写会人日記

2021年04月24日

デジタル西行 その四

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25年前、わたしは西行法師だった。
正確にはデジカメを持ったデジタル西行だった。「デジタル西行」は月刊イメージングジョイに掲載された。われながら読み返しても面白い。編集部内でもただの温泉好きのホームレスなのでは、と"正論"を吐く人はいたが、人気の連載となりその声は小さくなった。その「デジタル西行」4回目。


デジタル西行#4  TEXT西田行男
【入寂の地・南河内郡弘川寺〜露天風呂編】

露天風呂は混浴でなくちゃ.....
ムリヤリ作ってしまうのであった


 友人の死をきっかけに、泣く妻をさとし、4歳になる娘を蹴って出家した西行。妻に愛想をつかされ、娘に蹴られて出家、じゃなかった家出した現代の西行。事情は違えど、目指す境地も、これまた違うが、歌の技量はまったく違う。違いすぎや。

何事にとまる心のありければ
さらにしもまた世のいとはしき


 現世に心をとめる何があるというのだろうか。思い切れない自分であることよ。ただそんな気分だけはまったく同じ現代の西行なのである。

西行入寂の地、大阪府南河内郡の弘川寺。近鉄長野線富田林駅からパスで25分。夏の昼下がり。照りつける日ざしと砂路に焼きつけられた木の影。子どものころ、すべての人間が消えてしまったのではないかという不安感に襲われた記憶が甦える。そんな夏のイメージそのままの道をパスは登っていく。本堂の脇の山道を上がると途中に似雲法師が建立した西行堂。さらに行けば西行の墓。横に歌碑。

願はくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの望月のころ


 このあまりにも有名な歌は死の直前に詠まれたものではなく、50代半ばあたりのもの。いかに死すべきかという西行の哲学は、そのまま、まさに、きさらぎの望月のころ(釈迦が入滅した 2月15日)に実践された。西行入寂は 1190年2月16日、享年73歳。釈迦とまったく同じ日ではないところに西行らしさ、リアリティがある。西行墳左横には、

仏には桜の花をたてまつれ
わが後の世を人とぶらはば


 桜の枝を供えて合掌。散ったあとの無が桜花のいのち。咲かせるためのいのちなればこそ。
 西行堂の緑に腰かけてデジカメで撮った西行墳の画像を電送。

後の世の送る絵にしぞ山の庵
時こそかはれ人の恋しき
          DS

 こんなことやってるとは西行法師も想像できんかったやろなあ。人を想う気持ちは変わってないけれど、なのである。


 JR大阪駅から京都線で高槻駅下車。街中を抜け北へ40分ほど歩くと、上流に摂津耶馬渓と呼ばれる渓谷を擁する芥川に出あう。
 川沿いに山水館という旅館がある。いきなりではあるが、いい露天風呂があると聞いてやってきたデジタル西行なのである。西行法師の足跡はこのあたりにはないが、露天風呂が好きだったというのを小耳に(むりやり)はさんだテジタル西行なのであった。来てみれば有名な旅館のようで、おかみが花登筐のテレビドラマのモデルにもなったところらしい。

山みどり谷間の水に彩はえて
ながめもうましいで湯の宿


 という花登筐の歌も残っている。
 露天風呂といえば混浴というのが理想だがそうそうあるものではない。だがデジ西は混浴が好きなのだった。廊下で会った女子大生風の女子に声をかけた。
「そこの女人、怪しいものではござらん」
「ムッチャ怪しいです。さよなら」
と去りかけるのをとどめて、一首詠むことを条件に露天風呂デジタル写真の交渉。「友だちと相談してきます」
 しばらくして「後姿でよければ」との返事も、一首いらんから友だち5人飲みに連れてってくれればと条件変更が条件。何というスノッブな奴らじゃと思いながらも、 3階から入る女湯露天風呂へ。入り口で仲居さんに「殿方は1階ですよ」と止められ「あの、拙者、景色が、デジタルで、撮る、長湯しない。湯につからぬゆえ」。デジ西しどろもどろ。女人からのOKの合図で潜入。1枚だけ押さえて、部屋でパワーブックにて小生との混浴写真。電送。5人のうち 3人が男だとわかったのはその直後のことであった。その日の調査の結果、3階の女湯も、 1階の男湯もマン中で仕切られた同じ露天風呂に出るということが判明した。そして湯につかりながらの渓谷の眺めがすばらしいことも。
ーキリシタン大名・高山右近の居城の地を訪ねて湯につかりながら詠める。

分け入りて高山奥を尋ぬれば
またこの上ぞなき谷のゆけむり
DS



psharuky at 23:56 │