアが少なからずあった。BP社はなぜ最終経営危機に直面せずに済んだのか。その理由の一つは石油価格の水準である。事故の発生した翌年2011年から2014年半ばまでの3年半の間、石油価格は1バレル100ドルの黄金時代を迎える。この高騰した石油価格のお陰でBP社の財務内容は思いがけず潤ったはずである。BP社が経営危機に陥らず多額の補償金を支払うことができたのは、この高騰した石油価格が功を奏したと言っても過言ではない。
  
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2017年09月11日

リザーブ・ベース・レンディング (PF680)

3d4a218a.jpgリザーブ・ベース・レンディング(Reserve-Based-Lending短くRBLともいう)というのは石油・ガスの上流部門のファイナンスである。レンダーは石油・ガスの埋蔵量を担保とし、同埋蔵量の開発・生産によって創出されるキャッシュフローを返済原資とする。

先般セミナーの場でリザーブ・ベース・レンディングの説明をしたところ、参加者から大変興味を持って頂いた。いわく「リザーブ・ベース・レンディングに関する情報や知識がなかなか手に入らないので参考になった。」確かに、日本にいるとリザーブ・ベース・レンディングを経験することはまずないであろう。日本国内では石油・ガスの開発・生産はほとんど行われていないので(新潟で天然ガスが産出されているが、産出量はわずかである)、リザーブ・ベース・レンディングが行われることも皆無に等しい。

海外の石油・ガスの上流部門の業務に携わる日本企業は存在するが、資金調達については会社ベースのコーポレート・ファイナンスで済ませることが多い。石油・ガスの埋蔵量に着目したリザーブ・ベース・レンディングを資金調達手段として考える企業は少ない。従って、日本の銀行もリザーブ・ベース・レンディングに取り組む機会が少ない。つまり、日本の企業も日本の銀行も、リザーブ・ベース・レンディングにはあまり馴染んでいないというのが現状であろう。

リザーブ・ベース・レンディングを利用する側つまり借主にとっての利点の一つは、ローン(借入金)がノンリコースになるという点であろう。ローンがノンリコースになれば、会社の債務ではなくなるので、その分当該事業のリスクを軽減できる。当該事業に万が一のことが起こっても、会社はリザーブ・ベース・レンディングで借りた債務の返済から免れる。

リザーブ・ベース・レンディングの中で使用されている特徴的な概念を二つ紹介したい。一つはAnnual Borrowing Base Redeterminationである。もう一つはReserve Tail Ratioである。いずれも、通常のファイナンスには見られないし、一般のプロジェクトファイナンスにも見られない。

Annual Borrowing Base Redeterminationというのは、年に1回借入金額の上限をレンダーが見直すことをいう。Borrowing Baseは借入可能な金額のことを指す。これを毎年レンダーが評価をして決める。一般にファイナンス(融資)は融資契約書を締結後レンダーの判断で融資金額を増減することはない。特にレンダーの判断で融資金額が減額されると、借主は困る。従って、通常のファイナンス(融資)の感覚からすると、この融資金額の上限を見直すという仕組みは異例に感じる。ところが、リザーブ・ベース・レンディングには石油価格の変動に伴うキャッシュフローの変動リスクがある。石油価格の変動以外にもキャッシュフローに影響を与える要因は存在するが、石油価格の変動が与えるインパクトは常に大きい。そこで、リザーブ・ベース・レンディングのレンダーはこのAnnual Borrowing Base Redeterminationの仕組みを導入している。レンダーにとってのリスク対応策である。

もう一つのReserve Tail Ratioというのは埋蔵量に関わる分析指標である。「ローン完済後に残存する確認埋蔵量」を「当初の確認埋蔵量」で割った商に、100を乗じてパーセンテージ表示する。具体的には「Reserve Tail Ratio 30%以上維持」という条項が融資契約書に盛り込まれるのが普通である。「Reserve Tail Ratio 30%以上維持」とはどういう意味か。これは「ローン完済後に確認埋蔵量を30%以上残せ」という意味である。言い方を変えると、「確認埋蔵量のうちの70%以内の採掘・生産でローンを完済せよ」という意味である。

レンダーから見たリザーブ・ベース・レンディングの2大リスクは、石油価格の変動と埋蔵量のリスクである。Annual Borrowing Base Redeterminationの仕組みで石油価格の変動リスクに対応し、Reserve Tail Ratioの仕組みで埋蔵量リスクに対応している。

  
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2017年09月04日

多読・精読・濫読(42) (PF679)

01c799b1.jpg●小泉信三『福沢諭吉』(岩波新書)

前に勤務していた外資系金融機関は1835年に設立された。180年余の歴史がある。そうは言っても、日本企業の方々は知らない人が多い。そこで、「弊社が設立された1835年に生まれた、日本の偉人は誰かご存知ですか」と質問して相手の注意を促すことがあった。180年余の歴史があります、というだけでは印象に残らないが、幕末に生まれた偉人の話しと結びつけると幾分か興味を惹くことができる。

1835年生まれの偉人とは福沢諭吉のことである。享年66歳、1901年に歿している。興味深いのは、66年の生涯のうち明治維新(1868年)までの幕末時代を33年過ごし、維新後の時代をやはり33年過ごしている。『文明論之概略』の緒言に福沢は「一身にして二生を経るが如く」と書いているが、二生はそれぞれちょうど33年ずつということになる。もっとも、同書は福沢40歳のときに出版しているので、緒言を書いた時点では本人も二生がそれぞれちょうど33年ずつになるとは予想していなかったはずである。

人はいずれ社会人になって、さらに結婚して家族を養うようになると、生活費を稼がなくてはならない。資産家の子ならいざ知らず、普通会社員になるなどして安定した収入を確保しないことには生活が成り立たない。子供が成長すればさらに教育費も嵩む。自分の夢も理想も、生活が成り立っていることが大前提である。なにが言いたいかというと、例えば福沢諭吉のような人は当時どうやって生計を立てていたのかということに少なからず興味がある。

本書には僅かではあるが、言及しているところがあった。『西洋事情』他の著述は前代未聞の売れ行きで、福沢自身「驚くほどの数でした」といっている(P76)。『西洋事情』は福沢が米国に2回、欧州に1回渡航した経験を基に著述したものである。明治初めに著わした『学問のすすめ』も良く売れたらしい。つまり、当時売れっ子の著述家だったわけで、印税で生計を立てることができた。

福沢は終生官に仕えることはなかった。爵位、勲章、学位など政府からの申し出はすべて辞退した(P68)。安定した収入が期待できる政府の仕事から距離を置くことができたのも、印税の収入があったからであろうと推測できる。

また、福沢は『学者職分論』という論文で、学者は官ではなく民間で活躍すべしと説いた。学者は官にあったら、自らの主張や考えを十分には表現できないであろう。言論の自由は自ずと制約を受ける。学問の自由の観念も貧弱だった時代であるから、もっともな指摘である。しかし、言論の自由も学問の自由も、衣食住が満たされなければ始まらない。どうやって生活費を稼ぐのか。

当時在官の諸学者は福沢の主張に反論した。そのうち西周(にしあまね)は、反論しながらも「福沢の境遇を羨み、いつか自分もその例にならいたい」とした(原文「久しく先生の高風を欽慕す。…早晩将に驥尾に附かんとす」P77-78)。ちなみに西周は1829年生まれなので、福沢より6歳年上である。

晩年の福沢は「文筆収入によって富有の身となるも、少しも服装や家具家屋を飾るような趣味を持たず、朝食前に塾生の青少年と数マイルの路を徒歩し、午前3−4時間、午後2時間勉強をし、自ら米をとぎ、居合を抜く等、無造作な老書生の面目を改めなかった」(P196)そうである。

著者小泉信三は慶應義塾大学塾長を務められた。本書は1966年に出版されたので、約50年以上前のものである。


  
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2017年08月28日

転勤の在り方はこのままでいいのか (PF678)

c3337a95.jpg会社の某部署で社員の送別会を開いたら、送別される本人が姿を現さなかったという珍事に遭遇したことがある。いまから約四半世紀前のことで、筆者が勤務していた邦銀での出来事である。

邦銀本店のプロジェクトファイナンス部で先輩の一人がニューヨーク支店への転勤の内命を受けた。しばらくして正式発令も出て部内で送別会が開かれた。ところが送別されるその本人が送別会に姿を現さない。風聞から判ったことは、本人は今回の転勤を望んでいないという。筆者は当時すぐには事情が呑み込めなかった。ニューヨーク支店は既に従業員数でロンドン支店を超え、最大規模の海外支店になっていた。ニューヨーク支店で勤務できる機会を望んでいないというのは一体どういうことであろうか。

少し時間が経過して分かってきたことは、本人には生まれたばかりの双子のお子さんがいらっしゃるということ。そこで当面海外勤務はしたくないという。双子の乳幼児がいるとなると、これは確かに難儀だ。日本で暮らす現在ですら奥さんだけでは子育と家事をこなすのが大変な筈で、ご両親に協力を得ているなどの可能性が高い。そういう家庭の事情があるのだったら、本人が海外勤務をするというのは容易ではない。

本人は部長と相談をして内命取り消しを要請したらしいが、思うような結果にはならなかった。そして結局本人はやむなく機上の人となり、ニューヨーク支店で勤務を開始した。それから数年後、その方は帰国して日本で再度勤務をしていたが、銀行を辞職するに至った。

日本の企業に勤める会社員にとって転居の伴う転勤は、事情によっては本当に大変である。本人に事前の相談はほとんどなく、ある日突然内命や発令が降りてくる。そして、会社員はそれに従順に応じるのが慣例である。

転勤発令を断るようなことをすると、本人の人事評価に悪影響がある。いちいちひとりひとりの家庭の事情を斟酌していたら、会社の人事はやっていられない。会社の効率的な運営のためには仕方がない。こういう説明を筆者も何度か聞いた。

欧米の企業では転居を伴う転勤をどのように行っているのだろうか。外資系企業でも従業員を他国に転勤させることはある。筆者が外資系金融機関に勤務するようになって目の当たりにした現実は、日本企業のそれとはまったく違う、従業員ひとりひとりに寄り添ったやり方である。

外資系金融機関でどういうふうに転居の伴う転勤が行われるかというと、まず転勤候補となった従業員を直属の上司が別室に呼び出し、じっくり話をする。本人の興味度合いや意欲を訊く。それから転居の障害となるような家庭の事情等がないかどうかも確かめる。この辺りの基本的なことが確認できると、今度は具体的な転勤のタイミング、転勤先での職務内容、報酬や待遇などの話題に進んでゆく。

つまり、転勤となる本人と徹底的に話し合い、本人も納得した上で転居の伴う転勤が行われる。こういうプロセスを経ると、「本人の納得」が得られるだけではなく「本人のモチベーション」も上がる。上司や会社が自分のことをよく考えてくれていると思える。転勤先で頑張ろうという意欲も湧く。転居の伴う転勤について、欧米企業はなぜこういうアプローチを取っているのだろうか。本人と徹底的に話し合うのは手間のかかるプロセスである。日本企業のように内命や発令を出す方が簡単である。

欧米企業がこういうアプローチをするのには合理的な理由がある。それは端的に言えば、会社は軍隊組織ではないということ、従業員は兵隊ではないということ。内命や発令が突然出されて転居の伴う転勤をするというのは、本人にとっても本人の家族にとっても甚大な負担となりかねない。そういうことを会社が斟酌してゆかなければ、転勤先で従業員に良い仕事をしてもらうことはできない。つまり、本人との話し合いに当初1週間かかろうが2週間かかろうが、「本人の納得」が得られさらに「本人のモチベーション」も上がるような転勤のプロセスの方が、本人にとっても会社にとっても総じて良い結果になるのである。人事管理の手法として長い経験から身に付けたものであろうと推察する。

翻って、日本企業の転居の伴う転勤発令の在り方を考えてみると、非人間的な気がしてならない。雇用を大事にする日本企業は従業員に優しいと言われることがある。しかし、ある日突然発令書一枚で転居の伴う転勤を従業員に強いる日本企業の慣行は、けして従業員に優しい慣行ではない。今働き方改革が叫ばれているが、日本企業の転勤の在り方も改善してゆく必要がある。
  
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2017年08月21日

東南アジアのLNG受入基地(2) (PF677)

51425b6b.jpg前回LNG受入基地向けプロジェクトファイナンスは「電力型」として組成するのが望ましいという話をした。「電力型」として、例えばTolling Fee方式の採用が考えられる。この方式は北米のLNGプラント事業にも採用された。

さて、LNG受入基地向けプロジェクトファイナンスを「電力型」として組成するとして、主要なリスクはどういう点であろうか。東南アジアの新興国で同事業を行なう場合を想定して、以下3つのリスクを観てゆきたい。a)Tolling Fees支払人のペイメント・リスク、b)Tolling Feeの支払通貨、c)カントリーリスクの3つである。これらはLNG受入基地の事業主にとっても、プロジェクトファイナンスのレンダーにとっても、重要なリスクである。

東南アジアでのLNG受入基地の事業をTolling Fee方式で行うとすると、誰にTolling Feeを支払ってもらうのかがまず問題となる。LNGを輸入しこれを気化して天然ガスとして自国内で利用する者は、東南アジアでは当面当該国の国営石油会社か国営電力会社となるであろう。Tolling Feeの契約期間は20年程度必要となろう。そこで国営石油会社あるいは国営電力会社が20年の長期に亘ってTolling Feeを支払う能力はあるのかどうか。これがTolling Fee支払人のペイメント・リスクである。

なにしろ政府管轄下にある国営会社なのだから、Tolling Feeの支払いが行われないなどということが起こるのかと訝る人もいるかもしれない。しかし、ちょっと歴史を振り返って見ると、例えばアジア金融危機が起こった1997-98年にはアジア某国の国営電力会社がIPP事業主に対して電力代金支払いの不履行を起こした。アジア金融危機という異常事態だったとは言え、今後20年の間に同種の金融・経済危機が再発しないとも限らない。国営会社といえども、新興国のそれであるという事実を過小評価してはいけない。

次にTolling Feeはどんな通貨で支払われることになるのかが問題となる。LNG受入基地の事業主としては米国ドルで支払ってほしい。理由はプロジェクトファイナンスによる借入金は米国ドルとしたいからである。どうしてプロジェクトファイナンスによる借入金を米国ドルとしたいのか。それは米国ドルの資金調達市場の規模が大きいからである。借入金を米国ドルとするなら、事業収入は米国ドルとしたい。そうすれば、キャッシュフロー上の入りと払いの通貨が一致する。キャッシュフロー上の入りと払いの通貨が一致すると、事業会社の為替リスクは無くなる。

LNGを輸入する新興国側はこれを気化して天然ガスとして利用するわけであるが、ほとんどのケースで火力発電所の燃料となる。発電した電力は国内で費消される。国内に販売される電力の電力代金は国内通貨で決済される。従って、新興国側はTolling Feeの支払いも国内通貨でできないかと希望する傾向がある。LNG受入基地の事業主としては、この点唯々諾々と承諾するのは避けなければならない。既述の通り、プロジェクトファイナンスによる借入金のことを考慮すれば、Tolling Feeの支払通貨は米国ドルを要請しなければならない。Tolling Feeの支払通貨をめぐって新興国側とLNG受入基地の事業主とは利害を異にする、ということを認識しておく必要がある。

最後にカントリーリスクである。新興国における事業は、そしてそういう事業に対するプロジェクトファイナンスのレンダーは、悉くカントリーリスクを潜在的に負っている。Tolling Feeの契約期間を20年と想定したが、20年という期間は長い。今後20年間の、東南アジア某国のカントリーリスクはどうだろうかと問うても、誰にも明確なことは答えられない。カントリーリスクの問題は計数化、計量化できない。仮に「7−8割の確率で大丈夫だと思うよ」と言う人がいても、なぜ7−8割の確率で大丈夫だと考えられるのか数値的な根拠を示すことはできない。向こう2−3年の見通しならいざ知らず、20年先のことは誰にも分からない。つまり、長期に亘る新興国のカントリーリスクの問題は不可知の問題だと観念しないといけない。

新興国のカントリーリスクの問題は不可知の問題だとはいえ、対応策はある。事業主の投資には投資保険が存在する。プロジェクトファイナンスのレンダーには融資の保険が存在する。いずれの保険もカントリーリスクが発生し損害を蒙った場合には保険金が支払われる。カントリーリスクへの対応策としては保険を付保することが最善である。
  
