2018年12月17日

キャッシュフロー・モデリング (PF745)

IMG_1440キャッシュフロー・モデリングを仕事としている人と先日出会った。ここでは仮にCさんとしておく。Cさんは現在一人で仕事をしている。主にプロジェクトファイナンス案件のキャッシュフロー・モデルの作成を手掛けているという。Cさんによると、日本国内でプロジェクトファイナンス案件のキャッシュフロー・モデルは1年間で優に100件以上外注に出されているという。大手商社による外注だけでも100件に及ぶことがあるという。

受注しているのは監査法人系のコンサルタント会社が多いが、独立系も数社存在する。Cさんも元監査法人系のコンサルタント会社でプロジェクトファイナンス案件のキャッシュフロー・モデルを作成していた。そして、数年前に独立した。Cさんの上司だった人も、今は独立しているという。

欧米では随分前からプロジェクトファイナンス案件のキャッシュフロー・モデルの作成を外注する習慣は見られた。自分でゼロから作成することもできないわけではないが、本格的なものを作るとなると手間がかかる。その時間を案件交渉等別な仕事に充てたい。費用を払ってでも外注した方が助かる。これが現場の感覚であろう。そこでキャッシュフロー・モデルの作成をアウトソースするようになった。

日本の監査法人系のコンサルタント会社も国内で受注するようになったのは自然の流れであろう。そして、そういうコンサルタント会社でスキルを磨いた者が独立して専門的にキャッシュフロー・モデル作成の仕事をするようになったというのは、少なくとも二つの点で意義深い。

一つは、日本でもプロジェクトファイナンスの業務に携わる者が増加してきたという点である。プロジェクトファイナンスの業務が増えなければ、キャッシュフロー・モデルを外注する企業も増えない。キャッシュフロー・モデルの作成を生業として仕事をしている人がいるというのは、上述の通り年間100件以上の発注があるからである。

もう一つは、フリーランスあるいはインディペンダント・コントラクターという「雇われない」働き方で、プロジェクトファイナンス案件のキャッシュフロー・モデルの作成業務を生業としている人が何人かいるという点である。CさんならびにCさんの元上司はその例である。「雇われない」働き方でプロジェクトファイナンス案件のキャッシュフロー・モデル作成の業務を遂行しているというのは、筆者としても大発見である。

Cさんが筆者に質問された。「吉村さんのような仕事を独立して行っている方は日本に他にいらっしゃるんですか」
筆者は答えた。「いないと思います」

Cさんと筆者にはどうも共通点がある。かなりニッチなマーケットで独立して仕事をしているという点である。
  
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2018年12月10日

新しいキャリアを行く人たち(2) (PF744)

IMG_1439金融関連のセミナー、企業研修、通信教育などに約30年携わっている社長のSさんの話は前回採り上げた。Sさんについてはまだ余談がある。

例えば、起業するために勤務していた銀行を辞めるときの話である。Sさんが退職したいと申し出たら、上司に翻意を促された。「希望する仕事に異動させるから辞めるな」とも言われたが、自分から言い出したことなので説得には応じなかった。上司が翻意を促したのは、おそらく部下の退職により上司自身の人事評価への好ましくない影響を懸念したからである。ようやく退職を了解してもらえたら、次は「退職日まで退職することは社内の誰にも言うな」と緘口令を敷かれた。退職日当日の夕刻に部内で退職の旨発表されたときにはさすがに部内が少々騒然となった。退職の発表のあと、Sさんと目を合わせようとしない人もいた。犯罪人でも見るような目つきになる人もいた。

約30年前は大手銀行を辞めて起業する人などほとんどいなかったはずである。Sさんのケースは稀有である。十数年前に筆者が邦銀を退職したときには、Sさんのような異様な雰囲気は経験することがなかった。90年代後半の日本の金融危機を経て、銀行員という職業がけして安定した職業ではないということは既に周知され始めていたからであろう。

Sさんは退職後早々に会社を設立した。現在の会社の前身である。しかし、当初仕事が全然取れない。知り合いの勤務する生命保険会社に行って、社内研修会をやらせてほしいと懇願した。最初の仕事はその生命保険会社から受託した社内研修会であるという。

10年前のリーマンショックの際はSさんの会社の売上が半減した。断腸の思いで4人の従業員を馘首した。その4人には当時「倒産してからでは退職金を払えなくなってしまうが、いまなら少し払えるので今のうちに退職をお願いしたい」と説明したという。Sさんは「本当に倒産するとは思っていなかったが、そういう説明をしないと従業員が納得してくれないから」と当時の真相を話す。

最近Sさんは会社を移転した。移転先の専有面積は移転前に比べると少し狭くなったが、家賃がほぼ半減できるのが魅力であるという。Sさんいわく「30年経っても、自転車操業なんですよ」と自嘲気味に笑った。従業員の人件費やオフィスの賃借費は固定費なので、売上が芳しくないときには収益を圧迫する。

Sさんは来年から社長職を後任に譲ることを決めた。今後会長として会社の仕事を支援してゆく。業種柄、良い講師を見つける仕事は会長の重要な仕事になる。

Sさんのご経験を伺って、筆者は自分の思いを再確認した。それは「オフィスを賃借しない、人は雇わない」ということ。固定費が上昇すれば、その固定費を賄うために収入を求めなければならない。そういう最低限の収入を上げなければいけないという責務が、本来やりたいこととは違うことをやらざるを得ないという状態に自分を追い込む。本意ではないこともやらざるを得ないかもしれない。お金のために本意ではないことをやるのは甚だ信条に反する。

  
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2018年12月03日

新しいキャリアを行く人たち (PF743)

IMG_1438京都で小さな宿泊所を経営しているTさんは、定年退職後に起業したのだという。お会いしたときには「起業して2年半」とおっしゃっていたので、Tさんは62歳か63歳になるのであろうか。Tさんご自身はホテル業界に長く勤務していたので、接客はお手のものである。小さな宿泊所は宿泊客が最大4組しか泊まれない。Tさんいわく「自分の家にいるようにお過ごしください」。お客さんとの距離感は絶妙で、近づき過ぎず離れ過ぎず、お客さんに無用な気を使わせない。

小さな宿泊所はTさんとTさんの奥さんの二人で切り盛りしている。宿泊施設は元々奥さんの実家があった場所で、昔からあった蔵は取り壊さず、修復して古民家風のバーとして生まれ変わった。筆者がお会いしたときには、「ここ3週間休み無しでした」と土日も返上して仕事をすることもあるらしい。「拘束時間は朝7時から夜10時」と、宿泊客がいる限りスタンバイしている必要がある。それでも、Tさんと奥さんはお客さんとのコミュニケーションを楽しんでいる。仕事と趣味を一緒にしているかのようである。

金融関連のセミナー、企業研修、通信教育などに携わる社長のSさんは元々銀行員である。40代初めに銀行を退職し、今の会社を興した。起業からまもなく30年になる。「どうしてこの会社を興したのですか」と伺ったら、「銀行でスワップやトレードの仕事をしていて、約30年前はこういう仕事を知る人がまだ少なかったので、ニーズがあるのではないかと思った」と説明してくださった。「30年も続けられるって、素晴らしいですね」と申し上げたら、「難しい時期もありました」とSさん。

現在Sさんの会社は約10人の従業員を雇用している。Sさんが続ける。「一番大変なのは人件費だね」。セミナー、企業研修、通信教育などを業務としているので、必要なのは事務所、会議室、事務用品、それから従業員。製造業のように大掛かりな製造設備は要らないが、人は要る。人を雇っている以上、人件費がかかる。10人を雇用しているとなると、かなりの人件費が固定費となってくる。10人の従業員とはいえ、その中には家族を持っている者もいるであろう。そうすると、10人以上の生活に責任が生じる。Sさんは自分のやりたかった仕事をやるだけではなく、雇用した従業員の生活を守るためにも仕事をやらざるを得ない場合もあったであろう。「難しい時期」もあったというのは、そういうことも含意しているはずである。

筆者が約2年前に会社員を辞め独立して仕事をするようになったので、TさんやSさんのお話しが興味深くて仕方ない。Tさんは起業してまだ2年半なので、試行錯誤が続いている様子である。小さな宿泊所とはいえ、大規模な改修を施しているので、おそらく起業に当たりかなりのお金を投下している。もっとも、夫婦で切り盛りしているので、ランニング・コストは抑えられている。リピーターも出始めているほど評判の良い宿泊所なので、当初の投下資金は早々に回収できるのではないか。「雇われない、雇わない」ビジネスモデルでもある点、共感するところである。

Sさんは30年近く会社経営を続けてきたことが素晴らしい。もっとも、Sさんは70代になっているので、今後会社の事業承継も考えていかないといけない。たとえ従業員が10人といえども、人を雇用するというのは簡単なことではない。
  
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2018年11月26日

多読・精読・濫読(50) (PF742)

IMG_1435●北康利『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』『白洲次郎 占領を背負った男』

両作品共読みやすく、福沢諭吉の生涯、白洲次郎の生涯がそれぞれよく理解できる。読み始めると止まらなくなり、読み終えてしまうのが残念に感じられる。

著者北康利氏は、実は筆者と某邦銀の入行同期である。残念ながら、交流の機会無いまま今日に至っている。著者は40歳前後から郷土史家として著作活動を開始しているようである。しばらく金融マンと著作活動の二足の草鞋を履いていた。もっとも、筆者が著者のことを知ったのはずっとあとのことである。親しくしていた入行同期の友人に、筆者が初めて出版した書籍を進呈したとき、その友人が「銀行同期で本を出版したのは北と吉村の二人だけだな」と言われた。そう言われて著者の存在に気付いた。もうその時点で著者は既に『白洲次郎 占領を背負った男』で山本七平賞を受賞し、ノンフィクション作家として自立していた。売れるか売れないか分からないプロジェクトファイナンスの本を出版した筆者とは、モノを書く者として格段の差がある。

そういう経緯があるものの、実際著者の作品に触れる機会はなかなか来なかった。今般二作品を読ませていただき、力のある作家だということが良く分かった。山本七平賞を受賞したのは『白洲次郎 占領を背負った男』であるが、筆者は『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』の方が好きである。その理由はおそらく筆者が福沢諭吉という人物の方を白洲次郎という人物より好ましく感じているためだと思う。白洲次郎は確かにカッコいいが、カッコ良過ぎやしないかとさえ思う。白洲次郎のような生き方は誰にでも真似のできることではない。そんな風に思うと、親近感が持てなくなってゆく。これは作品としての出来不出来の問題ではない。筆者のような捉え方をする読者はほかにも少なからず存在するのではないかと想像するので、伝記作家は誰を描くのかという選択が読者獲得の成否に直結することがあると言える。

この二作品からも明らかなように、著者は作品の題名に人物名とその人物の特長的な一面を手短に作品名に織り込む。つまり、「福沢諭吉」と「国を支えて国を頼らず」、「白洲次郎」と「占領を背負った男」といった具合である。これは効果的である。

さらに、金融マンとしての経験が生きていると思わせる記載も少なくない。例えば、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』には「江戸時代は物価が安定していた。二八そば(かけそば)一杯16文(今の物価で約400円)が約200年間変わらなかった。」とある。また、「当時(幕末)の灯りは行灯である。現在の60ワットの電球の約50分の一の明るさでしかない。(行灯の燃料となる)油一升で米が二升買えた。」ともある。江戸時代の物価水準、行灯の明るさ、油の値段などに言及するところは著者らしいと思う。時代背景の理解に役立っており、筆者はこういう記述に密かに好感を持っている。


  
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2018年11月19日

動物園の動物 (PF741)

IMG_1433先日お会いした海外事業に携わっている事業会社の30代後半の人は「現場でこの仕事を続けたいので、会社の中で出世はしなくてもいいと思っています」と語った。さらにお話を聞くと、同期入社の出世頭と比べると既に数年昇格が遅れているという。自分の好きな仕事ができることを優先し会社の中での出世にはこだわらない、というのはひとつの生き方である。しかし、忸怩たる思いを感じないわけにはいかないのではないだろうか。この方は当該分野の経験・知識が豊富であり、同分野のプロフェッショナルになりつつある。プロフェッショナルであっても、会社内の待遇は好ましいものにはならないのか。果たしてこの方の仕事のモチベーションは今後も維持することができるのであろうか。

一方、海外事業に10年以上取り組んでいるにもかかわらず、なかなか社内に人材が育たないと嘆いている会社がある。一体何年やったら、海外事業の陣容が整うのであろうか。当該部署の担当部長や担当役員からして、経験・知識が十分とは言えない。それでも、部長と呼ばれ、役員と呼ばれている。2-3年経つと人事異動が行われる。部長も役員もまた変わる。中途採用も試みているが、自社の給与体系に基づいて中途採用者の給与水準を決める。しかも、概ね年齢によって給与水準を決める。これでは本当に優秀な人は採用できない。なにかしら事情のある、いわゆる「訳あり」の人くらいしか採用できない。また、「訳あり」ではない人を採用できたとしても、早晩退職余儀なくされる。

冒頭ではひとりの事業会社の人のキャリアの在り方の例を見た。次に海外事業の人材がなかなか育たない会社の例を見た。この両者の例にはもちろん同じ問題が通底している。それは日本の会社でのキャリアの在り方であり、雇用制度や人事制度の在り方であり、人材育成の在り方である。いずれの問題もいまや日本の会社の多くで難渋している問題である。筆者は多くの外国人と一緒に仕事をしてきた経験から、日本人会社員ひとりひとりの個人としての能力はけして外国人のそれに引けを取らないと確信している。むしろ、日本人会社員の能力は水準以上で、加えて誠実で几帳面な人が多いと思う。

日本人会社員の個人としての能力に遜色がないのに、どうして日本の企業ではキャリアの在り方、雇用制度・人事制度、人材育成に問題を孕んでいるのであろうか。これはもう組織の制度の問題と言わざるを得ない。具体的には雇用重視の終身雇用制度に問題の源泉があると筆者は見ている。めったなことがなければ首にならないという雇用制度は、一見従業員に優しい制度だと思いがちである。しかし、めったなことがなければ首にならないのであれば、多くの人がほどほどの仕事しかしなくなる。そして、社内の評価ばかりが最重視される。日本の会社員を揶揄して「休まず、遅れず、働かず」という言葉がある。

さらに過激な比喩だが、日本の会社員は「動物園の動物」にも似ている。動物園の中では飼育係(ボス)の言うことを従順に聞いてさえいれば、動物園を追い出されることはなく餌は毎日配給される。動物園を追い出されず餌が毎日配給されることを最重視するならば、とにかく動物園の中で大人しく生活することである。しかし、動物園の中で長く過ごせば過ごすほど、その動物は野生の森に戻って自立して生きてゆくことはできなくなる。動物園で毎日餌が配給されることが一見優しい制度だと思いがちだが、野生の森で生きてゆくことができなくなってしまう方が実は心底恐ろしい。
  
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2018年11月12日

軽減税率 (PF740)

IMG_1431来年10月に消費税率は8%から10%に上がる予定である。消費税率引き上げの時期を過去に2度延期している。今度こそは本当に引き上げが行われるのであろうか。この引き上げのタイミングで軽減税率の導入が検討されている。軽減税率とはその名の通り、消費税の税率を一部軽減するものである。具体的には、食料品については消費税を8%のままにとどめ、10%には引き上げないというものである。所得の低い世帯への配慮である。

そもそも消費税はあらゆる買い物に税を課すものなので、結果的に所得の低い世帯は所得の高い世帯よりも所得に対する税の負担が重くなる。これを逆進性という。消費税には逆進性がある。今般10%へ引き上げるに当たって、この逆進性を緩和するために軽減税率の導入が検討されている。

さて、食料品については消費税を8%のままにするとはいうものの、外食には消費税が10%課されることになっている。外食は軽減税率の対象ではない。そうすると、コンビニやスーパーで買ったお弁当やおにぎりを施設内の飲食スペースで食べる場合はどうなるのか。消費税は8%なのか、10%なのか。この場合は外食扱いと同様で消費税は10%になるという。コンビニやスーパーで買ったお弁当やおにぎりを自宅に持ち帰って食べれば、消費税は8%になるという。

これは随分面倒なことである。店側もレジで都度お客さんに質問をしなければならない。
「お弁当は店内で食べていきますか」
「いや、持ち帰ります」
「それでは消費税は8%です」

「おにぎりは店内で食べていきますか」
「はい、食べていきます」
「それでは消費税は10%になります」
「あ、ちょっと待ってください。店の外に出て食べます」
「それでは消費税は8%です」

こんなやりとりは馬鹿げている。客側も早晩「持ち帰ります」とだけ答えるようになるであろう。そう答えて消費税は8%の支払いで済ませ、店員の目を盗んで店内の飲食スペースで食べるかもしれない。店側も消費税を8%しか支払わないお客さんが店内で食べているのを黙認するわけにはいかない。税務署は「そういうお客さんからは消費税10%を徴収しなさい」と指導するはずである。従って、コンビニやスーパーはジレンマに陥る。このジレンマを解消するためコンビニやスーパーは消費税の徴収は一律8%にする一方で、店内から飲食スペースを撤廃するという対応に迫られるのではないだろうか。そうしないと、税務署とお客さんとの間に挟まれて、にっちもさっちも行かなくなる。

このままだと、全国のコンビニやスーパーから気軽に飲食できるスペースが消失してしまうかもしれない。コンビニやスーパーの飲食スペースが無くなるのは甚だ残念である。
  
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2018年11月05日

高齢の両親 (PF739)

IMG_1430今年父は90歳に、母は86歳になった。高齢になっても両親が二人でなんとか健康で一緒に生活できている姿を見ると、子として素直に嬉しい。いつまでも二人が健康で長生きしてほしいと思う。しかし、二人の生活は日に日に不自由になりつつある。

二人に一大事件が起こったのは今から7年前の冬である。腰痛持ちの母が痛み止めの副作用でめまいを起こし、家で転倒した。その際石油ストーブの上に置いてあったやかんが落ちた。やかんには湯が入っている。その熱い湯の一部を父が身体に浴びてしまった。二人は救急車で病院に運ばれた。

二人とも命に別状はなかった。まもなく退院することもできた。しかし、当時筆者の自宅と両親の自宅はかなり離れていた。車でも電車でも約3時間かかる。これでは今後緊急時にすぐに駆け付けることができない。そこで約6年半前に両親には筆者自宅の近隣に引っ越ししてもらった。歩いて10分以内の近隣である。爾来最低週に1回筆者は両親宅に立ち寄ることにしている。

先日再び一大事件が起きた。両親が病院に運ばれた。母はその数週間前家で尻もちをついた。筆者は毎週1回会っているので状況は把握していた。ところが、徐々に痛みが高まり、歩くこともできなくなった。父が母を支え、手洗いなどに付き添った。そのうち父も過労になった。二人が不自由になり、止む無く救急車を呼んだ。筆者は両親が病院に運ばれる3日前に両親に会っている。そのときには母に兆候は見られなかった。つまり、わずか3日の間に二人の体調は急速に悪化したらしい。

幸い父は数日で退院を果たした。自宅に戻って、なんとか一人で生活をしている。筆者は数日置きに父の様子を見に行っている。最近父は老化が進んだ。耳が遠くなり、人の話がよく聞こえない。さらに思考力や理解力が低下している。昔の話や同じ話を繰り返す。

一方、母は入院が続いている。数週間前の家での尻もちは骨にひびが入っていたことが分かった。病院で痛み止めを処方されているので、母は元気を取り戻している。食欲もあると言う。病床で普通に話ができる。筆者は数日置きに母の見舞いにも行っている。おそらく早晩退院できるのではないかと期待している。

もし筆者が会社員を続けていたら、今回父や母の面倒を十分に見ることはできなかったと思う。数日置きに会社を休むことなど普通できないからである。筆者が会社員を辞め独立したのは高齢の両親の面倒を見るためでもあったのではないか、と考えると不思議と気持ちが落ち着く。

