弁護士の良心 

元金融マンの弁護士が、日々の反省と自らへの戒めをつづるブログ 鈴木英司の弁護士活動日記 ひたすら明るく、ひたすら前向きにがモットーです                     

裁判

銀行員と弁護士

 私の人生で経験してきた二つの職業だから、今でもつい比較してしまう。
 どちらも、(ただ、この二つの職業に限られないけれど)プロとしての誇りをもって行えばやりがいのある仕事である一方、志を失えば、これほどつまらない仕事もない。
 もっとも、私が銀行員だったとはいっても、債権の保全や回収といった地味だけど銀行員として最も基本的な仕事は、ほとんど経験していないから、余り偉そうなことはいえない。銀行の内部でも、いつも「儲かっているのかもしれないけれど、よく分からん」といつも言われていた資本市場業務が専門であったから。
 弁護士といっても、登録してから6年ちょっと、会社法、破産・債務整理や金融関係の仕事がほとんどだったので、大多数の先輩弁護士とは、視点や考え方が異なるのも仕方がない。
 だから、時として、昔からの知人友人等から、「お前は、一粒(たぶん、複雑な金融商品等のこと)で、二度(たぶん、販売して実績を上げておいて、後にその訴訟に携わったこと)美味しいな・・・」と、からかわれてしまう。
 でも、弁護士として銀行員相手に、さまざまな事件を扱っていると、「ホント、銀行員はセコイ。信用ならん。」
 その銀行を相手に訴訟でも起こしても、司法の「旧態依然の銀行実務重視」の姿勢に、「おいおい、フィンテックやビットコインの時代だぞ。こんな裁判で大丈夫かな。」 ・ ・ ・ と、文句は尽きない。

 この銀行員と弁護士の違いは、働く時間帯かもしれない。銀行員は朝が早い。しかも、最近は残業はあまりしない(できない)らしい。その点では、私はまだ銀行員だ。
 銀行員は意外に交渉がうまい。弁護士は、世間で思われているほど交渉に強くない。銀行員は理不尽な交渉でもボス(支店長)や本部から「絶対に担保を取ってこい」と指示されると、逆らうことが難しいサラリーマンだからかもしれない。弁護士は、「理屈のとおらない主張まではすべきでない」と考えているからかもしれない。銀行員であった弁護士の私も、依頼者がボスと思っているから、そんなに簡単に引き下がれない。しかし、理不尽な主張であっても、交渉の材料とするほど、悪徳でもない。
 銀行員は、平気で顧客を騙す。「形式的な書類ですから、ハンコだけください。」。ただ、その本人も騙す気もなく、本気でそう思っていることも多い。しかし、裁判官は、そんな書類が大好きだ。それだけで、判決文を書けてしまう。だから、そんな裁判官をよく知っている弁護士としての私も、「形式的な書類」を無視するわけにはいかない。しかし、裁判官ではないのだから、「形式的な書類」だけでお終いとすることは絶対にしない。

 こんな文句の一つもでようかという中でも、長い人生経験は無駄ではない。
 十年単位で世の中は、確実に変化し、その流れは変わらないことが、経験として理解できるからだ。
 大手銀行といえども、時代の変化に対応できなければ、現実につぶれることだってあることを。
 大昔からの伝統的な司法の考え方も、いくら継ぎ接ぎして使用してきても、どこかで大転換する必要があることを。
 ただ、個々の事件では、「だから、こうあるべき」と力説するだけでは通じない。小さな力であっても、どこかに支点をおいた梃子の原理により、時代の大きな流れを、今の力学にかえていく努力が必要となる。
 昔から、銀行様に虐げられてきた中小企業を取り巻く環境も、個人保証・不動産担保ありきの担保重視実務から、中小企業金融円滑化法等の流れを経て、「私的整理に関するガイドライン」「経営者保証に関するガイドライン」等々、昔からの単なる居直り型の抵抗を超えたよりスマートな(でもまだまだ問題の多いが)武器がそろいつつある。
 武器がそろいつつあるといっても、未だに文書(契約書)重視(というより妄信)の司法様は、まだまだ頼りにならないことが多い。そんなときは、司法といっても訴訟だけでない、いろいろな制度を最大限に利用していく必要がある。最終的には、強制力を発揮できる権力は司法しかないのだから。
 
 

裁判所での説明会

 「裁判」というと、法曹界になじみの薄い一般の方は、法廷で丁々発止の議論を交わす場面を思い浮かべてしまうかもしれません。よく、テレビや映画の場面でも、そのような形ででますよね。
 確かに、法律的にも「口頭弁論主義」が建前で、文書はあくまでも補助的な手段に過ぎず、口頭での主張が原則とされています。また、刑事裁判では、特に、裁判員裁判等では、この原則通り、法廷での検察官や弁護人のプレゼンテーションにより、裁判員は、有罪無罪や情状等を判断することになります。従って、民事裁判においても、弁護士が裁判所に行く日は、「弁論」期日であり、法廷は「弁論」する場所なのです。

