PSM ピズム

see you next life


PSMじゃないですが、ザ・フォークスの演奏をどぞー

最後らへんに悪魔を憐れむ歌ふうのコーラスが入ってますw



あけおめ




じゃ、久しぶりに音楽、バンドの話。

今年に入ってヨシキはPSMとは別のバンドを始めてます。4ピースBANDで、わたしもBASSで絡んでて、メンツ、バンド詳細はまた別のサイトで紹介できるかなと思いますが、取り敢えず5月にライブが決まりました。

まぁ、ここではそれだけです。THE LA'Sみたいなバンドになればいいな(B)。



できなかったことへの賛歌

やれなかったこと やらなかったこと ぼく「ら」は後悔をいつも糞みたいに毎日毎秒生産し これからも後悔するべき道を希望している 望んでるんだった ブライアン・ウィルソンは今年の日本公演のあとにビーチボーイズをクビになった 今年初めてぼくは大笑いしたように思う 心の底からね ローリングストーンズが20年ほど前来日することになって ぼくのまわりは生涯一度の祭りのように恐ろしく色めき立ったが ぼくは何も感じなかった 君は鉄道自殺の現場を目撃したことがあるかな 高校の頃 その肉片と近鉄電車の往生を見てはいたが 動かない鉄道をずっとクラスメイトと待ちながら ぼく「ら」は不謹慎にもその肉片を眺め 線路脇のロッテリアにたむろして 安いクズ肉を口に含んでいた 肉片の地獄には想像が及ばず ぼく「ら」はこんな冗談をいった 当面この店の仕入れが捗るね 形骸には冷淡だね 人間が美しいのは20までなんじゃないのかって やらなかったことへのリスペクトをぼく「ら」は歌うべきなのだろう やれなかったのではなくやらなかったことへの賛歌 
あの娘が好きだって云わなかった 結婚しようって云わなかった ごめんなさいと云わなかった やり直せると云わなかった そいつを他人ごとみたいに眺めて冷笑した きっとこの分岐点の他の人生はうまくいってる 他のぼく「ら」の人生は その何兆分の一かはうまくいっている ミックジャガーもジョンレノンも ここで見てるのはその何兆分の一の姿 少しずれたら ジョンレノンはあの肉片になってたのかもね いつか神様に逢ったらお願いしてみようかと思う どれがぼく「ら」の最善だったのか 最良だったのか たぶん でも 彼はこう云うね いやいやそれがお前の一個の辿ったものだって 全能って糞だな その時ぼく「ら」は思い知るんだ 全能って無能なんだって 糞が 糞ったれが!って 

残暑が」台風の経過でいくつか吹っ飛ばされていきましたね」やっとぼくにとって大好きな季節がやってきます ほんの少しの期間ですが 生きている感覚があります でも 夏が去ったこと 最近ではとても悲しく思います すべての季節をぼくはいつか愛していますよ 名残惜しいって感覚なのかどうか(B)

ぬるい連休も終わって、また労働の日々です。
雨の湿気と脇のしたの汗と加齢臭の混ざった月日を越して、7月まで祝日が無いなんて、これからぼくは何を楽しみに生きるべきなんでしょう。
かと言って、休日にすることと言えば、朝から飲んだくれて短いスパンの眠りを繰り返すことだけなのです。
ぼくの心にはそろそろ悪意しか芽生えなくなりました。悪意、あるいは悪戯心みたいな洒落になるものとならないものの混在です。

