弁護士の良心 

元金融マンの弁護士が、日々の反省と自らへの戒めをつづるブログ                      鈴木英司の弁護士活動日記 ひたすら明るく、ひたすら前向きにがモットーです                     

金融リテラシーとは(続)

 前回、司法は金融リテラシーが低いと書きました。評した研究も「本司法研究報告も、このようなリテラシーの向上に資するものでありたいと考えて執筆した」(同書158頁)と、その作成動機を語っています。では、金融リテラシーとは何を指すのでしょうか。

 金融リテラシーというと、むやみに借金をしないとか等の単純な金融取引に関する一般常識とか、逆に、高度な金融工学に対する知見とか、が想起されるかもしれません。前者であれば、世間的に頭の良いとされる司法界の方々(特に、裁判官)にないわけがないですし、後者であれば、なくても当然です。しかし、私も、そして研究の報告者も、司法の(金融)リテラシーの向上が必要だと考えていることでは共通しています。

 金融が他の取引に比べて特殊なのは、実態がない(物がない)抽象的な取引であるため、五感で理解することが難しいことです。私が、金融機関に勤務していた1990年代は、ちょうど、スワップやオプションといったデリバティブの創成期でした。このデリバティブは、派生商品と訳されるように、ただでさえ抽象的な金融取引を更に、かつ飛躍的に抽象化させる(派生させる)ものでした。このような取引は、ただ説明を受けただけでは、どんなに頭の良い人でも、すぐにピンとくる人はいなかったと思います。抽象的だけど客観的に存在するものを理解するためには、具体的にやってみるのが一番です。要するに「実際にやってみなければ、その本質を理解することは容易でない」取引なのです。

 裁判で問題にされるデリバティブ商品や仕組み債等の複雑な商品の問題点は、それが金融工学的な難しさにあるわけではありません。販売する金融機関の支店長や課長、そして担当者でも、正確に理解している人はいません。しかし、彼らは、そのような商品を、自ら買うことは絶対にありませんし、家族や友人から相談されれば、「絶対に止めておけ」と忠告します。それは、実際に販売して、そのような商品の危険性・欺瞞性をよく理解しているからです。その危険性・欺瞞性は、実際やってみて初めて分かるのです。

 今回の研究にあたって、執筆者の裁判官たちに、このリテラシーの大切さを説いたのは、弁護士の和仁亮裕先生でした(和仁先生は、日ごろから裁判官に「ご自分で投資をしてみては?」とおっしゃっているそうです。)。余談になりますが、私が、昔の東京銀行でスワップを顧客に販売してる部門にいたころ、和仁先生は、その横の方で、銀行間のISDAの契約書をまとめていました。その後、この分野での第一人者ともいえるデリバティブ法務の権威となられました。私が、弁護士になったときに「今度、弁護士登録したんですよ」と、あるパーティの席でお話しすると「なんで、わざわざ!?」と(その真意は分かりませんが)驚いていただいたこともありました。お立場がお立場だけに、金融機関に批判的なことはあまり言えないのかなと少し残念ですが、このような指摘は、大変重要だったと思います。

 最後に、やってみて初めて分かる金融リテラシーの一例を考えてみてください。
 一休さん(曽呂利新左衛門かもしれません)が、将軍様の無理難題に、とんちで見事に答えたところ、「なんでもご褒美をやろう」と言われ、「一日目はお米一粒、二日目はお米を二粒、四粒、八粒・・というように、毎日二倍づつ3か月間いただきたい」とお願いしたところ、「欲のない奴じゃ」と契約が成立したといいます。
 しかし、その後、20日もしないうちに、さすがの将軍様も債務の履行を拒否しました。
 そこで、一休さんは、現代の裁判所に、支払いを求めて将軍様を訴えました。
 現代の裁判所は、この訴えを認めるのでしょうか?
 それとも、説明義務違反で違法とするのでしょうか?
 また、将軍に錯誤があったとして無効な取引になるのでしょうか?
 そもそも、公序良俗に違反する取引なのでしょうか?

金融リテラシーが低すぎる司法

 最高裁司法研修所編による「デリバティブ(金融派生商品)の仕組み及び関係訴訟の諸問題」という研究成果が発刊されました。

 平成26年度の司法研究として発表されてから2年も経て、「この程度か。レベル低すぎ。」というのが、読後の第一印象でした。

 もちろん、近時の為替デリバティブ問題を念頭に「不適合商品勧誘の不法行為類型」を示し、「プライシングの不当性又は契約時時価評価額等」についても金融機関側の資料提出を求めるような訴訟指揮に言及するなど、従来の裁判に対し、前進を求める提案もあります。
 しかし、「プライシングの知識なくしてデリバティブというものを理解することはできない」と、「デリバティブの仕組み」についてその紙面の多くを割きながら、その内容を後半の「関係訴訟の諸問題」の検討に、何ら反映させていないことから、議論に、全く深みがないものになっています。

 反対説にも配慮しながら(拙稿も参考文献に引用して頂きましたが、不満の残るものでした)従来の最高裁の判例を踏まえて、それとの整合性を維持するためには、これが限界なのかもしれないとは思いつつも、具体的な個々の内容を見るに、本書のいう「この分野の事件処理に当たる裁判官に求められているのは、技術的な側面での専門的知見よりも、より広い意味での『リテラシー』ではないだろうか。」との反省が本当にあるのだろうか? とても疑問に思わざるを得ませんでした。