 ところが現実の裁判は、裁判になじみある方ならお分かりの通り、この「弁論」期日での法廷のやり取りとは、事前に裁判所に提出した書類について、裁判官の「この書類を陳述しますね?」との確認に、弁護士が「はい」と答えて、「口頭弁論」が完了してしまいます。その時間は、わずか1分でしょうか。ですから、裁判の傍聴といっても、刑事裁判であれば、それなりに内容を理解できますが、民事裁判では、傍聴しても、ほとんど意味がありません。刑事裁判の傍聴人は少なくないですが、民事裁判の傍聴席は、弁論期日を待つ代理人弁護士の控え室替わりです。

 もっとも、今回のブログの趣旨は、このような形式化された「弁論」がケシカランというものではありません。法廷で議論を交わしても、結局、論点が絞られなかったり、裁判官にじっくり判断していただけなかったりと、あまり効率的ではないことの多いからです。
 しかし、金融関係の訴訟の多い私としては、どうしても裁判官に直接説明したいケースや内容もあります。弁護士になって3年、いくつもの金融関係の訴訟を経験して、「どうも、金融界の常識と裁判官の認識に大きなズレがある。」とようやく気付いてきたからです。

 どうしてこんな判決文が堂々と出されるの?

 弁護士になる前に、何十年も金融を仕事としてきた私にとっては、当たり前の前提であっても、金融の仕組みや現実の働きについて、なじみのない裁判官です。弁護士になる前の司法研修所で、私が書いた起案を見た裁判官の教官も、あきれながら、きっと思ったと思います。

 どう考えたら、こんな起案ができるの?

 お互い様と言うのは、不遜だとは思いながら、金融のプロたる大手銀行証券に騙された私の依頼者がいる以上、私としては、私の拙い文書での説明で理解していただけない危険性をできる限り少なくしなければなりません。「そもそも金融取引とは?」「金融取引の要素は、リスクとリターン」「リスクとは客観的に市場で決まるもので・・・」等々、裁判官にとって、「ファイナンスの講義は、もう結構」と思われ無視されることを厭う余裕はありません。そもそも裁判官の金融に対する認識が、金融界の常識からかけ離れており、すべての誤解はそこから始まっていると、最近ようやく気が付いたからです。
 準備書面や控訴理由書、そして上告申立書も、どんどん厚くなるけど、仕方ありません。
 そして、今回のテーマとしている裁判所での説明会も良いチャンスです。裁判官が、どのポイントで誤解しているのか、直接の面談での説明を通した質疑応答で、初めて、私も理解し、その点を踏まえて、重点的に的確に説明し主張できるチャンスとなりうるからです。しかも、「口頭」での「弁論」が、法律の原則なのですから。

 幸いなことに、「裁判所としても、問題となっている金融商品の中身を、きちんと理解したい。」として、弁論期日とは別に、説明会を設定していただける裁判所も増えてきました。被告の代理人は、とても嫌な顔をして、必ず「本件の審理に必要ない」「本件の論点は別なところにある」と反対してきますが、裁判所さえ興味をもっていただければ、突破は容易です。
 
 少しずつではありますが、このような司法の金融の仕組みと現実に対する理解が深まってきているように期待しています。
 そして、事件に関する最後の私の一言は、

 裁判官でも騙されるんですから、ましてや原告が騙されたのは当然ですよね?(゚∀゚)アヒャヒャ

 ということになります。
 


最高裁判所で争う意味

 一般の方々にとって、「最高裁判所で争う意味」と聞くと、「日本は三審制なのだから、地方裁判所・高等裁判所でダメだった訴訟のラストチャンス」と思われる方がほとんどだと思います。もちろん、その理解も間違いとは言えません。しかし、各裁判官の判断の方法や考え方がある程度統一されているとすれば、同じことを三回もするだけであれば、裁判として効率的なものとは言えず、訴える側にとっても挽回のチャンスは少ないものになるでしょう。
 実は、このような三審制という制度の意味、特に最高裁判所の存在意義は、このような単なる「三回のチャンス」を超えたところにあります。先ほど、三審制は非効率になる危険性があるとの説明で、「各裁判官の判断の方法や考え方がある程度統一されているとすれば、」との仮定条件を入れました。これは、逆に言えば、「各裁判官の判断の方法や考え方がある程度統一されていない場合」には、三審制でないと困るということなのです。
 どういうことかと言えば、「各裁判官の判断の方法や考え方がある程度統一されていない場合」には、各地方裁判所でバラバラな判断・結果が出てしまうことになります。もちろん、各高等裁判所で、もう一度見直すのですが、これだけでは、同じ状況にもかかわらず争うたびに違う結果になりかねず、国民の司法に対するの信頼も損なわれかねません。弁護士もやりにくくて仕方ないでしょう(笑。結局、日本で唯一の最高裁判所で、最終的な統一見解(いわゆる「判例」)を出してもらう必要があるのです。