昨日、とても晴れた昼下がり、酒の買出しに一駅先のスーパーマーケットまで散歩がてら出かけたのですが、その道すがら、とあるペインクリニックの前の横断歩道を見ると、死にかけの婆さんがひとりよたよたそこを渡り始めているのが見えました。
青信号でよーいドンで、婆さんは横断歩道をスタートしたのでありますが、そのスピードからして「こいつは対岸までたどり着かないな」というぐらいの速度で。
ぼくは婆さんを視界の端に捉えつつ、知らんふりで横断歩道に近づいていきました。婆さんは婆さんなりの速度で何とか対岸へたどり着こうとしておりましたが、あれはどう見てもアウトです。どれほどドンくさい動体視力をもってしても、あの婆さんは渡りきれないと予測できました。
車の往来自体は激しくない道で、運が良ければ信号なんて無くたって生涯交通事故に遭わないような道。それゆえ車どもは、無遠慮に速度を上げるような道なのです。
婆さん、そんなややこしいペインクリニックなんかに行かなくたって、痛みは今すぐにでも取ってもらえるぜ。
ぼくは視界の先で(交通法規を厳守した)猛スピードの自動車がやって来るのをにやにやしながら待っていたのですが、そんな車はたった1台現れず、ただ婆さんがよたよたと赤信号になってしまった横断歩道を渡り切ろうとしておりました。非日常なんてどこにもありません。
ぼくの歩調はちょうど婆さんが横断歩道を渡りきるかどうかのタイミングで彼女と交錯する具合でした。
道路脇の植え込みにショッキングピンクのツツジどもが咲き乱れておりました。ツツジってなんであんなに汚らしいのでしょうかね。単体で見れば綺麗な花ですよ。単なる印象なんでしょう、ツツジは安くて汚ねぇってのはね。渋谷の道玄坂のパンジーみたいなもんです、あれはゲロとアルコールと精液の混ざったウエットティシュの中で咲く花ですよね、印象としてですが。

婆さんは横断歩道の手前数メートルで、側溝の段差に気がついて、なんか一瞬まわりを見渡したのでした。そこで、のろのろ歩いているぼくと目を合わしたのです。
そのときどうしたわけか婆さんは、ぼくの方へ両手を差し伸べ「あ”ぁ〜」と訳の分からない言葉を発しました。側溝の段差が越えられなかったのでしょう。ぼくは目が合ってしまったので、仕方なく婆さんの手の方へ歩いて行きました。
高貴なお姫様の手を取る騎士のようにぼくは優雅に婆さんの手を取ると、そこは生来のコミュニケーション障害の才能をもってしてこう応えました。
「あ”ぁ〜」とね。
お互い「あ”ぁ〜」「あ”ぁ〜」と言葉にならない言葉を発しながら、ぼくは横断歩道から彼女を掬い上げたのでした。これが戦前の13歳の同い年の若い男女のシチュエーションなら、ぼくたちはきっと恋に落ちていたでしょうが、いかんせん初老のハゲと死にかけの老婆です。

機会は一度です。今も、何十年前もね。機会はそこここに偏在しますが、ここでは一回きりですよ。上だとか下だとか比較もできない、そんな残酷な世界ですよ。

何年か前の母の日に、ぼくは母に贈り物をしました。
裕福になったワケでもなく、ただ負債の清算を始めようと思ったのですが、以来、年金生活で貯金も使い果たした母はぼくに毎月のように小遣いをせびるようになりました。いい年した独身40男が金持ってないわけがないって、そんな前時代的な考えなんでしょう。
ぼくはなけなしの貯金を切り崩し彼女の求めるままに贖罪を続けました。
あるときぼくは言いました。もちろん冗談で「もう、貯金は尽きた、おれの、独りの老後のための貯金は尽きた」って。
母はなぜか泣いていましたが、
「おい、逃げ切り世代だって容赦しないぜ、おれも・・・・誰だって逃げ切りたいんだ」って。

どうしてこうなった どうしてこうなった(B)



今日は嵐でしたね
たまにはいいもんですよ、パニックってのも 街のあちこちがパンチラスポットでね!男たちの集中力はこの時のためにあるんでがしょ
職場はかつての311の様相に似てグレーにこんがらがってましたが、なんだか私はカヤの外でした 私の職場は天候不良のときは大パニックになるって、前に言いましたっけ?夕刻まだパニクってる職場の連中を尻目に定時きっかり働いて、パニックは依然続いてるのに「それじゃ!」っつって帰宅しようとしたんです 別に昇給も無いし当然ですよね 会社とか株主とかあんまり俺関係ねぇしってなもんですよ そしたら会社の出口を出て数秒、暴風で傘がイカレてしまって、ま、それでもバス停まで行こうってんで体を斜めにして進んだのではありますが、、、、無理でしたね
パンツまで雨を染み込ませて職場に帰ってですね、「おはようございます」とか言って照れ笑いですよ ひとしきり職場の同僚にツッコミ入れられて「いや、無理なもんは無理」っつってデスクの片隅で震えておりました

