弁護士の良心 

元金融マンの弁護士が、日々の反省と自らへの戒めをつづるブログ                      鈴木英司の弁護士活動日記 ひたすら明るく、ひたすら前向きにがモットーです                     

8月の夕焼け

今年の夏の暑さは異常ですね
そんな会話が、日常だったこの夏も、ひそかに秋の気配が忍びよってきました。
ただ、まだまだ夏の空。
夕焼けが、綺麗です。
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maneo のご相談について

 今回、みんなのクレジット、ラッキーバンクに続いて、ソーシャルレンデリィング最大手ともいわれるる maneoマーケット についても、この6日に、証券等監視委員会から行政処分の勧告が出されました。

 全国の投資家3084名、貸付残高で約103億円といわれる最大級のファンドで、すでに私のところにも多数のご相談のご依頼がきております。

 現在、内容を調査中で、その取り組み方針を検討しております。もし、ご相談をご希望の方がいらっっしゃいましたら、とりあえず、私へのメール( eishis@tokyofield.jp )で「相談を希望」とお知らせください。この件に関する取り組み方針が決まりましたら、こちらから返信メールで、今後の方針とご相談方法をお知らせいたします。

8月19日追記
このご相談は、8月31日までで、締め切らせていただきます。

外資系時代の経験が生きるとき

 日本の銀行から外資系金融機関に移ったとき、その違いに驚いた。細かいことは、いっぱいあるけれど、弁護士になった今でも生きている経験は、大きくいって3つある。

 ひとつは、初めてコンプライアンスという言葉を聞き、その機能を経験したこと。今でも、コンプライアンスとは法令遵守と漠然と思っている方々も多いと思うけど、弁護士として、その違いを顧客に説明するときには、外資系の時の経験が役に立つ。なぜなら、今までの日本人の発想とは、全く違う考え方哲学が、そこにはあると思えるからだ。

 ふたつ目は、さかんにモチベーションという言葉が重視され、そのための研修も熱心だったこと。私も、そのためだけに、ロンドンの郊外で、世界各地から集まった仲間たちと一緒に一週間も楽しませてもらったよい思い出がある。当時は、なんとなくピンとこなかったが、年齢が進み、自営業となった今、良く分かるようになってきた。

 最後が、そしてこれが主題なのだが、事件のコントロールという概念。私の担当する案件が、難題にぶち当たり大きな問題が明らかになったとき、私のアメリカ人ボスの言葉は、いつも「エイシ(私の名前)は、コントロールできてるのか?」だった。誤解のないように強調しておきたいことは、ここでいうコントロールとは、自分の思う通りに案件を動かすということではなく、最悪のケースも含めて、すべて私がボスに報告してきた想定内で、想定外のサプライズはないよな⁉︎ということだ。そうであれは、たとえ最悪の結果になったとしても、「それが、リアリティ(現実)、オブ ライフ(人生)なんだよ」と諦める。今の私の弁護士の活動も、まさにこの事件のコントロールだ。もし、私の弁護士としての成果が上がっているとすれば、それは私が私の事件のコントロールに成功しているからに他ならない。
 案件をコントロールするためには、案件の把握とその対応の組み立てが大事。今の弁護士の仕事でいえば、事件のご相談を受けたときに、この件における紛争とその解決の本質を的確に把握し、解決に使える武器とその使用プロセスを組み立てる。私に、弁護士としてプロとしての誇りがあるとすれば、この部分に他ならない。

 私が弁護士登録したばかりのころ、先輩弁護士から「鈴木さんが思っているほど、この業界のレベルは高くないから」と、謙遜と励ましを頂いた。その後8年近く経つが、ここまでやってこれたのも、決してこの業界のレベルが低かったからではなく、外資系を含めた今までの経験と知り合った皆様の支えがあったからだと思っている。年を取ることも悪くはない。

売上高以上の銀行借入がある社長様へ

 私が弁護士になってから今までに、北海道から沖縄まで全国200社以上の社長様のご依頼で、各地元金融機関を含め50以上の金融機関と交渉や法的手続きを行ってきました。
 その経験から、次の3点を強調しておきたいと思います。

① 売上高<銀行借入残高 が恒常的になってしまった場合には、抜本的な対策が必要
 いろいろ悩みの多い会社経営ですが、このような状況になってしまった場合、私の経験上、小手先の対策では 問題の根本的な解決は不可能です。ある社長は、「先生、宝くじを買っていますが、当たれば問題は解決しますよね!」と場を和やかにしてくれるのですが、私としては、「宝くじがあたることを祈りましょう」「残念でしたね、では、この方針でゴー!」と対応することになります。
② 人生100年計画に変更の必要
 多くの経営者が、「先生、あと10年もすれば私も70歳、80歳以上の高齢者で、それ以上は、生きているかもわからない(どうせこの世にはいない)」と、本当はそれまでに生きていないとの実感もないのに、会社経営の悩みを解消するために人生70年、80年前提で相談します。「会社経営の悩みを解消するために」と言った理由は、この前提が、本当は間違っているかもと、本人も含めてみんな分かっているからです。①でいう抜本的な対策とは、人生100年計画に基づく社長個人・家族の本当の意味での対策になってなくてはならないのです。そうでないと、元気な80歳,90歳で、今まで以上のとんでもないストレスに悩まされることになります。家族は、本人以上に困ります。もう年齢だからと問題を引き延ばすのではなく、人生100年計画で、できるだけ早く、次の人生への切り替えを決断すべきです。
③ 破産等法的整理は最終最強手段
 中小企業の経営者が、弁護士に相談することを躊躇する理由は、一つに破産はしたくないとの思いかもしれません。しかし、破産は、最終手段であって結論ではありません。そして、それを覚悟すれば、銀行に対して最強の武器になります。また、弁護士(といっても、この分野での専門性がないと困ります、専門性がないといきなり破産前提になりかねません。)だけにしかできないのは、この破産等最強最終手段を余すことなく駆使できることです(弁護士以外だと、銀行と直接交渉すると違法になります。また、この破産等最強最終手段を視野に入れた全体的な戦略を整合的にたてることは難しいと思われます。)大昔にとった社長の個人保証の履行を迫る銀行には、社会的な逆風がますます強くなっている現状もあります。最初から諦める理由はどこにもありません。

 このようなご相談については、初回相談は無料で可能です。また、遠方の場合でも、出張相談も可能です。

ソーシャル・レンディングの本質的問題点

 前回の記事(みんなのクレジット)に引き続き、更に大手(「累計調達額」150億円以上)といわれているラッキーバンク・インベストメント(株)にも、証券取引等監視委員会の勧告よる金融庁の行政処分が行われました。
 このような一連のソーシャル・レンディングの問題点は、どこにあるのでしょうか?