 私が弁護士になってから2年半ちょっと、この間、多くの大手の銀行や証券会社と争ってきました。訴訟となった多くの事件は、現在も争っています。その中でようやく見えてきたのは、このような金融訴訟においては、「各裁判官の判断の方法や考え方がある程度すら統一されていない」ということです。
 私も訴状で、必ず、被告大手銀行・証券には「説明義務違反」があったと主張しますが、では一体大手銀行・証券は、どのような説明をする法的義務があったというのか、地方裁判所レベルの一審では、このような議論が煮詰められないまま、延々と、「被告は、書面を使用して、これこれを十分に説明した事実」があるとかないとか、「原告たる投資家が、ちゃんと理解していた事実」があるとかないとか等々の事実の有無についての主張立証が繰り返されて、あっという間に1年2年が過ぎてしまいます(これを、我々弁護士仲間では「地上戦」と呼んでいます)。
 一方、こんな商品を勧誘してもよいのかという「適合性原則」については、平成17年7月14日の最高裁判決(以下、略して「17年判例」といいます。)が出されていて、金融機関に対する行政上の禁止行為(旧証券取引法、現金融商品取引法)に反する行為も、民法上の不法行為に該当し得ることが明確にされました。この判例は、この結論においても画期的なのですが、私には、この判例の意味が、各裁判官に十分に理解されているのか、強く疑問に思っています。というのも、この判例の極めて重要なポイントは、適合性原則が民法上の不法行為にあたることもあるとの結論だけでなく、その判断の方法として、商品の上場・非上場等「投資家保護のための一定の制度的保障と情報環境の整備」の有無などの「具体的な商品特性を踏まえて、これとの相関関係において」総合判断するという判断の基準を示しているところにあると考えるからです。私にとっては、このような17年判例を正しく適用していただける裁判官は、極めて少ないのではなかと危惧しています。

 このような状況、すなわち、そもそも大手金融機関には一体具体的にどのような説明をする義務があるのかという法的な争いは、判例もなく、まさに、「各裁判官の判断の方法や考え方がある程度すら統一されていない」争点として残ったままです。また、17年判例の正しい解釈や適用も、「各裁判官の判断の方法や考え方がある程度統一されていない」と言わざるをえません。
 このような問題は、大手銀行による店頭為替デリバティブ取引の中小企業への販売拡大や大手証券による個人投資家への仕組債の販売によって、顕在化されました。そして訴訟の急増に対応して、大阪地裁高裁だけでなく、ここ1年ぐらいの間に東京地裁高裁の裁判官の間でもよく話題や研究対象になってきているようです。私も、裁判官から、「地上戦(上記のような事実の争い)を無視するわけにもいかないけれど、空中戦(抽象的な法律論争)も重要だから・・・」など、今後の訴訟の進め方について相談を受ける機会も増えてきました。裁判所も、徐々にではありますが、変わってきているようです。

 私が、弁護士になって最初に引き受けた事件も、ようやく、高裁そして最高裁での争いを睨んだ展開に、次々と突入していく予定です。もちろん、すべての事件は、依頼者のもので、地上戦だけで勝ててしまえばそれで終わりになることは当然ですし(2012年11月27日付「ノック・イン仕組債で勝訴判決」)、(円安・株高で)損失がなくなればそれ以上争う必要もなくなります(本年4月9日付前記事)。また、被告の和解案に依頼者が満足であれば、これ以上、訴訟を長引かせることもできません。でも、私の依頼者の中には「本当に大手銀行や大手証券のやり方が正しかったのか、決着をつけるべく、最後まで闘ってほしい。」と希望される方も少なくありません。
 その間に、平成25年3月7日のような最高裁の判断も出ています(私見では、この判例は、デリバティブ取引の中には、「プレーン(単純)」なものとと、「エキゾチック(複雑)」なものがあり、この違いに応じた(平成17年判決における「具体的な商品特性」)審理が必要との判断であったと考えています。)。
 最終的なゴールは、まだまだ先で、いまだ道半ばといったところですが、これからも頑張っていきたいと思っています。 

司法を動かすために

 大手銀行や大手証券会社を相手に裁判をして強く感じるのは、「よっぽどのことがないと、大手金融機関が悪いことをすることはない・・・」そんな前提を、最初からもっている裁判官が少なくないことです。
 それを突き崩すのが私の仕事なのですが、そのハードルは結構高いものがあります。
 しかし、それは、大手金融機関相手の金融訴訟に限りません。
 最近の「一票の格差」や「グレー金利」もすべて、同じような司法の壁がありました。でも、多くの先輩弁護士が、何十年もかけて、粘り強くその壁を乗り越える努力をしてきたのです。

 そんなハードルを乗り越えるためには、あらゆる方法で努力する必要があります。
 たった一人の弁護士の能力なんて、たかが知れています。ですから、今年の2月27日付「裁判官」の記事でご紹介したように、為替デリバティブ問題に取り組んでいる多くの先輩弁護士とML等を利用して、情報交換していますが、大変に勉強になります。(このMLの参加者も100名を超えてきたとのことです。)
 銀行や証券会社を担当する行政(金融庁)とも話しあう必要があります。行政の担当者に真剣になってもらうには、国会議員の後押しも重要です。
 場合によっては、少しでも世の中に声になってもらえればと、新聞等のマスコミにも取り上げてもらえるよう努力をする必要もあります。(昨日の読売新聞朝刊の記事も、このような努力の一つです。多くの新聞記者が「記事にしましょう」と協力的な一方で、愛読している日本経済新聞が関心を示さないのは、やはり銀行や証券会社に気兼ねしているのかなと邪推しています (´∀`) )