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2017年08月14日

東南アジアのLNG受入基地(1) (PF676)

a7517c5d.jpg東南アジアでLNG(液化天然ガス)を輸入する国が増えてきた。2011年にタイのマプタプット工業地帯でLNGの受入基地が稼働し始めた。タイはシャム湾で天然ガスを自国生産しており、加えて隣国ミャンマーからパイプラインで天然ガスを輸入している。しかし、それらの供給源では需要を賄いきれない。そこでLNG受入基地を建設しLNGの輸入を開始した。

翌2012年にはインドネシア・西ジャワで浮体式のLNG受入基地(これをFSRUという)が稼働を始めている。インドネシアは元々LNG輸出大国だったが、近年漸次LNG輸出を止め国内利用に振り向けている。2013年にはマレーシアでFSRUが稼働し、同年シンガポールでもLNG受入基地が稼働を始めている。さらに、フィリピンやベトナムでもLNG受入基地の計画が進んでいる。

何故東南アジアでLNG受入基地の新設が相次ぐのであろうか。それは東南アジア各国の経済成長に伴いエネルギー需要が伸長しているからである。国際エネルギー機関(IEA)の分析によれば、東南アジア主要国のエネルギー需要は今後著しく増加する。2040年までに石油の需要が約40%増加、石炭の需要が約180%増加、天然ガスの需要が約60%増加する。石油や石炭は石油タンカーやバルク船で既往の港湾設備を利用して従来通り輸入することができる。しかし、LNGの輸入にはLNG貯蔵設備やガス化の設備を新設する必要がある。

東南アジアでLNG受入基地の新設案件が陸続と出てくると、その建設資金の調達にプロジェクトファイナンスを利用しようとする機運も出てくる。LNG受入基地向けにプロジェクトファイナンスを利用する場合に、どんな点が問題になるのであろうか。

まず初めに、LNG受入基地向けのプロジェクトファイナンスはどういう類型の案件になるのかを見極めないといけない。天然ガスの開発・生産および液化天然ガス生産はLNG事業として資源開発案件の類型に属する。資源開発案件の類型とは、石油の開発・生産や他の鉱物(例えば、石炭、鉄鉱石、金、銅、ニッケルなど)の開発・生産と同類型である。しかし、LNG受入基地は資源開発案件の類型ではない。

LNG受入基地向けプロジェクトファイナンスは、電力案件と同類型になるものと考えられる。どうしてであろうか。それはLNG受入基地の事業内容から判断される。LNG受入基地の事業内容は、LNGを受け入れ、短期間貯蔵し、ガス化することである。これらのサービス内容は受入国のガス利用者のために行うものである。LNG価格(天然ガス価格)は市場で変動しているが、LNG受入基地の事業内容は通常LNG価格(天然ガス価格)の変動に影響を受けるものではない(影響を受けるべきではない)。貯蔵とガス化の業務に対して対価を受けるのが本筋である。さらに言うと、ガス利用者がLNG受入基地の貯蔵とガス化のサービスを実際に享受しようがしまいが、LNG受入基地側は最低限の対価を受けたいところである。さもないとLNG受入基地に投下した資本の回収のめどが立たない。そう考えてくると、電力案件に見られるCapacity Payment(発電量にかかわらず支払う金額)とEnergy Payment(燃料費に相当する金額)の考え方に類似した仕組みを採用するのが適切だと思われる。

電力案件というのは電力の買主が決まっており、買主と電力価格も予め合意している。従って、発電所の操業状態が予定通りであれば、事業収入は非常に安定しており予想がしやすい。電力案件の類型に属するものとしては、a)日本で再生可能エネルギーに利用されているFeed-in-tariff(固定価格買取制)、b)PPP案件に利用されているAvailability Payment、c)LNG船やFPSOに利用されているCharter Payment、d)パイプライン案件に見られるThrough-put、e)北米でのLNGプラントに利用されているTolling Feeなどの仕組みが挙げられる。

これらの事例に共通している点は、操業が予定通り行われている限り(サービスが提供できる状態にある限り)、一定水準の事業収入が約束されている点である。電力案件がその典型なので、筆者はこれらの類型を「電力型」と呼んでいる。LNG受入基地向けのプロジェクトファイナンスは「電力型」として組成してゆかないと、プロジェクトファイナンスの組成が非常に困難なものになってしまう。

(次回に続く)
  
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2017年08月07日

人生意気に感ず (PF675)

bbd28fb8.jpgこの言葉に初めて出会ったのは中学校を卒業するときである。卒業式の当日、記念アルバムが卒業生各人に配布された。お世話になった先生方に挨拶するため職員室に行くと、記念アルバムの余白に一筆書いてくれる先生もいた。歴史の先生もそのうちの一人で、筆者の記念アルバムに「人生意気に感ず」と書いてくれた。そのときにはその意味するところがよく分からず、後刻その意味を調べて理解したつもりでいた。

朝倉克己さん(元近江絹糸紡績労働組合彦根支部長)という方は、1964年作家の三島由紀夫から訪問を受け、1954年に滋賀県彦根市の紡績工場で起こった労働争議について話をしたことがあるという。約3日間に亘って三島由紀夫を関係先に案内した。三島由紀夫はこの労働争議をテーマに『絹と明察』という作品を発表している。朝倉さんは三島由紀夫から色紙や手紙、さらにサイン入りの『絹と明察』を受領している。色紙には三島由紀夫の達筆な字で「人生意気に感ず」と書かれている。三島由紀夫の好きな言葉の一つだったようである。

書籍を通じて大江英樹さんという方がいらっしゃるのを最近知った。1952年生まれの方なので現在65歳。大手証券会社に定年まで勤め、60歳で起業した。起業といっても、講演や執筆の仕事を中心にされているので多額の初期投資は要らない。大手証券会社時代は地方支店の勤務が長く、いわゆるリテール部門が専門だったという。法人部門の仕事も海外部門の仕事も経験されていない。

もっとも、大江さんは退職前の約10年間確定拠出年金の仕事に携わり、その時期に原稿を書き講師をするなどの経験を積み、その経験が起業に役立っているという。大江さんの近著『老後不安がなくなる定年男子の流儀』の副題には「月5万円でも人の役に立って楽しく働ければいいじゃないか」とある。

大江さんは定年になったとき、一旦は証券会社に残って働き続けることにした。いわゆる継続雇用である。しかし、半年もすると仕事のやりがいが感じられず、自ら退職を選ぶ。そして、起業を決心する。独立して仕事をするようになってから、仕事を楽しみ充実した生活をされている。会社で働けるまで働くという考え方もあるが、会社員を辞めたら何もすることがないという人生はちょっと寂しい。また、退職後は好きな趣味に没頭するというのも、何もすることがないよりは良いと思うが、筆者にはちょっとしっくりこない。自分のやりたい仕事を続け、人さまに喜んでもらい、わずかでも報酬をもらう。そして、健康な限り年齢に関係なく仕事を続ける。こういった生き方をされている大江さんは、人生意気に感じておられるのではないか。

筆者も会社員時代に、人生意気に感じるような仕事を経験したこともある。しかし、それは長い会社員生活のごく一部の出来事で、そういう風には思えないことも少なからずあった。会社員である以上、致し方ない。会社員を辞め折角独立して仕事を始めた以上、人生意気に感じるような仕事をしてゆくことを目標としたい。

「人生意気に感ず」という言葉は、中国唐時代の詩人魏徴の詩『述懐』に出てくる。その後に「功名誰かまた論ぜん」と続く。功名なんか関係ない、人生意気に感じることが大事だ。中学校卒業時に知った言葉の、深い意味が、いまようやく実感を伴って心に染みる。

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(注)朝倉克己さんの話は日本経済新聞朝刊2017.8.1の記事による。


  
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2017年07月31日

インドネシア合弁事業撤退 (PF674)

2b27307d.jpg先般日本の化学会社D社がインドネシアの合弁事業から撤退することを発表した。かなりの損失も発生する。この合弁事業には思い入れがある。

もう約15年前のことになろうか。邦銀に勤務していた頃のことで、ある日知り合いの商社の方から電話が入った。明日にも時間を取れないかと促され、翌日その商社に向かった。そこでお会いしたのがD社の方々である。既に商社とD社は合弁事業についてかなり議論を重ねていて、ファイナンスについて相談したいということで急遽筆者が呼ばれたことが判った。

インドネシアには国営企業のパートナー候補が既に存在する。商社も実のところD社に依頼されて、共同出資を前提に物流やファイナンスについて関与する計画だった。しかし、事業の難しさに、商社はまもなく不参加を決める。日本企業として一人残されたD社はそれでも単独で合弁事業を進めると腹を決めていた。そして、当時筆者の勤務する邦銀にフィナンシャル・アドバイザーを要請してきた。本合弁事業の資金調達にはプロジェクトファイナンスを活用したいというのがその理由である。

フィナンシャル・アドバイザーと言っても、当初の業務はフィージビリティ・スタディとファイナンス・プランをまとめ上げることである。カリマンタン島の山奥まで建設予定地を見に行った。往路は河川を小型ボートで登ること約3時間。その夜は近隣で一泊したが、木造の古びた宿泊施設は部屋のドアに鍵がかからなかった。復路は舗装されていない道路を車で下った。要請通り、英文でレポートを仕上げた。インドネシア国営企業の希望もあり、レポートは気の利いた装丁のハードカバーで製本し、印刷会社に依頼して数十部作成した。

ここで合弁事業の進展は一旦緩慢になる。筆者も他の業務を担うようになり、さらに同邦銀を退職して外銀に転職した。外銀に転職して半年ほど経った頃である。D社の方から連絡があり「ランチでもご一緒に」というお誘いだったので、旧懐の情で快諾した。しかし、ランチを食べ終わる頃には「合弁事業を進めるからフィナンシャル・アドバイザーを再度引き受けてくれないか」と要請されていた。

この要請には即断できなかった。個人的には大変名誉なことで、「勤務先が変わっても、君に仕事をしてほしい」なんていうことは会社員生活で何度もあることではない。光栄この上ない。

しかし、要請を受ける前に確認しておきたい点が少なくとも三つあった。一つはD社に邦銀としっかり話を付けてほしいということ。筆者が転職に伴い邦銀からD社の仕事を奪ったなどと誤解されたくない。円満に退職した邦銀と気まずい関係にはなりたくない。「当社の判断なので、その点は全く問題ない」とD社が念を押してくれたので、ひとまず安堵した。もう一つは筆者の転職先の外銀がD社とこれまで一切取引がなかったこと。この点は筆者が外銀内で丁寧に説明し、新規先の獲得になると肯定的に理解してもらうことができた。最後に日本チームの人員不足の問題があった。これは当面歯を食いしばってやるしかないと腹を括った。当初毎月のアドバイザリー・フィーの請求書も自分で作成した。

フィナンシャル・アドバイザーに再登板すること約1年半。毎月のようにインドネシアに出張する。合弁会社の業務は原料の採掘および精製であるが、実は取り扱う生産物はかなりマイナーなもので相対取引が基本で、市場らしい市場は存在しない。プロジェクトファイナンスを成立させるには同生産物の引取保証および最低価格保証か、あるいは事業に対してトーリング・フィーが必要なのでないかという結論に達する。事業主にとっては難問である。これだけが理由ではないが、合弁事業は再び中断余儀なくされ、筆者もフィナンシャル・アドバイザーの業務を終了する。

それから3年余過ぎたころである。インドネシア国営企業とD社は合弁事業を推進することで合意した。総事業費も当初より随分増加していた。現地に合弁事業会社を設立し、両社の債務保証を得て借入を行う。これが今から7年ほど前のことである。筆者は感慨深くプレスリリースを読んだのを覚えている。

建設に3−4年かかったはずなので、これまでの操業歴は3年程度かと推察する。操業は開始したものの、計画通りに収益が上がらず、両社間の思惑の違いも拡大したようである。思い返せば、合弁事業を議論し始めた当時から両社問の思惑の違いはそこかしこにあった。そのため、何度も中断しては再開を繰り返していた。よくぞ今まで一緒にやってきたとも言えるし、やっぱり駄目だったかとも言える。

筆者がフィナンシャル・アドバイザーの業務を終了してから約10年が過ぎている。アドバイスすべきだったことはプロジェクトファイナンス云々ではなく、事業そのものの推進を思いとどまらせることだったかもしれない。
  
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2017年07月24日

夏休み休暇は要らない? (PF673)

d525c1ef.jpg先日仕事上の知り合いと話しをしているときに「今年の夏はいつごろ休暇を取られるのですか」と訊かれ、一瞬答えに窮した。今年は夏休みの計画を立てていないことに気付いたからである。会社員時代は毎年春には夏の休暇計画を練り始めていた。まず職場の同僚たちと休暇の日程を調整する。そして、子供たちが小さいときには家族旅行の計画を立て、子供たちが成長してからは家内との小旅行の計画を立てるのをほぼ常としていた。

週末のテニス仲間とも最近「夏休みはいつですか」というやり取りが挨拶代わりに出てくる。テニス仲間はほとんど会社員なので、8月のお盆の前後に夏休み休暇を取る人が多い。筆者は会社員を辞め今年独立をしたが、10人余のテニス仲間全員には公表していない。私的なことなので、敢えて公表するのも憚られた。一部の気心の知れた仲間だけに伝えただけである。従って、「夏休みはいつですか」の質問にも少々答えに窮した。

どうして今年は夏休みの計画を立てていなかったのか。
ひとつには独立初年度で勝手が分からないまま7月になってしまったという事情がある。今年の春先の頃を振り返ると、数か月先の夏休み休暇のことを考える余裕がなかったのかもしれない。しかし、「考える余裕がなかった」というのは必ずしも忙しかったということではない。実は普段から余裕をもって仕事をしているので、時間的に忙しい訳ではない。知らぬ間に夏休み休暇への関心や期待が希薄になっていたのではないか、というのが真相のように感じている。

外資系金融機関に勤務するようになってから、毎年夏は2週間連続休暇を取っていた。年に1回の2週間連続休暇は心身ともにリフレッシュをする機会である。日頃の疲れを癒す。仕事から離れ、家族と過ごす。普段できないことをする。普段行けないところに行く。普段会えない人に会う。立ち止まって自分のキャリアについて考えてみる。普段まとまった時間が取れない会社員にとって、連続休暇は特別な時間である。数か月も前から計画するだけの価値のあるものである。

ところが、会社員を辞め独立してからは自由な時間が増えた。時間に追われるような仕事の仕方をできるだけ避けているので、普段のスケジュールには余裕がある。リフレッシュが必要だと思えばいつでもリフレッシュできる。癒さなければいけないほど疲れを溜めない。家族と過ごす時間もある。普段できないことも普段行けないところも、だいぶ減ってきている。

つまり、会社員時代に果たしていた夏休み休暇の役割というのは、どうもほとんど消失してしまっているのである。会社員時代に経験していた繁忙な日常がほとんどなくなったので、それを癒す2週間連続休暇もあまり必要性を感じないのかもしれない。そうだとすると、筆者には夏休み休暇は要らないのだろうか。夏休み休暇が要らない、というのはなんだか損した気分ではある。

もっとも、1週間や2週間の間仕事を一切止め、自宅から離れて見知らぬところに行き、そしてそこでゆっくり過ごす、というのは今でも憧れてはいる。憧れてはいるけれど、改めて考えると、その見知らぬところで1週間や2週間過ごしたところできっと退屈してしまうだろう、とも思う。

体よく言えば、普段無理をせずほどほどに充実しているので夏休み休暇はやはり要らないのかもしれない。休暇が必要になったら、そのときに休暇を取ればいい。

  
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2017年07月18日

多読・精読・濫読(41) (PF672)

c4cd9b97.jpg●西成活裕『逆説の法則』(新潮選書)
大学院の授業を受けているときに、「これはパラドックス(逆説)ですね」という口癖の先生がおられた。パラドックスを面白がる先生である。筆者には当時逆説の面白みがまだピンと来なかった。しかし、本書を読んで逆説の妙に気づいた。

ことわざは逆説に溢れている。「損をして得をとる」「急がば回れ」「負けるが勝ち」「急いては事を仕損じる」「慌(あわ)てる乞食はもらいが少ない」「情けは人のためならず」。「かわいい子には旅をさせよ」というのも逆説的だ。英語にはThe road to hell is paved with good intentions (地獄への道は善意でできている)ということわざもある。 