 「そもそも司法の金融リテラシーが低すぎることが問題」との実感を確認した一冊でした。

森金融庁長官の嘆きの原因は最高裁にある

 最近のセミナーにおける金融庁長官の講演の一部です。

 「資産運用の分野でも、お金を預けてくれた人の資産形成に役立つ金融商品・サービスを提供し、顧客に成功体験を与え続けることが、商品・サービスの提供者たる金融機関の評価を高め、その中長期的な発展につながることは当然のことです。
 マイケル・ポーターは、これを Creating Shared Value(共通価値の創造)と呼びましたが、金融機関による共通価値の創造は、顧客と金融機関の価値創造に留まらず、経済や市場の発展にもつながるものと考えます。
 しかしながら、現実を見ると、顧客である消費者の真の利益をかえりみない、生産者の論理が横行しています。特に資産運用の世界においては、そうした傾向が顕著に見受けられます。」
 としたうえで、

 「こうした話をすると、お客様が正しいことを知れば、現在作っている商品が売れなくなり、ビジネスモデルが成り立たなくなると心配される金融機関の方がおられるかもしれません。しかし、皆さん、考えてみてください。正しい金融知識を持った顧客には売りづらい商品を作って一般顧客に売るビジネス、手数料獲得が優先され顧客の利益が軽視される結果、顧客の資産を増やすことが出来ないビジネスは、そもそも社会的に続ける価値があるものですか?こうした商品を組成し、販売している金融機関の経営者は、社員に本当に仕事のやりがいを与えることが出来ているでしょうか?また、こうしたビジネスモデルは、果たして金融機関・金融グループの中長期的な価値向上につながっているのでしょうか?」
 と疑問を投げかけ、

「ここ数年、友人から、『母親が亡くなり遺品の整理をしていると、最近購入したと思われる、お年寄りには到底不向きのハイリスクで複雑な投信が、何本も出てきた』という苦情を聞くことがよくあります。もしかすると、そうした投信を売った営業員の方は、親のところにあまり顔を見せない子供たちに代わって、お母様の話し相手になっていたのかもしれませんが、これにより子供たちの当該金融グループに対する評価はどうなったでしょうか?こうした営業は長い目で見て顧客との信頼関係を構築する観点から本当にプラスでしょうか?」
 と嘆いています。

 金融庁長官の立場で、よくハッキリと言ってくれたと感謝する反面、このようなことは、金融機関で働く人々は、日々、痛感している「今更何を?」という問題なのです。
 では、どうしてこのような実態が改善されないのか?
 理由は明確です。
 このような金融機関の営業行為のほとんどを、司法が違法とするどころか、当然とばかりに追認するような判決がまかり通っているからです。
 司法判断の大元となる最高裁自ら、投資家の自己責任を強調するだけで、金融機関に対する警告的な判決や判示をしたケースはほとんどありません。
 司法が、投資家の自己責任のみを強調し、金融機関の説明義務や適合性原則順守義務に厳格な判断を示していない以上、過酷な競争の中にいる金融機関側が、自発的に内部的なコンプライアンスを機能させようとしても限界があることは当然です。
 
 森金融庁長官の嘆く酷い現実の責任は、司法にもあることを、最高裁を頂点とするすべての裁判所は、もう一度よく考えるべきです。

あきらめないこと 明るく頑張ること もうすぐ春がくる

 本当に、裁判所というところは・・・
 自分の無力さを嘆くと同時に、自分の今までのチャレンジがドンキホーテのように思えてくることもあります。
 でも、そこは、そこそこ生きてきた年寄りの粘り腰。
 自分の人生を振り返ると、そこで諦めていたら、今の自分はなかったという体験を、何度もしてきました。
 もちろん、人間ですから、どんなに頑張ってもできないこともあります。でも、社会の中で生きていくといった俗人的な営みの中であれば、最後まで、諦めずに頑張った人には、必ずいいことがあります。そして、頑張るためには、くよくよせず、失敗を糧に、前向きにまた新しい努力を始めれば、なんとかなると自分を信じること。

 春1

 もうすぐ春がきます。
 

銀行員と弁護士

 私の人生で経験してきた二つの職業だから、今でもつい比較してしまう。
 どちらも、(ただ、この二つの職業に限られないけれど)プロとしての誇りをもって行えばやりがいのある仕事である一方、志を失えば、これほどつまらない仕事もない。
 もっとも、私が銀行員だったとはいっても、債権の保全や回収といった地味だけど銀行員として最も基本的な仕事は、ほとんど経験していないから、余り偉そうなことはいえない。銀行の内部でも、いつも「儲かっているのかもしれないけれど、よく分からん」といつも言われていた資本市場業務が専門であったから。
 弁護士といっても、登録してから6年ちょっと、会社法、破産・債務整理や金融関係の仕事がほとんどだったので、大多数の先輩弁護士とは、視点や考え方が異なるのも仕方がない。
 だから、時として、昔からの知人友人等から、「お前は、一粒(たぶん、複雑な金融商品等のこと)で、二度(たぶん、販売して実績を上げておいて、後にその訴訟に携わったこと)美味しいな・・・」と、からかわれてしまう。
 でも、弁護士として銀行員相手に、さまざまな事件を扱っていると、「ホント、銀行員はセコイ。信用ならん。」
 その銀行を相手に訴訟でも起こしても、司法の「旧態依然の銀行実務重視」の姿勢に、「おいおい、フィンテックやビットコインの時代だぞ。こんな裁判で大丈夫かな。」 ・ ・ ・ と、文句は尽きない。