 でも、これらの努力は、抽象的な社会正義の実現を目的とするものではありません。
 もともと司法とは、あくまでも「具体的な争訟について」解決するものであって、特に弁護士は、抽象的な人権や正義を実現することが目的ではなくて、依頼者の具体的な困難をなんとか解決すべきことが仕事ですから。だから、上で述べたような手段は、すべて特定の依頼者のために、具体的な問題解決のための手段に過ぎないのです。
 もっとも、正義はこちらにある(相手方金融機関の弁護士も、同様に思っているのでしょうが・・・そんな弁護士にとっては、私は「濫訴」の悪徳弁護士になるのかな? (; ̄Д ̄) )と思って訴訟等を頑張っている以上、社会正義の実現は、私にとっても、また、依頼者にとっても大きなモチベーションであることには間違いありません(訴訟を迷っている依頼者に対して、私はよく「訴訟は時間的にも経済的にも大変ですが、ここで声を上げることは、他の銀行や証券会社の被害者のためにもなりますよ」と励まします。これは、自分自身への励ましでもあります。) 

 幸いなことに、私が弁護士になりたてのころ(たった2年ちょっと前のことですが)に比べて、デリバティブや仕組債の裁判を担当していただく裁判官の反応も、大きく変化してきました。
 かつてなら「ふーん、どこ問題なの?」「そんなことは重要とは考えません・・・」等々、冷淡な反応も茶飯事だった裁判官も、最近では、「なるほどねえ・・・」「どうしてこういうことが起こるのでしょうね?社会的にどうなんでしょうか?」「先生はこのような訴訟を何件もやっているのですか?」等々との反応に変わりつつあります。
 きっと、裁判官の間でも、デリバティブや仕組債の裁判がよく話題になっているのだと思います(司法研修所で教官であった裁判官から「裁判所研修でも、このような金融問題が取り上げられていましたよ。」とお聞きしたこともありました。)

 世の中、特に、司法の世界は、そんなに一気には変化しません。でも、確実に、良い方向に動いていくと信じていますし、そう信じて頑張るしかありません。今日も、頑張ろう!.。゚+.(・∀・)゚+.゚

 それから、昨年11月27日付記事「ノック・イン仕組債で勝訴判決」の判決が、本日付け判例時報No2175(判例時報社)に紹介されました。少しずつでも、良い方向に向かう一助になればと思っています。

裁判官

 顧客からの依頼を受けて訴訟を提起することになり、裁判所に訴状を提出したときに一番気がかりなのは、やはり担当する裁判官がどのような方かです。もっと言えば、原告側訴訟代理人としての私と担当部の裁判官との「相性」と言っても良いかもしれません。特に、私の事件のほとんどを占める大手金融機関との紛争においては、多くの裁判官の中でも、このような紛争に対する考え方の違いがとても大きいと感じるからです。同じ事件で同じような主張や証拠を出しても、裁判官によってその結論がまったく正反対となりうることを体験してきました。

 このような裁判官に対する見方は、どうも私だけではないようで、デリバティブや仕組債などの事件を多く扱う弁護士も同様に感じているようです。最近は、このような金融関係の事件を扱う東京の弁護士が集まって、定期的に情報交換をするようになり、私も仲間に入れていただいているのですが、そこで交換する「重要情報」の1つに、東京地裁の裁判官情報があります。どの部の何々判官は〇とか◎、でも何部の何々裁判官は△やΧとか・・・ 訴訟の方法や行方を占うえで無視できない情報なので、結構というか、非常に重要な情報になっています。そのような会の大先輩の中に、「サラ金過払い金弁護団で、このような、東京だけでなく、全国各地の裁判官対策というか、裁判の星取り表みたいものを作ったり、他の諸先生が作ったりしたのを、ずっと見てきた」方がいらっしゃって、「このときに、弁護団では、同種事件で、また、統一準備書面、統一書証を作って、全国各地に頒布しておりましたので、それで裁判官の結果が、異なることが多いという意味で、『裁判官のリトマス試験紙』と言っていました。」とのことでした。正に、現在の為替リバティブ訴訟団にもそのまま当てはまりそうな感じです。

 もちろん、裁判官の多くは、本当に頭脳明晰でまっとうな考え方で、真剣に事件に取り組んで頂いていると信じております。最近も、担当していただいている裁判官の方から電話をいただき、期日外ですが、貴重な訴訟指揮をいただきました。そして最後に「突然の異動で、3月〇日には、もう担当できない」と。私も「本当にいろいろ一生懸命にやっていただきありがとうございました。」と感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 そして、訴訟に大きな期待をかけている依頼者の方々にとっては、「裁判官が悪い」では済みませんし、弁護士としての言い訳にもなりません。不幸にも相性の悪い裁判所にあった場合でも、なんとかそれを突き崩し、そして、最悪の場合でも控訴審等で頑張れるよう、常に最善を尽くすことを心がけています。
 


