2009年07月04日

グレゴリー・クラーク著「10万年の世界経済史」 (PF298)

e83807ae.JPG著者はカリフォルニア大学デービス校経済学部教授(1957年生)。上智大学教授や多摩大学学長を歴任したグレゴリー・クラーク氏(1936年生)とは別人である。表題「10万年…」は原書の表題にはない。原題は”A Farewell to Alms: A Brief History of the World”。”A Farewell to Alms”の”Alms”は「寄付」「寄金」「施し」という意味である。

いわゆるビッグ・ヒストリーに挑んだ意欲的な著書である。「歴史を大胆な切り口」(序文)から捉えた。国民1人当たりの所得水準を軸に人間の経済史を振り返っている。第1章に見開きページで掲載した大きなグラフ(上巻p14-15)はこの観点から大胆に経済史を一瞥している。西暦1800年頃まで国民1人当たりの所得水準はほとんど増えることはなかった。産業革命を契機に所得は激増した。そして、所得格差(著者は経済学者ポメランツの言葉「大いなる分岐」を使用する)が発生する。

狩猟採集生活や定住農耕生活の時代から1800年頃までは、所得が増加しても人口の増加で相殺され1人当たりの所得は殆ど増えなかった。これを「人口論」(1798年)の著者ロバート・マルサスの名から「マルサスの罠」あるいは「マルサス的経済」と呼ぶ。所得を巡る経済史の観点からは、有史以来「マルサス的経済」の時代がつい200年前まで続いたとしている。著者のアプローチの興味深い点は多彩な資料を駆使してこういう推測を説明してみせるところである。例えば、石器時代の人間の平均身長、1日当たりの労働時間、1日当たりのエネルギー摂取量などと、産業革命前後の人間のそれらとを数値(一部推定)にして比較し一覧表にして見せる(上巻p100以下)。あるいは一人当たりの所得を小麦に換算して有史以来の所得を比較してみせる(上巻p89)。

技術は進歩するものだと我々観念しがちだが、技術が退化したと考えられる事例が紹介されている(上巻p233以下)。オーストラリアの先住民アボリジニは4−5万年前に海を渡ってオーストラリアに移住したが、18世紀末英国人がこの地に入植した頃には航海技術を持っていなかった。タスマニア島の先住民は18世紀後半時点でその物質的文化は新石器時代初期の水準で、衣服を着ることなく祖先から継承した文化よりむしろ原始的なものだった。カナダ北極圏のイヌイット(エスキモー)は19世紀に外界の人間と接触を持つようになった頃、その物質的文化は約500年前のかれらの祖先チューレの文化よりかなり退化していた。海洋の大型哺乳動物を捕る能力も優美な工芸品を作る能力も失っていた。

著者は単純化の謗りは甘んじて受けると序文で言い切っている。それでも「空虚な内容を専門用語を多用してわざとわかりにくくする」学界の悪弊を犯すよりは遥かにいいと。ダーウィンの言葉を引用して、誤りは正せばいい、科学の進歩はその先にあるはずだとも。そういう著者の意欲をよしとする。

著者の問題提議の仕方も素人に分かりやすい。
• なぜ、永い間「マルサス的経済」の時代(1人当たりの所得が増えない時代)が続いたのか。
• なぜ、1800年頃に産業革命が起こったのか(もう少し早く起こる可能性はなかったのか)。
• なぜ、産業革命はまず英国で起こったのか(他の地域で起こらなかったのか)。
• なぜ、その後「大いなる分岐」(所得格差)が発生したのか。

「なぜ、産業革命はまず英国で起こったのか」との分析のくだりで「1600-1800年にかけて、教育水準は日本と中国の両国で大きく上昇した。この二国はいずれも自力で産業革命を成し遂げたことだろう」(下巻p112)という点を引用しておく。

また、産業革命の大きな成果として単純労働者の所得が増えた点を明らかにしている。この点マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」(1848年)が示した単純労働者についての見方は誤りだったと。例えば、英国における成人の平均所得に対する単純労働者の平均所得の割合は1770年代47%だったが、2004年には57%に上昇している(下巻p141)。

多彩な資料、図表、グラフの数々が本書の魅力のひとつである。そして、本書最後に掲載されているグラフが圧巻である(下巻p283)。横軸には1958年から2003年の時間軸。2本のグラフのうち1本は日本人の1人当たり所得水準の推移を示している。これは見事な右上がりのグラフである。そして、もう1本のグラフは殆ど横一線で水平。心持ち右下がりにも見える。これは「幸福度」(幸福感)を示したグラフである。

所得と幸福度の間には相関関係があると信じられていた時期もあったが、これはもちろん正しくない。所得水準は生活に窮するほど不足すると問題であるが、必要以上に多くても人の幸福感を増幅させるものでもない。上記の資料は日本人のものであるが、両者に相関関係が認められないのは日本人の場合に限られず他国の人の場合もまた同様である。所得の水準は生活水準の主要な決定要因である。しかし、幸福度(幸福感)というものは絶対的な生活水準で決まるものではない。むしろ、他の人との比較の中で感じられる相対的な感覚である。渡辺京二著「逝きし世の面影」に幕末日本の庶民の幸せそうな姿が描かれている。当時の平均的な日本人の所得は現代のそれの何十分の一であったであろう。

著者は「世界経済史は謎と驚きに満ちている」と本書を結んでいる。




Posted by projectfinance at 00:05│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック プロジェクトファイナンス 

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/projectfinance/51974346