「ミカヅキ」酸欠少女 さユり ─ "フツウ"ではない病み(闇)感覚を持ち合わせる少女気持ち良さと中毒性とメロウ感を凝縮 ─ Yun*chi 2nd album 「Pixie Dust*」 ─

2015年09月05日

モラルとアートの境界線を考える ─ 東京・日本橋アートアクアリウム

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─ 東京・日本橋アートアクアリウム ─
8月某日、少し時間ができたので前から気になっていた日本橋アートアクアリウムへ足を運びました。

アートアクアリウムとは、特殊な加工を施した水槽に金魚を入れて、光や装飾を施したアート作品。毎年開催されているようですが、今年も日本橋には長蛇の列ができていました。浴衣の女性やカップルも多く、やはりこういったアート作品は女性に注目されるものなのでしょうね。

ただ、私はどちらかというと、同日同場所内で開催されるDJ 野崎良太(jazztronik)のパフォーマンスを観たかったというのが本音でして、アートアクアリウムも興味はあったものの、野崎さんのDJがなければ行かなかったかも(←おいおい)

まぁそれはさて置き、アートアクアリウムです。たしかに綺麗でした。アートとしても完成されています。
金魚の動きをセンサーで読み取って、背景に自動的に絵が描かれるというアート作品もあって、「おお、チームラボみたいだ」などと一人感動してみたりも。

ただ、気になったのがそのモラルの部分でして、金魚と言っても生き物です。それを煌びやかに着飾って見世物にするというのはモラルに反する行為ではないのか、これがたとえば金魚ではなく人間だったとしたら、かなり悪趣味なものになってしまわないだろうか、などという「モラルとアートの境界線」のようなものを考えさせられたわけです。


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─ 最初イメージしたのはアリの巣の入れ物

最初にイメージしたのが、小学校の時にあった学研の付録とかで付いてくる、アリの巣を観察するためのピラミッドみたいな透明な入れ物。その中に砂とアリを入れて、アリの巣が作られると外からアリの巣が見えるというもの。

そのころは何も考えずにやってたけど、今考えるとアレって結構エゲツないことをしてるような気がします。人間のエゴで巣を作らせといて、終わったら壊して捨てるとか。


あと、お祭りでたまに見る、カラフルに色づけされたヒヨコ釣りとか、金魚すくいとか。こういったものもモラルを引き合いに出して考えると、なかなか酷いことをしていると受け取れなくもない。

そういったものとアートアクアリウムって、やはりどうしても似ているように思ってしまうところもあって、より煌びやかに着飾っている分余計に、見世物として出されている金魚を見る自分たちの感覚はモラルに反してはいないだろうか、ということを考えさせられてしまいます。




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─ 旭川動物園との違いは何なのか?

ただ、それじゃ水族館や動物園ならいいのか。何か違うのかってことになる。たしかにやってることは同じです。動物たちを見世物にして、人間が娯楽として楽しんでいる。

見せ方という点についても、最近はナイト水族館なんてもの多くて、光のアートとして魚たちを見るなんてイベントも多い。さらに話題になった旭川動物園でも、水中トンネルや工夫を凝らした見せ方で動物や魚を見るなんてのも増えています。

そういったものとアートアクアリウムは何が違うのか。
何故、アートアクアリウムだとモラルについて考えさせられてしまうのか。

それはアートアクアリウムの装飾が、いわば蜷川実花の写真をも連想させる極彩色で彩られたものであるため、対象となる金魚たちを無理やり狭い檻に閉じ込めて人間の勝手な色に加工してしまっている印象を強くするためではないだろうか。




─ 見る側がどう解釈するかを考えたイメージ戦略

そんな疑問を持ちながら見ていたアートアクアリウムですが、同所内にあったアートアクアリウムアーティストである木村英智のコメントで興味深い文面がありました。

「金魚たちは開催期間が終わるとまた専用の管理場所に戻され、1匹1匹に病気などがないか、体調管理は大丈夫かなどを日々チェックし、また次の開催期間まで丁寧に管理される、いわば舞台俳優として扱っている。」(※一部、文面が異なる部分があります)

この文面を見て自分が感じていた違和感が何となくわかった気がします。展示する金魚を「単なるアート作品の一部」として考えるか、「ゲストパフォーマーとして手厚く管理するか」の違いで、イメージが一変する。



旭川動物園も「動物たちの生活をありのままに見せる」という題目があることから、⇒動物たちに対して拘束するような扱いをしていない、⇒人間のエゴではない、と結びついて、モラルに抵触していないという印象になるのではないか。

まぁ、実際のところ動物たちがどう思ってるかなんて、ドラえもんの道具でもない限りわからないわけで、その点では、アートアクアリウムも旭川動物園も、見る側がどう解釈するか、どういった印象でとらえるかだけだと思います。その点ではイメージ戦略って大事だなと改めて考えさえられる展示会でしたとさ。

ちなみに、ちょうど帰省した際に、アートには興味度が高い実家の母親にアートアクアリウムのことを話したところ、やはりモラルに抵触するのか、ちょっと嫌な顔をされました。世間一般としてこのあたりのモラリズムについて気になっている人は少なからずいるのではないでしょうか。

(参考)
■ECO EDO アートアクアリウム2015 金魚の美を愛でる全く新しく涼しいアートアクアリウム空間

prototype_cr at 08:33│Comments(1)TrackBack(1)mixiチェック

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1. アートアクアリウム&グランカルビー〜〜!!!  [ ペパーミントの魔術師 ]   2016年01月27日 11:47
今回のアクアリウムはなんてったってコレ。 京都で去年開催された「アートアクアリウム城」のメインは設置した舞台の華やかさこそちがえど 阪急で前にみたのと同じ「花魁」。 今回再びうめだ阪急へ行ってしまったのは、やっとこの「大奥」が大阪降臨ってことで。 ま〜そ...

この記事へのコメント

1. Posted by Ageha   2016年01月27日 11:40
今頃半年以上も前の話にコメントでどうも。

う〜ん、煌びやかな水槽に入れて、着色された金魚がライトをあびてイメージBGMのなかでひらひら泳ぐ演出がそもそものウリで、
逆にいえば、この演出があるから金魚見に行きますねんってな感じで実際のとこはカメラもっていそいそいくわけです。

金魚を、パフォーマーにしちゃうってのはすごいですよね。ただ、あきらかにその「器目当て」で「見せ方めあて」で行ってるとこがあるので
モラル云々を言われるとモガモガしてしまいます。
明らかに不自然な色の金魚がいるので
そこんとこはさすがにわたしも閉口してしまうのですが。


とはいうものの、最近は金魚そのものを撮ってくることも増えました。金魚そのものが「美しい」と思えるようになりました。人間のような表情をすることもあるし。そういう発見は散々アートアクアリウムに通ったあとで、
凝った演出の水槽よりも、フツーの金魚がいちばん美しいと気づいた、それはそれでよかったんちゃうかと思います。



あ〜うまく書けなくてすいません。それでも多分懲りもせず、飽きもせず、見に行くと思います・・・・。































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