 この銀行員と弁護士の違いは、働く時間帯かもしれない。銀行員は朝が早い。しかも、最近は残業はあまりしない(できない)らしい。その点では、私はまだ銀行員だ。
 銀行員は意外に交渉がうまい。弁護士は、世間で思われているほど交渉に強くない。銀行員は理不尽な交渉でもボス(支店長)や本部から「絶対に担保を取ってこい」と指示されると、逆らうことが難しいサラリーマンだからかもしれない。弁護士は、「理屈のとおらない主張まではすべきでない」と考えているからかもしれない。銀行員であった弁護士の私も、依頼者がボスと思っているから、そんなに簡単に引き下がれない。しかし、理不尽な主張であっても、交渉の材料とするほど、悪徳でもない。
 銀行員は、平気で顧客を騙す。「形式的な書類ですから、ハンコだけください。」。ただ、その本人も騙す気もなく、本気でそう思っていることも多い。しかし、裁判官は、そんな書類が大好きだ。それだけで、判決文を書けてしまう。だから、そんな裁判官をよく知っている弁護士としての私も、「形式的な書類」を無視するわけにはいかない。しかし、裁判官ではないのだから、「形式的な書類」だけでお終いとすることは絶対にしない。

 こんな文句の一つもでようかという中でも、長い人生経験は無駄ではない。
 十年単位で世の中は、確実に変化し、その流れは変わらないことが、経験として理解できるからだ。
 大手銀行といえども、時代の変化に対応できなければ、現実につぶれることだってあることを。
 大昔からの伝統的な司法の考え方も、いくら継ぎ接ぎして使用してきても、どこかで大転換する必要があることを。
 ただ、個々の事件では、「だから、こうあるべき」と力説するだけでは通じない。小さな力であっても、どこかに支点をおいた梃子の原理により、時代の大きな流れを、今の力学にかえていく努力が必要となる。
 昔から、銀行様に虐げられてきた中小企業を取り巻く環境も、個人保証・不動産担保ありきの担保重視実務から、中小企業金融円滑化法等の流れを経て、「私的整理に関するガイドライン」「経営者保証に関するガイドライン」等々、昔からの単なる居直り型の抵抗を超えたよりスマートな(でもまだまだ問題の多いが)武器がそろいつつある。
 武器がそろいつつあるといっても、未だに文書(契約書)重視(というより妄信)の司法様は、まだまだ頼りにならないことが多い。そんなときは、司法といっても訴訟だけでない、いろいろな制度を最大限に利用していく必要がある。最終的には、強制力を発揮できる権力は司法しかないのだから。
 
 

7月の雲 (ささやかな夏休み)

 「先生、今日は裁判所への書類ありますか?」で始まる事務員さんの朝。
 「うん、午前中、(ぼくは)期日で裁判所に行くけど、(あなたが)お昼休みから帰ってくるまでに仕上げてデスクに置いておくから」と私。
 事務所から裁判所へ行くにも爽やかだった季節はあっという間に通り過ぎて、歩くだけでも汗ばむ7月。
 ここのところ、毎日のように裁判所へ書面や証拠を提出し期日に通っている日々です。

 「では、原告は書面の準備にどれくらいかかりますか?」
 「通常期間で結構です。」
 「裁判所の夏休みの関係もあり、どうしますかね・・・ (当)裁判所の休廷期間は後半なので・・・」
 東京地裁の夏休みは、前半組と後半組に分かれてとるようです。
 「では、休廷前に書面だけは、裁判所と被告に提出しておいて、期日は夏休み明けで結構です。」
 「(こちらも合議なので)そうしてもらえると助かります。」
 「必要なやりとりは、期日間で、被告代理人と調整しておきます。」

 それぞれの裁判所は、順番で、まとまった夏休みをとれるからいいけどね (・ω・)
 裁判所からの帰り道、左手の飯野ビルと真ん中遠くに見える虎ノ門ヒルズとのとっても狭い隙間に挟まった東京タワー、そしてその奥に広がる7月の雲を見ながら、そんな思いが頭をよぎります。
都心

     
 











  





 それでも、仕事は仕事 (`・д・´)
 今日は、これから札幌出張、いったん事務所に帰って、それから羽田に直行です。
 飛行で地上を離れると、そこは7月の雲の世界 (☆゚∀゚)

 1時間少し飛ぶと、飛行機よりも高い巻雲、巻層雲をバックに海岸沿いの積雲、そして遠く日高山脈に寄り添う層積雲の連なりが見えてきた。いよいよ北海道だ
北海道

 顧客との打ち合わせを終わってほっとしたところで、連絡が・・・「明日のミーティングキャンセル」 裁判期日がない合間を縫ってせっかく入れたのに・・・でも時間がぽっかり .。゚+.(・∀・)゚+.゚
 さっそく7月の雲を求めて北上、傘雲がかかる利尻岳に出迎えてもらいました (^∀^)
雲4