もっとも、会社員を辞めて独立したということは、実は両親には一切伝えていない。敢えて内緒にしている。高齢の両親に無用な心配を掛けたくないからである。数日置きに母を病院に見舞っているものだから、カンの鋭い母は先日「会社は大丈夫なの?」と訊いてきた。「有給休暇が残っているから大丈夫だよ」と筆者は応えた。
  
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2018年10月29日

多読・精読・濫読(49) (PF738)

IMG_1429●リンダ・グラットン『ワークシフト』
ロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットンというと、「人生100年」という言葉を流布させた著書『ライフシフト』が有名だ。本書『ワークシフト』は、『ライフシフト』の数年前に出版されている。『ワークシフト』と『ライフシフト』とはもちろんつながっている。両者とも長寿化してゆく社会を採り上げたものである。両者とも長寿化社会を採り上げているが、『ワークシフト』の方は働き方に注目し、『ライフシフト』は働き方も含めた生活全般を採り上げたものである。

いま日本では働き方改革がちょっとしたブームである。しかし、日本でいまブームになっている働き方改革は、専ら会社に勤めるサラリーマンに注目した働き方改革に終始しているきらいがある。本書が扱う長寿化社会での働き方は、会社に勤めるサラリーマンを前提としているわけではない。このあたりの視点の違い、前提の違いにまず注目したいところである。

本書がこれからの働き方として重要視している点は3つある。第1は専門性である。自分の専門領域を持ち、それを磨き続けること。自分のブランドを作ること。第2がネットワークである。人とのつながりがますます重要になる。人とのつながりが仕事も生活も豊かにする。第3に生活志向である。大量消費の生活を脱し、家族や趣味、社会貢献などを重視する生活である。

著者のダメ押しは次の文章であろう。
「環境任せ(会社任せ)にして自分で選択することを放棄するのは簡単だが、それはドイツの心理学者エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」と呼んだ態度、すなわち会社や社会の規範に同調し、自分の個性を軽んじる態度である。」

●リンダ・グラットン/アンドリュー・スコット『ライフシフト』
本書には日本語版への序文が付いている。その序文で某報告書の一文が注記の形で引用されている。いわく「日本は労働者の教育水準が高く、技術水準も高い。(中略)日本の弱みは、起業力と機会を認知するスキルが低いこと。(中略)起業家の知人がいる人は少なく、起業家の道を行くことを好ましいキャリアとは思っていない。」 
「起業家の知人がいる人は少ない」などという指摘はユニークである。これまで我々がほとんど注意していなかった点を指摘している。

「まわりのみんなと同じ行動を取るだけでうまくいく時代は終わった」「自分のアイデンティティと価値観を人生にどのように反映させるか一人ひとり考えなくてはならない」
こういう指摘も玩味すればするほど身に染みる。著者は専ら欧米人の読者に向けて、こういう指摘をしている可能性がある。そういうふうに想定すると、欧米人の中にも「まわりのみんなと同じ行動を取る」人は少なくないのだと読み取ることもできる。

終身雇用制は欧米の企業にも1970年代まで広く存在していたことが知られている。ところが80年代になって、それが崩れ始める。企業側は人件費の負担軽減を意図した一方、働き手も柔軟な働き方を求めたという。日本はいまでも終身雇用制がかなり残っている。90年代以降日本企業の成長が鈍化し、他方欧米の企業が成長を続けているのは、終身雇用制を維持したかしていないかとも深く関係しているのではないかと筆者は観ている。


  
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2018年10月22日

会社=仕事という固定観念 (PF737)

IMG_1428「会社=仕事あるいは仕事=会社」という捉え方は、会社員として仕事をしている以上自然である。特に日本の企業に勤務していると、そのように考えている人が多く、そういう人たちに囲まれているうちに、自分でも自ずとそういう考え方が身につく。

外資系企業で働くようになって、その考え方は少し薄れた。自分のやりたい仕事をするために外資系企業に転職したので、「会社=仕事あるいは仕事=会社」という捉え方は当然ではないと考えられるようになった。しかし、外資系企業と雖も、やりたい仕事が常にできるというわけではない。自分のあまり好きではない仕事もやらなければならないときもある。外資系企業に勤務と言っても所詮会社員である。会社の方針だってある。

筆者が外資系金融機関に勤務していたときに、あまり好きではない仕事は輸出金融の仕事だった。プロジェクトファイナンス以外にも所管する業務として輸出金融の業務もあったのである。輸出金融というのは通称バイクレ(バイヤーズ・クレジット)とも言う。日本のメーカーや商社がプラント等を海外に輸出するにあたり、海外のバイヤーに融資をする業務である。融資をする主体は輸出信用機関と言われる政府系金融機関と民間銀行である。

民間銀行はメーカーや商社と協力して政府系金融機関から輸出金融を引き出すのが主な仕事である。輸出金融にはOECD(経済開発協力機構)のルールが存在し、さらに各政府系金融機関の独自のルールもある。民間銀行はルールに則ってもっぱら融資事務を担うことが期待されている。創造性はほとんど必要としない。ルールに則って粛々と進めるだけである。政府系金融機関の意に沿うことが最も重要である。こういう仕事が面白いはずがない。

しかし、輸出金融は民間銀行に大きなメリットがある。それは民間銀行の融資には政府系金融機関の保証や保険が付くことである。政府系金融機関の保証や保険が付くと、当該民間銀行の融資はリスク資産としては極小化する。リスク資産がほとんど無くなる一方、そこそこの収益は得られる。そうすると、リスク資産比の収益率は上がる。これが輸出金融を行う民間銀行のメリットである。

そういう理屈が分かっても、残念ながら仕事が面白くなるわけではない。「給料を貰っている以上、会社の求める業務を行わざるを得ない」と思うから、輸出金融の仕事も行なってはいた。しかし、齢を重ねてくると、「お金のために好きでもない仕事をするのは、人生の無駄遣いではないのか」という考えも湧き出てくる。「会社=仕事あるいは仕事=会社」という固定観念を一度一掃してみたらどうだろう。会社に勤めなくとも、仕事ってできるのではないだろうか。会社に勤めなければ、好きではない仕事はやらなくていい。好きな仕事をして生きてゆくっていうのはできないものだろうか。

こういう「思考」錯誤を経て、今日の独立に至った。ちなみに、先日あるセミナーで輸出金融の説明をする機会があった。参加者の中に「輸出金融の説明は参考になった」というコメントをしてくださる方がおられた。苦笑を禁じ得ない。
  
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2018年10月15日

第3の働き方 (PF736)

IMG_1427先日シンポジウムを聞きに行った。「第3の働き方」をテーマにしたものである。「第4次産業革命」のときもそうだったが、「第3の働き方」という言葉を聞くと、第1の働き方が何で、第2の働き方が何で、第3の働き方は何なのか、と問いたくなる。言葉というものは新しい概念や考え方を表現する。言葉が新しい概念や考え方を創造するわけではないが、新しい概念や考え方を言葉で表現し説明しているのである。当然新しい概念や考え方には、新しい言葉が必要になってくる。これまでに存在していなかったものを表現するのもまた言葉の役割である。

さて、「第3の働き方」である。「第3の働き方」という言い方は、第1の働き方でもなく第2の働き方でもないということを意味している。ここで、第1の働き方とは会社に勤務する会社員の働き方を指す。最近働き方改革という言葉を随分耳にするようになった。残業時間を減らそう、女性の復職を支援しよう、勤務時間を柔軟にしよう、男性の育休取得を促進しよう、在宅勤務を認めよう、副業を認めよう。こういったのが働き方改革の具体的な内容である。ここで挙げた働き方改革の具体例は、実は会社に勤務することを前提にした働き方改革である。つまり、第1の働き方についての改革ということになる。

それでは第2の働き方とはどんな働き方なのか。これはいわゆる起業することである。かつて「脱サラ」という言葉があった。サラリーマンを脱する、辞めるので「脱サラ」である。サラリーマンを脱してどうするのか。脱サラして起業する、というのが定番であったと思う。つまり、会社員(第1の働き方)を辞め、起業する(第2の働き方)ということである。起業は言うに易く行うに難し。誰でもが容易に成功するわけではない。会社員生活に不平不満はあっても、起業して失敗することを思えば会社員を続けていた方がよかろう。こう考えて、第2の働き方を断念し、第1の働き方を続ける人も少なくない。第2の働き方はなかなかハードルが高いのである。

会社員という第1の働き方でもなく、起業という第2の働き方でもなく、もっと別な働き方はないのか。それが第3の働き方である。第3の働き方はいわゆるフリーランス、フリーエージェント、インディペンダント・コントラクターなどと呼ばれる働き方である。法人顧客等から業務の委託を受けて独立して仕事をし、報酬をもらう働き方である。一部の業種では随分昔からこういう働き方は存在していた。カメラマン、デザイナー、ライター、翻訳家、通訳、アナウンサー、講師、演奏家等々はそういう働き方の人が多かった。

現在注目されているのは、会社員の行っている仕事の一部を業務委託の形で引き受けて独立して仕事をする働き方である。シンポジウムに登壇した方々の例を挙げると、人事関連の業務を行っている人、アパレル業界で在庫管理のコンサルティングを行っている人、ITやシステム関連の業務を行っている人などがおられた。第3の働き方は自分の専門性を持っていることが前提である。そして、好きなことを仕事としている、自由な時間の使い方ができるなどが良い点である。

第1の働き方は「雇われる」働き方である。会社員とはそもそもそういうものであろう。第2の働き方は「雇われない」が、人を「雇う」働き方である。起業して事業の規模が大きくなれば、やがて人を雇うであろう。雇用を増やすというのは悪いことではない。しかし、一旦人を雇うようになると、その人の生活を守る責任も自ずと生じてくる。第3の働き方は「雇われない」し「雇わない」働き方である。
  
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2018年10月09日

第4次産業革命 (PF735)

f337c157.jpg「第4次産業革命」という言葉がある。そういう言葉を聞くと、それぞれ第1次から第4次までの産業革命が何を意味するのか、知りたくなる。第1次産業革命は18世紀後半に英国から起こった産業革命を指す。その推進役は石炭と蒸気機関である。当時紡績工場等で働いていた労働者は蒸気機関で動く機械によって職場を追われることもあった。機械が職場を奪うので、そういう機械を壊そうとする労働者の運動もあった。19世紀中頃日本にやってきた米国の黒船は蒸気機関を動力とした蒸気船である。それまで日本には蒸気機関で動く船など存在していない。蒸気機関は紡績工場の機械、蒸気船のほか、蒸気機関車に利用されるなど一時代を築く。

第2次産業革命は20世紀初頭に起こった。推進役は石油と電気である。石油は19世紀中頃以降米国で大規模に生産されるようになった。しかし、人間の生活を大きく変えるようになったのは、ガソリンで走る内燃機関の自動車が大量生産されるようになってからである。米国フォード社が大衆向けのクルマを販売し始めたのは20世紀初頭である。さらにトーマス・エジソンは蓄音機、白熱電球、活動写真を発明するなど電器器具の発明・改良に貢献した。推進役の石油と電気に大きく関わった者は米国人に多かったということからも、20世紀は米国の世紀だと言える。

さて、第3次産業革命とは何か。いつごろ起こったのか。第1次産業革命と第2次産業革命についてはほとんど異論がない。しかし、第3次産業革命以降は人によって捉え方が異なるようである。一応、第3次産業革命は1980年代以降に始まったとされており、アナログからデジタルへの進展がその特徴である。推進役はパソコン、インターネット、情報通信技術などである。第3次産業革命は、現在でも続いている。

この次にやってくると目されているのが第4次産業革命である。推進役は人工知能やIoT(Internet of Things)などだと考えられている。人工知能もIoTも、いまのところその片鱗を見聞することはあっても、まだ我々の生活の中に入り込んではいない。さらに第4次産業革命と言われているものは、第3次産業革命の延長線上にあるようにも見え、両者の区別が分かりにくい。数十年後の歴史家は、両者を一体として捉え「第3次産業革命」と総称しているかもしれない。

第1次産業革命から第2次産業革命までは百数十年の間隔があった。第2次産業革命から第3次産業革命までは80年程度の間隔である。そして、第3次産業革命と第4次産業革命とを区別するとして、両者は50年程度の間隔となるのであろうか。興味深いのは、それぞれの産業革命間の間隔が徐々に短くなっていることである。

因みに、筆者の両親はパソコンの利用方法を知らない。インターネットも知らない。携帯電話は一時期使用していたが、いまは外出の機会も減り使用していない。一世代はおおよそ30年だが、第3次産業革命前の世代と後の世代とは随分違いがある。筆者の両親はいわば「前の世代」で、筆者は「後の世代」である。これからやってくるという第4次産業革命に、筆者の世代はどう向き合えば良いのか。泰然としていれば良いのであろうか。コーヒーを飲みながら、ふと考えてみたりしている。
  
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2018年10月01日

人間関係の非対称性 (PF734)

3146fec7.jpg経済学に「情報の非対称性」という言葉がある。売主が持つ情報と買主が持つ情報は同じではない(同じではないということを非対称性と言っている)という意味である。例えば、ノーベル経済学賞を受賞した経済学者ジョージ・アカロフは中古車の市場を例に挙げ、中古車の売主と買主の間に情報の非対称性があることを論じた。中古車の売主と買主の間に情報の非対称性があると、どんなことが起きるのか。それは中古車の価格が望ましいものにならない。経済学的には「情報の非対称性があると価格決定にゆがみが生じる」という点が重要である。

この売主と買主の間の情報の非対称性の話は、貸主と借主の間にも生じる。借主は自分のことを最もよく知っているが、貸主は借主のことを借主自身ほど理解してはいない。通常の融資(ファイナンス)では貸主と借主の間に情報の非対称性が避けられない。筆者はプロジェクトファイナンスの特徴を説明するときに、「プロジェクトファイナンスは他の一般の融資に比べ、貸主と借主の間の情報の非対称性が比較的少ない」という点を指摘することがある。理由は、プロジェクトファイナンスではレンダー(貸主)は専門家の作成した諸種のレポートを共有し、借主にかなり近い位置でデュー・デリジェンス(審査)を行うからである。

ところで、最近人との関係にも「非対称性」があることに興味をそそられている。人との関係における非対称性というのは、例えばAさんと自分の場合を例に挙げると、自分はAさんに対して尊敬の念を強く抱いているが、Aさんは自分に対して後輩のうちの一人という程度の認識をしているケースである。思いのベクトルは自分からAさんに対しては強く太いが、Aさんから自分に対しては強くも太くもないという場合である。他方、Bさんと自分の場合ではその逆で、Bさんは自分のことを強く慕ってくれているが、自分はBさんを後輩の一人としてしか見ていなかったというケースである。いずれもちょっと片思いのような状態ではある。

筆者が若いころはAさんのケースが多かった。そして、自分の思いがAさんには伝わっていないのかと思うと少し残念ではあった。しかし、若輩の自分がAさんから見て、後輩の一人としてしか見られていないのは仕方のないことだという諦観はあった。従って、残念ではあっても、その現状を受け入れることはできた。

人はだんだん歳を取ると、AさんのケースよりもBさんのケースが増えてくるかもしれない。つまり、若い人から仕事の面などでアドバイスを求められたりする。講師の仕事をしていると、なおさらである。そういうときに、自分が若い頃感じた「残念」な思いを極力相手に感じさせないようにするには、どうしたらいいのだろうか。こうすればいい、というような解決策が見つかったわけではないが、人と人の間に思いの「非対称性」が存在するんだということを意識し、なんとかそのギャップを埋めるように努めてゆきたいとは常々思っている。
  
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2018年09月25日

多読・精読・濫読(48) (PF733)

ff2896b4.jpg下重暁子(しもじゅうあきこ)氏の著作にはまっている。『家族という病』『家族という病2』『極上の孤独』『夫婦という他人』を読ませて頂いた。同氏はNHKのアナウンサーとしてキャリアをスタートしている。略歴から生年は分からないが、著書をよく読むと現在(2018年)80代になられているようである。

「(他人に)家族のことは自分から話さない」「家族の話題しかない人はつまらない」「家族の話のどこがつまらないかというと、自慢話や不平不満で、発展性がないところ」(『家族という病』)。女性の著者が言うと迫力がある。男性が言うと家族を顧みない云々と批判されかねないが、自慢話も不平不満もそもそも歓迎されないのは事実である。

「私は新聞を丁寧に読む」「新聞を読むことで頭が刺激されて、物を考える作用を引き起こす」(『家族という病』)。家族の話題から離れるが、深く共感する。新聞の中に仕事のヒントも見つかる。日々の世界や社会の動きを知るために新聞の役割は大きい。

「日本人は欧米人に比べ、個の意識が弱い。大勢に流される傾向があり、まわりを見て事を決める。」「日本人が子供っぽいといわれる理由(のひとつ)は、結婚して子供ができると家族全体が子供中心で動くからだ。夫婦間の呼称まで変わる。個人として、夫婦としての生活はないのだ。」(『家族という病2』)。米国駐在経験や外資系企業での勤務経験から、まったく同じことを感じてきた。欧米人が子供との関係に一線を画し夫婦間の関係を大事にしているのは事実である。日本の夫婦は子供ができると、夫婦の呼称さえ子供目線になる。これは果たして子供への愛情があふれているために起こる現象なのかどうか。

「書くことは自分の心を掘ることである」(『家族という病2』)。これも家族の話題とは関係ないが、著者に共感を覚えるところである。「心を掘る」という表現がいい。書くという行為は思考を整理する。思いつきやアイデアはもちろん大事だが、それを単なる思いつきやアイデアで終わらせないためにも、書いてみる。書く、という作業が考えを深める。考えを深めるので「掘る」という表現がピンとくる。

「人間関係は一対一。これが鉄則。そうでないと心を開かない。」(『極上の孤独』)。これも透徹した指摘だ。筆者も人間関係は一対一が基本だと思っている。大勢になると愉快ではあるが、会話の内容は浅薄になる。場の雰囲気が優先する。本当に相手とじっくり話がしたいのなら、一対一にならざるを得ない。

「孤独という自由」が素晴らしい(『極上の孤独』)。 一人でいるとだれにも気づかいする必要がない。心身ともに自由になれる。自由の質と量は、人と一緒にいるときよりも一人でいるときのほうが大きい。一人のときに得られる自由は他のものに代え難い。

「実はつれあいはバツイチである。若いときに同じ会社の人と結婚してすぐ分かれた。相手の女性は私も知っている感じのいい人である。」「どうして分かれたの?と一度だけ聞いたことがある」「自分の至らなさのため、と言ったので信用する気になった。相手のせいにするなら、一緒に暮らすのはやめようと思っていた。同じことだから。」(『夫婦という他人』)。著者の合理的な思考に敬服している。

「所詮、淋しさや不安は自分で解決しなければならないもの」「結婚に期待するものではない」(『夫婦という他人』)。著者が女性でおられるので、こういう潔さはなおさら群を抜く。次の著作が楽しみである。





  
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2018年09月18日

Sさんとのご縁 (PF732)

a3c59637.jpgSさんに初めて出会ったのは2002年か2003年頃のことである。筆者は当時まだ邦銀に勤務していた。Sさんは総合商社のエネルギー部門で既に一部署の責任者であった。中東でエネルギー事業に投資を検討しておられ、ファイナンスのことで相談したいとのことで面談に赴いた。Sさんは筆者より数歳年長である。Sさんの第一印象は、明るく前向きながら、落ち着きがあり業界の造詣が深い。年下の筆者へ気遣いもいただき、初めて会った時から惹かれるものがあった。

Sさんに依れば「中東の案件の事業権を獲得するに当たり、もう1社と組みたい」と言う。その意中の1社は日本の事業会社で保守的な社風の会社であった。「ファイナンス面で問題ないのか」という点が同社から指摘されており、「銀行さんに帯同してもらって説明してもらいたい」との要請である。Sさんの人物に信頼が置けたので、二つ返事で引き受けた。

Sさんに付き添って保守的な社風の事業会社を訪問した。打ち合わせ通りミーティングは進み、無事終了した。そうしたら、ほどなく筆者が勤務する邦銀の営業部門から問い合わせがあった。その事業会社を担当する営業部門からである。いわく「商社の肩を持っているのではないか」と事業会社から言われているという。営業部門からは「取引先2社のうちの1社を、内部の打ち合わせもなく支援するのはいかがなものか」との苦言も受けた。もっとも、この中東の案件は、しばらくすると外国勢が事業権を取得してしまい、結局日本勢は機会を逸してしまった。

