写会人日記

2021年08月10日

益川敏英先生追悼 「若者が科学に夢を持てる国に」

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 お年寄りが亡くなられたら図書館が一つ消えるのと同じだといいます。
益川先生だと図書館10軒くらいでしょうか。それくらいすごい先生。この先生のインタビューに立ち会い撮影できたことは幸運で名誉で喜びで、感動でした。聞き手はこれまた素晴らしい科学作家竹内薫さん。難しい話もサラッと入っていきはります。とにかく楽しいインタビューでした。
 その時のインタビュー「若者が科学に夢を持てる国に」が中央公論のサイトにアップされました。ぜひお読みくださいね。
 それから前にも書いたのですがこのインタビューの日は(わたしの)歴史に残る日となったのです。のちに3大トチリ事件の一つとよばれる(自分で呼んでるわけですが)大遅刻事件をやらかしたのです。ところが信じられないことになんと災い転じて福という結果を生んだのです。そういう意味でも忘れようのない日だったのです。その顛末もうしろに載せておきます。

素粒子物理学の発展に貢献し、2008年、南部陽一郎氏、小林誠氏とともにノーベル物理学賞に輝いた益川敏英氏がこの7月23日に亡くなりました。
受賞決定後の記者会見で「たいして嬉しくない」と述べるなど、ユニークな言動で人気を集め、研究活動のかたわら、講演やテレビ出演も精力的にこなした益川氏。科学作家の竹内薫氏による生前のインタビューを公開いたします。
(『中央公論』2010年8月号より)

〔2010年5月26日、京都産業大学にて〕

「若者が科学に夢を持てる国に」前編
01科学政策は「国家百年の計」
02英語0点でも名大に合格する方法
03考えない子供を量産する日本の教育
04物理をやっても割に合わない?

「若者が科学に夢を持てる国に」後編
01自由闊達な雰囲気の坂田研究室で学ぶ
02ノーベル賞のアイデアは湯船でひらめいた?
03散歩中のノイズがアイデアを飛躍させる
04焼夷弾不発で九死に一生を得る
05「戦争はなくなる」と予言する根拠
06インタビューを終えて

特別付録 ブログから
三大トチリ事件の一つ「益川先生インタビューに大遅刻も、災い転じて福となす結果になりましたの巻」

2010年05月28日
終わりよければ…
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いやぁ、「終わりよければすべてよし」と言いますが、今回は「さらによし」と換えてもいいほどの、いやそれでも足らない感じなので近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間によし」の「三方よし」を意味がわからなくなるのも構わず引っ張り出してきたいほどの奇跡の日となったのでした。この日、ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英先生を京産大で撮影の予定でした。インタビューは高名な科学ライターの竹内薫さん。取材時間は1時間。ところがなんとわたしは取材開始時刻にまだ大阪にいたのでした。それからのドタバタぶりは書きたくないのですが、結果はこの益川先生の笑顔でわかるように、約2時間よい雰囲気ででインタビューでき、「かえってよかった」という結果になったのです。こんなことがあるんやね。わたしか、竹内さんか編集者のNさんかの日頃の行いの良さのせい。あるいは全員の力が合わさったおかげ。いや、これは天才益川先生のパワーのなすところでしょう。ちなみに先生はこのドタバタをご存じないのです。意図せず周囲を収める力があるのでしょう。話を聞いていてそう思いました。先生は「(ノーベル賞受賞も)あまりうれしくない」「あれは35年前の研究」などと言ったり授賞式のスピーチを日本語で行ったり、頑固でへんこつなイメージですが、じつはまったく違ってひじょうにかわいい方(失礼)で、内容は書けませんが天才ならではのエピソードなど楽しく聞かせていただきました。アイデアは散歩の時に生まれるそうで適度に雑音があった方が集中できるといいます。よく車に轢かれそうになって、横断歩道をどう渡ったかもわからないときがあるそうです。気をつけてくださいよ、先生、ほんま、大事な体なのに。そういわれればわたしも歩いていてよく車に轢かれそうになるけれど、それは前を歩いているお姉さんのお尻に見とれていてのことで、なーんも生み出さない散歩です。ここに天才と凡人の大きな違いがあるのですね。ええねんそれで。というかイヤや言うても詮ないことでして。そうそう、先生やはり観察力が鋭く、わたしが小さなライトでライティングしていたら、「今はライトも簡単になったねぇ」「そうなんです。デジタルになって高感度になったので大きなライトはいらないんです」「むかしはマグネシウムをボーンと焚いてすごかった」「え、えぇー、そこからですか」一同大笑いのうちにお開きとなったのでした。メデタシメデタシ。

「終わりよければすべてよし」益川先生撮影でのトチリ顛末の補足の巻
2021年7月30日
「災い転じて福となす」
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 そう、あの日の益川先生の取材は京産大でたしか11時からの予定でした。ところが起きたのが10時半。ねぐらの大阪天神橋から京都は北に位置する京産大までは新幹線を使い電車の中で走っても1時間15分はかかる。先にインタビューをしてもらっても取材時間は1時間。撮影はできそうにない。ふだん丈夫な胃もキリキリ痛みだす。とにかく行かねば。雪を蹴立ててサックサク向かうは松阪町〜っていうのは俵星玄蕃。こんなときにいらんことが頭に浮かんでくる。もう、その時の気持ちたるや、忘れたくても思い出せないほど。連絡しないといけないけれど、少しでも近づいてからにしよう。しにくい電話はなんやかんや言い訳しながら後回し。電車の中で生きた心地が全くしなかった。むしろ死んでもいいかも、と思ったとき、携帯がなった。編集からだ。「霜越は死にました」そうい言おうと思ったけれど出た言葉が「すみません。電車(に乗るのが)遅れて。いまむかってます。もう着きます(まだまだ着かんのだが)ほんまにすみません」と、編集の言葉を聞きたくないので一気に喋る。すると編集、なんか明るいトーンで「#$%’”!<+*%」「え?」聞き返すわたしに理解不能の言葉が聞こえてきた「霜越さん。急がなくていいですよ」「???」「ゆっくり来てもらって大丈夫です。益川先生の都合で14時からになりました。わたしたちどうやって時間を潰そうかと思ってるところです」その時わたしははっきりと悟った。安堵で漏らしそうになりながら思った。神はいると。日頃の善行を神は見てくれていたのだ。ふつうはこれ、市中引き回しの上はりつけが当然の所業。こんなことってあります? しかも取材時間が2時間に増えた。災い転じで福。神様の思し召し以外に考えられない。奇跡と呼んでもいいかもしれない。しかしね、これがあかんのです。トチっても帳尻があってしまう。これがわたしの懲りない理由なのですね。そない奇跡はおきんやろ。思いますよね。でもね、こういうのがあと2回ほどあるのです。
以上、わたしの3大トチリのひとつでした。




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