私たちは長い間でたらめにやってきたもんで、でたらめにやって来なかったヒトたちには何かと見透かされているようです ここが正念場だと思えることが世間的には何でも無いことだったりして、バッタみたいな体つきの平成生まれの若い青年たちに嗤われるわけで 半世紀近く生きてるのに、このおっさんの世間知らずときたらって 人生訓のひとつやふたつ酒の席でぶっこいてもいいのにね、きっと自分は間違っている、俺らはずっとずっと糞だったっていつも何か語る前に躊躇してしまうのです でたらめを極めたわけでもないのでね
同族を鉄砲で撃ち殺したこともない、殴り倒したり蹴り飛ばしたりしたこともない、体にも心にも傷をつけたことさえなかったと 本気でなかったのはただ恥じ入っていたからであって。恥ずかしくて、その上、気まずかったって そろそろどうにかしようぜって、誰か言ってくれるのを待ってたわけです、母が休日の朝寝を許さなかった程度の口調で

30年も前の友よ    無神論者の神よ
どうして君は見放した、退屈なのはお互い様だったのに。




ああそうね、まぁ、このままいってもそのうち夏になるのだろうから 例えばそんとき君が彼女と海岸までドライブに行ってだね 帰りに綺麗な夕日を眺めながら 第3京浜なんかの車中で”湘南の風”なんぞ聴き流し 夜になればこのままインターチェンジ脇の連れ込みホテルなんかを想像してるころにだね 俺は玉ねぎと豚バラだけのカレーを部屋で煮込みながら(灰汁を鍋からチクチク取りながら)やっぱりこう考えるわけよ 「音楽が俺を無邪気に微笑ませたのはすっげー昔 まったくなんにも感じなくなった ひでえな あんとき俺の音楽は死んだんだ」 バディホリーだろうが ジョンレノンだろうが死んだ時も ぶっちゃけ何にも感じなかったけど 俺は誰が死んだらそう感じるんだろうか 君がEXILEの解散の日に涙を流してだね もう自分の音楽は死んだ あれが自分の死んだ日だって思えたとしたら それがおおむね正解だと思うよ
大きく上に放り投げられて その高さに個人差があったとしても 君はずっとその頂点から落下する過程に自分の人生を見出して これが自分の全てですと神の前に披露するんだが そんとき神は半笑いでこう言うに違いない 「ファンキーモンキーベイビーズが君の全てだったって?」「それが死んだ日の君の全てだって?」「君は憶えてないのかな ホテル代けちってインターチェンジ脇の車中で見た彼女のおまんこ その下らねぇ約束とかさ?」

さて これから連休があってだね(GWなんて無関係だ) カレーがひどく食いたくなって 帰りに駅前のハイソサエティースーパーマーケット.クイーンズイセタンによったわけさ 玉ねぎ3個97円 高いのかどうかも分かんねぇ ずっとずっとメタボ指導で豆腐ばっか食ってたから たまに肉が食いたくなる 月一ぐらいで今日がその日(節制生活のピークっての?) 45超えて牛が食えなくなったんで カレーに入れる豚バラを捜すんだ どれもこれも薄切りで焼いたら跡形もなくなるようなチンケな肉しか陳列されてない ところに見つけた 「サムギョプサル」用豚バラ 先ず「サムギョプサル」が分かんねぇ 俺にはただの脂身の多い豚の厚切りにしか見えない 韓流の弊害 397円 まあいいやってなもんで(タバコより安いのになんで食いもんてのは1食合計500円越えると贅沢したなって気になるのか 買う時は清水の舞台から踊り落ちるみたいな感覚) 奮発して薩摩宝山の赤い瓶詰め焼酎を買って(今日頑張った俺へのご褒美に) 休みだワッショイってなもんで カレーに焼酎は合わんだろうと自分にツッコミいれて 惣菜をいくつか買って家に帰る iTunesから選曲したごきげんな(家事用の)ナンバーを流し 4日前の洗い物をガシガシこなして米を炊く 炊飯器のスイッチを入れてちょっと一服 1箱1000円の「The Peace」を1本ふかす 年々値上がりするたばこ 俺は周りに吹聴した いくら値上がりしようが俺はタバコを吸い続けるって(反政府的に) その境界線は1000円だったが(しょぼいよね) 実際1000円のタバコを「買って」吸うと 俺はなんて愚かなんだって痛感する どうでもいい 面倒くさい なんにしろ虚勢をはって周りに宣言するのは金輪際懲りごりだ 赤宝山開けて安い惣菜で晩酌 HDに撮りためていた正月映画(いまごろ?)を消化しようかとTVをつける 嵐の爪あとがあちらこちら 職場はまだパニクってんだろうな 
さてカレー作るかな 玉ねぎ切るかなってなもんで コタツから(まだコタツ出してるんだよw)這い出るとえらく酔いがまわってて 玉ねぎ1個刻んだらもういいやメンドくさい 「サムギョプサル」みたいなのを鍋に放り込み 灰汁を掬って掬って(それだけは念入りに)カレーの完成 男のアンチこだわりカレー