 少なくない人たちが、「もともとソーシャルレンディングは、ネットで集めたお金を、恣意的に運用しているが、そんな高利で運用する以上、リスクがあるのは当たり前で、それを信じて出資して損失を出しても、それは投資家の自己責任・・・」程度の認識ではないでしょうか?
 確かに、そのような一面もあることは否定できません。しかし、現行法制度上の大きな問題点があるように思えます。

 そもそも、不特定多数の投資家から資金を集めて、その資金を不特定多数の事業者に貸し付ける業務は、「業務の公共性にかんがみ」「信用を維持し」「預貯金者の保護・金融の円滑」にするために、厳しく銀行法で規制された「銀行」のみに許されている業務です。銀行法上、①不特定多数からの資金の調達である「預金又は定期積金の受け入れ」と②不特定多数への貸付けとなる「資金の貸付け又は手形の割引」とを「併せ行う」と定義されている業務なのです。
 そのため、銀行以外の金融機関は、②貸金業法上の登録をうけ、消費者金融等を行う従来のローン会社等や、新しい金融形態として①金商法上の金融商品取引業者として、ファンドの設定等で多数の投資家から資金を集める会社等に、分かれている・・・はずでした。
 ところが、現在問題を起こしているソーシャル・レンディングの業務形態は、この①ファンド設定業務を行う第二種金融商品取引業者と②貸金業者との登録を「併せ」もっているのです。その結果、本来であれば銀行業務であるはずの、不特定多数の投資家から資金を集めて、その資金を不特定多数の事業者に貸し付ける業務が野放し状態になってしまったのです。

 もちろん、過去には銀行にしか許されなかった③為替取引(決済取引)も、FX業者(金商法)や仮想通貨交換業者(資金決済法)の参入を許してきた時代の流れがあります。ただ、それらは想定の範囲内でした。
 しかし、今回のような 貸金業 + 二種業 ≒ 銀行業という当たり前の想定が、監督官庁によってどこまでなされていたのか、とても疑問です。これも時代の要請として、金融庁が強調するルール以上のプリンシパルに基づく各金融機関の顧客本位経営で克服できる問題なのか(克服の限度を超える問題は刑法上の詐欺等の問題といえるのか)・・・しばらく混乱が続きそうです。

 

ソーシャルレンディングの事件

 私のコメントが、次週発売の週刊東洋経済(4月14日号)に掲載されます。
 記事にあるとおり、22名のご依頼人による本件は、証拠保全 ➡ 仮差押え ➡ 本訴 のフルコースで、現在、メインの本訴追行中です。
 そのため、本件に関するご照会やご依頼については、先行したご依頼人とのコンフリクトの危険性から、応じられないことをご理解いただくようお願い申し上げます。但し、みんなのクレジットが相手方以外のソーシャルレンディングについてのご相談は、OKです。

 同誌でのコメントは、FX業者に対する訴訟でも掲載されました。
 もちろん、このようなFX事件についても、扱った訴訟の個別の守秘義務に抵触しない限りで、前広に対応可能です。

5月13日追記
 なお、後日のラッキーバンク事件につきましては、私も参加する一般的な意見交換のできるグループが設定されました。
参加ご希望のかたは、
http://blog.livedoor.jp/sukkarak/archives/9234623.html
の管理者にグループ参加登録をお願いしてみてください。
なお、参加にあたっては、gmail address をご準備いただけるとよりスムーズです。

6月1日追記
 この件は、5月31日をもって、ご相談の受付を終了いたしました。


金融庁の方向転換と司法の変化の必要性

 金融庁の森長官が「異例の3期目」を迎えるとの報道もあります。元金融マンで、現在も金融関係の仕事の多い弁護士の目からは、いろいろ頑張っているなと見えます。もっとも、一般の方々、それも現役の銀行・証券の関係者にとってすら、「ルール」か「プリンシパル」かなどの議論はさておき、「良く分からない」どころか、検査局(もちろんその「検査マニュアル」も)の廃止等の方向性は、従来の金融行政を大きく変えるもので、戸惑いや不安も大きいのではないでしょうか。
 私が銀行で働いていた当時(まだ、大蔵省と呼ばれていた時)、MOF検といえば、それこそ銀行にとっての一大行事でした。その対策のために、MOF担と呼ばれる専従のエリート行員(「ノーパンしゃぶしゃぶ接待もできる優秀な能力をもっているとみなされ、出世コースでした。)までいました。エリートでなかった入行したての私も、「こんなことが許されるのかな?」と思いつつ、中身の分からない書類の入った段ボール箱を、地下室の奥に運ばされた記憶があります。
 金融庁の言いたいことは、結局、「銀行といえども、今までのように、手取り足取り指導はしません。ゼロ金利ならゼロ金利という市場環境の中で、自分で工夫してください。」「但し、違法はSESCでちゃんと取り締まりますよ。」「いずれにしても、社内コンプライアンスを機能させて、社会的な意義のある仕事をちゃんとするような態勢を、自分で作りなさい。」・・・といったところでしょうか。

 金融庁の金融行政がカバーする範囲は、大手銀行や大手証券に限りません。信金等の中小の金融機関や、本当に大丈夫かな?と心配になるような実質数名で行っているような第二種金融商品取引業者(現在、1000社ちょっと登録されているようです)、更には、仮想通貨交換業者(平成29年内閣府令第7号)まで、非常に広範囲に及んでいます。
 弁護士である私の仕事も、今までこのブログ等で紹介してきたように、大手金融機関の販売した金融商品の問題にとどまらず、中小企業の債権者である中小金融機関との折衝問題、第二種業者への法的アドバイスの一方で、無法な第二種業者への対応、更には、金融庁の監督の及ばない海外金融機関や登録外詐欺集団対策など、それに対応したものになっています。
 今までのこのような私の弁護士としての活動は、結局は、相手方の「ルール違反」を問題とするものでしたが、根本的には、単なる「ルール違反」にとどまらない、金融機関の社会的な責任の追及するものでした。ここで、「結局は、相手方の『ルール違反』を問題」といいましたが、それは、例えば、裁判所に提訴する場合に、何らかの「ルール違反」がなければ、裁判所は相手にしてくれないからです。どんなに「金融機関がこんなことをやってケシカラン」と騒いだところで、「で、具体的にどの行為が、どの法律に照らして違法なの?」との(たぶん、裁判所にとっては当然の、しかし投資家にとっては冷たい)対応に終始されてしまいます。
 そのため、従来の消費者保護型の弁護士活動では限界があります。例えば、相手が違法・無法の詐欺集団であれば、裁判所を味方にすることは容易です。しかし、銀行等大手金融機関や現状では規制のない業者相手に、「社会的に妥当でない」(つまり、金融庁のいう明確な「ルール」違反というよりも「プリンシパルの問題」とされかねない内容)行為を問題とする場合に、裁判所の適切な助力を得ることは、とても難しいからです。
 もちろん、司法にも、後見的な見地から、司法の適切な介入助力を得られる法的な制度もあります。しかし、こと金融関係事件の場合には、裁判所によほど金融リテラシーがないと、「当事者で解決策を詰めてから持ってきてください」といった窓口制限をされるケースが多いことも事実です。
 今から思えば、金融マンから弁護士になった私の苦労は、このような司法と行政の間で、依頼者と一緒に苦悩することにあったような気がします。