 そして、最後にたどり着いた雲、それが雲丹。
 海の底から、食卓にのぼった美味しい雲でした (*'-'*)
雲6
 そして、おまけに
雲丹ドン
 あっという間だったけど、大満足の夏休みでした (・◇・)ゞ

 

6月の雨 (論稿の掲載)

 その昔、「雨の日と月曜日は、いつも私を落ち込ませる("Rainy days and Mondays always get me down"🎵」なんて歌があったけど、私自身は、雨の日はそんなに嫌いじゃない。
 雨の日は、時間を気にせず、ゆっくりと仕事や読書に耽ろうという気にさせてくれるから。

あじさい2

 
 そんな気持ちで読んでいただける価値があるのか自信はありませんが、新しい原稿が6月15日発売の専門誌に掲載されました。
 「時価評価―その実態と法的な位置づけ―」
 現代消費者法 No.31 2016年6月15日

5月の風

 本当に爽やかな季節になりました
 4月の桜もきれいですが、なんとなく、霞がかかっているようで、少しソワソワして落ち着かない気分です。
 10月11月の晴れ渡る空は、カラっとして気持ちが良いことこの上ないですが、どこか残された時間を惜しむ心を思い出させて、一片のもの哀しさをも感じさせます。
 それに対し、5月の風は、新緑の生命の息吹をそのまま運ぶんでくれるように、私に新たな希望を与えてくれるような気がします。
 5月3

 
 私の人生も、年齢的に真夏の時期はとっくに通り越して、そろそろ人生の残された時間を考えなければならない世代に入りつつあります。
 本当は、そろそろ人生の酸いも甘いも噛み分けて、秋の青空のように澄み渡った気持ちになれれば良いのでしょうが、精神的にまだまだ未熟な私には、とてもたどり着けていない境地です。
 まあ、当分は、いつまでたってもワクワク・ドキドキ、(いつまでも4月の新入生・新人さん気分から卒業できないようでは困りますが)5月の風のような気持ちで過ごせれば良いかなと思っています

違いが分かる最高裁であってほしい

 4月になって、近所のお店で、牡蠣を食べました。三陸の牡蠣で、11月に産卵をおえて、また産卵の準備に入る3月4月が最も美味しい季節だそうです。もっとも、生牡蠣は、地元の保健所が厳しく、出荷の時期も限られていて、ようやく出荷できたものでした。

 「今年の牡蠣は、また一段と大振りで
 「うーん、ふっくら、ぷりぷりで、一段とクリーミー

今年の牡蠣牡蠣2

昨年の牡蠣牡蠣1

 
 写真では、分かりにくいかもしれませんが、一目見て感動ものでした。その店の御主人も「ウチはいつも、三陸の同じところから専門に仕入れているけど、ここ10年で最高かも」と自慢していました。

 それに比べ、最高裁は相変わらずです(無茶振りゴメンなさい )。
 最近、平成25年3月以来、久しぶりの金融商品に関する判断(最判平28・3・15)が出ましたが、前回の「(本件取引は)単純な仕組みのものであって」とは違い、今回は「本件仕組債の具体的な仕組み全体は必ずしも単純ではないが」としながら、「本件取引のリスク等について具体的かつ正確な検討をすることが著しく困難であった」とする原審(東京高判平26・8・27)を破棄し、リスクは説明されていたとして投資家の逆転敗訴の判決をしました。
 詳しくは、またどこかの専門誌でコメントしたいとは思いますが、結論の妥当性はともかく、その判決に至る思考過程は、やはり「最高裁は変わっていない」と言わざるを得ないなぁと、残念でした。金融商品のリスクといっても、単に損する損しないというだけでなく、その内容、性質、そしてその程度は、千差万別で、その違いを説明しないと金融商品のリスクを説明したことにはならない(顧客にこれをわざと誤解させるように説明した金融機関が訴えられる)ことを、最高裁はよく理解してほしいと思います。


 

敵を知り己を知れば百戦殆からず

 孫子の言葉でしたか、「知彼知己者百戰不殆」。本当に昔の人は、うまいことを言います。といっても、昔の人の方が偉いわけでもなく、かと言って、飛行機を飛ばせる現代の人が偉いわけでもないです。現在、人間がジェット機を飛ばせるのも、何千年にもわたる無数の人々の無数の分野での英知の結集の結果です。
 
 現在、私は、いわゆるFXがらみの一つの事件(今年1月15日と8月24日に為替市場で発生した事件)について、多くの訴訟に関わっています。既に20以上の裁判が継続し、そのほとんどが東京地裁の各部に配転されており、今後、まだまだ増える予定です。
 東京地裁民事部は1部から51部までありますが、単純に言えば東京地裁通常部の半分近く(最終的には、おそらく半分以上)の部での審判を仰ぐことになりそうです。
 相手方のFX業者は、現在のところ約10社です。