ドンマクレーンのアメリカンパイを聴いて アメリカ人の歴史に対するコンプレックスは(マドンナがカバーする前から)とっくに解消されていたんだってな 人間ひとりふたりぐらいの歴史で十分なんじゃねぇの 「荒野の7人」て映画があるが あん中で真の勝者は農民だとか何とか最後に語られるが 若い頃 真の勝者は農民じゃねぇ 子供たちの尊敬を得て死にずっと墓に花を供えられることが約束されたCブロンソンじゃねぇのって思ってた それから次に村の女こまして村に残ることになった若造 あとはみんな悲惨なもんだと思えたけどね いま一番親しみがもてるキャラはあいつになった あのスーツ着込んだ臆病者のスカして死んだやつね カレーを煮込みつつHDに収められていた「ALWAYS 3丁目の夕日2」を観賞 戦争のたった20年後に俺は生まれたが この映画はしっくりこねぇ 俺が生きていた時代はそんなに古くねぇ  誰かれ聖子ちゃんカットだった頃だって俺には古くねぇ というか俺はあんな時代に決して生きてねぇよ 歴史なんて実際いらねぇって年季重ねた爺さんが意味深に言ってくれないかなぁ 懐古中毒こそが死に至る病だって中2の子供が意味深に言ってくんないかなぁ 俺100まで長生きしたらきっと孫ひ孫たちに言ってやる 意味深にすっごい浅薄な人生訓をね 「生きるってことは一夜限りのワンナイトショーだ!」とかなんとかね

君がAKBだかSKEだかの曲を彼女とカラオケで歌ってる頃 俺は出来の悪いカレーを食いながら豚の脂臭さに吐き気がしていたわけだ これから3日この出来の悪いカレーを食わなきゃならない しくじればそれなりの罰があるのはしょうがない こだわらなかったからこの有様


30年も前の友よ 友よ   
無神論者の神よ 神よ どうしてこうなった どうしてこうなった
どうして君は見放した、退屈なのはお互い様だったってのに。(B)