それから1年程度経った頃であろうか、再びSさんから連絡があった。今度はSさんの会社が計画しているファイナンス案件の相談である。内容を聞いてみると、石油・ガスの上流案件で邦銀の不得手な領域の案件である。既に欧州系銀行3行をリードアレンジャーに指名していた。そして、Sさんに依ると「当初邦銀を招聘するつもりはなかったが、吉村さんのところだけは招聘したい」と筆者勤務先の邦銀を招聘していただいた。そういう経緯のお蔭で、最終4行でリードアレンジャーを務めることになった。そのときSさんは口に出してはいないが、これは「中東案件の恩返し」だと筆者はSさんの真意をくみ取った。

筆者が初めて本を出版したときには、当然Sさんにも一部贈呈した。そうしたら、ほどなくSさんから電話がかかってきた。「吉村さん、この本の要旨をうちの連中に講演してください」と言う。半ば冗談かと思ったが、その数か月後、Sさんの会社の研修所で講師を務めさせて頂いた。Sさんの言行はいつも一致している。因みに、企業の社内研修会の講師は筆者にとってこれが初めてのことである。Sさんはその後商社の役員に昇格し、数年前関連会社の役員として転出した。筆者は今年の初めその関連会社に出向き、久しぶりにSさんにご挨拶し、これまでのご厚誼に感謝した。

それからわずか数か月ほどして、Sさんが勤務していた商社から仕事を受託することになった。同社の方が筆者講師のセミナーに参加しておられ、仕事の委託を決めてくれたらしい。筆者に仕事を委託してくれた部署もまたエネルギー部署である。この部署の方々とお話しして後刻判明したのは、現メンバーのほとんどがSさんの薫陶を直接・間接に受けてきた部下の方々だったということ。この方々は、筆者がSさんと交流していたことは全く知らなかった。しかし、筆者の中では、今回仕事を受託することになったのもまたSさんとのなんらかのご縁ではないか、と心底感じている。
  
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2018年09月10日

就活ルールは無くなると困るのか (PF731)

d573d5e7.jpg経団連の中西会長が「就活ルール」を廃止する方向で検討する旨の発言をした。現行の就活ルールは3月説明会、6月面接、10月内定となっている。筆者の子供たちが就活の年齢なので必然的に注意が向く。現行の就活ルールは形骸化が著しい。外資系企業や新興企業など経団連に加入していない企業はこの就活ルールに従っていない。就活ルールはそもそも紳士協定であって罰則がない。従って、経団連加入企業でさえ遵守の仕方に幅がある。今年の就活では5月末までに約4割の学生が内定もしくは内々定をもらったという調査がある。

新卒一括採用という慣行は日本独特である。他国に例を見ない。他国が追随する兆候もない。そして、新卒一括採用は日本の終身雇用制の入り口でもある。ここから日本の終身雇用制というベルトコンベアーが始まる。そういう意味で、就活ルールを廃止することは日本の終身雇用制を修正する一端かもしれない。

現行の就活ルールを廃止したら、どうなるのか。当初は多少の混乱が起こるかもしれないが、中長期的には良い効果が期待できると思う。最も期待される効果は、「採用の幅が広がる」ことである。採用の幅が広がるというのは少なくとも2つの側面がある。まず採用される学生の幅が広がることが期待できる。2年生や3年生の学生に早々に内定が出るようになったり、既卒でも偏見なく面接が受けられたりする。さらに中途採用の機会も広がる可能性が高い。採用の幅が広がるというもう一つの側面は、時間的な意味合いである。企業は通年採用を行うことになるので、学生はいつでも説明会や面接を受けられる。海外留学する学生も留学するタイミングについて自由度が広がる。さらに通年採用が定着してくれば、入社の時期も一律全員4月ではなくなるかもしれない。結果的に学生の選択肢が広がる。

現行の就活ルールは企業の採用担当から見て効率的な制度で、通年採用になったら企業の採用担当の手間が増え効率的でなくなる、という指摘がある。この議論はナンセンスだと思う。企業にとっての採用というのは、企業の将来を担う人材や逸材を獲得する作業である。その作業に「効率的」であるとか「手間がかかる」云々は、本末が転倒している。手間を大いにかけてでも人材や逸材を獲得すべきではないのか。

現行の就活ルールをやめ通年採用になると企業の採用担当は年がら年中忙しくなる、という指摘もある。年がら年中忙しくなるというのは杞憂であろう。採用活動は平準化されるのではないだろうか。現行の就活ルールでは一時期に多数の学生と接触しなければならないために、人事部以外の部署から応援を依頼するなど尋常ではない。そういうお祭り騒ぎがなくなるのは良いことだ。採用活動が平準化すれば、採用担当もじっくり学生と向き合うことができる。そして、通年採用が定着すると、既に指摘の通り、新卒者だけではなく中途採用者への門戸もさらに広がる可能性が高い。

現行の就活ルールが廃止されると学生の学業に影響がある、という指摘もある。学業に悪影響があるとなると慎重な対応が必要である。しかし、これも杞憂に終わる可能性が高い。時間的に採用の幅が広がることによって、むしろ学生は学業と就活のバランスが取りやすくなるはずである。早々に内定を取って残りの学生生活は学業に専念するもよし、学業に専念してから就活することでもよい。また、現行の就活ルールでは資格試験や公務員試験と民間企業の就活との併願が難しかった。資格試験や公務員試験は夏に行われるものが多いが、就活のピークはその直前数か月間である。通年採用が常態化すれば、この問題も緩和される。

最後に、「就活ルール」が無くなることはけして無秩序な就職活動の世界がやってくるということではない。世界のほとんどの国には日本のような「就活ルール」は存在していないのだから、「就活ルール」の廃止はいわば盲腸の手術のようなものだと思う。
  
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2018年09月03日

外国語は母語を超えない (PF730)

64e250df.jpg海外のプロジェクトファイナンス業務に携わるようになって以来、英語は欠かせないものになった。英語で書かれた資料を読むことも英語で会議を行うことも仕事の一部である。メールでのやりとりも含め、日本語を解さない外国の人と英語でコミュニケーションを取ってゆく。

振り返ってみると、高校時代に英語や外国に興味を持つようになった。大学生のときには、社会に出たら英語を使う仕事がしたいと思うようになった。銀行に就職して6年近くが経過して、ようやく英語や海外に関わる仕事ができるようになった。当初は希望が叶ったという嬉しさがあった。しかし、実際に英語で仕事をするようになると、早々に自分の英語力の不足に忸怩たるものを感じざるを得ない。

30代のときに米国に駐在することができたのは幸いである。言葉の裏には文化がある。米国で生活するようになって、毎日米国人の生活を目の当たりにして、英語という言語とその文化的背景との関係について従前よりも遥かに理解が深まる。邦銀時代に米国に7年間駐在した経験があったからこそ、外銀に転職してもなんとかやっていけるのではないかという楽観的な観測を持つことができた。

外銀での仕事は英語なしにはやっていけない。プロジェクトファイナンス部門の同僚すべてが外国人である。そうは言うものの、日本人の両親のもとに生まれ大学卒業まで日本で教育を受けた筆者の英語力はたかが知れている。そこで英語力の不足を補ったのは業務に関わる知識や経験である。プロジェクトファイナンスの知識や経験が、饒舌ではない筆者の英語を補ったと思う。「流暢な英語ではないが、言っている内容はどうもまともなようだ」と同僚から思われていたのではないかと想像している。

長い間日本語と英語の両方を使用して仕事をしてきた。そういう経験から実感するのは、英語では自分の望むレベルのコミュニケーションができないという甚だ悔しい思いである。「自分の望むレベル」というのはなかなか説明しにくい。筆者の中では、どうしても母語である日本語のレベルと比較してしまう。「日本語だったら、もっと描写ができるのに」といった感覚である。そういう感覚は自分の中にずっと存在している。

例えば、このブログを始めた頃、日本語ではなく英語で書いたほうが良いのではないかと考えたことがある。英語で書けばアクセスしてくれる人はきっと増える。地球の裏側にいる人でも読んでくれるかもしれない。一方で、英語で書いたら自分の表現したいことが十分に表現できない。英語を母語とする金融マンのレベルの英語の文章などとても書けない。このブログを例にとっても、筆者の英語力と日本語力の格差は歴然である。下手な英語でも地球の裏側の人が読んでくれれば良いのか。それとも自分の表現したいことを表現できた方が良いのか。筆者は後者を望むので、ブログを英語で書くことは断念余儀なくされた。

外国語の力はどこまで行っても母語の力を超えることはなさそうである。少なくとも筆者の場合、英語力が日本語力を超えたことはないし、これからも超えることはないと思っている。もっとも、仮に若い時に英語圏の外国に移住して仕事でも家庭でも四六時中英語を使用していたとしたら、いまごろ日本語力は脆弱になっていたかもしれない。この場合、筆者の英語力は日本語力を超えたということにはなる。しかし、このときにはもはや英語が母語になり日本語が外国語になった、と言うべきであろう。「外国語は母語を超えない」ということには変わりはないと思う。
  
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2018年08月27日

多読・精読・濫読(47) (PF729)

735c3b9a.jpg●山極寿一・関野吉晴『人類は何を失いつつあるのか』
山極寿一氏は現在京都大学の総長で、ご専門はゴリラの野外研究。関野吉晴氏は医師で武蔵野美術大学教授。ご専門はアマゾン奥地の原住民の野外研究。本書はご両名の対話を書籍にしたものである。ゴリラの研究者と原住民の研究者はそれぞれの研究領域から人間を見つめている。

「今の学生(の一部)は、知識はインターネットの中にある、と考えている(山極)」
「グーグルで調べたけれど、分からなかった」という学生や若い社会人の言葉を筆者も聞いたことがある。調べるとはググることだと思っているとしたら、大きな勘違いであろう。インターネットの便利さが本来の知的活動を妨げているかもしれない。

「人類がアフリカから北に向かった理由のひとつは病原菌。北に行けば病原菌は少ない。熱帯雨林ではマラリアをはじめ細菌やウイルスが多い。細菌やウイルスの多いところでは人は感染症にやられる(山極)」
人類の多くが北で生活するようになった要因のひとつは病原菌だったという指摘は得心がゆく。ジャレド・ダイヤモンドの代表作『銃・病原菌・鉄』でも人類史に影響を与えた要因として病原菌を挙げている。昨今抗生物質の多用で耐性の強い菌が増えている問題が指摘されている。近年になって花粉症が増えているのも抗生物質の多用と関係があると指摘している医科学者もいる。人間と菌の関係はいまでも進行中である。

「新しい土地に行くフロンティアの人たちは「追い出された」人たちである可能性が高い。移民の例や日本でも次男以下が家を出る。日本やイギリスは大陸から島に「追い出された」人たちが作った国とも言えるが、近代になって両国とも成功を収めた(関野)」
仮説であろうと思われるが、大変興味深い仮説である。なぜなら、現在の敗北者が未来を創っているからである。長い目で見ると、「追い出した」人よりも「追い出された」人が成功するということもあるわけである。米国もある意味「追い出された」人たちが創った国である。

「マダガスカル島は西暦1世紀ごろボルネオ島の住民が上陸してきて先住民となった。アフリカ大陸が近くにあるのに(山極)」
アフリカの先住民は海をなかなか克服できなかった。東南アジアに渡った人類は進化を遂げ渡航技術を身につけ、マダカスカル島にやってきた。マダガスカル島のこの事例も大変示唆的である。現在ではマダカスカル島の住民は東南アジアの血統とアフリカの血統が混ざっているらしい。

「アマゾンでの長い滞在経験で思いもしなかった技術が身についていた。それは「待つ」ということ。失敗しても成功するまで続ければいい。人間関係が悪化しても、時間が経過すれば変化する(関野)」
現代人が見失っているもののひとつはこれかもしれない。「待つ」ということ。忙しい生活の中で大事なものを見失いがちである。相手から連絡がなければ、メールやLINEを打つ。携帯端末を操作すれば簡単にできることではあるけれど、果たして相手から連絡がないのは単純に相手が失念しているからなのかどうか。そういえば、サン・テグリジェペリの『星の王子さま』の中にも「大事なものは目には見えない」という言葉がある。「待つ」ということも目には見えない。



  
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2018年08月20日

システム担当者はいない (PF728)

2944cb15.jpg自宅で主に仕事をするのに使用しているデスクトップパソコンの動作が目立つほど鈍くなってきた。買ってから約5年が経つ。前回も購入してから4-5年で作業に支障をきたすようになって買い換えた。前回は大学院の修士論文を執筆している最中で、動作が鈍くなったのに気づくと躊躇なく新しいパソコンの購入を決めた。パソコンが完全に動かなくなってからでは手遅れになると危惧したからである。論文を執筆する当人の能力を向上させるのは容易ではないが、執筆の道具であるパソコンの能力を左右することならできそうである。

前回からワード、エクセル、パワーポイント等のドキュメンツ類はパソコン内に保存するのをやめた。外付けのハードディスクにすべて保存している。こうすると、パソコン自体が作動しなくなっても、ドキュメンツへのアクセスに困らない。かつてパソコンの動作が急に鈍くなり、パソコン内に保存していたドキュメンツにアクセスできなくなる脅威を感じたからである。ハードディスクにドキュメンツを保存する、もうひとつのメリットは、今般のようにパソコンを買い替えたときに保存しているドキュメンツの移動が要らないことであろうか。

今回もパソコンの動作が鈍くなってきたのに気づき、躊躇なく買い換えを決めた。デスクトップパソコンの交換は、机の下に雑草のように這うコード類との格闘から始まる。モニターは前回購入したものがまだ使える。しかし、これまでモニターとパソコンをVGAという大きなアダプターで接続していたが、新しく買ったパソコンにはVGAアダプターの接続端子がない。どうすればいいのか。よく見ると、代わりにHDMIというもっと小型の接続端子がある。HDMI用の接続コードを手に入れて、事なきを得た。

古いパソコンから新しいパソコンへコード類をすべて付け替えると、新しいパソコンは見事に動き出した。子どものようにはしゃぎたくなるほど嬉しい。もちろん筆者のような素人でも簡単に立ち上げができるように配慮されているのだが、パソコンが見事に動き出したのはいかにも自分の手柄のように感じるから不思議だ。

新しいパソコンを従前のように使うためには、さらにメールの設定が必要である。メールソフトで仕事用のメールが使えるよう設定を試みるが上手くいかない。「接続しているサーバーは確認できないセキュリティ証明書を使用しています」という警告が出てしまった。途方に暮れて、利用中のインターネットプロバイダーにメールで問い合わせた。メールでの問い合わせなので、相手は当方の実情を理解してくれるものかどうか。当方も現状を要領よく説明できているのかどうか。回答はいつもらえるのだろうか。そうこう思案していると、翌日メールでの回答を得た。指示通りにメールの設定手続きを踏んだら、メールが使えるようになった。再びはしゃぎたくなるほど嬉しい。指示通りにやっただけなのに、自分はシステムに強いかもしれないと思ってみたりする。前日途方に暮れていたことはすっかり忘れた。

新しいパソコンは反応が早く、快適である。思えば、会社員のときには社内にシステム担当者がいて、パソコンの交換にしてもソフトウエアの交換にしても、すべて面倒なことは引き受けてくれた。机の下のコード類と格闘する必要もなかった。不具合があれば、内線で呼び出すだけでシステム担当者がやってきてくれる。単に自分の使い方が悪いとしても、なにがどう悪いのかその場で教えてくれる。システムのことはすべてシステム担当者に一任することができた。

しかし、独立して仕事をするようになると、システムのことも自分でやらないといけない。もちろん、システムと言っても個人で使用するパソコン周辺のことに限られるが、些細な不具合が発生しても喉に魚の小骨が刺さったかのようで、気分が滅入る。システム担当者を内線で呼び出せたらどんなにいいかと夢想さえする。でも、助けてくれるシステム担当者はいない。その代わり、ときどきはしゃぎたくなるほど嬉しい気分は味わえる。
  
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2018年08月13日

猛暑対策 (PF727)

39209e07.jpg今年は夏が長い。6月末に梅雨が明けると、夏が始まった。しかも日本各地で記録的な猛暑である。台風が関東を通過することがあった。雨が降るのは大歓迎であるが、暴風は歓迎しかねる。雨が横から斜めから降る。傘を差しても濡れる。台風が通過したやいなや、再び焦げ付くような日照りである。この夏は天候の激烈さに辟易とする。

いつからこんな生活しにくいほどの暑い夏になってしまったのか。世界気象機関(WMO)が世界各地での猛暑について、気候変動が影響しているとコメントしている。これだけの猛暑を何日も何週間も経験すると、今年だけの異常気象ではなく、これは永続的な異常気象の一端なのではないかとさえ感じる。

幸い筆者は平日自宅の一室で仕事をしていることが多いので、外が暑ければ外出を控える。朝まだ気温が上がらないうちに、日陰を選んでウォーキングをする。エアコンの効いた部屋に籠って運動不足になるのは避けたい。昼食を食べた後はどうしても集中力が落ちる。強い眠気を催す。そこで、思い切って昼寝を試みた。寝すぎてはまずいと思い、約1時間後に目覚ましをセットする。昼寝は目を覚ました後の爽快感がいい。眠気が去り、集中力が戻っている。昼寝をせず無理に仕事を続けるより、思い切って昼寝をした方がその後の仕事の生産性がぐっと上がる気がする。猛暑のさなか、昼寝は極めて効果的であることを実感している。爽快感に加えて、新しいことに取り組む意欲ややる気も出てくる。1日が2回やって来たようで、得した気分である。

昼食後に昼寝など、会社員時代はとても考えられなかった。昼食を摂った後、座席でそのまま数分間瞼を閉じているだけでも、体力が少し回復するような経験はしていた。しかし、周辺には人がいる。従って、目を閉じていてもどこか落ち着かない。「この人、何をやっているのだろう」と訝られていやしないかと想像するだけで気分が良くない。会社員でいる限り、平日の昼寝など到底無理である。平日望めば昼寝ができるというのは、考えてみればなんて贅沢なことだろう。この贅沢な時間と空間の使い方にひとり感心している。

この暑い夏でも週末仲間とテニスをしている。平日のウォーキングだけでは運動量が十分とは思えない。早朝とはいえ、気温は既に上がっている。シャツは汗を吸い、重くなる。シャツの着替えを欠かさない。汗をかいても恥をかいても、ボールを追う。上手く返球できてもできなくても、仲間からやんややんやの歓声が上がる。自分のプレーも仲間のプレーも、笑いが絶えない。プレーの巧拙はともかく、仲間と楽しくテニスできることが嬉しい。テニスをしている最中は、暑さを忘れる。

今年の夏は早く始まった分、早く終わるのだろうか。近年10月に入っても暑い日が続く夏もあった。この猛暑で、暑い日が長く続くことになると、本当に体力的に厳しい。猛暑が続く限り、蟷螂の斧さながら筆者は昼寝で対抗するほかない。
  
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2018年08月06日

4つの転機 (PF726)

86e55506.jpg職業上のキャリアをどう形成してゆくべきか。職業人として非常に重要な問題である。生涯一つの会社に勤続する人にとっては「自分の意志でどうこうできるものではない」と諦観しているかもしれないが、それは望ましいことではない。一つの会社にしか勤務しないとしても、幾つかの会社に勤務するとしても、時折自分のキャリアについて熟考することは必要である。そして、必要に応じて舵を切ってみる。来し方を振り返り、行く末を楽観的に案じてみる。これがキャリアについて考える基本であろうか。筆者はこれまでの30余年のキャリアを振り返ってみて、転機が4つあったと思っている。