人に教訓を与えることわざが逆説に溢れているということはどういうことであろうか。ちょっと不思議な感じがする。しかし、ものごとを表面的にとらえるな、ものごとを短絡的に考えるな、などの教訓は既に逆説的な匂いがする。正しいことは表面的でもなければ短絡的でもない。本書を通じて著者が「目先のことにとらわれず、長期的な視野でものごとをとらえるべきだ」と示唆する。逆説はその名に違い、とても真っ当な考え方だ。

●楠木新『定年後』(中公新書)
2013年の改正高齢者雇用安定法は、企業に1) 定年の引き上げ、2) 継続雇用、3) 定年の廃止のうちの一つの実施を求めた。しかし、実際は約8割の企業が継続雇用を行っている。定年の引き上げや撤廃をする企業は約2割。継続雇用とした場合の仕事内容や給与水準は企業が一方的に定める。仕事内容が変わらないのに給与が大幅に下がる、単純作業の仕事に変わるなど60歳を迎えた会社員の不満は少なくない。

著者は大手生命保険会社に勤務しながら50歳のときから執筆活動を始めた。50代になってから大学院にも通った。定年の60歳を迎えた時、継続雇用を望まず退職して独立。「新たな取り組みは60歳になってから開始するのでは遅すぎる、在職中から新たな取り組みを開始することが肝要」という指摘はご自身の経験に基づく。

おおむね75歳くらいまでは健康でいられるとすると、定年の60歳から75歳までの15年は黄金の15年。継続雇用で65歳まで働くのも良いが、新たな生き方を見出したいのであれば60歳で会社員を辞めるのも一考。そのためには現職中から準備をしないといけない。また、何に取り組むにせよ趣味の領域にとどめず、報酬をもらえることを考えた方がいいともいう。実践的なアドバイスだ。

●『シンプルの正体 – ディック・ブルーナのデザイン』(ブルーシープ)
今年(2017年)2月に逝ったディック・ブルーナの作品集。うさこちゃんことミッフィーの絵本作家として知られている。絵本作家になる前は本の表紙のデザインやポスターの作成を手掛けていた。

本の表紙のデザインもポスターも絵本も、共通点がある。それは無駄を省いたシンプルさである。シンプルであるので、それを見る者が想像力を掻き立てられる。文章家の山本夏彦が「文章は削って削って完成させる」という趣旨のことを言っていたのを思い出す。

ディック・ブルーナのデザインも要らないものを削って削って完成させているように見える。もっとも、彼のデザインには温かみやユーモアがある。削った後に尖ったものは見当たらない。シンプルなデザインなのに人々に強烈な印象を残す。これまた逆説的な現象である。


  
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2017年07月10日

Floating LNG (PF671)

fbac25ff.jpgFloating LNGあるいはFLNGというのは、洋上で天然ガスを採掘・生産・精製・液化・貯蔵・積み出しを行う浮体式の生産設備である。洋上で原油を採掘・生産・貯蔵・積み出しを行う浮体式の生産設備をFPSO(Floating Production, Storage and Offloading)という。FLNGは液化天然ガスのFPSO版ということになる。

FPSOの歴史は長い。半世紀近くある。油田は昔陸上で多く発見されていたが、近年新規で発見されるのは海底である。海底油田の効率的な採掘・生産設備としてFPSOが使われるようになった。今や生産されている原油の約4割は海底油田からの産出である。

ガス田も海底ガス田が増えてきた。大型のガス田であれば、液化して輸出することも少なくない。これまで天然ガスの液化プラントは陸上に建設されてきた。しかし、海底油田は陸上から遠距離に存在するものもある。そうすると、ガス田から陸上まで敷設するパイプラインの距離も伸びる。敷設距離が伸びると建設コストが増え、事業の経済性を左右する。そこで、原油におけるFPSOのように、洋上でガスを生産し、そのまま洋上で液化して出荷しようというアイデアが生まれた。これがFLNGである。

先月FLNGに関する大きなニュースが2つあった。ひとつはロイヤル・ダッチ・シェル社が推進するPrelude FLNGに関するニュースである。2011年に同社が投資決定をして以来、韓国のサムスン重工業がFLNGの建造に取り組んでいた。いよいよFLNGが完成し、
FLNGは曳航されて韓国の造船所を出航したというニュースである。韓国の造船所を出航したFLNGはPreludeガス田が存在する西豪州沖合に向かう。おそらく数週間で現場に到着し、早晩試運転を開始するものと推測される。韓国の造船所を出航する様子を録画したビデオはシェル社の関連ホームページで観ることができる。

もうひとつのニュースはアフリカ・モザンビークのFLNGである。イタリアの石油会社・ENI社が推進するCoral FLNGというプロジェクトに関するニュースである。Coral FLNGというのは、モザンビークの海底ガス田のひとつを開発・生産するものである。経済性の観点から、液化プラントを陸上に建設するのを止め、洋上でのFLNGにしたものである。

ニュースというのは、このCoral FLNGの資金調達方法である。資金調達の方法にプロジェクトファイナンスを用いたという。総融資額約49億米ドル。金額も大きい。FLNGは操業実績もないので、これまでプロジェクトファイナンスでの資金調達が行われたこともない。上記のシェル社のPrelude FLNGについても、プロジェクトファイナンスは利用されていない。Prelude FLNGがようやく完成し造船所を出航したばかりだというのに、アフリカのモザンビークの案件ではプロジェクトファイナンスが成立したという。

Coral FLNGの事業主にはENI社以外に中国勢、韓国勢も加わっている。その関係でプロジェクトファイナンスの資金提供は中国勢と韓国勢が中心となったようである。さらに、操業後約2年間、事業主の債務保証が外れることはないとも報道されている。察するに、操業の内容を2年間程度観察して、その実績を観たうえで融資をノン・リコースにするという目論見なのではないかと思う。通常プロジェクトファイナンスでは完工を以って融資はリコースからノン・リコースになる。しかし、本件ではノン・リコース化を遅らせることによって、レンダーはリスクの軽減を図ろうと考えているのかもしれない。Coral FLNGの完工・操業開始は5年後の2022年である。
  
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2017年07月03日

手を焼く社員5タイプ (PF670)

d5860c10.jpg愛知県経営者協会が手を焼くシニア社員を5タイプに分け、対策を提言したという。どういうシニア社員が手を焼く5タイプなのか。1)元管理職の威厳を武器にする「勘違いタイプ」、2)文句は多いが当事者意識を欠き、自分では動かない「評論家タイプ」、3)仕事は会社が用意するものと考える「会社依存タイプ」、4)自分のやり方に固執し、新しいことを学ばない「現状固執タイプ」、5)賃金に見合う仕事はここまでと割り切る「割り切りタイプ」。

ここまで赤裸々に5タイプを挙げられると、思わず失笑する。真面目に分析しているところが面白い。1)の勘違いタイプは管理職を経験し役職を外れた後も役職時代の意識が残るという点で、シニア社員特有の現象かもしれない。しかし、残りの4タイプはシニア社員以外の、もう少し若い世代の社員にも散見されるのではないだろうか。例えば、2)の評論家タイプは30代や40代でも存在する。3)の会社依存タイプも若い世代にも存在する。4)の現状固執タイプも5)の割り切りタイプも、30代40代でも存在する。

愛知県経営者協会の分析は、どうもシニア社員に限定した問題ではなさそうである。もっとも、シニアになればなるほど、こういうタイプの社員の割合が増えるということは言えるかもしれない。しかし、シニアにならなくとも、ある種早熟な人はいるもので、ここで挙げられている手を焼くタイプの社員は存在する。そう考えを進めてくると、なぜこういうタイプの社員が出現してしまうのだろうかという新たな疑問が湧く。

海外での勤務や外資系企業での勤務の経験から言えるのは、4)の現状固執タイプと5)の割り切りタイプは欧米企業にも少なからず存在する。自分の考えややり方に固執しチーム・プレイができない社員や仕事を割り切り仕事よりもなにか他のモノに興味を持っている社員は欧米企業にも存在する。しかし、1)の勘違いタイプ、2)の評論家タイプ、3)の会社依存タイプはあまり見当たらない。正確に言うと、そういうタイプの社員がいないわけではないが、早晩退職を余儀なくされるはずである。従って、長い期間会社内にそういうタイプの社員が残存するということがない。現状固執タイプも割り切りタイプも、程度問題ではあるが、仕事のパフォーマンスが悪くなれば退職を勧められる可能性が高い。従って、早晩社内で姿を見なくなるということになるかもしれない。

愛知県経営者協会は、手を焼くシニア社員にはタイプに応じて40代から対策を講じるように提言している。具体的には、役割の明確化や研修・セミナーを通じての意識の向上などである。果たして、こういう対策で効果が上がるのかどうか疑問なしとしない。なぜなら、こういう社員は終身雇用制の利点を理解し容易には解雇されないと考えている可能性が高いからである。

終身雇用制が元凶だ、だから終身雇用制を全廃すべきだ、と主張したいわけではない。終身雇用制はもう少し見直し、修正を施した方が良い、とは思う。例えば、終身雇用制が存在するために、企業は企業の都合だけで社員をいつでも異動、転籍させることができる。退職年齢がきたら退職をさせることもできる。こういう制度下では社員の個人としての意思は尊重されているとは言えない。これらは社員にとって終身雇用制の対価と言えなくもない。

日本企業の終身雇用制はもはや美徳とは言えず、社員にとっても企業にとっても制度疲労を起こしている、と昨今つくづく感じている。
  
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2017年06月26日

エンジニアリング会社の事業投資 (PF669)

871653e9.jpg最近日本のエンジニアリング会社が海外事業投資に興味を持っている。一部のエンジニアリング会社は既に海外事業に出資をしている。他のエンジニアリング会社も担当部署を立ち上げ具体的な案件の検討に入っている。

なぜエンジニアリング会社が海外事業に投資するのであろうか。それはひとつには設計や建設業務などの本業で収益が伸び悩んでいるからである。また、景気動向次第で受注残高に大きな波が生じるので、これをある程度平準化したいという考えもある。例えば、原油価格がバレル100ドル前後のときには石油・ガス関連のプラントの受注が沢山あった。しかし、現在のように原油価格がバレル50ドルあるいはそれ以下の水準では受注が激減する。

エンジニアリング会社が事業投資に進出する場合、自社が得意とする分野で事業投資を行う場合とそうではない分野で事業投資をする場合が考えられる。例えば、石油・ガス分野を得意とするエンジニアリング会社が同分野で事業投資を行う場合が前者で、電力や水事業などで事業投資をすれば後者に当たる。エンジニアリング会社が事業投資を行う場合、どちらが良いのであろうか。

前者の場合、これまで培った知見やネットワークが生かせるというメリットがある。加えて、設計・建設等を受注している事業に一部出資もするということも考えられる。一挙両得のケースと言える。しかし、この場合、収益の平準化は望めないかもしれない。石油・ガス分野の例を見れば明らかだ。原油価格が高騰すれば本業の設計・建設の受注が増えるが、原油価格が低迷すれば受注は減る。同分野の投資機会の方もほとんど同様の動きをするはずである。従って、収益の平準化にはならない。さらに、自社が設計・建設を担う事業に自社が一部出資も行うとすると、建設請負と発注者という両方の立場に立つことになってしまい利益相反の問題が起こる。

自社が得意とする分野以外で事業投資をする後者の場合はどうあろうか。この場合収益の平準化は期待できる。例えば、石油・ガス分野を得意とするエンジニアリング会社が電力や水事業に投資する場合、原油価格動向に左右されない収益源が期待できる。もっとも、これまで培った知見やネットワークはほとんど利用できないので、異分野での投資事業はかなりの苦労を伴うかもしれない。

日本のエンジニアリング会社が海外事業投資に進出するに当たって、最も苦心するところはビジネスモデルが大幅に異なる点だと思われる。これまでの設計・建設という仕事には見られない、事業リスクを取って事業を遂行してゆくという全く新しい仕事に向き合わなければならない。これまでは建造物を無事完成させれば任務は終了であった。しかし、事業に参加するのであれば、事業はいわば建造物の完成から本格的に始まるのである。オペレーション、マーケティング、ファイナンスなどの技量も身に付けなければならない。事業性・経済性を見通していかなければならない。

建造物をスケジュール通り予算内で完成させることはもちろん重要である。その技量は賞賛して余りある。しかし、事業性・経済性を見通し、オペレーション、マーケティング、ファイナンスなどを駆使して事業を遂行するという経験や知見は、エンジニアリング会社のこれまでのノウハウを拡張や延長して得られるものではない。全く別次元の経験や知見になる。

欧米の企業なら、投資事業会社を買収するなり、投資事業経験者を外部から採用するなどして経験・知見のある人材を確保するため大胆に動く。ところが、日本の企業は自前主義が強い。外部人材を数名雇うことはあっても、大半のスタッフは自社の社員で固める。これでは外部からやってきた人材も力を発揮しにくい。そして、所期の目的の達成に時間がかかる。そうこうしているうちに、外部から採用した人材が耐えられなくなり、退職余儀なくされる。会社側は「だから中途採用はダメだ」なんて、結論付けて終わる。そういう既視感のある悲喜劇が起こらないことを切に願っている。
  
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2017年06月19日

LNG長期売買契約 (PF668)

2443c069.jpg以前電力・ガス業界の人に質問されたことがある。「LNGの売買契約は長期でないと困るとLNG事業主から言われる。その理由は資金調達でプロジェクトファイナンスを利用するからだと。プロジェクトファイナンス・レンダーが長期のLNG売買契約を求めるからだと。」「レンダーは長期のLNG売買契約がないと、プロジェクトファイナンスができないのか。」

LNG事業主が長期のLNG売買契約を望むのは理解できる。LNG事業は莫大な初期投資を要するので、その事業性や経済性をより確実なものにしたい。従って、その一環として長期売買契約を確保したい。実際LNG事業主が投資判断を下すときの条件のひとつとして、一定割合以上のLNG長期売買契約が整うこととしている例は多い。しかし、プロジェクトファイナンス・レンダーが求めているからという理由は本当なのだろうか。

現在のところ、レンダーはLNG事業で長期売買契約があった方が望ましいと考えているのは事実である。しかし、これだけLNGの生産者と購入者が増えてきて市場が拡大してくると、スポットの売買や短期契約での売買はますます増え、従来の長期売買契約は徐々に減ってくるであろう。長期の売買契約がいずれ無くなってしまうとまでは思わないが、売買契約期間の短縮化がある程度進むのは間違いない。

カタール初のLNG事業が締結したLNG売買契約の期間は25年である。1996年に発効し、2021年まで続く。現在建設が進む、国際石油開発帝石の豪州イクシスLNG事業が締結したLNG売買契約の期間は15年である。この20年弱の間にLNG売買契約の期間は明らかに短くなっている。

LNG購入者はLNG売買契約期間の短縮化を望んでいる。なぜなら、遥か将来に亘るLNG需要を正確に見通すのは困難だからである。LNG/天然ガスの需要は世界的には伸長するものと予測されるが、電力・ガス企業個別のLNG需要が10年、20年先にどうなっているのかを予測するのは容易ではない。

さて、冒頭の質問に戻る。長期のLNG売買契約がないとプロジェクトファイナンスはできなくなってしまうのか。筆者はそうは思わない。なぜなら、原油をはじめ他の資源開発案件では長期の売買契約が十二分に存在していなくともプロジェクトファイナンスが成立しているからである。もっとも、他の資源開発案件では投資資金の回収期間延いては融資期間がLNG案件のそれに比べて短いという点は注意しておきたい。

それでは他の資源開発案件において、プロジェクトファイナンス・レンダーは何を重要視して融資の判断をしているのであろうか。それは生産コストの競争力である。生産コストが相対的に低く競争力に長けていれば、その資源開発案件が破綻する確率は低い。資源価格は上下するが、下落した時にも生産コストの低い資源開発案件は生き残る可能性が高い。当該資源(例えば、石油、天然ガス、鉄鉱石、銅など)そのものの需要が無くなってしまうと致命的であるが、当該資源の相応の需要が存在する限り、当該資源を生産・販売する者のうち生き残るのは生産コストの相対的に低い者である。

LNGの長期売買契約が100%あったとしても、仮に生産コストの高いLNG事業であったならば、LNG価格が長く低迷すると収益が悪化し破綻しないとも限らない。LNG事業に長期売買契約は無いよりも有った方が良いとは思うが、究極的に必要なのは生産コストの競争力であって長期売買契約ではない。
  