きみの今月の仕事スケジュールはとてもぬるい。3連休が何回かある。有給休暇消費月間かなんだか上が決めたことで、ま、有り難いんだが、調子狂っちゃう、そしてちょっとこわい。
夜勤明け、連休で、副都心線のトンネルを抜けたら、何故か日本海の鬱ソウとした断崖絶壁から朝鮮半島をながめるような暗い開放感に包まれ、きみはいきおい駅前の西友に迷い込むと、しこたま酒とつまみと野菜くずを買って(いつもそこにたむろしている怨霊のような真っ黒いじじばばが真っ白い眼できみの買い物籠を見ていた)連休をまた無為に引きこもって過ごす決意をしたのだった。一歩も外に出ない決意。
仕事を終えたことの開放感は、きみが本当に労働を憎んでいて、そのストレスに日々、それを始めた何十年も前から長年消耗しきっていることの証であり、きみの転職繰り返し人生は、仕事をよした時のあの麻薬的な開放感を味わうためのある種悪癖に似たいちいちの布石ではなかっただろうか。
帰宅してコタツのスイッチを入れ、紙パックの高清水を茶碗に注ぎ、何もくっていなかったので米を炊くかどうか思案しながら、TVとコタツトップのNETBOOKを同時に眺め、「面倒くさい」という感覚が延髄にアルコールとともに浸み込み出すと、買ってきたさばの水煮とアーモンドをガリガリかじって、これでいいやと観念してしまった。長い休止時間きみはいったい何をして過ごしているのか、何もしていない、酩酊とFPSの殺人ゲームとNETの誹謗中傷とみのもんたかみやねや。どこに出かけ世界中のどんな場所に身を置いたところで、きみがまず最初に感じる感覚は「気まずい」という程度のものだった。
気が付くときみは暗闇のなか、コタツに突っ伏して落ちており、部屋の緑に光るデジタル時計は20時を示していた。スリープ状態だったNETBOOKを揺り動かして僅かな明かりを得ると、そのまま鼻水垂らしながら電灯のリモコンを探した。きみの部屋は電灯がすべてリモコンで制御されており、シャドーボクシングするための電灯の紐が無い。
ベッドの近くに落ちていたリモコンを拾いスイッチONにしてみたが、明かりは点かなかった。もともとのこの借家のシステムで分かっていることだから別に文句は言いたくないが、部屋の電灯ぐらい人間立ってON/OFFするべきだ。リモコンを叩いたり、電池をこすって入れ直したり、暗闇の中で宿酔いの余韻もあって「面倒くさい」という感覚に再度取り込まれつつあった。TVをリモコンでONにして、多少部屋が明るくなったのできみはそのままコタツに入りなおし鼻をかんで、タバコを5,6本吸った。どうしたもんか。検証はしていないから何とも云えないが、たぶん電灯のリモコンは電池切れなのだろう。買い置きの電池がどこか押入れにあったはずなのだが、もう2年以上まえに引っ越していながら、その押入れの整理はまったくなされていず、ぶっちゃけそのころ荷造りして持ってきたダンボールで、まだ開けていないものが何箱もあった。たぶん次の引越しまで開けないものもあるだろう(本とかCDがはいったやつは確定しているね)。たかだか電池を探すためにそいつらを暗闇で解放する気はなかった。
人間は「面倒くさい」という感覚からリモコンを発明したんだろうが、リモコンのメンテナンスを面倒くさいと感じたとき次はどんな発明をしてくれるのだろう。
そのままコタツで呆然とタバコをふかしながら、どうしたもんか、どういうもんかと思案していると24時になった。きみは今世界で一番無意味な時間の浪費という言葉を体現しているに違いなかった。そう思われると、今度はだんだんお腹の中がもやもやしてきたので、ついにガンダムが初めて地上に立ったときのようなゆるい動作で立ち上がると、「行くか」とつぶやいたのだった。誰もいない暗闇の部屋で50男が本当に声を出して独りつぶやいたのだった、今風に言うならTwitterのだった。大袈裟に「行くか」といいつつ、それは単にコンビニに電池を買いに行くことだけの話である。ではなぜそんなに大上段に構えていたのか。それはほんの十数時間前に「一歩も外に出ない決意」をしていながら、それが一日もたたないうちに瓦解してしまったことへの自分自身への戒めのようなものであったろう。きみには何も決める意志が無い。きみはただ「面倒くさい」と「気まずい」という感覚のなかで人生を消費している。
ならばよし。思いがけなくこの外出を華やかにしてみせよう。
普段は着ないお気に入りのツイードのライダースジャケットを羽織り、普段はかぶらない黒のハイチロールハットで薄毛を隠し、Drマーチンの赤い3ホールをつっかけて、かつてのMOD青年よカムバックとばかりに颯爽と寒空の外界に飛び出した。「行ってやる」「やってやる」と意気込みながら近所の(といっても往復15分ぐらいかかる)7/11に特攻し、電池をがっちり握り締めレジに向かった。自分で言うのもなんだが、コンビニの入り口のガラスに映るきみはカッコいいかつてのMOD青年、買った電池だって7/11のやさぐれ女店員は「ランブレッタのバッテリーがあがったのかしら?おちゃめで間抜けな男の子w」とでも思っているに違いないと自惚れていた(まぁ、ランブレッタのバッテリーは電池じゃどうすることもできないが)。「やった、やってやった」そんな気分だった。
とここまで前振りを書いてきたが、話を落とすのが関西人の使命であったとしても(ズボンのチャックが全開だったとか、コタツ睡眠でよだれの跡が頬にべったり残っていたとか)、わざわざそんな話を捏造してまでその使命を果たす義理もないので、このあとはただ単に事実を記述しよう。
結局リモコンが利かなかった原因は電池ではなかった。帰ってそれを確かめた。本体が壊れていたのだ、その人類が発明した利器は。
利便性に裏切られたとして、人間はそれのどこに怒りを感じる必要があろうか。
きみのぬるい決議のように説得力の無い、秒速で七変化する保守党の政策、我我の暮らし向きの方針のようなものに対してきみはかつて怒りを感じたことがなかった。なぜならきみはずっとずっと昔からその押し付けられていたものに対し「面倒くさい」やら「気まずい」やらという感覚で対抗するしか術が無かったからだ。それで、何かの気まぐれで「やってやる」なんて万が一にでも思った日には、きみの神さまは必ずお決まりの「徒労」という結末を用意していてくれるというわけだった。(B)



