

大阪モデルコレクションにチェキとチーズをこよなく愛するBIG MODELのIZUMIちゃん。その下には舟木一夫の回顧記事。舟木一夫といえば40年ほど前、わたしが女性週刊誌の駆け出し記者をやっていたころ、自殺未遂で運び込まれた京都の病院に駆けつけたことがありました。そこにはすでに週刊明星でバリバリ活躍していたカメラマンのHさんがいて、いろいろ教えてもらいました。わたしのカメラは50ミリレンズのついたニコマートでフィルムはトライX。どんなときも全部それで撮っていて、ストロボなんて、存在は知っていても使ったことがない。あるときある芸能人の葬儀の祭壇前でHさんがナショナルのストロボを上に向けて撮影していました。これは教えてあげなければと言ったわけです。「光るとこ上に向いてますよ」。えらいおこられて、わたしはバウンス撮影というものを知ったというわけです。なんでも勉強です。内緒の話ですが、素直なわたしはのちにストロボを使うようになってからもしばらく屋外でもバウンス撮影していたほどです。だってHさん、外ではやるなと教えてくれなかったものですからね。
その右には明石家さんまと生瀬勝久の舞台「7人ぐらいの兵士」の記事。生瀬勝久が槍魔栗三助(やりまくりさんすけ:この名前のせいでNHKには出れなかったそうです)だった30年ほど前、探偵ナイトスクープの取材でタイガース優勝時道頓堀に投げ込まれたカーネルおじさんを捜索するため彼が潜ったことがありました。わたしはひたすらカーネルおじさんを抱えて彼が浮いてくるのを待ちましたが、底のヘドロと濁った水でまったく見えないため断念。見つからないのは呪いのせいかもと、一緒に西宮の広田神社にお参りしたこともありました。事程左様に新聞は、特に今回は、ノスタル爺の思い出スイッチを入魔栗三助したもんだから、興奮したりしてもう大変だったのであります。