 今回のFX事件は、過去にもいくつかの同種の裁判例はあるとはいえ、多くの裁判官にとっては、前例や相場感(基本的な司法としての姿勢)がパッとは思い浮かばない新しい事件に属するようです。そのため、20以上の裁判所(その多くは合議体)の反応はそれぞれで、弁護士たる私にとっては、改めて勉強させて頂けると同時に、本当に興味深いものです。
 裁判が進行中のため、具体的にいうのは避けますが、裁判の最初から、代理人にとって「この裁判官は(事件の本質を)分かっている!」と嬉しくなる裁判から、「本当に大丈夫かな?」と心配になる裁まで、ほとんど同じ事件(もちろん当事者は違いますが、前提事実や法律構成等がほとんど同じ)にもかかわらず、裁判所の対応は、同じものはない状況です。
 今後、どのような経緯でどのような結果になるのか、興味が尽きません。ただ、 「知彼」といいますが、約10社のFX業者と20以上の裁判体の、裁判に関する全ての情報は、私に集まることになっていることから、「敵を知る」点では、多少なりとも有利でしょうし、私としては、それから真剣に勉強させて頂いて依頼人のご期待を裏切らないようにしなければならない義務があります。

 問題は、「知己」です。弁護士としての経験は浅い私ですが、さすがに人生の経験がまだまだ浅いと言い訳できるような年齢ではなくなってきました。その分「私にはそこまでの能力はない・・・」とか「そこまでしなくても・・・」とか老獪な言い訳をする知恵が邪魔をする年代になってきました。相手方の代理人からなんと反論されようとも、理解いただけない裁判官からなんと言われようとも、自分の正しいと思った主張と立証をどこまでやり遂げられるのか、自分が試される試練かもしれません。

 このブログで書き続けてきた「司法の金融の対する無知と偏見」をなんとか打破しようとする「ドンキホーテ」な私ですが、最初の志を忘れることなく、これからも謙虚な気持ちでの勉強を忘れることなく、正しいと思ったことをやり遂げる強さを失わないようにしていこうと思っています。

人生の再スタートを担う司法

 「先生! 明日、てか今日!仕事の正社員の面接行ってきます!」
 「緊張して寝ていないのw まるで裁判前みたいww」
 「受かるか分からなけど、受かったら正社員だよ!」
 「そしたら、約束したお金、毎月ちょっとづつでも払うね」
 「私、頑張る! 全部先生のお蔭だよ! 感謝してます!」

 以前に私が刑事事件の弁護人をした依頼者からの、久しぶりの連絡でした。
 その刑事事件は、被害者はいない種類のものでしたが、彼女は、首謀者的な共犯事件として、否認を続けたこともあり、3度の再逮捕を繰り返していたときに、私に相談したいと警察経由でいってきたのです。かつて、初犯のときに私が弁護人をしたことがあったからです。

 警察署の接見室で、最初の裁判以来、久しぶりに会った彼女に対し、私が最初に言った言葉は、「前回、もう二度と弁護人はしないといったでしょ?覚えている?」というものでした。「貴女も、もう二度とやらないと言っていたから信用したのに・・・はあ」
 本当に申し訳なさそうな顔をしながらも、彼女は「でも、先生相談にのって!」「今の弁護士が、『認めるな』『調書にも署名するな』というんだけど、本当にそれでいいのかな・・・って・・・・」
 いつも甘すぎる私は、「事実は事実としてちゃんと認めること」「捜査には協力すること」「母親の協力もお願いすること」という三つの約束を守れるなら弁護人になることを受け入れると答えてしまいました。

 彼女も相当に悩んだようです。共犯者の弁護人でもある元の弁護士は、「新しい弁護士は、『検察官や裁判官にも相談して、なんとか執行猶予をとれるように頑張ってみる』なんて言っているようだけど、そんなことができるわけがない。そんな弁護士は胡散臭い奴だから信用するな。」みたいなことを、彼女に言ったようです。
「親には絶対にいわないで。」「それは無理だよ。」「結婚できなくなっちゃう。」「人生をやり直せるラストチャンスだということが分かってるの?」「でもお金もないし。」「そんなことは、どうでもいいよ。本当に貴女が人生をやり直す気があるかだよ。」・・・ そんな会話が続いた後、結局、彼女は、私のアドバイスを受け入れました。
 
 確かに、彼女は再犯で、かつ共犯の首謀者も疑われ、共犯者は接見禁止もついていないのに、彼女は接見禁止で3度の再逮捕です。執行猶予など、とても望めないと彼女自身もあきらめるような状況でした。でも、私は彼女が二回目であっても本当に反省して、人生をやり直す気持ちがあるのなら、絶対に執行猶予をとれると信じていました。

 まず、検察官と連絡をとって、弁護人が交替すること、被疑者は「事実は事実としてちゃんと認めること」「捜査には協力すること」を約束すること、そして私の弁護方針が、もう一度だけ彼女の人生を再スタートさせるラストチャンスを頂けるよう彼女を本当に反省させることであること、を伝えて弁護活動を始めました。その後、検察官の取り調べも順調に進んだせいか、起訴は1事件だけですみました。

 起訴後公判前には、裁判官に対する働きかけも大切です。もちろん、刑事事件で公判が始まるまでは、担当裁判官の予断を排除するため、弁護人であっても余計な働きかけはできないのが原則です。しかし、公判の進行協議というかたちであれば、一定のお願いは可能です。裁判所には、公判当日は「遠方より、被告人の母親が証人として来ること」「裁判後は、過去を絶って人生の本当の再スタートをするため、遠方の母親と暮らすこと」「ついては、一回結審当日判決を希望すること」を伝えました。裁判官が、この進行上のお願いから、人生の再スタートのための執行猶予(そして、その足で母親と一緒に帰れること!)のお願いをくみ取っていただけますように!