一つ目の転機はプロジェクトファイナンス部へ異動したことである。29歳のときである。それまで邦銀の国内支店で融資渉外という仕事をしていた。これは中小企業向け融資の営業である。当時は既存融資先の管理も自分で行っていたので、正確には融資の営業と管理である。1年に1回行われる人事面接では「国際業務希望」と言い続けた。都合6年間で6回言ったと思う。6回言ってようやく本店プロジェクトファイナンス部へ異動になったわけである。

二つ目の転機は米国に勤務したことである。33歳のときである。本店プロジェクトファイナンス部で約4年勤務すると、ニューヨーク支店に異動になった。本店プロジェクトファイナンス部では終始末端担当者だったのが、ニューヨーク支店では課長に就き、いきなり8人の部下を持った。しかも、8人とも日本語を一切話さない米国人である。本店プロジェクトファイナンス部に異動していなければニューヨーク支店への異動もなかったと思うので、一つ目の転機は二つ目の転機に繋がっている。ニューヨーク支店で約3年勤務した後、テキサス州のヒューストン支店に異動になった。ヒューストン支店でさらに約4年勤務したので、米国勤務は合計7年に及んだ。

三つ目の転機は邦銀を退職して外資系金融機関に転職したことである。45歳のときである。米国勤務を終えて、再び本店プロジェクトファイナンス部に戻った。しかし、勤務先は統合・再編の真っただ中である。この銀行はこれからどうなるのだろう。職場の将来を案じた。このままこの銀行に勤務し続けることに明るい将来像が描けない。「残るも地獄、去るも地獄」などと自虐的になる同僚も少なくなかった。外資系金融機関に転職することに躊躇がなかったわけではない。しかし、米国で7年間勤務した経験が背中を押した。ここでも二つ目の転機が三つ目の転機に繋がっている。

四つ目の転機はプロジェクトファイナンスの書籍を出版したことである。50歳のときである。出版直後は鳴かず飛ばずの状態であったが、徐々に講師として声がかかるようになった。そして、初めて名刺交換をした人からも「本を出版している方ですね」と言われることが増えてきた。筆者が驚くのは、自分の経験や知見は出版前と出版後とでほとんど違わないのに、人々の認知は出版前と出版後とで大きく異なることである。言語化をすること、さらに言語化したものを公表することの重要性を実感する。四つ目の転機も三つ目の転機がなければ起こらなかったはずである。なぜかというと、邦銀に勤務したままでは書籍の出版はそう簡単にはできないからである。邦銀では調査部やグループ内のシンクタンクの勤務者を例外として、業務について書籍を出版するのはかなり難しい。人事部等からの許可が容易に下りない。銀行に限らず日本の企業全般にそういう保守的なところがある。ところが当時勤務していた外資系金融機関では、すぐ許可を出してくれたのみならず、出版を大いに応援してくれた。拙著が出ると、勤務先が多数買い上げ、取引先に配布してくれた。

以上が筆者の4つの転機である。実は五つ目の転機は現在進行中である。五つ目の転機は会社員生活をやめ独立して仕事をするようになったことであるが、もちろんまだ顛末は分からない。ただはっきりしていることは、五つ目の転機もまた四つ目の転機と繋がっているということである。
  
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2018年07月30日

好奇心と行動力 (PF725)

1a519da1.jpg仕事でときどき国内出張する。一泊することも少なくない。出張先毎に宿泊するホテルはだいたい決まっている。例えば、某都市でよく宿泊するあるホテルがある。そのホテル内には朝食を摂れるレストランが3つある。一番大きなレストランは百数十名の客席があり、朝食は常にビュッフェスタイルである。もう一つは和食レストラン。3つ目は客席数20-30で、最も小さい。これまでは必ず一番大きなレストランで朝食を摂っていた。しかし、ここはいつも騒々しい。アジアから来日した観光客も多い。

先般初めて客席数20-30の最も小さいレストランで朝食を摂ってみた。ビュフェではなく、数種の朝食メニューしかない。しかし、客は数組しかおらず、ウエイターがきめ細かく気を配ってくれる。レストラン内は静寂で、新聞を読んだり一日のスケジュールを確認したりするには素晴らしい環境だった。なぜもっと早くこの小さなレストランに来なかったのか、悔やまれるくらいである。一番大きなレストランは慣れてはいたが、筆者の好みに合うのは最も小さなレストランである。行ったことがないレストランに敢えて行ってみる。行ってみると、なにかしら発見や気づきがある。

昨年後半に参加した勉強会で、どうやって勉強会の存在を知ったのかということが少々参加者の間で話題になった。同勉強会を主催する大学の卒業生である人は勉強会の存在を知るのにそれほど苦労しない。しかし、大学の卒業生ではない人は「知り合いからの紹介」という人が最も多かった。筆者は新聞広告を見て説明会を聞いて、「これは面白そうだ」と思いひとりで応募した。筆者のような経緯で勉強会に応募・参加した人は実はかなり少数派であった。

ホテルのレストランも勉強会の参加も、些細な例ではある。些細な例ではあるけれども、好奇心と僅かな行動力の賜物である。日々の生活の中でも関心や興味を絶やさないということが、大袈裟かもしれないが、生きている証である。好奇心を失ってしまったら、生きている喜びを失うのではないか、とさえ思う。

そして、好奇心をただ満たすだけではなく、何か新しいものが見出せるのではないかと期待を膨らませて行動を起こしてみる。興味は持ったが行動には及ばない、ということももちろん少なくない。しかし、本当に何か新しいものに出会えそうだと直感したなら、面倒臭がらず行動に移してみる。行動してみて初めて分かることや気づくことは本当に数知れない。好奇心が行動になれば、また新たな好奇心を呼ぶ。新たな好奇心が新たな行動に繋がる。好奇心と行動の好循環が起こる。

行動に移してみると、考えているだけではとても想像の及ばないことに出くわす。小さな発見や気づきがある。「考えているだけではダメだ」と自省を込めて思う。思考が尊く行動はあまり重要ではないと考える思考派は、行動に伴って得られるダイナミズムを見落としているはずである。好奇心が生きている証であり、生きている喜びだと前述したが、行動することもまた生きている証であり、生きている喜びだと思う。好奇心と僅かな行動力とが巧くかみ合えば、きっと仕事も生活も愉しい。
  
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2018年07月23日

計画と実行 (PF724)

9e8c8852.jpgどんな小さなことでも、なにか新しいことに着手するなら、なんらかの計画や準備は欠かせない。大きな規模の事業なら、企業の担当者が何人も携わり、長時間を費やして企画・計画する。規模が大きければ大きいほど、綿密な企画・計画を要する。小さな事柄であっても、相応の計画や準備は必要である。

そして、企画・計画を練ったら、実行に移す。企画・計画したのにもかかわらず、実行できなければ(しなければ)、いわば「絵に描いた餅」に等しい。実行できないと、「企画・計画までなら、誰でもできる」「実行できないなら、どんな立派な企画・計画も妄想同様だ」などと実践重視派から厳しい指摘を受ける。

外資系金融機関に勤務していたときに、executionもしくはdeliveryという言葉がよく飛び交った。executionもdeliveryも、実行や実施を意味する。いいアイデアやいい着眼を持つのはもちろん重要であるけれど、それらはさらに実行・実践できて初めて価値がある。実行・実践できて初めてビジネスになる。つまり、executionやdeliveryという言葉がよく飛び交うのは、実行・実践の重要性を説いているときである。

実行すること、やり遂げること、これらが重要であるのは疑いがない。しかし、「とにかく実行をしなければ」と闇雲に行動に移す人がいる。こういう人は企画や計画を蔑ろにしている。企画や計画を蔑ろにするどころか、企画や計画をほとんど行わない人の中には「何をやればいいのか指示してくれ。その通りやるから」という実践のみの亡者もいる。実践のみの亡者は、状況の変化が起こっても自分では軌道修正できない。企画や計画が不十分なまま実行を急ぐと、「海図なき航海」に出るようなものである。たまたま目的地に到達することもあるかもしれないが、大抵は目的地に到達することはない。下手をすると座礁する。座礁しても、「何が悪かったのか」もよく分析できない。

冒頭に、どんな小さなことでもなんらかの計画や準備は欠かせない、と書いた。その文脈で筆者が二十年近く実践している仕事上の習慣がある。それは「大学ノートの利用」である。大学ノートを常に1冊用意し、それで「計画と実行」を管理している。毎週週末に、翌週にやるべきことをすべて具体的に書き出す。いいアイデアや思つきがあれば、それも付記する。週の半ばで加筆・修正する。週の後半でやり残したことがないかチェックする。こうしてゆくと、やるべきこと、やりたいことが(そうではない場合より)明らかに実現しやすい。そして、不用意なやり残しを防ぐ。

計画と実行は、両者とも同程度に重要である。企画・計画が得意だという頭脳派がときどきいるが、自ら実行・実践できないのなら「絵に描いた餅」にならないだろうか。実行・実践が得意だとする実践重視派は、既に指摘した通り、自ら軌道修正することや失敗の原因究明に弱みがあろう。理想は、計画も実行もできる人である。大企業に勤務していると「それは難しい」と思うかもしれないが、自分の仕事の領域の範囲内なら、計画と実行はできないわけではない。

計画は、実行を念頭に置いて、本当に実行できるものでなければならない。そのためには、計画する者は実行・実践の経験を積まないといけない。実行は、実行・実践の経験を積むごとに力量が上がる。そういう力量がある者が計画をすると、「絵に描いた餅」になることが少ない。最終的には、計画と実行の間で相乗効果が発揮されるのが理想である。計画力も実行力も高めたい。従って、自分の手が及ぶ小さな仕事からで構わないので、計画と実行の両者に、バランスよく関わりたいものである。
  
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2018年07月17日

スタートアップ・プログラム (PF723)

262fc0ce.jpg50歳以上の人を対象にした、起業志望者向けの講座を某国公立大学院が開校する。通称「シニア・スタートアップ・プログラム」。受講期間は数か月で集中的に行う。授業は夜間と週末に行われるので、会社等に勤務している人でも受講しやすい。

日本の大学生の数は年々減少している。従って、大学の数は供給過多になりつつある。一方、意欲ある社会人は教育の機会を求めている。実務の経験や知見を活かすためにも、学び直しは欠かせない。両者の思いは、社会人向け教育に行き着く。社会人教育と言っても、さまざまな分野があり得る。終身雇用も崩れつつあるので、社会人の起業とくに50歳以上の社会人の起業をサポートするニーズは確かにある。こういった文脈で、この「シニア・スタートアップ・プログラム」が立ち上がったとみていい。筆者も興味を持った。

先日この「シニア・スタートアップ・プログラム」の説明会に参加した。インターネット上で公開されているプログラム内容や募集概要はあらかじめ通読しておいた。説明会では、公開情報では分からないこと、主催者側の熱意や思い入れなど「なにか」を期待している。

説明会に登壇した大学院関係者は3名おられた。教授1名と事務職員2名。説明会に参加した人は残念ながらわずか5名である。まず、教授がプログラム内容を説明した。公開済みの内容とほぼ同じことを話す。声が小さい。参加者から「もう少し大きな声でお話しいただけますか」との要請が出た。その後、事務職員が募集概要を説明する。これも公開済みの内容に沿っている。

質問の時間になった。参加者が質問する。
「このプログラムに参加して、どのくらい起業に役立つのでしょうか」
「授業は理論中心でしょうか、それとも実務中心でしょうか」
教授が回答をするが、声が小さい。自信の無い話し方で、何を言っているのかよく聞き取れない。再び参加者から「もう少し大きな声でお話しいただけますか」との要請が出た。

出願期間は始まっているが、出願者の数が思うように伸びていないという。今般急遽出願期間の延長を発表した。事務職員の方は、「周知が十分にできていなかったので」と釈明している。しかし、説明会に参加した印象から判断すると、出願者が増えないのは周知不足だけの問題というわけでもなさそうである。

プログラム内容も一部未定のところがある。シラバスは作成されているが、プログラム内容がイメージしにくい。プログラムの中には「経営戦略」や「マーケティング」など大学院で行っている講義が用意されている。50歳を超えた人の起業をサポートするというのに、「経営戦略」や「マーケティング」の講義というのも、リアリティを感じない。

教授は「八丈島で2泊3日の合宿があります」と二度言っていた。参加者の歓心を買おうとしていたのだろうか。「2泊3日の合宿」は公開済みのプログラム内容には記載のなかったことである。しかし、筆者は「2泊3日の合宿で、一体何をやるのかをしっかり説明してもらわないと、良し悪しが判断できない」などと内心思っていた。

インターネット上でプログラム内容や募集概要を読んだときには、筆者は出願を真剣に考えていた。学ぶ機会は自分で作らないといけないと日頃から思っているからである。しかし、説明会に参加してみて、少なくとも今年は出願を見送ることにした。
  
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2018年07月09日

憧れのプロジェクトファイナンス (PF722)

e6b313e0.jpg来春卒業する大学生の大手企業向け就職活動は6月でほぼ終結したようである。内定者を食事会等に招待している企業もあると聞く。一部の邦銀では、総合職以外に「専門職」のような採用口を設けているところがある。先日その「専門職」の職種のひとつとして、プロジェクトファイナンスの業務が選択肢としてあることを知った。この「専門職」で採用されると、入社初年からプロジェクトファイナンスに携わることになるという。

総合職という職種は今でも主流である。内外の転勤はあるが、昇格昇給の機会は開かれている。幹部や経営職になる可能性もある。しかし、自分の希望する仕事に就けるかどうかの保障はない。大学生のなかには、「こういう仕事がしたい」という確たる希望を強く持っている人もいる。これまでの総合職という採用方法では、自分が担いたい仕事を担えるのかどうか分からないという不確定要素があった。「専門職」という採用口を設けることにより、大学生の多様化したニーズを受け止める狙いがある。

筆者が驚くのは、その「専門職」の中にプロジェクトファイナンス業務の選択肢が存在することである。つまり、大学生の中にはプロジェクトファイナンスの仕事がしたいと強く希望している人が(どのくらいの数かは分からないが)存在するということになる。プロジェクトファイナンスの仕事が(一部の)大学生の希望する仕事になったということであろうか。

筆者は1990年の初めに当時勤務していた邦銀の本店プロジェクトファイナンス部に転勤になった。それまで約6年間国内支店2カ店に勤務した。転勤の発令を受けたときのことは今でもよく覚えている。支店の支店長から呼び出されて、「吉村君、転勤です。本店のプロジェクトファイナンス部です」と言われた。「ありがとうございます」と応えた後、少し間をおいて、「プロジェクトファイナンスというのはどんな業務でしょうか」と支店長に尋ねた。そのときの支店長の狼狽した表情が今でも思い浮かぶ。支店長は「プロジェクトファイナンスというのは…..」と言った後、説明に窮して口ごもってしまった。

当時の支店長を揶揄するつもりは毛頭ない。当時支店に勤務する銀行員でプロジェクトファイナンスのことをきちっと説明できる人はおそらくいなかったはずである。29歳の筆者も何も知らなかったし、周りの諸先輩も誰も知らなかった。もっとも、そのとき筆者は、支店長や上席の方はご存知なのではと思い、虚心坦懐に質問したのである。当時の筆者は、標準的な銀行員はプロジェクトファイナンスのことなど知らない、ということすら知らなかったのである。

それからしばらくして、プロジェクトファイナンスの仕事がしたいと希望している若手の銀行員に偶々出会った。1990年代の後半である。そのときの筆者の印象は、「プロジェクトファイナンスの仕事を希望する銀行員がいるのか」という驚きに満ちている。2000年以降、「希望職種に就ける」という社内公募制が始まったときにも、プロジェクトファイナンスの業務は公募対象になった。

今年の就職活動のために某邦銀が学生向けに作成した、写真入りの見栄えのするパンフレットがある。ページ数30ページほどのパンフレットで、学生にも分かりやすいように当銀行の業務が紹介されている。その中には入行数年目の溌溂とした行員のインタビュー記事が掲載されている。学生に「君たちの先輩はこんな仕事をしています」というアピールであろう。10名前後の行員のインタビュー記事が見られるが、そのうち2名は海外プロジェクトファイナンスの業務に携わっている。

筆者も長くプロジェクトファイナンスの仕事に携わり、会社員を退いた後もこの仕事に携わり、面白い仕事だと思っている。大学生の(一部の)方たちがプロジェクトファイナンスに興味を持って頂けるのは嬉しい。しかし、就職活動の中では、なにか過剰に美化され、大学生の歓心を買う手段として利用されているとしたら、ちょっと残念な気持ちもする。
  
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2018年07月02日

私家版「働き方改革」 (PF721)

860a2e39.jpg働き方改革法案が成立した。年収一千万円余の会社員は成果本位になり、残業代は原則付かない。思い起こせば、筆者が銀行に入行した30余年前ですら残業代には上限が設定されていた。毎月月末になると、1カ月分の残業時間を書いた一表を提出する。残業代の予算が決まっていて残業時間には上限がある。実際の残業時間はその上限を遥かに超えている。従って、その上限一杯まで申告する。上限一杯まで申告しても、上限の時間は元来低いところに設定されているので残業代はたいしたものにはならない。

銀行では30歳を超えたあたりで最初の役職に就くが、役職に就くと残業代は一切付かなくなる。従って、30歳を超えたあたりで残業代というものに縁が無くなる。もっとも、残業時間を申告して残業代を貰っていたときでも、既述のとおり残業時間の上限が決まっていて毎月その上限を申告していたので、残業代を貰っているという意識は薄く、所定の給与を貰っている意識の方が強かった。かように30年前から残業の問題については形骸化が甚だしい。社会に出たばかりの若造にも、形骸化された残業代管理の無残な実態は理解できる。役職に就いてのち残業時間を書いた一表を毎月月末に提出する必要がなくなったのには、むしろ気分が清清したものである。

国内支店に勤務していた20代のときには、上司や先輩の「働き方」を見習うだけで、その良し悪しは分からなかった。29歳のときに本店のプロジェクトファイナンス部に勤務するようになってから、「働き方」を考えるようになった。当時の「働き方」に疑問を感じている人は周りにもいた。家庭を持ち子供も生まれれば、なおさらであろう。33歳から40歳までの7年間米国勤務を経験して、筆者の「働き方」の考えの礎が出来た。それはどういうものかというと、「ワークライフバランス」の考え方である。もっとも当時は、「ワークライフバランス」という言葉は人口に膾炙していなかった。米国人の生活ぶりや仕事ぶりを見て、「働く」とはどういうことなのか、社会人として「生きる」とはどういうことなのか、考えずにはいられなかった。それまでの典型的な日本人会社員の「働き方」には大きな疑念を抱く。

40歳で帰国して再び本店プロジェクトファイナンス部に所属する。そもそも帰国したくなかったが、本店プロジェクトファイナンス部なら戻ってもいいと思った。邦銀再編の時期にも重なったため、45歳のときに迷わず転職を決意した。転職の動機も、自分なりの「働き方」改革だと思った。率直に言えば、日本の会社に勤めているのが嫌になったのである。当時外資系金融機関への転職に不安がなかったといえば嘘になる。しかし、米国での7年間の勤務経験が背中を押した。具体的には外国人と英語で仕事することはなんとかできるだろうと思った。日本にいながら、米国勤務時代のような「働き方」ができるのではないかと大いに期待もした。

この期待は幸い外れていない。11年間に亘り外資系金融機関で勤続できたのも、自分が望んでいた「働き方」がほぼ実現できていたからである。それはオフィスに朝から夜遅くまでいるような働き方ではない。求められている職務内容がはっきりしていて、その職務上の成果を上げさえすれば、毎日夕方5時過ぎに退社しても誰にも文句の言われない働き方である。筆者にとって外資系金融機関への転職は大正解であった。

56歳になって、その外資系金融機関を退職することにした。一昨年の暮れのことである。邦銀から外資系金融機関への転職を「働き方改革」の第一弾とすれば、会社員を卒業することは、自分なりの「働き方改革」第二弾である。率直に言えば、企業に属して働く会社員という「働き方」が嫌になったのである。随分我儘に聞こえるかもしれない。しかし、実際のところ、会社員が楽しいと心底思っている人は世の中に少ないのではないかと思う。先輩や上司のいない「働き方」は、究極の「働き方改革」である。

