2024年07月20日
正司照枝さん追悼 「50年越しのありがとう」

正司照枝さん追悼
「照枝さんへの50年越しのありがとう」
本誌に載らなかった(そら載らんです)個人的すぎる照枝さんとの秘話
2年前の婦人公論の記事より

📖 読まずに死ねるか
現在発売中の婦人公論9月号「3人合わせて267歳! かしまし娘の現在形」
かしまし娘といえば、もうねわたしらの世代では知らない人はいないほどのお笑い界の大スター。そのかしまし娘は活動期間25年で休止。以来もう40年。"娘"も相当なお年になりましたが、3人ともご健在です。今回の取材撮影は末っ娘の正司花江さん。86歳ですが若い。見た目イメージと喋りは「娘」の時のまんま。テンポよく話はすすみ、笑わせてもらってその終盤、「野菜持って照枝姉ちゃんの家行きますけど一緒に来ます?」と花江さんからのお誘い。照枝さんお体の調子が優れないので今回の取材は遠慮しとくことになっていましたが、花江さんの電話に来てもいいという返事だったようで、一も二もなくご一緒しますとわたしたち。
お会いした照枝さんは思いの外お元気で、花江さんとのやり取りはまさに♪うちら陽気なかしまし娘〜でした。えらいもので"間"も当時そのまま。カムバックできるのではと思えたほど。実は照枝さんとは約50年前にお会いしたことがあって、その時の"お礼"をしたいと思っていて、チラっと話をすると照枝さんは覚えてはって、そうそう、そうそうと盛り上がったのです。今回のテーマとは違うのですが、書いとかないとわけわからんので書いときますね。
わたしが女性週刊誌の駆け出し記者だった50年ほど前のこと。デスクからかしまし娘の正司照枝がバーを出したから取材してくるようにと命ぜられます。おそらく初めての取材でした。要領得んまま旧の新歌舞伎座の北側、御堂筋沿いにあるビルをなんとか発見。その4階にバーはありました。その名も「エルテ」。おしゃれな内装の瀟洒なバーは記者やカメラマンでいっぱい。知り合いもおらず、写真を撮ったかどうかカメラを持っていたかどうかも記憶が定かでない。覚えているのは照枝さんに名刺を渡して話を聞いて帰ろうとしたら「これお車代」と封筒を渡されたことと、中に5千円はいっていたこと。5千円といえば今なら2万円くらいですかね。へえ、こんなんもらえるんや。めっちゃ良い商売だなこれ、と喜んだことは記憶している。で、お礼をきちんと言えてなかったので、「いま改めてお礼をいいます。50年越しです。ありがとうございました」とわたし。照枝さんは「いえいえ、どういたしまして。あの頃は記者さんに渡してましたね、お車代。タクシー乗って帰らはりましたか」「そんな贅沢なことしませんです。きっとデスクに渡したと思う。ハハハ。駆け出しでしたから」当たり前ですが、この「50年越しのありがとう」の部分は本文には入っていません。でも気になるかしまし娘の"いま”。面白いのでぜひお読みになってください。
泣きそうになるくらい懐かしい会話ができて、超ラッキーな展開。盆と正月が一緒に来たような…ちょっと違うか。でもま、そんな感じの、時空を超えた邂逅なのでした。
psharuky at 23:54
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