 確かに、金融の問題は非常に難しいと思います。そのため、適切な金融行政を模索しているのは、日本に限らず、世界中どこの国でも同じです。しかし、その模索は、単に、金融庁だけに責任のある問題ではないと思います。立法及び司法にもその重い責任があります。
 最高裁長官も、約1年前の談話 の中で、「社会に生起する紛争の解決を通じて経済の発展,社会の安定に寄与するべく努めてきました。」と司法の果たしてきた役割を再確認するとともに、「その間,我が国社会も,それを取りまく環境も,いくつかの節目を経て変化してきましたが,今世紀に入り,その変化はさらに動きを速めているように見えます。今や,情報技術の目覚ましい発展を背景に,経済や金融など多くの事象が国境を超えて相互に作用し合う複雑な状況を呈していて,その反面で,既存の枠組みや秩序への疑念が,様々な場面で顕在化しつつあります。」との問題意識を明確にしています。
 最初に述べた金融庁の模索に合わせて、最高裁長官のいうように「今世紀に入り,その変化はさらに動きを速めている」中、司法も変わらなければならないと強く思います。
 

ビットコイン等仮想通貨のご相談

 昨年末ごろ、「ビットコインが200万円突破」との報道が、一般紙でもなされました。「ビットコインで大儲け」的な話もよく耳にするようになり、「国税も関心を寄せている」との報道もあります。1年も経たないうちに、10倍以上の価値の増大があったことから、社会的な関心もたかまっているようです。

 私個人も、学生時代、退屈な法律の勉強よりも、心躍る経済の勉強の方が好きでした。そもそもマネーとは?金利とは?外国為替の決定理論?みたいな、どこまで本当に理解していたかは別として、興味をそそる分野でした。その後、銀行員、外資系投資銀行、そして現在の弁護士の仕事をとおして、そのような金融理論はともかく、金融のダイナミックな変化の流れの中で、人生を過ごしてきました。
 そんな私からみても、ビットコインを代表とする仮想通貨が、信認を本質とする通貨として定着するのか大変に興味深く、個人的には、将来的に一般個人の主流の支払い手段になると思っています。そんなに遠くないうちに、Suica や pasmo のチャージも仮想通貨でできるようになると思います。

 ただ、歴史的な事実として、新しい金融取引は、その定着までに越えなければならない陣痛が必ずあります。仮想通貨もその例外ではないでしょう。場合によっては、今まで経験した以上の混乱が何度もあるかもしれません・・・多分、必ず、それも何度もあるでしょう。

 今年に入って、特に、ここ数日のビットコイン等の値動きは激しすぎます。売買スプレッドも大きく開いたり、板も薄かったり、サーキットブレーカーの発動など、正常な取引が困難になっています。大きな損失を被っている方々も多いのではないでしょうか。ただ、仮想通貨は、法的には、「資金決済に関する法律」に定められた支払い手段に過ぎず、いわゆる従来の金商法上の金融商品そのものではありません。また、裁判例等もほとんどないはずです。弁護士としては、参考にできる過去の事例はほとんどなく、これからの調査・検討が必要な分野のため、FX取引等他の紛争事例等を参考に、個別に対応することになると思われます。といっても、業者から追加支払いを求められている方々には、具体的な対応が必要です。お困りの方がいらっしゃいましたらご連絡いただければと思います(但し、電話のみでのご相談には応じることができませんので、この点はご理解ください。なお、弁護士報酬を、ビットコインでお支払いいただくことも可能です、笑いヽ(´▽`))

保釈

 最近では、「検察官は『不相当』と言っていますが、裁判所の判断で許可決定を出そうと思います。」と言って頂けるケースも増えてきたように思えます。でも、検察官の強い反対があれば、なかなか保釈請求もとおりません。
 まだ、20歳になったばかりの若い男性被告人です。彼女の出産も控え、本人も相当に反省し、更生意欲が強く感じられたことから、なんとか保釈を認めてもらって、社会復帰の準備の時間を与えられないかと、何度も保釈請求を出しました。ところが、余罪が出るわ出るわ、1月に逮捕されてから、毎月の公判は、起訴状朗読、罪状認否、弁護人の証拠意見留保、そして次回公判期日の打ち合わせの繰り返しが続きます。
 こんな状況でも、なんとか一区切りついたところで保釈をと、公判のたびに、「捜査側の都合だけで、五月雨式の追起訴を重ねて、(無罪推定の働いているはずの)未決勾留状態をだらだら継続することは許されない」との弁護人意見を述べ、強く裁判所・検察をけん制してきました。もちろん、初公判以降の保釈決定は、東京地裁の場合も同じ刑事部で行うのですが、裁判の担当裁判官とは別の裁判官による判断です。また、東京地検の場合、公判と捜査の担当検事は別で、更に、余罪が他府県にわたると、他府県の検察も関係してきます。公判での意見陳述というよりも、むしろ保釈担当裁判官や捜査の検察官への根回しが当然に必要です。