 

ノック・イン仕組債で勝訴判決

 本日、東京地方裁判所で、いわゆるノック・イン(日経平均株価と為替レートの両方に連動)の仕組みのついた仕組債について、勝訴判決を頂くことができました。償還損だけでなく弁護士費用を含めた損失の6割、及び、購入時から現在に至るまで年5%の遅延損害金の支払命令でした。
 このような裁判の場合、たとえ勝ったとしても7割、8割の過失相殺が認められてしまうことも珍しくないなか、私にとっては完全勝訴に近いものとなりました。

 問題となった仕組債は、2007年にみずほインベスターズ証券が「Wモニター」の愛称で一般個人投資家向けに販売した公募社債です。説明資料が簡単ですむ私募債ではなく、きちんとした目論見書も発行される公募債で、販売証券会社の説明義務違反が正面から認められ、このような勝訴判決が出たことは、とても画期的で、原告側の真剣な訴えに真剣に耳を傾け認めて頂いた裁判所に、改めて敬意を表したいと思います。

 この判決については、明日の朝日新聞の朝刊にも取り上げて頂く予定になっています。

 追記:なおこの判決は、判例時報平成25年4月1日号No2175 に紹介されています。

 

7月7日付朝日新聞朝刊

 明日は七夕、その日の朝日新聞朝刊に私の記事が掲載される予定です。
 ただし、載っている写真よりも、実物の方が若々しいですよ(苦笑 (^∀^;)

最大の山場 証人尋問

 私が、長い裁判の過程で、一番燃えるのが、証人尋問です。
 特に、金融商品の裁判では、ここが最大の山場になるケースも多いのです。
 また、私にとっても、私の金融関係の知識と経験が、そのまま役立つ場面だからです。

 私「では、お尋ねしますが、証人は証券会社の外務員の資格も有していますから、当然、デュレーションという概念をご存知ですね?」
 証人「は、はい・・・」(そうくるか!?)
 私「では、裁判官に分かるように説明していただけますか?」
 証人「えーと、あの、・・・」(不安そうに)
 私「それは、ちょっと違うんじゃないですか?」
 証人「あっ、そうですね・・・」(しどろもどろ)
 ・・・

 証人に来ていただいた金融機関の担当者の方々には、とても気の毒ですが、これも仕事なのでお許しください。
 心配しなくとも、「証人が、弁護士にイジメられて可哀想」と裁判官の同情がいくほどは、追求しませんから。( ´∀`)
 

デリバティブは難しい

 「先生は良くご存じですねぇ~」
 あっせん委員会などで、あっせん委員の先生や、場合によっては相手方の弁護士の先生からも、言われることがあります。
 デリバティブや仕組み債の内容等を分かり易く説明してあげた時などです。
 「当たり前ですよ。こちとら、デリバティブや仕組み債が始まった当初(約30年近く前)から、このような取引に従事してきたんですから・・・」と心の中で思いながらも、
 そんなことは、おくびにも出さず、
 「はぁ、ご依頼人のために、必死で勉強しましたから・・・」

 別に自慢のためにこのようなことを書いているのではなく、言いたいことは、デリバティブや仕組み債の中には、とんでもなく複雑怪奇で、とても買っている素人の顧客に投資判断できるものではないのは勿論、売っている金融のプロですらよく理解していないケースも多いのではないかということです。
 これは、デリバティブや仕組み債の裁判の中での、答弁書や準備書面に表れる相手方の主張を見ても、痛感します。
 たぶん、相手方代理人の弁護士も、デリバティブや仕組み債の内容は、よく理解できていないと思います。
 もちろん、これは私にとっては有利に働く材料なのですが、同様な状況は裁判官にも起こり得ますので、「どうやって裁判官の方々にちゃんと理解していただくか」が、私の腕の見せ所になるのです。


銀行の方が証券より悪質

 このブログのメインテーマの一つに、証券会社の販売した仕組み債と銀行の販売したデリバティブがあります。
 お陰様で、このブログを通してを含めて、全国からたくさんのご相談を頂いき、そのうちの多くの事件で、相手方との交渉、ADR申し立て、そして訴訟提起を始めています。
 
 この中で強く感じるのは、とんでもない仕組み債を、「ほとんど騙す」ような形で「投資家」に「販売した」証券会社も悪質なのですが、それ以上に、とんでもないデリバティブを「とんでもない方法」で「顧客」に「押しつけた」銀行の方が、もっと悪質ではないかということです。