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2017年06月12日

フィナンシャル・アドバイザーの利益相反問題 (PF667)

f83e8177.jpg共同通信社の経済部記者橋本卓典氏の著書『捨てられる銀行2-非産運用』は日本の資産運用の問題を採り上げている。銀行の窓口で勧められる投資信託等の資産運用商品は銀行グループ内の資産運用会社が開発・運用する商品であることが多い。あるいは銀行にとって手数料が多く取れる商品であることが多い。金融商品に明るくない顧客は銀行の窓口で勧められるまま購入する。

資産運用の世界では運用受託者は顧客の利益を最優先しなければならないという考え方がある。これを運用受託者のフィデューシャリー・デューティー(fiduciary duty)という。この考え方はちょうど医者や弁護士が患者や顧客の利益を最優先しなければならないとするのと同じである。仮に医者や弁護士が患者や顧客の利益よりも自らの収入が大きくなることを優先したらどうであろう。医者や弁護士の信用は地に堕ちる。ところが、銀行の窓口では銀行が手数料を多く取れる資産運用商品を顧客に勧めるきらいがある。銀行の営業姿勢は資産運用商品の販売の点でフィデューシャリー・デューティーの遵守が十分とはいえない。顧客の利益と反するという点で利益相反を起こしている可能性が高い。

利益相反という問題は実はプロジェクトファイナンスにおいても出現する。よく見られるのはフィナンシャル・アドバイザーがレンダーになるケースである。プロジェクトファイナンスのフィナンシャル・アドバイザーは銀行であることが多い。それはプロジェクトファイナンスを最も多く経験し熟知しているのが銀行だからである。フィナンシャル・アドバイザーは借主(事業主)に雇われ、借主の利益のために働く。フィナンシャル・アドバイザーの任務は通常借主の利益になる方向でプロジェクトファイナンスを成功裏に組成することである。

フィナンシャル・アドバイザーがプロジェクトファイナンスの融資契約書を調印したところで任務を終了し、レンダーとして融資に参加しないのであれば、利益相反は起こらない。ところがフィナンシャル・アドバイザーがプロジェクトファイナンスの融資にレンダーとして参加すると、利益相反の問題が発生する。どうして利益相反になるのか。それはフィナンシャル・アドバイザーを行う銀行が、フィナンシャル・アドバイザーの業務では借主の利益のために働く一方、レンダーとして貸主にもなるからである。つまり、借主側と貸主側の両方に立つからである。弁護士には禁止されている双方代理に似たような状態である。

この利益相反の状態が出現すると、不利益を蒙る可能性があるのは借主である。なぜなら、フィナンシャル・アドバイザーとして借主の利益のために働くはずの銀行が、レンダーの立場でレンダーの利益のためにも判断をするようになると、その限りで借主の不利益となる可能性が高いからである。従って、理論的にはフィナンシャル・アドバイザーを行う銀行にはレンダーになるのを禁ずるのが正しい。この判断を下すのは借主である。

しかし、現実の実務を見てゆくと、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーになっているケースは少なくない。借主の承認が得られれば、フィナンシャル・アドバイザーはレンダーになっても構わない。ところで、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーにもなることのメリットはあるのであろうか。メリットとしてひとつ考えられるのは、融資に参加する他の銀行に安心感を与えられるという心理的な効果が挙げられる。フィナンシャル・アドバイザーはファイナンスの諸条件や仕組みを作り上げるので、細かいところまで熟知している。仮に複雑な仕組みを取り入れているときには、融資に参加する他の銀行が疑心暗鬼にならないとも限らない。こういう疑心暗鬼を払拭するのに、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーとなることが役に立つ。そうすれば、「自分で作った料理を自分で食べる」「毒は入っていません」と証する効果が期待できる。

さて、フィナンシャル・アドバイザーがレンダーにもなることのメリットが存在するとしても、借主には利益相反による潜在的な不利益が残る。どうやってこの潜在的な不利益を減殺すればよいのだろうか。あるいは、どういう条件で借主はフィナンシャル・アドバイザーがレンダーになることを承認すれば良いのだろうか。最低限の条件として、フィナンシャル・アドバイザーを行う銀行内でフィナンシャル・アドバイザーの業務を担うチームとレンダーの業務を担うチームとを明確に分けてもらうことが必要である。チームを明確に分けることをチャイニーズ・ウォール(Chinese Wall)を設けるという。チャイニーズ・ウォールを設けて両チーム間にメンバーの重複がないこと、さらに両チーム間で一切の情報のやり取りをしないことなどを約束してもらうことである。

このチャイニーズ・ウォールを設けるという解決策は、完全無欠の方法ではない。万が一フィナンシャル・アドバイザーを行う銀行がチャイニーズ・ウォールの運用を厳格に行わないと、借主の不利益となるような事態が発生しかねない。もし、借主から見て不審な言動が見られるのであれば、フィナンシャル・アドバイザーを行う銀行にはレンダーになることを辞めてもらうことも検討せざるを得ない。


  
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2017年06月05日

多読・精読・濫読(40) (PF666)

0eaf3544.jpg●スティ―ブン・ガイズ著『小さな習慣』(ダイヤモンド社)
独立してから痛感したのは生活リズムの大切さである。会社員生活と違って、月曜日から金曜日まで朝出勤して夜帰宅するというリズムがない。資料を読んだり原稿を書いたりするのは、別に決まった時間に行わなくてもいい。自分の好きな時間に行って構わない。まさに独立したことによる自由、自律の世界であって大いに満喫すべきなのだが、実は最近分かってきたのはこの自由さが悩ましいということ。自分の好きな時にやっていいということは、筆者の場合いつまでもやらなくてもいい、ということとほぼ同義になってしまうことがある。一向に仕事が進まない。自分はこんなに怠け者だったのか。

そんなときに本書に出会って、膝を打つ思いがした。良い習慣を身に付けるのに、いきなり大きな目標を掲げない。毎日実践しやすいように、馬鹿げたほど目標は小さくする。例えば毎日腕立て伏せをするという目標があるとすると、「毎日腕立て伏せを1回以上する」とする。そうすると達成しやすい。床に伏して腕立て伏せを始めること自体が実は肝心な点だ。1回でいいから始める。そうすると、おそらく1回で終えることの方が難しくなる。一旦横に伏した以上、数回いや10回くらいはやってしまう。なるほど。これを応用しない手はない。馬鹿げたほど小さい目標を掲げて、やってみよう。

因みに、原題はMini Habits – Smaller Habits, Bigger Resultsという。原書で読めば、英語の勉強にもなる。

●寺島実郎著『シルバーデモクラシー - 戦後世代の覚悟と責任』(岩波書店)
「トヨタを定年退職した高卒の工員が入社以来自社株保有制度でコツコツ積み上げた保有株の時価が2.5億円。村田製作所の定年退職者が保有自社株時価5億円。」という話が本書に出てくる。持ち株会のお陰で資産ができたという人は羨ましい。80年代に銀行員になった者は持ち株会で資産はできなかった。バブル時代に流行った時価発行増資の際自社株を買うよう強く勧められ社内融資でお金を借りて自社株を買った。その後株価は下落して低迷が続いた。そのうち持ち株会に嫌気が指した。どういう時代にどういうセクターで働いていたかによって、持ち株会で資産を成す人とそうではない人とに分かれるということなのだろうか。これは持ち株会格差とも呼ぶべき現象だ。

「サラリーマンとして長く働き、企業等の組織に帰属して人生を送ってきた人たちは、ひとたびそこから去ったら、多くの場合、やることはないのである。特にこれまでの日本のサラリーマンは組織への帰属意識が強く、「うちの会社」意識にのめり込んできた。」と本書には厳しい指摘もある。サラリーマンとして職業人生を全うすることは悪いことではないが、サラリーマンを辞めた後の人生もまだ20年くらいある。その間何をやるのか。サラリーマンを辞めてから考え始めるのではちょっと遅い。サラリーマンを辞める前から考えておかないといけない。また考えるだけではなく、現役中に部分的に行動を起こすのが理想である。部分的に行動を起こすことによって、いわば経験値を上げることができる。考えているのと、やってみるのとでは随分違うはずだ。現役中に行動を起こし、サラリーマン生活から次の生活へのソフトランディングを目指す。これはなかなか重い課題だ。


  
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2017年05月29日

経済危機10年周期仮説 (PF665)

fc2367bf.jpg経済学の標準的な教科書には経済循環を説明している箇所がある。果たして、その循環にはある程度の周期性が見られるのかどうか。経済は循環する、というのは大なり小なり実感している。しかし、その循環が天体で観測されるような厳密な周期性があるのかというと、それは少し疑わしい。なぜなら、経済は人の営みの集積なので、天文学で言うような厳密な周期性は認められないであろうと思う。

リーマン・ブラザーズの破綻は2008年9月に発生した。いわゆるリーマンショックである。もっとも、その原因となったサブプライム問題は、それより前から指摘されていた。前年の2007年に欧州銀行の運営するファンドの価格が急落する騒動が起こっている。いずれにせよ、今から10年ほど前の出来事である。

1997年中頃にはタイのバーツが暴落を始めた。年が明けるとインドネシアに波及しルピアが急落する。追って他のアジア新興国にも影響が及ぶ。90年代初頭からこれらの新興国に流れ込んでいた膨大な資金が急に流出を始めたのが原因である。後刻これはアジア経済危機と称されるようになる。今から20年ほど前の出来事である。

1987年10月19日ニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の終値が大暴落する。前日比約23%の下落である。20世紀初頭の大恐慌の引き金になったと言われる、1929年のニューヨーク証券取引所の大暴落が前日比約13%の下落である。1987年の大暴落の規模が大きいことが分かる。今から30年ほど前の出来事である。

筆者は80年代に社会人になったので、いずれの経済危機にも実体験を持っている。1987年のニューヨーク証券取引所の大暴落は日本にも波及したが、幸いそのときの日本の株式市場は短期間に回復を見た。しかし、日本の株式市場は90年の年明けから下落基調が止まらなくなる。日本のバブルの終焉である。

1997-98年のアジア経済危機には茫然自失した。米国駐在中に発生したが、米国発アジア案件のビジネスに取り組んでいる最中だったので、危機発生後案件が全く動かなくなり開店休業状態に陥った。この時期にはアジア経済危機に加え、日本国内では金融危機も発生していた。日本で複数の大手金融機関が破綻や経営危機に瀕するなど前代未聞の事態である。

リーマンショックは筆者が邦銀から外資系金融機関に転職して2年後に発生した。リーマンショックの影響を最も受けたのは欧米の金融機関である。例えば、リーマンショック発生前まで欧州系金融機関は日本でのビジネスを拡大しようと営業拠点拡張など活発であった。しかし、リーマンショックが起こるとその流れはほとんど消失する。日系金融機関から外資系金融機関への人の移動も、リーマンショックを境に衰えた。

さて、80年代の株式大暴落、90年代のアジア経済危機、2000年代のリーマンショックを簡単に見てきたが、リーマンショックからまもなく9年である。経済危機は10年毎にやってくると考えている訳ではない。経済に天文学のような厳密な周期性はないと思う。しかし、今世界で起こっていることをつぶさに観ていると、世界の経済を混乱・攪乱させるような潜在的な要因はすぐにいくつか挙げることができる。経済危機のような不幸な出来事は起こらないでほしいと願う一方で、いざ発生したらどうしたら良いのかという心構えを持っておきたいものである。
  
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2017年05月22日

勉強会への応募 (PF664)

58b09a70.jpg某大学が社会貢献活動の一環として勉強会を主催している。数か月間の間約50名の参加者が議論しながら主体的に学ぶ。大学側が運営費用の大半を拠出しており、参加者が負担する費用はごくわずかである。学生や社会人を対象としている。講師陣やプログラム内容が充実しており人気がある。応募者が多く、参加者を選ぶ選考が行われている。

選考は2段階で行われる。第一次選考は書類選考、第二次選考は面接。第一次選考に応募するために用意しなければならない書類の多さは尋常ではない。略歴等のほか、志望理由、社会問題に関する問題意識、同問題意識への解決案、課題小論文。加えて第三者の推薦書も添える。

選考に通過したら、勉強会には原則無遅刻無欠席で参加することが期待されている。応募書類の重厚さといい、無遅刻無欠席の運営方針といい、かなりの覚悟がないといけない。

しばらく逡巡したが、筆者は応募してみることにした。運営する大学側の熱意を感じたからである。そして、学びの場を持ちたいという筆者の思いもある。逡巡した理由は筆者の年齢である。募集要項に年齢制限はなかったが、勉強会の趣旨から、学生や若い社会人の参加を想定しているものと推察された。

年齢が理由で選考に漏れるのであれば、第一次選考の段階で判明するであろう。そう思いながら、応募書類を準備した。応募書類自体が多いのは既述の通りであるが、準備に手間取るのは第三者の推薦書である。幸い一部上場企業の役員を務めている方が推薦書の用意を快諾してくれたので、意を強くした。

推薦書を含め応募書類をすべて整えると、期日までに送付。数週間後には薄い封書が自宅に届いた。封書の薄さから、不合格を覚悟した。開封してみると、第一次選考の合格通知書と第二次選考の案内書が入っていた。合わせて二枚の紙。

薄い封書が届いてから数週間後に、第二次選考の面接に臨んだ。待合室に待っている第一次選考通過者の年齢層が若い。学生と思しき人たちと20代30代の社会人と思しき人たち。50代の筆者は場違いである。

面接は首尾よく進んだ。面接官とのコミュニケーションも良く取れたと思う。昔から筆記試験より面接を得意としていたという自負もある。最終合格を確信して、面接の部屋からゆっくり退出した。

面接から約一週間後に再び薄い封書が自宅に届いた。薄い封書は朗報のはずである。ところが開封してみると、「残念ではございますが」で始まる不合格通知書の紙一枚が入っていた。

後日分かったことであるが、当初応募者は200名余おり、第一次選考通過者が約80名、最終選考通過者が約50名。筆者が選考に漏れたのは何故だろう。年齢が理由なら第一次選考で漏れていたはずである。選考に漏れた理由を筆者なりに推測してみた。書類は良かったが、面接してみたら「ただの50代のおじさん」だと思われたのかどうか。

この一連の出来事は数か月前のことである。もう勉強会のことはすっかり脳裏から離れていた。ところがつい先日同大学から一通の通知が自宅に届いた。次期勉強会に応募しませんかという勧誘である。「もう結構でございます」と筆者はひとりつぶやく。しかし、通知をよく読むと、次期勉強会の募集には過去の応募者を受け入れる若干名の別枠があり、事前に選抜した人だけに本通知を送付しているという。

なんとも蠱惑(こわく)的な勧誘である。しかし、筆者は再び逡巡している。応募するかどうか決めかねている。
  
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2017年05月15日

部下との信頼関係をつくる (PF663)

33c0b881.jpg自分の経験を振り返ってみて、自分のキャリアについて真剣に考えるようになったのが30代前半、部下の育成を真剣に考えるようになったのが40代後半以降。後者の部下の育成に目覚めるのはちょっと遅かった。言い訳になるかもしれないが、終身雇用や年功序列がしっかり残っており、組織の中で人事部の存在が大きい日本の企業(銀行)では、管理職にとって部下の育成はかならずしも優先順位の高い事項ではないように思う。

仕事を教えるだけが部下の育成ではない。部下と信頼関係を結び、部下の中長期的な成長を支援するのが上司に期待される部下の育成である。しかし、現場では時間の制約もあり、管理職がきめ細かく部下の面倒を見るのが難しくなっている。また、管理職になったからといって、部下の育成の経験が豊富な人ばかりではない。業務知識があり仕事はできるけれども、部下の育成を不得手としている人もいる。

コーチングという手法がある。部下と対話をし、問題点や課題を気付かせる人材育成方法である。コーチングの良いところは本人自身に問題点や課題を気付かせる点で、本人がこれらに気付けばコーチングは半ば成功である。コーチングの難しいところは、的確な質問で部下を導き問題点や課題の発見にまでたどり着くことである。上司の側にかなりの技量と経験を要する。

フィードバックという手法もある。部下と対話をし、上司が部下の問題点や課題をずばり指摘し、一緒に解決してゆくという手法である。中原淳氏の近著『フィードバック入門』(PHPビジネス新書)はフィードバックを「耳の痛いことを部下にしっかり伝え、彼らの成長を立て直すこと」と定義している。フィードバックも指摘内容が適切でないと、却って本人の反感を買う。場合によると、パワーハラスメントと誤解されかねない。