「働き方改革」第二弾は現在進行中で、まだ1年半しか経過していない。成否を云々するのは早すぎるが、これまでのところは期待以上の進捗で、その幸運に感謝している。もっとも、期待値は元々低く設定してあるので、容易に「期待以上」の成果が出やすい。「働き方改革」第二弾では、意気に感じる仕事をしてゆきたい。

  
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2018年06月25日

組織にノウハウは蓄積・承継されるのか (PF720)

29a859e2.jpg日本企業による海外事業投資が盛んである。国内の成長は鈍化しているので、さらなる成長のために海外に出てゆく。しかし、例えば入社以来10年以上国内業務に携わっていた社員を、いきなり海外事業部門に異動させて海外事業投資をやらせるのは、当人にとっても会社にとっても容易なことではない。現場の話を聞くと「国内営業の人材を海外事業投資の人材に育て直すのが急務である」という。

先般日本の大手企業の役員に海外事業投資の話を聞く機会があった。「組織としてノウハウが蓄積されていない」「組織としてノウハウが継承されていない」という。海外事業投資の人材の層が連綿と積み上がっていないという。しかし、ノウハウは果たして「組織」に蓄積されるものなのか。ノウハウは「組織」を通じて継承されるものなのか。言葉尻を云々するつもりはないが、「組織」本位の発想の仕方に違和感がある。

海外事業を展開する日本企業は大手企業であり、いずれも歴史ある企業である。それゆえに終身雇用的な考え方が色濃く残っている。新卒入社して以来同一企業に勤める従業員の比率はいまでも9割に及ぶであろうか。さすがに海外事業投資部門には中途採用者も増えているが、それでも中途採用者の割合は多くても2-3割程度。大半の従業員はいわゆるプロパーで、新卒で入社した人たちである。終身雇用的な考え方は会社中心、組織中心の考え方と相性が良い。ノウハウが「組織」に蓄積され、「組織」を通じて継承されると考えるのは、会社中心、組織中心の考え方と符合する。

しかし、例えばプロジェクトファイナンスという業務のノウハウを考えてみると、それは組織に蓄積されるものではない。また組織を通じて継承されるものでもない。蓄積されるのはまぎれもなく個人であり、継承も行われるとすれば個人から個人に行われる。その他のビジネスのノウハウもまた同様であろう。ノウハウを持った個人が多く集まっている組織を外から見たときに、いかにも組織にノウハウが蓄積されているように見えているだけである。

例えば、わずか数年前に起業したIT系の企業があるとする。ITの知識を持つ者が社内に多くいる。それらのITの知識を持つ者は、数年前まで別な企業に勤めていたであろう。ここ数年の間に当社に転職してきた。このIT系企業において、ITのノウハウは「会社に蓄積される」「会社を通じて承継される」と考えるだろうか。ITのノウハウを持った者が当社に集まってきただけではないだろうか。

筆者は自分の経験からも、上記のような例からも、ノウハウや実務的な知見は「組織」ではなく「個人」に蓄積されるものだと思う。従って、ノウハウの継承も、行われるとすれば個人から個人に対して行われる。

欧米企業は社内に適任者がいないと知れば、躊躇なく外部から採用を試みる。そうやって、足りない人材や知見を即座に外部からの採用によって補う。欧米企業の常識からみると、社内で異動を行い、国内業務経験しかない者に「明日から海外業務を担え」という日本企業のやり方は、組織対応として緩慢に思えるし、組織にとっても個人にとってもかなり無理がある。指名された個人の努力や精神力でなんとか克服できる、というものではなかろう。

ノウハウが「組織」に蓄積され、ノウハウの継承は「組織」を通じて行われると考えるのは、会社本位に考えがちな我々日本人の思考の癖なのかもしれない。
  
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2018年06月18日

ときどき映画を観る (PF719)

42bdd56f.jpg会社員生活を送っているときには映画館で映画を観ることはほとんどなかった。DVDを借りて家で観る、ということもなかった。映画が嫌いな訳ではない。ただ時間的な余裕がないのが理由である。映画館で映画を観るには時間的な余裕、さらに心の余裕が必要な気がする。独立して仕事をするようになったので時間的な余裕も心の余裕もできて、いまはときどき映画館に足を運ぶ。

是枝裕和監督の映画『万引き家族』は今年5月に開催された第71回カンヌ国際映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した。これを知って、公開された同映画を先日映画館で観た。映画も重要な表現方法、表現手段である。監督や製作者の意図を推察するのもいいが、自分なりに鑑賞するのもいい。自分が素直に感じること、連想することを縦横無尽に思い描いてみるのもいい。

同映画の冒頭には、5歳くらいの少女が深夜家の外に追い出されている場面がある。「万引き家族」のお父さんが声を掛ける。そして、不憫に思い家に連れて帰る。少女はまもなく「万引き家族」の一員になる。少女の両親は裕福で有名人らしい。しかし、少女の幸せな生活はそこにはない。少女が家族の絆を感じるのは、自分を拾ってくれた「万引き家族」である。経済的な豊かさは必ずしも幸せをもたらさない。家族の絆は一体どこにあるのだろう。映画が静かに問いかける。

「万引き家族」は些細なことから警察沙汰になる。お母さんは実は別件の容疑者であった。収監されてしまう。面会に行ったお父さんにお母さんが語る。「これまで楽しかったから、(収監は)おつりがくる」。これまで「楽しかった」のは、社会の陰に細々と暮らしていたとはいえ、家族の絆を感じることができたからということか。人が幸福感を感じるのは、たとえ万引きや犯罪が介在していても、家族の絆が存在するときなのかもしれない。

映画には印象的な場面がいくつかある。一つは夏の日の晩、「万引き家族」の住む家で花火の音が聞こえる場面。家族は総出で縁側に出る。花火を見ようと空を見上げるが、周辺の高い建物のせいで見ることができない。そこでカメラのアングルが空から家族を捉える。家族は皆空を見上げて、音の聞こえる花火を探している。夜の暗い谷間に、家族の顔だけが見える。この場面が秀逸だ。

もう一つは警察に保護された少女がクレヨンで絵を描いていた場面。それは夏の暑い日、「万引き家族」で海に遊びに行った時の絵である。青い海が広がり、そこに家族全員の姿が描かれている。その絵は少女が欲していた家族団欒の絵ではないのか。そして、海に遊びに行った数週間後に高齢のおばあちゃんが自宅で老衰のため亡くなった。「万引き家族」は葬儀費用など工面できないので、死亡の事実を隠し、死体は自宅の庭に埋葬した。しかし、少女の絵にはおばあちゃんらしい人物が描かれている。少女の絵によって、警察はおばあちゃんが存在していたことを察知する。

この映画は重いテーマを扱いながらも、全体は軽快である。観た者に、さまざまな想像力を掻き立てる。
  
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2018年06月11日

多読・精読・濫読(46) (PF718)

9e0fed5f.jpg●ダニエル・ピンク著『フリーエージェント社会の到来』
最近この本の存在を知って、読んでみることにした。しかし、読み進むうちに、どんどん引き込まれてゆく。大部な本だが、最後は読み終えてしまうのが惜しいほどである。原著は2001年に出版され、日本語翻訳版は翌年2002年に出版された。

フリーエージェントとは、フリーランスとほぼ同義で、会社員として働くのではなく、独立して働く人を指す。ここでいうフリーエージェントは、これまでであったら通常会社員として業務を提供する者であるが、会社との業務委託契約に基づいて独立して業務を提供する、新種の働き手を意味している。具体的にはITエンジニア、ライター、コンサルタントなどが典型例である。本書副題には「雇われない生き方」とある。米国では90年代以降、この種のフリーエージェントが急増してきたという。

何故、フリーエージェントという働き方が増えるのか。
著者はいくつか要因を分析している。その中で「経済が豊かになり、人は生活の糧のためだけに働くのではなく、仕事に生きがいを求めるようになったからだ」という指摘は胸にしみる。この要因は根源的だと思われるからである。さらに、この指摘はエイブラハム・マズローの欲求段階説にも繋がる見方である。マズローは「誰でも無意味な仕事よりも意味のある仕事をしたいと思っている」「仕事が無意味だと人生も無意味に等しくなる」と言っている。

「所得が増えるに従って幸福感も増す」という現象は、実はある一定水準の所得に達するまでの間しか起こらないことが分かっている。そういう一定水準に所得が達してしまうと、それ以上所得が増えても幸福感が増すわけではない。それでは、仕事上で幸福感や充実感、やりがい、生きがいといったものはどうやったら得られるのであろうか。それはおそらく「自分にとって意味のある仕事」を行うことではないかと思われる。「自分にとって意味のある仕事」とは、少なくとも「自分がやりたい仕事」であろう。

本書の中でフリーエージェントに関する調査の結果が紹介されている。約1,000人のアメリカ人を対象にした調査では、「フリーエージェントになった動機は、お金ではなく、自分の優先順位に従って、人の指示を受けずに行動したいから」という回答が9割を占めた。アメリカとヨーロッパの50万人を対象に行った調査では、「最も仕事に満足しているのは、雇われずに仕事をしている人」であった。一昨年(2016年)歌手として初めてノーベル平和賞を受賞したボブ・ディラン(Bob Dylan)はかつて「朝起きてやりたいことをできる人は成功した人だ」と言ったという(原文:A man is a success if he gets up in the morning and gets to bed at night, and in between he does what he wants to do.)。

本書が対象にしているのは、主に米国におけるフリーエージェントという働き方である。日本でも今後米国同様にフリーエージェントという働き方が増えてゆくのだろうか。日本では終身雇用制が崩れ始めたとはいえ、欧米諸国に比べればまだ終身雇用制は残っている。今後さらに日本の終身雇用制が減少してゆけば、日本でもフリーエージェントが増えてゆくのかもしれない。そういう意味では、本書は未来の我々の働き方を予期させる好著とも言える。

繰り返しになるが、フリーエージェントという働き方が増える要因に、「人は生活の糧のためだけに働くのではなく、仕事に生きがいを求めている」という、人間が根源的に求めている理由があることを見逃すことはできない。


  
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2018年06月04日

諸手当はどうして生まれたのか (PF717)

85b88a00.jpg通勤手当、給食手当、無事故手当、作業手当、皆勤手当、資格手当、配偶者手当、子供手当、住宅手当等々。日本の会社員の給与にはさまざまな手当が付く。浜松市の物流会社の契約社員が「正社員には6種類の手当が支給されているが、契約社員にはこれらの手当が支給されていないのは不公平だ」と裁判で争い、先日最高裁の判決が出た。最高裁の判決では、6種類の手当のうち5種類の手当について契約社員に支給しない合理的な理由はない、とした。つまり、契約社員にも原則諸手当を支給せよ、ということである。妥当な判断だと思う。

そもそも欧米企業の給与にはほとんど手当はない。年間の基本給(Base Salary)があるだけである。あとはパフォーマンスに応じて期末にボーナスが支払われる。筆者が勤務していた外銀では、基本給に加えて通勤費だけは別途支払われていた。通勤費の別途支給も外国では異例であろう。通勤費の支給は日本の慣行に配慮したためのようである。

前に勤務していた邦銀では諸手当や福利厚生の一環として行員向け住宅ローンの金利優遇制度がある。賃借している者には家賃補助もある。しかし、家賃補助よりも住宅ローンの金利優遇制度による補助の効果の方が大きいので、行員の多くは家を賃借しているよりも購入した方が良いという判断に傾く。もっとも、低金利の現在では住宅ローンの金利優遇制度による補助の効果が大きくないかもしれない。

日本でさまざまな手当が生まれたのはどうしてであろうか。理由がいくつか考えられる。ひとつは基本給の引き上げを抑えることであろう。基本給は一旦引き上げてしまうと、後刻引き下げるのは難しい。しかし、手当であれば、後刻手当自体の金額を調整したり、あるいは手当を改廃したりすることができる。もちろん、これは経営側の事情であって、社員のためではない。

もうひとつの理由は、手当のそれぞれの名称が象徴しているように、通勤、給食、無事故、作業、皆勤、資格、配偶者、子供、住宅など、それぞれの事項に会社が特段の配慮をしている、あるいは会社が重視しているということを社員に伝達するメッセージ効果もある。「大企業は諸手当や福利厚生が充実している」と言われてきたのも、このメッセージ効果があった所以であろう。ちなみに、社会保険料の計算の基礎となる標準報酬月額の算出には諸手当は算入される。日本の社会保障制度の観点からは、諸手当は既に基本給同様に扱われているわけである。

浜松市の物流会社のケースでは、この諸手当の制度が契約社員の賃金格差に利用されたと観ることもできる。正社員には諸手当があるが、契約社員には諸手当がないという具合である。諸手当をこういうところで利用するくらいなら、いっそすべての諸手当を無くしてしまい、基本給で一本化したらどうだろう。

そもそも諸手当が生まれたのは、社員のためというよりも経営側の事情だから、無くしてしまっても実は社員は困らないはずだ。しかし、諸手当の持つメッセージ効果のせいで、諸手当を廃止すると社員が損をするのではないかと思いがちである。諸手当を廃止しても、その分基本給を引き上げて実際に支給する給与総額が不変であれば、社員は問題ないはずだ。社員は諸手当制度の由来を冷静に見直してみる必要がある。さらに、「同一労働同一賃金」が行われているかどうかを判断する上でも、基本給で一本化した方が透明性は高まる。
  
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2018年05月28日

しなければならないこと (PF716)

7c6846d5.jpg生きてゆくうえで、しなければならないことがある。例えば、学齢期には学校に通う。社会に出たら働く。結婚して家庭を持てば、家族を支える。しなければならないことは、いろいろある。その中で仕事をするということも、しなければならないことであろう。

多くの人は会社や組織に属して仕事をする。仕事をして給与をもらう。給与が得られれば、家族を養うことができる。子供の教育費を工面できる。新築の家を購入することもできる。しかし、そうやって会社員を過ごすうちに、会社での仕事は好きではなくとも、「しなければならないこと」になる。

会社員から作家になった深田祐介氏はかつて「会社員の仕事は8割が雑務だ」と言った。雑務とまで言わなくとも、会社員の仕事に、楽しくて仕方がないような仕事が多いわけではない。給与をもらっているので、やりたくない仕事もやらなければならない。「やらされ感」は少ならからずある。

先日某勉強会で知り合った50代初めの会社員の方は、役職定年を前に、働きながら大学院に入学した。博士号の取得を目指している。元来調査部門等の経験があるので、資料を読み込むなどの作業は苦にならない。実務経験もあるので、博士号取得後に新しいキャリアが拓けるかもしれない。仕事との両立は大変だと推察する。会社での仕事は「しなければならないこと」であるが、大学院での勉強は「したいこと」であろう。

アメリカンフットボール部の学生が引き起こした反則タックルの話題は、さまざまな問題を提議している。その中でも、監督とコーチが記者会見を行った際に、司会を務めた報道記者出身の大学広報部所属の初老の男性の言動は、見苦しかった。記者会見を打ち切ろうと、報道陣の質問を遮る。報道陣との押し問答を繰り広げる。その末の発言はもはや開き直りである。報道記者出身なので、記者会見のような場は慣れていよう。その経験を生かして、監督やコーチを擁護しようとする。記者会見を打ち切り監督とコーチを擁護するのが、この司会者にとっての「しなければならないこと」である。

会社員たる者、会社の仕事は「しなければならないこと」である。そのうちの一部でも自分の「したいこと」であれば、会社員としては恵まれている。若い頃は、仕事を覚える、経験を積むなどの目的があるので、「やらされ感」は少ない。しかし、会社員を長くやっていると、「しなければならないこと」は「したいこと」とはどんどん違ってくる。

筆者が40代半ばで邦銀から外銀に転職をしたのも、一因は「しなければならないこと」が「したいこと」とは違ってきたからである。外銀に行ってみると、自分の好きな仕事を存分にすることができた。先輩、同期、後輩等々の人間関係のしがらみが少なかった。「しなければならないこと」と「したいこと」とが重なり合って充実していた。

筆者の経験では、外銀が邦銀よりも働きやすい職場であるのは間違いない。退職金を含めた総合的な待遇も邦銀を上回る。外銀で11年間も勤務できたのは幸いである。しかしながら、邦銀を上回る働きやすさがある外銀といえども、やはり会社や組織に属するという点は変わらない。会社や組織に属するために自ずと限界はある。11年のうちの最後の数年では、好きなプロジェクトファイナンスの仕事以外の仕事にも関わらざるを得ない場面が増えてきた。

一昨年その外銀を退職したが、その一因もまた「しなければならないこと」と「したいこと」とが徐々に乖離してきたからである。現在会社や組織に一切属さず、独立して仕事をしているので、「しなければならないこと」と「したいこと」とは再び重なるようになった。
  
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2018年05月21日

独立2年目の日々 (PF715)

3e25e50b.jpg大学院で一緒だった方が5年前仲間と数名で起業した。仕事は動画制作である。今年起業5年目で、従業員数が100人を超えた。その方が起業成功の要因を分析している。そのうち最大の要因として挙げているのが、市場の成長性である。つまり、起業する業務は成長性のある市場かどうか。動画制作の世界は急成長を続けている。自分自身の努力もさることながら、自分がドメインとする市場は成長しているのか。もしそうでなければ、起業の成功は覚束ないかもしれないというのが彼の分析の骨子である。

筆者が20代のときに、定年退職した銀行員の先輩が司法書士として独立した。最後に勤務した銀行の支店近くのマンションの一室に立派なオフィスを開設した。そのオフィスに筆者は呼ばれたことがある。「吉村君、いいだろう」という先輩から、笑みがこぼれる。まだ筆者の社会経験は少なかったが、先輩のビジネス感覚に違和感を持った。のちに、その銀行の支店に昔から出入りしていた司法書士と仕事を取り合ってもめている、という話しを同僚から仄聞した。立派なオフィスがあるからといって、仕事が取れるわけではない。

A社の担当者からメールが届いた。A社のことは知っているが、担当者個人の方は存じ上げない。「吉村さんの前の勤務先にも連絡してみたのですが、吉村さんの連絡先がなかなか分かりませんでした」。苦労の末、筆者に接触して頂いたというのは大変名誉なことである。そのあとA社から仕事を受託した。

B社の担当者とお会いしたのは、小生講師のセミナーである。B社のことはもちろん知っているが、担当者個人の方とは初めてお会いした。セミナー後あらためて再会。あらためて再会して知ったのは、最初B社の担当者は小生のことを拙著で知ったという。拙著に記載されているプロフィールを見て、小生の前の勤務先にも電話をしたことがあるという。電話をしたら、「既に退職している」と言われた。連絡がつかずにいたところ、偶々セミナーの案内状を見た。それでセミナーに参加したという。B社からも後刻仕事を受託した。

プロジェクトファイナンスに関心を持つ人が増えている。これは実感するところである。筆者が初めてプロジェクトファイナンスの仕事に関わり始めた1990年代初めと比べると隔世の感がある。冒頭で触れた動画制作の事業ほどではないにしろ、プロジェクトファイナンスの市場も日本で相応成長しているのは間違いない。そのお陰で、独立してもこうやってなんとか仕事に携われる。

A社の人にもB社の人にも「ホームページはないのか」「オフィスはどこか」と訊かれた。残念ながらいずれもない。ホームページはいろいろ面倒なので、作っていない。自宅で仕事をしているので、オフィスもない。受託する仕事を増やすためには、ホームページがあった方が良いかもしれない。仕事が増えてくれば、オフィスを持った方が良いかもしれない。

しかし、独立したのは、単により多くの仕事を受託するためではない。独立したのは、プロジェクトファイナンスという仕事を自分の判断とペースで行うためである。好きな仕事なので、自分の判断とペースを大事にしたい。そして、自分の仕事が少しでも人に喜んでもらえると幸いだと思っている。独立したのは何のためだったのかという原点を自分に問いながら、この仕事を続けてゆく。
  
