kumasoの目

思いつきで♪何でん・かんでん♪

2006年10月

歌は世につれ

d63633b4.jpg

駅前のカラオケボックスへ初めていった。知り合い数人と中高校生の女の子というメンバーであったが、まったく、いやほぼ完全にといっていいほど、唄う歌のジャンルが違っていた。テンポもえらく速いし、一小節の中の「言葉・歌詞」の量が違うのだ。この洪水のように歌詞の詰まったものが、何曲も続くと何か違う別世界へきたような気がした。あのシャカ、シャカした音にはどうも・・違和感ばかりが。しまいには何か唄う気もおきず・・・(T_T)しかし時代の差というか、えらくせちがらい世になってしまったなーという感慨のみが後味として残った。心をゆさぶる人を感動させてくれる唄、聴くほどにジワリと味のでてくるような・・価値観の差なんだろうが、この子供たちに一流といわれるオーケストラの生演奏やベートーベン第九などを聞かせてあげたくなった。今の若い人たちの中には、そのような機会もなく、一流といわれる生の演奏を聴くという環境もないのかもしれない。心静かに情操を磨く・・にゃ、やはり本物の音を聴くことが一番"^_^"

運のつよさ

a0632a95.jpgふとしたきっかけで、きのう高校の時の先生の家に遊びに行った。○十年ぶりであったが、なぜか話が弾んで5時間も話込んでしまった。すでに退職され好好爺になられていたが、親父とほぼ同年代というのがわかって、あの戦争時代の話になっていた。先生は海軍の航空部隊の整備班員として、シンガポール方面に・・話の中身は4時間以上にも及ぶので省略・・。敗戦後半年くらいで引き上げ船にて復員され中学の先生を経て私の母校へ。実家が「一井」という姓らしく、地元の相良藩の重鎮で、明治十七年頃に日本で初めてアメリカ留学された「歯科医」の草分け的なご先祖をもたれる。しかしあの戦争をしぶとく生き抜かれ、数えるほどしか帰還できなかった同期の桜に思いを寄せる時、つくづく「運のつよさ」ということを、何べんもおっしゃっていた。そうした戦争の体験者である「生き証人」がだんだん少なくなっている。

歴史教育と大学受験

894fca96.jpg

昨日からニュースで流れたショッキングな出来事である。高校の歴史教育の単位がとれずに卒業できないのだそうだ。確かに親も子も、よりよい大学へ大学へと草木もなびく時代ではある。幼稚園から「お受験」が当たり前で試験にパスするための教育が当たり前となっている昨今では、お受験に必要のない・??歴史教育は屁のツッパリにもならぬというわけなのだろう。でも、よーく考えてみると、なにかがおかしい。今や都会では、お受験の必要な有名私立学校への入学希望者が増え、公立の学校はできの悪い子や、生活苦にあえぐ子供たちがいくところ・・・といった現代の日本社会の有り様そのままが反映されているような気がする。つまり教育の場さえも勝ち組、負け組みという二極化がすすんでいるということだ。一体教育とは何かを考えさせられる事件である。いずこの国でも「歴史教育」をおろそかにしている国はないのでは・・・?前にも書いたけれど・・・やはり教科書編纂方法を180度転換し、現代歴史からスタートし古代へと遡るようなものに、今すぐかえるべきかと・・。なんせ神武天皇あたりまでは2600年以上もあるのだから・・たいへんだ。

 

 

球磨の「土つき唄」

79131ac4.jpg

昭和30年代くらいまで、家や建物の基礎の部分の地固めは人力で行われていた。太い木の三脚を組み、滑車を使って中央には「重し」・・?をぶらさげ、滑車から伸びる元ロープには十数本の子ロープがつながられており、それを人が引っ張るのである。ロープの引き手の呼吸が合わないと「重し」は垂直に上がらない。当然「重し」には親方などが先導役として、「重し」の動きをコントロールするのだ。さて最初の引き出し・・つまり音楽で言えば・イントロのところが、ひじょーに難しい。親方の腕のみせどころである。この唄いだしのところと、唄の中身は、その地域やその日の引き手・親方の性格などで微妙に違っていたらしい。なぜ私が「土つき唄」を知っているかといえば、実は親父がやっていたのである。私が実際に現場を見たのは小学校低学年の頃だったように思う。学校帰りの道草で町中の現場まで見物に行ったものだ。当時は一大イベントのようなものだったのである。♪よーいよーい、よいやぁにゃ♪アリャ♪ニャッコラ、ニャット・セー♪♪親方の独唱につづいて、引き手と一緒に♪よーいよーい・・・とてずなを引き出すのだ。この「重し」には金具が打ってあり、上下動するたびに♪シャン・シャン♪と鳴る仕掛けが。高度経済成長と共に、この「土つき」のイベントは姿を消し、機械化されてしまったが「唄」そのものは細々と歌い継がれている。かなり時代を感じる内容ではあるが古き、よき日本の田舎の風情を感じさせてくれるものだ。この重労働をまぎらしてくれるもの、それが「土つき唄」の真髄であり、即興で引き手と親方たちがリレー式に唄うようになっているところも面白い。