コーチングとフィードバックは対立する考え方ではない。部下の育成・成長を目的としている点は共通している。違いは問題点や課題を本人自身に気付かせるのか、それとも上司が指摘するのか、というところにある。問題点や課題の存在を共有したあと、部下と上司が一緒になって解決を図ってゆくところは再び共通している。

コーチングとフィードバックとでは、どちらが適切な部下育成方法なのであろうか。どちらか一方が他方より優れているということではないと思う。上司の力量、部下のタイプ、事態の状況によって、両者を使い分ける。

コーチングとフィードバックを成立させるための前提条件があることに注意したい。それは上司が部下と一対一で対話する習慣を持つということである。週1回部下を集めて業務打ち合わせ会を開く、数か月に1回は飲み会を持つ、年に2回は業績評価の面談をするなどは広く行われている。しかし、直属の部下全員と一対一の面談を最低月に1回行っている人はどれくらいいるだろうか。

直属の部下全員と一対一の面談を持つのはコーチングやフィードバックのためだけではない。そもそも部下との信頼関係をつくるためである。部下との信頼関係ができていなければ、コーチングもフィードバックもおそらく成り立たない。また、コーチングやフィードバックをやらないとしても、部下との信頼関係は必要である。

部下との信頼関係をつくるために、最低月に1回部下との一対一の面談をお勧めする。これを3回4回と続けてゆくうちに、効果の大きさを実感する。そして上司自身の成長にも資する。


  
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2017年05月08日

仕事や人との距離感 (PF662)

4570f27d.jpg今年のゴールデンウィークは毎朝2時間テニスをしていた。6時に起床して7時に仲間とテニスコートに集う。若い頃テニスをやった経験はない。運動不足の解消を目的に、49歳のときから始めた。今はテニスそれ自体を楽しんでいる。テニス仲間に恵まれたのも幸いしている。

テニスを始めてから、かれこれ7年半が過ぎた。中学生や高校生なら、1年や2年の短期間のうちに急速に上達するのであろうが、50代にはそれは望めない。しかも、原則週末だけプレーする週末プレーヤーである。週末プレーヤーは泡沫プレーヤーでもある。人の目には相変わらずのプレー振りに見えるかもしれないが、本人はいつも上達したいと思っている。上達したいという向上心や探究心を持つと、さらに面白く感じられる。

最近のテーマは、ボールと自分との距離感である。ボールと自分との距離感とは、ボールを最も効果的に打つには自分のからだとどのくらいの距離を保てば良いのかということである。標準的なテニスのラケットは縦の長さがおおよそ65センチメートルある。ボールはガットの貼ってある楕円形の部分で打つが、このガットの貼ってある楕円形のうち、ボールを効果的に打てるのは中心よりやや先端寄りのところである。中心より先端寄りのところは、ラケットのグリップ端から55センチメートル乃至60センチメートル離れている。

ボールとの正しい距離感は、理屈ではラケットのグリップ端から55センチメートル乃至60センチメートル離れたところということになる。しかし、ボールとの正しい距離感は実際に何度も練習して身に付ける以外にない。理屈は理屈として理解の助けとするが、実際にいいショットが打てないと話にならない。

ボールに近づき過ぎても、離れ過ぎても、いいショットは打てない。ボールとの距離感を誤ると、ラケットをボールに当てに行くような打ち方になり、ボールに力が伝わらない。これはサーブを打つとき、フォアハンドを打つとき、バックハンドを打つとき、すべての場合に当てはまる。

テニスを通じてボールとの距離感の話をしてきたが、仕事や人との関係にも正しい距離感というものがあるのではないかと思う。いま携わっている仕事について、近づき過ぎて周りが見えなくなっていないか。もう少し距離を置いて見てゆけば、見落としているものが分かるのではないか。また、ある業務から距離を置き過ぎてはいないか。同業務の最近の動向を把握しておかなくて良いのか。

人との関係にも同様のことが言えそうである。近づき過ぎて情緒的な付き合いになってはいないか。自分の弱さが情緒的なお付き合いを助長させていないか。また、尊敬する先輩や同僚がいれば、疎遠になるのを避けるべく連絡を取ってみる。特段相談事がなくても、自分の近況を報告するだけでも良いので、連絡を取ってみる。

仕事や人との関係で誤った距離感を持つと、テニス同様いいショットは打てない。ラケットをボールに当てに行くような打ち方になりかねない。理屈は分かっていても、行動が伴わなければ良い結果に繋がらない。
  
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2017年05月01日

合理的に保守的な考え方 (PF661)

29ed3a9a.jpg日本郵政が多額の減損を発表した。これは2015年に豪州の物流会社を買収したことに関わる減損である。2年前の買収を報道で知ったときの驚きは今でも記憶にある。日本郵政が海外の物流会社を買収して、果たして買収後首尾よく経営してゆけるのだろうかと思ったからである。企業買収の成否は、買収後にどれだけ買収の効果を出せるかにかかっている。

企業や資産を買収する際には、買収時点での価値を上回る買収代金を支払うことは多い。いわゆるプレミアムを払う。このプレミアム分は会計上「のれん」(goodwill)として資産計上する。「のれん」は日本の会計では長期間で定額償却する。しかし、買収した企業や資産の価値が大幅に減少したときには一括して減損する。これを減損会計という。

買収した企業や資産が後刻価値を増加させた場合には、減損会計の逆のことをするのだろうか。あえて言えば増益会計という言い方になるかもしれないが、増益会計はするのだろうか。増益会計はしない。そして増益会計という言葉自体も存在しないようである。これは会計原則に通底する保守的な考え方によるのであろう。

行動経済学では実験等を通じて、人は利益とリスクを同等には評価していないことを明らかにしている。人は利益よりもリスクの方をやや過大に受け止める傾向にある。こういう人の行動の傾向や癖はけして悪いことではない。大儲けをしなくとも生活には困らないが、大損をしたら生活に困る。だから、利益よりもリスクの方をやや過大に受け止める。こういう保守的な行動は実は理に適っている。上記の会計の保守主義と行動経済学の知見は相通ずるものがある。

賭け事の好きな人がいる。ゴルフやマージャンでの賭けは言うに及ばず、パチンコ、競輪、競馬、競艇、カジノなどが好きな人がいる。賭け事やギャンブルは人の射幸心をくすぐる。賭け事の好きな人は賭け事で勝ったときのことばかりを話す。敗けたことも数えきれないほどあるはずだが、敗けたことは忘却しがちだ。勝ちを過大に評価し、負けを過小に評価する。上記の会計の考え方や行動経済学の知見とは正反対である。

裁判官を40年間務めた原田國男氏の近著『裁判の非情と人情』を読んでいたら、現役時代判決文を期日までに書き終わらない夢を何度も見たという。裁判官を退いてコラムの連載を受け持っていたときには、原稿は5回分6回分先まで用意しておいたという。

仕事を堅実に進める人は保守的な考え方や行動様式を持っているようである。大当たりはないかもしれないが、大きな失敗もない。若い頃は型にはまった仕事振りや堅実で着実な仕事の進め方にあまり関心を持てなかったが、いい仕事をする人は間違いなく堅実かつ着実に仕事をしている。いい仕事は付け焼刃的にはとてもできない。会計の考え方も行動経済学の知見も、合理的に保守的なのであろうとあらためて思う。


  
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2017年04月24日

製造業とサービス業 (PF660)

4f5906dc.jpg日本の強い産業は製造業である。自動車、エレクトロニクス、精密機械、プラントなどがすぐに思い当たる。製造業が売る製品というのは目で見ることができて、触ることもできて、試しに短期間使用してみることもできて、その性能の良さを理解しやすい。性能の良さを理解するのに、言葉の持つ役割はさほど大きくない。百の説明よりも、まず見てみる方が早い、スイッチを入れて動かしてみる方が早い。百聞は一見に如かずの世界である。

また、他国の製品と日本の製品との優劣も分かり易い。性能に優れ機能に優れ、故障が少ないなどの点が明白になってくると、競合品との差別化が図れる。最近は海外から「日本の製品は良質だが値段が高い」という声も聞く。しかし、独自の性能や機能を持っているなど類似の競合品が存在しない、代替品はないとなれば、値段が高くとも日本の製品を買わざるを得ない。製造業における差別化というのは分かり易い。

一方、金融はサービス業である。例えばプロジェクトファイナンスは融資であるが、融資というサービス自体は誰が提供してもあまり違いがない。A金融機関の提供する融資とB金融機関の提供する融資は仮に融資額と融資期間が同じだとすると、違いはせいぜい微細な融資条件や金利水準程度である。顧客(借主)の差し当たりの目的がまず一定金額の融資を確保することだとすると、A金融機関からであろうが、B金融機関からであろうが、どちらでも構わない。まさに「お金に色はない」。

サービス業が提供するサービスというものは製品のようには良し悪しの判別が容易ではない。見てみれば分かる、使ってみれば分かるというようにはなかなかいかない。サービスの良し悪しを決めるのは何であろうか。「おもてなし」のような心遣いであろうか。顧客の気持ちを忖度するような気遣いであろうか。そういう心遣いや気遣いももちろん重要だとは思うが、長い間筆者が感じていたのは「言葉」の持つ力である。

例えばプロジェクトファイナンスの案件でフィナンシャル・アドバイザーやリード・アレンジャーの指名獲得のため顧客を相手にプレゼンテーションを行ったとする。優れたアイデアを、よく作られた資料で説明を試みるとする。顧客の質問にもテキパキと応答するとする。このとき、顧客の母国語でプレゼンテーションを行うのが最善である。そして、プレゼンテーターの母国語は顧客の母国語と同じであることが最善である。

口八丁手八丁が必要だと言っているわけではない。目には見えない金融というサービスを顧客が選ぶに当たって、腹落ちするような納得感、安心感、信頼感が重要なのである。そういう納得感、安心感、信頼感は母国語の方が遥かに得やすい。

日本で営業している外資系金融機関の社員は日本人が多い。これらの日本人社員の重要な役割の一つは、日本企業の顧客に対して日本語で十分にコミュニケーションを取ることである。日本企業の中にはもちろん英語に堪能で英語でのやりとりに問題のない人もいる。しかし、多くの日本企業の社員は日本語で要点を確認し、納得感、安心感、信頼感などを以って取引に入ってゆくのが普通である。最後まで英語だけで完結してもらって構わない、という人は極めて稀である。

同様のことは弁護士、会計士、コンサルタントなどの専門職にも当てはまる。これらの専門職の提供するサービスも「言葉」の持つ力が非常に重要である。英語の堪能な日本人弁護士、会計士、コンサルタントももちろんいる。しかし、彼らの顧客が専ら欧米人というわけではない。彼らの主要な顧客は日本人である。

日本あるいは日本人は製造業に強く、海外でも日本企業の製造した様々な製品が高く評価されている。しかしながら、金融をはじめとしたサービス業では海外で成功している例が少ない。その要因のひとつが「言葉」の持つ力の問題ではないかと思う。
  
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2017年04月17日

1日2時間歩く (PF659)

4ced7262.jpg朝6時過ぎに起きると着替えて朝食を食べる。食べ終わるとウォーキングに出る。歩くこと約1時間。何も考えずに歩くこともあるし、今日1日の仕事内容を考えながら歩くこともある。あるいは草花の成長ぶりに目を奪われることもある。春は草花の成長が著しい。徐々に気温が上がってくるに従い、蕾はふくらむ。数日前まで蕾だったかと思えば、今日は花が咲く。草花に思いを馳せると、自分と草花が一瞬同期したような気がして、雄大な自然の営みから英気を養える。

ウォ−キングから戻ると、朝刊に目を通す。新聞を精読しだすと、それだけでかなりの時間が経過する。以前は新聞を読んで午前中が終わることがあった。午前中はもっとも仕事がはかどるので、新聞に費やすのではもったいない。午前中は仕事をすることにしている。ややこしい仕事でも、複雑な仕事でも、面倒な仕事でも、朝なら取り組む意欲がある。意欲旺盛な午前中は仕事に適している。

昼食は外で食する。このときも歩いて行く。往復30分程度歩く。昼食の際、新聞や本を持参する。食事を済ませた後、食休みを兼ねて新聞や本を読む。新聞や本を読んでいると、食休みの時間が長くなる。会社員のときは60分間の昼食時間という制約があったので、食休みもほどほどにして足早に職場に戻った。いまはそういう制約がないので、気兼ねなく活字を追う。ゆっくりと食休みを取っている間は至福である。自営業になって良かったと思う瞬間である。

午後は筆者の脳の働きが悪くなる。集中力や意欲が低下しているのが分かる。仕事はするが、無理はしない。データ収集や整理など作業的な仕事に充てるのが良いようである。午後も後半になると、集中力や意欲が回復してくる。午前中の仕事が再開できることも多い。

夕方は再び外出する。翌日の朝食のためのパンを買いに行く。また30分ほど歩く。つまり、朝に1時間、昼に30分、夕方に30分で合計1日に2時間歩いていることになる。初めからそのように意図したわけではない。いつの間にか1日3回歩くのが心地よくなり、習慣化しただけである。

夕食を済ませ入浴も済ませると、就寝まで自由時間にしている。昼間の仕事を続けることもあるが、夜に仕事をすると心身の疲れが高まるような気がして、夜は仕事をしないようにしている。音楽を静かにかけて本を読むのが理想的な夜の過ごし方である。遅くとも夜11時には就寝する。

以上は会社員を辞めてからの筆者の典型的な平日の過ごし方である。土曜と日曜は平日とはパターンが異なる。土曜と日曜の午前中はそれぞれ2時間テニスをしている。テニス仲間と一緒に笑い一緒に汗をかく愉しいひとときである。日曜日の夕方は大学院生の娘の都合が合えば一緒にウォーキングをする。娘と話をする貴重な機会である。また、日曜日の夕方は近所に住む両親宅に顔を出す。両親は高齢で二人とも80代である。5年前に筆者自宅近隣に呼び寄せた。幸い二人とも元気で、日常生活に問題はない。そうは言っても、高齢の二人が生活に不便なくやっていることを息子としては確認しておきたい。また両親も息子が元気でいることを知りたいであろう。この5年間欠かさず毎週日曜日に両親宅に立ち寄っている。

仕事をするということと会社員でいるということとが必ずしも同義ではないはずだ、と自分に言い聞かせてきた。会社員ではなくなるけれど仕事は続けられるということを実証できるのか、と自分に問い続けてきた。数か月間程度で答えは出ないけれども、少しずつ手応えを感じ始めている。
  
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2017年04月10日

テイク・オア・ペイ (PF658)

6d4505a5.jpgLNG(液化天然ガス)事業を企図する事業者は、通常LNG購入予定者と長期間の売買契約を予め締結してから事業投資を決断する。多額の投資を要する事業なので、LNG購入予定者を確保し販売先に目処を付けたうえで事業に着手する。LNG事業の資金調達にはプロジェクトファイナンスがよく利用される。長期間の売買契約が存在していることは、プロジェクトファイナンスを組成するうえでも好都合である。

LNGの長期売買契約には通常テイク・オア・ペイ(Take-or-pay)の条項が入っている。テイク・オア・ペイとは「(製品を引き取って代金を払うのはもちろんのこと)製品を引き取らなくても、代金を払う」という意味である。買主は原則製品代金の支払いを拒否できない。製品を引き取らなくてもいいが、お金だけは払わないといけない。テイク・オア・ペイの条項が存在すると、売主(LNG事業者)に有利である。もっとも、売主の立場から見ると、仮にテイク・オア・ペイ条項が存在せず安易にLNGの購入を拒否されるようなことが起こると、事業が立ち行かなくなる。多額の投資は回収が覚束ない。テイク・オア・ペイ条項は売主の事業利益を守るものである。

さて、東芝が2013年米国フリーポートLNG社とLNG購入契約を締結した。年220万トンの引き取りで期間20年である。2019年9月から出荷が予定されている。2013年と言えば、石油価格が1バレル当たり100米ドル(以下「1バレル当たり」を省略)の時代である。石油価格は2011年から2014年夏までの3年半の間、100米ドルが続いた。人間の感覚というのは不思議なもので、当時石油価格100米ドルは当たり前に感じたものである。

日本やアジアに輸入されているLNGの価格は石油価格にリンクしている。石油価格が1バレル100米ドルのとき、LNG価格はおおよそMMBtu当たり15米ドル(以下「MMBtu」を省略。MMBtuは熱量単位)である。一方で、米国産LNGの価格は日本やアジアまで運んでくるとおおよそ10米ドルである(ヘンリーハブ・ガス価格3.50米ドル程度を想定)。石油価格が100米ドルのままであれば、米国産LNGの価格は割安である。ざっと5米ドル安い。