 というのも、証券会社の紛争は、銀行の紛争に比べれば、その内容は単純です。
 ほとんどの場合、証券会社は、いい投資を求める「投資家」に、リスクの高い仕組み債を、あたかもリスクが顕在化する危険性は極めて小さく、またリスクが発生してもその影響は限定的であるかのように「ほんとんど騙」して販売しているのです。
 もともと、投資家は投資対象を探していたこと、また、当該仕組み債は客観的にリスクの高いものであったこと等は、その程度は争われることもありますが、やはり、一番の争点は、証券会社がちゃんとそのリスクを説明していたのか、投資家はそれを理解して購入したのかにあります。
 (もちろん、不招請勧誘にあたらないとも言えませんし、その他の適合性原則や助言義務など多種複雑な違法も関係してくるは当然です。)
 このような証券会社も悪質には違いないのですが、銀行と比べれば、陽性な?悪質さです。

 一方、それに比べて、銀行は、陰性な?悪質さに見えてきます。
 デリバティブのデの字も知らなかった会社に、昔から付き合いのある銀行の若い銀行員が、ある日突然、「御社は、為替リスクを負っています。この商品は、そのリスクをヘッジするものです。」と言って、何やら複雑な商品の説明をし始めるのです。
 よく分からないからと断っても、銀行とのお付き合い上、毎月、顔を合わせないわけにもいかず、その度に、しつこく話を持ち出し、怪しげなチャートを見せながら(これは証券会社も同じですね)、円安にいったらどうの、円高になってもこうの、と勧誘し続けます。
 根負けした担当者が、社長や会長しか決められないというと、さっそく、支社長や支店長が押しかけてきて、何も分からない社長さんや会長さんに「天下の○○銀行が、そこまで安全だというのであれば・・・」「長いお付き合いがあるのだから・・・」と強引に納得させてしまうのです。

 その結果、その会社は、そのデリバティブのお陰で、倒産の瀬戸際まで追い込まれてしまうのです。
 会社を倒産の瀬戸際まで追い込むような商品が、「ヘッジ」のための商品なのでしょうか?
 「ヘッジ」になると説明しておいて、顧客も「リスクを納得していた」と銀行は反論できるのでしょうか?
 「古くからお世話になってきた信用のある銀行さんの言うことだから」と、それだけで銀行の要求するデリバティブ商品の購入を決めた中小企業の社長さん会長さんに、銀行は恥ずかしくないのでしょうか?

 実は、私自身、正にこのようなデリバティブ商品を開発・販売してきた銀行員だった(1980年代~1990年代にかけてでした)わけですが、その当時の顧客は、上場企業等の大企業だけでした。
 いつのころから、このような日本全国の中小企業にまで、危険なデリバティブ販売が蔓延してしまったのでしょうか?
 その汚染力に、驚くばかりです。

 本当に、知れば知るほど、このような銀行のやり方に仰天・憤慨する今日この頃です。

為替デリバティブ被害の悲鳴

 大手銀行による不合理なデリバティブ商品の販売先は、個人ではなく、また大企業でもありません。
 デリバティブ商品は、オフバランスの相互支払決済であることから、銀行にとって与信が生じるため、その販売先は個人ではなく、法人が主になります。しかし、大企業は、このような商品は、リスクが大きいだけで損をする危険性の方が高い(ハイリスク・ローリターン)ことを熟知しているため、銀行が売りに来ても相手にしません。 結局、このような不合理なデリバティブ商品を銀行から買わされるのは、もっぱら中小企業になるのです。

 その結果、日本経済新聞(平成23年1月24日)でも伝えているように、今回の円高によって全国で、何万社もの中小企業が、このデリバティブ被害に合うことになってしまったのです。
 銀行の収益追求のため、理不尽な取引により泣かされるのは、いつもこのような弱い立場の中小企業なのです。

 私の元にも、たくさんの会社から、それも全国各地から、ご相談が来ています。
 その相手先は、いつも大手メガバンクと呼ばれる立派な銀行です。

 コンプライアンスもしっかりしているように見える大銀行が、中小企業の経営者の方々が望みもしないのに、勝手に「為替ヘッジになりますよ」と金融庁も禁じている執拗な不招請勧誘を繰り返して、場合によっては、優越的地位の濫用かとも思わせるような強引な取引の締結を迫っているのです。

 問題のデリバティブ商品の内容も、単なる一本レートによる長期為替予約だけならまだしも(それだけでも問題はあるのですが)、不必要に仕組みを複雑化するようなノックアウト・オプションやデジタル・オプション等々を、リスクをどんどん拡大する方向で(オプションの売りポジションをレバレッジを掛けて)、特約として組み込んでいくのです。
 これでは、ただでさえ中小企業の経営者や財務の方の理解が困難なデリバティブ商品なのに、ますます理解が困難かつ万一の場合のリスク管理が不可能な商品になってしまいます。
 その時点では、もはや初めの勧誘理由たる「ヘッジ目的」からは、大きく離れてしまった、何の合理性もない商品設計になってしまっているのです。それどころか、もはやヘッジとは逆の、中小企業にとっては、もはや理解もリスク管理も不能な、そして倒産にも至りかねない巨大なリスクを負わされてしまっているのです。