 このような裁判所への働きかけを実効的にするには、担当検察官の協力が不可欠です。もちろん、検察官であっても、裁判官の予断排除の必要性から、裁判官との実質的な事前打ち合わせはできない決まりです。でも検察官の協力なくしては、裁判所への働きかけもなかなか上手くいかないケースが多いのです。幸いなことに、担当検察官は、被告人の人生を、真剣に考えて頂ける方でした。裁判後は母親と一緒に人生をやり直すことを理解して頂きました。その上で、事前に開示された証拠のうち、いくつもの証拠について、「被告人が本当に反省する」ことを条件に、公判当日に私が「不同意」すれば、撤回することを同意してくれました。
 そして、裁判所の窓口で、私が「本当に当日判決してくれるかなぁ」と独り言のように言うと、「大丈夫じゃないですか」と笑顔で返してくれた事務官さん。
 彼女が本当に反省して、真剣に人生をやり直すことを決意さえしてくれれば、刑事裁判といえども、みんな応援する気持ちなのです。
 弁護人たる私の仕事は、そんな検察官や裁判官、そして事務の担当の方々の期待を裏切らないように、被告人が、真摯に事件に向き合い、心から反省して、真剣に人生の再スタートをきることを固く心に刻めるようにすることだけです。

 裁判が終わると同時に、彼女は証言してくれた母親と涙で抱き合いました。そして、別れ際にも、帰りを急ぐ私を、見えなくなるまで見送ってくれました。

 最初にあげた彼女の近況を、担当して頂いた裁判官、検察官、そして事務の方々も、きっと祝福してくれるでしょう。彼女に限らず、多くの人たちの人生の再スタートを司法が担っていることを実感する場面です。

「変わるか?-最高裁の金融商品リスクへの評価アプローチ」

 「なぜ、司法は金融を理解できないのか?」との記事に関して、さっそくこんなうれしいコメントもありました。
 「変わるか?-最高裁の金融商品リスクへの評価アプローチ
 そのもとになった記事です。
 「最高裁がデリバティブ研究 取引急増、現場の判断手助け

 弁護士になってから、最高裁というところは、ちょっとやそっとで動くところではないことを、痛いほど感じています。その意味で、私のやっていることは、風車に立ち向かうドンキホーテかもしれません。
 でも、そんな微力な努力でも、いつか大きな変化につながればという楽しい想像を働かせながら、これからも頑張っていこうと思っています。 (´∀`*)

なぜ、司法は金融を理解できないのか?

 弁護士になって、金融商品にからんだ訴訟を手掛け始めた当初は、裁判官が金融をよく分かっていないことも、分かっていませんでした。頭のいい裁判官達ですから、説明すれば理解していただけるはずとばかり、思っていました。

 その後、どうも、ほとんどの裁判官に根本的な誤解があるのではないかと思うようになりました。しかし、どこにどんな誤解があるのかまでは、分かりませんでした。
 そのため、思わず、このブログで愚痴ったこともありました。
金融訴訟に対する裁判所の見方

 最近、やっと多くの裁判官がいつも躓く石を見つけました。
最高裁判所は間違っているとの論文をNBLに

 要するに、「金融商品のリスク」とは何か?という最も基本的な概念について、混乱していたのです。
 私にとっても、さらに金融商品を販売するすべての金融機関にとっても、当たり前の話なのですが、どうやら、それ以外の司法関係者(裁判官だけでなく、代理人弁護士も含めて)にとっては当たり前の話ではなかったようです。
 これでは、議論がかみ合うはずもありません。

 今回、その躓きの石が何なのか?を解説した記事を、現代消費者法(民事法研究会)No.28 2015年9月15日号 84頁 に掲載して頂きました。
 「金融商品の説明義務に関する新たな視点 金融商品のリスクとは何か -判例にみる主観的リスク論と客観的リスク論-」と題する論稿です。

 ご興味のある方は、ぜひ、読んでみてください。
 大きな書店には、あると思います。

追証問題は、早めのご相談を

 深夜に、ふと端末に目をやって、目を疑いました。
 「ん? 116.50・・・ えっ?!」 (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
 「ビッグフィギュア―を勘違い??119円じゃあ・・・??!」
 (つд⊂)ゴシゴシ
 あわてて、NY株を見ると「-1000ドル??!」
 幸いなことに、今の私は弁護士で、ほとんどポジションを持っていません。
 ただ、昔ファンドをやっていたころを思い出して、改めて冷や汗です。 
Σ(゚д゚;)

 ホントに相場は、分かりません。
 ホントに相場は、怖いです。
 特に、信用取引、先物(いあわゆるFX取引も先物取引の一種です)やオプションといったレバレッジ取引は、適切なロスカットが機能しない限り、いきなり大きな債務を負う危険性のある取引です。
 昨晩のように、金融市場の変動が余りにも大きいと、適切なロスカットが機能する余裕もないまま、大きな追証が発生してしまいます。
 
 もちろん発生してしまったものは仕方ありません。
 しかし、その金額が大きい場合には、適切な対応が必要になります。
 それは、追証を支払えるかという問題と、追証を支払う必要があるのかという問題です。
 いずれも、法律の問題として、弁護士が対応可能です。
 