あけおめ


時節柄 StVLTDの話などひとつ

はじめてチョコをもらったのは 小6のとき
クラスでも飛び切りぶさいくで頭の悪いことで有名なMちゃんが なぜだかぶさいくな引き連れ達(どこで知り合ったのか分からないような輩たち)とオレのうちにやって来て チョコをくれるって話になった
オカンが玄関先でオレを呼んで(にやにやしながら) オレは玄関に出て あまりに絶望的な光景だったんで 「いらんわ」といったぎり 自分の部屋に帰ったのだった
MID昭和のはなしだ オレはそのころ StVLTDに異性からチョコを受け取ると それは愛の告白を受け入れたことだと勘違いしていたのだったので そういった態度は至極当然であったろう
部屋に帰ってもあまりのショックに(失礼なはなしだね)落ち着かなくて 何もかもなかったことになればいいなと思っていたのだった 
その後 どうやらMちゃんは どうにも引くに引けなかったらしく(昭和だね)オレのオカンにチョコを渡して帰った
夕飯どき 食卓へ行くとオトンが上機嫌でチョコを食っているので「それなんや?」と訊くと「お前がもろたやつやろ」と云った 「何してくれてんねん」とオレはぶち切れたが なんでオトンがオレのチョコを食っているのか意味がわからず 「そういうこともあるのだな」と現実逃避したのだった(小6で)

中3のとき 大好きだったAちゃんにチョコをもらった 卒業間際で なんかごにょごにょした時期だ
チョコには「大好きなあなたへ」と書いてあった その後学校の渡り廊下で彼女とすれ違うときがあって 「あのチョコ気にせんといてな」とAちゃんが顔を真っ赤にして云ったっけ オレは小6の頃のとらうまがあったので「おぅ」と云ったぎり Aちゃんと目を合わせもしなかった 高1の同窓会で彼女に逢って さらにとても可愛くなっていたけれども オレにはとらうまがあったので それから何にも発展しなかった それがまたとらうまになったのかな(昭和だね)

高2のころ オレは森田童子で有名な高橋和巳に傾倒し 暗い高校生活を送っていたのだが StVLTDのころたまたま視聴覚教室で隣になることがあったTちゃんに小さいチョコをもらった 視聴覚教室はそれぞれ小さなブースに分かれていて Tちゃんとオレは二人で隔離されているような格好だった とらうまが溶解しつつある頃だったので オレはTちゃんの瞳を見つめて「何これ?」と云った 「エエやん」と彼女が云ってふてくされた Tちゃんはクラスではやさぐれてビッチのような扱いだったが(オレの仲間内では)StVLTDを少し外して 単なる好意みたいなもので(関西のオバちゃんが飴ちゃんを配るように)オレにチョコをくれたので 案外 昭和だねって思ったのさ 

その後はどうだい 

義理だの何だの 興ざめな風習で 

確かStVLTは虐殺されたんだよね やつは未来からの怨念をたぶんその時 一身に浴びたんだよ





みんなどうしてるのかなぁ みんなもう50手前のおばちゃんなんだろうしな(B)



9/9夜中に東電の大口企業等に向けた電力使用制限令が全面解除されたらしい。
もう電気使っていいよってことだ。充分に贖罪はすんだってことなんだろう。
考えてみれば和歌山のあの嵐だってかなりひどい話ではあるが、比較論で考えちまってる。

