写会人日記

2021年12月28日

読まずに死ねるか「田辺聖子十八歳の日の記録」

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 姪の田辺美奈さんから「叔母の十八歳のときの日記が出てきた」と連絡をもらってからずっと本になるのが楽しみだった。「田辺聖子十八歳の日の記録」(文藝春秋社刊 1600円+税)
 日記には悲惨な戦争と、その下で翻弄される女学生の逡巡と失望、悲しみと怒り、そして希望が正直に綴られている。貴重な資料であるとともに、一つの若き文学者の作品になっている。その中で紙に穴が開くほど激しくペンを踊らせた日がある。8月15日。敗戦の日だ。
「何事ぞ! 悲憤慷慨その極みを知らず、痛恨の涙滂沱として流れ肺腑はえぐらるるばかりである。なんのための今迄の艱苦ぞ。サイパン島同胞婦人、日本の勝利を信じて静寂に髪を梳いて逝き、アッツ島守備兵また神国不滅を確信して桜花と散り、沖縄の学童はいたいけな手に手榴弾を握って敵中に躍り込み、なかんずく、特攻隊の若桜はあとにつづくを信ずと莞爾と笑って散った。嗚呼何の為に我々は家を焼かれたか。傷つき、そして死んだか。我ら学徒もまた、美しきまた再び来ざる青春の時代を、惜しげもなく祖国に捧げたてまつり、勉学にうちこむべき精力をすべて生産増強にふりむけて、傍目もふらずひたすらに国想うおとめごころの、赤き一すじの道をひたばしりにあゆみすすんで来たものを」と。軍国少女(自らをこう呼んでいた)の怒りの先は想像するにかたくない。 しかし翌年の暮にはこう書いてある。「日本人は古来、風土の関係もあって、思想を持たない。風土の関係と一口に言えることではなく、それは封建制のしからしむところで、たいていの日本人は、自抑の生活を強いられてきたから、多くは自己表現力を有しない、機械的人間となってしまい、『自分で考える』ということがなくなった」と、現在に通じる日本人論を展開している。
 薄れゆく戦争の記憶を文学性豊かに蘇らせてくれる珠玉の日記文学。ぜひご一読を。
 あの戦争でたくさんの人が亡くなった。田辺聖子さんも空襲でなくなっていたかもしれない。生きていてくれてよかった。運が良かったのだな。だが思う。運がよかったら生きられる国ってなんなのだ。いまのコロナ禍での国の無為無策ぶりを見て強く思う。

psharuky at 00:30 │