 このような不合理なデリバティブ商品を販売した銀行に、クレームを申し立てると、銀行は「説明義務は果たした。顧客もリスクは理解している。」と反論します。
 しかし、こんなリスクの高くかつ長期の契約をした後に、リーマンショク等の大きな市場の変動があっても、ほとんどの銀行は、顧客がリスクの管理に必要な情報の提供も、損害の拡大を防止する有効な助言も行っていません。
 もし、銀行も顧客も、契約したデリバティブ商品のリスクの大きさを理解していたら、中小企業が倒産に追い込まれるまで、漫然と放置しているはずがありません。
 少なくとも、銀行は、もう何年も前から、顧客に販売したデリバティブ商品が大きな含み損を抱え出していたのを知っていたはずです。
  それを、倒産寸前に至るまで、必要な情報を開示せず、有効な助言も与えなかった銀行の責任は大きいと言わざるを得ません。

 証券会社が販売した仕組み債については、多くの判決が出るようになってきました。
 しかし、銀行が販売したデリバティブ商品については、未だ、判決のニュースを聞きません。
 私としては、一日でも早く、全国の中小企業の皆さんが泣き寝入りしないで済むような裁判所の判決を一つでも二つでも取りたいものだと、頑張っていく決意です。

デリバティブ訴訟

 大手金融機関から購入したデリバティブ関連商品や仕組み債の訴訟においては、販売した大手金融機関が、「その取引において、いったい、どれくらいの収益を上げたか」も、大きなポイントの一つになると思います。
 というのも、もともと大手金融機関が、このようなリスクの大きな商品を、なり振りかまわず販売した理由も、その収益性にあるからです。

 もし、このような裁判で、「その取引において、いったい、どれくらいの収益を上げたか」に関する事実が提出されれば、裁判官が、販売した大手金融機関が説明義務違反等の違法な販売をした動機を推認させる重要な間接事実とすることもできますし、そこまでいかなくとも、裁判官に「大手金融機関は、こんな顧客を相手に、こんなに儲けていたのか・・・」との印象を強く与えることができるからです。

 しかし、それだからこそ、大手金融機関が「その取引において、いったい、どれくらいの収益を上げたか」を立証することは、容易なことではありません。
 上で述べたように、そんなことを裁判所に知られたら、訴えられた大手金融機関が不利になることは目に見えています。従って、大手金融機関が、自発的に、収益に関する資料を開示することを期待することは、100%できません。
 そこで、民事訴訟法220条の裁判所による文書提出命令が考えられます。
 大阪高裁は、平成21年5月15日の決定で、三井住友銀行の顧客に対するスワップ取引に関する(1)顧客カード(顧客の知識・経験・収入・資産等々の顧客属性が記されたもの)と(2)稟議書(顧客カードを添付資料として、取引の審査をしたもの)の、文書提出義務について判断を示し、顧客カードについては、自己使用目的であるものの「所持者である相手方に看過し難い不利益はない」として文書提出義務を肯定しました。顧客の自己情報ですから、文書提出義務があるのは当然ですが、もしも、ここに、金融機関の担当者が取引したさに、いい加減な内容を記載させていたら、訴訟に大きな影響を与える証拠になり得ます。
 もっとも、「この取引は、○千万円もの収益が期待できるので・・・」との内容は、稟議書に記載されていますので、これだけでは、この稟議書の提出命令を得られない限り、大手金融機関が「その取引において、いったい、どれくらいの収益を上げたか」の証拠を得ることはできないことになってしまいます。

 そこで、取引の正確な条件と、取引した正確な日時(取引した正確な時間まで必要です)を確定して、その時点での市場から、当該取引のプライシング(価格付け)に関する鑑定が必要になります。
 このようなプライシング(価格付け)は、当時の各種の市場価格から客観的に算出することが、可能なのです。そして、このプライシングと実際の取引条件とを、比較することにより、一体、販売した大手金融機関がどれほど儲けたのかを、証明することができます。その結果は、多くの場合、通常の預金や貸金業務に比べて格段に大きな収益であって、裁判官を驚かせるに足りる金額になると思います。
 そして、その鑑定結果に反論があるのであれば、大手金融機関が自ら稟議書を提出すればいいだけの話ですから、大手金融機関も反論しずらい状況に追い込まれることになります。

財テク損失の後始末

 先月12月3日付け最高裁判所第二小法廷で、株式会社ヤクルトの財テク問題について、同社の元副社長にのみ67億円の損害賠償を認めた判決を確定する判断がなされたようです。

 ヤクルトの財テク?それはなんだ?といぶかる方も多いと思います。
 実は、10年以上も前、私が外資系でデリィバテブの販売をしていたころ、「ヤクルトは派手に財テクやっているらしい」との評判が、外資系金融機関では駆け巡っていました。話をよく聞いてみると、元金沢かどこかの国税出身役員が、ガンガン財テクをやっているというのです。まあ当時は、ヤクルトに限らず、全国あちらこちらで、財テクをやっていた会社も多くあったので、あくまでもそんな中の一つに過ぎなかったわけですが。
 そんな評判が立つと、外資系金融機関のセールスが、わっと集まるわけです。 私の記憶では、日経平均のプットを大胆に売ったポジション(株価が下がると大損をするポジションです)を相当積み上げてしまったようです。その結果、大きな損失を出し、後で分かったことですが、その損失を埋めるため、クレスベール証券という詐欺まがいの証券会社の「プリンストン債」という詐欺まがいの商品に手を出して、結局、1000億円を超える損失を出してしまったわけです。
(このクレスベール証券には、ヤクルトだけでなく日本の多くの企業がひっかかりました。70社1200億円とも言われています。各社は、高額のリーガル費用を払って資産の保全に走ったのですが、本来分別管理すべきリパブリック証券の責任を追及することにより、多少なりとも取り戻しに成功した会社もあったようです。)