ところが、石油価格は2014年夏以降下落した。持ち直してはいるが、現在約50米ドルである。2011年から2014年夏までの価格の半分である。石油価格が50米ドルなら、LNG価格は約7.5米ドルである。石油価格にリンクしたLNG価格が7.5米ドルなら、10米ドルする米国産LNGを購入する経済的理由はなくなる。

東芝が年220万トンのLNG契約を抱え込んだまま転売先を見つけられないのは、石油価格が大幅に下落したからである。東芝のLNG契約にはテイク・オア・ペイの条項が入っているはずである。LNGを引き取ろうが引き取るまいが、代金は払わないといけない。結果論になるが、2013年にLNG契約を締結してから石油価格の下落まで約1年間の時間的猶予があったのだから、この間に転売先を見つけ転売先と売買契約を締結しておくべきであった。リスク管理能力が弱いと指弾されても致し方ない。

本LNG契約に伴う東芝の支払い義務は20年間で累計1兆円に及ぶと報道されている。東芝のLNG契約はLNG加工委託契約のようである。仮に支払い義務のある金額累計1兆円の計算が正しいとすると、筆者の試算ではMMBtu当たりの加工委託料は約4米ドルである。これは、先のLNG価格差2.5米ドル(米国産LNG価格10米ドルと石油価格50米ドルのときのLNG価格7.5米ドルの価格差)より大きい。

そうであれば、加工委託料を支払ってLNGを実際に引き取り、例えば3米ドル値引きして販売することが可能かもしれない。3米ドル値引きすると10米ドルの米国産LNGが7米ドルになり、石油価格リンクのLNG価格に競合できる。そうすれば自社の損失はMMBtu当たり加工委託料の4米ドルから値引き分の3米ドルに減少する。つまり、MMBtu当たり1米ドル損失額が減る。当面は値引きをしてでも販売を続け石油価格の上昇を待つ、というのが得策かもしれない(当面の損失に耐えるだけの財務力が必要ではあるが)。石油価格が徐々に上昇してくれば、値引き額は縮小してゆく。そして、石油価格が70米ドル辺りを超えてくると、値引きせずに米国産LNGを日本やアジアで販売できるはずである。
  
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2017年04月03日

プロラタ・パリパス (PF657)

727fa47f.jpgプロラタ(Pro rata)・パリパス(Pari Passu)という言葉がある。国際金融の実務ではよく見かける言葉である。プロラタは比例案分という意味である。パリパスは金銭支払面において平等という意味である。

海外のプロジェクトファイナンス案件は融資金額が大きくなることがある。数千億円規模の融資契約書となることも珍しいことではない。そうすると、融資に参加する銀行数は多くなる。20行あるいはそれ以上になることもある。銀行数が増えてくると、シンジケーションといって銀行団を組成する必要がある。そして、各銀行の融資額は必ずしも均等というわけではなく、数百億円を融資する銀行もあれば、百億円未満とする銀行もある。融資額は不均等になる。

一方でプロジェクトファイナンスでは事業資産はすべて担保として融資銀行団に提供する。いわゆる全資産担保である。この担保となる全資産に対する銀行団内の各銀行の権利関係はどうなるのか。このルールの基本がプロラタ・パリパスの考え方である。つまり、各銀行の融資金額に応じて比例案分を基本とし、それ以外の点すなわち支払い順序等については皆平等であるという考え方である。なにか融資銀行団の中で疑義が起こった際には、常にこのプロラタ・パリパスの考え方に立ち返って問題解決を図ってゆく。

さて、先般東芝は金融機関向けの説明会を開催した。融資継続の要請が目的であるが、融資継続の見返りに会社の資産を融資の担保として提供するという。これまでの融資は信用扱い、つまりなんら物的担保は提供していなかったのであろう。業績が順調に推移している大手の会社への融資は通常信用扱いである。しかし、東芝の場合業績が悪化し2017年3月期決算は大幅な債務超過に陥る見込みなので、融資継続を要請するには担保の提供はやむを得ない。

問題は担保の提供の仕方である。東芝の融資団は2つ存在する。主要行の入っている約6,800億円の融資団と地銀等で構成する約6,200億円の融資団である。融資金額はどちらも6,000億円を超えており金額規模は甲乙つけ難い。しかし、東芝はこの2つの融資団に別々の担保を提供すると提案している。前者の融資団には半導体事業の子会社東芝メモリの株式(時価1兆5千円から2兆円と報道されている)、後者の融資団には東芝テック、東芝プラントシステム他の株式及び事業用不動産(合計で時価4千億円強と報道されている)である。

なぜ別々の担保を提供するのか。不可解という他ない。冒頭に触れたように、融資をしている金融機関はすべてプロラタ・パリパスの原則に従って取り扱われるべきである。つまり、東芝のケースで言えば、東芝メモリの株式もその他東芝関連会社の株式も事業用不動産もすべての資産をまずひとくくりにし、それら一切を一つの担保資産として、現在融資をしている金融機関すべてにプロラタ・パリパスの原則で提供すべきである。2つの融資団に別々の担保を提供するという東芝の提案はプロラタ・パリパスの原則に反する。報道に拠れば、地銀等で構成する融資団が東芝の提案に反発しているという。反発するのはもっともな話である。

それぞれの担保の時価もだいぶ異なる。東芝メモリの株式の時価は1兆5千億円を超えると言われているのに対し、東芝テック、東芝プラントシステム他の株式及び事業用不動産の時価は合計4千億円強だと言われている。この点でも地銀等で構成する融資団の反発はもっともである。

仮にそれぞれの担保資産の時価が同等だと試算されていたとしても、2つの融資団に別々の担保を提供するのは得策ではない。2つの融資団ともそれぞれ疑心暗鬼になるだけであろう。また、どんな資産も実際に換金してみると、当初の算定金額とは一致しないものである。

東芝は今米国ウエスティング・ハウス社の破産法申請や東芝メモリの株式売却で多忙を極めているはずである。日本の金融機関で構成される2つの融資団から首尾よく融資継続の了解を勝ち取らなければならないはずである。それにもかかわらず、プロラタ・パリパスの原則に反する担保提供案を2つの融資団に提示しているようでは、融資団との交渉を自ら難しいものにしてしまうだけである。

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注)日本経済新聞朝刊2017.3.29等の記事を参照した。
  
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2017年03月27日

ひとりひとりの働き方改革 (PF656)

4feff524.jpg会社の社員としてではなく、自営業者として働くいわゆるフリーランスが米国では現在五千万人以上いるという。米国の労働年齢人口の約3割に匹敵するともいう。米国人は生涯で平均3回程度転職するとも言われているので、数回の転職のあとに自営業つまりフリーランスになるというのはひとつの選択肢なのかもしれない。

筆者もフリーランスで自営している人と初めて親密に仕事をしたのは米国駐在中のことである。米国の邦銀支店で米国人の人材を探すとなると、在米日本企業の事情を熟知した人材紹介会社にお世話にならざるを得ない。米国内には人材紹介会社が数多くあるが、在米日本企業の事情に精通した担当者を探すのは容易ではない。そこで伝手を辿ってゆくと、米国人A氏の存在を知るに至った。A氏は年齢50代後半である。

A氏は昔大手人材紹介会社に勤務していたことがあり、人材紹介業の経歴が長い。もっとも、筆者が出会ったときには既に独立していて、一人で切り盛りしていた。A氏に電話をすると、渡りに船の対応で、早速ランチをはさんで打ち合わせをすることになった。当方が要望を伝え始めると、一を説明して十を理解する要領の良さで、当方の手間が省ける。なるほど在米日本企業の評判が良いはずだと感じた。結局数年間のあいだにA氏斡旋の人材を数名採用した。A氏がいなければ、米国での社員採用にもっと苦労していたはずである。

米国駐在中に筆者の下でリザーブ・エンジニア(石油・ガスの埋蔵量評価のエンジニア)として働いていたB氏は、筆者が帰国してまもなく独立した。独立したときの年齢は40代半ば。ファイナンスが分かり、かつ埋蔵量のことも分かるという人材は米国内でもけして多くはない。B氏は「自分よりも年上の世代にはファイナンスと埋蔵量の両方の知識を持つ人が随分いたが、最近は仕事の専門化・細分化が進み、両方の業務をまたぐ仕事をする人が減っている」と言う。大手の金融機関であればリザーブ・エンジニアを社内に雇用しているが、中小になると案件ごとに外注することが多い。B氏は中小金融機関の外注ニーズを拾い上げる狙いで独立したわけである。

日本にももちろん自営業として働く人が筆者の周りにもいる。例えばC氏は銀行員から人材紹介業の世界に転じ、大手人材紹介会社での活躍を経て50代初めに独立した。爾来20年余、いまでも金融界で人材の斡旋を続けている。特に外資系金融機関に強く、特定の分野についてのネットワーク力は群を抜いている。「自分が納得する人材でなければ、人に紹介はしない」というモットーは素晴らしい。「自分は会社員に向いていない」と忌憚なく言えるのも、現在の仕事が安定しているからであろう。

今日本で働き方について改革の議論が活発である。長時間労働、有給休暇が取れない、さまざまなハラスメントがある等々日本の会社員が抱えている問題は尋常ではない。では会社員をやめてフリーランスになれば良いのかというと、そう単純なものではない。会社員をやめるのか、フリーランスになるのかという二者択一的な話は、おそらくあまり問題の解決にはならない。なぜなら、フリーランスでやってゆくには相応の専門性、技量、信用、人脈などが必要だからである。

そもそも会社員としてずっと定年退職までやってゆくにしても、専門性や技量は必要である。「この分野については社内で一番詳しい」「居ないと困る」といったような存在感のある社員になってゆくことが望ましい。さもないと、若手から疎まれ会社にしがみつくような会社員になりかねない。現在議論されている働き方改革はどちらかというと外部環境に重きが置かれていて、社員ひとりひとりの在り方があまり俎上に乗っていないように感じられる。

専門性や技量をしっかり身に付けたうえで、会社員として最後まで会社に残るのか、別な会社に転職するのか、それとも独立して自分の夢を追いかけるのか、というのがひとりひとりの働き方改革なのではないかと思う。
  
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2017年03月21日

人事異動の季節 (PF655)

109440d7.jpg春は人事異動の季節である。日本企業の定期的な人事異動はいまや海外の企業人も知るところとなった。会社内で異動し職務が変わるということは、実は先進国の外国企業でも起こる。そういう意味では外国企業にも人事異動はある。しかし、日本企業の人事異動は定期的に大規模に行われている点が特徴である。

さらに、日本企業の人事異動には決定的な違いがある。それは異動する本人の意向はほとんど斟酌されていない点である。筆者が30代前半のときにニューヨーク支店赴任の内命を受けた。海外勤務を希望していたので嬉しかった。しかし、ニューヨーク支店でどんな仕事をするのかは結局東京にいる間は分からず仕舞い。内命から赴任まで約2か月あったが、新しい職務が分からないまま「ニューヨーク支店長が判断するから」と東京で説明されて、機上の人となった。

ニューヨークで仕事をするということは分かったが、果たしてどんな仕事をするのか。ニューヨーク支店に出勤して、支店長から発令を受けて初めて自分の職務を知った。事務部門の課長職である。課員は米国人ばかり8名。事務部門のためか、課員の出自はさまざまで勤務態度の芳しくない課員もいた。毎朝必ずやらなければいけない課長の仕事は、課員全員がちゃんと出勤していることを確認することである。他課の人が同課を揶揄して、「動物園」と呼ぶのを聞いた。

筆者の経験は日本企業では珍しいことではない。日本企業における人事異動とはそういうものである。しかし、外国企業では到底考えられないことである。外国企業での社内異動は、本人と上司が事前によく話し合う。そして、最終的に本人が納得し了解した異動だけが実現する。異動の機会は上司から持ち出されることもあるし、本人がポジションを見つけてきて上司と相談を開始することもある。

最終的に本人が納得し了解したうえで異動が行われるので、勤務地、職務内容、期待されていること、待遇などの情報は事前に本人に共有されている。本人の最終決断までには、異動先で上司となる人とも数回話し合う。異動先の上司も本人の受け入れに同意する。つまり、現在の上司、異動先の新上司そして本人の3者が最終的に合意してはじめて異動は実現する。

こういうやり方で異動が行われるので、外国企業では定期的にかつ多数の社員を同時に異動させることは現実的に無理である。そして、外国企業での人事異動は正直に言って時間も手間もかかる作業である。

時間も手間もかかるのを承知の上で、外国企業がこういう人事異動の方法を励行するのはどうしてだろうか。それは、人事異動は本人のキャリア形成のうえで極めて重要だからである。そして、本人の希望するキャリア形成を支援し本人の希望する職務を担ってもらうことが、本人の満足度を上げ働くモチベーションを引き上げる。延いては本人のパフォーマンスが上がり、会社の業績に貢献する。

外国企業も昔は日本企業と同様の定期的な人事異動を行っていたところもあったに違いない。企業にとっては手間暇がかからず効率的だ。社員ひとりひとりの希望を聞いていたら、組織運営がやりにくい。しかし、人間は将棋の駒ではない、機械の一部品でもない。人間はひとりひとり異なるし、それぞれが自分の希望や夢を持っている。感情や感性を持った生きものでもある。

やりがいを感じる、モチベーションが高まると意気揚々と仕事に取り組む人がいる一方で、仕事の意義が見いだせない、こういう仕事は自分には合わないと愚痴をこぼしながら仕事をしている人もいる。どちらの方が仕事上で良い結果を出すかは明らかである。その集積が企業としての業績にもつながる。

日本企業はいつまで現行のような人事異動を続けるのだろうか。日本人社員の感情や感性はいつまで現行の人事異動に耐えられるのだろうか。
  
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2017年03月13日

閑話休題のビジネス英語(40) (PF654)

fa99ce2d.jpg●ビジネスの現場で「情報交換する」という意味の英語はexchange informationでもいいけれどもcompare notesという表現の方が英語らしい、という趣旨のことを以前書いた。Compareという言葉はなかなか便利で、他の文脈でも使用される。例えば、取引先から面談の要請を受け、日時を決めるに当たって同席する上司や同僚のスケジュールを確認したいという場面があったとする。このときの「上司や同僚のスケジュールを確認する」という意味で、compare diaries と言う。diariesはスケジュール(帳)のことを指す。つまり、上司や同僚のスケジュール(帳)を比べる、確認するということである。「上司や同僚のスケジュールを確認のうえ、折り返しご連絡します」と言う場合には、I will compare diaries and then get back in touch などと言えば良い。

●ファイナンスの世界で tenorといえば、融資期間のことである。The loan has a tenor of 10 years (その融資は期間10年)などという言い方をする。しかし、一般の英和辞典やWebsterなどの英語の辞典でtenorを引いても、「期間」という意味は説明されていない。なぜだろうか、不思議だ。Websterなどにはquality, character, conditionなどの意味もあると説明されているので、そこから融資の条件のひとつとしての「(融資)期間」という意味が生まれたのかもしれない。
もっとも、ファイナンス用語を解説したものにはThe length of time between the creation of a Credit Facility or Bond and its final facility (Latham & Watkins Glossary of Corporate and Bank Finance Slang and Terminology, 1st Edition)と明確に説明されている。融資期間を意味するtenorは一般的な言葉ではなく、専門用語に属するということになろうか。
因みに、男性の歌声でバスとアルトの中間をテナー(テノール)と言うが、英語では同じくtenorと綴る。

●Minuteはもちろん時間の単位「分」のことである。社内会議の場などではAnyone can take the minutes? などと上司が若手に依頼することがある。Take the minutesとは、議事を記録する、議事録を作成するという意味である。minutesと複数になっているところに注意したい。時間の単位「分」も議事録も、品詞は名詞である。
ところで、minuteという単語には形容詞が存在することをご存知であろうか。Minute changes(わずかな変化)とかin minute detail(事細かに)というように使用される。しかも、発音が変わる。あえてカタカナで表記すると、「マイヌート」という発音になる。音声だけ聞いていると、時間の単位「分」を意味する名詞のminuteとは、まったく別の単語のようである。
余談になるがさらに付け加えると、米国ボストンで史跡を見て回ると、Minutemanという言葉に頻繁に接する。Minutemanは独立戦争当時緊急招集された兵士のことである。召集をかけるとまたたく間に集まってくるので、その名があるという(they were known for being ready at a minute`s notice, hence the name [Wikipedia])。