 昨晩のように、大量の追証が一度に発生した場合には、追証を請求する業者も大変です。
 しかし、必ず請求してきます。
 早めのご相談をお勧めします。
 もし、ご相談がありましたら、私の事務所まで、お電話でご相談ください。
 

追証回収に動き出すFX業者たち

 FX取引をやっている方々には有名な、いわゆるスイスフラン・ショックから約半年を経過し、そのショックにより発生した追証の回収について、訴訟を提起するなどの方法により、多くのFX業者が動き始めました。
 このようなFX取引により大きな損害を受けられた方々に、本ブログを通じて、いくつかの注意点をお伝えしたいと思います。

 まず、もしFX業者から支払いを求める裁判等を起こされたら、本人だけでの訴訟追行は、少なくともこのような事例については、無理があるということです。必ず弁護士に相談することをお勧めします。
 私の依頼人にも、自分でやろうと答弁書等を裁判所に提出して裁判に出席したら、裁判長から細々としたポイントを説明された上で、「裁判所としてはこれ以上の助言はできませんからね。」「できれば、弁護士をつけた方が良いのでは?」と、30分近くお説教?された方もいました。とってもいい裁判官にあたったこと(これは、本当にそうです。ここまで親切な裁判官はほとんどいません (´▽`) )、そして、仕方なく私に依頼したこと(これも本当にそうです・・・といいたいところですが (* ̄∇ ̄*)エヘヘ・・・)、その二点で、とってもラッキーな依頼人でした。

 次に、裁判に持ち込めば、追証の支払いが軽減される可能性だけでなく、すでに支払った証拠金や追証の返還を争うことも十分に可能だということです。ただ、それを裁判所に理解していただくためには、①FX業者には、適切なロスカットを執行する法的な義務があること、②適切なロスカットの執行義務が履行されていれば、FX業者が求めている追証に理由はないこと、更にFX業者が徴収した証拠金にも理由はないこと、③ロスカット当時のインターバンク市場の客観的な状況として、適切なロスカットの執行が可能であったこと、等々を証拠に基づき論証していく必要がありますが、私は、それは十分に可能だと思っています。ただ、これらを整然と論証していくためには、やはり専門の弁護士の力を借りる方がよいということです。

 最後に、このような状況に立たされた方々は、出来る限り早めに弁護士に相談すべきということです。FX業者から訴訟を提起され、裁判所から「第1回口頭弁論期日呼出状及び答弁書催告状」等の書類が届いているのに、無視していると、それだけで判決されることもあり、一度判決が確定すると、もう取り返しはつきません。
 また、裁判を起こされていなくとも、このままFX業者が諦めることはありません。
 万一、追証をすべて支払ってしまっていたとしても、本当に支払うべき追証であったのか、もう一度、確認必要もあります。

 このようなFX取引及びFX業者への対応について、私でよければ、いつでもご相談に応じますので、お電話でご相談いただければと思います。

依頼人からの感謝

 事件が終わって依頼人から感謝されたとき、弁護士になって一番良かったと思えるときです。これは、私に限らず、弁護士であれば、皆さん感じていることだと思います。そして、これは弁護士に限らないでしょう。他人様からお金をいただいて仕事をするすべてのプロフェッショナルに共通する仕事への誇りであり最強のモチベーションだと思います。

 依頼人の社長と、新橋(私の事務所の近場です (´∀`;))のガード下の飲み屋で、「あの時は、本当にどうなることかと思いましたよ」「今明かせば、私も自信があったわけじゃないんですけど」と、飲むお酒のうまいこと。
 かつてお手伝いした北海道の牧場のお母さんから送っていただいたアスパラガスや、千葉のおばあちゃんからの梅干、そして沖縄のお父さんからのマンゴーの美味しいこと! 
 決して、モノの問題ではなく、こころが伝わるからこそです。

 やっと釈放されて米国に帰国できることになった190cmの大男の別れ際のハグ (゚∇゚ ;)!?。私も外資系金融機関で働いていたので、外国人の友人も少なくないです。しかし、good deal の感謝は、しっかりと握手が普通だったです。テレビや映画ではお馴染みのハグでしたが、まさか自分が行うとは!。
 大きな体で、ヒップホップとバスケットボールが大好きでしたが、真面目で寂しがり屋な彼でした。ずっと、彼には「be positive !」、米国の家族には「don't worry so much」と励まし続けた1ヶ月でした。
 純日本人の私には初めての方法で、突然でちょっとビックリしたけど、ちゃんと、そしてしっかりと、彼の表したかったであろう感謝の気持ちを感じとることができました。アリガトウ、私からも。そして、何度も電話で話した米国のママと奥さんにもよろしく!





 

US day、today!?

 飯倉のAクラブでのこと。(日本人でも利用可能なため、有名スポーツ選手や芸能人等、人目を避けたい法律相談の場所として、時折、利用させて頂いております。)
 なんと、某駐日女性大使をお見かけしました。休日のプライベートなのでしょう、とてもラフなスタイルで、リラックスしているご様子でした。
 Aクラブですから、生大使をお見かけしたからといって、騒ぐほどのことではありません。ただ、アメリカ大使館のほうから、ブラブラ一緒に?歩けたため、大感激でした。SPさん、ご迷惑をおかけしました。

 その足で、六本木麻布警察での接見でした。アメリカ人の青年です。
   Have you already contacted US embassy?
 ついさっきお見かけした大使のエレガントなお顔を思い出しながら、下手な英語で聞きました。
   Yes, but ...
 アメリカのガールフレンドに、電話して安心させてあげることを約束してしまいました ^_^;
 まっ、いいか Yes, it's an US day, today!