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2018年05月14日

お金はどこに預けておけば良いのか (PF714)

dcba4c93.jpg銀行に勤務していたためか、知り合いの方々に資産運用はどうすれば良いか訊かれることがある。「資産運用」は金融業界の一大分野である。生命保険会社のように機関投資家として大きなお金を運用する業務もあれば、個人の資産家に運用をアドバイスするプライベートバンキングのような業務もある。筆者は仕事でいずれの「資産運用」業務にも携わったことがない。だから、資産運用については素人である。

素人ではあるが、まさに自分自身の(わずかな)お金をどこに預けておけば良いのか、無い知恵を絞ってはいる。何しろマイナス金利の世の中になってしまった。銀行に定期預金として預けておいても、預金利息はほとんど期待できない。コンビニのATMでお金を引き出そうものなら、ATM利用手数料でわずかな預金利息はふき飛ぶ。

筆者が長く銀行に勤務していたのに、こういうことを言うのも変だが、資産運用の点では既存の銀行にお金を預けておくのはお勧めしない。定期預金の金利は低い。投資信託の手数料は高い。銀行店舗の窓口で勧める金融商品は手数料が高い割に優れたものが少ない。既存の銀行の利用は、普通預金口座を決済用に使用することにとどめた方が良さそうである。決済用に使用するとは、給与の受け取り、公共料金の口座振替、クレジットカード利用代金の口座振替などに使用するということである。

個人の資産運用はネット銀行やネット証券を利用することをお勧めする。ネット銀行やネット証券は、10数年前の勃興期には信頼性や安全性に不安もあった。しかし、今は違う。特に大手のネット銀行・ネット証券は、サービス内容も充実しており、利用もしやすい。そして、諸手数料も店舗を持つ銀行・証券会社に比べて格段に安い。

例えば、定期預金の金利はネット銀行の方が圧倒的に高い。投資信託の購入手数料もネットの方が格段に安い。投資信託については、通常の投資信託に加え、上場投資信託(ETF)という投資信託がある。種類は通常の投資信託の方が多いが、購入手数料および信託手数料は上場投資信託(ETF)の方が断然安い。従って、上場投資信託(ETF)を勧める。長期での運用を想定すると、特に毎年差し引かれる信託手数料の水準はわずかな差であっても看過できない。信託手数料の水準は少しでも低い方が良い。

通常の投資信託の方が上場投資信託よりも種類が多い。しかし、いろいろな投資信託があっても、一体どれが良いのか分からない。筆者にも分からない。通常の投資信託が次から次へと新商品を出すのは、購入手数料を稼ぐためではないかと訝る。アパレルの店舗に次から次へと新しい衣服が並べられるのに似ている。こういう投資信託に手を出すのはお勧めできない。

それから、投資信託も上場投資信託(ETF)も短期間で売買するものではない。売買のたびに手数料が取られる。これらの金融商品は長期運用が目的であるので、よく検討の上商品を選んだら、5年10年と長期に保有するのが望ましい。

投資信託も上場投資信託(ETF)も、日経平均などの指標に連動したインデックス型とファンドマネジャーが運用するアクティブ型がある。信託手数料はインデックス型の方が圧倒的に安い。高給のファンドマネジャーが要らないからである。

アクティブ型は成否にムラがある。二桁の運用利回りを実現しているものもあれば、運用利回りがマイナスのものもある。これまでの運用利回りが優れていたとしても、今後の運用利回りが同様に優れているという保証はない。結局、アクティブ型は当たり外れが大きい。目先の利く人はアクティブ型を購入しても構わないが、筆者のように目先の利かない者はアクティブ型には手を出さない。もっぱらインデックス型である。

10年20年の超長期でのパフォーマンスを調査すると、インデックス型がアクティブ型を凌駕している。もっとも、これは一般論なので、アクティブ型で成功している人もいるのは事実である。しかし、これはちょうど競輪競馬でも大金を手にした人がいるという事実に似ている。従って、筆者などはアクティブ型で勝算があるとは思えないし、人にも勧めない。
  
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2018年05月07日

多読・精読・濫読(45) (PF713)

ff90c522.jpg●松尾博文著『「石油」の終わり- エネルギー大転換』日本経済新聞出版社
既に何人かの知り合いにお勧めしている。
石油ガス、電力、再生可能エネルギー(再エネ)等の分野での日本企業の海外進出の状況が良く活写されている。著者自ら取材して得た情報は迫力がある。欧州や中東で太陽光や風力発電の発電コストが急速に低下している。ところが日本の再エネの発電コストは低下してはいるが、低下の速度が緩慢である。日本の地理的な要因などもあろうが、彼我の差が大きい。

また、フランスのエンジー社(Engie)に見られるように、欧州の電力・ガス事業者は電力事業とガス事業の統合を進め、エネルギー事業の上流から中下流までをカバーし、さらに新興国への事業投資を強力に押し進めている。ここでも日本勢は出遅れていると言わざるを得ない。

米国シェールオイル・ガスの増産基調は何をもたらすのか。この基調が続けば、米国はいずれ中東に石油を依存する必要がなくなる。米国の中東政策が大きく変更してゆく可能性がある。「石器時代は石がなくなったから終わったのではない。石に代わるものが出てきたから終わったのだ」というサウジアラビア元エネルギー大臣ヤマニ氏の言葉が示唆的である。

●畑村洋太郎著『技術の街道をゆく』岩波書店
著者は「失敗学」の碩学である。日本の技術はいま苦境に立たされている。明治の時代以来日本は外国の新しい技術を身につけることに奔走してきた。自分でゼロから創り出す必要はなかった。改良には貢献したかもしれないが、新しい技術そのものを根本から創造することが少ない。こういう姿勢は何をもたらすのか。

例えば、2004年に六本木ヒルズで起こった回転ドアでの死亡事故を例に挙げる。「回転ドアは軽くしなければ危ない」というヨーロッパでは当たり前の知見が日本に導入される際に忘れ去られていたことが事故の呼び水になったという。ヨーロッパで作られる同種の回転ドアはアルミ製で重量は約1トン。軽くするために高価ではあるがアルミを使用する。ところが、ヨーロッパ製の回転ドアを見よう見真似で製造した日本のメーカーは素材にステンレスを使用し、重量が約2.7トンに及んでいた。

「技術者は目の前の技術的な問題に追われて、視野がどんどん狭くなっている。」「自分の専門分野の経験や知識だけに着目していると、他分野では当然視されていた知識や知見を見過ごし重大な事故を引き起こしてしまう。」

高品質の製品を作りさえすれば売れる、というのが日本の技術者の通念であった。高度経済成長の時代はそうだったかもしれない。しかし、いまやいくらハイスペックの製品であっても消費者のニーズに合わないモノは売れない。消費者の求める価値を提供してゆかなければいけない。こういう指摘はマーケティングの教科書の指摘のようでもある。


  
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2018年05月01日

年齢が邪魔をする (PF712)

f08fc669.jpg「40代にもなって」「50代にもなって」とか「いい歳をして」とか。 こういう言い方をときどき耳にする。こういう言い方には、ある種の既成観念が伴っている。つまり、年齢にふさわしい言動というものがあるものだ、という既成観念である。

この既成観念に囚われると、「語学の勉強を始めるには遅い」「新しいことを始めるには遅い」といった諦めの気分が横溢する。自分の年齢を言い訳にして、はじめから諦めてしまうのは良くない。年齢が邪魔をしていると言わざるを得ない。

画家の横尾忠則氏の近著『創造&老年』は、横尾氏(81歳)による画家や作家などのクリエーターとの対談集である。作家瀬戸内寂聴氏(95歳)、俳人金子兜太氏(98歳)、映画監督山田洋次氏(86歳)など合計9名の方々が登場する。いずれの方も高齢ではあるが、現役で仕事をされている。創造的な仕事をしている人は長生きなのか。画家は長生きである、と横尾氏は言う。ピカソ、ミロ、シャガール、北斎。皆90歳以上まで生きている。それでは他のクリエーターはどうなのか。横尾氏の疑問から始まった対談だという。

こういったクリエーターに共通するのは、「自分の年齢は意識していない」という点である。仕事に没頭しているときに年齢は全く意識していない。出来上がる作品も年齢とは無関係である。普段年齢を意識していないので、日常生活では小さな失敗が起こる。電車で席を譲られると、自分が高齢者に見られていることに気づく。

横尾氏は70歳辺りから、生き方を変えたという。「したいこと」しかしない生き方に変えた。どんな小さなことでも納得のいかないことは断る。「したいこと」の中にはつまらないこともあるけれど、それが「したいこと」であれば引き受ける。

会社員には到底叶わない生き方である。「したいこと」はほとんどできず、「したくないこと」ばかりをやらされるのが会社員の常だからである。会社員である以上、これは致し方のないことであろう。しかし、会社員であろうとなかろうと、自分の年齢を理由に何か始めるのを躊躇するのはいかがなものか。それは世間体とか外聞とかを気にし過ぎではないだろうか。

筆者はおくてである。邦銀を辞めて外銀に転職をしたのは40代半ば。テニスを始めたのは40代後半。仕事をしながら大学院に入学したのは50代初め。大学院での同級生は年下の人ばかりである。昨年参加した勉強会では筆者が最高齢である。

大学院でも勉強会でも、筆者と同世代の人が少ないのが少し寂しい。しかし、若い人たちと知り合えるのは愉しい。筆者と同世代の人の中には、諦観してしまって意欲的ではない人も少なくない。そういう同世代と一緒に過ごすよりも、夢を持ち意欲的な若い人と過ごす方が良い。

年齢が邪魔をする、というよう生き方は避けたいところである。年齢に邪魔をさせない。年齢を気にしない。クリエーターならずとも心掛けたい生き方である。


  
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2018年04月23日

生まれ故郷 (PF711)

c530ac2f.jpg筆者の生まれは埼玉県飯能市河原町というところである。そこには母方の祖父母が住んでいた。母は5人兄弟姉妹の長女で、結婚後祖父母(母の両親)の家の近くに住んだ。そこで兄と筆者が生まれた。お産婆さんが自宅に来て、母は自宅で出産している。筆者4歳半のときに、家族は東京都福生市に引っ越しした。当時父が米軍横田基地に勤務していたので、勤務先の近くに移動したのである。従って、筆者は小学校入学から大学を卒業して就職するまで福生で過ごした。

福生に引っ越しをしたあとも、祖父母を訪ねることはたびたびあった。小学生までの間、週末や夏休みなどに飯能河原町を何度となく訪ねている。しかし、それ以後飯能市河原町を訪ねることがなくなった。祖父母が亡くなったからである。

先日飯能市に行ってみた。40数年振りになろうか。池袋から電車に乗り1時間弱で飯能駅に着く。飯能駅から大通りを西に向かって歩く。大通りにはまだ昔ながらの建造物がいくつか残っている。大正時代に建造された木造二階建ての旧飯能織物組合の建物もその一つである。うなぎの蒲焼きを供する「佃屋」の建物も古く、昭和初めの建造であろうか。飯能は昔養蚕で栄えた。織物組合の建物があったのはそのためである。この大通りも絹や織物の取引で繁栄したらしい。

大通りを西方に15分ほど歩くと、旧飯能市役所の建物が正面に現れる。この建物には幼少時代からの記憶がある。旧飯能市役所の建物の中央は通り抜けられる。中央を通り抜けると名栗川の河原が見えてくる。飯能河原である。急勾配の階段を下りる。幅の狭い道を歩く。この辺りの景観にも見覚えがある。

飯能河原を左手に見ながら、名栗川に沿って歩いてゆくと、まもなく左手に店舗が見えてくる。店舗は川に突き出ている。「橋本屋」である。ちょっとした飲食ができる。筆者が幼少の頃にも既に営業していた。ここで幼少期の夏、棒のアイスクリームを買って食べていた。アイスクリームを食べ終わると棒が露出し、そこに「当たり」と書いてあるともう1本無料でアイスクリームがもらえた。橋本屋の看板は今かなり寂れているが、春先から秋口までの間、河原に遊びに来る家族連れが今でも立ち寄るようである。

橋本屋のすぐ先には名栗川の堰がある。もっとも、いまは川の水量が少なく、流れを堰き止めることはほとんどないようである。筆者幼少の頃は常に堰き止め、堰の上流側で泳ぐことができた。観光用のボートも浮かんでいた。そのため、この周辺は「名栗川のボート場」と呼ばれていた。

堰の上は幅2メートルほどあり、人が歩いて川の向こう側に渡ることができる。川の向こう側は岩場が多い。小学校低学年の頃、父と一緒に大きな岩場の上から釣り糸を垂らし、魚釣りをした記憶がある。当時体長15センチメートルほどの鮠(はや)がよく釣れた。大きな岩場の上に立って川の流れをじっと見ていると、40年余の時間の流れがとても短く感じる。いまここで釣り糸を垂らせば、小学生低学年の頃の自分に戻れるような気さえする。
  
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2018年04月16日

人の記憶はいい加減 (PF710)

6289ff51.jpg人間の記憶はいい加減である。人間の記憶は自分の関心や注意がある程度存在していなければ、後日ほとんど残らないようだ。

先日Sさんという方に出会った。出会ったというと初対面のように聞こえるが、昔会ったことがあるのかどうか自分では甚だ自信がない。しかし、顔と名前になんとなく見覚えがある。従って、初対面ではなく、昔どこかでお会いしたことがあるとは思った。ところが、自分の記憶を呼び戻そうと試みても、一体いつごろ、どこで、何のためにお会いしたのか、ほとんど思い出せない。

Sさんと雑談に入ったときに、Sさんが「あれはもう10年くらい前でしたよね」とおっしゃる。筆者は「もうそんなになりますかね」と合わせる。「勤務先にお邪魔して」「A国の案件で」「英語でミーティングしましたよね」云々とSさん。A国の案件か。そういえばSさんとA国の案件でお話ししたような気がしてきた。なぜ、英語でミーティングしたのだろう。日本語を話さない外国人が混じっていたということだろうか。

続けてSさんが「あの案件は最後にB社に取られて、結局わが社は敗退したんですよ」。そうか、A国の案件ではSさんの会社は競合先に敗退してしまったのか。筆者の記憶が戻らないことに、自分ながら呆れていた。

しかし、筆者の記憶が少しだけ戻ってきた。10年くらい前に確かにお会いしたことがある、A国の案件でお話をした。そこまでは記憶をたどることができた。しかし、英語でミーティングをしたのはなぜなのか。Sさんと当時具体的にどんなお話をしたのか。同席していた人たちは他にどんな方がいたのか。いずれも自分の記憶からは思い出すことができない。筆者からSさんに訊くのも失礼になるので、「10年ぶりに再びお会いすることができて、嬉しいです」とその場を繕った。

人間の記憶は本当にいい加減である。人によって、記憶に残るものが異なる。心理的にインパクトのあることは記憶に残る。しかし、インパクトのないものは記憶に残らない。心理的なインパクトがあるのかないのか、どこにあるのか、これらは人によって異なる。従って、人によって記憶の内容も異なる。

Sさんの口ぶりから察すると、Sさんにとっては記憶に残るミーティングであったらしい。僭越な言い方で恐縮する。一方、筆者の記憶は甚だ乏しい。その理由が少しずつ蘇ってきた。当時筆者の勤務先はA国の案件に消極的で、それを知っていたので、筆者はSさんの持ち込んできたA国の案件にほとんど興味を持たなかったからではないか。

ここで自分と相手を入れ替えて考えてみる。つまり、自分は鮮明に覚えているけれど、相手はあまり覚えていないという場合である。筆者にも小さな失敗なら、沢山経験がある。「あのときみんなに笑われた」という記憶は忘れることができない。程度がひどいとトラウマになる。しかし、しばらく時間が経つと、果たしてどれだけの人が覚えているのだろうか。笑われた方は忘れないが、笑った方はおそらく覚えていない可能性がある。

そのように考えてゆくと、過去のいやな記憶も少しは癒されるのではないか。自分が気にするほど人は覚えていない。「恥のかき捨て」を慫慂するわけではないが、人の記憶はいい加減だということを知っておくのも処世術として悪くない。
  
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2018年04月09日

保育園嫌い (PF709)

a27f960a.jpgNは6歳になって保育園に入園した。年長組である。この保育園は年少組を桃組、年中組を梅組、年長組を桜組といった。従って、Nは桜組に入園である。保育園はNの自宅からこどもの足で歩いて10分ほどかかる。

初めて同年代の子どもたちと集団生活を始めたNにとって、保育園での生活はあまり楽しくない。そもそも幼少期のNは人見知りである。自分から友達に声を掛けることはない。したがって、一緒に遊ぶ友達が見つからない。保育園の庭にあったジャングルジムに登って、ひとり遠くを眺めている桜組の子は、いつもNである。

Nが保育園の生活をあまり楽しいと思わなかった、もう一つの理由は給食である。普段自宅で食べていないものが供される。人見知りの性分は食べ物に対しても同様で、食べたことのないものには手をつけない。そうすると、保育園の先生が食べ物を口の傍まで運んできて、なんとか食べさせようとする。保育園の友達にも食べ物にも馴染めない。

保育園は楽しくないので、保育園から勝手に抜け出すようになった。朝保育園に行っても、1時間もしないうちに保育園から姿を消す。黄色い小さなかばんを持って自宅に戻る。自宅に入るわけにはいかないので、自宅横にある倉庫の中にかばんを置く。そして、近所に遊びに出て行く。保育園が終わる時刻に、何もなかったかのようにかばんを持って帰宅する。

長じてNは母親から何度も聞かされた。「保育園に送って行ったと思ったら、自宅の近くでNの声がする」「倉庫にかばんが置いてある」。この話をするときの母親は声を出して笑い、楽しそうである。この話をNが初めて母親から聞いたのは高校生か大学生のときである。「なぁんだ、すべて母は知っていたのか」とちょっとがっかりした。「6歳の保育園脱出作戦はすべて母の掌の上で行われていたんだ」と知ると、自尊心がちょっと傷ついた。そして、当然保育園の先生もすべて事情を知っていたはずである。保育園の先生だって、児童の姿が見当たらないとなれば、即座に対応するであろう。「またNがいなくなった」となれば、自宅に戻っているのではと推測し、母親と連絡を取り合ったに違いない。

不思議なことに、何度も保育園を脱出したが、このことで保育園の先生や両親から厳しく叱責されたという記憶がNにはない。保育園の先生も両親も保育園嫌いの6歳のNの気持ちを察して、敢えて厳しく叱ることは控えていたのではないか。Nは今思い返してみて、そう思う。そうだとすると、そういう寛大な対応に感謝しなければいけない。お陰で保育園の先生に対しても母親に対しても、保育園脱出騒動をめぐってNにはなんの悪い感情も残っていない。いわゆるトラウマはない。Nは今「保育園嫌いだったなぁ」「保育園を脱出していたなぁ」とひとり笑い飛ばせる。

幼少期の子どもとどのように接してゆけば良いのか。親となった人は、きっとだれでも考える。保育園脱出癖のNに対する保育園の先生や母親の対応の仕方は、自分が子どもを持つようになって大いに参考になった。

因みに、Nとは筆者6歳のときのことである。
  
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2018年04月02日

低金利の世界とは (PF708)

13a630f5.jpg約30年前つまり80年代後半、筆者は某都内の銀行の支店に勤務していた。当時は都内の土地が高騰している。不動産バブルの真っただ中である。

近隣で卸売業を営んでいたN氏は高齢のため、廃業を決意した。子息はいたようだが、現在と同様子息は親の仕事を継がないという。子息が仕事を継がないのは、今に始まったことではない。N氏は店舗兼自宅に使用していた土地を所有していた。坪数はわずかであったが、不動産バブルのお陰でその土地に高値がついた。土地の売却についていろいろアドバイスを行ったのは銀行である。当時銀行は不動産会社に負けず劣らず不動産に深く関わった。不動産業界の人かと見紛うような銀行員がそこかしこにいた。

N氏の小さな土地は無事売却できた。生活用のマンションを別途購入し諸費用や税金を支払ってもなお1億円余が手元に残る。銀行はN氏に1億円の預金を依頼し、N氏も喜んで銀行に預金してくれた。N氏にいろいろアドバイスをした見返りが、この銀行預金である。