  
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2017年03月06日

ひとつのことを続けてやらない (PF653)

6c7ccf28.jpg3月になったが、まだ朝晩の気温は低い。筆者は冬場就寝の際に湯たんぽを使っている。就寝する数時間前に布団の中の足元辺りの位置に熱湯の入った湯たんぽを入れておく。布団に入るときに湯たんぽを隅に移動するが、布団の中の足元付近が温まっているのは甚だ気持ちが良い。気持ち良く就寝できるので、睡眠の質を向上させる気がする。

家内が湯を沸かしてくれることが多いが、自分で湯を沸かすこともある。やかんに水を入れて湯を沸かす間、万が一のため台所から離れる訳にはいかない。台所に立って湯の沸くのを待つ。待っている時間は長く感じる。なかなか湯が沸かないと感じる。外山滋比古氏のエッセイに「見つめる鍋は煮えない」というのがある。ずっと鍋だけを見ていてもなかなか煮えないと感じる人間の心理を表現したものである。やかんの湯がなかなか沸かないと感じるのと同様であろう。

同じ作業を続けていると、作業能率が落ちる。集中力が低下する。本題から横道にそれて何か他のことに興味が移ってしまうこともある。人間の集中力は長く続かないものだと観念する方が良いようである。さもないと、集中力が足りないのはどうしてだろうと自分を責めたり、集中力を引き上げるにはどうしたら良いのかとやみくもに悩んだりする。人間の集中力は時間の経過とともに低減してゆくものだと諦観した方が精神衛生上良い。

そういう前提で仕事のやり方を工夫する。トータルの作業効率を向上させるには、むしろ複数の作業を行うのが良いようである。もっとも、文字通り同時には複数の作業はできない。皿回しのような曲芸の話をしているわけではない。例えば、本を読むのなら2冊か3冊の本を用意しておく。1冊目の本に集中力が無くなってきたら、2冊目の本を読む。2冊目の本に一息入れたら、3冊目の本を読む。こうすると、1時間ずつ3時間の読書も集中力の水準を落とさずに行える。おそらく1冊の本を3時間読むより、総合的な収穫や効用は大きくなるのではないか。

仕事についても、ひとつの作業ばかり長時間やらないで複数の作業を織り交ぜた方が良い。例えば、報告書の骨格を考えたら、次は顧客向け提案書の仕上げをする、その次は稟議書のための資料作りをする、といった具合である。最初の報告書だけに何時間も費やしても、おそらく単位時間当たりの作業効率は落ちる。下手をすると嫌気が差してしまうかもしれない。精神的心理的な飽和状態を起こさないようにしたい。

学校時代の時間割を思い出す。1日6時間の授業だとすると、たいがい6教科の授業が行われる。けして1教科を6時間続けて行うということはしない。先生も生徒も同じ教科を長時間も続けて行ったら集中力が続かない。学校の授業の時間割作成には、ひとつの教科の授業ばかり何時間も続けて行わないという考え方が存在している。教職員の方々の優れた経験則だと思う。

本を読むにも仕事をするにも、学校の時間割の考え方を参考にしたいものである。トータルで作業効率を上げるためには、ひとつのことばかり続けてやらない。
  
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2017年02月27日

経済成長は必要か (PF652)

793de7fb.jpg独立して仕事を始めてから知り合いに会うと、面白い質問を受ける。「人の採用はしないんですか」筆者の仕事が成長して人手不足になるのではないかという老婆心から出た質問であろう。「3年くらいはひとりでやってゆきます」と体よく答えたが、内心は何年経ってもひとりでやっているに違いないと思っている。ひとりであっても仕事が続けられるだけで御の字だと思う。業務を拡大したいという野心はない。

「あの有名ブランドのコーヒー店のチェーンに参加したらいかがですか」とも言われたことがある。確かにそのコーヒーチェーン店は繁盛しているようである。しかし、飲食店の経営に興味はない。ましてやお金儲けが主たる目的だとしたら、なおさら興味はない。

吉川洋氏の近著『人口と日本経済』の中に「経済成長は必要か」という議論が出てくる。ある程度豊かになったら、もはや経済成長を目指さなくとも良いのではないかという考え方は昔から存在していたようである。老荘思想なども経済成長否定派であろう。人間の欲望は無限なので、その欲望を追いかけてもキリがない。足るを知る必要がある。足るを知れば、経済成長はある時点で必要なくなるものなのかどうか。

経済成長の話を個人のレベルに当てはめて考えてみる。個人のレベルに当てはめて考えると、経済成長はさしずめ所得の増加と読み替えられる。個人の所得は増加し続けるものであろうか。運が良ければ会社員は50歳くらいまで所得は増えるかもしれないが、いつか所得の増加は止まるときが来るであろう。ある程度豊かになったら、もはや所得増加を目指さなくとも良いかもしれない。もっとも、その「ある程度」の豊かさの水準が人によって異なることは承知している。

営業部門で仕事をしていると、収益目標というものがある。日本の金融機関にも外資系金融機関にも、期毎の収益目標がある。それを達成するために懸命に働く。その達成度合いが当人の人事評価につながる。外資系金融機関ではボーナスの算定につながる。だから、収益目標は蔑ろにできない。しかし、毎期収益目標が来るので、次第に疑問に思うようになる。どうして成長を続けなければいけないのだろう。先期まで随分業績を伸ばしてきたではないか。この辺で一休みというわけにはいかないものか。

資本主義社会における民間企業というのは、どうも成長が義務付けられているようである。収益を伸ばし続けることが善、さもなくば優良企業ではないと。株主の期待が云々という説明もされる。しかし、筆者はいまでもあまり腹落ちしていない。人間の無限の欲望を追いかけているような気がしてならない。

経済成長や所得増加を否定するつもりはない。また、老荘思想のように世を捨て厭世的になるつもりもない。しかし、これからはお金や数字に換算できないものにもっと目を向けて行きたいとは密かに思っている。


  
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2017年02月20日

東芝から学ぶもの (PF651)

788d3466.jpg歴史ある大手企業が危機に瀕している。従業員はグループ企業を入れると十数万人にのぼる。三洋電機やシャープのケースを見てきたので、日本の総合電機業界は一時代を終わったのかとつくづく感じる。

東芝の経営についてどうしても腑に落ちないのは、原子力事業を会社の中核事業としたことである。原子力発電所の新設が新興国等で多数計画されてはいる。しかし、果たして本当にどれだけの原子力発電所がこれから新設されるのだろうか。原子力事業は成長著しい産業なのであろうか。民間企業として原子力事業に伴うリスクをどう考えていたのであろうか。

東芝は少なくとも過去2回原子力事業を見直す機会があった。1回目は福島第一原子力発電所が事故を起こした2011年である。2回目は不正会計が発覚した2015年である。

2011年3月東日本大震災のため福島第一原発が被災した。被災規模は米国のスリーマイル島原発事故(1979)やソ連のチェルノブイリ原発事故(1986)に匹敵する。これを機にドイツでは国内の原子力発電所を順次廃炉にすることを決めた。ドイツのシーメンス社は原子力事業からの撤退を決めた。また、米国では原子力発電所についての安全規制が強化された。建設費は上昇する。

さらに、米国のショー・グループは東芝がウエスティングハウス社を買収した際20%共同出資したが、2012年オプションを行使して同20%の持ち分を東芝に買い取らせた。つまり、ショー・グループはウエスティングハウス社から完全に手を引いたのである(ショー・グループは翌年CB&Iに買収される。東芝が2015年に買収したストーン&ウェッブスター社はショー・グループ配下の会社である。)。

東芝がウエスティングハウス社を買収したのが2006年だから、福島原発事故は買収から5年目の出来事である。母国で発生した原発事故を目の当たりにして、原子力事業に見切りをつけるという英断があっても良かった。シーメンスやショー・グループは同時期に英断しているのである。この時に原子力事業を切り離していれば、後刻大規模な不正会計をする必要もなかったかもしれない。

原子力事業を見直す2回目の機会は、その不正会計が発覚した2015年である。虎の子の医療事業を売却し6千億円余を捻出する。このときに売却すべきは成長が期待できる医療事業ではなく、将来の成長が見通せない原子力事業ではなかったのか。さらに悪いことに、この2015年末に原子力発電所の建設等を行うストーン&ウェッブスター社を買収した。原子力事業を売却しないどころか、買い増ししたのである。

今般の多額の減損はこのストーン&ウェッブスター社買収に関わるものだ。わずか1年前に買収したものが、7千億円余の減損を発生させるとは一体どういうことであろう。買収を決めた東芝の経営陣はどこを見て買収したのだろうか。貧すれば鈍するとは、こういうことを言うのであろうか。

見切り千両という言葉がある。ときに思い切って見切ることは千両の価値がある、という意味である。ビール会社のキリンは6年前に約3千億円で買収したブラジルのビール・飲料会社スキンカリオール(現ブラジルキリン)の売却を先般決めた。売却金額は770億円。2千億円以上の損失となったが、勇断だと思う。見切りを付けるのは、買収を決めるのと同じくらいに、あるいはそれ以上に、重要だ。

事業ポートフォリオを大胆に入れ替えるのは、社長をはじめとした経営陣の重要な仕事である。東芝は運が悪かった、ということではないと思う。歴代社長が経営を誤ったのである。いわば人災と言わざるを得ない。

同情を禁じ得ないのは当社で働く従業員の方々である。
  
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2017年02月13日

独立開業事始2 (PF650)

dd0fceb8.jpg会社員から自営業になって、その存在の重要性に気付かされるのは社会保険である。会社員は健康保険料、年金保険料、雇用保険料(さらに40歳以上であれば介護保険料)を給与から天引きされている。税金と社会保険料の天引きが行われているので、いわゆる手取り金額は額面の給与金額より少なくなる。社会人になりたての頃は、この天引きに少々不満を感じたものである。

社会保険料の中で相対的に金額が大きいのは健康保険料と年金保険料である。前者は本人と家族の医療費出費に備えた健康保険制度に関わる保険料である。健康保険に加入していなければ、医者にかかったときの費用は現行の3倍以上になりかねない(健康保険加入者の自己負担額は30%なので)。また、高額療養費制度というのがあるので、仮に高額の医療費が発生するようなことがあっても自己負担の上限が定められている(実はこの高額療養費制度があるので、民間保険会社が勧める医療保険には無暗に加入する必要はない)。病気や事故が発生するリスクは避けられないので、健康保険制度は有難い。

後者の年金保険料は退職後の生活費を補う年金制度に関わる保険料である。保険料と呼ぶものの、なにかのリスクに対する保険料というよりも、高齢になったときの収入保障である(強いてリスクと言えば、高齢になることのリスクか)。会社員であれば通常本人と配偶者(所得が一定水準以下の場合)が加入している。保険料の半分は勤務先の会社が負担している。社会人になりたての頃は天引きに不満を感じたと先に記したが、年齢を重ねると年金制度の存在に有難味を感じる。こうやって天引きのかたちで半強制的に保険料を積み立てていなかったら、老後の生活費に難渋するかもしれない。

誰でも年を取って、いずれは仕事ができなくなり収入を得られない日がやってくる。収入が得られなくても生活費はかかる。年金制度は最低限の生活費を賄う制度である。しかも、公的年金の支給は終身なので、生きている限り何歳でも受給できる。もっとも、日本の年金制度は賦課方式といって、自分の積み立てた資金だけで自分の年金受給を賄っているわけではない。若い世代の年金保険料と税金の投入によって、年金支給額を補っている。

会社員を辞め自営業になると、健康保険も年金保険もそれぞれ国民健康保険、国民年金保険に切り替わる。しかし、健康保険については「任意継続」という制度があり、会社員時代に加入していた健康保険組合で2年間に限り加入を継続できる。保険料水準は国民健康保険のそれよりも「任意継続」の方が安価なケースが多く、会社員を退いたら当面の2年間は「任意継続」をした方が得策だと言われている。

国民年金の加入手続きは市町村役場で行う。手続きに当たり年金手帳を持参するように言われた。筆者の年金手帳は引き出しの奥になんとか見つけることができたが、家内の年金手帳が見つからない。仕方なく、家内については毎年日本年金機構から送付されてくる「ねんきん定期便」の通知書を持参して年金手帳の提示に代えた。

そもそもこれまでの生涯で年金手帳の提示を求められたのは、転職のときと今般の国民年金加入のときだけではなかったか。年金手帳には当人の年金番号が記されている。年金番号は早晩マイナンバーで代替・統一されるはずである。しかし、今のところ国民年金の加入手続きに当たり、30年以上前に交付された年金手帳を提示しなければならない。ひとつの会社だけで会社員生活を全うすればそういう必要もない訳で、転職をしたり会社員でなくなったりすることは、この国では少々不便である。

国民年金の加入手続きを終えると、後日第1回目の保険料納入通知書が自宅に郵送される。「納入通知書はいつごろ送付されますか」と市役所の担当者に訊いたところ、「約1か月後です」と言われた。「ネットでモノを購入すると一両日中に自宅に宅配される時代に、どうして1か月もかかるのだろう」と内心思ったが、余計なことは言わず黙っていた。

会社を退職して国民年金に加入する場合には、退職後14日以内に国民年金の加入手続きをするよう求められている。だから、筆者は1月上旬に国民年金の加入手続きを取った。市役所で国民年金加入手続きを済ませてから、早1か月が過ぎた。納入通知書はまだ届かない。
  
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2017年02月06日

独立開業事始 (PF649)

12d75e53.jpg大学卒業以来会社員(銀行員)生活をずっと続けてきたので、自営業として独立して仕事をしたことがない。独立開業とはいっても、仕事内容は執筆・講演・コンサルティングなどのサービス業なので、事務所は自宅で済む。自宅のパソコンが主な仕事道具で、大きな設備投資も要らない。そうは言っても、当初1か月余不慣れもあってか、立ち上げ準備には少々手間がかかった。

まず、携帯電話(スマートフォン)の新規契約。これまで携帯電話は会社が提供してくれていたもので用が足りていたので、実は個人としては所持していなかった。これまでの主な使い方は電子メールの送受信、インターネットへのアクセス、それからデジタルカメラによる写真撮影などである。携帯電話での通話はあまり行わなかった。しかし、これからは携帯電話での通話も増えるかもしれない。

上記のような使い方を前提に、さまざまな携帯電話会社を調べると、大手携帯電話会社3社はおしなべて料金設定が高い。一方で端末は米国アップル社のiPhoneが使い慣れている。そこで、大手携帯電話会社の1社の子会社が提供している携帯電話通信サービスを利用することにした。米国アップル社のiPhoneが使えるうえに、月々の料金水準が低く抑えられている。

次に、電子メールのドメインを取得。これは少し難航した。そもそもどこに当たればいいのか、費用はどのくらいかかるのか等々当初全く見当がつかなかったからである。しかし、フリー(無料)のメールアドレスで仕事をするのは格好が悪い。信頼性の点からも、独自のドメインを取得したい。あるIT企業が提供するサービス内容が穏当なことが分かり、同社と契約した。自分が当初希望していたドメイン名は既に使われていることが判明し、仕方なく希望したドメイン名に2文字付加したものに修正した。

ドメイン名取得後、メールアドレスを新設。そのあと、自分のパソコンや携帯電話で送受信できるように電子メール管理のソフトウエア(例:マイクロソフト社Outlook)へ設定をしなければならない。しかし、この設定作業が再び難航した。指示書通りに何度設定を試みても、上手くいかない。会社員だったら、社内のIT担当者に一報すればすぐに片付いたに違いない。契約したIT会社に問い合わせること、三度四度。IT会社の担当者がさじを投げるのではないかと心配だった。最後にはなんとか相手の説明が理解できた。結局パソコンや携帯電話で使用できるようになるまでに約一週間を要した。

さらに、名刺の作成。自分の名刺を独自に作ったことなどない。しかし、インターネットで調べると、多数の業者がインターネットで受注し、数日で宅配してくれることが分かった。ひと昔前なら、名刺屋さんに足を運び店頭で注文するところである。便利になったものである。業者によってはサイト上で名刺のデザインを自分で行うこともできる。それなら自らデザインするに如くはなしと思い立ち、自分で名刺のデザインをした。こういう作業は実に愉しい。

名刺の作成コストは白黒一面印刷が一番安価で、白黒両面印刷がコスト約2倍、カラー両面印刷になるとコスト約4倍になる。会社員をやっていると、名刺のコストなど気にしないまま過ごす。