 「A警察署から、接見希望です。」事務所の事務員からのメッセージ。成年の被告人とはいえ、1年違えば、裁判ではなく少年法に基づく審判だった若者、まだまだ子供です。空腹で餌を持ち帰ってくれる親鳥を待つ雛鳥のように、ピーピーと鳴きながら、相談にのってくれる弁護人の接見を心待ちにしています。
 逮捕勾留が法律で許されているのは、あくまでも罪証隠滅の恐れ、逃亡の恐れを回避するためのもので、決して、犯罪の処罰や反省を促す目的ではありません。しかし、現実問題として、犯罪を行った人々が、一番、後悔し反省するのがこの時期です。そして、若い人々ほど、その時は死ぬほど後悔し反省したはずなのに、すぐに忘れてしまったかのように、同じ過ちを繰り返してしまうことも珍しくありません。
 「こんな末端の子供を捕まえて処分するよりも、子供たちを捨て駒のように利用して悪事を世に広めている大人たち(起訴状では「氏名不詳者」としてしか登場しません。)を、もっと徹底的に捜査・摘発してほしいものだ・・・」と強く思いながらも、被告人の将来を考えると、ちゃんと自らの行ったことを自覚し、これからの長い人生への大きな教訓にしてもらわなくては困ります。
 「反省してます」「立ちなおります」との強い思い(それ自体はウソではなさそう)を述べる一方で、「このままお正月を警察で過ごしたくない」「早く、生まれた子供に会いたい」と自らの思いを全面に押し出してくる被告人。弁護人としての私の仕事は、一日でも早く不必要な身柄拘束を終わらせることだけではなく、せっかくの機会を利用して、彼の人生の大きな収穫にしてもらうことです。
 5度目の保釈請求で、やっと担当裁判官から「検察も反対していない」「保釈金をいくらに設定するか(オレオレ詐欺のような場合、通常の150万円程度の保釈金額もよりも多額の300万円500万円に設定されるのが相場)」との話になったところで、保釈の期待を持たせる前に、お説教に入ります。

 「まだ余罪があるから・・」、それは彼も十分に分かっているとの顔。
 「万一、保釈許可決定が出ても、保釈金が払えるかな・・」、身元引受人で保釈金の支払いは、彼の祖母にお願いしている。彼が可哀そうなのは、彼が小さなときから両親が離婚し、両親の愛情を知らずに、この祖母に育てられてきたことです。もちろん、祖母は、このような彼を不憫に思い、一生懸命に世話をしてきたようです。しかし、両親のいない幼い彼には、他の子供たちが当然のように受ていた両親の愛情が羨ましく映ったのでしょう、接見で「先生、父親の存在って何だと思いますか?」と尋ねられたこともありました。自分にはなかった父親の存在に、自分がもうすぐなる・・そんな状況に対する彼の真剣な考えが感じられた質問でした。
 「考えてくれる? もし、『孫の保釈金300万円をすぐに用意してください』といって、貴方のおばあちゃんに詐欺電話が入って、それに応じてしまったおばあちゃんが、貴方の保釈金を用意できなくなったら、どう思う? 貴方のやったことはそういうことなんだよ。」だんだん彼の顔がひきつってくる。
 「そうなったら、貴方も保釈をあきらめなくてはね。」これは単なる意地悪。
 「父親の存在って、ぼくは『家族に頼られる存在』だと思う。」
 「『家族に頼られる存在』になるためには、家族の立場、他人の立場になれる優しさ。」
 「でも、他人に優しくなるためには、強くなくては優しくなれないよね。」
 「自分のやってきたことを考えてごらん。自分の都合だけで他人のことなんて考えてないよね!」
 「自分の都合だけで、奥さんや子供のことを考えていないと思われると、彼女にも籍をいれてもらえないし、将来、子供にも父親として認めてもらえないよ!!」
 ・・・
 やはり子供だ。最後には、泣き出してしまった。ちょっとやりすぎたかな。
 「でも、明日には保釈許可決定が出せそうだと裁判官と話しているよ。」
 「おばあちゃんが、明後日の午前中に保釈金を支払えば、午後には出れるから。」
 彼の顔がぱっと輝いた。さっき泣いたカラスがもう笑った。

 反省し、被害者に謝罪・弁償して、罪を償えば、若い彼には開かれた未来が待っている。
 せっかくのこれからの人生を輝かせるのも、無駄にするのも君次第だ。
 がんばれ! まぶしい未来は、間違いなく君の手の中にある。
 接見が終わって、今年に入ってから半年以上通ったA警察署の留置係に顔を出して、毎日のように接見希望の電話してくれた警察官の方々に、「長い間お世話になりましたが、あと数日で出れそうです。」と声をかけると、顔なじみの警察官もニッコと笑顔を返してくれました。

金融リテラシーとは(続)

 前回、司法は金融リテラシーが低いと書きました。評した研究も「本司法研究報告も、このようなリテラシーの向上に資するものでありたいと考えて執筆した」(同書158頁)と、その作成動機を語っています。では、金融リテラシーとは何を指すのでしょうか。

 金融リテラシーというと、むやみに借金をしないとか等の単純な金融取引に関する一般常識とか、逆に、高度な金融工学に対する知見とか、が想起されるかもしれません。前者であれば、世間的に頭の良いとされる司法界の方々(特に、裁判官)にないわけがないですし、後者であれば、なくても当然です。しかし、私も、そして研究の報告者も、司法の(金融)リテラシーの向上が必要だと考えていることでは共通しています。

 金融が他の取引に比べて特殊なのは、実態がない(物がない)抽象的な取引であるため、五感で理解することが難しいことです。私が、金融機関に勤務していた1990年代は、ちょうど、スワップやオプションといったデリバティブの創成期でした。このデリバティブは、派生商品と訳されるように、ただでさえ抽象的な金融取引を更に、かつ飛躍的に抽象化させる(派生させる)ものでした。このような取引は、ただ説明を受けただけでは、どんなに頭の良い人でも、すぐにピンとくる人はいなかったと思います。抽象的だけど客観的に存在するものを理解するためには、具体的にやってみるのが一番です。要するに「実際にやってみなければ、その本質を理解することは容易でない」取引なのです。

 裁判で問題にされるデリバティブ商品や仕組み債等の複雑な商品の問題点は、それが金融工学的な難しさにあるわけではありません。販売する金融機関の支店長や課長、そして担当者でも、正確に理解している人はいません。しかし、彼らは、そのような商品を、自ら買うことは絶対にありませんし、家族や友人から相談されれば、「絶対に止めておけ」と忠告します。それは、実際に販売して、そのような商品の危険性・欺瞞性をよく理解しているからです。その危険性・欺瞞性は、実際やってみて初めて分かるのです。

