"映画作りは呪われた夢"
と言うのは、ジブリのドキュメンタリー(?)映画「夢と狂気の王国」での宮崎駿監督のセリフ。
高畑勲監督の「かぐや姫の物語」と合わせて見ると、なぜ呪われてるのかがよくわかる。
夢と狂気〜を語るに外せないのが、かぐや姫のプロデューサーである西村さん。
もうね。完全に目が死んでる。カメラ目線なのに遥か遠くを見てるかのよう。
かぐや姫は8年掛けて作られた大作と言われてますが、8年も同じ映画を作り続けるとあぁなるのか…と。
「かぐや姫を作り始めてから結婚して生まれた子供が今度小学生ですよ」
「この3年間、高畑さんの目しか見てないですね」
という西村プロデューサー。これが宮崎さんの言う"呪われた夢"…!?
『となりのトトロ』との関係で『火垂るの墓』も未完成のまま公開されてしまったように、高畑監督は締め切りに間に合わないのが常。なので、風立ちぬとの同時公開に間に合わないのも、僕らは「「「なんと、またしても!!」」」と思わずにはいられないけれど、高畑さんとしては「はじめて満足できる作品ができた」ようで、いちファンとして何よりです。
さて、そのかぐや姫ですが流石は細かい部分までしっかりと作られている作品に。
竹を切る翁や、かぐや姫を取り出すシーンの自然な動きはさすが8年かかってるだけある!と思わずにはいられないほど。
「鳥獣戯画を動かす」と予告された独特のタッチですが、特報で流れた十二単を脱ぎながら走るシーンや桜の樹の下で回りながら踊るシーン以外には目が慣れてしまってあまり感動できませんでした。
さて、かぐや姫のキャッチコピーである「姫の犯した罪と罰」とは何だったのか。
原作では、かぐや姫は月の世界で罪を犯して地球に送られた、とされているため、そのことかと思っていたが、おそらく別の意味。
かぐや姫の罪とはその美しさ。皇子や大納言が求婚に来るもそれを拒絶し無理難題を押し付け、結果として命を落とす者もあった。映画の中で唯一正義感の強いキャラとして描かれた捨丸兄ちゃんも奥さんや子供、仲間を捨ててかぐやと駆け落ちしようとするなど、姫の美しさに魅入られた者は姫を含めて誰一人として幸せになれないというハチクロ的な展開。
ただこれ、かぐや姫目線で見れば宿命を背負わされた叶わぬ恋の物語だけれど、地球人の一人として見れば"厄介者を月世界人が連れ帰ってくれた!"というお話でもあって、個人的には後者の印象が強い。
夢と狂気の王国に戻ると、僕が見たかったのは鈴木敏夫プロデューサーと宮崎さんのやり取り。
この二人、映画の中では仲良く楽しそうに映画を作ってるわけですが、実際には水面下の駆け引きが盛りだくさんで、僕はトムとジェリーみたいな関係だと思ってます。
鈴木さんは宮崎さんの反対を押し切って勝手に"もののけ姫"のタイトルを付けちゃうような押しの強い人で、映画の中でも風立ちぬのポスターを宮さんと一緒に考えていましたが、実際に使用されたポスターには「生きねば。」という文字がタイトル並に大きく書かれたポスターのはず。宮崎さんとのやり取りであんな筆文字なかったですよね!?もちろんカットされただけかもしれないけれど、おそらくは鈴木さんの独断で決めたんだろうな、というのが読み取れる素敵な内容。
個人的に好きな駆け引きは鈴木さんのインタビュー本(『風に吹かれて』『ジブリの哲学』)に書かれている、ジブリにパソコンを導入するときのお話。
スタジオジブリにもそろそろパソコンが必要だ、と考えた鈴木さん。しかし宮崎さんは「パソコンなんてものは、かちゃかちゃやってるだけで人を仕事した気にさせるからダメだ!」とか言っちゃう人。困った鈴木さんだが、あることを思いつく。宮崎さんは「鈴木さん、パソコンはダメだがワープロというのは字が綺麗に印刷できていいね」とのことらしい。さらに宮崎さんの中では「パソコン=デスクトップ」で「ワープロ=折りたためるやつ」と思っている。
そこで鈴木さんは、事務所にあったワープロに似ているという理由からMacのパワーブックを大量購入して事務所に置いたそうで、さすがの宮崎さんも「鈴木さん、なんでこんなにワープロがいるんだ!?」と困惑したそうな。
その名残で『耳をすませば』の雫のお母さんが使うワープロはジブリに置かれたパワーブックが描かれており、その絵コンテを描いたのが他でもない宮崎さんなんだとか。
あぁ、この少年のような大人たちはなんて面白いんだろう!(現場は辛いんだろうけど…!)