携帯電話、電子メールのドメイン/アドレス、名刺が揃うと、筆者の仕事は対外的になんとか開始することができる。

  
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2017年01月30日

外資系金融機関は日本で成功しているのか (PF648)

a3d6d4db.jpg日本で営業している外資系金融機関にも様々な業種がある。銀行、証券、生損保、運用会社、金融商品開発会社、独立系アドバイザリー会社等々多岐にわたる。外資系金融機関に勤める筆者の知り合いには、銀行か証券会社に勤務する人が多い。

日本で業務を展開している外資系の銀行と証券会社とを見てゆくと、すべてが上手くいっているわけではない。上手く行っているところとそうでもないところがある。一部の外資系証券会社は明らかに日本での地位を盤石なものとしている。ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーなどはその好例であろう。日本で勤務する従業員数も多い。顧客である日本企業からも評価されている。日本で業務を行う外資系証券会社は他にもあるが、認知度の高くないところが多く存在する。従って、在日外資系証券会社は勝ち組とそうではないところとに二分されてきた感がある。

さて、外資系の銀行(商業銀行)はどうであろうか。一昨年米国のシティバンクが日本でのリテール事業を売却し日本のリテール事業から完全撤退した。相前後してHSBC(香港上海)銀行が日本のリテール事業を止めた。英国のスタンダード・チャータード銀行も日本でのリテール事業を止めた。日本での銀行リテール事業では大手外資系はほとんど撤退の憂き目に遭っている。

なぜ日本での銀行リテール事業で外資系は撤退を余儀なくされているのであろうか。最大の理由は個人向け銀行サービスや金融商品で差別化が難しくなってきたからであろう。外貨預金も仕組み預金もそして投資信託も、今は日本の銀行で用が足りる。外資系の銀行でなければ手に入らないサービスや金融商品が少なくなってきている。また、個人利用者が増えているインターネット銀行についても日本の会社が市場を占有している。

日本のリテール事業については外資系証券会社も芳しくない。個人の顧客はインターネット証券会社を利用する人が増えているが、このネット市場も日本の会社が強い。日系大手証券会社でさえリテール分野でのインターネット業務については大きく出遅れた。上記に言及した一部外資系証券会社が活躍しているのは企業向けのホールセール事業である。つまり、外資系の銀行も証券会社も日本のリテール事業では成功していない。

さて、一部外資系証券会社が日本の企業向け事業でビジネスを伸ばしている一方で、外資系銀行の日本企業向け事業の方はどうであろうか。リーマンショック(2008年)発生前の数年間、欧州系銀行のちょっとした日本進出ブームが起こった。狙いは日本企業向けのホールセール事業である。しかし、リーマンショックの発生でこのブームは終わった。次いでギリシャ危機に端を発する欧州危機(2010年)が起こると、既往日本進出済の欧州系銀行でさえ日本での業務縮小に動いた。欧州危機発生から7年目になるが、欧州系銀行の日本での業務は縮小することはあっても、拡大しているところはない。

日本での外資系銀行は今後どうなるのであろうか。リテール業務のように完全撤退ということはないと思う。なぜなら、日本企業の海外進出・海外事業は今後とも伸長してゆくであろうし、その際日本の銀行ではカバーし切れない業務が少なからずあるからである。特に海外進出先での日常的な銀行取引は進出先を本拠とする銀行と行う方が便宜である。

しかし、日本企業の海外進出先での日常的な銀行取引以外に、外資系銀行が日本企業と今後どんな分野でビジネスを拡大させることができるのか。外資系銀行は日本の銀行のように安い資金を提供するのは好まない。また、環境問題には敏感である。在日外資系銀行にとって、日本企業との取引拡大は容易ではなく、大きな経営課題となっている。
  
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2017年01月23日

ビジネス言語、法律言語、会計言語 (PF647)

31645149.jpgプロジェクトファイナンスの話をしていて、弁護士事務所の話しに及ぶことがある。プロジェクトファイナンスの融資契約書(ローンアグリーメント)を作成するには弁護士の協力が欠かせない。業界にはプロジェクトファイナンスに精通した弁護士がいる。そういう弁護士はどこにいるのかと言えば、高名な大手の弁護士事務所に勤務している。そういう大手弁護士事務所の数は10は下らない。

注目すべきことは、そういう名だたる大手弁護士事務所の出自である。英国と米国に尽きる。それはどうしてかと言えば、融資契約書に定めてある準拠法と関連している。準拠法というのは当該契約書がどこの国の法律に基づいて作成されているかを示す。プロジェクトファイナンスに限った話ではないが、多くの銀行が参加するクロスボーダーの大型融資案件であれば、融資契約書の準拠法はまず英国法かニューヨーク州法である。

クロスボーダーの融資契約書はどうして準拠法が英国法かニューヨーク州法になるのか。それはおそらく海外のビジネス世界でどうして英語が最も多く使われているのかという問いに対する回答と一致しているはずである。ビジネス言語のデファクトスタンダード(事実上の標準/ de facto standard)は英語である。そして、商業契約書や融資契約書の多くは英語で書かれている。従って、それらの準拠法は自ずと英国法かニューヨーク州法になる。

使用する言語が英語であるということが契約書の準拠法の選択にもつながり、延いては英国や米国を出自とする弁護士事務所が活躍することになる。さらに付け加えれば、世界的にネットワークを持つ大手会計事務所(accounting firm)の出自はほとんど米国である。つまり、ビジネス言語が英語であるということにとどまらず、法律言語、会計言語も英語が圧倒的な地位にあるのである。

さて、ビジネス言語、法律言語、会計言語を牛耳ってきた国で今異変が起きている。英国は昨年6月の国民投票でEU離脱を決めた。先週メイ首相が方針演説をし、EU離脱手続きを勇猛果敢に進めると説いた。米国ではトランプ氏が今月20日に大統領に就任した。就任演説でProtection will lead to great prosperity and strength ((自国産業の)保護が素晴らしい繁栄と強さにつながる)と明言している。

一介の金融マンにとっても違和感を禁じ得ない。グローバル化を主導し、ビジネス言語、法律言語、会計言語のデファクトスタンダードを作り上げてきた英国と米国がいまや内向きになり、自国優先を声高に語り、保護主義的な色彩を強めている。両国はグローバル化で多くの便益を享受してきたのではなかったのか。ビジネス言語、法律言語、会計言語という観点から見ても、今でも多くの便益を享受しているはずである。

英国と米国で起こっていることを果たしてどう理解すればよいのであろうか。一時的な反動に過ぎないのか。現行のグローバル化への微修正を施すプロセスであって、グローバル化自体の大きな流れに変化はないのか。それとも、グローバル化から、なにか得体の知れない別なフレームワークに移る兆しなのかどうか。前者であれば幸いである。
  
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2017年01月16日

会社退職直後の生活 (PF646)

ede9e13e.jpg年頭のブログに昨年末で会社を退職し独立した旨を記した。そうしたら、何人かの方々から電子メールを頂戴した。存じ上げている方もいるし、存じ上げない方もいた。いずれも激励のメールである。感謝に堪えない。

また、今月になってから、仕事上でお世話になった方々には退職した旨の挨拶状を新年の挨拶に重ねて電子メールで送付した。ひと昔前なら葉書で送付するところであろうが、電子メールとした。驚いたのはほとんどの方々が丁寧に返信をしてくれたことである。葉書での挨拶状だと、なかなか返信は期待できない。

ブログの記事に反応してくれた方々や電子メールの挨拶状に返信してくれた方々の中には、筆者と出会った頃のことを記してくれる方、これまでの交流を振り返ってくれる方、印象に残る出来事を振り返ってくれる方など滋味溢れる記述があって、筆者は少なからず感銘を受けた。そして、当初さほどには感じていなかったが、会社を「退職」して「独立」するというのは世間一般ではエポック・メイキングに捉えられているのかなと感じた。

返信してくれた方々の中には別途一席を設けるとおっしゃってくださる方もおり、筆者は甚だ恐縮している。もっとも、筆者は夜が苦手なので、昼(ランチ)にお願いしている。夜が苦手なのは会社員時代からで、今に始まったわけではない。会社員時代には、そうは言っても仕事の関係でどうしても夜に予定が入ることはあった。これからは会社員ではなくなるので、自分が好まなければ夜予定が入ることはまずなくなるであろう。「退職・独立」のメリットの一つである。

夜が嫌いなのは、夜遅く帰宅するのが嫌いだからである。もうひとつ夜が嫌いな理由は、お酒が伴うからである。飲めないわけではないが、酒席で大騒ぎするのは嫌いである。自分が自分でなくなるような感覚を感じる。酒席で陽気にしている脳天気な自分を好きになれない。また、酒席で盛り上がると、再び酒席に誘われる。そういう酒席をはさんだお付き合いはしたくはない。

先週は独立後の初仕事を行った。都内某所で社内研修会の講師を務めた。初仕事ということで張り切ったせいか、大きな声で話をして喉を傷めた。喉を傷めただけでは収まらず、そのあと鼻水が出たり頭痛がするなど、風邪の症状が現れてきた。今週以降も休養に努めようと思う。平日であっても休養が必要なら休養できるというのも、「退職・独立」のメリットの一つである。

会社員を辞めてから気を付けていることのひとつは、生活リズムである。平日は朝食後ウォーキングをしている。自宅周辺の遊歩道を1時間弱歩く。一日の始まりに欠かせない。ウォーキングをしながらすれ違う会社員と思しき人は少なくない。駅に向かって急ぐ人たちである。そういう人たちを見ながら、ちょっと前の自分と重ねてみる。

会社員でいるということは、朝早くから夜遅くまで会社に時間を捧げる。会社優先の生活が必須である。その対価として給料をもらっている。筆者の中にはそういう感覚が残っている。「退職・独立」の最大のメリットは、会社優先の生活ではなく自分本位・家族本位の生活ができるということであろう。
  
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2017年01月10日

新しい働き方はできるのか (PF645)

a56f1bc1.jpg何のために働くのか。
若い人からこう訊かれたら、どう答えればいいのだろう。仕事をする理由の一つは、間違いなく収入を得るためと答えざるを得ない。もちろん、それ以外にも働く理由はある。仕事を身に付けたい、責任ある立場につきたい、海外で活躍したい、斯界で一級のプロになりたい、将来独立起業したい。

さまざまな理由が考えられるが、働く第一の理由がまず収入を得るためである点は異論なかろう。ある程度の収入がなければ、生活が成り立たない。結婚して家庭ができれば、家族を養わなければならない。子供が育ってくれば、自宅の購入も考えたい。子供が高校、大学に進学するようになれば、教育費もばかにならない。

昭和一桁生まれの筆者の両親は高等教育を受けていない。父はブルーカラーの労働者であったし、母はパートタイマーで生活費を補った。自宅は生涯賃借で購入する余裕はなかった。同級生の家庭が自宅を新築し、あるいは郊外に建売住宅を購入するのを見て、なぜ我が家は違うのだろうと思った。もっとも、両親は自分の子供たちに教育だけは受けさせようと腐心した。筆者も長じて我が家のそういう事情に気付いた。どうしろ、こうしろと両親から言われたことは一切ないが、堅実な生活振りを好んだのはそういう両親の後ろ姿を見ていたからであろう。

貧困は嫌だし、無知蒙昧はもっと嫌だ。しかし、だからといって、お金に執着心を持つのは卑しい。そうではなく、お金に悩まされたくない、振り回されたくないという思いがある。贅沢を慎み無節操な消費を避け、モノを大事に使ってゆけば、生活に必要なお金の額はたかが知れている。生活に必要なお金を確保したら、お金のためだけに日夜働くことはやめにしたい。

「恒産なければ恒心なし」という。健全で充実した精神を保つには、お金に振り回されるようでは駄目だ。お金が人を幸せにするとは思わないが、お金が足りないと人を不幸にするのは間違いない。必要以上のお金は要らないが、お金が足りないのでは困る。

リンダ・グラットン著『ライフシフト』は、お金や会社に支配されない、自分らしい生き方、働き方を提案している。お金や会社に振り回されない生き方や働き方はいつかできるものであろうか。言うは易し行うは難し、ではないのか。筆者は今年から会社員ではなくなったので、会社には支配されなくなった。しかし、お金の問題はまた別であろう。

ソーシャル・ビジネスが徐々に広がってきている。最低限の対価や報酬を受領しつつも、社会貢献を果たすビジネスである。社会貢献とビジネスの両立を目指す。対価や報酬を一切貰わない従来のボランティア活動との違いは、ソーシャル・ビジネスの方は多少の対価・報酬を貰うので持続性が強い点であろう。持続性を保ちながら、社会貢献を果たす。持続性に難なしとしないボランティア活動の欠点を補うところに、ソーシャル・ビジネスの真価がある。

お金のためだけに働くことが一方の極であるならば、無償で社会貢献するボランティア活動はもう一方の極かもしれない。両極を避けつつ、充実感を伴う働き方というのはできるのかどうか。それはソーシャル・ビジネスのような形なのかどうか。自分の場合だったら、具体的にどういう働き方になるのだろうか。最近筆者を悩ませているテーマである。

自分の興味や関心を追求しかつ生活に必要な最低限の収入を得て、何かしらひとさまや社会の役に立つような仕事をすることはできるのかどうか。筆者の新しい働き方の追求は、まだ緒についたばかりである。



  
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2017年01月02日

決断のとき (PF644)

7e28a354.jpg大学進学、就職、結婚、自宅購入、転職、キャリア選択。誰にでも大きな決断をするときがある。そのときの決断が正しかったのかどうか。それは後になってみないと分からない。

後から振り返ってみたときに、後悔はしたくない。後悔はしたくないので、一旦決断したら後ろを振り返らず、前を向いていい結果が出るように奮迅する。真摯に取り組んでゆくと、少しずつ手応えを感じる。少しずつだけれども、これでいいんだという手応えを感じる。そして、さらに前に進む。そういう繰り返しの中で、はじめてあのときの決断は間違ってはいなかったと思えるようになる。

決断それ自体の是非よりも、決断の後にどういう行動を起こせたか、決断した方向にどれだけ尽力できたか、の方が遥かに重要だ。結局、決断したことは物事の方向性を決めただけであって、いわばスタート地点に立ったに過ぎない。もちろん、適切なスタート地点に立つことは重要ではあるが、相応熟慮したのであれば的外れなスタート地点に立つことはあるまい。

スタート地点に立ったら、そこから如何に前に進むかに腐心する以外にない。スタート地点探しを続けていても仕方ない。スタート地点が正しかったのかどうかをいつまでも思い悩んでも致し方ない。スタート地点に立った以上、前に進まなければ、どんな素晴らしい決断も意味がなくなる。

M&A(企業買収)の世界で、買収後の統合作業(post-merger integration)の重要性が指摘されている。買収に至る決断も重要だが、買収後に如何に事業統合を果たし買収の効果を引き出してゆくかがもっと重要だ。買収そのものは始まりに過ぎない。買収後に成果を出してはじめて買収が成功したと言える。

我々の大きな決断も同様であろう。決断内容そのものも重要だが、決断後にどれくらい決断した方向に向かって尽力できたかがもっと重要だ。一旦決断をしたら、いい意味で執着心を持ち倦まず諦めず取り組む。決断が正しかったのかどうかは決断後の取り組み次第で決まる、と言っても過言ではないと思う。

実は筆者も最近決断をした。昨年末をもって11年間勤務した外資系金融機関を早期退職した。外資系金融機関に勤務する前に22年間邦銀に勤務したので、会社員生活は通算で33年になる。還暦まではまだ数年あるが、四捨五入すれば還暦になるような年齢である。

今回の退職後、どこか他の会社に移籍して会社員を続けるつもりはない。月曜日から金曜日まで毎日会社に通うという生活に終止符を打つことにしたのである。会社員生活に終止符を打ったといっても、仕事をしない訳ではない。プロジェクトファイナンスに関わる仕事はこれからも続けてゆく。

独立開業とか起業とか言うほど、華やかで威勢のいいものではない。しかし、会社員という立場を離れ、一個人として自由に仕事ができるのは楽しみだ。一日24時間すべて自分で差配できるのは嬉しい。自分がやっている仕事よりも優先しなければならない仕事(つまり会社の仕事)が無いというのは、社会人になって以来の出来事である。

この決断が正しかったのかどうか。それは筆者の今後の取り組み次第であろう。後悔のないpost-corporate lifeにしたいと、年頭に思っている。


追伸: 明けましておめでとうございます。皆様、良いお年をお迎え下さい。
  
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