N氏は廃業してやることがなくなったせいか、週に何回も銀行を訪れる。銀行の店舗に悠々と入ってゆくと、おもむろに立ち止まり、顔を知った行員を目で探す。目が合った行員は、N氏を応接室に招き入れ、お相手をする。せざるを得ない。何しろ、個人預金1億円の顧客である(当時銀行は預金大歓迎の時代である)。

筆者も店頭で何度かN氏と目が合ったことがある。止むを得ずお話し相手を務めた。人柄の悪い人ではない。仕事に追われていなければ、ゆっくりとお話し相手になって差し上げてもいい。しかし、現実にはN氏のお話し相手になった時間の分だけ、自分の仕事が滞るのがつらい。

N氏のお話しを聞いていると、同じ内容の話しが何度か出てくる。その中で今でも忘れられない台詞がある。それは「俺は利息で食っている」という台詞である。銀行預金の利息収入だけで生活しているという意味である。自営業だったので、年金は十分ではなかったのかもしれない。しかし、銀行預金の利息で生計を立てるというのはすごいことである。

当時銀行預金の金利は1年の定期預金で5%あった。1億円の定期預金を持っていたN氏は1年に5百万円(源泉税差引前、以下同様)を受け取っていたわけである。現在の物価水準で考えても、十分に生活してゆける。

ところで現在の1年定期の預金金利はメガバンクの場合0.01%である。0.01%というのは1万分の1である。これでは銀行に1年間百万円を預けても、利息は100円にしかならない。百万円を1年間預けて受領する利息の金額は、コンビニのATMで一度現金を下ろすと手数料で吹き飛んでしまう。

預金金利が0.01%の現在、N氏のように1年間5百万円の預金利息を得るためには果たしてどのくらいの金額を預金すれば良いのであろうか。答えは500億円である。そして、預金金利が0.01%の現在、1億円の銀行預金は1年間に1万円の預金利息しか生まない。1万円の預金利息ではおそらく数日しか生活できない。低金利の世界ではさすがのN氏も「利息で食う」ことはできない。
  
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2018年03月26日

母の後ろ姿 (PF707)

4763c342.jpg先日午前中に遊歩道をゆっくり歩く高齢の女性の後ろ姿をみかけた。腰が折れているので、背が低く見える。帽子を深くかぶっているので顔はよく見えない。高齢の女性はまもなく薬局に入ってゆく。薬局の店員に挨拶をする高齢の女性の声が聞こえた。「あ、母だ」。筆者の実母の声である。

後ろ姿をみかけたときには母だとは分からなかった。高齢になってからの母がゆっくり外を歩く姿を見た記憶がない。毎週両親の自宅で短時間母に会っているが、母はいつもソファに腰を下ろしている。ときどき台所に立つ。筆者が帰るときに玄関まで見送ってくれる。しかし、少し遠方から高齢になった母がゆっくり外を歩く後ろ姿を見たことはないと思う。

薬局に入った母を追いかけ、声をかけようかと思った。しかし、今日は週末ではなく平日であることに気付き、思いとどまった。なぜ平日であることに気付いて、声をかけるのを思いとどまったのか。それは、約1年前に筆者は会社員を辞め現在は独立して自宅で仕事をしている、ということを実は母にはまだ話をしていないからである。平日の午前中に自宅近隣の遊歩道で偶々出会った母に声をかけると、「夏彦、今日会社は?」と訊いてくるに違いない。遊歩道で立ったまま、腰の折れた母に、このいきさつを短時間で説明して母を安心させるのは難儀である。

会社員を辞めて独立したことを母に隠すつもりは毛頭ない。しかし、どうやって説明すれば、母が誤解なく理解をしてくれて心底安心してくれるのか。その方法がよく分からないまま、1年余が過ぎてしまったというのが真相である。母に無用な心配をかけないようにするには、この話はいっそしなくても良いとさえ思っている。

昭和一桁生まれの母は5人兄弟・姉妹の長女である。まだ10歳にもならないうちに日米が開戦した。小学校をまともに卒業することなく、農家に奉公に出た。爾来よく働き、弟・妹を助けた。そして、長じては兄と筆者を育ててくれた。筆者がまがりなりにも横道に逸れず、ここまで生きてこられたのも、母に負うところが大きい。母の生き方をみて勇気づけられ、襟を正したことは一度や二度どころではない。

6年ほど前に筆者の自宅近隣に、中古ではあるが質の良い戸建ての家が売りに出た。室内の要所に手摺が完備されている好物件だったので、迷わず購入した。そして、両親に住んでもらっている。愚息の親孝行のつもりである。以来毎週日曜日の午後には短時間ではあるが両親を訪ね見守っている。毎週高齢の両親に会えるというのは至福である。

先日は遊歩道をゆっくり歩く母の後ろ姿に、不覚にも母であることに気付くことができなかった。しかし、いまでも筆者は心の中で母の後ろ姿を追いかけている。
  
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2018年03月19日

社会人が大学院で学ぶということ (PF706)

ed988475.jpg昨年参加した勉強会は約10年の歴史がある。従って、既に修了生を多く輩出している。修了生は社会で活発に活動している人が多い。修了生の中には本業以外でも何らかの社会的な活動を牽引している人もいる。また、修了生同士はさまざまな分野で交流を図っている。

先日修了生のひとりが立ち上げた交流会に参加した。この交流会は、社会人として働きながら大学院に進学を検討している人たちの交流会である。情報交換が目的である。約20名が集った。働きながらでも大学院で学びたいと考えている人は少なくない。日本では文科系の学部を出た人は大学院まで進学する人が少ない。社会人経験を経て、あらためてビジネススクールで学ぶという欧米ビジネスマンに見られるキャリア形成とは異なる。

しかし、大学卒業後再び本格的に学ぶことなく社会人生活を有意義に過ごすことは簡単ではなくなってきている。社会人経験を踏まえて再び大学院で学び直すというのは、自分のキャリアを考える上でも重要ではなかろうか。大学側もそういうニーズを察知し、平日夜間や週末に受講できる体制を整えるところが増えてきた。少子化で学生数が減少しているので、社会人の大学院生を受け容れることは大学経営上も好ましい。

本交流会を立ち上げた方は銀行勤務の方で年齢50代初め。産業調査部などの勤務経験が長い。昨年某国立大学大学院の博士課程に入学された。修士号は持っていなかったが、仕事を通じて作成してきた諸レポート等の実績が評価され、修士課程を飛び級できたという。筆者は修士課程を飛び級して博士課程に入学したという身近な実例を知らなかったので、興味を持った。シンクタンク勤務者やアナリストなどに従事する人には好都合の制度である。もっとも、修士課程を飛び級できたからといって、修士号を授与されるわけではない。

社会科学系の大学院博士課程には諸種都市伝説がある。いわく、普通3年で博士号は取れない。いわく、私立大学より国立大学の方が社会科学系の博士号は取りやすい。

筆者が某私立大学の大学院修士課程を修了する前後、博士課程への進学を検討してみたことがある。進学自体は望めば可能だったと思うが、上記の都市伝説を耳にして正直言って怯んだ。かなりの覚悟がないと、途中で挫折しかねない。さらに、何のために博士号取得を目指すのかという自分なりの目的意識がしっかり持てないといけない。当時収集した情報によれば、査読付きの論文を3本から5本程度書かないと、そもそも博士論文に着手できないと聞いた。だから、3年で博士号を取得するのが難しいのだと。

当時大学院修士課程で筆者と同じゼミの仲間で博士課程に進学した社会人が2名いた。1名はその後博士課程2年目のときに中退余儀なくされた。当人の思い描いていたものと現実とが乖離したのが原因のようである。もう1名は1年留年し4年を要したが、見事に博士号を取得された。都市伝説はけして都市伝説ではなく、かなり事実に近いことなのではないかと実感している。
  
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2018年03月12日

裁量労働制の是非 (PF705)

d9416351.jpg厚生労働省の提供したデータ不備が主たる原因で、働き方改革法案から裁量労働制の拡大案は切り離されることになった。厚生労働省が用意したデータにはどうして一見して不備だと分かる数値が放置されていたのであろうか。数値に敏感な金融関係者には理解しがたい。

裁量労働制の基本的な考え方は、知識や知恵を駆使して働いている者には当たり前のことと思える。つまり、労働時間の長さ如何で給与水準が決まるのではなく、成果や実績によって給与水準が決まる。特定の分野で専門性を有し、専らその知識やスキルで仕事をしている者は、皆それを当然のこととして受け止めている。労働時間単位で給与水準が決まるわけではないということが、知的労働者の自負でもあろう。

邦銀に勤務していた頃を思い起こすと、ヒラ行員から初めて役付(支店勤務なら課長代理、本店勤務なら調査役という肩書き)に昇格すると、残業代(時間外勤務代)は支払われなくなった。昇格直後の月給は少々減額するような奇妙な現象が起こる。残業代がつかないのだから、やるべきことをせっせとやって早く帰ろうという考え方は当然強まる。幸い筆者が当時勤務していた本店プロジェクトファイナンス部は、「先輩が帰らないと部下が帰れない」という気風はなかった。上司も仕事を早く終わらせてせっせと帰る。「俺に構わず、自分の仕事が終わったら帰っていいんだよ」と、若い部下にわざわざ言ってくれる上司もいた。国際業務部門のすべてがそういう自由な気風だったわけではない。海外勤務経験者の比率が多いプロジェクトファイナンス部の気風が突出していたのだと思う。

その後筆者は、海外勤務、再び本店プロジェクトファイナンス部の勤務を経験するが、いずれもいわば「裁量労働制」の世界である。筆者は、仕事は重要だが残業は悪い習慣だと考えている。だから、これまで日中集中して仕事を進め、業後は早く退社することを旨としてきた。

邦銀から転職した外銀での仕事振りも同様である。そこでは成果や実績が期待されているのであって、労働時間の長さは関心の外である。長時間労働を評価する向きも一切ない。むしろ毎日夜遅くまで会社に残っていると、仕事ができない人だと思われかねない。邦銀での早帰りは心理的に少々勇気が必要だったが、外銀ではそういう勇気なども不要である。仕事ができる人ほど残業をしないので、残業をしないことは仕事ができることの証のようでもある。従って、外銀での早帰りには無用な気遣いが不要で、清々しくさえある。

裁量労働制は、長時間労働を良しとする会社では機能せず、却って逆効果であろう。裁量労働制に反対する一部野党の指摘する通り、残業が増える可能性がある。しかし、裁量労働制の本来の考え方は間違っていない。筆者は自分の経験から、裁量労働制を支持する。労働時間単位で給与水準が決まるような働き方は御免被りたい。

裁量労働制が本来期待されているかたちで機能するかどうか。それは部下を持つ上司の人たちの考え方や長時間労働をどう考えるかという社風などによって左右される。制度そのものの是非というより、どういう考え方の人たちがこの制度を運用するのかがその成否を決すると言えまいか。
  
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2018年03月05日

民業圧迫はあるのか (PF704)

255df368.jpg会計検査院が政府系金融6機関について民業圧迫の調査を開始したという。商工中金(商工組合中央金庫)による「危機対応融資」制度の濫用・誤用の問題が発端である。これまで政府系金融機関関係者は「民業圧迫はない」と言い、民間金融機関関係者は「民業圧迫はある」と言い、民業圧迫は果たしてあるのかないのか判然とせず不明であった。会計検査院による民業圧迫の調査は今回が初めてのことである。商工中金の一事案から、政府系金融機関全般で民業圧迫の問題が起こっているのではないかと視野を広げた点をまず評価したい。

しかしながら、この会計検査院の調査の結果次第で、日本の政府系金融機関のあり方は変わって行くのであろうか。「民業圧迫は一部に認められるが、現状即座に大幅な制度変更を要するものとは思われない」といった現状維持に傾いた結論になるのではないかと今から危惧している。民間金融機関の眼から見て、政府系金融機関に少なからず民業圧迫があるのは明白である。例えば、政府系金融機関は民間金融機関よりも低い金利で融資をしている。全国地方銀行協会の調査によると、民間銀行の金利水準を1とすると商工中金が0.49、日本政策金融公庫が0.32だとしている(注)。低い金利で融資をするという一事を見ても、民業圧迫の問題が起こり得るということを推定させて余りある。

世界銀行の一機関で民間部門に融資をしている国際金融公社(IFC)のような国際金融機関は民業圧迫の問題をどうやって回避しているのであろうか。例えば、彼らは金利水準を民間金融機関並みに維持し、原則低金利の融資は行っていない。また、一案件に対する融資金額の上限をかなり低い水準に設けている(原則総融資額の25%まで)。金利水準の面でも融資金額の面でも、自らを制御するルールを設け、民業圧迫が発生しない枠組みを持っている。

また、欧州の輸出信用機関(ECA)の場合はどうであろうか。彼らはそもそも原則融資をしていない。保証や保険の供与を原則としている。欧州の輸出信用機関は保証・保険の供与に徹し、その下で民間金融機関が融資を行っている。つまり、常に民間金融機関による融資の機会を奪うことはなく、むしろ民間金融機関との協業を前提としている。従って、融資面で民業圧迫は起こらない。

上記の国際金融機関や欧州の輸出信用機関の制度設計の背景には、「政府系金融機関というものは民業圧迫を行ってしまうものだ」という考え方が厳然と存在している。これはいわば政府や政府系機関に関する性悪説ともいうべき考え方である。政府や政府系機関に関する性悪説は正しい考え方なのか。それは過去の人権の歴史を振り返ると、明らかなのではないか。さらに近代民主主義国家には、例えば罪刑法定主義(日本国憲法では第31条)や租税法律主義(同84条)という原理原則が存在する。これらもまた政府や政府系機関に関する性悪説を前提にした原理原則だと言える。

我々日本人の場合、政府や政府系金融機関に関する考え方が欧米先進諸国のそれと違い、やや性善説の方に傾いているようである。今後出てくる会計検査院の調査の結果もさることながら、我々日本人の持つ政府や政府系金融機関に関する考え方が変わって行かないと、いつまでたっても「民業圧迫はない」という幻想が続くことになろう。見ようとしなければ、何も見えてこない。

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(注)日本経済新聞朝刊2018.3.1
  
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2018年02月26日

多読・精読・濫読(44) (PF703)

84b64937.jpg●池村聡著『はじめての著作権法』
ある大学の先生の講義を聴講した。スライド資料のコピーが配布された。配布された資料の、すべてのページに、小さなフォントで注意書きがあるのに気づいた。「©xxxx Suzuki 著者の許諾なく複写や利用をすることはできません」と下部に書いてある。すべてのページにこういう記述があるのは珍しい。資料の中のどこか一箇所に、同種の文章が書かれていることはよくある。

これらの文章は著作権に関わるものである。ところで、こういう文章を資料のどこかに記載しておかないと、複写や利用を自由にされてしまうのであろうか。これらの文章の記載が有るか無いかで、法的な効果の違いはあるのであろうか。筆者も仕事でスライド資料を配布することがある。無断で複製や利用されるのは気持ちの良いものではない。

著作権に関わるイロハは知っておいた方が良いと思い、弁護士池村聡氏の近著『はじめての著作権法』を手にした。業界誌に連載した記事「ざっくりさくっと著作権」が基になっているという。「ざっくりさくっと」という言い回しがいい。素人も安心して手にできる。

本書は上記の疑問にもさくっと答えてくれる。つまり、冒頭の括弧内のような文章が資料に記載されていようがいまいが著作権は保護される。人の著作物を無断で複写や利用することはできない。私的利用を目的する場合は例外である。著作権はそもそも著作者が資料等の著作物を作成した際に自動的に成立するものである。登録手続きなどは要らない。そして、著作権が成立すれば、無断で複製・利用されないという権利が生じる。

それではどうして冒頭の括弧内の文章を資料に記載している人が実際には多いのか。それは、著作権の内容を良く理解していない人が無断で複製・利用をしないよう注意喚起をするためのようである。法的な効果の違いはないが、実態面で著作権が侵害されないよう注意を促しているということのようである。

筆者はまた仕事上業務委託契約書を結ぶことがある。業務委託契約書には通常「受託者は自身が作成した資料の著作権を有する。委託者は同資料を自由に複製・利用することができる」等と記載されていることが多い。これは一体どういうことを意味しているのであろうか。

受託者が作成した資料の著作権が自分自身にあることは、著作権法上当然である。業務委託契約書がこの旨記載するのは、おそらく著作権法上の当然を念のため確認しているのであろう。稀には受託者の著作物の著作権を委託者に譲渡する例もあるので、本契約では著作権を譲渡するものではないということを確認する意味もあろう。

後半の「委託者は自由に複製・利用することができる」というのはどういう意味があるのであろうか。これは受託者が作成した著作物について、委託者による複製や利用を許諾していることになる。この文章があれば、委託者は資料を複製しても利用しても著作権の侵害にはならない。そもそも業務委託契約書で委託者が受託者に費用を支払っているのは、資料の複製や利用の対価だとも考えられる。因みに、著作権を利用する権利をライセンスと呼ぶことがある。その対価をライセンス料という。

池村氏の著書は平明で分かり易く、著作権法を身近に感じさせてくれる。筆者が日頃出くわす著作権関連の文章について、疑問点をすべて解き明かしてくれる。


  
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2018年02月19日

健康診断の実情 (PF702)

47188768.jpg春は健康診断の季節である。会社員なら、会社の費用負担で毎年1回健康診断を受診する。勤務時間中に受診することができる。仕事が繁忙なときは、健康診断のための数時間を捻出するのが億劫になる。

会社の費用負担で、しかも勤務時間を利用して、毎年1回健康診断を受診できるというのは有難いことではある。しかし、会社仕様の健康診断は果たしてどのくらい役に立っているのだろうか。がんをはじめとした重篤な疾病を早期に発見する効果はあるのだろうか。素人ながら、その意義や効果に少々疑問を持っていた。

『健康診断という「病」』の著者、亀田高志氏は産業医の方である。産業医というのは会社員等の健康管理に従事する医師である。筆者のかつての勤務先にも産業医の方が定期的に来診していたことは知っていたが、筆者は個人的にお会いしたことはない。幸い勤務中健康を害するような経験がなかったからである。

本書には、会社が行う健康診断について普通の会社員が知らないようなことが随分書いてある。社会人を長くやっていても、知ろうとしなければ知らないままで終わることは山ほどあるが、健康診断もそのひとつである。

そもそも、会社員が受診する健康診断は「労働安全衛生法」(昭和47(1972)年施行)の規定に基づき、会社に義務付けられているものである。その目的は社員ひとりひとりの健康を慮ってのことかと思いきや、必ずしもそういうことではないらしい。その目的は「今の作業や労働に耐えられるか、それを続けても脳卒中や心臓発作を起こさないかを確認し、それらを防止するために行う」ものであるという。かなり会社本位の目的である。

ちなみに、健康診断には胸部レントゲン検査が含まれている。「労働安全衛生法」施行当時から含まれており、その主たる目的は結核に感染していないかどうか調べるためだという。現在では結核云々は時代遅れかもしれない。肺がんの早期発見にはほとんど役に立たないという(稀に発見されることがあるが、極めて例外的だという)。

従って、健康診断の目的は、専ら結核と動脈硬化による脳卒中・心臓発作の発症リスクを診ること、ということになる。特に動脈硬化による脳卒中・心臓発作は、喫煙、飲みすぎ、食べ過ぎ、ストレス、睡眠不足、運動不足などによって発症リスクが高まることが判っている。これらはまさに生活習慣病である。数年前から、健康診断で腹囲を測定するという項目が加えられたが、これも動脈硬化による脳卒中・心臓発作の発症リスクを測る目的である。

日本人の最大の死因はいまやがんである。しかし、通例の健康診断でがんが早期に発見されるのは稀である。上記の通り、健康診断の目的はがんの発見ではない。一部の会社では会社の費用負担でがん検診(がん検診の費用は通常の健康診断の費用の数倍かかる)を従業員に受診させるところもあると聞くが、極めて少数のようである。

筆者は昨年初め独立して仕事をするようになったので、会社による健康診断はない。自分で健康診断を受診しようかとも考えているが、こうやって会社で行われている健康診断の実情を知ると、同等の健康診断ではあまり意味がない。結核と生活習慣病なら、自分自身の心掛け次第で予防できそうである。