面白い作品があれば、それを作ってる人たちはもっと面白い。
もしかしたらジブリというところはかぐや姫の物語のように中心の人たちがとてつもなくドラマチックで、周りの人たちはその圧倒的な力に苦しめられていく。そんな夢と狂気に満ちた場所なのかもしれない。
と言うのは、ジブリのドキュメンタリー(?)映画「夢と狂気の王国」での宮崎駿監督のセリフ。
高畑勲監督の「かぐや姫の物語」と合わせて見ると、なぜ呪われてるのかがよくわかる。
夢と狂気〜を語るに外せないのが、かぐや姫のプロデューサーである西村さん。
もうね。完全に目が死んでる。カメラ目線なのに遥か遠くを見てるかのよう。
かぐや姫は8年掛けて作られた大作と言われてますが、8年も同じ映画を作り続けるとあぁなるのか…と。
「かぐや姫を作り始めてから結婚して生まれた子供が今度小学生ですよ」
「この3年間、高畑さんの目しか見てないですね」
という西村プロデューサー。これが宮崎さんの言う"呪われた夢"…!?
『となりのトトロ』との関係で『火垂るの墓』も未完成のまま公開されてしまったように、高畑監督は締め切りに間に合わないのが常。なので、風立ちぬとの同時公開に間に合わないのも、僕らは「「「なんと、またしても!!」」」と思わずにはいられないけれど、高畑さんとしては「はじめて満足できる作品ができた」ようで、いちファンとして何よりです。
さて、そのかぐや姫ですが流石は細かい部分までしっかりと作られている作品に。
竹を切る翁や、かぐや姫を取り出すシーンの自然な動きはさすが8年かかってるだけある!と思わずにはいられないほど。
「鳥獣戯画を動かす」と予告された独特のタッチですが、特報で流れた十二単を脱ぎながら走るシーンや桜の樹の下で回りながら踊るシーン以外には目が慣れてしまってあまり感動できませんでした。
さて、かぐや姫のキャッチコピーである「姫の犯した罪と罰」とは何だったのか。
原作では、かぐや姫は月の世界で罪を犯して地球に送られた、とされているため、そのことかと思っていたが、おそらく別の意味。
かぐや姫の罪とはその美しさ。皇子や大納言が求婚に来るもそれを拒絶し無理難題を押し付け、結果として命を落とす者もあった。映画の中で唯一正義感の強いキャラとして描かれた捨丸兄ちゃんも奥さんや子供、仲間を捨ててかぐやと駆け落ちしようとするなど、姫の美しさに魅入られた者は姫を含めて誰一人として幸せになれないというハチクロ的な展開。
ただこれ、かぐや姫目線で見れば宿命を背負わされた叶わぬ恋の物語だけれど、地球人の一人として見れば"厄介者を月世界人が連れ帰ってくれた!"というお話でもあって、個人的には後者の印象が強い。
夢と狂気の王国に戻ると、僕が見たかったのは鈴木敏夫プロデューサーと宮崎さんのやり取り。
この二人、映画の中では仲良く楽しそうに映画を作ってるわけですが、実際には水面下の駆け引きが盛りだくさんで、僕はトムとジェリーみたいな関係だと思ってます。
鈴木さんは宮崎さんの反対を押し切って勝手に"もののけ姫"のタイトルを付けちゃうような押しの強い人で、映画の中でも風立ちぬのポスターを宮さんと一緒に考えていましたが、実際に使用されたポスターには「生きねば。」という文字がタイトル並に大きく書かれたポスターのはず。宮崎さんとのやり取りであんな筆文字なかったですよね!?もちろんカットされただけかもしれないけれど、おそらくは鈴木さんの独断で決めたんだろうな、というのが読み取れる素敵な内容。
個人的に好きな駆け引きは鈴木さんのインタビュー本(『風に吹かれて』『ジブリの哲学』)に書かれている、ジブリにパソコンを導入するときのお話。
スタジオジブリにもそろそろパソコンが必要だ、と考えた鈴木さん。しかし宮崎さんは「パソコンなんてものは、かちゃかちゃやってるだけで人を仕事した気にさせるからダメだ!」とか言っちゃう人。困った鈴木さんだが、あることを思いつく。宮崎さんは「鈴木さん、パソコンはダメだがワープロというのは字が綺麗に印刷できていいね」とのことらしい。さらに宮崎さんの中では「パソコン=デスクトップ」で「ワープロ=折りたためるやつ」と思っている。
そこで鈴木さんは、事務所にあったワープロに似ているという理由からMacのパワーブックを大量購入して事務所に置いたそうで、さすがの宮崎さんも「鈴木さん、なんでこんなにワープロがいるんだ!?」と困惑したそうな。
その名残で『耳をすませば』の雫のお母さんが使うワープロはジブリに置かれたパワーブックが描かれており、その絵コンテを描いたのが他でもない宮崎さんなんだとか。
あぁ、この少年のような大人たちはなんて面白いんだろう!(現場は辛いんだろうけど…!)
面白い作品があれば、それを作ってる人たちはもっと面白い。
もしかしたらジブリというところはかぐや姫の物語のように中心の人たちがとてつもなくドラマチックで、周りの人たちはその圧倒的な力に苦しめられていく。そんな夢と狂気に満ちた場所なのかもしれない。