民主党はもっと簡単に国民に免罪符をくばれば良かったんじゃないかな。

3・11に最初に浮かんだ感情は「怒り」だった。それはずっと昔あの阪神のときもそうだった。
ぼくは「怒り」を含んだ音楽が大好きで、たぶんロックンロールというのもそれに近い感情が多分に含まれているから青年期に好きになったんだと思う。
「無力な己」ってのが大好きだった。だいたいが世界にマッチしない自分ってのが。
3.11も阪神も、オレは何を怒ってたんかなぁと、思い出そうとするのだが、まぁ、まったく覚えてないや。
ほんとにあの当日それからその後の非日常の細々したことをね。放射線から逃げた人、放射線に立ち向かおうとした老人たち、放射線の中にいた人たち、ロックはだれの味方なんかねぇ。。。。。。。

昔、キリスト教が入ってきたころの日本人は原罪の意味が分からなかったらしい。救世主が生まれたときに多くの同期の赤ん坊が殺されたことが原罪ってことなんじゃないかと思ってたらしい。自分が生まれたことで犠牲になった赤ん坊ってのが、どうもしっくりくる考え方ではあるけれどもね。
もっと考えなくちゃならないけど、原罪ってなかなかいいコンテンツだよ、キリスト教にしては。

オレ、怒り狂ってる人って大好き。同年代の江頭何時何十分とか、すごい好き。
不条理とか理不尽とかね、いいよね。
何言ってんだろ。
すいません、とっちらかってて(B)。



嵐がやってこないので、私は今朝会社に傘を持っていったはいいが、帰り、夕方どうすべかと暫く考え、置き傘して帰ることにした、18時頃のはなし。景気が悪いのは、この定時退社の人の多いこと。渋谷は曇天でも、まったく雨が降りそうにない。賭けは負けだ、容易に目覚ましテレビの天気予報なんて信じたおめぇが悪いんだ。糞じゃまな傘を差しもしないで、出社退社に間抜けにもって歩くなんて癪に障る。
副都心線の地下から地上にでると、もう夜のトバリが降りている。夏も終わったぜ、せいせいする。ちょっと前までは、地上に出たところで世界は明るかった。日が短くなったんだ、大好きな季節がやってくるが、その前にこの湿気、こいつがやっかいだね。
薄っぺらい装甲の副都心線が、地上に出るとヤな音が聞こえた。鉄板を叩くじゃらじゃらした音だ。新学期も始まったってのにどこか車両の遠くで赤子が泣いてる、火が着いて全身焼け爛れたように。
あぁ、雨だ、降ってきやがった。幸い渋谷から座れた鈍行(節電運行っての)で優先座席に座って居眠りしながら、なんだか怒りが沸いてきて外の風景は見なかった。賭けがさらにまた外れたんだ。
最寄の駅に着くと、駅の天井はテントに使う素材かなんかで、物凄い雨の音がしてる。安普請で客を不快にさせやがって。駅の出口に人がごった返し。売店でぼったくりのビニル傘を買うかどうか思案している人たち。携帯電話で家族に車で迎えに来いといってる女たち。空を見て途方にくれてる男たち、月のわずかな小遣いをこんな雨に浪費していいもんか。
私は今晩何を食うべきか考えていた。買い置きの豆腐があった。タンタン鍋の元が残ってたから、西友で100円の野菜クズでも買って煮て食うか(肉抜きで)、酒も切れてたんで、黒霧の紙パック1.8Lを買って帰るか。駅の出口をでて数十秒、尋常じゃない雨量だった。Yシャツからランニングからなにからなにまで、ひでぇな、無関心に歩くのはカッコいい、パンクスだなんて思ってたんだが、この中年の透け乳首。
西友に着いたころには、もうこれは人前に出ていいレベルじゃない。駅からウチまで徒歩20分強、やみに紛れて帰るしかない、このパンツまで染み込んだ雨を、全部ウチで着替えなきゃ。歩いてて10分、禿げた頭皮に直接あたる雨が若干弱くなった。唇をA.ブッチャーがやるみたいにぶるぶる震わせて、血ではなく、雨を、顔中の雨を弾き飛ばし私はちょっと楽しくなっていたのだが、空を見る、なんだかな、てっぺんは晴れてやがる。雲が切れて闇は闇なりに晴れてきているのが見えた。


ジョージ・ハリスンの「my sweet lord」は、昔あんまり好きな曲じゃなかった。確かずっと前に日本のCMかなんかで使われてなかったかな、単純なコード、メロディーの繰り返しで。これ唯一私がギターで耳コピできた曲ね。
つい最近は、なんか泣きたいなってときはこれを絶対YOUTUBEで聴くことにしてる。なんならギター弾いて歌ってる。すごくいい曲だよね。切ないってのか、いとおしいってのか、たとえそれがインチキな神様に捧げられた曲であってもね。要は神なんていないって確信してる。