 この後始末が、大変でした。その副社長は、クレスベール証券からのリベートについての所得税法違反容疑で摘発されたのですが、その後、東京地検特捜部の捜査する刑事事件(旧商法の特別背任罪)として、長い裁判を経て、最終的に懲役7年の実刑と罰金6000万円で確定しました。この判決は、副社長が、クレスベール証券(の代表)から個人的な何億円ものリベートを受け取っていたことを考えれば仕方のない判決でした。
 今回の判決は、平成10年になってヤクルトの株主から提起された、その副社長以外の当時の取締役全員の責任を追及した株主代表訴訟に対するものです。結局、「デリィバテブ取引も会社の目的の範囲内にとどまる」とされ、「一応の管理体制はとられていた」ため、この元副社長だけが、67億円の賠償責任を負うことで確定したわけです。事件が発覚してから10年以上の時間をかけて、やっと、刑事・民事の裁判が一通り終わったことになります。
 私にとっても、とても感慨深い事件でした。

 最近の例では、平成20年に、丸紅を舞台として、すでに破たんしたリーマンブラザーズがひっかかった大型詐欺事件(約350億円)も有名で、現在も多くの大手渉外弁護士事務所がかかわって、後始末の商売に専念しているようです。
 このような裁判では、弁論準備手続きであっても、大きな法廷に弁護士が何十人も集まって(丸紅側は、西村あさひ法律事務所)、刑事事件の進行ともからんで、大変な騒ぎです。

突破力

 私の数少ない大切な顧問先の社長から相談がありました。
 その会社は、私が長年親しんできた金融とはまったく違う業界だったので、各業界の常識とか慣行には気を付けなければなりません。しかし、民間同士の法律行為なのだから、基本は同じはず。そこで、正直に、「業界慣行をちゃんと確認しなければなりませんが」と留保を付けつつも、「筋はこちらにあるはずですから」、「適切な手順を踏めば、正面からケンカしても勝てるはず」とアドバイスしました。

 この社長は、弁護士になってわずか一ヶ月の私を顧問にしてしまうぐらいだから、決断は素早くかつ的確(のはず?)です。
 最初は、「鈴木さん、この業界は昔からこうなんだよ・・・」と言っていたのですが、さすが、経営のトップです。「よし、徹底的にやろう!」
 私を弁護人(刑事)や代理人(民事)にする依頼人は、いつも、このように、私に「腰を据えて」「私と一緒に」「徹底的に戦う」のか、迫られることになります。ごめんなさい。でも、依頼人がそのくらいの覚悟じゃないと、私としても一生懸命な気持ちになれないのです。

 私にとって一番心配は、業界事情・業界常識・業界慣行等々です。でも、もともとこの社長は業界歴うん十年。社長さんは、自ら、仲のいい業界関係者と連絡を取りながら、一つ一つ問題点に対する業界の考え方・昔の事例・それを破った場合の反応の予想などの情報を集めて確認してくれました。
 もちろん私も、受験時代の基本書を引っ張り出し、過去の裁判例を多数検索し、そして、ローカルルールとなりうる個別の規程集を読み込んで、基本的な理論武装とこれからのケンカのステップを策定しました。
 「勝てそうかな・・・」

 まずは、社長から相手への最後の交渉です。相手方も強気で、当然決裂です。
 それを待って、当事者への内容証明郵便の送達です。
 その内容証明郵便を受けた相手方は、驚いたのか、過剰ともいえる反応でした。この段階での攻防の経緯も、後々裁判においてこちらに有利な重要な主張や証拠になってくれればと当初から期待していましたので、期待以上の反応です。

 その間、社長も積極的に、同業他社に働きかけて、いわば相手方の外堀を埋める作業を進めていただけました。
 そろそろ、本訴(訴状)の準備にかかろうか・・・
 そう心楽しみに思っていた瞬間、事件は突然終わってしまいました。
 今まで全面対決の姿勢を崩さなかった相手方が、突然、全面的な譲歩をしてきてしまったのです。どうやら、相手方の上部組織の弁護士が動いたらしいのです(この情報も、社長が仲間から取得してきました)。
 私としては、ちょっと残念な気持ちもありましたが、会社にとっては、良かったと思います。
 社長からも「これで、この業界の常識も少しはまともになるかもしれない。」
過分なお誉の言葉に、ちょっとは顧問としての仕事ができたかなと、ホッとした私でした。
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

pruaclaweishis

ひたすら明るく、ひたすら前向きに、がモットーの元金融マン弁護士です。

人気ブログランキングへ
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