2018年11月26日

多読・精読・濫読(50) (PF742)

IMG_1435●北康利『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』『白洲次郎 占領を背負った男』

両作品共読みやすく、福沢諭吉の生涯、白洲次郎の生涯がそれぞれよく理解できる。読み始めると止まらなくなり、読み終えてしまうのが残念に感じられる。

著者北康利氏は、実は筆者と某邦銀の入行同期である。残念ながら、交流の機会無いまま今日に至っている。著者は40歳前後から郷土史家として著作活動を開始しているようである。しばらく金融マンと著作活動の二足の草鞋を履いていた。もっとも、筆者が著者のことを知ったのはずっとあとのことである。親しくしていた入行同期の友人に、筆者が初めて出版した書籍を進呈したとき、その友人が「銀行同期で本を出版したのは北と吉村の二人だけだな」と言われた。そう言われて著者の存在に気付いた。もうその時点で著者は既に『白洲次郎 占領を背負った男』で山本七平賞を受賞し、ノンフィクション作家として自立していた。売れるか売れないか分からないプロジェクトファイナンスの本を出版した筆者とは、モノを書く者として格段の差がある。

そういう経緯があるものの、実際著者の作品に触れる機会はなかなか来なかった。今般二作品を読ませていただき、力のある作家だということが良く分かった。山本七平賞を受賞したのは『白洲次郎 占領を背負った男』であるが、筆者は『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』の方が好きである。その理由はおそらく筆者が福沢諭吉という人物の方を白洲次郎という人物より好ましく感じているためだと思う。白洲次郎は確かにカッコいいが、カッコ良過ぎやしないかとさえ思う。白洲次郎のような生き方は誰にでも真似のできることではない。そんな風に思うと、親近感が持てなくなってゆく。これは作品としての出来不出来の問題ではない。筆者のような捉え方をする読者はほかにも少なからず存在するのではないかと想像するので、伝記作家は誰を描くのかという選択が読者獲得の成否に直結することがあると言える。

この二作品からも明らかなように、著者は作品の題名に人物名とその人物の特長的な一面を手短に作品名に織り込む。つまり、「福沢諭吉」と「国を支えて国を頼らず」、「白洲次郎」と「占領を背負った男」といった具合である。これは効果的である。

さらに、金融マンとしての経験が生きていると思わせる記載も少なくない。例えば、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』には「江戸時代は物価が安定していた。二八そば(かけそば)一杯16文(今の物価で約400円)が約200年間変わらなかった。」とある。また、「当時(幕末)の灯りは行灯である。現在の60ワットの電球の約50分の一の明るさでしかない。(行灯の燃料となる)油一升で米が二升買えた。」ともある。江戸時代の物価水準、行灯の明るさ、油の値段などに言及するところは著者らしいと思う。時代背景の理解に役立っており、筆者はこういう記述に密かに好感を持っている。


  

Posted by projectfinance at 00:32Comments(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック 多読・通読・濫読