 今回の研究にあたって、執筆者の裁判官たちに、このリテラシーの大切さを説いたのは、弁護士の和仁亮裕先生でした(和仁先生は、日ごろから裁判官に「ご自分で投資をしてみては?」とおっしゃっているそうです。)。余談になりますが、私が、昔の東京銀行でスワップを顧客に販売してる部門にいたころ、和仁先生は、その横の方で、銀行間のISDAの契約書をまとめていました。その後、この分野での第一人者ともいえるデリバティブ法務の権威となられました。私が、弁護士になったときに「今度、弁護士登録したんですよ」と、あるパーティの席でお話しすると「なんで、わざわざ!?」と(その真意は分かりませんが)驚いていただいたこともありました。お立場がお立場だけに、金融機関に批判的なことはあまり言えないのかなと少し残念ですが、このような指摘は、大変重要だったと思います。

 最後に、やってみて初めて分かる金融リテラシーの一例を考えてみてください。
 一休さん(曽呂利新左衛門かもしれません)が、将軍様の無理難題に、とんちで見事に答えたところ、「なんでもご褒美をやろう」と言われ、「一日目はお米一粒、二日目はお米を二粒、四粒、八粒・・というように、毎日二倍づつ3か月間いただきたい」とお願いしたところ、「欲のない奴じゃ」と契約が成立したといいます。
 しかし、その後、20日もしないうちに、さすがの将軍様も債務の履行を拒否しました。
 そこで、一休さんは、現代の裁判所に、支払いを求めて将軍様を訴えました。
 現代の裁判所は、この訴えを認めるのでしょうか?
 それとも、説明義務違反で違法とするのでしょうか?
 また、将軍に錯誤があったとして無効な取引になるのでしょうか?
 そもそも、公序良俗に違反する取引なのでしょうか?

金融リテラシーが低すぎる司法

 最高裁司法研修所編による「デリバティブ(金融派生商品)の仕組み及び関係訴訟の諸問題」という研究成果が発刊されました。

 平成26年度の司法研究として発表されてから2年も経て、「この程度か。レベル低すぎ。」というのが、読後の第一印象でした。

 もちろん、近時の為替デリバティブ問題を念頭に「不適合商品勧誘の不法行為類型」を示し、「プライシングの不当性又は契約時時価評価額等」についても金融機関側の資料提出を求めるような訴訟指揮に言及するなど、従来の裁判に対し、前進を求める提案もあります。
 しかし、「プライシングの知識なくしてデリバティブというものを理解することはできない」と、「デリバティブの仕組み」についてその紙面の多くを割きながら、その内容を後半の「関係訴訟の諸問題」の検討に、何ら反映させていないことから、議論に、全く深みがないものになっています。

 反対説にも配慮しながら(拙稿も参考文献に引用して頂きましたが、不満の残るものでした)従来の最高裁の判例を踏まえて、それとの整合性を維持するためには、これが限界なのかもしれないとは思いつつも、具体的な個々の内容を見るに、本書のいう「この分野の事件処理に当たる裁判官に求められているのは、技術的な側面での専門的知見よりも、より広い意味での『リテラシー』ではないだろうか。」との反省が本当にあるのだろうか? とても疑問に思わざるを得ませんでした。

 「そもそも司法の金融リテラシーが低すぎることが問題」との実感を確認した一冊でした。

森金融庁長官の嘆きの原因は最高裁にある

 最近のセミナーにおける金融庁長官の講演の一部です。

 「資産運用の分野でも、お金を預けてくれた人の資産形成に役立つ金融商品・サービスを提供し、顧客に成功体験を与え続けることが、商品・サービスの提供者たる金融機関の評価を高め、その中長期的な発展につながることは当然のことです。
 マイケル・ポーターは、これを Creating Shared Value(共通価値の創造)と呼びましたが、金融機関による共通価値の創造は、顧客と金融機関の価値創造に留まらず、経済や市場の発展にもつながるものと考えます。
 しかしながら、現実を見ると、顧客である消費者の真の利益をかえりみない、生産者の論理が横行しています。特に資産運用の世界においては、そうした傾向が顕著に見受けられます。」
 としたうえで、

 「こうした話をすると、お客様が正しいことを知れば、現在作っている商品が売れなくなり、ビジネスモデルが成り立たなくなると心配される金融機関の方がおられるかもしれません。しかし、皆さん、考えてみてください。正しい金融知識を持った顧客には売りづらい商品を作って一般顧客に売るビジネス、手数料獲得が優先され顧客の利益が軽視される結果、顧客の資産を増やすことが出来ないビジネスは、そもそも社会的に続ける価値があるものですか?こうした商品を組成し、販売している金融機関の経営者は、社員に本当に仕事のやりがいを与えることが出来ているでしょうか?また、こうしたビジネスモデルは、果たして金融機関・金融グループの中長期的な価値向上につながっているのでしょうか?」
 と疑問を投げかけ、

「ここ数年、友人から、『母親が亡くなり遺品の整理をしていると、最近購入したと思われる、お年寄りには到底不向きのハイリスクで複雑な投信が、何本も出てきた』という苦情を聞くことがよくあります。もしかすると、そうした投信を売った営業員の方は、親のところにあまり顔を見せない子供たちに代わって、お母様の話し相手になっていたのかもしれませんが、これにより子供たちの当該金融グループに対する評価はどうなったでしょうか?こうした営業は長い目で見て顧客との信頼関係を構築する観点から本当にプラスでしょうか?」
 と嘆いています。

 金融庁長官の立場で、よくハッキリと言ってくれたと感謝する反面、このようなことは、金融機関で働く人々は、日々、痛感している「今更何を?」という問題なのです。
 では、どうしてこのような実態が改善されないのか?
 理由は明確です。
 このような金融機関の営業行為のほとんどを、司法が違法とするどころか、当然とばかりに追認するような判決がまかり通っているからです。
 司法判断の大元となる最高裁自ら、投資家の自己責任を強調するだけで、金融機関に対する警告的な判決や判示をしたケースはほとんどありません。
 司法が、投資家の自己責任のみを強調し、金融機関の説明義務や適合性原則順守義務に厳格な判断を示していない以上、過酷な競争の中にいる金融機関側が、自発的に内部的なコンプライアンスを機能させようとしても限界があることは当然です。
 