  
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2018年02月13日

セミナー講師デビュー (PF701)

fbfed541.jpg最初の拙著が出版されて間もなく、セミナー会社を運営するKさんという男性から連絡があった。「ご著書拝見しました。ご著書の主要な内容をセミナーでお話し頂けませんか」。拙著が出版されたと言っても、反響らしい反響など全く無い。見知らぬ人からの接触はKさんが初めてである。従って、拙著出版の手応えを初めて感じたという点で、Kさんからの接触は印象深い。

セミナー開催の当日を迎えた。場所は都内某ホテルの会議場である。参加者は多く、盛況であった。しかし、筆者は緊張していたせいか、当日の講義の様子をあまり記憶していない。自分の話すべきことを懸命に話すために集中していたためであろう。受講者の反応を感じ取る余裕もない。

セミナー後、Kさんとしばらく歓談をする機会があった。Kさんの年齢は40歳前後に見える。セミナー会社と講師の関係は通常ビジネスライクなことが多く、セミナーが終われば事務的な話をしておしまいというのが普通である。個人的にゆっくりお話しをするという機会は、今思い返すと実は稀なことである。

Kさんは新人講師の発掘に力を入れており、金融関係の新しい出版物には常に目配りしている。そういう熱心な方がいるから、拙著を発見して頂き声を掛けて頂けたのだということを知った。Kさんはまさしくセミナー講師としての筆者を発掘してくださった恩人である。

Kさん企画のセミナーが引き金になったせいか、その後講師の打診が複数追随するようになる。Kさんのように、新しく出版された本を手掛かりに著者に講師を打診するというアプローチは斯界では正攻法である。しかし、この正攻法は手間がかかる。要領のいいセミナー会社は、同業他社のホームページなどを見て、新しく登壇している講師に声をかける。

Kさんの運営するセミナーに登壇後、Kさんからの音信が途絶えた。セミナー会社の人とのお付き合いというのはこういうものなのか。不思議な感覚に囚われた。セミナー後に二人で話をしたときの、親しみを覚えるKさんの態度は、けして社交辞令ではなかったはずだ。他方、筆者も当時自分の仕事の忙しさもあって、脳裏の片隅で気になったまま、時間が過ぎた。

ある日、別なセミナー会社で登壇後、そのセミナー会社の経営者から、Kさんのセミナー会社を買い取ったという話を偶々耳にした。Kさんはセミナー会社を手放すのか、それで音信が途絶えていたのか、と筆者は早合点した。それにしても、Kさんのセミナー会社の仕事は盛況のようだったので得心がゆかない。

「Kさんはどうして会社を手放されたんですか」と筆者が訊くと、「Kさんはお亡くなりになったんですよ。それで当社が仕事を引き継ぐことにしたんです」。Kさんの死因についても訊いたが、詳しいことは分からないとのことであった。

Kさんは重い持病でも患っていたのだろうか。それとも、突然の事故死であろうか。今もって不明である。ご年齢から察して、小さなお子さんやご家族もいらしたのではないだろうか。

結局筆者がKさんにお会いしたのは2回だけである。セミナー開催前の打ち合わせと開催後の歓談である。2回だけであるが、忘れることのできない方である。新しく出版される書籍に常に目配りし新人講師発掘に努力している姿は、いつ思い返しても感銘を受ける。そういうKさんの地道な努力のお陰で、筆者を含む無名の新人講師たちは発掘されている。Kさんとの出会いがなければ、筆者は講師の仕事をする機会はなかったのかもしれない。

Kさんのご冥福をお祈りしております。
  
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2018年02月05日

記事累計700 (PF700)

7217eabb.jpgブログの記事には通番を付している。それが今回ちょうど700になった。掲載した記事の数が累計700ということになる。もっとも、正確に言うと、過去数十の記事に通番を付すのを漏らしており、それらを含めると実は700を既に超えている。

このブログを始めたのは2005年の4月である。ゴールデンウィークが始まる4月の下旬だった。当時勤務先の邦銀から政府系金融機関に出向をしていた。出向というやや身軽な気分、残業が少ないという環境、さらにブログというものが流行りだした時期等々の事情が重なる。そういう意味では、ブログの開始はさまざまな要因がたまたま重なったためである。

当初は不定期に記事を書いていた。記事を書く頻度は週に数回で、現在よりも多かった。ブログを始めたばかりの熱気があったためであろう。いつからか、記事の掲載は週1回に落ち着いた。週1回くらいが筆者のリズムに合う。週2回は多いし、2週間に1回では間延びする。

また、当初記事の分量は一定していなかった。しかし、現在では記事の分量は平均1,200字から1,500字程度に収斂している。このくらいの分量が書く立場としても書きやすい。おそらく、読む立場の方も読みやすいのではないか。

記事の掲載するタイミングであるが、これはいつしか月曜日になった。月曜日が祝日に当たる場合はその翌日である。実際の掲載作業は日曜日の夜に行う。掲載日時の表記は自ら記載することができるので、実際日曜日の夜掲載作業をしているが、掲載日時の表記は月曜日の未明にすることが多い。

記事の原稿はいつ書いているのか。これは1週間の中で気が向いたときに書いている。もっとも、土曜日曜の週末に書くことが最も多い。記事になりそうな出来事やテーマを思いつくと、忘れないように携帯電話のメモ機能を使って覚書を書いておくこともある。日曜日の夜になっても原稿を書き終えていない時には、ひとり焦燥感と切迫感に追われる。日曜日の夜、筆者が自分の部屋に籠っているときは、たいがいそういうときである。

ブログの表題は当初『プロジェクトファイナンスな日々』と称していた。こういう表題を付けるということは、当時やや斜に構えていたに違いない。1年程度過ぎてから、現在の『海外プロジェクトファイナンスの世界』に変えた。斜に構えるのを止め、正座をして座り直した。

また、当初はプロジェクトファイナンスの話題だけを採り上げていたが、途中から筆者の関心事ならなんでも書くという方針に改めた。プロジェクトファイナンスのことを記事にするだけではなく、プロジェクトファイナンスの業務に携わる人間が日々どんなことを考え、どんなことを感じているのかを表現するのも、なにがしかの意味があるのではないかと思ったからである。

このブログがきっかけで、実は最初の書籍出版に結び付いた。ブログを始めて数年後のことである。インターネットの力を思い知らされた。このブログをやっていなければ拙著は世に出なかった。そう考えると、ブログは筆者のキャリア形成に甚大な影響を与えている。大袈裟に言えば、ブログをやっていなければ、今の自分は無かったとも言える。さらに、このブログを読んでくださる方がいらっしゃるということが、筆者をいまでも鼓舞し続けている。これもまた、インターネットの力の一面だと思っている。

本記事もすでに1,200字を越えた。筆を擱かなければならない。
  
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2018年01月29日

税務署員との付き合い方 (PF699)

5049d73a.jpg行きつけの理髪店のオーナーは30代後半の男性。理髪店は数十年前に両親が始め、それを息子さんが引き継いだ。若い頃は他店の理髪店に勤め、腕を磨いた。独立しようと思い立ち、両親と相談。両親の店舗を増築することで、7−8年前に実家での開業を実現した。

ある日、筆者が理髪店で髪を切ってもらっていると、オーナーが愚痴をこぼし始めた。「市役所の役人さんは嫌いではないですが、税務署員だけは嫌いです」。「どうしたんですか」と筆者が促すと、オーナーが最近税務署員との間で起こったことを話し始めた。

オーナーの話しを要約すると、こういうことである。
理髪店は自営業なので、父親がずっと所得税の青色申告をしていた。息子さんは実家に戻ってから青色事業専従者となっていた。しかし、仕事の分量は息子である現在のオーナーの方が多くなっていたので、3年前の確定申告から息子さんが自分名義で青色申告を行い、両親を青色事業専従者に変えた。いわば仕事の実態に合わせ、主従を逆転させたのである。ここまではよくあることで、不自然な点はない。

問題は、現在のオーナーが青色申告承認申請書を税務署に提出していなかった点である。青色申告は白色申告に比べ、税務上の特典がある。例えば、青色申告控除(現在65万円)、青色専従者への給与支払額の控除などである。その代わり、帳簿を備えることが義務となっている。

現在のオーナーは青色申告には事前に承認申請が必要だということを知らなかった。父親も何十年か前に提出していたはずであるが、息子に教えることができなかった。ある日税務署員がやってきて、青色申告の承認申請がないにもかかわらず青色申告をしていたことを咎め、白色申告扱いで過去3年分の修正申告を求め、追加での所得税納付を要求してきた。その追加納付額は当店の売上金2カ月分以上に相当し、小さな金額ではなかった。

オーナー曰く「20代後半くらいの若い税務署員は修正申告用の書類も全部用意してきて、早口で説明して、私は仕方なく言われるままに署名捺印した。あとは銀行からお金を振り込んだ」。「うちは小さな店なので、税理士は使っていない」。

筆者は一通り話を聞いたあと、オーナーに申し上げた。「修正申告は、お父さんの名義で申告し直すことで追加徴税をほとんど免れることができたと思います」。両親も息子さんも、いまでも仕事をしている。息子さんの仕事量が増えているのは事実だが、理髪店としての事業は税務上一つである。従って、青色申告承認を正式に受けている父親名義で従前のように青色申告することは何ら問題がない。そうであるならば、税務署員に指摘を受けた過去3年分の青色申告は、息子名義を改め父親名義に修正して行えば良いはずである。そうすれば、追徴課税はほとんどゼロになるのではないだろうか。

オーナーが続けて曰く、「税務署員はそんなことは教えてくれなかった」。「しかし、そういう可能性があったのなら、教えてほしかった」。「税務署員が益々嫌いになった」。
  
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2018年01月22日

国際金融機関での勤務 (PF698)

fa096095.jpg先般セミナーで知り合ったSさんは64歳。商社に長く勤務した後、50代初めに国際金融機関に転職。同本社があるワシントンDCで11年間勤め上げ、約2年前に退職した。新興国向けのファイナンスに詳しい。

Sさんの第一声は「吉村さんの本、読みましたよ」。「息子が証券会社勤務で、プロジェクトファイナンスに関わっていて、最初息子が読んでいたんですが、そのあと自分も読んだんです」。改めて時間を作って、コーヒーを飲みながら2時間余話し込んだ。二人の読者を大切にしなければいけない。

「商社時代から海外債権の回収に関わっていた」。「国際金融機関の担当者とも随分一緒に仕事をした」。「あるとき酒を飲みながら愚痴をこぼして『米国勤務が再びしたい』と訴えた」(Sさんは30代で米国勤務経験がある)。「そうしたら、『一度面談してみるか』と言われ、とんとん拍子で話が進み、51歳で商社を辞め国際金融機関への転職を決めた」。

「国際金融機関の待遇はすごいね。残業はほとんどなく、それでも高給」。「しかも、国際金融機関の職員は給与に所得税が課されない」。「さらに驚いたのは企業年金」。「日本の大企業の企業年金は充実していると言われてきたけど、あれは一種の都市伝説じゃないか」。「国際金融機関も先進国の大企業も、実は非常に充実した企業年金を設けている」。「退職後の生活は全く心配する必要がない」。

Sさんの話しの中で注目すべき点は、国際金融機関で1)長時間労働はほとんどない、2)給与水準は高い、3)企業年金(含む退職金、以下同様)が充実しているという諸点である。

1点目はワークライフバランスの問題である。毎日遅くまで仕事をするのが常態ということはない。ときどき残業余儀なくされることはあっても、それは年に数回あるかどうかという程度で、本人がしっかりスケジュール管理をしていれば普段残業の必要はない。

2点目は給与水準。国際金融機関もポジション毎でランキングが予め決まっており、給与水準は概ねそのランキングで決まる。同等の職務内容の仕事を日本の金融機関で行った場合と比べると、給与水準は国際金融機関の方が明らかに高い。日本の金融機関ならびに日本の企業は職務内容だけを比べてみる限り、給与水準は良くない。これに対する、よく聞く反論は、日本の企業や金融機関は企業年金が充実していて生涯賃金ベースで見れば悪くはない、というもの。しかし、Sさんによると「日本の大企業の企業年金が充実しているというのは都市伝説」。

そこで3点目は企業年金の問題である。Sさんによれば、国際金融機関の企業年金制度は日本企業のそれと比較にならないほど充実しているという。実は筆者は、今ではこのSさんのコメントに驚かない。なぜなら、1年前に外資系金融機関を辞めた際に、同社の企業年金の全容を初めて知ったからである。一方で、日本企業に終身勤務した人の企業年金の状況も、最近友人等から多く耳にするからである。

「日本の大企業の企業年金が充実しているというのは都市伝説」というSさんの主張に共感を禁じ得ない。日本の企業に勤務する方で将来国際金融機関や外資系金融機関に転職を図ろうと考えている方にはっきり申し上げることができる。「日本の企業や金融機関は企業年金が充実していて生涯賃金ベースで見れば悪くはない」という言説はほとんど根拠がない。国際金融機関や外資系金融機関では企業年金制度は良くない、というのは全く事実に反する。
  
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2018年01月15日

副業を認める方が社会全体の利益になる (PF697)

646634ee.jpg日本の某教育組織が提供する、奨学金による海外短期留学制度の募集要項をみていたら、興味深い注意書きに気づいた。渡航費を支給するが、「参加者は本留学の前後に私的旅行を加えることはできない」とある。これと同種の条件に7、8年前に遭遇したことがある。それは日本政府が行なっていた某外国社会人向けの日本短期視察プログラムである。同プログラムに応募を希望していた外国人の知り合いに依頼され、小生は推薦状を書いた。知り合いは見事合格し来日した。その折お喋りをしていたら、当人が少々不満を漏らした。それは、追加費用はすべて自分で負担したとしても、来日日と帰国日を一切変えることはできないという。

こういう条件を付する主催側の懸念は察することはできる。私用に利用されるのを避ける意図であろう。また、期間中になんらかの事故が発生した際の責任問題であろう。しかし、書類審査や面接を通じてある程度人物を観ているわけであるから(不特定の人を相手にしているわけではないのであるから)、当人が追加費用を負担する限り、例えばあと1週間滞在したいと希望すれば原則容認すればいいのではないだろうか。外国の事情や習慣を理解するのに役立つのは、正式のプログラムだけではなかろう。自費で追加滞在している間にも見聞を広める機会はあるであろう。

日本の企業で副業を許可するところが徐々に増えてきた。しかし、副業を許可する企業は比較的新興企業に多く、大企業に限ってみるとまだ少ない。銀行なども副業解禁は夢のまた夢かとさえ思える。金融業界でも調査部門やシンクタンクに勤務する人には、講師を引き受け、記事を書き、本を出版するなど副業を行う人がいる。シンクタンクに勤務する知り合いから聞いたところによると、本の出版はできるが、勤務先の肩書きを使用すると印税の半分を勤務先に納めるという。当人も辟易していたが、随分意地悪なルールである。

筆者が勤務していた外資系金融機関では原則副業は自由である。欧米の企業では副業自由は常識ではないだろうか。ただし、条件が少なくとも2つある。1つは勤務先の仕事と利益相反がないこと。これは例えばアドバイザリー業務を勤務先名ではなく個人名で受託するような場合を懸念したものである。副業が本業を奪う場合は、その副業は禁じられる。これは当然である。もう1つは勤務先の評判に悪影響を与えるような副業は認められない。これも至極もっともな話しである。

日本企業が副業を禁じてきた理由は本業への集中や忠誠であろうか。しかし、副業はしていないが、本業に集中・忠誠していない会社員は少なくない。本業での成果を上げるということを合理的に考えてゆくと、副業を禁ずるのはむしろ逆効果ではないのか。副業で培った知見を本業にも生かしてもらう、という発想が日本人にはなかなかできない。日本の生産性が低迷する一因かもしれない。

ちなみに、筆者がプロジェクトファイナンスの本を出版したとき、勤務先の外資系金融機関は自発的に数十部買い取ってくれた。そして、取引先に配布した。2度出版する機会があったが、2度とも書籍買取り、取引先配布をしてくれた。外部で講師をする際には都度休暇申請をして本業と副業にけじめをつけていたが、外部で講師をすること自体については非常にサポートしてくれた。上司は「当社のレピュテーション(評判・評価)にプラスだ」と鼓舞さえしてくれた。

欧米の企業は副業を消極的に許可しているというわけではなく、むしろ本業と副業の相乗効果を積極的に評価していると言っていい。副業を善として捉えている。副業ではたいがい本人が好きなことをやっているはずなので、少なくとも本人の満足感を高める。さらに、筆者の経験や見聞から言うと、原則副業を認める方が個人も会社もそして社会全体もプラスの効果がマイナスの効果を上回って余りあるのではないだろうか。
  
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2018年01月09日

40代以降の邦銀マンのキャリア形成 (PF696)

58915555.jpg新卒から邦銀に勤めて20年余で40代半ばになる。子どもがまだ小学生や中学生くらいのはずで、教育費はこれから上昇する。教育費を含めた生活費全般が上昇するというのに、邦銀マンの第一線のキャリアは、そこからせいぜい5年程度である。なぜなら、50歳前後を境に、第一線のキャリアが終焉するからである。具体的には、50歳前後から関連会社や取引先に勤務するようになる。関連会社や取引先で勤務するようになっても、出身元の給与水準は当面維持される。通常55歳までは邦銀マン時代の給与が維持される。もっとも、関連会社や取引先への転籍は55歳を待たずに行われる。関連会社や取引先の給与水準の方が低い場合には、55歳までに限って給与の差額を補填される。

55歳を超えると給与の補填もなくなり、名実共に転籍先の社員になる。転籍先の社員になるということは、給与を含めた待遇や福利厚生全般、さらに60歳以降の雇用継続の諸条件も転籍先のものに従う。邦銀マンとしての第一線のキャリアを終え転籍済の者同士の専らの話題は、自他の転籍先での待遇や福利厚生の内容の差異、また転籍先での60歳以降の雇用継続条件がどうなっているのかという話しで盛り上がる。

このような邦銀マンのキャリアの在り方はいつごろから形成されたのであろうか。おそらく高度経済成長の60年代、70年代辺りのことであろうか。最低限の生活は保障されているという点では悪くはない。上司の指示に従い、真面目に従順に勤め上げるのは会社員の鑑である。高度経済成長期には、こういうキャリアの在り方に疑問を挟む邦銀マンは多くはなかったのであろう。

筆者はそういうキャリアが嫌であった。プロジェクトファイナンスの仕事を続けたいという想いは募り、45歳のときに邦銀から外資系金融機関に転職する。今から約12年前、2006年のことである。外資系金融機関というところがどういう労働環境のところなのか詳らかに理解していた訳ではない。プロジェクトファイナンスの仕事が続けられるというだけで、当時は嬉しかった。

外資系金融機関と一口に言っても、日本で営業している外資系金融機関はそれぞれの出身母国も異なり、さらに日本での営業規模も違うことから、企業文化や労働環境はさまざまである。筆者の場合、幸い同僚にも労働環境にも恵まれた。外資系金融機関に転職していなかったなら、拙著を出版する機会はなかったであろうし、大学院に通うこともなかったであろう。さらに、講師として人前でプロジェクトファイナンスの話をするという機会にも出会わなかったであろう。同外資系金融機関に11年勤務し、56歳のときに早期退職。以後講師等のコンサルタントとして独立して仕事をするということもなかったはずである。

筆者の45歳以降のキャリアは偶然や幸運も混ざっているので、おそらく人様の参考にはならない。さらに、転職を思いとどまり邦銀マンの典型的なキャリアを歩み続けていたとしたら今頃どうなっていたのかということを想像し、現実に歩んだキャリアと比較してみても、仕方のないことだと思っている。少々自分に自負できることがあるとすれば、転職の決断も、拙著執筆の決断も、大学院進学の決断も、そして会社員を辞め独立するという決断も、いつも前向きに行ってきたことである。「やればよかった」と後刻自分の不作為を後悔するようなことだけはしたくない。そういう思いだけはいまも充溢している。
  
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