<YOU TUBE > 球磨の土つき唄球磨の土つき唄
 https://www.youtube.com/watch?v=rX1ROjtLcVk

メタボリック症候群

48d05c8c.jpgなんだか、横文字の病気や症状が多くなってきた。昨晩のテレビの番組でやっていたのだが、早い話が太りすぎで内臓脂肪過多ということらしい。確かに私の周りの中年の女性群の中には・・オット失礼。なんでも一日400Kcalがオーバーしているらしいのだ。一日の代謝量が年々少なくなり、摂取カロリーが増えているのは確かだろう。数十年前の時代、日本人の死亡原因の第一位が結核だったなどとは、お釈迦様でも・・・・。それが高カロリー高タンパクの洋風仕立てになって、追い討ちをかけるように車社会が人を歩かせなくなった。動くものと書いて「動物」と呼ぶ。人も動物のはしくれなのだが、昨今は余り動かない。当然の結果「脂身」の多い人間様が出来上がる。たまーに「脂身」の多そうな日本人を見ても、アメリカ人と比べればまだまだアメリカの勝ちだ。あちらのはケタ違いの「脂身」を身に着けていらっしゃる。今夜のニュース番組でクリント・イーストウッドさんが出ていらした。最後に「何が貴方のエネルギーの元なんですか・・?」と聞いたら「スシ・味噌汁」と答えたのがとても印象的だった。やはり日本人には米麦に味噌汁に納豆に梅干にのりに鰯あたりが一番なのかな・・?? 食の嗜好の変化は寿命の変化に\(^o^)/

いじめ

1ffe5d7a.jpgこのところ、またいじめ問題がニュースで流れている。おとといは先生が子供をいじめ、子供さんが自殺している。今日は50才の先生が校長からいじめられ、自殺されていた。○十年前にも「いじめ」はあったように思う。私も経験があるのだ。円形脱毛症、いわゆる10¥ハゲをもつ、ワンパクガキ大将の「アベしゃん」のその坊主頭の局部に、手鏡で太陽光を当てたことがある。それも数人で集中的に・・・今思えばなんであんなことを・・と、思うのだが、普段が皆やられっぱなしだったので、事前に勇気ある有志で作戦を立てて実行した。この作戦は見事に成功した。以後アベしゃんも普通の男の子になった。あれが逆のシチュエーションでしかも執拗ないやがらせだったら・・・今風のいじめになっただろう。問題は子供、大人社会関係なく、弱者を的にして・・・というのが陰湿で悲惨な結果となる。強者に加わって弱者をいじめる・・これには勇気もクソもいらない。問題は社会全体に弱者に対する思いやりや、それを正そうという正義感や勇気が失われつつあるのかな・・・?モラル・ハザードが激しく、深く進行中という・・・キナ臭さと合体したら、どんなことになるのだろう。

女心と秋のそら・?

18a0ec06.jpg

女心と秋のそら・・・このところの天気をみていると、どうもこの諺・・?ふさわしくなさそうだ。連日昼間は30度の気温だし、台風も異常に少ないし、まとまった秋雨も降りそうにもない。空は確かに秋の空なんだが・・・この地球がフォトン・ベルトに突入したというのは、ほんとうなのかも。同時に最近の女心はころころ変わらなくなってきたのかもしれんなー。でも近年にない晴天がつづいて、朝の深呼吸は気持ちが良い(^<^)

音色の進歩・・?

484b8fae.jpg一年があっというまに過ぎて、今年も「音楽の夕べ」がやってきた。地元の中学校のクラブ活動の発表会みたいなものなのだが、昨年は赴任一年目ということで指揮者も音も多少硬さが。しかし今年は素晴らしかった。夏のコンクールでは九州大会で金賞を・・・なるほど個々の能力は、あがっていたし、各セクションの音も・・なによりその音色に進化がみられた。知り合いの娘さんが部長をしており、よくリーダーとして、まとめ引っ張ったんだなぁ・・・と。わずか一年という時間の経過を考えてみると、それにしても、私の進歩はほとんどみられなかったなぁ・・・むしろ後退したか?この子供たちの音色の進歩に感動し、そして何かを教えてもらったような気がした。アットいうまに2時間半は過ぎ、フィナーレでは思わず「ブラボー」を連発していた。

空が高くなって

6172a250.jpg

秋の好天気が続いている。田んぼの稲も刈り取りが進み、稲の株だけが残った田んぼをみていると、つい子供の頃の昔を思い出す。学校の校庭以外では唯一の遊び場だったな・・・ドロ合戦にチャンバラ、三角ベースボールや棒高飛び、そしてゴム動力のライトプレーンに弓矢にタケトンボ。しかも、ほとんどが素足のままでだ。今考えてると、よくもあんな遊びを考えたものだと思う。当時の男の子は「肥後の守」という小刀がトレンディな持ち物だった。文房具屋さんや駄菓子屋には必ず置いてあったし、ズボンのポッケに入れ学校にも持参したものだ。5年生の頃だったか「しいのみ鉄砲」が流行ったこともあったな。小竹をチョコット細工して授業中、後ろと前で「パン・パン」と壮絶な打ち合い。その結果は、教室の外に立たされ校長室で先生の竹のムチで「パン・パン」と頭を・・・みみず腫れができるほどたたかれたこともあったっけ。でも不思議なことに小刀での傷害・殺傷事件などは一度も起きなかったことだ。小さな町ではあったが一学年300人位はいたのにである。先生や親父から、たたかれたり、打たれたりする機会が多かったせいなのかも・・・。「かげん」を知るという勉強をいっぱいやったような・・\(^o^)/

秋祭り日和

a6098612.jpg朝から、平和な証拠の秋まつり日和というのに、とうとう北朝鮮が核実験を強行したらしい。将軍様の率いる先軍政治の破綻が近いという証なのか。大多数の国民は飢え、冬将軍もそろそろ・・というのにだ。近年わが国には輸入米がだぶつき、倉庫の保管料が年数百億円もかかっているのだそうだ。拉致被害者の奪還にはもってこいの、カードになりはしないか。先のミサイルの発射、そして今日の核実験と、拉致問題がどこかに吹っ飛んでしまいそうである。この際お金でも、米でもいいから欲しいものをあげる代わりに、拉致被害者全員の帰国を交渉したらどうか。このままでは拉致が開かない(埒があかない)ような気がしてならない。
Archives
  • ライブドアブログ