帰宅までの10分、ずぶ濡れで快晴の道を歩いていたら、私はかなりHiになっていた。賭けとかなんとか言い訳がましく考えていたのが、これは最初からオレが迷ってただけなんだと。
きっちりカウンターがくるね

西友で買った吉野家のキムチの蓋に9.9とマジックで記入する。
むろんそれは賞味期限の日付であって、何か特別な意味があるわけではない。あれは何だ、ひどく不便なもんだ。あの包装フィルムなんてもんは、食うときに大概はがしてしまうもんだからね、捨てちまってからそいつがいつまで食える代物なのか、いつも記憶が曖昧になる。
二三日で食うならそんな記号は必要ないのだが、キムチなんざ日々の酩酊生活のちょっとしたアクセントみたいなもんで、気が付かなければずいぶん長い間冷蔵庫に眠ってしまっている。で、漬物なんて腐ってるのか生きてんのか実際分からんでしょ?家事に疎いおっさんはね、賞味期限てのが大した道しるべなんだよね。指針、ナビゲーターなんだ、生活の。
9.9と書いてしまってからだね、「何やってんだ俺は」って、ちょっと考えたんだよね。これはいけないと、本能的な拒絶反応がどっかからシグナルを出してるんだよね。
おい、おっさん、キムチの賞味期限なんて拘泥してる場合かって。
いや まぁ 大事なことだろうよ

今月部屋の契約更新があって、あれ、もう引っ越して2年かよ、ってね、あのダンボールの上で焼きうどん食ってる日々から2年かよ、ってね。更新料も家賃値上げもなかったんで、お礼に家主に菓子折りとかもってって「また宜しく」なんて頭下げて、もう2年かよ、ってね。
また これだ 前のときも 今も そうやって20年失ったんだっけ ねぇ リセットボタンなんてどこにでもあるよ いつでもあるじゃん 難しく考えなくたってそこここにね どうだろう お前 いっつもいつもさ そんなに簡単にさ そのボタン押していいの? ってね

記憶が曖昧になるので、いつからかぼくは何かのきっかけを自分の誕生日に集約することにした。イベントは9.27付近に集めることにしたんだ。別に3.11でも9.11でも問題ないけど、ぼくはあんまり人間の血が通ってないからねぇ、自分が生まれた日ぐらいしか憶えられない。で、集約はするけど、まぁ、大してなにも集まらんわなw
9.27、オレが人間ドックを予約した日だ。半年まえから会社の保険組合の可愛い女の子がメタボ指導員として月一でオレに会いにきた。血圧が高いだの、血中脂肪がどうので、生活改善を指導されるわけだ、20そこそこの小娘に。肉食うな、運動しろ、毎日何食ったか記録して報告しろ、ってね、それが半年前から毎月毎月。
毎月毎月嘘ついて、がんばってますよ、努力してますよってんで、嘘のデータ提出して、どうだいネエチャン、毎月毎月順調に痩せてますよっつって、追い詰められてあとひと月で結果報告の人間ドックだ。ネエチャンに申告した体重は67kgだけど、実際は70kg。いよいよ追い詰められて薬に手を出した。「薬に手を出した」って書けば退廃的なノリピーなイメージだけど、実際はナイシトールとかコレストールとかあんな胡散臭い漢方薬を買ったってだけでね。まぁ、うんこばっか出て大して効かないんだけど。
あとひと月 どうなることやら ほんとうは 結果 嘘がばれて ネエチャンにこっぴどく叱られるのを望んでるのかもね 歪んだ性癖だよねw

みんな 神様って信じてるのかな オレは信じてるよ 特定のひいきはないんだけど オレの神様はね オレが想像しうる最上点の「公平さ」のその上にいる 俺の才能の最上点の「公平さ」のその上にいる オレがセンズリしてるときも鼻くそほじってるときもずっと見てる オレが創造しうる「公平さ」のその上にいて 黙って見てる オレは死んだ後 神様に会ってこう言ってもらうのを望んでる
「お前よぉ そこそこ良くやったよ」ってね それで神様が頬にキスしてくれたら それで終わりでいいって(B)


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