 森金融庁長官の嘆く酷い現実の責任は、司法にもあることを、最高裁を頂点とするすべての裁判所は、もう一度よく考えるべきです。

あきらめないこと 明るく頑張ること もうすぐ春がくる

 本当に、裁判所というところは・・・
 自分の無力さを嘆くと同時に、自分の今までのチャレンジがドンキホーテのように思えてくることもあります。
 でも、そこは、そこそこ生きてきた年寄りの粘り腰。
 自分の人生を振り返ると、そこで諦めていたら、今の自分はなかったという体験を、何度もしてきました。
 もちろん、人間ですから、どんなに頑張ってもできないこともあります。でも、社会の中で生きていくといった俗人的な営みの中であれば、最後まで、諦めずに頑張った人には、必ずいいことがあります。そして、頑張るためには、くよくよせず、失敗を糧に、前向きにまた新しい努力を始めれば、なんとかなると自分を信じること。

 春1

 もうすぐ春がきます。
 

銀行員と弁護士

 私の人生で経験してきた二つの職業だから、今でもつい比較してしまう。
 どちらも、(ただ、この二つの職業に限られないけれど)プロとしての誇りをもって行えばやりがいのある仕事である一方、志を失えば、これほどつまらない仕事もない。
 もっとも、私が銀行員だったとはいっても、債権の保全や回収といった地味だけど銀行員として最も基本的な仕事は、ほとんど経験していないから、余り偉そうなことはいえない。銀行の内部でも、いつも「儲かっているのかもしれないけれど、よく分からん」といつも言われていた資本市場業務が専門であったから。
 弁護士といっても、登録してから6年ちょっと、会社法、破産・債務整理や金融関係の仕事がほとんどだったので、大多数の先輩弁護士とは、視点や考え方が異なるのも仕方がない。
 だから、時として、昔からの知人友人等から、「お前は、一粒(たぶん、複雑な金融商品等のこと)で、二度(たぶん、販売して実績を上げておいて、後にその訴訟に携わったこと)美味しいな・・・」と、からかわれてしまう。
 でも、弁護士として銀行員相手に、さまざまな事件を扱っていると、「ホント、銀行員はセコイ。信用ならん。」
 その銀行を相手に訴訟でも起こしても、司法の「旧態依然の銀行実務重視」の姿勢に、「おいおい、フィンテックやビットコインの時代だぞ。こんな裁判で大丈夫かな。」 ・ ・ ・ と、文句は尽きない。

 この銀行員と弁護士の違いは、働く時間帯かもしれない。銀行員は朝が早い。しかも、最近は残業はあまりしない(できない)らしい。その点では、私はまだ銀行員だ。
 銀行員は意外に交渉がうまい。弁護士は、世間で思われているほど交渉に強くない。銀行員は理不尽な交渉でもボス(支店長)や本部から「絶対に担保を取ってこい」と指示されると、逆らうことが難しいサラリーマンだからかもしれない。弁護士は、「理屈のとおらない主張まではすべきでない」と考えているからかもしれない。銀行員であった弁護士の私も、依頼者がボスと思っているから、そんなに簡単に引き下がれない。しかし、理不尽な主張であっても、交渉の材料とするほど、悪徳でもない。
 銀行員は、平気で顧客を騙す。「形式的な書類ですから、ハンコだけください。」。ただ、その本人も騙す気もなく、本気でそう思っていることも多い。しかし、裁判官は、そんな書類が大好きだ。それだけで、判決文を書けてしまう。だから、そんな裁判官をよく知っている弁護士としての私も、「形式的な書類」を無視するわけにはいかない。しかし、裁判官ではないのだから、「形式的な書類」だけでお終いとすることは絶対にしない。

 こんな文句の一つもでようかという中でも、長い人生経験は無駄ではない。
 十年単位で世の中は、確実に変化し、その流れは変わらないことが、経験として理解できるからだ。
 大手銀行といえども、時代の変化に対応できなければ、現実につぶれることだってあることを。
 大昔からの伝統的な司法の考え方も、いくら継ぎ接ぎして使用してきても、どこかで大転換する必要があることを。
 ただ、個々の事件では、「だから、こうあるべき」と力説するだけでは通じない。小さな力であっても、どこかに支点をおいた梃子の原理により、時代の大きな流れを、今の力学にかえていく努力が必要となる。
 昔から、銀行様に虐げられてきた中小企業を取り巻く環境も、個人保証・不動産担保ありきの担保重視実務から、中小企業金融円滑化法等の流れを経て、「私的整理に関するガイドライン」「経営者保証に関するガイドライン」等々、昔からの単なる居直り型の抵抗を超えたよりスマートな(でもまだまだ問題の多いが)武器がそろいつつある。
 武器がそろいつつあるといっても、未だに文書(契約書)重視(というより妄信)の司法様は、まだまだ頼りにならないことが多い。そんなときは、司法といっても訴訟だけでない、いろいろな制度を最大限に利用していく必要がある。最終的には、強制力を発揮できる権力は司法しかないのだから。
 
 

7月の雲 (ささやかな夏休み)

 「先生、今日は裁判所への書類ありますか?」で始まる事務員さんの朝。
 「うん、午前中、(ぼくは)期日で裁判所に行くけど、(あなたが)お昼休みから帰ってくるまでに仕上げてデスクに置いておくから」と私。
 事務所から裁判所へ行くにも爽やかだった季節はあっという間に通り過ぎて、歩くだけでも汗ばむ7月。
 ここのところ、毎日のように裁判所へ書面や証拠を提出し期日に通っている日々です。

 「では、原告は書面の準備にどれくらいかかりますか?」
 「通常期間で結構です。」
 「裁判所の夏休みの関係もあり、どうしますかね・・・ (当)裁判所の休廷期間は後半なので・・・」
 東京地裁の夏休みは、前半組と後半組に分かれてとるようです。
 「では、休廷前に書面だけは、裁判所と被告に提出しておいて、期日は夏休み明けで結構です。」
 「(こちらも合議なので)そうしてもらえると助かります。」
 「必要なやりとりは、期日間で、被告代理人と調整しておきます。」

 それぞれの裁判所は、順番で、まとまった夏休みをとれるからいいけどね (・ω・)
 裁判所からの帰り道、左手の飯野ビルと真ん中遠くに見える虎ノ門ヒルズとのとっても狭い隙間に挟まった東京タワー、そしてその奥に広がる7月の雲を見ながら、そんな思いが頭をよぎります。
都心

     
 











  





 それでも、仕事は仕事 (`・д・´)
 今日は、これから札幌出張、いったん事務所に帰って、それから羽田に直行です。
 飛行で地上を離れると、そこは7月の雲の世界 (☆゚∀゚)