新緑の日比谷公園で

 今年のゴールデンウィーク(NHKでは「大型連休」と呼んでいるようです)も仕事でした。
 でも、こんないい季節に事務所で仕事だけではもったいないと、仕事はそこそこに切り上げて、ビールと本を片手に歩いて10分ほどの日比谷公園に行きました。

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 新緑の日比谷公園 (中央の建物が弁護士会館、右手が東京家裁・簡裁・地裁の一部、その横が東京地検)

 日頃、論理とはかけ離れた法律や裁判の世界にいると(でも、混沌とした社会の紛争に決着をつけるには、ある程度、仕方ないのかもしれません。)、ときには純粋に論理的な世界が楽しいものです。そこで5月の風に吹かれながら読んだ本は、
 宇宙を織りなすもの ‐ 時間と空間の正体 (原題は「The Fabric of the Cosmos Space,Time,and the Texture of Reality」) ブライアン・グリーン著 青木薫訳 草思社
 この本によれば、現代物理学の到達した論理として、時間や空間は昔の科学者が想定したような絶対的なものではないようです。私も、幼いころから、「時間はなぜ、戻らないのだろう?」「時間て、結局何なのだろう?」と空想したものでした。そういえば、どのような物理法則の時間 t やその変化率にプラスやマエナスの制約はなかったですよね。よく言われる「割れたコップは戻らない」という「エントロピー増加の法則」は、時間の一定方向の流れが絶対的である真理を表しているのかなぁと思っていましたが、この本によれば、それは単なる確率の問題に過ぎないようです。

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 同じ日比谷公園の半年前の紅葉の風景です。 

 ちなみに、ウン十年前に、私が銀行員としての社会人の一歩を踏み出したのも、この地でした。写真でいえば、向かって左側の方に数分歩くとイイノビルという立派なビルデングがあります。イイノホールが入っているビルです。このビルは数年前に建て替えられたものですが、その前の旧飯野ビルに東京銀行内幸町支店がありました。そこに勤務する新米銀行員だったわけです。その当時にここらあたりを歩いているときには、将来、弁護士になってこの前を裁判所に向かって歩くことになるなんて、夢にも思いませんでした。本当に、人生はわかりません。

 幸か不幸か、私という一個人は、そう簡単に時間の流に逆らえません。ゆっくりとした時間の流れに身を任せて、楽しめればなと思うだけです。

年をとったと思うとき

 最近、年をとったかなぁ、と思うときがある。
 どんなときかというと、やたら歴史に興味を持つ自分に気がついたとき。
 過去の時間の流れを実感するとき。

 3.11から、もう4年
 1.17から、20年?
 10年先なんて遠い未来だった自分が、10年なんてあっという間になった自分に、ふと気が付く。

 私が幼少のころ、母方の祖母の実家に100歳を超える曽祖父を訪ねたことがあったが、明治初年生まれだったという。新選組の生き残りが、まだ頑張っていたかもしれない時代だ。
 よく考えると、昭和20年(1945年)の終戦から70年だけど、昭和20年の70年前といえば1875年(明治8年)、いま第二次世界大戦を体験した人にとっては、その時代に、明治維新を体験した人と同じ時代にいきていたことになる。
 とか、考えていると、歴史として考えてきたことが、急に身近に実感できるようになる。
 年齢を重ねてきた証拠だ。

 といっても、歴史はしょせん、人間の文字によって残された記録に過ぎない。
 でも、私の興味は、
 文字が残されていない「倭国大乱」の時代(多分、聖徳太子の憲法1条「和をもって貴しとなす(以和爲貴)」も、この古の教訓かも・・・とか)2000年以上前とか、
 人類がアフリカを出て世界に進出し、それぞれの文化を築いた10万年前とか、
 恐竜が進化の頂点にたった1億年前とか(「生物の進化大図鑑」とか見ながら楽しんでいます)、
 地球ができて生命が誕生した40億年前とか、
 もっといえば、この宇宙が誕生して時間が生まれた144億年前(147億年前?)とか・・・(どうやって、そんな計算ができるのか、検証ができるのか、まったく分からないけど・・・苦笑)
 想像力が無限に広がる。

 人類の無限の想像力の積み重ねによって、人類の歴史どころか宇宙の歴史まで想像できる時代になったけど、一人生100年の時間や一国家1000年2000年の歴史はなんとなく想像できるような年齢になったけど、・・・
 でも、たった100年先ですら想像もできないし、ましてや1000年後の日本はどうなっているのかな?

 そんなことを考るだけでも、わくわくする毎日です。  ( ̄0 ̄;)

 

FX被害

 最近、一般個人による外国為替取引(FX取引)も珍しくなくなってきましたが、相手方となるFX業者の中には、問題のある業者も混じっているような気もします。
 FX取引が自己責任による相場取引であることは当然ですが、証券取引所等への仲介とは別の取引形態(店頭外国為替証拠金取引)をとる場合には、市場との関係で、様々な問題(顧客保護の欠如)が起こりうるようです。

 もし、このような問題でお困りの方がいらっしゃましたら、ご相談に応じますので、ご相談ください。
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