 1時間少し飛ぶと、飛行機よりも高い巻雲、巻層雲をバックに海岸沿いの積雲、そして遠く日高山脈に寄り添う層積雲の連なりが見えてきた。いよいよ北海道だ
北海道

 顧客との打ち合わせを終わってほっとしたところで、連絡が・・・「明日のミーティングキャンセル」 裁判期日がない合間を縫ってせっかく入れたのに・・・でも時間がぽっかり .。゚+.(・∀・)゚+.゚
 さっそく7月の雲を求めて北上、傘雲がかかる利尻岳に出迎えてもらいました (^∀^)
雲4

 そして、最後にたどり着いた雲、それが雲丹。
 海の底から、食卓にのぼった美味しい雲でした (*'-'*)
雲6
 そして、おまけに
雲丹ドン
 あっという間だったけど、大満足の夏休みでした (・◇・)ゞ

 

6月の雨 (論稿の掲載)

 その昔、「雨の日と月曜日は、いつも私を落ち込ませる("Rainy days and Mondays always get me down"🎵」なんて歌があったけど、私自身は、雨の日はそんなに嫌いじゃない。
 雨の日は、時間を気にせず、ゆっくりと仕事や読書に耽ろうという気にさせてくれるから。

あじさい2

 
 そんな気持ちで読んでいただける価値があるのか自信はありませんが、新しい原稿が6月15日発売の専門誌に掲載されました。
 「時価評価―その実態と法的な位置づけ―」
 現代消費者法 No.31 2016年6月15日

5月の風

 本当に爽やかな季節になりました
 4月の桜もきれいですが、なんとなく、霞がかかっているようで、少しソワソワして落ち着かない気分です。
 10月11月の晴れ渡る空は、カラっとして気持ちが良いことこの上ないですが、どこか残された時間を惜しむ心を思い出させて、一片のもの哀しさをも感じさせます。
 それに対し、5月の風は、新緑の生命の息吹をそのまま運ぶんでくれるように、私に新たな希望を与えてくれるような気がします。
 5月3

 
 私の人生も、年齢的に真夏の時期はとっくに通り越して、そろそろ人生の残された時間を考えなければならない世代に入りつつあります。
 本当は、そろそろ人生の酸いも甘いも噛み分けて、秋の青空のように澄み渡った気持ちになれれば良いのでしょうが、精神的にまだまだ未熟な私には、とてもたどり着けていない境地です。
 まあ、当分は、いつまでたってもワクワク・ドキドキ、(いつまでも4月の新入生・新人さん気分から卒業できないようでは困りますが)5月の風のような気持ちで過ごせれば良いかなと思っています

違いが分かる最高裁であってほしい

 4月になって、近所のお店で、牡蠣を食べました。三陸の牡蠣で、11月に産卵をおえて、また産卵の準備に入る3月4月が最も美味しい季節だそうです。もっとも、生牡蠣は、地元の保健所が厳しく、出荷の時期も限られていて、ようやく出荷できたものでした。

 「今年の牡蠣は、また一段と大振りで
 「うーん、ふっくら、ぷりぷりで、一段とクリーミー

今年の牡蠣牡蠣2

昨年の牡蠣牡蠣1

 
 写真では、分かりにくいかもしれませんが、一目見て感動ものでした。その店の御主人も「ウチはいつも、三陸の同じところから専門に仕入れているけど、ここ10年で最高かも」と自慢していました。

 それに比べ、最高裁は相変わらずです(無茶振りゴメンなさい )。
 最近、平成25年3月以来、久しぶりの金融商品に関する判断(最判平28・3・15)が出ましたが、前回の「(本件取引は)単純な仕組みのものであって」とは違い、今回は「本件仕組債の具体的な仕組み全体は必ずしも単純ではないが」としながら、「本件取引のリスク等について具体的かつ正確な検討をすることが著しく困難であった」とする原審(東京高判平26・8・27)を破棄し、リスクは説明されていたとして投資家の逆転敗訴の判決をしました。
 詳しくは、またどこかの専門誌でコメントしたいとは思いますが、結論の妥当性はともかく、その判決に至る思考過程は、やはり「最高裁は変わっていない」と言わざるを得ないなぁと、残念でした。金融商品のリスクといっても、単に損する損しないというだけでなく、その内容、性質、そしてその程度は、千差万別で、その違いを説明しないと金融商品のリスクを説明したことにはならない(顧客にこれをわざと誤解させるように説明した金融機関が訴えられる)ことを、最高裁はよく理解してほしいと思います。


 

敵を知り己を知れば百戦殆からず

 孫子の言葉でしたか、「知彼知己者百戰不殆」。本当に昔の人は、うまいことを言います。といっても、昔の人の方が偉いわけでもなく、かと言って、飛行機を飛ばせる現代の人が偉いわけでもないです。現在、人間がジェット機を飛ばせるのも、何千年にもわたる無数の人々の無数の分野での英知の結集の結果です。
 
 現在、私は、いわゆるFXがらみの一つの事件(今年1月15日と8月24日に為替市場で発生した事件)について、多くの訴訟に関わっています。既に20以上の裁判が継続し、そのほとんどが東京地裁の各部に配転されており、今後、まだまだ増える予定です。
 東京地裁民事部は1部から51部までありますが、単純に言えば東京地裁通常部の半分近く(最終的には、おそらく半分以上)の部での審判を仰ぐことになりそうです。
 相手方のFX業者は、現在のところ約10社です。

 今回のFX事件は、過去にもいくつかの同種の裁判例はあるとはいえ、多くの裁判官にとっては、前例や相場感(基本的な司法としての姿勢)がパッとは思い浮かばない新しい事件に属するようです。そのため、20以上の裁判所(その多くは合議体)の反応はそれぞれで、弁護士たる私にとっては、改めて勉強させて頂けると同時に、本当に興味深いものです。
 裁判が進行中のため、具体的にいうのは避けますが、裁判の最初から、代理人にとって「この裁判官は(事件の本質を)分かっている!」と嬉しくなる裁判から、「本当に大丈夫かな?」と心配になる裁まで、ほとんど同じ事件(もちろん当事者は違いますが、前提事実や法律構成等がほとんど同じ)にもかかわらず、裁判所の対応は、同じものはない状況です。
 今後、どのような経緯でどのような結果になるのか、興味が尽きません。ただ、 「知彼」といいますが、約10社のFX業者と20以上の裁判体の、裁判に関する全ての情報は、私に集まることになっていることから、「敵を知る」点では、多少なりとも有利でしょうし、私としては、それから真剣に勉強させて頂いて依頼人のご期待を裏切らないようにしなければならない義務があります。

 問題は、「知己」です。弁護士としての経験は浅い私ですが、さすがに人生の経験がまだまだ浅いと言い訳できるような年齢ではなくなってきました。その分「私にはそこまでの能力はない・・・」とか「そこまでしなくても・・・」とか老獪な言い訳をする知恵が邪魔をする年代になってきました。相手方の代理人からなんと反論されようとも、理解いただけない裁判官からなんと言われようとも、自分の正しいと思った主張と立証をどこまでやり遂げられるのか、自分が試される試練かもしれません。

 このブログで書き続けてきた「司法の金融の対する無知と偏見」をなんとか打破しようとする「ドンキホーテ」な私ですが、最初の志を忘れることなく、これからも謙虚な気持ちでの勉強を忘れることなく、正しいと思ったことをやり遂げる強さを失わないようにしていこうと思っています。

人生の再スタートを担う司法

 「先生! 明日、てか今日!仕事の正社員の面接行ってきます!」
 「緊張して寝ていないのw まるで裁判前みたいww」
 「受かるか分からなけど、受かったら正社員だよ!」
 「そしたら、約束したお金、毎月ちょっとづつでも払うね」
 「私、頑張る! 全部先生のお蔭だよ! 感謝してます!」

 以前に私が刑事事件の弁護人をした依頼者からの、久しぶりの連絡でした。
 その刑事事件は、被害者はいない種類のものでしたが、彼女は、首謀者的な共犯事件として、否認を続けたこともあり、3度の再逮捕を繰り返していたときに、私に相談したいと警察経由でいってきたのです。かつて、初犯のときに私が弁護人をしたことがあったからです。

 警察署の接見室で、最初の裁判以来、久しぶりに会った彼女に対し、私が最初に言った言葉は、「前回、もう二度と弁護人はしないといったでしょ?覚えている?」というものでした。「貴女も、もう二度とやらないと言っていたから信用したのに・・・はあ」
 本当に申し訳なさそうな顔をしながらも、彼女は「でも、先生相談にのって!」「今の弁護士が、『認めるな』『調書にも署名するな』というんだけど、本当にそれでいいのかな・・・って・・・・」
 いつも甘すぎる私は、「事実は事実としてちゃんと認めること」「捜査には協力すること」「母親の協力もお願いすること」という三つの約束を守れるなら弁護人になることを受け入れると答えてしまいました。

 彼女も相当に悩んだようです。共犯者の弁護人でもある元の弁護士は、「新しい弁護士は、『検察官や裁判官にも相談して、なんとか執行猶予をとれるように頑張ってみる』なんて言っているようだけど、そんなことができるわけがない。そんな弁護士は胡散臭い奴だから信用するな。」みたいなことを、彼女に言ったようです。
「親には絶対にいわないで。」「それは無理だよ。」「結婚できなくなっちゃう。」「人生をやり直せるラストチャンスだということが分かってるの?」「でもお金もないし。」「そんなことは、どうでもいいよ。本当に貴女が人生をやり直す気があるかだよ。」・・・ そんな会話が続いた後、結局、彼女は、私のアドバイスを受け入れました。
 
 確かに、彼女は再犯で、かつ共犯の首謀者も疑われ、共犯者は接見禁止もついていないのに、彼女は接見禁止で3度の再逮捕です。執行猶予など、とても望めないと彼女自身もあきらめるような状況でした。でも、私は彼女が二回目であっても本当に反省して、人生をやり直す気持ちがあるのなら、絶対に執行猶予をとれると信じていました。

 まず、検察官と連絡をとって、弁護人が交替すること、被疑者は「事実は事実としてちゃんと認めること」「捜査には協力すること」を約束すること、そして私の弁護方針が、もう一度だけ彼女の人生を再スタートさせるラストチャンスを頂けるよう彼女を本当に反省させることであること、を伝えて弁護活動を始めました。その後、検察官の取り調べも順調に進んだせいか、起訴は1事件だけですみました。

 起訴後公判前には、裁判官に対する働きかけも大切です。もちろん、刑事事件で公判が始まるまでは、担当裁判官の予断を排除するため、弁護人であっても余計な働きかけはできないのが原則です。しかし、公判の進行協議というかたちであれば、一定のお願いは可能です。裁判所には、公判当日は「遠方より、被告人の母親が証人として来ること」「裁判後は、過去を絶って人生の本当の再スタートをするため、遠方の母親と暮らすこと」「ついては、一回結審当日判決を希望すること」を伝えました。裁判官が、この進行上のお願いから、人生の再スタートのための執行猶予(そして、その足で母親と一緒に帰れること!)のお願いをくみ取っていただけますように!

 このような裁判所への働きかけを実効的にするには、担当検察官の協力が不可欠です。もちろん、検察官であっても、裁判官の予断排除の必要性から、裁判官との実質的な事前打ち合わせはできない決まりです。でも検察官の協力なくしては、裁判所への働きかけもなかなか上手くいかないケースが多いのです。幸いなことに、担当検察官は、被告人の人生を、真剣に考えて頂ける方でした。裁判後は母親と一緒に人生をやり直すことを理解して頂きました。その上で、事前に開示された証拠のうち、いくつもの証拠について、「被告人が本当に反省する」ことを条件に、公判当日に私が「不同意」すれば、撤回することを同意してくれました。
 そして、裁判所の窓口で、私が「本当に当日判決してくれるかなぁ」と独り言のように言うと、「大丈夫じゃないですか」と笑顔で返してくれた事務官さん。
 彼女が本当に反省して、真剣に人生をやり直すことを決意さえしてくれれば、刑事裁判といえども、みんな応援する気持ちなのです。
 弁護人たる私の仕事は、そんな検察官や裁判官、そして事務の担当の方々の期待を裏切らないように、被告人が、真摯に事件に向き合い、心から反省して、真剣に人生の再スタートをきることを固く心に刻めるようにすることだけです。

 裁判が終わると同時に、彼女は証言してくれた母親と涙で抱き合いました。そして、別れ際にも、帰りを急ぐ私を、見えなくなるまで見送ってくれました。

 最初にあげた彼女の近況を、担当して頂いた裁判官、検察官、そして事務の方々も、きっと祝福してくれるでしょう。彼女に限らず、多くの人たちの人生の再スタートを司法が担っていることを実感する場面です。
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ひたすら明るく、ひたすら前向きに、がモットーの元金融マン弁護士です。

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